占う大捜査線
伊達 梶乃
 サン・ガブリエル川と合流する手前のコヨーテ川は、川沿いにサイクリングロードがあり、周囲に公園やゴルフ場の緑も多く、自然が溢れているかのように見えるが、川面に目を向ければ、両岸は薄茶色のコンクリートのスロープで、河原も川底もコンクリート。水は上流の国立公園の方から流れてきているものの、手つかずの自然はわずかな雑草と苔くらいしか見当たらない。川にかかる橋も実質本位。カンカン照りの日には徒歩で渡るのが躊躇われるほどの何もなさ。まあ大概は車で通過するだけの場所なので、周囲住民は素っ気ない橋のことなど気にも留めていない。
 そんな橋の下に、ボロボロとまでは行かないけれどかなりくたびれた衣服を纏った男が1人。コンクリートの斜面に上手いこと段ボールや廃材を用いた家を据えつけ、ゴミ捨て場から拾ってきた家財も川に転がり落ちないように工夫して置いてある。斜面に座る彼の横には、荷紐で括った雑誌の束。どこかの誰かがゴミとして出したものを拝借してきたのであろう。テレビ情報誌を手に取り、ぺらりぺらりと読んでいく。テレビ情報誌を読んだところでテレビはないのだけど。と、その時、彼の手が止まった。
「これ……彼女だ……。」
 そのページには、朝の番組で占いコーナーを担当している女性占い師のことが、小さな囲みで取り上げられていた。


「そろそろ俺っち、帰った方がよくね?」
 正方形のテーブルを囲む3人、即ちジョン・スミス大佐とテンプルトン・ペックとB.A.バラカスにコーヒーや牛乳のお代わりを注いで回りながら、エプロン姿のH.M.マードックは不機嫌そうな顔で言った。彼、2週間前に病院から攫われてきて以来、ずっと働かされている。それも、ヘリにも飛行機にも乗らない地味な仕事ばかり。動物園に頼まれた迷子のクジャク探しとか、悪徳園長に牛耳られた幼稚園に平安を取り戻すとか、殺人ピーナツバターの生産販売会社をぶっ潰すとか、特に何も行動に出ていない巨大秘密結社を解散させるとか、食事作るとか食器洗うとか洗濯するとか洗濯物干すとか。
「これ終わったら一段落するから、あともうちょい手伝って。」
 細々とした依頼を溜め込んでいた張本人、フェイスマンがテレビに目を向けたまま答える。画面に映っているのはニュースキャスター。真面目な顔でニュースを読み上げている。
 現在、朝7時を過ぎたところ。一般人ならば家族揃って朝食を摂っていても何の不思議もない時刻。ただし、Aチームの面々が揃って朝食の席に着いているのは奇妙な時刻。それも、マードック以外の3人の目は、じっとテレビに向けられている。いや、ハンニバルはテレビの正面の席で、新聞を広げ持ち、テレビ画面と誌面の両方を見ている。
「いつんなったら出てくんだ、そいつぁ。」
 既にジョギングと筋トレを終え、朝食も終えたコングが、食後の牛乳を手に尋ねる。
「多分、もうすぐ。」
 フェイスマンの言葉に、ハンニバルも新聞を閉じた。マードックもコーヒーサーバーと牛乳のボトルをキッチンカウンターに置き、壁に凭れてトーストを齧る。その傍らには、キリンの縫いぐるみ(高さ3フィート強)。マードックの黄色いフリルエプロンと色がばっちり合ってる。
「では、お次はモナ・コリンの占いコーナーでーす!」
 司会者がそう告げ、画面が切り替わった。ストレートな黒髪の女性が映る。くっきりと描かれた細い眉とアイラインが黒々とした目の間は、こってりとブルーのアイシャドウ。
「おはよう、皆さん。」
 低い声に、ノースマイル。夜の番組の方が似合いそうな妖しさ、いや、怪しさ。口紅は静脈血の色だし。
「今日の運勢をお知らせするわね。牡羊座は……。」
 テーブルの上にカードを広げて、掌で撫で回し、1枚を取り上げる。マニキュアの色は黒紫。
「幸運度は上から5番目。曲がり角に注意して。牡牛座は……。」
 同じように、カードを撫で回して1枚引く。
「幸運度は下から3番目。靴擦れに泣くかもしれないわ。」
 以下、省略。
「今日の運勢は、以上。皆さん、気をつけてお過ごしください。」
「はいっ、いかがでしたでしょうか、テレビの前の皆さん。ではお次は、交通情報でーす!」
 司会者の笑顔と元気な声が戻ってきた。そして消されるテレビ。
「今の占い師、モナ・コリンが依頼人。もちろんMPとは関係なし。エンジェルがあの占い師のところに取材に行った時にオフレコで“Aチームに頼みたいことがある”って言われて、それでエンジェルが俺に連絡くれたってわけ。」
「ってこたあ、あの占い師、エンジェルが俺たちと関係あるって知ってるのか。」
「知ってなきゃそんなこと言わないと思うけど?」
「占いで、エンジェルがAチームの仲間だってわかったのかもね。」
「いやいや、調べたんでしょうよ。さっきの占いだって、誰にでも当てはまるようなことを言ってただけじゃないですか。」
 占いに理解のあるマードックと、占いを信じないハンニバル。
「それじゃ、俺、ちょっと仮眠。」
 コーヒーを飲み干して席を立つフェイスマン。食後すぐに寝ると牛になる、と言われて育ってはいない。
「何だ、これから占い師んとこ行くんじゃねえのか?」
「だって、今、生放送の番組に出たばっかりなんだよ? ちょっと時間を置いて、落ち着いたところに話を聞きに行くってのがスマートってもんでしょ。」
「スマートかどうかは別として、今すぐに行っても留守かもしれんしな。フェイス、占い師の家は近いのか?」
「家って言うか、占いの館に来てほしいって。ここから車で10分ちょい。」
「占いの館、朝7時半からやってねえもんな、普通。ま、大体、夕方5時とかその辺からじゃん?」
「確かにそうだな。朝っぱらからあんな魔女みてえな奴と顔突き合わせて占われたかねえぜ。」
 コングの同意も取れたので、午後5時まで自由時間となった。フェイスマンはベッドルームへ、マードックは皿洗いへ、コングはアルバイトへ、ハンニバルは散歩へ。


 午後5時、アジトのリビングルームに集結したAチームは、揃ってコングのバンに乗り込んだ。
「依頼人は、今朝テレビで見たよね、占い師のモナ・コリン。依頼内容は今んとこ不明。彼女が占いをやっている占いの館はここね。」
 フェイスマンが、エンジェルに言われた住所をメモった紙をコングに渡す。
「おう。」
 それを受け取り、目を通し、ちょっと考えてからバンのエンジンをかける。
「電話して依頼内容を聞こうとは思わなかったのか?」
 咎めるようにハンニバルが尋ねる。
「いや、だって、ここんとこずっと何かしらの依頼でバタバタしてたし。」
「昨日の夜から今朝まで時間があっただろう。」
「金ヅルの未亡人が2週間放っとかれてムクれてたんだよ? 行かなきゃヤバいでしょ。今のアジトだって彼女が持ってる貸し家のうちの1つなんだし。ここんとこ立て続けに依頼こなしたけど、一銭も入ってきてないの知ってるよね? じゃあ俺たちの食費や光熱費は一体どこから出てるのか。答え、全っ部、彼女が出してくれてんの。俺のスーツも、ハンニバルの葉巻も、コングの牛乳も、モンキーの縫いぐるみも、全部、彼女が買ってくれたの。」
 捲し立てるフェイスマン。2週間以上前から住んでいるアジトは、もうすっかりAチーム4人の自宅のようになっている。
「あんがと、って言っといて。」
 ここのところ連れているキリンの縫いぐるみの頭をぐいっと曲げて、おじぎをさせる。
「ヌイも、あんがと、って。」
 どうやらこのキリンの縫いぐるみの名前はヌイらしい。因みにマオリ語。縫いぐるみのヌイではない。
「だーかーら、ここんとこ牛乳が美味えんだな。」
 合点がいった、というようにコングが頷く。ちょっとニマニマしながら。
「今朝だって、俺、みんなが起きる数分前に帰ってきたんだからね。」
「お前さん、今朝は珍しく早起きだな、と思ってたんだが……。」
「寝てなかっただけ。」
 早くに寝てしまって、仕事の疲れから熟睡し、フェイスマンが隣のベッドにいなかったのに気づかなかったハンニバルであった。
「そう言や、俺が起きてきた時にシャワー浴びてたな。」
「朝っぱらから香水臭いの、嫌でしょ?」
「夜中に一仕事していたのはわかった。ご苦労。」
「わかってくれりゃオッケー。」
「あたしからの礼も、その未亡人とやらに伝えといてくれ。」
「ん、了解。」
「で、だ。モナ・コリンだが、朝の番組の占いコーナーは半年くらい前から持っている。これがテレビデビューだ。2年くらい前から女性誌に占いを載せていて、これは今も続いている。その前から占いの館で占いをしているということだが、これはどのくらい前からかは不明。年齢不詳だそうだが、今朝テレビで見た感じだと30歳くらいか。」
「うん、俺もそんなもんだと思う。けど、ハンニバル、それ調べたの?」
「ああ、お前が寝ている間、散歩がてら本屋に行ってみた。多少、聞き込みもしたがな。」
「着いたぞ。」
 フェイスマンが「さっすが」と言おうとした時、コングがそう言って車を停めた。


 占いの館なんてものは普通、通りから目立つ1階にありそうなものだが、モナ・コリンの占いの館は、ごくありふれた小さな雑居ビルの2階だった。1階はレトロな手芸用品と小物の店。その横の細い階段を上っていく。階段の上がり口に『2階 占いの館』とプレートは掲げられているが、3階や4階のオフィスのプレートと大差ない地味さ。
 2階に上がると、開放されてドアストッパーで留められた防火扉が、占いの館がオープンしていることを示していた。占いの館のイメージにぴったりな紫やピンクの布を掻き分けて中に進む。
「こんばんは、Aチームの皆さん。」
 正面のテーブルに、テレビで見たのと同じモナ・コリンがいた。黒いストレートな長い髪に、黒い服。だが、声が違う。抑揚のない低い声ではなく、ごく普通の女性の声。
「ようこそいらっしゃいました。」
 笑顔で立ち上がる。……笑顔? よくよく見れば、瞼もそれほど青くない。唇も健康的な色。爪も自然な色。
「ええと、モナ・コリンさん?」
 テレビで見たのと同一人物とは思えなくて、フェイスマンが尋ねる。
「ええ、モナ・コリンです。よろしくお願いします。」
「テレビで見せていたのは、演出か。」
 差し出された細い手を握り、ハンニバルが言う。
「そうです。魔女みたいな感じにした方が占いっぽいかと思って。ハンニバル・スミスさんですね。それと、コングさん、フェイスさん、モンキーさん。」
 モナが順にみんなの方に顔を向ける。
「オイラたちが来んの、わかってたみたいだけど、それも占いで?」
 そう尋ねたのはマードック。
「占いではなくて、何だか今日17時ちょっとに来るような、そんな気がしたので。この後しばらくはお客さんが来ないって気もしてます。」
 占い師とは思えぬアバウトな発言。
「客が来ないのならちょうどいいな。早速だが、依頼内容を聞かせてもらおう。」
 さくさくと進めたいハンニバル。
「それが、申し訳ないことに、わからないんです。“Aチームを呼べ”という意味に解釈できる結果が出るだけで。」
「出る、って、占いで?」
 そう尋ねたのは、モナの言葉に背筋がぞわったとしたフェイスマン。
「そうです。1か月くらい前からなんですけど、私自身のことを占うと、毎回必ず、緑、軍人、逃亡、新聞、呼集、出会いのカードが出るんです。」
「そのカードってなあ全部で何枚あるんだ? テレビでこうやってたやつだろ?」
 カードを広げて撫でる手つきを真似るコング。
「全部で300枚くらいです。占いで使えそうな言葉を市販のカードに書いていっただけのものですけど。」
 その中には、靴擦れとか曲がり角とかもあるわけだ。
「300枚の中からいつも同じ6枚を引くって……。」
 その確率を計算しようと思ったフェイスマンだったが、どう計算すればいいのかもわからなかった。
「偶然じゃああり得ないってことはわかった。それに、緑、軍人、逃亡、新聞、呼集、出会い、と出て、新聞記者のエイミーに、元グリーンベレーのお尋ね者であるあたしたちを呼んでほしいと頼んだのも理解できる。」
 新聞で出会いを求めた軍人が緑の中に逃亡する可能性もないわけではないが。
「もうオイラたち呼ばれて来たんだからさ、今カード引いたら何依頼すればいいか出るかもしんないぜ?」
「そうですね、やってみます。」
 マードックの提案に、モナは席に着き、神妙な顔でカードを掻き混ぜて引いた。ナイフ、暴漢、恨み、緑、軍人、守り。
「やだ、恐いの出ちゃった。」
 両手で口を覆い、眉間に皺を寄せるモナ。
「どんな結果だ?」
「恨みを持った暴漢がナイフで襲ってくるのをAチームが守るみたいです。」
 緑を守る軍人が恨みでナイフを持って暴漢と化すのでないといいのだが。
「ふむ。我々にボディガードをしろということか。」
「そうしていただけると助かります。」
「ねえねえ、俺っちのこと占ってよ。」
 緊迫した空気も気にせず、マードックがしゃしゃり出る。
「ああ、あんたの占いがどのくらい当たるのか、占ってもらってみてもいいかもしれんな。」
 上司の承諾も得た。
「でも、有料ですよ。」
 占いで生活しているのだから、相手がAチームでもタダではできない。
「じゃあ占いの料金の分、俺たちの人件費、安くするよ。1回、おいくら?」
 そう提案したのは、もちろんフェイスマン。ちょっと占うくらいサービスしてくれてもいいのに、と思いながら。
「占いの方法や内容にもよりますけど、最低料金で10ドル。」
 安くする、と言ったフェイスマンだったが、値段を聞いて眉間に皺を寄せた。だが、男に二言があってはならない。少なくともハンニバルの前では。
「じゃ、その最低のやつで。」
「何を占います?」
「こいつ(マードック)が昨日、気をつけなきゃいけなかったことは何か。」
「昨日? 今日や明日のことじゃなくて?」
 少々声を裏返して、フェイスマンがハンニバルの方を見る。
「なるほどな、昨日のことなら当たったかどうかわかるぜ。」
 意図を汲んだコングがゆっくりと深く頷く。
「わかりました。昨日のことを占うなんて初めてですけど、やってみましょう。じゃあモンキーさん、こちらにお掛けください。」
 モナはマードックに正面の椅子を示した。素直に座るマードック。横にはキリン。
「昨日、気をつけなきゃいけなかったことですね。」
 じっとマードックの顔を見て、カードを1枚引く。
「大さじ1と1/2。」
「何だと?」
「はあ?」
 このフェイスマンの「はあ?」は、「大さじ1と1/2」なんていうカードまであるのかという驚き。そして、今までこのカードの出番はあったのかという疑問。
「ほう。して、モンキー、大さじ1と1/2に心当たりは?」
「えっとね、昨日の朝のトースト、大佐のやつにはいつも小さじ1と1/2のバターを塗んだけど、昨日はコングちゃんのと間違えて大さじ1と1/2塗っちまって、あ、って思った時には融けたバターがトーストに滲み込んじまってて取り返しつかなかった。コングちゃんには、大さじ1と1/2のバターを塗ったトースト4枚、もう出した後だったし。」
 Aチームのバター使用量、多すぎやしないだろうか。
「モンキー……。」
 ハンニバルのトーストに小さじ1と1/2(もしくはそれ以下)のバターしか許可しなかったフェイスマンが額に手をやる。無論、ハンニバルの健康(と腹の出っ張り)を思っての小さじ1と1/2。
「だから昨日のトーストは、じゅわっとして味があって美味かったのか。」
 思い出し涎が湧いてくるハンニバル。
「それと、昨日、てるてる坊主爆弾作ったろ。あれに硫黄、大さじ1と1/2入れちまってた。後んなってコングちゃんが書いてくれたレシピ見たら、小さじ1と1/2だった。何か頭でっかちだな、って思ったんだけどさ。」
「だーかーら、まともに爆発しなかったのか。火の玉が弾け飛んだり、燃えたまんまボッタリ落ちたりして、おかしいと思ったぜ。」
「あれ、危うく俺、燃えるとこだったんだぞ。って言うか、スーツちょっと燃えたんだけど。臭くて咳も止まんなかったし。」
「まあそれはそれ、10ドルの占いでもしっかり当たってましたな。」
 占いに懐疑的だったハンニバルも、すっかりとモナの占いを信じるようになり、楽しそうな笑顔を見せている。
 そこに、ずいっとコングが進み出た。
「俺が今日明日、気をつけなきゃいけねえことを占ってくれ。」
 10ドルをポケットから出して、テーブルの上に置く。建材運搬のアルバイトで稼いだ金である。
「今日明日ね。」
 モナはコングの顔を見て、カードを撫で回してから引いた。
「タコ。」
 平然と彼女は言い放った。
「タコだと? 海のタコか?」
「そう。でも海か水族館かはわからないわ。食べるタコかも。詳しく知りたいんだったら、あと10ドル。」
「いや、タコってわかってりゃそれでいい。」
 確かに、それさえわかっていれば気をつけることができる。
「俺も……。」
「やめときなさいな。」
 占ってもらおうとしたフェイスマンをハンニバルが止める。
「お前さんは気をつけにゃならんことが多すぎるでしょ。追加料金取られるかもしれませんよ。」
 言い返せないフェイスマンであった。


「さあそれでだ、モナ、恨みを買っている心当たりは?」
 ハンニバルが真面目な顔になって仕事の話を始めた。
「占いが外れたから、というのはあると思います。1対1で面と向かって占っていれば、そうそう外れないんですけど、星座占いは、そんな、全人類が12のパターンに分けられるわけないじゃないですか。」
「じゃあ、あの朝の星座占いは適当なこと言ってるってわけ?」
「完全に適当ではないですけど、全員が全員、当てはまるわけじゃありません。」
「そりゃあそうだ。けどよ、朝のテレビでやってる占いが外れたからって、ナイフ持って占い師に襲いかかる奴ァいねえぜ。よっぽど頭がアレな奴じゃねえ限りはな。」
「俺っちだって、星座占いが外れたぐらいじゃナイフ持ち出したりしねえよ。」
 頭がアレな奴の代表もそう言う。
「朝の星座占いはいいとして、占いが外れたって文句言ってきたお客さんはいた?」
 そう尋ねたのはフェイスマン。
「いません。リピートしてくれるお客さんも、占いが当たったという話はしてくれますが、外れたという話は聞きません。」
 占いが外れたら、リピートしないしな。
「ってことは、占いが外れて恨んでるっていう線はないってことかな?」
 とハンニバルの方を見るフェイスマン。
「リピートしなかった客が怪しいかもしれんな。」
 ハンニバルの言葉に頷く面々。
「お次に、だ。あんたが出てる番組だが、前から占いコーナーがあったのか?」
「ええ、私の前に占いをやっていた方は、もうお年だったんで引退して、それで代わりに私が指名されたんです。」
「他の占い師が、選ばれなかったことで恨みを抱いているという話は?」
「聞いたことないですね。」
「男性関係はどう? 振られて恨んでいる男性とか、彼氏を取られて恨んでいる女性とか。」
 フェイスマンが話を得意分野に持っていく。
「ないと思います。こんな占いやってる魔女みたいな人間ですから、つき合った人にも愛想尽かされるばかりで。」
「むしろ君の方が誰かを恨んでいる、と。」
「恨むほどの執着はありません。別れることも占いで出ていたので、事前に諦めもつきました。」
「美人なのにね。キレイな髪だし。」
「ええ? そんなこと言われたの初めてですよ。」
 モナは喜ぶ素振りもなく、変なものを見る目でフェイスマンの方を見た。
「それに、この髪、ストレートパーマかけて染めてるんです。魔女っぽく見せようと思って。元はブラウンで、少しうねってます。割とよくいる感じの。」
 ヒッピーバンド巻いて横に大輪の花を飾ったらラブ&ピースになる感じの。
「昔は魔女っぽくなかったってわけか。」
「魔女っぽくした方が売れる、と思いまして。仕事にする以上は儲けが出ないと困りますし。」
「そもそも、何で占いを始めたんだ?」
「小さい頃から勘はよかったんですけど、占いなんて信じていなかったんです。占いなんて、父がやっているようなはったりなんだな、と思って。あ、父はマジシャンなんです。今もベガスでショーをやっています。母が助手をやっていて。そう、それで占いですけど、胡散臭かったんで調べたんですよ、どういう仕組みで結果が出るのか。」
「子供の頃から?」
「小学生の頃からですね。占星術もタロットカードも八卦も手相も骨相もシャーマニズムも何でもかんでも調べて、それで詳しくなって。でも私の勘の方が当たるから、やっぱりはったりなんだな、と。」
「それが何で占い師になったわけ? 占い信じてないのに。」
「高校生の時に統計と確率を知って、占いに利用されているのかも、と思ったんですけど、私には使いこなせないばかりか理解も難しくて、大学で心理学を学んでいる時に統計を学んでいる人と出会って、助けてもらったんです。その人が私に、勘を活かして占い師になるといい、と助言をくれまして。」
「ははーん、さては彼氏だね?」
「彼氏と言うほどの仲ではなかったと思います。私の持っている占いのデータをコンピュータで統計的に解析してくれて、その結果をくれた、というだけです。彼自身、その研究で学位を取ったと言っていました。」
「その男にも話を聞いてみたいな。そいつの名前は?」
「デレク。……デレク・モティマー。」
「住所とか仕事とかわかる?」
「わかりません。大学当時も、どこに住んでいるのか知りませんでした。彼とは大学の卒業式で会ったのが最後です。」
「よし、フェイス、お前はテレビ局の方を当たってみてくれ。」
「え、デレク・モティマーじゃなくて?」
「そいつはあたしが当たってみる。テレビ局は、お前の方が適任だ。」
「了解。」
「で、コングとモンキーは交代でモナのボディガードだ。」
「何でこいつがボディガードやるんだ?」
 不服そうにマードックの方を指差すコング。
「お前だって用足ししたり寝たりするだろう。その時の交代要員だ。」
「そんくらいならこいつにもできるか。おい、何かあったら俺に言え。自分で何とかしようなんて思うなよ。」
「モチのロンよ。」
 ビッと親指を立ててウインクして見せるマードックであった。


《Aチームの作業テーマ曲、始まる。》
 テレビ局で聞き込みをしているフェイスマン。時には警察のバッヂ(偽)も見せる。時には女性ニュースキャスターや女優さんに鼻の下を伸ばす。
 大学の事務課で職員と話をしているハンニバル。警察官の服装で。古い名簿を出してきてもらい、ページを捲る。
 客を前に、占いをするモナ。ピンクや紫の布の陰でじっとしているコングとキリンのヌイ。階段の掃除をしているマードック。
《Aチームの作業テーマ曲、終わる。》


 すっかりと日は暮れ、Aチームのアジトに明かりが灯る。聞き込みから戻ったハンニバルとフェイスマンが、晩酌しながら報告会。ハンニバルはビールとカリーヴルストとザウワークラウト、フェイスマンはワインとチーズと生ハムにサラダ。
「デレク・モティマーは大学を首席ではないにせよ、なかなかの成績で卒業した後、行方不明だ。就職もしていないし、大学院に進んだわけでもない。選抜徴兵登録はしていたが、徴兵はされていない。大学当時の住所は控えてきた。親元から通っていたようだ。明日になったら行ってみる。」
「こっちは結構驚きの事実を掴んだよ。モナ、本人は気づいてないみたいだけど、ニュースキャスターや司会者、俳優、ディレクター、プロデューサー、いろんな男から好意を持たれてた。女性陣が嫉妬してるくらい。あの番組の司会者も“モナにアタックしようと思ってるのに、仕事が終わった時はもう彼女が帰った後なんだ”って嘆いてた。何か、神秘的なとことか、普通の女の子みたいに騒がしくないとこがいいみたい。」
「この辺には少ないタイプですからねえ。それも芸能界となれば尚更。」
「魔女路線の子が大勢いても恐いしね。ある妻帯者のキャスターなんて、奥さんに“モナ・コリンみたいに静かに喋れないのか”って言って、別居されたらしい。別のキャスターは“モナ・コリンみたいにストレートな髪にしたらどうだい”って彼女に言って、振られたって。女性キャスターも、彼氏がモナ・コリンの話ばかりするって怒ってた。とある女優が“モナ・コリンの白い肌が羨ましい”って言ってた、って話も聞いた。」
「あれ、ドーランでしょ、白くしてんの。」
「うん、占いの館で見た時はテレビの時ほど白くなかったし。比較的色白ではあるけど。まあ、肌はキレイだったかな。骨格、華奢だし。」
「しかし何だね、テレビに出てるのは5分かそこらなのに、我々が思っていた以上に影響力があるんですな、モナ。」
「見た目のインパクトがあるからね。それに、毎日あの番組に出てるから、誰でもモナの顔、覚えちゃうよ。……だからこそ、モナを襲う予定の人物が絞れない。」
「襲うなら、とっとと襲ってほしいんですけどねえ、コングがいる時に。」
「コングがいるってわかったら、襲わないんじゃないかな。一般人がナイフ1本でコングに勝てるとは思えないでしょ。あんなコビトカバみたいな腕見たら、それだけで犯人逃げちゃうよ。」
「ということは、だ。我々が犯人に襲うチャンスを与えればいい、と。」
「本当に襲うんならね。モナの占いが外れる可能性だってないわけじゃない。俺としちゃ、占いが外れてほしいんだけど。」
 ふと、フェイスマンが掛け時計を見上げた。
「例の未亡人のとこ行かなきゃ。スタジオ埃っぽかったから、シャワー浴びたいけど、そんな時間ないよね?」
「知りませんよ。」
「せめて顔洗ってこ。どうせ歯も磨くし。」
 テーブルの上のグラスや皿を片づける気なぞ全くないフェイスマンは、すたすたと洗面所に向かった。
 と、その時、電話が鳴った。ハンニバルが手を伸ばして受話器を取る。
『モナです。ハンニバルさんですね。フェイスさんに“洗顔には気をつけろ”と伝えてください。』
 ハンニバルに一言も言う隙を与えずに、モナが早口で捲し立てた。
「ちょうど今、洗面所に行ったところだ。おーい、フェイスや、モナが“洗顔には気をつけろ”とさ。」
「洗顔の何に?」
 歯磨き中でモガモガしたフェイスマンの声が帰ってくる。
「わからん。あー、もしもし、一体洗顔の何に気をつければいいんだ?」
『そこまではわかりません。でも洗面所からフェイスさんの“ふぎゃっ”ていう声が聞こえるヴィジョンが浮かんで、慌ててカードを引いてみたら洗顔って出て。』
「フェイス、お前さん、“ふぎゃっ”て言うらしいぞ。」
「何か落ちてくんのかな?」
 口を漱いでから、フェイスマンがのんびりと答える。
「でもさあ、何かあったとしても、俺、“ふぎゃっ”なんて間の抜けた声出さないよ?」
 ぬるま湯で何度か顔を濯ぎ、掌に洗顔料を取って泡立て、顔面を洗っていく。
“俺、こんなにゆっくり顔洗ってる暇あったっけか? ちょっとスピードアップしなきゃ。”
 顔を擦る手の動きを速める。
「ふぎゃっ!」
 小指を鼻の穴に勢いよく突っ込んで、フェイスマンは声を上げた。
「……だから気をつけろって……。」
 呆れたように溜息をつくハンニバルであった。


「どうだ、間に合ったか?」
 占いの館で、モナが受話器を置くのを見て、コングが声をかけた。
「警告するのは間に合ったんですけど、やっぱり“ふぎゃっ”て言ってました。カードだけならともかく、ヴィジョンまで見えたら確実ですから。」
「ナイフ持った暴漢が襲ってくるってのは、そのヴィジョンとかいうのじゃ見えてねえのか?」
「今のところは。ヴィジョンは何の脈絡もなく、ふっと浮かんでくるんです。今みたいに知っている人のことだったらいいんですけど、全然知らない場所の全然知らない人のヴィジョンが浮かぶこともあって、そういうのはどうしようもなくて。未来のことだけじゃなくて、現在のことや過去のことも浮かんできます。」
「今見てるもんとごっちゃにならねえのか?」
「目で見ているものとは違うので、ごっちゃにはなりません。コングさんも何か頭に思い浮かべたりするでしょう? それと同じです。それが強制的に浮かんでくるんだと思ってください。」
「自分の知らねえ何かが強制的に頭に浮かぶのか。やってらんねえな。」
「気にしなきゃいいだけです。さすがに、リンカーンがトイレで力んでるヴィジョンが浮かんだ時は、やめてーって思いましたけど。」
 肩を竦めて、モナが笑う。
「そりゃひでえ。」
「でしょう。それも、食事中に。でも、こういう力があるから、仕事もあるし、収入もある。どうしてこんな力があるのかはわかりませんけど、ありがたいことです。」
 そう話しながら、モナはテーブルの上のカードを片づけた。
「何だ、もう店じまいか? 今日はもう客が来ねえってわかったとかいうのか?」
「もう閉店の時間だから。それに、モンキーさんも戻ってくるんで。」
「へいお待ち!」
 モナがそう言い終えた瞬間、夕飯を買いに行っていたマードックが戻ってきた。
「モナはテリヤキチキンボウルね。コングちゃんはグリルドステーキボウル超大盛りね。で、俺っちはオリジナルビーフボウル、っと。ほい、コングちゃん、お釣り。」
 コングに小銭を渡すマードック。
「てめェ、座るとこ……ねえか。」
 客用の椅子に座っていたコングは、他に椅子がないのを見て、腰を浮かせた。
「ヌイに座るからダイジョブ。」
 キリンの縫いぐるみを持ってきて、その背に跨る。ちゃんと座れている。頭が邪魔だが。
「でかくて邪魔なだけかと思ってたが、頑丈なんだな、そいつ。」
「キリンを馬鹿にしちゃいけねえよ。脚細えけど4本もあんだかんね。」
 大概の獣は脚が4本あるという事実を伝えるのが面倒になって、黙ってステーキ丼の蓋を開けるコングであった。


 食後、防火扉を内側から閉めるモナを見て、コングは眉間に皺を寄せた。
「裏口から出んのか? ってえか、裏口なんかあんのか、ここ。」
「裏口? ありませんよ。」
「じゃあここに泊まんのか?」
「泊まると言いますか、ここが私の家なので。」
 店のあちこちに天井から床へと斜めに配されている布の陰にモナの姿が消え、コングが慌てて後を追う。そこにはパーテーションがあった。パーテーションの向こうを覗き込むと、奥に質素なベッドとチェストがあり、手前にはハンガーラックにかかった服が。
「女性の部屋を覗くなんて失礼じゃないかしら。」
「悪ィ。」
 ベッドに腰かけたモナに言われて、コングは短く謝って頭を引っ込めた。トイレの場所は早くに教えてもらっていたし、流しと小さな冷蔵庫と1口コンロだけのキッチンセットの場所も教えてもらったが、ベッドまであるとは思わなかった。
「お2人はどこで寝るのかしら?」
「寝袋持ってきて、ここで寝ていいか?」
「どうぞ。」
「シャワーはどうしてんだ?」
 トイレはユニットバスではなくトイレ単独のものだったので、不思議に思う。
「スポーツジムに行ったついでに、ジムのシャワーを使っています。」
「そうか。」
 コングやマードックはスポーツジムの会員ではないので、シャワーを使わせてはもらえない。ビジター料金を払ってシャワーだけ借りるくらいなら、アジトに帰ればいい。それに、数日くらい、シャワーなんて浴びなくても何も問題はない。
「明日、5時起きなので、休ませてもらいます。」
「おう、俺たちも寝袋取ってきて交代で見張りしつつ寝かせてもらうぜ。で、ちっと質問なんだが、あの防火扉、セキュリティとかはねえのか?」
「ありません。消防署にも警察署にもセキュリティ会社にも繋がっていません。」
「わかった。」
 衣擦れの音がして、コングはそそくさとその場を離れた。


 清々しい朝。ハンニバルが目を覚ますと、コーヒーとトーストの匂い。マードックが帰ってきてるな、と身を起こす。カーテンを開け、伸びをし、服を着る。
「おはよ、大佐。」
「おはよう。ボディガードの方はいいのか?」
 カウンターに置かれたコーヒーを取って席に着くハンニバル。
「コングちゃんが着いてってる。オイラは大佐の朝ゴハン作りに戻ってきた。」
 トーストが焼け、小さじ1と1/2のバターを塗りながら。
「夕飯の片づけ、済まんな。」
 すっかりと片づいているテーブルの上を見て、ハンニバルが言う。昨夜、何もかも出しっ放しで寝たので。
「当然のことをしたまでであります。」
 カウンターの向こうでマードックが口だけで笑って見せたので、ハンニバルも口だけで笑って返した。
「トースト焼き終わったんなら、ヒーター点けていいな?」
「あー……うん、オッケ。」
 キッチンの中を見回して、マードックが答える。
 ここの家、借り手がなかなかつかないわけが、住んでみてわかったAチームであった。コンセントがごく少ないのである。そこでコングがバンに積んであった延長コードを持ってきたんだが、それでも足りず、急遽フェイスマンが延長コードをちょろまかしに行って、ついでに必要そうな電気製品もちょろまかしてきて、その結果、タコ足配線の先にタコ足配線、さらにもう一丁タコ足配線、という状態。エアコンもないので、今朝のように少々冷える日には、ヒーターを点けるにも他の電気製品の使用状況を確認しなくてはならない。掃除をするのも、洗濯をするのも、ドライヤーをかけるのも、いちいち確認が必要なのだ。3LDKだというのに、リビングルームにも各個室にもコンセントが1つもないというのは、欠陥建築だと言ってもいいだろう。
「フェイスは?」
 ハンニバルの前にトーストとベーコンエッグを置いて、マードックが尋ねた。
「まだ帰ってきていないようだが。」
「例の未亡人のとこ行ってんのね。……今いないんだったら、朝ゴハンなくてもいっかな?」
「いいと思うぞ。腹減っても、自分で何とかするでしょ。」
「じゃ、オイラ、ボディガードしてくる。そだ、フェイスに会ったら、自転車かスクーターか車、1台欲しいって言っといて。」
 足がなくて、車で10分ほどの道程を徒歩もしくは走って行き来しているマードックである。
「それはあたしも欲しいな。2台調達するように言っておこう。」
「よろしく!」
 ピンクのフリルエプロンを外したマードックは、キリンの首をガッと掴んで小走りでアジトを出ていった。


 朝5時に起床して身支度をしたモナは、コングの車に乗せてもらってスタジオ入りした。入口で警備員に止められたコングだったが、モナが「私のボディガードなの」と言うだけで関所を通過できた。
 収録スタジオの端でメイクをしながら打ち合わせ。その間、コングは行き来するスタッフの邪魔にならないようにしながらも、周囲の動きに神経を尖らせていた。
 そして、何も問題なく本日の星座占いが終わり、片づけをして、スタッフに挨拶をしつつ撤退。
「あっと言う間だったな。」
 バンに乗り込んで、コングが助手席のモナに顔を向けた。
「でしょう。これだけのために毎朝5時に起きるのは辛いけど、名前も売れるし、ギャラもかなり貰えるから。」
「12回も占ってるもんな。」
 カード1枚の占いが10ドルだったから、それを12回繰り返せば120ドルだ。
「それが、契約の時に、朝早いから普段の占いの額の10倍を希望してみたら、すんなり通っちゃって。値切られるかと思っていたのに。」
「10倍ってったら1200ドルか? 1日に?」
「そう、やる気出るでしょう。でも、このこと、フェイスさんには言わないでね。」
「ああ、んな余計なこたぁ言わねえよ。けど、その金目当てで狙われてんじゃねえか?」
「銀行の口座に振り込まれてるのよ? 私を脅して引き出さなきゃ、お金は手に入らないわ。」
「そんな手間踏んでるうちにコテンパンにしてやらあ。」
「だから、お金目当てじゃないと思うの。それに、占いで“恨み”と出たんだから、誰かが私のことを恨んでるのよ、誰だかわからないけれど。」
 話しながら魔女メイクをコールドクリームで拭き取ったモナは、髪をゴムでさっとまとめた。
「どこかで食事しましょうよ。」
「そうだな。ってっても、まだ8時にもなってねえし、洒落た店なんて知らねえからなあ。」
「ファストフードで十分。昨日の夕飯だってヨツノヤだったでしょう?」
「そんなら任せとけ。いい店知ってんだ。」
 意気揚々とコングはエンジンをスタートさせた。


 占いの館に戻ってきたマードックは、防火扉が閉まっていて途方に暮れた。路地に停めてあったバンもない。スタジオの場所も教えてもらっていない。
 階段に座ってぼんやりしていたところ、前の道路を掃き掃除していた老婦に挨拶をされた。
「おはよう、お婆ちゃん。」
 と、至って普通に挨拶を返す。
「そんなとこに座って、どうしたの?」
「2階の人に用があるんだけど、いなくって。」
「モナはさっきテレビに出てたから、まだスタジオにいると思うわ。お昼には帰ってくるんじゃないかしら。」
「昼かー。タイミング悪ぅ。」
「お昼までそこに座ってたら、お尻冷えちゃうでしょう。うち来なさい。」
 そうして1階の手芸用品と小物の店に招かれたマードックであった。
 店内にはお婆ちゃんが作った小物と、小物を作るための品々がみっしりと並んでいて、その奥にはテーブルと椅子とテレビ。そこに近隣のお婆ちゃんが続々と集まってきては、お茶を飲みつつお喋りをし始めた。
 店の主のお婆ちゃんは、この店だけでなく建物自体のオーナーで、上の階の賃貸料で生活している。店は単なる趣味で、別に儲けを期待しているわけではなく、このお喋りの場の方が店のメイン。といったことを、他のお婆ちゃんたちが教えてくれた。
「ここがあれば、喫茶店に行かなくて済むでしょ。お金もかからないし。」
 オーナーのお婆ちゃんは、みんなにお茶やお菓子を振る舞いながら、ニコニコと笑って言った。因みに、菓子類はお婆ちゃんたちが家で作って持ち寄ったもの、茶葉(たまにコーヒー)も持ち寄り。
 菓子を摘みながら紅茶を飲み、テレビに目を向け、マードックはお婆ちゃんたちの話をたまに相槌を打ちつつ聞いていた。そしてお婆ちゃんたちは、話をしながら主に編み物や縫い物をしている。既にキリンの縫いぐるみには靴下が穿かされている。
「坊やはモナに占ってもらいに来たの?」
 オーナーのお婆ちゃんがマードックに尋ねた。
「うんにゃ、仕事で。」
 守秘義務なんてAチームにはあってないようなものだが、多くを語る必要もないので、マードックは曖昧に答えた。
「モナの占い、当たるのよねえ。この間の星座占いで挟まり注意って言われたのに、すっかり忘れてて、ドアに挟まっちゃったわ。」
「怪我しなかった?」
「大丈夫、お腹で弾き返したから。」
 モナの星座占いが当たった例が、この後も15分ほど披露され続けた。モナが昨夜言ったように、外れた例は挙がらない。星座占いなんて、当たった時だけ記憶されて、外れた時は占いの内容も覚えていないものだ。
「うちの子が言ってたんだけど。」
「うちの子って、長男?」
「長男じゃなくて次男。一緒に住んでる子。で、うちの子が言うには、知り合いの上司がモナに占ってもらったんだって。株で一儲けしようとして。」
「それ、ずるくない?」
「どの株を買えばいいか占ってもらって、その株を買ったら、確実に儲かるじゃない。」
「そうなのよ、ずるいのよ。でもね、モナの占いで出た株を買って、その株で少し儲けが出たんだけど、それ以上に、持っていた株が暴落して、大損したんだって。」
「買うべき株と、売るべき株の両方を占ってもらわなかったの?」
「買うべき株しか占ってもらわなかったんだって。間抜けよね。」
「そうね、間抜けとしか言いようがないわね。」
「その上司って誰だかわかる?」
 話を聞いていたマードックが尋ねた。
「ええと、何ていう名前だったか、何とかーノ。イタリアーノ?」
「それ、イタリア人っていう意味よ。」
「何だっけ、ほら、あのギャングみたいな。」
「マフィア?」
「それ。その人。」
「エミリアーノ?」
 と挙げたのはマードック。エミリアーノ一家の名前は、ちらっと聞いたことがある。
「それよ、エミリアーノ。」
「あんたんとこの次男、マフィアと関係があるの?」
「やめた方がいいわよ、危ないから。」
「うちの子は関係ないわよ。警察沙汰になったことだって一度もないんだから。」
「でもさ、エミリアーノ一家ってニューヨークじゃなかったっけ? ニュージャージー? ともかく東海岸の方。」
「引っ越してきたんじゃない? ニューヨークは冬、寒いらしいから。」
 寒いからってだけでマフィアはシマを変えられるものではないだろう。
「ほらできた、キリンさんのボンネット。」
 フリルやレースがついたピンクのボンネットがキリンの縫いぐるみに装着され、エミリアーノの名はこの場からすっかり消えたが、マードックの脳内には奇跡的に残っていた。


 朝食を終えたハンニバルは、食休みの後、身支度をして外出した。それまでにフェイスマンは帰宅しており、「ただいま、おやすみ」とだけ言って寝室に姿を消した。
 昨日、大学で入手したデレク・モティマーの住所をメモった紙を見ながら、ハンニバルはてくてくと歩いていた。途中で何か乗り物を拝借しようと思いはしたのだが、こういう時に限って適当なブツがないものである。普段なら、持ち主がちょっと買い物をしようと立てかけた自転車があったりするものだが、今日に限って皆無。停められた自動車やスクーターは、あることはあった。しかし、鍵なしで利用するには通行人が多く、仕方なくハンニバルは右足と左足を交互に前に出し続けていた。
 目的の住所に近づいて、ふと気がついた。目と鼻の先に、MPの巣がある。陸軍施設の一角とも言う。だが、MPが徒歩でこの界隈を歩き回ることなんぞないだろう、とハンニバルは気にしないことにした。ハンニバル1人がこの辺りをうろついていても、気づかれることさえないだろう。
 モティマー家の前に辿り着いたハンニバルは、呼び鈴を押した。ごく普通の会社員の一家が住んでいそうな、ごく普通の一軒家だ。
「はい。」
 ごく普通のご婦人の声がスピーカーから聞こえた。
「私、マサチューセッツ工科大学で研究をしておる者ですが、デレク・モティマー君はおられますかな?」
 デレクがここに住んでいるとしても、平日の午前、いるわけがない。恐らく30歳かそこらのデレクは、よっぽどわけありでない限り、勤めに出ているはず。
「あら、ご存知ありません? 息子は今、フランスにいるんですよ。」
 ご存知あるわけがないだろう、という一文を飲み込む。
「いやあ、存知ませんでしたな。一体どういったわけでフランスに?」
「立ち話も何ですから、お上がりになりません?」
 ドアが開き、ごく普通のご婦人が姿を現した。
 ごく普通のリビングルームに通され、ごく普通のソファを勧められて腰を下ろし、ネスカフェを出され、ハンニバルは向かいに座るミセス・モティマーの話を聞いた。どうやら彼女、息子の自慢をしたくて仕方ないようだ。
 デレクは大学在学中から、いや、ハイスクールの頃から、ラプラス、フーリエ、ポアンカレ、フェルマーといった数学界の偉人に憧れ、フランスで数学を学ぶのが彼の夢だった。そのため、数学だけでなくフランス語の勉強にも力を入れ、大学を卒業した後は、国内で半年間アルバイトをしながらフランス語の勉強をし、それからフランスに渡って半年間アルバイトをしながら語学の勉強。それからピエール・マリー・キュリー大学(旧パリ第6大学)に入り、現在はアルバイトをしながら大学院で研究中、ということだった。毎月、手紙が来て、年に1回は帰国するとのこと。学費は公立大学なので基本的にはかからないが、教材費も生活費も交通費も、すべて自分の稼ぎから出しているそうだ。
「なるほど。デレク君のユニークな論文を目にして、いても経ってもいられず、詳細を伺おうと、こうしてロサンゼルスまで来たんですが、フランスで研究を続けておられたとは。早速、パリ大学にファクシミリを送ってみましょう。」
「ええ、そうなさるのがいいと思いますわ。」
 コーヒーの礼を言って、ハンニバルはモティマー家を出た。
 と、その時。アジトに戻ろうとしたハンニバルの目の端で、深緑色の物体が動いた。基地の外でも深緑色の服を着ているのはMPぐらいだ。しかし、ここで下手に目立つ行動をしてはいけない。ハンニバルは深緑色の物体に背を向け、歩みを進めた。
「……おい!」
 背後から声がした。記憶に間違いがなければ、これはリンチの副官の声。だがハンニバルは振り向かなかった。歩く速さも変えない。自分にかけられた声でないかもしれないわけだし、耳が遠いことだってあり得る。
 幸い、それ以上、声はかからなかった。追いかけられもしなかった。MPカーが来ることもなかった。
 しかし、念のため、ハンニバルはアジトに直行せず、寄り道や回り道をしてアジトに向かった。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 ロードサイドのファストフード店、その駐車場からコングのバンが勢いよく発進する。キュッと曲がって、車道を走っていく。
 歩いているハンニバル。クッキーを食べているマードック。靴下を穿いてボンネットを被ってマフラーをぐるぐる巻きにして背中に鞍を乗せているキリンの縫いぐるみ。寝ているフェイスマン。アジトのリビングルームを暖め続ける、点けっ放しの電気ヒーター。
 スポーツジムの駐車場に入っていくバン。そこから降り立つモナとコング。ランニングマシーンの上で走るモナ。入口で待っているコング。腹筋運動をするモナ。新任のトレーナーと勘違いされるコング。ヨガに勤しむモナ。効果的なトレーニング方法を指導するコング。シャワーを浴びるモナ。不要になったトレーニング器具を貰うコング。
 スポーツジムの駐車場から勢いよく発進するコングのバン。キュッと曲がって、車道を走っていく。
 歩いているハンニバル。スコーンを食べているマードック。キリンの縫いぐるみに乗せられている子キリンの編みぐるみ数頭。寝返りを打つフェイスマン。アジトのリビングルームで、煙が出ているヒーターのプラグ&延長コードのタップ。
 占いの館が入っているビルの脇に停まるコングのバン。そこから降り立つモナとコング。マードックが手芸用品店から顔を出す。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


《Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。》
 占いの館で、コングに何やら告げるマードック。大きく頷くコング。
 貰ってきたトレーニング器具を振り返り、ニヤリとするコング。キリンの縫いぐるみをコングに奪われて、泣きそうな顔になっているマードック。昼寝をするモナ。お婆ちゃんたちの作品を取っ払われて裸になるキリンの縫いぐるみ。
 バンの背後で、何やら溶接しているコング。少し離れた場所で、何やら接着しているマードック。
 ババーンと完成したのは、キリン型4つ脚ホッピング。脚が4本ともバネ入りになっている。キリンの背に跨るマードック。首にしっかりと掴まり、体を上下させると、キリンが跳ね飛ぶ。それに前後の動きを加えると、キリンが跳ねながら進んでいく。歩くよりはだいぶ速い。笑顔で親指を立てるマードック。ニッと笑うコング。
《Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。》


 リンチ大佐はMPカーの助手席でイライラしていた。ここのところAチームを目撃したというタレコミもなく、デスクワークやつまらない仕事が多かったために。今日はチンケな脱走兵を捜して回収する任に就いている。
「全く、スミスの奴め、どこに隠れとるんだ。正々堂々と出てきて勝負しようという気はないのか、あの腰抜けめ。」
「大佐、今、我々が捜しているのは、スミスではなく脱走兵のカレンフェルトです、カルスト・カレンフェルト。」
 後部座席から部下が言う。
「わかっとる! だが、同時にスミスも捜さねばならん。指名手配犯なんだからな。それも、カレン何某とかいう若造より何倍も何十倍も危険な人物だ。そんな男が街中に潜んどるんだぞ。国民の安全を守るために、即刻、捜し出して捕まえるべきだろう。」
「そ、それはそうですが……。」
「スミスと言えば、大佐。」
 ハンドルを握る副官が口を開いた。
「少し前に、スミスに似た後ろ姿の人物を見かけましたよ。まあ背格好が似ているだけの別人でしょう。本物のスミスだったら基地の近くを歩いていることなどないでしょうし、私の呼びかけにも無反応でしたから。」
「何だと? なぜそれを早く報告せん。スミスかもしれんのだぞ。奇襲戦法が得意だと天狗になっていた奴だ、基地の近くに出没してもおかしくはない。戻るぞ! そのスミスのいた場所に!」
 MPカーはキュキュッとUターンし、そのせいで1台の車が消火栓にぶつかり、2台の車が衝突し、1台の車がヒューンと飛んでいった。


 アジトの家を貸してくれている未亡人は、未亡人と言ってもまだ若く、フェイスマンより若干年上というだけだった。10代の頃、父親よりも年上の金持ち(富豪と言うほどではない)に見初められて結婚。なぜならば、カッコいい人だったので。スマートかつスタイリッシュなルックスで、教養もあり、金もあり、紳士。年の差は感じたけれど、これを逃したら後悔する、と思って結婚し、ステキな人と一緒にいられて幸せだった。彼の役に立とうと、妻としてだけではなく共同経営者として努力し続けた。20年にも満たないうちに結婚生活に終止符が打たれるとは思わなかったが。それも、病死や老衰ではなく、事故死。保険金や遺産を狙って彼女が仕組んだのでは、と疑われもした。確かに保険金や遺産は入ってきたけれど、彼女が事故を仕組んだ証拠もなく、事故なんて起こさなくてもいずれは遺産を手にするわけだし、と周囲も警察も納得。
 という未亡人の愚痴に夜毎つき合わされているフェイスマンであった。無論、色っぽい関係もないわけではないが、ベッドルームには未だに旦那の写真が飾ってある。敗北を認めざるを得ない。
 身心、主に心がぐったりと疲れてアジトに戻ってきたフェイスマンは、ハンニバルにおやすみを言って寝室に直行し、スーツ上下を脱いでハンガーにかけ、シャツも脱いで別のハンガーにかけ、靴下とブリーフだけでベッドに倒れ込んだ。そのまま夢も見ずに爆睡。
 何かが燃えているニオイに、フェイスマンは少々覚醒した。マードックが帰ってきて、何か作って、失敗したのかもしれない、と思う。それにしては、食べ物が焦げたニオイではない。燃えてはいけないものが燃えているニオイ。もしや、火事?
 フェイスマンはカッと目を開いた。煙がドアの隙間から入ってきている。慌てて飛び起き、ドアを開ける。
 リビングルームが盛大に燃えていた。キッチンもそこそこ燃えている。マードックの姿はない。ハンニバルの姿もない。つまり、ここには自分1人しかいない。
「うわああああ、火事だ火事だあああ!」
 消火器はどこだ、と見回す。残念なことに、この家に消火器はありません。スプリンクラーは、と天井を見上げる。天井にスプリンクラーらしきものと火災報知器っぽいものがあるが、その両方とも、炎に炙られているのにうんともすんとも。いわゆる不良品。消防署に電話しようにも、電話は燃え盛る炎の向こう側。
 フェイスマンは洗面所に向かった。洗面台の下の開きからバケツを出し、水を溜め、炎に向けて水をかける。それを繰り返す。そうしているうちに、消防車のサイレンが聞こえてきた。近所の人が消防署に連絡してくれたようだ。炎の勢いも衰えてきた。炎の元は、ヒーターのプラグのようだ。玄関に走り、今更ながらブレーカーを見る。メインブレーカーは自動的にオフになっていた。
 家の前が騒がしくなった。消防車が来てくれた、と思う間もなく、消防士がドアを蹴り破った。バケツを持ったままのフェイスマンを1人の消防士が全身でガードするようにして外に出す。ホースを持った消防士数名が家の中に駆け込んでいく。放水の音が聞こえる。
 消防士に肩から毛布をかけてもらって、フェイスマンは自分の姿に初めて意識を向けた。びちょびちょの靴下と、半ばびちょびちょのブリーフ、以上。周囲には野次馬大勢、主に近隣の奥さん方。フェイスマンは毛布で自分の体をしっかりと包んで俯いた。


 アジトから少し離れた、しかしアジトがばっちりと見える場所で、ハンニバルは毛布に包まった姿のまま警察に事情聴取されているフェイスマンを、眉を顰めて見ていた。そこに、キリンに乗ったマードックがびよーんびよーんと現れた。
「どしたん、あれ。火事?」
「ああ、燃えたようだ。」
「フェイス、どうすんだろ?」
「事情聴取が終わったら解放されるんじゃないか? 放火犯じゃないんだから、身元を詳しく調べられたりはしませんよ。」
「いや、フェイスの身柄じゃなくて、服よ服。ズボン穿いてねっしょ、あれ。」
「言われてみれば、靴も履いてないな。」
「パンイチじゃね?」
 いや、靴下も穿いているのでパンニだ。
「ま、服ぐらい何とかするでしょ、調達の専門家なんだし。それより、そのキリンは何だ?」
「コングちゃんが作ってくれたんよ。イカスだろ? 全身運動にもなるぜ。明日っくらい、筋肉痛で動けねえかも。」
「あたしは、まともな乗り物が欲しいですねえ。」
 アジトが燃えた今、占いの館しかAチームの居場所はない。しかし、そこまで移動する足がキリンしかない。もしくは徒歩。なぜなら2人とも小銭すら持っていない。今回はミョン札もない。
「コングとモナはどうしてる?」
「占いの館にいるはずだぜ。モナは昼寝だって言ってた。コングちゃんは見張りしてるんじゃねっかな。」
「ふむ。では大尉、表通りに出よう。タクシーを拾う。」
「オイラ、金持ってねえよ。」
「着払いだ。コングかモナが払ってくれるだろう。」


 ハンニバルとマードックとキリンホッピングはタクシーに乗って占いの館までやって来た。タクシーを待たせておいて、マードックがコングを呼びに行き、マードックがボディガード代役を務めている間、コングがタクシー代を払いに出てくる。
「アジトが火事になりましてね。」
 階段を上がってすぐのところで、ハンニバルがコングに事情を説明する。タクシーを使ってコングに支払いをさせた事情ではないが。
「あの馬鹿が燃やしたわけじゃねえだろうな?」
「モンキーは関係ない。あたしより先にアジトを出たし、火事になった後、あたしより後にアジトのところに来た。」
「じゃあフェイスが何かしたのか?」
「フェイスは、あたしがアジトを出る直前に帰ってきて、おやすみって言ってたから、すぐに寝たと思う。焼け出された時に服を着ていなかったところからすると、ずっと寝ていたんだろうな。」
「ってことは、何か消費電力でけえもん点けっ放しにしてたんじゃねえか?」
「例えば?」
「ドライヤーとか、トースターとか、アイロンとか、ヒーターとかだな。」
「……ヒーターを点けたな。」
「消したか?」
「消さなかった。フェイスが寒がるんじゃないかと思って。」
「それだ。」
「ヒーター点けてるだけで火事になるのか? サーモスタットがあるだろう。」
「コンセントに直接プラグ挿してんなら、周りに燃えそうなもん置いてねえ限り、そうそう火事にゃあなんねえ。けど、あの家はコンセントがほっとんどねえから延長コードでタコ足配線にしてたろ。そのせいで……タコか!」
「タコがどうした?」
「モナが昨日占ったじゃねえか、俺が気をつけなきゃなんねえこと。タコだって言ってたろ。タコ足配線のことだったのか。……だよなァ、俺が気をつけなきゃ他の誰も電気系統のことなんか気をつけねえしよ。」
「ということは、あの火事はお前の責任か。」
「そうなるな。済まねえ。」
「いや別に構いませんよ、あたしは。アジトがないと些か不便ではありますけどね。」
「ここ(占いの館)はモナが占いするしな。今は昼寝してるけどよ。」
「じゃあさ、下のお婆ちゃんとこ行ってれば?」
 占いの館入口から顔を出していたマードックが提案した。


「お婆ちゃーん、また来たよー。」
 1階の手芸用品と小物の店に入っていくマードックとハンニバル。コングは2階でモナのボディガードを続行。
「あら、お帰り。そちらはどなた?」
 オーナーのお婆ちゃんがキルトをちくちくと縫い続けながら顔を上げる。
「ジョン・スミスと申します。モンキーがお世話になったそうで。」
「いいんですよ、そんな。私が誘ったんですから。まあ、お掛けになって。」
 お婆ちゃんは、どっこいしょ、と腰を上げて、お茶を煎れに行った。素直に着席するハンニバルとマードック。
「他のお婆ちゃんたちは?」
 マードックが奥に問いかける。
「お昼を食べに帰ったわ。もう少ししたら、また来るんじゃないかしら。」
「何なんだ、ここは?」
「ビルのオーナーのお婆ちゃんの店で、この辺のお婆ちゃんたちが集まってお喋りしたりしてる。んで、オイラ、朝、居場所がなくってしばらくここにいたんだけど、モナに恨み持ってるかもしんねえ奴の話、聞いたんだ。」
「ほう。誰だ、そいつは?」
「エミリアーノ一家の誰か。東海岸じゃなくてこっちにいる奴。モナに株のこと占ってもらって、占いが外れたわけじゃねっけど、大損したんだって。」
「占いが外れたんじゃなかったら、モナを恨む必要はないだろう?」
「そりゃそうだけど、マフィアの奴が株で大損して、“俺のせいだ”って思うと思う?」
「思わないだろうな。自分のミスであることが明白だったとしても、誰か他の奴に責任をなすりつけるに違いない。」
「だからそのエミリアーノがモナを恨んで、ナイフで襲おうとしてんじゃねっかと思うわけよ、俺っちとしては。」
「ふむ。ちょいと調べてみますか。」
「フェイスがいたら調べさせんのにねえ。」
「いや、フェイスには別件で当たってもらいたいことがある。奴さん、フランス語できたよな?」
「あー、多分。何かジュブジュブ言ってんの聞いたことある。」
「パリ大学に問い合わせてもらいたいことがあるんだが、あたしゃフランス語がそれほど得意じゃないんでね。」
「オイラも挨拶くらいしかできねえわ。チャオ、って。」
 それはイタリア語。
「ずうっと前、私、10年くらいフランスに住んでいたことがあるのよ、うちの人の仕事の関係で。」
 紅茶とマドレーヌを客人の前に出しながら、お婆ちゃんが言った。
「そんじゃさ、フェイスいねえし、お婆ちゃんに頼んじゃったら?」
「マダム、今もフランス語でやり取りすることは可能ですかな?」
「内容にもよるけど、大丈夫じゃないかしら。」
 ハンニバルとマードックは顔を見合わせて頷き合った。
 電話代はモナの家賃に上乗せする、ということ金銭的解決を見た後、まずはフランスの電話番号案内に電話して、ピエール・マリー・キュリー大学の電話番号をゲット。それから大学に電話をして、大学院生のデレク・モティマーと話をしたい、とMITの教授が言っているのだけれど、どうすればいいのかを尋ねる。少し待たされてから、お婆ちゃんは何回かウィウィ言い、最後に礼を言って受話器を置いた。
「大学院にも大学にも、デレク・モティマーという名の学生はいないそうよ。」
「……そう来ましたか。」
 ハンニバルは椅子の背に凭れて腕組みをした。


 と、その時。店の前にフェイスマンのコルベットが停まり、新品のスーツを着たフェイスマンがあわあわと車を降りた。
「フェイス、こっち!」
 マードックが駆け出して表に出て、階段を駆け上がるフェイスマンの背に声をかけた。振り返って階段を駆け下りるフェイスマン。
「車、そこに停めると邪魔だぜ。あっちのバンの奥に停めてくんね?」
 路地の方を右手人差し指で示すマードック。
「で、車移動させたらこっちの店に。」
 左手人差し指では手芸用品店を指す。
 数分後、フェイスマンは指示通りにコルベットを移動させて、店の中に入ってきた。
「ごめん、ハンニバル、アジト燃えた。」
「知ってますよ。」
「で、事情聴取されて当たり障りのないこと答えて、パトカー乗って例の未亡人のとこ行って、ほら、あの家の持ち主、彼女なわけだし、警察交えて報告とか話し合いをしている間に使用人に俺の服買いに行ってもらって、やっと服着て、今に至るってわけ。代わりのアジト、すぐに何とかする。ちょっと待ってて。」
 早口で捲し立てて、物件探しに向かおうとするフェイスマン。
「それは後でいい。まずは、デレク・モティマーを探してくれ。」
「デレク・モティマーって、モナの彼氏未満だった男だよね? 行方不明って言ってたっけ。」
「そうだ、行方不明の度合いが悪化した。母親は息子がフランスの大学で大学院生として研究をしていると思っている。だが、その大学にも大学院にもデレク・モティマーという学生はいない。しかし、フランスから月1で手紙は届いているし、年1で帰省している。」
「つまり、存在はしているってことね。そいつの顔写真か何かない?」
「あるぞ。モティマー家にお邪魔した際に、黙っていただいてきた。」
 飾ってあった写真立てからこっそりと写真を拝借してきていたハンニバルが、ジャケットの胸ポケットから1枚の写真を出してフェイスマンに渡す。
「探偵さんなのかしら?」
 新たにやって来たハンサム君にお茶を出そうかどうしようか迷っていたお婆ちゃんが口を挟む。
「うん、まあ、似たようなもんです。何でも屋って言うか。」
「お家が火事になっちゃったの? この建物の一番上の階、今、空き部屋なんだけど、よかったら使って。2、3日だけだったら、家賃なんて要らないから。」
「ありがとうございます! 助かります!」
 フェイスマンはお婆ちゃんの手を両手でぎゅっと握った。ビバ、家賃不要!
 ただし、エレベーターのない5階で、トイレと洗面所はあるもののシャワーも風呂もないオフィス用のフロア。現在のところ家具も何もない。そういったことに全く気づいていないフェイスマンであった。
「あたしはエミリアーノ一家を当たってくる。車を貸してくれ。」
「オッケ。」
 ハンニバルはフェイスマンから車のキーを受け取って、手芸用品店を出ていった。
「エミリアーノ一家って?」
 事情を知らないフェイスマンがマードックの方を見た。


《Aチームの作業テーマ曲、三たび始まる。》
 コルベットではない洒落た車をどこかから盗んできて、聞き込みに向かうフェイスマン。コルベットに乗ってイタリア料理店を巡るハンニバル。キリンに乗ってバインバインと右から左に移動するマードック。ナイフを持った暴漢が襲ってきた時にどう守りどう攻めるかシミュレーションしているコング。昼寝から目覚めるモナ。手芸用品店に再び集まってくるお婆ちゃんたち。
 オーナーのお婆ちゃんに貰った鍵を持って階段を上がっていくフェイスマン、膝をガクガクさせながら5階まで上がり、肩で息をする。いかにもイタリアの伊達男といった感じの人物と話をするハンニバル。キリンに乗ってバインバインと左から右に移動するマードック。ナイフを持った暴漢が隠れていないか、洗面台の下の開きや流しの下の開きを開けてみるコング。身支度をするモナ。手芸用品店の毛糸や布を取ってきて代金を払い、その場で小物を作るお婆ちゃんたち。
《Aチームの作業テーマ曲、三たび終わる。》


「なあ、モナ、何でこんなとこにコンピュータがあるんだ?」
 流しの下の開きの中に旧式のパーソナルコンピュータを見つけたコングが、ピンクや紫の布の向こうにいるモナに問いかけた。
「デレクから送られてきたの。でも、私、使い方がわからなくて。カセットテープや何かシートみたいなのも沢山貰ったんだけど、全部そのまま。」
 髪に寝癖がついたままのモナが、答えながら姿を現した。髪以外は服もメイクも準備完了。
 そう言われて、再度流しの下を覗き込むと、確かにコンピュータの横にカセット磁気テープや箱に入った8インチのフロッピーディスクも積んであった。十中八九、カビが生えている。そしてコンピュータの方は、十中八九、金属部分が錆びている。
「大学卒業ん時にくれたもんか。」
「いいえ、これが送られてきたのは卒業して1年くらい経った頃だったはず。コンピュータで何かするのが専門の人だったから、就職してお金が貯まって新しいのを買ったのかしら、と思ったんだもの。」
「卒業してすぐじゃねえのか。」
「卒業する直前に、紙に印刷されているのは貰ったわ。こんなに分厚いの。」
 モナは人差し指と親指で、その厚さを示した。
「だから、カセットテープや何かシートみたいなのには、その元になっているものが記録されているんじゃないかしら。」
「見てみていいか? 動くかどうかわかんねえが。」
「ええ、どうぞ。」
 モナの許可を得て、コングは流しの下からコンピュータ一式を出して、コンセントの近くの床に置いた。幸い、オフィス用の物件なので、コンセントは嬉しいくらいに沢山ある。プラグ挿し放題だ。
 本体とフロッピーディスクドライブとCRTとデータレコーダとキーボードを繋ぐ。それぞれのプラグをコンセントに差し込む。それぞれの電源スイッチをオンにすると、ディスプレイが何となく明るくなり、本体のランプも点いた。フロッピーディスクとカセット磁気テープも持ってくる。記憶媒体のラベルを見ていき、目的のディスクをドライブに入れる。トグルスイッチを操作する。キーボードをガチガチ叩く。
「これに見覚えはねえか?」
 ディスプレイに映った文字を指差し、モナに訊く。モナは、胡坐をかいたコングの横にしゃがんで、そこにある文を読んだ。
「紙に印刷されたのと同じだと思うわ、多分。」
「あんたの予想通りだ。プリンタはここにゃあねえから、大学にあったのを使ったんだろうな。」
「でも、紙に印刷したのをくれるのはわかるけど、どうして元のものまでくれたのかしら? 彼の手元にはもうないってことよね?」
「新しいコンピュータを買ったか作ったかしても、データはそのまんま使えるだろうしな。あんたに渡す必要はねえ。」
「せっかく研究したのに。もう使わないのかしら?」
「おい、ちょっと待て、手紙が入ってるぞ。」
 フロッピーディスクが入っているスリーブの中に封筒が入っているのを見つけて、コングはそれをモナに渡した。
「私宛てだわ。」
 封筒の表側には『モナへ』と書いてあり、裏には『デレクより』とある。モナは閉じられていた封を丁寧に開いた。中には便箋が数枚。
『モナへ。大学時代に僕が研究したデータをすべて渡します。コンピュータ一式も一緒に。僕はフランスの大学で数学やコンピュータを勉強をするために、半年はアメリカで、さらに半年はフランスで、フランス語を勉強しました。でも、フランスの大学には入れませんでした。このことを親に言う勇気がなくて。今、こっちに戻ってきていて、親には“本格的にフランスで過ごすために必要な荷物を取りに来た”と言ってしまいました。今後しばらくは、僕は“フランスにいて大学に通っている”と嘘をつき続けます。研究に必要なコンピュータも、フランスに送る振りをして、君に送ってしまいます。これから僕は、とりあえず家を出て、国内のどこかで細々と生きていくつもりです。フランスに行くお金もないし、家を借りるお金もないし、まずはアルバイトでもしようかと思っています。君は占いの才能があるから、占い師として有名になれると思うよ。頑張ってね。僕もできるだけ頑張ります。デレク』
 黙読を終えたモナは、便箋を畳んでコングに差し出した。
「ハンニバルさんがデレクのことを調べているんでしょう? これ、渡してもらえるかしら?」
「あんた宛ての手紙だろ? 読んでいいのか?」
「ええ。彼の親に秘密にしてもらえるのなら。」
「俺も読んでいいのか?」
「もちろん。」
 コングは便箋を開いてざっと目を通した。
「何でえ、このうじうじした奴ぁ。」
「私もそう思ったわ。どこにいるのか占ってみる。その間、今ハンニバルさんは5階にいると思うから、手紙を渡してきて。」
「ボディガードはいいのか?」
「少しくらいなら大丈夫よ。1階でモンキーさんが見張っているんだし。万が一、何かあったら呼ぶわ。」
「絶対、呼べよ。」
 便箋を手に、コングは駆け出していった。


 モナはテーブルに向かい、重ねてあったカードを広げた。そして、デレクのことを考えながらカードを引く。橋、川。
「橋と川、両方のカードは必要ないわね。」
 そう呟いた時、頭の中に橋と川の風景が浮かんだ。
「ヴィジョン、来たわ!」
 忘れないうちに、その風景をスケッチする。その辺にあった紙に、その辺にあったペンで。
 絵心があるわけではないモナが、頭の中に浮かんでいる情景を一心不乱に描き殴る。コンクリートの斜面とコンクリートの河原、細い川、斜面を上がったところにサイクリングロード、川沿いに並ぶ電柱、飾り気のない橋。
 その手元がふっと暗くなった。誰かがテーブルの前に立ったのだ。
「ハンニバルさん?」
 頭を上げたモナの目の前に、ナイフを持った男が立っていた。スーツ姿の地味な男で、ごついナイフなど似合わず、暴漢という言葉も似合わない。どちらかと言えば、殺し屋。
「コーング!」
 声を限りにモナは叫び、素早くテーブルの下に潜り込むと、そのテーブルをナイフ男に向かって投げた。何でこういう時に限って勘が働かないのよ、と己をなじりつつ。カードが散らばり、ペンが転がってゆく。
「コング! 早く来て!」
 投げられたテーブルを一歩引いて押し返したナイフ男は、表情も変えずにモナの方に向かってきた。モナは手近にあったものを投げた。それはデータレコーダ。カセットプレイヤーと言ってもいいかもしれない。続いてモナは、キーボードを力一杯引っ張って本体から抜くと、それもナイフ男に向かってフリスビーのように投げた。さらにCRTも投げた。フロッピーディスクドライブも投げた。最後に、本体も投げた。モナ、スポーツジムに毎日通っているだけあって、力はあるのだ。
 ナイフ男は、投げられたものをやんわりとキャッチして、そっと床に置く、という動作を繰り返していた。CRTの画面も無事。
 モナが、もう投げるものがなくてどうしようかと思っていたその時。
 ドガドガドガとコングが走り込んできて、ナイフ男はそちらの方を振り返った。体の向きも変えようとしたところへ、コングが肩からタックル。横向きのままナイフ男は壁に跳ね飛ばされて激突した。その1秒前にモナは安全な場所にささっと移動。ナイフを構え直そうとする男が体勢を整える前に、コングの低いパンチが腹部に炸裂。体を折ったところにフック。ナイフ男はばったりと床に倒れた。
「悪ィ、遅くなった。怪我はねえか?」
 ナイフ男が動かなくなったのを確認の上、コングはモナの方に顔を向けた。
「大丈夫、何ともないわ。……それにしても、狙ったように、私1人になったところを襲ってきたわね。盗聴器か何かあるのかしら?」
「盗聴器は昨日調べたけどなかったぜ。ったく、モンキーの野郎、1階で見張りしてんじゃなかったのか?」
「モンキーさん、生きてるかしら?」
「あいつが死ぬはずァねえ。どっかで遊んでんだろうよ。」
「……ところで、この人、誰なの?」
 と、モナがナイフ男の方を見やる。
「あんたに恨みのある奴なんじゃねえか?」
「顔に見覚えないんだけど……。」
 困ったような顔で、モナは首を捻った。


 モナが5階にハンニバルを呼びに行き、その間、コングが気絶中のナイフ男を押さえつけて拘束。ハンニバルとモナが2階に下りてきた。コングはハンニバルに車のキーを渡し、バンからロープを取ってきてほしい旨を伝える。ついでにマードックの様子を見てきてほしい旨も。
 しばし後、ナイフ男はロープで拘束済み、車のキーはコングに返却済み、マードックは無事で、今はテーブルを直して、散らばったカードを拾っている。
「オイラ、1階の階段の脇で、ずっと真面目に見張ってたけど、誰も来なかったぜ。」
 真面目ではあったけれど、キリンには乗ってた。バインバインはしていなかったものの。
「ということは、この男、建物内に潜んでたってことだな。」
 と、ハンニバル。階段を上がったり下りたりして、膝がちょっと痛い。
「そうだ、皆さん、デレクの居場所を占ったら、橋、川と出て、このビジョンが浮かんだんです。」
 未だ気絶中のナイフ男を見下ろす面々に、モナが描いた絵を拾って掲げた。
「どこだ、こりゃあ?」
 コングが眉間に皺を寄せる。
「どこにでもありそうな感じ。特に何も特徴なくね?」
「デレクの方は、今、フェイスに当たってもらってるから、その結果待ちだな。」
「んで、エミリアーノ一家の方は?」
「まだ話してなかったっけか。エミリアーノ一家の末っ子がロス近郊在住だった。とは言っても、こっちでマフィアめいたことはしていないようだが。株で大損したのは、その息子だ。モンキーが話に聞いた通り、モナに占ってもらって株を買い、占いが当たって少し儲けたんだが、以前から持っていた株が暴落して大金を失った。」
「ああ、いました、どの株が上がるのか占ってほしいと言ってきた人。でも、この人じゃありません。」
 モナが拘束された男を指差す。
「大損エミリアーノが雇った殺し屋かな?」
「殺し屋にしちゃあ、呆気なかったぜ。」
 コングがしゃがみ込んで、伸びている男の手を触ってみる。
「銃やナイフのタコもねえ。ペンダコはあるけどな。……タコ?」
 そのタコは、気をつけなければいけないタコとは違う。
「このナイフも新品のようだしな。」
 落ちていたナイフを拾って、ハンニバルが言う。
「殺し屋じゃないにせよ、エミリアーノの末っ子の息子が雇うか何かした男だろう。」
 ハンニバルは、伸びている男の襟首を掴んで引き起こし、揺さぶった。
「おい、ほら、起きなさいな。」
「う、うーん……。」
 元ナイフ男が意識を取り戻した。
「起きましたかね?」
「は、はい、起きました。」
 目を開けた途端、ナイフを突きつけられていて、男はビクッとした。
「あんたは一体誰なんだ? 誰に頼まれてモナを狙った?」
「そ、それを言ったら、きっと殺されますんで。」
「言わなかったら、それはそれで、どんな目に遭うかわかんねえぜ。」
 男の正面に回り込んだコングが、拳を掌に打ちつけて脅す。
「俺は、ルーク・バズビーって言います。エミリアーノさんに借金をしていて、借金を帳消しにするからモナ・コリンを殺せ、って。」
「いくら借りてるんだ?」
「元は1万ドルでした。母の手術代と治療費と薬代で。」
「今はいくら?」
「2万7500ドルです。」
「すげえ利子だな。」
「いえ、祖母の介護施設費用でもう1万ドル借りたんです。あと、父の葬儀に5000ドル。」
「利子が、ええと、10%か。別に悪徳ってほどじゃないな。」
「でも、俺の稼ぎじゃ、とてもじゃないけど返しきれません。」
「だからと言って、人を殺しちゃいかんでしょう。」
「モナ・コリンさんには申し訳ないですけど、殺させてもらえれば、俺は借金がなくなる上、刑務所に入れられて家賃も食費もかからなくなります。仕事もしなくて済みます。」
 それを言ったら、刑務所が鮨詰め状態になってしまう。
「私は殺されたくないわ。」
 至極当然のことをきっぱりと言うモナ。
「あなた、月100ドルずつだったら払えそう?」
「ええ、100ドルなら何とか。」
「それじゃあ、2万7500ドルはすぐにでも私が払います。あなたは私に275か月間、毎月100ドルずつ払ってください。利子はつけません。」
「いいんですか?」
「いいんです。殺されるよりはマシです。」
「ありがとうございます!」


《Aチームのテーマ曲、再び始まる。》
 閉まる間際の銀行で預金を現金化するモナと、ボディガードのコング。占いの館に戻ってきたモナが、現ナマを入れた封筒を元ナイフ男に渡す。それを持って解放される元ナイフ男。元ナイフ男と共にエミリアーノの下に向かうハンニバル。階段を上がっていく元ナイフ男。首を傾げながらついて行くハンニバル。3階のオフィスに入る元ナイフ男。奥の席でふんぞり返っていた男に封筒を渡す。そしてさらに階段を上がって、4階のオフィスに行き、仕事に戻る。
《Aチームのテーマ曲、再び終わる。》


「……というわけで、エミリアーノの居場所はこの上の階で、バズビーは4階の職員だった。」
「だから1階で張ってても意味なかったんか。」
 口を尖らせるマードック。
「俺たちが行ったり来たりしてんのも、階段の足音で筒抜けだったってことか。」
 納得するコング。普通、こんな近くに敵がいるとは思わない。
「そんで、大損エミリアーノはどうしてた? もう恨んでねえの?」
「バズビーに全額返済されて、ちゃんと借用書も破り捨てて、ほくほくしてたぞ。奴さんも株で大損して、金欠だったわけだしな。モナを殺す依頼も、取り下げてくれた。そもそもモナを恨むのはお門違いだってこともわかってくれた。」
「じゃあ、これで一件落着ね。」
 ほっと息をつくモナ。
「でも、本当によかったのか? あんな大金、ポンと渡しちまって。」
 コングが心配そうに言った。
「返してもらえる予定なんだから、いいのよ。バスルームつきの家と通りに面した店が欲しかったけれど、ここの生活も嫌いじゃないから。」
「ただいまー、って、何で集まって和気藹々としてんの? デレク・モティマーのこと、調べてきたよ。」
 やっとのことで戻ってきたフェイスマンが、集う面々を見回す。
「大変だったんだから、情報なくて。けど、もしやって思って大学や家がある辺りを当たってみたら、ウェイターや皿洗いや調理係のアルバイトをあっちこっちでやってた。でも、どこに住んでいるかはまだ不明。」
「橋と川って、その近くじゃないかしら。大学からすぐの川は、川岸も河原もこんな人工的じゃなかったから、その向こうのサン・ガブリエル川かも。」
「何? 橋と川の近くに住んでるって占いで出たわけ?」
「住んでいるのかどうかはわからないけれど、占いで出たんです、橋と川って。」
「因みに、ナイフを持った暴漢が襲ってくる件は解決済みだ。暴漢ってほどじゃなかったけどな。」
「今回、俺のいないとこで話が進んでる気がする……。」
「お前さんがいないのがいけない。」
「モナ、橋と川の絵、ちょっと見して。」
 マードックが絵を見せてもらう。
「サン・ガブリエル川はもっと広くて水たっぷりだぜ。川からすぐんとこに木が生えてたりしててさ。」
「どれ? 俺にも見して。」
 フェイスマンが覗き込む。
「この景色、さっき見たよ。水少ないな、って思ったんだから間違いない。どこだっけかな、カテラ・アベニュー?」
「よし、行ってみよう。」
「でも!」
 いざ出陣、と意気込むAチームの出端を挫くモナ。
「デレクを捜す必要はないんじゃないかしら? 私が襲われたのとは関係ないでしょう?」
「しかし、放っとくわけには行かんだろう。世を儚んで橋から川に飛び込む可能性もなきにしもあらずだ。」
「水少ないから、飛び込んだら確実に川底で頭打つよ。川幅が狭いから、川じゃないとこに落ちるかもしれないし。」
「どっちも、脳天かち割れるね。」
「恐えこと言うんじゃねえ。」
 マードックの下顎をぐいっと掴んだコングは、そのままモナの方を向いて言葉を続けた。
「ともかく、俺たちは行ってくるぜ。ボディガードも、もう要らねえしな。けど、デレクとやらが見つかったら、ここに連れてくる。いいか?」
「お客さんがいない時ならいいわ。私も、これを引き取ってもらいたいもの。」
 と、モナはコンピュータ一式の方に頭を振った。


《Aチームのテーマ曲、三たび始まる。》
 コングのバンに乗り込むAチーム一同とキリン。発進するコングのバン。フリーウェイを南東に向けて走り、それから途中で南に進路を変更。目的地近くのインターチェンジでフィリーウェイを下りる。
 依然としてAチーム捜索中のMP御一行様、MPカーに乗ってAチームが出没しそうなダウンタウンに向かう。フリーウェイに上がろうとしたところで、バラカスのバンが遠くに見えた。敵はフリーウェイを下りようとしている。戻るよう指示するリンチ、一方通行なので戻れない副官、ハンドルの攻防戦。フリーウェイの上り口からすっ飛んでいくMPカー(スローモーション)。落下し、リンチその他が車から這い出た後、爆発&炎上。
 立ち昇る黒煙に気づき、首を捻るAチームの面々。川が見えてきた。ハンニバルがモナの絵を掲げる。何となく似ている。橋のたもとに車を停め、ぞろぞろと降りてくるAチーム。
《Aチームのテーマ曲、三たび終わる。》


「確かに、ここだな。」
 モナの絵と実際の風景を見比べるハンニバル。
「でも、デレクっぽい人物、いないね。」
 ポケットからデレクの写真を出すフェイスマン。
「行け、ヌイ!」
 キリンに跨ったマードックが、サイクリングロードをびよーんびよーんと跳んでいこうとして、若干下り坂だったせいで引っ繰り返り、土手を転げ落ちた。
「なーにやってんだ、アホンダラが。」
 コングが救出に向かう。土手の斜面をそろそろと注意深く下りて。
 立ち上がって服の汚れを払い、マードックはキリンの状態を確かめた。汚れてしまったけれど、壊れてはいないようだ。そして、橋の下に目を向けて固まる。段ボールで作られた家。
「……秘密基地?」
 少年ならば誰しもが憧れる秘密基地がそこにあった。
「おい、大丈夫か?」
「見なよ、すっげーナイスな秘密基地。」
 小走りで駆け寄ってきたコングも、そう言われて橋の下を見た。
「いや、ありゃあホームレスの家だな。む? ホームレスなのに家ってのも変か。」
「じゃあホームフル?」
 フルではない、少なくとも。
 と、その時、段ボールハウスの中から人が出てきた。ジーンズを穿いてTシャツを着てスニーカーを履いた、割と普通の人が。コングとマードックを怪訝そうな目で見て、土手を上がっていく。
「……デレク?」
 土手の上で、フェイスマンが呟くように言った。
「え、どこ?」
「どこだ?」
 辺りを見回すコングとマードック。この2人、デレクの顔を知らない。
「デレク・モティマー君だね?」
 土手を上がってきた男にハンニバルが問いかけた。
「そうですけど……警察ですか?」
「いや、違う。君のことが心配で捜しに来た。」
「これからバイトなんで、後でもいいですかね? 逃げませんから。0時半にはここに戻ってきます。」
 ハンニバルとフェイスマンの横を通って、デレクは橋のたもとの電灯に荷紐で繋いであったオンボロ自転車から荷紐を外すと、それに跨って街の方へ向かっていった。
 顔を見合わせて肩を竦めたハンニバルとフェイスマン。
「0時半までどうしようか?」
「新しいアジトを探すってどうだ? 平屋で家具つきの。」
「賛成。」
「あと、飯だな。」
 コングとマードック(with キリン)が土手を上ってくるのを待ってから、ハンニバルとフェイスマンはバンに乗り込んだ。


 Aチームが去った後、モナは数人の客を占い、客が途切れたところでデレクのことを再度占ってみた。早く、暴漢、ナイフ、緑、軍人、守り。
「早く?」
 前に自分のことを占った結果とよく似ている。恨みのカードはなくなったけれど、早く、と急かされた。占いに急かされるとは思ってもみなかったモナであった。
 だが、早く、と出られても、どうしようもない。
「困ったわね……。」
 そう呟きつつも、客が訪れたので占いをする。その後も数人の客を捌いた。
「テレビの仕事で収入は十分なんだから、別に店を閉めてもいいのよね。」
 自分を納得させるために呟いてはみたものの、まだ誰か来そうな気がして店を開いていると、Aチームが戻ってきた。客ではなく。
「デレクは見つけた。あんたが描いた通りの場所にいた。」
「でも、バイトに行っちゃって、0時半には戻ってくるらしいから、また話を聞きに行く予定。」
 ハンニバルの話の後を、フェイスマンが続けた。
「さっきデレクのことをまた占ってみたんです。そうしたら、早く、暴漢、ナイフ、緑、軍人、守り、と出ました。早くデレクのところに行った方がいいんじゃないでしょうか?」
「またナイフ持った暴漢が来んの? この銃社会のアメリカで。」
「そんでまた、俺たちが守んのか。」
 既に厭きているマードックとコングである。
「しかし、どこにバイトに行ったかわからんしなあ。」
「聞いておけばよかったね……って、俺、知ってるんだった。デレクがどこでバイトしてるか。」
 懐からメモ帳を出すフェイスマン。
「全部聞いたわけじゃないけど、夜0時くらいまでバイトしてんのは、ええと、これとこれとこれとこれだ。」
「4軒か。よし、手分けして当たってみよう。」
「おう!」
「ちょっと待って!」
 またもやモナが出端を挫く。
「占ってみるわ。そのメモ帳見せて。」
 フェイスマンがモナにメモ帳の該当ページを見せる。
「これとこれとこれとこれ、この4軒。他にもまだバイト先があるのかもしれないけど。」
「じゃあ、上から1、2、3、4とその他で5、ということにします。」
 モナは何も書いていないカードにフェルトペンで1から5の数字を書くと、裏返しにして念じて1枚引いた。
「3よ!」
「わかった!」
 今度こそ4人揃って駆け出していくAチームだった。そして、今度こそモナは店を閉めた。


 向かった先は、オールドファッションなダイナー。看板を照らすライトも店内の明かりも点いてはいるが、店内に人けがない。
「遅かったか?」
 ハンニバルがドアのガラスに寄って店内を見ると、ドアから真っ直ぐ続く通路に店員らしき男がうつ伏せに倒れているのが見えた。後頭部の白髪からして、デレクではない。
「遅かったか。」
 ドアを開け、店内に入るハンニバル。その後ろに続く部下3名。
「おい、どうした、何があった?」
 倒れていた店員の背面が撃たれたり刺されたりしていないのを確認し、引っ繰り返して同様のチェック&呼吸の有無と心拍の有無を調べる。息もしているし、心臓も動いている。脚も腕も折れていない。ただ気絶しているだけ、と踏んだハンニバルは、その男の上半身を起こし、頬を叩いた。ハンニバルがそうしている間に、他3名は他に人がいないか、何か手掛かりになるものはないか、指紋を残さないようにして探す。
 気絶していた店員が、ぱちっと目を開いた。
「はっ、お客さんは? 強盗は?」
 辺りを見回そうとした男が、急に顔を顰めて後頭部に手をやり、小さく呻いた。
「客は誰も倒れてない。無事に逃げたようだ。」
「よかった……。」
「レジがこじ開けられて、現金全部盗られてる。」
 フェイスマンの報告に、男は深々と溜息をついた。
「フェイス、警察に電話してくれ。」
「ん、わかった。」
 ハンニバルはそう指示をすると、倒れていた男がボックス席のシートに座るのに手を貸した。マードックが台布巾を洗って緩く絞ったのを、男の後頭部に当ててやる。
「ありがとうございます。……せっかくお越しいただいたのに、こんな有様で申し訳ありません。」
 そう言いながら、男は台布巾を自分の手で押さえた。役目を終えたマードックは、その辺をうろうろ。
「あんたはここの店長か。」
「はい、そうです。」
「あたしたちはデレク・モティマーに会いに来たんだが。」
「そうだ、デレクは?」
「俺たちの他には誰もいねえぜ。」
 カウンターの向こうからコングが答える。
「強盗が入ってきた時、デレクもキッチンにいたんですが……無事に逃げられたんでしょうか。」
「そうだといいんだがな。……コング、車で一っ走りデレクの家を見てきてくれ。」
「おう、わかったぜ。」
 指示を受けて、コングが外に出る。
「キッチンにもこっち側(客席)にも血痕っぽいもんはなかったぜ。牛、豚、鶏のは別として。」
 うろうろしながらマードックが報告。
「強盗が入ったっていうのに、何て言うか、肝の据わったお客さんばっかりだったのかな。」
 電話を終えたフェイスマンの指摘に目を客席に向ければ、テーブルの上に食べ物は置いたままだが、ナイフやフォークがきちんと皿の上に乗っていて、忘れ物もない。
「私は早くに後頭部を殴られて意識を失ったので、その後のことが何もわからなくて……。」
 店長が殴り倒されて通路に長々と伸びていたというのに、客が踏んだ形跡もない。
「だいぶ落ち着いて逃げたようですな。」
 これはちょっと不自然だ、とハンニバルは思った。ハンニバルだけでなく、みんな思った。
「そう言や、キッチンのグリルの火も消してあるし、コーヒーあっためるやつもオフになってた。」
 マードックがキッチンを見た時に気づいたことを述べる。
「ふうむ。何か犯人の手掛かりになるようなものはなかったか?」
「指紋が残ってるかもしれない、って程度。」
 そう言うのはフェイスマン。
「靴跡もよくわかんねえ。オイラたちのもお客さんのも混じってるわけだし。」
 これはマードック。
「店長さん、強盗は見たんだよな? どんな奴だった? 犯人に心当たりは?」
「強盗は1人だけで、銃を構えていました。全く知らない男です。年の頃は30代後半くらいでしょうか。黒いニットキャップを被っていて、ジーンズと黒い革のジャンパー。ジャンパーの下は白いドレスシャツで、靴は黒い革靴でした。ブーツかどうかはわかりませんが。サングラスをかけて、目から下はバンダナで覆っていました。いえ、バンダナではなくてスカーフです。ええと、あれは、ジバンシィのですね、妻が好きなマークがついていました。」
 かなりよく覚えている店長。記憶術か何か受講してたのか?
「チンピラが遊ぶ金目当てでやったわけじゃないってことね。服装もチンピラとはちょっと違うし。」
「そうだな、チンピラはドレスシャツなんか着ない。ジバンシィのスカーフも持っているはずがない。」
「モナの占いじゃ、また今回もナイフの暴漢って出たんだろ? なのに銃持ってるっておかしくねえ?」
 ごちゃごちゃ言い合うAチーム。
「それと、強盗の喋っていた言葉が、何だかおかしな響きでした。英語ではあるんですけど、Rの音が喉から出てるような、うがいしているような。」
「フランス人だ!」
 マードックが嬉しそうに言う。
「なるほど、そう繋がったか。」
 つまり、強盗を装って、フランス人がデレクを連行しに来た、というわけである。ハンニバル予想では。
「何かよくわからないけど、もう警察来るよ。俺たちトンズラしないとまずいんじゃない?」
 事態をあまり把握できていないフェイスマンが口を出す。
「警察呼んだ本人がトンズラしちゃいかんでしょう。フェイス、お前はここに残れ。お前1人でたまたまこの店に来て、店長さんが倒れているのを見つけたことにしろ。ほとぼり冷めたら合流。」
「ええ〜? 俺、昼に事情聴取されたばっかりなんだけど、また〜?」
「事情聴取慣れしてるお前が適任だってことだ。」
 ハンニバルはフェイスマンの肩をポンと叩いた。
「店長さん、こいつ(フェイスマン)を残していく。あたしとこれ(マードック)は最初からいなかったことにしてくれ。いいな?」
 店長の方に顔をぐりっと向けて、ハンニバルが言う。
「はい、わかりました。」
 そうしてダイナーを出たハンニバルとマードックは、やはりまた足がないことに気づいたが、ふと思い出して、店の裏に停められたデレクの自転車を発見した。半ば錆びて朽ちた自転車に2人乗りし、川の方に向かっていくのであった。


 サドルの後ろの荷台にハンニバルを乗せて、懸命にペダルを踏むマードック。坂道ではないのに、立ち漕ぎでないと進まない。荷台に座っているハンニバルもまた、尻は痛いし、足を上げていないといけないので、そこそこきつい。
 と、そんな時、川の方からコングのバンがやって来た。路肩に自転車を停めて待つ。バンも2人の手前に停まった。
「ハンニバル、デレクの野郎、家ってえか例のとこにゃいなかったぜ。」
 因みにコングとマードックも、デレクの写真を見せてもらって、彼の顔を記憶済み。
「多分そうだろうと思った。奴の自転車が店の裏にあったからな。」
 それは今、ここにある。
「恐らくデレクは、フランスで何か仕出かして、今、発見されて連行された。」
「奴がフランスにいたのってなあ、もう7年かそこら昔のこったろ? 何で今更?」
「あたしらが動いたせいかもしれんし、誰かが口を割ったからかもしれん。」
 それはデレクを連れ去ったフランス人に聞いてみないとわからない。
「ともかくデレク捜さないと。モナの占いに“早く”って出たんだから。」
 前向きなことを言うマードックだが、その根拠は占いの結果。
「早くしたいのも山々なんですけどねえ。」
 ハンニバルは考えた。なぜデレクはフランス人に連行されたのか。フランスにいる間に何かしたからだろう。デレクはもうフランスには行っていない。しかし、フランスからエアメールが月に1回届いている。ミセス・モティマーにフランスからの手紙は見せてもらった。ちゃんとフランスからだった。つまり、フランスに協力者がいて、その人物はデレクがアメリカにいることを知っている。だが、その協力者が誰か、どこに住んでいるのかまではわからない。
「デレクの家に行くぞ。」
 ハンニバルはそう言ってバンに乗り込んだ。マードックも自転車を持ってバンに乗り込み、コングに嫌な顔をされた。


 デレクの段ボールハウスは、川が増水しない限りは、最低限の生活はできそうな状態だった。ただし、電気は引いていない。バンに積んであった懐中電灯を各々が持ち、段ボールハウスの内外を物色する。何でもいい、何か手掛かりになりそうなものを。
「あったぞ、これだ!」
 早々にハンニバルが便箋と封筒が入った紙袋を発見した。目星がついていたのだから、そりゃあ他2名よりは早く見つけられる。
 中を検めると、既に手紙を書いて封をした封筒(宛先はモティマー家)が入った一回り大きな封筒も入っていた。この大きい方の封筒に書かれた住所氏名が、協力者の名前と居所だ。しかし、いかんせん、それはフランスの住所。ちょっと行ってみる、というわけには行かない。
「フェイス、この家の電話番号を調べて、電話してみてくれ。」
 とは言ったが、フェイスマンはいない。今はきっと警察に事情聴取されている。
「もとい。コング、お前、フランス語できるか?」
「できるわきゃあねえだろ、あんなコマンタレヴ。」
 コマンタレヴは罵倒語ではないのだが。
 手芸用品店のお婆ちゃんに頼むわけにも行かない時刻。それに、協力者に話が聞けたところで、デレクの居場所がわかるとは限らない。わかったところで、手遅れかもしれない。
「よし、ダイナーに戻るぞ。」
 リーダーの声に、コングとマードックはバンに乗り込んだ。


 ダイナーに着く前に、川に向かって歩いているフェイスマンを見つけた。バンを路肩に停め、フェイスマンを乗せ、ここで報告会。
「警察に事情は話した。別に怪しまれることもなく、警察呼んだことを感謝されただけで終わったよ。アジトだったとことは別の管轄だったから、“またお前か”って言われることもなかったし。」
「こっちはデレクの家で、協力者の住所氏名を見つけた。コング、公衆電話のあるところまで移動してくれ。」
「おう。」
「協力者って?」
「フランスにいるデレクの友達だろう。」
「そこに電話かける気? 公衆電話から。そんなに小銭ないよ。どっかの会社に忍び込もうよ。会社なら、この時間、誰もいないはずだし。」
「そうだな、コング、忍び込みやすそうな会社に行く先を変更だ。」
「工場なんかでもいいんじゃねえか? そんならそこにあるぜ。」
 すぐにバンが停まり、静まり返った工場に忍び込むAチーム4人。各々の手には懐中電灯。行く手を阻む錠やら何やらは、即座に開けて。自分の家に帰るのと同様のスムースさ。
 事務所のドアを開け、フェイスマンがフランスの電話番号案内に電話をして、ハンニバルが持ってきた封筒に書かれた住所氏名を告げると、1分ほど待たされて電話番号が告げられた。それをメモする。
「電話番号、わかったよ。で、この協力者とやらには何を訊けばいいの?」
「デレクがフランスで何をしていたか、だ。それと、今、デレクがフランス人に連行されて行方不明なので、犯人が誰なのか、それと、そいつの居所、こっちでの滞在場所なんかがわかるといいかな。」
「オッケ。」
 時差を全く考慮せず、フェイスマンは電話をかけた。因みにフランスでは今、朝。長々とコールした後、フェイスマンがフランス語で喋る。残り3人は周囲を警戒しながら待つのみ。
 10分ほどして、フェイスマンが受話器を置いた。
「この協力者は、デレクの語学学校での知り合いで、ポーランド人。今はフランスで通訳の仕事をしてる。デレクが半年だけ語学学校にいて、その後、フランスの大学に入れなかったんでアメリカに帰って、でも両親にはそれを秘密にしてフランスの大学に通っている振りをするために、デレクからまとめて送られてきた手紙をこの男が月に1回フランスで投函してる。でも、語学学校にいる時のデレクしか知らなかったし、当時、何かアルバイトをしてるって話は聞いたけど具体的には知らないって。悪い奴に連行されて行方不明だなんて、あの真面目なデレクからは想像もつかない、って言ってた。」
「何も役にゃ立たなかったな。」
「事情がわかったってだけだね。」
 事情がわかっていなかったフェイスマンがコングに言う。
「デレクの奴、こっち戻ってきてから貧乏だったわけじゃん? 秘密基地に住んでるくらいだしさ。それで何かあくどい勧誘されて、悪いことやって、そんで報復しに来たのがたまたまフランス出身の奴だった、って流れはどう?」
 マードックが待っている間に考えたストーリーを披露する。
「過去のことはデレクさえ生きて見つかれば教えてもらえる。取り急ぎ、デレクがどこにいるかだな。」
 無駄足を踏んでしまったことにはちっとも触れないハンニバル。
「奴の自転車がここ(ここではなくてバンの中)にあるってこたァ、そのフランス人に車に乗せられて連れてかれたんだよな? その車のナンバーはわかんねえのか?」
 誰にともなく訊くコング。
「ああ、それ、警察もダイナーの周囲に聞き込みしてたけど、通行人には目撃者なし。ダイナーにいた常連客にも店長が電話で訊いてたけど、誰も車のナンバーを見てなかった。」
「犯人がフランス人だっていう以外、手掛かりが全っ然ねえな。」
 考え込むAチーム一同。
「……モナに訊いてみれば?」
 マードックの発案に、フェイスマンが受話器を取った。占いの館に電話をかける。
「もしもし、モナ? 俺、フェイス。デレクがどっかに連れ去られちゃったんだけど、どこにいるか占ってもらえる? できるだけ具体的に。高い占いでいいからさ。」
 え? という顔の他3人。フェイスマンが送話口を手で覆って、小声で「今、占ってもらってる」と3人に伝える。
「あ、結果出た? どこ? え? ここ!? ここって、占いの館? わかった、まだ来てないんだよね? 急いで5階に避難しといて。鍵開いてるから。」
 フェイスマンが受話器を戻した時には、他3人は既にバンに向かっていた。


 ダイナーでハンバーガーのパティを3枚焼き、バンズも一緒に3組焼き、目玉焼きもそろそろ焼こうかと思いつつ皿の上にレタスを乗せていた時、拳銃を構えた男が入ってきて、フランス語訛りで「強盗だ」と告げた。フロアに出ていた店長が殴られて倒れ、デレクは死を覚悟しながらもグリルの火を止めた。フライヤーに入っていたポテトも引き上げ、フライヤーをオフにする。そうしている間に、強盗は客に出ていくように言った。慌てず、走らず、周囲に気取られないように、と。デレクはコーヒーウォーマーもオフにし、すべて消したことを確認。これでもう殺されても心残りはない。デレクにボックス席に座ってじっとしているように指示した強盗は、カトラリー入れから取ったナイフでレジをこじ開けて現金を取り出し、ポケットに詰め込んだ。これでもう僕は殺されるんだ、と思ったのだが、強盗はデレクの手と足をダクトテープで巻いて、口にもダクトテープを貼ると、車の後部座席に投げ込み、自分は運転席に座って、車を発進させた。
 人けない場所で車が停まり、強盗は振り返ってデレクにナイフを突きつけた。
「やっと見つけたぜ、面倒かけやがって。」
 デレクはこの男が誰なのか考えていたが、フランス人だろうということ以外はわからなかった。だが、なぜこの男が自分を攫ったのかは、何となく身に覚えがある。でも、別件で人違いされているのかもしれないので、知らない振りをしていることにした。
「俺ァなあ、お前のせいで組織のナンバー3になれるところを一番下まで落とされた上に、顔に傷まで残されたんだ。お前が俺の荷物を間違って持ってっちまったせいでな。」
 男がスカーフをバッと取った。言う通り、頬に傷痕がくっきりとついている。それも、斜めの傷なら格好もつくところ、真横に1本。かなり恥ずかしい。作業中に何か間違っちゃって怪我した人のようだ。
「お前と同じバッグを使った俺も馬鹿だったとは思うが、同じバッグを使ってる奴がいるなんて前もってわかるわきゃあねえしなあ。」
 それにはデレクも同意できたので、頷いてみた。
「呑気に頷いてるけどよ、てめェ、鞄開けた時に自分のじゃねえってわかった時の気持ち、わかるか? わかりゃしねえよな。お前、鞄が自分のもんかどうか確かめもしねえもんな。」
 しなかったです、ごめんなさい、という言葉を飲み込む。
「お前は俺のバッグ持ってとっととどっか行っちまったしよ。空港に問い合わせても、お前は見つかんねえし、どこの誰だかわかんねえし。お前のバッグについてたはずのタグも外れちまってたし。てめェ、せめて持ち物に名前書いとけ。名前も住所も電話番号もどっこにも書いてねえんで、スパイなのかと思ったぐらいだぜ。それに、フランスからアメリカに移動すんのに荷物なさすぎだぞ。」
 確かにあの時は、フランスで使っていたものは全部フランスで処分し、バッグだけを持って帰ったようなものだった。財布はズボンのポケットに、パスポートやビザはジャケットの胸ポケットに入れていたし。家に帰ってバッグを開けてみて、自分のものじゃない、と初めてわかったけれど、持ち主に返さなきゃという意識はほとんどなかった。当時はそれどころではなかったので。何せ、一文なしだった上、今後、両親を騙し続けなければいけなかったのだから。それは今も継続中だけど。
「あれから何年経ったか、わかるか? 7年だよ、7年。その間、俺ァお前ってえか俺のバッグをずっと捜してた。マジで大変だったんだぞ、お前の名前どころか顔もわかんねえし。航空会社に問い合わせても何も教えてくんねえし。警察に訊いても取り合ってくんねえし。お前が俺のバッグを持ってフランスに行くんじゃないかって、空港で張り込んでた時もあったが、無駄骨を折っただけだったしな。バッグの販売店も虱潰しに回った。」
 大変な苦労だったということが想像できる。むしろ、デレクを見つけ出したのが奇跡だと言えるくらい。
「そうだ、確認しとかなきゃな。7年前、空港で俺のバッグを持ってったの、てめェだな?」
 デレクは頷いた。この人の7年間の苦労を無駄にすることはできない。
「よーし。じゃあ俺のバッグのとこに案内してもらおうか。」
 強盗はデレクの口を塞いでいたダクトテープを剥がした。
「バッグは両親の家にあります。バッグが必要なんですか? それとも中身の方?」
 ニヤリ、と強盗が笑った。
「当然、中身の方だ。」
「……それがですね、中身は知人に送ったものの中に隠したんですよ。当時、宅配便で送ったんですけど、その住所まで覚えてなくて。実際に行ったこともなかったし。7年前の話ですから、知人が今もそこに住んでいるかどうかすらわかりません。」
「でも、その知人とやらの名前はわかるんだろ? それだったらだいぶ楽だ。」
「ええ、モナ・コリンという占い師です。」
「じゃ、一丁調べるとしますか。」
 強盗は、今し方強盗事件を起こしたのを忘れたかのように、車を人けのある方へ走らせた。それも、近場の繁華街へ。
 繁華街では、夜遅くても多くの人々が行き来していた。車を路肩に停め、スカーフはもちろんサングラスもニットキャップも取り、革ジャンも脱いで車から降りた強盗は、道行く女性に声をかけて話を聞いた。次々と女性に声をかけては話を聞いていく。5分もしないうちに、強盗は車に戻ってきた。
「モナ・コリンの居場所、わかったぜ。こっから車で10分くらいのとこで、占いの館ってのを開いてる。まだ開いてるかどうかはわかんねえらしいが、行ってみよう。」
 デレクは力強くうん、と頷き、ここで頷くのもおかしいかな、と思った。


 強盗とデレクを乗せた車(盗難車)は、ごくありふれた小さな雑居ビルの前に停まった。
「ここか?」
 革ジャンを羽織った強盗が車から降りてビルの前に立つ。1階は可愛らしく装飾された『CLOSED』の札が下がった手芸用品店。脇の階段の上がり口に、地味に『2階 占いの館』とプレートが掲げられている。
「ああ、ここだ、ここ。ほら行くぜ。お前も来い。」
 と、振り返って車の方に言う。無論、デレクに向かって。車にではない。
 デレクはダクトテープで固定されたままの手で車のドアを開け、ダクトテープで固定されたままの足を地面に下ろした。その姿のまま、ピョンピョンと跳んで移動する。
 階段を上っていく強盗と、階段を案外上手いこと跳ねて上がるデレク。
「閉まってるぜ。ま、時間からして当然か。」
 防火扉が閉まっており、南京錠がかかっている。そして、目の高さには『CLOSED』とフェルトペンで手書きした紙がテープで貼ってある。
 強盗は革ジャンのポケットを探って針金と金属片を取り出すと、南京錠を開けにかかった。3分ほどして錠が開き、防火扉を開ける。
「誰もいないよな?」
 振り返って、強盗がデレクに訊く。
「わかりません。でも、南京錠がかかっていたら、中に誰もいないと考えるのが妥当じゃないでしょうか。」
「だよな。南京錠がかかってる中にいるのは、犯罪者か何かくらいだ。だが、念のため。」
 と、強盗はポケットから折り畳みナイフを出して広げた。
「銃持ってませんでしたっけ?」
「ありゃモデルガンだ。それに、車に置いてきた、ってえか、持ってき忘れた。」
 そう言って、強盗がそろそろと暗闇の中に足を進めた。
 と、その時。


《Aチームのテーマ曲(4回目)、始まる。》
 ナイフを持った強盗の手を蹴り上げるオーストリッチのブーツ。宙に舞うナイフ。
 闇の中からぶっとい腕がニュッと伸びて、強盗の首を絞める。強盗は抵抗しているのかもがいているのか、しばらくジタバタした後、動かなくなった。
 その間に、フェイスマンがデレクを確保。手足の拘束を引き千切る。
 電気が点き、スイッチのところでマードックが満面の笑みを見せる。
《Aチームのテーマ曲(4回目)、終わる。》


「いやはや、簡単すぎましたなあ。」
 折り畳みナイフを拾い上げて畳み、ポケットに入れるハンニバル。
「呆気なさすぎだぜ。もちっと暴れさせろ。」
 気絶した強盗を床に下ろすコング。
「やあ、デレク、久し振り。」
 にっこりとデレクに笑いかけるフェイスマン。ここで怪しまれてまた逃げられると面倒臭いので。しかしながら、フェイスマンの微笑みが通用するのは一部の女性だけだ。
「あなた方は……警察じゃない人たちですね。」
 それしか情報がないので仕方ない。
「モナが心配してたぜ。」
 そう言うマードックも不完全燃焼。キリンの出番がなかったために。階段の上からキリンに乗って攻撃することも提案したんだが、却下された。
「モナが? 僕のことを? 何で?」
 強盗がダイナーに入ってきた時よりも驚くデレク。
「何で、って、この人たちがあなたのことを思い出させてくれたからよ。」
 5階に避難していたモナが、店に明かりが灯ったのを階段の上から見て、下りてきていた。
「モナ! ……久し振り。」
「8年振りかしら。その節は大変お世話になりました。」
「いいえ、こちらこそ研究データを提供していただいてありがとうございました。」
 この2人のやり取りを聞いて、フェイスマンは「2人は恋愛関係になかった」と結論づけた。
「さあ、デレク、何があったのか全部話してくれ。」
 はっきりしない部分がいくつかあってモヤモヤしていたハンニバルが言う。
「僕がバイトしているダイナーに強盗が入って、店長が殴られて、僕は連れ去られました。」
「それは知ってる。何で連れ去られたのか、だ。」
「7年前に、空港で僕が間違えてこの人のバッグを持っていって、そのままだったからです。」
「何? バッグを返してほしいってだけ?」
 フェイスマンが素っ頓狂な声を上げた。
「バッグの中に、マイクロフィルムが入ってたんです。何枚も。それを僕は、コンピュータ本体の中に隠して、モナに送りました。……それです、その中です。」
 と、デレクはまだ片づけられていないコンピュータ一式の方を指差した。
「ちっと工具取ってくるぜ。」
 コングが小走りでバンに向かう。
「で、そのマイクロフィルムに何が写ってるんだ?」
「知りません。見る手段がなかったので。それに、その時、それどころじゃなかったし。」
「フランスの大学に入れなかった、ってやつか。」
「それです。こっちでアパートを借りようかとも思ったんですけど、お金がないので、橋の下で暮らすことにしました。そうすれば家賃もかからないし。」
「オイラもあんな秘密基地に住みてえんだけど。」
 マードックの発言は流しましょう。
「取ってきたぜ。」
 コングがドライバーを手に戻ってきて、早速、コンピュータ本体に対峙する。因みに強盗はまだ気絶中。
 いくつかのネジをシュルルッと外してカバーを取り、その裏に貼りつけてある封筒を取るコング。
「これか。」
「それです。」
 デレクが言い、コングは封筒をハンニバルに渡した。
「マイクロフィルムを見る手段は?」
 と、ハンニバルがフェイスマンに尋ねる。
「ここにはないよ。でも、拡大できればいいんだよね? 双眼鏡でいいんじゃない?」
「取ってくるぜ。」
 再度、コングがバンに向かう。
「あの……私、朝早いので寝たいんですけど。」
 静まった場でモナが発言した。
「ああ、申し訳ない。じゃあ皆の者、5階に移動しよう。フェイス、モンキー、この強盗さん持ってきて。あたしはコングに5階に行くことを伝えに行く。デレクは5階に直行。」
 リーダーの命令に従い、各々が動き出した。


 双眼鏡と懐中電灯とを駆使して四苦八苦した末、何とかマイクロフィルムを見ることに成功したAチーム。
「こりゃアレだ、フランス最大の犯罪組織のボス、エリゼ・ブルボンだ。」
 マイクロフィルムの1枚に写っている人物の顔を見て、ハンニバルが言った。
「フレンチ・コネクションとかいうやつ?」
 マードックが想像しているのは、映画の方だと思う。
「いや、その後で台頭してきた組織だ。その隣にいるのは……大統領か、当時の。」
「つまり、犯罪組織のボスが大統領と繋がりを持ってるってこと?」
「そういうことだな。こっちの写真は……ブルボンと……こりゃ恐らく大臣とかそんなとこだろうな。これは、貸し金庫の番号か? こっちは何かのリストだな。で、また写真か。服装からして警察署長って感じだが、そいつがボスとにこやかに酒飲んでるとこだ。いいんですかねえ、そんなことして。」
「よかねえぜ。」
「……そいつぁ俺と仲間とで集めたネタだ。」
 いつの間にか意識を取り戻していた強盗がぼそりと言う。
「ま、仲間って言ってもコンパニオンやウェイトレスやってるお嬢さん方なんだけどな。」
 フェイスマンが強盗の顔に懐中電灯を向けた。女性が協力してくれるのも納得できる、整った甘いマスク+ワイルドさを醸し出す無精ヒゲ。ルックス的にはフェイスマンの上位互換人物と言えよう。ただし、頬の横一文字の傷はみっともない。
「お前さんが狙ってたのは、犯罪組織の方か? それとも、国か?」
「俺んとこの組織は、ブルボンのせいで万年国内2番目だった。いくら頑張っても勝てねえ。だから、俺ァそのマイクロフィルムを、アメリカでバカンス中のうちんとこのボスにプレゼントしようと思ってたんだ。そうすれば、うちのボスがそれを使ってブルボンを脅すなりして蹴落とせる上に、俺の地位も上がるだろ。」
「どうだろうな。犯罪組織を脅迫できる材料じゃないと思うぞ。むしろこのマイクロフィルムで国を脅して優遇してもらった方がいいんじゃないか?」
「貸し金庫の番号はどうだ? ブルボンの貸し金庫の番号だ。やる気になりゃあ、貸し金庫の中身を一切合切公表できる。そりゃちょっとヤベえよな。」
「うん、でも、貸し金庫の番号なんて、しょっちゅう変えるんじゃない? 7年前? もっと前か。そんな前の番号、今使えるとは思えないよ。」
 さらりとフェイスマンが反論する。
「もうさ、おたく、犯罪組織辞めて、このマイクロフィルム、新聞社に売っちゃったらどう? すんげえニュースになるんじゃね?」
 マードックが能天気に提案する。
「……そりゃあいい手だな。どうせ俺もこっちに来て7年になるし、その間、組織に連絡もしてねえし。」
 適当な提案に同意してしまう強盗。もう少し考えた方がいいと思うんだが。
「もし本当にマイクロフィルム売るんなら、新聞社に伝手あるよ。」
 適当な提案への適当な同意を、フェイスマンが後押しする。エンジェルが興味を持つネタだとは思えないが、もしこれを新聞に載せたとなれば大ごとだ。特にフランスが。
「よし、決めたぜ。俺ァこのマイクロフィルムを新聞社に売る。仲介、頼むぜ。」
「オッケ。」
「デレクも、マイクロフィルムの所有権をこの強盗さんに譲っていいんだな?」
 ハンニバルがデレクの方を見て尋ねる。暗がりの中、その方向にデレクがいるかどうかは確かではないが。
「はい、最初から強盗さんのものですから。」
 この件、一件落着。
「そう言やデレク。」
 と、コングがデレクに声をかけた。
「モナがコンピュータを引き取ってほしいって言ってたぜ。」
「でも、僕も、もう要りません、あんな古いもの。置き場もないですし。」
「要らないものなら、俺が売ってくるよ。手数料取るけど。」
 こっちにもフェイスマンが口を出す。
「じゃあ済みませんけど、売ってしまってください。売れたら、全額、手数料としてどうぞ。」
「オッケ。」
 忙しくなりそうなフェイスマンであった。


 数日後。
「で、売れたのか?」
 ビルの5階まで上がってきたフェイスマンに表情がない上、何も言わないので、ハンニバルが尋ねた。
「うん、デレクのコンピュータ、マニアの人が欲しがってたやつだったんで、1000ドルで売れた。」
「ほう、よかったじゃないか。」
「モナも報酬、現金でくれた。2000ドル。」
「今回、人件費だけだったから、そんなもんか。」
「そんなもんか、って、ハンニバル、占いの代金もサービスしてくれたんだよ? そもそも、支払ってくれたんだよ? 感謝しなきゃ。」
「マイクロフィルムは?」
 フェイスマンの訴えをさらりと流すハンニバル。
「エンジェルに渡してきた。デスクが検分して、それから結果が出るらしい。」
「見るだけでも代金取れると思いますけどね。」
 と、そこにコングがドスンドスンと戻ってきた。
「モンキー、帰してきたぜ。今回は割かしマトモで助かった。」
「奇声発しなかったしね。」
「いや、車ん中でだいぶ叫んでたぞ。」
「やっと帰れて嬉しかったんでしょう。」
 それか、ここのところ狂っていなかったので、狂う練習をしていたんだろう。
「あたしからの報告ですけど、デレクの奴さん、親御さんに全部白状して、家に戻るらしいですよ。」
「おう、そりゃよかった。……あの段ボールハウス、なくしちまうにはもったいねえけどな。」
「モンキーが気に入ってましたからねえ。」
「そうだ、モンキーの野郎に持ってってやるか。宅配便の格好で持ってきゃバレねえだろ。」
 何だかんだ言って、マードックに優しいコングである。
 と、その時、床に直接置いてある電話が鳴った。
「多分、エンジェルからだ。」
 フェイスマンが電話の前にしゃがんで受話器を取る。
『もしもし、フェイス? あたしだけど。』
「うん、デスク何だって?」
『1万ドルしか出せないけど、それでいいか、って。』
「全部で1万ドル?」
『やあねえ、1枚1万ドルなわけないでしょ。全部で1万ドル。』
「そっか、じゃあさ、デスクに“他の新聞社に持っていくから返して”って言ってくれる?」
『それ本気?』
「本気も本気。」
『わかった、今言うからちょっと待って。あのー、マイクロフィルムの件なんですけどー、他の新聞社に持っていくから返してって言ってるんですよー、どうしますー? 1万5000ドル? 5000ドルは自腹? もしもしフェイス、1万5000ドルだって。全国紙のとこに持ってった方がいいんじゃない? じゃなかったらテレビ局とか、もっとお金あるところに。』
「俺もそう思う。エンジェルがいるから、最初に話を持ってっただけで。」
『あ・り・が・と。でも、うちが扱うにはネタが大きすぎるわ。』
「じゃあ、これから取りに行く。」
『わかった。じゃあね。』
 フェイスマンは電話を切り、立ち上がった。
「エンジェルのとことは交渉決裂。1万5000ドルで渡せる中身じゃないしね。他んとこ当たってみる。」
「ときにフェイス。」
「何?」
「あの強盗さんの名前と連絡先を聞いた記憶がないんだが。」
「俺も聞いてない。コングは聞いた?」
「いんや、聞いてねえぜ。」
 3人は数秒間、黙り込んだ。
「……ま、いっか。彼だったら俺たちのこと捜せるんじゃない? ああ、ここ、今日中に引き払うからね。新しいアジトも押さえてある。」
「そりゃあいいニュースだ。早速、行くとしましょうか、新しいアジトへ。」
 椅子もソファも何もない床に、もうこれ以上座っていたくなくて、ハンニバルが立ち上がった。
「今度のアジトにゃコンセントあるんだろうな? 少なくとも1部屋に1つは。」
「ああ、ごめん、そこまで見てなかった。」
「もうタコ足配線はゴメンだぜ。」
「俺も、もう焼け出されたくないし、警察の厄介にもなりたくないよ。」
 揃って部屋を出た後、フェイスマンは防火扉を閉め、南京錠をかけた。
【おしまい】

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