ガッルス・ガッルス・ドメスティクス
伊達 梶乃
〈Aチームのテーマ曲、静かに始まる。〉
 道路を爆走するいかついバン。だがしかし、可能な限り静かに。深夜なので。そのバンが、ばいーんとジャンプした。奇跡の配列で生じた道路の出っ張りがそうさせたのである。思いがけない事態に、運転席のコングが目を丸くし、ハンニバルの表情も一瞬固まる。どっすん、と着地し停車したのは、陸軍退役軍人病院精神科前。車内では、コングとハンニバルがシーッというジェスチャーを見せている。
 装備をつけ、車から降りる2人。素早く、だが静かに、敷地内に潜入。建物に沿って、さかさかと(実際は、どすどすと)移動。足を止め、上を指差すコング、頷くハンニバル。コングが肩からロープの束を下ろし、先端についた鉤爪を振り回して上方に投げる。上手く窓の外の鉄格子に引っかかった。確実に鉤爪が引っかかっていることを確認するために、壁に足をかけてロープを引くコング。その途端、鉄格子が外れて落ちてきた。驚きつつも、落ちてきた鉄格子を頭上で受け止めるコング。格子の1本がモヒカンの上に乗っているが、頭蓋骨までは達していない。ビバ、モヒカン!
 思いがけない事態(2度目)に思案顔のハンニバル。しかし、物音に気づいたマードック(パジャマ姿。ナイトキャップつき)が窓を開ける。結果オーライ。眼下でハンニバルとコングが「カモン」の身振りをしているのを見て、何も考えずに窓からダイブ。見事、コングの上の鉄格子(まだ持ってた)の上に着地。裸足の足がきちんと格子の上に乗っている。その場ですっくと立ち上がり、体操選手のように両手を広げて胸を張るマードック。一体どこにアピールしているのやら。そしてそのまま一同はバンの方へ移動。
 バンの脇では、冷気をもわんと放つ箱を抱えたフェイスマンが待機していた。鉄格子の上からマードックが下り、コングは鉄格子をぺいっとその辺に放ってバンのドアを開けた。箱と共にフェイスマンがバンに乗り込む。ハンニバルがロープの束をバンに投げ込み、助手席の方に回る。マードックもバンに乗り込み、足の裏を払う。コングが運転席に乗り込み、バンは静かに病院から離れていった。
〈Aチームのテーマ曲、静かに終わる。〉


 朝4時、まだ外は薄暗い。しかし、某高級ホテルのレストランでは、ぽつんと一席、ミーティングが行われていた。レストランの職員によるミーティングではなく、ホテルの職員によるミーティングでもなく、席に着いているのは、よれよれジーンズと首周りの伸びたTシャツの上に未だかつてアイロンがかかったことなどないであろうカジュアルシャツ、そして履き潰されかけたスニーカーといった装いの幾人かと、銀髪の紳士=ハンニバル。1人だけスーツで決めて、場違いという気もしないではないが、高級ホテルのレストランなのだから、それが当然って気もする。むしろ、その他の面々の装いこそが場違い。
 さて、ハンニバルの周囲にいるのは、敢えて書かなくてもわかると思うが、アクアドラゴン関係者の自称監督やら自称脚本家やら自称演出家やら。そして本日行われようとしているのは、次回作の話し合いである。それよりまず前回作の反省会をすべきなんじゃないかというのは、黙っておいてやろう。
 一方、レストランの窓から見えるステキなプールでは、青ざめた顔の優男が、飛び込み台からプールに飛び込んではプールサイドに上がり、再び飛び込み台に上ってプールに飛び込む、という苦行を繰り返している。
「ほらよ。」
 朝食を待つ一団の前に、無愛想なウェイターがどん、どん、と皿を置いた。2つの皿の上にこんもりと盛られているのは、フライドポテト。皮つきのと棒状の2種類。どちらにせよ、朝4時から食べるものではない。だが、そんなことを気にせず、彼らは揚げ芋にフォークを伸ばした。せめて小皿に取れよ。
「ビール貰える?」
「朝だからビールはねえ。牛乳かジュースだ。食後にはコーヒーか紅茶を出してやるぜ。」
「じゃあ牛乳。」
「俺も。」
 満場一致で牛乳。
「おし。」
 ウェイターは満足そうに頷くと、皮つきポテトを1つ摘んで、もぐもぐしながらキッチンに戻っていった。
 事の発端は、数日前に遡る。ハンニバルがフェイスマンに、ランチミーティングをやりたい、といきなり言ってきた。そんなの勝手にやればいいのに、とフェイスマンは思ったが、ハンニバルがフェイスマンにそう言うということはお膳立てをしろという命令なのであって、仕方なくフェイスマンはそのセッティングを請け負った。そうしたらハンニバルは、そこそこのホテルのレストランでやりたい、と追加オーダーを出してきた。だが、そこそこのホテルのランチは既に予約で一杯で、フェイスマンが交渉に交渉を重ねた結果、苦労の甲斐あって、何とか場所だけ借りられた。朝4時に。
 そんなわけで、朝4時にランチミーティング(最早それはランチではない)を高級ホテルのレストランで行うことになったハンニバル。ミーティング相手の映画スタッフは、深夜の作業を終えて帰宅前の食事にちょうどいいやってことで、誰しもが快諾。キッチン係としてマードックが病院から連れ出され、ホール係にはコングが指名された。フェイスマンは、自分がホール係をやるものだと思っていたのに、じゃあ俺は何すればいいの、とハンニバルにお伺い。伺わなければよかったのに。「朝4時にランチミーティングを設定した罰」として、朝4時からミーティング終了までプールに飛び込み続ける訓練を課せられた。現在、水温54度(華氏)。飛び込むには些か冷たい。
 キッチンでは、既に正規の調理スタッフが忙しそうに働いている。高級ホテルのレストランの料理人ともなると、名の通ったレストランで修業を積んだプロフェッショナルばかりである。自分の名を冠したレストランを開いてもおかしくないレベルの。そんな中で1人だけ、精神病患者(偽)が思いのままに食材を揚げていた。そう、揚げるのみ。他の加熱方法、なし。
 彼の頭の中だけにあるコースメニューは、次の通り。前菜;2種のフライドポテト。サラダ;アボカドとトマトとブロッコリーのフライ。スープ;コーンクリームコロッケ。メインディッシュ;メルルーサのフライと海老フライ、唐揚げおよびメンチカツ、揚げパンを添えて。デザート;揚げバナナ。メインディッシュに魚と肉の両方があって、ゴージャスと言えなくもないが、ミックスフライと言ってしまえばそれまで。冷凍食品をふんだんに使い、手間と時間を節約している。因みに、段ボール箱に入ったまま放置されている冷凍食品は、調理場の床でじんわり融けている。
 朝食の準備に余念がないキッチンスタッフと揚げ物に邪念はあるけど余念はないマードックは、外に直結しているドアが開くのに気がつかなかった。それに気がついたのは、グラスに牛乳を注いでいたコングのみ。そーっと開いたドアを訝しく思ったコングが、牛乳を冷蔵庫にしまい、牛乳の注がれたグラスを乗せたトレイを持ったままドアに近寄る。ドアの陰からこっそりと、黒い髪の少年が顔を覗かせた。
「何だ、坊主。」
「あの……ニワトリのお肉、買わないですか?」
 10代半ばくらいの少年は、片言より少しはマシな英語でそう訊いた。
「ニワトリだと?」
「とても新鮮です。大きいニワトリ40ドル、小さいニワトリ20ドル。」
 値段からすると、1羽丸々、いわゆる丸鶏と思われる。
「おい、モンキー、鶏肉買わねえかって来てるぜ。」
 コングは揚げ物をしているマードックに声をかけた。
「鶏肉? いるいる。フェイスの奴、ナゲットしか盗ってきてくんなくってさあ。」
「でけえのと小せえの、どっちがいい?」
「丸ごと1羽? そんならちっちぇえ方だな。4、5パウンズぐらいのやつ。」
「ってわけで、坊主、小せえの貰うぜ。」
 トレイを安定した場所に置いて、コングはウェイターの制服(ただし袖、引き千切り済み)のポケットから20ドルを出して少年に見せた。
「ありがとうございます!」
 明るい顔になって礼を言うと、少年はドアの向こうに姿を消した。ニワトリのコッコッという声が聞こえ、それがコケーッになる。コングは嫌な予感を感じた。
「はい、小さいニワトリ。」
 思った通り、“とても新鮮”なニワトリは生きていた。だが、ペットとしてのニワトリでないことは、首を持たれていることから明らか。
「すぐ食べる?」
 ちょっと引いているコングを見上げて、少年が尋ねた。
「あ、ああ。」
「ハラールがいい?」
「いや、その必要はねえ。」
「よかった、俺、宗教違うからハラールできない。5分待って。」
「じゃあその間、俺ァ仕事してくるぜ。」
 5分の間に少年が何をするのか推測できて、コングは20ドルをポケットに戻すと、トレイを持って牛乳を配膳しに行った。
 牛乳を客に出し、アボカドとトマトとブロッコリーのフライを席に運んで、コングはドアの前に戻った。そこは確実に血生臭くなっていた。
「できた。」
 5分前、生きたニワトリだったものは、首を切られて羽根を毟られ、すっかりとチキン的な姿になり、羽根まみれの少年に脚を掴まれ、逆様に差し出されている。
「血、抜いた。あと5ドルで、バラバラにする。」
「ちゃんと切り分けられるんだろうな? 適当にぶった切るんだったら、俺にもできらあ。」
「心配ない。」
 少年はまたもやドアの向こうに姿を消した。バキッ、バキッという音が聞こえる。
「お皿か袋、貸して。」
 すぐに少年の声がして、コングは持っていたトレイをドアの向こうに差し出した。それが受け取られて1分も経たないうちに、トレイの上にキレイに並べられたチキンがコングの目の前に現れた。
「これでOK?」
「おう、上手いもんだな。」
「じゃ、25ドル。」
 血や脂でねっちょりしている少年の掌の上に、コングは25ドルを乗せてやった。
「よく洗って、火、与えて、その後、食べて。生で食べると、お腹痛い。」
「わかった。」
 少年は25ドルあることを確認すると、それをズボンのポケットに捩じ込んだ。その間に、コングはマードックにチキンを渡しに行った。
「買ってくれてありがとう。俺、しばらく生きられる。」
 戻ってきたコングに、少年はもう一度、礼を言った。
「親はどうしたんだ?」
「母さん、遠くにいる。多分、いる。父さん、いない。」
「家は?」
「遠くにある。ここにはない。」
「じゃあどこで寝てんだ? 学校は?」
「その辺で寝てる。学校は、前は行ってた。」
 こりゃあ放っちゃおけねえぜ、とコングの心が警鐘を鳴らした。
「その25ドルがありゃあ、今日はもう仕事しねえでいいんだよな?」
「うん、5日くらい仕事なし。」
「そんじゃ、ここでしばらく待ってろ。風呂とベッド貸してやる。」
「ごめんなさい、俺、そういう仕事、できない。」
 どうも誤解されたようだ。因みに、コングにはそういう趣味はない、はず、多分。
「はあ? 馬鹿言うんじゃねえ。風呂入ってキレイにして、ちゃんと寝ろってこった。」
「何で?」
「お前、まだ未成年だろ?」
「うん。」
 少年は、年齢をごまかそうともせずに頷いた。
「未成年は、そうしなきゃいけねえんだ。そういう決まりなんだ。」
「決まりなのか。アメリカ、いい国だな。」
「おう。」
「じゃ、俺、そこの出っ張りに座って待ってる。」
 そこ、がどこだかわからなかったが、コングは頷いてドアを閉めた。


「いやあ、あのフライドチキン、実に美味かったですよ。」
 バンに乗り込んできたハンニバルは、笑顔でマードックにそう告げた。
「フライドチキンじゃなくて唐揚げな。オールスパイス使ってねえもん。下味、胡麻油と五香粉でつけて、衣に小麦粉とコーンスターチと卵を使った、正統派チャイニーズディッシュよ!」
 マードックは、すっかり油臭くなっている。そして、何となくギトギトしている。
「味つけや香りづけよりも何よりも、肉がぷりっぷりでジューシーで。」
 迸る肉汁を思い出し、ハンニバルがうっとりとした表情を見せる。
「俺も一口食ったけどよ、かーなーり美味かったぜ、あの肉。」
 運転席のコングが、マードックを振り返る。
「オイラもあの肉切ってて、こりゃ美味えだろうなって思ったぜ。」
「みんな食べるのに夢中で、おかげで話し合いが進まないったらありゃしませんでしたよ。」
「ってことは、ランチミーティングは失敗だったわけね。」
 青い唇をしたフェイスマンが、競泳用海パンにバスタオルという姿のまま、眉をハの字にして言う。
「そもそもランチじゃないでしょうが。」
 現在時刻、6時半。これからブレックファストの人だっている時間。まだ寝ている人だっている時間。
「でもまあ、高級ホテルのレストランで最高級の食事ができたって喜んでましたからね、みんな。」
 すっげえ騙されてるけどな。全部、揚げ物だしな。恐らく、この後、胃がもたれて眠れないぞ。
「そして、何と、フライドチキンもとい唐揚げにインスパイアされて、次回作のアクアドラゴンの敵が、油を吐く鳥類に決定しましてね。」
 それは喜んでいいものかどうか悩む微妙な決定。でもハンニバルはニッカリしている。その他の面子は、無論、渋い顔をしている。鳥類と言ってもピンキリだし、油も各種あるし、吐き方だっていろいろだ。コングが想像しているのは、重油をゲベッと吐く鷲。フェイスマンが想像しているのは、ガソリンをシャーッと吐くペンギン。マードックが想像しているのは、頭部のどこかからサラダ油をだらだら垂らしている七面鳥。それ、風邪引いた時のマードックに似てる。
「ところでさ、ここにいるコレは誰なの?」
 フェイスマンは気を取り直して、シートとシートの間の通路にじっと体育座りしている少年と、籠に入ったニワトリに目を向けた。
「鶏肉屋だ。」
 コングはそれだけ言うと、バンを発進させた。


 アジトに帰り着くなり、冷え切ったフェイスマンがバスルームに入っていったので、コングは少年を台所に連れていき、まずは手を洗わせた。ニワトリは籠ごとベランダに出しておく。それから少年を食卓に着かせ、マードックに健康的な朝食を2人分作るよう命じる。何の疑問も持たず、何の不平も言わず、冷蔵庫を開けるマードック。ハンニバルは既に寝室に引っ込んだ。
「で、お前、名前何て言うんだ?」
 牛乳を飲む少年の正面に座って、コングも牛乳のグラスを手に尋ねた。
「ジョアン・デ・アルメイダ。」
「ジョアンか。俺はB.A.バラカス。コングって呼んでくれ。」
「わかった。」
「名前からすっと、ブラジル人か?」
「うん、ブラジル。サンパウロ知ってる?」
「ああ。」
「サンパウロから海と反対の方に行ったとこに住んでた。」
「それが何でここにいるんだ?」
「学校行って、帰ってくる時、捕まって、気がついたら人が沢山働いてるとこにいて、逃げてきた。」
「何だとぉ? 詳しく話してみろ。」
 少年、ジョアンがトーストとベーコンエッグとサラダを食べながら話してくれたのは、こういうことだった。
 サンパウロ郊外で養鶏場を営んでいたジョアンの家族だったが、半年ほど前、一夜にしてニワトリが全滅。飼料が原因だと判明はしたものの、飼料に毒物が混入されていたからなのか、飼料が傷んでいたからなのかまでははっきりせず、飼料会社も責任逃れの姿勢を崩そうとしなかった。大手鶏肉生産組織に入っていなかったことと、原因が曖昧であるため保険が下りなかったことで、彼の家は苦境に立たされた。死んだニワトリの処分にも費用がかかり、新たな雛鳥を買う金銭的余裕もなく、そして心身ともに疲弊した父親ががらんとした鶏舎で首を吊った。そのことに打ちひしがれている暇もなく、姉たちは学校を辞めて働きに出た。母親も、家を守りながら内職に励み、末息子だけは教育を受けさせようと必死になっていた。だが、父親に借金があったことが発覚。それも、よからぬ組織の一部である金融業から借金をしていた。返済しないと殺されるんじゃないか、と思っていた矢先、ジョアンは拉致され、労働者としてアメリカに連れてこられた。しばらくの間は、ろくに食事も与えられずに日夜働かされていたが、運よく抜け出して、今に至る。
「よく、そんなとっから抜け出せたな。」
「うん。ドアに鍵かかってなかった。」
 ジョアンはデザートのグレープフルーツをスプーンで掬って行儀よく食べていた。コングはグレープフルーツをバリバリ剥いて食べている。
「追手は来なかったのか?」
「わかんない。」
「今まで捕まってねえってこたァ、追手は来なかったんだろうな。」
「沢山人いたから、俺1人いなくても、わかんなかったのかも。俺だけしか逃げなかったから。」
「何で他の奴らは逃げなかったんだ?」
「逃げても行くとこないから?」
「でも、お前は、行くとこなくても逃げたんだろ?」
「うん。俺、家に帰りたいから。母さんや姉ちゃんに会いたい。」
「こんなこた言いたくねえんだけどよ、お前がアメリカに連れてこられて働かされてたってこたァ、お前の母ちゃんや姉ちゃんもどっかに売られちまったんじゃねえか?」
「俺がいたとこには、いなかった。他んとこにいるんだったら、助けなきゃ。」
「そうだな。」
「でも、どうやって?」
「ま、何とかなるだろ。……ところで、あのニワトリ、どうやって手に入れたんだ? 盗んだのか?」
「盗んでない。籠ごと落ちてた。俺、それ、拾っただけ。ナイフも、落ちてたの拾った。」
 そのナイフはマードックによって洗浄され、今は台所で乾燥中。
「トラックから落ちたんだろうな。お前、ラッキーだったじゃねえか。」
「うん。俺、ニワトリの世話もニワトリバラバラにするのもできるから。父さんに習った。12いたニワトリ、もう3だけ。俺、9売った。卵も売った。」
「さすが養鶏場の息子だ。」
 既にフェイスマンはバスルームから出てきて寝室で着替えをした後、食卓で新聞を読みながらコーヒーを飲んでいたが、まだジョアンは食後のコーヒー牛乳を飲んでいたので、コングは彼をバスルームには連れていっていなかった。
 その時、電話が鳴り、フェイスマンが手を伸ばして受話器を取った。
「もしもし。ああ、イヴォンヌ、おはよ。どうしたの、こんな朝早くに。え? ショーのモデルがインフルエンザでダウン? で、代役を俺にって? あ、俺じゃないのね。」
 コングとジョアンは、フェイスマンの邪魔にならないように口を閉じていた。
「そりゃあ俺、顔広いけどさ、コンパニオンならともかく、急遽ショーに代役で立てる女の子なんて数人しか知らないよ? え、何? 子供服なの、今日のファッションショー。いくら俺でも18歳未満の子は……男の子なんて無理無理、全然知らな……くもない。」
 フェイスマンが顔をぐりっとジョアンの方に向けた。
「君、ちょっと立ってみてくれる?」
 言われて、ジョアンは素直に立ち上がった。
「身長5フィート4インチ弱。細身。手足はすらっとしてる。髪は黒くてストレート。目は黒。肌は小麦色。」
 ジョアンを見つめ、フェイスマンは彼のルックスを電話相手に伝えた。アジア系の血が混ざっているのか、華奢な骨格をしている上に、ここのところまともに栄養を摂っていなかったため、ジョアンはガリガリに痩せて、骨と皮どころか、骨すらろくにないんじゃないだろうかという状態。
「モデル経験は十中八九ない。それでいい? OK、連れてく。」
 受話器を置くと、コングに向かってフェイスマンは言った。
「コング、この子、借りる。」


 久し振りにシャワーを浴びたジョアンは、フェイスマンが一っ走り調達してきた服を着て、バンの助手席に座った。
「いいのか、本当に?」
 運転席に座ったコングが、バンのエンジンをかけながら尋ねる。
「うん。食事とシャワーと服のお礼に、俺、コングの友達、手伝う。」
「いやー、ホント済まない。イヴォンヌって子、まだ無名のデザイナーなんだけど、今晩のショーにお母さん来るらしくって。お母さん、フランスの富豪だそうだし、結構な顔ぶれが見に来るショーだそうだし、失敗できないじゃん?」
 富豪と聞いて、フェイスマンが無償で尽力していることに納得が行ったコングだった。
「俺、モデルやったことない。でも、頑張る。」
 小汚い子供だと思っていたジョアンが、シャワーを浴びて髪を整え、歯を磨いてまともな服を着ると、将来有望なハンサム予備軍で、フェイスマンの心が少しチリッとした。特に、真っ直ぐでキリリとした黒い眉が羨ましい。
「メルシー、テンプルトーン!」
 ファッションショーの控室に着くなり、金髪美人がフェイスマンに駆け寄ってきて抱きついた。美人ではあるが、目の下のクマがひどい。ファンデーションやコンシーラーで隠してはいるが、隠しきれていない。
「礼には及ばないよ。」
 カッコよくフェイスマンは言ったが、もちろん礼を期待している。富豪のお母さんからの礼を、そりゃあもう心底期待している。
「彼、ジョアンって言うんだけど、どうかな? 使えそう?」
「始めまして、マドモアゼル。ジョアンと申します。ファッションモデルは初めてなので、至らない点も多いかと思いますが、どうかよろしくお願いします。」(フランス語)
 ジョアンはイヴォンヌと握手しながら、流暢なフランス語で挨拶をした。目を点にし、ポカンと口を開けるフェイスマンおよびコング。思いがけなく母国の言葉を聞いたイヴォンヌは、ジョアンの手を握ったまま目をうるうるとさせている。
「学校で、フランス語、習った。ポルトガル語とフランス語、少し似てる。」
 大人たちを見上げて、ジョアンは言い訳をするようにそう言った。


 コングが傍にいなくても大丈夫そうなので、コングはジョアンをフェイスマンとイヴォンヌに預けて、アジトに戻ってきた。
「お帰り。」
 ハンニバルが食卓に着いていた。手には新聞とコーヒー。
「おう。ハンニバル、寝たんじゃなかったのか。」
「足りなかった睡眠を補っただけだ。足りたから起きた。あの子はどうした?」
「フェイスにスカウトされて、ファッションモデルの特訓中だ。筋がいいってベタ褒めされてたぜ。」
「……事情が掴めんが、まあいいだろう。で、お前さん、あの子をどうするつもりだ?」
「それなんだがよ、ハンニバル。」
 コングも食卓に着く。
「次の怪獣映画、油吐く鳥が敵ってなあ画期的だな。」
 ストレートには伝えず、まずはリーダーのご機嫌を取る。コングらしからぬ行動だが、長年のつき合いで、その辺は心得ている。
「お前もそう思うか。」
「絶対、話題作になるぜ。もし人手が足りねえようなら、俺も大道具として参加してみてえんだけどよ。話題作に俺の作ったもんがちょっとでも映ったら、そりゃあ自慢できるだろうからな。」
「申し出はありがたいが、その道のプロがいるんだ。それも、何人も。」
「そりゃあわかってるぜ。もし万が一、手が足りなかったら、ってことだ。」
「じゃあ、もし万が一の場合は、お前さんに頼むとしよう。」
「ありがてえ。でな、ハンニバル、まだ俺たちがぶっ潰してねえ人身売買組織があるみてえなんだ。」
 ハンニバルが笑顔になってきたので、コングは本題に入った。
「ふむ、面白い。あの子はそこから逃げてきたってわけだな。本拠地はメキシコか?」
「いや、ブラジルだ。」
「遠出になるぞ、いいのか?」
 飛行機に乗ることになるが、が省略されている。
「ああ、仕方ねえ。フェイスに睡眠薬、用意してもらうぜ。でもよ、ハンニバル、撮影の方はいいのか?」
「まだ企画段階だからな。脚本もできてなければ、スポンサーもついてない。主演俳優としてミーティングに顔を出しはしましたがね、本来なら俳優に声をかける前の段階ですわ。」
 顔を出すも何も、ミーティングの主催者、あんたでしょ。
「だから、撮影に入るまで、あと半年はかかるでしょうな。」
「それまでにゃ余裕で解決できるぜ。」
 コングがグッと拳を握り締め、ハンニバルがこっくりと頷いた。


〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 柄の悪い連中に話を聞くコング、その背後ではラテン系の子供たちがサッカーをしている。シュハスカリアで店長に話を聞くハンニバル、肉の焼けるニオイに鼻がひくひくしている。イヴォンヌのデザインした服を着て、ウォーキングの練習をしているジョアン。イヴォンヌの指示の下、ジョアンの背丈に合わせて服を微調整しているお針子さんたち。ジョアンが書いたメモに従い、ニワトリに餌をやるマードック。ショーの控室でハンニバルからの電話を受け、手帳にメモを取っているフェイスマン。
 柄の悪い男の胸倉を左手で掴み、右手の拳を振り上げているコング、その背後ではカーニバルの音楽隊が練習をしていて、ものすごくうるさい。どでかい羽根を背負ったビキニパンツ男(カーニバルのダンサー)に話を聞くハンニバル、割れた腹筋が羨ましい。ファッションショーの本番、イヴォンヌがデザインした服を着て堂々と歩くジョアン、本職の子供服モデルたちに負けていない、と言うか、余裕で勝ってる。舞台裾でてきぱきと指示を出しているイヴォンヌ。紙袋を沢山積んだコルベットを走らせているフェイスマン、お買い物帰りに見えるが、袋の中は武器弾薬類。中規模飛行場のフェンスの外から飛行機を眺めるマードック、手には地図帳と地球の歩き方。
 窓に板が打ちつけてある建物の前にバンを停め、1人で乗り込んでいくコング、数人をボカスカした後、大勢の女子供を建物から脱出させる。胡散臭い建物の前にタクシーで乗りつけたハンニバル、1人で乗りこんでいき、いかにもヒモっぽい男をワンパンで倒した後、小麦色の肌の胸尻ぷりっぷりの女性たちを建物から脱出させる。ファッションショーが終わり、拍手を受けて笑顔を見せるジョアン、真っ白な歯にライトが当たってキラリと光る。どう見ても富豪な装いの年配のご婦人とハグをしているイヴォンヌ。飛行場のオフィスで、書類を机に投げつけ、すごい剣幕で捲し立てるフェイスマン。たじたじとしているオフィサー。戸口のところでは、パイロットの装いのマードックが黙って待機。その手に握られている麻紐の先には、縫いぐるみの雌鶏が1羽。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉


「どうもありがとう、すごく助かった、ってテンプルトンに伝えて。」
 ファッションショー会場の地下駐車場で、バンの脇に立つイヴォンヌが運転席のコングに言った。
「おう、伝えとくぜ。」
 それからイヴォンヌは助手席側に回って、開いた窓に頭を突っ込み、ジョアンの頬にキスをした。
「ありがとう、ジョアン。本物のモデルみたいだったわ。」(フランス語)
「どういたしまして。いい経験ができました。」(フランス語)
「また、あたしのショーに出てくれる?」(フランス語)
「機会があれば、是非声をかけて下さい、僕なんかで構わなければ。……あ、でも、僕、ブラジルに帰るかもしれません。」(フランス語)
「そうなの? ちょっと交通費がかかっちゃうわね。まあ、有名なモデルは世界中を飛び回ってるものだから、仕方ないか。ショーのスケジュールが決まったら連絡するわ。テンプルトンを経由すればいい?」(フランス語)
「はい、そうして下さい。」(フランス語)
「それじゃ、また。ウォーキングのコツ、忘れないでね。」(フランス語)
 イヴォンヌはジョアンの頭を撫でると、ヨタヨタとエレベーターの方に向かっていった。
「ファッションショー、上手く行ったようだな。」
「うん、俺、上手くできた。楽しかった。」
 未だにショーの興奮が残っているようで、ジョアンが笑顔で足をバタつかせる。その子供っぽい仕草に表情を緩ませ、コングはアジトに向けてバンを発進させた。


「どうもありがとう、すごく助かった、ってテンプルトンに伝えて、って言われたぜ。」
 アジトに帰り着き、受話器に手をかけた姿勢のフェイスマンに、コングはイヴォンヌの言葉をそのまま伝えた。
「他に何か言ってた?」
 お礼のこととか、お礼のこととか。それ以外のことは、どうでもいい。
「ジョアンとはフランス語で喋ってたけど、俺には何も。」
「イヴォンヌ、また、俺、ショーに出ろって。ショーのカロンドリエ、えっと、オラリオじゃなくて、スケジュール? 決まったら、テンプルトンに連絡するって。」
 ベランダに続く窓を開けて、ニワトリの様子を見ようとしていたジョアンが、振り返って伝える。
「了解。」
「イヴォンヌもママンも、モデルの俺、気に入ってくれた。」
「ええっ? イヴォンヌのお母さんに会ったの?」
「うん、会った。フランスに来いって。」
「俺が?」
「違う、俺が。イヴォンヌ、アメリカにいるから、ママン、寂しいって。だから、俺、フランスに来いって。」
「そんなら、俺、行くのに。」
「でも、言われたの、俺。でも、ごめんなさいした。ブラジルで俺の母さん、寂しいから。俺、ブラジル帰るから。」
「帰るのは、すぐ帰れるよ。ブラジルまで飛べる飛行機、確保したし。」
「俺、すぐ帰れる?」
「それなんだがよ、ジョアン。」
 コングが食卓に着き、フェイスマンも座る。ハンニバルも姿を現して席に着いた。そして、パイロット姿のままのマードック(with 雌鶏の縫いぐるみ)が、食卓に温野菜のサラダを置く。今回、彼、料理してばっかりだ。
「待って。食事なら手を洗う。」
 話しながらもニワトリの健康状態をチェックしていたジョアンは、籠を閉め、窓も閉め、コングの話を中断させると、バスルームに手を洗いに行った。ジョアンが戻ってきて席に着いた時には、コングによってサラダが銘々に取り分けらていた。ハンニバルの前には缶ビール、フェイスマンの前にはグラスワイン、コングとジョアンの前には牛乳。マードックが座る場所、なし。
「ほい、お待ち〜。」
 マードックが空になったサラダボウルをキッチンカウンターに下げ、ハンニバルとフェイスマンの前に2人前のパエリアを置き、コングとジョアンの前に3人前はあろうかというオムライスを置く。
「モンキー、お前のメシは? どこで食うんだ?」
「オイラ、さっきっからずっと台所で残りモン食ってたからいいわ。」
 そう言うマードックの息は、油臭かった。
 ハンニバルとフェイスマンは既に食事を始めていた。コングも、オムライスをジョアンに取り分けてやってから、食べ始めた。大人たちが食べ始めるのを待ってから、ジョアンもサラダを食べ始めた。
「で、ジョアン、お前が言ってた場所行って、働かされてた奴らみんな解放して、一番話通じる奴とあと何人かを領事館に連れてってやったぜ。」
「ありがとう。コング、警察の人?」
「いんや、違う。警察じゃねえ。そういうことすんのに慣れてるってだけだ。同じようなとこ5ヶ所ほど行って解放してきたけど、お前のこと知ってる奴ァいなかった。」
「母さんも姉ちゃんもいなかったって意味か。」
「そうだ。」
「こっちは、ブラジルのキレイなお姉さんたちを自由にしてやって、領事館に行くように言っておいたが、君のことを知っている人はいなかった。」
 ハンニバルもジョアンに報告する。今頃、ブラジル領事館、てんやわんやだな。
「ありがとう、おじさん。」
 そう言えば、ハンニバル、ジョアンに自己紹介してない。
「しかし、この界隈にはいなかったっていうだけだからな。」
「そうなんだよな。それに、まだ地下組織みてえなのがあるかもしんねえし。」
「母さんと姉ちゃん、家で無事かも。連れてかれたの、俺だけかも。」
「そう思って、今、サンパウロの知り合いに調べてもらってる。半年くらい前に潰れた養鶏場って言ったら、噂で聞いたことあるから、直接行って見てくるって言ってたよ。あっちはもう深夜だし、結果がわかるのは明日になってからだね。」
「ありがとう、テンプルトン。」
「フェイスって呼んでくれないかな。」
「わかった。」
「エンジェルには話してないのか?」
「もう連絡済み。サンパウロの記者仲間に当たってみるって。」
「見返りは?」
「何か流行のアクセサリーでも盗ってくるよ。で、さっき言ったように、ブラジルまで飛べる飛行機はキープしてある。フライトプランなしで行ける。正規の旅客機じゃないから、着陸はモンキー任せだけどね。」
「それで十分。ドンパチの準備と睡眠薬は?」
「ああ、睡眠薬がまだだ。何か忘れてると思ってたんだ。」
「睡眠薬? 眠れない人いるの?」
 怪訝そうにジョアンが尋ねた。ドンパチの方は、英語が理解できなかったようだ。
「そのうちわかるぜ。」
 コングがそう言い、溜息をついた。


 今回のアジトは、家具家電つきマンスリーマンションのファミリータイプ。家を建て直す時などに利用されている。グループ旅行者に利用されることもある。Aチームがちゃんと契約して使っていることもある。ただし、契約時にスタッフの女性に甘言を使って前金なしにさせ、その後も賃貸料は払わない予定。因みにペット不可だが、ニワトリはペットではなく食料なので問題なし。
 それはそれ、ファミリータイプなので、主寝室にベッド2床、他の2部屋にもベッドが1床ずつあり、珍しくコングもベッドで寝られていた。そこに、マードックが来て、ジョアンも来て、どうなるかと言うと、やっぱりコングがソファで寝るのであった。
 朝。コングとジョアンがまず起床し、牛乳を飲んでから2人でジョギングに出かける。帰ってきて筋トレの後、ジョアンはニワトリの世話をし(産み立ての卵3個は台所へ)、コングは掃除。その頃にはマードックが起きてきて朝食の準備を開始。バスルームに直行したフェイスマンが身支度をして出てきて、それからハンニバルが起床。全員揃って食事しながら本日の打ち合わせ。ハンニバルは意識していなかったが、Aチーム、しばしば食中ミーティングをしているのである。
 現在、連絡待ちの状態なので、特に何もすることはないが、フェイスマンは電話番、ハンニバルとコングは念のため再度聞き込みに。さらにコングは、マードックに頼まれて食料品の買い出しに。マードックは、朝食の片づけの後、洗濯をし、昼食の準備。ジョアンは、新聞とテレビのニュースで英語の勉強。わからないことはフェイスマンかマードックに質問。
 とりあえずの行動が決定し、朝食も食べ終わったので、決定事項に従って各人が行動を開始したのであった。


〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 食器を洗うマードック。食卓で難しい顔をして新聞を読んでいるジョアン。電話の方を気にしながら家計簿をつけているフェイスマン。スーパーマーケットでメモを片手にカートを押しているコング。散歩しながら時々お喋りをしているだけのように見えるけど聞き込みをしているハンニバル。
 新聞社のオフィスで、げれげれと出続けるファクシミリのロール紙を、眉間に皺を寄せて見つめるエンジェル。朽ち始めている鶏舎の脇に建つ家の前に車を停める、黒髪美人のお姉さん。避難所のような状態になっている領事館でわたわたしている職員たち。
 ベランダで放し飼いになっているニワトリを踏まないように洗濯物を干すマードック。わからなかった単語の意味をフェイスマンに尋ねるジョアン。わからなかった単語の意味をジョアンに簡単な言葉で説明しようと四苦八苦しているフェイスマン。左手に食料品の詰まった紙袋を持ったまま、右手だけでチンピラを捩じ伏せるコング。豆屋の店長に話を聞きに行ったり、コーヒー豆屋の店長に話を聞きに行ったり、キャッサバ屋の店長に話を聞きに行ったりした後、腕時計を見て時刻を確認し、再度シュハスカリアの店長に話を聞きに行き、ついでに早めのランチをご馳走になるハンニバル。それが目的だったか。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉


 ピンポピンポピンポとドアチャイムが連打され、腰を上げたフェイスマンはドアの外を確認せずに鍵を開けた。その途端、「来たわよ!」という声と共にドアがドムッと開かれ、エンジェルがのしのしと入ってきた。ボフンとソファに腰を下ろし、フェイスマンに巻物を差し出す。
「はい、これ。あ、ちょっとモンキー、コーヒーちょうだい、アイスで。」
 キッチンカウンターの向こうで昼食の準備をしていたマードックが、何も考えていない目で冷凍庫から氷を出し、朝食の残りのコーヒーにぶち込む。台所から出てきたマードックにコーヒーサーバごとアイスコーヒーを渡されたエンジェルは、躊躇いもなくそれに口をつけて飲んだ。それを見てジョアンは驚いたようだったが、ジョアン以外は驚かない。だってエンジェルだもの。
 ファクシミリのロール紙(印字済み)の長〜いのが丸まった状態のやつを受け取ったフェイスマンは、どれどれ、と開いた最初の部分がファクシミリの最後だとわかり、苦笑しながら紙を巻き直していった。
「それ送ってくれたの、新聞記者仲間の会合でたまたま会った人なんだけど、あたしに一目惚れしちゃって。ちょくちょく電話かかってきて、面倒臭いわねえって思ってたのよ。でも、使い道があってよかったわ。それにしても、これ、張り切りすぎよね。いくら通信費が新聞社持ちだからって、半分くらいに纏められなかったのかしら? それに、ほとんどが英語じゃないし。それ、何語? ヘニョがやたら多いの。」
 ヘニョ、それは即ちチルダ。
「ポルトガル語。ブラジルからのファクシミリなんだから。そのくらい、わかろうよ?」
「言われてみれば、そうね。全然読めないんで、考えるのも放棄したわ。読めたのは、最初の1行だけ。」
 エンジェルが言う通り、最初の1行は英語だった。「お尋ねの件について、以下に記します。」……一目惚れした相手に送るメッセージじゃないな。
「ジョアン、これ読める?」
 巻き直された紙を受け取り、ジョアンは真剣な顔で、それを英語に訳していった。
「ブラジルで、大きな会社と悪い人のグループが仲良しになっているのが、いくつもわかってきています。大きな会社は、邪魔な会社をなくすために、悪い人のグループにお金を払います。悪い人のグループは、邪魔な会社の邪魔をして、人々を苦しめます。人を捕まえて無理に働かせたり、捕まえた人を他の悪い人のグループに売る時もあります。警察も、そのことはわかっています。でも、警察も悪い人のグループは恐いし、悪い人からお金を貰っていて、警察も悪い人の仲間になっています。軍隊も少しそうです。雑誌の人や新聞書く人が本当のことを調べて、時々いなくなります。」
 ジョアンの拙い英語では絵本の話のようだが、内容は深刻。
「情報掴んだジャーナリストが消されてるってこと?」
「うん、そういうこと。」
「じゃあ、この記者さんも?」
「これ書いてる時は生きてたと思う。」
「そりゃそうだね。」
「続き、読む。でも、生きている書く人が集まって、わかったことを合わせました。悪い人のグループと仲良しになっているのは、次の会社です。で、会社が沢山書いてある。……あ、ニワトリのお肉の会社だ。ニワトリのゴハンの会社も。」
 リストの中に知っている会社があって、ジョアンはそれを指で示した。それからジョアンは、はっと気づいたように、延々と続くリストを見ていった。
「これ、悪い人のグループの名前。で、これずっと、そのグループと仲良しの会社。これ、うちの近くの、ニワトリのお肉の大きい会社。父さん、この会社の仲間になるの、ごめんなさいした。こっち、ニワトリのゴハンの会社。うち、この会社から、ニワトリのゴハン買ってた。それ食べて、うちのニワトリ全部死んだ。でも、ニワトリのゴハンの会社、父さんがゴハンをダメにしたからって言った。こっちの会社、父さんがお金借りたとこ。お金借りた会社、悪い人の仲間なのは知ってた。父さん死んで、お金借りてるのわかった後、上の姉ちゃんが調べたから。」
「金融会社だけじゃなくて、養鶏会社? 鶏肉会社? も飼料会社もグルだったってわけか。」
「うちのニワトリ、美味しかったから、沢山売れてた。大きい会社の仲間になると、ニワトリ、美味しくなくなるから、父さん、ごめんなさいした。だから、ニワトリ死んで、父さん死んで、俺、ここにいる。」
「これ……ちょっと放っとけない事態よね。って言うか、このリスト、かなりヤバい代物じゃない? 真偽はわからないけど、すごい数の企業がリストアップされてる……ってことでいいのかしら?」
 そこに書いてある1行が1社だと思われるものの、エンジェルにもフェイスマンにもよくわからない。
「うん。これ、全部、会社の名前。ここからここまで、この悪い人のグループの仲間。ここからここまでは、こっちの悪い人のグループの仲間。この後ろも、ずっと同じ。」
 そんなリストが、ぐるぐる巻きのロール紙にちまちまと印字されている。
「こんなのをファクシミリでアメリカに送ったって知られたら、この人、多分、消されるね。もう消されてるのかな?」
「あたしが受け取ったってわかったら、あたしも消されるわ。」
「警察も軍もアテにならないらしいし、どうしたらいいんだろ?」
「ともかく電話借りるわ。彼の安否、確かめないと。」
 電話に駆け寄ろうとするエンジェルを、フェイスマンが止める。
「悪い、今、電話待ちしてるとこなんだ。長距離だし、新聞社に戻って電話したら?」
「でも、人が1人、殺されるかもしれないのよ?」
「これだけの情報を集めた人数のジャーナリストが生き残ってるんだ、すぐに狙われるとは限らないよ。それにこっちは、もう既に1人犠牲者が出てて、あと数人、生きてるかどうかの確認を取ってるとこ。その連絡を待ってる。」
 真面目な顔でフェイスマンに言われては、エンジェルも無理は言えない。
「わかったわ。あたし、新聞社に戻ってる。」
 空になったコーヒーサーバを食卓に置くと、エンジェルは「あたしが消されたらあんたのせいだからね」と言い残して、小走りで出ていった。
「あの人、誰?」
 今更ながら、ジョアンがフェイスマンに尋ねた。
「新聞記者。情報屋みたいなもん。」
 そう答えて、フェイスマンはドアに鍵をかけに行った。


 ハンニバル(シュハスコ食べて満腹)からは、アジトに戻らずに聞き込みを続けると電話連絡があった。電話口でフェイスマンが事態をざっと報告。リーダーよりいくつか指示を受ける。
 コングが一旦帰宅して、昼食タイム。遅めの昼食を食べながら報告会。と言っても、マードックが報告することは、エンジェルのせいでコーヒーサーバにヒビが入った、くらいしかないが。新しいサーバを買ってくるのが、午後のコングの仕事の1つ。
「俺とコング、タイピングどっちが速いかな?」
 サンドイッチを手に、フェイスマンが尋ねた。
「てめえだろ?」
「だよね。」
 トホホな感じで薄く笑うフェイスマン。
「バンからタイプライター下ろしてきてくれる?」
「おう、メシ食ったらな。」
「なあ、オイラ、いつんなったら飛行機飛ばせんだ?」
 パイロット姿のままのマードックが、ジョアンにバナナシェイクを、コングにアボカドシェイクを、フェイスマンにりんご汁を出し、自分はルートビアを飲みつつピーナツバターのサンドイッチを食べる。
「明日、かな? まだわかんない。」
「コックさん、飛行機飛ばせるの?」
 ジョアンがマードックに向かって尋ねた。
「俺っち、コックさんじゃねって。このカッコ見てわかんねっかな?」
「パイロットに見える。でも、ゴハン作ってる。」
「コングちゃんやフェイスやハンニバルがゴハン作ると思う?」
「思わない。」
「そう、だからパイロットの俺がゴハン作ってんの。」
「わかった。じゃあ、これから俺、ゴハン作るのと片づけるの手伝う。」
「あんがと。」
「ああ、でもジョアン、食事終わったら仕事があるんだ。君にしかできないのがね。」
 フェイスマンがそう言い、ジョアンは不思議そうな顔をし、マードックは口を尖らせた。


 食後、コングはバンの後部からタイプライターを持ってきた。台所ではマードックが怪しいポルトガル語の歌を歌いながら片づけをしている。食卓に残ったフェイスマンとジョアンは、エンジェルが残していった巻物を協力し合って英訳し、それをフェイスマンがタイプする。
 フェイスマンの腰が痛くなってきた時、電話が鳴った。嬉々として立ち上がり、受話器を取る。
「もしもし。ああ、サンドラ? 待ってたんだ、君からの電話を。」
 言うまでもないが、サンパウロ在住のサンドラは、各国に散らばるフェイスマンのガールフレンドの1人である。どこでどうやって出会ったかは、サンドラしか覚えていない。フェイスマンが覚えているわけがない。
「うん、それで? 結構遠くて、うん、ごめんね。道に迷っちゃって、ああ、そりゃあ大変だったね。大きな養鶏場が壊れてて恐かった? そっか。で? その横の家、ちょっと壊れてた? 人は? いた! 50歳くらいの女の人がいて、トイレ借りた? そりゃあいい手だ。あ、ホントにトイレ行きたかったのね。それで? 話をして、って、どんな話? 家族のこと。うん、ふんふん。あー、そうなんだ。ジョアンのこと話した? うん、ここにいるよ。で? ああ、そっか、よかった、喜んでたか。すぐに帰すから。他には? うん、わかった、ご苦労さま。でさ、この件、そっちの犯罪組織が絡んでるから、くれぐれも命には気をつけて。そう、ホント。俺、嘘言わないだろ? うん、毎日、君のこと考えてる。君に会えなくて辛いよ。愛してる、心から。じゃあまた。ありがとね。」
 受話器を置いて、フェイスマンはジョアンの方を振り返った。
「お母さん、家にいるって。」
「よかった!」
 ジョアンはポルトガル語で神への感謝の言葉を呟いた。
「姉ちゃんは?」
「いなかった。お母さんの話によると、君が帰ってこなかったのと同じ日から帰ってきてないって。」
「姉ちゃん2人とも?」
「2人とも。で、君がアメリカにいて、無事で、近いうち帰るってことをお母さんに伝えてもらった。泣いて喜んでたって。」
「早く帰りたい。早く母さんに会いたい。でも、姉ちゃん探して助けなきゃ。」
「お姉さん、年いくつ?」
 フェイスマンは、彼にとって非常に重要なことを訊いた。今の今まで、訊こうと思い続けてきたことだ。
「ええと、19と22。」
 よし、とフェイスマンは心の中で呟いた。
「美人?」
「うん。俺、美人姉妹の弟って呼ばれてた。姉ちゃん、顔も頭も体もいい。」
「体? スタイルいいってこと?」
「それ。」
 頭の中で、ファンファーレが鳴った。美人で若くてスタイルもいいなんて、何たるビバ! それも、若いブラジル人女性は往々にして美人でスタイルがいいのだから、その中でも特筆して美人でスタイルがいいとなると、それはもうビバすぎる。
「それじゃあ早く助けないと。」
「うん。」
 俄然やる気が湧いてきて、フェイスマンは鼻息荒く、タイピングの作業に戻った。


〈Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。〉
 新聞社で受話器を手に、ほっと胸を撫で下ろすエンジェル、はっと思い出して受話器を持ったまま物陰に身を隠す。家中の電気を消して、キッチンの隅で包丁を握り締めてしゃがみ込んでいる黒髪美人のお姉さん、ちょっとした物音にびくびくしている。
 タイプし終わった紙を纏めて袋に入れ、外出するフェイスマン。ロール紙を再度読み込んでいるジョアン。新品のコーヒーサーバを洗っているマードック。タイプライターに向かい、これまでわかったことをタイプしているコング。何だか偉そうな場所で偉そうな制服を着て電話をし、ニヤリとするハンニバル。
 袋貼りの内職に疲れ、腰を伸ばすジョアンの母。ゴージャスだけど趣味の悪い部屋でふんぞり返っている、いかにも悪人面の男の両脇で、忙しそうに帳簿をつけたり電話を受けて指示を出したりしている美人姉妹(スタイルもよし)。
 郵便局に沢山の封筒を持ち込むフェイスマン。タイプしたものをハンニバルに見せるコング。コングと席を替わり、タイプライターに向かうハンニバル、フェイスマンよりタイピングが速くて正確。リーダーが隠れた特技を披露しているのも知らずに風呂掃除をしているマードック。洗濯物を取り込んで畳むジョアン、長いこと着続けていた服が清潔になって嬉しいが、ズボンのポケットから25ドルだったはずのパルプの塊が出てきて愕然とする。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉


「ただいまー。アレのコピー、ブラジル領事館と大使館と、ブラジルのアメリカ大使館と領事館と、各国各地の新聞社とテレビ局と、CIAとペンタゴンとICPOに送ってきたよ、速達で。あと、アメリカとブラジルの大統領官邸にも。それから、これ、例のやつ。」
 と、帰ってきたフェイスマンが、ハンニバルに睡眠薬のアンプルと注射器を渡す。
「うむ、ご苦労。話はコングから聞いた。こっちが掴んだのは、これだ。」
 ハンニバルがキレイにタイプされた紙を見せる。そこには、ブラジル犯罪組織の本拠地の住所と電話番号と代表者名がずらずらとリストアップされていた。それぞれの組織の支部や、アメリカ国内での勢力圏まで。
「うっわ、よくこんなのわかったね。これも一緒に送ればよかった。」
「ちょっと遅かったな。この辺は、インテリジェンス・コミュニティの下っ端ばかりでいけませんわ。」
「情報収集って言ったら、やっぱ東海岸に限るよねえ。」
「その通り。さてと、種も撒いたことだし、現地に乗り込みますか。」
「ひゃっほ〜!」
 リーダーの言葉をキッチンカウンター越しに聞いたマードックが、一声叫んだ後、夕食の準備をしていた手を止めて、ティコ・ティコを歌いながらカルメン・ミランダ風に踊り始めた。食卓でジョアンに英語を教えていたコングは、一瞬「やってやるぜ」という顔を見せたが、飛行機に乗らなければならないことを思い出し、すぐに表情を曇らせた。英語を教えてもらっていたジョアンは、新聞の文面に集中していたが、マードックの叫びに顔を上げ、何が起きるのかと期待に満ちた表情を見せた。


〈Aチームのテーマ曲、再び始まる。〉
 操縦席に座って、やる気満々なマードック、パイロットの服はもう着ていない(いつもの革ジャンとキャップ)。コ・パイ席には、麻紐つきの雌鶏の縫いぐるみ。アイドリング中の飛行機に乗り込み、シートベルトを締めるジョアン。席に着き、腕を出すコング。ハンニバルがコングの腕に睡眠薬を注入。カウントダウンをするフェイスマン。ゼロになった途端にガクリと寝るコング。ああ、と頷くジョアン。彼の横には籠に入ったニワトリ3羽。飛び立つ飛行機。
 画面が12分割され、地方色豊かな新聞社各社や領事館、大使館、その他のデスクおよび働く人々が映る。そこに、フェイスマンが送った封筒が到着。開封し、中を見て、それぞれに驚きを表す。早急に指示が出され、人々が大急ぎでそれぞれの指示に従う。
 画面が2分割になり、片側では、合衆国大統領が例のコピーを手に、どうしたもんかねえ、という表情をしている。もう一方の画面では、ブラジル大統領が例のコピーを手に、こりゃマジか、という表情をして、慌てて副官に指示を出す。合衆国大統領が電話をかける。ブラジル大統領が電話を取る。合衆国大統領はコピーの上でペンをコツコツしながら話している。ブラジル大統領は立ち上がって何か訴えるように話している。
 画面が9分割され、それぞれの画面で、強制的に働かされている不法労働者が次々と解放されていく。また、それぞれの画面ではレポーターが解説をしており、新聞記者も画面に映り込んでいる。
 機内に戻って。白目剥いて眠るコングと、その上で落ち着いているニワトリ3羽。今まで掴んだ情報をおさらいして、今後の作戦を練っているハンニバルとフェイスマン。ジョアンはコクピットでマードックに操縦方法を教わっている。
〈Aチームのテーマ曲、再び終わる。〉


「やっぱ長距離ん時はオートパイロット欲しいぜ。12時間以上のフライトなんて、この俺っちでも厭きちまわあ。」
「ちょっとモンキー、操縦しろよ、操縦。」
 伸びをしながら客室に出てきたマードック(with 雌鶏の縫いぐるみ)を見て、フェイスマンが慌ててコクピットを指差した。この機はオートパイロット搭載機種ではないので。
「だいじょぶだいじょぶ、ジョアンが操縦してっから。」
「ジョアンが?」
「いやー、ジョアン、飲み込み速いわ。ちょっと教えただけで、こうだぜ。」
 マードックがコクピットの方を顎で示す。
「ああ、ジョアンが飲み込み速いのは知ってる。モデルのウォーキングも、1回お手本見ただけでできるようになってたし。その後も真面目に練習して、お手本のウォーキング見せてくれた子を超えてた。ウォーキングの才能があったのかな、ってその時は思ったけど、それだけじゃないみたいだね。フランス語もペラペラだし。」
「英語だって、習ったことなかったらしいぜ。」
「はー、それであれだけ喋れるって、頭いいって言うか吸収速いって言うか。」
「そんだけじゃなくって、何てえか、ラッキーなんだよな、ジョアン。離陸した時、天気あんまよくなかったろ。雲どんよりして、風もやな感じで。なのに、ジョアンが操縦桿握った途端、雲が晴れて風も治まってさ。」
「それ、俺も感じた。天が味方してるみたいな。実際、この俺がノーギャラで協力しちゃってるし。まあ、イヴォンヌの件で力貸してもらったからなんだけど。」
「Aチームにスカウトしますか、そんなラッキーボーイだったら。」
 マードックとフェイスマンの話を聞いて、ハンニバルが口を挟む。
「でも、ジョアンには真っ当な世界で有名になってもらいたいな。」
 しみじみとフェイスマンが言う。子供は好きじゃないフェイスマンだが、ジョアンには情が湧いてきてしまっている。
「けどよ、ホントにラッキーボーイなんだったら、親父さんも養鶏場のニワトリも生きてたんじゃね? 犯罪組織にも誘拐されなかっただろうし。」
「それ、ジョアンのお父さんがアンラッキーな人だったんじゃないかな? ジョアンに運、全部取られたんだよ、きっと。」
「そりゃ親父さん、辛いわー。オイラの運だけは取んねえでほしいな。」
「俺だって取られたくないよ。」
「モンキー! 操縦代わって。俺、もう眠い。」
「あいよー。」
 ジョアンに呼ばれて、マードックはコクピットに戻っていった。


 サンパウロは大きな都市だが、その郊外には緑地も多く、約12時間のフライトを終えたAチーム一行が着陸するのに大して不便はなかった。と言っても、これから乗り込む予定の犯罪組織、ポーチ・マジストラードの本部にほど近く、それでいて飛行機が着陸しても人目につかず、だがしかし車通りがないわけではない場所に着陸せねばならないため、着陸場所が決定するまでに数分間揉めたのだが。結局は地図を開いたリーダーが「ここ!」と決めた。
 道路に出て車を確保しようと試みるフェイスマン。その間に、ハンニバルがコングに気つけ薬を嗅がせて起こし、ジョアンはニワトリを籠に詰める。マードックは飛行機のすべてのスイッチをオフにし、縫いぐるみの雌鶏を抱えて立ち上がった。
 ヒッチハイクを装ったフェイスマンが車を停め、ドライバーを脅して車を奪い、飛行機のところに戻った時には、既に武器弾薬は下ろされており、それぞれが思い思いの場所(箱、岩、地面の出っ張り)に座って寛いでいた。
「遅かったな。」
 オートライフルを肩にかけたハンニバルが立ち上がって車に歩み寄る。
「これでも1台目の車なんだぜ。」
 思いの外、交通量が少なかったようだ。因みに、現在時刻は朝10時、と車内の時計が示している。それを信じて、ハンニバルとフェイスマンは腕時計を現地時刻に合わせた。
 そして、はたと気づく。5人とニワトリと武器弾薬は、1台のセダンには乗りきれない。そこで、この車にフェイスマンとマードックと通訳としてジョアンが乗り、もう1台、車を拝借しに行くことに決定。ついでに食料も調達。ドル札とミョン札しかないけど、フェイスマンがいるんだから何とかなるでしょう。


〈Aチームのテーマ曲、始まらなくていいのに三たび始まる。〉
 威勢のいい音楽が流れる中、たらたらと走っていくセダン。双眼鏡で前方を凝視していたマードックが合図を出した。車を路肩に寄せる。フェイスマンが車道に立ち、対向車線をやって来た車を停める。路肩の車を指差して、何事か必死で訴えるフェイスマン、車に乗っていたおばさんに車外に出てもらい、代わりに自分が乗り込む。そして、すいーっと発車。路肩の車に乗っていたマードック(後部座席にジョアン)もその車の後を追う。
 少し落ち着いた音楽が流れる中、屋台で食べ物と飲み物を注文するジョアン。支払いは、盗んだ車に置いてあった財布から。買ったものを次々と車に積み込む。
 やたらと盛り上がる音楽の中、そこそこのスピードで戻ってきた車から、フェイスマン、マードック、ジョアンが飲み物と食べ物を手に駆け降りてきて、ハンニバルとコングにそれらを配る。ガッと包みを開くコング。出てきたのは、ハムっぽいものと野菜がたっぷり挟まったサンドイッチ。ニマリと笑い、大口を開けてかぶりつき、搾り立てのジュースで流し込み、ビッと親指を立てる。ハンニバルも包みを開く。その中には、掌サイズの揚げ物(パステウ)が。かぶりつくと、パリッと揚がった生地の中から、挽肉とチーズが出てきた。チーズはまだとろとろとしている。プシッと開けた缶ビールをぐびぐびっと飲み、笑顔で大きく頷く。フェイスマンが食べているのは、干し鱈のパステウ。こちらは大きめのサイズで、1つだけでだいぶ満腹になりそうな上、しょっぱくてビールが進む。マードックが食べているのは、海の幸がこれでもかと入った焼きそば。羨ましそうに見ているフェイスマンの口にホタテを突っ込んでやる。ジョアンがカップから食べているのはフェイジョアーダ。横にキャッサバチップスとポンデケイジョも置いてある。飲み物はレモネード。ニワトリの籠の上には、各種のフルーツがてんこ盛り。
 包み紙がどんどんと山を作っていく。その上に、果物の皮も次々に積み重なっていく。
〈Aチームのテーマ曲、三たび終わる。〉


 腹一杯になったAチーム一行は、2台の車に分乗して、犯罪組織ポーチ・マジストラードの本部に向かっていた。先を行く車には、ハンニバルとコングおよび武器弾薬、後続の車には、フェイスマンとマードックとジョアンおよびニワトリ&雌鶏の縫いぐるみ。絶対、前の車、重量オーバー。
「ジョアン、これから俺たち、犯罪組織と戦いに行くんだけど、君、どうする?」
 助手席から後部座席を振り返ってフェイスマンが尋ねた。
「俺がいたら邪魔ですよね。安全な場所から見てます。」
 英語が上達したジョアンは、ニワトリの籠に肘を乗せて、物わかりよくそう言った。
「そうしてくれると助かる。邪魔にはならないと思うけど、危ないからね。」
 銃の扱い方やその他諸々を教えたら、そこそこ上手く戦えるんだろうなあ、と思いながら、フェイスマンは前を向いた。
「あれ? 何だ何だ?」
 前方が通行止めになっていた。目的地はその向こうにあるのに。ハンニバルとコングの乗った車がバリケードの前で停車したので、フェイスマンたちの車も停車した。バリケードの前にいるのは、警察官ではなく、民間の警備員だった。従って、盗難車に乗っていても大丈夫。
「通行止めです、戻って下さい。」(ポルトガル語)
「一体何なんでい? この先に用があるってのに。」
 コングが窓を開け、通じるとは思わなかったが、英語で訊いた。
「アメリカの方ですか?」
 警備員が背を屈め、小声で尋ねてきた。それも、英語で。
「おう。」
「この先、ちょっと物騒なことが起きておりまして、申し訳ありませんがUターンをお願いします。」
 コングにそう言うと、警備員は何事もなかったかのように、他の車にポルトガル語で呼びかけ始めた。
「怪しいな。」
 助手席のハンニバルが真面目な顔で言う。
「歩きで行ってみっか。」
 コングは素直にUターンしたと見せかけ、少し離れた場所で路肩に車を停めた。フェイスマン他2名の車もそれに倣う。コングとマードックおよびジョアンを車に残し、ハンニバルとフェイスマンが裏道を通って目的の場所に近づくと……。
 そこは、テレビ局のカメラや新聞社のカメラ、報道レポーターに新聞記者、その他とにかく報道関係者でごった返していた。上空ではテレビ局や新聞社のヘリが何機も飛び回っていて、今にもぶつかりそうだ。彼らが見守っているのは、一部の人間しか知らないはずの、犯罪組織ポーチ・マジストラードの本部。一見、何の変哲もないオフィスビル。その前には何台もの車が横づけに停められている。報道レポーターたちがそれぞれの局のカメラに向かって何か喋っているが、ポルトガル語なのでハンニバルとフェイスマンには理解できない。
「何が起こってるんだ?」
「わかんないよ、全然。ジョアン呼んでくる。」
 その場にハンニバルを残して、フェイスマンが駆け戻り、ジョアンを連れてきた。
「ジョアン、何が起こってるかわかるか?」
 まるで祭のような騒がしい状況の中で、ジョアンはキョロキョロとしてから口を開いた。
「ブラジル最大の犯罪組織に国際刑事警察機構が乗り込んだ、って言ってます。警護にはブラジル軍とアメリカ軍が共同で当たって。」
「インターポールって、そんなことまでするの?」
 ジョアンの言葉を聞いて、フェイスマンが誰にともなく訊く。
「米軍まで派遣されましたか。」
 ハンニバルも、まさかここまで大事になるとは思っていなかった。それも、こんな早急に。
「既に犯罪組織と繋がりのある警察官が多数拘束されていて、我が国の警察は当てにはならない状態です、って。大統領からも、我が国の犯罪組織を壊滅させることを第一に考えない限り、国民に平和な暮らしは望めず、我が国だけでなく他の国々にも多大な損害を与えてしまう、と声明が出ている、って。」
 と、その時、わっと声が上がり、ビルの正面玄関から悪人面の男がトレンチコート軍団に囲まれて姿を現した。そして、その後ろから出てきたのは、高々と帳簿やファイルを掲げる2人の美人女性(スタイルもよし)。
「あ、姉ちゃん!」
「へ?」
「何ですと?」
 ジョアンの声に、声を引っ繰り返すハンニバル&フェイスマン。
「あの2人、俺の姉ちゃん! 生きてたんだ! よかった!」
 2人の姉に駆け寄りたかったが、ジョアンはぐっと堪えてハンニバルとフェイスマンの陰に身を隠し、カメラやマイクを向けられる姉たちの姿を見守っていた。今、姉たちの前に姿を現したら邪魔になるだろう、と考えて。
「私たちは、ポーチ・マジストラードに狙われ、父を失い、弟も攫われ、私たち自身も誘拐され殺されるところでしたが、自分たちの特技を活かしてポーチ・マジストラードのボス、グスタヴォ・エスピーニャの秘書となり、従順に働く振りをしながら、彼の悪事を詳細に記録してきました。これが、その記録です。本来なら警察に提出するものですが、警察もポーチ・マジストラードやその他の犯罪組織の手先となり下がっています。ですから、この証拠品は、メディアを通じて国民の皆さんに見ていただきたいと思います。」(ポルトガル語)
 年上の女性の方が、沢山のマイクに向かって堂々と語り、ファイルを開いた。その横で、年下の女性も帳簿を開く。ファイルと帳簿にテレビカメラや写真機が寄り、人々から驚きの声が上がる。
 ジョアンは姉の言葉を英語に訳してハンニバルとフェイスマンに伝えていた。
「お姉さんの特技って?」
 姉妹の姿を見つめたまま、フェイスマンが問う。
「上の姉ちゃん、マリアは、経営の専門家。下の姉ちゃん、カシアは、簿記のスペシャリスト。2人とも、学校辞めるまでは、飛び級して大学院に行ってた。俺が物心ついた時には、姉ちゃんたち、養鶏場の切り盛りしてたからね。父さんがやってたのは、ニワトリの世話だけ。」
「君も優秀だと思ってたけど、お姉さんたち、すごいもんだね。」
 話しながらも、目では姉妹のスリーサイズを計測中。
「俺なんか全然。まだ大学に入ったばっかだし。」
「大学? 君、いくつなんだっけ?」
 いくつって数字じゃなくて、立体感がすごいよなあ、と思いながら。
「15。だいぶ休んじゃったから留年だなあ。早く大学院出て、母さんに楽させたかったのに。」
「君も十分すごいと思うけど。」
 お姉さんたちのスタイルもすごいと思う。アメリカにはないタイプの出っ張り。そして、くびれ。
「そう?」
「ファッションモデルもできるし、飛行機も飛ばせるし、フランス語も英語もポルトガル語もできるし。将来、何になるつもり? 何でもできそう。」
「ニワトリの専門家! 俺、姉ちゃんと一緒に、父さんの養鶏場を復活させるんだ。」
「それ、資金さえあれば、すぐにできるんじゃん?」
「そのこと、イヴォンヌのママンに相談したら、お金出してくれるって言ってた。」
「何それ! 聞いてないよ!」
 ぐりっとフェイスマンが後方斜め下に顔を向けた。
「言ってないから。あの時、俺、訊かれてないことまで話すほど英語できなかったし。」
 ごちゃごちゃ言い合う2人を横目で見ながら、ハンニバルは懐から葉巻を出して口に銜えた。


 散々インタビューされていた姉妹だったが、カメラマンが大量の書面を写すのに必死になると、彼女たちにも周りを見回す余裕ができてきた。姉の目がこちらを向いた瞬間、ジョアンはハンニバルとフェイスマンの陰から小さく手を振った。
「ジョアン!」
 弟の姿を見つけ、姉妹が駆け寄ってきた。幸い、報道関係者は証拠品の方に夢中になっていて、姉妹の方には気も留めていない。もしカメラがこちらを向いたら姿を隠そうと思っていたハンニバルだったが、その必要もなさそうだ。
「姉ちゃん!」
 マリアとカシアが左右から一遍にジョアンにハグをする。それを見て、フェイスマンはジョアンがちょっと羨ましかった。いや、ちょっとじゃなくてかなり。感動の再会ではあるが、フェイスマンの頭の中は邪な思いで一杯。
「あんた、無事だったのね。」
「あたしたちが攫われた日にあんたも攫われたってことや、あんただけ役に立たなさそうだからアメリカに売られたってことはわかってたんだけど、その後のことがわからなくて心配してたのよ。」
「俺、アメリカで強制労働させられて、でも脱走して、この人たちに保護されてたんだ。ここまで連れてきてくれたのもこの人たちだし、メディアや大統領やインターポールなんかに犯罪組織のことリークしたのもこの人たち。元々は、情報掴んだの、ブラジルのジャーナリストなんだけど。」
 そこでやっと、姉妹はハンニバルとフェイスマンに顔を向けた。
「どうもありがとう、弟を助けてくれて。いえ、この国を助けてくれて。」
 マリアが英語で言った。
「いやいや、当然のことをしたまでだ。」
 巨大な悪を粉砕するのがAチームの役目だし。今回、直接は粉砕しなかったにせよ。
「何だったら家まで送るよ。この後、弟くんを家に送る予定だからさ、君たちも一緒にどう?」
 姉妹のナイスバディから目が離せないフェイスマンが、まるでナンパするかのように言う。
「多分あたしたち、インターポールの人たちとどっか行かなきゃならないから、先にジョアンを母さんのとこに連れてってあげて。あたしたちは後で家に帰るわ。今日中には絶対に帰る。」
 カシアも英語で言う。
「そうだ、母さん、家にいるんだって。無事なんだって。」
 姉に報告するジョアン。つい英語で。
「知ってるわ。実質的に組織を牛耳ってたの、あたしたちなんだから。母さんのこと監視させる振りして、見守ってたの。ここの組織だけじゃなくて、他の組織にも手出しされないように。」
「あたしたちが秘書になってから、ポーチ・マジストラードは1人も殺してないし、誘拐もしてないはずよ。病院送りになった人は……命あっての物種ってことで。」
「さすが姉ちゃん、頭いいや。それじゃ俺、先に家に帰ってる。」
「また後でね。あ、母さんにフェイジョアーダとファリーニャ用意しといてって伝えて。」
「OK。」
 2人はひらひらと手を振って、ICPOの車の方に向かっていった。残った3人は、彼女たちが犯罪者ではなく重要参考人あるいは犠牲者として丁重に扱われているのを確認してから、その場を離れた。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。ええと、4回目か。〉
 家の前に停めた車から駆け降り、家のドアを勢いよく開けるジョアン。その姿を見て、ガタンと立ち上がるジョアンの母。2人、駆け寄り、抱き締め合う。号泣する母。ジョアンの目にも、うっすらと涙が滲んでいる。
〈Aチームのテーマ曲、Aチームの作業テーマ曲に替わる。〉
 家の中に入りにくくて外で待っているAチーム。コングがバンから工具を出してきて、家の壊れた部分を直し始める。ハンニバルもそれに加わる。マードックが、ニワトリを籠から出し、餌をやる。縫いぐるみの雌鶏も一緒に。
 さらにもう1台、車を拝借したフェイスマン、リストにはあるけれどまだICPOに乗り込まれていない犯罪組織に、未使用の武器弾薬を売り捌きに行く。最大の犯罪組織が潰されたとニュースで知った2番目以降の組織は、戦闘力を高めておきたいところ。ちょうどいいタイミングの取引に、高値で、それも即金で、必要なものを購入。ホクホク顔のフェイスマン。しかし、通貨単位がレアルなので、得したのか損したのかピンと来ていない。本日のレートも調べていないし。とりあえず、輪ゴムで留めてある札束をポケットに入れる。代わりにポケットから出したのは、売り捌いた武器弾薬の部品。どれもこれも、すぐにはバレない程度に少しずつ不良品に加工済み。
 泣き止んで落ち着いてきた母に、姉が無事でいることを話すジョアン。テレビを点けようと思ったが、テレビがない。テレビだけでなく、家の中に電化製品を始め金目のものが何もない。電話すらない。母が、質に入れたと話す。さらに、電気もガスも来ていない。なぜか水は出る。水道代、払えてないのに。
 身軽になってジョアンの家に到着したフェイスマン、大工仕事に精を出している3人から家や鶏舎の修理のために必要なもののリストを渡され、とんぼ返りで市街地へ。リストの中には、テレビや冷蔵庫、ガスコンロ、ガスボンベ、扇風機、電話機も入っている。さらには、夕飯の食材まで。
 警察官の少ない警察署で、ICPOの面々に囲まれ、取り調べを受けているマリアとカシア。コーヒーやケーキまで出されているが、早く家に帰りたい2人が早口で次々とポーチ・マジストラードの悪事を述べ続けているため、ICPOの面子は記録に必死で、決して和やかな雰囲気ではない。別室で取り調べを受けているポーチ・マジストラードのボス、グスタヴォ・エスピーニャ。背を丸めて、すっかり観念した様子。
 注文の品を揃えて、トラックで戻ってきたフェイスマン。そこに群がってくるAチームの3人とジョアン。既にリフォームされた家の中に家電製品その他を運び入れるジョアンをフェイスマンが手伝う。ひたすらにそこここを直しまくるAチームの3人。
 夜、ICPOの車で家に帰り着いた姉妹、すっかりキレイになっている家と鶏舎に目を丸くする。姉を家の中に迎え入れるジョアン。号泣しつつ駆け寄ってくる母。フェイジョアーダの鍋を掻き回しているマードックと、その横でファリーニャを炒るフェイスマン。ソファにふんぞり返ってテレビを見ながらコーヒーを飲んでいるハンニバル。風呂場を直し終え、ついでにシャワーを浴びたコング、パンイチで現れて冷蔵庫から牛乳を出すが、姉妹がいることに気づいて牛乳を持ったままドタドタと身を隠す。笑いに包まれる一家。葉巻に火を点け、深々と一服し、ニッカリとするハンニバル。
 広々とした鶏舎の中では、3羽のニワトリが雌鶏の縫いぐるみに寄り添って眠っていた。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉


「どうもありがとう。家も鶏舎も直してもらっちゃって。テレビとかも買ってもらったし。お礼、どうすればいいかな?」
 夕食後、帰途に就こうとポーチに出たAチームに、ジョアンが尋ねた。
「そうだな、あたしたちがまたブラジルに来た時に泊めてくれるってのはどうだ?」
 報酬を取ろうなんて気の全くないハンニバルが、ジョアンたちの負担にならない提案をする。
「そんなことでいいの? それだったら、いつでも来て。ニワトリご馳走するよ。」
「そりゃあありがたい。楽しみにしてますよ。」
 ニコニコしながら、夕飯にあのニワトリ出なかったな、と少し残念に思ったりも。
「イヴォンヌのお母さんから養鶏場経営の資金貰うんだよね?」
 フェイスマンも、今回は報酬どころか必要経費を請求する気すら起こっていない。
「うん、貰うって言うか、借りるだけ。軌道に乗ったら返すつもり。」
「じゃあさ、イヴォンヌのお母さんに、それとなく俺のこと話しといてくんない? それとなく。怪しくない程度に。」
「話すくらいならいいよ。優しくてハンサムでステキな人だから、ママンの話し相手にいいんじゃない、って?」
「そう、そんな感じで是非よろしく。」
「OK。ああ、イヴォンヌからショーの話が来たら、交通費そっち持ちで構わなければ、って言って、こっちに回してくれる?」
「了解。」
 懐からフェイスマンが手帳を出して開き、そこにジョアンが家の電話番号を書く。
「ショーって?」
 アマラとカマラ、じゃねえや、マリアとカシアが尋ねる。
「俺、アメリカでファッションショーのモデルやったんだ。子供服だけど。それで、デザイナーに気に入られて、またショーに出ないかって言われたんだ。」
 手帳をフェイスマンに返し、そう姉に話すジョアンは、ものすごく得意気。背筋を伸ばして歩いていって、ターンして戻ってくる。
「へえ、あんたがねえ。ニワトリにしか興味なかったのに。」
「あんた、アメリカに行って、結果的によかったんじゃない? 視野も広がって、知り合いも増えて。」
「よかないよ。大変だったんだぜ、お腹空いて。初めは言葉も全然わかんなかったしさ。俺もスペイン語やフランス語なんて選択しないで、姉ちゃんたちみたいに英語習っときゃよかった。それより、聞いてよ。脱走して保護してもらうまで1ヶ月半くらい、ずっとトイレもなし、シャワーもなし。信じられる?」
 両手を広げて姉に訴えるジョアン。何となくフェイスマンに似てきている。
「おう、こいつ、最初に見た時ゃ、きっっったなかったぜ。臭かったしよ。こんなガキから食いモン買って大丈夫なのかって思ったくらいだ。」
「俺は汚かったけど、ニワトリは衛生的で健康だったよ。……あ、あん時、俺の手、汚かったか。あのニワトリのお肉食べて、お腹痛くならなかった?」
「その点はノープロブレム。肉、水洗いしたし、280度でじっくり揚げた後、360度でカラッと揚げたかんね。」
 華氏換算すると、実感湧かないな。
「俺、モンキーの作った唐揚げっていうの、食べてないんだよね。すごく美味しいんだって?」
 ジョアンがマードックの横にててっと移動し、おねだりをするように見上げる。
「ありゃ肉がよかったからで、別にオイラの作った唐揚げが特別に美味いってわけじゃねえんじゃん?」
「そんなに美味しいんなら、作ってけば? その唐揚げとかいうの。鶏舎にニワトリ4羽いたし。」
 マリアが提案した。だが、騙されるな、ニワトリは3羽だ。1羽は縫いぐるみだ。
「そうよ、あんたたち、ここで長話してるってことは、急いでるわけじゃないんでしょ?」
 カシアも唐揚げが気になる様子。
「急いじゃいねえけど、胡麻油も五香粉もねえぜ?」
「ほら、フェイス、一っ走り行ってきんさい。」
「ええ? もうこんな時間だよ?」
 既にマーケットは閉まっている時刻。フェイスマンは腕時計を人差し指でペンペンして、それをアッピールした。
「てめェにゃ時間なんて関係ねえだろ。」
「そりゃそうだけどー。……ああ、もう、わかったよ! 行けばいいんでしょ、行けば! モンキー、何買ってくりゃいいかメモちょうだい、メモ!」
 期待に満ちた目を向けられ、フェイスマンはそう言うと、ペンをマードックに渡し、車に乗り込んだ。マードックがポケットから出したミョン札の裏に必要なもののメモを取り、フェイスマンに渡す。
「じゃ、行ってくる。」
「あ、そうだ、フェイス、ギターもゲットしてきて。フォークギターじゃなくてガットギター。母さんが俺のギター、売っちゃったんだ。」
 ジョアンが車に駆け寄ってリクエスト。フェイスマンが注文の品々を“買って”いるのではないことを、最早ジョアンは承知している。
「ギター弾くの?」
 そんなことまでできるの? ニワトリにしか興味ないくせに? といった調子でフェイスマンが尋ねる。
「あら、ジョアン、ギター上手いわよ。知らなかった?」
「歌も上手いし。ちょっと掠れた声がいいのよね。」
「ギターがあればさ、俺が弾いて、みんなで踊れるだろ?」
 姉に褒められて照れ臭そうなジョアン。
「ジョアン、君さ、できないことってないわけ?」
「ん? やったことないことは何もできないよ。」
 フェイスマンの問いに、ジョアンがさらっと返す。その答えを聞いて、フッと笑い、頭を横に振ると、フェイスマンは車をサンパウロの市街地に向けて走らせていった。“やったことないことは何もできない”、それは即ち、ジョアンの場合、“やれば何でもできる、人並み以上に”という意味だ。
「さて、ジョアン、唐揚げにちょうどよさそうなニワトリを準備してくれるかな?」
「ラジャー、大佐。」
 ハンニバルの指示を受け、鶏舎の方に駆け出していくジョアン。残った面々は、ぞろぞろと家の中に戻っていった。
【おしまい】
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