環境要因異状あり?
伊達 梶乃
 ワシントン州はワシントンD.C.と間違われることが多いが、ワシントン州にワシントンD.C.はなく、ワシントン州にあるのはシアトルと国立公園がいくつか。そして、ワシントン州のマスコット・キャラクターはバナナナメクジである。黄色くて大きくて可愛い奴だ。ナメクジがいるくらいだから温暖湿潤なのかと言うと、まあ沿岸部はそうだ。海にはシャチがいて、それを見に来る観光客も多く、もちろん国立公園を訪れる観光客も多い。シアトルも、最も住みやすい街とされているほどだ。一方、山岳部やその奥は降雪も多く、割と寂しい。
 そんなワシントン州基礎知識を持ち、Aチームはワシントン州に向かっていったのだった。コングは車で、あとの3人は民間航空機で。シアトルで合流し、車に乗ってカスケード山脈を越える。山脈の東側にはコロンビア盆地が広がり、ダムが備わったいくつもの川と、無数のただの川が流れている。盆地の中にさえ、ダムはある。ダム好きには垂涎の地だ。あと、川好きにもいいね。道路よりも川の方が多いのだから。
 運転席のコングは、シアトルからずっと無表情だ。助手席のハンニバルは、巨大な地図を眺めて、時々「そこを左」とか「まっすぐ」とかと指示を出すのみ。ハンニバルの後ろの席のフェイスマンは、シートの上で正座させられている。先日のサンクスギヴィン・デイに、ターキーでなくトーファーキーを買ってきた罰である。無論、飛行機の中でも正座させられていた。その横では、しっかりとシートに座ったマードックが、針と糸を手に、真剣な表情で、シアトルで買ってもらったバナナナメクジの縫いぐるみをパペットに作り直していた。



 そんな静かなAチーム一行、何をしにワシントン州まで来たのかと言えば。遡ること3日前、シカゴに帰省していたコングが、コングママから1通の手紙を受け取ったのが始まりだった。手紙の差出人は、コングの工業高校時代の友人、キース・サーヴァー。キースとコングは当時、学校一のメカの天才の座を巡って、互いに切磋琢磨し合っていた、言ってみればよきライバルであった。懐かしくも甘酸っぱい(?)思い出を胸に、手紙の封を切ったコング。便箋を開き、文面を読み始めた2秒後、彼の眉間に皺が寄った。コングがAチームの一員だということが、ずっと音沙汰なかったキースにバレていたのだ。この件で強請られるのかと思いきや、さにあらず。近況がざっと綴られていたかと思えば、その後に延々と続いていたのは、のろけ話だった。そして最後に、Aチームへの仕事の依頼。
 エアメール用の薄い便箋10枚にみっちりと書かれていた手紙の内容を要約すると、こうだ。シカゴからオレゴン州ポートランドに引っ越して、ポンプ等の機械類の設計・組み立て・修理を請け負っていたキースは、隣のワシントン州から「是非に」と呼ばれてポンプの設計に行った。そこで日系のサヨリ・スペンサーに出会ったのだった。彼女の両親は、微生物学者と魚類学者で、内陸部で鮭の養殖を試みているとのこと。鮭用の生け簀に近くの川から水を汲むためのポンプおよび汚水を浄化して川に戻すためのポンプを設計し、作り上げ、キースとサヨリは恋に落ちた。キースはサヨリの元に足繁く通い、いくつものポンプや機械をプレゼントした。そして、2人の結婚も目前という時、サヨリとその両親が近隣住民から迫害され始めた。なぜなら、この界隈の川には元々鮭はいないのに、養殖場から逃げ出した鮭が付近の生態系を壊してしまっているからとか何とか。あと「水もピンクだし」という、わけのわからない一文がある。水がピンク? コバルト錯体か何か入ってんのか? それともフェノールフタレインか? それはさて置き、そんなわけでAチームに助けてもらいたいらしい。何をどうしろとは書いてないのだが、ともかく助けてもらいたいらしい。緊急度は「早急に」。しかし、キース本人は11月から12月一杯まで、もしかすると来年の1月半ば頃まで、全米ポンプ学会の研修でドイツを始めヨーロッパ各地を回るため、国内にはいないそうだ。
 全然要約になっていないかもしれないけど、これでも要約したのだ、コングの脳内で。
 学友の頼みとあっては断れない。コングがAチームのメンバーだということもバレているし、キースはコングママとコング弟妹の住所も知っている。さらに言えば、キースはコングの恥ずかしい過去(保育園でホの字だった保母さんの前でおもらししてしまい、照れ隠しに殴ったこと。小学校で女の子に頬にキスされて、照れ隠しに殴ったこと。とにかく何かあると、事あるごとに殴ったこと)も知っている。断ったらまずい。そんな思いを胸に、コングはロサンゼルスに戻ってきた。そして、ハンニバルに事の次第を報告したところ(ただし、恥ずかしい過去については触れずに)、暇を持て余していたリーダーは首を縦に振ってくれた。トーファーキーの件で鬱屈した思いもあったのだろう。報酬を気にするフェイスマンは、既に正座させられていて発言権がないため、物言いたげな目をコングとハンニバルに向けていただけだった。それから数時間後、コングは一足先に車で旅立ち、翌日、フェイスマンがマードックを病院から連れ出し、シアトルで落ち合い、一同はスペンサー家に向かうこととなったのであった。



 山を越えた辺りから積雪が見られ、タイヤをスノータイヤに交換。しばらく行くと、スノータイヤでも不安になり、タイヤにチェーンを巻いた。だが、それでも数十分後には走行不能となった。もう周りは完璧に雪景色。車を降りる4人。膝から下が雪の中にボスッと埋まる。雪の中にジャンプ&ダイヴしたマードックは、完全に雪に埋まった。
「どうしますかね?」
 特に困った風もなく、ハンニバルがコングに尋ねる。
「ちょっくら改造するっきゃねえな。」
 タイヤの辺りを覗き込んで、コングが答えた。
「できますかな?」
「やってやるともさ。」
 挑発的な笑顔のハンニバルに、コングが拳を握り固める。2人とも、寒さでガタブル震えているのは、見なかったことにしてあげたい。
 因みにフェイスマンは、寒さに負けて、車内に戻った。マードックはまだ雪の中から立ち上がれていない。



〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 手袋と防寒服を配るフェイスマン(防寒済み)。それらを格好よくバシュッと着用するハンニバル、コング、マードック。
 フェイスマンのメモ帳に、あれこれ数字を書き出すコング。コングの指示に従って電卓を叩くフェイスマン、求められた数値を書き出し、ビッとアンダーラインを引く。その数字を覗き込んで、メジャーをシュバッと引き出すマードック。フェルトペンのキャップをキュポンと取り、ポーズを取るハンニバル。
 ジャッキで車を持ち上げるハンニバル。タイヤからチェーンを外すフェイスマン。タイヤを車から外すコング。鉄の棒やら歯車やら何やらを持って待機させられているマードック。
 ミニトーチで何やら熔接しているコング。テルミット法で何やら熔接しているハンニバル。熔接されたものが雪で急冷されないように捧げ持つフェイスマンとマードック。
 車軸に何やら取りつけているコング。そのコングにネジやら何やらを渡すハンニバル。黒くて重くてゴツゴツしたゴム臭いものを鋏でちまちまと切るフェイスマン。切られた黒くて重くてゴツゴツしたゴム臭いものを接着剤で留めた上にハトメを打つマードック。
 コングとハンニバルが作り上げた三角形のところに、フェイスマンとマードックが作り上げたゴム臭いものをはめる。額の汗を拭おうとした4人だが、汗が出ていないことに気づき、寒さに体を震わす。
 カメラが引き、ジャーン、と映し出されたのは、雪上車仕様のバン。タイヤの代わりに三角形のキャタピラがついている。颯爽と乗り込む4人。コングがエンジンをかけると、雪上バンはのそのそと動き始めた。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 歩くより多少は速い雪上バンは、雪の中に沈み込むこともなく、のそのそと走り続けた。雪の斜面ものそのそ登っていく。のそのそ下降することもできる。のそのそと曲がることも、当然できる。ただし、どんな時も常にのそのそ。のそのそのそのそ。そろそろゲシュタルト崩壊が起こりそうだが、それでも、のそのそのそのそ。
 幸い、日が落ちる前に、雪上バンはログハウスの前に到着した。ログハウスの横には川が流れており、さすがに川は雪に埋もれていないし、水が凍ってもいない。キースの作ったポンプが設置されているのであろう小屋が2つ、川のほとりにちんまりと建っている。当然、雪に埋もれて。下流側にある小屋から川へと出ているパイプを見て、Aチーム一同は声を揃えた。
「ピンクだ!」
 パイプから川へと流れ出ている水が、かなりピンクなのだ。その水は川の水に混じり、川の水がそこから先、ずっと薄いピンクに染まっている。
「何か、体に悪そうだね。」
 マードックが呟いた。それを聞いて、残り3人は「お前に言われたくないな」と思った。なぜなら、マードックはふんだんに着色料の入った鮮やかな色の菓子も平気で食べるのだから。
 さて、ログハウスと小屋の他に何があるのかと言うと、他にあるのはビニールハウスのみ。大きいビニールハウスが2つ(中は生け簀)と、小さいビニールハウスが1つ(中は畑)。まだ他にも何かあるのかもしれないが、今のところ見えるものは以上。膝の高さより低いものは、雪に埋もれて見えない。
 入口が見つからずログハウスの周りでうろうろしていると、2階に当たる高さのドアがバーンと開いて、黒髪の女性がベランダに出てきた。
「Aチームね?」
「ああ、いかにも。」
 と、ハンニバルが見上げて答える。
「今、階段を出すわ。ちょっと待ってて。」
 階段を? 出す? 顔を見合わせてクエスチョンマークを頭上に浮かべる4人。だが、彼女がベランダの手摺の下側についたボタンをポチッとな、と押すと、事態が判明した。ベランダの脇に積んであった金属の塊がシャキーンと下方に向かって伸び、階段になったのだ。
「どうぞ、1人ずつ上がってちょうだい。」
 ベランダの女性は、手摺の一部を扉のように開いた。扉と言うか、動物園の“ふれあい広場”の柵?
「1人ずつだな。先に行くぞ。」
 ハンニバルが恐る恐る階段に足をかけた。一見、弱々しく見える階段だが、ハンニバルの体重も十分に支え、階段の手摺を掴めば不安定なところは全くない。雪まみれの靴でも滑らないように、ゴムの滑り止めもついている。足場に納得したハンニバルは、階段を登っていった。続いてコングも。コングやハンニバルが登れるなら、フェイスマンやマードックは問題ない。
 マードックが階段を登り終えた後、再び彼女はポチッとな、とボタンを押した。すると、階段がシャキーンと上方に収納された。
「すげえ階段だな。キースが作ったのか?」
 どういう仕組みになっているのか知りたくてうずうずしているという感じでコングが尋ねる。
「そうよ。私が階段で転ばないように、泥棒が入ってこないように、キースが作ってくれたの。……あなたがコングね。」
「そうだ。」
「はじめまして、サヨリです。さ、皆さん、中にどうぞ。」
 実は寒さで歯の根も合わない5人は、どやどやとドアの奥へと入っていった。



 暖炉の前で、Aチームはゆったりと寛いでいた。温かい緑茶と、お茶菓子は最中および煎餅。雪で濡れた靴を脱いで、畳の上で足を伸ばし、足の裏を暖炉に向けて温める。正座の刑のフェイスマンも、今ばかりは足を伸ばすことを許されていた。でないと、血行の悪くなった足が、冷たさにもげそうなので。しかし、温まってきた足は、痒くて痒くて、いっそのこともいでしまいたい。
「コングには牛乳ね。薄ら温かくしておいたわ。」
 サヨリがマグカップを差し出す。
「お、済まねえな。」
「キースがね、寒い日にコングは薄ら温かい牛乳を飲むんだ、って言ってたの。」
「ああ、うちの親がそうしてたんでな。冷たいまんまじゃ腹下すだろうし、かと言って熱くすると舌を火傷するだろうから、ってな。」
「理に適ってるわ。そのお菓子、最中って言うんだけど、一口齧ってから牛乳を飲んでみて。口の中で混ぜ合わせるようにして。」
 サヨリに言われるまま、コングは最中と呼ばれた菓子を取り、一口齧った。もしゃり、という音と共に外側の皮が噛み破られ、一瞬、香ばしい香りがした。次には甘い豆の味。ヌガーほどではないが、ねちゃにちゃしている。そこに薄ら温かい牛乳を流し入れる。唇や口内に貼りついた皮が瞬時にしてふやけて取れ、豆ジャムと牛乳とが混じり合う。何とステキなハーモニー。
「こりゃあ美味えな。」
「牛乳とあんこ、あ、そのビーン・ジャムね、この2つは合うのよ。」
 えっへん、と胸を張るサヨリ。
「グリーンティーとは合わないの?」
 フェイスマンが尋ねる。片手に緑茶、もう片手に最中を持って。
「抹茶ミルクとなら最高に合うし、お抹茶ともそこそこ合うけど、この緑茶じゃ今一つね。でも、コーヒーや紅茶よりは、ずっと合うわ。」
 それを聞いて、フェイスマンも最中を齧り、緑茶を飲む。
「うん、悪くない。甘いのがサッと流されてく感じだね。」
「して、お嬢さん、詳しい仕事の内容を伺ってもよろしいかな? まだ自己紹介もしとらんしな。」
 煎餅をボリバリ食べていたハンニバルが口を挟む。このままでは延々と甘味談義になってしまいそうなので。
「あ、失礼しました。私はサヨリ・ケイトリン・スペンサー。コングの幼馴染み、キース・サーヴァーの婚約者です。父と母は今、生け簀の方へ行っています。さっき連絡を入れたので、そろそろ戻ってくるんじゃないかしら。」
「帰ったわよ!」
 バーン! とドアを開けて、ナイス・タイミングでお母様、ご帰宅。華奢な体に黒髪、というのはサヨリとそっくりだが、サヨリよりは年を取っているように見える。そりゃあそうだね、サヨリの母親なんだから。さらに言えば、コングママと同年代だ。しかし、そこまで年行ってるようには見えないアジア人。
 因みに、機械仕掛けの階段は、リモコンさえあれば階下からでも操作できます。
「着替えてくるわ。」
 と、踵を返す母。なぜなら彼女の装いは、ゴム手袋と、チェックのネルシャツ、胸までの高さのゴム長。釣り人が着ているやつだ。そして頭には炭鉱夫がつけているようなライト。初対面の客人に向かう姿ではない。
「お、いらっしゃい。」
 お母様と入れ違いに、お父様も顔を覗かせた。いかにも学者然とした風貌。足元は普通のゴム長靴で、ゴム手袋は嵌めていない。しかし、駅弁販売員が使っているような箱を首からかけており、その箱の中には、いくつものセルや試験管が並んでいる。
「私も着替えた方がいいかな?」
「そうね、少し魚臭いわ。」
 サヨリに言われて、お父様は自分のニオイをクンクンと嗅ぎ、首を傾げながらドアの向こうに消えていった。



 Aチームの4人、そしてサヨリと両親(着替え済み)は、別室の大きなテーブルを囲んでいた。
「遠いところをようこそお出で下さいました。サヨリの父、ユージーン・スペンサーです。専門は微生物による汚水処理で、鮭の生け簀の、言ってみれば掃除係です。」
 淡い金髪にグリーンアイズの父は、ルックスは悪くないはずなのだが、知性と性格がいろいろなことを邪魔しているように見える。
「サヨリの母のユキ・イワイズミ・スペンサーです。専門は鮭。山間部での鮭の養殖を試みているところです。」
「もしかして、『わくわくお魚ランド』のドクター・イワイズミ?」
 挙手をして、マードックが発言。『わくわくお魚ランド』とは、20年以上前のTV番組で、魚などの水棲生物を題材にしたクイズ仕立てのバラエティだ。
「あら、よく知ってるわね。だいぶ昔のことなのに。」
「おいら、『わくわくお魚ランド』大好きだったんよ。ほら、ドクターの決め台詞あったろ、間違いを書いたり変なことを言った解答者に言うやつ。」
「“豆腐の角で頭ぶちますよ!”ね。」
「そう、それ! オリエンタル美人の学者さんが、白衣姿で“豆腐の角で頭ぶちますよ!”って、カッコよくてさ〜。おいら、あれで豆腐のこと知ったんだ。」
「私も、小学校の頃、真似してたわよ!」
 サヨリとマードックが“豆腐の角で頭ぶちますよ!”と真似をし合う。
「あれは、私が豆腐屋の娘だって知ったプロデューサーが決めた台詞なのよね。私としては“豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまえ”って言いたかったのに。」
「それ、電波に乗せちゃマズいよ。」
 ぽんにょりとユージーンが言う。
「ところで、我々の紹介もさせてもらってよろしいかな?」
 話が進まなくて、ハンニバルが口を挟んだ。よろしくなくても、言葉を続ける。
「あたしはAチームのリーダー、ハンニバルことジョン・スミスだ。それと、サヨリさんの婚約者の幼馴染み、コングことB.A.バラカス。帽子を被ってるのがモンキー、今回は発言権少なめなのがフェイスマン。」
「発言権少なめって? どうかしたの?」
 可哀相に、といった表情で、サヨリが尋ねる。
「ターキーと間違えてトーファーキーを買ってきた罰だ。トーファーキーが何なのか知らなかったとは言え、安売りされていたとは言え、愚かな失態だ。」
「そう! トーファーキーなんて滅んでしまえばいいのよ! トーファーキーと言っておきながら、豆腐を全く使っていないなんて信じられないわ。大豆と豆腐との違いがわかっていない、全くもって無能な輩の仕業よ。」
 机をバンと叩いて、母が言う。ハンニバルのトーファーキーに対する怒りとは方向性がちと違うが、トーファーキーを嫌う気持ちに変わりはない。
「大豆に悪いと思わないのかしら、あんなものを作って。あれは大豆に対する冒涜よ。」
 サヨリもなぜか静かに怒り出した。
「うちの娘はね、大豆の品種改良の専門家なんだ。」
 こっそりとユージーンが説明する。娘の自慢をしたいだけかとも思うが。
「バクテリアの改良の腕も、なかなかのもんさ。」
 娘が自分と同じ道を歩んでいることを、父親はとても嬉しがるものである。
「だからトーファーキーを罵ったのよ、スーパーマーケットで。そうしたら、出入り禁止になったわ。」
 ユキが本当に悔しそうに言った。
「それか、キースが言ってたのは。」
 コングが尻ポケットから便箋を取り出した。
「“近隣住民から迫害され始めた”ってあるぜ。それと、鮭が逃げ出して生態系を破壊しているってのと、水がピンクになってるってこったな。」
「迫害と言うか村八分にされているのは確かですけど、言わせていただくと、鮭は逃げたわけじゃありませんよ。」
 ユージーンがニコニコとして話し始める。
「ご覧になったと思いますが、鮭の生け簀と川とは離れています。鮭は陸上を歩けませんし、跳ねていくことすら無理な距離です。それに、生け簀から川までパイプで繋がってはいますが、成魚はもちろん、稚魚すら通れないサイズのフィルターが各所に設置されています。フィルターを通れるのは、水とイオンとバクテリアくらいです。砂粒だって通れません。」
「ウイルスも通れるわ。存在していれば、だけど。」
 サヨリの言葉に、ユージーンがうんうんと頷く。
「じゃあどうして鮭が川に?」
 思わず発言するフェイスマン。
「うちの鮭ちゃんがいたのは、川じゃなくてダム湖よ。生け簀から鮭ちゃんを盗んでいった泥棒が、食べ切れずにダム湖に捨てたに違いないわ。ビニールハウスも破られていたし。焚き火の跡の周りに、鮭ちゃんの骨も散乱してたし。」
「この件は、警察にも届け出ましたが、犯人は捕まっていません。ダム湖の鮭も、捕まっていません。」
「でも、もう鮭ちゃん、可哀相に、死んでると思うわ。」
 南無南無、とユキが手を合わせる。
「何でよ? ゴハンがねえから? 水温が気に入らなかったとか?」
 と、マードック。
「鮭は海水魚だからよ。ダム湖は淡水だし。産卵のために川を上ってくるけど、あれは一時的なもの。淡水の中で生活し続けていくのは難しいわ。」
「生け簀は川の水を引いてんだろ? ありゃあ淡水じゃねえのか?」
 と、コング。
「川の水は淡水よ、当然。でも、海水魚は海水の中でなければ生きられないってわけじゃないのよ。問題は、浸透圧と成分。海水魚にとって、本当は海水は濃すぎるの。かと言って、川の水じゃあ薄すぎ。鮭に必要なミネラルや養分とその濃度を調べて、鮭にちょうどいい浸透圧を調べて、鮭が快適に生きられるように川の水に手を加えてやったのが、あの生け簀の水よ。私たちは、あの水を“鮭水”って呼んでるわ。」
 今で言う好適環境水の鮭特定版みたいなもんだ。
「鮭水の中でも活発に働くバクテリアを開発したのが、私。さらに、古くなった鮭水を川に捨てるために、川の水と同じ状態に戻してくれるバクテリアも作ったんだ。」
 なぜバクテリアが必要なのか、Aチームの皆さんはあまりわかっていない様子ですが、ユージーンは詳しくは説明してくれませんでした。
「それらのバクテリアも川に流してはいけないから、不活性にしなきゃいけない。簡単に言えば、殺すってことね。それはバクテリアの寿命を調節することで解決したの。寿命を全うすると、死んだ証拠として発色するバクテリアね。」
 サヨリが続きを説明した。
「それで、水がピンクになってるってわけか。」
 コングが拳をグッと握り込んだ。その仕草に意味はないと思われる。
「もし、もしもだよ。もし、生きたままのバクテリアが廃水の中に混ざっていても、見た目ではわからないってことだよね? それなら、むしろ、生きている間はピンクで、死んだら色がなくなる方がいいんじゃないかな。そうすれば、川の水の色について文句言われることもないだろうし。」
 フェイスマンの発言は妥当なものだったらしく、ハンニバルに却下されはしなかった。
「言われてみれば、その通りだ。こうしている間にも、活性のやつが川に入ってしまってるかもしれんな。……測定してくる。」
 ユージーンが席を立ち、急ぎ足で部屋を出ていった。
「半透膜で限外濾過してもいいんだけど、コストも時間もかかるのよね。その点、新種のバクテリアの開発と培養は、うちの場合、材料費だけで済むし。」
 もしや、それを見込んで結婚したのだろうか。
「ちょっと気になったんだが、不活性のバクテリアとか言うのは、生態系に影響しないんでしょうかね? あたしゃ、その辺、ちと疎いんだが、死体がその変にゴロゴロ転がってるようなもんなんだろう?」
 ハンニバル、いいところに気がついたね。比喩が恐いけど。
「そうね、川のオリジナルのバクテリアやプランクトンが、うちの不活性なバクちゃんたちをエサにする可能性もあるわね。……父さんとディスカッションしてくる。」
 サヨリも席を立った。
「これで上手く行くって確信していたのに、案外上手く行かないものね。鮭ちゃんたちはすくすく育ってるんだけど。」
 素人に重大な指摘をされて、結構しょんぼりしているドクター。
「鮭を養殖してどうすんのさ? 食べんの?」
 食べる以外にどうしたいのか、マードック。
「ええ、今いる鮭ちゃんたちを食べても人体に影響がないとわかったら、食用として売り出すわ。そうすれば、カナダや北欧から冷凍の鮭を買わなくても済むでしょ。それに、天然の鮭には寄生虫がつきものだけど、鮭水の中での養殖なら寄生虫フリーだもの。安全で安い鮭のスシが沢山食べられるようになるわよ。」
「そりゃあいいが、人体に影響があるかどうかって、どうやってわかるんだ?」
 この前、鮭を食べたのはいつだったっけかな、と思い出しつつ、ハンニバルが問う。
「私たちが日々食べてるからね。でも、もう少し被検体が欲しいわ。」
 Aチーム一同に目を向けるユキ。
「さ、夕飯の支度をしないと。誰か手伝ってくれる?」



〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 生け簀に屈み込み、テヤッと鮭の口に手をかけて引き上げるユキ。投げ上げられた鮭を受け止めようとして、鮭に頭を噛まれるマードック。腹を抱えて笑うコング。
 廃水中の活性バクテリア量の測定をしているユージーン in 研究室(1階)。頭にライトをつけて冷たい川に入り、サンプル管に水を採取しているサヨリ。
 小麦粉等を捏ねて、製パン機にセットするフェイスマン。野菜と汁しか入っていない鍋の中をお玉で掻き混ぜ、味見し、明るく頷くハンニバル。
 豪快に鮭を捌くユキ。鮭に祈りを捧げるマードック。膜に包まれた卵をほぐすコング、ほぐれた卵は食塩水に浸ける。
 研究室で頭を抱えるユージーン。顕微鏡を覗き込むサヨリ。
 野菜を刻むフェイスマン。でき立てのパンを取り出して、やけに嬉しそうなハンニバル。
 テーブルの上にセッティングされる、皿、皿、皿。フォーク、ナイフ、スプーン、箸。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 本日の献立は、焼き鮭、鮭の刺身、氷頭なます、鮭団子と豆腐のスープ、イクラ、焼き立てのパン。
「いただきまーす!」
「うっひょ〜、美味そ〜。」
「ホッカイドー産の血を引く子よ。イクラの質は世界最高級。ボディは小振りだけど身が締まっていて、卵を持っていた分、余分な油もないわ。」
「そのイクラとやら、いただくぜ。」
 自らの手でイクラをほぐしたコングが、スプーンでイクラを掬い取り、口の中に入れる。全く生臭くない。皮が心地好い弾力でプチン、プチン、と潰れ、濃厚な卵の味が口一杯に広がる。鶏卵の卵黄にも似た味だが、もっともっと濃くて、なのに透き通っている。塩味の具合も絶妙だ。
「あたしは刺身をいただきましょうかね。」
 ハンニバルは生の鮭をフォークで掬い取った。醤油にチョンとつけると、醤油の中に油の輪がぱっと広がる。余分な油はないはずなのに。口に入れた刺身の味はと言えば、とろり。その言葉は味を表現するものではないが、ハンニバルの頭にはそれしか浮かばなかった。口の中を優しく撫でられているような快感。舌の味細胞すべてが、もう“美味です”という信号しか送ってこない。
「何これ、鮭なの? ウソでしょ?」
 焼き鮭を口にしたフェイスマンが、口をもごもごさせながら尋ねる。今まで食べたことのある、どの鮭とも違う。何か別の魚か、いや、天上界の食べ物のようだ。外側には香ばしい芳香、内側には凝縮された旨味。噛むとジュワッと汁が迸り、身がホクッと解れ、そこからまた新たに香り立つ。
「俺っち、これ気に入った!」
 マードックが一心不乱に掻き込んでいたのは、氷頭なます。鮭の鼻先の軟骨を薄切りにし、さっと湯通ししたものと、大根おろしとを和えたものだ。ちらりと醤油を垂らしていただく。味は、まあ醤油と大根の味だが、コリコリとした軟骨の感触が楽しい。
「どれも、サケに合うんですけどね。」
 ここでユキが言った“サケ”とは、日本酒を指す。別に洒落で言ったわけではなく、パンよりは日本酒に合うメニューばかりだ。
「シアトルにさえ、これといったサケは置いてなくて。ロサンゼルスかサンフランシスコで買ってきてもらえばよかったわ。そうそう、その醤油も自家製よ。大豆もサヨリの手作り。」
 と、娘の方を見やる母。しかし、娘は暗い顔をして豆腐(これもお手製)をフーフーしていた。
「どうしたの、サヨリ?」
「川のバクテリアとプランクトンが、異常増殖してたわ。排水管のところを中心にして。」
「廃水中の活性バクテリア率、5割もあったよ。流したうちの半分は生きてたということだ。」
 父も暗い表情。それでも鮭団子はモフモフ食う。
「でも、川のオリジナルのバクテリアとプランクトンが殖えていたっていうことは、うちのバクちゃんがエサになってるわけでしょ? 活性なのが5割あっても、エサになっているなら、活性だろうと不活性だろうと関係ないんじゃない?」
 慰めているんだかどうだかわかりにくいが、多分、慰めているんじゃないかな。
「バクテリア、川に流さなきゃいいんじゃねえか?」
 至極当然のことをコングが言い出した。
「うん、川に流せると思ってたくらいの水だったら、それをまた生け簀に戻せばいいんじゃないかな。」
 と、焼き鮭に醤油を垂らしながら、フェイスマンも言う。
「それだ!」
「それよ!」
「それだわ!」
 一家3名は声を揃えた。
「そんな簡単なこと、どうして思いつかなかったのかしら。」
「キースがポンプを2つ作ったからよ。入るのと出るのと、2つ必要でしょう、って。」
「ポンプは1台でよかったんだ。しかし、配管からやり直すことになるぞ。」
「それはコング、お前の仕事だな。」
 ハンニバルが言い、コングが頷く。
「キースの作ったモンを改造するなんてな、高校以来だけどな。」
「排水ポンプ止めれば、今以上に川がピンクになったりしねっし。」
「バクちゃん、食べられて分解されちゃったらピンクじゃなくなるしね。廃水がなくなれば、そう、1週間もしないうちに川のオリジナルのバクテリアとプランクトンの数も元に戻ると思うわ。」
「あとは、ダム湖の鮭が本当に死んだかどうかの確認と、スーパーマーケットの件だな。」
「1つ忘れてるよ、ハンニバル。鮭泥棒を捕まえないと。」
 フェイスマンがハンニバルにニヤッと笑いかけた。それこそ、Aチームの得意分野。
「泥棒対策に、防犯装置も必要かもな。」
 と、コング。
「俺っち、真のトーファーキー作って、スーパーマーケットの奴にギャフンと言わせてやるぜ!」
 マードック……何考えてるんだか……。
「と、まあ、考えがまとまったところで、食事再開と行きませんかね。」
 中断を余儀なくされていた食事も、ハンニバルの号令一下、無事、再開と相成った。



〈Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。〉
 雪の中、排水管のバルブを閉じ、排水ポンプを停止させるサヨリ。研究室で、図面を前に話し合っているユージーンとコング。皿を洗うユキ。豆腐料理の本を傍らに置き、豆腐を目の高さに掲げて考え込むマードック。バン(雪上車)に乗り込むハンニバルとフェイスマン。
 頭にライトをつけ、裏の大豆畑の様子を見るサヨリ。図面に新規の配管を書き込むコング。排水ポンプを停止させた影響がないか、生け簀の汚泥の具合を確かめるユージーン(頭にライト)。その横で、水質に変化がないか確かめるユキ(頭にライト)。さらにその横で、鮭に首を噛まれているマードック(鮭にライト)。すっかり真っ暗になっている町で、雪まみれになりながら資材・機材を調達するフェイスマン。雪に埋もれた町で1軒だけネオンの灯っている酒場に入っていくハンニバル。
 マードックが書き殴ったレシピを解読しながら、豆腐の水を切ったり、豆腐を油で揚げたり、湯葉を作ったりしているサヨリ。暗闇の中、配管工事をしているコング(頭にライト)。コングの手伝いをしているユージーン(頭にライト)。生け簀の中で、鮭を集めて注意事項を述べるユキ。水面にうつ伏せで浮いているマードック。雪深いダム湖のほとりで、耳にヘッドホンを嵌め、機械に対峙しているフェイスマン(頭にライト)。酒場で盛り上がっている町民およびハンニバル。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉



 朝。相変わらず周りは雪。
「ソナーでずっと調べてみたけど、10インチを超える魚は、ダム湖には泳いでなかった。」
 朝食の席で、徹夜明けのフェイスマンが報告する。
「盗まれた鮭ちゃんたちは、30インチを超えてたわ。」
 炊き上がったライスを盛りながら、ユキが言う。
「ってことは、ダム湖の鮭はお亡くなりになったと考えていいな。」
 ハンニバルのまとめに、全員が頷く。物陰に潜んでいるという可能性は却下。
「モンキーさんのレシピ通りに作ってみたわ、真トーファーキー。」
 でん、とサヨリが謎の物体を食卓の中心に置いた。オーブンで今、焼き上がったばかりのホッカホカだ。
「スタッフィングは、タマネギとセロリとニンジンとマッシュルームをオリーブオイルで炒めてハーブで香りづけした中に、賽の目に切った豆腐を揚げたものとカシューナッツを入れました。ターキー部分は、湯葉と水切りした豆腐のスライスを重ねたものです。スタッフィングをターキーもどきで包み、オリーブオイルと醤油を塗って焼いたものが、これです。ソースは、伝統のクランベリーソース、または生姜醤油で。」
 でんでん、とソースの入った小鉢を食卓に置く。
「試作なので、パセリ、マッシュポテト等は省略しました。」
「割と美味しそうじゃない。これだけ豆腐が使ってあれば、トーファーキーを名乗っても問題ないわ。」
 豆腐屋の娘から、お許しが出る。
「動物系のものも一切使ってないみたいだし、ベジタリアンにもOKなんじゃないかな。」
 と、フェイスマン。
「問題は、これが食えるかどうかだ。」
「その通りだ、コング。さ、ユージーンさん、切り分けて。」
 ターキーを切り分けるのは、家長の仕事。リーダーの仕事ではないので、ハンニバルは切り分けない。
「上手く切れるかな、豆腐なんだろ?」
 と言いつつも、真トーファーキーにナイフを入れるお父さん。
「お? ターキーっぽい手応えだぞ。」
 難なくトーファーキーを皿に盛っていく。
 全員にトーファーキーが行き渡り、全員がそれぞれ好みのソースをかけた。ライスも行き渡った。味噌汁も行き渡った。
「いただきます……。」
 全員が恐る恐るトーファーキーを口に運んだ。全員……あれ? マードックは?
「あ、美味しい、かも。」
「かも、じゃなくて、偽トーファーキーに比べて格段に美味しいわ。パリパリの湯葉がいいアクセントになってるし、水切りした豆腐の感触もターキーに近くない?」
「クランベリーソースは失敗だったなあ。」
「うん、これには醤油の方が合う。」
 不満げな顔をしているのは、クランベリーソースをかけてしまった父とフェイスマン。
「肉っ気がない割には美味いですよ、これ。」
 肉好きハンニバルも、なかなかの笑顔。
「で、モンキーの奴ァどうしたんでい? まだ寝てやがんのか?」
 バーン! とドアが開いて、ずぶ濡れのマードック登場。
「遂に見っけた!」
 その手に掲げているものは、果たして。
「それ、ワサビじゃない!」
 目を丸くするユキ。
「そ、ワビサビ。豆腐にはこれも合うんじゃないかって思ってね。」
 今までずっと探し続けていたようだ。
「アメリカにもワサビが生えてるなんて知らなかったわ。」
 小鍋で豆乳を温め、塩を加え、とろみが出たところに擂ったワサビを加える。
「よし、これで完璧! ささ、みんな、これかけて食べてみて。」
 マードックに言われるまま、各自のトーファーキーに豆乳ワサビソースをかけ、再度試食。
「……。」
 誰もが言葉を失った。もうローストターキーとは全く別物だが、美味い。毎年食べていたローストターキーよりも美味い。
 静まった場の中で、マードックだけが、「ワビサビ使うんなら、スタッフィングのハーブはもうちょっと抑えた方がいいかな」とか「パセリの代わりにワビサビの葉っぱ添えてもいいかもしんねえなあ」などと呟いていた。



「町で聞き込みをしたんですがね。」
 食後、緑茶を飲みながらの寛ぎタイムに、ハンニバルが切り出した。
「美味い魚をたらふく食うにはどこへ行けばいいかって聞いたところ、ここの生け簀のことを言い出したのが2人。でかくて美味い鮭が犇めき合ってる、って教えてくれましたよ。」
「外から見ただけじゃ、生け簀に何がいんのかわかんねえだろ。」
 コングが唸った。その2人が犯人だ、と言いたげに。しかし、ハンニバルはそれには構わず言葉を続けた。
「ユージーンさん、ユキさん、それにサヨリさん。町の人たちにここの鮭について話したことは?」
「鮭を盗まれた時に、警官に話しただけです。」
「ええ、警官には話しましたし、ビニールハウスの状態と生け簀も見てもらったわ。犯人の手掛かりがないかどうか。あとは、スーパーで生け簀のことを聞かれた時に、魚を育てているとは言ったけど、それが鮭だとは言ってないわ。」
「私は、町の人たちと話をしたことはないです。……あ、でも、キースが町で話をしたかも。」
「キースって奴が鮭を盗んだって推理はどう?」
 そうマードックが言った途端、コングがマードックの耳を掴んで引っ張った。
「奴が盗むわきゃねえだろが、アホンダラ。」
「そうですよ、モンキーさん。キースが、他の物は盗んだとしても、鮭を、いえ、魚を盗むはずはないんです。」
「何で?」
 盗もうと思った物は何でも盗むフェイスマンが尋ねる。
「キースの奴ァ、魚アレルギーなんでい。ガキの頃、フィレオフィッシュ食って死にかけたくれぇだ。」
「うちでも無理をして鮭を食べて、蕁麻疹出したのよ、あの人。馬鹿よねえ。」
「魚アレルギーなのに、ここのポンプを作ったわけ? で、サヨリちゃんと婚約まで?」
 信じられない、といった表情のフェイスマン。
「キースは、サヨリに一目惚れしちゃったのよね。」
 と、母。
「サヨリがあの時お茶を出しに来なかったら、ポンプと階段の費用にあと3万ドルはかかってたんじゃないかな。可愛い娘がいて本当によかったよ。」
 と、父。ってことは、キース、3万ドル分、タダ働き&自腹?
「恥ずかしいこと言わないでよ、お父さん。」
 テーブルの下で、ドゴンと音がした。サヨリが父の椅子を蹴ったと思われます。
「そういうわけで、キースは犯人ではない。よろしいな?」
 ハンニバルが話を元に戻した。今回はハンニバルが前向きです。
「酒場で生け簀のことを教えてくれた2人は、見た感じ、警官じゃあありませんでしたね。酒を飲んではいたけど、ありゃあ未成年でしょうな。」
「……ねえ、ハンニバル。そいつらが犯人じゃない? だって“でかくて美味い鮭が犇めき合ってる”って言ったんでしょ? 鮭を食べた奴じゃなきゃ、美味いかどうか、わからないよね?」
「そうだ、いいとこに気づいたな、フェイス。」
 発言権少なめの刑に関しては、有耶無耶になっている様子。もしくは深夜のドライブ中にお許しを得たか。
「ここで魚を飼ってるってことは、ここに来てビニールハウスの中を見ればわかるし、ユキさんも町で言ったから、町の人たちにも知られてたと思う。それから、町の人たちによってダム湖で鮭が目撃されて、ここにいる魚が鮭だっていうこともバレた、と言うか、推測された。その推測は一部当たってたけど、鮭が逃げたわけじゃなくて盗まれたんだってことは外れてた。で、今のところ町の人たちはまだ、鮭が逃げたんだと思ってるのかな?」
「多分、そうね。あの警官が町で鮭盗難事件のことを話してなければ。」
 ユキがフェイスマンに答える。
「ああ、でも、鮭を盗んだ犯人と鮭を食べた人物が同一人物とは限らないか。……焚き火の傍に鮭の骨があったって言ってたよね? それ見つけたのは、いつ? 鮭を盗んだ犯人が鮭を食べたのか、それとも、犯人は鮭を盗んでダム湖に放しただけで、鮭を食べたのは偶然にもダム湖で鮭を釣り上げた人物だったのか。」
 今までの“台詞少なめ”を埋め合わせるかのように、フェイスマンが語る。
「あの日はですね……ええと、朝、ビニールハウスが壊されているのを見つけて、鮭の数を数えたら2頭減っていて、それですぐに警察に連絡をして、その日の午前中に来てもらって……昼には町の新聞屋さん兼本屋さんから電話があって、“あんたんとこの鮭が逃げ出して、川や湖で小魚食い荒らしてる”って言われました。その時は動転していて、なぜそれがうちの魚だとわかったのか、気にしていませんでした。逃げ出したんじゃなくて、盗まれたんだ、とは思いましたけど、言いはしませんでした。平謝りに謝っただけで。それで、警官が現場検証を終えて帰った後、3人で川とダム湖を見て回ったら、確かにダム湖に鮭が1頭いるのが確認できて、妻があと1頭を探している間に、娘が焚き火の跡と鮭の骨を見つけたんです。もちろん、焼けた頭と尻尾も。見つけたのは夕方でしたね。焚き火の跡は、雪を掻いた場所にあったんですが、見つけた時にはすっかり冷たくなっていました。このことは、警察には報告していません。ダム湖の鮭を捕獲しようとも思いましたが、お恥ずかしい話、うちには釣り名人がいないもので。」
 ユージーンは、その日のことを思い出しながら、ゆっくりと説明した。ゆっくりなのは、フェイスマンが懸命にメモを取っていたからでもある。
「夜の間に鮭が盗まれて、夕方には1頭は食われ済みだった、と。」
 メモにシャッシャッとアンダーラインを引くフェイスマン。
「夜のうちに鮭がダム湖に捨てられたなら、朝、釣り上げて、昼に食べて、ってこともあり得るよね。……俺、その辺もうちょっと突き詰めてみたいんだけど、いい?」
 リーダーの方を見て、確認を取る。
「よし、もう一度、聞き込みに行くとしましょうか。」
「ハンニバル、俺と親父さん(ユージーンのこと)にゃ配管の仕事が残ってんだが。」
「ああ、続けてくれ。早くしないと、鮭が体調を崩すだろうしな。」
 その台詞に、ユキが「そうそう」と頷く。
「大佐、おいらはも一回、トーファーキー作んだよね?」
 スーパーマーケットの人をギャフンと言わせるためのトーファーキーを。試作品は全部食べてしまったので。
「そうだな、上手く行けばスーパーのキッチン要員として雇ってもらえるかもしれんぞ。」
「おいらの真トーファーキーが全米をギャフンと言わせる日も近いぜ!」
 高々と右手を突き上げるマードック。賛同して右手を突き上げるユキとサヨリ。
 そんな感じで、Aチームとスペンサー一家は眠い目を擦りながら、それぞれの作業を開始した。



〈Aチームの作業テーマ曲、またもや始まる。〉
 研究室で、図面を前に、さらに話し合っているユージーンとコング。鮭に餌をやるユキ。台所で、鮭に尻を噛まれながらも野菜を刻むマードック。豆腐を作るべく大豆を煮ているサヨリ。バン(雪上車)に乗り込むハンニバルとフェイスマン。
 古いパイプを外すユージーン。新しいパイプを取りつけ、ボルトを締めるコング。鮭の稚魚に餌をやるユキ。豆乳を煮て湯葉を作るマードック、脇では鮭がバナナナメクジのパペットに噛みついている。どんどんと豆乳を作り、どんどんと豆腐を作るサヨリ。町で聞き込みをしているハンニバルとフェイスマン、なぜかハンニバルの手には風船、フェイスマンの手にはソフトクリーム。
 完成した配管を見渡し、額の汗を拭おうとしたけど、やっぱり汗はかいていないコング。ポンプのスイッチをオンにするユージーン。新しいパイプから滔々と流れ出す、調製済みの鮭水。喜びに跳ねる鮭たち。パイプから出てきた鮭水を手に取って舐め、明るく頷くユキ。真トーファーキーを本物のターキーのような形に成形するマードック、股間に鮭が噛みついており、バナナナメクジは帽子の上に。オーブンの温度を見て、マードックに親指を立てて見せるサヨリ。さらに聞き込みを続けているハンニバルとフェイスマン、なぜかハンニバルの右手はストレートなブロンドのお嬢さんの腰を抱いており、なぜかフェイスマンの左手は緩いウェーブのかかったブラウンの髪のお嬢さんの肩を抱いている。ハンニバルとフェイスマン、これはという情報を掴んだようで、顔を見合わせて頷く。
 電話の受話器を取るサヨリ、コングと代わる。話を聞くにつれ段々とニヤッとしてきて、最後には「よっしゃ!」という表情と仕草のコング。家の前にスノーモービルを出すユージーン。マードックに防寒着を着せるユキ、コングに防寒着を着せるサヨリ。スノーモービルのシートに跨るマードック、その後ろに嫌々跨るコング。町に向かって発進するスノーモービル。手を振るスペンサー一家、2人を見送るように跳ねる鮭。
〈Aチームの作業テーマ曲、またもや終わる。〉



 バンの中に集合したAチーム一同。その正面には、廃屋もしくは物置と見紛うばかりの木造家屋、と言うか、掘っ立て小屋。瑞穂なら「帆立の」と書くところだ。さらに言えば、「帆」の字が「帖」だったり、あるいは、つくりが「几」だったりするところだ。
「本っ当ーに、あそこでいいんだな?」
 運転席のコングが、助手席のハンニバルに尋ねる。
「ああ、間違いない。あそこが鮭盗人のアジトだ。」
 酒盗人ではないので、お間違えなきよう。
「ハンニバルが言ってた2人、町でもあんまりいい噂はなくってね。2人とも生まれ育ちはこの町なんだけど、最寄りのハイスクールを中退後、シアトルに働きに出たものの、仕事をクビになってこっちに戻ってきたとか何とか。現在は親の脛を齧りつつ、数々の迷惑行為を重ね、町外れのアジトでゴロゴロしてるって。」
 フェイスマンがメモを見ながら報告。
「鮭を盗んだ時には、家族にも焼き鮭をお裾分けしたっていう親孝行モンだ。」
 ハンニバルがつけ加える。
「っていう証言がお姉さんから得られました。盗品じゃなきゃ、褒めてあげられるんだけどねえ。」
 ふるふると頭を横に振るフェイスマン。
「鮭を盗んだのも、焼いて食ったのも、そいつらだってことか。」
「“鮭を盗んで焼いて食ったら美味かったんで、持ってきた。みんなも食え”って言ってた、と、お姉さんは仰ってましたな。」
「そんなバレバレな奴が捕まってねえって、どゆこと? ここの警察、おいらとオツム同等なんかな?」
 マードックと同等なオツムな奴がいるのは、警察でなくて精神病院。
「ここさ、町って言ってるけど、村にもならない集落じゃん。学校はもちろん、警察もないんだよね。ずっと先のリーヴンワースか、戻ってモンローまで行かないと、警察らしい警察はないんだって。だから多分、スペンサー家に呼ばれて鮭泥棒の現場検証はしたものの、犯人を捜そうとはしてないんじゃないかな。たかが鮭だし。別に凶悪犯罪じゃないし。被害総額、2匹で100ドルくらい?」
 鮭児だったら2頭で700ドルくらい。ビニールハウスを壊されたのは、ガムテープで直しただけだし。
「かと言って、鮭盗人を見逃すわけには行かんでしょう。悪いことをした奴にゃあ、それ相応のお仕置きが必要だからして。」
 楽しそうに、ハンニバルは葉巻を咥えた。でもまだ火は点けない。
「そんじゃコング、行ったんさい。」
「おう。」
 コングがアクセルを踏み込んだ。ブオン! とエンジンが唸る。
 が、しかし。
 のそのそのそのそのそのそのそのそ……。
 雪上車仕様のままでした。のそのそと掘っ立て小屋に近づいていくバン。
 めり。めりめりめりめり……。
 じわじわと掘っ立て小屋を破壊していく。
「うわ、何だ?!」
「何だ、こりゃ?!」
 小屋の中で干し草にくるまって雑誌(古いプレイボーイ)を読んでいた悪党2人は、当然ながら立ち上がって、バンとは反対の方向に避難した。ドアの方から壊されたために(突っ込まれた、という表現は、この場合そぐわない)、逃げ場がないのだ。キャタピラにラジカセが踏み潰され、ラジオから流れていたディープ・パープルの曲が止まる。
「ひえええええ!」
「潰れる潰れる!」
 板壁とバンの鼻先に挟まれ、2人はわけもわからずホールドアップした。
「呆気ないですねえ。」
 ハンニバルがすぐ正面の2人にニッカリと笑いかける。
「さっさとふん縛ってやろうぜ。」
 2人が潰れる前にブレーキをかけ、ドアに手をかけるコング。ハンニバルもドアに手をかけた。
 ゴッ。
 鈍い音と共に、ドアは数インチだけ開いた。それ以上は開かない。なぜなら、この掘っ立て小屋の幅は、バンの車幅+ほんのちょっとしかなかったからだ。4面のうちの1面が大破しているとは言え、さすが掘っ立ててあるだけあって、他の面は体重をかけて押してもビクともしない。無理にバンのドアごと押すと、ドアの方が壊れそう。
「こっちから出たら?」
 スライドドアを開けるフェイスマン。スライドドアは、開くには開いた。だが、目の前は壁。体の厚みが数インチなら小屋の中に滑り込むことも可能だが、残念ながらそこまで薄い人間はいない。少なくともAチームの中にはいない。
「じゃあ、とりあえず、外に出……。」
 小屋の外かつバンの外、つまり世間一般で言われるところの“外”に出ようとしたフェイスマンだったが、それすら不可能。スライドドアを全開にしても、壁板に覆われていないのは10インチ弱。腕は出せるけど、体はつかえる。
「コング、もうちょいバックして。」
「おう。」
 ウィンウィンウィンウィンウィン。ウィンウィンウィンウィンウィン。
「畜生、エンストだぜ。」
 コングが毒づく。
「後ろっから出るしかねえな。」
 後部ハッチのロックを解除し、後ろを振り返るコング。そして彼が見たものは、挟まっているフェイスマンと、その向こうに、お片づけ中のマードック。コングに言われるより早く、マードックは後部ハッチから出ればいいことに気づいたのだが、後部ハッチに行きつくには、タイヤや銃火器や何やらかんやらを越えて行かねばならない。しかし、それを越える隙間もない。従ってマードックは、席を立った後、空いたシートにタイヤを乗せ、前進し、背後のスペースに銃火器を移動し、前進し、とトンネル掘削機のような作業を余儀なくされていた。
 数分経過。
「よっしゃー、出られたぜ!」
 雪の中に、ぴょいっと降り立つマードック。
「あいつら、どこ行きやがった?」
 バンの中からコングの唸り声が聞こえる。
「そう言や姿が見えませんねえ。」
 のほほんとハンニバルが言うのも聞こえる。
 その声に周囲を見回すマードック。ちょっと先を2人の男が急いでいる。と言っても、膝の高さまで雪に埋もれているので、何かのトレーニングをしつつ、こちらから遠ざかっているようにしか見えず、そして彼らの歩みはとても遅い。しかしながら、彼らの足跡はバンの下から続いている。彼らは、バンの下を通って這い出してきたのだ。
「こっちに出てきちまってるぜ!」
 マードックはそう叫ぶなり、2人を追いかけ始めた。だが、2人との距離は縮まらない。むしろ引き離されている。
「おいら、雪上車仕様じゃねえしよ〜。」
 息の上がってきたマードック、ここでふと思い出し、進路変更。
「モーンキー! どこ行くんだー?!」
 挟まったのから抜けたフェイスマンが、犯人2人を追いかけながら叫ぶ。後部ハッチから出たのか、隙間から出たのかは、彼のズタボロになった服と乱れた髪から、一目瞭然。自慢の顔に擦り傷までついている。
 やっとのことでハンニバルもバンから出てきて(もちろん後部ハッチから)、犯人を追うフェイスマンのだいぶ後ろを追いかけ始めた。
 と、その時。小屋から嫌な煙が上がり始めた。見る見るうちに炎が掘っ立て小屋を包んでいく。
 掘っ立て小屋の中に、石炭ストーブがあったのだ。いくら現地民でも、これだけの雪が降る季節、干し草にくるまったぐらいじゃ寒くてゴロゴロしていられやしない。そのストーブがバンによって隅に追いやられ、干し草を燃やし、壁板を燃やした、というわけだ。
 コング、ピーンチ! バンを捨てて逃げるべきか、バンと共に燃えるべきか、それが問題だ。
 ウィンウィンウィンウィンウィン。ウィンウィンウィンウィンウィン。
 エンジンはまだかかってくれない。その上、哀しいことに、コングとバンがピンチであることに、ハンニバルもフェイスマンもマードックも気がついていない。それぞれがそれぞれに必死なので。
「畜っ生、かかれよ。かかってくれよ!」
 次第に煙に包まれていくバンの車内。周囲は既に赤々と燃え上がっている。
「こん畜生っ!」
 ウィンウィンウィンウィンウィン。……ブォウン!
 エンジンがかかった! 上がってしまっていたバッテリーが炎で温まって、起電力を取り戻したのだろうか。それより先にガソリンが危ないと思うのだが。
 のそのそのそのそのそのそのそのそ。
 全速力でバックしていく雪上車。煤けたバンが掘っ立て小屋から離れたその途端、屋根が崩れ、炎が吹き出した。
「……危ないところだったぜ。」
 ふう、と息をつき、コングは前腕で額の汗を拭った。今度こそ、汗は額を伝っていた。



「待てーっ!」
 犯人2人を追いかけるフェイスマン。2人は、町の外へと外へと逃げていく。
「……。」
 ハンニバルは無言で走っていた。叫んでいる余裕はない。滑らないようにすることと、転ばないようにすること、それと足の冷たさを我慢すること、それだけでツワモノどものリーダーは一杯一杯だった。脹脛が今にも攣りそうだし。何で丸腰で出てきてしまったんだろうと後悔する余裕もない。
 と、その時。
 ブォォォォォォォォ! バヒューン!
 一陣の風が吹きつけ、次の瞬間、目に入ったのは、スノーモービルに乗るマードックの後ろ姿だった。あっと言う間に犯人2人を追い抜かし、彼らの行く手を遮る。回れ右してスノーモービルから逃げる2人。しかし、ハンニバルとフェイスマンに気づくと再度回れ右をしてマードックの方へ。それを繰り返し、犯人2名はある1点に収束した。つまり、マードック on スノーモービルと、ハンニバル&フェイスマンに取り囲まれた場所に。
 雪の上にへたり込んだ2人、トーマスとジェラルドは、怯えた表情で3人を見上げた。
「な、何なんだよ、あんたら一体……。」
 長身のトーマスが尋ねる。
「あたしたちは、Aチーム。あんたらを懲らしめに来た。」
 まだちょっと息が上がっているハンニバルが答える。
「Aチーム? 俺たちを懲らしめるって? 何でさ?」
 小柄なジェラルドも尋ねる。
「鮭を2匹、生け簀から盗んで、1匹を焼いて食べ、もう1匹をダム湖に捨てたから。ま、この件がメインなんだけど、その他、スリ、万引き、引ったくり、動物虐待、器物破損、暴行傷害、放火未遂、誘拐未遂などなど、町のみんなが本気でお宅たちを訴えたとしたら、しばらくは少年院の檻の中ってことになるね。」
 そう言った後も、フェイスマンは手帳を繰りながら、「これで半年。ああ、これは罰金だけで済むか。こっちは1年3カ月ってとこかな」と呟いている。
「さ、お2人さん、警察に行って洗いざらい吐いてもらいましょうか。」
「自首しろって言うのか?」
「さもなきゃ、この手帳とか証拠品とか証言を録音したテープとかを、俺たちが警察に持ってくぜ。」
 手帳をパタパタと振るフェイスマン。証拠品とかテープとか、本当にあるのか?
「自首した方が刑は軽くなる。悪いことは言わん、これ以上悪さを重ねる前に、警察に行った方がいいぞ。」
 相手が未成年なので、今回、結構優しいAチーム。
「どーせアジトも壊れちまったんだし、寒空でゴロゴロするよりゃ屋根のあるとこでゴロゴロする方がいいんじゃね?」
 病室でゴロゴロしていることの多いマードックもレコメンド。
「……わかったよ、自首する。でも、家族に会って、話をしてからでいいか?」
「俺も、一旦家に帰りたい。帰って、おふくろの飯食って、警察行くのはそれからだ。」
「よろしい。それじゃあ今から24時間のうちに、モンローの警察に行くように。24時間後、もしお前たちが出頭していなかったら、我々が証拠品を警察に提出する。いいな?」
 コクンと頷く2人。
「おい、ハンニバル!」
 ちょうどよく、バンに乗ったコングが現れた。バンに乗り込むハンニバルとフェイスマン。
「おいら、先に帰ってんねー。」
 シュバーン! とスノーモービルに乗って去っていくマードック。
「あたしたちも帰りますか。」
 そう言って、ハンニバルは葉巻に火を点け、深呼吸をした。
 雪の中に鮭盗人を放置して、Aチームを乗せたバンは、ゆっくりとUターンすると、元来た道をのそのそと戻っていったのであった。



「大佐〜!」
 スペンサー家に帰り着くなり、マードックが泣きついてきた。
「真トーファーキー第2弾、黒焦げになっちまった〜。」
 マードックが差し出したオーブンの天板の上には、炭のかけらオンリー。トーファーキーの95%以上が水蒸気と二酸化炭素になってしまったようだ。
「ごめんなさい。オーブンにトーファーキーを入れていたこと、すっかり忘れてて。」
 サヨリが深々と頭を下げる。因みに、この家のオーブンにはタイマーがついていません。
「火事になんねえで済んで、よかったぜ。」
 サヨリの背をポンポンと叩くコング。
 その騒ぎの間に、鮭泥棒の件についてユージーンとユキに報告するフェイスマン。
「本当にその子たち、自首するかしら? 証拠品を警察に提出したとしても、彼らが州外に逃げてしまったら、逮捕できないんじゃない?」
 今後のことを心配するユキ。
「それは、彼らの良心次第だな。鮭を殺さずに生きたまま盗んでいって、それだけでも素人には大変だったろうに、食べ切れなかった鮭をその辺に捨てるんじゃなくて、ダム湖に放してやったんだ。知識は足りないにせよ、悪い子たちじゃないと、私は思うね。」
 へにゃんぽにゃんとした雰囲気ではあるが、父親らしいことを言うユージーン。
「ねえ、私、考えたんだけど。」
 と、サヨリが全員に向かって話し始めた。
「お母さんを出入り禁止にしたスーパーマーケットの人たちにギャフンと言わせるのは、やめにしない? 確かに、出入り禁止になって、うちはすごく不便を強いられているし、そこから噂が広まって、家族全員が爪弾きにされてしまってるけど。」
「で、どうしようってんだ?」
 コングが、サヨリの話を促すかのように、言葉を挟む。
「クリスマスイヴの日のお昼、公民館で持ち寄り立食パーティがあるんですって。」
「ああ、町のいろんな店にポスターが貼ってあるの、見たよ。」
 町のいろいろな店(そう大して多くはないが)をしらみ潰しに回ったフェイスマン談。
「そこにおいらの真トーファーキーを持ってこうって作戦?」
「そう! そこで町の人たちとちゃんと話をして、鮭の養殖のこととか、川の生態系のこととか、私たちの仕事のこととか知ってもらうの。上手く行けば、町の人たちみんなに真トーファーキーを食べてもらって、ギャフンと言わせられるわ。」
 結局、ギャフンと言わせたいのである、サヨリも。
「そうね、“魔女が毒を流してる”とか“魔界の魚を飼ってる”とかといった誤解は解いておかないと、いつか火あぶりの刑に遭いそうだし。」
 そんなことまで噂されていたとは知らなかったAチームの面々、目を見開きながらも眉間に皺を寄せる。
「私なんて“サタンの化身”とか“魔女に誑かされて魂を抜かれた男”と言われてるんだよ。ひどくないかい?」
 いや、後者は間違っちゃいないよ、とは誰も言えなかった。
「この際、殖えすぎた鮭も町の人たちに食べてもらわない?」
 サヨリが母に提案する。サヨリの言う通り、鮭が殖えすぎてしまって困っているのだ。あまりにも生育環境がよくて、成長は早いわ、卵は産むわ、稚魚は生まれまくるわ死なないわで、生け簀のキャパシティをオーバーする寸前の状況。捨てるわけにも行かず、かと言って、これ以上鮭を食べたくはない。1日3食、何かしら鮭を食べているのだから。
「でも、まだ実験段階で、人体に害を及ぼすかもしれないのよ? 鮭ちゃんの遺伝子は組み換えていないけど、染色体の操作はしてるし、あなたのバクちゃんは遺伝子いじって作ったものでしょう?」
 ユキの言葉に、Aチームは食べた鮭のことを思い出し、人知れず背筋を震わせた。
「だから、被検体になってもらうのよ。私たちが町の人に無理矢理鮭を食べさせたら、それは問題だけど、私たちが持っていった鮭料理を勝手に町の人が食べたら、それは私たちの知ったことじゃないわ。」
 何とあくどいことを。しかし両親は少しの間、考え込み、ニヤリと笑みを浮かべた。
「フライがいいかしらね?」
「そうだな、ムニエルも美味いが、立食パーティに出すんだったら、やっぱりフライだな。」
「数をこなすなら、グリルがいいんじゃない?」
 鮭料理について話し合う親子を見つめて、「あんまり微笑ましくないな」、「魔女だって言われるのもわかるわ」、と思うAチームであった。



 その夜、鮭を食べ終えた一同は、まったりしたり皿洗いをしたりしていた。
 コングとサヨリは、イチゴを摘みながらキースの噂話で持ち切り。
「キースのこと、最初は別に何とも思っていなかったんだけど、フルネームを知った途端に気がかりになっちゃってね。」
「キース・サーヴァーの何が気になったってんだ?」
「キス、サバ、ってどっちも魚の名前なのよ、日本語で。私の名前も、魚の名前だし。」
「魚の名前だと? 日本じゃ魚の名前をつけんのが普通なのか?」
「うーん、普通ってわけじゃないけど、私は嫌いじゃないわ。こっち(アメリカ)で考えると、すごく変だけど。」
「将来、ガキにも魚の名前つける気か?」
「そうね、女の子だったらアユとか、男の子だったらイサキとか、いいわね。」
 ユキとフェイスマンは洗い物をしながら特許の話で持ち切り。何でも、現在この一家の収入は、家族3人が持っている特許に対する特許料のみだとか。
 ユージーンはマードックのバナナナメクジ・パペットを大絶賛している最中。話し相手もいないハンニバルは、葉巻を吹かしつつ、何やら難しいことが印字されている紙の裏に、アクアドラゴンのシナリオを書いてみたりなんかしていた。
 と、その時、電話が鳴った。受話器を取るユージーン。すぐに受話器を置いて戻ってくる。
「ハンニバルさん、鮭泥棒の2人がモンローの警察に出頭してきたそうです。」
 うむうむ、と頷くハンニバル。
「何から何まで、どうもありがとうございました。」
 ハンニバルの手をぐっと握るユージーン。お辞儀をするユキとサヨリ。
「あとは、俺っちの真トーファーキーでギャフン、アーンド仲直りだね。」
「もう私、レシピ見ないでも作れるわよ、真トーファーキー。今度は焦がさない。約束するわ。」
 サヨリがマードックの手を取り、日本の伝統儀式“指切りげんまん”を行う。
「これはね、約束を破ったら、嘘をついたわけだから、棘だらけの魚を飲まなければいけない、っていう誓いの儀式なのよ。」
「んな痛そうなこと、しなくていいって。豆腐の角で頭ぶつくらいでよくね?」
「そうだぜ、サヨリ。棘だらけの魚なんてなァ、こんな時にドイツ行ってるキースに飲ませりゃいいぜ。」
「それはダメよ、コング。彼、魚アレルギーなんだから。」
「じゃ、先にアレルギーの薬、飲ませとかねえとな。」
「それならいいわ。」
 場が笑いに包まれた。



 クリスマスも過ぎ、ニューイヤーの準備に入ったロサンゼルス。
「帰ったぜ!」
 アジトとしている一軒家のドアをバンと開けて、コングご帰宅。あの翌日の朝にスペンサー家を発ったものの、やはり車のみではロサンゼルスまで日にちがかかり、今に至る。
「お帰り。どうだ、こっちは暖かいだろう。」
 ソファに寝転がってTVを見ていたハンニバルが、首だけをコングの方に向けて言った。ハンニバルとフェイスマン、マードックの3人は、当然、飛行機を利用して、先に帰っていたのである。
「おう、まるで夏みてえに感じるぜ。あのアホンダラは病院か?」
「ああ、とっくに病院に戻ったよ。帰りに拾った本物のバナナナメクジを持って。クリスマスツリーに飾るとか言ってたな。」
 それに対して「ふん」と言っただけで、コングは1人掛けのソファにドスンと腰を下ろし、足を伸ばした。
「ただいまー。」
 少しして、フェイスマンがドアを開けた。片手に茶色い紙袋を抱えて。どう見ても買い物帰り。
「お帰り、コング。だいぶ時間かかったじゃん。クリスマスはサンフランシスコ辺りで過ごしたとか?」
「ポートランドに寄ってキースのおっかさんに会ってきたんでな、24日の夜はクレセントシティにいたぜ。」
 クレセントシティはサンフランシスコよりもだいぶ北です。
「ハンニバルが、コングの代わりに孤児院でサンタ役やってくれたんだけど、その話、聞いた?」
「いんや。済まねえな、ハンニバル。」
「いやいや、どういたしまして。撮影も何もなくて暇だったもんでね。」
「そうだ、コング、サヨリちゃんから手紙。」
 と、フェイスマンが懐から封筒を出して、コングに渡す。受け取ったコングがすぐさま封を切り、便箋を開く。
「何々……“真トーファーキーは非常に好評を得、スーパーマーケットの店長が惣菜売り場で売り出したいと申し出てきたのみならず、町長から真トーファーキーをこの町の名物料理にしたいとの提案を受けました”、だと。」
「それ、モンキーには黙っといた方がいいね。」
「そうだな。調子に乗って変な料理に凝り出されても困るしな。で、町の人とは和解できたのか?」
「ああ、その辺のくだり、読むぜ。“スーパーマーケットの店長および店員も、今まで取り扱っていたトーファーキーが罵倒に値するものであったことに同意し、母への出入り禁止令を解除しました。町の人々も、我々の話を聞いて事情を納得し、非科学的な噂を立てていたこと、および我々一家に対して排他的態度を取っていたことを、謝罪はなかったものの、認めるに至りました。また、その噂があくまでも噂であり真実ではない、と町の人々に確信させることに成功しました。加えて、鮭を盗んだ犯人の家族から真摯な謝罪を受けました。これらは全てAチームの皆様のおかげで解決したことであり、我々スペンサー一家は皆様に心から感謝の意を申し上げます。蛇足ながら、我々の鮭は立食パーティにおいて大量に消費され、生け簀の密度は適正な数値となったことをお知らせしておきます。”」
「何だか難しいこと書いてない?」
「ま、とにかく上手く行ったようで、よかったじゃないですか。」
「“追記;思い当たるところのない病気に罹った際には、早急に我々に電話連絡するよう、医師にお伝え下さい”ってよ。フェイス、この電話番号、メモっといた方がいいぜ。」
 便箋をフェイスマンに見せる。便箋は2枚。キースの10枚に比べると非常に少ないが、情報密度は濃い。
「はいはい。」
 フェイスマンはいつもの手帳にスペンサー家の電話番号をさらさらと控えた。
「具合悪くなって、それが鮭のせいだと思ったら、俺に言ってね。」
「あー、早速だがフェイス、あたしゃ腹周りがちょっとばかし膨れましてねえ、ズボンがきつくていかんのですわ。それ、鮭のせいじゃないかと思うんですがね。」
「そりゃいけないや、ハンニバル。それ、間違いなく鮭のせいだね、鮭を食いすぎたせい。」
 コングはニヤニヤしている。
「だからハンニバル、これから1週間、酒なし&肉なしの刑。」
 絶望的な表情を見せるハンニバル。だって「これから1週間」と言ったら、ニューイヤーズ・デイにばっちりかかるのだから。それを見て、クックックッと笑うコング。
「コングはね、これから1カ月、ジョギングには必ずハンニバルを連れていくの刑。」
「何でだ? 俺ァ鮭のせいで太っちゃいねえし、具合悪くもねえぜ。」
 一転して笑顔を消し、フェイスマンに今にも掴みかからんばかり。「必ずハンニバルを連れていく」のがどんなに大変なことか、部下の言動からわかろうってもんだ。それも「ジョギングに」となれば、ほぼ不可能だ。
「俺たちにタダ働きさせた原因は誰にあるのかな〜?」
 今回は往復の飛行機代も3人分かかったし。
 一瞬、たじっとなったコングだが、すぐに閃いた。
「キースだ。キースの野郎から仕事代ふんだくっていいぜ。」
 それを聞いたフェイスマン、にーっこりとして懐から茶封筒を取り出した。
「じゃ、徴収係、よろしく。これ、請求書ね、明細つきの。」
「けどよ、キースの奴ァ今ドイツ行ってて――。」
「うん、知ってる。だから、1月末日を期限にしてある。それ以降は割増料金になるって覚えといて。……ああ、別にコングが代わりに払ってくれても構わないからね。」
 コングは思い出した。ジュニアハイスクール時代にキースに貸した10ドルを返してもらっていない。ハイスクール時代に貸した50ドルも返してもらっていない。キースはいつも素寒貧だった。金があると使ってしまうのだ。あればあるだけ使ってしまう。今も多分、結婚資金など貯めていないのだろう。そんな男からAチームの仕事代を徴収できるのだろうか。まず、無理だ。ハンニバルをジョギングに連れていく方が、まだ幾分か可能であろう。
 固まっている2人をよそに、フェイスマンは鼻歌を歌いながら買ってきたものを片づけ始めた。パン、レタス、ブロッコリー、トマト、牛乳、ワイン、ステーキ用サーロイン1枚。
 それを見てピクッと反応するハンニバル。その腕をガッと取るコング。目で語り合う2人。
“ジョギング行くぜ。”
“嫌ですよ、あたしゃ走るより肉を食う方が好きだって、何度言ったらわかるんですか。”
 背後でそんなやり取りが行われていることをもちろん感じ取っているフェイスマンは、ニヤッと笑い、後ろに向かって牛肉を振って見せるのだった。
【おしまい】
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