一体何がいけなかったのか、誰も知らない
鈴樹 瑞穂
 今年は11月もさほど気温が下がらなかった。てっきり暖冬なのかと思っていたら、12月も半ばになって急に寒くなった。各地で記録的な大雪となり、ハイウェイでは雪で立ち往生となった車が何百台も渋滞し、20時間余り閉じ込められたドライバーもいたらしい。
 さて、ここはそんなハイウェイを下りて20分ほどの、とある町。Aチームの面々は目下この町の外れに一軒家を借りて、新しい生活様式を守りつつ潜入生活を送っている。例年であれば冬になる前にもっと温暖な地へと移動するのだが、今年はPCR検査だの、一定期間隔離だのと様々な制約がついて回り、指名手配の身としてはどうにも動きにくかった。
 仕事にも影響が出ている。依頼があっても身軽に他の地に赴くわけにも行かず、かと言って、こんな小さな町の中だけでそうそう依頼があるわけもない。そこで生活費を稼ぐため、コングは近所のレストランのケータリングサービスの配達を、フェイスマンは倹約レシピを紹介する動画、マードックはゲームの攻略動画を配信して小銭を稼いでいた。
 そしてハンニバルはと言えば、主に初心者の子供相手にオンラインでチェスを教えていたのだが、意外なことにこれが大人気。歯に衣着せず痛快に生徒の手にダメ出ししながらも大胆で意表を突いて勝つ戦略を授けるせいで、最初は子供だけだったのが、段々とその子供と対戦した親や祖父からレッスンの予約が入るようになり、今やネットの世界では予約困難な人気トレーナー“Mr.スミス”として名を馳せていた。
 お金の匂いを嗅ぎつけたフェイスマンは、早速“Mr.スミス”のレッスン動画の配信や電子書籍の販売を企画している。が、肝心のハンニバルは「面倒臭い」の一言でここでもまた熾烈な攻防戦が続いていた。


「戻ったぜ。」
 リビングのドアを開けて入ってきたコングに、キッチンから顔を出したフェイスマンが声をかける。
「お帰り。お疲れさん。」
 何だかんだと室内で仕事ができる他の3人と違って、コングだけは外回りの仕事だ。今日も今日とて雪が降る中、何度もレストランと配達先の往復をするのだから大変である。しかし、高齢化が進む町の住民たちの中にはコロナ渦と寒波で実質的に外出が難しい人も多く、需要は沢山あった。配達先で感謝されることもあったりして、大変ではあるがコングはモチベーションも高く毎日仕事をこなしている。
 それにこの仕事にはちょっとした余禄もあった。料理の残りや試作品、余った食材で作ったまかないを店主が持たせてくれるのだ。おかげで食卓も賑わい、フェイスマンとしては新しいレシピのヒントを得ることもできて、いいこと尽くしだった。
「今日はサラダを貰ってきたぜ。ジャパニズムサラダだとよ。」
「へえ、どれどれ。」
 フェイスマンがコングから渡された袋の中を覗き込み、店主手書きのメモを引っ張り出す。度々コング経由でフェイスマンがレシピや食材を訊くので、最近ではこうしてメモをつけてくれることが多いのだ。
 ミズナとセンギリダイコン、ミョウガとワカメを器に盛り、別添えのトウフを乗せてジャコを散らす。取り分ける時にトウフを崩してざっくり混ぜること。ドレッシングはソイソースとビネガー、すりおろしタマネギがベースのノンオイル。
「ヘルシーだね。どんな味なんだろう?」
 メモを読んだフェイスマンが興味津々で呟くと、今度はチャイムが鳴った。
「あ、俺が出る! 荷物が届く予定なんだよね。」
 2階から階段を駆け下りてきたマードックが玄関へと向かう。配達員とのやり取りの後、パタンとドアが閉まる音がして、細長い箱を手にしたマードックがキッチンへとやって来た。
「何それ。また何か買ったのか?」
 警戒モードのフェイスマンに、マードックが唇を尖らせる。
「違うって。これは最近ネットゲームでパーティ組んでる日本のトモダチが送ってくれたんよ。お薦めの日本酒だってさ。」
「日本酒。」
「そう、最近寒いからアツカンにするといいよ、って。」
「アツカン。そりゃいい。」
 賑やかなやり取りに魅かれたのか、リビングにいたハンニバルもキッチンに集まってきた。
「だろ。こっちからはグリューワインを送っといた。」
 マードックが胸を張る。フェイスマンが何かを思い出したように目を丸くする。
「ちょっと待って。まさかこの前、近所のスーパーで買ってたペットボトルのグリューワインじゃないよね?」
「それそれ。」
「あああ、あの750mLで3ドルのやつ? よりによって、何でそんなの送るんだよ? この日本酒、ダイギンジョウじゃん!」
「美味かったから。」
「そういう問題じゃない。」
「まあ気にすんなって。」
「お前が気にしろー!」
「そんなことより、ゴハンにしようぜ。コングの貰ってきたサラダとアツカンでさ。」
「ふむ。メインディッシュはハムカツか。アツカンの後はスコッチにするか。」
 マイペースな仲間たちにフェイスマンはがっくりと肩を落とし、後日マードックに高級ワインを送らせようと算段しつつテーブルセッティングを始めたのだった。


 端的に結論を言おう。寒い日のアツカンは最高だった。ジャパニズムサラダも悪くない。ハムカツはあっと言う間になくなり、それでもまだツマミが足りないと言う仲間たちに負けてツナ缶を開けたところまではフェイスマンも覚えている。
 が、その後、気がつけばフェイスマンは空のバスタブの中で服を着たまま手足を伸ばしていた。
「? 何でこんなところに?」
 身を起こすと頭がズキリと痛む。バスタブの縁に引っかけていた肘と膝はすっかり強張っているし、ついでに腰も痛い。日本酒、恐い。それとも続けて何種類かチャンポンしたのがいけなかったのか?
 とにかく水を飲もうと、よろよろとキッチンに行き、その後リビングを覗いてフェイスマンは惨状に溜息をついた。
 テーブルの上には大量のグラスに皿、乱立する酒ビンと食い散らかされた料理やスナック類。ソファの上ではハンニバルが大の字に爆睡し、コングはカーテンにくるまって寝ていた。部屋の中はとても酒臭い。
「ああもう――うわっ。」
 掃除道具が入っているキャビネットを開けた途端、フェイスマンは思わず飛び上がった。立てかけられたモップと一緒にマードックが入っていたからだ。
「ううん、もう食べられない。」
 むにゃむにゃと呟くマードックの額をタップして、フェイスマンは声をかける。
「起きろ! 朝だ。」
「ええ、嘘だろ。まだ寝てねえし。」
「嘘じゃないし、寝てただろ。起きて片づけを手伝ってくれ。」
「うう、大きな声はヤメテ、響く。」
 お前もか。フェイスマンはマードックをキャビネットから引っ張り出し、コングとハンニバルを起こすように言いつけると、モップを手に取った。


 1時間後。何とかリビングを片づけた4人は、朝食代わりにフェイスマンが用意したシジミのミソスープ(レトルト)を飲んでいた。ご丁寧に、日本酒に同梱されていたのである。キッチンのシンクには洗い物が山積みになっているが、それは一旦置いておこう。
「はあ……染み入る……。」
「美味いな。」
「シジミは二日酔いにいいって日本人のトモダチが言ってたぜ。」
「二日酔いか。ここまで酷いのは久し振りだが。」
 そう言って眉間を押さえているハンニバルに、他の3人も頷く。全員、酒に弱くはなく、己の酒量も心得ている。家飲みとはいえ、ここまで全員がふっつり記憶をなくすような酔い方をするのは初めてではないだろうか。
 4人は顔を見合わせ、それから恐る恐るフェイスマンが切り出した。
「ねえ、どこまで覚えてる?」
「サラダを食ってるうちにアツカンがなくなって、何でもいいから熱い酒を飲もうってんで、このスットコドッコイがグリューワインを温め始めたところだ。」
 コングの証言は割と最初の方で終わっている。
「フェイスがツナ缶開けてくれて、ツナ缶だけじゃ足りないだろって冷凍ピザにツナ乗せることにして、そんで大佐がホットブランデーを作り始めたんだよな。」
 マードックの証言は割とカオスであちこち飛んでいるが、大筋は間違っていないようだ。蘇ってきた記憶に、フェイスマンはムンクの叫びのポーズで固まった。
「そうだ、冷凍ピザ! あれ今日の昼飯の予定だったのに!」
「確かに最初はそう言って止めてたけどよ、大佐が今ピザを出せば“Mr.スミス”のチェスレッスン動画を撮ってもいいぞって言ったら、フェイスが冷蔵庫に走って取りに行ったんだぜ。いやあ、あれはすごい勢いだった。」
 腕組みをして頷くマードックに、フェイスマンは今度は考える人のポーズになる。
「そんなことが――確かにそうだった! ハンニバル、約束覚えてるよね!?」
 詰め寄るフェイスマンに、ゆったりとミソスープを飲み干したハンニバルがにこやかに返す。
「全く記憶にない。」
「またそんなこと言って。じゃあ、モンキーと1ゲームしてくれるだけでいいからさ。コング、動画取ってよ。俺が編集する。」
 家にあった酒も3日分の食料も食い尽くしちゃったんだからな、とフェイスマンが重々しく宣告する。それに対して異を唱える者はいなかった。


「ちょっと待ったー!」
 フェイスマンのダメ出しに、ハンニバルが駒を動かす手を止めた。
「ポーンは一度に1マスしか進めないでしょ。」
 対局しているマードックも苦笑している。しかし、ハンニバルの次の一言で室内が凍りついた。
「済まん、ルールを思い出せん。」
「ルールって、チェスの?」
 再びムンクの叫びのポーズで固まるフェイスマン。
「嘘だろ。」
「済まんが全くわからん。」
「そんな―― orz」
 マードックとコングも顔を見合わせた。そう言えば、と何やら思い出した様子でコングが頬を掻く。
「あのジャパニーズハーブ――ミョウガを食うと物忘れをする、とか言うんじゃなかったか?」
「それ迷信じゃねえの?」
「けどよ、サラダに入ってたアレ、美味い美味いってほとんど大佐が食ってたろ。」
「確かに。」
 ひそひそと囁き交わすコングとマードックの前で、フェイスマンがハンニバルの肩を掴んで揺さぶっている。
「だからって何で今、この大事な時期に、よりによってチェスのルールを忘れちゃうんだよ! 思い出して! 思い出せないならもう一度覚えて!!」
「待て、今揺らされたら――うっ。」
「うわあああ!」
 大惨事だった。


 その後、ハンニバルはコングの親切丁寧な説明によりチェスのルールを地道にもう一度覚え直した。しかしその頃には、レッスンコーチの代役を務めていたマードックの奇天烈な戦法が一部のチェス愛好者にブームを巻き起こし、復帰したハンニバルを大いに苦しめることになったのだが、それはまた別の話である。
 そしてAチームの中では、アツカンおよびミョウガ禁止令が布かれたと言う。
【おしまい】
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