詐欺師(他3名)と存在感のない依頼人
伊達 梶乃
 棚にみっしりと並んだ本を、フェイスマンは半ば口を開けて見ながら歩いていた。ここは本屋。町の小さな本屋ではなく、雑誌から専門書まで取り揃えた大型店舗。フェイスマンにはあまり、いや、全く縁のない場所。なぜそんなフェイスマンが本屋にいるのかと言えば、依頼人に指定されたからに他ならない。普通ならAチームの方が場所を指定するんだが、今回の依頼人はお忙しそうなので。
 さて、今回の依頼人は、エンジェルの紹介でもハンニバルの旧友関係でもなく、以前にAチームに助けられた人の紹介。「Aチーム雇ったら人生変わった」と笑いながら喜んでいるそいつ(Aチーム側は記憶にない)が、今回の依頼人に「Aチームはいいぞー」と紹介したらしい。そこで、今回の依頼人はAチームを探し、コンタクトを取ってきた。遊園地で風船を配っているアクアドラゴンに。つまり、ハンニバルとは面通し済み。アクアドラゴン=Aチームの連絡係、ではないんだが、比較的、発見しやすいのだと思われる。
 依頼人がアクアドラゴンに告げた氏名・職業・連絡先は、真っ当なものだった(フェイスマン調べ)。総合商社ラウンドクリムゾンにお勤めの、ダグラス・メイヤー氏。MPとの繋がりは、なし。名の通ったまともな上場企業の社員がAチームに仕事を依頼してくることなど珍しく、ウキウキソワソワするフェイスマン。どんな仕事かまだわからないのに、盛大にカラフルな煙幕(黒煙のより値段が高い)を放って退役軍人病院からマードックを攫ってきて、アジトに待機させたりも。因みに今回のアジトは、遊園地の機械室。コングがここでお勤めなので。



 依頼人と落ち合う場所は、この本屋の2階、語学コーナーの一番奥まった場所、即ち『今すぐ使えるパンジャーブ語』とか『マジャール語4週間』とかがある辺り。本屋の中で、最も人気(にんき、ではなくて、ひとけ)がない場所である。忙しそうな依頼人が、氏名・職業・連絡先および落ち合う時間と場所を書いた紙をアクアドラゴンに押しつけたのだ。その場所が、ここの本屋の語学コーナーの奥。依頼人、本屋のことをよくわかってらっしゃる御仁と見た。
 だが、フェイスマンはその場所に辿り着けていなかった。本屋勘がある者なら、初めて行った本屋でも、この辺がそれっぽい、と見当をつけられるものだが、本屋慣れしていないフェイスマンには荷が重い。店内案内板を見たはずなのに、道に迷っていた(店内で)。何しろ、見通しが悪いのだ、本屋というものは。今、自分がどこに位置しているのかもわからなければ、目的のコーナーがどこなのかもさっぱりわからない。
 その時、平積みされた本の帯に、フェイスマンはふと目を止めた。『こんなお手軽なサクセスストーリー、アメリカにもない!』実用書のような煽り文句だが、それは絵本だった。タイトルは『ストロー・ミリオネア』。フェイスマンはその絵本を手に取り、1分で読んだ。それは、主人公の拾った藁が、交換を繰り返すことにより屋敷になる話だった。
“これはすごいぞ!”
 心の中でフェイスマンは叫んだ。藁なんて、溺れない限り掴まないものだ。しかし、掴んでおいて損はない。もしかしたら、それが屋敷になるのかもしれないのだ。できればビバリーヒルズの一等地にある、プールとテニスコートのついたゴージャスな屋敷であれ。そうでなくても、屋敷が手に入れば、それを貸して現金収入を得ることができる。希望する者がいれば、その屋敷を売ることだってできる。
“藁、大事!”
 こうして頭が活性化したフェイスマンは、無事、語学コーナーを見つけたのだった。



「Aチームの方ですか?」
 フェイスマンが目的の場所に到着すると、スーツの上にトレンチコートを着た人物が声をかけてきた。ものすごく小声で。ほぼ息だけで。
「ああ、まあ、そうだけど、依頼人の、ええと。」
 と、依頼人がアクアドラゴンに託した紙をポケットから出そうとするフェイスマン。
「はい、Aチームに仕事をお願いしようと思っております、ダグラス・メイヤーと申します。急遽お呼び立てして申し訳ありません。」
「顔色悪いし、汗すごいけど、大丈夫?」
 そう訊かないと一生、後悔が残りそうなくらい、依頼人は具合が悪そうだった。
「それが、正直申しまして、大丈夫ではありません。ここに来る途中で邪魔が入りまして、ちょっと刺されまして、3箇所ほど。ですので、手短に話を進めさせてもらって構わないでしょうか。」
「ちょっとでも刺されてるんなら、話より先に病院行った方がいいんじゃない?」
「ちょっと、と申し上げたのは言葉の綾でして、実際にはぐっさり刺さりまして、出血も多く、現在、気が遠退きつつあります。」
 見れば、依頼人の足元には血溜まりが。黒いトレンチコートやチャコールグレーのスラックスも、よく見ると赤黒い。
「ヤバいよ、これ。失血死するよ?」
「それよりも、これを。」
 依頼人は懐から紙袋を取り出し、フェイスマンに押しつけた。
「中に依頼内容を書いた紙が入っています。よろしくお願いします。」
 そう言うなり彼はくずおれ、血溜まりの中に俯せた。フェイスマンは辺りを見回し、人気がないのを確認すると、「うわっ!」と叫んでから「大丈夫ですか?」と大きめの声で言った。そして、駆け出す。レジに向かって、もしくは、誰か人がいる方へ。運よく、適当に駆け出した方向にレジがあったので、店員に「血を流して倒れている人がいます、語学コーナーのところに」と伝える。それを聞いて駆け出す店員に「あっちあっち」と言った後、フェイスマンはこそこそと本屋を離れたのであった。



 アジトで、機械の調子を順々にチェックするコング。一番端の機械までチェックを終えると、反対の端に戻って再度チェックを始める。
「……というわけで、依頼人、恐らく病院に運ばれたと思うんだけど、この依頼、どうする?」
 コンクリートブロックで6面を囲んで鉄の扉をつけただけの小屋で、裸電球に照らされながら、一部始終を報告し、フェイスマンが問う。
「どうするも何も、ブツを預かってきちまってんだろ、受けるしかねえじゃねえか。」
「そうだぜ、命懸けで仕事を依頼してくるなんて、ここんとこなかったんだから、その意気込みを買ってやんなきゃ。」
 どのような依頼なのかわからないというのに、コングとマードックは依頼人に好意的。
「まさか刺されるとはねえ、ごく平凡なサラリーマンにしか見えなかったのに。総合商社っていうのはそんなに危険な仕事してるんですかね?」
 風船配りのアクアドラゴンは休憩中。ヘリウムガス入りの風船が機械室の灰色の天井に彩りを添えているけど、誰も天井を見上げないので関係ない。割れた時にびっくりして咄嗟に腰に手をやり、「丸腰だったっけ」と思うだけ。
「基本的には危険な仕事なんてしてないと思うよ、表向きは。裏で何やってるかは知らないけどさ。」
「ふむ、その“裏”ってのが臭いですな。して、その託されたものは何なんだ? それと依頼内容も、だ。」
「それと、誰が依頼人を襲ったのか、ってのもだ。」
「何で襲ったのか、ってのもあるね。」
「ちょっと待ってよ、依頼人を誰が襲ったか、何で襲ったかは、調べないとわかんないって。わかってるんだったら、もう言ってるし。」
 口を尖らせてぶつくさ言いつつ、フェイスマンは懐から紙袋を出した。
「スーパーの紙袋だね、普通の。」
「ああ、何の変哲もねえ。」
「問題は、その中身だ。」
「いちいち言わなくていいから。」
 何の変哲もないスーパーの普通の紙袋から、フェイスマンは問題の中身を出した。折り畳まれた紙と……ケチャップ。
「ケチャップだね。」
「ああ、ケチャップだ。」
「ケチャップ……なのか?」
「ケチャップに見えるけど、ケチャップじゃないかもしれないね。」
 フェイスマンはまじまじとケチャップに見えるものを見た。柔らかいポリ容器に入っている粘性のある黒味がかった赤い液体は、どう見てもケチャップ。
「色からして、デルモンテのじゃなくてハインツのだね。」
「うん、俺もそう思う。でも、容器が違う。ハインツのは、こういう形じゃない?」
 ハインツのポリ容器の形を宙に描くフェイスマン。
「俺ァ、ガラスびんのやつしか知らねえな。」
「あたしも、ケチャップって言えばガラスびんってイメージですねえ。」
「最近、ポリ容器のも出てきたんだってば。」
「買い物したり料理してねえと、わかんねえよな。料理する立場から言やあ、ハインツの方が美味いぜ。」
 それ、立場関係ない。単なる嗜好の問題。
「サンドイッチにはハインツだと思うけど、オムレツにはデルモンテがいいね、俺は。」
「いやいや、オムレツにもハインツだって。トマトソースにちょいと一味加えるならデルモンテね。」
「俺ァどっちだっていいぜ。それよか紙だ。何て書いてあるんだ?」
「はいはい、紙ね。」
 ケチャップに気を取られて、すっかり忘れていたそれを開くフェイスマン。
「ええと、何々……“これ”を明日午前10時ちょうどに下記の場所に届けて下さい。受取人の写真を同封しておきます。合言葉は『上から読んでも下から読んでも』『トマトのママはママトマト』。」
「違うだろ!」×3
「いいじゃん、合言葉なんだから。ちゃんと回文になってたら、むしろ合言葉にならないでしょ。続き読むよ。……報酬は、少なくて申し訳ないのですが、2000ドルです。“これ”が受取人を通じて無事に目的地に着いた後に支払われます。受取人に振込口座をお知らせ下さい。よろしくお願いします。ダグラス・メイヤー。」
「このケチャップを届けるだけで2000ドルか。悪かねえな。」
「Aチームの報酬としちゃ少ないけどね。おいらの出る幕なさそうだから、おうち帰っていい?」
「うーん、総合商社なのに2000ドルかあ……。少ない気もするけど、堅気の世界じゃ妥当な額なのかもね。」
 堅気という言葉に、ハンニバルの眉がピクッと動いた。
「ちょいとお前さんたち、依頼人が刺されて病院送りになってるのを忘れてるんじゃありませんかね?」
 リーダーのその言葉に、部下たちはハッとした。ケチャップなので油断していたが、これは危険を伴う可能性の高い仕事なのだ。派手なドンパチは得意だが、こっそり刺されるのは苦手なAチーム。
「フェイス、それを貸してみろ。」
 アクアドラゴンを着たままのハンニバルの手に、フェイスマンはケチャップを乗せた。と言っても、絞り出したわけではない。容器ごと、だ、当然。
 ハンニバルは掴んだケチャップinポリ容器をどうにかしたいようだったが、アクアドラゴンの手なので何もできないでいる。
「何したいの、ハンニバル?」
「本当にケチャップかどうか舐めてみようと思ったんだが、これが、いかんとも、し難く……。もういい、誰か舐めてみろ。」
 遂に諦めて、ずいっと差し出す。
「何か変なモン混じってるかもしれねえってわけか。クスリなんか、あり得そうな線だぜ。」
 そんなものは舐めたくないコング。
「総合商社の人がクスリなんかに手を出すわけないだろ、チンピラじゃあるまいし。これはもっと全世界を脅かすような……ウイルスとか……。」
 勝手に想像しておいて、丸椅子ごとじりっと逃げるフェイスマン。それを懐に入れていたことは忘れている。
「じゃ、俺っち、舐めまーっす。」
 違法薬物にもウイルスにも物怖じしないマードックが容器を取り、指先にむにゅっと絞り出して舐める。
「うん、ハインツ。」
「変なモン、混ざってねえのか?」
「ウイルス入りでも、すぐには発症しないもんだよね?」
「俺様のこの正確無比な舌によると、これは100%生粋のケチャップだね、ハインツの。余計なモン、何も混ざっちゃいねえよ。」
「……わからんな、ただのケチャップを、刺されてまでも、2000ドル払ってまでも、誰かに渡したいだなんて。」
「これ持ってく場所、空港だ。ロサンゼルス国際空港。」
 例の紙の“下記の場所”を見て、フェイスマンが言う。
「国際空港ってこたァ、このケチャップを国外に持ち出そうってわけか。」
 当時は液体も結構自由に飛行機で持ち運びできた、はず。
「ハインツのケチャップなんて、アメリカ以外でも売ってんじゃねえの? ハインツって名前自体、ドイツっぽいし。」
「ハインツが輸入されてなくてデルモンテだけの国があるのかもよ。そもそもケチャップすらない国だってあるかもしれないし。」
「ケチャップがねえだと! じゃあどうやってハンバーガー食うんだ?! 芋(フレンチフライの意)だってそうだ!」
「コング……国によって食文化は違うんだぞ。」
「う、まあ、そうだな。」
「ヒュウッ。」
 フェイスマンが受取人の写真を見て口笛を吹いた。
「これ見て。受取人、結構な美人さん。俺好みじゃないけどね。」
 写真に写っているのは、栗色の髪をしたナチュラルメイクの、知的な雰囲気漂う女性だった。はにかむように、視線をカメラから逸らせて微笑んでいる。決して目立つ容姿ではないが、よくよく見ると、顔立ちが整っている。
「よし、ケチャップの受け渡しはお前に任せた。」
「ええっ? 刺されるかもしれないのに?」
「受取人は刺さないだろう。報酬の振込口座をメモしておけよ。モンキーとコングは、こいつのボディガードだ。それと、その前にコング、防刃の何かをこいつに着せてやれ。」
「防弾チョッキすらねえぜ。」
「フェイス、そういうわけだ、自分の身を守るものを調達してこい。」
「了解、その他に何か必要なものは?」
「空港じゃあオートライフルは持ち込めねえよな。」
「楽器のケースにでも入れない限りはね。」
「そんじゃあ自動小銃を2つ3つ。今んとこ、1挺しかねえ。」
 何せ、彼ら、なくすのだ、拳銃を。肉弾戦に縺れ込んだ時に蹴られて手から落として紛失、というケースが多い。手袋の片方をなくしたり消しゴムをなくしたりするのよりも高確率でなくしている。
「ってことは3つ要るってわけね。……うーん、3つも買うとなると、分割払いになっちゃうなあ。」
「金、ねえのか?」
 コングが尋ねた。しかし、それが愚問であることは、みんな知ってる。
「あるとは言い難いね。大口の仕事、ここんとこやってないし。支払いは回収できてないし。」
 幸いなことに、マードックは変なものを買ってません。いや、買ったかもしれないけど、まだフェイスマンに気づかれてません。
「銃砲店からちょろまかしてくるっての、どう?」
「盗むのは簡単だけど、正規の店の銃は線条痕も登録されてることが多いから、使うと足がつきやすいんだよね。だから、いっつも裏稼業の店で買ってるんだけど……分割払いだとトータルで高くつくっていうのが、俺的に許せない。」
 許すも許さないも、仕方ないだろう、分割払いなんだから。慈善事業じゃないんだし。
「裏稼業の店から盗むってのは?」
「モンキー、俺がこっそり消されてもいいの?」
 優しく微笑んで言うフェイスマン。マードックは首を横にプルプルッと振った。
「馴染みの店だったら、ツケが利くんじゃないか?」
 と、馴染みじゃない飲食店でも、フェイスマンが同行していない時にはツケにしちゃってるハンニバル。
「俺にそんな信用があると思う?」
 肯定するでもなく否定するでもなく、目配せし合う3人。
「ま、いいや。分割払いで買っとくよ。明日10時に、ってことは、急がなきゃ。コング、電話はどこ?」
「ここにゃねえぜ。本部まで行きゃああるが、私用の電話はかけられねえんじゃねえか? それも、銃の注文なんかじゃな。」
「仕方ない、公衆電話で我慢するか。」
 フェイスマンが丸椅子から腰を上げた。
「あたしも行きましょ。エンジェルに手伝ってもらいたいことがあるんでね。」
 アクアドラゴンも立ち上がった。ということは、今までは座っていたらしい。



「エンジェルに何頼むの?」
 公衆電話を探しつつ、アクアドラゴンとフェイスマンは遊園地内をゆったりと歩いていた。いや、フェイスマンはゆったりと歩いているが、アクアドラゴンは気分的には早足で歩いている。
「依頼人がどこに入院して、どんな容態なのか、調べてもらおうと思ってな。もし生きてて喋れるなら、何でケチャップを運ばにゃならんのか、誰に襲われたのか、訊くこともできる。」
「……そう言えば、依頼人を刺した後、犯人はどうしたんだろう? ケチャップを狙ってるんだったら奪ってくだろうし、その場で奪えなかったとしても依頼人の後をつけて奪うチャンスを窺うよね、普通。依頼人を殺すのが目的だったら、確実に息の根を止めるまで尾行するだろうし。中途半端に刺して泳がせておくのが目的? そもそも、ただのハインツのケチャップを狙うってどういうこと?」
「まだ何もわからん。考えれば考えるほど混乱してくる。だから、エンジェルに調べさせるんだ。依頼人を刺した犯人は、依頼人がお前と接触したことを知っているかもしれないし、お前がそいつに尾行された可能性もある。となれば、早めに手を打たんと、こっちの身が危ない。」
「それ(アクアドラゴン)着てれば、ナイフで刺されたって大丈夫でしょ。あ、公衆電話発見。」
 電話が4つ並んでいるのを見つけ、そちらに足を向ける。
「設定では鱗はダイヤモンドより硬いことになってるが、実際はウレタンにアクリル絵の具を塗っただけだ。ナイフの刃渡りにもよるが、アーミーナイフだったらあたしにも刺さる。……フェイス、小銭。」
「ん。」
 フェイスマンはアクアドラゴンの手の上に小銭を乗せた。
「電話、かけられんの?」
「どういうわけか、電話はかけられる仕様になってるんだ。ケチャップは開けられないけどな。」
 そうしてアクアドラゴンとフェイスマンは、それぞれに電話をかけるのであった。



 裏の武器商人に連絡を取ってから、手帳を捲り、フェイスマンはもう1件電話をかけた。既にハンニバルはエンジェルとの電話を終え、風船配りの仕事に戻った後で。
「もしもし、僕、テンプルトン。今ちょっと時間空いてるんだけど、ランチでもどうかなって思って。……うん、急でごめん。……わかってるって、でも平日のこの時間なら大丈夫だよね? ……じゃあ30分後に……1時間後? ……そうするとそんなにゆっくりできないよ? ……わかった、1時間後にいつもの店で。」
 ランチにプチ贅沢を楽しもうという魂胆。それも、お相手払いで。
「1時間、何しようかな。銃でも受け取ってくるかな。とりあえず銀行か。」
 受話器をフックに戻すと、そう独り言を言って、フェイスマンは踵を返した。



「ごめんごめん、電話の後で仕事のトラブル入っちゃって。」
 1時間10分後に“いつもの店”に着いたフェイスマンは、案内された席に着く前に、既に到着していたマダムに謝った。身分的には“マダム”だが、年齢はそれほどでもないし、見た目も実年齢マイナス10歳くらいをキープしている。
「お仕事じゃしょうがないわ。」
 青年実業家を嘯いているフェイスマンの言葉を信じているんだか、信じている振りをしてくれているんだか、マダムは微笑みながら、腰を下ろすフェイスマンを見つめていた。
「始めさせていただいてよろしいでしょうか。」
 ウェイターがマダムに尋ねると、彼女はフェイスマンから目を離さずに頷いた。
「今日はどんなランチなのか楽しみだな。」
 このオステリアのランチは平均1人100ドル(食後のコーヒー以外の飲み物は別料金)。フェイスマンにとってはプチ贅沢だが、マダムにとっては普通のランチ。そして恐らくコングやマードックにとってはフル贅沢。彼らなら100ドルあれば半月は余裕で過ごせるだろう。
「いい白トリュフが入ったって言ってたわ。」
 フルートグラスにスプマンテが注がれる。それを味わって胃が動き出した頃に、アンティパストがサーヴされる。
「早速、白トリュフだ。」
 何かの包み焼きに贅沢に白トリュフが並べられ、芸術的にソースが振りかけられている。
「中は……魚だね。何だろう、これ。しっとりしていて味が濃くて、周りの皮に負けてない。」
「ウナギよ。バルサミコのおかげで重すぎないわね。トリュフもいい香り。」
 アンティパストなので、あっと言う間に終わってしまう。次に出てきたのは、ほんの一口の洋梨のソルベ。上にホワイトチョコレートのソースがかかっている。
 口直しが終わった後に現れたのは、2品目のアンティパスト。クロスティーニの上にチーズのムースと軽く焼いた何か、および白トリュフ。
 それを半分ほど食べた後、マダムがウェイターに目を向けた。すぐさまウェイターが音もなくやって来る。
「これは何のロースト?」
「トピナンブール、キクイモでございます。フランスでは戦時中の食糧だったと聞きます。ですが、原産は、ここ北米だとか。」
「面白い香りと食感だわ。白トリュフに合ってる。」
「ありがとうございます。」
 この後に、腹に溜まらない程度のパスタ料理が出て、その次にフェイスマンには肉料理、マダムには魚料理が来て、あとはデザートと、ちょいとチーズと、コーヒー。詳細は(もう書き厭きたので)割愛させていただきます。
 コーヒーを飲みながら、フェイスマンは正面のマダムを見た。ここに来てずっと料理を見ていたので、彼女に目を向けていなかった。
「やっとこっち見た。」
 嬉しそうにマダムが言う。
「ごめん。料理に気を取られてて。」
 ここの店は、メニューを出さない主義。客に料理を真剣に味わってもらうために。3代続いたミラノっ子のシェフが「べらんめえ、あの気取った“〜と共に”とか“〜を添えて”なんて長ったらしい料理名、いちいちつけてらんねえや畜生」と言った、という噂もある。
「このお店、美味しいんだけどワクワクさせすぎなのよ。あなたと会うには不向きね。美味しそうに食べてるあなた、表情がくるくる変わって可愛いのに。」
「僕が? 可愛い?」
「そうよ。可愛いって言われない?」
「あー……うん、たまに。」
「でしょ。」
「それ聞いて、ヤキモチ焼いてくれないんだ。」
「そのくらいじゃ全然。だって、今あなたを独り占めしてるの、あたしですもの。」
「でも、あとちょっとで行かなきゃ。」
「今度は夜に時間が取れた時に電話して。」
「夜は仕事のつき合いが多くてさ。」
「たまたまキャンセルされたっていう時でいいわ。」
 マダムはそう言うと、片方しかつけていなかったイヤリングを外して差し出した。
「これ、あげる。」
「え、何で?」
「あなたが急がせるから、片方どこかに落としてきちゃったの。結構気に入ってたのに。いつあなたが気づいて指摘するかと思ってたんだけど、全く気づかなかったわね。」
 ごめん、と謝るのも、あまり回数が多いと鬱陶しいだろうので、テヘと笑うだけに留める。
「片方落としたんなら、同じのをまた買えば済むことだろ? そうすれば、もう1回落としても大丈夫。」
「同じのがあれば、ね。これ、1点物なのよ。似ているのはあっても、同じものはないわ。デザイナーさんにお願いしても、同じのは作れないでしょうし。」
「じゃあ諦めるしかないのか……。残念だね、僕のせいで。」
「でも、片方だけのイヤリングなんて売れないでしょうし、捨てるにはもったいないから、あなた、ずっとそれを持ってることになるでしょ。それを見るたび、あたしのことを思い出してもらえる……と思えば、そんなに残念じゃないわ。」
「わかった。時々これを眺めて、君のことを思い出すよ。」
 フェイスマンはイヤリングをポケットにしまった。片方だけでも売れないわけじゃないし。
「あたし、もう1杯ワインいただきたいわ。」
「僕は……悪いけど、もう行かなきゃ。」
 腕時計を見て、フェイスマンは立ち上がった。銃や防刃衣類の入ったアタッシェケースを足元から取り上げる。
「またね、テンプルトン。お仕事、頑張って。」
 ひらひらと手を振るマダムに、フェイスマンは笑顔を向けただけだった。マダムに触れもせずに、支払いもせずに。



 それから2時間後。遅い昼食(売店のホットドッグ等)を2分で終えたAチームの許に、エンジェルことエイミー・アマンダー・アレンが現れた。例に違えず、バーンと機械室のドアを開けて。
「来たわよ!」
 見ればわかるぜ。言わなくてもわかるって。コングとマードックの目には、そんな文字が右から左へと流れていた。
「あら、ハンニバルとフェイスは?」
「大佐は外で風船配ってる。フェイスは買い物行った。」
「あんたたちは何してるの?」
「俺ァ仕事中だ。」
「勤労、ご苦労さま。で、あんたは?」
「エンジェルが来たら、大佐呼びに行く係。ってわけで、呼んでくる。」
 マードックが小走りに駆け出していく。マードックが座っていた丸椅子にドスンと座り、エンジェルは足を組んだ。
「ねえコング、それ、何の機械なの?」
「こりゃあジェットコースターに電気送る機械だ。」
「それ見つめて、何してんの?」
「壊れてねえか、確認してる。」
「それが壊れるとどうなんの?」
「カートが乗り場に戻らなくなんじゃねえか? 途中で停まるかもしんねえ。」
「ふうん。じゃあ、あっちの煙出てる機械は?」
「ああ、あの煙出てんのは……煙だとォ?!」
 黒い煙を吐き出している機械にどすどすと駆け寄り、パネルを開ける。盛大に煙が流れ出してきて、エンジェルは機械室のドアを開けた。
「畜生、中が見えねえ。」
 とりあえず、その機械の主電源をオフにしたコングは、咳込みながらポケットからバンダナを出して機械に向かって扇いだ。
「あたしも手伝うわ。扇げばいいのね。」
 エンジェルが小脇に抱えていたファイルでコングの後ろからバタバタと扇ぐと、すぐに煙が薄れた。
「済まねえな、助かったぜ。……なるほど、ここが断線しかけて発火したんだな。」
 コングは腰に下げていたトランシーバーを取り、口に当てた。
「機械室だ。メリーゴーラウンドの電源装置がイカれた。10分、時間くれ。」
『了解です。火災の危険性はありませんか?』
「おう、煙は出たが、もう火は出てねえ。」
『了解。修理完了後、復旧を確認の上、連絡下さい。』
「わかったぜ。」
 トランシーバーを再び腰のベルトに引っかけると、コングは工具箱を開き、必要な工具と導線をセレクトして機械の前に座り込んだ。
「あたしには何が何だかわからないわ。」
 コングの作業を覗き込んで、エンジェルが言う。
「こんなのは、わかる奴だけがわかりゃいいんだ。じゃなかったら、俺が仕事にありつけねえだろ。」
「特殊技能ってやつね。」
「そんな特殊ってほど特殊じゃねえけどな。」
「けっむ! コングちゃん、何か燃やした?」
 マードックが戻ってきた。
「俺が燃やしたんじゃねえ、被覆ケーブルが勝手に燃えたんだ。」
「やあ、エンジェル、早かったな。」
 ちょっと遅れてアクアドラゴン・リターンズ。
「狙われてるかもしれない、なんて言うから、急いで調べてきたのに、結構のんびりしてるじゃない。」
「のんびりはしてねえよ。俺っち、遊園地中駆けずり回って大佐捜してきたんだぜ。」
「あたしも最速で来たんですけどね。」
 アクアドラゴンの最速がいかほどかは、ご想像に任せる。
「さて、それでエンジェル、何かわかったか?」
「ラウンドクリムゾンにダグラス・メイヤーって社員はいるけど、今日は有休を取ってる。ご両親と弟と共に住んでる家に行ったら、お母さん曰く、朝から出かけたっきりだって。そして、ダグラス・メイヤーって患者は、この界隈の救急病院にはどこにもいなかった。刺されて出血して本屋で倒れて救急車で運ばれたって患者もいなかった。今日の午前中にくだんの本屋に行った救急車もなし。本屋に行って店員に訊いてみたけど、刺された客が倒れたってことを誰も知らなかった。語学コーナーも立ち入り禁止になってなかったし、当然、血溜まりもなし。」
「つまり、依頼人は宇宙人か幽霊ってわけだね。」
 マードックの発言はもちろんスルーされます。
「フェイスが幻覚を見たとも思えんし、記憶違いってこともないだろう。となると……。」
「依頼人と本屋の店員はグル。アーンド、依頼人は刺されてない。」
 エンジェルが自分の推理を披露。
「そういうことだろうな。しかし何でまた、依頼人は小芝居なんか打ったんだ?」
「おいらたちを騙すため?」
「何で俺らを騙さなきゃいけねえんだ?」
「事情を説明したくなかったからじゃないかしらね。だってほら、普段だったら依頼人に根掘り葉掘り訊くでしょ、あんたたち。それで納得しなきゃ仕事受けないじゃない。」
「うむ。ケチャップについて説明したくなかった、と。」
「理由もわかんねえまま、ケチャップに命懸けたかねえもんなあ。」
「理由わかんねえまま、ケチャップ運びたくもねえぜ。」
「でも、あんたたち、この仕事、遂行するつもりなんでしょ?」
「うん、まあ。」
「2000ドル貰えるしな。」
「それが依頼人の思う壺なんじゃないかしら。それに、考えてもみなさいよ、もし依頼人が刺されてなかったら、フェイスは2000ドルでこの仕事、承諾したと思う?」
「うんにゃ、2万ドル吹っかけるね。」
「少なく見積もっても4000ドルは要求するだろうな。」
「でしょ。だから、依頼人は小芝居を打ったのよ。」
「冴えてるじゃないか、エンジェル。」
「あら、あたしはいつも冴えてるわよ。」
「ってこたァ、依頼人を刺した奴に俺たちが襲われる心配もねえってことか。」
「そいつァ違うぜ、コングちゃん。依頼人を刺した奴なんかいねえから、俺たちを襲う奴もいねえってことさ。」
「あたしの推理が正しければね。でも、正しいとは言い切れないわよ〜。あ、そうだ、1つ調べ忘れてた。その本屋の店員が何者なのか。わかったら、また来るわ。」
「ああ、エンジェル、もしできたらでいいが、ケチャップのことも調べてくれ。何でこれを空港に持ってかにゃあならんのか。このケチャップを奴さんはどうするつもりなのか。どこの誰がケチャップを欲しているのか。」
 割と下手に出るハンニバル。
「わかったわ。でもあたし、現物見てないのよね。」
「ほいよ。」
 革ジャンのポケットからケチャップを取り出してエンジェルに渡すマードック。
「……ケチャップね。」
「だろ? ハインツのだぜ。」
「こんなの、スーパーに行けばいくらでも売ってるのに、何で2000ドルも払ってこれを?」
 それがわからないから困ってる。
「これじゃなきゃいけない理由って何かしら? ……それを調べるのが、あたしの仕事ってことね。」
 本日のエンジェル、冴えてるだけじゃなく物わかりもよい。ポイとケチャップをマードックに返して席を立つ。
「じゃ、行ってくるわ。ハンニバル、約束のアレ、よろしくね。」
 手を振るエンジェルに、ハンニバルは頷いた。
「大佐、アレって?」
「エンジェルが十分な仕事をしてくれたら、軍の公表されちゃまずい情報をちょいと流してやるって約束でね。」
「某将軍が防衛費で自分ち増築したとか? 戦車買う予算で息子にフェラーリ買ってやったとか?」
「そういうのだ。」
「でも、そんなの噂だけで、証拠ねえんじゃねえの?」
「それが不思議なことに、貸金庫にいろいろ入ってるんですよ。むっふっふ。」
 悪代官のように笑うハンニバル。
「直ったぜ!」
 主電源をオンにして、コングがトランシーバーに向かって吠えた。



〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 本屋のレジカウンターで店員(実は店長)に話を聞くエンジェル。頭を振る店員。詰め寄るエンジェル。泣きそうな店員。
 稼働再開したメリーゴーラウンドにマードックが乗っている。そのポケットには依然としてケチャップ。そのすぐ近くで風船を配っているアクアドラゴン。しかし、恐くて寄ってこない子供たち。
 機械室でメーターをチェックしながらパック牛乳を飲むコング。一吸いでブリックパックがぺしゃんこになる。
 信号待ちをしながら、イヤリングをポケットから出して眺めるフェイスマン。プラチナとダイヤモンドとサファイヤと、と値踏みしてニヤニヤする。そこに見知らぬ妙齢の女性がやって来て、フェイスマンに何事か訴える。嵌めていた指輪を差し出し懇願する彼女に、フェイスマンはイヤリングを渡す。非常に感謝した様子で、イヤリングを手に去っていく女性。交換された指輪を値踏みして、さらにニヤニヤするフェイスマン。
 本屋のレジカウンターで泣き濡れて放心状態の店長。鼻の穴をおっ広げて満足げなエンジェル。メモ帳を手に、意気揚々と本屋を出る。路肩に停めていた車に乗り込み、どこかへと。
 風船を配っているマードック。ピエロのメイクはしているが、服装はいつものまま。メリーゴーラウンドに乗っている、アクアドラゴンのガワ。落ちないように、ガムテープで貼りつけてある。
 機械室で丸椅子に座って、メーターも見ずに順々に指差し確認しているだけのコング。床には空になったパック牛乳が山を作っている。機械室の隅で丸椅子に座って壁に凭れ、ケチャップを眺めているハンニバル。
 次の信号待ちで、指輪をためつすがめつしているフェイスマン。見知らぬ紳士がやって来て、フェイスマンに何事か訴える。タイピンとカフスボタンを外して差し出し懇願する彼に、フェイスマンは指輪を渡す。非常に感謝した様子で、指輪を手に去っていく紳士。交換されたタイピンとカフスボタンを値踏みして、さらにニヤニヤするフェイスマン。

【ここでCMが入る。】

 本屋の店長の口を割らせて聞き出した、今日の早番のアルバイターの住所を巡るエンジェル。メモ帳に書かれた一番上の住所を指でなぞって確認してから、目の前のドアチャイムを鳴らす。しかし、いくら鳴らしても反応なし。2〜4行目の住所でも同様。そりゃそうだ、早朝だけアルバイトしているということは、その後、大学に行ったり別の仕事をしているわけだから。もしくは寝ているか。
 子供たちがワーッと寄ってきて、マードックの手から風船を毟り取り、ワーッと去っていく。その後には、ズタボロになったマードックがべっちゃりと倒れている。メリーゴーラウンドの馬の上から落ちかけているアクアドラゴン。
 高速回転する観覧車。機械室では、メーターの針がべいーんと跳ねて右端でビビビビしているのを見つけたコングが、慌てて主電源を切り、トランシーバーに叫ぶ。電気は来なくなったけど、慣性で回っている観覧車。次第に回転が遅くなり、最後には止まった。機械室で、パネルを開けたが特に異常が見当たらず、首を捻るコング。トランシーバーで問い合わせる。トランシーバーからの返事に頷き、主電源を入れる。ものすごい加速で、高速回転を始める観覧車。メーターがビビビビしていて、再度主電源を切る。
 ケチャップを眺めていたハンニバル、何かに気づいたかのように立ち上がり、慌てているコングを放置して駆け出していく。遊園地の中を駆け抜け、ゲートを出て、歩道を走り、スーパーマーケットに飛び込む。ケチャップ売場でポリ容器入りのケチャップを手に取り、お会計。フェイスマンの財布から抜き取っておいたクレジットカードで。両手にケチャップを持ち、走って戻るハンニバル。
 新聞社のエンジェルのデスクの上に「外回りしてきます」とメモが置いてあるのを見て、時計を見上げる上司。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 本屋の店長に教えてもらった(正しくは、脅して聞き出した)早番アルバイターの住所の5行目。ドアチャイムを3分間押し続けた後に室内に物音がしたので、エンジェルは「よっしゃ」と小さくガッツポーズを取った。
「はい?」
 ドアを閉じたまま、その部屋の住人(女性)が返事をする。
「クーリア新聞社のアレンって言います。本屋さんの仕事について生の声を集めてまして、お話を伺わせてもらってもよろしいでしょうか?」
「あ、あの、さっきまで寝ていたので……。」
「もしかして、早番から帰ってきて寝ついたところを起こしちゃったとか? あー、ごめんなさい。」
 起こした張本人は、そう謝りはしたが、その言葉には謝意が微塵も感じられなかった。だってエンジェルだもの。
「いえ、いいんです……。」
 エンジェルのフレンドリーな口調に警戒心を解いたのか、ドアをほんの少し開け、顔の一部だけを覗かせて、住民はいかにも寝起きの声で囁いた。
 因みに、ここの家のドアチャイムにはインターホンがついていない。年代物のフラットは、大概がそんな感じだ。ドアチャイムと言うよりドアベルだし。もう少し古いフラットだと、1階に全室のドアベルが並んでいたりする。
「ここでお話するんで構わなければ……。私、パジャマのままだし、顔もすっぴんだし……。」
「そんなの気にしないで。あたしだって、寝起きはパジャマですっぴんよ。部屋着のまま寝ちゃうことも多いわ。たまに、仕事から帰ってきて、メイクも落とさずにばったーん、ってこともあるくらい。ま、そんなことはいいとして、それじゃ早速。お話、テープに録音させてもらっていいかしら? いいわよね。さて、ええと、早番のお仕事だそうだけど、何時くらいから働いてるの?」
 という具合に、インタビューに成功。ドアの隙間から見えるリビングルームの窓の外に、逆さ吊りのマードックが現れたり消えたりしているのも気づかれずに。
 彼女、睡眠障害を患っているレナ・ワインスタインから聞き出したことを要約すると、くだんの本屋は他の本屋よりも早い9時に開店ではあるものの、彼女は品出しなどのために5時から勤務。仕事を終えて帰途に就くのが10時か11時。早い時間帯は客も店員も少ないために、1階以外のレジは閉めており、ほとんどの店員は1階に集中。「10時半くらいに2階で人が刺されたって噂を聞いたんだけど」と切り出しても、「え? そんな話、聞いてませんが」と知らぬ様子。もしくは知らぬ振り。
 謝礼の約束をして、エンジェルは「どうもありがとう、助かったわ。じゃあねー」と、とっとと帰っていったのであった。
 ドアを閉めた後、レナ・ワインスタインは早足で電話に寄り、受話器を取った。その様子を、窓の外からマードック(の目から上だけ)が窺っていた。



「というわけで、早番5人のうちの1人にしか会えなかったんだけど――
 機械室でエンジェルが報告し、次の句を継いでもらおうとマードックの方を見る。
「ありゃ何か知ってる感じだったね。エンジェルが帰った後、すぐに電話かけてたし。これ、電話番号。」
 マードックがハンニバルにレシートを渡した。その裏には、レナが回した番号がメモってある。
「てめえにしちゃあ、やるじゃねえか。」
 相変わらず機械に向かいながらコングが褒める。観覧車の電源は直ったと思われる。
「写真も撮ったぜ、エンジェルのポラロイドカメラ借りて。ほら、これ。」
 ポケットから写真を出す。しかし、窓の外で若干揺れていたため、ピンボケ。さらに被写体は後ろ向き。
「もし彼女がこの件に関係ないとしたら、申し訳ないことしちゃったわね。寝起きのパジャマ姿を隠し撮りするなんて。」
 そうは言いながらも、エンジェルはケラケラ笑っていた。自分が同じことをされたら激怒するだろうに。
「ん? この女性、受取人じゃないか?」
 ポラロイド写真を見て、ハンニバルが身を乗り出した。もしそうなら、一気に解決に向かえる。
「あの受取人の写真、ちらりとしか見てないんで断言はできんが、髪の雰囲気が似てる気がしないでもない。依頼人の手紙はどこだ?」
「フェイスが持ってったまんま。おいら、受取人の写真、見てねえや。」
「俺も見てねえぜ。」
「あたしも見てないわ。って言うか、フェイスにまだ会ってないんだけど。一体何時間買い物してるのよ、あいつは。あたしがこんなに協力してやってんのに。」
 と、その時、非常にタイミング悪く、フェイスマンご帰還。それも、片手でアタッシェケースを持ち、もう一方の手では中世の鎧の上半身を抱えて。
「ただいまー。」
「お帰り、遅かったな。……何だそりゃ?」
 依頼人の手紙のことを言い出そうと思ったのに、ハンニバルさえ気を取られる鎧。コングの眉間には皺が寄っており、マードックは当然ながら目をキラキラさせて鎧に視線釘づけ。
「ランチをご一緒したマダムがイヤリングの片方をなくしちゃって、残った片方をくれたんだけど、ここに来るまで信号待ちするたびに物々交換を持ちかけられてさ、最終的にこれになっちゃったんだよね。ストロー・ミリオネア理論によれば、豪邸になるはずなのになあ。何で価値、下がったんだろ? 俺、何か間違えたかな。」
「イヤリングよりずっといいぜ、これ! 豪邸と同レベルじゃん?」
 フェイスマンから鎧を奪い取って、大喜びのマードック。
「お前の価値基準ならね。あ、エンジェル、久し振り〜。」
 エンジェルの存在に気づいて、作り笑顔を向けるフェイスマン。
「これ、着る? 似合うと思うよ。ナイフも防げるし。俺は防刃の服、着させてもらうけどね。」
「着るわけないでしょ。あのね、あんたがいない間に事態は進展してるの。あたしが調べたから。ナイフで襲ってくる人、いないの。防刃の服も鎧も、必要ないの。」
 言い切ってはいるが、確定ではない。
「だって、依頼人、刺されたんじゃ……?」
「依頼人、刺されてません。入院してません。でも行方不明。そこで、女性に詳しいあんたに質問。この人、誰だと思う?」
 エンジェルがテーブルからポラロイド写真を取って、フェイスマンに突きつけた。
「この後ろ姿、あの時、本屋にいた店員さんだね。……え、ちょっと待って。」
 依頼人に押しつけられた袋に入っていた紙を、懐から取り出す。そして、クリップで留められた写真を見る。
「同一人物じゃないかな、店員さんと受取人。」
「ビンゴだ。」
 ニヤリとコングが笑った。依然として機械に向かいながらも。
「じゃあ次だ。この電話番号は依頼人の連絡先とは違うかな?」
 マードックがメモった紙を掲げて、ハンニバルが問う。
「ええと……違うね。」
 依頼人がタイピングした番号とマードックが書き殴った番号とを見比べてフェイスマンが答える。
「依頼人の家の電話番号じゃないの? 会社のかしら?」
 エンジェルが自分のメモ帳を開いて、そこに書かれた電話番号群と照合する。
「そっちの連絡先の電話番号は自宅のだわ。モンキーが見たのは、自宅のでもなければ、会社のでもない。……本屋の電話番号でもないわね。」
「見間違えちゃいねえと思うぜ。」
 自分が疑われているようで、鎧を抱えたマードックがぼそっと言う。
「どこの電話番号かわかんないんだったら、かけてみりゃいい。エンジェル、その店員さんの名前はわかってる?」
「ええ。レナ・ワインスタインよ。」
「レナ、ね。オッケ。」
 メモを取り上げ、フェイスマンは機械室の外に出ていった。



 再びフェイスマンは公衆電話に向き合った。メモを見てダイヤルする。
『もしもし。』
 若い男の声が聞こえた。依頼人、ダグラス・メイヤーかもしれないし、そうでないかもしれない。何せ、本屋で話をした時は彼氏、刺されていたから。いや、刺されている振りをしていたから。
「あ、もしもし、私、カーソン・ダイルと申します、始めまして。」
 作り声でフェイスマンは偽名を名乗った。
『はあ。』
「実は先ほど、私が管理しているフラットに住んでらっしゃるお嬢さん、レナ・ワインスタインさんが階段から落ちて救急車で運ばれましてね。命に別状はないようなんですが、こちらの番号のダグラス・メイヤーさんに伝言を託されまして。あなた、ダグラス・メイヤーさん?」
『いえ、今、ダグラスに代わります。少々お待ち下さい。』
 フェイスマンはニヤッとすると、腕時計を見て小銭を追加投入した。
『お待たせしました、ダグラス・メイヤーです。』
「始めまして、ワインスタインさんの住んでいるフラットの管理人、カーソン・ダイルと申します。」
『レナが階段から落ちたとか?』
「ええ、意識ははっきりしていたので、恐らく骨折だけじゃないかと思います。」
『僕に伝言があるそうで。』
「ええ。明日、私の代わりに受け取りに行って。だそうです。」
『チケットは?』
「チケット? 何も聞いておりませんが。」
『そうですか……。それで、彼女、どこの病院に行ったんですか?』
「救急車で運ばれていったので詳しいことはわかりませんが、最寄の救急病院じゃないでしょうか。」
『わかりました。こちらで当たってみます。ご連絡ありがとうございました。』
「いえいえ。それじゃあ失礼します。」
 受話器をフックにかけ、フェイスマンはメモに笑顔を向けた。



「依頼人、いましたよー。」
 機械室に戻ると、ハンニバルとエンジェルおよび鎧を着たマードックは、2つのケチャップの容器を斜めにしていた。1つは例のケチャップ、もう1つは普通のハインツのケチャップ(ポリ容器入りの)。機械に対峙するコングも、ちらりちらりと容器を窺っている。
「多分これ、友達んちだね。家主の名前はわかんなかったけど。」
「場所は?」
「それも不明。でも、今から明日10時、いや9時かな、余裕見て8時? それまでの間に、依頼人はレナの部屋にチケットを探しに行く。」
「依頼人は彼女の部屋を訪れるだろ〜う。そして、チケットを探すだろ〜う。」
 鎧の中から声が響く。
「何だそりゃ、予言か?」
 コングがクックックと笑った。
「だから、その手前で張ってれば、捕獲できる。」
「我々はフラットの前で待つだろ〜う。そして、依頼人を捕まえるだろ〜う。」
「もういい、黙れ。クソ鎧が。」
 鎧は何も悪くないのに。
「でも部屋には彼女がいるのよ。寝てると思うけど。“探しに行く”って変じゃない?」
「レナ、階段から落ちて病院に運ばれたことにした。だから、依頼人に“代わりに受け取りに行って”って伝言しといた。だけど依頼人はチケットのこと気にしてたから、それはレナが持ってるはず。チケットって言ったら、この流れだと、十中八九、飛行機のチケットだよね。」
「飛行機乗ってどこ行くってんだ、ケチャップ持って。」
「さあ。10時ちょうどの便がどこ行きか調べるのは簡単だけど、それ調べたって意味ないし。」
「何でだ?」
「10時にケチャップ受け取ったら、10時発の便に乗れないから。」
「言われてみりゃ、その通りだな。ってこたァ、それ以降の便がどこ行きか調べりゃいいんじゃねえか?」
「10時10分以降11時まで、としたって、かなりな本数だと思うよ。大概の主要都市に行けるんじゃない? ……ところでさっき、頭突き合わせて何見てたのさ?」
「ケチャップ〜。」
 エコーの効いた声でマードックが答える。
「それはわかるよ、ここで見るものって言ったら、機械かケチャップか鎧くらいだし。」
「これを見てみろ、フェイス。」
 発見者のハンニバルが、得意気な顔で2つのケチャップ容器を135度ほど斜めにする。市販品の方は、ゆっくりでろーんとケチャップが落ちてくるが、依頼人に渡された方は――
「何今の!」
 見ていたフェイスマンが驚きの声を上げる。というのも、ケチャップがつるんっと落ちてきたからだ。
「ケチャップはそんな動きしないだろ?」
「しねえよな、普通。」
「じゃあモンキー、この中身が100%生粋のハインツのケチャップだっていうのは何だったんだ?」
「100%生粋のハインツのケチャップで間違いねえよ〜。」
 鎧の中でごわんごわん響いていて、何言ってるんだか聞き取りにくい。
「それじゃ、何で? ほらまた、つるんって。」
 容器を縦にしたり横にしたり斜めにしたりしているハンニバルの方を指差して、フェイスマンが問う。
「容器が違うんだろうな。容器と言うか、このプラスチックの種類が。」
 ハンニバルが指先で容器を突つく。
「コング、油性ペンあるか?」
「ああ、その工具箱に入ってるぜ。」
「フェイス。」
 指名されて、フェイスマンが工具箱を開け、油性のフェルトペンを探し出してハンニバルに渡す。
 ハンニバルは、油性ペンを用いて2つのケチャップ容器に同じように線を引いた。市販品の方は線が引けたが、依頼人に渡された方はインクを弾いてしまって線が引けない。
「テフロン加工のフライパンみたい!」
「テフロンに似た樹脂なんだろうな、その容器。テフロンそのものかもしんねえぜ。」
「でも、テフロンは油と結構仲良しだぜ。ベーコン焼いた後なんか、洗った後もぬらぬらしてるもんな。これは油性インクも弾くってことは、油とも仲悪いってことじゃね?」
 鎧のマスクを上に上げて、マードックが言う。
「思うに、このプラスチック、新しく開発? 発見? 発明? されたばかりなんじゃないでしょうかね。」
「そうだと思う。じゃなかったら、ケチャップだけじゃなくてマヨネーズもデミグラスソースも蜂蜜も、その容器に入って売られてるはずだもん。」
「いちいち振ったり搾ったりしねえで済むなんて画期的だぜ。料理が捗るね。」
「この容器がありゃあ、残り少ねえケチャップのびん振って、テーブルに手ェぶつけることもねえ。」
「そう、ぶつけんだよね、ガンッて。」
「で、コング、ケチャップのびんのみならずテーブルまで割ったよね。」
「そりゃもう時効にしてくれ。」
「ねえ、これ、洗うのも楽だし、汚れもしないってことよね? 極言すれば、洗剤が必要なくなるんじゃない?」
「洗剤会社に猛反発食らうだろうな。それに、これ、何に対しても摩擦がほとんどねえんだろ? ってこたァ――
「床に使ったら転びまくり?」
「スケート場みたいになるわね。」
「意図的に滑り出すこともできなければ、止まることもできないスケート場って、タチ悪いよ。」
「コングが言いたかったのは、あれだ、空気抵抗を減らせるってことだ、車や列車や航空機の。」
「ヘリのプロペラにこれでコーティングしたら、飛べねえな。」
「そっか。でもコングちゃん、プロペラじゃなくてローターな。」
「マッハの壁を越える時の衝撃波も出にくかろう。」
「けどよ、ハンニバル、こりゃきっと熱でとろけるプラスチックだぜ。あんまり速いのにコーティングしたら、空気との摩擦熱でとろけて燃えちまわあ。」
「軍曹、その摩擦熱が出にくいわけですよ、摩擦がほとんどないんだから。」
「マジか。すげえな。弾頭に使ったら、飛距離は出るし、狙いはズレねえし、そりゃあそれでヤベえ。」
「使う側としちゃあ最高ですけど、使われる側にとっちゃ堪ったもんじゃないですな。」
「これを国外に持ち出そうとしてる理由って、それか。」
「依頼人は総合商社にお勤めだったな?」
「そう。国外を飛び回って、いい品をセレクトして輸入する仕事。だから、国外の取引相手にこれを紹介することもできる。より高く買ってもらえる国に売れば、そこの国は軍事的に優位に立てる。……これ、まずい状況じゃない?」
「新しい物質なんだったら、これを作った研究機関が論文を発表しているはずだし、特許も出願しているはずよ。特許があれば、そうそう他の国で使われたりできないんじゃない? 使用料を払わないといけないし、無断で使われてたら文句つけてもいいわけだし。」
「そもそもこれをどこの誰が作ったのか、それを何で依頼人が持ってるのか、だ。アメリカ国内で作られたものとは限らないしな。」
「あー、頭に何か引っかかってる。」
 エンジェルが頭をもさもさと掻いて、メモ帳を開いた。今日書いたものをざっと見直す。
「これだわ! 依頼人の弟、スリーダイヤモンズ樹脂株式会社で研究開発やってる。関係ないかもしれないけど、お父さんはUCLAの教授。お母さんは専業主婦。」
「そんなことまで調べてあるんだ。」
 本来は自分の仕事のはずのフェイスマンが、片眉を上げる。
「あたしの情報収集能力、見くびらないで。新聞記者なんですからね。って、そうだ、戻らなきゃ!」
 エンジェルはメモ帳の今日書いたページをびりっと破り取り、テーブルに叩きつけるように置いた。
「じゃ、あとよろしく。ハンニバル、例の件、忘れないでよね。」
 バタバタと走り去っていくエンジェル。機械室の4人は大きく息をついた。
「さて、と。フェイス、モンキー、受取人宅前で張り込みだ。依頼人が来たら捕まえとけ。」
「オッケ。ハンニバルたちはどうすんの?」
「あたしとコングは、仕事が終わった後で、依頼人の弟に事情を聞きに行く。」
 そう言えば、ハンニバルも一応、仕事中の身。休憩時間が長いだけで。
「わかった。行くぞ、モンキー。それ、脱いでけ。」
 鎧のボディを拳で軽く叩いてフェイスマンが言う。渋々とマードックは鎧を脱ぎ始めた。



 コルベットに乗ってレナの住むフラットの前に辿り着いたフェイスマンとマードック。
「カフェでもあればいいんだけど、何もないな。」
 身を隠す場所を探して、周囲を見回すフェイスマン。その前に、その目立つコルベットを何とかした方がいいのに。
「あっちの公園は?」
 マードックが指差す先には、公園と言うのもおこがましい、木とベンチがあるだけの小さなスペースがあった。お年寄りが一息つくような場所。
「あそこでいいか。」
 車を公園の脇に移動させて停め、2人は車から降りてベンチに並んで座った。
「もう依頼人が来ちまった後って可能性は?」
「それでも、レナんとこにいるんなら、出てきたところを捕まえればいいさ。」
「依頼人と受取人がもう別んとこ行っちまった可能性は? 例えば、あの電話番号の奴んちとか。」
「その可能性は考えないことにする。」
「こうやってただ待ってるより、あの電話番号の奴んちの場所、調べた方がよかねえ? フェイスならできるだろ?」
「できるかもね……うん、できる、俺なら。でも、ハンニバルの命令だからね、張り込みしてろって。」
 サボりたいだけのフェイスマン。今日既にだいぶサボってる気もするが。
「鎧、持ってきてたら、今頃、豪邸に変わってたかなあ……。この際、ランク下げて屋敷でもいいや。」
 実はまだストロー・ミリオネアに拘っているフェイスマンは、そう呟き、ベンチの背に凭れて頭を後ろに倒した。頭上の木立を見上げる。
「フェイス、ちゃんと見張ってなきゃよ。」
「お前が見ててくれりゃ、それでいいさ。」
「でも、おいら、依頼人の顔、知らねえよ。」
「え?!」
 フェイスマンがバイーンと姿勢を戻す。
「顔知らないのに見張ってたって意味ないだろ!」
「うん。おいら、いる意味ある?」
「ない。」
 どきっぱりと否定。
「じゃあハトにエサやってていいよな。」
「エサ買う金、あげないぞ。それでもいいなら、エサやってていい。」
 許可を得て、マードックはポケットからパンを出した。昼食のホットドッグのパンを。それを少しずつ千切っては地面に撒く。
 別のベンチに座っているお年寄りの足元にいた5、6羽のハトが、パン屑に気づいて歩いてきた。それとは別のベンチに(中略)ハトも、パン屑に気づいて歩いてきた。さらにそれとはまた別の(以下略)。
 数分もすると、フェイスマンの周りにはみっしりとハトが押し寄せてきていた。逃げようにも、地面は一面ハト色。足を踏み出したら、確実にハトを踏む。ベンチの上にもハトみっしり。何だか臭い上に、ハトの体温で暑い。
「モンキー?」
 横を見て、フェイスマンはびくっとした。隣に座っていたのが、マードックの表面にハトが幾重にも重なったゴーレム的物体だったからだ。
「モンキー、大丈夫? 生きてる?」
「何とか。でも、暑くて臭くて息できねえ……。」
 ハト、恐るべし。百戦錬磨の強者がハトに殺されかけているとは。
 何とかせねば、と、フェイスマンは急に立ち上がった。それに驚いて、一斉に飛び立つハト。
「うわっ、痛っ。」
 羽が顔に当たり、咄嗟に顔をガードする。
「……死ぬかと思ったー。」
 ほとんどのハトが飛び去った後(何羽かは残っている)、マードックは荒い息をつきながら呟くように言った。



 レナ・ワインスタインは、新聞記者にインタビューされた後、ロドリーゴに電話をかけた。彼の家に隠れているダグラスに、新聞記者が何か嗅ぎつけたようだ、と伝えるために。そして、寝ているところを新聞記者に起こされたので、もう一眠りすることも伝えた。夜になって起きたら、ロドリーゴのメキシカン・レストランで食事しましょう、と約束する。ロドリーゴはダグラスの幼馴染で、レナとダグラスはしばしばそのメキシカン・レストランで食事をしているのだ、ダグラスは会社帰りに、レナは起きた後に。
 しかし、彼女は夜になる前に目が覚めてしまった。もう少し寝なければ明日が辛い、とわかっているのに、そう思えば思うほど寝つけない。処方されている睡眠薬を飲もうかと思ったけれど、この後、夜に起きられなくなるのも嫌で、意を決してベッドから出た。
 リビングルームに出てきて、カーテン開けっ放しの窓の外を見た。コーヒーを飲もうか、ハーブティーを飲もうか考えながら。窓の外では、睡眠に異常がない人々が活動していた。それほど人通りの多い場所ではないが、車が通りを行き来し、斜め前の公園ではお年寄りが集っている。普段だったら、集っている。だが今日は、灰色の塊がそこにあった。
「な、何、あれ?」
 思わず彼女は呟いた。その周辺が全体的に灰色。彼女は寝室に駆け戻り、眼鏡を取って窓に戻った。眼鏡をかけ、もう一度見る。灰色のものは、ハトだった。ハトの塊の隣にいる人物が立ち上がると、ハトは一斉に飛び立った。灰色の帯が空を舞い、どこかへと飛び去っていく。ハトたちが視界から消えた後、彼女は公園に目を戻した。ハトの塊があった場所に、人が1人。それから、立ち上がった人物。もう座ったけど。
「あれ、Aチームの人だわ。」
 今、ダグラスはAチームを騙そうとしている。ロドリーゴと彼の幼い妹および彼のメキシカン・レストランをメキシカン・マフィアの手から救い出してくれたAチームを(だから、あの例の電話番号は、フェイスマンの手帳に書いてはある。覚えていないだけで)。そして、彼女はダグラスの計画に協力している。ロドリーゴも、Aチームに恩があるけれど、大変に感謝しているけれど、1万ドル請求されたAチームへの報酬を100ドルに割引してもらったけれど、面白そうなので協力している。
 ともあれ、ダグラスの計画に協力し、彼女の写真をAチームに渡すことには承諾した。だが、彼女の家はAチームには知られていないはず。新聞記者は訪ねてきたものの。
 彼女はしばらく考え、ロドリーゴの家に電話をかけた。
『もしもし。』
 ロドリーゴの声が聞こえた。
「ハロー、レナよ。ダグラスに代わってもらえる?」
『レナ? 大丈夫なのかい?』
「え、何が?」
『階段から落ちて救急車で病院に運ばれたんだろ?』
「はあ? 何それ?」
『って、君んとこの管理人さんがここに電話してきたんだぜ。で、ダグはそれ聞いてすっ飛んでった。どこの病院にいるのかもわからないから、片っ端から病院当たってみる、って。』
「私、階段から落ちてもいないし、救急車で運ばれてもいないわよ。そんなことより、うちのそばにAチームが来てるの。そのこと、ダグに伝えないと。」
『Aチームが? 何で?』
「私が知るわけないわ。……ねえロドリーゴ、あなたがAチームに助けてもらった時、Aチームって何人いた?」
『4人。ハンニバルとフェイスとコングとモンキー。』
「新聞記者の女の人はいなかった?」
『いなかった、と思う。』
「多分、私にインタビューした新聞記者の人、Aチームの仲間だわ。」
『じゃあ、君の家も君の仕事もAチームに知られてるってことか。ってことは、管理人の振りして電話してきたのもAチーム?』
「だと思う。ダグの計画、どこまで知られてるのかしら? 私、どうしたらいい?」
『とりあえず、Aチームを追っ払わないとな。君が病院にいないってことがわかったら、ダグは君んちに行くだろうから、Aチームと鉢合わせするかもしれない。』
「かもしれない、じゃなくて、確実にAチームに見つかるわ。ダグと本屋で話をした人がいるんだもの。」
『そりゃまずいな。レナ、警察に電話して、近くにAチームがいるって言うんだ。』
「MPじゃなくて警察に?」
『MPの電話番号、わかんないしな。ダグなら知ってるはずなんだけど、奴いないし。それに、一般市民はまず警察に電話するもんだろ? きっと警察がMPに連絡してくれるさ。』
「そうね。警察に電話するわ。ありがと、ロドリーゴ。」
『どういたしまして。ダグの計画が上手く行くこと、祈ってるよ。』
 レナは一旦電話を切ると、警察に電話をかけた。
「あの、指名手配されている、Aチーム? の人がいるんですけど。近くの公園に。」



「はー。依頼人も来ないし、受取人も動いてないようだし、暇だねえ。」
「何言ってんだい、フェイス。受取人、動いてるぜ、さっきっから。」
「でも、誰も出てきてないだろ?」
「うんにゃ、窓んとこ。受取人、時々、窓からちらっ、ちらってこっち見てるぜ。」
 屋上の手摺からロープでぶら下がっていたマードックが言うのだから、恐らく間違いはない。視力もアラスカ出身かと思えるくらいだし。
「俺たちがここにいるってこと、バレてるわけ?」
「おいらたちを見てんのかどうかはわかんねっけど。」
 と、その時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。その音がどんどんと大きくなる。
「どーこだー、Aチーム!」
 拡声器を通して、リンチ大佐の声まで聞こえる。
「やばっ、リンチだ。」
 フェイスマンとマードックは慌ててコルベットに乗り込み、その場から離れた。



 遊園地の閉園時刻の1分後、ハンニバルとコングはバンに乗り込み、メイヤー宅に向かった。途中でバーガーショップに寄って腹拵えをしてから(そのため急いでいた)。
 中流家庭の中でも上の方といった、プールはないけど庭はあり、ウォークウェイはないけど駐車スペースは4台分ある家のポーチに上がり、ハンニバルがドアチャイムを押す。因みに、駐車スペースにある車は2台。この家の誰か2人がいない。そのうち1人は長男だろう。
『はーい、どなた?』
 女性の声がインターホンのスピーカーから聞こえた。
「今日の昼頃、エイミー・アマンダー・アレンという者が伺ったかと思いますが。」
『はいはい、新聞社の方ね。』
「私、ジョン・スミスと申します。もう少しお話を、と思いましてね。」
『あーごめんなさい、ダグ、まだ帰ってきてないんですよ。全くあの子、久し振りに休み取ったのに何してんのかしら、三十路も近いっていうのに。』
「いやいや、お母さん、男ってのはそういう生き物なんですよ。」
 と、適当なことを言うハンニバル。
「それはそれ、今回は、ご長男のダグラスさんではなくて次男の方にお話があってですね。」
『ウィンストンに?』
「僕にご用ですか?」
 背後から声がして、ハンニバルとコングは振り返った。ミニクーペの窓から顔を覗かせているその男こそ、メイヤー家の次男坊、ウィンストン・メイヤー。
「ちょっと待ってて下さい。」
 小さな車がバンの脇を抜けて駐車場に停まる。
「お待たせしました。」
 スーツ姿の青年が車から出てきて、ポーチに上がってきた。
「これ、君のだろう?」
 何の前置きもなく、ジャンパーのポケットからケチャップを出して、ハンニバルが尋ねる。
「そうです! これ、どうしたんですか? どこにありました?」
 目を輝かせる青年。この反応は、これを作った本人もしくはその近しい関係者に他ならない。でなければ、怪訝な顔をされるか、無視される。
「君のお兄さんから預かった。」
「兄が持っていたんですか、何だ、焦ったー。この間、兄に“これ面白いんだよ”って見せた時に持ってっちゃて、そのままだったんですね。」
 安心して笑いながら、彼は「ちょっと失礼」とハンニバルたちの前を通り、玄関のドアを開けた。
「ただいま、母さん。応接間使っていい?」
「いいわよ。」
 キッチンの方から母の声が。
「それと、コーヒー3つ。」
「もしできたら、牛乳にしてもらえねえか?」
 ハンニバルの後ろから顔を覗かせて牛乳野郎が頼む。
「母さん、コーヒー2つと牛乳1つに変更。」
 そうしてハンニバルとコングは応接間に通された。
「これ、ありがとうございます。今日、早く帰ってきたのは、盗難届を出しに警察に行こうかと思っていたからなんですよ。なくすようなものじゃないし、盗まれたのかと思って。よかった、一旦家に戻っておいて。」
 ハンニバルとコングに3人がけのソファを勧めた後、彼は母に呼ばれて飲み物を取りに行き、戻ってきて飲み物を配ると、やっとのことで向かいの1人がけのソファに座った。
「しかし、これ、盗難届も受けつけてもらいにくいんじゃないか? 一見、ただのケチャップの容器だしな。」
「ああ、もうこれのこと、ご存知なんですね。そうか、それでなきゃ、わざわざ届けてくれたりしないですもんね。兄から聞いたんですか?」
「いや、君のお兄さんから聞いたわけじゃない。率直に言おう。君のお兄さんがこれを国外に持ち出そうとしている。これが軍事目的に利用されたらどうなるか、君ならわかるだろう?」
「ああ、軍用機や銃弾をこれでコーティングするってことですか。」
「そうだ。性能が飛躍的に上がり、これを手に入れた国が軍事的に優位に立てる。」
「それが、これ、コーティングに使えないんですよ。つるつるすぎて。コーティングしても取れちゃうんです、つるっと。成形は一般的なプラスチックと一緒で簡単にできるんですけどね。この容器の蓋も、ここの部分は一般的に使われているパーツですけど、あんまり圧力がかかるとすぐに緩んでしまうんです。ギュッと握ったら蓋がスポーンと飛ぶって最悪ですよね、特にケチャップの場合。まあ、この容器ならそれほど強く握る必要はないんですが、今までの癖で握ってしまうと、あるいは調味料の棚でギュッと押されてしまうと、掃除が大変な事態になります。洗濯もですね。そんなわけですから、金属にコーティングして軍事利用なんていうのはまだまだ無理な話です。」
「そうなのか……。ケチャップ容器としても使えないとなると、じゃあ、これは一体何に使えるんだ?」
「わかりません。」
「わからない? 君が作ったんだろう?」
「ええ、僕が合成した樹脂ではあるんですけど、これを作りたくて作ったわけじゃなくて、本当は透明度の高い耐薬品性の樹脂を作りたかったんです。そういうニーズがあったので。理論的には間違ってないはずなのに、なぜかこんなのができてしまって。一応、未知の樹脂なので論文書いて発表はしたし、特許も申請してるんですけど、使い道がなくて。軟化温度も非常に低くて、お湯に入れると、いえ、ヒーターやコンロの近くに置くだけでも、ぐんにゃりします。ですから、気温が高くなる地域では使えません。それに、表面に何も印刷できませんし、シールも貼れません。別のフィルムでくるむのも、つるつるすぎて、くるむ作業が難しいんです。機械じゃできません。さらに、この容器、乾いた手なら大して問題なく持てますよね。でも、濡れた手やハンドクリームを塗った手だと、持つこともままなりません。」
「聞けば聞くほど、ホンット、使えねえな。」
「ええ、使えません、今のところ。つるつるすぎないように作れればいいんですけどね、共重合させたりして。もしくは、これに使える接着剤を開発するとか。近いうち、製品化できるレベルのものが作られると思いますよ、これを基にして。」
「近いうち、というのは、どのくらいだ?」
「そうですね、予算も時間も十分にある状況で本腰入れて研究に没頭すれば、数年くらいで何とか。でも僕自身は、本命の研究の方があるのでできません。誰か、僕の論文を読んで興味を持ってくれた人にお任せするしかないですね。もし誰も興味を持たなかったら……僕が自分で研究対象を決められるポストに就くまでお蔵入りです。そうなると、あと20年、いや、もっとかな。」
「あたしが生きているうちに作ってほしいもんですな。」
「じゃあ長生きして下さいね。」
 にっこりと微笑むウィンストン。部下にも言われたことのない言葉に、ハンニバルの心はジーンとなったのであった。(老人扱いされたことには気づいていない。)



「いやあ、それにしても、いい子だった。」
 バンに戻ったハンニバルがしみじみと言った。
「おう、研究者とは思えねえ雰囲気だったな。白衣も着てなかったしよ。」
 早速バンを遊園地に向けて走らせながら、コングが言う。研究者でも家では白衣着ませんよ。あと、家で薬品の調合をしたりもしません。混ぜた薬品が爆発して、頭パンチになったりもしません。
「ただ、俺たちを簡単に家に上げたのはいただけねえな。もっと警戒心持たなきゃダメだぜ。」
 初対面の相手に牛乳を所望するのもいただけないかと。
「名前も訊かれなかったですしね。」
 そう、お母さんには名乗ったけど、次男には告げていない。因みにお母さんには、新聞社のジョン・スミスさん&お連れの牛乳の人、と覚えられている。
 大通りに出てしばらく経った時、バンの後ろからコルベットが追い上げてきた。それをバックミラーで確認したコングは、バンを路肩に停めた。その後ろにコルベットが停まる、かと思いきや横に停まり、フェイスマンが叫んだ。
「MPが来てる!」
「何だと?」
 バンは急発進し、コルベットと並んで道をすっ飛ばしていった。



 何とかMPを撒いたAチーム。追手が本当に来ないことを確認の上、バンに4人集まって報告会。
「……というわけで、こっちは依頼人の捕獲に失敗。」
「ありゃあ受取人が通報したんだろうね。もしくはハトが。」
「今頃、きっと、何もかもバレてる。俺がかけた電話のことも、エンジェルが俺たちの仲間だってことも。」
「MPから無事逃げおおせた、と思ったのに、大通りに出た途端、鉢合わせしちまったことも。」
 いや、そこまでは依頼人も受取人もロドリーゴも知らんだろうて。
「こっちは、あの容器を持ち主に返してきた。」
「やっぱり弟のだったんだ、あれ。」
「そうだ。軍事目的にもケチャップの容器にも使えないプラスチックだってことを説明してもらった。」
「つまり、あれを国外に持ち出したとしても、何にもならねえってこった。」
「恐らく依頼人は、あれが使えないプラスチックだってことを知らなかったんでしょうなあ。」
「待って!」
 フェイスマンが額に手をやって、もう一方の手を“待て”のポーズで突き出した。
「何か辻褄が合わない。俺たち何か見落としてる。……使えないケチャップ(語弊あり)を国外に持ち出そうとしてる、俺たちに空港まで持ってこさせようとしてる、刺されたけど刺されてなかった……そうだ、何で依頼人はケチャップを空港に持ってくるように俺たちに依頼したわけ? 何者かに襲われたっていうのが狂言なら、依頼人が自分で持っていけばいいだけなのに。」
「俺たちを混乱させるためか?」
 確かに、Aチームを混乱させるのには成功。
「何のために? 刺された振り、結構手が込んでたんだぜ? 俺が騙されたくらいなんだから。まあ、2000ドルは俺たちに払われない前提だとしても、有休取って刺された振りして、恐らくガールフレンドの写真まで俺たちに渡して、依頼人にどんな見返りがある? 依頼人が得るものって何?」
「損得考えねえ愉快犯なんじゃねえの?」
「モンキー、依頼人がお前なら愉快犯ってことでおしまいにしていい。でも、依頼人、肩書きはまともな人だよ?」
「……懸賞金目当てか。」
 重々しくハンニバルが言った。
「俺たち、賞金首だもんな。このアホンダラ以外は。」
 MPがいつまでもAチームを捕まえられないでいるために、じわじわと賞金額が上がっていることだし。
「うん、それなら納得が行く。ケチャップ持って空港に行った俺たちを、待ち構えていたMPが捕まえる、って計画か。ま、空港、行かないけどね。」
「ケチャップ返しちまったし、手ぶらじゃ行く意味ねえもんなあ。」
「銃とか買って損しちまったな。」
「ホントだよね、今回、収入ないってのに。」
 すっかり帰宅モード(どこへ? 機械室?)になっていた部下3名に、リーダーがニッカリと笑って言い放つ。
「行きましょうじゃない、空港へ。」



〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 閉店後のホームセンターに忍び込むAチーム。薄暗い店内で手分けして必要なものを探し回る。コングのバンや、かっぱらってきたトラックに、次々に何だかんだと積み込まれていく。
 合鍵でレナの部屋のドアを開け、そこにレナがいて驚くダグラス。事態を説明するレナ。
 閉園後の遊園地をフェンスの外から覗くAチーム(横一列)。警備員が見回りをしていて、諦めたように首を横に振る。
 ダグラスが何か思い出したようにレナに問う。頷いて、引き出しを開け、封筒を取り出すレナ。その中にはチケットが2枚。ズームアップされ、画面一杯にチケットが映る。『ジ・インポッシブルズ 一夜限りの復活公演〜世界を騒がせたアイドルグループが20年振りに結集!』、開催日時は明日の夜。
 ビルの工事現場に忍び込むAチーム。太い鉄パイプを一定の長さに焼き切っていくコング。カラーコーンにマスキングをしてペンキをスプレーするフェイスマン。鎧の上半身(機械室から取ってきた)をカートに乗せて走り回るマードック。懐中電灯で地図を照らし、難しい顔をしているハンニバル。
 ロドリーゴの店でソフトシェルタコスを頬張るダグラスとレナ。ふと花瓶の花に目を向けたレナが1本手に取り、花占いを始める。好き、嫌い、好き、嫌い……ってやつ。
 クリーニング屋に忍び込むフェイスマン。受け取り待ちの制服がかかっている中から必要な服を選び出し、それらを抱えてコルベットに戻る。工事現場の3人、既にショベルカーが乗っているダンプトラックの荷台に、作り終えたものを運び込む。残らず運び込んだのを指差し確認し、コングがダンプの運転席に、ハンニバルが助手席に乗り込む。マードックはホームセンターに行く前にかっぱらった小型トラックの運転席へ。
 タコスが乗っていた皿の上に山盛りになっている花びらと茎。テーブルの上に置かれたコースターには、『Aチームが来る・来ない』がカウントされている。来る22回、来ない28回。占いの結果、Aチームは空港に現れない、ということになったので、計画中止を決定するダグラスとレナ。花瓶と花びらを交互に指差し、文句を言うロドリーゴ。
 カラーコーンを道に並べる、警備員の制服を着たフェイスマン。既にショベルカーにはコング(土木作業員姿)がスタンバイ。ニッカボッカに地下足袋、鯉口シャツで捩じり鉢巻きを帽子の上から締めたマードックがダンプから荷を下ろす。さっきよりも広域の地図を広げて難しい顔をしているハンニバルは、土木作業責任者の姿。
 帰宅するなり、あの容器を手にした弟に怒られるダグラス。ベッドに腰かけて5個の目覚まし時計を午前3時半にセットしているパジャマ姿のレナ。
 穴を掘りまくるコング。フェンスを立てるマードック。地図を覗き込むフェイスマンと、ペンで道路をなぞって説明するハンニバル。
 無事、3時半に起床でき、5時に本屋に到着したレナ。1階のレジに『早番の人たちへ。鬼のような新聞記者に凄まれて、みんなの住所氏名教えちゃった。ごめん。店長』とメモが貼ってあるのを見て苦笑する。
 6時、半ば眠ったまま目覚まし時計をバンバン叩いているダグラス。さくっと起きて洗面所に向かうウィンストン。
 近くを行き来する車の数が増えてきて朝になっていることに気づき、慌てて撤収するAチーム。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 ダグラスは、今日の朝10時もしくはそれより少し前にAチームがロサンゼルス国際空港に現れる、と事前にリンチ大佐に伝えていた。“ここら辺に”と書き込んだ空港の見取図も送付して。だが、事態が変わって現れないことになった(花占いによると)、と伝えるのを忘れていた。なぜなら、昨夜は弟に延々と怒られていたので。
 そんなわけでリンチ大佐は、昨日はAチームを寸でのところで取り逃がしてしまったけれど、今日こそは捕まえてやる、と意気込んで、部下を引き連れて空港に向かった。
「覚悟してろよ、スミス! 今日こそお縄にしてやるからな!」
 空港への最短ルートを走っていたリンチ大佐ご一行、前方をちんたら走る見慣れたバンを発見。
「よし、空港まで行かんでも、ここで捕まえてやるぞ! 行け、皆の者!」



〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 コングのバンに迫り寄るMPカー複数。だが、MP側はどうしてもバンに追いつけない。身を乗り出して前方を指差すリンチ。
 つかず離れずなバンを追ううちに、空港に近づいていくMPご一行。しかし、空港に向かうメインの道ではなく、海側の道。低空飛行の旅客機の往来が激しいために、商業施設も工場さえもなく、ましてや民家など一切ない不毛の地。
 真っ直ぐな一本道が前方で通行止めになっており、その向こうで工事をしているのが、バンの先に見えた。迂回路の方へ行くよう、警備員が交通誘導している。バンが素直に迂回路の方へ曲がったので、MPもその後を追う。MPカー全車両が迂回路に入ったのを見て、ニヤリとする警備員(フェイスマン)。その向こうには、ショベルカーとダンプと小型トラックがただ置いてあり、それらの手前には、ツルハシを振り上げた姿勢で固定された鎧の上半身が置いてある。
 1車線のみの迂回路は、両側にフェンスが立っていて閉塞感があった。前方に、間違いなくバンが走っている。Aチーム捕獲も目前だ、とリンチはほくそ笑んだ。
 迂回路は思っていた以上に長かった。こんなにフェンスが続いていた覚えはない、とリンチは思ったが、バンと警備員しか見ていなかったからだろう、と納得する。
 実際、迂回路のフェンスは長くはなかった。MPの車列の長さ+αのみ。コングのバンは、迂回路に入ってすぐのフェンスの向こう側にある。フェンスの開閉係を務めたマードックが笑顔でバンの運転席の窓をノックすると、窓ガラスが下がり、コングが顔を覗かせ、額の汗を拭った。
 では、MPが追っているバンは? MPカーの先頭、リンチが乗る車の前方に超高輝度の映写機が斜め上を向いて埋まっており、さらに前方に張られたスクリーンに、バンがこの迂回路を走っていく姿をエンドレスで投影していた。因みにこの映像は、角度補正済み。
 MPがアクセルを踏みっ放しでも、決してバンには追いつけない。いや、バンを映し出しているスクリーンに到達できない。なぜなら、地面に鉄パイプが敷き詰められているから。いくらタイヤが回っても、鉄パイプが回るだけで、車は前方には進まない。車が進んでいないのだから、MPから見てフェンスは動いていない。だが、そのことに気づくMPは誰もいなかった。
 バンのルーフの上に登ってフェンスの内側を覗き込むコングとマードック。ショベルカーを乗せたダンプの荷台の上に立ち、フェンスの内側を覗き込むハンニバルとフェイスマン。
 スクリーンに投影されているバンの映像がふっと消え、爽やかなハンニバルの笑顔(ソフトフォーカス)が映し出された。バックはピンクのバラ。
「何だこれはーっ!」
 MPカーが一斉にブレーキをかけた。状況を把握しようと車から降り……ようとしたが、フェンスに邪魔され、ドアが開かない。ドアに体当たりしても、フェンスはびくともしない。中には、窓から出ようとして、途中でにっちもさっちも行かなくなったMPも(彼は以後、プーさんと呼ばれるようになった)。車をバックさせようとしても、どうにもならない。
 フェンスの間でもがもがしているMPを見下ろし、ハンニバルは葉巻に火を点けニッカリと笑った。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 映写機や移動式スクリーン、ショベルカー、ダンプ、小型トラック、制服等々を元あった場所に何気なく戻してきたAチーム。ついでにフェイスマンはコルベットを信頼できる駐車場に停めてきた。現在、コングのバンに4人揃って乗って、遊園地に向かっている最中。コングとハンニバルは、早朝のうちから、ちょっと遅刻する、と遊園地に連絡を入れてある。
「あーあ、今回、収入なかったなー、ってグチらねえの?」
 鎧を膝の上に乗せたマードックが、通路隔てて隣のフェイスマンに尋ねる。
「もう言った気がするから。何度グチったって、ないもんはないんだし。」
 眠くて疲れてグチる元気もないフェイスマン。
「眠いんだったら寝てていいぞ。何なら、ここでずっと寝てたっていい。」
 フェイスマンの眠そうな口調に気づいて、ハンニバルが言う。目下、ビバな気分なので優しい。
「俺たちゃ仕事するけどな。」
 そうは言っても、機械室でうたた寝する気満々なコング。
「お言葉に甘えて、俺、寝させてもらう。用があったら起こして。」
 シートを倒し、目を閉じるフェイスマン。
「なあ、コングちゃん、病院寄ってってよ。俺っち帰んなきゃ。」
「おう、いいぜ。」
 拒否されると思っていたマードックが、コングの返事に目を丸くする。
「何で?」
「何で、ってこたァねえだろ。どうせ同じ方向だしな。曲がる回数が3回増えるだけだ。」
 どうしたのコング、優しいじゃん、と思うなかれ。眠くて疲れて頭が回ってないってだけ。曲がる回数の増加、3回じゃなくて4回だし。
 大した事件もなく、収入もなく、ドンパチもなく、肉弾戦もなく、けれどもMPで遊んで楽しかったAチーム、いい感じに頭と体が疲れた和やかな状態で、病院経由で遊園地に向かっていくのであった。



 その夜、いつもの時間に目覚めたレナと無理矢理に定時で仕事を切り上げたダグラスは、もうすっかりAチームの懸賞金のことは諦め、小さい頃に夢中になっていたグループの20年振りのコンサートを観に行った。とても楽しみだった――当時アイドルだった彼らが40代のおっさんになっていることに気づくまでは。ステージに現れて客席に手を振る彼らの姿を見て、レナとダグラスのみならず、その場の客全員が、月日の流れって残酷だなあ、と諦念を伴った優しい目をしたのだった。
【おしまい】
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