フェイスマン、嫁に行く!?
フル川 四万
〜1〜

「私たち、別れましょう。」
「うぷっ! げほっ。」
 ジョアンの唐突な一言に、フェイスマンは紅茶を吹いた。ここは、お洒落なエリアのお洒落なオープンカフェの殊更お洒落なテラス席。そしてフェイスマンの吹いた紅茶は、グレート・カブキが吐く毒霧のように、お洒落な彼女の顔面を直撃した。
「わ、別れるって、そんな急に、どしたのジョアン。俺、何か悪いことした? ……そりゃ内緒でアイリーンと旅行行った件は悪かったけど、バーキン1個と引き換えで許してくれたじゃん? あ、もしかして、レミーとパーティ行ったこと? あれはレミーのお父さんの会社と取引があるもんで仕方なく……。それとも先月、1ヵ月くらい連絡しなかったこと、まだ怒ってる? あれは急な仕事でアラスカに……。」
「違うの、怒ってるわけじゃないの。」
 と、ジョアンは、顔にかかった紅茶の飛沫をナプキンで静かに拭いながら言った。
「え? 怒ってないなら、何で別れるなんて言うの? 俺たち、何やかんやで4ヵ月も上手くやって来たじゃない。」
「4ヵ月……そうね、それなりに楽しかったわ。でも。」
「でも?」
「私ね、テンプルトン。」
 ジョアンはそこで言葉を切ると、眩しげに斜め上を見上げ、そしてこう続けた。
「……あなたより、もっと尊い愛を見つけてしまったの。そう、まるで神のような愛を。」
「尊い、愛?」
 頷くジョアンの首筋に、拭いきれなかった紅茶が一筋流れた。



〜2〜

 早朝。ロサンゼルス郊外のとある防波堤。コンクリートの護岸に腰かけ、4ヤード下の海へと釣り糸を垂らす人影が4つ。毎度お馴染み、Aチームの方々です。全員、麦藁帽に半ズボン、ポケットが妙に沢山ついてるベストという、正統派の釣り人ルック着用。
「ぶあっはっは、それでお前、振られたのか。」
 火の点いていない葉巻を銜えたまま、ハンニバルが豪快に笑った。
「まあ、結果としてはね。」
 フェイスマンは、不満気に認めた。
「どっかの金持ち捕まえて乗り換えられたんじゃねえか。お、引いてるぞ、モンキー。」
「ホントだっ、これは大きいっ。」
 マードックが、思いっきり釣竿を引き上げた。釣糸の先には、なぜか白いハイソックスが片方釣れており、そのまま勢いよくフェイスマンの顔にヒットして後ろに飛んでいった。飛んでいった先には、色とりどりの靴下の山ができている。
「だから、俺、聞いたんだよ。尊い愛って、もしかして、すごいお金持ち捕まえた? って。」
「で? お相手の返事は?」
「そしたら、私をお金で釣れる女だなんて思わないで! って、ビンタされた。ジ・エンド。それっきり連絡取れない。」
「そりゃ図星だったんだろ。」
「……お金目当てのコじゃないと思ってたんだけどなあ。今時珍しいくらい、純真なイイコだと思ってたのに。」
 フェイスマンが、大きく溜息をついた。
 と、そこに近づく大きな人影。
「釣れているか?」
 身長6フィート3インチを越える大男である。服装は、迷彩のワークパンツに黒のTシャツ。50を少し過ぎていると思われるが、胸の筋肉はコング並みに隆起している。
「釣れてるよ。今朝は大漁だ。」
 ハンニバルが、男の方を振り向きもせずにそう答える。
「どんな種類が釣れるのか?」
「いやー、主にハイソックスだねえ。」
 と、マードック。
「ハイソックス8割と、たまにニーソックス、ストッキングも少々ってとこかな。」
「……スポーツソックスは?」
 男が、真面目にそう問うた。
「スポソは、ちょっと季節外れだね。春になりゃまた来るんだろうけど。今頃はベーリング海でマグロがヒレに履いてる。あそこは冷えるからね。」
「それは残念だ。」
 男の言葉に、ハンニバルが立ち上がった。竿を置き、麦藁帽を脱いで男に向き合う。一瞬、真面目に見詰め合った後、どちらからともなく笑顔になった。
「やあダーキン。久し振りだな。」
「俺にこんなわけのわからん小芝居をさせるな。」
「いや済まんね、こちとらお尋ね者の身なもんで、身元確認には慎重にならざるを得んのだ。」
「大佐殿に身元確認されるとは、俺も見くびられたものだな。」
 ハンニバルと大男、ダーキンは、がっしりと握手を交わした。



 防波堤を見下ろすリゾートマンションの一室に、洗濯機の音が響いている。
 Aチームの面々とグレン・ダーキン(元)中佐は、昔話に花を咲かせていた。ダーキンとハンニバルは、ベトナム以前、訓練兵時代からの友人関係である。
「いや、変わらんな、お前たちは。」
 と、フェイスマンの淹れたコーヒーを飲みながらダーキンが呟いた。
「あんたこそ、元気そうで何よりだ。」
「中佐が軍を辞めたのって、俺たちがお尋ね者になる前の年くらいだっけ?」
「2年前だ。しかし、何かやらかすとは思っていたが、こんなことになるとはな。」
「まあ、その辺はいいじゃないか。人生、巡り合わせってものもある。これはこれで結構楽しいもんだぞ。」
 洗濯機の音が止まった。マードックが、籠一杯のソックスを抱えて、ベランダへと干しに出る。乾燥機が壊れているらしい。
「それで、元軍人のお前さんが、俺たちに依頼したいことって何なんだ?」
「部下を助けてほしい。」
「部下? 軍人か?」
「いや、俺の経営している警備会社の社員だ。名前は、デニス・グアナッチ。35歳。どうやら拉致されている可能性がある。」
「拉致? そいつは穏やかじゃねえな。一体、誰にだ?」
「プレシャス・ラブ・ソサイエティ。」
「プレシャス?」
「新興宗教だ。デニスが、その宗教団体に入信して会社を辞めたのが先月。何でも、1999年に愛の革命が起こり、PLSの教祖が救世主になるから、教祖と行動を共にすることにしたんだそうだ。俺は、終末論なんていうのは集金のための方便だと言って止めたんだが、結局、連絡が取れなくなってしまった。」
「終末論か。よくある手口だな。しかし、勤めを辞めて連絡が取れなくなったからと言って、拉致されたとは限らないだろう。大人なんだし。」
「宗教入信っていうのは、会社を辞める方便かもしれないよ? 実は仕事が嫌いだったとか。」
「確かに、警備の仕事には向いていなかった。体格は立派なんだが、心の優しい青年でな。取り押さえた万引き犯の嘘泣きに騙されて勝手に逃がしてしまったり、警報が鳴って駆けつけたのに、番犬が恐くて家に入れなかったり。」
「警備員の役目を果たせてねえじゃねえか。何でそんな奴雇ってたんだ?」
「人手不足だ。それに、身長6フィート7インチ、柔術のカレッジチャンピオンと聞いたら、警備の仕事に打ってつけの人材だと思わない方がおかしいだろう。」
「だけど、性格が向いてなかった、てわけね。」
「優しすぎたんだ。」
 フェイスマンの言葉に、ダーキンはそう言って頷いた。
「それで、拉致されたっていう根拠は?」
「先週、俺の直通電話に、デニスが電話をかけてきた。」
「何と?」
「回線の状態が悪くて、よく聞き取れなかったんだが……少なくとも聞き取れた内容は、『助けて下さい。思っていたのと違う』、それから、『ここがどこだかわからない』とも言っていた。」
「警察には?」
「もちろん相談した。だが、成人男性の失踪など、まともに取り合ってもらえるものではない。確かに、事件性がないと言われれば反論のしようがないが、電話での話っぷりが、どうも何かまずい事態に陥っている気がしてならんのだ。」
「それで、俺たちにデニスを助け出してほしいというわけか。」
「ああ。本人の意思でPLSにいるのなら、それは仕方がないことだ。信仰の自由は大事にすべきだと俺も思う。だが、もし不本意な形で拘束されているのなら、助けてやってほしい。百戦錬磨のAチームに頼むようなことではないのかもしれないが、他に心当たりもなくてな。もちろん、報酬は支払う。言い値で構わんよ、常識的な範囲なら。」
「わかった。やってみよう。」
 ダーキンの言う常識的な範囲とはどのくらいだろう、とフェイスマンが値踏みしている間に、交渉は成立し、ハンニバルとダーキンは本日2回目の握手を交わしたのであった。



〜3〜

「あっつい! 何か冷たいものない?」
 エンジェルこと敏腕新聞記者のエイミー・アマンダー・アレン女史は、部屋に入ってくるやそう叫ぶとキッチンへ直行、冷蔵庫を開けてコークの壜を取り出し、カウンターの角に口を叩きつけるという漢極まりない方法で栓を抜き、一口飲んで、あー、とオヤジ染みた声を出した。
「お疲れ、エンジェル。悪いね、いつも。」
 フェイスマンは、カウンターに飛び散ったコーラの飛沫を拭いながら、グラスを取り出してエンジェルに渡そうとしたが、拒否されて棚に戻した。
「それで、プレシャス・ラブ・ソサイエティについての情報は集まったか?」
「事件を起こしたりして記事になったことはないけど、新聞広告を出していたわ。ほら、これがその新聞広告出のコピー。こっちはPLSの勧誘パンフレット。」
 エンジェルが、テーブルの上に新聞のコピーや金色の表紙のパンフレットを投げ出した。
「ふむ。」
「何か派手な冊子だね。」
 感想を述べながらパンフレットを手に取るフェイスマン。パンフレットの表紙には、銀髪で松崎しげる並みに日焼けした中年男が、ビキニパンツ一丁にマントを羽織ったメキシコのプロレスラーのような格好で微笑んでいる。ただし、足元は6インチの白エナメルハイヒール・ローファーで、その分を差っ引くと、かなりの短足である。
「うひょお、銀のパンツにヒールだって、このおっさん、いかしてるね。俺っちも負けてらんないぜ。」
「そこは負けておいてよ、モンキー。俺、さすがにこの格好の奴、連れて歩くの恥ずかしいから。でも、この人、男前っちゃ男前だね。」
「整ってるわよね、どうせ整形でしょうけど。あ、あと眉毛も描いてるわ。どこのペンかしら、このグレーの発色は……レブロンかな。ねえ、どう思う?」
 エンジェルは、推理力を無駄な方向に発揮しつつ、そう言ってパンフレットをハンニバルに渡した。それ訊いてもハンニバルにはわかるまいて。
「ふむ。」
 頷いて受け取ったハンニバルは、パンフレットをぺらぺらと捲って、ふと真剣な表情になった。
 そんなハンニバルには気も留めず、新聞広告のコピーを読み上げるコング。
「何だと? 《世界を救うのは愛の力です。人種・性別を超えた博愛の精神を持つことにより、世界から争いはなくなります。さあ皆さん、来る愛の革命に向かって、私と一緒に新しい世界を創造しましょう。》……何だこりゃ、ただの色ボケじゃねえか?」
「そう、エロスこそ人類の生命力の根源、とか、性の解放が争いをなくす、とか、お色気方面に振ってる宗教みたい。だけど、まだ信者は2000人くらいで、それほど勢力があるわけじゃないから、警察もノーマークね。」
「そんなに危ない宗教に見えないんだけど。ねえ、ハンニバル。……ハンニバル?」
「いや、これは危ない宗教かもしれんぞ。少なくともまともな宗教じゃない、多分。あたしの記憶が確かなら。」
「何だって?」
「マーシュ・アーロンハルト。俺たちが軍を追われる少し前に、コロンビアの麻薬王、ドンゴロスとの癒着が疑われて軍を追われた少佐がいただろう。」
 そう言って、海パンマント男を指差すハンニバル。
「え? これアーロンハルト少佐? ……て、こんな顔だっけ?」
「いや、顔は変わっている。だが、この等身の感じと足の短さ、それから色ボケ具合は、アーロンハルトに違いない。」
「そう言や、アーロンハルト少佐は、セクシャル何とかで懲戒食らってたっけ。」
「ええと、それは軍隊で?」
 と、エンジェル。
「ああ。確かあの時も、性の解放の時代だとか、基地内でのフリーセックスは認められるべきだとか、とんでもない主張を繰り返した結果、懲戒になったんだ。」
「軍って、基本、男の子だけよね?」
 と、なぜかキラキラした瞳で問いかける。何を期待しているのか。
「いや、女性もいる。奴の被害者の半分は、事務官の女性たち。それも、飛びきりの美人ばかり。残り半分の兵士も、男前な新兵ばかりだった。」
「何ですって! 権力を笠に着て、ってやつね、信じられない! 女性の敵だわ、ぶっ潰してやって!」
 女性の敵とわかった瞬間に、キレ気味で食いつく敏腕新聞記者であった。
「アーロンハルトが何か企んでやがるとしたら、デニスが拉致されたってのも、ありそうな話じゃねえか。」
「うむ。」
「……じゃあ、これ行ってみよか?」
 マードックが、パンフレットの『今月のスケジュール』のページを指差した。
『今月の説法。“つながろう諸君! ――博愛革命の準備として”日曜14時〜、PLS会館地下大広間。初心者大歓迎。ただし、10代から40代、美形限定。』



〜4〜

 日曜の午後。
 フェイスマンとマードックは、アーロンハルトの今月の説法を聞くべく、プレシャス・ラブ・ソサイエティ本部に来ていた。本部の前には、同じようにアーロンハルトの説法を聞くために集まった信者が開場を待って列を作っている。
 フェイスマンは、普通のスーツ姿。マードックは、マント着る! と言い張るのをフェイスマンが必死で止めたので、一見普通の格好をしているが、足元はハイヒール、そして密かにシルバーのビキニパンツ着用である。結果として、その姿は、かなりでかい変態である。連れて歩くには、ちょっぴり恥ずかしい。そして、年齢制限により、ハンニバルは今回参加していません。
 2人は行列の最後尾についた。周りを見回してみると、来ている面々は、男女比半々、年齢は募集通りに10代から40代。美形を募集しているにも関わらず、特別男前でも美女でもない、至ってフツーの人たちがほとんどだ。
「結構盛況だね。」
「やっぱ、かっこいいもんね、あのマント。そりゃ人気出るでしょ。」
「何でコング来なかったの?」
「色ボケジジイの説教なんざ聞きたくねえ! んだそうな。いいじゃん、車で待機してるんだし。あ、ほら受付だよ。」
 そうこう言っているうちに行列は進んでいて、2人は受付の前に来た。
「お1人様100ドルになります。」
 ブロンドの美しい受付嬢が、にっこりとそう告げた。説法なのに、チケット制。そして割と高い。
「ジョアン!」
 受付嬢を見て、フェイスマンが声を上げた。
「テンプルトン! どうして!?」
「どうして、って、えーっと、説法を、聞きに。」
 その言葉に、受付嬢=ジョアンの顔が輝いた。
「まあ、嬉しいわ! あなたがアーロンハルト様のお話を聞きに来てくれるなんて! 信者になってくれるのよね!?」
「いやまだ、信者になると決めたわけじゃ……。」
「そうよね! でもきっと、今日の説法を聞いたら入信したくなるわ! アーロンハルト様の説教は、1回でも聞いた人を虜にしてしまう不思議な力があるの! 絶対よ、約束するわ!」
 ジョアンは、フェイスマンの手を握ってぶんぶんと上下に振った。そのやり取りに、後ろに並んでいた信者が咳払いをする。
「あ、ごめんなさい、私ったら、つい興奮しちゃって。お2人様200ドルよ。」
「あ、ああ。ねえ、ジョアン、後で話できるかな? その……PLSのことをもっと知りたいんだ。」
 あたふたと代金を払いつつ、フェイスマンがそう問うた。
「もちろん! 終わったら声かけてね。」
「わかった。じゃ、後で。」
 受付を後に、フェイスマンとマードックは会場内へと足を踏み入れた。会場は、小さな映画館ほどの広さで、正面の説法台を半円形に設置された150席程度のパイプ椅子が囲んでいる。照明は薄暗く、ラベンダーの匂いが立ち込めていた。
「ねえフェイス、あれが、こないだ振られたって言ってたコ?」
 会場の一番後ろの席に陣取りながらマードックが訊いた。
「うん、そう。」
 フェイスマンが、しょんぼりとそう答える。
「……俺、あんなマント男に負けたのか。何かショックだなあ。」
「いやいや、何か理由があるのかもよ。とりあえず気を落とすなって。ほら、教祖様のお出ましだよ。」
 会場の扉が閉められ、照明がさらに落とされる。そして、説教台にだけ、ピンク色のスポットライト。その中に、1人の小男(松崎しげる似)が立っている。多分、5フィート3インチあるかないかだろう。
「何か、小っちゃくない?」
 フェイスマンが小声で囁いた。
「ヒール履いてないのかなあ。」
「いつも履いてるわけじゃないんだ。」
「……だね。」
 どうでもいい話をしているうちに、説法が始まった。
『皆さん、ここにいらしている皆さんは幸運です。なぜなら、来る世紀末に向けて、これから始まる愛の革命へと参加する権利を得たからです。』
 アーロンハルトは、したり顔で続ける。
『愛には、国境はありません。国籍も、人種も、性別も関係ありません。全ての愛は許されているのです。そして全ての性的欲望も、愛の下に許されているのです。種別を超えても、愛で結ばれた生物同士だけが神に祝福され、繁栄を約束される。それは、自然の摂理であると共に、これからの地球を進化へと導く道しるべに……うんちゃらかんちゃら、べらべらべらべら(後略)。』
「何か、退屈な説教だね。」
「うーん、今いちオリジナリティないって言うか……眠くなってくるね。」
『(前略)迷うことをおやめなさい。自分で決める必要はないのです。すべてを神のご意思に委ねる時、真の平和が始まるのです(後略)。』
「いやマジ、眠くなってくるわ。何だか、いい匂いしてるし……。」
「おいらも、頭ぼんやりしてきた。」
『愛こそが命の源、愛こそが繁栄の証。』
「あ〜、愛かぁ、やっぱりね、愛っていいかも……。」
「マントもかっこいいしね……。」
『考えることもおやめなさい。全ては、この愛の伝道師、アーロンハルトとプレシャス・ラブ・ソサイエティに委ねておしまいなさい。隣人と繋がるのです。そして、尊い愛の輪を作りましょう。さすれば、全ての苦しみから解放され、喜びに満ちた愛の世界を満喫できるでしょう。』
「……モンキー、何か、これ、ヤバくないか……?」
「何がさ? あ〜、アーロンハルト様、マントかっこいい……。」
「愛の世界サイコー……って!」
 フェイスマンが、ハッ、と我に返った。そして、朦朧としかけているマードックの足を思いっきり踏んだ。
「イタッ、何すんの、て、あれ?」
『……愛し合いなさい。そして、奉仕しなさい。財産なんて不要です。捨ててしまいなさい。捨てるなら、こちらの口座番号に……。』
 アーロンハルトの説教は、なおも続いている。見れば、信者たちは皆、頭を垂れ、意識を失いかけていた。
「モンキー、あんまり息すんな。これ、催眠ガスだ。それも、軍が洗脳に使う特殊なやつ。」
「うわ、何それ、とんだ教祖様じゃん。」
 フェイスマンはハンカチを、マードックはシャツの袖を口と鼻に当て、姿勢を低くしてガスを吸わないようにそっと息をしてやり過ごす。
 説教は、それから小一時間続いた。



 小一時間、催眠ガスとキモい説教に絶えまくり、息も絶え絶えに会場を出たフェイスマンは、マードックを先に帰すと、ふらつく頭を押さえつつ、ジョアンの元へと向かった。
 ジョアンは、来た時と同じ受付で札束を数えていた。
「ジョアン。」
 フェイスマンが、声をかける。
「テンプルトン、どうだった? 師父様の説教。感動しちゃったでしょう?」
「え、ああ、すごくよかったよ。ぼーっとするくらいに。」
「よかったわ! じゃあ、これ、お布施の振込先よ、最低5000ドルからでお願いね。それから……。」
「ジョアン。」
「……何?」
「教えてほしいことがある。人を探してる。友達なんだ。」
「誰?」
「デニス・グアナッチ。」
「グアナッチ? ええと、最近入った、あの大きい彼のことかしら?」
「多分そう。実は俺たち、彼に勧められて、ここに来たんだ。それで、お礼を言いたくて。……会えるかな?」
「無理ね。」
 ジョアンは、きっぱりとそう言った。
「何で?」
「彼、ここにはいないわ。“愛の盾”に選ばれたから。」
「愛の盾?」
「そう。愛の盾は、来る世紀末の革命の戦士。アーロンハルト様の身辺警護をするための部隊よ。信者の中から、特に肉体・技能が優秀な人が選ばれるの。警護部隊が“愛の盾”。で、アーロンハルト様の身の回りのお世話をしたりして一緒に生活する、世間で言う妻の役目をするのが“愛の壺”。こっちは美しさが基準ね。どっちも信者の中では特別な存在なの。」
「盾と、壺、か。それで、盾の方は、どこにいるの?」
「わからない。軍事訓練のために、どこかに集められているみたいだけど、場所は側近しか知らないみたい。」
 愛の宗教になぜ軍事訓練が必要かについては、ジョアンは何も考えていないようだった。
「……そうか。」
「テンプルトン、正式に入信する場合は、この用紙に住所と電話番号と年収と……。」
「ジョアン、もう1つ聞いていい?」
「何?」
「君は、どうして、プレシャス・ラブ・ソサイエティに入信したの?」
 フェイスマンの問いかけに、ジョアンは少し考えて、こう答えた。
「……そうね。1人の男の人とつき合うのって、裏切られたり、こっちの期待と違ったりするでしょう。他のコと比べられたりもするし。みんなで愛し合うようになれば、嫉妬とか、疑心暗鬼とか、そういうのがなくなるかなって、最初はそんな感じ。」
 静かに微笑んで、そんなことを言い出したジョアンに、フェイスマンは動揺した。
「ジョアン、もしかして、それって俺の……。」
「でも今はね、アーロンハルト様について行くことにしたの。やっぱり博愛の精神は素晴らしいわ。私も早く愛の壺に選ばれるように精進しなきゃ。あなたも、デニスに会いたいなら、愛の盾を目指すといいわ。新規の選抜試験は毎月やってて、筆記の一次試験があるけど、もしテンプルトンが入信してくれるなら、筆記は免除にしてくれるよう、幹部にかけ合ってあげる。」



〜5〜

 所変わって、Aチームのアジト。フェイスマンがソファに突っ伏しており、3人がそれを遠巻きに見ている状況である。
「モンキー、フェイスの奴、どうしたんだ? PLSから戻ってきてから、元気がないんだが。」
「振られた彼女がさ、PLSに入信したのが、自分のせいだったってわかったから、落ち込んでんだろ。」
「……そりゃ難儀だな。」
「自分の不埒な行いのせいで、つき合ってた女が色ボケ宗教に入信したってんだから、そりゃショックだろうぜ。」
「とは言え、その元ガールフレンドのおかげで、デニスの消息の手がかりが掴めたんだ。おいフェイス、いつまでも寝てないで、こっちへ来い。作戦会議だ。」
 ハンニバル言葉に、フェイスマンはのろのろと起き上がった。
「俺もう、純情系のコに手出すのやめよっかなあ。ジョアン、お父さんが会社経営してて、いい感じだったんだけどなあ。」
 わざと元気を出すように、フェイスマンがそう言って伸びをした。
「結局、目的はそこかよ。」
「まあね、やっぱりほら、俺、詐欺師じゃん? オイシイ相手に近づくために、手段は、ね。」
 無表情にいつものノリを演じるフェイスマンに、マードックが歩み寄った。
「無理しちゃって。」
「……わかる?」
「わかるさ。何年のつき合いよ、俺たち。わからないはずないじゃん。何なら、このスポーツソックス(マグロが履いてたやつ)賭けてもいいよ?」
 マードックが、そう言ってフェイスマンの肩に、そっと生乾きのソックスを乗せた。フェイスマンは苦笑しつつ、その靴下を摘んで後ろに投げ捨てた。



「アーロンハルトのエロ説法が、特殊なガスを使った一種の催眠術だということがわかった。何の目的かはわからんが、親衛隊を結成し、軍事訓練を行っていることもだ。そして、俺たちが探しているデニス・グアナッチも、その訓練に参加していることは確実なようだ。」
「“愛の盾”ね。」
「気持ちの悪いネーミングだぜ。」
「そこで俺たちも、その親衛隊“愛の盾”に潜入し、デニスを救出する。そして、アーロンハルトの目論見を暴いて、叩き潰す。以上、何か質問は?」
「ハンニバル、愛の盾には誰が潜入するんでい。」
「ガールフレンドのコネが使えるフェイス、それからコングだ。あたしは年齢制限でPLSには入信できないし、モンキーには救出用のヘリを準備してもらう必要がある。潜入する2人には発信器をつけ、それをあたしとモンキーで追いかけるという寸法だ。いいな?」
「了解。」
「オッケー。」
「了解したぜ。」



〜6〜

 数日後、ジョアンの口利きで筆記試験(博愛精神のなんちゃら言うメソッドを問われるもの)を免除されたフェイスマンとコングは、“愛の盾”の最終選考である実技試験を受けるため、市民グラウンドを訪れていた。既に揃いの体育着(上下ピンク)を着用し、ゼッケンをつけている。ゼッケンの番号は、コングが42番で、フェイスマンが43番。
『プレシャス・ラブ・ソサイエティ アーロンハルト様親衛隊 “愛の盾”・“愛の壺”選抜試験会場』
「おい、軍隊だけじゃなくて、嫁さんの方の選別もあるみたいだぜ。」
 コングが、グラウンド入口にはためく幟を見てそう言った。
「壺、ね。それで女の子も結構来てるのか。あ、ジョアン。」
 フェイスマンが、試験を待つ集団の中にジョアンの姿を見つけて声を上げた。
「お前の元カノも受験するのか。」
 コングの言葉に、フェイスマンは溜息をついた。
「そうみたい。……何か複雑な気分だよ。」
「しょうがねえだろ、洗脳が解けるまでは、下手に動くと怪しまれる。ところで、発信器はちゃんと持っただろうな?」
「うん、さっきテストもしたから大丈夫。ここからコロンビアくらいまでなら楽勝で追える強力なやつだし。」
「とにかく、試験に受からねえことにゃ、デニスの行方はわからねえんだ。まあ、素人相手の実技試験なら、俺たちが落ちることはねえだろうが、気ぃ抜かねえで真面目にやれよ。」
「はいはい。何とか頑張りますよ。」
 そうこう言っているうちにホイッスルが鳴り、数十名の受験生が一ヵ所に集められた。軍服の監督官から、試験の実施要項が説明される。科目は、基礎体力から戦闘能力まで、多岐に渡るようだった。
「結構キツそうだね。俺、大丈夫かな?」
 フェイスマンは、不安げにそう呟いた。



〈Aチームの音楽、かかる。〉
 揃いの体操服を着て、グラウンドを走るフェイスマンとコング。走り幅跳びを跳ぶコング。砲丸を投げるフェイスマン。ロープをよじ登るフェイスマン。逆にロープをするすると降りるコング。
 野外キッチンでオムレツを作るジョアン。泥のプールをざぶざぶと泳ぐコング。ビキニ姿でフラダンスを披露するジョアンたち女子の面々。キッチンでオムレツを作るフェイスマン。アーチェリーで的の中央を射抜くコング。ステージで、女子に交じって腰蓑をつけてフラダンスを踊るフェイスマンとコング。パンツ一丁でポージングを決めるコング……。
〈Aチームの音楽、終わる。〉



 いくつかの疑問が残る試験の数々が全て終了し、荒い息をつきながら整列する受験生たちの前に、軍服を着た男たちが小走りでやって来た。整列、敬礼。受験生も、思わずそれに倣う。
「今から合格者を発表する。愛の盾に合格した者は、そのまま訓練所に入るので、そっちのバスに乗ること。愛の壺に選ばれた者は、あっちのバス。番号を呼ばれなかった者は、帰っていい。合格者は4名。まず24番、愛の壺、合格。」
「やった!」
 列の一部から、わっと歓声が上がった。まだ10代に見える少女である。合格した少女の元に、仲間であろう女性たちが群がり、彼女の合格を祝福している。そして、軍服の男たちに抱きかかえられるように、バスBに運ばれていった。
『よかった、ジョアンじゃなかった……。』
 フェイスマンは、ホッと胸を撫で下ろした。さすがに、“元”がつくとは言え、自分の彼女がマントにビキニパンツのおっさんの“妻”になるというのは、あまり気分のいいものではない。明らかに肩を落とすジョアンの姿は、少し不憫ではあるが。
「38番、愛の盾、合格!」
 38番の受験生は、コングに負けずとも劣らぬゴツい黒人男性だった。そのゴツイ男に、もっとゴツイ軍服の男たちが駆け寄り、両脇を持ち上げるようにしてバスAへと運んでいく。
「42番、愛の盾、合格!」
「おう! こっちだ。」
 番号を呼ばれたコングが手を挙げた。軍服の男たちが数名コングに駆け寄り、コングをバスAへと連れていった。
「最後に、43番、愛の壺、合格!」
「やった、俺も合格だ! って、え? 壺? 壺の方!?」
「合格者は以上だ。愛の壺の合格者2名は、今からアーロンハルト様のご自宅に住み込んでもらう。以上、解散!」
「え、ちょと待って、コング!」
 フェイスマンが、バスに乗り込むコングの後ろ姿に向かって叫んだ。が、その声は届かず、愛の盾の新メンバーを乗せたバスAは、無情にもグラウンドから走り去っていった。
『うっそ、どうしよう、発信器、俺しか持ってないじゃん。コング、どこ連れてかれるんだよ? ……て言うか、壺? それってアーロンハルトの妻役、だよね? うわ、何だか寒気してきた……。』
 茫然と立ち尽くすフェイスマンに軍服の男たちが駆け寄り、そして軽々と両脇を抱えて、バスBへと連れ去った。



〜7〜

 薄暗い部屋に、気怠いシタールの音楽が流れている。
 試験に合格し、愛の壺の一員となったフェイスマンが連れてこられたのは、PLS本部の最上階にある、アーロンハルト教祖の自宅であった。
 愛の泉、と名づけられたその部屋は、30畳ほどの広さがあり、くるぶしまで埋まる毛足の長い絨毯が敷き詰められている。空気が何となく薄紫のような気がするのは、濃く立ち込めたラベンダーの香りのせいであろうか。
 今回の合格者であるフェイスマンともう1人の少女は、入念に風呂で体を洗い流された後、下着の上に揃いのシルクのガウンを着せられて、この部屋に連れてこられたのだった。先導の女性信者に促されて扉を開けると、部屋の中には10名程度の男女が、物憂げに水タバコを吸ったり、怪しげなカクテルを啜ったりしつつ寛いでいた。中にはなぜか羊も1頭交じっている。
「……ここは?」
「今夜の“妻”の控室です。」
「今夜の、妻?」
「はい。愛の壺の方々は、師父様の身の回りのお世話をなさる見返りとして、毎晩1人だけ、師父様のご寵愛を受けることができます。」
「ご寵愛って、えーと、いわゆるアレのことだよね?」
 フェイスマンの下世話な表現に、世話役の信者が眉を顰めた。
「ここでは、その行為については、愛の営み、と仰って下さい。」
「何でもいいや。ここにいる女性……だけじゃなくて、男も? アーロンハルト、げほっ、アーロンハルト様の“妻”ってこと?」
「左様でございます。女性と男性だけでなく、羊もでございます。因みに、羊は、メリー様と仰います。話しかける際は、お名前で呼んで差し上げて下さい。師父様の愛の前には、人間も羊も平等です。」
「羊が妻……博愛主義、ってこういうことなのかしらね。」
 心なしか、口調が女性的になるフェイスマン。その横で、一緒に合格した少女が、興味深そうに2人の会話に耳を傾けていた。よく見れば、15歳にも満たない少女のようである。
「それで、俺たちはここで何してればいいの?」
「お待ち下さい。もうすぐ師父様が、今夜の仔羊をお選びにいらっしゃいます。選ばれた方は、朝まで師父様の自室でお過ごしになることになります。選ばれなかった方は、解散です。それぞれのお部屋にお戻りいただきます。では、師父様がお見えになるまで、こちらでご自由にお過ごし下さい。」
 そう言うと、世話係は扉を閉めて去った。ガチャリ、と鍵のかかる音が響く。どうやら、“愛の壺”には、あまり自由がないらしい。
「ご自由に、って言われてもね……。」
 フェイスマンは、気だるげに横たわる“妻”たちの間を抜けて、飲み物のあるテーブルへと歩を進めた。氷の入ったペールから白ワインを1本引き抜いて、グラスに注ぐ。そして、一口飲んで、ペッ、と吐き出した。普通のワインの味ではない。
「媚薬、か。よほど自分のテクに自信ないのね、アーロンハルト様……。」
 プレイボーイらしい感想を述べるフェイスマンである。媚薬のお味をご存知ということは、フェイスマンも誰かに使った(使われた)ことがあるのだろう。
 と、フェイスマンの脇から伸びる白い手が、フェイスマンが置いたグラスを掴んだ。
「ダメだ。」
 気づいたフェイスマンが、思わずその手を押さえた。
「え、ごめんなさい、私、喉が渇いて。」
 びくつきながらフェイスマンを見上げたのは、一緒に合格した少女だった。
「あ、ああ、ごめん、怖がらなくていい。君、未成年だろ。これアルコールだからさ。ほら、こっちに水あるから。」
「あ、ありがとう、おじさん。」
 少女はそう言って、フェイスマンの差し出した水のボトルを手に取った。おじさん、の言葉には、既に反応しなくなってしまった、一山越えたお年頃のフェイスマンである。
「……君、いくつ? 名前は?」
「14歳。ポーリーン。」
「14歳のコが、何で“愛の壺”に?」
「博愛の精神に賛同しているから。先月、初めて師父様の説教を聞いて、この方こそ私の“夫”になるべき人だって確信したから。」
 少女は、そう言ってフェイスマンを睨んだ。まるで教師に咎められている生徒のような不貞腐れた態度で。洗脳は、柔軟性のある若い精神をより好んで蝕む。フェイスマンは、やる瀬ない気分になって、思わずワイン(媚薬入り)を呷った。



 と、そこに、ジャジャーン! と響くドラの音。
 十数名の男女が一斉に奥の扉に注目する。ファンファーレと共に、扉がバーン! と跳ね開けられ、ゆったりとしたシルクのガウンに身を包んだ小男が登場。輝く銀髪、皺一つない男前、レブロンのアイブロウで描いた眉毛はぶっとく、ヒールを履いていない足は、どこまでも短い。紛うことなく、アーロンハルト(元)少佐である。
「私の妻たちよ! 待たせたね! さあ、今夜も愛の時間が始まるのだ!」
 アーロンハルトは、そう言って、妻たちを見回した。妻と呼ばれた男女は、期待に満ちた目でアーロンハルトを見つめている。
「みんな、今夜も私を待っていてくれてありがとう。ジュリー、今夜もきれいだね。」
 ジュリーと呼ばれた黒髪の女性は、派手な投げキッスでアーロンハルトにアピール。
「ジャック、今夜も胸筋、切れてるね。」
 ムキムキの黒人男性、ジャックが、ボディビルのポージングで、今夜の妻は俺だ! とばかりに周囲にアピール。
「メリー、今夜も……ステキなお尻だ。モコモコだね。」
 羊のメリーからは、特に反応はない。
「みんなが私を心待ちにしていてくれたのはわかっている。君たちの一人一人の美貌と奉仕の心を思い出すと、私の“博愛精神”ははち切れんばかりだ。しかし、しかし今夜だけは我慢してもらいたい。なぜなら今夜は、新しい“愛の壺”を2つも迎えているからだ。」
 アーロンハルトは、そう言うと、フェイスマンと少女に向き直った。
「わが愛しいポーリーン、そして麗しのテンプルトン。待たせたね。ようこそ我が愛の壺へ。今夜から、君たちは私の妻となったのだ。さて、今夜はまず、ポーリーン、レディファーストで、君を我が仔羊とすることにしよう。」
「はい! 師父様、喜んで……。」
 少女――ポーリーンが、アーロンハルトの前に歩み出た。
「わーっ!」
 フェイスマンが大声を上げてポーリーンの前に躍り出る。
「何事だね、テンプルトン。」
 アーロンハルトが、迷惑そうにフェイスマンにそう問うた。
「あ、あの、いやその……今夜の仔羊ですが、僕じゃダメでしょうか?」
「うん? ほっほっほ、そんなに待ちきれないかね。まあそう焦るな。お前は、明日ゆっくりと……。」
 アーロンハルトが、そう言って、フェイスマンの頬を指でなぞる。フェイスマンの背筋を、ぞわっとした悪寒が駆け上った。
「で、でも、できれば今夜がいいんです。せっかく師父様にお会いできたのに、お預けなんて、僕、我慢できません……。」
 フェイスマンが、アーロンハルトの前に跪いた。
「ね、お願いします、師父様……。ポーリーンより、僕を先に妻にして下さい……。」
 うるうるした瞳でアーロンハルトを見上げるフェイスマン。両手は、さりげなくアーロンハルトの脛を摩っている。
「う、うむ。そうまで言うなら、今夜の仔羊はお前にしてやろう。その代わり、ふふふ、朝までちゃんと奉仕するのだぞ」
「それはもう、喜んで!」
 オエー! グエー! 内心で目一杯嘔吐しながら、長年培った詐欺師の笑顔で、フェイスマンがアーロンハルトに微笑みかける。
『よかった、ポーリーンに相手させなくて済む……。洗脳されてるとは言え、14歳のバージン(多分)にあのおっさんの相手させるわけには行かないもんね。』
 そしてフェイスマンは、愛の壺たちの羨望の視線を浴びながら、アーロンハルトの寝室へと導かれていった。



 30分後、アーロンハルトは、自室の豪華なベッド(回る)の上で昏倒していた。首筋には、ぶっとい注射器が刺さりっ放し。
「ふう、コング用の注射器、持っててよかった〜。貞操の危機だったわよ、ホントに。」
 フェイスマンは、乱れたガウンの前を掻き合わせながら、そう言って細いタバコを吹かした。
「さてと、コイツが起きる前に、家捜ししときますか。と、その前に、ハンニバルに連絡しなきゃ。」
 フェイスマンは、ベッドサイドの電話機に手を伸ばした。



〜8〜

 窓を叩く音に、フェイスマンはカーテンを開けた。屋上からロープで降りてきたハンニバルとマードックである。素早く窓を開け、2人を招き入れる。
「何だ、その格好は? 場末のホステスの寝起きか?」
「聞かないでよ。」
 フェイスマンが邪険にそう答える。この30分でよほど嫌なことがあったのだろう。
「コングちゃんは?」
「ごめん、見失った。試験場から、バスでどこかに連れ去られた。」
「そういうことか。発信器からの電波が、本部に移動した後、動かなくなったから、おかしいと思っていたんだ。」
「まあでも、偶然だけど、アーロンハルトの部屋に潜入成功したんだ。手がかりがあるとしたら、ここしかないでしょ。」
「よし、捜索だ。モンキー、アーロンハルトを縛っておけ。」
「らじゃ♪」
 マードックは、手早くアーロンハルトを縛り上げ、床に転がした。



「見つけたぞ、これか。」
 寝室の奥の書斎で、書類の束を引っ繰り返していたハンニバルが、数冊のノートを引っ張り出した。中には、麻薬の取引記録と、コロンビアを中心として暗躍する大物マフィア、ドンゴロスの名前と、集めたお布施で武器を購入した記録。そして、軍事訓練の場所と緻密なスケジュール。
「やっぱりか。奴は、麻薬組織と切れちゃいなかったんだ。ドンゴロスの権力を後ろ盾に、宗教団体を隠れ蓑にした強力な武装集団を作って勢力を伸ばす作戦だ。」
「なるほどね……って、ちょっと待って。宗教団体はともかくとして、どうせ催眠ガスやら薬やらで洗脳すんだろ? エロ関係ないじゃん。」
「そっち方面は、単なる奴の趣味ってことじゃん?」
「……ある意味、羨ましいよ、男として。俺、さすがに妻に羊は無理だもん。」
「羊?」
「うん、いるんだ。妻の羊。」
 フェイスマンのぼんやりした説明では、今いち状況を把握できない2人ではあったが、とにかくアーロンハルトの性欲がしょうもない方向に向いていることだけは理解された。
「フェイス、それでこいつはいつまで寝てるんだ?」
「ええと、コング用のを全部打っちゃったから、12時間くらいかな。」
「うんむ。じゃ、お仕置きしてあげましょう。」
 ハンニバルが、葉巻を銜えてニヤリと笑った。



〜9〜

 翌朝、日が昇る食前の、まだ薄暗い時間。
 人影のない当局のビルの前に、紺色のバンが、そっと滑り込んだ。そして、後部ドアから、どすん、と大きな麻袋が投げ落とされる。
 その麻袋には、こう書かれた紙が貼付してあった。
『犯罪者1名および証拠物件在中。罪名;1)麻薬売買。2)婦女暴行・強制猥褻。3)動物愛護法違反。※去勢済み。(術後ほやほやなので、たまに消毒してあげて下さい。)』



 防波堤を見下ろすリゾートマンションの一室で、Aチームの4人は朝のコーヒーを飲んでいた。ダーキン(元)中佐と、その部下デニス・グアナッチも一緒である。
 今朝、エロ教祖を当局に引き渡したその足で、PLSの軍事訓練場(割と近場だった)に乗り込んで一暴れし、デニスとコングを奪還してきての今である。
「本当に、社長、それから皆さん、迷惑かけて済みませんでした。」
 デニスがしおらしく頭を下げた。
「いいってことよ。洗脳されちまった連中ばっかりの中で、途中でおかしいと気がついて助けを求めただけでも立派だぜ。」
「いえ、気がついたわけじゃなくて……あまりにも訓練が過酷だったから、逃げ出したかっただけなんです。かけっことか苦手で。本当にお恥ずかしい。」
「何だと? じゃお前さん、今でもあのエロ教祖を崇拝しているのかい?」
「教祖が悪い人だったって、皆さんのお話を聞いて頭では理解したつもりですが、まだ頭が混乱していて……。だって僕、本当に教祖が大好きだったんです。愛の盾じゃなくて愛の壺になりたいくらいに。」
 デニスの言葉に、ダーキンががっくりと項垂れた。
「……言ってなかったが、コイツ、体はゴツイが、中身は女子なんだ。」
「ああ、それで警備員も向かなかったんだな。」
 妙に納得するハンニバルである。
「でもデニス、あの教祖の、どこがそんなに魅力的だったんだ?」
「顔です。」
 デニスは、きっぱりと言い切った。
「面食いか!」
 コングが突っ込む。
「はい! 面食いです! その……そちらのあなたも男前ですね。愛の壺に選ばれた方に助けてもらえたなんて、光栄だな……。」
 デニスはフェイスマンを見て顔を赤らめた。フェイスマンは、ちょっと前に感じた種類の悪寒が、再度背中を駆け上るのを感じて、思わず立ち上がった。
「もしよかったら、今度一緒に食事でも……。」
「いやいやいや、滅相もない。じゃ、俺、用事あるから! パーティ行かなきゃだし、彼女に振られたからナンパ行かなきゃだし!」
 フェイスマンが、そう言ってあたふたと立ち上がった。
「あ、待って下さい。せめて電話番号だけでも……。」
 追いすがるデニスを振り切るように、フェイスマンが逃げ出した。後を追うデニス。2人はバタバタと部屋を出ていった。
「後はお若いお2人で、っと。」
 2人が部屋から去るのを見届けると、マードックがそっとドアを閉めた。
「今回のことは本当に済まなかった。少ないが、報酬だ。」
 ダーキンが、そう言うと、札束をテーブルの上に置いた。ハンニバルが頷いてそれを受け取る。
「これからどうするんだ? いつまでも逃げ切れるわけではないだろう。」
「そうさね……ま、とりあえず釣りでも行って考えるさ。」
 ハンニバルは、そう言ってニカっと笑った。
【おしまい】
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