10 Poor Old Men 〜 悪役顔の素顔
伊達 梶乃
 午前10時。売店で新聞を数紙買い、カフェのテラス席に座ったフェイスマンは、眉間に皺を寄せて胃を摩った。思い当たることがないのに、なぜだか胃の調子がおかしい。暴飲暴食はしていないし、空きっ腹に酒なんてこともしていない。ハンニバルはちまちまとしたスーツアクターの仕事に就いていて、派手な行動も散財もしていない。コングはいつも通り、アルバイトとトレーニングに余念がない。マードックも病院で静かにしている、比較的。金づるのご婦人は見つかっていないけれど、前回の作戦(ボタ餅滅亡の危機! アズキゾウムシの魔の手から小豆を守れAチーム!)の報酬(即日現金払い)のおかげで、そう大して貧窮してはいない。
 因みに前回の作戦では、ボタ餅に似せた粘着剤を棚から大量に落として犯人(ゾウムシ愛好家とその仲間たち)を捕縛した。ハンニバルはその作戦を「棚からボタ餅作戦」と命名し、誰も異論を唱えはしなかったが、作戦名を口にすることもなかった。
 さて。胃痛の原因を考えようと考えまいと、胃が痛いことには変わりない。フェイスマンはジャケットの胸ポケットから分包の胃薬を出し、袋の裏面を読んで食後に服用であることを確認し、テーブルの上に置いた。そして、カフェオレを一口飲み、クロワッサンを齧り、新聞を開いた。
 しばし後。『αプランニングへ。救援求む。下記まで連絡を』なる文面をLAクーリア新聞の求人欄に見つけたフェイスマンは、新聞を畳み、残っていたカフェオレを飲み干すと(クロワッサンは既に食べ終えていた)、席を立っていそいそと道路を渡っていった。
 テーブルの上に残された胃薬の分包(未開封)――この寂しげな光景を目にしたフランス人旅行者が『置き去りの小袋』なる詩を書き、それを基にしたシャンソンがフランスでヒットしたが、そんなことはどうでもよい。


「ハンニバル、こちらホーナーさん。俺たちに仕事を依頼したいって。」
 新聞の求人欄を見て早速、連絡先のウィリアム・ホーナーについて調べを入れたフェイスマンは、彼がMPとは関係がないと結論づけ、ホーナー氏に連絡を取り、思い出したように胃薬を飲み、コルベットでホーナー氏を迎えに行って、アジト(旅行者向けコンドミニアム)に連れてきて、現在に至る。
 ホーナー氏は、フェイスマンの言葉を受けて、向かいのソファに座るハンニバルに軽く会釈をした。不敵な笑みを見せつつ。
「で、ホーナーさん、こちらAチームのリーダー、ハンニバル。」
 現在時刻は12時を少し回ったところ。ブランチを買いに出たはずのフェイスマンが食料を何も入手してこなかったので、ソファに座るハンニバルは少し不機嫌かつ大いに空腹。コーヒーを飲んで腹の虫を黙らせている最中。ムッとした顔のまま、ホーナー氏に軽く会釈をする。
 ところでフェイスマンは、ホーナー氏の姿を目にした時から、「何か違う」と思っていた。何が違うのかと言うと、ホーナー氏の姿が。Aチームに頼み事があるように見えないのだ。年の頃は60前後、どっしりとした体格、禿げ上がった頭、薄い唇に細い目、弛んだ顎肉、いい生地だけど古めかしい仕立てのスーツ、趣味の悪いループタイ、手首にちらりと見えるのは金のブレスレット。これで葉巻を銜えたら、どちらかと言えばAチームの敵側の親玉。背後にチンピラ上がりの用心棒を2人ほど従えていそう。
「それで、あんたが頼みたいってのはどんな仕事だ? 言っとくが、あたしたちは殺しや誘拐は引き受けないどころか然るべきところに通報するぞ。」
 どうやらハンニバルも、ホーナー氏を悪党面と判断したようだ。
「いやいや、そんな物騒な。」
 太く浮腫んだような手を振って、ホーナー氏は否定した。その指にも、コングほどではないにせよ、金の指輪が。結婚指輪とかではなく、もっと趣味の悪いやつ。
「私は最近まで不動産会社に勤めておりましてね。不動産会社と言っても、賃貸物件を紹介して手数料を貰うだけの零細企業ですが。」
「ほう。それにしては裕福そうにお見受けしますがね。」
「ああ、これですか。」
 と、ホーナー氏は指輪やブレスレットを反対の手で指差した。反対の手首には、金色の高級そうな時計が嵌めてある。
「これはどれも長男が作ったものなんですよ。今はティファーニで女物ばかり作っていますが、駆け出しの頃はいろいろなデザインのものを作っていて。このループタイのここのところやここのところも長男の作です。」
 そう言って、ホーナー氏はアグレットと剣先を指差した。成金なのではなく、単なる親バカのおっさんだ。
 ティファーニの名前を聞いて、フェイスマンの目がカッと開いた。ティファーニのアクセサリーと言えば、女性がプレゼントされて十中八九喜ぶものである。ここでホーナー氏に恩を売っておけば、結構なお値段のティファーニのアクセサリーも格安で(もしかしたら無料で)譲ってもらえるかもしれない。この依頼、受けるしかない。
「それだけじゃなく、恰幅も大層よろしくあらせられる。」
 毎日サーロインステーキを食べているように見える。決してテンダーロインではなく。ステーキのつけ合わせはオマール海老だろう。
「お恥ずかしい。医者に痩せろと言われているんですが、長女の作るケーキが美味しくって。その腕を買われて、今はチーズケーキ何とやらで働いているんですよ、長女。」
 照れたように禿頭を擦る。
「チーズケーキ何とやらって、チーズケーキ・マニュファクトリー?」
 そう訊いたのはフェイスマン。チーズケーキ・マニュファクトリーのケーキも、女性がプレゼントされて十中八九喜ぶものである。フェイスマンも何度か購入のために行列に並んだ。
「そう、それです。何でも月に1つずつ新しいチーズケーキを考えなきゃいかんとかで、毎日試作品をくれましてね。それを食べているうちに、こんなですわ。」
 ホーナー氏は出っ張った腹をポンポンと叩いた。フェイスマンはホーナー氏の腹とハンニバルの腹を見比べた。ホーナー氏に比べると、ハンニバルの腹は全然出っ張っていない。むしろスリムだ。髪もあるし、顎肉もたるんたるんしていないし……やだ格好いい……。
「よし、あんたがあくどいことをやって儲けて、そんななりをしているわけじゃないってことはわかった。それで、あたしたちに頼みたいことってのは何なんだ?」
 失礼なことを言うハンニバルだが、ホーナー氏は気にせず話を始めた。
「実は、リタイアした後にも収入があるといい、と思い、少しずつ貯金していた金でアパートを1棟買ったんです。それが10年ほど前でしたか。ちょうど格安の物件が土地つきで売りに出されたんで飛びついたんです。貯金を頭金にして、残りはローンで。そして、そのアパートを貸して得られた収入でローンを払ってトントン、というところだったんですが……。」
「借り手がつかなかった?」
 ハンニバルが険しい目をして尋ねた。空腹のピークがやって来たために。
「いえ、すぐに全室埋まりました。」
「じゃあ家賃滞納か。」
「それもあります。」
「それも? 他にも何か?」
「それが、私が買った時点で既に古い建物だった上に手抜き建築だったのか、壊れかけと言いますか、コンクリートもボロボロ、配管も錆びて、修復が必要な状態なんです。」
「あたしたちにアパートの修復をしろと?」
 Aチームとしては割と得意な分野だが、空腹時に重労働のことは考えたくないものである。
「それは知り合いの工務店に頼みます。昔のよしみで安くしてくれるそうなんで。」
「ならそうした方がいいな。それで、あたしたちは何をすればいいんだ?」
 早く解放されて何か食べたいハンニバルである。
「それがですね、建物を全体的に修復するとなると、店子の皆さんに一時的にでも出ていってもらわなければならないんですが、いくら言っても出ていってくれないんです。家賃もほとんど払ってもらっていないんで、強制退去の手続きに入ってもいいんですが……。」
「家賃滞納ってことは、ホーナーさん、Aチーム雇う費用は……?」
 口出しをしたのは、もちろんフェイスマン。今のところ金銭的に逼迫していないとは言っても、タダ働きはゴメンなので。
「家賃滞納でも、保証会社から弁済してもらっているんで、私のところには毎月家賃相当額が入ってきています。なので、ローンは完済できましたし、修復の費用も目途がついています。ですから、その点はご心配なく。いざとなれば子供たちも協力してくれるそうですし。」
「それは心強い! いいお子さんたちですね。」
 途端にホクホクするフェイスマン。
「ええ、いい子たちですよ。次男が弁護士をしておりましてね、タダでいろいろと相談に乗ってくれて。」
「弁護士! いいですねえ、さらに心強い!」
 収入が多いという点で。ティファーニのデザイナー兼細工師や、チーズケーキ・マニュファクトリーのパティシエールもなかなかの高給取りであろう。
「それで、次男が言うには、店子全部、契約解除にして強制退去の手続きをするとなると、結構な額がかかる上に、契約解除ということは保障会社から代位弁済も行われなくなる、と。」
「うんうん。」
 頷くフェイスマン。強制退去の費用は1戸あたりではなく1人あたりの額だということも、その費用は弁護士に支払われることも、執行するのが弁護士であることも知っている。
「それだったら今のうちに交渉して、店子の意思で出ていってもらう方がいい、と。」
「うんうん。」
 そうすれば、強制退去にかかる費用は0ドル、即ちタダ。ビバ、無料!
「なので、Aチームには店子の皆さんと交渉していただきたいんです。穏便に。」
 交渉はフェイスマンの得意とするところである。
「わかりました、その依頼、お受けしましょう。いいよね、ハンニバル?」
 一応、上司にお伺いを立てる部下。
「……。」
 だが上司は何も言わずにジロリとフェイスマンの方を見た。フェイスマンはハンニバルのじっとりとした視線を、「どうでもいいから早く話を終わらせて何か食わせろ」という意味だと解釈した。もう3時間以上待たせていることを、フェイスマンも忘れてはいなかったのである。
 その時。静まった場にハンニバルの腹の音がググーッと響き渡った。
「これは申し訳ない、話が長くなってしまって。こんな昼時にお時間を割いていただいているのに。」
 ホーナー氏が白銀のアタッシェケースをテーブルの上にどんと置いた。フェイスマンは「料金前払い? それもキャッシュで?」と思い、身を乗り出した。アタッシェケースがパカッと開かれると、その中には! みっしりとサンドイッチが。
「話し合いの間に摘むといい、と、昼飯になるはずだったのをうちの奴が持たせてくれたんです。どうぞ、お召し上がりください。」
「うむ、貰おう。フェイス、コーヒーのお代わりを。ホーナーさんのコーヒーも足してやってくれ。」
 一瞬で表情を和らげたハンニバル、1分後には、ビーフカツレツのサンドイッチがあまりに美味しくて、この仕事を引き受けることを快諾したのであった。


「ええと……ここだ。」
 ホーナー氏を家に送り届けた後、フェイスマンはくだんの物件の位置を示した地図を手に、交渉にやって来た。もう片方の手には、ホーナー氏から渡された住民のリストが握られている。1つのフロアに2〜4人向けのアパートが4戸、それが3フロアで12戸。つまり12家族がここに住んでいるのである。リストにも12家族分全員の氏名と続柄が並んでいる。そしてリストの裏には、ビーフカツレツサンドのレシピが書いてある。ホーナー氏の奥方に書いてもらったものだ。
 フェイスマンが見上げる建物は、話にはボロボロだと聞いていたけれど、予想を上回るボロさだった。書類上は築30年だが、実際のところ築50年以上経っているんじゃないかと思うような代物で、外壁に非常階段代わりに嵌め込んである鉄梯子はすっかりと錆び、非常時に住民に落下を強いるに違いない状態。外壁も、一見コンクリート打ちっ放しに見えるが、よく見ればレンガ風タイルが張ってあったのがすべて落ちたようだ。出入口のドアは、かつてはあったのかもしれないが少なくとも今はなく、数段の階段の先に暗い廊下が続き、暗がりの中に2階に上がる階段のシルエットが見えなくもない。
 建物の中に入っていきたいフェイスマンだったが、その入口である階段に老人が2人座っているので入りにくい。2人はただ座って、膝の上に手を乗せて、斜め下に顔を向けていた。時々瞬きをするので、死んではいないということがわかる。
「あの……何してるんです?」
「……座っとる。」
 片方の老人が擦れた声で答えた。もう片方の老人が頷く。
「なるほど……ちょっと通してもらえませんかね。」
 それ以上、会話は続かなかったが、フェイスマンがお願いすると、2人の老人は少しずつ左右にずれてくれた。大層かったるそうに。
「ありがとうございます。」
 苦笑いしながらフェイスマンは角が崩れた階段を上がった。廊下を少し進むと、左右にドアがあった。右側のドアに向かい、ドアチャイムがなかったのでドアを叩いた。
「バーナーズさん、こんにちは、バーナーズさん、いらっしゃいますか?」
 ドアを連打しながら声を大にする。リストによれば、ここにはバーナーズ一家、旦那と奥さんと子供2人が住んでいる。
「わしがバーナーズじゃが、何か用か?」
 外の方から声が聞こえた。先刻「座っとる」と言ったのと同じ声だ。フェイスマンは廊下を戻って、こちらを向いた老人の前にしゃがんだ。
「ロジャー・バーナーズさんのお父さんですか?」
「いんや、わしがロジャー・バーナーズ本人じゃ。」
 思っていたよりも、だいぶ年配に見える。となると、子供2人というのも小学生くらいではなく、もうおっさんとおばちゃんなのだろう。
「奥様とお子さんたちはお留守ですか? 誰もいらっしゃらないようでしたけど。」
「何じゃ、お前さん、警察か?」
「失礼しました、この建物のオーナーのホーナー氏から依頼されて調査にまいりました、フルスマイルフル保証会社のジャスパー・キースリングと申します。」
 と、首にかけた社員証を見せる。
「もう長いこと家賃を滞納していらっしゃいますよね? 督促状は届いていますか?」
「毎月届いとるよ、あのけったくそ悪い封筒が。」
 バーナーズ爺さんはカッカッカと笑った。
「このままですと、賃貸契約を解除されて強制退去ということになってしまうのですが。」
「こんな老いぼれ爺を放り出す気かい。血も涙もないもんだ。」
「ですからその前に、別のところに引っ越すというのはいかがでしょうか?」
「家賃滞納してる爺に引っ越す金があるとでも思っとるのかい。」
「それは保証人の方にお願いして……。」
 リストの連帯保証人の欄を見ると、立派な名前と住所が書いてはあるが、その後ろに「消息不明」とついている。適当にでっち上げたのだろう。
「では、ご親戚の方とか、奥様やお子さんたちのお知り合いの方にお願いするとか。」
「親戚一同、わしと縁を切りおった。子供たちもマギーもみんな出ていった。どこ行ったか皆目見当もつかん。」
「マギーさんというのは奥様ですね?」
「そうだ。みんな、どっか行っちまった。わしが仕事をクビになってから、酒屋行って帰ってくるたんびに1人ずついなくなっちまって、3回目にはわししかいなくなった。」
 フェイスマンは溜息をついた。酒臭い爺さんの話をあと11回聞くことになりそうで。
「わかりました、今のお話、会社に報告しておきます。」
「ついでに家賃をタダにしてくれって言っといてくれや。そしたら家賃払ってやってもいいぞ。」
「それは無理です。」
 フェイスマンはバーナーズ爺さんに小さく会釈をして、この間、一言も言葉を発しなかった方の爺さんにも会釈をして、すたすたと歩き去っていった。


「ってわけで、俺向きの交渉相手じゃありませんでした。」
 アジトに戻ってハンニバルに報告をするフェイスマン。報告しながらも、住居者リストの裏に書かれたレシピをメモ帳に写す。
「1家庭5分で説得して、12家庭だから1時間で終わると思ったのに……。」
「家賃滞納してるんだから、まともで上品なマダムなんているわけないだろう。」
「上品なマダムは期待してなかったけどさ、せめて話がわかる奥さんでもいれば。」
「話が通じる奥さんは、さっさとボンクラ旦那に見切りをつけて、どっかで新しい生活を始めるでしょうよ。」
 ハンニバルの正論にグウの音も出ない。
「それじゃ、爺さんの相手が得意な2人を確保してきてくれ。その間、あたしが交渉に赴いてみますよ。」
 ミイラ取りがミイラに、と口から出かけたけれど、フェイスマンは口を噤んでおいた。


「“これはゴリラです。This is a gorilla.”“あれはゴリラですか? Is that a gorilla?”“いいえ、あれはゴリラではありません。No, that isn't a gorilla.”“このゴリラは大きい。This gorilla is big.”“このゴリラは小さくない。This gorilla isn't small.”」
 報道規制中なのだが大統領を乗せたヘリが谷底に墜落したため、谷底まで確実にヘリを操縦して行って帰ってこられるパイロットが至急必要である、という名目で精神病院から連れ出されたマードックは、コングのバンのいつもの席に座って本を音読していた。
「何それ?」
 かっちりとしたスーツ姿のフェイスマンが、本を覗き込むようにして尋ねる。
「『ゴリラで会話練習』って本。ほら、一番最初のページは“私はゴリラではありません。I am not a gorilla.”から始まんの。大事なことだよね、ゴリラじゃありませんよって主張すんの。」
「英語の前に言ってるのは日本語?」
「そ、日本の本だから、先に日本語。」
「何でゴリラなの?」
「ほら、日本語ってRとL区別しねえじゃん。だから、RとLの区別するためじゃねえかな。」
「だったら、ゲリラやシンデレラでもよくない?」
「ゲリラはスペイン語だし、シンデレラだと“あのシンデレラ”と“このシンデレラ”がいるのは変だろ。」
「確かに。それ、最後のページは何て書いてあんの? 最後までゴリラ?」
「最後? えーと、“もし私がゴリラだったら、東京タワーに登るのに。If I were to be a gorilla, I would climb Tokyo Tower.”」
「“If I am a gorilla”じゃいけねえのか? “If I were to be”なんてまどろっこしいこと言わねえだろ。」
 運転席でコングが振り返らずに言う。
「“If I am a gorilla”でいいと思う。」
 2人、口を揃えた。「コングなら」という言葉を飲み込みつつ。


〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 階段に座っている爺さん2人に、体格のよい爺さんが1人加わった。だが、話は弾まない様子。体格のよい爺さんが上着の内ポケットから酒ビンを取り出す。3人で回し飲みをするが、話は弾まない。ただ酒が減るのみ。
 どこぞの窓口のようなところで説明をしているコングと、頷きながらそれを聞いている40代と思しき女性職員。ファイリングされた書類をバラバラと捲って、それをコングに見せる。ニヤリと笑うコング。
 アルミ製のテーブルをくだんの建物の前に運ぶマードック、そのテーブルの中心にカラフルなパラソルを立てるフェイスマン。テーブルの周りに2人して小さなプラスチックの椅子を配していく。
 バーナーズ爺さんともう1人の無口な爺さんは相変わらず階段に座っているが、建物の中からぽつりぽつりと新たなる爺さん(複数)が出てきて、プラスチックの椅子に座る。体格のよい爺さんは、いつの間にか姿を消した。
 アジトでソファに座って、爺顔マスクと乱れた白髪のヅラを外し、険しい顔を見せるハンニバル。別に空腹なわけではない(今は)。何か引っかかることがあるのだが、それが何なのかはっきりとしない。
 どすどすとやって来たコング、プラスチックの椅子に座る爺さんたちと自然に話を始める。既にマードックは『ゴリラで会話練習』を手に、爺さんたちと笑い合っている。そんな2人の様子を見て、フェイドアウトしていくフェイスマン。
 爺さんたちと打ち解けたところで、書類を出して、爺さんたちに説明を始めるコング。横でマードックが画用紙に殴り書いたフリップ(珍妙なイラストつき)を掲げている。『1.生活保護の手続きをする』、『2.ワンルームの新居に引っ越す』、『3.仕事に就く』、『4.ハッピーになる』。胡散臭そうにしていた爺さんたちも、実際に高齢者用の求人リストや、最低レベルの賃貸住宅のリスト、市から家賃の補助(全額負担)を受けるための書類を見て、椅子から立ち上がった。よっこらせ、と。
 コングを先頭に、役所に向かう爺さんたちの列。皴深い手に書類が握られている。さながらハーメルンの笛吹き。
 アジトに戻ってきたフェイスマンに何事か指示を伝えるハンニバル。頷いて踵を返して出ていくフェイスマン。
 プラスチックの椅子に座って『ゴリラで会話練習』を唱え続けるマードック。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉


「ただいま、調べてきたよ。」
 フェイスマンが流れるように上着を脱いでソファに投げ、自分はソファの肘かけに腰を下ろした。
「ご苦労。どうだった?」
 そんなフェイスマンを見上げて、ハンニバルが問う。
「夜中に忍び込んで調べるなら簡単だったんだろうけどね。普通にみんな仕事している真っ最中の会社に入り込んで契約書を調べるなんて、俺じゃなきゃできない芸当だよ。」
「だから、お前さんに頼んだんだ。」
 ハンニバルの地味な称賛に、フェイスマンは口角を上げて鼻からムフと息を漏らした。
「まずは契約期限のことね。」
「ああ。賃貸契約は普通1年か2年の期限つきで、長期間住み続けるには契約更新があるはずだ。家賃滞納している奴は、契約期限が切れたら、大家に契約更新してもらえず、出ていく必要がある。なのに、くだんのアパートでは家賃滞納が何年にも亘って続いているところばかりだった。」
 頭の中を整理するようにハンニバルが説明する。
「それが何と、あのアパート全戸、賃貸契約の期限がなかったんだよ。」
「何だと? 期限切るのを忘れたのか? 12回も。うっかりにも程があるだろう。」
「不動産会社の職員であり、かつ、家主でもあるホーナーさんがやったことだから、うっかり忘れたわけじゃなくて、わざとそうしたんだと思うけどな。」
「何で?」
「知らないよ。直接ホーナーさんに訊いてみたら?」
「それができないから、お前さんに調べさせたんじゃないか。」
「……ハンニバル、ホーナーさんが怪しいって思ってる?」
「少しな。じゃあ次だ、保証会社は何で素直に滞納された家賃の肩代わりをしているのか。」
「借家人が家賃払わないし、連帯保証人も例外なくでっち上げだったからでしょ。」
「保証会社として、それでいいのか? 保証人が全員、架空の人物だった、ってそうそうあることじゃないぞ。」
「借家人が契約通りに家賃を払っている限り、連帯保証人が実在の人物であるかどうかとか、家賃滞納時に借家人の代わりに家賃を支払ってくれるかどうかは調べないんじゃん? 家賃滞納になって初めて連帯保証人に接触しようとするわけだし。」
 実際、フェイスマンも連帯保証人の欄に実在の人物の住所氏名を書いたことはない。
「それはともかく、この保証会社もホーナーさんが勤めてた不動産会社経由で事務所を借りてる。」
「不動産会社の同系列の会社なのか?」
「そうじゃなくて、単にあの界隈で大きい不動産会社ってホーナーさんがいたとこしかないから利用したってだけじゃないかな。でもやっぱり、家賃滞納&契約期限なし。」
「保証会社が家賃滞納? 信用ガタ落ちじゃないか。」
「バレなきゃいいんじゃない? で、事務所があるビルのオーナーが誰なのかとか、保証会社の代わりに誰が家賃を払ってるかってなると、書類が適当すぎて、わけわかんないんだよね。空欄があったりしてさ。あの界隈じゃ誰もまともな契約書を書いてなくて、誰も家賃払ってないんじゃないかって思うくらいだよ。監査が入ってるはずなのに、よくあれでやってけてるよ。」
「それでも、保証会社からホーナー氏に家賃は払われてるんだろ?」
「数字上は払ってる。でも現金が動いているわけじゃないんじゃないかな。だって考えてもみなよ、ハンニバル、自分たちの会社の事務所の家賃も払ってない保証会社が、12人もの爺さんたちの家賃を代わりに払えると思う?」
「不渡りの小切手がぐるぐる回っているってことか。」
「多分そんな感じ。」
 突然、胃が痛み出して、フェイスマンは胃の辺りを掌で摩った。
「何だ、腹が減ったのか?」
「いや、胃が痛くて。」
「じゃあ大したことないな。次に、だ。何でホーナー氏は店子を今になって出て行かせようとしたんだ? 俺たちに仕事を頼んでまで。」
「資金が貯まって、いい加減に修復するか、ってなったからでしょ? 実際ボロボロだもん、あの建物。ハンニバルも見てきたんだっけ? コンクリは崩れてるし、金属は錆びて崩れてるし、木造部分は朽ちて崩れてるし、まあ大概のものが崩れてたからね。あれ、手抜き建築だよ。普通はあそこまで風化しないもん、廃墟じゃない限りは。」
「善意で、危険だから直す、したがって出ていってくれ、ってやってるとは思えんのだがね。」
 その時、フェイスマンが体を緊張された。部屋がミシ、と鳴る。
「……揺れてる。地震だ。」
「ああ、このところちょくちょく揺れてるな。」
「え、全然気がついてなかった。」
「それは、お前が歩き回ったり車で移動したり落ち着かないからだ。あたしみたいにデーンと構えていれば、地震くらいすぐにわかりますともさ。」
「大きな地震があったら、あの建物、確実に崩れるよね……。」
「崩れるだろうな、全部でないにせよ。……やっぱり善意なのか……?」
 ポーズをつけて考え込むハンニバルの顔がアップになり、CM。


 アジトの電話が鳴り、フェイスマンがさっと立ち上がって受話器を取った。
「もしもし。」
『フェイスか、俺だ。』
 コングだった。
『結果報告だ。まず、2軒以外全部、爺さん1人ずつしかいなかった。他の家族は大概出ていったか死んだかだ。って言っても殺人じゃねえぞ、病気とかだ。2軒は、他の家族が出ていった後に残った爺さんが病気で死んで、今ァもう誰もいなかった。ゴミやら何やらは残ってたけどな。」
「誰が死んだかわかる?」
『預かったリストに書いといたぜ。後で見せる。』
「了解。で、爺さんたちはどうなった?」
『10人全員、仕事に就かせた。役所で生活保護の手続きも終えた。新しい住処も決まった。今、荷物片づけに戻ってる。』
「じゃあこれで依頼は完了だね。さっすがコング。今回はホント助かったよ。」
『いいってことよ。俺のできることをやったまでだ。』
「特濃牛乳買っとこうか。」
『おう、頼むぜ。こっちはゴミの始末やら何やらでまだちょっとかかりそうだ。』
「ん、わかった。で、モンキーはどうしてる?」
『何だ、そっちにいるんじゃなかったのか?』
「こっちにいないから、そっちにいるんじゃないかと思ってたんだけど……。」
『どこ行きやがったんだ、あの馬鹿猿め……。』


「モンキーがどっか行っちゃったっぽい。探してくる。」
 電話を切ったフェイスマンは、ハンニバルにそう言い残してアジトを出た。
 マードックは金を持っていない(ミョン札は別として)。だが、『ゴリラで会話練習』を持っている。くだんの物件から徒歩圏内に動物園がある。となれば、とフェイスマンはコルベットに乗って動物園に向かった。
 来園客専用駐車場にコルベットを停め、動物園入口のマップを見て、動物園外周でゴリラが見えそうな場所に見当をつける。そして、その場所へ早足で向かう。
 案の定、マードックの姿が見えた。まだマードックが1インチくらいの長さでしかないが。マードックの周りには数人の人が立っている。どうやらマードックが何かパフォーマンスをしているようだ。フェイスマンは動物園と外界とを分けるフェンスに沿って歩き続けた。
「あれはゴリラです。」
 マードックがゴリラの方を指差して日本語で言うと、黒髪で細目の観客から若干の拍手が。
「私はゴリラではありません。」
 さらに若干の拍手。
「私はあのゴリラよりも年上です。あなたはゴリラよりも背が低い。ゴリラはバナナを食べます。ゴリラは人間を食べません。ゴリラは見た目とは違って、とても紳士的な動物で、どちらかと言えば神経質です。もし私がゴリラだったら、東京タワーに登るのに。」
 少し多めの拍手。
「ドモ・アリガト。」
 マードックが深々とお辞儀をして、パフォーマンス終了。足元に置かれた帽子にコインを投げ入れて、観客は去っていった。
「何してたの?」
 コインを取り出して帽子を被るマードックにフェイスマンが尋ねる。
「動物園が近くにあるって爺さんから聞いてさ、来てみたんだけど金ねえから入場料稼いでた。あー、まだ足りねえや。子供料金で入れてもらえねえかな。」
「忘れてるようだけどさ、今、作戦の真っ最中なんだよ?」
「忘れちゃいねえよ、ほら、あれ。」
 とマードックが指し示す方を見るフェイスマン。フェンスの内側の植栽の隙間からゴリラが見えるが、かなり遠い。
「何、ゴリラがいるってこと?」
「そうじゃなくて、その横のベンチ。」
「ベンチ? え、あれ、ホーナーさん? 何でここにいるわけ?」
 ゴリラの檻の前のベンチに2人の人間が座っているのが見えるのだが、そのうちの1人がどう見てもホーナー氏。昼に会った時と装いは異なっているが、あの体形はホーナー氏。
「でも、お前、ホーナーさんと会ってないよね?」
「会っちゃいねえけど、今回の依頼人が悪人顔だって、身なりとか人相とか話してたろ。それとバッチリ一致してねえ?」
「してる。隣にいるのは誰だろ? 遠目だからよくわかんないけど、痩せぎすで殺し屋系の悪人顔だよね。」
「西部劇の悪役っぽいね。主人公を殺しに来る奴。ザコじゃなくて、ちゃんと名前が個別でクレジットに出るレベルの。」
「そう、そんな感じ。何喋ってるかは……聞こえないね。」
「俺っちにも無理。子供の声や動物の声がうるさくて。」
「口の動きも見えないし。オペラグラスか双眼鏡でもあればいいんだけど。」
「口の動き、見えはするけど、読唇術できねえからなあ。」
「じゃあ同じ口の動きしてみて。」
 マードックが目を凝らし、ホーナー氏と同じ口の動きをする。
「“廃品備品が王妃の間(ま)、やったぜかのアントワネットの聖なるかな”……わかんないや。」
 マードックの口の動きで何を言っているのか読み取ろうとして諦めるフェイスマン。
「そうだ、ホーナーさんちに電話してみよう。そしたら誰と会っているのかわかるはず。」
 そう言って、フェイスマンは駐車場に向かって走り出し、マードックもその後を追った。


 駐車場のコルベットに乗って、フェイスマンは早速、自動車電話の受話器を手にし、手帳を見てホーナー氏の家に電話をかけた。
『はい、ホーナーです。』
 奥方の声が返ってきた。
「Aチームのペックですが。」
 フェイスマンが質問事項を口にする前に、奥方が言葉を続けた。
『ちょっと待ってください、ビルと代わりますからね。あなた! Aチームの方からお電話!』
 ビル、それはウィリアム・ホーナー氏のこと。
「え、何で? いるの?」
 てっきり家にいないと思っていたホーナー氏が家にいるらしいので、フェイスマンの頭は混乱中。
『はい、お待たせしました、ホーナーです。』
「Aチームのペックですけど、ええと、何と言えばいいのか、その、何でいるんですか?」
『何でいる、とはどういうことで?』
「あの、今さっき、動物園でホーナーさんを見かけたんですけど、人違いだったのかな、って。」
『ああ、それは兄でしょう。』
「お兄さん?」
『依頼とは関係ないことなのでお話してはいなかったんですが、双子の兄がいまして、私とそっくりなんですよ。よくドッペルゲンガーと間違われるんです。今日は兄が孫を動物園に連れていくと聞いています。』
「あはあ、そういうわけですか。ホントそっくりで、ホーナーさんかと思いましたよ。で、一緒にいた人なんですけど、誰なのかわかりますかね? ちょっと恐い感じで痩せていて。」
『それは義理の息子ですね。兄の娘、私から言えば姪の、夫ですな。確かに恐そうな顔しとります、表情も変わらなくて。ですが、真面目でしっかりとした男です。姪も一緒に行っているはずですが。』
「姪御さんはちょっとわかりませんでしたねえ。……因みにこの方々のご職業は?」
『兄は既にリタイアしましたが、元は保証会社で働いていました。』
「保証会社って、あのフルスマイルフル保証会社?」
『そうです。姪は大学の事務員、姪の夫は学者です。』
「学者さん? 大学教授とか?」
『教授ではなくて、今は研究所に勤めているとか何とか。地震の研究をしていて、最近小さい地震が多いじゃないですか。彼が言うには、少し大きめの地震がそろそろ起こるらしいんですよ。それで私、アパートの修復を急がないと、と思ったんです。修復はともかく、店子の皆さんに早いところ別の場所に移ってもらわないと、大きめの地震が来たらあの建物がどうなるかわかりませんからね。』
「……そういうことは先に教えてほしかったんですけどー。」
『済みません、もう何か崩れましたか?』
「それはまだ大丈夫です……大丈夫だと思います、恐らく。こちらからの報告もあるので、これからそちらに伺ってもよろしいでしょうか?」
『ええ、いらしてください。お待ちしております。』
 フェイスマンは電話を切って、「自動車電話の電話代って高いんだよな」と溜息をついた。また胃が痛くなってきた。空腹だからかもしれない。助手席でマードックも「このゴリラは空腹である」と言っている。


 道端の屋台でホットドッグ2本とコークとミネラルウォーターを買ったフェイスマンは、ホットドッグを食べながら運転し、胃薬をミネラルウォーターで流し込み、アジトに向かった。助手席のマードックは、ホットドッグを食べコークを飲み、その代金としてパフォーマンスで稼いだ小銭をフェイスマンに奪われた。
「どうしよう、ハンニバルを迎えに行くとなると、この車、3人は乗れない。」
 そう、フェイスマン愛用のコルベットは2人乗り。マードックが車体後部に張りつくという方法もなきにしもあらず。
「そんじゃコングんとこ行ったら? 全員揃ってバンに乗りゃあ万事解決。」
「万事じゃないけど、そうするしかないか。」
 急遽、くだんの物件に進路変更。と言っても、そっちの方が動物園からは近い。
 ボロボロの建物の前に、コングのバンとトラックが停まっていた。爺さんたちが建物からゴミを抱えて出てきては、トラックの荷台に投げ入れていく。適当な場所にコルベットを停め、車から降りるフェイスマンとマードック。
「コング! コーング!」
「おう何だ!」
 フェイスマンの呼びかけに、コングが2階の窓から顔を出した。だが、その窓が窓枠ごと外れて、コングの後頭部に直撃。
「……ってえな、コイツめ。」
 首に引っかかった窓枠(窓つき)を両手で持ち上げて頭から外すと、それを持ったまま何事もなかったかのようにフェイスマンを見下ろす。
「で、何だ?」
「今の……何ともなかったわけ?」
「ああ、大したこたねえ。」
「あのさ、ちょっと車貸してほしいんだよね。代わりにコルベット置いてくから。」
「よかねえけど、仕方ねえな。壊すなよ。あと、そこの阿呆に運転させんじゃねえぞ、絶対にな。」
 コングは窓枠を片手で持ち、空いた手でポケットから車の鍵を出してフェイスマンに向かって落とした。難なくそれをキャッチする。フェイスマンもコルベットの鍵をコングに向かって投げ、コングはそれを事もなくキャッチした。
「それと、これもな。」
 と、住居者リストの束を落とす。少し風に吹かれたが、何とかフェイスマンが掴み取る。
「サンキュ、1時間くらいで返すよ。」
 早速、コングのバンに乗り込むフェイスマンとマードック。走り去るバンを見送り、コングは窓枠をトラックの荷台に向かって投げた。


 アジトに寄ってハンニバルも合流し、ホーナー氏の家に向かう3人。道中、ホーナー氏の双子の兄その他のことをハンニバルに報告する。
「なるほど、大きめの地震が来てアパートが壊れそうだから、爺さんたちを追い出したがっていたわけか。」
「うん、さっきも窓枠取れてたし、地震来たらマジで崩れるよ、あの建物。鉄筋コンクリート造りらしいけど、鉄筋からして錆びてんじゃないかな。」
「オイラも階段踏み抜いたもんね、木が腐っててさ。爺さん曰く、階段の真ん中は危ねえんだって。」
「修復どころじゃなく、一旦全部壊して、一から建て直した方がいいんじゃないかと思うんだけど。」
「壊す時には、アクアドラゴンの撮影に利用させてもらいたいな。」
「あー、確かにあそこなら、特殊効果なしでもアクアドラゴンの尻尾の一撃でコンクリ崩れっぜ。」
 廃墟のアクアドラゴンの話で盛り上がるハンニバルとマードックの与太話を聞き流すフェイスマンであった。
 そうこうするうちにホーナー氏の家に到着。ドアチャイムを押すと、どすどすという音が聞こえ、ホーナー氏がドアを開けた。
「お待ちしておりました、どうぞ。」
 ホーナー氏の家は、一軒家ではあるがそう広くはない。横幅のあるホーナー氏がいるだけで、やけに狭苦しく見える。リビングルーム兼ダイニングルームに通され、3人がダイニングテーブルに着くと、間もなく奥方がコーヒーを運んできた。
「遅くなりましたが、こちらをご覧ください。12戸のうちこちらとこちらの2戸は借家人が病死、その家族は行方不明。」
 フェイスマンが住居者リストをテーブルに広げてホーナー氏に見せる。
「病死? 知りませんでした、全く……。」
「残り10戸は全部、借家人から退去の同意が取れて、現在、引っ越し作業の最中です。全員、引っ越し先も決定したそうです。」
「既に! 全戸ともですか! さすがAチーム。では早速、明日からでも修復の作業を開始してもらいましょう。」
 契約期限の話と保証会社の話を、喜んでいるホーナー氏にしなくてはならないと思っているからか、フェイスマンの胃がまたもやキリキリと痛み出した。それも、今回はいつもより痛い。我慢はできるけど、我慢以外のことはほぼできない。
 と、その時。地面が突き上げられたようにドンッと揺れ、その後、揺さぶられるように左右に激しく揺れた。
 咄嗟にAチームの3人はテーブルの下に潜り込んだ。あわあわしているホーナー氏のズボンの裾をハンニバルが引っ張って、テーブルの下に潜り込ませる。キッチンの方から食器が割れる音が聞こえる。テーブルの上でカップとソーサーがガチャガチャと音を立てている。
 揺れが治まると、ホーナー氏は立ち上がって、どたどたとキッチンに向かった。
「大丈夫か?」
「ええ、あたしは大丈夫ですよ。コンロの火も消しましたし。食器はあれこれ割れちゃったけど。」
 キッチンから聞こえる奥方の声を耳にして、Aチームの3人も安心した。
 だがしかし。
「……コング、大丈夫かな?」
「そうだ、爺さんたちも。」
 フェイスマンとマードックが顔を見合わせて言った。
「ホーナーさん、話はまた後だ、アパートの様子を見に行ってくる。」
 ハンニバルがキッチンに駆け込んでそう伝え、Aチームの3人はコングのバンに乗り込んだ。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 夕暮れの街をAチームのバンが走っていく。他の車は、地震の直後だけあって、路肩に停まっている。煙が上がっている家もある。サイレンを鳴らす消防車と擦れ違う。消防車の後を救急車が追って走っていく。
 バンがバイーンと跳び上がり、ヒューンと飛んで、ドスンと着地し、急ブレーキをかけて停まった。バンから飛び出してくるハンニバル、フェイスマン、マードック。
〈Aチームのテーマ曲、もう終わる。〉


 オンボロアパートがあったその場には、崩れた瓦礫が山になっているだけだった。その前には、ゴミを山ほど積んだトラックと、そこだけ別世界のようにキラリンとしているコルベット。
「コォーング!」
 マードックが声を限りに叫んだ。
「おう何だ?」
 至って通常通りの返事が返ってきた。瓦礫がフンヌと持ち上げられ、その下からコング登場。
「この惨状でも、何ともないわけ?」
 パンパンと体を叩くコングに向かってフェイスマンが尋ねる。
「コンクリがスッカスカだったおかげで助かったぜ。ちっと気絶しちまってたようだが。」
 見れば、コングのモヒカンに平行して一筋の灰色の線がついている。柱の角が当たったに違いない。でも凹んだりしているわけではない。ビバ、強い骨! ありがとう、牛乳!
「爺さんたちは?」
 コングの背中側を叩いて粉塵を落としてやりながら、マードックが尋ねる。
「地震が起こるちっと前に全員片づけを終わらせて、新しい家に向かったはずだがな。」
「じゃあここに埋まってるわけじゃねえんだな、よかった〜。」
 安堵の息をつくマードック。
「病死した爺さんちの片づけをしようと思って俺だけ残ってたんだが、もう片づける必要もねえな。」
 瓦礫の山を見つめるコング。
「コングさんやー。生きとるかいのー。」
「おお、無事じゃったぞ。」
 大きな風呂敷包みを背負った爺さんたちが、よったりよったりと戻ってきた。
「どうしたんだ、爺さんたち。」
 コングが爺さんたちに駆け寄る。
「でかい地震じゃったろ、それでコングさんが心配になってな。」
「無事でよかったわい。」
「今の地震で、案の定、崩れおったか……。」
「コングさんが来てくれなんだら、わしたち、下敷きになって死んどったんじゃろうなあ。」
「いやあ、ホント、コングさんは神様のようなお方じゃ。わしらを救ってくださって。」
 爺さんたちに囲まれて拝まれてるコングは、照れたような表情を浮かべ、両手を横に振って否定の意を示すしかできないでいる。そんなコングを生暖かい目で見る残りの3人であった。


〈Aチームのテーマ曲、再び始まる。〉
 大型トラックがバックしてきて停まり、運転席からフェイスマンが顔を出す。荷台に飛び乗ったマードックがコードリールをコングに渡し、工事現場用照明をハンニバルに渡す。コングがどこからか電気を引いてきて、照明を点ける。カラーコーンを立てていくマードック。倒壊した建物(と言うか瓦礫)を様々な方向から写真に撮るフェイスマン。トラックの荷台からショベルカーが下りてくる。操縦しているのはハンニバル。ツルハシで大きな瓦礫を砕くコング。瓦礫をショベルカーでトラックに乗せるハンニバル。
 爺さんたちの部屋から出たゴミが積んであったトラックを運転して、ゴミを捨てに行っていたフェイスマン、空になったトラックで戻ってくる。瓦礫で一杯になったトラックに乗り換え、走り去るフェイスマン。空のトラックに瓦礫を積むハンニバル。ハンドブレーカーで瓦礫を砕くマードック、結構うるさいので周囲の様子を見ながら。モロモロの鉄筋を手でバキバキと折っていくコング。
 手が空いて、コルベットの自動車電話でホーナー氏に連絡を入れるフェイスマン。画面の半分は話を聞いて頷いたり驚いたり首を横に振って残念そうにしたり、にったりと笑ったりするホーナー氏。
 空が白み始めてきた。土台を残すだけの状態になった現場を見て、額の汗を拭うAチームの面々。誰がどの車に乗るか、しばし揉める。拝借してきたショベルカー等を積み込んだトラックに乗り込むフェイスマン、空のトラックに乗り込むコング、コルベットに乗り込むマードック、バンに乗り込むハンニバル。4台の車は朝日が昇る前に、それぞれの目的地に向かって走り去っていった。
〈Aチームのテーマ曲、再び終わる。〉


 アジトに戻ったAチームは、朝から昼前まで睡眠。起床&身支度の後、4人揃って近場のファストフード店でハンバーガーを食べ、マードックを退役軍人病院に返却しに行き、残り3人でホーナー氏の家に向かった。
「崩れた瓦礫の撤去までやってくださって、ありがとうございました。」
 ダイニングテーブルを囲んで、まずはホーナー氏が謝辞を述べる。
「工務店には、修復ではなく建て直しに変更を頼んであります。」
「土台はまだ残ってるが、それも撤去して、最初っからコンクリ打ち直した方がいいぜ。」
 ホーナー氏とは初対面なれど、ホーナー氏の悪党面を気にせず意見を述べるコング。
「やはり欠陥住宅だったようですね。ともあれ、店子の皆さんがアパートの崩壊に巻き込まれなかったとのことで、安心しました。」
 コングは巻き込まれたが、そんなことは大した問題じゃない。
「そこでだ、ホーナーさん、何で賃貸契約の期限を切らなかったんだ?」
 気になっていたことをやっと訊けるハンニバル。
「気づかれてしまいましたか。私も家賃滞納が続いてから、失敗したな、と思ったんですよ。元々は、生活が大変そうな方々に、できるだけ無理なく住んでもらおうと考えてやったことなんです。契約期限がなければ更新料も必要ないので。契約更新の度に、連帯保証人をでっち上げるのも大変でしょうし。」
「保証人が架空の人物だっていうの、ホーナーさんも承知の上だったってこと?」
「生活が大変そうな人に連帯保証人がついてくれるわけがないでしょう。」
「そのことは、保証会社もわかってたのか?」
「契約した時点ではわかっていなかったと思います。家賃滞納になってバレましたけど。」
「その辺はお兄さんが何とかしてくれた、と。」
「そういうわけです。兄が退職してからは、今まで通りに、という感じで。」
「それは、保証会社自体が家賃滞納していたから?」
「ああ、そこまでお調べになっているとは、さすがAチーム。もうご存知かもしれませんが、その滞納した賃貸料は別の保証会社が払っているんです。そして、その保証会社も同じく賃貸料滞納で、兄のいた保証会社が肩代わりをしています。だから、行って来いなんですよ。」
「それなら家賃払えばいいのに。」
「そうなんですよねえ。全く何してるんでしょうね。」
 そう言って、ホーナー氏はクックックと笑った。悪役が悪巧みをしているかのように。
「それはそれ、Aチームの皆さんのおかげで、私の方の家賃滞納についてはおしまいにすることができました。強制退去の手続きも必要なくなりました。本当にどうもありがとうございました。既に朝のうちに不動産会社に行って、契約終了の手続きもしてきました。」
「爺さんたちのサイン、必要なら取ってくるぜ。」
「それは必要ありません。納得して退去していただければ、それでいいので。」
「アパート自体がもうねえんだから、退去も何もあったもんじゃねえけどな。」
「確かに。地震で壊れてくれたおかげで、地震保険も下りますし。証拠写真も撮っていただいたそうで。」
「そうだった。まだ現像もプリントもしてないけど。」
 フェイスマンがフィルムをホーナー氏に渡す。
「全壊ともなれば結構な額ですよ。」
 不安の種だった地震が棚ボタに転じ、フィルムを手に、ホーナー氏は再びクックックと悪役笑いをした。
「それでは、これ、お約束の。」
 と、懐から封筒を出したホーナー氏、それをハンニバルに渡す。受け取ったハンニバルは、封筒をそのままフェイスマンに渡した。
「失礼ながら、中を検めさせていただきます。」
 恭しく封筒をいただき、フェイスマンは開封して中身をちらりと見た。一瞬で小切手の額面を確認。
「え、多くないですか?」
「“強制退去にかかるはずだった費用”がお約束の額で、それに瓦礫の撤去にかかるはずだった代金とフィルム代、それとわずかですが心づけが足してあります。」
「ありがとうございますっ!」
 頭を下げたフェイスマンは、小切手を封筒ごとジャケットの内ポケットにしまった。大金と言うほどではないが、予定よりも多くの報酬を貰えることなど、Aチームにはそうそうあることではない。嬉しい、の域を超えて、感動に近い。
「よかったな、これで胃痛も治まるんじゃないか?」
 ニッカリして言うハンニバル。一応、部下の体調は少々気にかけている。思い出した時には。
「それがどうも、俺の胃痛、地震の前に起こるみたいで。」
「ナマズなんじゃねえのか、てめェ。」
 コングがプッと短く笑った後、そう言った。
「何かモンキーと同類みたいで、あんまり認めたかないんだけど、でも、そうとしか思えなくてさ。」
「あの、もしよろしければ、今後も何かあった時にお力を貸していただきたく思っておりますので、連絡先を教えてもらえませんでしょうか。」
 仲間内のダベりの中に、ホーナー氏が割って入った。
「ああ、はいはい、これ名刺です。」
 機嫌よく名刺を差し出すフェイスマン。ホーナー氏は差し出された名刺を両手で受け取った。
「ちょうだいいたします。」
 名刺にある電話番号と名前を見て、ホーナー氏の恐ろしげな瞳がキラーンと光った。


 後日。地震の前に胃が痛くなるフェイスマンは、州立地震研究所に偽の依頼で呼び出され、あっと言う間に捕獲され(さすがMPとは頭の出来が違う)、しばらく実験台となったのだった。捕まって、研究員の中に痩せぎすで殺し屋系の悪人顔がいるのを見て初めて、ホーナー氏に名刺を渡したのを後悔したフェイスマンであった。
 フェイスマンが地震研究所に監禁されている間、フェイスマンがMPに捕まったのだと誤解したハンニバルがコングやマードックと共に大暴れしたのは、また別の話。
【おしまい】

※ 動物園でホーナー兄が義理の息子に言ったのは(そしてその口の動きをマードックが真似て、何を話しているのかフェイスマンが読み取ろうとしたのは)、「最近地震が多いのは、やっぱりあの何とかニクス(プレートテクトニクス)のせいなのかね」でした。
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