大迷惑! 夏場の牡蠣は溜息の元 (原題;Oyster Panic)
伊達 梶乃
 どっごーん!
 抉れる地面、飛び散る乾いた土、逃げ惑うダチョウ(Oysterich Ostrich、最高時速70km)およそ50頭。
「お出でなすったぞ。」
 ハンディトーキーに向かってハンニバルが言い、各自の持ち場でそれを聞いた部下たちは「言われなくてもわかってるよ」、「わかってるぜ」、「わかってらい」と思いつつも、各々が真面目な顔でハンディトーキーに短く言葉を返して立ち上がった。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 バズーカ砲を担いだ敵Aの横っ面を蹴り飛ばすダチョウ(キック圧力48kg/cm^2)。その上にはマードックが乗っている。両脇にウージーを構えた敵Bの背後から忍び寄り、後頭部に鋭いキックをお見舞いするダチョウ。その上にはフェイスマンが乗っている。丸腰で押し寄せてくる敵C以降ざっと30名を、片っ端から殴ったり蹴ったりつついたりして倒していくコングとダチョウたち。戦況不利と見て逃げようとする黒幕の前に、ザッと立ちはだかるダチョウ。何フィートか後方に、振り落とされたハンニバルが倒れている。黒幕の男が拳銃の銃口をダチョウに向けるが、それよりもダチョウの蹴りの方が速かった。地面に落ちる拳銃。それをゆっくりと嘴で拾って、ハンニバルの方に投げるダチョウ。蹴られた手を押さえたまま、がっくりと膝をつく黒幕の男。夕陽を背に、満足そうに頷くダチョウ。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


 アーカンソーのダチョウ牧場嫌がらせ事件は、こうして幕を下ろした。依頼人からスズメの涙ほどの謝礼をいただき、ダチョウたちからも感謝され(主にマードックが)、コングの牛乳に睡眠薬を入れ、Aチームの面々はロサンゼルスに戻ってきた。
「何でMPが待ち構えてるわけ?!」
 手近なところで拝借したセダンのハンドルを握るフェイスマンが、後ろからMPの車が追ってきているのをルームミラーでちらちらと見ながら、アクセル踏みっ放しで尋ねる。
「降りる場所探してぐるぐるしてたからじゃねえの?」
 彼らの奪ってきた小型機には、持ち主の趣味で超派手なペインティング(セクスィ〜なおネエちゃんたちの絵)がされていたのだが、離陸前に時間があったため、マードックがちょちょいっとエクストラ・ペインティングをしてしまったのである。でっかく赤ペンキで「The A-Team」と。そんな小型機がロサンゼルス上空をぐるぐるしていたら、MPだってそりゃ来るさ。
「モンキー、コングに深呼吸させてくれ。」
 当然、コング、未だ睡眠中。ハンニバルが気つけ薬のアンプルをパキリと折って、コングの鼻先にスタンバイ。
「何、コングちゃん、息してないん?」
「息は、してる。だが、早急に起きてもらいたいんでな。」
 助手席のマードックは、後ろ向きに正座すると、片脚を伸ばしてコングの腹をぐーっと足で押した。コングの唇の間から、空気がふしゅーっと出ていく。マードックが足を離すと、コングは鼻から盛大に息を吸った。それと共に気つけ薬も鼻の穴の中に吸い込まれていく。
「む、むう…………てめェら、また薬盛りやがったな!」
 起きるなり拳を握り締め、鼻に皺を寄せるコング。
「後ろを見てみろ、軍曹。」
 振り返ると、起き抜けの頭でも、MPがすぐそこまで来ているのがわかった。ヘッドライトで明るく照らされた夜道、デッカーが何事か喚いている声。
「運転、代わる?」
 振り返りもせずにフェイスマンが訊く。
「まずは車換えようぜ。この車じゃ逃げきれる気がしねえ。」
 コングの発案により、5分後、Aチームは車高が低くてお値段高そうな2シートのスポーツカー(イタリア製)に乗り換えることに成功した。マードックの視力と聴力と勘、フェイスマンの記憶力と交渉力、ハンニバルの統率力と演技力、コングの筋力と技術力、それと全員の運のおかげである。
 運転席のコングは、狭苦しそうだけど、満足そうに若干嬉しそうにハンドルを握っている。助手席では、ハンニバルの広げた両脚の間にフェイスマンが座って、2人して神妙な顔をしている。フェイスマンは「俺、トランクでいいよ」と言ったんだが、トランクを開けて中のものを出して潜り込む時間的余裕はなかったので。時間があったとしても、スポーツカーの後部トランクにフェイスマンが入れるかどうかは甚だ疑問である。そして、マードックは、と言うと、ルーフの上で大の字になって頑張っている……いや、楽しんでいる。ディープ・パープルの曲をメドレーで歌ってるくらいだし。
 そうこうするうちに市街地に入った。まだMPの車はついて来ている。最高速度が世界で10本の指に入る車であっても、公道ではそれほど速度も出せない。制限速度プラス時速30kmがせいぜい。歩行者がいる場合には、歩行者を避けなきゃいけないし。
 助手席の2人は「これだったらさっきのセダンのままでよかったんじゃないか」と内心思っている。結構苦労して危ない橋を渡って車を手に入れ、今なお苦労しているのだから。シートは狭いし、背凭れはデフォルトで斜めだし、天井は近いし。なのに、MPを振りきれないでいる。こうなったそもそもの原因は、アジトの駐車場にコングのバンを置いてきたこと。さらに言えば、アーカンソーに向かう前、アジトでコングに睡眠薬を飲ませたことだ。後悔先に立たず。
「コング、早いとこ何とかしろ。」
 ハンニバルが静かに命令した。腹筋を使う姿勢に疲れたフェイスマンが寄りかかってきており、些か腹が苦しい。
「おう。」
 コングは脇道に入っていった。雑貨屋や飲食店などが連なる、地元の商店街といった雰囲気の細道だが、幸い、時刻は深夜と言うより未明、通りに人の姿はない。かなり暗い通りを、可能な限りの高速で進んでいく。ヒール&トウを駆使して角を曲がるたびにマードックが振り落とされそうになるも、何とかしがみつき続けている。まあ、曲がる前にコングが上に向かって「右に曲がるぞ」とかと声をかけているんだが。助手席では、加速するたびにハンニバルが潰れ、減速するたびにフェイスマンがダッシュボードと天井にぶつかっていた。シートベルトしてないから。それでもなお、ついて来るMP。
 次第にコングの集中力も切れてきて、高そうなスポーツカーのバンパーは両角が潰れ、サイドミラーも壊れ、ボティもだいぶ擦っている。それでもまだ無傷でルーフに張りついているマードック。しかし、MP側の集中力も切れてきているはずだ。デッカーさえも喚くのをやめているし。
 と、その時。
 ドガンッ! ドガドガン!
 角を曲がりきれなかったMPカーが、建物に突っ込んだ。その車に、後続車が次々と追突する。
 ルームミラーでその様子を見て、コングは、ふう、と息をついて減速した。


 その日の昼、コングは両手に持ったホットドッグを交互に齧りながら、事故現場に向かった。
 コングには、MPの車を壁にぶつけようという意図は全くなかった。MPを撒きたかっただけで。だが、結果的にMPの車は壁に突っ込み、AチームはMPから逃げおおせることができた。そのため、コングの心の「申し訳ないゲージ」(to 壁の持ち主)は+30/50前後を行ったり来たりしていた。因みにこのゲージが+50/50になると、コングの土下座が見られる。未だそんな事態になったことはないが。そして、−50/50の時には、マードックが痛い思いをすることになる。
 MPの車もMPの姿もないことを遠目で確認し、車が突っ込んだ建物に近づく。壁が壊れ、中の様子が丸見えになっているその場所は、飲食店だった。1/3日前は壁だった瓦礫と、テーブルや椅子だった破片が混在する向こうには、いくつかのテーブルや椅子が無事で、カウンターも無事。出入口も無事。恐らく、カウンターの奥のキッチンも無事であろう。
 カウンターのスツールに、男が1人座っていた。がっくりと肩を落とし、視点の定まらない目でぼんやりとこの惨状を見ている。
「おう、どうしたんだ、こりゃあ。」
 瓦礫を踏み越えて店に入り、コングは男に声をかけた。どうしてこうなったかは、知っている。だけど、他に話しかけようがなかった。
「……車がぶつかったらしいんです。」
 スツールに座ったまま、男は顔を上げ、覇気のない声で答えた。
「でも、その車も運転手も姿をくらませて、今、警察が捜査してるとこだとか。」
 コングは噴き出したいのを堪えた。これだけ壁が壊れているのだから、MPカーも相当なダメージを食らったはず。恐らく壁に突っ込んだ車のフロント部分はオシャカ。それをこっそりと、だが必死に、牽引して基地に戻っていくデッカーと部下たちの姿を想像すると、笑わずにはいられない。それも、警察に探されているのだ、MPのくせに。
「そりゃあ災難だったな。」
「ええ、ホントに。保険にも入ってなかったし、このまんまじゃ店開けないし……。」
 30代と思しき男は、頭を抱えて大きく溜息をついた。
「店を開けなきゃ収入はない。収入がなけりゃ店を直せない。店を直したら店の家賃が払えなくなる。一体どうすりゃいいんだ俺は、うがー!」
 にっちもさっちも行かない状況に、抱えた頭を掻き毟って吠える。
「貯金はねえのか?」
「あるわけないでしょう。」
「そうか。……銀行に融資とかいうの頼むってのはできねえのか?」
「店を出す時にだって断られたくらいです。」
「……じゃあ、しょうがねえな。俺が直してやるとすっか。」
「直す? 大工さんなんですか?」
「いんや、ただの暇人だ。店開けんの、何時だ?」
「17時です。」
「それまでにゃ何とかしねえとな。ちょっくら資材手配して工具取ってくるぜ。飯でも食って、待っててくれ。」


 一旦アジトに戻り、フェイスマンに建材の調達を頼んだコングは、バンに乗って退役軍人病院精神科に向かった。病院の塀に沿って走っていると、『Rock Around the Clock』が聞こえてきた。50年代のヒット曲である。ニヤリと笑い、コングは車を停め、徒歩で門のところまで進んだ。
 門から建物までのウォークウェイを、マードックが掃除させられている。無断で病院を抜け出した罰だろう。少し離れた場所から看護師が監視している。だが、マードックが素直に(まともに)掃除するはずなどないのは、皆さんご存知の通り。箒には落下傘スカートが穿かせられており、ポニーテールのつけ毛が装着されている。ラジカセから流れるロカビリーに合わせて、箒とダンスを踊るマードック。全然、掃除になってなさそうだが、そこそこ掃除されているのが不思議。
「うるせえぞ! こんな大音量で音楽かけやがって、近所迷惑って言葉、知らねえのか?!」
 こめかみに青筋を立てて(わざと)、どすどすと病院の敷地内に怒鳴り込むコング。
「あ、あの、関係者以外、立ち入り禁止ですので。」
 マードックの監視役を押しつけられている新人看護師が駆け寄ってきた。
「この騒音聞かせられてる俺が関係者じゃねえってんなら、一体誰が関係者だってんだ。」
 依然として踊り続けていたマードックも、コングがラジカセの停止ボタンを踏んで音楽を止めたので、動きを停止した。
「ちょっと待って下さい、ミスター。」
 コングを止めようとする看護師。だが、コングは止まらない。眉間に皺を寄せて罵詈雑言をがなり立てながら、どっすんどっすんと病院の建物に向かっていく。
「てめェじゃ話になんねえ! 責任者を出せ、責任者を!」
「待って下さいって!」
 無断侵入者を止めようと、看護師はコングの前に回って体を押した。その程度でコングの歩みが止まるわけがない。横から見ると「人」という字がずりずりと建物の方へ進んでいくように見える。
 マードックは、看護師から見えないように、すたすたっと門の外に出た。コングは後ろを振り返って、マードックが敷地から出たのを確認すると、前進するのをやめた。
「てめェの根性に免じて、今日のところは勘弁してやるぜ。けど、またでけえ音でクソったれな音楽流しやがったら、そん時ゃどうなるかわかってんだろうな?」
「はいっ、十分注意いたします! ……あれ? マードックさん?」
 マードックにも謝らせようと思った看護師が、キョロキョロと辺りを見回す。箒もラジカセもない。
「あの踊ってた奴か? あっちの方に走ってったぜ。」
「ありがとうございます! マードックさーん!」
 庭の奥の方を指差してコングが言うと、その言葉を疑いもせずに、看護師は示された方へと走っていった。
 バンのところに戻ったコングがドアを開けると、既にマードックは自分の席に座っていた。膝の上にラジカセを置き、シートの脇に箒を寝かせて。常識的配置である。
「もう次の仕事? オイラ、車にしがみついてたせいか、筋肉痛ひどくってさ。慣れないことはするんじゃないねえ。」
 腕をモミモミするマードック。車にしがみつくのに慣れてる人は、それほどいない。
「筋肉痛にしちゃあノリノリで踊ってたじゃねえか。」
「あれは別腹。」
 マードックの発言を無視して、コングはバンを発進させた。


〈『Rock Around the Clock』、始まる。〉
 店の中に板や角材、塗装材を運び込むフェイスマンとハンニバル。壊れた壁の外側に養生シートを広げて貼るマードック。バンから工具を下ろしてくるコング。
 むくれているフェイスマンに、コングがポラロイド写真を見せる。黒い肌の美人がコングと共に写っている。裏には電話番号も。それを受け取ってジャケットの内ポケットに入れ、仕方なさそうに壊れた備品を検分するフェイスマン。マードックとハンニバルは、瓦礫や壊れたものを外に運び出している。
 壁を叩いて、鉄筋コンクリート部分には損傷がないことを確認するハンニバル。壊れた壁を、修復しやすいように整えていくコング。メジャーであちらこちらを採寸するマードック。必要なものを書き出し終え、出入口から出ていくフェイスマン。キッチンで仕込みをする店員。
 板や角材に線を引くマードック。それを電ノコで切っていくハンニバル。それを壁に嵌めて固定していくコング。壁紙を持って帰ってきたフェイスマン、壁紙をマードックに渡すと、外から椅子やテーブルを運び込む。
 直った壁に壁紙を貼っていくマードックとフェイスマン。外では、ハンニバルとコングが外壁を塗装している。
 元通りではないものの壁が復活した店内で、出来上がりを眺めて満足そうなコングとハンニバル。掃除をしているマードック。テーブル席で紙を前にして電卓叩いているフェイスマン。
〈『Rock Around the Clock』、終わる。〉


「あああああ、ありがとうございました!」
 17時5分前、コングに呼ばれてキッチンから出てきた店員は、申し分のない状態に修復された店の様子を目にして、Aチーム一同に頭を下げた。嬉し涙を手の甲でぐいっと拭い、顔を上げる。
「金銭的なお礼はできませんが、うちの料理、思う存分、食べていって下さい。」
 それを聞いて、フェイスマンは書き上げたばかりの請求書をコングに押しつけた。コングはそれを受け取り、畳んで、オーバーオールのポケットにしまった。後日、破り捨てる予定。
「して、この店ではどんな料理がいただけるのかな?」
 カウンター席にどっしりと座り、食事する気満々なハンニバルがメニューを開く。だが、料理名が外国語で、英語での説明はほとんどなく、写真で判断するしかない。そして、写真に写っている料理が、どれもこれも質素。
「この店、バルカンは、東欧の料理と音楽が売りでして。」
「おめェ、そっちの出なのか?」
「いいえ。修業でパリに行っていた時に東欧の音楽を知って、それで。」
「ちょっと待って、パリで修業したってことは、君、フレンチのシェフなわけ?」
 それなら料理も、見た目はちょっとアレだけど味は期待できるかも、と希望を持つフェイスマン。
「元々はフランス料理を極めるつもりだったんですけど、東欧のジプシー音楽と出会って、いても立ってもいられなくて、ブリストルでの修業をやめて東欧諸国を旅して回って、音楽と、ついでに料理も学んできたんです。あっちの料理の、素朴で飾らないところに魅かれましてね。この店では、現地の味をできる限り再現しています。」
 フェイスマンの口から落胆の溜息が漏れた。どうせなら3つ星レストランの味と値段を再現すればいいのに。そうすれば、壁の修理代くらい余裕で払えるのに。
 蛇足ながら、「ジプシー音楽」ではなく「ロマ音楽」と呼ぶのがポリティカリーにコレクトであるが、「ロマ音楽」と言われてもイメージしにくいと思うので、「ジプシー音楽」でいいことにする。
「この店のお勧め料理、何でもいいから持ってきてよ。オイラ、昼ゴハン抜きだったから腹減っちゃって。」
 どこの国の料理だろうが気にしないマードック。むしろ変わった料理の方が好き。昼食抜きだったのは、掃除させられていたからに他ならない。
「それと、牛乳な。」
「はいっ。」
 数分後、コングの余計な、だが普通の発言のせいで、Aチーム4人の座るカウンター席には、牛乳が入ったグラス4つが並んだ。牛乳で乾杯する4人、うち2人は不満げ。乾杯が終わると、空いたグラスにさらなる牛乳がなみなみと注がれ、スープがサーヴされた。
「一番人気の、臓物のスープです。」
 スープを啜る4人。美味いか美味くないかと訊かれれば、美味い。でも、具は臓物とジャガイモとニンジンとタマネギ。どれも、ごく少量。スペシャル感がない。給料日前の夕飯のよう。いや、もっと寂しい。なのに、スプーンを上げ下げする手が止まらない。癖になる味だ。
「お待たせしました、手作りソーセージです。こちらのマリネと共に、パンに挟んでお召し上がり下さい。それからこっちは、ハンバーグと、ピーマンの肉詰めです。」
 マリネと言われたものは、ざく切りのタマネギにパプリカパウダーをまぶしたもの。マリネと言うか、ほぼタマネギ。それを、ソーセージを突っ込んだピタパンに挟み込み、かぶりつく。ぷりっと噛み切れたソーセージからじゅわっと出てくる熱い肉汁と油が、冷たいタマネギと混ざって、噛み心地もシャクシャクで、これは美味い。ビールが欲しいところ。ハンバーグは、肉がボソボソだが、肉の間にチーズとマッシュルームが挟まっていて、トータルでは悪くない。ただ、添えられたマッシュポテトが大変に冷たい。ジャガイモのソルベなのかもしれないが。ピーマンの肉詰めの中には、肉だけでなく炒めたタマネギとライスも入っていて、騙された気分になるが、こういうものだと思えばどうということもない。むしろ、肉とタマネギの旨味をライスが封じ込めている。
 Aチームが食事している間に、次から次へと客が入ってきて、ほとんどの席が埋まっている状態。店員も2人増えた。増えた2人は主にキッチンで料理しており、最初からいた店員はウェイターに徹している。
 しかし、この店、客の平均年齢が高い。ハンニバルが若造に見えるくらい。部下の3人に至っては孫レベル。Aチームの背後にいる爺さんは、1人で質素なスープを啜っている。具は少量のふやけたパスタ。一口啜るたびに目を閉じ、思い出に耽っているようだ。
 と、その時、店の電話が鳴った。受話器を取るウェイター。
「え、何だって? ステージ、18時からだよ? うん、まあ、それは何とかするけどさ……ええっ、1週間も?! じゃあアレはどうすんだよ? うん、わかった、また電話ちょうだい。」
 受話器を置くなり、またもや溜息をつくウェイター。
「どうしたんだ?」
 電話のすぐそばにいたハンニバルが問う。
「今日のステージで演奏する予定のバンドのリーダーのガールフレンドからの電話だったんですが、バンドメンバーが全員、生牡蠣にあたって入院中だ、って……。」
「生牡蠣? 今、Rがつく月じゃないだろ?」
 フェイスマンが、信じられない、といった顔をする。牡蠣を食べていいのはRのつく月だけ。9月から2月は食べてよし、3・4月は微妙、5月から8月はダメ。この時期に生牡蠣を提供する店側も信じられないし、この時期に生牡蠣を食べようと考える奴も信じられない。
「そうなんですけど、昨日の夜、メンバー全員で生牡蠣食べて、朝から全員が調子悪くて、さっき全員が入院して、退院できるの1週間後なんだそうです。奴らが入院して苦しんでるのは自業自得にせよ、迷惑被るこっちの身にもなってほしいもんですよ。」
 深々と溜息。どんどんと逃げていく幸せ。
「で、ステージ、どうすんよ? オイラ、歌って踊ろうか? ラジカセもあるし、ダンスのパートナー(箒)もいるし。」
 すぐ横に立てかけてある箒を親指で指すマードックの申し出を、ウェイターは頭を横に振って断り、残り3人に向かって口を開いた。
「もう一度、皆さんのお力を貸していただけませんか?」
「おう、俺たちにできることなら構わねえぜ。」
 フェイスマンが口を開くより早く、コングが請け負った。


「えー、今日はグージュヴァの迫力あるジプシーブラスを聴いていただく予定でしたが、メンバー全員が生牡蠣にあたりまして。」
 ウェイターがステージに立ち、マイクを取って、正直にそう言った。客たちの間で忍び笑いが漏れる。
「笑えますけど、笑っちゃ失礼な状況なんです。今、全員、食中毒で入院してるんですから。ステージに立つのは危険な状態です。彼らの命が、ではなく、周囲の我々が。考えてもみて下さい、ここに彼らが楽器持って立って、こううじゃうじゃーっと、そして彼らの上から下から……お食事中の方もいらっしゃるので、これ以上は言わないでおきますね。」
 忍び笑いではない、明らかな笑いが起こる。爺さん連中は、入れ歯が飛びそうなほどにウケている。
「そんなわけで、今宵は、我らカリーチゥの演奏でお茶を濁したいと思います。」
 キッチン要員の1人がミキサー(食材をミックスするマシンじゃなくて、音をミックスするマシンの方)を調整し、もう1人が店内の明かりを落としてステージにライトを当てる。
 因みに、現在ウェイターをやっているのはハンニバルとフェイスマン。キッチンで調理をしているのはコングとマードック。東欧料理の調理法など全く知らないが、下拵えはすべて終えてあり、レシピノートに従って温めたり焼いたり盛りつけたりすればいいだけになっている。
 ウェイターがピックアップをつけたバイオリンを構え、ミキサーを弄っていたキッチン要員がアコーディオンを肩にかける。照明係をしていたキッチン要員は、床より1フット(約30cm)ほど高いだけのステージにひょいと上がってコントラバスを構えた。アコーディオンの音でバイオリンとコントラバスが調弦する。その様子を静かに見守る客一同。
 そして、演奏が始まった。モンティの『チャールダッシュ』。それが終わった後には、ブラームスの『ハンガリー舞曲』。演奏をしている3人ともが、なぜ給仕や調理をやっているのか疑問に思うほどの腕前だった。クラシックのメジャーな曲に続いて、東欧の民族音楽っぽい曲が始まった。雰囲気は、前の2曲と似ている。短調で緩急の差が激しい。速弾きのところでは、客も手拍子を打っている。キッチンのマードックは曲に合わせて軽くヘッドバンギングしている。曲が速すぎて、激しいヘドバンはできないのだ。
 30分ほどの演奏が終わり、ステージ上の3人はお辞儀をし、楽器を置いた。ステージのライトを消し、店内の明かりを元に戻す。そして、それぞれの仕事に戻る。Aチームも、役目を終え、カウンター席に戻った。


「キッチンで聴いてたけど、いい曲ばっかだったじゃん、『ドナドナ』っぽくて。オイラ、気に入っちゃったわ。」
 マードックがウキウキとウェイターに話しかける。哀愁を帯びたメロディは『ドナドナ』に通ずるものがあったが、『ドナドナ』は速くならない。『ドナドナ』が速かったら、子牛が逃げ回ってるみたいだし。もしくは、早く子牛を市場に持っていって売らないと、借金の返済期限に間に合わない、みたいな切羽詰った感じがする。
「『マイムマイム』っぽくもあったな。『ハヴァ・ナギラ』とか。」
 ウェイターをやっていた間に東欧のビールをゲットしたハンニバルが、機嫌よくそう言う。ハンニバルもエレメンタリースクールで『マイムマイム』を踊ったんだろうか。
「似てなくはないけど、『ドナドナ』や『マイムマイム』は地域が違いますね。俺たちがメインでやっているのは、もっと北西の、ルーマニアやハンガリー辺りの音楽です。」
 詳しいことを説明するには、地図と楽器一覧が必要になる。
「じゃあ、アレは? ラーラーラーラーララーララララーララーってやつ。」
 文字だけだとさっぱりわからないけど、フェイスマンが歌ってるんです。東欧のワインをだいぶ飲んで、いい気分になっているもんで。頬っぺたピンクにして。
「アレね。ラララーララララララー、ララララーララーララララーララーララララーララララララーってやつ。」
 続きを歌うマードック。こちらは素面。
「『悲しき天使』ですね。あれは、原曲がロシアのだったと思います。ちょっと待って下さい。」
 ウェイターはカウンターの下に潜ってカセットテープを1つ探し出し、カセットデッキの停止ボタンを押して店内に流れていた曲を止めると、テープを入れ替えて再生ボタンを押した。バラライカとバイオリンの地味なイントロに続き、ロシア語で男性が朗々と歌っているのが店内に流れる。
「そうそう、このメロディ。」
「おー、男が歌うのもカッコいいね〜。」
 原曲を聴いて、ワイワイキャッキャとお喋りをするフェイスマンとマードック。
「それにしても、バイオリン上手えじゃねえか。プロかと思ったぜ。」
 コングが横のお喋りの邪魔にならないように、静かに口を開いた。
「3歳からやってたもんで。でも、肩が凝るんで、本気の演奏家になるのは諦めました。レッスン代も高かったし。」
「料理してる2人の奴ぁ、どういう関係なんでい?」
「音楽教室で会った幼馴染です。ベース弾いてたペトルは、当時は一緒にバイオリン弾いてました。アコーディオン弾いてたミハルは、当時はピアノ習ってました。」
「ペトルとミハルって、アメリカ人じゃねえのか?」
「2人ともアメリカ生まれのアメリカ育ちですよ。本名はピーターとマイケル。東欧風に呼んでるだけです。」
「で、てめェは?」
「俺は本名がスティーブなんで、シュテファンって呼ばれてます。」
 やっと名前が出ました。
「シュテファンか。俺はB.A.バラカス、コングって呼ばれてる。」
 今更ながら握手する2人。
「ところで、さっきの電話で“アレはどうすんだ”って言ってたのは? 今の演奏のことじゃないんだろう?」
 ハンニバルが尋ねた。どうやらこれからしばらくアクアドラゴンの撮影がない模様(=暇)。
「ええ……。実は3日後に、“ジプシー音楽の祭典”っていう、全米のジプシー音楽バンドが集まるコンサートがあるんですよ。それに俺たちと入院してる奴らが組んで出場する予定だったんです。俺たちだけじゃ技術はあるけど迫力ないし、あっちは迫力あるけど技術は今一つだし、組んだらちょうどいいんじゃないかって思って合わせてみたら、想像以上にいい感じの演奏ができて。」
「ふむ……。」
 ハンニバルは部下たちを見た。楽器を演奏できるかどうか聞いたこともないけれど、百戦錬磨のツワモノだし、不可能を可能にするし、やればできそうな気もしてきた。
「やってやりましょうじゃないの。」
 スチールブルーの目がキラーンと光った。


〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 楽器店の倉庫に忍び込む、全身黒タイツ姿のAチーム。それぞれが持てるだけ適当に楽器(ケース入り)を取り、わらわらと表に出て、表に停めたトラックの荷台に放り込む。入門書もありったけ盗む。
 デスクに向かって報告書(始末書)を書かされているデッカーの部下たちと、その周りを怒りながら歩き回っているデッカー。
 アジト(高級マンションの最上階)に戻ったAチーム。だだっ広いリビングルームの床一杯に置いた楽器ケースを開けていく。たまに、ケースだけ、というハズレもある。気に入った楽器を手にする4人。ハンニバルはコルネット(何となく)、フェイスマンはトロンボーン(伸び縮みしてカッコいいから)、コングはスーザフォン(でかくてカッコいいから)、マードックはクラリネット(銀色の押すとこが一杯あってカッコいいから)。クラリネットはブラスじゃないけど、よしとしましょう。
 聞き込みをしているロサンゼルス警察の警察官。既に、盗難車と軍用車がカーチェイスを行っていた、というところまでは突き止めている。問題は、どちらが壁に突っ込んだか。軍用車が突っ込んだのなら管轄外、盗難車が突っ込んでそれを運転していたのが軍関係者だったら管轄外、盗難車が突っ込んでそれを運転していたのが民間人なら管轄内。面倒臭い事態に、メモを取りながら溜息をつく警察官。
 入門書を見て楽器の練習をするAチーム。難なく音を出せて、入門書の練習曲も次々とクリアしていくハンニバル、さすがリーダー。スーザフォンに比して肩が逞しすぎるコング、楽器装着方法にしばし戸惑ったが、上から被らず下から穿いて、問題解決。その後も、一発目からいい音を出せて、どんどんと入門書を進めていく。組み立てとリード選びで遅れを取ったマードック、相性のいいリードに出会って、アンブシュア(銜え方)を理解してからは入門書をさくっと終わらせ、次の段階の教本に入る。ポジションの位置がわからないフェイスマン、絶対音感があるはずもなく、どうしようもないのでチューナーを盗みに行く。
 フェイスマン不在の間、電話がかかってきて、ハンニバルが受話器を取る。管理人から、うるさい、という苦情。夜中に集合住宅で吹奏楽の練習をするのは、そりゃあ近所迷惑である。適当に返事をし、電話を切った後、受話器をぷらーんとさせておく。念のため、インターホンの受話器もぷらーんとさせておく。
 チューナーを盗んで戻ってきたフェイスマン、マンションのメインゲートの前で、鍵を持って出なかったのを思い出し、最上階の部屋の呼び出しボタンを押すも、反応なし。インターホンの受話器がぷらーんとしているために。駐車場に停めたコルベットに戻り、自動車電話で部屋に電話をかける。だが、電話中。受話器がぷらーんとしているために。トホホな表情で溜息をついたフェイスマン、メインゲート前に戻りポケットから針金2本を取り出す。
 上司に呼び出され、くどくどと叱責されるデッカー。彼の脳内ではハンニバルが、あかんべー&お尻ぺんぺんしている。
 いい姿勢でコルネットを演奏するハンニバル、かなりカッコいい(腹は出てるけど)。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉


 フェイスマンが帰宅した時、ハンニバルは『トランペット吹きの休日』を、コングは『ヴェニスのカーニバル』を、マードックは『クラリネット・ポルカ』を吹いていた。ただし、別々の部屋で。フェイスマンが戻ってきた気配を感じて、それぞれが部屋から出てくる。コングはそこここにベルをぶつけながら。
「結構、吹けるようになりましたよ。起床ラッパみたいなもんですな。」
「こっちは、音がはっきりしなくてやんなっちまわあ。チューバの方が吹きやすかったぜ。」
「オイラ、譜面読むのも早くなったし、指遣いも覚えたし、もう何でも吹いちゃうかんね〜。」
 3人の上達振りに腹が立つフェイスマンであった。不可能を可能にするのも、ほどほどにしてほしい。
「で、何で受話器が外れてんのさ? そのせいで俺、中に入んの、ホンっト大変だったんだからね。」
 不機嫌に尋ねるフェイスマン。
「うるさいって苦情が来たんでね。」
 端的にハンニバルが答えた。
「あ。」
 そりゃあ夜中に楽器吹いてたら苦情来るでしょ、と時計を見ると、午前4時になんなんとしていた。
「もう寝た方がいいね。」
 電子チューナーをポイッとソファに投げて、バスルームに向かうフェイスマンであった。


 午前10時、ブゴブゴパパラパペレペレペッペッペとうるさくて、フェイスマンは目を覚ました。壁1枚向こうで演奏が行われているのだから、うるさくないはずがない。
「おはよ。みんな、ちゃんと寝たの?」
「おう、4時間半、ばっちり寝たぜ。」
 爽やかにコングが答える。8時半に起きて、ジョギングして筋トレして、朝食食べて、現在練習中。
「オイラも4時間半は寝たよ。」
 フェイスマンにコーヒーを持ってきながら、マードックも答える。8時半ちょいに起きて、外のカラスに餌やって、コニー(箒)とひと踊りして、みんなの朝ゴハン作って、食べて、片づけて、現在練習中断中。
「あたしも5時間は寝ましたよ。」
 9時ちょいに起きたら食事ができていたので、食べて一服して、現在練習中のハンニバル。
「そんくらい寝てればいいか。俺、昼に仕事の依頼人に会いに行くんだけど、誰か一緒に来る?」
 頭を横に振る3人。
「どんな仕事だ?」
「まだわかんない。エンジェル経由で来た依頼。MPとは関係ないって太鼓判押された。」
 Aチームを寿退職(自称)したアレン女史は、ほんの一瞬、夫と共に遠方に住み、専業主婦をしていたが、家庭に納まっていられる性分でないのは皆さんご存知の通り。すぐにロサンゼルスに戻ってきて、新聞社に復職したのである。
「明後日は俺ら本番だからな、そっちの仕事できねえぜ。」
 スーザフォンに引っかけてあったタオルを取り、顔や首筋の汗を拭うコング。両手を放してもスーザフォンが落ちないのはなぜ?
「今日も明日もできねえよ。これからシュテファンに楽譜貰って練習すんだぜ。間に合うんかな?」
 食卓に寝かせてあったクラリネットを取って構えるマードック。
「間に合うだろ、何時間も演奏するわけじゃなし。で、フェイス、お前は吹けるようになったのか?」
 ハンニバルの問いに、黙って肩を竦めるフェイスマンだった。


 依頼人が指定した場所まで車で30分ほどのドライブの後、目当てのファミリーレストランを見つけ、駐車場に車を停める。目と鼻の先に軍徴兵事務所。周囲に気をつけながら車を降り、店に入る。「ブルーのキャップを被っている」とエンジェルに言われていたので、店内を見回す。該当する人物は1人しかいなかった。
「ルーファス・レイランドくん?」
 フェイスマンに声をかけられ、青い帽子を被ってコーヒーカップを前にした青年は顔を上げた。
「そうです。Aチームの……?」
「そ、ペックです。」
 握手しつつ席に着く。
「お勧めは何?」
 マードックがコーヒー以外何も出してくれなかったので、空腹のフェイスマン、メニューを開く。
「ライチタイムなんで、ランチセットが安いです。」
 言われなくてもわかることを教えてもらえた。ウェイトレスを呼び、ターキーのサンドイッチとクラムチャウダーのセット、それとコーヒーを注文する。青年、ルーファスはポットローストメルトバーガーを注文した。
「で、どんな依頼?」
 ウェイトレスが去ってすぐにフェイスマンは話を切り出した。
「ええと、まず、僕は陸軍の軍楽隊の一員なんですけど。」
「ええっ?」
 現役の軍人というのはヤバい。退役軍人ならともかく。
「AチームがMPに追われているというのは知ってます。MPに密告なんてしません。そんなことしたら、困るのは僕ですから。」
 フェイスマンの表情を見て、ルーファスは慌てて言った。
「じゃあ今のところ信用しとくか。」
「はい、そうして下さい。陸軍って言っても、見てわかると思いますが、僕、事務員で、そこの徴兵事務所で働いてるんです。だから、MPとの接点なんてありません。」
「なのに、軍楽隊なの?」
「陸軍って、軍楽隊って言うか音楽隊がいくつもあるんです。ハイスクールのバンドみたいな感じですね。」
「そうだっけ?」
 関係なかったので全然知らなかった元陸軍士官がここに。
「ウェストポイントや海兵隊の音楽隊みたいな演奏専門の部隊が、陸軍にもあることはあります。みんな音大卒かそれと同等の腕前で、式典で演奏するのはそのバンドです。でも、僕が所属しているのは、仕事が終わった後や休みの日に練習するような、その他大勢のブラスバンドなんです。」
「それがAチームに何を依頼しようって?」
「バンドメンバーのうち3人が食中毒で入院しまして。」
「もしかして、生牡蠣食べた?」
「え、何でご存知なんですか?」
「他にも生牡蠣にあたったのがいるんで。1週間入院でしょ?」
「そう、そうなんです。昨日入院して、それで慌てて新聞社のアレンさんに泣きついたんです。」
「新聞に募集広告載せてる関係で、彼女と面識がある、と。」
「そうそう、何でもご存知なんですね、さすがAチーム。」
「それで君は、コンサートか何かに出なきゃいけなくて、でも人員が足りない、と。」
「その通りです。別に棄権してもいいんですけど、恩師が聴きに来られるの、今回が最後なんで。恩師と言うか、僕の祖父で、僕にトランペットを教えてくれた先生でもあって、陸軍の音楽隊の大先輩でもあります。まだ何とか意識はあるものの、医者の話では、余命30日もない、と……。」
「そのコンサートは、いつ?」
「明後日の昼です。全米の陸軍音楽隊全部が集まるんで、昼に始まって、夕方までかかると思います。」
「明後日かー。」
 シュテファンの方のコンサートは明後日の夜。場所はサンフランシスコらしい。なぜ同じ日にコンサートがあるのか、と言えば、明後日が日曜日だから。
「場所は?」
 陸軍の司令部が多いジョージア州やバージニア州だったら、遠くて掛け持ちはできない。
「フォートルイスです、ワシントン州の。」
 何か陸軍の施設があった気がするフォートルイスは、確かシアトルの近く。シアトルからサンフランシスコなら旅客機で2時間くらい。行ける、とフェイスマンは確信した。
「で、君はその入院してる3人に代わる演奏者が必要だってわけね?」
「はい。」
「スーザフォンとコルネットとクラリネットの奏者なら都合つくけど。」
「是非お願いします!」
 初心者だということは黙っておく。
「でも……僕、Aチームにお支払いするような大金、ないんです。」
 案の定だった。早めに言ってくれただけでもありがたい。
「……じゃあさ、こういうのはどう?」
 プランが頭に浮かんで、フェイスマンは身を乗り出した。


〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 東欧の料理と音楽の店バルカンで、演奏を披露するハンニバル、コング、マードック。目を丸くするシュテファン。コンサートで演奏する予定の曲の楽譜を渡され、バンに乗り込む3人。すぐにキンコースに到着、楽譜をコピーする。店に戻って、練習。
 ぷらーんとしている受話器。
 コルベットがバルカンの前に停まり(邪魔)、店に飛び込むフェイスマン。練習中の3人に報告。マーチの楽譜を渡す。ちょっと困った顔の3人。キッチンで準備中のシュテファンを呼ぶフェイスマン、オーバーアクションで話をする。シュテファンが笑顔で頷く。フェイスマン、シュテファンから楽譜を受け取り、コルベットに乗り込みキンコースへ。楽譜をコピーする。大量にコピーした楽譜を持ってコルベットに戻り、走り去るフェイスマン。
 真剣に楽器の練習をしているハンニバル、コング、マードック。店内でマーチング(演奏しながらの行進)の練習もしているが、どう見てもちんどん屋。
 警察官がやって来ても、ひたすらに練習している3人。警察官が大変に残念そうな顔でシュテファンに報告をする。肩を落として頭を横に振るシュテファン。
 フェイスマンから楽譜を受け取るルーファスと仲間たち(−3人)。早速、練習開始。
 Aチームを取り逃がしただけでなく、壁に穴を開け、車1台をオシャカに、2台を傷物にした罰として、基地内外の掃除をさせられているデッカーと部下たち。
 捲られる日捲りカレンダー。楽器を練習している人々、および、掃除している人々、アーンド、地図と定規と電卓を前に悩むフェイスマン。そしてさらに捲られるカレンダー。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。そしてCM。〉


〈CM終わり、Aチームのテーマ曲、再び始まる。〉
 日曜日の朝、近隣の民間飛行場に集合し、適当なフライトプランもちゃんと提出し偽のライセンスも提示して借りた(渡した小切手は不渡り)小型ジェット機に乗り込むAチーム一同(うち1名、台車に括られ睡眠中)とバルカンの店員たち。もちろん各自の相棒(楽器)も一緒に。フェイスマンだけ楽器なし。
 2時間半の移動中も、ハンニバルとバルカンの3人は楽譜を見て相談。マードックも操縦しながら楽譜を見ている。フェイスマンは難しい顔をして人差し指を立てて、これからの作戦のシミュレーション中。しかし、ハンニバルにニッカリと小太鼓を押しつけられる。
 フォートルイスに到着。ジェット機は軍事施設の滑走路に何気なく停めた。コングを起こし、陸軍軍楽隊フェスティバルの会場に乗り込む一同。既に会場入りしていたルーファスたちと落ち合う。ルーファスから制服を受け取り、トイレで着替えるAチームの面々。
 ルーファス似の壮年男性が車椅子を押して客席にやって来る。車椅子に乗っているのは、いろいろとチューブが繋がっている爺さん。棺桶で腰湯に浸かってる状態。
 訓練場の一辺に並ぶ出店の1つで、なぜかケバブサンドを売っているバルカンの3人。ちょうど昼食時なので、非常によく売れている。
 揃いの制服を着て、各自が楽器を持ち、屋内から訓練場へと向かうAチームとルーファスたち(逆光で)。
〈Aチームのテーマ曲、再び終わる。〉


 音だけの花火がポンポンと上がり、陸軍軍楽隊フェスティバルが始まった。お偉いさんの挨拶が手短に済まされ、まず最初は専業の音楽隊の演奏。訓練場に作ったトラックを、演奏しながら1周する。列も乱れず、演奏も見事で、選曲もスーザのマーチのメドレーという、アメリカの軍隊らしいチョイス。ちょうど1周したところでぴったりと曲が終わった。さすが専業。
 次は、ルーファスたちと同じレベルの音楽隊の演奏。グレン・ミラーなどビッグバンドの曲を奏でながらのマーチング。マーチじゃなくてもマーチングなのか、という疑問は置いておいて、足並み揃えて行進するには不向きな選曲。なので、行進ではなく軽やかなステップ。多少ダンスも混じってる。演奏が下手なわけではないし、観客も楽しんでいるようだが、これはちょっと違うな、という気がする。
 そして、Aチームとルーファスたちの出番。スタート位置に整列。因みに、もしかしたらもしかするんで、Aチームの面々は多少変装している。ハンニバルは季節外れのサンタクロースのヒゲを装着、マードックはカイゼル髭を鼻の下に貼り、コングは制帽を被ってモヒカンを隠した上、黒縁の伊達眼鏡をかけている。急遽、小太鼓係に任命されたフェイスマンも、小太鼓を肩から吊るし、両手にスティックを持ち、列に並んでいる。眉毛はハの字、口はヘの字で、大変暗い表情をしており、変装をしなくてもパッと見ではフェイスマンだとわからない。先頭のルーファスは、客席に祖父と父がいるのを見つけ、大きく深呼吸をした。胸を張り、トランペットを構える。他のメンバーも、それを見て、それぞれの楽器を構える。ルーファスがトランペットを振って合図を送り、演奏が始まった。
『錨を上げて』、『ボギー大佐』、『大脱走マーチ』、『史上最大の作戦マーチ』、『コンバット・マーチ』と、映画やテレビの行進曲のメドレー。観客も喜んで手拍子してくれている。実は、『戦車兵の唄』や『自由の鐘』を入れるかどうかで揉めたんだけど、『戦車兵の唄』はドイツの軍歌だし、『自由の鐘』はイギリスの番組で使われた曲なので却下となった。メドレーが終わったと思うとすぐに、『おおブレネリ』。普通、マーチとして演奏する曲ではないが、子供たちもフェスティバルに大勢来るという情報を掴んだフェイスマンがルーファスに相談して、演奏することにしたのである。これまでつまらなそうに風船を捏ねくっていた子供たちも、知っている曲が演奏されて大喜び。シンバル鳴りまくりの壮大なブレネリの後は、『黒猫のタンゴ』。タンゴとは言ってもマーチにしても全然問題ない曲。マードックが猫の鳴き声をクラリネットで上手く表現している。
 ところでAチームとルーファスたちのマーチングはどうなのかと言えば、元々軍人であるAチームの面々は、ぴっしりと並んで行進することなどお茶の子さいさい。むしろ事務員や整備員や売店の職員などの集まりであるルーファスたちの方がAチームに従っているくらい。全曲通しての長さを把握しているハンニバルが目分量で行進し、他はそれに合わせる。先頭のルーファスも、ちらちらと斜め後ろのハンニバルを気にしてマーチング。なので、ルーファスたちも専業音楽隊と同様に、スタートラインに戻ってきた時にちょうど曲の演奏を終えた。
 そしてもちろん、演奏も確かなものだった。コングがスーザフォンでメトロノームのような正確な低音部を奏で続けるものだから、リズムやテンポが狂うこともなく、自信がなかったフェイスマンも、前にいるフルートの女の子の臀部を下目遣いで見ることで集中することができた。
 観客の拍手喝采に手を振って応え、控え席に戻る。
「ありがとうございました!」
 ルーファスがAチーム4人の手を1人1人ぎゅっと握って礼を言って回る。
「それじゃ俺たち行くけど、君は残るんだよね?」
 フェイスマンがルーファスに尋ねる。
「ええ、お祖父ちゃんが心配なんで。明日にでも、結果を報告します。」
 祖父の容態のことではなく、演奏とマーチングに順位がつけられるのである。
「わかった。お祖父さんに、お大事に、って伝えといて。」
「はい。皆さんも、道中お気をつけて。」
 そしてAチームの4人と、ケバブサンド屋を撤収してきたバルカンの3人と、ルーファスを除く音楽隊メンバーは、小走りで滑走路へと向かった。これが結構距離あるんだ。


 行きは7人と楽器だけだったが、今度は総勢18人と各々の楽器。主に場所を取っているのはスーザフォン、大太鼓、コントラバス、寝ているコングなんだが、小型ジェット機の定員は余裕でオーバー。シートに座れなかった人々は通路に立っているし、シートに座れた人々は膝の上に楽器を積み重ねている。それでさえ、ぎゅうぎゅう詰め。
「大丈夫? 飛べそう?」
 フェイスマンがコ・パイ席に座りながら問う。操縦席では、クラリネットをお掃除中&ケースに収納中のマードックが、そんなことをしながらも、ジェット機を滑走路の端に移動させている。これから南に向かうので、滑走路の北側の端に。
「ドア閉まったんだから、行けんじゃねえの? ほら、テレビのニュースでやってたろ、ニッポンの通勤ラッシュってやつ。あんなみっちみちでも行けんだし。」
 電車は飛ばないけどな。
「燃料はシスコまで足りそう?」
「あ、何か給油されてた。」
 2人の後ろで、普段は整備員をやっている男たちが親指をビッと立てた。
「ほんじゃ、行きまっせ〜!」
 定員オーバーの危なっかしいジェット機は、サンフランシスコへ向けて離陸……離陸できんのホントに? 甚だ疑問ではあるが、ジェット機は滑走路を真っ直ぐに走り始めている。どんどんと速度を上げて。
「……んー、こりゃマジで重いわ。」
 操縦桿をもげんばかりに引くマードック。彼の冷静な口調が、事態の深刻さを物語っている。
「わ、わ、滑走路、もうない!」
 前方を指差して喚くフェイスマン。目の前は舗装されていない茶色い大地。万が一の飛行機事故に備えて、近隣住民に被害を出さないため、そして国民から文句を言われないために、軍が確保してある土地である。
 ジェット機は案の定、滑走路を走り終え、舗装されていない平地をガタガタと走り抜け、植栽を踏み倒して道路を横断し、さらに植栽を踏み倒してその向こうの空き地を延々と走り、このまま走ってサンフランシスコに行ってもいいんじゃないかと思った辺りで、ちょっとした出っ張りに乗り上げ、そのおかげでやっと離陸できた。
「ふい〜。」
 額の汗を拭うマードック。カイゼル髭もズレている。
 後ろを振り向くと、通路に立っていた面子が全員後ろにすっ飛んでいた。横では、フェイスマンが小太鼓に頭を突っ込んでいる。
 着陸の時を思うと、ちょっと不安になるマードックであった。でも、すぐに忘れた。


 サンフランシスコ近郊の降りられる場所に適当に着陸した小型ジェット機。機内では、マードックの不安通り(着陸寸前に思い出した)、通路に立っていた面子が全員前方にすっ飛んだ。シートに座っていた面子は、楽器ケースに顔面をぶつけたり、腹が圧迫されてぐえっとなったりしていた。しかし、幸いにも、ジェット機のタイヤはもげなかったし、機体もどこも壊れなかった。つまり、このジェット機はまだ使える。ビバ、頑丈!
 着陸した場所からコンサート会場までは、距離がある。そのため、その場に一般市民を置いて偵察に出るAチームの4人(既にコングは起こした)。10分も経たないうちに、4人はそれぞれセダンに乗って戻ってきた。盗難車だが、この際、贅沢は言えない。開演までもう時間がないのだから。トランクに入る楽器やフェイスマンはトランクに入れ、入らない楽器やマードックはルーフに括りつけ、4台のセダンに分乗して、一行は会場に向かった。


 話は6時間前に遡る。
 朝っぱらから基地内とその周辺の清掃に回っていたデッカーと部下たちだったが、昼食に戻ってきた途端、上司に呼び出された。壁を壊した家に謝ってこい、と言うのだ。それと、弁償の件についても伝えてこい、と。壁の修理代を全額、軍が、と言うか、国が負担するらしい。それについての被害者に渡す書類を受け取り、デッカーはさっと目を通した。但し書きの文字が小さすぎて読めない。
 今更謝りに行くのも遅い気はするが、上官命令なので仕方なく、デッカーと部下たちは車が衝突した場所に向かった。
「大佐、ここ……でしたよね?」
 部下が車を停め、壁を見て怪訝な顔をした。穴がぼっかり開いていたはずの壁が、何事もなかったかのように、普通に壁なのである。
「ああ、ここだったはずだ。」
 デッカーが車から降り、壁を近くで見る。
「すっかり直ってる。仕事が早いな。この辺りに、いい大工がいるんだろう。」
 壁を辿って出入口のところに来たデッカーは、ドアの横の看板を読んだ。『東欧の料理と音楽の店 バルカン』。「偏屈な爺さんが趣味でやっている店でないといいが」とデッカーは思った。営業時間は17時から23時。ランチはやっていない。ドアを見ると、『誠に勝手ながら、本日、“ジプシー音楽の祭典”に出場のため、休業させていただきます。店主』と張り紙がしてあった。その下に、“ジプシー音楽の祭典”のチラシも張ってある。
「ハハハ、何だ、あの箒。」
 デッカーの肩越しにドアの方を見ていた部下が、ドアに嵌められたガラスの向こうにある箒を見て、つい笑った。言われて、デッカーも箒を見た。落下傘スカートを穿き、ポニーテールをつけている。マードックのダンスパートナー、コニーちゃんである。マードックがクラリネットに夢中になっているために、ここに置いたまま忘れ去られてしまったのだ、可哀相に。
 脳内でアラートがピコーンピコーンと鳴り、デッカーは店の裏手のゴミ置き場に走った。そこには案の定、沢山の牛乳のガロン壜が。ニヤリとするデッカー。
「Aチームの居場所がわかったぞ。」
 ドアの前に走って戻り、“ジプシー音楽の祭典”のチラシをビッと取る。
「サンフランシスコだ! 急ぐぞ!」
「え……シスコですか……。」
 既に車に戻ったデッカーに見えないように、部下たちは嫌そうな顔をした。なぜなら、サンフランシスコまで車で6時間くらいかかるから。不祥事の後、上官に命令されたことすらこなしていないのに、ヘリや航空機など使わせてもらえるはずがない。それに、サンフランシスコにAチームが“いるかもしれない”のであって、“いる”とは限らない。デッカーが勘で言っているだけなのだから。だが、部下たるもの、やるしかないのである。溜息をついて、彼らは車に乗り込んだ。


 会場は、地下のライブハウスだった。だが、そのキャパシティは、座って500人、オールスタンディングで1000人は行くかという広さ。その上、ステージも広い。Aチームその他が会場入りした時、既にコンサートは始まっていて、ステージ上ではフラメンコダンサーがカスタネットを鳴らしつつ踊っていた。もちろん、歌い手と手拍子係2人、ギター奏者2人、カホン奏者もいる。
「ほう、フラメンコもジプシー音楽なのか。」
 ハンニバルがシュテファンに言った。だが、シュテファンは薄暗がりの中で主催者からのお知らせを真剣に読んでいるところだった。
「何だ、それは?」
「出演者リストです。ええと、俺たちの出番はここだから、ここら辺で楽屋に入る。今は……ここだな。」
 出演バンドが出演順に並んでいるリストを指し示す。
「っていうことを、マーチ隊のみんなに伝えて下さい。ペトルとミハルには俺から伝えます。」
「はいはい。」
 リストを受け取って、ハンニバルは横のフェイスマンにそれを押しつけた。
 楽屋に入るタイミングになるまで、Aチームとバルカンの従業員とマーチングバンドのメンバーは、好きなように分かれて、好きなように音楽を聴いたり聴かなかったりしていた。フェイスマンはロビーでもう1人の小太鼓担当者に教えてもらいながら、小太鼓の革(プラスチックフィルム)を張り直している。ハンニバルは売店を見つけてビールを買って飲んでいる。コングはシンバル担当者と共に、離着陸の際に歪んでしまったシンバルを可能な限り静かに直している。ペトルはでかいコントラバスを持っているので、そうそう動けない。ミハルのアコーディオンも重いので、そうそう動けない。シュテファンのバイオリンは小さくて軽いので、あっちこっちに行って他のバンドリーダーに挨拶して回っている。マードックはリードを銜えて、じっくりと他のバンドの演奏や踊りを見ている。ってわけで、みんなあっちこっちにいるんだが、Aチームとマーチングバンドのメンバーは、昼の部の演奏の時の制服を着たままなので、とにかく目立っていた。ハンニバルもマードックもコングも変装したままだし。
 彼らが楽屋に移動する頃には、1000人キャパの客席(客床?)が8割方埋まっていた。「ジプシー音楽愛好家が800人もいるのか」と驚くが、全米規模でこの人数だと思うと、「近場の人しか来てないな」とわかる。ジプシー音楽愛好家の友達(好きな音楽はジャズ)とか、ジプシー音楽愛好家の家族(好きな音楽は演歌)とかも来ているわけだし。
 楽屋で楽器を準備し、曲順と立ち位置を確認。楽屋での音出しは禁止だと言われて、調律はステージで行うことに。アコーディオンのミハルに、それぞれが欲しい音を申告しておく。
「ではお次は、カリーチゥとグージュヴァの代理の皆さんです! グージュヴァの皆さんは生牡蠣にあたって入院中です!」
 司会の声が聞こえ、一同はステージに向かった。
 打ち合わせ通りの位置に立ち、アコーディオンの音で調律。それと共に、ピックアップやマイクを使う楽器に関しては、ミキサーに向かっている音響技術者が入力を確認し、出力のバランスを取ってくれる。全員の顔を見回して準備が整ったのを確認し、シュテファンが合図を出した。
 最初の曲は、伝統的なバルカン諸国の民族舞踊曲のメドレーをアップテンポで。ただし、合間合間に『ドナドナ』や『マイムマイム』や『ハヴァ・ナギラ』や『ウシュカダラ』や『ジンギスカン』のフレーズが入り込んでいて、どこからどこまでがどの曲なんだかわからない混沌とした状態。スーザフォンとコントラバス、大太鼓と小太鼓2つとシンバルが大音量でブッカンドッカンブッカンドッカンと速い2拍子を刻み続け、コルネットとトランペットとトロンボーン2本(フェイスマンが吹いているわけではない)とユーフォニアムとサクソフォン3種類がフッパッフッパッフッパッフッパッと小気味よく和音を奏で、そこに装飾音つけまくりなアコーディオンとバイオリンとクラリネット2本(1本はフルートの人)がかけ合いながらメロディを入れていく。言ってみれば、短調のスカ。観客もタテ乗りせずにはいられない。若い人たちはぴょんぴょんとジャンプしている。曲が終わったかと思うと、2拍だけ置いて、次の曲が始まった。何と、『ホテル・カリフォルニア』。無論、超速で、あの長く有名なイントロが20秒強で終わった。メロディラインとコーラス部をスーザフォン以外の金管が全力で奏で、金管が休符の時はシンバルがジャンジャン鳴っている。半端ない迫力である。それがふっと終わった途端にハンニバルが一歩前に出て始まる『トランペット吹きの休日』、ただし短調で、だんだんと速くなっていく。ペッペレペッペ、ペペペペ、ペッペレペッペ、ペペペペペー、ドッガンドッガンドッガンドッガン、という調子。休日に片づけなければならないことが山積みで、気は焦っているけど失敗しまくりな上に外は工事中、という雰囲気。それがさくっと終わった後、一転してスローに始まったのは、『悲しき天使』。静かで美しいバイオリンの響き。原曲のロシア語版風なのに、次第にザ・ライムリターズのコーラス風に和音が入ってくる。サビのメロディを繰り返すたびに速さは増し、装飾音も増え、楽器も増し、音量も増し、半音上がり、ジャンプしながら回転しつつ拳を振り上げる観客もバターになりそう。マードックはクラリネットを振り回し(危険)、マイクを取り、ステージ上を跳ね回りながら「ラーラーラーラーララー」と歌っている。観客も一緒になって歌っている。
 この上ない盛り上がりを見せている中、ステージ正面のドア、と言ってもステージからだいぶ離れているんだが、それが観音開きにバーンと開いた。それと共に、音楽もちょうど終わった。鳴りやまぬ拍手喝采。楽器を掲げて声援に応えるステージ上の面々(アコーディオンは重いので掲げない)。
「どこだ! どこにいる! スミス!」
 扉を開いたポーズのまま、デッカーが大声で叫んだ。しかし、周囲がワーワーとうるさいので、全く反応なし。
「ここにいることはわかってるんだ、Aチーム!」
「大佐、拡声器をどうぞ。」
 部下がメガホンをデッカーに渡す。
「お、済まんな。」
 メガホンのスイッチをオンにして、デッカーは大声で怒鳴った。
「スミス! 観念して出てこい!」
「るせえ!」
 メガホンのすぐ前にいた男が振り返った。身長はハンニバルくらいだが、筋肉がコングのそれの5%減くらい。どう見ても、デッカーより逞しい。
「俺ァスミスだ。俺に何か用あんのか、おっさんよ。」
「おう、俺もスミスだ。」
「奇遇だな、俺もスミスなんだ。」
 スミスを名乗るゴツい男たちがデッカーを取り囲んだ。スミス、多いもんね。
「馬鹿を言うな、俺が探してるのはお前らなんかじゃない。」
 男たちにそう言った後、デッカーは再び拡声器に向かって怒鳴った。
「スミス! いい加減に出てこい!」
 デッカーは観客の中にAチームが紛れ込んでいると思ってやまない。そのため、中央扉の前にはデッカーが陣取っており、他の扉の前にも部下たちが張りついている。
「だーかーら、うるせえってってんだよ!」
 スミスのうちの1人がデッカーの頬にストレートパーンチ! だが、デッカーはちょっと斜めっただけだった。体勢を戻し、殴った男を睨みつける。
「何だその腰の入っていないへなちょこパンチは。」
「何だとォ?!」
 別のスミスがデッカーのボディにパーンチ! だが、デッカーはびくともしない。
「全く効かないね。そろそろこちらも反撃してよろしいかな?」
「おう、やってみろや、おっさん。」
 ガードの姿勢を取るスミスたち。デッカーは右手に拡声器を持ったまま、左手で彼らに1発ずつお見舞いしていった。鮮やかに決まりまくるパンチ。倒れるスミスたち。それを見て、スミスたちの仲間がわーっとデッカーに殴りかかる。それを見て、わーっと集まってくるデッカーの部下たち。団子状になりボカスカと殴り合う。
 ステージ上のスミス大佐と仲間たちはそそくさと楽屋に戻ると、冷静に楽器をしまい、ロビーに出て、ライブハウスを後にしたのであった。


 ロサンゼルスに戻ってきたAチームご一行様は、きちんとジェット機を返却し、コングを起こし、マーチングバンドのメンバーと別れ、バルカンの3人と共に店に戻ってきた。
「せっかくミュージシャンが揃ってたんだからよ、『地獄の黙示録』真似て『ワルキューレの騎行』演奏しながらヘリで乗り込みゃよかったのに。生演奏であのシーン再現したら、コッポラもびっくりだぜ。」
「ヘリじゃ時間的に間に合わなかったでしょ、行きも帰りも。だからジェット機にしたわけ。ちゃんと距離を最高速度で割って計算したんだからね。それに、『ワルキューレの騎行』まで練習する余裕なかったろ?」
 フェイスマンの作戦に文句をつけるマードックと、言い返すフェイスマン。
 シュテファンとハンニバルは、ドアの隙間に挟まっていた紙を見ている。デッカーが持っていた書類を、部下が畳んでドアに挟んでおいたものだ。
「壁の修理代、払ってもらえるんだ。……ってことは、皆さんにお支払いできますね。」
「いや、いいさ。楽しませてもらったんだし。」
 人前で演奏して喝采を受ける快感を覚えてしまったハンニバルが、フェイスマンに気取られぬよう、ひそひそと言う。
「軍曹、壁の修理代の請求書、フェイスから受け取ってただろう。あれ、まだあるか?」
「おう。」
 オーバーオール(着替えた)のポケットから折り畳んだ請求書を取り出し、ハンニバルに渡す。
「この近所の工務店は何て言うんだ?」
「えーと、確か、ティンマーマン工務店です。」
「フェイス、ペン貸してくれ。」
「ん。」
 マードックと未だにわいのわいの話しているフェイスマンは、上着の内ポケットからペンを取ってハンニバルに渡した。
「そこの店主はいくつくらいだ?」
 ペンを受け取り、シュテファンに訊く。
「50かそこらだったと思います。」
「1930年代生まれなら、ファーストネームはロバートかジェイムスだ。」
 請求書の下部に、ハンニバルは「ティンマーマン工務店 ロバート・ティンマーマン」とサインをし、ペンをフェイスマンに返した。
「これでよし、と。」
 請求書をシュテファンに渡す。
「これをMPに郵送すれば、何らかの方法で金が貰えるはずだ。いつになるかはわからんがな。」
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。またお近くにいらした時には、ご馳走しますので、寄っていって下さい。」
「是非そうさせてもらうよ。」
 ハンニバルと、それからコングと、固く握手をするシュテファン。ハンニバルは胸ポケットから葉巻を出して火を点け、深々とそれを吸った。


 翌日の夜、バルカンのカウンター席にはAチーム4人が並んで無銭飲食をしていた。少し嫌そうな顔で給仕するシュテファン。
「今晩は。……あ、やっぱり。」
 そーっとドアを開けて顔を覗かせたのはルーファスだった。Aチームの後ろ姿を見て、にこやかになる。
「え、ルーファス、何で?」
 フェイスマンが驚いた声を上げた。
「報告をしようと思って、皆さんの連絡先をアレンさんに聞いて電話したんですけど、ずっと話し中で。」
 それは、未だに受話器がぷらーんとしているから。受話器がずっと外れていても、警告音が出ないタイプのようだ。
「それで、どうしたらいいか、もう一度アレンさんに相談したけど、それ以上のことはわからないって言われて、そしたらレイラが、ああ、レイラってフルートの子なんですけど、バルカンにいるんじゃないか、って言うから、来てみたんです。」
「ちょっと待って、何でレイラが俺たちがここにいるって知ってるわけ? そもそもレイラ、この店のこと知らないでしょ? 接点なかったよね?」
 と、フェイスマンがシュテファンに振る。
「フルートの子って、クラ吹いてた女の子ですか?」
「そうそう。」
「全然喋ってないですね。」
「あ、それ、原因、俺!」
 キッチンから声がした。
「はあ? ミハル、何でお前が?」
「ライブハウスで出番待ちしてた時、近くにいて、特に話すことなかったから店の紹介して、店のチラシも渡しといた。」
 別に、口説くとかそういうことではなかった。単なる営業。チラシも、ケバブサンドの屋台で配っていたものの残り。蛇足ながら、ミハルの本業はスタジオミュージシャンで、妻帯者。ペトルも同様。幼馴染のシュテファンの趣味につき合ってやっているのである。
「OK、納得行った。」
 女の子が係ることにはうるさいフェイスマンも、こっくりと頷いた。
「で、結果はどうだったんだ?」
 そう尋ねたのはハンニバル。
「投票の結果、僕たちの音楽隊は、何と、2位になりました!」
 とても嬉しそうなルーファス。みんなで「おー」と拍手をする。
「それは、あの専業の偉そうな軍楽隊も含めて?」
「そうです。だから、兼業してる中では、僕たちが1番ってことです。お祖父ちゃんも喜んで、立ち上がってガッツポーズ取ってました。」
「まさか、お祖父さん、その後ポックリ……ってことはないよね?」
 心配そうに尋ねるフェイスマン。
「ええ、僕たちの演奏に触発されて、映画を観たいって言い出して、ビデオのレンタルのことを教えたら、こっちに戻り着くなり、夜通し車に乗って疲れているはずなのに、“60年代の戦争映画をありったけ借りてきてくれ”って言って……多分、今もまだ観ているはずです、家で。病院には戻りたくないって駄々捏ねたんで。」
「わかるわ、その気持ち。病院じゃ好きな映画観らんねえし、音楽も大音量じゃ聴けねえし。」
 マードックが共感しているが、好きな映画観てるし音楽も大音量で聴いてるだろお前は。
「昨日の昼までは、来月までもつかな、って心配してたんですけど、病は気からって言う通りですね、すっかり元気になって。点滴も経鼻チューブも酸素マスクも全部取っちゃって、壁に手をつきながらも自力で歩いてます。」
 爺さん、気に左右されすぎだ。
「何もかも、全部、皆さんのおかげです。どうもありがとうございました。」
 ぺこり、と頭を下げ、ルーファスは店を出ていった。
「どうせなら、何か食べてきゃよかったのに。」
 閉まったドアを見て、フェイスマンが呟く。
「すぐにでも祖父さんとこに行きたいんだろうよ。」
 クーッと牛乳を飲み干し、コングも小さく言う。
「ところでコングちゃん、こんなの作れる?」
 紙に描いた絵を見せて、マードックが尋ねた。
「何だ、この落書きは?」
「これ、箒のコニーね。で、ここにタイヤか何か隠して、んで、センサーつけて、動く。」
「できなくもねえな。」
「これ作ってくれたら、オイラ、病院帰るからさ。」
 そう言われては、コングも作るしかなかった。


〈Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。〉
 何やら作っているコング、作った機械を箒に組み込む。コニーの穿いていた落下傘スカートを腰に巻いて踊るマードック。
 バルカンでビール飲みまくり肉食べまくりなハンニバル。ワイン飲みまくり魚食べまくりなフェイスマン。トホホな表情のシュテファン。
〈Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。〉


 退役軍人病院精神科に響き渡るクラリネットの音。舞台は、食堂の一角。吹いているのは、もちろんマードック。『クラリネット・ポルカ』を吹きながら踊っている。その横では、箒のコニーがくるくると回転を交えて移動している。まるでマードックと一緒に踊っているようだ。手拍子を打ちながら、楽しげに体を揺らす元軍人たち(ただし狂人)。それを遠巻きに見て、安心したような穏やかな笑みを浮かべている医師・看護師たち。


〈『ジョーズ』のテーマ曲、始まる。〉
 画面に映る映像が、病院の人々の足から床へと下り、食堂から調理場へと向かう。ステンレスの調理台を上ってきて、その上の発泡スチロールの箱に寄る。厚手のゴム手袋を嵌めた手が、ゆっくりと蓋にかかる。そして……ガバッと蓋が開く。と、そこには!
 生牡蠣!!
〈『ジョーズ』のテーマ曲、終わる。〉
【おしまい】
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