メリーさんの羊
鈴樹 瑞穂
「おい、大変だ!」
 ズバンとドアを開けてコングが飛び込んできた。家の中にいた残りの3人――ハンニバル、フェイスマン、マードックが何事かと顔を出す。コングは玄関のドアを蹴り開けていた。両腕に何かを抱えていたので手が使えなかったのだ。それは遠目には泥だらけの毛布のように見えた。そのままずんずんと家の中へと進んできたので、フェイスマンが大袈裟に眉を顰めた。
「ちょっと、家の中までガラクタ持ち込むなよ。ガレージに……。」
「ガラクタじゃねえ。」
 とことこと近づいてコングが抱えているものを覗き込んだマードックが、ハンニバルとフェイスマンを振り返った。
「これ、犬だよ! 生きてる!」
「今のとこはな。」
 フェイスマンが慌ててバスルームに駆け込み、すぐに湯を出す音が続いた。ハンニバルが扉を押さえて、コングをバスルームへと誘導する。
「よし、こっちに運べ。揺らさないようにゆっくりだ。モンキー、バンの中から救急キットを取ってこい。」
「了解。」
 マードックがコングの横を抜けて出ていく。
「ざっと見た感じ大きな怪我はしてねえ。洗ってみなきゃわかんねえけどな。」
 コングの説明にハンニバルは頷いた。
「どこで拾ったんだ?」
「道に倒れてた。川から這い上がってきたんだ、危うく轢くとこだったぜ。」
「ふむ。大方、昨日のハリケーンで流されたんだろう。大型犬ならともかく、よくこのサイズで助かったな。」
 コングが連れてきた犬は泥だらけの塊にしか見えなかったが、サイズはせいぜい中型犬だ。
 その後、泥だらけの犬はバスルームで洗われ、大きな怪我もなく、小さな怪我は手際よく手当された。



 というのが、数日前の出来事。
 フェイスマンがドッグフードをボウルに入れてキッチンを出ると、庭にいるマードックに声をかけた。その足元にはすっかり元気になった犬がじゃれついている。
「モンキー、犬の食事!」
「よーしよし、メシだってよ、アバラー。」
 わふわふと鳴く犬にアバラーという名前をつけたのは、もちろんマードックだ。がりがりに痩せてアバラが浮いていたからアバラー。実に安直なネーミングだ。多分、元はもう少しまともな名前だっただろうとフェイスマンは思っている。そして痩せた犬に、ついつい使命感に燃えて、高級ドッグフードを調達してきてしまった。
 そんなわけでアバラーは高級ドッグフードをもりもり食べ、コングの作った犬小屋で快適に過ごし、朝晩マードックと散歩に行き、なぜか何もしないハンニバルをリーダーと見て従っている。
 すっかりAチームに馴染んでいるアバラーだったが、保護した犬だ。きっと飼い主が探しているだろうと考えて、ハンニバルとフェイスマンがチラシを作り、コングとマードックがあちこちに張って回った。しかし、今のところ飼い主からの連絡はない。
 マードックはアバラーにお手と待てをさせた後、食事を与えた。許可が出た途端、アバラーがボウルに鼻を突っ込む。今日のフードはビーフだ。隣にしゃがみ込んでアバラーの食事を見守っているマードックも、最早すっかり飼い主と化している。
 その様子を窓から眺めて、窓枠に肘をついた姿勢でフェイスマンは溜息をついた。
「うーんどうするかな。」
「アバラーか?」
 椅子に座って新聞を広げていたハンニバルが顔を上げる。
「そう。このまま飼い主からの連絡がなかったら、引き取り手を見つけなくちゃ。俺たちもずっとここにいられるわけじゃないし、かと言って連れてもいけないだろ。」
「お前さんのガールフレンドに訊いてみちゃどうだ?」
「もう訊いた。でもあの犬、愛玩犬にしちゃ大きいし、番犬にしちゃ小さいんだよなあ。見た目も味があるって言えばいいのか、ちょっと、その、独特だろ。」
 人差し指で頬を掻くフェイスマンに、葉巻を持ち直したハンニバルが苦笑する。
「犬は見た目じゃありませんよ。あれはあれなりにいいところがあるじゃないか。」
「例えば?」
「そうさな。すばしこいし、状況判断力もなかなかのもんだ。」
「確かにそうかもしれないけど、やっぱり見た目は重要だよ! 特に貰い手を探す時は。」
 フェイスマンが肩を竦める。ちょうどそのタイミングでハンニバルの胸ポケットの電話が鳴った。
 このメロディはエンジェルの伝手で密かに公開している電話番号から転送されてきた時、つまりは仕事の依頼だ。
 フェイスマンが身を乗り出し、ハンニバルは携帯電話を取り出して通話ボタンを押した。



 カントリーロードを紺色のバンが走っている。運転席でハンドルを握るコング、助手席のハンニバル、後部にはフェイスマンとマードック、2人の間にアバラー。窓の外に興味を示すアバラーを、マードックが両腕で抱えている。
「置いてくりゃよかったのに。キャシーが預かってくれるって言ってたのにさ。」
 ガールフレンドの名前を挙げたフェイスマンに、マードックがきっぱりと首を横に振る。
「そういうわけにゃ行かねえよ。どれだけかかるかわかんねえだろ。それにコイツだってもうAチームの一員だ、立派に働けるって。」
 訓練と称してマードックがアバラーに教え込んだ『取ってこい』(お座り、お手、待ては最初から覚えていた)を思い出し、フェイスマンは鼻で笑った。
「だといいけどな。」
「着いたぞ。そこを入ってくれ。」
 ハンニバルの指示でバンが脇道へと曲がる。ここからはどうやら私道のようだ。そこは牧場で、辺り一面に広がる草原にぽつぽつと白いものが点在している。羊だ。納屋が点在する道を進み、ほどなく見えてきた赤い屋根の家の前でコングが車を停めた。
 ドアを開けてマードックが外に出ると、アバラーもいそいそと続く。一番最後に降りたフェイスマンは、家から出てきた依頼人の元へとささっと進み出た。
 青いツナギを着た若い女性が電話をかけてきた依頼人のようだ。後ろにはやはり青いツナギ姿の壮年の男性がいて、一目で親子とわかる。
「スミスさん? お待ちしてました。メリー・グリーンです。こちらは父のケント。」
「どうも。」
 ハンニバルが親子と順に握手をし、フェイスマンもそれに倣って名前を名乗る。
「テンプルトン・ペックです。」
「オイラはマードック。これは相棒のアバラー。」
「バラカスだ。」
「立ち話も何ですから、中へどうぞ。ワンちゃんはポーチで待っていてもらっても?」



 家の中では、やはりメリーによく似た年配の女性がお茶の支度をしていた。
「母のマリーです。」
「ようこそいらっしゃいました。お茶をどうぞ。ワンちゃんにはお水をあげましょうね。」
 マリーお手製のビスケットとミルクたっぷりの紅茶を囲んで、Aチームは依頼の内容を聞くことになった。
 グリーン家はケントの祖父の代からこの地で羊を育てている。グリーン牧場の羊毛は品質がよいと評判で、経営は安定していた。しかし、数日前のハリケーンの時に牧舎の一部が壊れ、パニックを起こした羊たちが逃走してしまった。ほとんどが自力で戻ってきたが、まだ一頭戻ってこない羊がいる。
「なるほど、その羊を探すのが依頼ですか?」
 フェイスマンが確認すると、メリーは首を横に振った。
「いえ、それは難しいと思います。うちの敷地は広いですし、まだ戻らない羊は少しばかり神経質な子で、知らない人を見たら逃げてしまいます。無理に追いかけて捕まえるとストレスになってしまうので、いつも世話している私たちが行って、群れに戻るように誘導しないと。」
「じゃオイラたちは何すんの?」
「私たちが羊を探しに行く間、バックアップに当たっていただきたいんです。何かあったら群れをお願いします。」
「わかった。」
「ついでに牧舎の補強も引き受けよう。」
 ハンニバルとコングが頷く。その横でマードックがメリーに訴えた。
「じゃオイラは牧舎の方に行くけど、アバラーを連れてってくれよ。」
「あのワンちゃんですか?」
「あいつならきっと役に立つぜ。」
「そう言えば、この牧場には牧羊犬はいないんですか?」
 フェイスマンが訊いてみると、メリーは首を横に振った。
「先月までいたんですけど、老齢で……。」
「ジョンが元気だったら、牧舎が壊れた夜も、群れが崩れることはなかったのにねえ。」
 マリーがエプロンで目頭をそっと押さえた。



〈Aチームのテーマ曲、始まる。と思いきや、曲が止まり、マードックが歌い始める。曲は『メリーさんの羊』。〉
 羊の群れを追うマードック。牧舎を確認するコング。設計図を広げるハンニバル。コングと話しながら書き込んでいく。
〈マードックの歌が終わる。と、次はフェイスマンが歌う。曲は『メリーさんの羊』。〉
 渡されたメモを手に、資材調達に赴くフェイスマン。群れからはみ出そうな羊を説得するマードック。軽トラックで戻ってきたフェイスマンを出迎えるハンニバルとコング。
〈フェイスマンの歌が終わる。と、次はコングが歌い出す。曲は『メリーさんの羊』。〉
 バーナーで溶接するコング。資材を抱えてくるフェイスマン。電動ドリルを手にしたハンニバル。説得に失敗し、はみ出した羊にタックルして連れ戻すマードック。
〈コングの歌が終わる。と、満を持してハンニバルが歌う。曲はもちろん『メリーさんの羊』。〉
 補強した牧舎の屋根と壁をハンマーで叩いてみて、満足そうに頷くハンニバル。コングはついでとばかりに傾きかけたエサ入れも直している。何とか羊たちに認めてもらい、指示を聞いてもらえるようになったマードック。その反対側で今度はフェイスマンがはみ出した羊にタックルして連れ戻す。
〈ハンニバルの歌が終わる。〉



「このワンちゃん、すごいですね!」
 メリーが目を輝かせてマードックに詰め寄った。その足元ではアバラーが得意気に尻尾を振っている。
「アバラーだって。すごいだろ!」
「ええ、逃げた羊の毛を嗅がせたら、匂いを追ってあっと言う間に見つけたわ。その後の誘導も完璧! もしかしてこの子、牧羊犬?」
「さあ……実は数日前に保護した犬なんだ。」
 フェイスマンが説明する後ろでは、ハンニバルとコングがケントに補強した牧舎の説明をしている。
「ハリケーンが来る時は前もって屋根の窓につけた雨戸を閉じてくれ。このリモコンで操作できる。」
「おお、こりゃいい。」
「ついでにこっちのリモコンでエサ入れを180度回転するようにしといたぜ。食べ残しを空ける時に使ってくれ。」
「そりゃ助かる。屈んでエサ入れを攫うと腰が痛くなるんで困ってたんだ。」
 よほど嬉しいのだろう、それまでほとんど無口だった、人見知りと思われる彼が、コングの手を取ってぶんぶんと上下に振っている。
 と、いきなりフェイスマンがメリーの手を取ろうとした。
「助かります!」
 が、アバラーがその間にぐぐっと顔を押し入れて、それを阻止する。
「どうした、フェイス。」
「いや、彼女がこの犬を、飼い主が迎えに来るまで預かってくれるって言うから。」
「こちらからお願いしたいくらいです。もし飼い主が来なかったら、そのままうちで引き取ります。」
「えっ、アバラー、お前それでいいのか?」
 慌てて確認するマードックを見上げて、アバラーがメリーにぴたりとくっついたまま、ワウ、と吠えた。



「寂しい……。」
 帰りのバンの中で、アバラーの代わりにクッションを抱えて、マードックが呟く。
「アバラーにとって、俺たちといるより牧場で落ち着いて暮らす方がいいだろ。」
 フェイスマンは電卓を叩きながら呆れ顔だ。とは言え、今回はきちんと謝礼も貰えたし、経費を差し引いても黒字になったので、フェイスマンは機嫌がよかった。
「まあ、あの家族なら犬も幸せだろうよ。」
 コングもホッとした口調で言う。
「飼い主が来るかわからんが、戻ったら張り紙は差し替えておくか。」
 ハンニバルが手元に残っていた張り紙の連絡先の欄に取り消し線を引き、グリーン家の番号に書き換える。
 その張り紙には「ビーグル保護しています」と記載されていた。



 その頃、グリーン家でマリーとメリーがこんな会話を交わしていたことをAチームの面々は知る由もなかった。
「ところでこの子、名前つけ替えても大丈夫かねえ?」
「そうねえ、マードックさんはアバラが見えるからアバラーって言ってたけど、今は見えないし。って言うか、どれだけ痩せてたのかしら。アバラの見えるバセット・ハウンドなんてちょっと想像つかないんだけど。」
【おしまい】
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