トマトの祭典
鈴樹 瑞穂
 8月も半ばを過ぎた頃、Aチームの面々は米国某所にある小さな町、ビニョールへと来ていた。
 ビニョールは元々寂れた田舎町だったのだが、ここ数年、町興しにと観光客の呼び込みに力を入れている。その目玉が8月の最終日曜日に開催される『ラ・トマティーナ?』、別名『トマト祭り?』である。
 一言で言ってしまえば、スペインのブニョールで8月の最終水曜日に行われる収穫祭、『ラ・トマティーナ』のパクリだったりする。町の名前が似ているからという実に安易な理由から提案、実行されたこの企画、物珍しさも手伝って、そこそこに観光客を集め、年々規模も拡大している。遂に今年は新企画、『トマティーナ・レース』が開催されるに至り、Aチームはそのレースに代理参加してほしいという依頼を受けてやって来たのだった。



 町の様子を見てきたAチームが戻ってくると、工房でせっせと作業をしていた青年が手を止めて出迎えた。
「お帰りなさい。コースは下見できましたか?」
 赤い巻毛で中肉中背、絵に描いたような平凡な容姿の持ち主で、いかにも人のよさそうな気弱な顔をしている。今回の依頼主、ダニエル・コッパーである。家業の石鹸工房を受け継いで2年目の言わば若旦那という立場で、商才にはあまり恵まれていなさそうだが、石鹸作りにかける情熱だけは本物だった。工場ではなく工房という名称が示している通り、コッパー工房の石鹸はすべて彼によって手作りされている。
「まあ、大体はな。」
 レースの際にドライバーを務めるコングが答える。
「何て言うか、入り組んだ路地が多いよね。一応ルートは叩き込んだけど、いざとなったら地元住民の方が有利なんじゃないの。」
 うんざりした様子のフェイスマンの横で、ハンニバルが事もなげに言い放つ。
「そのために作戦を立てるんでしょうが。ココを使うんですよ、ココを。」
 葉巻を銜えたまま、ハンニバルは親指で己の頭を指し示した。一方、マードックはと言えば、ダニエルが型から出したばかりの石鹸に夢中で、手に取って匂いを嗅いだり翳したりと観察に余念がない。
「ひょ〜っ、トマトかと思ったら石鹸じゃん、これ。」
「あ、それはうちの工房の新作なんです。トマト型石鹸。トマティーナ?のお土産として売り出すつもりなんですけど。」
 コッパー工房の石鹸は、主にビニョールの町の人々の日常生活で消費される他、観光客相手の土産物としてもそこそこに売れている。特に大切な収入源は、年に一度のトマト祭りの期間に広場に出す露店での売り上げだ。
 トマト祭り?と言うからには、トマトを投げ合い、それこそ参加者がトマトまみれになるのだが、それが終わると町のあちこちに設けられた水場でトマト汁を洗い流す光景が見られる。その時に活躍するのがコッパー工房の石鹸というわけだ。
 更に、トマト祭り?は、立てられた木の棒の天辺に吊るされたハムを取るところから始まるのだが、この棒を登り難くするために塗られる石鹸にも、コッパー工房のものが使用されている。こうして実際に祭りで使用されていることがいい宣伝になっており、前夜祭からの祭りでの露店の売り上げは、実に工房の年間収入の半分を占めていた。
 広場には他にも、ビールやサンドイッチの店、ハムの店、ピンチョスやカットしたフルーツを売る店、人形やハンカチといった土産物の店など様々な露店が並ぶ。
 それらの露店の広さや位置はクジ引きで決められるのが常であったが、それも今回まで。来年の露店は、今年の『トマティーナ・レース』の順に好きな場所を取れることに決まっている。
 従って、今年から行われるレースの勝敗は、露店を出す商店にとっては大きく売り上げを左右する重大事項なのだった。
 そのために、ダニエルはあちこち伝手を辿って、代理参加し、なおかつ好成績を期待できそうな相手を探し、Aチームに依頼が来たというわけだった。



 工房の壁一面に板を渡した棚があり、型から外した石鹸が乾燥のために並べられている。ダニエルはトマト型の他に、リンゴやレモン、オレンジにイチゴといったフルーツ型の石鹸も作ったらしく、カラフルな眺めになっていた。キーウィだけが皮を剥いてカットされた状態に成型されているところに試行錯誤の跡が見え隠れしている。
 片隅に置かれた小さなテーブルと、それをぐるりと囲むように広げられたパイプ椅子では、ダニエルとAチームがレースの作戦会議を行っている。
「ではもう一度、レースのルールを説明しておきます。」
 ダニエルがトマト祭り実行委員会から配布されたリーフレットを手に話し出す。
「『トマティーナ・レース』はトマティーナの自動車版、つまりカーチェイスをしながらトマトをぶつけ合うレースです。規定時間内にぶつけた数とぶつけられた数を差し引きして、ポイントの高いチームが優勝となります。1チーム1台という制限はありますが、車種および搭乗人数は自由。車の改造も可です。ただし、予め定められたコースの外に出てしまった場合、その場で失格となります。」
 テーブルに広げられたビニョールの地図を、ボールペンのお尻で指してダニエルが言う。実は工房を継ぐ前はハイスクールの化学教師をしていたというダニエル、やや教師口調であるものの、説明は理路整然としている。
「ってことは、ポイントはいかに他の車から投げられたトマトを避けるかのドライビングテクニックと、できるだけ沢山トマトをぶつける方法ってわけだ。」
 フェイスマンがまとめると、ダニエルが頷く。
「そうなります。車は、うちのトラックを使っていただいて構いません。あれなら、荷台に乗って対向車にトマトを投げつけることも可能ですし。」
「いや、いつものバンの方が運転しやすくていい。」
 コングが腕を組んだまま、きっぱりと言った。
「ええ、アレですか? 小回りが利かないし、第一、トマトを投げにくいんじゃないでしょうか?」
 ダニエルは窓から、庭先に停めてあるAチームのバンに視線をやって、躊躇いがちに呟いた。
「そう心配しなさんな。それより、他のチームについての情報があったら教えてくれ。初回って言っても、有力候補の見当くらいはつくだろう。」
 ハンニバルの質問に、ダニエルが1枚のリストを取り出して地図の上に置く。
「ええ。賞品の性質上、店対抗ということになりますから、今年も広場に露店を出しているこのリストが参加チームの一覧になります。」
 リストに載っているのは、コッパー工房を含めて8チームだ。
「中でも有力候補はこのグラハム商店です。ソーセージやハムを扱う店で、トマティーナ?開始の合図として木の棒の天辺に吊るされるハムもこのグラハム商店の品物なんです。」
 要するに、コッパー工房と同様に、自分たちの賞品をトマティーナ?名物として売り出しているのだ。しかも、食べ物であるだけに、その場で食べるようにスライスして売るものと、お土産用に塊で売るものを揃えていると言う。
「そりゃあ必死にもなるよ。」
 フェイスマンがいかにも納得したという表情で頷く。比較的使用期限の長い石鹸と違い、その場で食べる物を扱うとなれば、露店の場所はより切実な問題のはずだ。
 広場の見取り図が載っているパンフレットを捲って、コングが低く唸った。
「何でえ、今年は随分いい場所を取ってんじゃねえか、そのハム屋はよ。」
「例年のことです。グラハム商店は『ラ・トマティーナ?』の最大のスポンサーですから。露店の場所はクジということになっていますが、いくらかの融通は効くようです。」
「なるほどねえ。」
 腕組みをして呟くと、ハンニバルはフェイスマンに視線を流した。それを受けたフェイスマンがウインクをして立ち上がる。
「OK。そのグラハム商店とやらに敵情視察に行ってきましょう。コッパーさん、このリスト貸してくれる?」



 グラハム商店の店舗は、ビニョールの町のメインストリートの一角にあった。なかなか立派な店構えである。
 品のよい淡いグレーのスーツを着込み、七三に分けた髪をぺったりと撫でつけて、フレームレスのメガネを掛けた出で立ちで、フェイスマンはもったい振った仕種で店の扉を開ける。
「いらっしゃいませ。」
 明るい店内には整然と商品が並べられていた。スモークハム、生ハム、ソーセージにパテ、ビーフジャーキーにサラミ。ビン入りのピクルスなども一緒に売られていて、彩りも綺麗だ。何より、清潔感に溢れた雰囲気が食品店としてはかなりの高ポイントだった。
 フェイスマンはカウンターの中にいた若い女性と視線を合わせて、にっこりと微笑んだ。ブルネットの小柄な女性だが、なかなかの美人である。
「どうも。私、こういう者ですが。」
 内ポケットの名刺入れから取り出した名刺を渡す。
 『アンドリュー・ブラウン フリーランス・ルポライター』――偽名の書かれた名刺を受け取って、店員は首を傾げる。
「早い話がグルメ雑誌専門のフリーライターです。ご存知ありませんか、『グルメファン』とか『スローフードマガジン』とか。」
「知ってます! 知ってますわ、もちろん。」
 店員は途端に声を張り上げた。
「それで、ブラウンさん、グルメライターの方がこんな田舎に何のご用?」
「いえいえ、田舎だなんて。このビニョールってとこは、なかなか見所の多い町ですね。実は今度、ビニョールの『ラ・トマティーナ?』見物を兼ねたグルメ旅というテーマで特集を組むことになりまして。今、町の名物を食べられるスポットを回ってるっていうわけなんですよ。」
 滑らかな詐欺師の話術に、若い女性店員が引き込まれるのに時間はかからなかった。
 小一時間ほど取材と称して話を聞き、フェイスマンはグラハム商店を後にした。



 コッパー工房に戻ってきたフェイスマンを、ダニエルの手伝いをしながら待っていたAチームが取り囲む。
 もっとも、まともに手伝っていたのはコングだけで、マードックはトマト石鹸のスケッチをしており、ハンニバルに至っては暑さに負けてパイプ椅子を並べて横になっている。石鹸を作るにはある程度の温度が必要であるため、工房内にはエアコンが入っていないのだ。
「どうだ、何かわかったか?」
 額に乗せていた濡れタオルを捲って、ハンニバルが尋ねた。
「大体ね。案外すんなり行ったよ。」
 再びテーブルの周りにパイプ椅子を集め、作戦会議の体勢になると、フェイスマンが聞き出してきた情報を皆に説明する。フェイスマンは抜け目なく、グラハム商店ばかりか他のチームの情報も隈なく集めてきていた。
「確かにな。こうして並べてみると、ハム屋以外は何とかなりそうじゃねえか。」
 フェイスマンのメモを見比べて、コングが言い放つ。フェイスメモにはご丁寧にレースに参加する車とドライバー、彼らの年齢や経歴までもが書き込まれている。
 トマト祭り?で町興しを図りつつあるものの、基本的にビニョールは過疎化の進んだ田舎町だ。商店主たちの年齢は総じて高い。
 例外が代替わりしたばかりのコッパー工房のダニエルと、グラハム商店の兄弟である。
 現在、グラハム商店を切り盛りしているのは、双子の兄弟、ビリーとウィリー、それに妹のキティ。店で接客をしているブルネットの美女がキティで、兄2人は厨房でハムやソーセージを作っている。
 ダニエルはキティの同級生で、2歳年上の兄たちともずっと同じ学校に通っていたので、彼らのことをよく知っていた。
「兄のビリーはベースボール、弟のウィリーはアメフトをやっていて、2人とも、チームの花形でした。何て言うか、校内でも一番目立つ兄弟でしたね。おまけにものすごいシスコンで、妹のキティに近づく男子生徒は容赦なく排除されたものです。」
 遠い目をして語るダニエル。お前も排除されたクチか、と思っても誰も突っ込まないAチーム。ある者は同情から、ある者は興味がなかったから、またある者は話を長引かせることを回避し、そしてトマト石鹸を積み上げるのに忙しく、全く話を聞いていなかった者も約1名。
「とにかく。」
 と、ダニエルが咳払いをした。
「手強い相手はグラハム兄弟と、ピザ屋のビルおじさんに絞られると言っていいでしょう。特にグラハム兄弟は2人とも運動神経は抜群ですし、体力も十分、息も合っています。それでも、絶対に負けられません!」
 ふるふると拳を震わせるダニエルの肩にハンニバルが手を置く。
「そうまで言うなら協力しましょう。コング、どうだ?」
 フェイスメモを手に取って目を走らせていたコングが、ハンニバルの言葉にニッと白い歯を見せて笑い、メモをテーブルの上に投げやった。



〈Aチームの曲、始まる。〉
 ガレージに次々とフェイスマンががらくたを運び込んでくる。その中から鉄パイプを選び出して手に取るコング。両手にトマトを持つマードック。葉巻を銜えたハンニバルがマードックの掲げるトマトの径を測り、鉄パイプと比べて首を横に振る。
 どこからか更に太い鉄パイプを持ってくるフェイスマン。作業が繰り返され、ハンニバルが首を振る。
 次に持ち込んだプラスティック管で合格点を貰うフェイスマン。積まれたがらくたの中からマードックがじょうごを拾い上げる。
 バンからコードを伸ばして電動ポンプが稼動している。空を舞う大小のトマト・トマト・トマト。
 ボタボタと地面に落ちるトマトに、フェイスマンが肩を竦める。母屋の陰から不安げに見守るダニエル。
 マードックがそっと差し出したトマト型石鹸をコングが引っ手繰って怒鳴る。殴られた頭を摩りつつ、プラスティック管の角度を調整するマードック。
 庭に張られた白いシーツにトマトが命中し、親指を立てるハンニバル。ダニエルも飛び上がり、ガッツポーズをする。
〈Aチームの曲、終わる。〉



 『ラ・トマティーナ?』当日。ビニョールは朝から快晴で、ぐんぐんと気温が上がっている。
 『トマティーナ・レース』にエントリーした8チームの車は、ハイスクールのグラウンドにぐるりと並んでいた。互いに背中を向ける形で円状にスタートするのだ。
 お祭りの余興ということで、それぞれの車は派手に飾りつけられ、宣伝も兼ねて店名が掲げられている。Aチームのバンにもラッピングバスもかくやという意気込みでタライの中で水浴びするトマトのイラスト(マードック画伯作)が描かれていた。石鹸の宣伝のつもりか、タライの中はもこもこと泡立って大変なことになっており、7色のシャボン玉が飛んでいる。構図としてはなかなかにファンシーな情景ではあるのだが、手足の生えたトマトが非常に悪そうな目をしているのが微妙に刺激的だった。
「暑ィな。」
 じりじりと日差しに焼かれて、コングが呟く。ジャラジャラと金属類を身につけているものだから、暑さも一入である。
「はー、目の前に車があるのに入れないって、何の罰ゲームさ。」
 パタパタと下敷きで仰ぎながら、フェイスマンもぼやく。バンの中に入ってエンジンをかけさえすれば、クーラーで涼めるのだ。
「済みません、これもルールですから。カウントダウンが始まるまで、車に乗り込んではいけないって。」
 眉を下げて低姿勢に謝るダニエル。ハンニバルが鷹揚に言った。
「まあねえ。既に勝負は始まってると思えば、音を上げてる場合じゃないでしょうが、フェイス。」
「そうよ、この夏の日差しがあたしたちを赤く色づかせるの。」
 マードックが右腕に乗せたトマト石鹸を左手で震わせつつ、トマトの声色で追い討ちをかける。マードックの脳内妄想では、トマトは女の子らしい。
「うるせえ、このスットコドッコイ。」
 コングがマードックの首根っこを掴んだ時、反対側の車からブルネットの女性と、ダークブラウンの髪の男性2人がやってきた。キティと双子の兄、ビリーとウィリーである。
「素敵な車ね、ダニエル。」
 にっこりと微笑んでキティが言う。特に嫌味というわけでもなく、心底からそう思っているらしい。しかし彼女の後ろのビリーとウィリーはそうは思わなかったようで、にやにやしながら口々に言った。
「スゴイじゃないか、ダニエル。こんなでっかい車で出るなんて。」
「当てやすくてこっちは楽だけどな。」
 グラハム兄弟の指摘ももっともで、他のチームの車は皆小回りの利く小型トラックである。もちろんグラハムチームの車も同様で、荷台にはトマトを山盛りにした大きな籠が並んでいた。
「そりゃどうも。」
 既に逃げ腰になっているダニエルに代わって、ハンニバルがにこやかに答える。
「それに引き換え、おたくさんの車はまあ面積が少ないですなあ。これなら絶対に当たらないでしょうとも。よほどドライバーの腕がへっぽこじゃなければねえ。」
「そう言うそちらはよっぽどドライバーの腕に覚えがあるのかい。」
 ハンニバルとビリーの間に火花が飛び、握手をする手が震えている。
 折りよくレース開始のカウントダウンがかかった。コングは掴んでいたマードックを離し、フェイスマンがいち早くバンに乗り込む。グラハム兄弟も車に戻り、各チームともわらわらと車に搭乗する。
「3、2、1、READY GO!」
 勢いよくフラッグが振られ、各車一斉にスタートした。



 『トマティーナ・レース』の制限時間は20分、コースは広場を中心とした半径10キロの範囲である。一応、ビニョールの町の中心なので縦横に交差する通りは広いが、細い横道が網の目状に広がっている。
 コングの運転するバンはドリフトしながら脇道へと曲がり、一度他のチームの車と距離を取った。どこも考えることは同じと見えて、ハイスクールを抜けて広場に出た車はみな四方八方に散っていく。
 が、何分狭いエリアに8台もの車が犇いているおかげで、少し走るとすぐに前方から来る三輪トラックと行き会う。
「準備!」
 ハンニバルの号令一下、フェイスマンが窓を開ける。マードックがプラスチック管をトラックに向け、ダニエルがプラスチック管の端に取りつけられたじょうごにごろごろとトマトを入れる。
「発射!」
 ボボボボボボ!
 ハンニバルが電動ポンプのスイッチを入れると、凄まじい音と共にプラスチック管の先からトマトが連射され、トラックの前ウインドウにぶつかった。
「ひょ〜っ。いい感じじゃん!」
 額に手を翳したマードックが叫ぶ。
「あれは……花屋のマッコイ爺さんです。」
 ダニエルが十字を切る。
「来るぞ、掴まってな。」
 コングの鋭い声と同時にバンが大きく曲がる。遠心力でダニエルがころりと転がるが、後の3人は慣れたもので、手近な場所に掴まり、平然と持ち堪えた。そして、バンの車体のわずか横に、べしゃりとトマトが落ちる。
「こりゃ、避けるでないわ!」
 三輪トラックの荷台に立ち、トマトを振り上げて叫んでいる老婆を見て、ダニエルが解説する。
「自称花屋の看板娘、マリー婆さんです。いつも居眠りばかりしてるんですけど、今日は元気だなあ。」
 とは言うものの、マリー婆さんがゆっ……くりとトマトを振りかぶる腕はぷるぷると震えている。
「ほりゃっ。」
 マリー婆さんの投げたトマトをコングが避ける。しかし、マリー婆さんはめげず、籠から次のトマトを取り出して投げるモーションに入っている。
「キリがねえな。」
 ぼやくコングに、ハンニバルが単純明快かつアバウトな指示を出す。
「逃げるが勝ちだ!」
「おう。」
 コングがアクセルを踏み込み、バンは急速発進した。車体はでかいが、エンジンもチューンナップしている。その加速は、軽の三輪トラックを振り切るには充分である。
 こうしてダニエルwith Aチームは無傷のまま花屋チームから逃げ切り、次の相手を探して細い路地を走り抜けた。



 ほぼ同じ展開で酒屋チームを退けた後、Aチームのバンが狭い路地裏に身を潜めていると、目の前の道を1台のトラックが走ってきた。
「フルーツショップ・グリーンのトラックです。」
 車体の飾り文字を読んで、ダニエルが眉を潜める。というのは、元は白かったであろうそのトラックの車体はすっかりトマトカラーに染まっていて、緑色で書かれていた店名も読みづらい状態になっていたからだ。
「すごいねー。満身創痍ってやつ?」
 フェイスマンが感心したように呟き、運転席のコングも低く唸る。
 トラックの荷台では、店主のトールおじさんが魂を抜かれたかの表情で、空になった籠を抱えている。
「一応、弾は使い切ったようだが、あの様子じゃ相手にいくらもダメージは与えてないな。」
 ハンニバルが腕を組み、マードックはうんうんと頷きながら、前を通る車があれば狙い撃とうとしていたプラスチック管を引っ込めた。武士の情けである。
 と、その時、フルーツショップ・グリーンのトラックを後ろから猛然と追ってくる黒いトラックが現れた。
 ハンドルを握っているのはウィリー、荷台にはビリーが乗って、籠から取り出したトマトをトールおじさんのトラックに投げつける。
 ベースボールの選手だったというだけあって、ビリーはなかなかの強肩だった。コントロールも正確で、空を切ったトマトが次々とフルーツショップ・グリーンのトラックの後部にヒットする。べしゃりとトマトが潰れる度に、グラハム商店のトラックの助手席で、キティがきゃーきゃーと手を叩いて大喜びしている。
「うわぁ、容赦なし。」
 フェイスマンは目を丸くし、コングがケッと悪態をついた。
「弾切れの相手にえげつねえ真似しやがって。」
「ま、あれくらいやられたら、こっちも心置きなくお相手できるねえ、ハハハ。」
 ハンニバルがにこやかに言い放ち、マードックは懐から何やら取り出した。
「あーゆー奴にはトマトじゃなくって、このスペシャル弾をかましてやんねーとな。」
 その手に握られたものを見て、ダニエルが慌てて止める。
「わぁ、ソレは僕の作ったトマト石鹸じゃないですか! 投げたりしないで下さいよ。」
「え? やっぱりダメかな。」
「ダメです、ルール違反です!」
 そう言っている間に、フルーツショップの白いトラックに続いて、グラハム商店の黒いトラックが前を通り過ぎた。
 それを追うように、Aチームのバンも発進する。
 グラハム商店の後ろを取ると、ハンニバルが叫んだ。
「発射!」
 いつの間にか窓の外に前を向けてプラスチック管が突き出しており、その先から勢いよくトマトが飛び出した。
 気づいたビリーが今度はAチームのバンに向かってトマトを投げてくる。何しろ人力だから、小回りが利くのだ。おまけに車のスピードが乗っているから侮れない。
 ビュッ。
 窓の外、ギリギリの位置をビリーの投げたトマトが飛んでいく。
 しかも、若いだけあって、ビリーは続けざまにトマトを投げてくる。やはりマリー婆さんとは雲泥の差である。
 コングは右に左に車体を振って避けるが、ついにびしゃんとトマトを食らってしまった。
「ひっ。」
 ダニエルが反射的に身を竦める。しかし、Aチームの面々は平然としていた。
「この先で道幅が広くなるぜ。」
 ハンドルを切りながらコングが告げる。
「よし、加速して並べろ。」
 ハンニバルの指示に、コングがミラー越しにニヤリと白い歯を見せた。
「ひゃっほーい。」
 マードックが嬉しそうに窓から身を乗り出し、プラスチック管を肩に担いで構える。
「それじゃ、そろそろ本気を出しますかね。」
 ハンニバルが電動ポンプの出力を上げ、フェイスマンが籠に山盛りのトマトを一気にじょうごの中にぶちまけた。
「ほら、何してんの。どんどん持ってきて。」
 フェイスマンに促され、ダニエルがあたふたとトマトの籠を運んでくる。
「うおおおおーっ!」
 ビリーは果敢に応戦するが、何しろ連射の早さは比較にならない。
 あっと言う間にグラハム商店のトラックをトマトまみれにして、Aチームのバンはトラックを抜き去った。バンの車体に数発のトマトを食らったものの、圧倒的な差だった。



 レースも終わり、オーソドックスなトマト投げも済んで、『ラ・トマティーナ?』は後夜祭に入っていた。ビニョールの町には観光客が溢れている。
 広場の露店では、コッパー工房の店先でマードックが熱演しながらトマト石鹸を売っていた。
 『トマティーナ・レース』優勝チームの店ということで人々が覗いていく上、トマトの声真似が意外にウケて、石鹸はそこそこに売れている。露店の中では精算するダニエルと、商品を袋に詰めて渡すフェイスマンも忙しそうだ。
 そこへコングが紙皿を両手に乗せて戻ってきた。皿の上に山盛りになっているのは、グラハム商店のハムにサラミ、ボイルしたソーセージである。
 それを見たフェイスマンが目を丸くする。
「何、そのハムの山。いくらお祭りだからって買いすぎだろ!」
「いやいや、買ったのはソーセージ5本だけだ。後はサービスしてくれたんですよ。」
 コングの後ろから歩いてきたハンニバルが答える。紙コップのビールを手にご機嫌である。
「食ってみな、グラハム商店のハム。こいつがまた美味えんだ。」
 既に摘まみ食いをしたらしいコングが胸を張る。
「一段落ついたら貰うから! 取っておいてよね!」
 念を押すフェイスマンの目は真剣だった。しかし、すぐに客の対応をする羽目になり、商売に戻っていく。
「すげえな。別にこれ以上いい場所を狙う必要なかったんじゃねえのか?」
 感心したようなコングの呟きを耳敏く聞きつけて、ダニエルがキッと顔を上げた。
「来年もレースと店番の助っ人に来てもらわないと困ります。バイト代、弾みますから。」
「もちろん、そのつもりだから。」
 フェイスマンとダニエルはすっかり意気投合している。今回の取り分についての話し合いは円滑に行われたらしい。
 ハンニバルが咳払いをひとつした。
「あー、俺たちグラハム商店からも同じことを言われたんだが……。」
 その肩をコングががしっと掴み、無言で首を横に振る。そして、振り返ったダニエルにニヤリと笑って親指を立てて見せたのだった。
【おしまい】
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