冷やし中華始めました
鈴樹 瑞穂
「うーん、どうしようかな。」
 フェイスマンは手にしていた本を膝に置き、ソファの背凭れに頭を置いて、溜息をついた。
 ここはロサンゼルスから車で1時間ほど離れた町だ。フェイスマンが借りてきたアパートで、Aチームの面々は夏を過ごしている。
 夏のバカンスへとやって来たのはいいものの、暑いものは暑い。目下、フェイスマンの頭を悩ませているのは、本日の昼食メニューだ。コングもマードックも料理ができないわけではないのだが、彼らに任せると極端に偏ったメニューになったり1食分の食費がすごいことになったりする確率が高いため、結局、フェイスマンが食事担当にならざるを得ない。その代わり、掃除はコング、洗濯はマードックが担当している。
 食べる方の注文は全くもってうるさいし、フェイスマンのレパートリーもそれほど多いわけではないので、最近は朝食の片づけが済むと料理の本と睨めっこする日が続いている。毎日3食作るって意外に大変なんですけど。バカンス来てから料理しかしてない気がするんですけど。暑いからあまり火を使いたくないし、手間暇かける気力もない。冷蔵庫の中の食材ですぐできて簡単で経済的かつ見栄えがよくて美味しいメニューなんて、そうそうあるものではなかった。
 もういっそ、立てた料理本から手を離して、開いたページにしようか。と投げやりにフェイスマンが料理本を取り上げた時、ハンニバルが入ってきた。一切の家事を部下たちに任せている彼は、朝食が済むと『情報収集』という名目で出かけていたのだが、その実態は単なる散歩である。
「お帰り、大佐。昼何食べたい?」
「そうだな。」
 ハンニバルはもったいぶって考えるポーズをする。そこへ、それぞれ洗濯と風呂掃除を終えたマードックとコングもリビングに入ってきた。
「なぁ、いいだろ。コングちゃんならできるって。作ってくれよ。」
「できるかアホンダラ。大体そんなもの何に使うんでい。」
「一度やってみたいだけなんだって。ホラ、おいら設計図も書いたんだぜ、あとはちょちょいっとさぁ。」
「自分でやりゃいいだろうが。」
「そんなケチなこと言わずに作ってくれよー立体起動装置。」
「断る。」
 どうやらマードックは現在某マンガにハマっているようだ。アニメでも見たのだろう。原理はともかく、それらしいものくらいなら作れるかもしれない。しかしアレは飛行機より確実に恐いシロモノであるがゆえに、コングが手伝うことはないだろう。
 そんな通常営業な2人の会話が一段落ついたところで、ハンニバルが徐に言った。
「そう言えば、今日見つけたんだが、1ブロック先にレストランがあった。」
「へぇ、こんな住宅街にあるなんて珍しいね。その立地で営業が成り立つってことは、よっぽど味がいいのかな。何料理の店?」
 フェイスマンが身を乗り出す。
「それがよくわからん。せっかくだ、これから昼を食いに行くぞ。」
 リーダーの鶴の一声で、外食が決まったAチームであった。



 ハンニバルに連れられてやって来たレストランは、確かにひっそりと住宅街の一角にある小さな店だった。
 扉を開けると、バーのマスターといった風情の渋い初老の男に迎えられる。
「いらっしゃいませ。」
 カウンターの中ではコックコートを来た小柄な若い女の子がくるくると立ち働いている。ランチにはまだ少し早い時間だったが、店内にはそこそこ客が入っていた。
 案内された席に身を落ち着けると、フェイスマンは愛想よくマスターに尋ねた。
「彼女がこの店のシェフなのかい、随分と若いようだけど。」
「はい。この春からシェフを務めております。お客様は当店は初めてでございますね。」
「そうなんだ。1週間前にバカンスに来てね。今月一杯はいる予定だから、いいレストランが見つかってよかったよ。」
 手渡されたメニューを見て、マードックが顔を輝かせる。
「おいら、もうお腹ペコペコだよ。この『悪魔風チキン ハラペーニョを添えて』と『タコス』、飲み物は『コーラ』で、デザートに『ロイヤルフレクルアイスサンド』を持ってきて。」
 続いてハンニバルがオーダーする。
「それじゃあたしは『北京ダック』に『酢豚』と『空芯菜炒め』、『ジャスミンティー』、デザートは『桃饅頭』にしますかね。」
 じっくりとメニューをチェックしたコングが頷く。
「おっ、和食もあるんだな。俺は『刺身』に『うな重』、飲み物は……牛乳はねえのか、しょうがねえ『野菜ジュース』だ。最後に『みつ豆』を持ってきてくれ。」
「……は?」
 連れの注文を聞いたフェイスマンは、思わず間の抜けた声を上げてしまった。そんな彼にハンニバルがメニューを回してくれる。
「まあ、お前さんも好きなものを頼みなさい。」
「そうじゃなくて! ここ一体、何料理の店なの……?」
 メニューには和食、洋食、中華、その他、飲み物のページがあった。“その他”の内容はエスニックからロシア料理まで実に無節操だ。
「特にそのような垣根は設けておりません。彼女が作れるものなら何でもお出しする、それが当レストランのモットーでございます。」
「だからって……え、じゃああの子、これだけのレパートリー全部、1人で作れるの?」
「はい。現在配膳台に乗っていないものは少しお時間をいただきますが、体力の続く限りお作りいたします。」
「体力なの!?」
 マスターの指し示す方を見れば、確かにカウンター以外にも店の奥側の壁一面は配膳台となっており、様々な料理が並んでいる。
「大体、常連の方は配膳台を見て注文を決められますね。」
「うう〜ん。」
 フェイスマンはメニューとシェフの女の子を交互に見て唸った。マードックの方はもっと素直に感嘆している。
「すごいじゃん。うちの主夫よりずーっとレパートリーが多いぜ。」
 いや、プロと比べられても……俺の本職、一応詐欺師なんですけど。内心で呟くフェイスマン。詐欺でなら負けない、多分。
「ありがとうございます。今でこそこれだけレパートリーも増えましたが、実は最初は『塩むすび』と『コーヒー(ホット)』だけでして。レストランというより寂れた食堂のような有様でございました。」
 マスターの説明にコングが身を乗り出した。
「おい、春からってこたぁ、2、3ヶ月前の話だろ。そこからここまで来るとは大したもんだ。あんなちっこい子がよう。」
「はい、彼女は同じ料理を何度も作って腕が上がると、新しいレシピを習得するという才能の持ち主なのです。」
「ほほう、そんな才能が。」
 ハンニバルが腕を組んで呟く。
「ですから、そろそろ新しい料理を食べたいとなると、常連の方はこぞって同じメニューを注文なさいますよ。ああ、済みません。つい長話を。すぐに料理をお持ちします。」
「あっ、ちょっと待って! 俺のオーダーがまだ……!」
 フェイスマンは慌ててメニューに視線を戻そうとし、ふと気がついて、常連客と思しき周囲のテーブルと、配膳台を見渡した。
「俺は、あれとそれと、それからこっちの……飲み物はこれ。デザートはそっちのお姉さんが食べてるのと同じやつね。」
「『ラクレット』と『ハモンセラーノ』、『トニックウォーター』と『クロカンブッシュ』でございますね。」
「そう、それでよろしく。」
 フェイスマンはにんまりと笑って、マスターに手を振った。



 その日以来、Aチームのメンバーは毎日そのレストランに昼食を食べに通っている。あれだけのレパートリーにも関わらず、ほとんど待つことなく料理が出てきた上、味もよく、リーズナブルだったからだ。目立たない住宅街の中という立地でも、常連客で賑うわけである。
 日系の女性シェフの名は小波と言い、レストランの店名もそのまま『小波のレストラン』と言った。



 数日後、すっかり常連となったAチームがいつものように小波のレストランに足を向けると、店の隣の公園で、シェフの小波がベンチに座っているのに会った。エプロンは外しているが、コックコートのままである。
「やあ、小波ちゃん。休憩かい。」
 フェイスマンがにこやかに声をかける。彼女の故郷には、男を掴むには胃袋を掴めという言葉があるらしいが、その言葉通り、すっかりガッチリ胃袋を掴まれているAチームである。
「あ、こんにちは、フェイスさん。ハンニバルさんも、モンキーさんもコングさんも。」
 小波が礼儀正しく挨拶をする。その顔を見て、コングがフェイスマンを押し退けた。
「どうした、何か悩み事か?」
「いえ、悩みってほどじゃないんですけど……そろそろ夏向けのメニューをと思って考えてたんです。」
「ほほう、夏向けのメニューねえ。」
 ハンニバルの目がキラーンと光った。『小波のレストラン』のメニュー数は多いが、少々夏バテ気味の胃に優しいものとなると、やはり限られてしまう。そろそろ新しいメニューが欲しいと、まさに今朝の朝食の席で話していたところだ。
 フェイスマンとマードックは顔を見合わせて頷き、マードックが小波に尋ねる。
「で、何か閃きそう?」
「ええ、暑いのでさっぱりと麺系がいいんじゃないかと……『ソース焼きそば』を沢山作ったら、何か浮かびそうな気がするんです。そんなに皿数が出るメニューじゃないから、少し日数がかかっちゃいそうですけど。」
「よし、協力するぞ。」
 ハンニバルが腕を組み、重々しく言い放った。リーダーの決定に、フェイスマン、コング、マードックも力強く頷いたのだった。



「で、協力って具体的に何をすればいいんだ?」
 コングの問いに、小波が少し考える。
「そうですねえ。要は『ソース焼きそば』を沢山作れる状況にして下されば。一度に配膳台に乗るのは30皿までなんです。それ以上作るには、お客様に食べていただく必要があります。」
「じゃあ、俺たちの昼飯は全員『ソース焼きそば』だ。」
 そう言って胸を張るマードックに、フェイスマンが立てた人差し指を横に振る。
「おいおい、4皿くらいじゃどうにもならないって。ま、ないよりマシだけど。それより、大量集客と、来た客に『ソース焼きそば』を注文してもらう方法を考えなきゃ。で、どうする? 大佐。」
 部下たちの視線を集めたハンニバルはニカッと笑った。
「さっそく作戦会議と行きましょうかね。」



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 どこからか暖簾を調達してくるフェイスマン。配膳台を改造するコング。小波が中華鍋を振り、マスターが皿を積み上げる。
 店の前でメガホンを持って集客するマードックとハンニバル。誘導されてぽつぽつと客が入ってくる。メニューを見ようとする客に、ハンニバルが“本日のおすすめ”を指し示す。暖簾をかけて屋台風に飾られた配膳台に、客が笑顔になる。
 さらに中華鍋を振る小波。フェイスマンとコングが次々と出来上がった『ソース焼きそば』を皿や持ち帰り用のプラパックに盛っていく。皿をテーブルに運ぶマスターとハンニバル。鉢巻を締めたマードックが引き続きメガホン片手に、店の前に屋台を出して『ソース焼きそば』のパックを売り始める。指を2本、3本と立てて客が寄ってきた。積み上げられたパックの山があっと言う間に減っていく。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



「新しいレシピを習得しました! これも皆さんのおかげです。」
 小波が嬉しそうに両手を挙げて報告する。
 ぐったりと疲れた表情のAチームとマスターが座るテーブルに置かれたのはラーメン丼だ。
「おっ、これが……って、ラーメン?」
 振り向いたマードックに、小波がにこにこと告げた。
「はい、『冷やしラーメン』です。」
「ほほう、ラーメンを冷やすとは斬新な。」
 匂いを確かめるハンニバルに、小波が説明する。
「煮干しでダシを取りました。醤油ベースの細麺ですから、中華と言うより和食になると思います。」
「おう、こいつ食ってもいいか?」
 一応確認の口調ではあるものの、コングはもう箸を手にしていた。
「どうぞ。試食してみて下さい。」
 ずるずる、もぐもぐ、ごっくん。
「美味ーい!」
「いけるじゃねぇか!」
「うむ、これはなかなか。」
「うーん素晴らしい。」
 手放しで褒めるAチーム。しかし、マスターは厳しかった。静かに箸を置き、小波に向き直って告げる。
「これはこれで、悪くはない。だが、お前ならもう一段上を目指せる!」
 小波がこくんと頷く。
「はい、私、やってみます……! この『冷やしラーメン』を沢山作ったら、新しいレシピが浮かぶかも……!」
 顔を見合わせ、頷き合うAチーム。



〈Aチームのテーマ曲、再び始まる。〉
 大量の細麺を仕入れてくるフェイスマン。マードックが暖簾の文字を『焼きそば』から『ラーメン』に貼り直す。その肩に手を置いたコングが、『冷やし』の吹き出しを暖簾に貼りつける。小波が寸胴に一杯のラーメンスープを掻き混ぜ、マスターが丼を積み上げる。
 店の前でメガホンを持って集客するマードックとコング。誘導されてぽつぽつと客が入ってくる。メニューを見ようとする客に、ハンニバルが“本日のおすすめ”を指し示す。暖簾をかけて屋台風に飾られた配膳台に、客が笑顔になる。
 さっと茹でた麺を掬い上げる小波。フェイスマンとコングが次々と出来上がった『冷やしラーメン』を丼や持ち帰り用のスチロールの丼に盛っていく。丼をテーブルに運ぶマスターとハンニバル。鉢巻を締めたマードックが引き続きメガホン片手に、店の前に屋台を出してスチロール丼の『冷やしラーメン』を売り始める。指を2本、3本と立てて客が寄ってきた。積み上げられたスチロール丼の山があっと言う間に減っていく。
〈Aチームのテーマ曲、再び終わる。〉



「遂に新しいレシピを習得しました! これも皆さんのおかげです。」
 小波が嬉しそうに両手を挙げて報告する。
 ぐったりと疲れた表情のAチームとマスターが座るテーブルに置かれたのは深さのある皿だ。
「おっ、これが……って、何これ?」
 振り向いたマードックに、小波がにこにこと告げた。
「はい、『冷やし中華』です。」
「ほほう、これはまた美味そうだな。」
 匂いを確かめるハンニバルに、小波が説明する。
「醤油ベースにしようか胡麻ダレにするか迷いましたが、ここはさっぱりと醤油にしました。上に乗っているのは刻んだ焼き豚と薄焼き卵、キュウリです。お酢が効いていて夏バテ、疲労回復にもバッチリですよ!」
「おう、こいつ食ってもいいか?」
 一応確認の口調ではあるものの、コングはもう箸を手にしていた。
「どうぞ。試食してみて下さい。」
 ずるずる、もぐもぐ、ごっくん。
「これは……っ。」
 フェイスマンがぼそりと呟き、あとはもう言葉もなく食べ進むAチーム。そして、マスターは静かに箸を置き、小波に向き直って告げる。
「うむ、これぞ夏メニューに相応しい……!」
「これ最高! 毎日食いに来る!」
 完食するや否や叫んだマードックに、小波は嬉しそうな笑みを見せた。
「はい、お待ちしています。」



 翌日。早速、昼食に『冷やし中華』を食べようと『小波のレストラン』を訪れたAチームだったが。
「ええっ、席空いてないの?」
 壁に貼られた『冷やし中華始めました』のポスターの前で、フェイスマンががっくりと肩を落とした。
「申し訳ありません、先ほどから行列ができておりまして。」
 セリフの割にあまり申し訳なさそうではなく、どちらかと言えば嬉しげなマスターが淡々と説明する。
「仕方ない、出直しますか。」
 ハンニバルに言われて、一行は回れ右をする。
「あー、『カレー』でもいいから食いたかったぜ。」
「おいらはやっぱり『悪魔風チキン ハラペーニョを添えて』の方が。」
「『山菜そば』も捨て難いぞ。ところでフェイス、帰ったら何か昼食はあるか?」
 口々に言う3人に、フェイスマンは微妙な表情で告げた。
「昼食ねえ。素麺ならあるけど……焼き豚と薄焼き卵、キュウリもつけようか?」
 返されるブーイングは耳を塞いでやり過ごす。
 この時、彼らはまだ知らなかった。『小波のレストラン』の夏メニュー開発イベントが、この後、毎週のように発生することを。 
【おしまい】
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