借りぐらしのアクアッティ
フル川 四万
 ロサンゼルス郊外のとある街角。かつて希望に溢れた新興住宅地であったこの場所は現在、夜明けの見えない不況に喘ぐアメリカ経済を反映するかのように、別に希望も何もない普通の住宅地になっている。そんな住宅街の早朝、1軒のお宅から響く中年の歌声。
「輝く太陽〜、背に受けて〜、奴が、奴がやって来る〜。波間を走る、その姿、朝日に輝く、その姿〜、そうさ彼こそ僕らの味方、正義の怪獣、アクアドラゴン〜……どうだい、いい歌だろう。」
 狭いダイニングテーブルの赤ギンガムチェックのテーブルクロスの上に手書きの譜面を広げて、一頻り唸ったハンニバルは、同意を求めるように朝食中の一同を見回した。一同と言っても、そこにいるのは、少年野球チームの朝練を終えたばかりのコングに、先週の水曜日に退役軍人精神病院の課外療養「水泳」の時間中に掻っ攫われて以来、ずっと赤白縞々の水着(ワンピース)と同色の海帽に浮き輪姿のまま居座っているマードックのみである。
「最後の“正義の怪獣”ってとこ、もうちょっと盛り上がるメロディがよくない? 例えば“正義の怪獣、アクアドラゴン〜”(どっかで聞いたメロディー)。」
 と、ツイストを踊り出すマードック。
「そりゃプレスリーのパクりだろが。」
「じゃあ、“アクアドラゴンさ〜”って、さー、つける。」
「さーつけたってそのメロディはハウンドドッグだぜ。」
「はいはい、いい歌だけどさ、何で主題歌から先にできてるの、今回。撮影だってまだ始まってないんだろ?」
 台所から熱々のコーヒーポットと山盛りのマフィンを持って現れたフェイスマンが、各々のカップにお代わりを注ぎつつ言った。
「ふむ、それがなあ、決まりかけてたスポンサーが降りてしまって、撮影の目途が立たないんだ。玩具メーカーの社長と意気投合して、映画のついでにアクアドラゴンの塩ビ人形を出す話にまでなっていたのに、土壇場で、何たらレンジャーとかいう5色のヒーローものを日本から輸入するとか言い出して、映画の企画自体おじゃん。」
「またジャパンマネーかよ。」
 コングが憎々しげにそう呟いた。いや、ジャパンマネーに買われた話ではないし、そもそも君らはあんまりジャパンマネーに迷惑被ってないと思うが。と、その時。
「ペックさん! ペックさーん!」
 勝手口の方から聞こえてくる女性の声。
「誰だ?」
「ああ、お隣のキャシディさんだ。どうせまた何か借りに来たんだろ。はーい、開いてますよ!」
 フェイスマンは、勝手口に向かってそう叫ぶと、「悪い人じゃないんだけどね」と小声でつけ加えた。ドズドスドスと足音高く登場したのは、花柄のポロシャツに真っ赤なミニスカートの小太り金髪メガネの中年女性。
「はいはい、今日は何ですか?」
「オリーブオイル!」
 キャシディは、ピッ、と人差し指を立ててそう宣言した。
「オリーブオイル切らしちゃって、サラダが作れないのよ。1オンスほど貸していただけないかしら。できれば、バージンオイルで。」
「……わかりましたよ、台所にあるから持ってって下さい。」
「ありがと、ついでに壜も借りるわね。入れ物持ってこなかったから。」
「じゃあ、流しの横に使いかけのがあるから壜ごと持ってって。」
「あらいいのに、そんな。適当な壜でくれて。」
「適当な、って、キャシディさん、先週バルサミコ借りに来た時、バカラの壜で持っていったでしょ。あれまだ返してもらってないから。」
「そうだったかしら?」
「そう! 中身はいいけど、あの壜はダメだから、返してね、絶対。」
「いいじゃない、壜くらい、ケチねえ。」
 キャシディは、そう言うと、食卓と、食卓に着く面々を眺め回し、「お友達?」とフェイスマンに聞きつつ、マフィンをひょいと摘んで一口齧った。
「あら、これ美味しいわ。貰ってあげようかしら。」
 そう言って再度マフィンの籠に伸ばした右手を、ハンニバルがガシッと掴んだ。
「お嬢さん、済まないが、これはあたしたちの朝食なんだ。勝手に持っていかないでくれないか。」
「あらいいの、うちは誰のでも気にしないから、うちのコのおやつに貰ってあげる。」
 そう言って、なおもマフィンに左手を伸ばすキャシディを、今度はコングが制した。
「気にするしねえの問題じゃねえだろ、あんた、人のもんに手え出すのは泥棒だぜ。」
「まあ失礼ね、泥棒だなんて。人数より一杯あるからちょっと手伝ってあげようと思っただけなのに。」
「はいはいはい、もういいから、キャシディさん。マフィンなら今度焼いてあげるから、今日は帰って帰って。」
「あらそう、じゃ、待ってるわ。うちはバナナとシナモンがいいわ。プレーンは要らないから。あ、でも作っちゃったら貰ってあげるからね。」
 シッシッ、と追いやるフェイスマンに押し出されるようにキャシディは帰っていった。



「何なんだ、あのアマ!」
 キャシディの背中を見送った後、コングが忌々しげにそう言った。
「すっごい図々しかったねえ。俺っちん家(病院)にもいないよ、あの手。」
「いくら隣人でも、あれはちょっと酷くないか? 大体、オリーブオイルもバルサミコも、“借りる”もんじゃなくて、“ちょっと貰う”もんだろう。」
 返せないものを借りることを、日本では“ジャイアン借り”と言いますな。
「うーん、俺もちょっと図々しいなあとは思うんだけど、この地域の顔役だから、逆らわないでって、ここ貸してくれたコが言っててさ。ここ貸してくれた家族、今バカンスでフランス行ってるんだけど、幼稚園の子供がいて、キャシディを敵に回すと、子供が幼稚園で孤立しちゃうらしいよ。それに、食料品とか日用品の貸し借りって、この辺では普通にするみたいだし。」
「……嫌な地域だな。」
「仕方ないよ、古い住宅街だもん、そんなこともあるさ。」
 と、物わかりのいいフェイスマンが話を締めたその時……。
「ぎゃあ〜!」
 今度は裏庭から男の悲鳴。それに続いて、「たーすーけーてー」という微かな声が響いた。
「今度は何よ? マフィン冷めちゃうじゃん。」
 と、マードック。
「依頼人だ。行こう。」
「依頼人?」
 ハンニバルを先頭に、裏庭に出る4人。そして発見したのは、包帯グルグル巻きの状態で木からぶら下がっている人間が1人。
「アルフレッドだね?」
 ハンニバルが、にこやかにそう問うた。
「……はい、アルフレッド・ランガーです。て言うか、何これ。僕、何か悪いことしましたっけ?」
 ネットに入った状態でブラブラ揺れながら、包帯ぐるぐる巻き男はそう訴えた。
「いや何、アクアドラゴンの主演として、名作ミイラハンター・シリーズの監督に敬意を表してみたんだが、どうかね。」
「それはありがとうございます。アクアドラゴンって知らないけど……とりあえず、下ろしてくれますか?」
「いいとも。」
 木から下ろされ、包帯も外された青年――アルフレッド・ランガー、28歳。職業・映画監督(B級)が、今回の依頼人です。



 リビングに移動したAチームとアルフレッド。緊張した面持ちのアルフレッドは、フェイスマンに勧められたコーヒーを一口飲むと、話し出した。
「僕は、映画監督をしています。と言っても、単館ロードショーぐらいの、いわゆるB級映画です。映画学校時代の同級生と会社を作っていて、今、3本作品があります。」
「知ってるよ。ミイラハンター・シリーズ。あれは、なかなかいい作品だ。オリジナリティはないけど。あれは、あれだろ? ブーンズ・プロダクションのゾンビハンター・シリーズのパクりだろ?」
「違います! あれは僕のオリジナルです! ……世間では、そう見られてないけど。」
 アルフレッドは、ソファから身を乗り出してそう叫ぶと、急に意気消沈したように頭を抱えた。
「……ミイラハンター・シリーズは、1作目の『ミイラハンター』から、『ミイラハンター、NYへ行く』、『ミイラハンター、ヨーデルを歌う』まで3作、全部僕のオリジナル脚本です。真似をしたのはブーンズの方、て言うか、盗まれたんです、脚本を。それで、先に公開されてしまった。」
「盗まれただと?」
「はい、どこから漏れたかはわからないけど……ゾンビハンター・シリーズは、全部僕の脚本のパクりなんです。それが証拠に、ほら。」
 アルフレッドは、ボロボロのノートを取り出した。表紙には、『1973年、ミイラハンター台本(1)』と書かれている。
「高校の時、8ミリの自主制作でミイラハンターの原型を撮ってたんです。これ、その時の台本。1作目とほぼ同じストーリーです。このノート自体を捏造って言われたら証明のしようがないけど、それに、僕のスタッフも証明してくれるはずです。」
「確かに古そうなノートだね。」
「あ、これ本物だよ。だってノートの製造年が1970年だもん。捏造しようと思っても、こんな古いノート、店に置いてない。」
 マードックが、ノートの裏を返して見ながらそう言った。
「ふむ。それじゃあアルフレッド、ゾンビハンターは、本当にミイラハンターのパクりなんだな?」
「ええ。1作目が『決戦! ゾンビハンター』、2作目が、『ゾンビハンター大都会の死闘(NY編)』、そして3作目が『ゾンビハンター山脈を行く(アルプス編)』です。もう、タイトルからしてそのまんまだし、内容も、僕のミイラハンターは、悪の魔術師がエジプトのミイラを復活させて世界制服を目論むんですが、ゾンビハンターも、気の違ったネクロマンサーが死者を次々と復活させてアメリカ政府の転覆を謀る、ってやつで、ほぼ一緒。」
「何かゾンビハンターの方が面白そうじゃん? タイトルもいかしてるし。」
「タイトルセンスの問題は放っておいて下さい! 生まれつきです。」
 マードックの突っ込みに、アルフレッドが殺気立つ。
「まあまあ、それで、どうしたいんだ、アルフレッド。パクりだということを暴いたって、世に出てしまった作品をなかったことにはできないし。ブーンズ監督に模倣を認めさせて、賠償請求するかい?」
「いえ、賠償とかはいいんです。一言謝ってくれれば。ただ、実は今、4作目の企画があるんです。『ミイラの盆踊り』っていう、夏に死者の魂が幽霊船で帰ってきて、ミイラと一緒に輪になって踊るっていうやつなんですが、台本がすごくよくできて、最高傑作の予感がするんです。でもこのままだと、この傑作すらもパクられそうで。」
「何だかパッとしない企画。」
 フェイスマン、それは言わない約束だ。作った本人が傑作って言ってるんだから。
「と言うより、こう全部だと、お前さんの身近な人間の誰かが、脚本をブーンズに売ってるとしか考えられないんだが。」
「そうなんですよね。でも、うちは僕も含めてたった4名のプロダクションなので、気持ち的にはみんな仲間です。その仲間を疑うなんて心苦しくて。それに、誰かがやっていたとしても、それが誰かを突き止める方法が思いつかなくて。」
「裏切り者を炙り出す方法ねえ。」
「脚本をしまった場所に隠しカメラを据えて、見張ってるってのはどうだ?」
 と、コング。
「脚本の表紙を、触ったら指紋がつくような素材で作るとか。」
「アルフレッド、新作の脚本は、社員にどうやって発表するんだ?」
「ええと、企画会議で説明するとか、書き上がった時にその場にいた人から適当に見せるとか、いろいろです。」
「ふむ。じゃあ、必ずしも全員一遍に見せるわけじゃないんだな。」
「はい。」
「じゃあ話は簡単だ。別の脚本を3本作って、それぞれに1本ずつ見せればいい。それで、ブーンズがパクった脚本を見せた奴が犯人だ。」
「なるほど。」
「名案じゃん。」
「で、偽脚本は誰が書くの?」
「そりゃあもちろん!」
 ハンニバルが、葉巻を銜えてニヤリと笑った。



〈Aチームのテーマ、流れる。〉
 机に向かい、ひたすらタイプライターを打つアルフレッド。アルフレッドの横で、ひたすら原稿用紙を埋める作業に勤しむハンニバル。ハンニバルが丸めて投げ捨てた原稿用紙を拾い集めてゴミ箱に入れるフェイスマン。赤・青・黄色のエンボス紙を表紙にして製本作業に勤しむコング。でき上がった脚本にランガー・プロダクションのハンコを押すマードック。次々とでき上がった赤・青・黄の脚本が3冊、テーブルの上に放り出される。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉



「ふー、できましたね。」
 3冊の脚本を前に、アルフレッドが汗を拭き拭き言った。
「ふむ。まずこれが本物、『ミイラの盆踊り』、それからフェイク1冊目、『ミイラハンター対グリズリー』。」
「ミイラハンターが、ミイラと熊と戦います。敵が2組です。我ながら、画期的なアイデアです。一晩で書いたにしてはよくできたし。」
 アルフレッドの言葉に、ハンニバルはふむ、と頷いた。
「そしてこれがフェイク2作目、とは言え、かなりの名作だぞ、『ミイラハンター vs. アクアドラゴン』! ミイラハンターに虐げられた心優しいミイラが正義の怪獣アクアドラゴンに加勢を頼んで、ミイラハンターとアクアドラゴンが対決する話だ!」
「……それ、自分がやりたいだけだよね?」
 と、フェイスマン。
「いや何、そろそろ最強を誇るミイラハンターにもライバルが必要な時期ですしね。」
「いいねえ。心優しいミイラっていう設定がまず、地球に優しいよね。」
 どんな感じで地球に優しいのかは定かではないが、スイミングのジェスチャーをしながらのマードックの感想に、ハンニバルは満足気。
「それを誰に渡すんでい、アルフレッド。」
「はい、うちの社員は3人。まず、助監督のジェローム。彼は、学生時代からの友人で、一番信頼している僕の相棒です。彼には、元々盆踊りの企画を話しているので、オリジナルの盆踊りを渡します。彼が犯人だったらショックだなあ。それから、美術のマーフィ。彼は、去年うちに入社したばかりなので、犯人の確率は低いと思いますが、彼にはグリズリーを。そして、キャスティング担当のレイ、彼女、恥ずかしながら僕の彼女なんで、犯人じゃないと思いますが、彼女にはスミスさんのアクアドラゴンを渡して様子を見ます。」
「ちょっと待って、それじゃ犯人らしい人いないんじゃないの?」
「そうなんですよね……。だから、誰が犯人でもショックです。」
 と、アルフレッドは肩を落とす。
「今までのパターンだと、敵は脚本を手に入れてから、かなりの急ピッチで撮影に入るはずだ。ミイラハンターより先に公開しなきゃならないからな。コング、モンキー、ブーンズ・プロダクションの動きを張っておけ。フェイスとアルフレッドは、社内の動向をそれとなく探れ。裏切り者が誰かわかったら、ブーンズ・プロダクションに乗り込むぞ!」
「了解。」
「わかったぜ。」
「おっけー。」



 アルフレッドが3人の社員に、それぞれの脚本を渡してから数日。ロサンゼルス郊外の撮影スタジオ……とは表向き、現在は、Aチームおよびアクアドラゴンの物置となっている場所に、1本の電話が。
「はい、こちらアクアスタジオ(仮名)……アクアドラゴンの中の人? いますよ、ちょっと待ってね。」
「フェイス、誰からだ?」
「ブーンズ・プロダクションだって。」
「お出でなすったな。」
 ハンニバルは、フェイスマンから受話器を奪うと、陽気な声で話し出した。
「はい、ああ、存じてますとも、ゾンビハンター。ええ、その最新作にアクアドラゴンを。何々、そろそろ最強を誇るゾンビハンターにもライバルが必要な時期? そうでしょうとも。ええ、それじゃ、明日伺います。はい、それじゃ……。」
 電話を切ると、ハンニバルは満面の笑みでフェイスマンに向き直った。
「やったぞフェイス、アクアドラゴン、新作決定だ!」
 喜ぶポイントは、そこでいいのかハンニバル。



 その日の午後。ロサンゼルス郊外の住宅地のうちの1軒では、アルフレッド・ランガーがぐじぐじと泣いていた。その横では、銜え煙草の金髪美女が、憮然とした表情で座っている。
「そんな……ヒック、レイが、レイがブーンズと通じていたなんて……ヒック。」
「いい加減、泣きやみなさいよ、鬱陶しい。そういうところが嫌いだったのよ、アタシ。」
 女――アルフレッドの恋人で、台本横流しの犯人であったレイは、泣くアルフレッドにそう言い放つと、プイ、と横を向いた。
「レイ、聞かせてもらおうか。どういうつもりでブーンズに脚本を渡したんだ?」
「……アタシの仕事、知ってる?」
「ええと、キャスティング・プロデューサー、だっけ。」
「そう。映画の企画に合わせて、俳優をブッキングするのが仕事。でも、この人の会社に入ってから、1回もマトモにブッキングできてないの。」
「それはなぜ?」
「予算がないからよ! 台本はあるし、そこそこ出来もいいのに、予算がなくて的確な俳優をブッキングできないの! ミイラハンター役の俳優、普段何やってると思う? 牛乳の配達屋よ? プロの俳優ですらないのよ? そんなんじゃ、台本と、このアタシの才能がもったいなさ過ぎるじゃない。ブーンズのところなら、とりあえずプロの役者を雇えるし。それに彼、いい男だしね。アタシたち、次の映画が当たったら、式を挙げることになってるの。」
 レイは、そう言うとにっこり微笑んだ。
「クビにするならすればいいわ。こんな会社に未練なんかないし。じゃ、アタシこれで。ああ、貰った台本ね、もうブーンズが製作始めてるから。アクアドラゴンとかいう怪獣も、こっちで押さえてるから。いいでしょ? 退職金代わりってことで。」
 レイの言葉に、アルフレッドが顔を上げて、きっぱりと言った。
「うん、いいよ。その台本は、退職金代わりに君にあげるよ。その代わり、二度とうちの事務所に出入りしないでね。」
「もちろん、こっちから願い下げよ。さよなら、アルフレッド。」
 そう言って、レイは靴音高く去っていった。
「さよなら、レイ。」
 アルフレッドは、そう小さく呟くと、テーブルの上のクリネックスを引き抜き、思いっきり鼻をかんだ。
「まあ、よかったじゃねえか。フェイクの台本に食いついてくれて。こっちはこっちで、当初の予定通り『ミイラの盆踊り』を撮ればいいだろ。」
 と、コング。
「で、あっちはどうすんのさ、ハンニバル。まさか、出る気じゃないだろうね?」
「うーむ、アクアドラゴンにとっては、せっかくのチャンスだしなあ。」
「何言ってるんでい、敵に塩送るつもりか?」
「いいです、アクアドラゴン、ブーンズの映画に出て下さい。僕、報酬もそんなに払えないし、もしそれでスミスさんのチャンスになるなら、僕に止める権利はありません。」
「しかしそれじゃ、ブーンズの思う壺じゃないか?」
「いや、いいんです。大丈夫です。」
 アルフレッド、何が大丈夫なのか。それは暗に、こっちにアクアドラゴンは要らないって言ってないだろうか。
「僕は僕で、残った仲間と地道に自分の映画を作ります。……ありがとうございました。」
 傷心の映画監督が、Aチームに決意に満ちたその言葉を告げた、その時。勝手口に響く声あり。お隣の借り物女、キャシディである。
「ペックさん、ちょっとペックさーん!」 
「はーい、開いてますよ。今度は何ですか?」
「あのね、ダウニー貸してよ、ダウニー! 洗濯の途中で柔軟剤切れちゃって。」
「買い置きしておこうよ、ダウニーくらい。」
「悪いわね。あれ重たくて、つい忘れちゃうのよ。」
 理由が「重たくて」である以上、「つい忘れて」いないことは明白である。
 と、アルフレッドに目を留めるキャシディ。
「……あら? あなたどうしたの。目、真っ赤じゃない。泣いてたの? これで涙お拭きなさい。」
 アルフレッドの姿を認めたキャシディが、彼にハンカチを差し出した。ハンカチには、Y・Oと、恐らくキャシディの家の誰のものでもないイニシャルが刺繍してある。
「ありがとうございます。うぅ(泣)。」
「ちょっと、泣きやみなさいよ。いい大人が鼻水まで垂らしてみっともない。」
「こいつ、脚本を同業者に盗まれた上に、恋人まで盗られちゃったんだ。」
「まあ酷い。人のものに手を出すなんて最低ね。」
 キャシディの言葉に、そこにいる誰しもが「お前が言うか」と心の中で突っ込んだ。
「ええ、僕、結構彼女のこと好きだったんで、悲しくて……。」
「そういう時はね、取り返してやりなさい。」
 そんな皆の心の声を尻目に、キャシディは、腰に手を当ててアルフレッドの正面に仁王立ちしてそう言った。
「え、でも人のものを取るなんて、僕には……。」
「そりゃ勝手に人のもの奪うのはいけないことだけど、そうね、ちょっと借りるくらいならいいじゃないの、ね? どうせ向こうだって後ろ暗いところがあるんでしょう? 何か貰ってあげることで、ちょっとでも罪悪感が薄まるかもしれないじゃない。自分のものを取られて腹が立つなら、それ相応のものを“貰ってあげる”の。それが社会。そうやって物や人は回っていくのよ。ね?」
 無茶な論理である。何教の教えだか、そもそも教えだが格言だか諺だかもさっぱり不明。
 だが、キャシディのその言葉は、なぜかそこにいる一同の胸に、ある重みを持ってしっくりと落ちてきた。アルフレッドは、キャシディの目を見て、しっかりと頷いた。2人の視線の間には、その瞬間、美しい師弟の絆のようなものさえ見て取れたのであった。
「じゃ、あたし帰るわね。」
 そう言うとキャシディは、重いダウニーのボトル(未開封)を1本抱えて去っていった。その後姿を、ありがたく見送る一同。
 バタン、と勝手口のドアが閉まった瞬間、ハンニバルが一同に向き直って、言った。
「よし、アルフレッド。あたしに任せておきなさい。ブーンズからは、それ相応の見返りをいただいて、『ミイラの盆踊り』を、ぱーっと豪華な映画にしようじゃないですか。」



〈Aチームのテーマ、流れる。〉
 砂浜のロケ地。豪華なコンドミニアム風な建物の庭で、『ゾンビハンター vs. アクアドラゴン』の撮影が行われている。ゾンビハンター役のアントニオ・バンデラス(当時無名)と、ゾンビたちおよびアクアドラゴンの殺陣シーン。長いムチを自在に操るゾンビハンターに、ハイパー水鉄砲で立ち向かうゾンビたち。それを、後方で指揮するアクアドラゴンだが、時折ムチがベチっと顔に当たってムッとする。ごめん、と軽く舌を出して謝るバンデラス。いいってことよ! と太っ腹なアクアドラゴン。撮影は早送りで進み、夕方になって「カット!」の声がかかる。撤収する撮影隊。スタッフに紛れて立ち働くモヒカンの男と、いかにも大道具風なツナギ姿の優男が、セットから小道具をそっと運び出す。豪華な家具や照明、水鉄砲、ゾンビハンターの衣装のマント、賄いのフルーツとかお菓子とか、そんなものを。
 場面変わって、こちらは小さなスタジオ。そそくさと運び込まれた豪華な家具や照明を手早く配置し、ミイラハンターの撮影開始。ミイラハンター(牛乳配達員)がエジプトでミイラを発掘するシーンに、ものすごくそぐわない現代家具および照明の皆様。それを、借りてきたお菓子や果物を頬張りながら見学するコング、フェイスマン、マードック。
 翌朝、コングとフェイスマン、そしてアルフレッドによって、借りた家具・照明は元の場所に返されて、跡形もなく元通り。ゾンビハンターの撮影現場の誰も、セットが夜のうちに“借りられ”て、“返され”ていることには気づいていない。何も知らぬまま、ブーンズ一派、ゾンビハンターの撮影再開。今度は、ゾンビハンターとヒロインの女性が、豪華ヨットの上でシャンパンを飲みながら愛を誓うロマンティックなシーン。そこを、船の縁からざっぱぁあん、と乗り上げて襲うアクアドラゴン。「ここで会ったが100年目、彼女を放せ、このゲス野郎!」そう言ってるつもりのアクアドラゴンだが、実際に発した声は一言「キェーイ!」であった。
 本日も撮影が終わり、撮影隊は撤収。全員撤収したところを見計らって、大量に出現するミイラの皆様(エキストラ)。堤防に繋がれたばかりの豪華ヨットに乗り込み、エジプトから復讐のために海を渡ってきたミイラの王(演ずるはマードック。もちろん赤白の水着と浮き輪着用のまま)と、その手下のシーンを手早く撮影。ミイラの皆様、シャンパングラスとか手にしちゃって、何だか楽しげ。ワンテイクで撮影終了後、すごいスピードで撤収するミイラたち。
 そうして、セットや小道具を(片方知らぬ間に)共有しながら双方の撮影は進み、とうとうゾンビハンターのクライマックスシーン。ゾンビの親玉、悪のネクロマンサーの基地である地下神殿の豪華セット(なぜか中央に、3m四方の櫓のようなものあり)。そのセットで、ゾンビハンターとゾンビ、そして戦いの中でハンターと意気投合したアクアドラゴンが、ゾンビの群れおよびネクロマンサーと最後の死闘を繰り広げるシーン。最高の集中力で高度なアクションを決めるバンデラスと、こちらも伸び伸ーびと暴れ回るアクアドラゴン。2人のコンビネーションも素晴らしく、あっと言う間に撮影終了。監督から主演の2人に花束が贈呈されて、お疲れさまの儀。そしてスタッフ、キャスト共に、打ち上げのために、そそくさと電気を消し、セットを後にした。
 全員撤収してから10分後、再び点けられる照明と、息を吹き返す地下神殿のセット。中央の櫓の周りには提灯が並べられ、櫓の上にはミイラの王が浮き輪も雄々しくスタンバイ。そこに、2列縦隊で小走りに走り込んでくる、浴衣と編み笠姿のミイラの皆様。流れ始める『東京音頭』。櫓の周りで輪になって踊り出す一同。『ミイラの盆踊り』のクライマックスシーン、ミイラの王(マードック)の復活の儀式(=盆踊り)でハンターと対決するシーンの撮影が、これまた超スピーディにワンテイクで行われたのであった。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉



 後日、ブーンズ・プロダクションの新作『激突! ゾンビハンター vs. アクアドラゴン』と、ランガー・プロダクションの自信作『ミイラの盆踊り』は、ほぼ同時に公開された。
 前者は、「ゾンビハンターの新作とは思えぬ脅威の駄作」、「で、アクアドラゴンって結局何なの? アントニオ・バンデラスは、かっこよかったけど」と、一部のファンに驚愕された上に、後年、アントニオ・バンデラスの作品歴からは抹殺されるに至り、後者については、「ミイラハンターにしては珍しくオリジナリティがある。内容ひどかったけど」、「ランガー・プロにしては金がかかっていた」と、更に一部のファンに微かな評価を得たのであった。
【おしまい】
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