STAY HOME大作戦
鈴樹 瑞穂
「い、一体全体。」
「い……いかばかりか。」
「か……家計の味方。」
「た、た、タコ足配線! あっ。」
 マードックがソファから滑り落ち、そのまま両手を天に掲げて“何てこった”のポーズで固まる。
「決まりだな。」
 ニヤリと悪い顔で腕を組むハンニバル。
「わかったよ、俺っちが行ってくるぜ。で、リストは?」
「これだ。頼んだぞ。」
 ハンニバルがどこからか取り出した紙片を人差し指と中指に挟んで、スッとマードックに差し出した。
「うへえ。一杯あるなあ。」
 マードックが紙片を取って広げる。2つ折りかと思われたリストは、何と4つ折りの長いリストだった。巻物か。
 買い出し係選抜しりとり勝負の結果、本日の買い出し係となったマードックを見送り、ハンニバルはここ最近お決まりとなった作戦を伝達する。
「1つ、寄り道はしない。2つ、多少高くても1つの店で買い物を済ませる。3つ、支払いはカードで。4つ、入店時と店を出る時に手指を消毒する。最後、帰ってきたらまずは洗面所でうがい、手洗い。」
「りょーかい。」
 ビシッと敬礼をしてマードックは出て行った。
 2020年4月、新型コロナウイルスの世界的な流行により、Aチームが目下潜伏している街でも外出規制がかかっていた。STAY HOME、娯楽施設を始めとする営業自粛、不要不急の外出自粛。食料品、生活必需品の買い出しは3日に一度、一家族から代表者1名で行くこと。Aチームといえどもウイルスには腕力ではどうしようもなく、真面目に要請に従う日々である。


 買い出しや散歩自体は規制されていないが、その範囲は住居を中心とし2km以内の自粛要請が出ている。Aチームの現在の住居から2km圏内のスーパーマーケットは3つ。スーパーAは安く品揃えがよいが通路が狭い。スーパーBは高級指向が売りで、お値段設定はお高めだが質のよいものが揃っている。スーパーCは大手チェーンの系列で、プライベートブランドはリーズナブルで豊富だが、それ以外の品物はやや高く、種類も少ない。Aチームの家計を預かるフェイスマンの推しはスーパーAだったが、物によってはスーパーCの方が安く買えたりするので、専らAで買い物をした後、目的のものだけをCに買いに行くというように吟味して使い分けていた。それが贅沢だったとこんな事態に陥って初めてわかるなど、難儀なことである。できればずっとわかりたくはなかった。
 さて、本日のお買い物リスト(3日振り)を眺め、マードックはスーパーAに向かった。因みにフェイスマンと買い出しに行く際、マードックはスーパーBに連れていってもらったことがない。その理由は隙を見てカートにスナックやガムやチョコレートを紛れ込ませるからである。そこで迷わず、いつものようにスーパーAに行ったマードックだったが。
「わお。すっげえ行列!」
 マードックもびっくり、スーパーAの前には入店待ちの行列ができていた。その列の長さたるや、スーパーの入口から伸びて伸びて建物を1周する勢いである。行列を辿っていくと、「最後尾」の札を掲げた人がいた。
「持ちます。」
 と、手を出しかけてハタと気づく。この人、スーパーの店員じゃないか。店名の入ったエプロンをしているからね。そうか、普通は最後尾の札は並ぶ人が持たないね。謎の納得をしたマードックだったが、延々と並ぶのに耐えられそうになかったので、そのままスーパーAを離脱した。
 次にマードックはスーパーCに向かった。ここはスーパーAほど混んではいなかった。並ばずに店内に入れたマードックは、カートを押しつつ、リストに従って品物を入れていく。
「ニンジン、タマネギ、ジャガイモ、バナナ、チキン腿4枚、胸4枚、手羽先1パック、豚バラ1kg、ラム1kg、牛ロース500g、いや1kgは要るっしょ。」
 予算の都合か牛だけ控えめだった量は上方修正する。
「それから、小麦粉、パン粉、ケチャップ、牛乳、卵、水と。パンはロールパン4袋でいいか。」
 最早、カートは山積みである。しかし、お買い物リストはまだ残っている。次に向かったのは日用品コーナーだ。
「洗濯用の洗剤、柔軟剤、キッチンスポンジ、ゴム手袋、シャンプー、リンス、洗顔フォーム? あ、あったあった。」
 マードックが棚に残った洗顔フォームに手を伸ばした時だった。スッと横から出た手がその洗顔フォームを鮮やかに攫っていく。トンビのごとき早業である。
「へっ?」
 振り向くと、洗顔フォームを握ったオバチャン、もといご婦人が仁王立ちで立っていた。彼女はマードックの呆然とした視線を受け止め、フンスと鼻息を吐くとそのまま去っていった。百戦錬磨の貫禄である。
「えええ?」
 我に返ったマードックはもう一度棚を見た。空である。ちょうどそこに何かの箱を持った店員が通りかかったので訊いてみた。
「ねえ、洗顔フォームってもうないの?」
「大変申し訳ありません、そちらになければありません。」
「そうかあ。わかった、あんがとね。」
 申し訳なさそうに謝られてしまったが、ないものはない。あの洗顔フォームが最後の1つだったのだ。
「負けた……。」
 マードックは敗北感に打ちひしがれかけたが、即座に立ち直った。細かいことを気にしている場合ではない。
「仕様がねえなあ。」
 きょろきょろと辺りを見回し、代用品をカートに放り込むと、マードックはレジに向かったのだった。


 買い出し任務を終えてマードックが戻ると、キッチンでフェイスマンが昼食の仕込みをしているところだった。外食ができなくなってから自炊に頼らざるを得ず、最初はエンジェルにレシピを教えてくれと泣きついていたフェイスマンであったが、だんだんと腕を上げ、今では複数のレシピサイトを股にかけ、レパートリーを増やしつつある。そんな彼の目下の悩みは、動く量が減った割に食べる量が増えている今日この頃、ちょっぴりお腹周りがきつくなったような気がするところだ。
「砂糖大さじ1、酢小さじ1、塩小さじ1/4、酒大さじ1と1/2。」
 ぶつぶつと呪文を唱えながら手を動かしているフェイスマンにマードックは声をかける。
「買ってきたぜ。生ものは冷蔵庫に入れとく?」
「お疲れさん。頼むよ。片づけたら冷蔵庫のコーラ飲んでいいからね。」
「コーラはまだあったんか。」
 リストにはなかったが、ちゃっかり買い足してきたコーラも含めて、食料品を冷蔵庫にしまう。残った日用品を指差してマードックが訊いた。
「こっちはバスルームの棚に入れておきゃいい?」
「あ、待った。キッチンで使うものはこっちに貰う。」
 調味料を鍋に投入して一段落ついたのか、フェイスマンがテーブルの上の品物を検分しにやって来た。そして、眉を顰める。
「んん? 洗顔フォームは?」
「なかった。だからこれ。」
 マードックが取り上げて手渡した薬用石鹸の箱を見て、フェイスマンはこの世の終わりのような表情になった。
「は? ない? 洗顔フォームが?」
「なかった。正確に言うと、最後の1個を目の前で掻っ攫われた。」
「なんてこった! あの洗顔フォームじゃないとダメなんだよ、ニキビができたらどうしてくれんの。」
「んなこと言ったって、ないもんは仕方ねえだろ。それに、ニキビじゃなくて吹き出物じゃねえ?」
「ニ・キ・ビ! あああ、他の店ならあるかなあ。」
「買い物は1つの店で、だろ。」
「わかってるよ! はああ3日後にまた探すとして、それまでこれで顔を洗うのか。」
 フェイスマンのテンションはダダ下がりである。マードックが戦略的撤退を試みかけた時、リビングの方からハンニバルが顔を出した。
「2人とも、手が空いたら来てくれ。」
「空いてる。」
 いそいそとマードックは飛びつき、フェイスマンがのろのろと後に続いた。


 リビングの液晶TVにはエンジェルが映っていて、マードックとフェイスマンを見るとにこやかに手を振った。TV会議システムである。
「ハイ。調子はどう?」
「最悪。」
「あら、どうしたの?」
「洗顔フォームを掻っ攫われた。」
「何それ?」
 仏頂面のフェイスマンに代わってマードックが経緯を説明すると、エンジェルはころころと笑って手を横に振った。
「それは災難だったわねえ。でもま、逆らわなくて正解よ。何か一言言おうものなら、めっちゃ距離を詰めて言い返してくるもの。」
「めっちゃ距離を詰めて?」
「ええ、それはもうめっちゃ距離を詰めて。」
「それは……恐いな。」
 飛沫感染のウイルスが猛威を揮っている最中に、それは嫌だ。マードックがぶるぶると首を左右に振り、残りの3人も青褪めた。
「じゃあ本題に入るわね。仕事の依頼が来てるの。」
 画面の中のエンジェルが何やら紙を取り出した。
「時間はあるから構わんが、この状況だ。遠くへは出られないぞ。」
 ハンニバルが言うと、エンジェルが頷く。
「もちろん。だからあなたたちにお願いしたいの。ちょうどその町の町長さん経由で依頼が来ててね。今画面を共有するわ。」
 エンジェルの顔が画面の右側の小さなエリアに移動し、中央に町の地図が表示される。
「ここのスーパー、知ってる?」
 マウスポインタでぐるりと丸く印を付けられたのは、スーパーTON'S。この住居から2km圏内にある3つのスーパーの中の、スーパーCことチェーン店である。
「ああ。洗顔フォームを買い損ねた店だ。」
 マードックが言う。
「なるほど。じゃあここは?」
 次に示された店はFRIENDS、スーパーAこと他店に負けないお値段が庶民の味方の店である。
「こっちはいつも買い物する店だな。」
 とハンニバル。
「今日は行列がすごくて諦めた。」
「そうだったのか。」
 マードックの報告にフェイスマンも驚いている。
「そうでしょうね。依頼者はこの2店のスーパーの店長さんよ。外出自粛になってから、他に行くところがないのか毎日買い物客が詰めかけて、朝から晩まで密な状態なんですって。おまけに客のマナーにも問題があるとか。もちろん、そこだけじゃなくてどこも似たような状況なんでしょうけど。日常の買い物は禁止されてないとはいえ、別にスーパーが安全なわけじゃないのにね。」
「こっちのスーパーからは依頼は来てないのか?」
 ハンニバルが地図上のもう1軒のスーパーを指して尋ねる。それはスーパーBことBECKS&BECKEY、お洒落な高級店である。
「あぁ、そこはね、客足は増えてるけど密になるほどでもなく、それにお客のマナーがいいんですって。レジも無人のカード決済だし、荷物は届けてもらえるし。」
 なるほど、これが高級店の客層か。思わず遠い目になるフェイスマンである。
「で、困ってるのはわかったが、具体的な依頼内容は?」
 ハンニバルが訊くと、エンジェルは肩を竦めた。
「買い物客が密な状態になるのを何とかしてほしい、ですって。……あんまり具体的じゃないわね。」
「まあ、確かに買い物できなくて困ってるのは俺たちもだし。」
 本日のお買い物戦争を戦い抜いてきたマードックがしみじみと言う。
「そういうわけなんだけど、この状況じゃ直接依頼人に話を聞きにいくわけのも難しいでしょ。リモート会議をセッティングするわね。」
 エンジェルが何やら端末を操作しながら手を振って、セッションを切った。程なくしてピロンとメール受信音が響く。
「来たぜ。30分後だ。」
 コングがタブレットを操作して、開催通知をTVに映す。
「ううむ。面倒な時代になったな。」
「慣れるしかないんじゃない?」
 唸るハンニバルの肩に、フェイスマンがぽん、と手を置いた。


 30分後。
「FRIENDS店長のマイケルです。」
 TV画面に映った、店名入りエプロンの男性をマードックが指差して叫んだ。
「あっ、最後尾札の店員さん。」
「ご来店ありがとうございます。お待たせして申し訳ありません。」
 その横に映った制服の男性も名乗る。
「スーパーTON'Sの店長、ロバートです」
「あっ、洗顔フォームないって教えてくれた店員さん。」
「ご来店ありがとうございます。一部品切れによりご迷惑をおかけしております。」
 こちらも条件反射のような謝罪が来た。最早、謝り慣れている。マイケル、ロバート両名とも目の下にクマができており、疲れ切った様相である。
 と、マイケルの画面に何やら影が差した。
「ニャ〜。」
「猫か。」
「猫だな。」
 画面一杯に映ったピンクの鼻と白いヒゲを見て、コングとマードックが顔を見合わせる。
 と、画面に映っていたロバートに何かが飛びかかった。
「ワンワンワン!」
「こっちは犬か。」
「でかいな。」
 白黒ぶちの背中と揺れる尻尾を見て、ハンニバルとフェイスマンも顔を見合わせた。
「済みませんっ。ほら、ミケ、下りて。」
「ジョン、遊ぶのは後だ! 失礼しました。」
 ニャーニャー、ワンワンが遠ざかっていき、バタンとドアの音がした。リモート会議あるあるである。戻ってきた2人の店長が咳払いをしつつ画面に収まるのを待って、ハンニバルが話を進める。
「大体の話は仲介者から聞いている。依頼内容は店内の密な状態の緩和だな。」
「はい、その通りです。」
「何とかしていただければ。」
 困っているのはわかるが、実に大雑把な依頼である。密とは何ぞや。
「じゃあ、達成条件は“買い物客同士の間隔が1.5mの距離を保つこと”でいいかな?」
 フェイスマンがそう言うと、マイケルが首を捻った。
「そうしたいところではありますが、うちの店は通路幅が狭いので実際には難しいかと。」
 ロバートも頷いている。
「うちはFRIENDSさんよりは通路は広くしてますが、1mが現実的な線じゃないでしょうか。」
「OK。達成条件は“買い物客同士の間隔が1mの距離を保つこと”ね。あと、これまでにやったことも教えて。」
「えーと、レジの前に1m刻みに並ぶ目安のラインをテーピングしたのと、レジをビニールシートで覆ったことです。」
「入店制限で外に並んでもらっていますが、どうしても列の間隔が狭くなってしまいます。一家族1名の入店もお願いしていますが、お子様がいると難しいですね。」
「なるほど。その他に、特に困っていて何とかしたいことは?」
「特定の品物について1日に何度も訊かれるので、対応に時間がかかって困っています。何度訊かれても、ないものはないので。」
「お客様同士でトラブルになるのが困ります。」
「ふむふむ。」
 フェイスマンとハンニバルが聞き出した要件を、マードックがメモする。ここはアナログなAチームである。そうして何とかリモート会議を終えた時には、既に夕方になっていた。会って話を聞く方がよほど早い。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 バンに乗り込み、ホームセンターに出かけるAチーム。これは仕事なので、不要不急の外出には当たらない。やったね! ホームセンターで必要なものを買い出し、代表でフェイスマンがレジに並んでビニールカーテン越しに支払いを済ませる。
 アジトのガレージで溶接をするコング。閉店後のスーパーから借りてきたショッピングカートをアルコール消毒しつつ、ハンニバルとフェイスマンが運び込む。
 シャワーヘッドを鉄パイプに取りつけ、シャワーの出方を調節するマードック。時々勢いよく水が噴射して、水も滴るイイ男になってしまうのはご愛敬である。
 スーパーTON'Sにショッピングカートを返しにいくハンニバルとフェイスマン。FRIENDSの方ではコングとマードックが店の壁に沿って何やら取りつける作業をしている。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


「な、何が何だか。」
「か、痒いところに手が届く。」
「く、クモの糸。」
「と、と、ところてん! あっ。」
 マードックがソファから滑り落ち、そのまま両手を天に掲げて“何てこった”のポーズで固まる。
「決まりだな。」
 ニヤリと悪い顔で腕を組むハンニバル。本日の買い出し係もマードックに決定である。
「わかったよ、行ってくる。」
 ハンニバルからリストを受け取り、マードックは家を出た。今日のリストもそこそこに長い。
 まず、FRIENDSに行くと、やはり入店待ちの行列ができていた。その列の長さたるや、スーパーの入口から伸びて伸びて建物を1周する勢いである。が、以前と違うのは、列に並んでいる人と人の間に妙に隙間があることだ。そして、その隙間に時折シャーッという音と共に水が降り、虹を作る。見上げると、建物の壁に取りつけられた鉄パイプに等間隔でシャワーヘッドが取り付けられていた。名づけて「入店待ち行列の間隔保つくん1号」である。濡れたくなければ間隔を開けて並ぶしかないのだが、アトラクション感覚なのか、行列を作る人たちは割と楽しそうに並んでいた。
 マードックが行列を辿っていくと、「最後尾」の札を掲げた人がいた。店長のマイケルである。彼はマードックを見ると頭を下げた。
「あっ、お世話になりました。」
「その後どうよ?」
「なかなかいいですよ! 皆さんきちんと1m開けて並んでくださいますし、並んでいる間も退屈しないようです。今日はお買い物ですか? 並びます?」
「いや、ついでだし、様子を見がてらTON'Sに行ってみるよ。ミケによろしく。」
 マイケル店長に別れを告げ、マードックはTON'Sへ向かった。こちらは今日も並ばずに入店できた。マードックは店の入口でショッピングカートを取って、乗り込んだ。カートの押し手から後ろに金属の輪が取りつけられており、買い物客はこの輪の中に入ってカートを押す仕組みである。名づけて「ソーシャルディスタンスカート」である。この輪によって客はカートと一緒に動くしかなく、他の客との距離が物理的に1m以上保たれる。カートの動線は決められていて、客たちは順路に沿って整然と買い物をしている。決まったものだけを買いたい客には、店員がそれだけを取ってきてそのままレジに誘導するレーンもあって安心である。
 マードックが順路に沿ってカートにリストの品物を入れつつ進んでいくと、日用品売り場で品出しをしているロバート店長に会った。
「あっ、こんにちは。その節はありがとうございました。おかげでだいぶ店内も落ち着いてます。」
「そりゃよかった。」
「今日は洗顔フォームもありますよ。はい、どうぞ。」
「助かるよ! それじゃ、ジョンによろしくな。」
 ロバートに手渡された洗顔フォームをカートに入れて、マードックはレジへと進んだ。スーパーの店長たちからは謝礼を貰ったし、平和に買い物ができるようになって、無事に洗顔フォームも買えた。これで今日はフェイスマンのテンションも元通り。後はウイルスが落ち着くまで家でのんびり過ごそうと、マードックはレジ横のチョコレートをカートに放り込んだのだった。
【おしまい】
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