キノコの山は滑る
フル川 四万
〜1〜

 大通りを1本裏に入った路地。暖かそうなコーデュロイの上着にニット帽、縁なし眼鏡のヒョロ長い青年が、辺りを見回しながら歩いている。ここはコロラド州デンバーの市街地の一角。ゆったりとした道路に民家と商業施設が混在している穏やかな地区だ。
「ええっとぉ、この辺りだよなあ……あ、あれか……えっ、あれかぁ?」
 青年は左右を見渡し、1棟のレンガ造りの建物を発見した。
「確かに石鹸屋、だけど。」
 シックな街並みの中で、その店は完全に浮いていた。入口の周りには、色とりどりの風船と電飾が煌めき、ドアの上の看板にはパステルカラーの丸文字で『モンキー博士のプルプルコンニャク石鹸! 毛穴吸着! なのに潤いキープ!』、加えて、どこから発しているのはわからぬシャボン玉が、引っ切りなしに飛び交っている。いや、出どころはすぐわかった。入口に立っているカーネル・サンダース風のマネキンが口に咥えたぶっとい葉巻から、忙しなくシャボン玉を吐き続けているのだ。おかげで、店に入りたい客は、シャボン玉の攻撃を掻い潜って素早く潜入するか、カーネル(偽)に一発食らわせてシャボン玉を止めて入るしかない。そして、店の前の路面は、石鹸水でびしょびしょだ。もちろん、滑る。フレンドリーな看板に対し、入店の難易度が高すぎる店であった。
 青年は、Aチームに伝があるという新聞記者との電話を思い出してみた。
『あのね、17thウェスト・ストリートをちょっと入った路地に、石鹸の専門店? えっ何それ。石鹸ばっか売ってんの? それ商売になる? ……えっコンニャクイモ? 報酬が余ったって何……えっ、毛穴消えるの? キャー、何それ、すごい! あ、ヘンリー? ごめんごめん、うん、だから、石鹸の専門店があるっぽいからそこ行ってみてよ。じゃっ!』
 そう言って乱暴に電話を切った記者の、投げやりなガイドと、目の前の光景を比較してみる。確かに、石鹸屋だ。予想していたのとは随分違うけど。いや、自分が何を予想していたかも、もうわからないけれど。
「とにかく、店に入らなきゃ。」
 ヘンリーと呼ばれた青年は、店の正面へと歩を進めた。この後の展開としては、シャボン玉の群れを掻い潜り店内にイン、もしくは、カーネル(偽)に一発食らわせてシャボン玉の発生を止めてからイン、となるが、運動神経は悪いし、暴力とは無縁で育ったヘンリー(職業・ホテルのキノコ狩り係)は、どちらも成功する気がしない。
「そうか、あの人形に、ちょっとあっちを向いてもらえばいいんだ!」
 閃いたヘンリー、ツカツカとカーネル(偽)に歩み寄り、彼の体を両腕ごとガッ! と掴み、90度右を向けた。一瞬、カーネル(偽)の眼鏡の奥の瞳が動揺したように見えたが、気のせいだろう。人形だし。結果、カーネル(偽)は明後日の方を向き、従ってシャボン玉も明後日の方向へ。かくして、全貌を現した店の入口(普通のガラス戸)へ進み、石鹸水溜まりを踏んで派手に転倒しながらガラス戸に突っ込む形で入店した。


「いらっしゃいませー。」
 もんどり打って床に這いつくばる彼の頭上から、やけに明るく白々しい声が届いた。顔を上げれば、真っ白いエプロン姿の気のよさそうな男性が、腕に大きなボウルを持ち、山盛りになった白いホイップクリームのような物を泡立て器で掻き混ぜている。
「お試しいかがですか? ほら、ふわっふわのコンニャク石鹸! 泡立ち抜群ですよ!」
 と言って、店員はヘンリーの鼻に拳大の泡の塊を乗っけた。
「さ、伸ばして伸ばして! お顔に伸ばして!」
「え、え?」
 ヘンリーは、鼻に乗っかったプルプルでフワフワの泡を顔に伸ばす。伸ばしても潰れないモコモコの泡で、ヘンリーの顔はパイ投げ受難後のコメディアンのようになった。
「……これでいいですか?」
 ゆっくりと立ち上がったヘンリーは、改めて店内を見回した。10畳ほどの小さなスペースの真ん中に、洗面台を4つ背中合わせにくっつけた構造物があり、その中心に色とりどりの丸い石鹸がシャンパンタワーのように積み上がっている。壁際の机の上には贈答用の石鹸セットがずらりと並び、店の奥のキッチン(?)では、高さ30cmのチーフコック帽の上にキャップを乗っけた男が、蒸し器の様子を見ている。蒸し器を開ければ、盛大に湯気が上がり、イモを蒸かしたような匂いが店に充満した。
「コング、コンニャクイモできたよ!」
「おう、じゃこっち持ってこい!」
 キッチンにいたもう1人の男――同じくコック帽に、金のイヤリング、ネックレスをじゃらじゃらつけたモヒカン男が、両手に菜っ切り包丁とハンマーを振り翳して不機嫌そうに叫ぶ。
「じゃ、泡を伸ばしたら、この水道で顔洗って。大丈夫、お湯出るから冷たくないよ?」
 笑顔の店員に促され、水道で顔を洗うヘンリー。そして差し出されたふわふわのタオルで顔を拭いたヘンリーが、これは……と声を上げた。
「ザブザブ洗ったのに突っ張ってない! しかも、軽いスクラブ感もあるから毛穴まですっきり! でもって香りがいい! 何この石鹸! すごい! お祖母ちゃんに買って帰りたい!」
「でしょう。これ、コンニャクイモを粉末しにしたものを混ぜて作ってあるんだ。」
「すごいです! さすが、アレン女史が勧める店です。」
「……まあ、エンジェルは美容への執念すごいからね。新聞記者にしておくにはもったいない人材だよ。」
 と、カラン、とガラス戸が開き、カーネル(偽)が店内に入ってきた。
「おいおい、俺の登場前に勝手に話を勧めんでくれよ。やあ、君がヘンリー・オコーネルだね?」
「わあ、マネキンが喋った!」
「誰がマネキンだ。おほん、私が、ハンニバル・スミスだ。」
 カーネル(偽)こと、普通に白いジャケット姿でシャボン玉吹いてただけの、素でちょっと人形っぽいハンニバルが、笑顔で手を差し出した。ガッチリと握るヘンリー。


 石鹸屋の入口に『Closed』の札を掛け、折り畳み椅子を各々開いてヘンリーを囲むAチーム。
「で、今回、俺たちに助けてほしいっていうのは、どんな件なんだ?」
 ここ数か月のコンニャク石鹸開発のため、すっかりお肌スベスベになったハンニバルが問うた。因みに、コンニャクイモ100kgは、半年前の依頼に対する報酬である。言われた通りに作業して「コンニャク」なるものを作ってはみたが、ブヨンブヨンで味もないため、失敗作と断じて転用を思案した結果、蒸して刻んで乾かして粉にしたものを石鹸1個につき大さじ1と1/2添加すると、泡が最後まで潰れないすごい洗顔石鹸ができる、というところまで3か月弱、各種香料を添加して製品化まで2か月、ついにモンキー博士のコンニャク石鹸完成……。Aチーム、本業を忘れそうなほどの大奮闘であった。
「僕は、ここから車で2時間くらいの山の麓で、オーベルジュを営んでいます。」
「オーベルジュって何だ?」
 と、コング。
「チッチッチッ。発音が違うぜコングちゃん、オ〜ベふジュ。」
 怪しいフランス語訛りで訂正するマードック。
「オーベルジュってのは、レストランとホテルがくっついたやつだよ。そもそもフランスでは……。」
「要するに、飯が自慢の宿ってこったな。」
「……うん、ま、そんなとこ。で? 続けて?」
 コングへの説明を諦めたフェイスマンが先を促す。
「うちは、元々祖父母が経営してたオーベルジュ、名前をシャンピニオン・ロッジと言いまして、自然のキノコを各国料理に仕立てたのが自慢の宿でした。お祖母ちゃんのキノコ料理が美味しいって評判で、リピーターも結構いて、それなりに流行っていたんです。でも、去年お祖父ちゃんがイースターエッグを喉に詰まらせて亡くなってしまって、家族会議の結果、お祖母ちゃん1人で宿を続けるのは無理だってことで、定職に就かずフラフラしてた僕がお祖父ちゃんの後を継ぐことにしました。」
「ほう、感心じゃないか。今時祖父母の後を継ごうだなんて。」
「もしかしてお祖父ちゃん、イースターエッグ丸呑み?」
「丸呑みです。生来のお調子者で、友達と卵早食い競争やってて詰まりました。ま、それは寿命なんでいいんですけど。僕は、小さい時からお祖母ちゃん子で、キノコも大好きだし、就職先も決まらないしで、ロッジを継げて嬉しかったんです。それで、キノコ狩りも、最初の年は近隣の人が助けてくれて、お客さんも来るしで、順調だったんです。でも、今年に入って、急にキノコが採れなくなって。」
「今年はキノコが不作で数が少ないってこと?」
「いえ、気候的には、むしろ豊作の方だと思うんですが。そもそもキノコが採れる山は国有林で、誰の土地でもありません。で、近隣のキノコ採りの名人たち、地元ではキノコハンターって言うんですが、彼らは国に許可を得ていて、それぞれの縄張りでキノコを採るんです。もちろん僕も、お祖父ちゃんの縄張りを受け継いで許可を取っています。縄張りって言っても厳密に線引きがあるわけじゃなく、何となく他人の領地には入らない・採らないのをルールにしてて、それで別に問題も起きず、今まで穏やかにやって来たんです。でも、今年は、僕が下手クソでモタモタしてるうちに密猟者が出たみたいで、僕が採る前に、いい感じに目をつけていた群生地がことごとくやられてしまっているんです。」
「キノコ泥棒か。」
「はい。僕がキノコ狩り初心者なんで、他の人の陣地よりいいキノコが沢山残ってるからかと思って、僕なりに勉強して、食べ頃のキノコは採り残さないように頑張ったんですが。しかも最近は、食用じゃないキノコや毒キノコまで手当たり次第に採ってるみたいで……物によっては命を落とす危険性があるので、誰かが誤って食べてたらと思うと気が気じゃなくて。早く捕まえたくて見張りをしてみたんですが、そういう時に限って密猟者、出ないんです。なのに、ちょっと目を離すと、また盗られてる。僕も、ずっと見張ってるわけには行かないし、予約のお客さんは来るし。最近は、不憫に思ったお隣のマーロンさん、祖父母の親友で、裏山で猟師やってるマーロンさんがキノコを分けてくれるので、何とか営業できてるんですけど、いつまでも迷惑かけるわけには行かないし。」
 そう言うと、ヘンリーは悔しそうに膝を叩いた。
「で、最近、新聞が、うちのオーベルジュを記事にしてくれて、アレンさんと知り合ったので、ダメ元でお願いしてみました。因みに、『私のお薦めイケメン・シェフ』っていう記事なんです。僕、シェフじゃないんですけどね。料理するのはお祖母ちゃんだから。」
「はは、エンジェルらしいね。」
「Aチームを紹介されたってか。キノコ泥棒ごときで。」
 ヘンリーの言葉の後半をあっさり無視し、コングが呆れたように言った。
「……まあいいじゃないか、エンジェルにはいろいろと借りもあるし。俺たちにかかればキノコ泥棒なんて、赤子の手を捻るようなもんだ。」


〜2〜

 Aチームを乗せた紺色のバンは、デンバー市街を抜け、山麓の町ボールダーを通過し、ボールド山の麓の森を行く。手には、ヘンリー手書きの地図1枚。雑な一本道の先に赤いキノコが群生している絵だ。よくこの地図でここまで来れたな、Aチーム。
「この辺のはずなんだけどなあ。」
 フェイスマンが地図を片手に辺りを見回す。
「一本道だから間違えるってこたあねえだろ……おい、ありゃ何だ。」
 コングが指差す先には、赤い笠のキノコの群生……いや、キノコを模した建物だ。大きなキノコ形のロッジの周りに、小さいキノコ形のコテージが4つ、取り囲むように生えて……いや、建っている。80年代流行のメルヒェンの香り漂うキノコの家である。
「おーい、スミスさーん、こっちこっちー!」
 キノコロッジの前でヘンリーと小さな老婆が手を振っていた。
「まあまあ、よく来てくださいました。」
 そう言ってAチームをキノコ形の宿、シャンピニオン・ロッジへと誘うのは、ヘンリーの祖母、ジョアン・オコーネルだ。白髪交じりのショートカットに丸眼鏡、小花柄のワンピースにレースのエプロン姿のいで立ちは、どこかの甘味屋のス〇ラおばさんに酷似している。通されたロッジのダイニングルームには、キノコのいい匂いが充満していた。
「ほう、いい匂いだな。」
「クンクン……何作ってるの? 何か知ってるような匂い。」
 鼻のよいマードックがクンカクンカと嗅ぎ回る。
「芋煮よ。シメジとマイタケとビーフにタロイモ、それからコンニャクを出汁と醤油で煮込む日本料理なの。」
「コンニャクって、あのベロンベロンの? あれ、食べられるの? 石鹸の材料じゃなくて?」
「もちろん食べられるわよ、アメリカでは手に入りにくいけど、味が染みてとても美味しいのよ。今夜のお夕飯に出しますから、是非召し上がってね。どうぞごゆっくり。」
 ジョアン婆さんは、そう言うと、キッチンへと去っていった。
「さ、皆さん。」
 と、ヘンリー。
「現場を見ていただくのが話が早いと思います。日も暮れるし、急ぎましょう。お願いした登山靴、履いてますか?」
「ああ、履いてるぜ。俺は、この軍用ブーツだ。雪山だろうが砂漠だろうが、これがあれば楽勝よ。」
 コングが、軍用ブーツの片足を上げた。
「どんなのがいいのかわからなかったから、とりあえず、靴屋で勧めてもらったお洒落登山靴だけど。」
 フェイスマンが薄紫のスニーカーを示す。裏には、うっすらとした突起が申し訳程度に5個ついている。上革は薄く、いかにも水が滲みそう。
「オイラのはこれ、何か本で読んだら、これが一番だって。」
 マードックは、飛脚仕様の編み上げワラジである。どこで買ったそれ。辛うじてハンニバルだけが、コロンビアの登山靴を着用している。ヘンリーは溜息をついた。
「結構急斜面なんですけど……ま、いいでしょう。行きましょう!」


「この上です。」
 シャンピニオン・ロッジから歩くこと15分、何てことない山道の途中で、ヘンリーはそう言って立ち止まった。見上げれば、どこから入っていいかもわからない急斜面。道などどこにもなく、ただ樹木と雑草、そして濡れた急斜面が続くばかりだ。
「ここ? ここから入るの? えっと、靴、汚れない?」
 と、フェイスマン。
「汚れますとも。皆さん、軍手をしてください。うっかり毒草の蔓でも掴むとえらいことになりますから。さ、あと30分くらいです。登りましょう!」
 ヘンリーはそう言うと、草を掻き分けて急斜面へと消えていった。慌てて後を追うAリーム。斜面は、傾斜45度。場所によっては60度近く、草や木の根っこを掴んで垂直に上がらねばならない。しかも、足場はぬかるんで滑る。あっと言う間にヘンリーの姿は上空に消え、じたばたと無様な4人が残された。
「こりゃ難儀だぞ。」
「キノコ狩りって、こんな大変なんだっけ?」
「わからねえ。だが、着いていくしかねえだろう。おいモンキー、大丈夫か?」
「へっちゃら♪」
 コングの心配をよそに、スイスーイと斜面を登っていくマードック。その姿は、まさにモンキー。
「ちょっと俺、靴がダメみたい。すんごく滑る……わぁっ!」
 フェイスマンが足を滑らせた。
「あわわわわ。うひょー。」
 何だか喜んでるみたいな声を上げて、斜面をズザザザ……と滑り落ち、木の切り株に股間を強打して止まった。そのままがっくりと項垂れて静止するフェイスマン。
「おーい、大丈夫ですかー?」
 遥か頭上から、ヘンリーの声がする。
「問題ない、すぐ行く。」
 無情なハンニバルの言葉に、無言で登り出すマードックとコング。フェイスマンも、ゆっくりと立ち上がり、腕の力を頼りに登り始めた。
 30分後。心持ち傾斜の緩い場所に出て、やっとヘンリーに追いついた4人。
「この一帯が、うちのキノコ狩り場です。」
「ただの雑木林にしか見えんが。」
「僕も最初はそうでした。慣れると見えてきますよ。今の時期だと、アメリカマツタケ、フクロダケ、マイタケとヒラタケでしょうか。アミガサダケも出る頃かな。」
 木の根元に目を凝らす4人。
「あっ、あった! あの赤いのキノコじゃん?」
 マードックが太い木の根元に駆け寄った。落ち葉を掻き分けて顔を出したのは、赤い笠に白の斑点がある、いかにもキノコ! っていう1本。
「ベニテングタケ、猛毒です。」
 ひえっ、と手を引っ込めるマードック。
「触っても大丈夫ですよ。食べなければ。」
「触るなよ、食えねえキノコなんざ、何の役にも立たねえぜ。おい、こっちのサンゴみたいなのはどうだ?」
「ハナホウキタケ。下します。」
「じゃあこのツヤッツヤなのは?」
「コレラタケ、だから下痢しますって! 何で毒キノコばっか見つけるんですか!」
「何で毒キノコばっか生えてるんだよ!」
「毒じゃないのもあります。ほら、そこの木の根元。まだ小さいけどクリタケです。バターでソテーするとむっちゃ美味しいです。そっちには、そろそろ食べ頃のヒラタケがあったんですけど……採られてしまったようです……クソッ!」
 ヘンリーが足元の枯葉を蹴散らした挙句、滑って転んだ。
「いってえ……。ということで、明日から、この辺りの見回りをお願いします。」
『え、明日もここに登るの? 嫌だなあ。』
 フェイスマンが心の中で呟いたはずの言葉は、疲労のあまりダダ漏れしていた結果、しっかり全員に伝わった。


〜3〜

 翌朝、4人は2つの小さなコテージで目覚めた。コテージは、それぞれがツインの個室になっているのだ。ハンニバルとフェイスマンの家は、赤いキノコのモチーフがそこここに散りばめられたメルヒェンな感じ。コングとマードックのコテージは、ピンクの木イチゴ柄。一歩踏み込んだ瞬間、コングのこめかみに怒りマークが出現するには十分なメルヒェンみであった。
 眠い目を擦りながら食堂のあるロッジへと集まる4人。ダイニングには、泊り客が2組、Aチームとは少し離れた窓際の席で寛いでいる。台所から漂ってくるのは、エスニックな香り。
「クンクン、いい匂いだけど……これ、ベトナムの街角の匂いだ。あー、そうか、でも、あー。」
 そう言ってマードックが両腕で自分の体を抱き、椅子ごと前後に揺れ始める。
「大丈夫か、気分が悪ければ戻って寝てていいぞ。」
 ハンニバルが、心に傷を負う部下を気遣う。
「うんにゃ、食う。それとこれとは、別。時々練習しとかなきゃ、家(精神病院)で怪しまれるからね。俺様がマトモだってバレたら、追い出されちゃうだろ? そしたら、緑色のゼリーも食べられなくなっちゃう。ゴミ袋も余計に貰えなくなっちゃう。」
 マードックは、ガッタンガッタンと楽しそうに揺れながら答える。緑色のゼリーとは何ぞ。
「いや、素で大丈夫だと思うよ?」
 フェイスマンが慰める。慰めになっているかどうかは不明。
「ああ、昨日の芋煮も美味かったしな。ジョアンの料理はなかなかのもんだ。」
 コングがそう言って、ナプキンをネックレスの間に挟んだ。
 4人がテーブルに着くと、ジョアン婆さんがスープを運んできた。大きなポットで供されたそれは、キノコたっぷりのベトナム風の鳥とキノコのスープ。
「おはようございます。よく眠れましたか? 沢山召し上がってくださいね。」
 ジョアン婆さんは、そう言うと台所に戻っていく。入れ代わりに、ヘンリーがにこやかに登場。カトラリーを配り、スープを各々に取り分ける。
「今朝は、フクロダケとクリタケのスープと、マイタケを乗せたフォカッチャです。両方とも、お婆ちゃんの得意料理です。」
 ヘンリーが得意げにそう告げて、踵を返したその時。


 カラン。
 ドアベルが鳴り、1人の男がふらりと入ってきた。がっしりとした体形に、ウエスタン映画のガンマンのような服装。ピラピラのついたチョッキにグレーの口髭を蓄え、背中に猟銃を背負っている。
「マーロンさん、おはようございます。」
 ヘンリーの挨拶に軽く頷くと、男は「ジョアンは?」とヘンリーに言った。その瞬間、飛び出してくるジョアンお婆ちゃん。
「まあマーロン、今日はどうしたの?」
「ああ。キノコを持ってきた。また坊主が苦戦してるんじゃないかと思ってな。」
 そう言って差し出したのは、籠一杯の大きなヒラタケ。
「まあ、美味しそう! いつもありがとう。ごめんなさいね、ヘンリーが慣れないばっかりに。」
 ジョアンは嬉しそうに籠を受け取った。
「……ありがとうございます。」
 ヘンリーは無表情に礼を述べる。
「昨日は収穫あったのか?」
「少しだけ……。」
「少しか。フン、まあいい、余ったらまた持ってきてやる。今日も山へ行くのか?」
「いいえ。今日は、麓の町に買い出しです。」
「そうか。せいぜい体を使うんだな。ジョアンに苦労かけないように。」
 そう言うと、男=マーロンは去っていった。戸口まで見送って手を振るジョアン。
「誰だありゃ、感じ悪いな。」
「マーロン・プラントさんです。お祖父ちゃんの親友の。僕らが困ってるのを見かねて、時々キノコを分けてくれるんです。」
「なんだか胡散臭いな。」
「胡散臭くはないですけど、マーロンさんが来るとお祖母ちゃんが妙に嬉しそうなのが、孫としては引っかかるんですよね。」
 ヘンリーは、キノコの籠を抱えていそいそと台所に戻っていくジョアンの後ろ姿に、そう言って溜息をついた。


〜4〜

 さて、食後の腹ごなしも兼ねて、キノコの狩場へと向かうAチーム。フェイスマンの薄紫のスニーカーと、コングのブーツは脱ぎ捨てられ、マードック仕様のワラジで登る3人であった。ハンニバルは元々コロンビアのブーツなので、何も問題はない。
「はぁ、はぁ……昨日も思ったけど、何でこんなに滑るのかな、ここの土壌。腕の筋肉ばっかり鍛えられるわ。」
 両手で木の根っこと草の蔓を掴んで登りつつフェイスマン。
「こんな場所に、おいそれと盗みに入れる奴がいるのかよ。なあハンニバル?」
 コングはかなりコツを掴んだようで、滑る地面から時々飛び出している木の根っこや岩を選んで足を進めている。
「おーい、大丈夫?」
 遥か上からマードックの声がする。すっかりコツを掴んだらしい。ハンニバルは、ああ、とか、うん……とか、曖昧な相槌で、ただ足を運ぶだけだ。
 ようやく辿り着き、一息つく4人。
「ここで見張るったって、どうすりゃいいんだ? その辺のヤブの中にでも潜んでみるか?」
「うん、いいけど、迂闊に座るとお尻が濡れるよね。」
 と、フェイスマン。
「少し離れた場所に陣地を作って待つとか?」
「ふむ。」
 と、ハンニバルが考える。
「待ってみても、今日犯人が現われるとは限らない。」
「そうだね、毎日来てるわけじゃないもんね。」
「じゃあ何? 犯人が来るまで、ここに毎日通って居座ることになるの?」
「まあ、待ちなさい。ここはヘンリーの家の狩場だって言ってたよな?」
「うん。」
「基本、周りのハンターは入ってこないと。」
「うん。」
「てことは、入ってきた奴が犯人だ。」
「当たり前だろ。ハンニバル、何言ってんだ?」
「まあ待ちなさい。あたしに妙案がある。つまり、俺たちが現場で待ってなくても、引っ捕まえてしまえばいいってことだ。」
 そう言って、ポケットから葉巻(湿気てる)を取り出し、咥えた。湿気てるから、火は点かない。そんな細かいことを気にするリーダーではないのだ。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 木イチゴ柄のコテージに、大量の石鹸を運び込むコング。待ってましたと受け取るフェイスマンとマードック。おろし器で、ひたすら石鹸を削り続ける2人。裏庭でロープを編むハンニバル。水道からホースで水を引き、石鹸粉の入ったタライに水を注ぐフェイスマン。そこに電動泡立て器を複数突っ込んで泡立てるマードック。もちろんコンセントは立派なタコ足配線だ。たちまち泡は盛り上がり、さらに盛り上がり、タライから溢れ、部屋からも溢れ、窓からはみ出してコテージを侵食していく。背中に石鹸水と泡で一杯のでっかい籠(内側にゴミ袋)を背負い、行列して山道を行進する4人。坂道を転げ落ちそうになりながら、支え合い、労わり合って、山を登っていくAチーム。美しい友情のシーンと言えよう。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


 オコーネル家の狩場に辿り着いた4人。狩場の下に、ロープを編んだ罠を仕掛ける。
「そこの向こうから入って、その辺で滑れば、こっちの網にかかる。」
 と、マードックが指差す。
「ああ、それで、向こう側から来れば、あの辺で滑るから、右の罠にかかるだろう。」
 ハンニバルが続ける。
「向こう側から来たら、左の罠ね。みっともないだろうなあ、滑って転んで網にかかるっていうの。おーいモンキー、泡の準備できたー?」
「できたー。」
 フェイスマンの呼びかけに、上の方にいるマードックが叫んだ。
「よし、モンキー、泡を流せ!」
 ハンニバルの号令に、マードックがザザァと泡を流し始める。モコモコの泡が、たちまち狩場に広がっていく。1時間ほどもたっぷりと泡を流した後、自分の流した泡で滑って落ちてくるマードックを片足で受け止めたコングが、そのまま滑って転んだ。そして4人は罠の最終確認をして、ヨチヨチと狩場を後にしたのであった。


〜5〜

 翌日午後。
「スミスさんっ!」
 コテージの掃除(泡で汚したから)に勤しむハンニバルのところに、ヘンリーが駆け込んできた。
「どうしたヘンリー。」
「罠、あの、昨日仕掛けてくださった罠に、な、何か入ってて、しかも動いています!」
「何だって? こんなにすぐにか! で、中身は確認したのか?」
「いえ、行ってみたら何かモゾモゾしてたんで、恐くなって帰ってきました。」
「よし、行ってみよう!」
 ヘンリーとAチームは、早速、山へ向かった。険しい道を毎度のへっぴり具合で登っていくと、見上げる木の上に、跳ね上げ式の罠にかかった人影がプラーンと揺れていて、盗んだであろうキノコも大量に散らばっている。駆け寄って罠を下ろすコング。
「ああ? このおっさん、どこかで……。」
「マーロンさん!?」
 コングの疑問が一瞬で氷解する大声でヘンリーが叫んだ。そこでグッタリしていたのは、ヘンリーの祖父ポールの親友、マーロン・プラントその人であった。
「マーロンさん、どうしてっ?!」
 ヘンリーが、網の中のマーロンの肩を掴んで揺さぶる。1晩以上を空中の罠の中で過ごしたマーロンは衰弱しており、ゆっくりとヘンリーに顔を向けた。
「ヘンリー、この罠、お前の仕業か……。ふっ、やるじゃねえか小僧……。」
 掠れた声でそう言うと、マーロンはグッタリと気を失った。


 シャンピニオン・ロッジのコテージの一つ。優しく寝かされたベッドの上で、キノコ泥棒、マーロンは目を覚ました。傍らには、額のタオルを取り換える心配そうなジョアン婆さんの姿。と、ヘンリーとAチーム。
「あ、目が覚めましたか。はい、体温計るから体温計咥えて。」
 ヘンリーがマーロンの口に体温計を突っ込む。3分待って、引き抜いた体温計は36℃少々。
「熱、下がりましたね、よかった。」
「マーロンさん、あたしゃヘンリーに頼まれてキノコ泥を探してた者だが、どうしてあんたが泥棒を?」
「……泥棒? そうか、俺がやったのは泥棒か。……そうだな、もうポールの狩場じゃないんだったな。俺とポールは、お互いの狩場は自由に行き来していいことにしてたから、泥棒っていう感覚はなかったぜ。」
 そう言ってマーロンは目を閉じた。
「……ジョアンが心配だった。だから俺は、ポールを亡くしたジョアンを支えようと思った。何せ、オレとポールは親友で、ジョアンを巡っては恋敵だったからな。ポールが亡くなった今、ジョアンを支えられるのは俺しかいないと思ってた。ところが、孫とかいう奴が都会からしゃしゃり出てきた。そこのヘンリーだ。キノコの判別もろくにできない馬鹿が、間違って宿で毒キノコでも出そうもんなら、ポールとジョアンの夢だったロッジが潰れちまう。それなら、俺がちゃんとしたキノコを狩って持っていってやった方が、ジョアンのためになると思った。どうせヒョロい都会っ子なんて数か月で出ていくさ、山は過酷だからな。なのに、こいつは、まだいやがる。」
「まだいて済みません。でも、僕なりにいろいろとキノコのこと、わかってきたつもりです。もう少し見守ってほしかった。」
 マーロンはヘンリーを見て、ふと笑った。
「そうだな。俺は、夢を見過ぎていたみたいだ。お前さえ追い出せば、ジョアンと、その……夫婦とは言わないまでも、着かず離れずの暮らしが待ってると思ってた。ポールとイースター卵早食い競争なんて馬鹿な真似をして、結果的に奴を死なせた負い目もあった。」
「まあ、マーロン……。あなたのせいだなんて、そんなこと誰も思ってないわ。ポールは、ああいう人だから、ああいう死に方をした。それだけ。あなたのせいじゃない。あなたは、いつだって優しかった。」
 ジョアン婆さんが、マーロンの手を取った。
「ジョアン……。」
 見つめ合う2人。
「おほん、えー、それじゃ、俺たちは退散しましょうか。さ、ヘンリー。」
「えっ?」
 フェイスマンの言葉を切っかけに、ヘンリーを追い立てるようにしてコテージを出るAチーム。
「まだ話は終わってませんよ!」
「まあ、これで解決ってことでいいだろう。彼は悪い人じゃない。これから、君があの爺さんから学ぶことは沢山ある。」
 ヘンリーは、少し考えた後、黙って頷いた。


「それじゃ、俺たちはここで。」
 ロッジの前に停めた紺色のバンの前で、ハンニバルはヘンリーとジョアンに別れを告げた。
 数日前に登ってきた山道を、デンバーに向かって戻っていく。荷台には、キノコが一籠。報酬はそれだけ。だが、6か月かけて開発したコンニャク石鹸をいたく気に入ったジョアンのおかげで、ロッジ名物のお土産物として販売してもらうことになったのだ。ゆくゆくを考えれば、いい話じゃないか、と、1人ほくそ笑むハンニバルであった。
【おしまい】
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