舞踏! 発毛! 悪徳買い占め業者を叩け!!
伊達 梶乃
 ロサンゼルス市立公民館第5小展示室では、只今の期間、退役軍人病院精神科の入院患者たちによる工作展が催されていた。開催第1日目、2日目は非常にひっそりと行われていたこの作品展も、3日目の今日、主催者側も目を点にするような状況に追い込まれていた。何と、テレビ局や新聞社・雑誌社の取材陣が押し寄せ、さらにこの作品展を見ようと訪れた客が公民館の駐車場から公道へと長蛇の列をなし、その列の最後尾は遥か遠くて見えない。取材のアポイントメントは当然、病院の受付に行くのだが、病院の受付と工作展の受付(ボランティア)とは意志の疎通が取れておらず、工作展の受付2名はこの異常事態にただあわあわおろおろするのみであった。
 彼ら取材陣、それから見物客は、一体何を目当てにこんな工作展に訪れたのか。ゲルニカを立体化させたような超大作紙粘土細工か(タイトルは「水虫」)。平和をテーマにしたループ・ゴールドバーグ・マシンか(ベトコンのフィギュアが次々と倒されていく)。使用済みの割り箸で造ったゴールデンゲイトブリッジ風のオブジェか。精神科の患者の作品とは言え、案外まともなものもあるし、技術もなかなかのものだ。しかし、それらの目を引く作品の前に、人々は足を止めていない。人々が団子になっている場所、それはH.M.マードック大尉(当時)の作品群の置き場だった。
 シーツを広げた折り畳み机の上に並んだマードックの作品を見てみよう。テーマは「ダイエット」。
●モビール;型紙に沿ってプラスチック板を切り、現状の体形と理想の体形を作る。“現状”の方が“理想”より重くなっているので、“理想”の方に、ケーキなどの食べ物(プラスチック板を切って作ったもの)を吊るして、釣り合いを取る。痩せたら、痩せた分だけ“現状”の形を割り取っていく。そのために、“現状”の体形を表現しているプラスチック板は、1ポンド分ずつペキンと割れるようになっている。“現状”が軽くなった分、“現状”の方に食べ物を模したプラ板を吊り下げられる。
●フォーク&スプーン;フォークは先が短く、枝分かれが少ないので、なかなか刺せない。スプーンはほとんど窪んでいない上に、ほぼ三角形で使いにくい。柄に「イライラしない。苦労の分だけ痩せたはず」と彫ってある。
●プレート;ステーキ、フライドポテトのリアルな絵が描いてある。つけ合わせの野菜のところだけ、皿は白いまま。この皿に野菜類だけ盛れば、立派なメインディッシュに見える。
●クッキージャー;中が万華鏡になっていて、クッキーが1つしか入っていなくても、いくつものクッキーが入っているように見える。キャンディを入れておいてもよい。
●アイスクリームカップ;上げ底になっている上、中央部が膨らんでいる。外側には、たっぷりのアイスクリームとホイップクリーム、チョコレートソース、チェリーの絵が描いてあり、あたかもそれらが中に入っているかのように見える。
 いずれも、まるで店で買ってきたもののように、しっかりとしており、このままここで販売されていてもおかしくない。とても素人の工作とは思えない出来だ。
 それはなぜかと言うと、技術面をコングが、材料調達をフェイスマンが手伝ったから。ハンニバルの助言も、もちろんあった。
 そんなわけで、陰の功労者たちもマードックの作品を見ようと、列に並んでいた。まさかこんなに混雑していようとは全く思わなかったのだが。1日目、2日目はもしかしたら多少混んでいるかもしれない、しかし3日目ともなればガラガラだろう、と踏んだ彼らだったが、勘は大きく外れた。1日目、2日目に訪れた人からの口コミで、3日目は大混雑。まあ、それでも見物客はマードック考案のダイエットグッズを見れば気が済んで帰るので、Aチームの3名は午前中から並んだこともあって、2時間待ち程度で中に入れた。
 第5小展示室に足を踏み入れたAチームは、テレビカメラの存在に気づき、各々が懐から変装グッズを出して装着した。コングはニットキャップとサングラス、フェイスマンは黒縁眼鏡と口ヒゲ、ハンニバルはヒッピー風ロングヘアのカツラ(バンダナつき)と丸眼鏡に、コングから引っ手繰ったピースマークのネックレス。ロングヘアのカツラがどうやって懐に収納されていたかは、気になるかもしれないが、黙っておこう。
 入場の列に並んでいる間にすっかり無口になってしまっていた3人だったが、人々に囲まれ、テレビ局のレポーターにインタビューされているマードックの姿を目にして、思わず引っ繰り返った声を上げた。
「モーンキー?」
 彼らが素っ頓狂な声を上げたのは、マードックの作品に人が群がっていたからではない。マードックがインタビューを受けていたからではない。全国ネットの放送局のテレビカメラがマードックを撮影していたからではない。帽子を被っていないマードックの額に、ぽわぽわと毛が生えていたからだ。その上、何だかぽっちゃりふっくらしている。ひげの剃り跡が青々していないし。
 マードックは3人に気づかぬ振りをしてインタビューに答えつつも、指先で何やらサインを送ってきた。ベトナムでヘリの音がうるさくて指示が伝えられないからと、ハンニバルが考案したサインだ。そのサイン曰く「夜に戻れ」。ハンニバルがサインで答える。「了解、何時に?」「19時に。」
 やり取りの後、3人はマードックの作品をちらりと見てから、公民館を後にした。



 約束の19時。公民館の駐車場にバンを停めて待っていると、ほどなくしてマードックがスライドドアを開けて乗り込んできた。
「見に来てくれてあんがと。」
 自分のシートにドスンと座ってそう言い、マードックはエヘヘと笑った。
「みんなのおかげで、俺様、超大人気。」
「勘違いすんじゃねえぞ、てめェに人気があるんじゃねえ。てめェの作ったモンに人気が集まったってだけだ。確かによくできてたしな。」
 珍しくコングも機嫌よく言う。毎日、電話で技術指導をした甲斐があったというもんだ。
「着眼点もよかったしな。」
 ハンニバルも褒める。御大のお気に召すような奇抜さはなかったが、工作展にあれらの作品群は、ある意味、非凡だ。
「商品化された場合も考えて、コストのかからない材料を選んだしね。」
 儲け話の予感に、フェイスマンもニマニマしている。しかしそれって、材料費をケチったとも言わないか?
「そ、商品化の話、今日までにももういくつか来てるんよ。オイラその辺よくわかんねっから、フェイス、頼まれてくれね?」
「オッケ、任せて!」
「ところでお前さん、病院戻んなくていいのか?」
 いい気になったフェイスマンは放っておいて、話を切り替えるハンニバル。
「それがさあ、病院に戻ってこいって言われてないんだよね。午前中に救急車に押し込まれて、ここに連れてこられて、それっきり。で、ずっと作品の説明したり、インタビューに答えたりしてた。適宜狂ってみせつつ。」
「狂人のインタビューなんか放送しちゃっていいんですかねえ?」
「放送禁止用語は喋ってねえよ。ピーとか入れられたくないもんね。」
「ま、その辺は適当に編集でカットするんじゃない? ときにモンキー、お前、太った?」
 気になっていたことを遂に聞いたフェイスマン。
「体重は変わってねっけど、なーんか太ったっぽいよね。」
 と、他人事のように言うマードック。
「ほら、腕なんかもぽにょぽにょ。」
 革ジャンを巻くって、前腕を見せる。
「筋肉が落ちたんじゃねえか? 牛乳飲んで筋トレしやがれ。」
「ダイエットグッズ作った本人が太ったんじゃ、説得力ないねえ。」
 ハンニバルには言われたくないな。
「モンキー、ちょっと、腕、見せて。」
 掲げられたマードックの腕を、フェイスマンがぐいと引っ張る。
「……脱毛した?」
「うんにゃ。何だか勝手に腕の毛が減った。腕だけじゃねえぜ、脛毛も減っちまったし、胸毛も。ほら。」
 Tシャツの襟ぐりを引き下ろすと、あれほど豊かだった胸毛がすっかりと消え失せていた。
「あ、でもねでもね、ここ見て、ここ。」
 帽子を取り、額を指す。
「生えてきたんだー、へへーん。もう少しすれば、俺っち、すっかりたわわな頭髪になっちゃうよーんだ。」
「ああ、それは俺たちも驚いた。」
 今はもう驚いていないフェイスマン。
「毛生え薬でも使ったのか?」
「そう、大佐、その通り! 通販で買った発毛剤がばっちり効いてさ〜。」
 どうやら技術指導を乞う電話と見せかけて、通販の申し込みもしていたようだ。
「ってこたァ、体毛が減ったのも、筋肉が落ちてデブったのも、その副作用だ。女性ホルモンのせいだな。」
 きっぱりとコングが言い切る。
「俺ァ、筋肉が落ちてブヨブヨになるくらいだったら、ハゲる方を選ぶぜ。」
 そりゃあコングならそうでしょうて。丸ハゲになったとて、今とそれほど変わらないし。モヒカンが恋しければ、フェルトでも貼っておけばいいし。
「ふむ、太めの女性にアッピールするダイエットグッズを考案できたのも、その女性ホルモンのおかげですかねえ。」
 葉巻をくゆらせつつも、空いた手で自分の腹肉を摘まんでみるハンニバルだった。
「でも、発毛剤ってそんなに効くもん? 十数年、いやそれ以上生えてなかったところに、明らかに生えてきてるし。」
「塗っただけだったら、効果なかったけどさ。」
「だろ? 塗るだけで本当に効く発毛剤なんて、医者が処方したならともかく、通販で手に入るわけないよね、ハハッ。」
「じゃあどうやったんだ? 塗る以外に。」
「注射した。ほら、オイラ、よく鎮静剤打たれるからさ、だから、こっそり鎮静剤と発毛剤の中身を入れ替えてみた。」
「それ、下手したら死ぬよ!」
「そっか、注射の後にお花畑が見えたのは、そのせいか。」
「死にかけてんじゃん!」
「オイラと一緒に騒いで、一緒に鎮静剤打たれたハーシュ爺さん、あれっきり会ってねえなあ。」
「死んでんじゃん!」
「普通、死ぬぜ、発毛剤なんざ注射されたらな。死なねえのは、こいつぐらいだ。」
「いやあ、そんなストレートに褒められっと照れるなあ。」
「褒めてねえぜ、ちっとも。」



 楽しげな会話から遡ること15分ほど前。MPのオフィスで、デッカー大佐はデスクに向かって始末書を書いていた。昨日、ロングビーチで、いもしないAチームを追いかけて車両通行止めの歩行者用道路をMPカーで爆走したからだ。
「大佐、一息入れましょう。」
 副官のグラント大尉がコーヒーの入ったカップを報告書の脇に置いた。
「ああ、そうだな。」
 と、デッカーは椅子に座ったまま大きく伸びをした。
「夕飯はチャイニーズのデリバリーにしようかと思うんですが、大佐はいかがなされますか?」
「フライドライスがいいな、肉入りの辛いやつ。それと、スプリングロール。」
「わかりました。」
 メモを取ったグラント大尉が電話に向かっている間、デッカーは小さなテレビに目を向けた。情報収集のために、ニュース専門チャンネルを点けっ放しにしているのだ。
『……の行方はまだわかっておりません。続報が入り次第、お知らせいたします。次のニュースです。』
 画面の中のアナウンサーが、手元の原稿を入れ替える。
『一昨日からロサンゼルス市立公民館で退役軍人病院精神科の入院患者による工作展が開かれております。その模様をCHHのカーリン記者がお伝えします。』
 マードックがいるところだな、と瞬時にしてデッカーは思った。
『CHHのカーリンです。ここロサンゼルス市立公民館では、退役軍人病院精神科の入院患者による工作展が一昨日から開かれています。ご覧下さい、大変な人気です。外では多くの人々が入場待ちの列を作っていて、2時間から3時間待たなくては入れないという状況です。いずれの作品も力作揃いなのですが、中でも一番人気なのが、こちら、マードック氏によるダイエットグッズです。』
 デッカーがコーヒーをブッと吹いた。
「何をやっているんだ、マードック大尉め。」
『モビール、フォーク&スプーン、お皿、これはクッキージャーですか、それとアイスクリーム用のカップ。これ、全部手作りなんです、信じられますか? これらを考案し作製したマードック氏にお話を伺ってみましょう。こんにちは、マードックさん。』
『こんにちは。』
『これらの作品、本当に全部手作りなんですか?』
『ええ、フォークとスプーンは金属板から切り出して、陶器は形を作って焼くところから始めました。』
『お上手ですね。以前にはこういうお仕事をなさっていたんですか?』
『いいえ、パイロットをやっていました。ベトナムではヘリを操縦して――』(不自然に映像が切れる。)
『なぜダイエットグッズを作ろうと思ったんでしょうか?』
『工作展のことを聞いて、何を作ろうかと考えていた時、セント・ピーターが言ったんです。ダイエットが来る、と。』
『神、ではなく、セント・ピーターが、ですか。』
『ええ、神の御言葉をセント・ピーターが伝えてくれたんでしょう。それからは使徒たちが代わる代わる現れて、助言をしていったんです。金属の叩き方とか、釉薬の調合とか、絵つけの方法とか。材料がなくて困っている時には、ちょうどいいものを恵んでくれたり。夕飯のデザートが何か教えてくれたり。おかげでミントジェリーを食べずに済みました。本当に感謝しています。』
『そ……そうですか。え、ええと、先ほど、これらのグッズを商品化したいという申し出が何件かありましたが。』
『ダイエットに励む人たちの助けになるのなら、それもいいことだと思います。私個人の力では、これらグッズを希望する人たち全員にお分けすることはできませんからね。』
 カメラがパンし、会場に詰めかけた人々の姿を映した。誰も彼もがふくよかに見える。そんな中、確かにふくよかではあるものの、ちょっと浮いた存在のヒッピーがいた。ふくよかと言うよりは、ごっつい黒人もいた。その横には、ふくよかでもなくごつくもない優男がいた。
「Aチームだ!」
 デッカーは勢いよく立ち上がって叫んだ。その衝撃で、コーヒーカップが引っ繰り返り、書きかけの報告書がコーヒー浸しとなった。
「行くぞ! ロサンゼルス市立公民館だ!」
 15分後、MPオフィスのドアを開けたチャイニーズ・デリバリー屋の店員は、誰もいない中で点けっ放しのテレビを見つめ、途方に暮れるのだった。



「ところで、こちらどなた?」
 和気藹々としたAチームのバンの中で、マードックが後ろを指差して尋ねた。その指し示す先には、目隠しをされ耳栓を嵌められたオッサンが、窮屈そうに座っている。
「今回の仕事の依頼人だ。さっき拾ってきた。」
「ルイジアナ州ラファイエットからお越しの、ネイザン・ディジェ氏。身辺調査は終わってる、問題なし。」
 フェイスマンがそう言って、懐からメモ帳を取り出した。
「依頼内容は、ええっと、ああこれだ。ロサンゼルス市内のイタリアンレストラン、ピッツェリア含む、をぶっ潰す。」
「イタ飯屋、全部をか?」
 威勢のいい依頼ではあるが、ハンニバルでさえ眉間に皺を寄せて尋ねてしまう。
「詳しい話はまだ聞いてないよ。俺もイタリアンレストランにはちょっと恨みがあったからね、それでOKして連れてきちゃった。」
 フェイスマンの恨みとは、おニューのオフホワイトのスーツにトマトソースが飛んで、赤い染みが落ちなくなった、ってだけ。そういう時には、全部トマトで染めてしまえ。
「おい、あれ見ろよ、ハンニバル。」
 アジトに向かって走っていたバン、その前方に嫌なものが見えた。MPカーだ。しかし、まだAチームのバンには気がついていない様子。
 それもそのはず、デッカー大佐ご一行はAチームが公民館にいるものだと信じており、まさかAチームが公民館から自分たちの方へ(たまたまアジトがそっち方面なだけ)向かっているとは露知らず。紺色のバンなんて、いくらでも走ってるし。
「どうする?」
「気がつくまで放っておきましょうか。」
 ハンニバルの指示に従い、コングは特に何もしなかった。



 デッカー大佐は助手席で無線機のマイクを握って、通信相手のコリンズ軍曹の報告を聞いていた。コリンズ軍曹はオフィスを出た後、ふと気がついてCHHに連絡を取り、インタビューがいつ行われたものか問い合わせていたのだ。
「今日の昼頃の映像だったと?」
『はい、そうです。ですから今、公民館に向かっても、Aチームの姿はないと思われます。』
「しかし、奴らの足取りが何か掴めるかもしれん。行ってみる価値はある。」
『わかりました。我々も公民館に急行します。ですが大佐、公民館は19時で閉館だそうです。既に19時を回っておりますので、正面玄関からではなく、裏の通用口にお回り下さい。』
「了解。グラント大尉、公民館まであとどのくらいだ?」
 マイクをフックに戻したデッカーは、運転席のグラント大尉に尋ねた。
「あと10分ぐらいではないでしょうか。」
「ふむ、結構遠いな。」
 と、その時、擦れ違った車の中に、Aチームのバンが見えたような気がして、咄嗟にデッカーは振り返った。
「大尉、Aチームだ! Aチームのバンだ! Uターンしろ!」
 紺色で、後部ハッチにはウィンドウがなく、というのしかもうわからないが、デッカーの勘は「あれは絶対間違いなくAチームのバンだ」と言っている。多分、紺色に塗った段ボール箱を見ても、デッカーは「あれは絶対間違いなくAチームのバンだ」と言うだろう。
 この通りがUターン禁止であることを承知の上で、グラント大尉はUターンし、反対車線に割り込んだ。違反キップを切られるかもしれないが、デッカー大佐にUターンしろと言われてUターンしなかったら、下手をすれば反逆罪で投獄される。最悪の場合、命がない。
 因みに、MPカーのUターンによって、乗用車8台が路肩に乗り上げ、うち3台は電柱に激突し、3台は消火栓を壊し、残り2台は互いに衝突した。そして、事故車にダンプカーが激突して止まり、荷台の鉄板や鉄骨が周囲にバラ撒かれ、それに乗り上げた乗用車1台が空高くすっ飛んでいき、落下し、ひしゃげた。
 それらを振り返ることもなく、デッカーとグラント大尉を乗せたMPカーは、Aチームのバンと思しき車をひたすらに追っていった。車線変更禁止、追い越し禁止も無視。ぐんぐん追い上げるMPカー。



「気づかれたようだぜ。」
 ハンドルを握るコングが呟いた。「ようだぜ」も何も、明らかにデッカーは窓から身を乗り出して「待てーい、Aチーム!」と叫んでいる。その他にも、いろいろと叫んでいる。
「じゃ、適当に撒いちゃって。」
「おう。」
 くいっと右折。細い路地をぐねぐねと走っていく。しかし、幹線道路から外れたのが災いした。バックミラーを見れば、そこにはMPカーが。遮蔽物(他の車)がなくなったのだから、MPにとってはむしろ追いかけやすい状況だ。曲がる場所さえ間違えなければ。
 一方、MPカーの方では。
「バラカスはああ見えて常識人だからな。車を大事にする上、民間人にも優しい。それを考えれば、どこで曲がるかは自ずと見えてくる。」
 やっべえ、デッカーが頭を使ってやがる。グラント大尉の運転も、交通ルールを無視してはいるものの、慎重で丁寧だ。これはまずいかもよ、Aチーム。
 話をAチーム側に戻すと。
「奴さん、珍しく根性出してますねえ。」
 のほほんとハンニバルが言う。
「コバンザメみてえについて来やがる。撒くに撒けねえぜ。」
 コバンザメはくっついているだけで追っては来ないけどな。
「このまんまじゃ依頼人共々デッカーに捕まっちゃわない?」
 Aチームの面々はMPに捕まっても逃げることができるが、依頼人まで捕まってしまっては大変だ。Aチーム関係者として扱われてしまう。
「よし、二手に分かれよう。フェイスとモンキーは、俺と一緒に車を下りて、陽動作戦に出る。その間に、コング、お前は依頼人を乗せてアジトに向かえ。車がエンコしたように見せかけるんだ。」
「うし。」
「了解。」
「ラジャー。」



 マードックがバンの後部を漁り、爆竹を見つけると、それをハンニバルに投げて寄越した。フェイスマンもバンの後部を漁って、毛布やロープを駆使し、コング的なものを作る。コングは、人気がなく、車の入れない細い路地が多く、かつ、車が走れる道は直線的な場所へとバンを走らせた。
「この辺でいいな。」
 リーダーの言葉に、部下3名が無言で頷く。ハンニバルは葉巻の火を爆竹に押し当て、速度を落としたバンの窓から爆竹を落とした。
 パーン!
 ほどなくして爆竹は爆ぜ、コングはハンドルとブレーキペダルを巧みに操って、いかにもタイヤがパンクしたかのように走ってみせ、最後には車を停めた。
「行くぞ。」
 ハンニバル、フェイスマン、コング的なものを抱えたマードックは、バンの外に走り出て、車の入れない路地へと駆けていった。
 すぐに、バンの後ろにMPカーが停まった。デッカー大佐とグラント大尉が車から下りる。Aチーム全員が車を置いて逃げていった、と判断した2人の手に銃はない。
「パンクしたようですね。」
「ああ。スミスたちはあっちに走っていったな。」
 路地の奥に、4人の後ろ姿が小さく見える。
「俺は走って追いかける。お前はこの路地の先の通りに車を回せ。Aチームのバンは、コリンズに回収させろ。」
「はっ。」
 早速、Aチームを追って走り出すデッカー。グラント大尉は車に戻って無線機でコリンズ軍曹に指示を伝えると、MPカーをバックさせていった。
 バンの中で伏せていたコングが、むくりと身を起こし、ニヤリと笑った。



 どすどすと走り回る男3人+コング的なもの1体。後ろからデッカーが追ってくる。日々軍事訓練を欠かさないデッカーの追い上げスピードはなかなかのもの。年を感じさせない、力強い走りだ。対して、日々軍事訓練なんかやっているはずもない3人は、既に息切れ中。コング的なものも重荷になっているし。
「このまんまじゃホントに捕まっちゃうよ?」
「これ(コング的なもの)、重くて邪魔だから捨てちゃっていーい?」
 部下2名のことは無視して、ハンニバルは記憶の中の地図を参照した。この近辺に、どこか、逃げ込むのに絶好の場所はないだろうか。ポクポクポクチーン。
「こっちだ!」
 そう言われて、部下2名はハンニバルに従うしかなかった。
「この塀を登るんだ。」
 なかなかに広い建物の裏手に到着し、ハンニバルが指示する。塀はそこそこ高く、結構がっしりしてはいるが、見上げたところ、侵入センサーなどはついてなさそうだし、上部に有刺鉄線やガラス片もない。
 中腰で塀に手をついたマードックの腿と肩に乗り、まずはフェイスマンが塀の上に上がる。次に、ハンニバルがマードックを踏み台にして、フェイスマンに引っ張り上げてもらい、塀の上へ。最後にマードックがコング的なものを分解して、ロープを塀の上へ投げ、フェイスマンとハンニバルに引っ張られて塀の上へ。3人揃って塀の内側にていっと下りると、そこは潅木の茂みだった。
「ここ、どこなの?」
 数十ヤード向こうに見える建物は、個人宅には見えない。かと言って“ビルディング”と呼ぶほど近代的でもないし高層建築でもない。
「領事館だ。どこの国のかは忘れたが。」
「ってことは、ここ、アメリカじゃないってこと?」
 そういうことですな。となれば、MPも入ってこられない。Aチームの皆さんも不法侵入の上に不法入国になるけど、その辺はAチーム、いつものことだ。
「ここか、スミス!」
 塀の向こうでデッカーの声がした。
「何でわかるの?」
 ちょい焦るフェイスマン。
「あ、コングちゃん人形のパーツ、塀の外に置いてきちゃった。」
 てへ、と舌を出し頭を掻くマードック。
「この塀、デッカー1人じゃ登れやしませんて。」
 ハンニバルの言う通り、塀の外で一頻り「とりゃー!」とか「でやー!」とかと掛け声が上がり、そのたびに塀がドスーン、ドスーンと揺れたが、一向にデッカーの姿は塀の上に現れない。
「ほらね。しばらくここでこうやってやり過ごせば……。」
 だがしかし。
「ふはははは、袋の鼠だAチーム。」
 塀の向こうでデッカーが偉そうに言い、ダダッと走っていった。
「もしや、表から来ますか。」
 何も塀を登らなくても、塀はいつかは途切れて、そこには門がある。門を開けてもらえるかどうか、守衛に追い返されるかどうかはともかく、侵入の糸口はないわけではない。
 3人揃って塀を振り返る。今、この塀を再度登って向こうに行けば、少なくともデッカーはいないだろう。しかし、デッカーの部下が合流してくるかもしれない。その辺のことは置いておいても、再度塀に登るのは面倒だ。
 ハンニバルは腕組みをして考え込んだ。と、その時。
「何か、中でパーティやってるっぽくない?」
 建物の中から聞こえてくる音をキャッチしたマードック。
「パーティねえ。……紛れ込みますか。」



 紛れ込むには、まず服装から。そうハンニバルが言ったので、ここは紳士用トイレ。用を足しに入ってきたパーティ客を3人、カラテチョップで気絶させ、服を奪う。そして剥いだ服を着る。気絶中で下着姿の紳士諸君には、個室に篭もってもらう。
「一体何のパーティなの?」
 最高級にフォーマルな燕尾服を着込んで、思わず髪形もフォーマルな感じに直すフェイスマン。白い蝶タイに絹のポケットチーフってだけで、やけに紳士っぽくなっているハンニバル。紳士と言うよりはむしろ手品師に見えるマードック。
「何だか格式高いパーティみたいですねえ。」
 服のサイズが自分にぴったりで、ご満悦のハンニバル。
「ってことは、チョウザメの卵、あるかな?」
「キャビア、トリュフ、フォアグラ、何でもあると思うぞ。」
「この間、おうちのゴハンにとんぶりが出てさ〜。オイラ騙されちゃったよ〜。」
 とんぶりは普通、病院食として出されないよね。あれはあれで美味いもんだが。
 話しながらトイレを出た3人、廊下を行く人々の会話を聞いて、はっとなった。
(全員、ドイツ語喋ってる!)
 そりゃまあ領事館だしな。英語も通じるだろうけど。
 そして大広間では、本格的にダンスが行われていた。キャビア、トリュフ、フォアグラは見当たらないのに。真っ正面に掲げられた横断幕に書かれた文字を何とか読むと、このパーティはどうやらオーストリリー独立30周年記念パーティのようだ。ここで初めて、ここがオーストリリー領事館であることが判明。
 ハンニバルとフェイスマンは、壁の花になっているご婦人に近づき、ワルツの輪の中へ入っていった。マードックもワルツくらいなら踊れないこともないが、フォックストロットの方が得意なので、曲が変わるまでしばらくは壁の染みとなって、ハンニバルとフェイスマンのダンスを眺めていることにした。
 もしハンニバルやフェイスマンが女性の足を踏んだり、ステップを間違えたりしたら、あとでコングに報告して、こっそり笑ってやろう、などと思っていたのだが、2人のダンスは腹が立つほどに上手かった。周囲のオーストリリー人よりも上手かった。相手の女性もダンスが上手く、いつしか彼ら2ペアは注目の的になっていた。オーストリリーならではのヴェニーズワルツが終わると、楽団は次に、フォックストロット向きの曲ではなく、タンゴを演奏し始めた。フロアに残ったのは、ハンニバルペアとフェイスマンペアのみ。何で即興でそれ踊れるかな、ってくらいの見事なダンス。社交ダンスの域を超えて、競技ダンス並み。楽団も、段々とテンポを上げてくる。かと思うと、スタッカートの部分を異様にフェルマータしたり。楽団員の腕も半端じゃない。そして、その意地悪な演奏に笑顔で反応する4人。
 タンゴが終わった時、大喝采が起こった。エレガントにお辞儀をする4人。
「さ、そろそろお暇しましょうか。」
 盛大な拍手に送られて、ボールルームを出る侵入者たち。
「アウフヴィーダーゼン、フロイライン。」
 ドイツ語初級会話を披露するフェイスマン。
「大佐たちがあんなに踊れるなんて、オイラ知らなかったよ。」
「ダンスは得意ですよ。それに、彼女たち、ダンス教室の先生だそうだし。」
 ちゃっかりダンス中にドイツ語会話もしていたようだ。
 トイレに寄って自分たちの服を回収し、それを土産品として渡された紙袋(独立30周年記念焼き菓子セット入り)に詰め、燕尾服のまま外に向かうAチーム。ハンニバルの穿いているスラックスに入っていた札を玄関脇にいた係員に渡すと、ベンツが回されてきた。
(ドイツから独立した記念パーティなのに、ドイツ車か。)
 3人はそう思いながらも車に乗り込んだ。運転手はマードック。
 車で通りがてら守衛室を覗くと、デッカーを始めMPが数名、お縄になっていた。
「MPが領事館に侵入しようとしたって事件は、どこの管轄になるんでしょうかねえ。」
「面倒だから、表沙汰にしないと思うよ。ICPOも忙しいだろうしね。」
 ベンツの後部座席で燕尾服の紳士たちがそんな会話を交わしていようとは、デッカーだって気がつくめえ。



 ピンポーン。
『風呂上がりには?』
「ビン牛乳。腰に手を当て一気飲み。」
 ドアが開き、コングが3人の服装を見て眉間に皺を寄せた。
「何でえ、その格好は?」
「ちょっと一踊り、ね。」
 ハンニバルの返答に、首を傾げるコングであった。
 アジト(高級マンションの一室)のリビングルームには、依頼人がいた。依然として目隠しと耳栓をされて。さらに手足はロープで縛ってある。そんな姿で、彼、ネイザン・ディジェ氏はソファに座っていた。
 やっとのことで縛めを解かれた依頼人は、数回瞬きをした後、ソファの上でビクッと後ずさった。考えてもみたまえ、延々と目隠しと耳栓をされてドライブした後、ソファの上に放置され、遂に目隠しが外されたと思ったら、煌々とした明かりの下に燕尾服の紳士3名とコングだ。並みの神経の人間なら誰しもビクッとならいでか。
 さらにその上。
「おうフェイス、牛乳がなかったんで、帰りにスーパー寄って買っといたぜ。こーれーが、レシートだ。」
「ん、サンキュ。」
 スーパーでの買い物にもつき合わされたらしい。拘束状態のまま。何と不憫な。
「さて、ディジェさん、お話を伺おうか。」
 ネイザン・ディジェ氏、47歳、ルイジアナ州ラファイエット在住、レストラン経営者、身長コング以上マードック以下、体重ハンニバル以下コング以下、短く刈ったアッシュブロンドにグレーの瞳。MPとの関係、なし。今のところ、わかっているのは以上。
「私はラファイエットでケイジャンレストランのチェーン店を経営しておりまして、このたびロスにも店を出そうということになったのですが、イタリアンレストラン業界が邪魔をしてきまして。」
「何でい、トマトでも買い占められたってのか?」
「トマトは、そう使わないからいいんです。クレオール料理ではないので。」
「クレオール料理とケイジャン料理って違うの?」
「ケイジャン料理の方が辛くて質素です。ケイジャン料理にフランスやイタリアなど各国の料理が加わったのが、クレオール料理です。」
「ジャンバラヤとかガンボスープだよね、ケイジャン料理って。」
 マードックが『ジャンバラヤ』を歌い出す。歌詞は省略させていただきます。
「それらはクレオール料理でもありますが、ケイジャンの方がスパイシーでパンチが効いてます。」
「何だか美味そうだな。」
 ケイジャン料理を食べたことがないコング。シカゴの生まれなもんで。
「それで、イタリアンレストランが何の邪魔をしてるんだ?」
「具体的に言いますと、イカ、なんです。」
「イカ?」
 そもそもアメリカではイカはそれほど食されない。そのため、漁獲量も少ない。そのほとんどを、イタリアンレストラン業界が買い占めている、と言うのだ。
「スパイシーカラマリフライは、ぜひともメニューに残しておきたいんです。ルイジアナの私の店で一番の人気メニューですし。でも、イカがなければ……。」
 イカがなければ、イカのフライは無理だわな。
「イカ、冷凍モノをルイジアナから空輸しちゃえば? あっちでは手に入るんでしょ?」
 フェイスマンの提案も頷ける。
「コストがかかるじゃないですか。ケイジャン料理は質素だからこそ、値段が安いのも売りなんです。ロスには既にクレオールレストランがありますが、値段が高すぎます。」
「卸売市場じゃあ既にイタリアンレストランの息がかかってイカが手に入んねえってことだろ?」
「そうです。競りさえやらないくらいです。卸売市場での小売も、イカに限ってはありません。」
「そんじゃあ、その前の段階でイカを押さえりゃいいじゃねえか。」
 コングのご意見、ごもっとも。
「イカ漁の漁師と直接取引するってことか。」
 なるほど、といった表情のフェイスマン。それならマージンもかからない。ビバ・コストダウン!
「ですが、そのイカ漁をやっているのが、西海岸ではイタリア系なんですよ。」
 さすがチェーン店経営者だけあって、よく調べている。ふむー、と息を吐きつつ俯くAチーム。
「……こうなったら、もう自分でイカ獲っちゃうってどうよ?」
 マードックの提案、突飛である。趣味の域ならともかく、商用のイカをそう簡単には獲れないんじゃないでしょうか。
「本業を引退した漁師に頼んでみるのもいいかもな。」
「多少資金は必要だが、近海で獲れるってんならイカ漁漁船も造れそうだしな。」
「漁業組合までは、イタリアンの勢力、及んでないんだよね?」
 にわかに活気づくAチーム。そんな中、マードックが再度発言。
「ちょい待ち。イタちゃんたちに“イカ分けて”って頼んでみたん?」
「いいえ、そんな明らかに無理なこと、頼むわけがないじゃないですか。断られるのがオチです。クレオールレストランのオーナーさんたちにも話を聞きましたが、みんな西海岸で陸揚げされたイカには手が出せないって言ってましたし。」
「ふむ、我々流に頼んでみる価値ありそうですな。」
 そっちの方が簡単、と踏んで、ハンニバルがニッカリする。
「でも、バックにマフィアが絡んでそうじゃん。」
「マフィアだって人間だ。殴られりゃ痛えさ。」
 右拳を固めるコング。しかし、殴られると痛いから、銃を持っているんじゃないだろうか、マフィアは。
「まずは“イカ分けて”ってお願いしてみて、断られたら漁に出るとしましょうか。」
 ハンニバルの決定に、部下3名は頷き、ディジェ氏は「よろしくお願いします」と頭を下げた。



<Aチームの作業テーマ曲、かかる。>
 電話帳を繰って、イタリアンレストラン業界総元締の居所を探すフェイスマン。やる気を奮起するために、トマトの染みがついたスーツを着ている。
 ディジェ氏の指導を受けながら、ガンボスープを作るマードック。オクラの表面の毛をザリザリと撫で、自分の腕の毛と見比べる。
 小型農薬散布器とミキサーをゴミ捨て場から拾ってきて、満面の笑顔で仲間に見せるコング。早速、壊れたパーツを修理。
 ボルサリーノを被って葉巻を銜え、オートライフルを手に、ちょっと斜めった感じに鏡に向かうハンニバル。銃が違うからか、何だか納得行かない様子。
 受話器に向かってプンスカ怒っているエンジェルことエイミー・アマンダー・アレン。右手に持ったペンでタイプライターをガツガツ叩いている。
 老舗のイタリアンレストラン(ピッツェリアでもトラットリアでもなく、リストランテ)で向かい合っているフェイスマンとエンジェル。ピシッと決めた染みなしスーツに、バシッと決めた真紅のドレス。ただし、フェイスマンの眉毛は3時42分くらい、エンジェルの眉毛は1時52分くらいの角度。バローロをちびちび飲みながら、キョロキョロしつつ、アンティパストをつついている。店員を呼び、何事か相談を持ちかけるフェイスマン。
 鮮魚卸売市場に朝から出かけ、タダのような値段で魚の白子とイカの内臓を手に入れるハンニバル。
 直ったミキサーに白子と内臓と水を入れ、顔を顰めつつスイッチをオンにするマードック。
 直った農薬散布器に白子ピューレと活性炭の粉を入れるコング。容器をよく振り、散布器を肩にかけ、ノズルを構える。それを見て、満足げに頷くハンニバル。
 ガンボスープの味見をして親指を立てるディジェ氏と、ガッツポーズを取るマードック。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 ででごぃーん!
 重厚な観音開きのドアを蹴破るコング。それに驚いて顔を上げる白髪の老紳士。マホガニーのデスクに向かった彼が硬直している間に、コングの後ろから、小銃を構えたハンニバルと、オートライフルを構えたフェイスマンおよびマードック(いずれもなぜか燕尾服姿)がするりするりと姿を現す。
「な、何だね、君たちは?」
「我々はAチーム!」
 ばーん、と胸を張ってハンニバルが名乗る。
「イタリアンレストランのオーナー兼古美術商その他諸々のフランチェスコ・ノルディスタさんだよね?」
 フェイスマンにそう問われ、うむ、と頷くノルディスタ老。そして彼は、こっそりと右手を引き出しに伸ばそうとした。その途端。
 ブシューッ!
 黒く生臭い飛沫が、ノルディスタ老の右手と右肩と顔の右半分に勢いよく噴きかかった。当然、その後ろの壁にも。
「妙な動き、するんじゃねえ。」
 農薬散布器のノズルを老紳士に向けたまま、トリガーから指を離したコングが凄みを効かせる。フェイスマンがタッとデスクに駆け寄り、引き出しから小銃を探し出すと、それをハンニバルに投げて寄越した。
「何が目的だ?」
 半身を黒く染めた生臭い紳士が尋ねる。
「イタリア国外持ち出し禁止の美術品か? それともヴィンテージもののイタリアワインか?」
「いやいや、そんな大それたもんじゃないですよ。」
 没収した小銃をベルトに挟もうと四苦八苦しつつハンニバルが答える。
「活きのいいイカを毎日25ポンドほど分けていただきたくてねえ。」
「イカを?」
「そう、イカを。」
「イカを、なぜ私に?」
 心底不思議そうな表情の老紳士。
「え、だって西海岸のイカを買い占めてるのって……?」
 フェイスマンの眉毛が、徐々に下がり始める。
「私ではないぞ。うちのリストランテでは、ほとんどイカなんぞ出しておらんしな。南部の貧乏臭いトラットリアやピッツェリアと一緒にせんでもらいたい。」
「ふむ、人違いか。」
 全員のじっとりとした目がフェイスマンの方を向く。
「でも、でも! エンジェルといくつか有名なイタリアンレストランを回って、この業界で一番の有力者は誰かって聞いたら、みんな口を揃えてフランチェスコ・ノルディスタ氏だ、って……。」
 ハンニバルの方とノルディスタ老の方を交互に見ながら、フェイスマンが力説する。両手を広げて。
「ああ、なるほど。それは君、聞き込みをする店を間違えたのだよ。イカのことなら、南部の奴らに聞かんとな。南部の悪党どもの中で一番の有力者と言えば、あいつだな、マリオ・スディチオ。奴ならイカの買い占めくらいやっていてもおかしくない。」
 どうやらノルディスタ老は南部人マリオ・スディチオをよく思っていないご様子。
「よし、マリオ・スディチオを当たってみるか。」
「おう!」
 ハンニバルの言葉に、活気づくコングとマードック。フェイスマンはまだしょぼんとしている。
「悪ィことしたな、爺さん。」
 きちんと謝るコング。
「いやいや、掃除と洗濯をして、ドアを直してくれれば、訴えはせんよ。それと、スディチオの奴をコテンパンにしてくれれば、なおよろしい。無論、このイカスミをたっぷりお見舞いしてやってな。」
 にっこりと言う老人。コングは眉間に皺を寄せて、口角をだらりと下げた。



<Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。>
 ノルディスタ老のスーツとワイシャツとネクタイをクリーニング屋に持って行き、へこへこと頭を下げるフェイスマン。
 ドアを直すコングとマードックとハンニバル。ドア板が途轍もなく重いので、3人がかりで。
 豪華なバスルームで、泡風呂に浸かっているノルディスタ老。その背中をエンジェルがとても嫌そうに擦っている。老紳士はなかなかにご機嫌。
 ノルディスタ老の書斎の掃除をするコングとマードックとハンニバル。コングは壁を雑巾で擦っており、ハンニバルはデスクを雑巾で拭いている。2人とも、時々、壁やデスクのニオイを嗅いでは顔を顰めている。マードックはガスマスクを被り、床に這いつくばって、毛足の長いカーペットを雑巾でトントンと叩いている。
 さっぱりとしたノルディスタ老に、キレイになった服一式を渡すフェイスマン。老紳士は納得したように頷き、その服を横のメイドに渡す。別のメイドがリボンで飾った箱を持ってくる。廊下のソファでぐったりしているエンジェルを手招きし、老紳士がその箱をエンジェルにプレゼントする。箱を開けると、その中には高価そうなドレスが入っている。驚きつつも喜びをあらわにするエンジェル。
 書斎に入ったノルディスタ老が、ドアとデスク周りと壁と床をチェックし、ハンニバルたちにOKを出す。ガッツポーズを取るコング、飛び上がるマードック、安堵の息をつくハンニバル。老紳士に促され、小銃を渋々返すハンニバル。
 エンジェルとデートに出かけるノルディスタ老。疲れた表情でそれを見送るAチームの面々。
 すっかりと煮崩れたガンボスープを掻き回し、時計を見て溜息をつくディジェ氏。
<Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。>



 ででごぃーん!
 雑居ビルの地下室の薄汚れたドアを蹴破るコング。それに驚いて顔を上げる、撫でつけた黒髪の人相の悪い男。事務用デスクに向かった彼が硬直している間に、コングの後ろから、小銃を構えたハンニバルと、オートライフルを構えたフェイスマンおよびマードック(いい加減に普段着)がするりするりと姿を現す。
「な、何だ、てめェらは?」
「我々はAチーム!」
 ばーん、と胸を張ってハンニバルが名乗る。
「トラットリアとピッツェリアのオーナー兼その他諸々で、西海岸のイカを買い占めてるマリオ・スディチオ、だよね? だよね? 合ってるよね?」
 フェイスマンにそう問われ、頷くよりも早く、マリオ・スディチオは立ち上がった。その手には既にマシンガン(TV版アンタッチャブルでエリオット・ネスが構えてるやつ)が握られている。
 しかし、コングの方がずっと先に農薬散布器を構えていたのだ。
 ブシューッ!
 黒く生臭い飛沫が、マリオ・スディチオの全身に勢いよく噴きかかった。当然、その後ろの壁にもデスクにも。
「何だ、こりゃ! イカスミかっ!」
「いんや、イカスミじゃありませんよ。イカスミは高いですからねえ。」
「Aチーム特製、イカスミモドキ!」
 楽しげに言うハンニバルとマードック。
 だがしかーし!
 ブジュッ、ジュジュジュ、ブッ。
 イカスミモドキが切れたようだ。ノズルの先端から黒く生臭い液体が勢いもなくボタボタッと垂れたその後は、空気だけがプシューと出るのみ。
 マリオ・スディチオは開襟シャツの袖で目の周りをぐいと拭うと、マシンガンを構え直した。
「おうおうおう、それだけかい、お客人。」
「今んとこは、ね。」
 ゆったりと答えるハンニバル。1人対4人でAチームの方が俄然有利だし、禁酒法時代のマシンガンよりもベトナム戦争時代のオートライフルの方が性能は優れているはずだ。しかし。
「よーし、やっちまえ、お前ら!」
 真っ黒クロスケことマリオ・スディチオが叫ぶと、「おう!」という声がAチームの後方から聞こえた。部屋の中にはマリオ・スディチオしかいなかったが、部屋の外には彼の部下と言うか手下どもがわんさといたのだ。ドアからなだれ込んでくる開襟シャツの男たち。どいつもこいつも汗とフェロモンむわんむわん。



<Aチームのテーマ曲、かかる。>
 農薬散布器をかなぐり捨て、ドアから入ってくる男たちを2人に1人の割合で部屋の奥に投げ飛ばすコング。
 ドアから入ってくる男たちを4人に1人の割合で、左のジャブ2発+右ストレート1発で倒すハンニバル。
 ドアから入ってくる男たちに4人に1人の割合で投げ飛ばされるフェイスマン。しかし、立ち上がりざまにアッパーもしくは頭突きを食らわし、8人に1人の割合くらいで倒す。
 問題は、現在、筋力が衰えているマードック。パンチも効かず、キックも冴えず、投げ飛ばされたり、殴られたり、蹴られたり、踏まれたり。骨や内臓をガードしてくれる筋肉がないため、与えられる1発1発がいちいち効いている。そんなわけで、既にズタボロのマードック。
 そこへ、白馬に乗った王子様ならぬ黒光りしたばんえい馬が後光を背負って登場。意識を失いかけているマードックを寄ってたかってボカスカにしている奴らを、片っ端から殴り倒していく。
 こっそりと逃げようとするマリオ・スディチオ。フェイスマンがその脚にタックルして倒し、身動き取れないところへハンニバルがジャンピング・ボディ・プレス。肋骨の折れる音がし、マリオ・スディチオの口からは魂が漏れ出ていた。
<Aチームのテーマ曲、終わる。>



「いやあ、イカ25ポンド分けてもらうだけじゃなくて、好きな時に好きなだけ買えるようになって、よかったよかった。」
 雑居ビルの地下から続く階段を登りながら、ハンニバルが後ろを振り向いて言った。もちろん、満足そうに葉巻をくゆらせている。
「漁に出ないで済んだしね。その上、イカ、スミ袋を除去したものでよければ2割引だって。やったね。」
 フェイスマンもほくほくとして電卓を叩いている。スミ袋とは、イカスミが入っている管で、肝臓にくっついている。カラマリフライには必要のないパーツだ。
「そっちの件は上手く行ったが、こいつ、どうすんだ?」
 ぐったりとしたマードックを背負ったコングが、背後を顎でしゃくって示す。かーなーり、心配そう。
「そうねえ……命には別状なさそうだから、そのまま病院に帰しちゃっていいんじゃない?」
 ハンニバルの判断にも、コングは少し不満なようだった。
「……あれ?」
 ビルの前に停めたバンのスライドドアに手をかけて、フェイスマンが呟いた。
「ドア、ロックしたよね?」
 コングの方を振り返って尋ねる。
「ああ、もちろんだ。」
「開いてるんだけど。」
 瞬時にして緊迫した面持ちに変わるAチームの面々。MPか? デッカーが隠れているのか? あるいはマリオ・スディチオの手下の残党か?
 小銃を手にスライドドア脇にしゃがみ込むハンニバル。右手に銃を持ち、左手をドアにかけるフェイスマン。マードックを背負ったまま後部ドアの方へどすどすっと移動するコング。
 ハンニバルが頷き、フェイスマンがスライドドアをガラッと開けた。それと同時に、銃を構える2人。
 だが、バンの中には誰もいない。フェイスマンが乗り込み、中を検分する。その間、ハンニバルは周囲に神経を集中させる。
「別に不審なものはないし、MPもいないよ。」
 自分の席に腰を落ち着け、外のハンニバルに報告するフェイスマン。
「でも、何だろ、何か変なんだよね……。いつもと何か違う……。」
 ハンニバルも自分の席に座った。鍵が開いていた以外、妙なところと言えば……何だかスカスカしている。
 マードックをシートに寝かせようとスライドドアから乗り込んできたコングも、はっきりしないフェイスマンとハンニバルの言葉に、車の中を見回した。そして、お姫様抱っこしていたマードックをドタリと床に落として叫んだ。
「畜生! 金目のモン、全部盗られてやがる!」
 そう言われてみれば、カーラジオがなくなっている。銃火器の木箱を開けたフェイスマンが、首をふるふると横に振っている。計測器類も、転売できそうなものを中心に、スコンとなくなっている。
「犯人は、マリオ・スディチオの手下だろうな。」
 リーダーの意見に頷くコングとフェイスマン。
「よし、返してもらいに行くとしましょう。」
 床に落とされたままになっているマードックを残し、3人は車のドアをロックして、雑居ビルの地下へと戻っていった。



 1週間後。無事開店したディジェ氏のケイジャン料理店ロサンゼルス支店の前に、紺色のバンが停まった。車から降り立つ3人の燕尾服野郎どもとコング1名。ちらりと見えた車の内装は、以前とは打って変わってゴージャスなものになっていた。カーラジオは当然のこと、カセットテープも再生できるようになっており、スピーカーは四方についている。ハンドルには豹柄のカバーつき。シートには毛皮のカバーつき。いずれもマリオ・スディチオの手下どもが気を利かせてつけてくれたものだ。コングとしても「なかなかいいじゃねえか」と思っているので、傍から見ると族の人の車っぽいが、よしとしよう。
 さて、店内に入ると、エンジェルが既に到着していて、予約席から手を振っていた。その横にはノルディスタ老までいる。4人が席に着くと、オーナーのディジェ氏、手ずから揚げ立てのスパイシーカラマリフライを席まで運んできた。
「どうもありがとうございました、Aチームの皆さん。おかげでこのロス支店、何とか開店することができました。イカも使い放題です。」
 ディジェ氏がそう言っている間にも、ガンボスープやジャンバラヤなどが次々とテーブルに運ばれてくる。
「こりゃあいいニオイだ。」
 フォークを右手に握って、食べる気満々のハンニバル。コングも、うんうん、と頷き、右手にフォーク、左手にスプーンを握っている。因みにハンニバルの左手は、今にもビールのジョッキを握ろうとしているところだ。
「それで、謝礼の件なんだけど……今日の食事代だけでいいや。」
「ええっ?!」(×5)
 フェイスマンの発言に、ノルディスタ老を除く全員が目を丸くした。
「どうしたフェイス、てめェらしくもねえ。変なモンでも食ったか?」
 と、コング。
「オイラの作ったガンボスープのせい?」
 と、マードック(完治)。
「そうよ、どうしたのよ、フェイス。あたしにはイタリアンレストランの代金全額、“取材費下りるでしょ”って言って払わせておいて。」
 と、エンジェル。
「本当にそれだけでいいんですか? 今日のお食事分は最初からお礼のつもりでいたんですけど。」
 と、ディジェ氏。
「何だよ、みんな。俺が金の亡者みたいなこと言って、そんな、ハハッ。別に変なもの食べてもいないし、モンキーのガンボスープはコングが“美味い美味い”って全部平らげたし、エンジェルにはそれ相応のお礼を後でするつもりだから。」
 フェイスマンが話している間、コングが「言うんじゃねえ」という身振りをしていたが、まあそれはそれ。
「ははーん、わかったぞ。」
 ハンニバルがニヤリとした。
「お前、マリオ・スディチオのとこから何か搾取してるんだろう。違うか?」
「……当たり。内緒にしとこうと思ったんだけどねー、じゃないと使い込んじゃう人がいるからさあ。」
 チラチラッとハンニバルとマードックの方に目を向ける。
「実はね、この界隈のトラットリアとピッツェリアの売上金の、ほんの5分だけなんだけど、今後1年間、毎月、俺んとこに入ってくる約束になってるんだ。納入が滞ったら、コング、取り立てお願いね。」
「おう。簡単でい。」
「5分だけ、といえども、結構な額じゃないか。」
 そう言ったのは、「ヒヒヒ、ざまあ見ろ」と笑っていたノルディスタ老。よほどマリオ・スディチオのことが嫌いと見える。
「うん、だから今回は謝礼なし。いいよね、みんな?」
 頷くハンニバル、コング、マードック。エンジェルも「お礼してくれるんならいいわ」と呟きつつ頷いている。
「ありがとうございます、皆さん。では、料理が冷めないうちに、どうぞ召し上がって下さい。」
「いただきます!」(×6)
「この他のメニューも、どんどんと注文して下さい。」
「むおー!」(×6)(←もう口一杯に頬張っている。)



 その後。
 イカの美味さに気づいたノルディスタ老は、自分の指揮下にあるリストランテにイカ料理をメニューに載せるよう指示し、イカの流通についてマリオ・スディチオと一悶着あったと聞く。
 ノルディスタ老と意気投合したエンジェルは、仲のよいお祖父ちゃんと孫の関係を続け、沢山の高価なプレゼントを貰ったので、フェイスマンの言う「お礼」のことは忘れ去ってくれた。
 多くの手下が病院送りになり、自分もしばらくコルセットを嵌めさせられて不自由な生活を強いられたマリオ・スディチオは、マンマのお小言よりもAチームを恐れ、素直に毎月、指定の口座に売上金の5分を振り込み続けた。
 ディジェ氏のケイジャン料理店ロサンゼルス支店は、大人気と言うほどではないにせよ十分な客を集め、近々サンフランシスコにも出店予定だとか。
 マードックは怪我に懲りて頭髪を諦め、筋力トレーニングに励んだ結果、無事、元の額と体毛と体つきに戻った。
 死んだと思われていたハーシュ爺さんは、しばらくの間、別の病棟に入院していたのだが、精神以外は治ったので精神科の病棟に戻ってきた。
 筋肉が落ち脂肪がついていた時のマードックの腿や尻の触り心地が掌に残っているコングは(背負った時に必然的に触っただけであり、別に撫でくり回したわけではない)、あの日以来、3日に1回ほど、両掌を見つめて黙り込んでしまうようになった。
 ダイエットグッズのことをすっかり忘れていたフェイスマンは、テレビショッピングにマードック考案ダイエットグッズが登場して初めて、実用新案や意匠を取ることすらしていなかったのを思い出し、「忘れてたー!」と大声で叫び、ハンニバルをびっくりさせた。
 さらに、年末、マードック考案ダイエットグッズが全米で今年一番の人気商品だったとテレビで紹介され、いきなりフェイスマンはおんおん泣き出し、ハンニバルを再度びっくりさせた。
 この2件により、ハンニバルの平常時の血圧は上下ともに5ずつ上がり、ストレスで体重が10ポンド増えた。
 オーストリリー領事館に侵入しようとしたデッカー大佐と部下たちは、幸いICPOのお世話にはならなかったが、始末書を普段以上に書かされ、MPには不釣り合いなペンだこを利き手の中指にこさえたのだった。
【おしまい】
上へ
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