町内最大のカレー大戦争
鈴樹 瑞穂
 うだるように暑い昼下がり、ハンニバル・スミス氏は額の汗を拭いつつ、ようやく帰り着いて家のドアを開けた。その途端、匂ってきたスパイシーな香り。心なしか黄色い空気。
「お、今日の昼飯はカレーか。」
 キッチンを覗くと、大鍋を掻き混ぜていたコングが親指を立てた。シンクの前で野菜を刻んでいたフェイスマンも手を止めて振り返る。
「お帰り、大佐。外暑かったろ? すぐ昼飯にするから、手洗ってきて。」
 フェイスマンの言葉に片手を上げて応え、洗面所に行こうと方向転換したハンニバルは、調理台のところにいたマードックと視線が合って、足を止めた。
 クレイジーモンキーことマードックは、右手にズッキーニ、左手にパプリカ(赤)を持ってご機嫌だ。ハンニバルに向かってズッキーニが「お帰りなさーい」と体を揺らし、パプリカ(赤)が「今日のランチ、何だと思う?」と尋ねてくる。ハンニバルは笑いながら首を横に振った。すると、パプリカ(赤)がなぜか得意げに「夏野菜のカレーだよ!」と告げ、ズッキーニの方はくるりと身を回して「特製スパイスとココナツミルク入り!」と教えてくれた。
「ほほう。で、お前たちは煮込まれるのを免れたってわけか。」
 ハンニバルの指摘に、ズッキーニとパプリカ(赤)はぎくりと動きを止める。
「……仲間は煮込まれちゃったけどね。」
 調理台の上にずらりと並んだ野菜の切れ端を見渡して、ズッキーニが重々しく呟いた。



 本日のカレーは、炊いたライスの上にカレーをかける日本式の食べ方だ。フェイスマンが日系のガールフレンドに教わってきたのだが、ナンやパンをつけ合わせるより腹持ちがよく、量を考えるとコストパフォーマンスもよいという理由で、最近のAチームでは専らこれだった。
「で、依頼人には会えたのか?」
 コングが空になったカレー皿をフェイスマンに渡しながら、ハンニバルに尋ねる。ハンニバルの方は既に食事を終え、アイスコーヒーに手を伸ばしていた。
「もちろん。抜かりはありませんよ。」
 ハンニバルはこの暑い中、Aチームへの仕事の依頼の件で朝から出かけてきたのだ。エンジェル経由で持ち込まれた依頼は、かなり毛色の変わったもので、とある公立機関からのものだと言う。詳しいことは会ってからと言われ、事前にほとんど情報を貰えなかった。
「結局、依頼元ってどこなのさ?」
 キッチンから戻ってきたフェイスマンが山盛りにしたカレー皿をコングの前にどんと置いて、椅子を引き寄せる。話に集中するために、お代り2回分を1回で盛ってきました、という豪快な一皿だ。
 ハンニバルはアイスコーヒーをゆっくりと一口飲んでから、部下たちの顔を見渡した。
「州立野菜研究所だ。」
「……州立?」
「野菜……?」
「研究所!」
 コング、フェイスマン、マードックが口々に言い、マードックのカレー皿の両脇に控えていたズッキーニとパプリカ(赤)がぴょこりと立ち上がった。「おいらたちの故郷だ!」「懐かしいなー!」
 気を取り直したフェイスマンが、野菜たちの発言をさくっと無視して話を進める。
「そのお役所が俺たちみたいなお尋ね者を呼び出して、わざわざ何を頼みたいっていうわけ?」
「公立と言っても研究所だ、役所ってわけではないんだが。」
 ハンニバルは葉巻に火を点けながら言った。
「ま、確かに公にできない依頼だから、地下ルートでこっちに頼んできたんだろうな。盗まれたものを密かに取り戻してほしいそうだ。」
「研究所から盗まれたっていうと、機密の研究データか実験サンプル辺りか。」
 いつの間にかカレーを平らげたコングが、食後の牛乳をコップに注ぎながら鼻の上に皺を寄せる。
「行ってみればわかりますよ。」
 にこやかにハンニバルが両手を広げる。その途端、コングがテーブルに突っ伏した。
「即効性だねえ。」
 マードックがテーブルの下から取り出したガラス壜のラベルには『睡眠薬』の文字があった。



 眠らせたコングを飛行機に乗せ込み、降りた後は車に乗り換えて、Aチームは1日かけて目的地に辿り着いた。
 塀に囲まれた無駄に広い敷地、門には『州立野菜研究所』のプレートがかかっている。
 門まで彼らを迎えに出たのが、今回の依頼人、ドクター・レッドだった。小柄で丸顔で童顔だが、眼鏡に白衣という研究者スタイルの基本は一応外していない。
「よくいらして下さいました。」
 胸に下げたIDカードをいじりながらドクター・レッドは言った。どうやらそれが彼の癖らしく、歩いている間もずっとIDカードに手をやっていた。
 研究所と言うだけあって、セキュリティはなかなかに厳しく、作業エリアに通じるゲートはIDカードを翳し、更に指紋認証しないと入れない。
 ハンニバルたちが通されたのはゲートの手前、来客エリアに設けられた会議室の1つだった。
 紙コップに入ったコーヒーが運ばれてきて、口に運びかけたフェイスマンの動きが止まる。しきりと鼻をうごめかしているフェイスマンに向かって、ドクター・レッドはこともなげに言った。
「ああ、それはタンポポコーヒーです。カフェインレスで身体に優しいんですよ。」
「珍しいね。」
 フェイスマンはへらっと笑い、そして紙コップをテーブルに戻す。ハンニバルも手を出すのを止め、コングは最初から見向きもしなかったが、マードックはむしろ興味を引かれたようだった。「タンポポ?」「タンポポ!」はるばるここまで連れてきたズッキーニとパプリカ(赤)が、左右から紙コップの中を覗き込む。
 ドクター・レッドはそんなマードックの奇行そのものよりも、ズッキーニとパプリカ(赤)に注目した。
「おや、ダイナーにクプラですね。」
「ダイナー? これって、ズッキーニじゃないの?」
 主夫(?)としてショックを受けたのか、フェイスマンが学者に専門分野の質問をするという愚を犯した。
「ズッキーニですよ。それはダイナーっていう品種です。緑皮ズッキーニの中ではポピュラーな品種で、収穫量が多いのが特徴ですね。クプラは赤パプリカの一品種です。プレンティと並んで収量が多い上、A品の率が高いために人気が高いんですよ。そもそもパプリカは収量だけでなく果形が重要視されますからね。一番形がいいのはプレジデントっていうオレンジ色種なんですが……このクプラはなかなかのものですね。形はもちろん、色と言い艶と言い、実に素晴らしい。」
「そうだろ、そうだろ。スーパーに積まれてた中で一番の別嬪さんを選んだんだもんね。」
 意外と意気投合するマードックとドクター・レッド。放っておけばいつまでも続きそうな勢いに、ハンニバルが咳払いを1つして、口を挟んだ。
「そろそろ依頼の内容を説明してくれないか。」
「ああ、そうでした。済みません。どうも僕は夢中になってしまうと他のことを忘れてしまうようで……。」
 ここでも研究者のお約束を外さす、ドクター・レッドは頭を掻いた。
「皆さんに来ていただいたのは、他でもありません。この研究所から持ち出されたものを、取り戻してほしいんです。これがそのリストです。」
 ドクター・レッドが書類挟みから取り出し、テーブルの上に広げた紙を見て、フェイスマンとコングは顔を見合わせた。

セニョリータ
レッドコアーチャンテネー
オホーツク
マチルダ
ドルバム・ビガー
カンリー
エレガントサマー

「あのー、これって何の呪文?」
 恐る恐るフェイスマンが尋ねると、ドクター・レッドは神経質そうに眼鏡を上げた。
「何を言っているんです。呪文なんかじゃありません。先頭から、ピーマン、ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、ナス、カボチャ、サツマイモですよ。品種としては既に市場に出回っていて、目新しいものではありませんが、持ち出されたのはある研究の被検体であるこれらの苗です。戻ってこないと研究の成果がわかりませんから! どうかお願いします、苗を取り戻して下さい。」
「そりゃ、そのために来たんだけど、苗なんて植えられちまったらわかんないんじゃねえの?」
 ズッキーニごと、がしっと手を握られて、さすがのマードックも腰が引けている。
「その点は大丈夫です。何と言ってもこの私、ドクター・レッドの被検体ですから! この写真を見ていただければわかります。」
 ハンニバル、フェイスマン、コングは渡された写真を順に見て、頷いた。パプリカ(赤)ごと、もう片方の手まで握られたマードックだけが身動きが取れずに懸命に首だけを巡らせる。その鼻先にコングが写真を突きつけると、マードックも複雑そうな表情で頷いたのだった。



 田舎町の雑貨店(その内実は何でも屋だ)から出てきたフェイスマンが乗り込むのを待って、紺色のバンが走り出す。
「首尾は? フェイス。」
「ばっちりだよ。見たって。」
 リーダーの問いかけに、フェイスマンは片手を挙げて答えた。
 州立野菜研究所から持ち出されたドクター・レッドの被検体――何たらかんたらいうご大層な品種の野菜の苗たちには、一目でわかる特徴があった。それを元に、フェイスマンが近隣の町で聞き込みを続けた結果、3つ目の町で首尾よく情報を入手できたというわけである。
 因みに今回のフェイスマンは少々野暮ったいダークスーツを着込んで、ぺったりとオールバックに髪を撫でつけ、セルロイドの黒縁眼鏡をかけていた。農家に絶大な人気を誇る月刊誌『野菜の友』の記者という触れ込みで、主に農業に携わる若い女性たちに聞き込みをするためである。
 その目論見は大成功だったようで、フェイスマンは持ち出された苗の所在を突き止めてきた。
「早速確かめに行きましょう!」
 ドクター・レッドが身を乗り出す。彼は野菜たちを心配するあまり、Aチームに同行していたのだ。
 運転席のコングは行き先を聞いて、ハンドルを切った。



 フェイスマンの情報に従ってAチームがやって来たのは、町外れの畑だった。形ばかりの柵に覆われ、簡素な門には『婦人会直営ファーム』のプレートがかかっている。門の前には小さなテントがあって、野菜の直売も行われていた。
 コングがバンを停め、ハンニバルとフェイスマンが外に出る。直売に興味を引かれたのか、マードックも相棒、ズッキーニのダイナーとパプリカ(赤)のクプラを手に後に続く。ドクター・レッドもそれに続こうとして、バックミラー越しに見咎めたコングから、せめて白衣は脱いでいくようにと説得されていた。
「こんにちは。私こういう者ですが。」
 フェイスマンは『野菜の友』記者の偽名刺を取り出し、直売所の売り子をしていた女性へと手渡す。
 この町の婦人会メンバーであろう、店番の2人は農家の主婦らしく、恰幅のよい20代と30代と思しき女性だった。畑と野菜に囲まれる生活を送っているせいか、髪をバンダナでまとめ、化粧っけもなく、デニムのエプロン姿である。いかにも純朴そうな2人は、渡された名刺を見て、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をした。
「まあ、『野菜の友』の……!」
「一体何の取材ですか?」
 一緒にいるハンニバルがこれ見よがしに大きなカメラを手にしているのも、そこはかとなく取材の雰囲気を醸し出している。
「実はちょっと珍しい野菜がこの畑にあると聞きましてね。本当でしたら是非取材させていただきたいと思いまして。」
 フェイスマンが説明し、ハンニバルがドクター・レッドから預かった写真を見せる。
「これがその写真。」
「ああ、これ!」
「確かにウチの畑にあるわ!」
 2人は写真を指差して頷いた。
「見ます?」
「是非!」
 勢い込んで身を乗り出すフェイスマンに、婦人会メンバーの若い方が案内に立つ。
 ぞろぞろとその後に続く『野菜の友』記者とカメラマン、それからズッキーニとパプリカ(赤)を手にした男、ランニングシャツ1枚のくせに肩も腕も全く日焼けをしていない男(ドクター・レッドは白衣を脱いだら実はこんな姿だった)、モヒカンの黒人。
 さすがに気になるのか、案内役の女性――フェイスマンが聞き出したところによると、エミリアという名前らしい。因みに直売所にいたもう1人の女性はターシャと言い、婦人会会長なのだそうだ――がフェイスマンに尋ねる。
「あのう、後ろの方々は?」
 詐欺師はにっこりと微笑んで言い切った。
「情報提供者です。野菜マニアの方々でね。」
 こよなく野菜を愛するあまりちょっと社会生活に行き詰まっちゃった人たちにされているとも知らず、マードックとドクター・レッドは左右をきょろきょろと見回し、婦人会直営ファームの見事な野菜に目を輝かせつつ、野菜談義に花を咲かせつつ、歩いている。あながち間違いでもないかもしれない。



 エミリアが一同を連れていったのは、婦人会直営ファームの一番奥の一角だった。日当たりがよく、植えられた野菜たちも心なしか元気そうだ。と言うより、もさもさと生い茂り、半ばジャングルの様相を呈している。
 そして、その葉の1枚1枚には写真と同じ、赤いRマークが浮き出ている。
「ここです。あの……業者さんが特別な苗だからって1週間前に売りに来て、植えたんですけど、本当にあっと言う間に大きくなってしまって。ああ、朝、水をやった時よりももう大きくなってるわ!」
「そうでしょう、そうでしょう。」
 眼鏡を押し上げつつ進み出た、生っちろいランニングシャツ男ことドクター・レッドが胸を張る。
「何を隠そう、隠しませんが! この野菜たちは僕が開発した成長促進遺伝子を組み込んだスーパーベジタブルなのです! その証拠がほら、このRマークですよ。」
 確かめるまでもなく、マークのRはドクター・レッドのRに違いない。
 マードックの右手のズッキーニが「ワーオ!」と感嘆の声を上げる。「すげえじゃねえか。それも遺伝子操作ってヤツか?」「オッシャレー。アタシもつけたいわ、あのマーク!」左手のパプリカ(赤)も興奮気味だ。
 もしや、できる野菜にまでRマークが入っているのか?
 フェイスマンとコングはげんなりした表情になり、ハンニバルはパプリカ(赤)に赤いRマークが入っていても気づかれないのではないかと密かに心配した。
「残念ながら、葉以外の部位――果実や地下茎にはマークは入りません。そうだ、今度はシソで実験してみるのもいいな。」
 ドクター・レッドの説明に、一同は胸を撫で下ろす。
 その会話を聞いていたエミリアが不安そうに訊いた。
「この野菜、遺伝子操作されてるって、食べても安全なんですか? 実は明後日が隣町と合同の夏祭で、カレーコンテストがあるんです。ウチの婦人会もエントリーしていて、この野菜はそのために育てているんです。」
「問題はありませんよ。何なら僕が食べて見せてもいい。」
 そう言い切ったドクター・レッドのシャツの裾を、フェイスマンが引っ張る。
「ちょっと、ドクター。食べる食べないとかいう前に、この野菜、研究所に戻すんじゃ?」
「構いません。ここまで育ってしまっては、移植も無理です。どこで育てようと、研究データさえ取れればOKです。」
 大きく腕を伸ばして頭の上で輪を作り、OKポーズを決めたドクター・レッドは、ハンニバルの方に向き直った。
「というわけで、依頼を変更します。ここで野菜を収穫し、データを取るのを手伝って下さい。」
「まあ、収穫を手伝ってくれるの!」
 エミリアも目を輝かせて、便乗する。
「だったら、ついでにカレーコンテストも手伝ってほしいわ。人手が足りなくて困っていたの。」
 部下たちからも見詰められ、ハンニバルは葉巻を取り出して火を点ける。おもむろに一服吸った後、こう言った。
「手伝おう、乗りかかった船だ。それに、祭となれば、この苗を売りに来た業者も来るかもしれん。」



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 ターシャの監督の下、畑に水を撒くハンニバルとマードック。生い茂る葉の中にはRマークがついていないものもあり、ハンニバルが雑草と間違えて引き抜きかけたところを、それも野菜だとターシャに叱られる。その横では、ドクター・レッドがカボチャとサツマイモの蔓の長さを測っている。コングはエミリアと大鍋や竈の準備。フェイスマンは夏祭のために紙皿やプラスチックのスプーンの調達に回っている。
 ジャガイモを掘るコング、ニンジンを抜くフェイスマン、ナスを採るエミリアとわさわさと生ったピーマンを選ぶターシャ、大きなカボチャと格闘するマードック、その肩にはズッキーニとパプリカ(赤)が貼りつけられている。次々と運ばれてくる野菜の重さを計るハンニバルと、記録をつけつつ首を傾げるドクター・レッド。
 野菜を洗うマードック、洗い終わった籠の中の野菜を取り出しては観察しているドクター・レッド。野菜を切るターシャとエミリア、そこへ肉を調達したフェイスマンが帰ってくる。大鍋にタマネギが投入され、肉と共に炒めるコング、水を注ぐハンニバル。鍋に浮かぶ緑色のピーマンの群れの中に1つだけ赤いものが。慌てて肩を見るマードック、だがそこにパプリカ(赤)の姿はない。涙に暮れつつ、ズッキーニも差し出すマードック。そんなマードックの肩に手を置き、ドクター・レッドが小さなカボチャを差し出す。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 そして、夏祭の日がやってきた。
 広場にはいくつものテントが設置され、カレーの匂いが漂っている。
 カレーコンテストとは、それぞれの団体が用意したカレーを訪れた客に一律1皿3ドルで売って食べ比べてもらい、人気投票で結果を決めるという催しである。
 隣町の婦人会は挽肉を使ったキーマカレー、青年会はシーフードカレー、教職員組合はお子様にも食べやすい卵入りカレーで勝負をかけてきており、なかなかの強敵揃いだ。そんな中、婦人会 with Aチームの夏野菜のカレーもなかなか健闘していた。
 マードックがライスをよそい、コングが大鍋からカレーを掬ってかけ、フェイスマンがエミリアと一緒にそれを売るというコンビネーションも鮮やかである。
 その横で来賓に挨拶していたターシャが、ハンニバルに小声で教えた。
「あそこでキーマカレーを食べている男の人が、私たちのところに苗を売りに来た業者さんです。」
 ターシャの指差した先には、いかにも人畜無害といった風情の温厚そうな男が1人、黙々とキーマカレーを掻き込んでいる。
 そこへ、ドクター・レッドがシーフードカレーと卵入りカレーの紙皿を両手に持って戻ってきた。ドクター・レッドは、被検体持ち出し犯と思しき男を見て、つかつかと歩み寄っていく。
「ドクター・グリーン! 奇遇ですね、ここでお会いするとは。」
「これはドクター・レッド。あなたもカレーを食べに?」
「まあそんなようなものです。研究の一環でね。ところで、そのキーマカレーはどんな感じですか?」
「いやいやいや、トマトの酸味と挽肉の油が絶妙な感じでなかなかいいですよ。そちらのシーフードカレーと卵入りカレーはいかがです?」
「これもなかなかですよ。濃厚なイカとタコのダシが出ていて。こっちは甘口ですが、コクがありますな。」
 すごい勢いでカレーを食べながらカレー談義に花を咲かせる2人を、Aチームの面々は遠巻きに見ていた。
「アレ、持ち出し犯でしょ? 知り合いなわけ?」
 乾いた笑いを漏らすフェイスマンに、ハンニバルが頷く。
「そのようだな。ドクターってことは、野菜研究所の同僚か、どこかの研究機関の研究者仲間だろう。」
「カレー好き仲間って言う方がピンと来るがな。」
 コングが呟き、新しい相棒ことカボチャに話しかけるマードックに対して拳を握る。
「どう思う、カンリー?」
「てめえにゃ訊いてねえよ、スットコドッコイ。早いとこライスをよそいやがれ。」
 コングの指摘ももっともだった。話している間にも、夏野菜のカレーを買いに人々はぞろぞろとテントにやって来る。マードック以外のメンバーは手を止めることなく作業を続けていたのだが、ライスをよそう係のマードックが休んでいては、流れが止まってしまう。このままでは列が長くなるばかりだ。
 コングに指摘されて、マードックが慌てて手を動かし始めた時、ドクター・レッドがドクター・グリーンと呼ばれていた持ち出し犯と連れ立って、このテントの方へとやって来た。
「何と言っても最大の期待はここですよ。」
「おや、あなたもですか。夏野菜のカレー。」
「ただの夏野菜じゃありません。何と私が開発したカレーによく合う野菜なんです! 苗をこちらに卸す形で育ててもらいましてね。」
 という発言が、他ならぬドクター・グリーンの口から出たので、今度こそAチームの面々の手が止まった。ドクター・レッドも驚いたように口をあんぐりと開けている。
「あなただったんですか、研究所の苗部屋から私の被検体を持ち出したのは!」
 ドクター・レッドの言葉に、今度はドクター・グリーンが驚いた表情になる。
「確かに持ち出しましたが、自分の被検体だけです。私専用の緑色の鉢に植えておいたものですから、間違いありません。」
「緑色の鉢……?」
 ドクター・レッドには覚えがあったようで、どこか遠くの空を見上げた。
「そう言えば、種蒔きの時に鉢が足りなくて、そこらに転がっていた鉢を借りたような……確か、緑色の鉢、だったかも。」
――自分たちの管理ミスか!
 内心そう叫ぶAチームを余所に、ドクター・レッドとドクター・グリーンは揃って首を傾げる。
「では、このカレーに入っている野菜は一体どちらの……?」
「僕の『スーパー・ベジタブル』の予想値と合わないデータがそのあなたの『カレーによく合う野菜』のものだとすれば、半々といったところでしょうね。」
「食べてみればわかります!」
 2人の博士はテントへと向き直り、スプーンを片手に声を揃えた。
「「夏野菜のカレー、大盛りで!」」



 その後のAチームは大忙しだった。ドクター・レッドとドクター・グリーンの話を漏れ聞いた祭の客の間に、「婦人会の夏野菜のカレーには何だかすごい野菜が使われているらしい」という口コミが広がり、客が殺到したからだ。
 その勢いのまま、婦人会のカレーはめでたく人気投票で1位を取った。カレーで使い切れなかった野菜はテントの片隅で臨時直売され、そちらも大変な好評を博した。
 ターシャやエミリアたち、婦人会メンバーとAチームが後片づけをしている横で、ドクター・レッドとドクター・グリーンはまだ夏野菜とカレーの関係について熱い議論を戦わせている。だが、どうやらその論戦は、「ドクター・グリーンの開発したカレーに合う夏野菜は本当によくカレーに合うので、ドクター・レッドの成長促進遺伝子技術と組み合わせて、量産できるようにしたらいい」という結論に落ち着きそうだ。
「結局、最初の依頼が有耶無耶になっちゃった気がするんだけど。」
 フェイスマンがアンニュイな表情で呟くと、ハンニバルがさっぱりと言い放つ。
「いいんじゃないか。依頼人は満足してるようだぞ。」
「おいらも満足だよ、コイツに巡り会えたし!」
 マードックがカボチャのカンリーに頬擦りしながら言う。確かに、パプリカやズッキーニの日持ちには限界があるが、カボチャは中を繰り抜いて上手く乾燥させれば、少しは長く持つだろう。その前にマードックの興味が他のものに移らなければ、の話だが。
「俺はもうカレーは当面見たくねえ。」
 カレー鍋を掻き回し続けたコングは、さすがにうんざりした様子だ。
 そこへ、婦人会会長のターシャがやって来て、ハンニバルに封筒を渡した。
「今日は手伝って下さってありがとう。おかげで予想以上の売り上げが出ましたし、人気投票の賞金も、野菜の直売の売り上げもあったので、少しですがバイト代です。」
「バイト代!」
 フェイスマンの機嫌が目に見えて上昇する。ハンニバルはターシャに礼を言うと、部下たちをぐるりと見回して、宣言した。
「よし、これで飯を食いに行くぞ!」
「やったー! おいらもう腹ペコだよ」とマードックの右手のカボチャが答える。
「カレー以外のもんにしてくれ。」
 ぼやくコングの背中を押しつつ、Aチームは広場を後にしたのだった。
【おしまい】
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