脱水! 乾燥! 灼熱砂漠で夜のお仕事
伊達 梶乃
「な、何だとォ? 俺が、か?」
 コングの戸惑った怒声(いや、怒ってはいないか)が部屋中に響き渡った。ここは、ロサンゼルス郊外にあるボランティア団体の会長さんちの応接間。コングの周りには、ボランティアのおばちゃん連中がわらわら。
「ええ、いきなりのことで申し訳ないとは思いますが、バラカスさん以外誰も、そういった知識がありませんもので……。」
 ボランティア団体会長のブリットン夫人は、ロイヤルコペンハーゲンのティーカップを弄びながら口篭もった。おばちゃん連中も、そうそう、と頷いている。
 説明せねばなるまい。このボランティア団体はロサンゼルス市民に健全なる市民生活をエンジョイしてもらうべく、公共の場の清掃はもちろんのこと、高齢者の生活支援やベビーシッターの育成と派遣、各種の生涯教育なども行っているのだ。毎年、夏に大盛況なのが、子供を対象とした「親子で参加する自由研究講座」だ。その中の1つ、「廃油から石鹸を作ろう!」の講師が、交通事故に遭って全治1年半の重傷を負ってしまったのだから、さあ大変。既に参加希望者の申し込みは多数あり、今更「講師の都合により開講いたしません」と通達するのも格好が悪い。かと言って、今から代理の専門家を探そうにも、当てがない。そこで白羽の矢が立ったのが、最近ボランティア団体の手伝いをするようになった力自慢のバラカス氏。彼は身元不詳なれど、心優しく、子供の扱いも上手く、器用で、案外博識だ。期待のルーキーと言ってもいいだろう。実際、「親子で参加する自由研究講座」のうち、工作系のものはバラカス氏担当となっていた。牛乳のボトルで作る潜水艦、カセットテープで作るラジオ、ランチボックスで作るトースター、足踏みポンプ式冷蔵庫、スニーカー・カー等々、どれも面白そうだ。
 しかし、石鹸作りは工作とはわけが違う。そこのところさえ区別できないブリットン夫人その他大勢。
「俺だって、石鹸なんざ作ったことねえぜ。」
「私だって、ありませんわ。どうして油から石鹸を作れるんでしょうねえ。石鹸は油汚れを落とすんでしょう?」
「そりゃあ、あれだ。ハイスクールで習っただろ。油がグリセリンと高級脂肪酸のエステルだから、それを水酸化ナトリウムか何かで鹸化してやりゃあ、高級脂肪酸の塩ができて、それが親水性と疎水性の両方を持つんで界面活性剤になるってえ寸法だ。」
 ぽかーんとしているブリットン夫人を始めとしたおばちゃん連。
『ダメだ、こりゃ……。』
 コングは心の中でそう呟くと、大きく溜息をついた。



「どうやって廃油から石鹸を作るのか、調べてくれ。」
 アジトに帰り着くなり、いそいそと身支度をしていたフェイスマンの首根っこを掴まえて、コングはお願いした。首根っこを掴まえるのは一般にはお願いする態度じゃないけど、もう一方の手がグーになっていないため、フェイスマンはこれを“お願い”と見なし、優しく問うた。
「一体どうしたっての、急に石鹸なんて。」
「かくかくしかじか、ってわけで、今度の日曜に俺が講師を務めなきゃなんねえんだ。」
「日曜ね。OK、それなら間に合う。」
「間に合う? 石鹸の作り方は今日のうちに知りてえんだ。1回は自分で作ってみてえしな。」
「石鹸の作り方は、モンキーに聞くといいよ。奴さん、病院で習ったんだって。ほら、これ見て。」
 とフェイスマンが懐から出したのは、陸軍退役軍人病院精神科の『今月の催し物』の予定表。と言っても、先月のものなのだが。その表に「廃油石鹸」の文字が。
「そんなら、すぐさま、あの馬鹿を連れ出してきてくれ。……で、“間に合う”ってのは何だ?」
「うん、仕事の依頼が入ってるからさ、急ぎのやつ。今度の日曜までには終わるよ、きっと。じゃ、俺、行ってくる。」
「何だ、依頼人を拾いに行くのか?」
「依頼人は、もう来てる。キッチンでハンニバルとお茶飲みながら話してるよ。」
「そうか。ってこたあ、馬鹿猿を連れ出しに――
「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」
 無施錠だった玄関ドアをバーンと開けて、マードック登場。
「呼んだ? 呼んだ? オイラのこと呼んだっしょ?」
 おらおら、うりうり、と肘でコングのことを突っつくマードック。
「ほーら、言ってみんさーい。オイラのこと必要としてるんっしょー?」
 コングの額に怒ってるマークが浮かび上がったが、コングはギリッと奥歯を噛み締めて、怒っているマークを鎮めた。
「ああ、ちっと力を貸してもらいてえんでな……。」
「やっぱし! コングちゃんの願いがオイラをここに瞬間移動させたんだ!」
「2階のベランダから雨樋を伝って玄関まで、ね。」
 しれっとフェイスマンが言う。
「見えてた?」
「ずるずる下りてくるの、鏡に映ってた。オランウータンを飲み込んだボアかと思っちゃったよ。昼寝はもういいの?」
「コングちゃんが何か困ってるってのに、昼寝なんてしてられねって。」
 因みにマードックは、コングがブリットン夫人に呼ばれている間に、フェイスマンの手により連れ出され済みでした。だって、急ぎの仕事だしね。
「俺は調達に行ってくるから、モンキー、コングに廃油石鹸の作り方を教えてやって。よろしく。」
 チャッと片手を挙げて、フェイスマンは外に出ていった。
「廃油石鹸? また何で?」
「いろいろとワケがあんだ。」
 どことなくしょんぼりしているコングに、テンションが上がっていたマードックも落ち着かざるを得なかった。



 リビングルームのローテーブルを挟んでソファに腰を下ろしたマードックとコング。
「メモの準備はよござんすか?」
「おう。」
 コングは電話の横にあったチラシ束withボールペンをがっと掴んで、自分の前に置いた。
「廃油石鹸を作るのに必要なもの。廃油、水酸化ナトリウム別名苛性ソーダ、水、以上。」
「何だ、簡単じゃねえか。」
 さらさらとペンを走らせるコング。いや、さらさらじゃなくてゴリゴリ?
「次、必要な器具。1クォートの牛乳のポリボトル、ボトルが浸かるサイズの鍋、スプーン、秤、ビニールテープ、鋏、以上。」
「全部あるぜ、楽勝だな。」
 秤も持ってるんだ、Aチーム。へー。
「作り方。4オンスの水をボトルに入れ、2オンスの水酸化ナトリウムを2回に分けて加え、その都度、振り混ぜて溶かす。この際、発熱するので、鍋に水を張って、ボトルを冷やす。室温くらいにまで冷めたら、0.4クォートの廃油を加え、ボトルの蓋を閉め、ビニールテープで蓋をぐるぐる巻きにして、15分間シェイク。その後は、休み休み、さらに15分間シェイク。そのまま1カ月間放置。」
「1カ月だと? すぐにできんじゃねえのか?」
 It's so easyとか呟いていたコングが、いきなり吠えた。
「1カ月寝かせなきゃなんないんよ。オイラも先月作って、この間ようやくボトルを切って中身を出したんだけど、まだ軟らかかったんで、切り分けて干してある。」
「仕方ねえな、ボトルに入ったまんま、持って帰ってもらうとするか。で、その石鹸、使えんのか?」
「まだ使ってねっけど、無理じゃん? 魚臭かったし、この辺の水じゃ無理無理。軟水器使ってんならともかく、普通の水道水じゃ使えねえよ。」
 そう、ロサンゼルスの水道水は硬水なのだ。(そこそこの軟水というデータもあったけど、見なかったことにする。)硬水では石鹸は使えない。なぜなら、石鹸が水中のカルシウムイオンと結合して、不溶性の高級脂肪酸カルシウムになってしまうからだ。水中のマグネシウムイオンも然り。
「じゃあ何で石鹸なんか作ったんだ、てめェ。」
「知らねえよ、オイラが作りたくて作ったんじゃなくって、病院のイベントで作らされただけなんだから。」
「そもそも、何で廃油を石鹸にする必要があんだ? 使えもしねえ石鹸作るくれえなら、廃油でランプ作った方がマシじゃねえかよ。」
「バーベキューの燃料にするとかね。」
「つーか、ディープフライに使った油は、悪くなんねえうちに炒め物に使え!」
「てかさ、家でディープフライ作る?」
 マードックの言葉にハッとして、コングはブンブン振っていた拳を止めた。
「……そんなにやらねえよな、ディープフライ。」
「大概、買ってきちゃうもんねー、チキンとかドーナツとかはさ。」
 店の少ない田舎は別として、都会ではちょっと行けばフライドチキン屋もドーナツ屋もある。テンプラ屋だってある。ファラフェル屋、っていうのはないけど、ピタサンドの店では大概ファラフェルを扱っている。フランス風デリには、クロケットもある。フライドポテトはハンバーガー屋に行けば漏れなく買える。冷凍のものをマイクロウェーブ・オーブンでチンすれば出来立てフライドポテト、というのも各種売っている。
 コングは自分が代理を務めなければならない講座について、“各家庭で捨てられる運命にある廃油を持ち寄り、それを石鹸にし、有効利用する”というコンセプトだと理解していたのだが、各家庭に廃油があるかどうか定かでなく、石鹸を作ったとしてもこの界隈では使えない。となれば、どうすればいい? 廃油は手に入るのか? 作った石鹸はどうする?
「病院ではさ、病院のキッチンで溜めてあった廃油を使ったんだけど、それでも足りなくて、ドクターが個人経営の店に廃油をくれって言って回ったらしい。何でも、チェーン店は使った油の量も管理されてて、廃油も回収されるんだってよ。チャイニーズの店なら廃油が多いだろうと思って行ったのに、話が通じなかった、ってドクターが嘆いてたぜ。」
 精神病患者にグチるドクターもどうかと。
「油が欲しいなら、あげるわよ。」
 バーンとキッチンのドアを開けて出てきたのは、年配のご婦人。中肉中背、ブラウンのマッシュルームカットだが前髪をバレッタでグイッと上げ、顔の皺は年齢を感じさせるものの、背筋もしゃんとしており、全体的にスポーティーでアクティブな雰囲気を醸し出している。その後ろから現れたのは、多肉白髪ハンニバル。
「紹介しよう、マダム。Aチームのメンバー、コングことB.A.バラカス。メカと肉弾戦が専門。好物は牛乳、苦手なのは飛行機。こっちは、モンキーことH.M.マードック。奇才パイロットだ。好物はリコリスレース、苦手なのはミントジェリーとザザムシ。」
 何、その設定。しかし異論はなかった様子。
「こちらは、今回の仕事の依頼人、ミセス・エマーソン。」
「ベッツィ・エマーソンよ。好物はオレンジのタルト、苦手なのは虫全般。よろしくね、コング、モンキー。」
 握手を交わす3人。コングとモンキーは握手しないが。
「スミスさんにはお話したけど、うちはオリーブ農家なの。売るに売れないオリーブオイルなら、全部差し上げるわ。」
「よっしゃ!」
 ガッツポーズを取るコング。
「でもそれも、オリーブを収穫してから。」
「もしかして、今回の仕事って、それ?」
 不服そうな顔でマードックがハンニバルに尋ねる。
「それもあるが、それだけじゃないですよ、むふふふふ。」
 ミセス・エマーソンの話は、こうだ。
 ここから車で2時間強、サンガブリエル山脈の向こう側、パームデールの東に、エマーソン夫妻の営むオリーブ農園がある。1980年代当時、カリフォルニア州、いやアメリカ国内には、まだオリーブ農園は数少ないため、イタリアとギリシアからオリーブの苗を取り寄せ、手探りで今までやって来て、やっと数年前から良質のオリーブオイルとオリーブの実を生産・販売できるようになった。稀少な国産オリーブオイルで味も香りも極上とあって、西海岸の美容と健康を重視するセレブたちの間で大好評。オイルも実も飛ぶように売れ、常に在庫は0。希望小売価格はオイル1クォート10ドル程度なのに、裏では300ドルという油とは思えないような値段で取引されているらしい。かと言って増産はできないため、余計に闇価格が上がっていく。
 そんな状況を知ってか、何者かが農園主、即ちエマーソン氏を襲った。と言っても直接攻撃してきたわけではなく、オリーブ収穫の際に使う脚立に小型爆弾が仕掛けられ、爆発によって足の折れた脚立から落ちて、エマーソン氏は骨折。現在、入院中。それだけでなく、「エマーソン農園を手伝ったなら、よくないことが起こる」といった旨のチラシが近隣の町に撒かれる始末。
 本来ならオリーブの収穫は10月から11月にかけてなので、夏場に必要なのは週に数回の水やりくらいなのだが、今年は暑くなるのが早かったせいで花季が異常に早まり、既に実は熟し始めている。オリーブの実は、熟す前に収穫すればグリーンオリーブとして塩水漬けになり、完熟したものを採ればブラックオリーブの塩水漬けやオリーブオイルになる。エマーソン氏は、グリーンオリーブを収穫中に負傷したのである。そんなわけで、今年のグリーンオリーブは例年以上に稀少なものとなっている。
 つまり、ミセス・エマーソンがAチームに依頼する仕事は2つ。
 1つはオリーブの収穫。地面に落ちた実は一切使わず、木から直接手でもがなくてはならないので、大変な作業だ。普段は収穫期にメキシコ辺りからやって来る季節労働者にも収穫の手伝いを頼んでいるのだが、今はまだ季節労働者が来る時季ではない。木を揺らして地面に広げたシートの上に落ちた実を採る方法もあるが、それをしないのがエマーソン農園のこだわり。
 2つ目は、エマーソン氏を襲った犯人の特定と逮捕および取っちめ。もちろん地元警察も捜査はしているらしいが、進展の気配が見られない。本当に捜査をしているかどうかも怪しい。なぜなら、エマーソン夫妻は30年ほど前に越してきた新参者である上、町から少し離れた場所に農園・工場・家屋を構えているものだから、近隣の町の人々との交流も、買い物と収穫の手伝いを頼む以外ほとんどない。言ってみれば、エマーソン夫妻は近隣の町からよそ者扱いされている風なのであった。
「そりゃあひでえな、村八分じゃねえか。」
 エマーソン夫人から話をざっと聞いたコングが、掌に拳を打ちつけた。
「いえいえ、買い物も問題なくできるし、収穫の手伝いにも来てくれるから、村八分ではないのよ。ただちょっと打ち解けていないだけで。」
「収穫の手伝い賃をケチって恨まれてんじゃないの?」
 失礼なことを訊くマードック。
「時給8ドルは少なかったかしら? 大勢にお願いするから、それ以上はこちらがキツいのよね。」
「8ドルは妥当だと思うぞ。むしろ多いくらいだ。オリーブを摘むだけなんだからな。」
 そうハンニバルが言った時、表で車のエンジン音が聞こえた。
「お、フェイス、帰ってきたな。それじゃ早速、オリーブ農園に向かうぞ。」
「おう!」



 連なって走る紺色のバンと白いコルベット。無論、コルベットにはフェイスマンが乗っている。因みに、エマーソン夫人はヒッチハイクでロサンゼルスまで来たそうだ。
 バンの中では、フェイスマンが調達してきたものをマードックが分配中。
「コングちゃんの分の麦藁帽子、フェイスの分の麦藁帽子、俺っちの分の麦藁帽子、ほい、ハンニバルの分の麦藁帽子。」
「どうも。」
 後ろから差し出された麦藁帽子を受け取るハンニバル。
「コングちゃんの分の手拭い、フェイスの分の手拭い、俺っちの分の手拭い、ほい、ハンニバルの分の手拭い。」
「うむ。」
 後ろから差し出された手拭いを受け取るハンニバル。
「コングちゃんの分の軍手、フェイスの分の軍手、俺っちの分の軍手、ほい、ハンニバルの分の軍手。」
「……。」
 後ろから差し出された軍手を受け取るハンニバル。
「以上。」
「何だ、モンキー。フェイスが調達してきたのって、これだけか?」
「こんだけ。」
「水酸化ナトリウムはねえのか? 水酸化ナトリウムがなけりゃ、いくら油が手に入ったって石鹸作れねえだろが。」
 真剣に運転しながらも憤るコング。
「そんなことオイラに言われても……。」
 調達に行ったわけでもないマードックが責められるのも理不尽だが、調達に行きはしたけれど水酸化ナトリウムを入手するよう頼まれていないフェイスマンが責められるのも理不尽だ。
「あら、水酸化ナトリウムって、苛性ソーダのことよね? それなら工場にあるわよ。好きなだけ使って。」
 助け舟がまたもや出された。思いも寄らぬところから。
「何でオリーブオイル工場に水酸化ナトリウムがあんだ?」
 もしや石鹸も作ってるとか?
「オリーブの実の塩水漬けを作るのに、苛性ソーダを使うのよ。オリーブの実って、そのままだとアクが強くて食べられたものじゃないから、苛性ソーダでアク抜きするの。」
 へー、ほー、ふーん。そんな声が聞こえた後、車の中はすっかりと静かになってしまった。



 山脈を越えた先の町パームデールから、交通量の少ないハイウェイを走り、リトルロックの町を過ぎる。その先は、ハイウェイ沿いに背の低い樹木が規則的に植わっている畑がある他は、ステキなくらいに荒野が続いている。茶色い地面に、ポツリポツリと枯れ果てたブッシュ。そしてそのさらに先には、町と呼ぶには過疎感溢れすぎの集落。
「ここがペアブロッサム。」
 前方に目をやると、ハイウェイの右手には茶色い丘と言うか山、左手に大きな緑色の塊が見えた。当然、山よりは小さいが、ハイウェイ沿いにある緑色の物体の中では群を抜いて大きく多い。
「あの緑が、うちのオリーブ。手前の道を左に曲がって。」
 指示通りに曲がる。
「ふわあ、これがオリーブかあ。案外でっかいなあ。」
 子供のような感想を述べるマードック。
「オリーブが途切れたら、右へ。……で、そこを左。はいストップ。ここが駐車場よ。遠路ご苦労さまでした。」
 シートベルトを外す一同。既に車から降りたフェイスマンが、ハンニバルの脇の窓をノックした。その顔は、眉間に皺、眉はハの字、口はヘの字で少し開いてる。
「何て顔してるんだ、フェイス。」
 と、ドアを開けて、ハンニバルはその表情の意味を理解した。コングもマードックも理解した。暑いのだ、とにかく。夕方だというのに、涼しさの気配は全くない。開けたドアから、熱気がぼっはーんと襲ってくる。地平線のちょっと上に出ている太陽から、高温の何かが直接放たれてこっちにぶち当たっているとしか思えない。
「なァんて暑さだ。」
 既に額を汗が吹き出て、コングは手の甲でそれを拭った。
「こりゃあ100度超えてるんじゃないか?」
 因みに、華氏100度ね。摂氏にしたら38度弱。摂氏で100度超えてたら、そりゃもう大変な事態だね。
「だから、今年は暑いって言ったじゃないですか。」
 いきなりげんなりぐったりしているAチームを見て、エマーソン夫人が呆れたように言う。こんな暑い中で毎日を送っているんだもの、エマーソン夫人は。
「汗は出るけど、空気が乾燥しているから、すぐに乾くわ。」
 そう、この辺りはモハーヴェ砂漠のすぐ傍。ほとんど砂漠と言っていいくらい。じっとり暑い東洋の島国の夏とは違って、乾燥しているのだ。
「そうか、ってことは、夜は涼しいんだ。」
 嬉しそうに言うマードック。その通り、砂漠の夜は涼しい。むしろ肌寒い。
「夜は涼しくたって、今は暑いよ。」
 ピシッとサマースーツ姿だったフェイスマン、コンパチの幌を開けっ放しだったせいで、髪はボサボサの上に額に貼りついており、淡いブルーのスーツはヨレヨレ、しかも砂に塗れている。顔も砂でザラザラ。
「それじゃ早く家の中に避難しましょう。」
 車を降りて、すたすたと早足で歩くエマーソン夫人の後ろを、「うへえ」といった表情でついて行くAチーム一同であった。



 エアコンのおかげで涼しいリビングルーム。そこで4人は冷たいレモネード(コングは牛乳)を振る舞われていた。年代物らしきエアコンが嫌な音を立てているが、気にしないことにする。
「変なチラシのせいで、雇っていた従業員が誰も来なくって、何かと不便はあるかもしれないけど、自分の家だと思って自由にして下さいな。」
 エマーソン夫人はそう言ったが、言われる前からだいぶ自由にしているAチーム。コングは床に胡坐をかいて座り込んでいるし、フェイスマンは上着とネクタイを椅子の背にかけてキッチンで顔を洗ってきた後、顔も拭かずにエアコンの風の直撃を自ら受けているし、ハンニバルはソファにふんぞり返って葉巻の煙を燻らせているし、マードックはローテーブルの上でサンマの開きみたいになってる。
「フェイス。」
「うん?」
 ハンニバルに声をかけられ、フェイスマンは振り返らずに短く返事をした。
「何て言ったかな、あの、頭につける懐中電灯みたいなライト。ヘッドライトか? あれを4つ。」
「了解。でも時間かかるかもしんないよ。」
 リトルロックはそこそこの大きさがある町だが、全く知らない町ではどこに何の店があるのか見当がつかない。って当たり前か。すずらん商店街とかリトルロック銀座でもあればわかりやすいんだけどね。かと言って、ペアブロッサムの方は、どこに何の店があるのかわからない上に、店があるかどうかも怪しい。パームデールまで行けば、大概のものは揃いそうだが、ちょっと遠い。
「リトルロックに行けば、確実に電気屋はあるわよ。」
 電気屋と言っても町の電気屋なので、電球と電池以外の在庫を期待してはいけないのだが。
「大佐、ヘッドライトなんてどうすんの? 洞窟探検にでも行く?」
「ヘッドライトを着けて、夜の間にオリーブを収穫する。」
「なるほどな。昼間じゃあ暑くって、やってられねえもんな。さすが冴えてるぜ、ハンニバル。」
「いやあ、それほども。」
 暑い時は働かない。その方針に心底同意したフェイスマンは、俄然やる気を出し、髪を整えた。
「じゃあ俺、行ってくる。」
「ほい、行ってらっしゃい。」
 暑い外へ出て行くフェイスマンに、3人は手を振った。
「私も出てきていいかしら?」
 エマーソン夫人がハンニバルに尋ねた。
「うちの人に、着替えを持っていかなきゃならないのよ。」
 お忘れかもしれないが、ミスター・エマーソンは入院中。病院の場所はパームデールでしょう。リトルロックにも病院はあるだろうけど、入院設備までは望めない。かと言って、ペアブロッサムの方は……推して知るべし。
「どうぞどうぞ、行ってらっしゃい。何だったらあたしも行きましょうか?」
 Aチームのリーダーとして、ご挨拶に。
「いえ、多分あの人、スミスさんにみっともない姿は見られたくないんじゃないかしら。」
「あれ? 大佐、お知り合いだったん?」
「いや、記憶にないが……。」
「その昔、うちの人が軍にいた時、同じ隊になったことはなかったけれど、憧れの上官だったんですって。若いのにメキメキ昇進して、それでいて、よくいる石頭の軍人とは違っていて。」
「む、ちょっと待てよ。ってことは、エマーソン氏は俺より年上か。」
「だと思います。ほんの幾つかでしょうけど。」
「俺がメキメキ昇進していた頃、俺より年上で、階級は下で、俺のことを悪く思っていなかった奴って言ったら少ないぞ。」
 恐らく、そうでしょうな。
「エマーソン、エマーソン……。」
 記憶の引き出しをほじくり返す。
「エマーソンって、あれか。議員の次男坊。」
「そう、それです。よく覚えていらっしゃいましたね。」
「議員の次男坊が何でオリーブ農園やり始めたんだ?」
 この質問は、byコング。
「あの人、政界のことはお兄さんに任せて、軍を出てからは輸入食品の商社に勤めていたんですけど、元々園芸が趣味で、ある日突然“これからはオリーブだ”って。“オレンジが育つならオリーブだって育つはずだ”、それが彼の持論です。あ、話が長くなりましたね。いい加減、行かないと。お腹が空いたら、キッチンにあるもの、適当に食べていて下さいな。」
 掛け時計に目をやり、エマーソン夫人は話を切り上げて、リビングルームを出ていった。



 フェイスマンが戻ってきた時、ハンニバルはポテトチップスをバリバリ食べながらテレビを眺めていた。ローテーブルの上には、空になったビーフジャーキーの袋も見える。
 キッチンでは、コングとマードックが真剣に話し合いをしながら食事中。議題はもちろん石鹸について。食べているものは、オリーブオイルと塩をつけたバゲットと、オリーブの実の塩水漬けとチーズ、角切りハム、ダイストマトをレタスに盛ったサラダ。エマーソン農園のオリーブオイルとオリーブの実の闇取引価格を知っているフェイスマンは、そこで無造作に食べられているものの値段を考え、気絶しそうになった。
 しかし、気を取り直して、荷物をリビングのローテーブルに置く。
「ただいま。ヘッドライトは2つしか手に入らなかったんで、あとは懐中電灯2つで何とかして。それと、電池ね。」
「ん、ご苦労。ときにフェイスや。」
「何? まだ何か必要なの? 言う時は一度に言ってよね。」
「オリーブ摘みと聞き込み、どっちがお好みかな?」
「聞き込みって、今から? もう8時過ぎてるんだけど?」
 と、腕時計に目をやる。
「だからパブとか。」
「あ、そうか。リトルロックに何軒かあったから行ってみる。集落の方も回ってみるよ。爆弾を仕掛けた犯人を捜せばいいんだね?」
「それと、チラシを撒いた犯人。チラシを作った犯人でもいい。」
「了解。でも、ちょっと休ませて。」
 そう言ってソファに腰を下ろすと、フェイスマンはキッチンを振り返った。
「モンキー、アイスコーヒーくれる? それと、何か簡単に食べられて腹に溜まるもの。ハムとチーズのサンドイッチなんかがいいなあ。」
「ホットコーヒーとパイナップルならすぐにお持ちしますが?」
「第2案とかない?」
「ビールとガルバンゾーの水煮。ただし飲酒運転禁止。」
「じゃあ、ホットコーヒーとガルバンゾーの水煮、お願いします。」
 それから5分後、納得行かないもので腹を満たしたフェイスマンは、聞き込みに向かっていったのであった。でもガルバンゾー、美味しいよね。



〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉
 頭にヘッドライトをつけるハンニバル。帽子の上にヘッドライトをつけるマードック。麦藁帽子(左右に懐中電灯を括りつけ済み)を被り、首に手拭いをかけるコング。3人とも、ショルダーベルトつきの籠をたすきにかけ、両手に軍手を填め、各々が脚立を持つ。その姿でオリーブ園の中にずんずんと入っていく。
 夜道を車で走るエマーソン夫人。助手席には、洗濯物(旦那のパンツとか)。
 リトルロックの町でパブに入り、笑顔で警察手帳っぽい手帳をサッと出してバッヂっぽいものをサッと見せて手帳をサッと引っ込めるフェイスマン。徐に別の手帳を取り出して、店主に質問し、返事をメモる。何だ何だと寄ってくる他の客たち。
 ガッと脚立を開き、登り、オリーブを摘み始める3人。軽く引いて取れる黒い実をもぎ、そっと籠に下ろす。延々と無言でその作業を続ける。
 戻ってきたエマーソン夫人、農園の方で小さな光が4つ見えるのを確認し、洗濯物を持って、洗濯機のある方へ向かう。
 パブの客たちにビールを奢りつつ、話を聞き出すフェイスマン。彼自身は何も飲んでいない。
 籠に半分くらいの量が溜まったオリーブを、工場へ持っていくコング。そこでは既にエマーソン夫人が機械に対峙していた。指示された機械の中にオリーブを入れる。オリーブはその機械の中で洗浄され、ピカピカになってベルトコンベアに乗って次の機械へ。ここでオリーブは切り刻まれ、擂り潰される。機械の下の方から容器の中へ、ポタポタと汁が出てくる。エマーソン夫人と顔を見合わせて頷くコング、籠を持って再度オリーブ林の方へ。入れ代わりにハンニバルが籠を抱えて入ってくる。
 パブの客たちと肩を組み合って楽しげに体を揺らすフェイスマン。アルコールは全く入ってません。
 脚立の上で、こっくりこっくりしているマードック。落ちそうになって目を覚ますと、頭を振って眠気を飛ばし、オリーブ摘みに専念するものの、またもやうとうとし始める。空の籠を持って戻ってきたコングに足を叩かれ、下を見る。コングから何やら指示を受ける。それに頷き、歌を歌い始める。
 ボサボサヨレヨレになって、次のパブへと移動するフェイスマン。さっきと同じことを繰り返す。
 上澄みが緑色のタンク(1番搾り)と上澄みが黄色のタンク(2番搾り)を棚に移動させるエマーソン夫人。日付・時間・種別を書いたタグを下げて、額の汗を拭う。
 東の方から、空が明るくなってきた。ライトを消し、オリーブを摘む手を速める3人。オリーブ林の下では、手の空いたエマーソン夫人が、地面に落ちたオリーブの実を慣れた手つきで拾っては背負い籠に投げ込んでいる。
 次第に太陽が昇ってきて、日光がジリジリと照りつけてきた。しかし、まだ何とか空気は涼しい。目を細めながら、行けるとこまで行ってやろうじゃないの、という表情の3人。コングは手拭いを頭と顔に巻いた。ハンニバルは麦藁帽子を装着。マードックは額にコパトーン塗布(帽子被ってるのに)。
 午前9時、軒先の寒暖計を目にしたエマーソン夫人により、ストップがかかる。現在気温、華氏105度。摂氏で言ったら40度強。ちょうどフェイスマンも戻ってきた。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 リビングルームまでゾンビのようにヘトヘトと歩いてきて、ばったりとソファに倒れ込んだ4人。リビングルームは閉め切ったカーテンとエアコンのおかげで実に涼し……いや、そんなでもない。しかし、外よりはマシ。
「結構しんどかったな。」
 百戦錬磨の強者たちのリーダーもぐったりだ。暑さで顔が真っ赤だし。
「ああ、暑いのも何だったが、腕がだるくってしょうがねえや。」
 1人掛けソファにうつ伏せ状態で斜めになっているコングが、ぐるぐると腕を回す。
「頭ん中、真っ白〜。目の前、真っ白〜。何もかもが真っ白だ〜い。」
 貧血なのか熱中症なのか日射病なのか網膜がやられたのか。脳味噌がやられているのはいいとして。
「ゴメン、まだリトルロックの2軒しか回れてない。もうクタクタ、って言うか、眠い……。」
 何とかソファに座っている姿勢だったフェイスマンが、コテンと横に倒れた。図らずも、そこはハンニバルの腿の上。
「上官の膝で膝枕たぁ、ちょっと許し難いん……。」
 ソファにふんぞり返った体勢だったハンニバルも、そのままカクンと首を後ろに倒して寝入ってしまった。
 すっかり静かになったリビングルームの電気を、エマーソン夫人が「あらあら」と呟きながら消し、彼女は2階の自室へと向かっていった。
 そして、それから4時間後。時刻は13時を回ってしばらくした頃。1日の中で最も暑い時間。
 ガー、ゴー、ガー、ゴー、ガ、ゴウンゴウンゴウン、ガゴゴゴゴゴ、プシュー……。
 エアコンが超嫌な音を立てて止まった。
 15分後。
「もわっちい!」
 コングがガバッと起きた。鼻息ムハームハーで、汗びっしょり。
「……暑いよ、ハンニバル、エアコン点けて……。」
 ハンニバルの膝をペシペシ叩くフェイスマン。
「うむ……エアコン……リモコン……。」
 ハンニバルの手が宙を彷徨う。
「ぷすー……蒸すー……ぷすー……蒸すー……蒸せー……って俺、蒸されちまうよ!」
 ビョーンと飛び起きるマードック。
「よかった〜、蒸されてねえわ。暑いだけじゃん。ねえ、コングちゃん?」
 と、エアコンの下のコングに声をかける。薄暗がりの中、コングはエアコンのスイッチをカチカチやっているところだった。しかし何も反応がないとわかると、エアコンの側面をバンと叩いた。プシューとも言わない。
「壊れやがったぜ、畜生。」
「エアコンが壊れたって?!」
 ここで飛び起きたのはフェイスマン。その揺れで、ハンニバルも覚醒した。
「エエエエアコンがここここ壊れたら、こここの暑さの中で、どどどどどどどうしたら?」
 フェイスマンはかなり取り乱している。どのくらい取り乱しているかと言うと、ハンニバルの上に跨った上、胸倉を掴んで揺さぶっているくらい、取り乱している。
「簡単なことじゃないですか。」
 ニッカリとフェイスマンに笑って見せるハンニバル。
「フェイス、お前は町に行って、新しいエアコンを手に入れる。いいな?」
「うん、わかった。」
 ハンニバルのシャツから手を放し、洗面所に向かうフェイスマン。
「コング、お前はこのエアコンを直す。できそうか?」
「開けてみなきゃわかんねえが、やってみるぜ。」
 早速、コンセントからプラグを抜き、工具を取りにバンへ向かうコング。
「モンキー、お前はあたしと一緒に、万が一の場合に備えるぞ。」
「ラジャー。」
 万が一の場合に備える、って、何すんだろ?



〈Aチームの作業テーマ曲、再びかかる。〉
 幌をぴったりと閉じたコルベットをリトルロックの町に向けて走らせるフェイスマン。車の中はエアコンのおかげで快適。問題は、このコルベットにエアコン本体と室外機が載るか、だ。
 壁からエアコンを取り外すコング。ダクト類を抜き忘れていて、あたふたする。
 ガラクタを拾い集めるマードック。バンの後部の小物機械類を漁るハンニバル。
 電気屋で店員とお喋りしているフェイスマン。トホホな表情になり、急いで店を出て車に乗り込む。
 無事、床に下ろせたエアコン本体を解体するコング。テスターで回路部分をチェック。眉間に皺を寄せる。
 炎天下、何やら金属同士を熔接するマードック。コングの真似も交えながら。
 蒸し暑いキッチンで、何やら金属同士を半田づけするハンニバル。リード線も半田づけする。
 荒野の中の倉庫に忍び入り、目当てのものを探すフェイスマン。無論、倉庫の中も激しく暑い。風が入ってこないので、汗がだらだら出る。
 表に出て、室外機を分解するコング。壊れた箇所を発見し、ニヤリとする。
 熔接が楽しくなっちゃってる風なマードック。あれこれくっつけたり切り落としたり。
 半田づけが楽しくなっちゃってる風なハンニバル。あれこれくっつけたりテーブル焦がしたり。
 コルベットの助手席にエアコン本体と室外機を積み上げ、シートに紐で括りつけ、しかしそれだと幌が閉まらないことに気づき、愕然とするフェイスマン。
 お互いの作ったものを持ち寄り、合体させるハンニバルとマードック。2人とも満足そうだけど、それはオブジェでしょうか?
 室外機を元通りにし、エアコン本体も元通りにしたコング、プラグを挿して、スイッチを入れて、冷気が吹き出してきたのを確認し、ガッツポーズ。
 そこに、汗だくのフェイスマンが新しいエアコンを運び込む。空いている壁面を指差すコング。頷くフェイスマン。
 ハンニバルとマードックの作り上げたものがリビングルームに運び込まれ、プラグを挿して、スイッチオン。因みにスイッチ部はミキサーのそれだったもの。なかなかの高速で羽らしき物体がぐるぐると回り、風を発生させる。どうやらこれは扇風機のようだ。拳を突き合わせるハンニバルとマードック。
 コングとフェイスマンが、新しいエアコンの設置を終えた。それからコングは玄関脇のブレーカーボックスを開け、ちょちょいと細工をし、蓋を閉めると、フェイスマンに親指を立てて合図をした。フェイスマンが新しいエアコンのスイッチをオン。冷たい風が吹き出し、フェイスマンもコングに親指を立てて見せる。
 エアコン2台と扇風機のようなもの1台が稼動する涼しい部屋、爽やかな表情の面々。ハンニバルは満足げに頷くと、電気のスイッチをオフにした。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 二度寝を楽しんだAチームが起床したのは、すっかりと日が落ちた後だった。部屋はキンキンに冷え、寒いくらいだ。リビングルームの物音に、食事ができていることを伝えようと入ってきたエマーソン夫人の第一声は「何これ寒いじゃないの、あらエアコンが増えてるわ」だった。
 Aチームがエアコンのことでごたごたしていた間にも寝ていたエマーソン夫人は、Aチームが二度寝している間に起きて、食べ物を買い出しに行き、食事の準備を終え、今に至る。本日の献立は、チリコンカルネとベイクドポテトとサラダ。サラダの中身は、オリーブの実とアスパラガスとカリフラワーとブロッコリーとマッシュルームとトマトとインゲン、それにベーコンとオニオンを炒めたドレッシングがかかっている。デザートは、パイナップル。
「よし、早速いただこう。天にまします我らの父よ、いただきます!」
「いただきます!」
 24時間ほど前に簡単な食事しかしていなかった4人は、ひたすらに無言で食べた。ガツガツと。もう、食べるか オア ダイって感じで。チリコンカルネ、美味しいもんね。ピーマン入れるとさらに美味。
 食後、フェイスマンはシャワーを浴びてから聞き込みの続き。残る3人は、どうせまた朝に汗をかくだろうので、シャワーは仕事の後にして、オリーブ摘みに。エマーソン夫人は旦那の見舞いに。
(昨日と同じ作業ですので、〈Aチームの作業テーマ曲、かかる。〉から〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉までを、もう一度お読み下さい。ただし、マードックも、今日は眠くなりません。最初から歌います。それと、フェイスマンはペースアップして、ペアブロッサムの酒場まで回り終えました。)



 昨朝の失敗で学習したAチームは、暑くなる前に作業をおしまいにし、リビングルームに戻った。そして階級順にシャワーを浴びる。
 台所に作ってあったサンドイッチ(中身はパストラミとクレソンとスライスオニオン、味つけはオリーブオイルと塩)を食べていると、フェイスマンが戻ってきた。まだ全員、余力がありそうなので、報告会と相成った。
「リトルロックのこっちに近い辺りでは、このオリーブ農園のことは知られてたけど、反対側では全然無名だった。最近有名になってきた国産オリーブオイルがこの近辺で作られてる、ってのを雑誌やニュースで読んで知ってる程度。ま、そんなのは放っておいて、ここのことを知っている面々に重点的に話を聞いたところ、これが何と、すごく心配されてた。」
「心配だと? 何でだ?」
 唇からパストラミを垂れ下がらせて、コングが訊く。
「エマーソン氏が怪我をして入院してること、脅迫めいたチラシが撒かれたこと、そのせいで従業員が来なくなってること、エマーソン夫人1人で今何とかしてること、熟したオリーブが地面に落っこっちゃってること、みんな引っくるめて心配されててさ。俺、警察の振りしてたんだけど、早く犯人を捕まえてくれ、って催促されちゃたよ、ハハハ。」
 何でそこで笑うの。
「で、ペアブロッサムの方だけど、こっちでも心配されてた。ここの従業員の男が偶然いてさ、パブに。あのチラシさえなければ、すぐにでも仕事に行くのに、おカミさんに申し訳ない、って言ってた。オリーブ摘みは、ペアブロッサムの子供たちや、仕事がない人たちのいいアルバイトだったんだって。事件が解決したら、すぐにでも手伝いに行く、って、みんな乗り気だったよ。でね、去年オリーブ摘みを手伝ったって人が、もうお爺ちゃんだったんだけど、わしたちの手で摘んだオリーブを、金持ちの舌の肥えた連中が美味いって言っとるんだ、知っとるか? って嬉しそうに自慢しててね。俺、ちょっとジーンと来ちゃったよ。」
「ふむ。思っていたよりも近隣の人たちに愛されてるようですねえ、この農園。」
 話を聞いていたエマーソン夫人は、嬉し泣きの真っ最中で何も言えない。
「ほんじゃさ、一体どこの誰がオヤジさんを怪我させて、怪文書を撒いたんよ?」
「それが、さっぱり見当がつかないんだよねー。怪しい人物も浮かび上がってこないし。」
「エマーソン氏が骨折して入院したことで利益を受けそうな者は?」
「思い当たらないよ、そんなの。だって、エマーソン氏が怪我させられて脅迫チラシが撒かれて、この農園はもちろん困ってるけど、周りの人たちも困ってるし、ここのオリーブオイルやオリーブが出荷されなかったら、小売店も困るだろうし、レストランなんかを含めた顧客も困るだろうし。オリーブオイルを輸入してる会社が多少潤うくらい? でもここの農園が出しているオイルや実の量って少ないから、だからこそ稀少なんだけど、ここの農園を潰したからって、輸入会社の儲けには大して影響しないよ。むしろリスクの方が大きくない?」
「エマーソンさん、何か恨まれるような覚えは?」
「……強いて言えば、ここに越してきた時に無理を言って上下水道と電気を引かせたんで、水道局と電気会社くらいじゃないでしょうか。」
 啜り上げながら、エマーソン夫人が答える。
「しかしそれは30年前のことだろう? もう時効だ。」
 ハンニバルの言う通り、30年前のことで今更腹いせ行動に出る奴もおらんだろうて。親の仇ならいざ知らず。
「他には?」
 問いかけに、ふるふると首を横に振る夫人。
「ううむ、行き詰まったな。」
 頷く面々。
「となると、これを待つしかないな。」
 ペシ、とハンニバルがテーブルに置いたのは、件の脅迫チラシ。『エマーソン農園を手伝ったなら、よくないことが起こる』というアレだ。
「これ、オリーブ摘みを手伝うと暑くて頭がクラクラするぞ、って忠告じゃん?」
 マードックの意見は、無言で却下された。
「あ、もしかして、エアコンが壊れたのって、これのせい?」
 確かにそれは、非常に“よくないこと”であった。
「いんや、人為的に壊されたモンじゃなかったぜ。経年劣化ってやつだ。」
 コングが自分より年上のエアコンを見上げて言う。
「よくないこと、早く起こってほしいですねえ。」
 ニカニカ笑いつつ、ハンニバルはそう言った。
 早く起こってくれないと、仕事が片づかない。オリーブは摘んでも摘んでもまだまだ実ってる。多分、本来の収穫期である11月を越えても実り続けるんじゃないだろうか、こいつらは。それに、現在3人でしか摘んでいないので、十分に熟したオリーブが次々に地面に落ちてしまっている。落ちた実も、エマーソン家用やコングの石鹸用に使われるので、決してもったいないわけではないのだが。
 コングも焦っていた。日曜日には石鹸作りの講師を務めなければいけないのに、まだ試作すらしていないのだから。(ここで皆さんは、ミスターTが焦ってうずうずしている演技をしているところをご想像下さい。)仕事が長引いたら、コングだけ日曜に一旦ロサンゼルス市内に戻ればいいとしても。
 長期戦はAチームの得意とするところではない。早く敵が行動に出てくれないと、痺れを切らせたハンニバルが何をし出すかわからない。ある意味、Aチーム、ピーンチ!



 それからハンニバルとフェイスマンは睡眠を取り、コングは眠い目を擦るマードックに無理を言って、作り立てのオリーブオイル(地面に落ちた実から取ったもの)を使った石鹸を作ることにした。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たびかかる。〉
 牛乳の空ボトルに水を量り入れるコング。Aチームの私物である電子秤を用いて。そこに、水酸化ナトリウムを量り入れるマードック。鍋に水を張り、ボトルを浸しながら、ゆっくりと攪拌するコング。それらの質量を記録し、室温や水温も記録するマードック。
 オリーブオイルを台所用計量カップを用いて量り、ボトルの中に注ぎ入れ、蓋を閉めてシェイクするコング。容積を記録するマードック、もう片手ではストップウォッチで時間を計る。
 15分シェイクした後、マードックが手応えを確認するために振る。苦い顔で首を横に振るマードック。さらにシェイクするコング。30分後、ボトルを光に透かしてみる2人。全く粘性が上がっていなくて、肩を落とす。
 マードックが書いた記録を前に、何がいけなかったのか討議する2人。うろ覚えの化学式と化学反応式を書くコング。「廃油→酸化」とか「酸素?」とか「鹸化価」とか「グリセリン:高級脂肪酸=1:3」とか「二重結合の数」とか「ヨウ素化」といった走り書きも見られる。その一方で、各種の条件(水酸化ナトリウムの量、油の量、温度)の表を書き出すマードック。納得したように頷くコング。異なる条件で石鹸を作り始める2人。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉
「やった、できたぜっ!」
 どろりとなったボトルの中身に、マードックがカパッと笑う。
「これか! この状態か!」
 初めての重い手応えに、コングも感動を覚えた。“こりゃあガキどもにやらせてみる価値あるぜ”と思ったほどだ。
「残り15分、時々シェイクして。あ、シェイクしすぎたら分離しちまうかんね。それで1カ月経ちゃあ石鹸の完成だ!」
「おう!」
 15分、慎重に、時々シェイクする。そして15分後、マードックにボトルを渡して、ちゃんとできているかどうかを確認してもらう。
「分離もしてねえし、いいんじゃね?」
「おっしゃーっ!」
 全身を使ったガッツポーズを取るコング。これで問題は1つ解決した。
「ところでコングちゃん、シカゴって硬水?」
 急に訊かれて、コングは記憶を遡った。子供の頃、石鹸を使った記憶はない。台所用洗剤も洗濯用洗剤も、ロサンゼルスで使っているタイプの合成洗剤だったはずだ。
「硬水だったと思うぜ。何でだ?」
「どっかが軟水だった気がするんよ。もちろんアメリカ国内でね。どっかで石鹸使ってた。ほら、依頼であっちこっち行くじゃん。なーんか、こういうので、こうやって皿洗いした気がすんだよね。」
 固形石鹸にスポンジをなすりつける動作をするマードック。Aチームの料理係でもある彼は、依頼人の家で皿洗いをすることも多い。実際、今回も結構皿洗いしてる。
「ニューヨークじゃねえか?」
「シスコかも。」
 答えは、両方とも、です。確か。
「それがどうしたってんだ。」
「軟水んとこなら石鹸使えるし、作った石鹸、そういうとこに寄付しちゃえば?」
「寄付か。完成した石鹸をまた持ち寄って、ニューヨークやシスコのボランティア団体に送って、使ってもらうってわけだな。」
「そうそう、ヘルパーのボランティアやってる人とか、スラム街んとことか、石鹸要るっしょ。」
「そりゃあいい、その線で行くぜ。」
 問題2つ解決。だが、既に外は暗い。オリーブ摘みの時間だ。
 寝なくて大丈夫なのか、コング! 今日こそ脚立から落ちるぞ、マードック!



 2つのヘッドライトと、麦藁帽子に括りつけた懐中電灯2本が、オリーブの木の横で灯っている。その高さは、地上から10フィート以上。脚立から落ちたら「痛い」じゃ済まない高さだ。現に、肋骨と鎖骨と上腕骨と肩甲骨を骨折して入院している御仁がいるくらいだ。加えて、脚立に引っかけていた足も骨折したと聞く。
「♪チラリラリラ〜、チラリラリラ〜リラ〜。」
 眠気覚ましのために高らかに歌うマードックの声。曲は、オリーブの首飾り。
 と、その時。
 ボン!
 小さな爆発音が聞こえた。
「うひゃうっ!」
 マードックにしては普通の悲鳴が挙がり、脚立がガッチャーンと倒れる。その天辺から投げ出されるマードック。頭からドスッと着地。常人なら頭蓋骨骨折か頭蓋骨陥没だ。その証拠に、ヘッドライトの電球は割れ、明かりが消えている。
「モンキー!」
 脚立からガチョガチョと降りてくる残り2名。ハンニバルと、エマーソン夫人?
「大丈夫か、モンキー!?」
 マードックの傍に駆け寄る。
「だいじょぶだいじょぶ、全然平気よ〜ん。」
 体はばったりと倒れたままだが、ハキハキとしたマードックの声が答える。ビバ、無傷!
「何でだ?!」
「知らん!」
「不死身?」
 聞き覚えのない声が微かに聞こえた。それも、3人分。
「コング! あっちだ!」
 ハンニバルが声のした方を指差す。母屋の2階ベランダでサーチライトならぬスタンドライトが灯り、ハンニバルが指し示した方向を何となくほんのり照らす。
「まずい、逃げろっ!」
 全身を土色の服に包んだ男3人が地面から起き上がり、舗装された道を走っていく。土肌の上では保護色で土と同化していたのだが、舗装された道路の上では目立つの何の。その後ろを、母屋の陰に隠れていたコングが追いかける。
「ぬおおおおおお!」
 コングは決して俊足ではないが、迫力はある。
「ひいいいいいい!」
 3人男も全く俊足ではなかった。
「うわ、前!」
「車、車!」
 そう、彼らの前方から、白いオシャレな車が迫ってきている。
「は〜い、そこの君たち〜、観念して止まりなさ〜い。」
 拡声器で甘く優しく告げるのはフェイスマン。
「どうする?」
「逃げる? 諦める?」
「僕、もうダメ。」
 1人が足を止めた。普段から運動不足なのだろう。あるいは喘息持ちか。
「じゃ、僕も。」
「うん、1人捕まったら芋づる式にみんな捕まるだろうし。」
 3人が3人とも、両手を挙げて、コルベットの前に並んだ。その直後、急に止まれなかったコングが真ん中にいた男に体当たりし、コングとコルベットの間に挟まれた男は「グエッ」と一声上げて失神した。



 エマーソン氏に怪我を負わせた犯人らしき人物を捕らえたものの、Aチームにはオリーブ摘みの作業がある。壊された脚立と、その上に乗っていた人形(スピーカーつき)は撤去され、2階ベランダに隠れていたマードックもスタンドライトを片づけた後、農園に下りてきてマイクをコングに返した。そして、2本のオリーブの木にそれぞれ2人ずつ向かって実を摘む。2本の木の間には、ロープでぐるぐる巻きにされ、土色のタコ帽子を剥ぎ取られた犯人3人が転がされている。もちろん、犯人たちのいる場所に落ちていたオリーブは回収済み。エマーソン夫人は、その周辺の落ちたオリーブを拾っている。
「何で爆弾がついてるってバレたんだ?」
 犯人の1人が訊いた。
「だって、脚立を使おうと思ったら、爆弾がついてるの見つけちゃったんだもん。」
 さも簡単に見つけたようにフェイスマンが言うが、見つけたのはコング。
「前と同じ手口なんだから、そりゃあわかりますともさ。」
「爆弾3つのうち2つは分解させてもらったぜ。」
 コングが指を4本立てて示し、その指でオリーブの実を3つ取る。
「だから1つしか爆発しなかったのか。」
「そんで、ラジコンの部品が起爆に使われてて、てめェらが近くに来なきゃ爆発させらんねえってのがわかったんで、隠れて待ち構えてたんだ。」
「コントローラー3つは回収した。証拠品として警察に渡すつもりだ。……そうだ、確認しておこう。前に脚立に小型爆弾を仕掛けて、エマーソン氏に怪我をさせたのも、お前たちだな?」
「ええ、まあ、うん、そうです。」
「はっきりしろィ!」
「はい、そうです! ごめんなさい!」
「チラシを撒いたのも僕たちです! ごめんなさい!」
「うむ。じゃあ次の質問だ。君たちは一体何者で、何で爆薬を仕掛けたりチラシを撒いたりしたのか。」
「僕はブーことジャック・ブールブラン、カメラマンです。右のは幼馴染みの、フーことジェレミー・フーシェ、史学専門で図書館員。左のは同じく幼馴染みの、ウーことジャン・ウーブリエ、地質学専門だけど水道局員。」
 3人とも土色の長袖Tシャツに土色ズボンだし、顔も背格好も似たり寄ったりなので区別がつかない。まあ、区別する必要も全くないんだが。
「地質学専門だけど、じゃなくて、地質学専門だから水道局員なんだってば。」
 ブーに文句つけるウー。
「で、何でブーフーウーがうちを狙ったの? 私たちが何かしたかしら?」
 ハイスピードでオリーブを拾いながらも、話はちゃんと聞いて覚えているエマーソン夫人。
「何でかっていうのを話すと長くなるんですが……。」
「何かしたかっていうのは、ここにオリーブ農園を作った、ってことでしょうか。」
「ここ、君たちの土地だったとかいうわけ?」
 違うよね、と思いながらもフェイスマンが尋ねる。
「もしや、この土地に金(かね)を隠したとかか?」
 そんなことはありますまい、と思いながらもハンニバルが尋ねる。
「いえいえ、この土地が問題ではあるんですけど、そういうことではないんです。」
「まず、僕が自治体の依頼でこの一帯の航空写真を撮ったのが始まりです。」
 と、カメラマンのブー。
「その写真を見て、この場所が扇状地だとわかったんです。向こうの山からこちらに向かって、その昔、川があったという証拠です。今は完全に水が干上がってますけど、跡はしっかりと残っています。調査の結果、川が干上がったのは、ゴールドラッシュ前だとわかりました。」
 と、地質学専門のウー。
「だから、ゴールドラッシュ当時、ここがその昔には川だったと誰も知らなかったはずです。この場所まで金(きん)を探しに来たという記録も、一切見つかりませんでした。だからこそ、この辺りはつい最近までネイティブ・アメリカンの土地だったんですね。」
 と、史学専門のフー。
 因みに、この先、「金」は「きん」です。「かね」じゃありません。
「これらのことから、僕たちはこの土地に金があると踏んだんです。」
「だけど、その扇状地の上に、ドーンとこの農園があるもんだから、立ち退いてもらおうと思ったんです。」
「だからと言って、土地を買収するわけにも行かないし、理由を話して立ち退いてもらえるはずもなかったんで、脅せば出ていくかな、と思って。」
「それで、フーが爆弾の作り方を図書館で調べて、僕とウーが薬品やら何やらをあちこちで手に入れて。」
「買ったものから足がつかないようにね。」
「僕らパームデールで働いてるけど、住んでるのはリトルロックだから、家の周りにチラシを配って、ウーが水道使用量を見て回る振りをしつつペアブロッサムにチラシを撒いて。」
「というわけです。」
「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
「でも、できたら金を採らせて下さい。」
「金なんてないわよ。」
 あっさりと言い放つエマーソン夫人。オリーブを拾う手を休めずに。
「35年くらい前、どこにオリーブ農園を作るか、土地を探していた時に、うちの人が細かく気候を調べたの。ほら、山の海側と陸側で季節ごとの気温や湿度、天気が違うじゃない。それから水が使えるかどうか。ある程度は住むのにも適してないといけないから、町が行動範囲内にあるかどうかも。それで候補に挙がった土地全部の地質を調べたのよ。水はけとかpHとか土の状態や種類とか。その時に、金は出てこなかったわ。」
「でも、ここ、昔、川だったんですよ? 金があるかもしれないじゃないですか。」
「川だったのは知ってます。うちの人が、“ここは川の中流に近い下流だから、砂がオリーブにちょうどいい粒径だ”って言ってたもの。それで、ここを農園にすることに決めて、一旦全体を掘って、腐葉土を混ぜ込んだけど、その時にも金らしきものを見た記憶はないわ。母屋と工場を建てる時だって、当然、土台を作るために地面を掘っていたけど、金が出たっていう話はなかった。どう? 納得できたかしら?」
「……はい。」
「それにね、いくらカリフォルニア州でも、川があればそこで必ず金が採れるっていうわけじゃないのよ? 川の上流に、つまり山に金鉱脈がないと。」
「そうだ、そうだった! 何でそんな当たり前のことに気づかなかったんだろう?」
 反省しきりなのは、地質学専門のウー。
「そうか、まずは山を調べるべきだったんだ。」
 多分、このブーが中で一番の脳天気者なのでしょう。
「って言うか、ペアブロッサムは結構古い町だから、もし金があるんだったら、山もこの辺も、もう掘り尽くされてるよ。」
 これはフー。
「結局、あんたらの早とちりだったってことか。」
 溜息をついて、ハンニバルが結論づける。
「そうみたいです。ごめんなさい。」
 3人が声を合わせた。
「反省してるようだし、悪党ってわけじゃなさそうだし、取っちめはなしでいいか?」
 ハンニバルの言葉に、オリーブを摘み続けながらも頷く3人。エマーソン夫人も頷いている。
 当のブーフーウーは、これで解放されるのかと表情を明るくした。
「じゃ、フェイス、この3人とコントローラーと分解した爆弾を警察に届けてちょうだい。夜が明ける前にね。」
「オッケ。コング、車貸して。」
「おう。汚すんじゃねえぜ。」
「それは、こいつらに言って。」
 脚立を降りながら、フェイスマンがブーフーウーの方を顎で指し示す。警察に突き出されると知った3人は、今にもチビりそうなビビり具合であった。



 パームデールの警察署前にロープぐるぐる巻きのまま捨てられたブーフーウーは、すぐに署内に連行され(幸い誰もチビらずに)、素直に自白した。そのおかげで、人々が行動を開始する頃には、事件解決の報がパームデールからリトルロックへ、リトルロックからペアブロッサムへと知れ渡っていた。
 Aチームが目を覚ました夕方、オリーブ農園では既に大勢の人たちがわいわいとオリーブを摘んだり拾ったりしていた。工場で機械がフル稼働している音も聞こえる。
 エマーソン夫人は、キッチンで食事の支度をしていた。Aチームが起き出してきたのを見て、エプロンで手を拭う。
「おかげさまで、従業員も戻ってきて、オリーブ摘みにも、ほら、こんなに沢山の人が来てくれて。」
 キッチンの窓から、オリーブ農園に目を向ける。
「本当にどうもありがとうございました。主人はまだ退院できないようですけど、これで農園は維持していけそうです。」
「それは何よりだ。これで一件落着だな。」
「はい。それでスミスさん、これ、お約束の。」
 エマーソン夫人がエプロンのポケットから出したのは、薄っぺらい茶封筒。
「お、どうも。」
 それをハンニバルが受け取り、無造作に折って、ズボンのポケットに押し込む。
「皆さん、これでお帰りになるんですか?」
「うん、他にも仕事の依頼が溜まってるからね。」
 答えるフェイスマン。いかにも「忙しいけど特別に来てあげたんだよ」という風に。だが本当は、他の仕事の依頼なんて、ない。
「それじゃあ、オリーブオイルと苛性ソーダをすぐに用意します。それまで、お食事してらして下さいな。」
 本日のメニューは、ミートローフのオリーブ入りトマトソースがけ、刻みオリーブ入りマッシュポテト、金時豆と茹で卵とオリーブのサラダ。デザートは、パイナップル(まだ残ってた)。
 Aチームの面々はそれぞれに大きく伸びをして席に着くと、パイナップル以外をものの10分ほどで食べ尽くし、それから10分以上かけてパイナップルをちびりちびりと消費した。



 大勢の人たちに感謝され、見送られて、数時間後、ロサンゼルスのアジトに戻ってきたAチーム。
「やっぱ、こっちは涼しいぜ。」
 両手にオリーブオイル入りポリタンクを持ったコングが、部屋に入るなりそう言う。別に、エアコン点けっ放しで出かけてしまったわけではない。
「でも、ちょっち湿ってる。」
 マードックが手に持っているのは、ポリビンに入った水酸化ナトリウム。こいつは潮解性があるので、湿気は大敵なのだ。
「どうしたんでい、おめェ、その鼻の頭。」
 コングはタンクを部屋の隅に置き、水酸化ナトリウムを受け取ろうとマードックの方を見て、尋ねた。
「日焼けして皮剥けちまっただけ。」
 ムッとして、マードックが答える。気づかれたくなかったようだ。
「鼻の頭だけならまだよくない?」
 そう口を挟んできたのはフェイスマン。見れば、彼の自慢の顔は、鼻の頭だけでなく、額も頬も日に焼けて皮ボロボロ。唇もガサガサ。
 一番色白のハンニバルは? と見れば、既にソファでゆったりとしている御仁は、シャツの袖を捲り上げ、心持ち腕を持ち上げている最中。視線に気づいて、ニマッとする。
「これ見て、これ。むふふふ、二の腕の贅肉が取れて、こんなにすっきりスマート。」
 オリーブ摘みで二の腕の振り袖が取れたのが嬉しいらしいが、胴回りは変化していないので、バランスが悪い。
「大佐は日焼けしなかったん?」
「日焼け? したと思うが。どうだ?」
 日に当たっていなかった二の腕を、顔のところまで持ち上げる。確かに、顔の方が幾分赤い。でも、それだけだ。
「あー何か悔しい、俺だけ顔ボロボロなんて。……ところでハンニバル、いくら貰った?」
 悔しさに、話題を報酬の方に向けるフェイスマン。
「何?」
「ほら、夫人から封筒貰ったじゃん。“約束の”って。あれ、中身、小切手だろ?」
「いいや、チリコンカルネのレシピだ。美味かったんでな、書いておいてもらったんだ。」
 ほれ、とポケットから封筒を出し、その中の便箋を見せる。ハンニバルの言う通り、チリコンカルネの作り方が整然と書かれているだけ。
「じゃあ、仕事の報酬は?」
「なし。」
「なし? 俺が調達に行ってる間に希望報酬額を申告してもらって、基本料金を下回ってるようだったらAチームの仕事料の料金体系を説明して、最低でも基本料金は払うように言って、一括で払えない場合には分割払いもOKだって伝えて、って頼んだじゃん。」
「済まん、すっかり忘れてた。とにかく、報酬なしだ。」
「またタダ働き〜……。」
 がっくりと膝をつくフェイスマン。
「いいじゃねえかよ、オリーブオイルと水酸化ナトリウムを貰ったんだしよ。オリーブの実も出来上がったら送ってくれるって言ってたじゃねえか。」
「ああ、コングや、そのオリーブオイル、少し食用に残しておいちゃくれませんかね。」
「日曜までに要るだけ取っとけ。」
「もしかすっと、あの新品のエアコン、自腹だったん?」
「いやまさか、あれは盗品。俺が自腹でエアコン買うはずないでしょ。」
「麦藁帽子、手拭い、軍手、ヘッドライト、懐中電灯、電池、それだけだろ、今回買ったのは。」
「それもみんな、買ったわけじゃないんだけどね。」
「だったら、支出0じゃねえか。」
「ほら、俺、パブ回って聞き込みしたろ?」
「飲み代か? それこそ大した額じゃないでしょうに、2、3杯くらい。」
「それが……みんなに奢っちゃったんで……正確にはわからないけど、トータルでビール100杯くらい? 経費で落ちると思ってたから、現金で払っちゃったし。」
「……なあ、フェイス。」
 ソファから立ち上がったハンニバルが、フェイスマンの横に立ち、肩に腕を回す。
「あたしが1日にビール2杯飲むとしましょう。」
「うん、実際そのくらいだよね、平均で。」
「そうすると、どうなる?」
「腹が出る?」
 一瞬、腹に注目する2人。
「じゃなくて。あたしの腹のことは置いといて。50日で100杯だ。2カ月弱じゃないか。たったそれだけの額なんだ、別にいいだろう?」
「うーん、別にいいんだけどさ、その話の流れで行くと、ハンニバル、これから50日間ビール抜きってことになるよ。それでもいい?」
 ハンニバルの返事はなかった。強者どものリーダーは、フェイスマンから目を逸らし、あらぬ方を見上げて、スピヨピヨと口笛を吹いているだけだった。



 日曜日。
 「廃油から石鹸を作ろう!」講座は、案の定、参加者が廃油を持ってこなかったため(牛乳のポリボトルは持ってきていた)、エマーソン農園のオリーブオイルが使われ、題目を急遽「オリーブオイルから石鹸を作ろう!」講座に変更した。事故や怪我もなく無事に参加者全員が石鹸作りに成功し、子供たちの目もキラキラと輝いていたし、引率の親御さんの笑顔も講師コングを安心させた。
 しかし、その後、1カ月経たないと石鹸が完成しないこと、石鹸が完成してもロサンゼルスでは家に軟水器がない限り作った石鹸を使えないこと、2カ月後に完全に固まった石鹸を回収してニューヨークやサンフランシスコのボランティア団体に寄付する予定であることを説明すると(その日、配ったプリントには最初からそう書いてあったんだが)、引率者の表情が曇った。子供たちも唇を尖らせ、不満を表している。中には堂々と文句を言い出す子供も。それに釣られて、不平不満を述べ出す大人も。そして最後にはブーイングの嵐。
 結局、講座が終わった後、帰途に就くコングのバンの中には、できかけの石鹸が入ったポリボトル31本(参加者30組30本+演示用1本)が並ぶことになったのであった。
【おしまい】
上へ
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