うなる豪腕! 八百長試合を暴け!
フル川 四万
〜1〜

 フロリダ州マイアミ。冬晴れの真っ青な空の下、シーグラム・スタジアムでは、フロリダ・ユナイテッド・リーグの最終戦が、そこそこ盛り上がっていた。
 フロリダ・ユナイテッド・リーグは、1982年にマイアミで誕生した独立リーグである。所属する球団数は、たったの4つ。年間試合数24試合。独立リーグを名乗り、立派なスタジアムまで持っているものの、実態は、ほぼ草野球と言ってよい。
 本日、そのフロリダ・ユナイテッド・リーグの今期最終戦、優勝候補のジャクソンビル・ブラウンソックスと、ほぼ連戦連負の弱小チーム、パルテノン・ボールメイツとの試合の日である。ということなので、どっちか勝った方が優勝という美しい状況ではもちろんなく、ブラウンソックスが勝てば優勝、負ければ、当リーグのもう一方の雄、マイアミ・シーパンサーズが優勝することになっていた。
 下馬評は、もちろんブラウンソックス。地元のお色気レストラン(金髪美女がギリシャ彫刻風な肩出しミニスカ姿でウェイトレスをやっている)パルテノンの美人ウェイトレスとその常連客で構成されたボールメイツには、十に一つも勝ち目はないものと思われていた。



「ファルコン、こっち、ホットドッグ1本!」
「あいよっ!」
「こっちは2本だ!」
「おい来たっ。」
 ライトスタンドの客席。ファルコンと呼ばれた男は、担いでいたバッグから銀紙に包まれたホットドッグを取り出すと、見事なピッチングフォームでそれを放り投げた。明後日の方向に飛んだかと思われたホットドッグは、空中でくるくると回転しながら極端なシュートラインを描き、注文者の手元にバッチリと収まった。振り返って、次の客へホットドッグを2本投球。1本目は綺麗なカーブを描いて左の方の客の手元へ。2本目は、鋭いスライダーでその隣の客へ。2本とも見事な、どストライクである。
 因みに、代金回収は、客→別の客→(中略)→ファルコンのリレー方式です。小銭は投げ返されると痛いし、バラけて落とすと拾うの大変なので。
「ファルコン、今日も絶好調だな!」
「ありがとう、今日は天気がいいから肩の古傷の調子もいいんだ。」
「ララバイちゃんも調子いいしな! やる気倍増ってわけか?」
「や、やめろよぉ、俺とララバイは、ただの高校の同級生だっつってんだろ!」
 そう、本日なぜかパルテノン・ボールメイツは絶好調。8回表の現在、スコアは3対1と、なぜかブラウンソックスから1点が取れてしまっているのだ。そして、ファルコンが客に冷やかされて盛大に照れたララバイとは、パルテノンの人気ナンバーワン・ウェイトレスで4番バッター。金髪巻き毛にそばかすが愛らしい、テイタム・オニールにファラ・フォーセット混ぜたような美女である。守備はセカンド。ファルコンとは、高校のクラスメート、かつ野球部でお互い補欠ピッチャー同士として切磋琢磨した関係であった。



「おい、ホットドッグ、こっちに20本くれねえか!」
「20本!?」
 ファルコンが呼ばれて振り返った先には、ゴールドのアクセサリーを過剰に纏ったモヒカン男が仁王立ち。その周りには、幼稚園から小学校低学年の子供たちが十数名、キラキラした目でファルコンを見ている。B.A.バラカス軍曹と、彼がボランティアをしている孤児院の子供たちである。今日は、恵まれない子供たちへのチャリティ・イベントである野球観戦の日なのだ。招待したのは、現在戦っているボールメイツのオーナー、レストラン・パルテノン。地元に貢献するお色気レストランを標榜しているため、チャリティには積極的なのだ。子供たちは目をキラキラさせて、球場の有名人、ファルコンのホットドッグ投げを待っている。
「オッケー、じゃあ行くよ、あらよっと! ほいっ、そうれっ!」
 20本のホットドッグが、次から次へと投げ渡される。頭上を狙って飛んでくるホットドッグを飛び上がって受け取り、歓声を上げる子供ら。
「すげぇコントロールだな。感心したぜ。でも何で真っ直ぐ投げねえんだ?」
 最後の2本を逆手でばしっと受け取ったコングがファルコンに尋ねた。
「あ、俺、真っ直ぐ投げられないんだ、済んません。」
「いや謝るこっちゃねえや。ホットドッグの形があんなだからな。」
「いや、ホットドッグだけじゃなくて、ボールも。真っ直ぐってぇのが何か苦手で。」
 ファルコンは、そう言って頭を掻いた。真っ直ぐ投げられないピッチャーは、そりゃ万年補欠だよ。
 そうこうしているうちに試合は進み、ノーヒットのままツーアウトに追い込まれたボールメイツに、次のバッターが。
『バッター、6番、テンプルトン・ペック、テンプルトン・ペック。』
「お、フェイスだぜ。みんな、次のバッターは俺のダチ公だ。応援してくれ。」
 コングは、そう言うと子供たちを促して立ち上がった。
「お友達、パルテノンの常連客の人?」
「ああ、ララバイとかいう女の子に、選手が足りないから出てくれって言われたらしいぜ。何でも、レフトを守っていた常連が通風で倒れたとか。」
「ダガードさんの代わりか。で、野球経験は?」
「俺の知る限りじゃ全くねえな。今日もノー安打だし、エラーしてねえのが奇跡だぜ。」
 そう言うと、2人はバッターボックスを見つめた。



「ボール球は振らない。ボール球は振らない。ボール球は……。」
 フェイスマンは、そうブツブツ呟きながら、本日3回目の打席に立った。白地に赤で「Parthenon」の文字が躍るユニフォームはピカピカの新品。フェイスマンのサイズに合わせて微妙にウエストを絞ったりして作ってある。どうせ野球なんてできないんだから、せめて格好だけでもつけようと大枚叩いた特注品だ。もちろん衣装代の利益はパルテノンに入ります。というわけで、格好から入ったにわか大リーガーであるフェイスマン、もちろん本日ノー安打です。
“人数合わせだから、立ってるだけでいいの。でもエラーだけはやめてね、ムカつくから。その代わり、1本でもヒット打ってくれたら、デートしましょ、クリスマスにね。”
 腰に手を当ててそう言ったララバイの笑顔が目に浮かび、フェイスマンはバットを握る手に力を入れる。
「よし、絶っ体ヒット打ってやるからな。でもって、ララバイちゃんとクリスマスデートだ。」
「フェイス、かっ飛ばせー!」
「打て〜!」
「ホームランだー!」
 外野から聞こえる応援の声に頷き、ジッとピッチャーを見つめるバッター、フェイスマン。ピッチャーは、ブラウンソックスのエース投手であるフェルナンデスだが、今日は調子が悪いらしく、ボールメイツの虚弱打線にすらかなりのヒットを許していた。
 ピッチャー、振りかぶって第1球。
「よし、来る!」
 思い切って振りに行くフェイスマン。
「ストラーイク!」
「へ?」
 第1球は、掠りもせずにキャッチャーミットへ。ああ〜、と、客席から溜息が。そして第2球、3球も見事な空振りをかまし、三球三振。全くいいとこなしでフェイスマンはすごすごと引き上げて行った。
「……済まねえな、俺のダチが、役に立てなくて。」
「いや別にいいっすよ。元々ダガードさんも、立ってるだけの人だから。78歳だし。」
「フェイス、78歳の代わりだったか……。」
 コングは、少し遠い目になった。そんなコングの心配を余所に、9回表の守備では、球が飛んで来なかったおかげで何とかエラーなく終えたフェイスマン。試合は、3対1のまま9回裏、パルテノン・ボールメイツの攻撃へ。
「2点差か。厳しいな。」
 ファルコンは、スコアボードを見つめてそう呟いた。元々実力差の大きい2チーム、1回で3点を引っ繰り返すのは難しいと言わざるを得ない。ところが、フェルナンデス投手、今日は本当に調子が悪いようで、フォアボールを連発。何だかんだで塁に出てしまうボールメイツの選手たち。そして、二死満塁で迎えたバッターは、4番セカンド、ララバイ。気合を入れてバットを構える金髪美女。そして……。
 真っ青な空に、白球が舞い上がった。9回裏二死満塁、ララバイの打った球は必要以上に高く上がり、ライト方向へ。平凡なフライだ。これでブラウンソックスの優勝は確定。誰もがそう思った、その瞬間……ライトのグローブからボールが零れた。落ちたボールは、そのままコロコロと転がり、外野フェンス下の蔦の下へ。
「走れ! 走れ!」
 パルテノンの監督とコーチが叫ぶ。ララバイは走った。出塁していたランナーのプリシラ(ウェイトレス、36歳)、コリンズさん(常連、造園業、55歳)そしてティナ(ウェイトレス、18歳、2人の子持ち)も必死で走る。次々とホームインするプリシラとコリンズさん。そして、3人目のティナがホームベース目がけてスライディング。キャッチャーと派手なクロスプレーを演じた結果……。
「セーフ!」
 主審が叫んだ。
 シーグラム・スタジアムに歓声が上がった。
「勝った! 勝ったぜ、ボールメイツ!」
「奇跡だ、女の子と素人しかいないチームが、ブラウンソックスに勝つなんて!」
「嘘だろ、おい……。」
 ファルコンは、ララバイの凡フライを取り落とすという、あり得ないエラーを犯し、かつ平然とそこに立っているブラウンソックスのライトの選手の間抜け面を見下ろしながら、そう呟いた。



〜2〜

 メトロムーバー。それは、マイアミのダウンタウン地区をぐるっと1周するステキなモノレール(無料)。市民の通勤の足として、観光客の手っ取り早い乗り物として長く愛されている。朝夕は結構混むし、バカンスシーズンもそうだけど、今日のような平日の午後、中途半端な時間は人っ子一人いなかったりもする。ファルコンは、駅に近づいて来る無人運転のモノレールを目の端で追いながら、手にしたメモを再度確認した。そこには、この1週間、必死の思いでツテを探って辿り着いたAチームとの接触の合言葉が走り書きで記されている。
『正しいジョゼフ・ジェファーソン・ジャクソンに、例のセリフを言ってちょうだいな。』
 ジョゼフ・ジェファーソン・ジャクソン。大リーガー。ホワイトソックスの往年の名外野手。1919年に起きた、野球賭博&八百長疑惑のブラックソックス事件で、球界を永久追放された伝説の野球選手。それは知ってる。でも、「正しいジョゼフ・ジェファーソン・ジャクソン」って何だろう? 八百長してなかったってことかい? ファルコンは、少々の疑問を抱きつつ、滑り込んできたメトロムーバーに乗り込んだ。



 車内には、4人の先客がバラバラに座席に着いていた。そのうち3人は戦前の野球選手みたいな古い形のユニフォームを着た男性で、もう1人は白髪頭に派手なストールを被った、全体的に大きめの老婆だ。
 普段の電車には、あり得ない光景。ふと非日常感に襲われてグラリとするファルコン。
 とりあえず老婆は置いておくとして、多分この3人の野球選手のどいつかが「正しいジョゼフ・ジェファーソン・ジャクソン」なんだろう。一体、どれがそうなんだ?
 ファルコンは、ユニフォーム姿の3人を、1人1人見ていくことにした。
@ 何だか頼りなさそうな優男。ホワイトソックスのレプリカユニフォームに、真新しい白のスパイクを履いて、頭にはパナマ帽。そして1919年のベースボールマガジンを読んでいる。何かどっかで見たことある人のような気がするけど、思い違いかもしれない。
A 筋肉隆々のモヒカン男。なぜかユニフォームの両袖が切り落としてノースリーブになっている。足元はスパイクではなく、スパイクが裏についてる黒のワークブーツ。怒ったような表情で前を睨んでいる。ますますどっかで見た気がするけど、思い違いかもしれない。
B ちょっと毛が薄いだけの普通の人だけど、落ち着きがない。1人でブツブツ喋っているし、前後左右に揺れてるし。目が危ない感じだし。何より、ユニフォームの足元は、スパイクじゃなくて水色のビーチサンダル。前にどっかで見たことは、ない。
 手がかりが見つからないファルコンは、とりあえず一番安全そうな老婆の横に腰を下ろした。
「何か、お探しかの。」
 老婆が話しかけてくる。かなり耄碌しているのか、声がくぐもって聞き取り辛い。
「ええ、ちょっと人を。」
 鬱陶しいな、と思いつつも、敬老精神で応じるファルコン。
「ほほう、お人を。して、それはどんな?」
「野球選手。ジョゼフ・ジェファーソン・ジャクソンっていう。でも、本物じゃないんだ。昔の人なんで本人はもう死んでる。多分、似てる人とか、そんなんだと思う。」
「ジャクソン、ね。うほんうほん、あたしの若い頃に、そんな選手がいたねぇ。確かあの人には、何かニックネームがあったような、ほら、何でしたっけ、シュー、シューレース?」
「ああ、それならシューレス・ジョーだ。靴履いてなかったからそういうニックネームになったんだ、って、あ、靴!!」
 ファルコンは立ち上がった。改めて見渡すと、ビーチサンダルを履いていた男は、ビーチサンダルを脱ぎ、片足ずつ鼻緒を耳に引っかけて、嬉しそうに揺れている。どう見てもシューレス・ジョーではない。でも、裸足……。他に手がかりはない。ファルコンは、意を決して、その男の前に立った。そして、深呼吸をして、“あのセリフ”を口にする。そう、ブラックソックス事件の大陪審前で、シューレス・ジョーに憧れていた少年が、彼の八百長を信じたくなくて言った一言。
「……嘘だと言ってよ、ジョー。」
「もちろん、うっそぴょ〜ん!」
 そう言うと、男は両耳のビーチサンダルを素早く抜き取り、それでぺちっとファルコンの頬を挟んだ。
「いや、ちょっとやめて。」
「うっそぴょ〜ん!」
 ビーサン挟み裸足男は、なおもビーサンでパタパタとファルコンの頬を叩き続ける。
「うわ、ホントに、痛ぇから、頬っぺた。」
「やっだぴょ〜ん!」
「やめろっつってんだろが!」
 イラっときたファルコンが、ぺちっとビーサンを叩き落した。ビーサンを叩き落された裸足男は、おおお、と声を上げてビーサンを拾い上げ、胸に掻き抱いてファルコンを睨んだ。
「はっはっはっ、威勢がいいじゃないか、お前さん。」 
 ハッとして振り返ると、老婆、訂正。さっきまで老婆だったはずの人間が、背筋の伸びた壮年の男になって葉巻を咥え、ニカッと笑っていた。
「アール・アンダーソンだね。よろしく、ジョン・スミスだ。」
 白髪のかつらとストールを毟り取ったハンニバルは、そう言ってファルコンに右手を差し出した。



〜3〜

 ココナッツグローブの瀟洒な一軒家のリビング。Aチームの面々は、今回の依頼人であるホットドッグ売りのファルコンことアール・アンダーソンと向かい合っていた。
「しかし依頼人が、ホットドッグ屋の兄ちゃん、あんただったとは驚いたぜ。」
 と、バラカス。
「俺も驚きました。まさかAチームに、ガキの引率の兄さんと、三振打者がいるとは。」
 ファルコン、何気にフェイスマンに失礼である。事実だけど。
「三振打者って言わないでよ。俺、あの試合のためにさ、前の日にハンニバルに千本ノックしてもらったんだから。おかげで今日まで筋肉痛だよ。」
「今日までって、フェイスゥ。もうあの日から1週間じゃん? どんだけひ弱なのさ、筋肉。日頃からビーサン履いて耳の裏鍛えてないからだろ?」
 ビーサン履いたって耳の裏は鍛えられるわけではない、普通は。
「うーん、でも普段使わない筋肉だし、ララバイちゃんにいいとこ見せようと必死だったし。ハンニバルなんか試合にも出てないのに、腰と膝に来てるって言ってたじゃん、それよりマシだと思うけど。」
「千本ノックはな、捕る方より打つ方がより疲れるんだぞ。……まあいい、ファルコン、依頼の内容を聞かせてもらおうか。何でも先週のジャクソン・ブラウンソックスとパルテノン・ボールメイツの試合についてと聞いているが。」
「はい、お2人もご存知のように、先週の試合は、専らの予想を裏切り、ボールメイツがブラウンソックスに勝ちました。今まで1回も勝ったことなかったのに。その結果、今期のユナイテッド・リーグの優勝は、マイアミ・シーパンサーズに決まりました。」
「あれだな、ライトがすげえ凡ミスしたんだよな。ララバイが打った簡単なフライを取り落として。」
「ええ。それで俺、何度もあのシーンを思い出してるんですけど……何回考えても、あの試合、不正だったような気がしてならねえんです。」
「不正? 八百長ってことか?」
「ああ、八百長。」
 ファルコンは、そう言って意味深に頷いた。
「俺ら、ライトスタンドで見てたじゃないすか。」
「見てたな、確かに。」
 と、コング。
「あの外野手のエラー、普通では考えられなかったでしょう?」
「まあな、あんなデカいフライを、あんな取り方しようとしねえのは、俺でもわかる。」
「あんな取り方?」
「そう、何て言うのかな。普通、腰から上に来るボールは、腰を落として、頭の上にグラブ構えて追うじゃないすか、こんな風に。」
 と、ファルコンは、頭上に両手を挙げて、フライを捕球するポーズ。うんうん、と頷くAチーム。
「なのにあいつ、ゴロ取るみたいに、腰の前にグラブ上向きに構えて、おちょうだいみたいな手つきで突っ立ってたんです。そりゃ零れるっての。グラブの下に支える腕がないんだから、重たい球が来たら弾かれる。こんなの野球の基本ですよ。ブラウンソックスの選手が、そんな構えでいたなんて、端っから取る気なかったとしか思えない。」
「ふむ。確かに、マイアミ・ユナイテッド・リーグは、専任の選手こそ少ないが、一応、ギャラが出てる玄人野球だし、そんな初歩的なミスをするとは思えんな。で、そいつがわざと取り落として試合に負けたとして、得をするのは誰だ?」
「そりゃマイアミ・シーパンサーズっす。シーグラム・スタジアムのオーナーで、ユナイテッド・リーグの発起人、ボーンズビーが社長を務める、株式会社シーグラムのチームです。ボーンズビーは、自分が作ったリーグなのに、3年連続でブラウンソックスに優勝を持ってかれて、かなり頭に来てたっていう話です。」
「ふむ。八百長の動機としては十分あり得るな。だが、ファルコン、何で君がその不正を暴きたいんだ?」
「俺の同級生で、ボールメイツのセカンドやってるララバイって子がいるんすけど、そいつが、こないだの試合勝ったことではっちゃけちまって、ウェイトレス辞めてマジで上のリーグ目指して町を出るって言い出してて。しかもピッチャーで。」
「えっ、ララバイちゃんが? 出ていっちゃうのは寂しいけど、俺、応援しよう。ファンクラブ作っちゃおうかな。」
「やめて、頼んますから、やめて下さい。アイツ、その気になりやすいだけで、野球の才能なんて、これっぽっちもないんだ。レストランの余興チームぐらいがちょうどいい実力なんす。」
「そんなこと言うなよ。ララバイちゃん、打撃はセンスあるし、最近じゃ女の子だってプロを目指す子多いって言うし。何より、彼女本気なんだろ?」
 ファルコンは、フェイスマンの言葉を噛み締めるようにしばらく目を閉じて俯いた後、顔を上げた。
「アイツの本気ほど怖ぇもんねえって、俺ら高校のチームメイトはマジで知ってるから。ここで本気なんか出された日にゃ、また怪我人が増え……。」
「怪我人?」
「……アイツの名前、ララバイって、変でしょ。あれ、どういう意味だと思います?」
「子守歌みたいに優しい歌声、とか?」
「それなら何の問題もないんすけど。」
 と、ファルコンは溜息をついた。
「……アイツ、高校の頃、ピッチャーだったんです。だけど、変な癖があって。」
「変な癖とな。」
「自転車って、目を向けた方に進む、って言うじゃないですか。あれと同じで、アイツの球、投げる瞬間にアイツが見たものの方に飛んでくんです。」
「いいじゃないか。どうせピッチャーって、キャッチャーミット見てるんだろ?」
 ファルコンは、ふるふると頭を振った。
「キャッチャーミット見てるうちはいいんすけど、アイツ、興奮してくると……何でだか相手バッターの顔しか見なくなるんだ。」
「……て、ことは。」
「百発百中、と言っていいと思います。デッドボールに関しては。」
「頭に当たる……のか。」
「はい、そして9割は昏倒。お休みなさい。大体3人倒したらピッチャー退場。さようなら。」
「それでララバイ、か……。」
「それでララバイっす。」
 一同は溜息をついた。そんなピッチャー、危なすぎて試合に出せない。だから今のララバイはセカンドなんだね。
「とにかく、俺はしがないホットドッグ売りだけど、一野球ファンとしてマイアミ・ユナイテッド・リーグの発展を願ってるんす。そのために、シーパンサーズにもブラウンソックスにも、汚ねぇ真似してほしくないんだ。頼みます、スミスさん、Aチームの皆さん、あの試合が八百長だったかどうかを確かめて、そんでもし八百長だったら、そんなことした張本人をとっちめてやって下さい。俺、しがねえホットドッグ売りだし、大してギャラ出せないけど、できることなら何でもしますから。」
「ハンニバル、やってやろうぜ。孤児院の子供たちも、年4回、パルテノンが招待してくれる野球観戦は楽しみにしてるんだ。八百長野球なんて、あいつらにゃとてもじゃねえが見せられねえ。」
「ふ〜む。しかし報酬が少ないとな、フェイス?」
「……ま、ララバイちゃんのためだっていうんなら、多少ギャラ安くても、いっか。」
「あ、ありがとうございます。」
 フェイスマンの言葉に、ファルコンはほっとしたように頭を下げた。



〜4〜

 数日後、Aチームの面々と、彼らの理解者かつ強力な助っ人である新聞記者のエイミー・アマンダー・アレン女史は、テーブルを囲んで会議中である。
「さて、調べてきたことを話すわね。この忙しいクリスマスシーズンに、私の大事なプライベートタイムを削って協力してるんだから、ありがたく拝聴するのよ。」
 エンジェルは、テーブルに1枚の模造紙を広げた。そこには、何やら大勢の人名とチーム名が図になっている。
「まず、問題のマイアミ・ユナイテッド・リーグだけど、82年に株式会社シーグラムが発起人になって参加チームを募集、審査の結果、今の4チームでリーグがスタートしたの。シーグラムって、本業はカジノ経営だけど、儲かれば何でもって感じで、他にもいろいろやってるような胡散臭い会社。つまり、シーグラム社のシーパンサーズ、ジャクソンビルの大学野球OB連盟が母体のブラウンソックス、レストラン・パルテノンのボールメイツ、それからもう1つ、高級老人ホーム“ひなぎくの家”の有志が作ったマリーゴールドベイブス。」
「なんか、禄なチームが1個しか見当たらないんだけど。」
 と、フェイスマン。確かに、50年以内の野球経験者が1/4しかいなさそうなリーグである。
「その通り。だからリーグ発足から3年間、つまり去年までは、ブラウンソックスの一人勝ち。実際、他のチームがあまりに歯応えなさすぎて、今期スタートの前に、ブラウンソックスはリーグ脱退しようとしてたのよ。何でもサウスカロライナのリーグに参加したいとか。」
「確かに、大学野球のOBが、女の子や老人と戦うのはキツイものがありますな。」
「そう。でね、ブラウンソックスに抜けられると困るけど、そのままでいられても困るシーパンサーズは、大々的に選手の募集と引き抜きを行ったの。何かシーグラム社ってお金だけはあるみたいだから。結果、ブラウンソックスのレギュラー選手のうち、3人がシーパンサーズに移籍したわ。」
「それで、今年はいいところまで行ったってぇわけか。」
「そう。」
「それで、あの試合については何かわかったか?」
 ハンニバルの問いに、エンジェルは、ううん、と首を振った。
「エラーをした選手は、トマス・フェイドって言うんだけど、何者かわからないの。近隣の高校と大学の野球部OBリストにはいなかったし、ブラウンソックスの広報に聞いたら、彼は辞めたって言われたし。」
「辞めた? そりゃ怪しいねえ。」
「彼のことについては、選手も監督も、妙に口が重いのよね。フェイドがシーパンサーズに買収されて八百長したっていうことなら辻褄が合うかも。」
「ふむ。その線はあり得るな。しかし、推測だけでは手出しできん。まずは証拠集めだ。」
「スポーツマンって、外部に対して妙に口堅いとこあるから、新聞記者が聞くより、懐に飛び込んだ方が聞き込みしやすいかもしれないわね。」
「じゃあさ、これどうよ。俺がヨーロッパのどっかから流れてきた名投手ってことにして潜入するってのは?」
「よし! それじゃ、モンキー、コング、お前たちは、今日からバッテリーだ。そうだな、コロンビア辺りのチームで大暴れしてたってことにしようか。」
「そうね、ブラウンソックス、今週、新人選手のトライアウトをやってるからちょうどいいわ。モンキーもコングも、何だかそれっぽいし。」
「え? モンキーとコングだけ? ねえ俺は?」
「お前は、あたしの千本ノックの洗礼を受けたのに、三打席とも三振なんざ、よほど野球選手には向いてないと見たぞ。大人しくマネージャーでもしてなさい。」



〈Aチームのテーマ、かかる。〉
 ララバイに先導されてグラウンドをランニングする、フェイスマンとマードックとハンニバル(御大は単にダイエット目的のランニングです)。溶接マスクをつけて、何やら金属を溶接するコング。鎖やバネを次々に溶接して、鎖帷子のようなもの(片方長袖)を作成する。それを着込むマードック。ベンチの片隅で、パルテノンの女の子に、レモン水を飲まされたり、冷たいお絞りで額の汗を拭われたりして、鼻の下を伸ばすフェイスマン。マードックは、右腕が、ビヨン、と一回り。それを見て、満足げに頷くハンニバル。
〈Aチームのテーマ、終わる。〉



〜5〜

 ブラウンソックスの練習グラウンド。『選手発掘トライアウト――来たれ即戦力!』の幟がフェンス沿いに延々と並んでいる。紺のユニフォームを、前を開けてだらしなく着たコングと、妙に右肩がいかり肩になってるマードック、そして、純白のスーツに赤シルクの開襟シャツ+サングラスという胡散臭さ爆発色男ルックのフェイスマンが、グラウンド入口にポツンと置かれた受付に現れた。
「エントリー?」
 受付の男が、ぶっきらぼうに聞く。
「そう、エントリー。」
 フェイスマンは、受付のテーブルに片手をつき、グラウンドを眺め回しながら、気取った口調でそう言った。
「あんたが野球すんのかい?」
「いや、俺じゃないよ。この2人だ。」
 フェイスマンは、コングとマードックを前面に押し出した。ガムをくっちゃ噛みしながら、イキッたポーズを取る2人。コングはユニフォームなのにネックレスはそのままだし、マードックに至っては足元裸足、ビーサンは耳にかかってる。
「……何だかトウが立ってんな。ポジションは?」
「よく聞いてくれました。この裸足の男が、ホセ・マルケス、ピッチャーだ。コロンビアのリーグで去年最多勝を取ってる、160キロの剛速球の天才ピッチャー。で、こっちのゴツいのがティエンポ。ホセとバッテリーを組んでる。こいつも一昨年のホームラン王だ。どうだい、イカすだろ?」
「コロンビアの何てリーグだ? 聞いたことないぞそんな奴ら。」
「んー、ちょっと田舎の方のマイナーリーグでね。で、トライアウトは?」
「不法就労じゃないだろうな。登録証見せてくれ。」
「もっちろん、法に触れるようなことは何もしてないぜ。ほい、これ。」
 フェイスマンは、2人分の登録証(ニセ)を受付にチラリと見せると、さっと内ポケットにしまった。
「テストは、あっち?」
「……ああ、ピッチャーだったら、あっちにいるピッチングコーチに見てもらってくれ。今がチャンスだぞ。ちょうど昨日、エースのフェルナンデスが辞めたところだ。」
「フェルナンデスが辞めたって? そりゃまたどうして?」
「さあね。去った奴の事情なんて人それぞれだろ。さ、行けよ。」
「君、名前は?」
「デニーだが?」
「そう、サンキュ、デニー。」
 フェイスマンは、おざなりな営業スマイルで受付に礼を言うと、2人を引き連れてグラウンドの隅の方で行われているピッチングテストへと向かった。



「コングちゃんコングちゃん。」
 歩きながらマードックがコングの袖を引く。
「あん? どうしたモンキー。」
「あのさ、さっきから、すっげー肩重くて痛えんだけど。」
「それくらい我慢しろ。」
「ねえ、本当にこのマシンで、160キロの剛速球出んの?」
「当たり前だ。それは、俺が夕べ寝ないで作った『大リーグっぽいボール養成ギプス』だからな。右袖に球を仕込んで左手でスイッチ押すだけで、誰にでも160キロのストレートボールが投げられるっていう優れモンだぜ。」
「でも、肩重いよぅ。」
「ちったぁ我慢しろ。どうせ10球も投げて見せりゃ合格だ。」
「しっ、ちゃんとコロンビア人っぽくしてよ。ほら、あいつがピッチングコーチみたいだよ。」



「ピッチングのトラウアウトを受けに来たのか?」
 ひそひそしている3人に気づいたピッチングコーチが声をかけてきた。フェイスマンが、いかにも有能マネージャーの顔に切り替えてにこやかに応対する。
「ああ、コーチの方ですね、いやぁ、ブラウンソックスは、受付の人も有能なんですねえ。」
「何だと?」
「ここにいる2人、コロンビアの有名野球選手なんですけど、なかなかアメリカでは知名度がなくて。でも、デニーは知っててくれて。いやあ、嬉しいですね、我々コロンビアの野球選手が本場アメリカで活躍できるなんて。」
「……コロンビア人か。道理で知らない顔だ。地元の高校と大学の出身者なら大抵知ってるんだがな。でもまあ、デニーが知ってるならそこそこの選手なんだろ。じゃ、投げてみろ。」
「さ、ホセ、ティエンポ、準備して。」
 フェイスマンの言葉に、サッと二手に分かれる2人。
 マードックは、構えるフリをしてさっと球を袖の中に入れると、スイッチを押した。ウィ〜……ン。微妙なモーター音の後、突然、マードックの右腕だけが肩の付け根からぐるんと回り、シュンっと目にも留まらぬスピードでボールを発射した。
 ボールは、ミットを構えるコングの左頬を掠め、後ろのネットに当たって落ちぬままクルクル回っている。
「バカ野郎、真っ直ぐ投げろってんだ!」
 ボールを拾って投げ返しながら、コングが叫んだ。
「ごめんごめん、右腕が言うこと聞かなくて。じゃ、次ね。」
 ウィ〜ン……シュッ、ズドンっ!
 今回は、ちゃんとコングのミット中央に命中。ミットから煙出てるし。
「よーし、今の調子だ、もう1球。」
「ほい来た。」
 ウィーンシュッ……
 腕はちゃんと回ったのに、球が出てこない。
「あれ? ちょっとも1回やるわ。」
 マードックは右袖にもう1つボールを仕込み、スイッチ、オン。
 ウィ〜ン、シュッシュッ、ズドンズドン!
 2発詰めたボールは、当然のように2発連続で発射された。コングは160キロの剛速球を2発連続で受けて吹っ飛び、尻餅をついた。
「いててて、何しやがんでい、1球ずつだって言ったろ!」
「ごめんごめん、でも何で連射機能ついてるの、これ。」
「元がガドリングガンの部品だからしょうがねえだろ、1球ずつ入れろってあんなに……おい、肩。」
「へっ? 肩?」
 コングの指摘に、自分の右肩に目をやるマードック。肩から黒い煙が上がっている。
「うわっ!」
 慌てて肩をはたくマードック。コングも駆けつけて、燃え始めちゃった右肩をあたふたと消火にかかる。
「えーっと!」
 フェイスマンがさりげなくコーチと2人の間に立ちはだかり、にわか火事騒動の隠蔽を図った。
「どうでした? すごいでしょう、あの球! まさに魔球と言っても過言ではない。」
「……そうだな、ちょっとコントロールに難点はあるが、確かに球のスピードは申し分ない。」
「いかがでしょう、今なら、キャッチャーもつけて、このくらいの金額で……。」
 ゴニョゴニョとコーチに耳打ちするフェイスマン。
「え、そんなに要求するのか。」
「もちろん、俺のマネジメント代込みで。なかなかいませんよ、今時160キロの剛速球投手は。来年は勝ちたいんでしょ? シーパンサーズに。」
「ふむ……そうだな、俺もあんな剛速球初めて見たし、フェルナデスが辞めて、投手層が薄くなってるからな。いいだろう。今日から練習に合流しなさい。宿舎にも空きがあるから、入るなら言ってくれ。」
「そう来なくっちゃ。」



〜6〜

 その日の夜、ブラウンソックスの宿舎の1室(2人部屋)に、ボロ雑巾もかくやというほど疲れ切った新人バッテリー、ホセとティエンポが倒れ込んでいた。
「ち、疲れた〜、野球の練習って、こんな疲れるもんだったんだね……。ピッチャーは普通の練習に参加しなくていいとかフェイス言ってたの、大嘘じゃん。」
 ベッドにうつ伏せで倒れたまま、マードックが愚痴る。
「大学野球部のOBの集団だからな……練習がハードなのはお家芸ってとこだろうが、しかしボールってのは、よく転がるもんだな。すぐ股の間を逃げていきやがる……。」
 その横でコングは、そう言ってスパイクも脱がずにベッドに倒れ込んでいた。
「ホントに……俺なんか足元ビーサンだから走り難くて。」
 マードック、それは靴か何か履けばいいだけの話だ。
 ホセとティエンポこと、マードックとB.A.バラカスは、しばらくそうやって倒れ込んだ後、それぞれの使命感に駆られて起き上がった。
「俺、風呂行ってくるわ。とりあえず何か情報あるかもしんないし。」
「おう、俺はその間、大リーグっぽいボール養成ギプスを直しておくぜ。これがねえと、お前、ただの裸足のキチガイだからな。」
「シューレス・マッドか。カッコイイじゃん、ええと、設定によると、オイラ何だっけ?」
「お前は、“母国コロンビアに総勢21名の妻子を残して、一山当てようとアメリカに出てきた天才投手”だ。」
「そうだった。で、コングちゃんが、“弟が麻薬取引でサツにとっ捕まったけど、保釈金が払えない天才スラッガー”だっけ?」
「おう、とにかく金に困った素振りをするんだ。八百長とかそんな話は、大抵金に困った奴んとこに来るからな。」
「OK、じゃ行ってきまーす。」
 マードックは、広い宿舎内をシャワールームへと向かった。



 十数名が一緒に入れる広いシャワールームには、先客が2人。両脇に人がいるブースを選んで手早くシャワーを浴びながら様子を伺う。右は暗そうなヒスパニック系。左は体毛もじゃもじゃの赤毛熊。しばらく考えて熊の方を選択したマードックは、気安い調子で話しかけた。
「ねえ、石鹸貸してくんない?」
「よう、お前、新人か。ほらよ、使いな。」
 と、男は、マードックに使いかけのアイボリー石鹸を投げて寄越した。
「で、お前さん、どこの大学出身だ? ここじゃ、州立大かノースフロリダ大出身が多いんだが。」
「俺っち? ああ、俺は大学OBじゃなくって、コロンビアから来たばっかり。今日トライアウトで受かった。」
「コロンビアか。ご苦労なこったな。で、何でアメリカに?」
「何でって、そりゃもちろん金のためさ。オイラ、国に妻子がいてね。仕送りしなきゃなんねえし。」
「そうか、俺にも7歳と3歳の息子がいるんだ。お子さん、いくつだい? 男? 女?」
「両方。15歳を筆頭に18人? ……あっ違った21人いるんで、いろいろ入用でね。」
 そこら辺の人数は適当でいい。辻褄が合う方が大事だぞ、マードック。
「……15歳で21人って、双子もいるのか?」
「いるいる。三つ子もいる。」
 うん、何とか辻褄は合った。(合ってる?)
「そりゃ大変だ。しかし、金のためなら、うちよりシーパンサーズに行った方がいいぞ。」
「へえ〜、そうなの?」
「ああ。あっちはカジノが母体だけあって、かなり年俸弾んでるらしい。そのせいで、うちの選手はどんどんシーパンサーズに引き抜かれちまってる状況でな。エースピッチャーだったフェルナンデスが辞めたんだって、シーパンサーズに引き抜かれたって話だし。」
「フェルナンデスがか。あ、石鹸ありがと。俺、ホセ。」
「俺はゲイブルだ。」
 泡まみれの男たちは、衝立越しにがっちり握手した。
「ゲイブル、ホントにここ稼げないのかい? 俺、金ないと困るんだけど。」
「ま、そこそこってとこだよ。そりゃシーパンサーズみたいな年俸は出せないけど、引退してもOBのツテで就職もいいし、長い目で見れば悪いとこじゃない。引き抜かれた連中は、目先の金に目が眩んだってことさ。だが今残ってるの連中は、金より人脈の方が大事ってことがわかってるから、もう動かないんじゃないかな。ま、アンタもせいぜい頑張りな、子供のためにさ。じゃ、お先。」
 そう言ってゲイブルは出ていった。
「あんがと、明日もよろしくねー。」
 マードックは、ゲイブルの後ろ姿に、そう声をかけた。バスルームの片隅で、暗そうなヒスパニック系の男が、ジッとマードックの後姿を睨んでいた。



〜7〜

 数日後、誰もいないシーグラム球場の観客席に、Aチームの4人と、ファルコン、そしてパルテノンの4番打者、ララバイが集っている。
「結局、フェイドって奴は八百長じゃなかったみたい。」
 フェイスマンが残念そうにそう言った。
「え、八百長じゃないって、じゃ、あのへなちょこなライト守備は何だったんですか?!」
 ファルコンが、食いつかんばかりに身を乗り出した。その横で、ほれ見なさい、とララバイが笑っている。
「俺がチームメイトに聞き込んだところによると、あのフェイドっていう野郎な、ブラウンソックスのスポンサーのバカ息子だったぜ。あのチームは企業が母体じゃないから、運営費用の大半を大学OBの経済人たちが出してる。その1人がフェイドの父親だ。本人は、運動音痴の普通の大学生。何でも、婚約者にいいところを見せたくて、父親に泣きついたらしい。で、親バカがブラウンソックスに圧力かけて、1試合だけライトを守らせてもらったんだと。もちろん、金を払ってだ。」
「ボールメイツと接戦になることも、あの程度のフライを取り落とすことも想定外だったみたい。1人素人が入っても、パルテノン相手なら楽勝だと踏んでたんだね。」
 と、これはマードック。
「ほら見なさい!」
 それまで黙って聞いていた金髪美女ララバイが、勝ち誇ったように立ち上がった。今日はお店を抜けて来ているので、肩肌脱ぎのミニスカ姿で、大変目の保養になります。
「言ったでしょ、あの試合は、あたしたちの実力。パルテノンは実力でブラウンソックスに勝ったのよ。」
「でもなあ、そんなことあり得ないと思わねえか、ララ。だって、今まで1勝もできなかった相手なんだぜ?」
「そりゃそうだけど、あたしたちだって練習してるもん。週2回はお店の後に走り込みだってしてるし。あたし、できる子だもん。」
「その喋り方やめろや、俺らもう30なんだから!」
「もうって何よ、もうって!」
「もうはもうだろがぁ! いい加減観念しやがれ、いつまでも夢みてえなこと言ってないで。」
「観念って、何よそれ! 30歳近くなって夢見てちゃ悪いっていうの?」
「観念は観念だろがい、この野球バカ!」
「それ、アンタに言われたくない。」
「何だとう?」
 ファルコンとララバイは、Aチームそっちのけで(痴話)ゲンカを始めた。そんな2人をほぼ無視して、マードックが静かに先を続ける。
「でもその代わりに、怪しい奴も出てきたぜ、大佐。あの試合のピッチャーだったフェルナンデスが、ブラウンソックスを辞めて、シーパンサーズに移籍するみたいなんだ。フェルナンデスが今シーズン最初からシーパンサーに飼われてたってことも、あり得るしね。」
 裸足にユニフォーム姿も、ユニフォームの中に着込んだ大リーグっぽいボール養成ギプスもすっかり板についたマードックが、硬球を弄びながら言った。
「八百長は1試合じゃなかった可能性、か。確かに、今期成績がイマイチだったフェルナンデスがシーパンサーに引き抜かれたとしたら、最初から約束があったとも考えられるな。よし、それじゃ、もう一息探ってみるか。」



〜8〜

 翌日。ブラウンソックスの練習を金網越しに見つめるハンニバルとフェイスマン。視線の先には、すっかりブラウンソックスに馴染んだホセ&ティエンポ。ブルペンで投球練習の真っ最中である。因みに、大リーグっぽいボール養成ギプスは、その後改良が加えられ、外からは目立たないくらいのサイズになってます。
「結構サマになってるじゃないか。」
「うん、いい感じ。ここ1週間、2人に不法移民を匂わせる&思い切り金がないアピールさせてるから、そろそろ何か食いついてもいい頃合いなんだけど。」
「おんや、噂をすれば何とかだ。あれ、そうじゃないか?」
 ハンニバルが顎でしゃくって見せた先には、つかつかと歩み寄って来るスーツに眼鏡の男。一見、普通のサラリーマンだが、頭に被った野球帽だけが、彼がこの業界の人間であることを示している。男は、フェイスマンを見つけるや否や、にこやかに帽子を脱いだ。
「どうもはじめまして、あの、ホセ・マルケスさんたちのマネージャーの方ですよね?」
「うん、そうだけど、オタク、誰?」
「申し遅れました。私、シーパンサーズのスカウトの者です。」
 男は、そう言うと、名刺を差し出した。
「ジェリー・ヤマダさん。」
「はい。ヤマダと申します。」
「で、ライバルチームのスカウトさんが、何の用かな?」
 ハンニバルが、そう言って1歩前に出た。
「あなたは?」
「あたし? あたしゃ、あいつらの身元引受人だ。」
「それは失礼しました。……私どもはですねえ、ホセさんの投球を拝見し、大変感激いたしまして、是非、我がシーパンサーズにお越し願えないかと。」
「スカウトですか! これは驚いたなぁ。まだブラウンソックスに入団したばかりの新人選手に、スカウトマンが来るとはね。」
 フェイスマンが、大袈裟に驚いて見せた。
「……はい、失礼とは思いましたが、さすがに160キロの剛速球投手を見逃すわけには行きません。それに、何でもホセさんとティエンポさん、少々お金が入用という噂を聞きつけまして、お手伝いできるのでは、と。」
「確かに、ホセは24人の子沢山だし、ティエンポの親兄弟甥っ子姪っ子は全員運び屋で逮捕されてるし、お金は必要なんだけど、あんた、その話をどこで?」
「……私どももいろいろとツテはありますもので。では、不躾ですが、この辺りでいかがでしょう……?」
 と、ヤマダは電卓を叩いて見せた。ヒュウ、とフェイスマンが口笛を吹く。ブラウンソックスから提示された金額とは、桁が1つ違う。
「まだだね。せめてこれくらいは出してもらわないと。」
 フェイスマンはそう言って、電卓に1桁加えた。×10したのね。その数字を見て、眉間に皺が寄るミスター・ヤマダ。
「これは……こっれは、吹っかけますな。いや実に面白いですが、これは少々やりすぎかと。」
「ただの年俸なら、吹っかけてるかもしれんがね。」
 そう言うと、ハンニバルは、もったいぶって間を置いた。
「口止め料も入ってる、とすれば?」
「……口止め料? 何を仰いますやら。」
「ふぅん、まあ、いいけど、うちのホセとティエンポ、よく働くと思うよ? 少なくとも、フェルナンデス以上には。」
 フェルナンデスの名前に、ヤマダの顔に一瞬動揺が走る。
「な、何か勘違いをなさっているようですが。」
「勘違いなら、それでいいんだ。俺たち地元の新聞社にちょっとツテがあってね、変な噂を、噂で済まなくするくらいのことは、さ。」
「……いいでしょう。それでは、明日、我がシーグラム社の本社にお越し願えますか。できれば内々に。そこで社長からお話させていただきましょう。」
「シーパンサーズ球団事務所ではなく、シーグラム本社とな?」
「ええ、球団には社長は常駐しておりませんもので。では、明日の午後2時に、本社6階の社長室までお越し下さい。」
 そう言って、シーパンサーズのスカウトマン、ミスター・ヤマダは去っていった。
「……ハンニバル、あれ、クロかな。」
「わからんな。だが叩けば埃がモクモク出そうじゃないですか。せっかく向こうさんから呼んでくれたんだ。行ってみましょうよ、敵の本陣。」
「そうだね。」
 その頃、ブルペンでは、コングがマードックの肩からこれまたモクモクと上がった煙を消そうと躍起になっていた。



〜9〜

 その日の夜中。株式会社シーグラム本社ビル裏に、ひっそりと乗りつける1台のバン。お約束の時間よりきっちり12時間早く、Aチームの訪問です。
 6階建ての近代的なビルの側面に、次々と飛びつく黒装束の4人。手足には特殊な吸盤が装着されており、トカゲのように壁を登ることができるのだ! かと言って、そのまま6階まで登るわけではなく、2階の適当なところの窓を切って室内に侵入します。無駄な労力は使わない主義です。コングが1階に下り、他の3人は階段で6階まで上り、廊下に出ないで待機。ほどなく上がってきたコングがOKマークを出した。
「防犯カメラは大丈夫だった?」
「切ったぜ。警備にも、ちょっと寝てもらった。これで、ごく自然に、1時間くらいは起きねえ。」
「ご苦労、それじゃ行こうか。八百長の証拠を押さえるんだ。」
「ああ。」



 忍び込んだ豪華な社長室には、シーパンサーズのペナントや幟が飾られ、ユニフォームを着たボーンズビー社長の等身大パネルまで飾ってある。
「悪趣味を突っ込むのは後にしよう。とっとと目指すものを探すぞ。」
 ハンニバルの号令に、サッと室内に散る4人。デスクや本棚、絵画の裏まで、手早く的確に捜索していく。
「あった。これだ。」
 社長のデスクを漁っていたフェイスマンが声を上げた。
「移籍した選手の年俸リスト。これはいいとして、この日付の時点ではまだ移籍してなかったブラウンソックスの選手のリストに、日付と、W(in)、L(ose)マークがついてる。ハンニバル、これ、八百長させた日付じゃないか?」
「どれ。」
 ハンニバルがリストを受け取った。
「ふむ、その可能性が高いな。フェイス、でかしたぞ。これで確たる証拠が取れるかもしれん。モンキー、仕掛けは?」
「オッケー。高性能盗聴器に小型カメラ3台。どんな一言も逃さないって。」
「よし、後は敵さんにお任せしましょうか。」



 7時間後の午前9時。
 株式会社シーグラムの社長室は、動揺に包まれていた。何者かが2階の窓を割って社長室に新入し、家捜しされたのだ。
 “うっかり”居眠りしていた警備員は、動揺して右往左往するばかりで、役に立ちそうにない。そんな中、1人の小男が社長室に駆け込んできた。室内の状況を見て、愕然とする男。
「……ない!」
 男――社長のボーンズビーは、デスクの引き出しを開けるなりそう叫んだ。小太り赤ら顔の典型的な中小企業のオヤジだ。
「社長、い、一体これは!?」
 遅れて走り込んできたシーパンサーズのスカウト兼社長秘書兼経理のジェリー・ヤマダが叫んだ。
「ヤマダ、あのリストが盗まれた。ブラウンソックスの選手リストだ。」
「何ですと!? 大変です、あれが世に出てしまえば、うちがブラウンソックスの選手を買収して八百長試合をさせていたことが発覚してしまいます!」
「……誰だ、誰が盗んだんだ。ブラウンソックスの奴か!?」
「わ、わかりません。わからないけど、取り返さなきゃ、シーパンサーズどころか、ユナイテッド・リーグにとって大損害ですぞ!」



 その頃、本社裏の路地裏に停まったバンの中で、このやり取りを聞いていた人間が6名。Aチームの4名と、依頼人ファルコン、そしてパルテノンのスラッガー、ララバイである。
「……ひどい! 八百長が仕組まれてたなんて! あたしたち、本気でブラウンソックスに勝ったと思って感激してたのに!」
 ララバイが怒りに震えている。
「ああ、神聖な野球をこんな風に汚すなんて許せねえ。」
 ファルコンも拳を握り締める。
「さあ、じゃあ、そろそろとっちめに……。」
「ファルコン! 行くわよ、あいつら、ぶっ飛ばしてやる!」
 ハンニバルの言葉を遮ってララバイが叫んだ。
「おう、望むところだぜ!」
 ファルコンがそれに応じ、2人はAチームより先にバンを飛び出していった。
「おい、待ちなさい、俺たちも一緒に行くから!」
 Aチームの4人も、急いで後を追う。



 6人は受付を通り過ぎ、6階まで一気に階段を駆け上った。すっかり息が上がったAチームの4人に対し、まだ辛うじて20代の元気な2人は、社長室まで一気に駆け込み、ソファで頭を抱えているボーンズビーとヤマダに向き合った。
「な、何だね君たちは?!」
「はじめまして、あたし、パルテノンの4番、セカンド。名前はララバイ。話は聞かせてもらったわ!」
「俺ぁ、ファルコンだ。知ってるよね。八百長試合なんか仕組みやがって、このブタ野郎!」
「パルテノンの選手だと? まさか、あの資料を盗んだのはお前たちか!」
「違いますー。あたしじゃありませんー。でも、知ってますー。さっき聞いちゃったからー。」
 そろそろ三十路のその喋り方は、本気でムカつくものであるが、今の状況では、逆にそこがいい感じ。
「し、資料はここにある。そして、お前……お前さんらの発言は、全部録音させてもらった。」
 やっと息を整えたハンニンバルが、ボーンズビーに向き合った。
「ち、違うんだ、これは私じゃない。このヤマダが、負け続きの球団では収益も覚束ないと言って、私をそそのかしたんだ。」
「な、何を仰います、社長。私は全部、社長のご指示通りにやったまで!」
「何を言うか! 社長の言うことが聞けないのか!」
「こっ、こればっかりは無理ですっ。嫌だっ、こんな守銭奴のために犯罪者になるなんてっ。」
「ええい、何を言うか、全部このヤマダがやったんだ、わしは知らん、知らんぞおっ!」
 ボーンズビーは、そう叫ぶと、部屋を飛び出した。止めようとするフェイスマンを突き飛ばし、部下を置いて逃げてゆく。
「逃がすとか、マジあり得ないー。」
 ララバイが、廊下に走り出て、ポケットからボールを取り出した。
「喰らえ、あたしの剛球!」
 そう言って、しっかりと獲物の頭を見据え、振りかぶって、投げた。ボールは、真っ直ぐにボーンズビーの後頭部を直撃。社長は、その場に昏倒した。
「Rest in peace……お眠りなさい、悪党。」
 倒れ伏すボーンズビーの後頭部に向かって、ララバイがそう呟いた。



〜10〜

 引き続きアジトにしているココナッツグローブの瀟洒な一軒家のリビングで、Aチームの面々とファルコンはスポーツ新聞を囲んでいた。フロリダ・ユナイテッド・リーグの八百長事件は地元のスポーツ紙の紙面を飾ることになり、株式会社シーグラムは野球事業から撤退。今日の新聞には、マイアミ・シーパンサーズが地元の企業にオーナーを変えて出直すことになった記事が載っていた。
「シーグラム・スタジアムはどうなるんだ?」
 ハンニバルが新聞から顔を上げて、ファルコンに問うた。
「存続です。来期からチームを増やして、シーグラムに家賃を払ってく方向で行けば、何とかなりそうなんで。もちろん格安の家賃っすけど。」
「それはよかった。お前さんとこのホットドッグ屋も安泰だな。」
「ええ、是非またガキ連れて見に来て下さいよ。報酬代わりと言っては何ですが、ホットドッグはタダにしますから。」
「そりゃありがてえ、子供たちも喜ぶぜ。またお前さんのホットドッグ投げの妙技を見せてくれよ。」
「そう言えば、ララバイちゃん、どうしてる?」
 あの殺人級の投球を見て、まだ彼女に“ちゃん”づけできるフェイスマン、流石である。
「どうって、普通に働いて、普通に練習してます。ピッチャーとして上のリーグを目指すのは諦めたみたいで。よかったっす。」
「ああ、もったいないねえ。彼女なら、もっと上のリーグに行けるかもしれないのにさ。何ならギプスも貸すし。」
 と、マードック。いや、あのマシンはダメだろ。すぐ煙出ちゃうし。
「何で?」
「だって、見てよ、ハンニバル。この八百長リスト。」
「何だ?」
「入ってないんだ。」
「え?」
「あの試合。パルテノン・ボールメイツとジャクソンビル・ブラウンソックスの最終戦。あれ、八百長試合リストに入ってない。」
 マードックは、さらりとそう言った。
「何ですってぇ?」
「何だと!?」
「ええっ、ホントに?」
 驚く一同。そして、驚く一同に、逆に驚くマードック。
「うん……あれ、普通の試合だったみたい。奴ら、ボールメイツにブラウンソックスが負けるなんてのが想定外でさ、八百長するまでもないって判断してたんだね。」
「てことは、ボールメイツ、実力で勝ったのか。」
「そのようだな。いやはや、すごいねどうも。女の子と素人のチームが、野球部OBのチームに勝ったんだもんな。ファルコン、この事実、ララバイに言うか?」
 ハンニバルの問いに、ファルコンは、少し考え込んだ後、こう言った。
「……いや、言わないでおきます。またララバイが上のリーグ目指して町を出てくって言い出したら困るし。少なくとも、来シーズンが終わるくらいまでは。来シーズンにボールメイツが勝ったら、その時はホントに実力だったってことだから、言います。アイツにゃ他にも言わなきゃいけないことあるし、それも合わせて言います。うん、そうします。」
「そうか。君がそう決めるなら、それはそれでいいんだろう。」
 ハンニバルは、そう言うと、ゆっくりと葉巻を吹かした。



 その後、フロリダ・ユナイテッド・リーグは6チームに増え、翌年の優勝こそブラウンソックスだったものの、ララバイは打点王と最多安打賞の二冠に輝くことになった。そして、シーズン後に行われたファルコンとララバイの結婚式では、ブーケ・トスの代わりにホットドッグ・トスが行われ、大変に盛り上がったということである。
【おしまい】
上へ
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