あらしのひるに
伊達 梶乃
〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 コングがレバーをぐいっと押すと、土管から砲弾が飛び出し、工場の屋根が吹き飛んだ。ワイヤーを伝って下りてきたハンニバル、屋根に開いた穴から工場内に侵入。工場の中で逃げ惑う、囚われた人々。頑丈な錠をプラスチック爆弾で爆破し、観音開きの分厚い扉を開け、中にいた人々を外へ逃がすフェイスマン。工場に集まってくる車を重厚な輸送ヘリで次々と押し潰す、シカの角をつけたマードック。
 夜の闇の中、大炎上する工場。少し離れた場所で解放を喜ぶ、疲れた顔の人々。さらに別の場所には、ロープでぐるぐる巻きになって頭の上では星とヒヨコがぐるぐるしている悪漢たち。地元警察と共にMPが駆けつけた時、そこにはもう既にAチームの姿はなかった。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉



 一仕事終えたAチームの面々は、アジトに戻ってきていた。今回のアジトは、ロサンゼルス市内の何の変哲もないフラットの一室。何か空いていたので住んでみた。バレたら逃げるつもりでいるのだが、いつになってもバレる気配がない。それどころか、正規の住人と勘違いされ、お隣さんからリンゴを紙袋一杯いただいたりも。そんなこんなで、家具屋で貰った家具や電気屋で貰った家電(フェイスマンが貰ってきた。買ってはいないのだが、盗んだわけでもない)が装備され、快適な住空間が出来上がっていた。
 そんなアジトで夕飯を済ませ、現在、それぞれの作業(?)に勤しんでいる時間。



「西インド諸島の東で発生したハリケーン6号は、カリブ海に進み、現在メキシコ、ユカタン半島に上陸。カンクンでは暴風雨となっております。現地のドロレス記者がお伝えします。」
 テレビの画面が切り替わった。
「はい、こちら、白い砂浜と緑色の海で有名なリゾート地、カンクンです。現在こちらは夜9時。普段なら星空を眺めながら肩を寄せ合うカップルで所狭しと溢れ返るビーチも、ご覧下さい、誰一人としておりません。それもそのはず、うわっ!」
 流暢な標準英語を喋っていたメキシコ人記者(ポンチョも着てないしソンブレロも被ってないが、顔がとってもメキシコ人)が、差していた傘を風に煽られ、両手で柄をしっかりと握り締める。しかし、その状態ではマイクが使えず、傘の柄とマイクを握り締める手を口の近くに持ってくる。
「それもそのはず、大変な雨と風です。聞こえますでしょうか、この傘を叩く雨の音。波も高く、海は濁って、まるでイヌボウサキのようです。」
 世界のウェザーリポート界で、犬吠埼は「記者が雨に打たれ風に煽られる場所」として非常に有名であり、ウェザーリポーターたちの憧れの地でもある。台風上陸中の犬吠埼で現場の状況を最初から最後まで伝えられたウェザーリポーターは、第一級と称賛される。
「低く立ち込めた雲のせいで、ぶわっ!」
 傘が裏返った上、手から離れて飛んでいく。マイクも一緒に。幸いマイクは有線だったので、遠くまで飛ばずに済んだ。マイクのケーブルを手繰り寄せる記者。
「このように、外出は非常に危険な状況です。カンクンからドロレスが、どわっ!」
 びちょ濡れのマイク(まだ使える)を手に気を取り直した記者がカメラに向かい、締めに入ったところで、どうやらカメラとカメラマンが風に煽られたようだ。映像が乱れ、記者の腹が急激にアップになった途端、画面が砂嵐になった。
「ドロレスさん? ドローレスさーん?!」
 スタジオからキャスターが呼びかけるも、返事がない。
「ハリケーン上陸中のユカタン半島、カンクンからドロレス記者がお伝えしました。このハリケーン6号、今後、勢力を増しながらメキシコ湾を縦断し、明日の朝から昼にかけてルイジアナもしくはミシシッピに上陸する見込みです。では、各地の明日の天気をお伝えします。」
 テレビの真正面に一人掛けソファを配置して天気予報を見ていたハンニバルは、背後を振り返った。
「各地の天気、始まるぞ。」
 その声に、食卓で家計簿をつけていたフェイスマンがテレビの方に一瞬目をやったが、まだ計算を続ける。
「アンカレジ、晴時々曇、最高気温18℃、最低気温7℃。」
 気温は華氏から摂氏に換算してあります。華氏なんて使用禁止にすればいいのに。
「さっすがアラスカは涼しいねえ。」
 キッチンで洗い物をしていたマードックがエプロンで手を拭きながら現れる。
 天気予報は抑揚もなく、アンカレジの後、シアトル、ミネアポリス、ミルウォーキー、シカゴと読み上げていった。
「シカゴ、雨かよ。」
 バスルームで掃除をしていたコングがのそのそと現れた。シカゴの母に思いを馳せる。
「洗濯物、干せねえな。」
「部屋干しだろうな。」
 デトロイト、インディアナポリス、クリーヴランド、ボストン、ニューヨーク、フィラデルフィア、ピッツバーグ、ワシントン、リッチモンド、セントルイス、カンザスシティ、デンバー、ソルトレイクシティと、各地の天気予報は続く。
「いっつも思うんだがよ、これ、何の順なんだ?」
「北西から東行って、下がって左行って、また南下して右、じゃねえの?」
 東西南北と上下左右がごちゃ混ぜなマードック。
「フェイス、そろそろだぜ。」
「ん、わかった。」
 フェイスマンがペンを置き、腰を上げる。
 ラスベガス、サンフランシスコ、そして。
「ロサンゼルス、晴時々曇、最高気温21℃、最低気温17℃。」
「おし、雨は降んねえな。」
「雨じゃねえんだったら、明日は洗濯しちゃうぜーっ!」
 雨季でない限り、そうそう雨など降らないのだが。
「曇るんだったら、グレーのスーツはやめとこ。」
 天気予報で服の色を決める男、フェイスマン。
「フェニックス、晴、最高気温44℃、最低気温27℃。」
 それを聞くなり、「おー」と声が上がる。デスバレーも人死にが出るくらい暑いが、天気予報でごく普通に読み上げられる中で、フェニックスはいつも暑い。
「44℃かよ、半端ねえな。」
「最低気温が27℃っていうのもひどいよね。」
「洗濯物、洗濯機ん中で乾いちまいそう。」
 オクラホマシティ、ダラス、サンアントニオくらいまでは晴れていたものの、ヒューストン、メンフィス、ジャクソン、ニューオリンズ、アトランタの辺りは、明日、天気が悪い。
「ハリケーンの影響だな。」
 ハンニバルが呟くように言う。
「ハリケーン、来てんの?」
「ああ、今、ユカタン半島だと。明日、上陸するらしい。」
 ジャクソンビル、タンパ、マイアミ、キーウェストの辺りは、それほど台風の影響を受けなさそう。そして最後にホノルルの予報を読み上げ、各地の明日の天気、終了。
「コングちゃん、朝、ジョギング行くんだろ?」
「おう、雨じゃねえからな。」
「牛乳屋寄って牛乳買ってきてくんねえ?」
「おし、わかった。」
「モンキー、洗濯にワイシャツ出しちゃっていい?」
「それ、俺っちにアイロンかけろってこと?」
「他に誰がアイロンかけるっての?」
「アイロンとアイロン台と時間があるんならOKよ。」
「じゃ、アイロンとアイロン台、調達してくる。」
「アイロン台なら車に乗ってるぜ。アイロンはこないだの作戦で使っちまったけどな。」
「アイロン台、その前の作戦で盾にしなかったっけ?」
「あん時ゃ4つ使っただろ? そんでもまだ1つ残ってる。後で持ってくるぜ。」
「コングちゃんも洗うもんあったら出しといて。」
「ツナギ、出していいか?」
「モチのロンよ。晴時々曇だもんね、ここベランダ広いし、物干し竿もあるし、洗濯機も貰ったし。」
「フェイス、仕事の予定は?」
 百戦錬磨のツワモノどもの会話とは決して思えない会話、しかし主婦の会話にしてはちょっと違う部分もある会話を聞いていたリーダーが口を開いた。
「1件、エンジェルから頼まれてるのがあって、その依頼人に明日会ってくる。ハンニバルも来られる?」
「いや、明日、撮影があるんで、それで訊いたんだ。仕事が入ってるなら延期してもらおうと思ってな。」
 もちろん、延期してもらうのはAチームの仕事の方。
「アクアドラゴンの撮影?」
「無論だ。」
「何日くらいかかる予定?」
「あたしの出番だけまとめて撮ってもらえれば、2日あれば終わると思う。」
「じゃあ、仕事受けるとしても明々後日以降になるって伝えるよ。」
「済まんな。」
「仕事受けるかどうかもわかんないしね。そっか、撮影か。それでハンニバル、天気予報見てたわけね。」
 作戦中でもない限り、風船配りのアルバイトでもない限り、天気を気にしないハンニバルが、最初から最後まで天気予報を見ていたことに納得が行ったフェイスマンであった。アクアドラゴンの撮影は、まあ大体、スタジオ内のセットで行われるのだが、スタジオを借りる予算がなかったのかな、とか、ダブルブッキングでスタジオを追い出されたのかな、とか、監督がまた無茶しようとしているのかな、とか、いろいろ思うところはある。いずれにせよ、下手に詮索しない方がいい。
 生温かい目を向けられたハンニバルは、その視線に気づかない振りをしながら立ち上がり、テレビを消して、台本を読み込むべく寝室に向かった。因みに、当たり前だが、アクアドラゴンにセリフはない。



 フェイスマンが目覚めた時、隣のベッドにハンニバルの姿はなかった。シルクのパジャマだけでは幾分肌寒く、ガウンを羽織って彼はリビングルームに出てきた。
「おっはよー。」
 既に洗濯に取りかかっているマードックが元気にご挨拶。今のところ洗濯機が洗濯してくれているので、暇なマードックはフェイスマンにコーヒーを持ってきた。
「おはよ。ハンニバルはもう出たの?」
「大佐、7時前にスーツケース持って出てったぜ。撮影行ってくる、って。」
「スーツケース?」
「泊りがけなのかもよ?」
「聞いてないよ、それ。」
「コングちゃんは、2日仕事入んないんならバイト探してくるって出てった。」
「それは訊いてない。」
 フェイスマンは掛け時計(貰い物)を見上げた。10時を少し回ったところ。依頼人との約束は12時半。エンジェルも交えてランチの予定。
「シャワー浴びてくる。軽めの朝ゴハン、用意しといて。」
「洗濯機使ってっと、シャワーの出、悪いってよ。コングちゃん曰く。」
「でも、水出ないってわけじゃないんだろ? 普段は快適シャワーなんだから。」
 多少勢いが悪いだけかと思っていたフェイスマンは、水栓を最大限に開いても、じょぼじょぼじょぼ程度しか出てこないシャワーの下で、「はい、俺の早とちりでした」と反省したのだった。



 突然だが、話は昨夜の作戦の前に遡る。
 アクアドラゴンの新作『アクアドラゴン〜北の国から〜』は、既にその時、撮影に入っていたのだった。ハンニバルは部下3名には黙っていたけれど。
 格安スタジオ内に設えられた沼(に見せかけたプール)からザバアッと出てくるアクアドラゴン。しかし、迫力が足りない。音などの効果は後で入れるにせよ。
「カットカット!」
 監督が怒鳴り、カメラマンがカメラを止める。
「臨場感が足りないよ、臨場感が!」
「臨場感が、足りない?」
 美術その他担当(以下、美術係)が首を捻った。「足りない」ではなく「ない」ではないのか、と。こんな子供用プールとチャチなプラスチックの樹木で臨場感など出るわけがない。背後の樹木は書き割りの使い回しだし。
「そうだな、雨と風でもあれば雰囲気が出るんじゃないか?」
 監督が美術係の方を向いて言う。因みに、この場には4人しかいない。低予算だし、俳優は時給制だし。
「はいはい、雨と風ね。」
 美術係は、カメラの前の床にビニールシートを敷いてスポンジで土手を作ると、プールに水を入れるのに使ったホースの先に水撒きアタッチメントを取りつけた。次に、スタジオの端の方へ行き、巨大扇風機を押して戻ってくる。扇風機のスイッチをオン。大風が吹き出し、チャチな木々が揺れる。最後に、壁際へ行ってホースが繋がっている水栓を開き、駆け足で戻ってきて、床でのたくっているホースを手に取る。水撒きアタッチメントを調節し、適度な雨に見えるようにして、カメラの前で持つ。
「どうだ?」
 監督がカメラマンに尋ねる。
「さっきよりはマシそうです。」
「よし、アクアドラゴン、スタンバイ。」
 子供用プールに足を突っ込んでぼんやりと待っていたハンニバルは、やっと指示が出て、プールの中に潜った。潜った、と言っても、水深がアクアドラゴンの奥行以下なので、どんなにハンニバルが頑張って平たい姿勢を取っても、アクアドラゴンの背中が水面から出ている。そんでもって、この間、ハンニバルは呼吸不可能。
「アクション!」
 監督の声に、カメラが回り、ハンニバルはプールからザバアッと立ち上がった。水を吸ったアクアドラゴンの着ぐるみが重い。そして、風になびく木々が頭をびったんびったんと叩いている。
「カット!」
 美術係が水を止めに走り、ついでに扇風機も止める。
「うーん、さっきよりはずっとよくなったが、迫力が足りないな。」
「このシーン、外で撮った方がいいんじゃないですかね? 子供用プールじゃアクアドラゴンの動きにも限界がありますし。」
 カメラマンが意見する。美術係は、スポンジが吸収した水をプールに絞っている。アクアドラゴンは、ぼんやり立っている。何せ、重いのだ、水を吸った着ぐるみが。アクアドラゴンは当初は水を弾くように作られていたが、今は最早、よく水を吸うようになっている。新品のキッチンスポンジと使い古したそれとを考えてみればいい。今のアクアドラゴンは十分に使い古されている。
「雨と風と沼と木のある場所か……。」
 監督が顎に手をやって、「う〜んマンダム」のポーズで呟いた。一瞬、「風と木の詩」っぽくもあるけど、全然違う。
「ハリケーンの中で撮影すりゃいいじゃないですか? 雨と風はタダだし、木もその辺に生えてるのでいいし。アクアドラゴンが出てくる沼も、その辺の池か何かで妥協すれば。」
 美術係が思いつきで言った。こんな意見、通るはずがない、という前提で。
「そうなったら、カメラ、ビニール袋に入れなきゃなりませんよ。」
 カメラマンは、防水でないカメラのことが心配そう。もちろんレンズはビニール袋から出さねばならない。
「それで行こう。」
 あっさりと監督が決断した。
「ちょうどハリケーンのシーズンだしな。僕の生家、ニューオリンズの方にあるんだが、川も池も沼も多くて、アクアドラゴンの撮影をするのに打ってつけだ。各自で移動して僕の生家に集合。宿泊費は心配しなくていい、泊めてやる。屋内撮影が必要な時には、うちのガレージを使おう。こっちのスタジオを借りるよりだいぶ安上がりだ。」
「監督は、ここから車移動ですか?」
 カメラマンが問う。
「アクアドラゴンを運ぶから、車だな。丸1日以上かかるが、仕方ない。」
 飛行機に乗せるコストもケチりたい。長距離バスだと2人分の運賃を取られるかもしれないし。
「途中で運転代わるんで、僕とカメラも乗せてもらえませんかね?」
「OK、願ったりだ。ガス代は折半だぞ。美術係はどうする?」
「僕も便乗します。でも、そんなに乗れるんですか?」
「バンだから大丈夫だろう。スミス君はどうする?」
「あたしはちょっと別件の仕事が入ってるんで、後で合流しますわ。」
「わかった。うちの住所、後で教える。」



 そういったわけで、ハンニバルはフェイスマンの財布を持ってタクシーで空港に向かい、そこから旅客機でニューオリンズまで約4時間のフライト。空港脇のレンタカー屋で偽の免許証を提示して車を借り、監督に渡されたカードに書かれた住所に向かう。
 因みに、フライトチケットは作戦前に取ってあった。ハリケーンが今日辺りニューオリンズに来ることも、調べに調べてわかっていた。ハリケーンの影響で旅客機の離着陸がなくなることはないか、という点も、ニューオリンズの空港に問い合わせ済み。「今回の作戦は、下調べ段階からハンニバルがよく動いてるなあ」とフェイスマンは内心、感心していたのだが、半分以上はこっちの件での行動。
 途中で買ったベニエを食べながら、一方通行に気をつけつつ南へ車を走らせること1時間以上。川と川との間に残された地面の上に、池と灌木と低い家屋が点在している。川岸に茂る木々、木造の桟橋に停泊する白い小さな船、川を横切る可動式の橋、高い建物が一切ないため空が広い。天気のいい日には、気持ちよさそうな場所だった。そう、天気がいい日には。だが、現在は暴風雨。木々はぶんぶん揺れてるし、船は桟橋にガインガインぶつかってるし、桟橋はほぼ水没しているし、橋も流されないように上がったままだし、川は無論、増水した濁流。フロントガラスに木の葉やゴミ袋や雨がべちんべちんとぶち当たってくる。川の近くには、当然、誰もいない。そればかりか、走っている車もほとんどない。
 段々と、雨の勢いにワイパーが追いつかなくなってきた。ハンニバルは車の速度を緩め、慎重に運転した。川沿いの道は一方通行なのだが、いつ何時、何が飛び出してくるかもわからない。この暴風雨の中、外に出ている人間は少ないだろうけど。それに、車が大きくスリップしたら、1/2の確率(右に滑るか左に滑るか)で川に突っ込む。
 恐らくこの辺だろう、とハンニバルは民家に車を寄せ、エンジンを止めた。芝生の上に乗り上げているが、この非常事態だ、誰も文句は言わないだろう。ドアを開け、暴風雨の中を傘も差さずカッパも着ずに歩く。5フィートほど歩いただけで、ずぶ濡れになった。住所も表札も確認せずに、呼び鈴を押す。
「はい?」
 インターホンから聞こえた声は、監督の声だった。
「スミスだ。」
 ほどなくドアが開き、ハンニバルはびっちょびっちょの状態で家の中に入った。
「あらまあ、ずぶ濡れじゃないの。」
 監督の母と思しきご婦人がタオルを持って出てきて、ハンニバルの水分を吸収する。
「ありがとうございます、ミセス。」
「随分とハンサムなあなたは、俳優さんかしら?」
「ああ、まあ、俳優ですな。ジョン・スミスと申します。」
 半端なくずぶ濡れなのに、ハンサムと言われ、上機嫌でハンニバルは名乗った。
「さあ、スミス君、撮影だ。」
「もう、ですか。」
「君が来るのを今か今かと待ってたんだぞ。早くしないとハリケーンが通過してしまうしな。」
 カメラマンはビニール袋でレンズ以外を包んだカメラをスタンバイしているし、美術係もアクアドラゴンの背をオープンして待っている。
 仕方なくハンニバルは上着を脱いでそれを監督の母君に渡すと、湿った状態のままアクアドラゴンの中に入った。
「折角ハンサムなのに、もったいないわねえ、怪獣の中に入っちゃうなんて。」
 監督の母の言葉に返答する余裕は、誰にもなかった。



 監督の家の裏から歩いて5分ほどの場所に、ちょうどよさそうな池があった。池は風雨の影響で濁って沼っぽくなっており、池の縁には灌木だけでなく雑草ももっさりと生い茂っている上、丈は低いが広葉樹も生えている。監督とカメラマンと美術係が事前に周囲を散策し、ここを撮影場所とすることに決定したのだ。それというのも、この辺りは川と池と水路ばかりではあるが、大概は整備されていて、アクアドラゴンにふさわしい場所ではなかったし、川縁にはいい感じの場所もあったのだが、現在のこの状況で撮影するには危険すぎる。川に入った途端、流れ去ること間違いなし。散策時には「いい感じ」だった場所のいくつかは、ハリケーンが来ている今となっては、既に水の中。水中撮影の道具は、予算上、ない。
 川の方から恐ろしげな水音が聞こえてくる。川の方に目をやると、この界隈で最も高い地面であるところの道路の向こうに、変な角度になっている船のボディが見えた。普段なら船の旗や煙突くらいしか見えないものなのに。因みに、船が変な角度になっているのは、桟橋に繋留されているから。その桟橋はだいぶ水没しているから。でもロープは切れずに、しかしながら船は浮くから。そのうちこの船、転覆しそうだ。だがその前に、水が道路を越えて、一帯を水浸しにしてしまうことだろう。
「急ごう。川の水位が上がってる。」
 美術係がおどろおどろしい草や木(いずれもプラスチック製)をセットしようとしたが、置いた途端にどれもこれも吹き飛ばされた。残っているのは自然物のみ。自然の力は逞しい。ビバ、根っこ。
 ハンニバル(アクアドラゴン)は池の中に入った。水深は、一番深いところでハンニバルの胸の高さくらい。ちょうどよく足がつき、ちょうどよく潜れて、池の縁まで階段上に石の足場まである。過去に入った池やプールの中ではトップクラスの水場である、とアクアドラゴンは判断した。
 カメラマンが池に向かってカメラを構え、監督が撮影開始の合図を出そうと手を挙げ(カチンコ持ってき忘れた)、アクアドラゴンの頭部の歪みを直していた美術係が早足でカメラの後ろに行こうとした時、かなり強い風が吹いた。当然、雨も伴っている。両足でしっかと立っていたアクアドラゴンと監督とカメラマンおよびカメラは無事だったが、移動の真っ最中で足が浮いていた美術係が飛ばされ、広葉樹の幹に叩きつけられた。ばたりと地面に落ちた美術係は、気丈にもすぐさま立ち上がり、カメラの後ろによたよたと移動した。
「スミス君、潜ってくれ。カメラ、準備いいか? アクション!」
 カメラが回り、アクアドラゴンが池からざぱあっと現れた。カメラに向かってゆっくりと歩を進め、水深が膝辺りになったところで立ち止まり、一頻り頭や手(前脚?)を振り回すと、びしっとポーズを決めた。
「はい、カット! よかったよ、スミス君! 最高の登場シーンだ! カメラ、どうだ?」
「完璧です。」
「よかった……。」
 背後で脇腹を押さえて何とか自力で立っていた美術係が、安心したようにそう言うなりくずおれた。
「おい! 大丈夫か?!」
 監督が振り返る。頭は打っていなかったようだし、ここまで歩いてきたのだから大したことはない、と思っていたのだが、そうでもなかったようだ。
「……猛烈に……痛いっす……。」
 膝と頭を地面につき、両手で脇腹を押さえた美術係が訴える。
「家に戻って休んでいろ。」
「でも……この後のシーンは……?」
 この後、アクアドラゴンの棲家を、ノルウェー出身の水竜ヴァンドラーゲが襲い、2頭が戦うシーンを撮影する予定である。
 ヴァンドラーゲはこの作品1回きりの怪獣なので、着ぐるみの作りはチャチ。監督の母親が縫ったキャンバス地に、美術係がアクリル絵の具で着色しただけ。ただ、アクアドラゴンより体長のある怪獣という設定なので(ベルクマンの法則より。ただし、ヴァンドラーゲは変温動物だと思われるので、逆ベルクマンの法則に従わなければならず、この設定は間違っている)、中の人の頭よりも上の部分は、竹ひごやタコ糸、工作用紙、セロテープ、ダクトテープなどが駆使されている。この辺りの工夫は半端ではない。中の人が内部でタコ糸を引くことにより、口や瞼の開閉も可能。さらには眼球まで動くのだ!
 このヴァンドラーゲの中に、構造を熟知している美術係が入る予定だった。しかし、美術係の負傷により、人員不足。
「よし、ヴァンドラーゲには僕が入ろう。」
 背後にあったゴミ袋(飛ばされないように隅を足で踏んでた)をがばっと開ける監督。中から現れたのは、ヴァンドラーゲの皮。風雨の中、監督が手早く皮の中に入り、腹のファスナーを上げた。
 ここにいても何の役にも立たない、後は監督が何とかしてくれる、と思った美術係は、脇腹を押さえてよたよたと監督の家の方に向かった。
「すぐに撮り始めるぞ、準備しておいてくれ。」
 監督はカメラマンに言った。ヴァンドラーゲの中に入っていても、皮が薄いので、意思の疎通に全く支障はない。
 体高7フィートはあるアクアドラゴンよりも背の高いヴァンドラーゲは、当然ながら風に弱かった。監督の頭上2フィート強の竹ひご部分が風を受けて今にも飛びそうなのを、内側からガワを引っ張って耐えつつも、池に向かって監督は歩き出した。
 と、その時。美術係を吹き飛ばした風よりもさらに強い風が雨粒と共に吹きつけた。カメラが倒れそうになるのを、必死で押さえるカメラマン。吹っ飛びそうになるのを、四つん這いになって風上に尻を向けることで避けた監督。伊達にこの地で生まれ育っていない。ヴァンドラーゲは多少汚れたが、頭は無事。元いた位置に戻ってスタンバイし、池に浸かりっ放しのアクアドラゴンも無事。
 しかし、彼らを襲うのは雨と風だけではなかった。今の強風で川の水が波立ち、道路を越えた。押し寄せてくる水に最初に気づいたのは、ハンニバルだった。監督とカメラマンは川に背を向けているので。
「水が来るぞ!」
 アクアドラゴンの中でハンニバルは叫んだ。だが、当然ながら、その声はアクアドラゴンの着ぐるみに吸収されて、外には聞こえなかった。胸(ハンニバルにとっては顔の前)の小窓を開けてもう一度叫ぼうとしたが、遅かった。
 まず最初にカメラマンの膝下を水が襲い、カメラマンが前のめりに倒れる。そこには無論、カメラがあり、カメラと共に倒れるところを、カメラを守りたい一心でカメラマンが身を捻る。カメラを胸に抱くようにして、カメラマンの方から水の中に倒れ込んだ。
 次に水流は、四つん這いから立ち上がろうとしたヴァンドラーゲを襲った。中途半端な姿勢でザザーッと流されていくヴァンドラーゲは、池の手前にある岩に激突した。とてもラッキーなことに、新品のヴァンドラーゲの皮はアクリル絵の具のおかげで、ほぼ耐水性になっていた。空洞の多い頭部が、水に沈まずに浮き上がる。ガワの中に水が入ってきたとしても、中の監督が溺死する事態は免れた。気絶はしているようだけど。
 ハンニバルはその場から何とか逃げようと思って四苦八苦したのだが、水を吸って重いアクアドラゴンを着たままでは思うように動けなかった。かと言って、アクアドラゴンを脱ごうにも、背中のファスナーを誰かに開けてもらわなければならない。その「誰か」がいない。
 押し寄せてきた水の深さは、カメラマンの膝下くらい、2フィート弱。そのくらいならどうせ既に水に浸かっているんだし、呼吸さえ確保できれば問題ないかと思ったハンニバルだったが、甘かった。池というのは得てして低い位置にあり、水は低いところへ流れる。ハンニバルを襲った水の深さは、5フィートはあった。アクアドラゴンを着ていない成人男性でも流される深さだ。アクアドラゴンを着ているハンニバルは、当然ながら流された。
 池は最も低い位置にあるものだが、この地域ではさらに低い位置にあるものがあった。水路である。水害に悩まされているこの地の人々は、少しでも水はけをよくしようと、最も低い位置に水路を作った。川が氾濫しても、水が水路へ流れるようにして、家を守る。なら、こんな場所に住まなきゃいいのに、というのは置いておいて。水があるところに文化が発生するわけだし。蚊も発生するけど。(瑞穂だったら「ブーン、蚊が発生!」と言うだろう。)
 水流に押し流され、池を越えて水路に流れ落ちたアクアドラゴン、ピーンチ! 岩に引っかかっていたヴァンドラーゲは、今や広葉樹の枝に頭が引っかかっている。水の引いた道路側では、カメラを抱えた泥まみれのカメラマンが、地面に仰向けに引っ繰り返ってゲボゲボと水を吐いていた。



 依頼人とのランチをセッティングするのは、フェイスマンでなくエンジェルの担当だった。だが、この間の作戦の前にエンジェルに連絡を入れた時には、どの店にしようか迷っていて、まだ店を決めていないということだった。そのため、直前にフェイスマンからエンジェルに連絡を入れることになっていた。
 なぜエンジェルからフェイスマンに連絡をしないのかと言えば、アジトの電話の電話番号をフェイスマンが知らないから。この部屋に不法侵入した時、既に電話機はあり、電話は使えるようになっていた。だが、番号がわからない。調べればわかるんだが、それってかなり怪しいよね。「この電話の電話番号って何番だっけ? ど忘れしちゃってさ、ハハハ」などと問い合わされたら、電話局の局員も警察に通報せずにはおれまい。そんなわけで、怪しまれないように、フェイスマンはこの電話の電話番号を調べずにいた。
 洗濯機を一時停止させてシャワーを終えた後、フェイスマンはアイロンを調達しに行った。行きつけの電気屋のおっさんとしばらくお喋りをし、「アイロンがなくて不便なんだよね」と言ったらアイロンが貰えた。いつもこんな調子。下心は感じられない。なので、フェイスマンはありがたくそれを貰って帰った。MPの罠かもしれない、とも思ったが、貰った電化製品に盗聴器が仕掛けられていたこともなく、「親切な人もいるもんだ」と思い込むことにしたフェイスマンであった。
「アイロン台は?」
 新品のアイロンを箱ごと渡されたマードックがそう言うので、フェイスマンは「電気屋でアイロン台も所望しときゃよかったなあ」と思った。さすがに1日に2回、電気製品を貰いに行くのは気が引ける。そもそもアイロン台は電気製品じゃないし。でもきっと、電気屋にあるだろう。そして、言えばくれるだろう。ゴミ箱も電気屋で貰ったものだし。
 そこで、昨夜と今朝の会話を思い起こす。コングのバンにアイロン台がある。しかし、コングは仕事探しの旅に出ている。「コングのバン、そこらに停まってたりしないかな」と外に出てみたら、向かいの月極駐車場にあった。どうやらコング、徒歩で仕事を探し歩いている様子。
 というわけで、アイロン台はすぐそこにある。だが、バンのキーがない。フェイスマンのスキルを持ってすれば、バンのドアをキーなしで開けられないこともないんだが、通行人の目が気になる。そこでフェイスマンは部屋に戻っていった。



〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 洗濯物を取り込んでいるマードックに声をかけ、段取りを説明するフェイスマン。頷くマードック、両手に抱えていた生乾きのワイシャツ等をテーブルにぽいっと置いていく。
 『急募! 短期アルバイト』の張り紙を見つけて、嬉しそうにいそいそとビルの中に入っていくコング。次の瞬間、ビルから出てきて悔しそうな身振り。
 アジトのある建物の前で大道芸を繰り広げているピエロ、じゃなくて、素顔のマードック。服装もいつも通り。玉乗りをしたり、ジャグリングをしたり、火を噴いたり、一輪車に乗って縄跳びしたり。通行人がマードックの前に溜まっていく。背後の駐車場の方を見る人など皆無。
 誰にも見られていない駐車場では、フェイスマンが針金2本を操ってコングのバンのドアを開け、アイロン台を持ち出し、念のためドアを閉めてもロックがかからないように細工してからドアを閉め、ダクトテープで封印。
 フェイスマンがアイロン台を持ち出したのを確認し、マードックは芸を終了し、オーディエンスに頭を下げた。アイロンの外箱の中に投げ込まれるコインが山をなしていく(下半分はマードック所有の偽コイン)。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉



 なぜかこの家にあった大道芸道具一式をクロゼットに片づけた後、マードックはアイロン台の脚をシャキーンと伸ばし、アイロンのコンセントをプラグに挿し、フェイスマンのワイシャツにアイロンをかけ始めた。
「ソーフトゥリーウィーグラーイド、スムースリーウィースラーイド、ソーフトゥリーウィーダーンストゥーザスケーターズワールツ。」
 スケーターズ・ワルツを歌いながらアイロンをかけるマードックは放っておいて、掛け時計を見上げたフェイスマンは、懐から手帳を出して電話に向かった。新聞社のエンジェルの席の番号を回す。
『はーい、お電話ありがとうございます。クーリア新聞社、エイミー・アマンダ・アレンです。』
「あ、俺。ランチの場所、決まった?」
『それがね、フェイス、聞いてよ。』
「聞いてるよ。」
『ハリケーン6号が来てるじゃない? それで依頼人、ルイジアナの人なんだけど、来られないんだって。何でも、空港が着陸は仕方なく許可してるけど離陸は許可しないらしくて。』
「来られないんじゃどうしようもないな。」
『だから悪いけど、今日のランチはなしってことで。』
「うん、構わないよ。別の日に席設ける? 今だったら割とスケジュール空いてるけど。」
 フェイスマンが手帳を繰り、すっかすかのスケジュール欄を開く。
『ハリケーンがいつ治まるかによるわね。』
「何も今日明日じゃなくってもいいんだろ? たとえば明々後日ぐらい?」
『それもそうね、そんなに急ぎのことでもないようだし。でも、依頼人、今、収入がほとんどないって言ってたから、後になればなるほどAチームに払えるお金がなくなるかも。』
 それは由々しき事態である。フェイスマンにとっては特に。
“1日の飲食費だけで1人平均100ドルはかかるだろ、10人家族だったら1日で1000ドルもなくなってく! 借家だとしたら10人家族ともなれば月5000ドルはかかる! 両親の医療費や子供6人の学費なんかを入れたら、さらに月5000ドルはかかる! そうすると、家賃と医療費と学費で1日、ええと、333ドル? 案外安いな。”
 0.2秒間で行われたフェイスマンの勝手な推測による生活費からすると、依頼人、かなりのセレブである。しかし、エンゲル係数が高い。
「何だったらさ、こっちから依頼人のとこ行こうか? ちょうどパイロットもいることだし。」
 今はアイロンかけに没頭してるけど。フェイスマンがワイシャツ溜め込んでたせいで。それも、アイロンかけが面倒臭いドレスシャツまで混じってて。
『ホント? そうしてくれるとありがたいわー。じゃあ、依頼人に電話して相談してみるから、また10分くらいしたら電話ちょうだい。じゃーねー。』
 電話をかけた方から電話を切るというマナーを知ってか知らずか、エンジェルだからなのか、彼女の方から電話を切った。
 フェイスマンは受話器を置いて、マードックの方を向いた。
「モンキー、ハリケーンの中、着陸できる?」
「ヘリじゃ無理だね。セスナも無理。ジェット機は運と重さによりけり。戦闘機なら多分OK。」
 天下一品のパイロットは、アイロンかけも天下一品になりつつある。
「戦闘機か。拝借するの難しいよね。」
「操縦も難しいぜ。何たって速いからね。余所見してっと、すぐに目的地過ぎちゃってさ。」
 戦闘機に乗っている間、余所見は一切、控えてほしいものである。水平方向に目的地を過ぎるくらいなら大したことはないが、垂直方向に目的地を過ぎると命がない場合もある。
「でもフェイス、戦闘機に3人とか4人は乗れねえぜ。1人か2人乗りだし。」
「依頼の話、聞きに行くだけだから、俺とお前だけで。コングは留守番。」
「なら睡眠薬いらねえし、暴れられる心配もねえな。で、どこ行く予定?」
「ルイジアナ。」
「オー、ルイジアナ・ママ、フロム・ニューオリンズ?」
「ニューオリンズかどうかは聞いてない。」
「あそこ、北っ側なら地面平べったくて着陸しやすいんだけど、南っ側は地面少ねえから着陸しにくいぜ。川に着水すればいっか、乗り捨てていいんなら。」
「そしたら、帰りどうすんのよ?」
「帰りにゃハリケーン通過した後だろうから、民間機で。もしくは、別の飛ぶもんかっぱらって。」
「ま、その辺は成り行きに任せましょ。で、戦闘機だったらどれくらい時間かかる?」
「かっぱらうのに1時間、飛び上がってからマッハ出るやつなら1時間半くらいかな。」
「さすが速いね。」
「ただし、ちゃんと装備着た場合な。スーツで髪形乱さねえようにするんなら3時間から4時間。」
「それは普通のジェット機で、ってこと?」
「そ、旅客機ってーか。ちゃんと加圧されるやつ。ポテチの袋が割れねえ程度に膨らむやつ。」
「戦闘機にポテトチップスの袋持って乗ったら割れる?」
「もう、パーン、よ。びっくりするぜ、あれ。もっとすげえのがコーク。缶でもビンでも勝手に噴き出すんよ、ブシューッて。操縦席がソーダファウンテンみたいんなってさあ、びっちょびちょでべっとべと。」
「ヘリばっかりかと思ってたんだけど、そんなに戦闘機にも乗ってたんだ。」
「いや、何度かしか乗ったことねえぜ。練習ん時と、あとはピンチヒッターで。」
「ピンチヒッターでポテチとコーク?」
「そう。そんで指名来なくなっちまった。」
「当然だね。」
 フェイスマンはそろそろ時間かな、と受話器を取ってダイヤルを回した。
『はーい、お電』
「俺。依頼人、何だって?」
 エンジェルに“お電話ありがとうございます”さえも言う暇を与えずに、フェイスマンが切り出す。
『来られるなら来てほしいって。でも、着陸もそろそろ怪しいみたい。そんな状況で行けるの?』
「行くさ。不可能を可能にするAチームだからね。」
 フェイスマンがにっこり笑い、コマーシャル。



〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 コングのバンから必要なもの(タイプライター、ハンコセット等)を持ち出すフェイスマン。
 人員募集の張り紙を見るたびに建物の中に入っていくコング。がっかりして出てくる。町中でなく、倉庫街や工場街で職探しすればいいのに。
 ツナギにアイロンをかけているマードックの横で、書類を偽造するフェイスマン。
 やっと面接に受かり、スーパーマーケットの後方でバリバリ働くコング。段ボール箱を運んだり、段ボール箱を開けたり、段ボール箱の中身を数えたり、空の段ボール箱を畳んだり。
 偽造書類を入れたファイルを小脇に、コルベットに乗り込む軍服姿のフェイスマン。助手席では、上級士官の軍服を着たマードックがラジオを聴きながら地図を凝視している。
 フォークリフトで段ボール箱を運ぶコング。あっと言う間に昇進したらしく、他の人々に指示を出している。
 近所の空軍基地のゲートで、書類を掲げるフェイスマンと、横で偉そうにしているマードック。コルベットに乗っているのを怪しんで追究する係官を、冷たい視線で黙らせるマードック。基地の中に侵入成功。
 基地司令官に書類を突きつけ、何事か捲し立てるフェイスマン。その後ろで片眉を上げたまま、後ろに手を組んでゆっくりと歩いているマードック。たじたじとした司令官が書類にサインをし、内線で各部署に命令を下す。格納庫から出される戦闘機。フライトスーツに身を包んだフェイスマンとマードック、脇にヘルメットを抱え、戦闘機に向かって颯爽と歩いていく。
 戦闘機に乗り込む2人。コクピットでメカメカしいコンソールを操作するマードック、ヘルメットの何かがどこかおかしいような気がしてならないフェイスマン(どこもおかしくない)。キャノピーが閉じられ、誘導に従って戦闘機が滑走路へ進む。合図を待って発進し、あっと言う間に離陸。
 コンテナごと段ボール箱を運ぶコング。どっすーんとコンテナを下ろし、額の汗を拭う。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉



 無理なく(怪しくなく)上昇していった戦闘機の後部座席では、フェイスマンがほっと一息ついていた。マードックのことだから、ほぼ垂直に上昇するかと思っていたが、そうではなかった。ハウリングでマッドなマードックも戦闘機を操縦する時は真剣になるのか、と思った矢先。
「ノーノーノー、ドント・フォーリン・ラヴ・ウィズ・アン・F1パイロット、イフ・ユー・ドゥー・フォゲット・イフ・ユー・キャン、ユアー・ベター・オフ・ウィズアウト・ヒム。」
 機体が水平になるなり、ヘルメットのスピーカーからマードックの歌声が聞こえ始めた。
「それ、F1パイロットじゃなくてレイルロードマンだろ? っていう問題じゃなくて、歌ってて大丈夫なのか、モンキー?」
 フェイスマンがヘルメットの中で訊く。その声は、内蔵のマイクを通してパイロット席のマードックに聞こえるはず。
「大丈〜夫。基地との通信は切ってあっから。」
「うん、それはそうしてくれていいんだけどね。通信切んなきゃ、それはそれでまずいしね。俺が言いたかったのは、歌ってる間にうっかりどっか行っちゃうんじゃないかって思ったわけで、アラスカとか。」
「ちゃんとルイジアナ方面に向かってるぜ。」
「そんならいいんだけど。」
 雲の上を飛んでいるので、太陽の位置はわかるものの、どこをどっちに向かって飛んでいるのか、フェイスマンにはわからなかった。下を見れば雲間に陸地が見えるはずだが、フェイスマンのところからは見えない。
「どっちに飛んでるか、計器に出てっだろ?」
「俺にはわかりませ〜ん。」
 目の前に沢山の計器はついているが、何が何だか全くわからない元陸軍中尉。
「こっちにねえ計器、そっちについてんのかな? それねえと、細かいことわかんねんだよな。大雑把には見てわかんだけど。オイラ、この機種乗んの初めてだし。」
「ええっ?!」
「だってオイラ、戦闘機乗りじゃねえもん。ま、飛ぶもんは何でも飛ばすけどね、勘で。」
 勘で戦闘機の操縦をされるのは恐い。
「今、これ、マッハいくつ?」
 恐る恐るフェイスマンが問う。
「まだ音速未満、マッハ0.8くらいよ、旅客機程度。そろそろ音速行っちゃうぜー! ィィィイヤッホー!」
 ぐんと加速し、体がシートに張りつく。骨がミシミシ鳴っている。機外では衝撃波が発生したことだろう。だが、スピーカーからはマードックの調子っ外れの歌声。フェイスマンは、吐かないように、ちびらないように、気絶しないようにしているので精一杯だった。
 しかし、ある時点で体が楽になった。加速が止まったからだ。
「現在マッハ2。もっと行けそうだけど、どうする?」
「2でいいです。」
「それではマッハ2でルイジアナまで1時間ちょっとの旅をお楽しみ下さい。って、楽しんでらんないかも。これ、燃料ギリギリっぽいぜ。マッハだとガス食うし。」
 やっと落ち着いたと思ったら、またマードックが嫌なことを言い始めた。ルイジアナは案外遠く、戦闘機で途中給油せずに飛ぶ距離ではない。そもそも戦闘機は戦闘用であって、移動用ではないのだし。
「燃料足りなかったらどうなる? 落ちる?」
「俺様が操縦してんだぜ、落ちるわけないっしょ。ルイジアナの手前で下りるだけよ。それよか問題はハリケーンだな。」
「落ちる?」
「下手すっと。落ちるより速えな、地面に叩きつけられっから。」
「えええー?」
「そんなヘマはしねえよ、燃料が残ってれば。ええと、ハリケーン、南から来てっから、右っ側行きゃいいのかな? ま、見りゃわかるか。」
「そっからハリケーン見えんの?」
「まだ全然。」
「……俺、しばらく寝てていい?」
「どーぞどーぞ。」
「何かあったら起こして。」
「OK。子守唄、いる?」
「いらない。」
 二度と目が覚めない事態にならないよう祈りつつ、フェイスマンは目を閉じた。スピーカーからはマードックの子守唄ではない歌が聞こえていたが、いつものことなので、眠りに落ちるのに支障はなかった。



 水嵩の増した水路を流れていくアクアドラゴン。この時、アクアドラゴンが俯せの状態で流されていたら、ハンニバルは溺れていたかもしれない。しかし幸いにも、池に長く浸かっていた下半身のウレタンの方が水を吸って重く(密度大)、上半身はそれほど水に浸かり続けていなかったため軽かった(密度小)。その結果、アクアドラゴンは立位で水路を流されていった。ただし、前向きとは限らない。腕や尻尾や脚が水路の壁面にぶつかるたびに向きが変わり、また流れによっても向きが変わり、あっちを向いたりこっちを向いたりしながら、アクアドラゴンは流されていた。中のハンニバルに意識はあったが、足もつかずに浮かんでいる状態で流され、どうすることもできなかった。何か草などの掴まれるものに掴まろうとはしたが、アクアドラゴンの手では咄嗟に物を掴むことができない。1回、タイミングよく草を掴むことに成功したが、草が千切れた。そのうち鉄柵か何かがあるだろう、とハンニバルは期待しながら、ただただ流されていた。
 ハリケーンが過ぎるまで家の中でじっとしていよう、と決めた人々は、運を天に任せて、「この家、今まで流されなかったんだから、今回も大丈夫」と信じつつ、家の中にいた。しかし、家の中で特にやることもない人々は、窓の外を見ていた。その中には、水路の方を見ている人もいた。「あー、すごい流れだなー、水嵩増してるなー、あとちょっと増えたら家ん中に水入ってくるなー」と思いながら。と、そこへ、怪獣が流れてきた。かなりのスピードで、不規則に回転しながら。それも、手が動いているのだから、縫いぐるみなんかではない。これを見た人々は、100パーセント、我が目を疑った。円グラフで言うと、円全部、360度が「我が目を疑った」になる。増水した水路の写真を撮っていた人が、運よく、流れていく怪獣を写真に収めた。ハリケーンの被害状況を収録していたテレビカメラも、これを映した。
 映画のフィルムにそれを収められるはずの人物は、監督の家の床で倒れていた。監督も美術係も倒れてはいたが、監督は自分のベッドに倒れ、美術係はソファに倒れていた。それから間もなく、3人は救急車で病院に運ばれ(誰も運転できる状況ではなかったため)、美術係はアバラ2本骨折、監督はアバラ3本骨折、カメラマンはアバラ1本と鎖骨1本骨折と判明した。これは労災になるんだろうか?



 体、特に頭が前に引っ張られる感覚でフェイスマンは目を覚ました。マードックが歌を歌っていないことに、不安を覚える。
「何? どうした? 落ちる?」
「あ、起きたん? 落ちはしねえと思うぜ、今んとこ。減速してるだけ。」
「何か周り白くない? グレーって言うか。」
「雲ん中だからね。」
「飛んでて平気なの? 雲の中って。」
「普通は雲ん中、飛びたかねえよ。でも、いい加減、下りること考えねえと。」
「そうだ、ハリケーンは?」
「ここ。」
「え?」
「今、ハリケーンの中。向かって右っ側の風が弱い方。左にハリケーンの目があるはずだぜ。」
「その中に入れば無風なんじゃないの?」
「真ん真ん中はね。でも、その直前で地面に叩きつけられっぜ。」
「じゃあ、ハリケーンの真上からハリケーンの目の中に入ったら?」
「真下に向かって飛べって? それ、墜落って言わね?」
「そっか。」
「ハリアーでハリケーンと一緒に移動しながら下りてきゃいいんかな?」
「ハリケーンの目のことはもういいから。話してる間にメキシコ行っちまうぞ。」
「そこまでは飛べねえよ。もうそんな燃料残ってねえし。」
「もう?」
「もう。飛べるとこまで飛んで、適当に下りるぜ。滑走路がありゃいいんだけどな。」
「どうせ今なら道路も空いてるだろうから、真っ直ぐな道路に下りちゃえば?」
「目的地はルイジアナのどこなん?」
「やっぱりニューオリンズだった。」
「了解。ニューオリンズにできるだけ近いとこに着陸いたしまーす。」



<Aチームのテーマ曲、再び始まる。>
 キャノピーを雨がばしばしと叩いている。燃料ゲージは「もう空っぽ」と告げている。向かい風の中を惰性だけで飛んでいる戦闘機。マードックが真っ直ぐな道路を見つけ、そこに着陸。路面が濡れているため予定より少し多めに走って(滑って)、カーブのところで建物を避けて緑地に突っ込んだ。ブレーキの音と木々をなぎ倒す音に何かと思って窓辺に寄る住民(しかしハリケーンの真っ最中のため外には出ない)、すぐそばに戦闘機があって仰天する。
 狭いコクピットでフライトスーツを脱ぐフェイスマンとマードック。下にはいつもの服を着込んでいた。暴風雨の中、キャノピーを開き、地面に飛び下りる。キャノピーを閉じる術がなく、諦める。恐らく、コクピットに雨が溜まって、この戦闘機、使い物にならなくなるであろう。完全に乾くまで干しときゃいいのか?
 道路に出てヒッチハイクをしようとするマードック。しかし、戦闘機が着陸できるような空いた道に車がそうそう通るはずがない。近隣の家のガレージに避難したフェイスマン、懐から針金を出し、ニヤリと笑う。車を拝借したフェイスマンがマードックを回収し、ニューオリンズの市街地へ。車の音にガレージへ行き、車がなくなっていて愕然とする住人。
 水路を流れていくアクアドラゴン。期待の鉄柵にはまだ出会えていない。
 コルセットを嵌めているせいで、いい姿勢しか取れない監督、カメラマン&美術係、病院の待合室に座っている。カメラマンはさらに三角巾で腕を吊っている。ベッドで寝ている必要もなく、しかし帰りの救急車を出してもらえるはずもなく、タクシーを待っているところ。
 黒い画面に緑の文字のモニターの前に座って、コンピュータを操作しているコング。ドットプリンタでダガダガとプリントアウトされていく何か。その連続用紙をピリッと切って、部下に渡し、指示を伝える。
 フェイスマンとマードックの乗ったセダンが、古びた木造の建物の前に停まる。運転席のフェイスマンが懐からびちょびちょの手帳を出し、メモした住所を確認して頷く。車のドアを開け、暴風雨の中に飛び出す2人。建物のポーチに駆け上がり、看板を見上げる。カフェ・アルカション。フェイスマンはその店の扉を開いた。
<Aチームのテーマ曲、再び終わる。>



 そこは、ディキシーランド・ジャズがレコードから流れる喫茶店だった。右手にカウンター、左手はテーブル席、奥にはステージがある。店の中に、客は誰もいなかった。ハリケーン上陸中だしな。
「いらっしゃいませ。」
 白髪混じりの60代と見られるマスターが、カウンターの向こうからそう言った。店の名と肌の色からして、この地域に多いフレンチ・アフリカン・アメリカンだろう。
「ルネ・アンブロワーズ・アルカションさん?」
 フェイスマンが濡れた手帳を見て尋ねる。
「はい、そうですが。」
「Aチームのテンプルトン・ペックです。お話を伺いに来ました。」
 マスターは眼鏡の奥の目を見開き、差し出されたフェイスマンの右手を両手で握った。
「本当に来てくれたんですか、このハリケーンの中を。ありがとうございます。ささ、おかけ下さい。今、コーヒーをお出しします。」
 2人にカウンター席を勧め、カウンターの下から乾いたタオルを出して渡すと、マスターは手際よくコーヒーを淹れた。それと共に、何かを揚げている音がする。ほどなく、2人の前にコーヒーとベニエが並んだ。
 コーヒーを飲みながらベニエを齧る2人に、依頼人であるマスターは話を始めた。
 この店は、彼が20代の時に始めた店で、その当時は、昼はカフェ、夜はバー、昼も夜も奥のステージでディキシーランド・ジャズの生演奏が行われていた。一時期は、地元住民はもちろん、旅行者も必ず立ち寄っていく、ニューオリンズの顔と言っていいほどの店になり、いくつものバンドが入れ代わり立ち代わり演奏をしていた。しかし、ディキシーランド・ジャズも人気を失い、バンドも次々と解散し、さらにニューオリンズを訪れる観光客も減った今、この店は、地元の老人たちがたまに立ち寄って、ディキシーランド・ジャズのレコードを聴きコーヒーを飲みながら昔を懐かしむだけの場所になってしまった。現在は、ほとんど収入がないため、大繁盛していた頃の貯えで生活しているところ。
 マスターも、店を畳もうと何度か思った。だが、この場所は親から譲り受けた土地で、この建物も自己の所有物、2階が自宅になっているため、店を畳む逼迫した理由もなく、踏ん切りがつかないでいる。それに、開店してから今までずっと1年365日営業してきたため、趣味もなく、家族もなく、店を畳んだら何もすることがなくなってしまう。今日は初めての休業日になるはずだったのだが、結局、こうして店を開いてしまっている。
 と、ここまではAチームの出る幕ではない。何とかして昔のように店を繁盛させたい、というわけでもない。年取った今、あまり繁盛してしまっては、彼の体がついて行けない。人を雇ってもいいが、人件費と儲けが吊り合うかどうかもわからない。そしてまた、ディキシーランド・ジャズを再流行させたい、というわけでもない。
 因みに、エンジェルと知り合ったのは、つい最近、彼女がこの店に取材に来たからだと言う。記者が回り持ちで書いている、国内の古いものを訪ねる「温故知新コーナー」で、エンジェルが選んだのがこの店だった。恐らく、取材費で旅行したかったんだろう。そして、本場のベニエを食べ歩きたかったんだろう。でもって、この店が一番古っぽく見えたのだろう。当時から建て替えていないだけで、もっと古くからのベニエの店は多いのに。
「えー、それで、我々Aチームに依頼したいのは、どういったご用件で?」
 話が進まず、フェイスマンが尋ねた。
「これなんです。」
 マスターがレジ脇のファイルから紙を取り出して2人に見せた。
「何々……いい加減に店を閉めろ。さもないと、よくないことが起こるかもしれない。……脅迫状だね。」
 チラシの裏側の白いところに手書きされた脅迫状を見て、マードックも頷いた。マードックが何も言わないのは、休みなくベニエを食べ続けているから。シナモンシュガーをかけたやつが彼の心の琴線を掻き鳴らしてしまったのだ。なので、マスターは話をしながらも、引っ切りなしにベニエを揚げている。コーヒーも淹れている。
「2年くらい前から、店のドアに張られるようになったんです。私の知らない間に。不定期で。チラシはこの近辺のものだとわかるんですが、筆跡に覚えはありません。この店が閉店することによって利益を受ける人なんていないと思うんですけどねえ。」
「立ち退きを迫られたとか、開発の波が押し寄せているとかは?」
「全然ありません。気配も噂もありません。」
「うーん。何か恨みを買ったとか? 昔の商売敵とかさ。」
「それはあるかもしれませんが、それだったら、その時に脅迫状を張っていくんじゃないですか? うちの店が繁盛していた時に。」
「そうだよなあ。」
「それに、商売敵も、今は潰れたか、潰れかけているか、チェーン店になったかです。」
「もう潰れちゃった店の人が、悔しく思って嫌がらせをしているって線は?」
「それなら納得です。」
「じゃあ、既に潰れた店をピックアップしてみよう。って、これ、難しいかも。もう店ないんだし。」
「私も他の店のこと、詳しくは知らないんですよね。お客さんから話に聞いたくらいで。何せ、ずっとここにいるようなもんですから。」
「まあそれは後で考えることにして、よくないこと、って何か起こった?」
「壁が少し壊されたり、知らないうちに店の備品が壊されたりしているくらいです。まだ直してないんで、お見せしましょうか?」
 フェイスマンはマスターの後について店の中を見て回った。カーテンが破かれていたり、椅子の脚が折られていたり、壁に穴が開いていたり。経年劣化のようでもあるが、よく見ると、故意に壊された跡がある。何かで傷つけた跡や、何かで叩いた跡が。バールのようなものだろうか。
「何で直さないの?」
「直しても、どうせまた壊されるでしょうし。」
「でも、椅子は直しとかないと、お客さんが引っ繰り返って怪我するんじゃないの?」
「もう“この椅子は壊れている”と、お客さんたちもわかっているんじゃないでしょうか。」
「今この店に来るのって、常連客だけ?」
「そうですね、地元の人ばかりです。」
 エンジェルを除けば。
「じゃあ犯人、その中にいるってことだ。店の中、壊してるんだし。」
「言われてみれば、そうですね。思いつきませんでした。まさか常連さんたちの中に、店を閉めろと思っている人がいるだなんて……。」
 マスターはショックを受けたように、カウンターの奥に戻った。
「ぷへえ、腹一杯。ご馳走さまでした。いやもう俺っち感動した。世の中にこんな美味いもんがあるなんて。」
「はは、ありがとうございます。」
「うん、でもホント、美味かった。甘いもん苦手な俺も、ペロッと食べちゃったくらい。」
「これ知ったらもうドーナツとかパンケーキなんか食えねえよ。外、カリッとしてて、中、ふんわふわでさ。」
「揚げてるのに、全然油っぽくないのがいいよね。それにこのコーヒー、濃くて苦みがあって、これ、何て言うんだっけ?」
 フェイスマンが皿を指し示す。
「ベニエです。」
「そう、ベニエにぴったり。」
 1980年代当時は、まだエスプレッソやシアトル系コーヒーはイタリアとシアトル以外には少なく、アメリカ人の多くが薄くて酸っぱいコーヒーを飲んでいた時代である。日本も同様。
「ルイジアナでは、ベニエとフレンチローストのコーヒーっていうのが普通なんですけどね。」
「俺っち、コーヒー牛乳にしてもらったけど、このコーヒー、牛乳にすんげえ合う。」
「これ、ロスやニューヨークでも売れそうだよな……。」
 フェイスマンの頭の中のレジスターの数字がぐるぐると回り、チーンとドルマークが並んだ。
「ロスに支店出してみる気ない?」
「な、何をいきなり。」
「エンジェルとも相談してみるけど、このコーヒーとベニエ、ロスで流行るはず。」
「少し考えるお時間、いただけますか?」
 大人な対応をするマスター。
「ねえマスター。」
 失恋レストランではなく、マードックが呼びかけただけ。
「ちょっち天気予報見してくんねえ?」
 既に帰りのことを考えているマードック。
「はい。」
 マスターは壁面の棚に置かれた小型テレビのスイッチを回した。音量つまみが電源スイッチにもなっている旧式のやつだ。
「ハリケーン、いい加減に通過してもいい頃だよね。ハリケーンって、海上を進むのはゆっくりでも、上陸したらスピード上がるんじゃなかったっけ?」
「ルイジアナは約半分が水ですから、ハリケーンの速度が遅いんですよ。メキシコ湾で大量の水分を含んだハリケーンがゆっくり進みながら長時間豪雨を降らせるんで、ものすごく水害が多いんです。」
 やっとのことで画面に映像が出てきた。
「あー、やっぱハリケーン遅いわ。まだこの辺だ。」
 ハリケーンの勢力範囲を円で表したものが、ちょうど画面に出てきた。円が少しずつしか移動していない。しかしながら、天気予報を見なくても、まだハリケーンがこの辺にいるのは、窓の外を見ればわかる。降り頻る横殴りの雨で、窓の外が白い。
 その上、円の動きからすると、このハリケーン、ルイジアナ南部で東に曲がろうとしている。余計に、ニューオリンズを通過するのに時間がかかりそうだ。
 テレビの画面を見ながら3人は溜息をついた。
 続いて、ルイジアナ州南部でのハリケーンの被害状況がレポートされ始めた。堤防で囲まれているニューオリンズはともかく、さらに南側の地域では既に川が氾濫し、床上浸水が多発。水害対策のための水路も、増水により近辺一帯が水路と化している状態。
 と、その時。カメラに映されている水路を、左から右に怪獣が流れていった。ニューススタジオでもキャスターがそれに気づいて、今の映像を巻き戻すよう指示を出す。繰り返される映像。画面の左端に怪獣が現れたところで再生がスローになり、画像が拡大された。不規則に回転しながら流れていく怪獣。
 Aチームの2名は、ブッとコーヒーを噴き出した。ぽかんと画面を見ていたマスターが、慌ててダスターでそれを拭う。
「あれ、アクアドラゴンだよね?」
 垂れたコーヒーを湿ったハンケチで拭きながら、フェイスマンがマードックの方を見る。
「アクアドラゴンに間違いねって。」
 垂れたコーヒーを革ジャンの袖で拭って、マードックが答える。
「マスター、あのまま水路を流れていくと、どうなんの?」
「どこかで川に入って、最終的にはメキシコ湾に出ます。」
「どの川? メキシコ湾のどの辺?」
「あの水路がどこなのかわからない限り、それは何とも……。」
「そんなに水路多いの?」
「ええ、とても。あの水路がどこなのかがわかれば、役所で、どの川に入るか、メキシコ湾のどの辺りに出るか、調べてもらえると思います。でも、一体どうしたんですか? まさか、あの怪獣とお知り合いで?」
「あの怪獣って言うか、あの中に入ってんの、俺たちのリーダーなんで。」
 フェイスマンは、マスターと目を合わせないようにして、そう言った。



<Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。>
 無断で借りている車でテレビ局に向かうフェイスマン。受付の女の子、天気予報の女性キャスター、天気予報の番組責任者の女史、と即行で口説きまくり、件の映像の出どころを突き止める。撮影したカメラマンから詳細な場所を聞き出し、今度は役所へ。しかし、悪天のため役所はお休み。役所の中に侵入し、あちらこちらから資料を持ち出し、大きな地図を前に、件の水路を流れていくとどの川に入り、どこからメキシコ湾に出るのかを推測する。水害対策専門家の連絡先リストもあったので、電話をかけまくって推測を確かなものにしていく。
 まだまだ流されているアクアドラゴン。ルイジアナの水路や川には鉄柵というものがないんだろうか、と考えつつ。
 カフェ・アルカションで、壊された椅子、壁、カーテンを修理するマードック。テーブルを磨くマスター。
 スーツ姿でエグゼクティブたちと握手を交わすコング、シンプルな会議室でミーティング。真面目な顔で報告し、意見を述べ、拍手を得る。
 家に帰り着いた監督、カメラマン&美術係、ロボットのような動きでタクシーから降り、上体を動かさないようにしながら家に駆け込む。いい姿勢で並んでソファに座る、コルセットの3人男。
 車が盗まれたとの報告を受け、現場に向かった警察官、戦闘機を見てびっくり仰天する。慌てて空軍に連絡。
 新聞社のデスクでタイプライターを打ちながら、ベニエのことを思い出して、思い出し涎するエンジェル。
 カッパ姿のマードック、流速計(フェイスマンがどこかから持ってきた)で水路の流速を測る。車に駆け戻り、車で待っていたフェイスマンに結果を報告。テレビ局のカメラマンから聞いた目撃時刻と現在時刻との差に、流速を掛け算し、地図を開く。目撃地点からの距離を定規で測って、現在アクアドラゴンが流れているであろう位置に見当をつける。そこに向かって急ぐフェイスマン。
<Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。>



「ここら辺に流れてくるはず!」
 上着を脱いでカッパを着たフェイスマンと、既にカッパ姿で濡れているマードックは、ロープに繋いだ浮き輪(ビニール製でないプロ仕様のやつ)を持って車から飛び出した。まだそれほど川幅は広くない。もしここを通り過ぎてミシシッピ川に入ってしまったら、流速は和らぐが、あまりに広くて船を出さないとアクアドラゴンの救出はできない。ましてやメキシコ湾に出てしまったら、見つけ出すのさえ困難。
 雨のせいで見通しは悪く、風のせいで目も開けていられない。木の葉や折れた枝、ビニール袋、看板、ポリペールの蓋、破れた傘、ビーチサンダルなどが飛んでくる。空き缶がカラカラと転がる音があちこちから聞こえる。そんな中、2人は目を凝らした。
「あれじゃねえ?」
 マードックが川上を指差した。見ると、川上からどんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れて、じゃない、川上からゴーッと深緑色の怪獣が流れてきている。
「モンキー、ロープの端っこ、木か何かに結んで!」
 フェイスマンはそう叫ぶと、カッパを脱ぎ捨て(そのままカッパは風と共に去りぬ)、靴も脱ぎ、浮き輪を腕に通して川に向かった。



<Aチームのテーマ曲、三たび始まる。>
 タイミングを計って、キレイなフォームで激流の中に飛び込むフェイスマン、わずかに回転しながら流れてくるアクアドラゴンに向かって、流されながらも泳いでいく。手近な大木(ただし低い)にロープをぎっちぎちに結びつけるマードック。
 フェイスマンがアクアドラゴンに体当たりをするようにして、見事がしっと掴まえた。浮き輪に通した腕だけではなく脚も使って、アクアドラゴンをがっちりと抱き締める。それを見たマードックがロープを引くが、激流に流されるアクアドラゴン(ハンニバル)+フェイスマンを引き寄せる力は、マードックにはない。
 そこでマードックは考えた。(画面に図解出る。)ロープが切れなければ、結び目が解けなければ、木が折れなければ、ロープがピンと張った時点で、今、川の中ほどにいる2人は川下の方で川岸に引っ張られてくるはず。そこの場所で2人を引き上げればいい。従って、マードックはロープを放っておいて川下に走った。
 マードックの予想通り、アクアドラゴンとフェイスマンは川岸に近づいてきた。ロープの長さだけ走った地点で、川岸に到着したアクアドラゴンとフェイスマンに手を伸ばす。まずはアクアドラゴンを引き上げる。下からはフェイスマンがアクアドラゴンを押し上げて。川が増水して川岸と水面との差がほぼなかったため、この作業はそれほど大変ではなかった。それからマードックは、フェイスマンが岸に上がるのに手を貸してやった。
 脚を投げ出して座っているアクアドラゴンの胸の小窓を開けるフェイスマン。中ではハンニバルがニッカリと笑っていた。
<Aチームのテーマ曲、終わりそうなシーンなのにまだかかってる。>
 舞台変わりまして。そこそこ高いビルの屋上から垂らしたロープを伝って下りてくる、ガスマスクを被った男3名(当然ながらコルセットの3人男とは別人)。ブラインドが閉まった窓の前で止まり、ブーツの爪先についた金具で窓ガラスを蹴り割ろうとしている。
 画面が、窓の内側に切り替わる。エグゼクティブたちがテーブルを囲んで話し合っているところに、いきなり窓ガラスが割れて不審者3名がブラインドをぶっ千切って飛び込んでくるなり催涙弾を投げた。だが、そこにいたエグゼクティブの1人は、誰あろう、コングであった。窓ガラスが割れる音と共に立ち上がり、同席者たちを窓から離れさせ、テーブルを立ててバリケードを築く。投げられた催涙弾を上着で包んで、催涙ガスが拡散しないようにする。無論、不審者たちはコングに銃を向けた。さっとホワイトボードの陰に身を隠し、さらにそのホワイトボードを振り回すコング。ホワイトボードの側面が胸に当たり、不審者1名沈没。残る2名が一瞬そちらに気を取られた隙に、奥の男の銃を蹴り落としつつ、手前の男のボディにストレートパンチを食らわせる。蹴り上げた銃が床に落ちる前に、奥の男に掴みかかり、脳天逆落としをお見舞いする。その間に、他のエグゼクティブたちは安全に避難し、代わりに警備員が部屋の中に雪崩れ込んできていた。倒れた賊3人を前に、服の汚れをパンパンと払うコング。
 社長室に案内され、社長に感謝されるコング。社長秘書兼ボディガードのポストに就くようコングに言う社長。既に辞令も用意されている。だが断るコング。ここでは言えないけどお尋ね者の身だし、明後日にはAチームの仕事があるし。食い下がる社長。断るコング。なおも食い下がる社長。なおも断るコング。さらに食い下がる社長。さらに断るコング。イラッとしたコング、うっかり社長の顔面に軽くパンチを食らわせてしまう。鼻血を出しつつ顔を押さえてよろけた社長、机の角に脇腹激突。そのまま蹲る。
 社長室を出てビルから出ていこうとするコング。走って追いかけてきた秘書がコングに辞令を渡す。そこにはフェルトペンでこう大書されていた。「お前、クビ!」
<Aチームのテーマ曲、三たび終わる。>



 ハリケーンはまだ去ってはいないが、風雨は弱まってきていた。盗んだ車に乗ってカフェ・アルカションに戻ってきたフェイスマン&マードックと、やっとアクアドラゴンから出たハンニバルおよび未だ水を滴らせているアクアドラゴンの着ぐるみ。
「あ、お帰りなさい。」
 マスターがびちょ濡れの一行にタオルを出してくれた。
「ハンニバル、こちらが依頼人のアルカションさん。マスター、これがうちのリーダー、ハンニバル。」
 2人を紹介するフェイスマン。握手する2人。
「これが、あの流れていた怪獣ですか。よく見つけられましたね。」
 アクアドラゴンの着ぐるみを珍しそうに見るマスター。
「もう大変だったんだからー。とりあえずコーヒー貰える? それと、ベニエ、ハンニバルに出してやって。」
 カウンター席に座って、まるで常連のようなフェイスマン。
「オイラにはガンボスープちょうだい。」
 マードックもカウンター席に座り、メニューに好物を見つけてオーダー。
「はい、少々お待ち下さい。」
「電話借りていいかな?」
 ハンニバルがマスターに尋ねる。
「ええ、どうぞ。」
 尻ポケットからびちょ濡れの財布を出し、その中から監督の家の住所と電話番号が書かれたカードを出す。
「あ! それ、俺の財布!」
 どうやらフェイスマン、今まで財布がなかったことに気づかなかったようだ。気づかれたので、ハンニバルが財布をフェイスマンに投げて返す。
「あー、もしもし、スミスだが。そう、俳優の。ハンサムな。ええ、無事でしたとも。監督は? はい、お願いします。」
 どうやら電話に出たのは監督の母君のようだ。
「もしもし監督? この通り生きてますともさ。アクアドラゴンも無事。え? 何ですと? 3人ともアバラ骨折? 撮影は延期……。ま、仕方ないですな。それじゃ、お大事に。あ、それと、あたしの上着、そこにあると思うんで、次の撮影の時に持ってきてもらえると助かるんですが。そう、それ。あともう1つ。あたしが乗ってきた車、家の前にあるやつ。あれ、レンタカーなんで、返しておいちゃくれませんかね? キーは上着のポケットに……あ、ありましたか、よかった。それじゃ、よろしく。」
 電話を切ったハンニバルがカウンター席に座り、出されたコーヒーを啜る。
「美味い。」
「だろ?」
 ハンニバルの感想に、さも自分が淹れたかのようなフェイスマン。
「アクアドラゴンのスタッフ全員がアバラ折って撮影延期だそうだから、すぐに仕事に移れるぞ。」
「それなんですが、脅迫状の犯人、わかりました。」
 ハンニバルの前にベニエを置きながら、マスターが言った。
「ええっ?」
 報酬をふいにしてしまう予感に、この世の終わりを見たような顔をするフェイスマン。
「常連のお客さんの誰か、というヒントをいただいたので、何かあの人たちの書いたものはないか探してみたんです。そうしたら、葉書や、レコードを貸した時のお礼のカードなどがありまして。これです。」
 マスターは脅迫状と葉書を並べて見せてくれた。明らかに、筆跡が同じ。
「シャルル・オーギュスト・ランブイエ。お恥ずかしいことに、幼馴染でした。昔はあんなに宿題を写させてもらったのに、筆跡なんて覚えていないものですね。」
 その頃と今とでは、字も変わっているだろうし。
「その幼馴染が、何で脅迫したり店のもの壊したりしたわけよ?」
 壊したものを直したマードックが、そう言って、出されたガンボスープの香りを嗅いだ。
「電話をして、訊いてみたんです。何で脅迫状なんか張ったのか。そうしたら、彼、2年前、癌の宣告を受けたんだそうです。全く知りませんでした。今はまだ通院だけで済んでいるんですが、癌が進行して入院することになったら、あるいはこの店に通う体力がなくなったら、私は毎日休まず店を開いているわけですから、彼のお見舞いに行けません。それで、私に会えなくなると思って、脅迫状を書いて張った、と言ってました。こんなことしないで、直接言えばいいのに。店閉めて俺の見舞いに来い、って。このことに気づいてやれなかった私も悪いんですけど……。」
「じゃあ、物を壊したのは何で?」
「それは彼がやったんじゃなくて、他の常連さんが壊したそうです。お客さんがいる時って、私、大概何かしてるじゃないですか。それで気がつかなかったんですが、彼がちゃんと見てました。壁は倒れた杖を取ろうとしたお客さんが、杖が椅子に引っかかって、何だかんだやっているうちに杖で穴を開けたらしいです。椅子の脚は、義足のお客さんが義足の金具をぶつけて壊したらしいです。カーテンは、髪飾りが引っかかって取れなくなったお客さんが、無理に引っ張って破いたらしいです。『何か壊したら、怒らないから、一言言って下さい』と張り紙を張っておきたい気分ですよ。シャルルには電話で、見てたんなら言えよ、と言いましたけど。」
「それで結局、マスター、その幼馴染のために店閉めんの? もうあのベニエ食えなくなっちまうの、やだぜ。コーヒーも。ガンボスープも。」
「閉めはしません、私が働けなくなるまでは。でも、シャルルが入院したら、休業日を作ります。だから、ロサンゼルスからは遠いですけど、ベニエが食べたくなったら、またいらして下さい。」
「やった。」
「支店の件は?」
「ああ、済みません、考えてませんでした。今後の課題ということでよろしいでしょうか?」
「ま、いいや。後で電話する。」
「では、一件落着ということでよろしいかな?」
「はい。ご足労いただいたのに、こんなことで申し訳ありません。」
「いやいや、あたしは何もしませんでしたからな。それなのに美味いコーヒーやベニエもご馳走になりましたし、むしろこちらがお支払いしなきゃな。なあ、フェイス?」
 ハンニバルが笑顔でフェイスマンの方を見た。
「う、うん。そうだね、これで仕事の報酬なんて請求したら失礼だもんね。俺たちが飲み食いした代金、おいくら?」
 ポケットから財布を出すフェイスマン。目は焦点が定まっていないし、セリフは棒読み。
「フェイスが現金で支払うとこ見んの、オイラ初めてかも。」
 マードックがハンニバルにこそっと囁く。
「あたしも初めて見るかもしれん。」
 囁き返すハンニバル。
「こちらこそ、超高速で来ていただいて、話を聞いていただいて、店を直していただいたというのに、勝手にお出ししたものの代金を請求するなんてことはできません。」
 ノーノーと首を振るマスター。
「それじゃあ、トントンということで。」
 既に財布をしまっているフェイスマン。
「それでよろしいんでしょうか?」
 フェイスマンの脳味噌は今回かかった費用を考えた。支出、アジトから基地までのガソリン代のみ。あとは全部盗んだものと貰ったもの。ここでフェイスマンは、空軍基地の駐車場に置きっ放しのコルベットのことを思い出した。書類が偽造したもので、戦闘機が1台行方不明になったことを、もうとっくに空軍に気づかれているはず。乗り捨てた戦闘機も、見つけられているはず。どうなっちゃうんだろう、俺のコルベット。
「はい、いいです。」
 コルベットのことが気になって、上の空でフェイスマンが答える。
「本当に、ありがとうございました。」
 マスターはカウンターから乗り出して、3人の手を順に握っていった。



 沢山のベニエを土産として貰ったAチーム(コング除く)は、アルカション氏に別れを告げ、盗んだ車で空港に向かった。途中、盗難車を探していた警察に追われはしたものの、どうってことなく空港に到着。風雨の弱まってきた空港で、手頃なジェット機に給油し、乗り込み、無断でつるっと離陸。3時間半のフライトの後、ロサンゼルス郊外の適当な場所に着陸し、その辺にあった車を盗んでアジトまで。
「ただいまー。」
 3人が帰宅した時、コングは一風呂浴びた後の牛乳を飲んでいるところだった。掛け時計を見ると、22時半。
「おう、揃ってどこ行ってたんだ? ハンニバルは撮影だったんだよな?」
「ニューオリンズまで行って、すんごくいろいろあって、今に至る。疲れたー。」
 フェイスマンがボスンとソファに倒れ込む。
「あたしは、撮影って言うより、大体、流れてましたな。」
 ハンニバルもソファに腰を下ろす。ずっと水に浸かっていたようなものだったので、膝が少し痛い。
「流れてただと?」
 事態がさっぱりわからないコング。
「テレビにも出られたしな、アクアドラゴン。お前の流され姿、カッコよかったぜ。」
 アクアドラゴンを背負ったマードックが、背後に言う。全国ネットの天気予報でアクアドラゴンの雄姿(?)が放送された件については、既にフェイスマンがハンニバルに報告済み。
「オイラはこの半日で、洗濯してアイロンかけて、玉乗りしてお金貰って、戦闘機乗ってヒッチハイクに失敗して、ベニエ食べて椅子の脚直してロープ結んで、ガンボスープ飲んでジェット機乗った! コングちゃんは? 仕事見つかった?」
「見つかったんだけどよ、いきなり窓から入ってきた奴らぶっ飛ばしたら社長秘書兼ボディガードやれって社長に言われて、そんで断ったんだが、あんまりしつこいもんで、ついうっかり社長殴っちまってクビになった。」
「どこの会社?」
 疲れ果てて眠ってしまいそうなフェイスマンが問う。
「ほら、そこのスーパー。胡散臭え牛乳しかねえとこだ。」
「え、あの店? 店長じゃなくて社長?」
 がばっとフェイスマンが身を起こした。
「社長だ。店長は、働き始めて3時間で俺がなった。」
「あの店、世界で5本の指に入るスーパーマーケットチェーンだよ? そこの社長殴ったの? って言うか、店長になった? お前が?」
「おう、何だか知らねえけど1時間ごとに辞令が出てな。バンバン出世して、後半はつまんねえ仕事ばっかだったぜ。スーツ着て、偉いのばっかが集まる会議に出たりな。」
「それって、エグゼクティブ会議?」
「ああ、それだ。」
「う、わ、羨ましい。最終的な肩書きは何だったわけ?」
「何とか部門の副社長だったっけかな。そんないちいち覚えてらんねえぜ。そんなことより、仕事の話はどうなったんだ? 受けんのか?」
「もう解決した。しばらくAチームの仕事なし。」
「じゃあ、また仕事探さなきゃな。おう、そうだ、フェイス、電気屋が来たぜ。」
「また何かくれた?」
「明日の夜は暇かって訊かれたからよ、俺じゃなくてお前がな、多分暇なんじゃねえかって答えたら、これくれたぜ。」
 コングがテーブルの上から封筒を取って、フェイスマンに渡した。宛名書きが「親愛なる君へ」で、フェイスマンは鳥肌立った。恐る恐る封筒を開ける。
「何々……毎度当店をご利用いただき、ありがとうございます。うちの娘があなたに一目惚れしてしまい、父親としてできる限りのことをしてまいりました。急なお願いではありますが、是非一度、娘とデートをしてはいただけないでしょうか。同封いたしましたリーフレットのレストランに夕食の席を用意してありますので、下記の日時にお越しいただければ幸いに存じます。……びっくりさせんなっての!」
 封筒にはレストランのリーフレットの他に、娘の写真が入っていた。電気屋のおっさんにとてもよく似ている。
「どうすんだ?」
 コングがニヤニヤとして訊く。
「食事だけ奢ってもらって、お断りするよ。これ以上、電気製品必要ないし。」
「おい、コング、この社長か? お前さんが殴ったの。」
 テレビでニュースを見ていたハンニバルが画面を指した。有名スーパーマーケットチェーンの社長が副社長に殴られて鼻骨と肋骨を折って入院、というニュース。社長を殴った副社長はその場で解任されたとのこと。また本日、この会社の本社ビルがテロリスト集団に襲われたものの、この副社長の咄嗟の判断で事なきを得、テロリスト3名は逮捕。2名が肋骨骨折、1名が頭骨陥没および頸椎損傷で入院中。
「社長のアバラは折ってねえぞ! ありゃ勝手にコケてぶつけただけだぜ!」
 事実を主張するコング。
「軍曹、いつも言ってるだろう、相手を見て手加減しろ、って。」
 やれやれ、といった顔のハンニバル。
「名前も写真出なくてよかったな、コングちゃん。」
 なかなかいい点に気づいたぞ、マードック。名前や写真が出ていたら、明日からコングの職探しは困難極まるものになるだろう。
「それにしても、アバラ折れまくりだね、今日。」
 と、フェイスマンがハンニバルの方を見る。撮影スタッフ全員がアバラを折ったことを、ちゃんと覚えているフェイスマン。記憶力の無駄遣い。
「ああ、あの映画、流れるかもな。」
 アクアドラゴン最新作の制作がお流れになる、という意味で。
「もう流されないでよ。」
 そう言ってフェイスマンはローテーブルの上のシガーケースから葉巻を取り出して包装を剥き、ハンニバルの口に突っ込むと、ソファから立ち上がり、バスルームに向かっていった。
 ハンニバルは葉巻の端を噛み千切り、火を点けずに銜え直して、ニッカリと笑った。



 翌日、朝食にベニエを食べたフェイスマンは、エンジェルに冷え切ったベニエ2ダースを届け、カフェ・アルカション・ロサンゼルス支店の構想を話したが、エンジェルは忙しかったらしく、「ごめん、また今度」と話を終わりにさせられた。
 次にフェイスマンは電気屋へ行き、ベニエ1ダースを電気屋のおっさんにプレゼントし、「今日のディナーには行くけど、お嬢さんとおつき合いはできない」と、はっきりお断りをした。理由を訊かれて、少し考えた後、「俺、お父さんの方が……」と耳打ちし、流し目をくれてやる。これで今後、万が一、電気製品が必要になったとしてもOK。(本当にOKなのか?)
 それからフェイスマンは空軍基地に行き、裏手からこっそり侵入。駐車場のコルベットは、幸いにもまだそこにあった。愛車に乗り込み、出入口のゲートをぶち壊して突破。
 ロサンゼルスの町を低速でドライブしながら、金づるのご婦人をどうやって引っかけようかと思案する。ふと青空を見上げ、ハリケーンではないことをありがたく思う。そして、急に思い出した。ハンニバルが無断でタクシー代と飛行機代とレンタカー代をフェイスマンの財布から支払ったことを。ムカッ腹が立ち、手近な美人さんに声をかけると、彼女を助手席に乗せ、フェイスマンはアクセルを踏み込んだのだった。



 その頃、今日も洗濯物に追われているマードックは、なぜこの家のクロゼットに大道芸の道具があるのかを考え、怖くてちびりそうになっていた。
【おしまい】
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