誤解! 迷走!? ホウレンソウはマジ大事!!
伊達 梶乃
 牛肉で有名な松阪にも魚好きがいるように、干物で有名な焼津にも肉好きがいるように、映画で有名なハリウッドにも演劇好きはいる。映画好きではなく、舞台演劇好きが。そういった輩は言うのだ、「映画なんて所詮は作り物だ。役者がミスをしても、やり直しが利く。役者が音痴だったとしても、口パクと吹き替えでごまかして、あたかも本人が歌っているかのように見せかけられる」と。何ひとつ間違ってはいない言い分だが、それをハリウッドで言っちゃいけない。そんなわけで、西海岸の演劇好きは、地下でひっそりこっそりと活動するしかなかった。



 舞台の上には細い木が1本だけ。その前で、1人の男が靴を脱ごうとし、もう1人の男は忙しなく歩き回っている。
「どうにもならん。」
 舞台上の男性の言葉に、客席から喝采が上がった。と言っても、パイプ椅子を並べただけの客席は40席にも満たず、その上、半分以上は空席だ。
 なぜ喝采が上がったのかと言えば、このセリフはベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』の出だしのセリフだからだ。この劇団“ベケットはパンにあらず”は、劇団名が表す通りベケットの戯曲を演じており、一般的にはベケットの作品を素直に上演しながらも、たまにベケット作品のパスティーシュを演じる。今回の演目『強盗を待ちながら』もパスティーシュだ。その前にも『コートを持ちながら』『ゴートと待ちながら』『ゴドーは戦場に行った』『コートでは誰でも1人ひとりきり』などが演じられている。
 そんなわけで、この空間にはベケット好きしかおらず、パスティーシュ演劇を見に来るくらいだから元の作品のセリフなんざ頭に入っているのだ、5割方は。5割方の客が作品の5割方を諳んじていたら、確率は2割5分か。どうしてこういう時って、確率じゃなくてつい打率って言っちゃうんだろうね。
 さて、こうしている間にも、舞台の上では話が進んでいる。
「さあ、もう行こう。」
「ダメだよ。」
「なぜさ?」
「強盗を待つんだ。」
 そしてまた喝采。オリジナルのセリフをそこここで使いながらも、2人の男が強盗を待っている話になっている。なぜ彼らが強盗を待っているかは、追々語られていくか、あるいは最後まで語られないであろう。何せ不条理劇だ。
 と、その時。
 バチン! と音を立てて、客席の照明が点いた。続いて、出入口のドアがバンと開く。現れたのはスーツ&グラサン姿の一団。
「強盗か?」
「そうさ。」
 舞台上の2人が怪訝な顔をしながらもセリフを言う。しかし本来このセリフは、もう少し後に言われるべきものなのだが。
「私はボッツォ・ジュニア。」
 一団の先頭の男が名乗った。
「ポッツォじゃなくてボッツォ?」
 これは客席からの声。『ゴドーを待ちながら』では“ポッツォ”が現れるのだ、出入口からではないが。
「このビルの所有権、ひいてはこの芝居小屋の所有権は、先日、私が父から引き継いだ。」
 後ろに控えていた男の1人が、権利書をババーンと掲げる。
「代表者は誰かな?」
「僕です。」
 舞台で「わしゃあなあ」としわがれ声で喋っていた男が、つけ髭を取り、客席に向かって「済みません」と頭を下げると、若々しい身のこなしで舞台を飛び下りた。今までガニ股でよたよたと歩いていた男と同一人物とは思えない。
「何なんですか、上演中に。非常識ですよ。」
「いやあ、それは申し訳なかった。しかし、君たち、このレンタルスペースの賃貸契約書を書いてくれてなかったんでねえ。このままだと不法侵入ってことになり兼ねない。」
「それは、ボッツォさんにはこの小屋をもう何度も何度も借りていて顔見知りだったから……。」
「だからと言って、サインも一筆もなしっていうのは、契約社会のアメリカにおいて、それこそ非常識じゃないかと思うんだが。」
「それはこちらこそ申し訳なかったですけど、毎回必ず前金で賃貸料をお支払いしてますし、今回の賃貸料も3日前、確かにボッツォさんに全額を現金でお支払いしましたよ?」
「賃貸料の確認もなしにね。契約書を書かなかったんだから、それは仕方のないことだ。」
 劇団代表者(いわゆる団長)は、その言葉を聞いて、ハッとした。
「ということで、新しい契約書を持ってきた。芝居を続けたいなら、これにサインし、差額の賃貸料を払ってくれたまえ。何、支払いは今すぐじゃなくてもいい、今日中ならな。」
 契約書に、ざっと目を通す。賃貸料が今までの2倍以上になっている。
「そんな……こんな金額、払えませんよ!」
「それじゃあ残念ながら、今すぐここから出ていってくれ。そうだな、これから10分以内に。出ていかない場合は、警察に通報する。」
「せめて、せめて今日のこの舞台だけでも……!」
 ボッツォ・ジュニアに詰め寄る団長。しかし、目的の人物に手が届くより早く、ボディガード然とした恰幅のいい男が、彼の体をなぎ払った。
「危ない、団長!」
 心配になって客席に下りてきていた1人の劇団員が、横っ飛びに飛んだ。小道具の赤い洗面器を持って。
 ガッシャーン!
 空席だったパイプ椅子の列に激突する団長と団員。投げ出された赤い洗面器。
「あたたた……。」
 団長は尻餅を搗いた程度で済んだ。団員がクッションになってくれたおかげだ。
「大丈夫か、ノラ?」
 咄嗟に助けに入った劇団員、ノラを振り返る。
「つっ……。」
 眉を顰めるうら若き女性、ノラ。役柄上、男の子の服装ではあるが。
「腕が……。」
 見ると、パイプ椅子のパイプの間に挟まった腕が、生物学上ちょっと不思議な位置でちょっと不自然な方向に曲がっている。
「おやおや、私に掴みかかろうとした君のせいだな。君があの時“はい”と言って引き下がっていれば、この子が怪我することもなかったのに。」
 やっとのことで身を起こすノラと、傍らに跪く団長を見下ろして、憎々しげにボッツォ・ジュニアが言う。
「彼女の勇気に免じて、あと30分待ってやろう。30分後、まだ君たちが残っているようなら、警察を呼ぶ。いいな?」
 団長の返事を待たず、ボッツォ・ジュニアとその一団は客席を後にした。
「……団長、あと30分あれば、せめて第1幕だけでも……。」
「無理するな、ノラ。君は一刻も早く病院へ。後のことは僕が何とかする。君が救ってくれたこの命、無駄にはしない!」
「そんな、命だなんて大袈裟ですよ。」
 笑いたくても腕が痛くて笑えないノラであった。



「ハリー、周りをよく見てパスを出せ。そうだ、ピート、そのタイミングだ。よし、上手いぞ、ウィル、そらリバウンドだ。」
 ピピー!
 ホイッスルの音に、バスケットボールをやっていた少年たちは、監督=コングの元に駆け寄ってきた。
「今日はみんな、よく足が動いてたぞ。」
 分厚い手で少年たちの頭を撫でる。心底嬉しそうな彼らの輝く笑顔に、コングも表情を弛ませる。
「だが、もちっと周りを見ねえとな。ニールはどうした?」
「奴は姉ちゃんが怪我したからって帰った。夕飯は僕が作んなきゃ、って。」
「そうか。周り見て声出すのはニールが一番だからな。奴がいなくても変なとこにパス出さねえように、1人1人が周りをよく見ろ。いいな。」
「はい!」
「じゃ、今日は解散だ。みんなも怪我しねえように気をつけろよ。」
「はい、ありがとうございました!」
 飛び跳ねながら帰っていく少年たち。
「おう、ショーン。」
 その中の1人の肩を、がっと捕まえるコング。
「お前、ニールと仲よかったよな?」
「うん、仲いいよ。ダチだもん。」
「ちょっくらニールんち教えちゃくんねえか。何っか心配でな。」
 コングの頭の中では、ニールの家庭の状況がぐるんぐるんしていた。姉が怪我をして、それで弟が夕飯を作らなければならない、となると、両親は不在。恐らく父親は飲んだくれで、よそに女を作って出ていったに違いない。残された母親は2人の子供を育てるために、朝から夜遅くまでパートの仕事で、子供たちに食事を作ってやる余裕もないのであろう。姉は学校を中退して、よからぬ仕事をしているのかもしれない。
 手ぶらではなく何か買ってくればよかったか、と思いながら歩くうちに、ショーンがコングの指を引っ張った。
「ここ。ここがニールんちだよ。」
 そう言われて顔を上げると、そこには立派な一軒家が。どっしりと聳え立つ門柱にがっしりとした門扉なぞ、ロサンゼルスにはそうそうない。
「ホントに、ここなのか?」
「ここだって。僕、何度も来たことあるもん。」
「おう、そうか。」
 早速、背伸びをして門柱のドアチャイムを押すショーン。
「こんばんは、アン・マリーさん。僕、ショーンです。バスケの監督のコングさんがニールのことが心配だって言うんで一緒に来ました。」
 言い終えるや否や、ショーンは門の脇の小振りな扉を開け、中に入っていった。コングもそれに続く。
 ウォークウェイを進み、ドアの前で待っていると、ドアが開き、いかにも乳母といった風情の老婦人が顔を見せた。
「こんばんは、ショーン。」
「こんばんは、アン・マリーさん。お姉さんが怪我したって聞いたんですけど、お加減はいかがですか?」
「昨夜、腕を折って、今朝方は熱っぽかったんだけど、もう元気になったわ。心配してくれてありがとう。」
 薄々感づいていたけれど、2人の会話を聞いて、コングは確信した。こいつら上流階級だ、と。
「こちら、僕たちにバスケを教えてくれているコングさんです。」
「まあ、いつも子供たちによくして下さっているようで、お噂はかねがね。」
「お、おう。」
 こういう時に何と答えていいかわからないのが世の常。
「コング監督!」
 半開きのドアをタックルで全開にして、ニールが姿を現した。脇にボウルを抱えて。片手は挽肉まみれで。
「わざわざ来て下さってありがとうございます。」
「じゃあ僕はこれで。」
「うん、ありがとう、ショーン。また明日!」
「また明日、ニール。失礼します、アン・マリーさん。お姉さんには神のご加護がありますように。」
 超ジェントルに去っていくショーン。
「監督、夕飯食べていきますか?」
 ニールの問いかけに、あまりよく知らない子供の家で夕飯をご馳走になる運命のコングであった。



 キッチンでニールは饒舌だった。両親とも社長で、仕事で忙しく、あまり家にいないこと。家事は花嫁修業として姉の分担になっているけど、ほとんど乳母のアン・マリーさんがやってくれていること。自分は料理が好きで、将来は親の会社を継ぐのではなく、コックになりたいこと。姉は大学生で、役者になりたがっていること。高校生の兄が東部の高校に行っていること。財布の紐はアン・マリーさんが握っていること。ショーンは実は姉のノラに恋心を寄せていること。その他諸々を語ってくれた。語りながらも夕飯を作るニール。
 そして出来上がったものは、ハンバーガーとサラダ。と言っても、パンもパティも手作りで、小さめに作ってある。サラダの野菜は、どれも一口大になっている。
「こんばんは、お客様。」
 呼ばれて2階から下りてきた姉、ノラがコングに声をかける。
「姉さん、こちら、バスケの監督のコングさん。僕たちのことが心配で来てくれたんだって。」
「私、姉のノラと申します。いつも弟がお世話になっております。この度は私のことでご心配をおかけしてしまい申し訳ございません。」
「あ、いや、ニールは頭が回るんで、こっちもだいぶ助けてもらってるぜ。で、その腕、どうしたんでい?」
「そのことについては、食事が終わってから、ゆっくりとお話します。長い話になりますので。」
 席に着いてテーブルの上を見たノラが、ニールに笑顔を向ける。
「片手で食べられるものにしてくれたんだ。ありがと。」
「そんぐらい、コックの卵としちゃ当然さ。」
 コホン。と、アン・マリーさんの咳払いが聞こえた。
「お2人とも、言葉が乱れてますよ。」
 こっそりと、アン・マリーさんに見られないように嫌な顔をする2人だった。



 食後、片づけはアン・マリーさんに任せ、デザートと飲み物を持ってニールの部屋に移動した3人。
「ったく、アン・マリーさんがいると、話したいことも話せないってーの。」
「でも、ああいう言葉遣いができると学校の先生にも気に入られるから、ある意味お得だよ。バイリンガルだと思えばよくない?」
 ニールのベッドにボフッと腰を下ろすノラと、トレイを勉強机に置き、椅子をコングに勧めるニール。
「そんで、その腕、どうしたんでい?」
「そうだよ、僕も詳しいこと聞いてないし。」
「昨日の夜、芝居の初日だったのよ。いつもの小屋で。そうしたら、赫々然々で、突き飛ばされた団長を庇ったら、パイプ椅子のパイプに腕を挟んで、この有様。」
「団長は? 芝居は?」
「団長は無傷。芝居は、そこでおしまい。団員も少ないし、私の代役もいなかったからね。団長はお客さんに平謝りに謝って、返金の対処に追われて、これからの上演分もキャンセルだから、チケット買ってくれた人に連絡を取っている最中。っていう連絡があったわ、団長から。私は1人で病院に行ったんで、後のことは知らなかったんだけど。」
「腕折って1人で病院に行くって、すげえ根性だな。痛かなかったのか?」
「そりゃあ痛かったわよ。意識が飛びそうだったわ。でも、あの非常事態の中、他の人に迷惑かけられないもの。ぐねぐねになった腕に台本を縛りつけてもらうまでは、他の人の手を借りたけどね。」
「大学は? 今日、休んだ分、大丈夫?」
「大学は小学校と違って出席はそれほど関係ないから大丈夫よ。それに、団長が代わりに行ってノート取ってくれてるしね。」
「……姉さん、団長さんとつき合ってるの?」
「はあ? 何それ。そんなはずないじゃない。」
「でも、姉さんに電話くれるのって団長さんだけじゃない?」
「だってそれは、大学の友達は大学で話をしてるから電話する必要なんてないし、団長は劇団のことで電話する必要があるし。」
「ああ、そりゃあ、あれだ。」
 と、コングが口を挟む。
「団長があんたにホの字ってこったな。後はあんたの出方次第だ。」
「団長が? 私に? 何で?」
「そりゃ姉さんが美人だからだよ。ショーンなんて耳にタコができるくらい姉さんのこと褒めまくってるしね。僕としてはショーンが義兄になるなんて嫌だから反対してるけど。」
 ノラは中肉中背で特別スタイルがいいわけではないが、整った品のよい顔立ちをしており、しっとり艶やかなブロンドのストレートヘアを惜しげもなくショートにしている。それも、役に合わせてカツラを被る時にショートの方が被りやすいという理由だけで。
「言っとくけど、ショーンはうちの学年で一番優秀で一番足が速くて一番モテるんだからね。バスケは今イチだけどさ。」
「ショーンのことはいいわ、年が離れすぎだし、眼中にないし。でも団長って……演技は上手いし、演出も冴えてるし、脚本も素晴らしいわ。……華奢だけど背もそこそこ高くて……ちょっと猫背だけど……でも! それはそれ! 今はそんなことに気を取られている場合じゃないのよ!」
「確かにそうだ。腕も折れてるしな。」
「芝居小屋のこともあるしね。」
「そう、一番気になるのは、ボッツォさんのこと!」
「誰だ、そりゃ?」
「芝居小屋のオーナーだったお爺さん。建物全部のオーナーでもあったんだけど、息子に所有権を譲ったんだって。団長の話だと、今は足腰も立たず頭もボケたんで、老人ホームに入ってるそうよ。」
「それが何か問題なのか?」
「4日前に会った時は普通に歩けていたし、頭もボケてなかったの。最近ジョギングを始めたって言ってたくらい。今回上演しかけた『強盗を待ちながら』の脚本をざっと見て、的確な助言と感想をくれたくらい。そんなに元気だった人が、たった4日、いいえ、たった3日あるいはもっと短い時間で、ボケたり足腰立たなくなったりするかしら?」
「病気にでもなりゃあ、あり得ることじゃねえか? 脳梗塞とかよ。」
「それだったら、はっきり“脳梗塞で倒れたんで”って言うんじゃない?」
「うん、言うと思う。小学生の僕でも、きっと言うね。」
「ね、何かおかしくない?」
「ああ、おかしいぜ。」
「まるで乗っ取ったみたいよね?」
「……よっしゃ、一丁調べてみるか。どこの老人ホームだ?」
「それは聞いてないわ。」
「ちっと時間はかかるが、探せねえこたぁねえな。ニール、しばらくバスケの練習はお前に任せた。こっちのことが解決するまでな。」
「OK。強化プログラムか何か書いておいてくれると助かるかな、僕が監督に頼まれてやってるって証拠に。じゃないと、みんな僕の言うことなんて聞いてくれないしね。」
 一番背が低くて、でもバスケの技術と知識はあって、なんて子供は、仲間外れにされがち。
「わかった。紙とペンを貸してくれ。そんじゃ、ノラ、今晩ちょっくら調べてみて、何か掴んだら電話するぜ。」
 コングとノラは電話番号を交換した。と言ってもコングが渡した電話番号は、フェイスマンが調達したアジトのものなのだが。
 それから3人は、ニール手作りのオレンジケーキと紅茶(コングは牛乳)を口に運びながら、それぞれ無言で考え事をしていた。



「帰ったぜ。」
「おや、コング、お久し振り。」
 アジトに帰り着いたコングを振り返り、リビングルームのソファで寛いでいたハンニバルが言った。
「久し振りってこたぁねえだろ、俺ぁずっとここで寝起きしてんだぜ。」
「しかし、お前さんの顔を見るの、本当に久し振りだぞ。朝は早くから出かけて、夜はあたしたちがいない間に帰ってきて寝ちまうからねえ。」
「あんたらが昼になんねえと起きねえってのがいけねえんじゃねえのか?」
「失敬な、昼前には起きてますよ。昼ご飯を美味しく食べるためにね。」
 話しながら、1人掛けのソファにどっかと腰を下ろすコング。
「フェイスはどうした? 風呂か?」
「いんや、ちょいとお出かけ中。」
 ボッツォ爺さんのことをフェイスマンに調べてもらおうと思ったのに。
「仕方ねえ、あっちの電話、しばらく使うぜ。」
 主寝室(ハンニバルとフェイスマンの部屋)の方を指差して言う。
「どうぞどうぞ。」
 ハンニバルは本に目を落としたまま答えた。因みにハンニバルが読んでいる本は『ボディガード・ハンドブック』。
 家に備えつけてあった電話帳を抱えて主寝室に入ったコングは、ベッドに腰を下ろすと電話帳を繰り、ペンを片手に、電話をかけ始めた。
「ベルフィオーレ花店だ。お宅のホームにいるボッツォさんに花を届けるよう言われてんだが、指定された時間までに行けねえんだ。遅くなっちまっても構わねえか? 何だと? そう、ボッツォ。最近入った爺さんらしい。何? いねえ? マジかい、おい。……じゃ注文した奴に電話して確認してみるぜ。ありがとよ。」
 と、こんな具合に老人ホームに電話をかけまくった。
 かけまくった、と言っても、ロサンゼルス市内にそれほど多くの老人ホームがあるわけでなく、1時間ほどもすると電話帳にあるすべての老人ホームに電話をかけ終えてしまった。結果は、いずれも「ボッツォという入所者はいない」。
 しばし考えてから、コングは再び受話器を取り、メモを見ながら番号を押した。(当時、プッシュホンはもう流通してたっけ?)
「あー、コングだ。ノラか?」
『ええ、私よ。何かわかった?』
「ロス市内の老人ホームにゃ、どっこにもボッツォって名の爺さんはいなかったぜ。明日、仕事が終わったら、市外に足を伸ばして、よその市の電話帳を見てみるつもりだ。」
 電話帳に電話番号が載っていない老人ホームがある可能性は却下。偽名で入所している可能性も却下。
『わかったわ、よろしくね。私は明日、病院に行った後、ボッツォ・ジュニアにボッツォさんの居所を訊いてみる。“お見舞いに行きたい”って言って断られるようだったら、それこそ怪しいじゃない?』
「ああ、その通りだ。だが、それ以上、怪我しねえように気ィつけな。仕事が終わった後でいいんなら、一緒に行くぜ?」
『ありがとう、でも1人で大丈夫だと思う。明日の夜、私が電話に出なかったら、警察に通報して。』
「んな物騒なこと言うんじゃねえ。」
『もちろん、そんなことにならないようにするわ。……あ、それと、あなたが帰った後に花が届いたのよ。送り主は不明なんだけど、カードに“ノラへ。ごめん。早く怪我が治りますように”って書いてあるのよね。』
「例の団長からじゃねえのか?」
『団長だったら送り主不明にする必要はないじゃない。ボッツォ・ジュニアからかしら、って思ったんだけど。』
「いや、そりゃねえだろ。……でも、もしそうだとしたら、そっちの名前も住所も知られてるってこった。」
『昨日の今日で調べられたってわけ? 恐いわね。』
「もしかすっと、俺たちが思ってる以上に手強い奴らなのかもしれねえぜ……。」



 翌朝、ノラはまた少し発熱した。軽く食事をして、薬を飲んで、ぼーっと午前中を過ごす。それから何をしたか記憶にないが、今、彼女はボッツォ爺さんの持ちビルだった建物の2階の、ドアの前にいた。ここはボッツォ爺さんの事務所だった場所で、地下のイベントスペース(=芝居小屋)を借りる時、いつも団長と一緒にここに来ていたのだ。
 コンコン、とノックをしてドアを開けると、いつもならボッツォ爺さんの笑顔が出迎えてくれていたのだが、今日つんのめるようにして現れたのは、ボッツォ・ジュニア。……のはずだが、一昨日とは何だか違って見える。グラサンをかけていないからか。それにスーツも淡い色で、一昨日のあの冷たい印象が全く感じられない。
「ええと、ボッツォ・ジュニアさん、ですよね?」
「え、あ、ああ、そうだ。君は確か劇団の。」
 ボッツォ・ジュニアがノラの左腕のギプスに目を向ける。
「そうです、“ベケットはパンにあらず”のノラ・ハーマーです。」
「その腕の治療費を請求しに来たのか?」
「いいえ、ボッツォさんが老人ホームに送られたって聞いたんで、どこの老人ホームにいるのか尋ねに来たんです。お見舞いと言うか、面会に行こうと思って。」
「だが、父はボケてしまって、君と花瓶の区別もつかないだろう。」
「それでもいいんです、ボッツォさんに会えれば。」
「あの劇団代表者と行くつもりか?」
「団長も他の団員も忙しくしているので、あなたのせいで(小声)、私だけで会いに行くつもりです。」
 ジュニアはそれを聞いて、後ろをちらりと見た。ノラも、彼の背後を見やる。窓辺のソファには、一昨日、団長をなぎ払った恰幅のよい老練ボディガードと、権利書や契約書を掲げる係をしていた長身の男がいた。この2人も、一昨日のスーツにグラサン姿とは打って変わってカジュアルな服装をしている。
 ノラはこの窓辺のソファセットを見て、ボッツォ爺さんとお茶を飲みながら延々と演劇の話をした日々のことを思い出した。目尻に涙が湧いてくる。
「父の居場所は言えない。たとえ君1人が行くのであっても。」
「何でですか?」
「見たところ、君は父と仲がよかったようだ。今、父が君に会って、万が一、君と花瓶の区別がついたなら、父は興奮して何を仕出かすかわからない。」
「それじゃ、ボッツォさんの姿を遠くから見るだけでも……!」
「ダメだ。その代わり、父に手紙を書くというのはどうだろう? 父が手紙を読めるかどうかは別として、手紙を書いて私の所に持ってきてくれれば、必ず父に渡す。いや、老人ホームの父の部屋に必ず置いてくる。」
「……わかりました。手紙を書いて、明日、また来ます。」
 ノラは踵を返すと、涙が零れないうちにドアの向こうへと出ていった。



 階段をゆっくりと降り、表に出た。来る時には気づかなかったのだが、地下に降りる階段の脇に、新しいポスターが貼ってあった。一昨日には『強盗を待ちながら』のポスターが貼ってあった場所に。
「原作シドニー・シェルドン(書き下ろし)! 演出助言スタンリー・キューブブリック! 監督助言サム・パキンペー! ブロードウェイで絶大な人気を誇る新進気鋭のアクター、ヘンリック・M・マッドコック主演! アンソニー・ボブキンスも大絶賛! 満を持して西海岸に上陸! 『香菜戦士コリアンダー』!」
 エクスクラメーションマーク多用しすぎなポスターには、緑色の戦闘服(?)に身を包んでポーズを取る人物と、悪役と思しき怪獣が写っている。
「何これ?」
 ノラは心の中で呟いた。シドニー・シェルドンがこんなふざけたもの書くわけないし。スタンリー・キューブブリックがこんな下らないものの演出するわけないし、そもそもスタンリー・キューブブリックは演出家じゃないし。サム・パキンペーがこんなへっぽこ作品に助言するわけないし。アンソニー・ボブキンスが絶賛するなんて、到底思えないし。多分、無視するし。でもって、ヘンリック・M・マッドコックなんて名前、聞いたこともないし。
「私たちの芝居を途中で打ち切らせておいて、こんな変なのを上演させるって、どういうつもりなのかしら、ボッツォ・ジュニア……。」
 涙も引っ込む憤り。しかしその一方で、この恐ろしくダメそうな作品がどこまでひどいものか見てみたい思いを捨て切れないノラであった。



 夜、階段の脇の電話の前にスツールを引き摺ってきて腰を据え、ノラは演劇雑誌を眺めてブロードウェイの情報をチェックしながら、コングからの電話を待っていた。
 ボッツォ爺さんへの手紙は、既に書き終えた。ボッツォ・ジュニアに読まれるかもしれないので当たり障りのないことを書き連ねたら、結局、演劇の話ばかりになってしまった。
 団長からは、先ほど電話連絡が入った。大学の授業のノートはしっかり取ってあり、ノラの大学での親友にも事態を説明してある、と。チケットを前売りで買った人とも8割方は連絡がついて払い戻し済み。残り2割はどうしようかね、ということだった。また、次回の公演は、ノラの腕が治ってから、とのこと。団員が現在、団長を含め6人しかいないのだから、仕方あるまい。
 ジリリリリ。古風なデザインの電話が鳴った。受話器を取る。
「はい。」
『俺だ。ノラか?』
 画面が2分割になり、片方にノラ、もう一方にはコング。
「そうよ、無事だったわ。」
『そりゃよかった、安心したぜ。で、爺さんの居場所はわかったのか?』
「いいえ、案の定、教えてもらえなかった。でも、手紙を書けば届けてくれるって、ボッツォ・ジュニアが。」
『フン、本当かどうかわからねえな。届けるとか言っといて、即刻ゴミ箱行きになんじゃねえか?』
「私もそんな気がする。そっちの首尾はどうだった?」
『車であちこち回って、よその電話帳見て調べてみたが、どっこにもいねえ。』
「もう殺されてるんじゃないかしら、ボッツォさん……。」
『そう思いたかぁねえが、否定する材料もねえしな。爺さんにゃ他に家族はいねえのか?』
「奥さんは早くに亡くなったって言ってたわ。息子は別居してるって話だったけど、戻ってきちゃったし。娘はパリに住んでるって。」
『となると、爺さんがいなくなって不審に思う奴ってのもいねえわけか。』
「ボッツォさんの事務所にはジュニアと手下がのさばってたし、きっとボッツォさんの知り合いから電話があっても、口先で上手くごまかしてるんでしょうね。」
『事務所ってこたぁ、何か仕事してたのか、爺さんは?』
「地下の芝居小屋と1階のお店の賃貸と、ビルの上がマンションになってるから、その部屋の賃貸。不動産業って言えばいいのかしら。でも、事務所って言っても、ボッツォさんの自宅みたいなものだったわ。」
『そこに息子が転がり込んだ上に、ビルの権利を奪ったってわけか。』
「全くろくでなしの息子よね。変な芝居を上演させるみたいだし。」
『あんたらを追い出しといて、か?』
「そう! 地下を別の店か何かに造り替えるっていうのなら、まだわかるんだけど、超ろくでもなさそうな芝居をやるみたい。ポスターが貼ってあったわ。嘘八百並べ立てて。演劇を馬鹿にしてるんじゃないかしら、あれ。まるでデパートやスーパーマーケットの屋上でやってるやつみたいなのよ。」
『ああ、あのガキどもが見るやつか。正義の味方と悪党集団がカンフーで戦う。』
「悪党集団ならまだしも、相手は怪獣らしいわ、ポスターによると。」
 ここでコングは、今いる主寝室の片隅に目を向けた。いるのだ、怪獣が。アクアドラゴンという名の怪獣の着ぐるみが、そこに。
『……ノラ、その怪獣ってのは、ニッポンのゴジーラみてえなやつだったか?』
「そうそう、いかにも中に人が入ってます、みたいな。」
『他に、そのポスターに書いてあったこと、何か覚えてねえか?』
「大体覚えちゃったわよ、腹が立ったんで。ええとね、原作はシドニー・シェルドン、演出助言スタンリー・キューブブリック、監督助言サム・パキンペー、主演ヘンリック・M・マッドコック。アンソニー・ボブキンスが大絶賛だそうよ。タイトルは『香菜戦士コリアンダー』。香菜戦士コリアンダーは緑づくめの服着てたわ、ほぼ全身タイツでチャチなヘルメットみたいなの被って。」
『主演の名前、もう一度言ってくれ。』
「ヘンリック・M・マッドコック。ブロードウェイで絶大な人気を誇る新進気鋭のアクター、だそうだけど、全然知らないのよね。ブロードウェイで上演されているものはずっとチェックしてるのに。」
 ヘンリック・M・マッドコック、H・M・マッドコック、H・M・マードック。
『…………ノラ、済まねえが、ボッツォ・ジュニアとその手下の人相を教えてくれ。』
「何、急に。まあいいわ。ボッツォ・ジュニアは背は普通、痩せてるわけじゃないけど、決して太ってるわけでもない。中肉中背ってやつね。髪は、あれはブラウン? ダークブロンドかしら。柔らかく横分けにしてて、瞳の色は忘れたけど、なかなかのハンサムだったわ、悔しいことに。ただちょっと眉が下がり気味なのよね。団長のことを突き飛ばしたのは、ジュニアより背が高いプラチナブロンドの小父さん。いえ、あれはプラチナブロンドじゃなくて白髪ね。お腹が出てたわ。あと、権利書とか持ってたのが、ひょろっと背の高い人。背が高いって言うか、顔が長いって言うか。その顔の半分近くがオデコだったわ、髪が少なくて。芝居を中断させられた時には他にもいたけど、今日事務所で見た手下はその2人だけ。」
『ノラ、ホンっト済まねえ。そいつら俺の知り合いだ。ボッツォ・ジュニアも、ボッツォ爺さんの息子じゃねえ。』
「な……!」
 何ですって、と言おうとした口が開いたまま閉まらない。
『奴らが帰ってきたら、とっちめて、何やってんだか白状させてやる!』



<Aチームの作業テーマ曲、始まる。>
 バンから工具一式を持ってアジトに戻るコング。台所でフライパンを手にし、重さを確かめる。玄関ドアのノブにワイヤーを括りつけ、ドアを開け閉めし、首を捻る。脚立に乗って、天井に何やら金具を填め込む。
 額の汗を拭い、ガロン壜から牛乳を飲むコング。プハッと満足そうな顔だが、唇の上の髭が白くなっている。
 ソファを引っ繰り返し、底部を慎重に剥いで、座面に撒きびしを仕込むと、剥いだ部分を元通りに接着し、元あったようにソファを設置する。
 リビングと玄関との間にツルツルのシートを敷き、油を流す。ただし、壁沿いには自分が行き来できるように安全地帯を設けておく。
 ベッドのマットレスを剥き出しにし、少し考えて、元に戻す。その代わり、枕を手にし、ニヤリとする。
 玄関ドア入ってすぐの電気のスイッチを分解し、細工をし、絶縁手袋をして電気を消す。キッチンのガスコンロにも細工をする。手と顔を洗って歯を磨いた後、洗面所の水道にも細工をする。
 時計を見るコング。ふあああ、と欠伸をし、戸締まりをすると、自分の部屋(副寝室)に入っていった。
<Aチームの作業テーマ曲、終わる。>



 ゴッワ〜〜〜〜ン。
 ドラの音を地味にしたような音が聞こえ、コングは目を覚ました。誰かがドアを開け、フライパンの一撃を食らったようだ。
「電気電気、ギャッ!」
 電灯を点けようとした者が、スイッチに触って感電したようだ。
「うわっ!」
 ドシン、と床が揺れた。誰かが滑って転んだと見た。
「いづっ!」
 ソファに座った者が尻を刺された声。
「ひいいい! 火! 火が! 火事! 火事!」
 キッチンでは、ガスコンロから強烈な炎が噴き出している模様。火事にならない程度に調節してはあるのだが。
「ぶはっ、水が、ぶおっ、げぶぶ、ごへっ!」
 洗面所では、蛇口から正面に向かって猛烈な放水が行われているに違いない。
 コングはクックックッと笑うと、むっくりと起き出した。ビバ、ナイス・トラップ。



「さあて、全部丸っと白状してもらおうじゃねえか。」
 仁王立ちのコングが見たものは。玄関ドアの所で引っ繰り返ったままのマードック、その上で未だプラプラ揺れているフライパン+ダンベルのおもり、左手に消火器を持って感電した右手はだらんとしたままのフェイスマン、消火器の泡だらけのキッチン、前面水びたし背面油びたしで尻から腰を摩るハンニバル、ソファの所で尻を撫でている見知らぬ老人。
「何を怒ってるんだ、コング。いや、怒りたいのはむしろこっちだ。」
 こめかみの血管ピキピキ具合からすると、既にハンニバルは怒っている。
「そうだよ、コング。何てことしてくれたのさ、危うく死ぬとこだったよ。」
 確かに、下手したら死んでいたかもしれないが、百戦錬磨のツワモノだから、感電くらい大丈夫。ガスコンロの炎で焼け死ぬわけもあるまい。いくらそれがハイパーな状態になっていようとも。アジトが全焼したって、きっと平気。
「っつ〜。まだお星様とヒヨコちゃんが回ってるぜ〜。」
 頭を押さえて、マードック復活。
「ソファに尖ったもん仕込んだのは誰じゃい?」
 ソファの座面を手で押して、どこに座っていいものか調査中の老人が訊く。
「もしかすっと、あんた、ボッツォさんか?」
「いかにも。誰だね、君は?」
 老人が背を伸ばし、コングを見る。
「B・A・バラカス、通称コング。劇団のノラに頼まれて、あんたのこと探してたんだぜ。」
「ああ、ああ、ベケットのとこのノラか。腕を折ったと聞いたが。あの子には本当、済まないことをした……。」
「ボッツォ・ジュニア、説明しろい。それからノラの腕折った奴もな。で、コリアンダーは黙ってろ。」
 あちゃーという顔の、フェイスマン=ボッツォ・ジュニアと、ハンニバル=ノラの腕を折った奴。
「だから、コングにも話しとけって言ったろ。」
「話そうにも、活動時間帯が違いすぎて、顔も合わせてなかったんだから。」
「香菜戦士コリアンダーには4つの形態があってね、コリアンダー・シードは優しくて、戦闘向きじゃないわけ。雑魚と戦う時はコリアンダー・リーフでさ、ラスボスのアクアドラゴンと戦う時に一番ニオイのキツいコリアンダー・ルートにチェンジするって寸法。コリアンダー・フラワーは繁殖時だけのフォームで、極めつけセクスィ〜なんよ。この辺、大人向け。」
「だから黙ってろ。」
「わしが全てお話しよう。」
 言い出しにくそうなハンニバルとフェイスマンを見て、ボッツォ爺さんがソファの肘掛けに腰を下ろして話し始めた。
 要約しよう。
 以前、ボッツォ爺さんの芝居小屋はしばしば不法薬物の取引に使われていた。芝居小屋の客が勝手に取引をしていただけなんだが、そのことを知ったボッツォ爺さんは、それを警察に話すでもなく、取引のために芝居小屋にやって来る奴らを野放しにしておいた。しかし、取引が行われていることに気づいたのは、ボッツォ爺さんだけでなく、芝居小屋で演じている側にもいたのだ。それがクロックスターという男だ。当時、学生だった彼は、自分が演じている時は難しいにしても、他の劇団の公演を見ている時には、周囲で行われている取引について記録していた。売り手と買い手の似顔絵も描いて。そのクロックスターが、ここ数年、自分の劇団を持ち、ボッツォ爺さんの芝居小屋を借りて演劇を上演しているのだ。当時の記録を見せて、薬物の取引が行われていることを知りながらも知らん顔をしていたボッツォ爺さんを脅して。他の劇団からの予約があっても、彼の劇団の公演を優先させる。劇団の他の劇団員の手前、一旦、賃貸料は支払うものの、それを全額すぐに彼の銀行口座に振り込む。強要されているのはこの2点だけなのだが、彼の劇団の公演回数も少なくはなく、マンションの空室も多い昨今、1階の本屋も売れ行き不振により来月で退店する予定で、ボッツォ爺さんにとって芝居小屋の収入が得られないのは、かなりの痛手になる。それに、ボッツォ爺さん自身、警察に話さなかったことを後悔しているのに、そのことを脅迫の材料にされているのだから、精神的にきつい。今から警察に行こうとも思ったのだが、どうも踏ん切りがつかない。そういったわけで、演劇のレビューを書きに通っている新聞社のエイミー・アマンダー・アレンに相談し、彼女の伝手でAチームに仕事を依頼することになったのだ。
 そこでAチームが取った手段は、既に芝居小屋に入っているクロックスターを即刻排除し、ボッツォ爺さんにこれ以上手出ししないよう、代替わりしたと告げる。それと共に、ボッツォ爺さんがボケて老人ホームに送られたと思わせる。だが、老人ホームまで脅迫しに来ないよう、実際に老人ホームに入れるのではなく、Aチームのアジトに軟禁する。そして、しばらくクロックスターの動向を見守り、次の手段を考える。
「なるほどな。道理で老人ホームにゃどっこにもいなかったわけだ。ったく、無駄足踏んじまったぜ。」
 コングが眉間に皺を寄せる。
「ノラが腕を折ったのは、単なる事故か。」
「そうだ、済まなかった。まさか彼女があそこで飛び出してくるとは思わなかったんでな。力加減を間違えた。」
 素直に謝るハンニバル。
「花を贈ったのは、フェイス、お前か?」
「そう。だって俺たちが無関係な人に、特に女性に怪我させることってないじゃない。だからと言って、身分をバラして謝るわけにも行かないし。できるだけすぐに何かしなきゃ気が済まなかったんで、ボッツォさんに訊いて名前を教えてもらって、住所を調べて、治療費を負担するっていうのも何だから、花を贈ってみました。」
「だいぶ怪しまれてたぜ。」
「うっそーん。」
「送り主不詳だったせいでな。ノラと言やあ、あのコリアンダーとかいうのにも腹立ててたぜ。自分らを追い出してまで、くっだらねえ芝居やるなんて、っつってな。」
「ああ、あれは報酬の一部。1週間、芝居小屋を無料で貸してもらったんで、モンキーとハンニバルの好きなようにさせただけ。報酬その2は、ボッツォさんのビルの空室を、好きな時に無料で貸してもらえるっていうの。これ、結構ありがたいよ。エンジェルには、ボッツォさんが演劇の資料や情報をくれるって言ってるし。あと、エキストラで数人雇ったのは、クロックスターと面識のないボッツォさんの知り合いの人だしね。」
 どうやら今回は金銭の移動はないようです。
「報酬の話はどうでもいいが、ノラとそのクロック何とかってのと、何の関係があるんだ?」
「ノラのいるあの劇団の団長が、クロックスターじゃ。」
「団長が、か?!」
「そうそう。今はエンジェルがクロックスターの監視をしてくれてる。奴が思い余って取引の証拠を警察に持っていったりしないようにね。」
「わしゃあもう、警察沙汰になっても構わんよ。ノラにも他の団員さんにも迷惑をかけたんでなあ。」
「警察沙汰にならねえように、俺たちがいるんじゃん。元気出しなって、爺さん。コリアンダー・シードは善良な市民の見方だぜ。」
 マードックがポケットからコリアンダー(粒)を出し、ボッツォ爺さんに勧める。勧められても、どうしていいのかわからず、困惑する爺さん。
「そうだ、ボッツォさんよ。ノラがあんたに手紙書いたって言ってたぜ。」
「それは嬉しいねえ。ノラだけだったら、会ってやってもいいんじゃないかい、スミスさん?」
「彼女とクロックスターは普段、顔を合わせてるのか?」
 ハンニバルがコングに訊いた。
「電話で連絡取ってるって聞いたが、話からすっとあれ以来会っちゃいねえようだぜ。」
「それなら、彼女にも事情を話して、爺さんと会わせてもいいかもな。」
 それを聞いて、小さくガッツポーズを取るコング。嬉しそうに微笑むボッツォ爺さん。
「じゃ、あたしはシャワー浴びて着替えて寝るとするよ。お前たちは部屋の片づけだ。ボッツォさんは部屋に引っ込んでよろしい。」
 リーダーの指示に、ボッツォ爺さんは客間へ向かい、コング、フェイスマン、マードックの3名は部屋の片づけを始めた。
 それから約1時間後、主寝室から「臭っ!」という声が響いた。コングがハンニバルの枕に、コリアンダーの葉(冷蔵庫にたんまり入っていた)を仕込んだからだ。ついでに、葉にくっついていたカメムシも。



 プルルルル、プルルルル……。
 朝9時少し前、眠い目を擦りながらも仕事(自動車工場で車の整備)に向かおうとしていたコングが、牛乳を片手にリビングルームの受話器を取った。
「おう、どこのどいつだ? こんな朝早くっから。」
『あたしよ、あたし。』
 エンジェルである。
『今、クロックスターが黄色い封筒を持って自転車で警察の方に向かってるの。大至急ハンニバルに伝えて。私も、できるだけ足止めするつもりだけど、あんまり期待しないでおいてね。』
 それだけ捲し立てると、エンジェルはコングには何も言わせずに電話を切った。



<Aチームのテーマ曲、始まる。>
 主寝室に飛び込み、ハンニバルを叩き起こして事態を伝えるコング。隣のベッドでは、目を擦りながらフェイスマンが身を起こす(サービスショット)。3人がリビングに出てくると、マードックがコリアンダーの装いで既にスタンバイしていた。
 バンに飛び乗る4人。猛烈な勢いで半地下の駐車場から飛び出すバン。軋むタイヤ。揺られる4人。
 歯を磨いているマードック。ネクタイを結ぶフェイスマン。バックミラーを覗き込んで髪を整えるハンニバル。ラジオで天気予報を確認するコング。
 急停車したバンから飛び降りる4人(ローアングルで)。
<Aチームのテーマ曲、終わる。>



「うわあああああん、一体どうしてくれるのよ、あんた、うわあああああん、これ高かったんだからね、うわああああああん。」
 道路の端で座り込んで号泣している女性は、エンジェルであった。手と肘と頬が擦り剥けていて、髪はぐしゃぐしゃ、ジーンズの膝には血が滲んでいて、パンプスは片方、遠くにすっ飛んでいる。そんな惨憺たる姿で、エンジェルはゴミっぽいものを抱き締めていた。恐らくそれは、何かが起こる前には最新の望遠カメラだったんじゃないかな、結構高いやつじゃん? と思われる。
「お菓子食べるのも服買うのも靴買うのも我慢して、食費も切り詰めて、やっと買ったばかりなのに、うわああああん。レンズ全部割れてる、うわあああああん。これでカメラマンのマイケルに、ひどい写真だって馬鹿にされないで済むと思ったのに、うわあああああん。」
 そんなエンジェルを目にして途方に暮れているのはAチームだけじゃなかった。引っ繰り返った自転車の脇で、呆然とエンジェルを見詰めて途方に暮れるその人こそ、今回の悪役、クロックスター。またの名を、団長。
「まだ1枚も撮ってなかったのに、うわあああああん。」
 どうやらエンジェルは、クロックスターの監視に買ったばかりの最新高級望遠カメラを嬉々として使っていたのだが、クロックスターを足止めしようとして惨事に見舞われた模様。
 Aチームの面々は、顔を見合わせ頷くと、行動を開始した。
「お嬢さん、大丈夫ですか? ほら、こちらへ。」
 エンジェルの肩を抱いて、立ち上がらせ、バンのシートへと誘導するフェイスマン。
「あんた、怪我ねえか? こりゃあいけねえ、眼鏡にヒビが入ってるぜ。」
 ヒビなんて入っちゃいないが、クロックスターの眼鏡を取り上げるコング。何せ彼は、ハンニバルやフェイスマン、マードックの顔を覚えているかもしれないからね。
「自転車のフレーム、曲がっちゃってますよ、お兄さん。スポークも何本か取れかけてる。まあ、このくらいならすぐに修理できるんじゃないでしょうかね。」
 どっこいしょ、と自転車を持ち上げ、バンの奥に突っ込むハンニバル。
「さあさ、お兄さん、こっちで一休みしましょー。」
 黄色い封筒を抱えるクロックスターの背を押し、バンの方へと誘うマードック。
 かくしてエンジェルを保護し、クロックスターを拉致したAチームは、何事もなかったかのようにアジトへと戻っていった。



「今、クロックスターを連れてきた。警察に例のアレを持ち込もうとしてたんでな。あんたはしばらく、この部屋で静かにしていてくれ。」
 帰り着くなりハンニバルは客間へ行き、新聞を読んでいたボッツォ爺さんに小声で伝えた。
「了解じゃ。」
 神妙な顔で頷き合うジジイ2名。
 リビングでは、泣き腫らした顔のエンジェルが尻を摩っていた。ソファに撒きびしがまだ残っていたようだ。眼鏡を奪われた上、目隠しと猿轡をされ、手足を縛られたクロックスターが、床に体育座りさせられ、モガモガと何やら訴えている。ダイニングテーブルでは、フェイスマンがクロックスターの持っていた証拠物件を検分している。ソファ前のローテーブルの上では、コングがエンジェルの壊れたカメラを鋭意修理中。割れたレンズは覆水同様戻らないのだが。マードックは、クロックスターの自転車をベランダに運んでいる最中。
 ハンニバルはクロックスターの前に屈み込んだ。
「うるさくしないと誓うなら、目隠しと猿轡を外してやる。」
 言われて、クロックスターはコクコクと頷いた。目隠しと猿轡を外すハンニバル。
「ここはどこなんですか? あなたたちは誰なんですか? 何で僕にこんなことをするんですか?」
「ノーコメント。」
 フェイスマンに手招きされたハンニバルは、それだけ答えると、クロックスターを放置してダイニングテーブルの方へと歩を進めた。
「これ、買い手の方はわからないけど、売り手の方は割と有名な顔だよ。ほら。」
 クロックスターの持っていたノートを繰るフェイスマン。日付と時間と、取引された薬物の大体の量と、売り手および買い手の特徴が記録されている。人物の似顔絵も。
「ああ、古い記録だが、現役のギャングもいるな。こいつはもう始末されたぞ。こっちのこいつは、お縄んなった。」
「この男、こないだポン引きやってた。」
 ノートから目を上げたフェイスマンは、ハンニバルがニッカリと笑っているのを見た。
「こいつらがのうのうとのさばってるのが元凶なわけだな?」
「うん、まあそうなのかもね。」
「よし。」
 ハンニバルはクロックスターの方を向いた。
「そこな青年。」
「僕、ですか?」
「君はこのノートに書いてある奴らが捕まれば、ボッツォ氏に手出し口出ししないか?」
「え、いや、まあ、うーん、そうですけど、ボッツォ爺さんはボケて老人ホームに送られたんじゃ……?」
「それでも君は、このノートを警察に持っていこうとしたんだろう?」
「だって、悪事を見逃すわけには行きませんし。」
「君だって、取引を目撃したのに、記録しただけで通報しなかったじゃないですか。やっていることはボッツォ氏と同じなんじゃないかな?」
「そう言われると……確かにそうですね……。」
「さらに君は、ボッツォ氏を脅迫した。君の才能を高く評価しているボッツォ氏をな。」
「何、ボッツォさん、この人を評価してるの?」
 突然、口を挟んできたのはエンジェル。
「ああ、演技力はピカイチ、演出も冴えている、ってベタ褒めしてたぞ。」
「ホント? ねえ、あなた、インタビューさせて。それと、今後名を上げたら、うちの新聞社だけを優遇するって誓約書書いて。そしたらカメラのことは許してあげる。」
「どうしたの、急に。」
 怪訝な顔のフェイスマン。
「あら、あなたたち、知らなかったの? 演劇界ではボッツォさんってすんごく有名な人なのよ。彼が褒めた人は必ず出世する、って。今、映画スターになってる人たちの中にも、下積み時代にボッツォさんに褒められた人は多いわ。西海岸の舞台出身の俳優は、ほぼ100%、ボッツォさんに褒められた後、映画界に進出してるの。ボッツォさんにちょっとでも評価されればブロードウェイで通用するって話もあるわ。」
「ボッツォ爺さんに褒められたっていうのは嬉しいんですが、でも僕、ミュージカルには興味がないからブロードウェイも関係ないし、映画もあまり……。」
「なら、ヨーロッパはどう? あっちなら映画も格調高いじゃない。」
「それなら興味があります。ベケットの過ごしたパリに住みたいって夢はあるんですけど、何の伝手もなくて。」
「そう言や、ボッツォ爺さんの娘がパリに住んでるらしいぜ。」
 お手上げのカメラ=ガラクタを紙袋に詰めて、コングが言う。
「じゃあ決まりだ。君はこれからボッツォ氏と話し合って、パリで演劇を続けるよう努力する。そこで名を上げた折には、何だっけか、新聞社。」
「LAクーリア新聞。よろしくね。」
「そこで独占インタビューその他諸々に協力。芝居小屋での取引のことは忘れ、これら証拠品を我々に委ねる。で、我々はこのノートを元に、町の大掃除に繰り出す。いいですかな、諸君。」
 仕方なさそうに頷くクロックスター、にっこり微笑むエンジェル(カメラのことは忘れてる、泣き腫らした顔だってことも忘れてる)、トホホな感じで肩を竦めるフェイスマン、拳に力を籠め歯を剥き出すコング、自転車をコリアンダーで飾り狂気を含んだ表情で振り返るマードック。一同を見渡し、ニッカリと笑うハンニバル。



<Aチームのテーマ曲、再び始まる。>
 ギャングのアジトを急襲するAチーム。オートライフルで威嚇するフェイスマン。雑魚を殴り倒し続けるコング。苦虫アタック(相手の口にカメムシを詰める攻撃)を繰り出すコリアンダー。ギャングのボスと対峙し、あっさりと決着を着けるハンニバル。何人かのギャングをふん縛り、爽やかな表情でクロックスターのノートにバツ印をつけるフェイスマン。
 Aチームのアジトで、じっくりと話し合うボッツォ爺さんとクロックスター団長。ノラも傍らにいる。なぜかニールがお茶とケーキを運んでくる。
 別のギャングのアジトを急襲するAチーム。以下同文。
 コルベットで夜の街をゆっくりと流すフェイスマン。目当ての人物を見つけ、助手席のコングに目配せし、顎を振って指し示す。ダッとコングがダッシュし、目的の人物に一発食らわせ、ぐったりとなった体を肩に担いで車に戻る。
 地下の芝居小屋で、芝居の練習をするハンニバルとマードック。アクアドラゴンの尻尾ビンタがモロに腹に決まり、腹を押さえてくず折れるマードック。
 また別のギャングのアジトを急襲するAチーム。以下略。
 カメラ屋で、ゴミと化したカメラ屑を前に、店員に息をもつかぬ勢いで捲し立てるエンジェル。
 さらにまた別のギャングのアジトを急襲するAチーム。中略。タイピングされた悪党どもの罪状を手に、困った顔の警官たち。彼らの前には、伸びた悪党の山。鉄格子の中にも悪党がどっさり。
 額の汗を拭うコング。電卓を叩いて泣きそうな顔のフェイスマン。雄々しく“コリアンダー勝利のポーズ”を取るマードック。ニッカリ笑って葉巻に火を点けるハンニバル。
<Aチームのテーマ曲、再び終わる。>



『香菜戦士コリアンダー』の初日。3幕から成る戯曲の、第3幕の終盤。いわゆるラストの、最も盛り上がるシーンがこれから始まる。
「ひゃーっ、アクアドラゴンだーっ!」
「ギャオーン!」
 逃げ惑う善良そうな眼鏡青年(クロックスター)の背中にドラゴンチョップをかますアクアドラゴン(ハンニバル)。
「うわーっ!」
 絶妙な演技で倒れる青年。
「きゃーっ、助けて、誰かーっ!」
 既に腕を怪我した女の子(ノラ)が、腰を抜かして逃げられずにいる。ピーンチ!
 と、その時。
「はーっはっはっは、安心したまえ、そこの君。とうっ!」
 ちょっと高い所からジャンプして現れるコリアンダー(マードック)。
「あたたたた。」
 しかし、着地のショックで足がビリビリ。
「説明しよう!」
 ナレーション(フェイスマン)が客席に響き渡る。
「正義の味方コリアンダーも、今は戦闘フォームではないのだ。今の姿は心優しきコリアンダー・シード。だが、すぐにフォームチェンジするぞ!」
「むおおおおお、コリアンダー……リーフ!」
 ピシャーン、とフラッシュが焚かれる(by コング)。コリアンダー自身はどこも変わっていないのだが。
「行くぞ、アクアドラゴン! コリアンダーキーック! キーック! キーック!」
 コリアンダーの蹴りを腕で受け流すアクアドラゴン。
「ギャオーン!」
 カッと開いたアクアドラゴンの口から、青いライトが発される。それと共に、耳をつんざく放水音が。あたかもアクアドラゴンの口から水が出ているかのようだ。
「ぶわっ、これはっ!」
 水の勢いで動けない(振りをしている)コリアンダー。
「力が……抜けていく……。」
 青いスポットライトの中、倒れ伏すコリアンダー。舞台の上が静まり返る。
「頑張れ、コリアンダー!」
 客席から男の子(ニール)の声が響いた。その声に釣られて、客席から応援の声が上がる。
「コリアンダーや、聞きなさい。力任せに戦っているだけでは、勝てはせんのじゃ。」
 静かで優しい老人(ボッツォ爺さん)の声が流れる。
「博士……。それじゃあどうすれば……?」
「頭じゃ、頭を使え。と言っても、頭突きをするのではないぞ? お前は今、何と戦っとる?」
「え……アクアドラゴンです……。」
「水と火が奴の属性じゃな。お前は木の属性じゃ、水には強いはずじゃぞ。……火には弱いがな。」
「でも博士、水の攻撃で動けません。パワーを吸い取られたようです。」
「何を言うとるんじゃ。お前のパワーの源は、人の心じゃなかったかね?」
「そう、平和を望む、人の心……。」
「頑張れ、コリアンダー! アクアドラゴンなんてやっつけちゃえ!」
「コーリアンダー! コーリアンダー!」
 客席でコリアンダーコールが湧き起こる。(と思わせておいて、実は多重録音のテープ。)
「力が……力が湧いてきたぞ……!」
 再び、ピシャーン、とフラッシュが焚かれ、強い緑のライトがコリアンダーに当たる。
「コリアンダー・ルート!」
 力強くポーズを決めるコリアンダー。
「ギャオーン!」
 今まで暗がりにいたアクアドラゴンが、またもや口を開ける。その口の中では、赤い光が次第に強くなってくる。
「奴が火を吹く前に、やるんじゃ、コリアンダー。」
「ありがとう、博士、みんな。……苦虫アターック!」
 カパッと開いたアクアドラゴンの口の中に、カメムシ団子を詰め込む。
「ミギャー!!」
 口を押さえて転げ回るアクアドラゴン。
 ボウンッ!
 爆発音が轟き、アクアドラゴンの頭部で赤や黄色や緑色のライトが弾ける。
「やった……。」
 ガクッと膝をつくコリアンダー。
「ありがとう、コリアンダー。あなたのおかげで私たちの町に平和が戻ってきたわ。」
「ありがとう、コリアンダー。君のおかげで、僕たちまた一緒にやって行けそうだ。」
「うちのお店にも、またいらしてね〜ん。」
 舞台袖から色っぽいお姉さん(エンジェル)が一瞬現れて、すぐに引っ込んだ。
「コリアンダー……?」
 ばったりと倒れたコリアンダーからモワモワと煙が上がる。煙が晴れた時、そこにコリアンダーの姿はなかった。
「コリアンダー!」
 コリアンダーがいた場所に跪き、声を限りに叫ぶ男女2人。
「町に平和を取り戻したコリアンダー。役目を終えた彼は、土に返ったのだった。しかし、悲しむことはない。コリアンダーは土がある所なら、どこにでも現れる。土があり、コリアンダーに助けを求める人がいる所ならば、どこにでも。世界に平和が訪れる日まで、戦えコリアンダー、負けるなコリアンダー!」
 幕。思いの外、拍手に包まれて。



 しばらくして、演劇評に『香菜戦士コリアンダー』が取り上げられた。それも数誌で。いずれも「演劇の風上にも置けない子供騙しだと思ったが、案外、引き込まれた。ポスターには訴訟一歩前のでっち上げがクレジットされていたのでスタッフやキャストの詳細はわからず仕舞いなのだが、シナリオもそこそこで設定もしっかりしており、何よりも自然な演技が見る者に不安感を抱かせなかった。アマチュアの舞台とは思えぬ特殊効果や、よくできた着ぐるみにも驚かされた」といったことが書かれており、中には「次回作に期待する」とまであったくらいだ。また「スーツアクターは場数を踏んだプロなのではないか」とも書かれていた。
 それなのに、ハンニバルの表情は浮かなかった。(主演のマードックは病院に戻った。)
「アクアドラゴンの映画は酷評ばかりだってのに……。」
「もしかしてハンニバル、舞台俳優の方が向いてるんじゃない?」
 軽々しくそう口にしたフェイスマン。この言葉はハンニバルの気分を浮上させはしたが、今後待ち受ける数々の無理難題と迷惑に、この時点では気づく由もないフェイスマンであった。



 5年後、パリで活動を続けていたクロックスターがカンヌ映画祭の脚本賞と男優賞にダブルノミネートされたが、惜しくも受賞を逃した。だが、この頃にはエンジェルはもうLAクーリア新聞社を離職しており、彼女自身クロックスターのことを忘れ去っていたため、クロックスターが途方に暮れて終わった。
 ノラはボッツォ爺さんとアン・マリーさんの最期を看取った後、クロックスターを追ってパリに渡った。クロックスターに呼ばれたとの噂もある。さらにその後、ハイスクールを卒業したニールはノラを追うようにパリに渡り、彼の地で料理の修業を始めた。ニールの親友のショーンも、ノラのことを忘れられずパリに渡り、そんなわけでパリはちょっぴり人口を増やしたのだった。
【おしまい】
上へ
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