ワンダフル・ジャパン2010
鈴樹 瑞穂
 12月も半ばを過ぎた日曜日、ニューヨーク。ロックフェラーセンターの巨大なクリスマスツリーの前で、寒そうにコートの襟を掻き合わせる男が1人。Aチームの調達屋、フェイスマンことテンプルトン・ペックである。
 周囲には楽しそうなカップルや家族連れが溢れており、クリスマスホリデーを前に街全体が華やいだ雰囲気を醸し出していた。そんな中にちらほらと混じるビジネスマンに、フェイスマンも上手く溶け込んでいる。
 フェイスマンが手にしている日本語の新聞を見て、1人の男が近づいてきた。やはりスーツにコート、トランクを手にしたビジネスマンスタイルで、背が低く、丸顔の東洋人だ。さりげなく擦れ違いざま、彼は独り言のようにぼそりと呟いた。
「山。」
 フェイスマンも開いた新聞から目を離さないままに呟く。
「川。」
 意味するところは不明だが、これが今回依頼人から伝えられたコンタクト時の合言葉なのだ。
 2人の男は視線を合わせ、微かに頷いた。それから、そそくさと歩き出したフェイスマンの後に小男がついて来たのだった。



「あー寒かった。」
 ビルの陰に停めたバンに乗り込むと、フェイスマンはコートの前を開け、ネクタイを緩めた。
「首尾は?」
 中にいたハンニバルが尋ねる。
「来たぜ。」
 運転席のコングがバックミラーを見て言い、マードックが素早くドアを開ける。
 フェイスマンから少し遅れてバンに乗り込んで来た小男は帽子を取り、車内の男たちを順に見回した。
「あの、Aチームの方々ですか? 僕はタツヤ・ウエスギと言います。アレンさんに紹介してもらって……。」
「上杉達也って、タッちゃんじゃん!」
「いや、同姓同名ですが、某有名野球(?)マンガとは無関係です。正しく言うと、植杉達哉でして。でも、中高大学に至るまで、タッちゃんと呼ばれてました。」
「似たようなもんじゃん! って、確かに似てないけどよ。」
 マードックが突っ込む間に、コングがバンを発進させた。



 ニューヨーク某所、とあるアパートの一室。Aチームに仕事を持ってきたエンジェルことエイミー・アマンダー・アレンが用意したアジトもとい滞在場所である。
「改めてご挨拶させていただきます。わたくし、こういう者です。」
 深々とお辞儀をしながら名刺を差し出すタッちゃん。名刺には『エ○ック社営業第二部販売推進課 課長代理』の肩書きが。因みにこういう場合、課長代理とは平社員のことである。
「○ポック社と言やあ、野球盤だな! ガキの頃、よく遊んだぜ。」
 コングが懐かしそうに言うと、タッちゃんは勢いよく身を乗り出した。
「そうなんです、その野球盤ですよ! 我が社の主力商品です。」
「でも最近、野球盤ってあんま見ないけど。」
 マードックがずばりと言い難いことを口にする横で、ハンニバルがうむうむと頷く。
「そりゃそうでしょ。今や電子ゲームが全盛の時代、アナログゲームは厳しいもんですよ。オンライン対戦もできないし。」
「ちょっと! ソレ言い過ぎ!」
 フェイスマンが慌ててハンニバルの袖を引っ張る。その顔には『日本企業からの依頼を何としても受けたい=謝礼がよさそうだから』と書かれている。
「いえ、その通りです。でも、アナログもいいものですよ。ネット対戦はできないけど、テーブルを囲んで対面で盛り上がれますからね。」
 一瞬、拳を握り締めて熱く語ったタッちゃんであったが、Aチームの面々の注目を浴びているのに気づくと、こほん、と咳払いを1つして、拳を解いた。
「で、そのエポ○ク社の営業さんが俺たちに頼みたいことって?」
 フェイスマンが尋ねると、タッちゃんは端的に告げた。
「野球盤です。」
「まさか、俺たちに新しい野球盤を作れっての?」
「そいつは面白そうだな。」
 意外と乗り気なマードックとコングに、タッちゃんが慌てて手を振った。
「違います。皆さんには、我が社が作った特別な野球盤を取り戻してほしいんです。」



 エポッ○社のタッちゃんこと植杉達哉氏が語ったところによると、○ポック社では“世界に1つだけのスペシャル野球盤”の受注生産を受けつけていて、この度、クリスマスイベントに合わせて注文を受けて作った野球盤をようやく完成させたまではよかったのだが、納品する前に盗まれてしまったのだと言う。
「野球盤なんて盗む物好きが……。」
 しみじみと呟いたコングの口を塞いで、フェイスマンが営業スマイルでタッちゃんに向き直る。
「それは、どういった野球盤で?」
「実は毎年1つずつ作っているものなんです。題して『ワンダフル・ジャパン』、その年の日本の輝かしい功績を表現した野球盤です。まあ、イヤープレートのようなものですね。」
「ほほう。今年話題になった日本の功績と言えば、アレか。」
 意外に奥深い野球盤の世界に、ハンニバルも興味を惹かれたようである。
「はい、イチローやマツイといった大リーグで活躍した日本人選手はもちろん、ノーベル賞を受賞した鈴木博士と根岸博士も選手として使えますし、何と言っても目玉は電光掲示板の上に小惑星探査機はやぶさの模型がついていることです。」
「何、その無茶振り。」
 流石のフェイスマンも営業スマイルを一瞬忘れたが、そこはプロ、すぐに気を取り直して話をまとめる。
「じゃ今回の依頼ははやぶさの模型がついた野球盤『ワンダフル・ジャパン2010』の奪還、ということですね。」
「ええ、お願いします。『ワンダフル・ジャパン2010』は明後日のクリスマス・チャリティ・イベント会場でゲームに使われた後、チャリティ・オークションにかけられる予定なんです。そのために僕が日本からハンドキャリーしてきたんですけど、こんなことになってしまって……。今から作り直してもとても間に合いませんし、今回の出張旅費を全部かけますから、よろしくお願いします!」
 取り縋らんばかりのタッちゃんに、コングとマードックがハンニバルの方を見る。フェイスマンも日本企業の出張旅費について頭の中で電卓を叩き、期待に満ちた眼差しでハンニバルを振り返った。そして部下たちの注目を集めたAチームのリーダーは重々しく頷いたのであった。



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 テーブルの上に広げた『ワンダフル・ジャパン2010』の設計図と写真を囲むAチーム。ハンニバルに見上げられて、コングが指折り何かを言う。メモを取ったフェイスマンが頷いて部屋を出る。
 ガレージに次々とガラクタを運び込むマードック。ハンニバルがそれを検分する横で、コングは何やら小型の機械を組み立てている。戻ってきたフェイスマンが紙袋からプラモデルの箱を取り出す。その箱には『1/32 スペースクラフトシリーズ』のタイトルが。
 タッちゃんが持ってきたごく普通の野球盤の人形を、マードックが写真を見ながら手直しし、イチローやマツイやドクター・スズキに似せていく。コングが磁石でボールを動かし、ハンニバルは無闇にバットを回転させる。フェイスマンはかつてない真剣な表情でプラモデルを組み立てている。その彼の肩にそっと手を置き、タッちゃんがエアブラシを差し出す。
 電光掲示板の上に、コングがはやぶさのプラモデルを取りつける。マードックは野球盤を裏返してしきりに何かを手探りしている。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 2日後。クリスマス・チャリティ・イベント当日、会場は『ワンダフル・ジャパン2010』を用いたゲームで盛り上がっていた。
 使われているのは、Aチームが用意したダミーである。ハンニバルが立てた作戦は“ダミーを使って犯人をおびき寄せる”というシンプルかつ大胆なものであった。
 イベント本番にダミーを出すことに対し、当初タッちゃんは渋った。その場で実際にゲームに使われるからである。しかし、出来上がったダミーを見て、結局折れた。
 というのも、量産型の野球盤を改造して作ったにしてはダミーはよくできていたし、童心に返ったコングが新しい魔球まで仕込んで、機能的にはむしろオリジナルを越えていたからだ。因みにタッちゃんは、コングが考案した新魔球の仕組みを、今度自分の名前で社内の特許審査会に提出する許可を取りつけている。
 肝心のはやぶさの模型はと言えば、元がプラモデルであるだけに、精巧に作られたオリジナルとは比較にならなかった。だが、イベントで遠目に見るくらいなら誤魔化せる。
 実際、ゲームの参加者たち――会場に集まったちびっ子の中から希望者が選出された――も、新魔球に大興奮で、ゲームはさながら魔球合戦の様相を呈している。
 イベントの出し物ということで、試合は5回制の特別ルール。そして4回裏、宴もたけなわと言ったところで、ついに敵が動き出した。
「ちょっと待ったー! それは出来損ないだ!」
 観客を押し除けステージ上に上がってきたのは、背が低く、丸顔のイタリア系の男だった。微妙にタッちゃんとキャラが被っているかと思われたが、サングラスを外したその顔は、バッチリつぶらなブルーアイ、更にラクダばりに睫が長い。
 そして、彼の後に従う黒スーツ男の手には、オリジナルの『ワンダフル・ジャパン2010』があった。
「あ、あの人は――!」
 乱入者を指差して、タッちゃんが叫ぶ。
「知ってるのか、タッちゃん。」
 マスクを上にずり上げて、マードックが尋ねる。彼は本格的なアンパイアの格好で、ゲームの審判としてダミー『ワンダフル・ジャパン2010』の前に立っていたのだ。
「知ってます。バロック社の営業マン、ミスター・パンチです!」
 バロック社はイタリア系の玩具メーカーで、○ポック社の野球盤の類似商品を出している会社である(実在しません)。ただし、売れ行きは正規の野球盤に及んでいない。というのも、ファッションの国イタリアの威信にかけてフィールド部や観客席、選手の人形といったルックス部分にはかなりのこだわりを見せているのだが、肝心のボールを投げて打ってという仕組みが、今一つ残念な出来に留まっているからである。
「そんな出来損ないより、この我が社が作ったモデルの方が10倍、いや100倍素晴らしい出来だ!」
 胸を張って部下の捧げ持つ『ワンダフル・ジャパン2010』を指し示すミスター・パンチ。我が社が作ったとか言っちゃってるが、それはエ○ック社が総力をかけ、1カ月の製作時間を費やして作ったオリジナルなのである。当然、Aチームが量産品をちょこっと改造したダミー(製作時間6時間)よりもハイクオリティに決まっている。
 黒スーツの男は、ミスター・パンチの合図で、テーブルの上にあった『ワンダフル・ジャパン2010』の横に並べて、持っていた『ワンダフル・ジャパン2010』を置いた。
 騒然とする会場内で、プロジェクターに順番に2つの野球盤がアップで映し出された。特にはやぶさの模型に関しては、オリジナルの出来は素晴らしかった。
「ほら、ウチの方がよく出来ているだろう。だから、来年から『ワンダフル・ジャパン』の制作はぜひこのバロック社に任せていただきたい。更に『ワンダフル・イタリア』の制作についてもぜひ前向きに検討していただきたい。」
 呆然とするイベントの主催者に、ミスター・パンチが名刺を渡す。案外真っ当な営業活動をしているようだ。
「確かにこちらの方が出来はいいようですが。」
「そんな……!」
 押し切られかけている主催者に、タッちゃんがおろおろとAチームを振り返る。マードック以外の3人は、観客席の一番前の列で待機しているのである。
「ちょっと待ったー!」
 その時、マードックがマスクを投げ捨て、進み出た。そして、カメラ係の青年を手招きし、2つの野球盤を裏返す。
 そこにはエポ○ク社のロゴが入っていた。しっかり、ばっちり、両方にである。
「こ、これは……両方ともエポッ○社さんの製品のようですが、どういうことですか、ミスター?」
 主催者が振り返ると、ミスター・パンチがチッと舌打ちをする。
「ばれちゃ仕方ない。」
 ミスター・パンチが指を鳴らすと、会場内の最前列に座っていた男たちがサッと立ち上がった。ステージに上がってきたのを見れば、黒スーツの集団であった。
 主催者とタッちゃんを吊るし上げようとする黒スーツ集団の前に、アンパイア・マードックが立ち塞がる。
「ひゃっほー!」
 繰り出されたパンチを腹の防具で受け止め、マードックは身を沈めると黒スーツ男の足を掬い上げた。
 その隙にタッちゃんが主催者を引っ張って、ステージの端に避難する。
 ハンニバルとフェイスマン、コングもステージに上がってきて、乱闘が始まった。



 ハンニバルが黒スーツ男の突進を避け、勢い余った背中に肘を入れて沈める。コングは左右の手で2人の黒スーツ男の襟首を掴み、じたばたする男たちにニヤリと白い歯を見せた後、鈍い音を立てて2人の頭をぶつける。マードックは会場内のちびっ子たちをステージから離れた方へと誘導し、形勢不利と見て逃げ出そうとしたミスター・パンチの足をフェイスマンが引っ掛けた。



 イベント会場での乱闘騒ぎに流石に通報が行ったらしく、ほどなくパトカーのサイレンが近づいてきた。ミスター・パンチと黒スーツの男たちを縄で縛り上げたAチームは、その音に顔を見合わせる。
「どうする、大佐?」
 コングが言うと、葉巻を咥えたハンニバルがのんびりと答える。
「そうだな、面倒だし、ここは撤退と行きますか。」
「えー、最後まで勝負の行方を見たかったのにい。」
 未練げなマードックのベルトをコングががしりと掴んで連行する。
「じゃあね、タッちゃん。謝礼の振込先は後でアレンから聞いて。」
 フェイスマンがウィンクを残して、彼らはわらわらと裏口から出て行った。
「わかりました。どうもありがとうございます!」
 タッちゃんは細い目をうるうるさせてその後ろ姿を見送ったのだった。



 後日、エンジェルを経由して、タッちゃんからAチームの元に謝礼と手紙が届いた。
 それによると、ミスター・パンチたちが連行された後、会場では予定通りチャリティ・オークションが行われ、『ワンダフル・ジャパン2010』は主催者の要望でオリジナルとダミーの両方が出品された。そして、見た目はともかく、新魔球がついたダミーの方が高額で競り落とされたのだと言う。
「あの『ワンダフル・ジャパン2010』ダミーはプレイした子供たちに好評だったので、今度、我が社の新商品として売り出すことになりました。だってさ。」
「へぇ、あの魔球がねえ。結局、見た目より機能ってことですな。」
 考案者のコングはもちろん、なぜかハンニバルまで嬉しそうだ。
 マードックはいつの間にかタッちゃんと約束していたらしく、律儀にタッちゃんが送ってくれた選手人形一揃いを手にして喜んでいる。
 そして謝礼には『ワンダフル・ジャパン2010』ダミーの落札金額も含まれていたため、フェイスマンも概ね満足だった。ただ1つ、日本企業の出張旅費の安さには驚かされたけれども。
【おしまい】
上へ
The A'-Team, all rights reserved