死闘! KGBを何とかせよ!
フル川 四万
〜1〜

 カモメが1羽、高く舞い上がった。小さな湾に面した崖の上、ガウン姿で車椅子に乗った男は、銀色の髪が海風に吹き上げられるのも気にせず、鳥の行方を視線で追いかける。西日が眩しいが、レイバンの黒いサングラスは完璧に太陽から目を守ってくれるだろう。遠くでヘリコプターの音がする。その音は段々大きくなり、耳をつん裂く爆音となった頃、ヘリが本体を現わした。
「見事な操縦だ。相当な手練れに違いない。」
 時折何かを探すようにアクロバティックな動きを見せるヘリは、この一帯を旋回しているようだ。蛇行と急降下・急上昇とを繰り返す不安定な飛行に、男は妙な懐かしさを覚えて戸惑った。古い灯台と、林業と漁業しか産業のないこの町に、救急のヘリコプターはいかにも不釣り合いで、男の心を少しだけざわつかせる。
「近くで何かアクシデントがあったのかもしれないな。交通事故か、それとも……。」
 男の脳裏に、確かではない記憶が蘇る。着陸するヘリのプロペラの音、砂埃、塹壕、マシンガンの銃声、ベトコンたちの声……誰かの呼ぶ声。その先は、思い出せない。
「ジャン。」
 不意に後ろから呼びかけられ、男は思考を止めた。
「そろそろ日が暮れるわ。冷えると体に毒よ。さ、家に入りましょう。」
「ああ、君の言う通りだ。」
 落ち着いた小花のワンピース姿の女性は、男の車椅子をUターンさせた。鬱陶しげにヘリを見上げ、車椅子を押して足早に去ってゆく。そして、崖の上には誰もいなくなった。


「あ〜、帰っちゃった。」
 ヘリの助手席から体を乗り出してお目当ての崖を見つめていたフェイスマンがそう言って体勢を戻す。
「で、どうだった? ハンニバルだった?」
 操縦席のマードックがそう聞いた。
「わからない。遠いし、サングラスかけてたし。体格は似てる気がするけど、座ってるから身長もわかんないし。」
「OK、戻ろう。長く飛んでるとKGBの奴らの目につきやすいかもしんないからね。」
「ああ、いくら救急ヘリに似せた柄でも、降りずに飛び続けてたら、かえって目につくよな。」
 ヘリコプターは急旋回で暮れかけた空を去っていった。


 その夜。近くの町のモーテルで、ぐったりとソファに沈むフェイスマンとマードック。ここは一見普通のモーテルに見えて、入ってみれば無線通信機材やらFAXやら、小型コンピュータやらが無造作に置かれた作戦本部な仕様。しかも、裏庭には、一見それとわからないようなカモフラで、ヘリの格納庫まである。それもそのはず、これらの物品は、不測の事態でこの地に足止めを食らっているAチームへの、雇い主ストックウェルからのせめてものプレゼントなのだ。
「あの崖の上にいた車椅子の人、ハンニバルなのかな?」
 ソファで放心していたフェイスマンがぽつりと呟いた。
「わかんないけど、体格は似てたような気がしないでもない。でもハンニバルなら、俺らがヘリで旋回してる間に何らかの合図を送ってきてもいいんじゃない? 手を振るとかさ。こっちは、ハンニバルかもしれないって言うから、それっぽく飛んでみたのに。」
 ローテーブルに積まれたバナナ(これもストックウェルの差し入れ)を1本剥いて齧りながらマードックが言った。
「……そうなんだけどさ、車椅子だったし、怪我してるとか、もしかしたらだけど、記憶喪失になってる可能性もあるよね……。」
「モグモグ……確かにあの爆発だったもんね、あり得る。」
「バナナ食べてる場合なの!? ハンニバルが行方不明だってのに?」
「バナナ、食わないとすぐ腐るじゃん。ハンニバルが見つかろうと見つからなかろうと、これ以上バナナが熟成したら、ハンニバルがいないこの状況で、大量のバナナケーキ焼くことになるんだぜ? 食う人数少ないのにだよ?」
 マードックの言葉に、バナナ14房で作るバナナケーキを想像するフェイスマン。14房あるうちの半数は、いわゆるキリンバナナになりかけている。
「ゴメン、どんどん食べて。」
「わかればよろしい。」
 と言って、バナナの横のオレンジに手を伸ばすマードック。
「って、バナナ食わんのかーい!」
 フェイスマンのツッコミが炸裂したところに、ドカンとドアを開けてコング登場。
「どうだった? 何か手掛かりは見つかった?」
「ああ、いろいろわかったぜ。何だ、このバナナの山は。」
 と、荷物を机に放り出すコング。
「冷蔵庫にはシャンパンとコーラと牛乳がパンパンに詰まってる。冷凍庫にはターキーと冷凍クランベリーも。」
「ここでクリスマス料理を作れってことか? あれか、ストックウェルの差し金か?」
「差し入れってことで、さっきカーラと宅配便みたいな奴らがやって来て詰めてった。」
「自分たちが立てた計画が失敗に終わったから、罪滅ぼしか何かじゃない?」
「フン、計画はグダグダで、結果ターゲットのヴィクトルのみならず、ハンニバルとフランキーまで行方不明って時に、差し入れで誤魔化すつもりかよ。」
 そう言いつつ冷蔵庫から牛乳を取り出し、ふと見るとボトルに紙が貼ってある。
「何だこりゃ……『普通の牛乳は乳脂肪分が多いので、低脂肪乳にしておきました。ストックウェルからのせめてもの心遣いです。カーラ』だと!? 畜生、低脂肪乳なんざ牛乳じゃねえ! 無調整牛乳を寄こしやがれ!」
 そう言ってボトルを冷蔵庫に戻し、バン! と扉を閉めるコング。
「で、コングちゃん、わかったことは?」
 マードックが丁寧にオレンジを剥いて差し出しながらコングに尋ねる。
「ああ、あの崖の上の屋敷は、ジャン・ハンバートって男の家だ。何でもベトナム戦争で長いこと行方不明で、留守宅をカミさんのモニカが守ってたんだが、つい最近、突然帰ってきたそうだ。どうやら負傷兵で、長いこと軍の病院に入院してたらしい。」
「つい最近、って、どのくらい?」
「近所の雑貨屋の話だと、つい1週間前だそうだ。ご主人が帰ってきたから今夜はパーティだ、って、モニカのとこの手伝いの婆さんが嬉しそうに豪華な食材を買い込んでいったとか。」
「1週間前か。ハンニバルたちが行方不明になった時期と合致するね。」
 フェイスマンがそう呟いた。


 1週間前。ストックウェルから、ある男の護衛を依頼されたAチーム。その男のコードネームは、ヴィクトル。もちろん本名ではない。長いこと二重スパイとしてソビエトに潜入していたが、危ない橋を渡ってアメリカ国内にいるKGBのスパイの名簿を何とか手に入れた。マグロ漁船に紛れ込んでベーリング海を渡り、カナダから陸路でアメリカに入国させるので、国境からワシントンまで護衛をしてほしいという依頼だった。合流地点までヘリで飛び、ヴィクトルの姿を確認して合図を送ったまさにその時、盛大に襲撃された。相手は多分、ソビエトからヴィクトルを追ってきたKGBの特殊部隊。ヘリは撃墜され、銃撃戦の末、決死の脱出作戦と相成ったAチームだったが、逃げる過程で追加の空爆に合い、爆風に揉まれてハンニバルおよびフランキーとはぐれてしまった。もちろん、ヴィクトルの行方もわからない。撃墜されたヘリの残骸で何とか無線を繋いでストックウェルに連絡を取り、近隣の町に潜伏して数日、最近ハンニバルに似た男がこの町に現れたことを突き止めた。それが、ジャン・ハンバート。今日、フェイスマンとマードックが空から確認しに行った男だ。そしてフランキーとヴィクトルの手掛かりは何もない。


「とりあえず、そのジャンって奴のところに突ってみるか?」
「他に手掛かりもないし、行っちゃう? って言うか、俺、ジャン・ハンバートって名前、どっかで聞いたことある気がすんだよね。どこだったかなあ?」
 マードックが首を傾げる。
「まあ待ってよ、街にはまだKGBの特殊部隊が潜伏しているだろうし、ここは慎重に行こう。だって奴ら、あれだけの爆薬や銃器を惜しげもなく使うんだぜ? 市街地で銃撃戦なんてやったらハンニバルに怒られるし。装備ではKGBに敵いそうにないし。奴ら相当本気でヴィクトルを捕まえたがってるし。」
「何がKGBだ、Aチーム舐めんなよ……。」
 威勢のいいコングの台詞も、少々萎みがちだ。なぜなら、現在、彼らには頭脳がいないのだ。奇を以ってよしとする作戦があれば、持てる兵器の差くらい何とでもなろうに。
「こんな時、ハンニバルならどうするかなあ……。」
 フェイスマンが溜息と共にそう言って天を仰いだ。



〜2〜

 市街地、小さなオープンカフェの一角。2人の男がコーラを飲んでいる。
「ヴィーチャの奴、どこ行きやがった、マジで。」
「早く探し出して落とし前つけなきゃ、モスクワに戻れないぜ。」
 2人とも、モスグリーンのスーツ姿。同じ色の軍帽に黒のサングラス。1人は三角巾で片腕を吊っており、もう1人は明らかに片足を骨折している。そして、話しているのはロシア語である。
「とは言ってもだ、コーチャ。」
「うん、兄さん。」
「あれ、ヴィーチャが雇ったアメリカの傭兵か何かか? すごい手強かったよな。」
「CIAかもしれない。持ってる武器全部ぶち込んでも逃げられたんだ……。」
「CIAか。って、持ってる武器全部ぶち込むんじゃない! 少し残しておけと言っただろう。」
「全部ぶち込めば短期決戦で行けると思ったんだもん。まさかヴィーチャどころか全員取り逃がすなんて……。1人でも捕まえておけば、拷問してどうにでもなったのに。」
 男2人は、コーラをストローで同時にチュウと吸って黙り込んだ。
 事の発端は、10日前に遡る。同志ヴィクトル、通称ヴィーチャ。彼らのイカした仲間で、男前のヴィーチャ。その女ったらしのヴィーチャが、三角巾男、ワーニャの女房に手を出した。そして、ワーニャの女房の手引きで、何らかの軍の秘密を盗んで逃げた。ずっ友だと思っていたのに……。ヴィーチャを追って捕まえる役目を申し出たのは、寝取られ夫ワーニャと、その弟、目下、右足骨折男、コーチャ。
「援軍を呼んだ方がいいんじゃないか?」
「いや、これは俺の不始末だ。俺がこの手でヴィーチャを捕まえて一発お見舞いしなきゃ気が済まねえ。盛大にぶっ飛ばして、伸びたところを写真に撮ってだな、オリガ(妻)にも、どっちが男として上なのかをわからせてやりたい。」
 ワーニャはそう言ってテーブルをガンっと叩いた。
「わかるけど兄さん、それ私憤だね?」
「私憤だとも。」
「盗まれた機密はいいの?」
「そんなもの、二の次だ。おい、ウォッカ持ってこい! え、ない? 置いてる酒はビールだけ? 何だ、しみったれた所だなアメリカは!」
 そう叫んで席を立つワーニャを、慌ててテーブルに小銭を並べたコーチャが追った。
 その後ろでコーヒーを飲んでいた白髪に総髭の老人が、新聞を畳んで一言。
「済まなかったね、ワーニャ。」
 それは流暢なロシア語だった。



〜3〜

 崖の上のお屋敷。それは、町外れにある一軒家。敷地内に古い灯台があり、父親が灯台守だったモニカ・ハンバートの実家である。一人娘だったモニカは、両親亡き後、海兵隊員のジャンと結婚した後も、この家を離れなかった。ベトナム戦争で負傷したジャンは、記憶のほとんどを失い、モニカにも知らされぬままに退役軍人精神病院に強制収容されていた。その間も、モニカは、たった1人でこの屋敷に住み続け、ただ一心にジャンの生存を願い、帰りを待っていた。
 そして遂に退役軍人精神病院から、ジャンが生きていて記憶を取り戻しつつあるとの連絡が。喜び勇んでジャンを引き取りに行ったモニカ、変わり果てたジャンの姿(太った&老けた&禿げた)にショックを受けつつも、気を取り直してジャンのリハビリを助けながら2人でひっそり暮らそうと決心した。そして屋敷に連れ帰ってきたのが先週のこと。
 それがなぜか、今、この家は、だいぶ騒がしいことになっている。
「ちょっとフランキー! お菓子の袋、その辺に捨てないでちょうだい!」
 モニカは叫んだ。場所は、お屋敷のリビングルームである。
「はいはい、今拾いますよ。ってか、どうせ毎日掃除させられるんだから、その時拾えばよくない?」
「よくないです。自分の食べかす一つ掃除できないのは、人間としておかしいです。改めてください。」
 モニカが能面のような顔でそう告げた。
「はーい。(ちぇっ、厳しいご主人様だぜ。)」
「何か文句でも?」
「ありません、マム。」
 フランキーが直立で敬礼し、お菓子の袋を拾ってサッサとトンズラしようとした時。
「あ、フランキー、マーサとガドはどこ行ったの?」
「ハンニバルは、さっきまで台所にいたけど、ヴィクトルは見てないな。」
「ジャンのリハビリを手伝ってくれる時間なんだけど。マーサを見かけたらジャンの部屋に行くように言って。」
「あいよ。」


 ところ変わって台所。エプロン姿のでかい老女が、カウンター凭れて葉巻を燻らせている。
「ハンニバル、モニカがお呼びだよ。ジャンのリハビリの時間だとさ。」
「フランキー、ここにいる間は、あたしのことはマーサと呼べと言っただろう。」
 流しで葉巻を消す老婆。あとでモニカに怒られること必至である。
「いつもの癖でつい、ね。でも誰も見てないからいいんじゃないの?」
「誰も見てなくったって、気をつけるに越したことはないんだぞ? 万が一にも盗聴されていたらどうするんだ。」
「わかったよ、マーサ。で、ジャンの部屋行ってよね、モニカがうるさいから。」
「ああ、行きたいのは山々だが、ガドが戻ってこないんだ。勝手に出歩くなと言っておいたのに、庭木の手入れをすると言って出ていったっきりもう3時間だ。」
「ヴィクト……いや、ガド爺さんなら、さっき車で出てったよ?」
「何だって!? いつだ?」
「だから3時間前。」
「なぜ早く言わん!」
 そこにタイミングよくガド(=ヴィクトル)登場。
「ただいま〜。」
「ガド、どこ行ってたんだ! 勝手に出歩くんじゃない。街にはまだ追手がいるんだぞ。」
「いや、心配ご無用。このフランキーの特殊メイクは、玄人だって騙せるよ。」
 白髪総髭に庭師らしいオーバーオール姿のガド爺さんは、今まで曲がっていた腰をしゃきっと伸ばしてそう言った。フランキーが、えっへんと胸を張る。
「ちょっと敵情視察を、と思って、町でそれらしい人間を見なかったか聞き込みしようと思っていたんだが、必要なかった。本人たちがいたよ、普通に。しかも腕と足を負傷していた。」
「何だって? KGBの諜報部員が、そんなラフにいるものなのか?」
「うーん、何て言うか、腕利き諜報部員が来てないって言うか、随分ショボいのを送り込んだなって言うか……。」
 ヴィクトルは、かなり歯切れが悪い。
「何だ、ショボいKGBってのは。KGBはエリート部隊なんだろう? ショボい奴なんているのか?」
「それがいるんだよ。俺を追ってきたのは、イヴァン・セコビッチとコンスタンティン・セコビッチ。俺がKGBに潜入していた時の同僚だ。多分、志願して来たんだろう。ワーニャ(イヴァンの愛称)、俺にはかなり恨みがあるから。」
「恨み?」
「ちょっとした痴情のもつれってやつさ。そこは気にしなくていい。」
 さらっと流すヴィクトル。
「で、どうするんだ? 奴らの目を掻い潜ってワシントンまで行けるのか?」
「それは大丈夫だと思う(キッパリ)。この扮装をしている以上、奴らは俺に気づかない。その程度にはボンクラだ。だが……何て言うかなあ、俺にも情ってもんがある。仮にも昔の同僚だった彼らを傷つけたくはないんだ。何とか穏便にソ連に帰ってもらえないものか……。」
「KGBの諜報部員を穏便にソビエトに帰す方法ねえ……。お土産の一つも持って帰らなかったら、戻ってから鉄のカーテンの向こうへオサラバってことになりませんかね?」
「ああ、確実に粛清される。だから、どうしようかと思ってるんだ。」
「……要するにだ、あんたを諦める正当な理由があればいい、と。」
「ん? 何だハンニバル、何か策があるって言うのか?」
「まあ、考えがないこともない。」
 ハンニバルがそう言ってニヤリと笑った。


 15分後。薄暗い部屋で、ハンニバルは車椅子の前に跪いてジャンの話を聞いていた。
「スミス大佐、覚えているかい、俺の小隊がベトコンの村で待ち伏せ食らった時。」
「ああ、覚えているよ。あの時は、ギリギリで空爆が間に合ったんだよな?」
「ギリギリで間に合ったんじゃない、間に合わせたんだ。あれは、村から100mほど離れた茂みで……俺は気がついたんだ、昨日まで子供の声が聞こえてた村から、今日は何も聞こえなくておかしいって。だから、空爆を要請した。」
「ああ、あれはジャン、君の手柄だった。」
「そうだろう。あの空爆要請がなかったら、俺の小隊は待ち伏せに遭って全滅していたかもしれない。……でも恐かったよ。もし、いつも通り子供たちがいて、ただちょっと今日はおとなしくしてるだけだったら、俺は大変な罪を犯すことになる。それは、敵に対しても犯してはいけない罪だ……。」
 ジャンはそこまで話すと、ぐったりと車椅子に沈み込んだ。
「今日はもうここまでにしよう。君のカミさんが夕食を作って待ってるぞ。」
「モニカ……あの親切な女……俺の女房か。」
「ああ、君の奥さんだ。思い出せないか?」
 ジャンは頭を振った。
「ベトナムのことは思い出せるようになってきたんだが……戦争に行く前のことは、頭に霞がかかったようで、まるで前世の記憶のようにしか思えないんだ。思い出すのが恐いのかもしれない。大佐、わかるだろう、戦場が俺のスタンダードになっちまって、それ以外のことにまるで現実感がないんだよ。」
「ゆっくりでいい。そのうち思い出すさ。さ、行こう。」
 ハンニバルは、ジャンを労わるようにポンポンと肩を叩き、ゆっくりと車椅子を押して部屋を出ていった。
 1週間前、KGBに襲撃され、フェイスマンたちとはぐれた日、命からがら町へと辿り着いたハンニバルとフランキー、そしてヴィクトルを最初に見つけたのは、退役軍人病院から退院したばかりのジャン・ハンバート元少尉だった。記憶喪失から若干の回復を見たジャン、ベトナムで英雄だったスミス大佐は覚えていたらしく、再会にいたく感激して家に招いてくれたのだ。そして、渡りに船とジャンとモニカの歓待を受けたハンニバルたちは、町外れの崖の上というまたとない隠れ家を手に入れたのだった。
 妻のモニカは最初は渋ったものの、この人たちならジャンが記憶を取り戻すのを助けてくれるかも、との思惑から、しばし屋敷への滞在を許可してくれた。ただし、軍の機密行動中だという説明だけで、老夫妻(マーサとガド)に変装し出したハンニバルたちに、何かしら胡散臭いものを感じてはいるようだった。まさか、自分がソ連の二重スパイを匿っているとは露ほども思ってはいなかっただろう。



〜4〜

 翌日、早朝。バナナや低脂肪乳が満載のトラックで、Aチーム−1、即ちフェイスマン、マードック、コングは、崖の上の家を目指して急斜面を登っていた。結局、崖の上の男がハンニバルどうか確信が持てなかったため、突撃して真偽を確かめよう、という最も単純な作戦に出たのだ。
「何か恐くなっちゃったよ。もしあの人がハンニバルじゃなかったらどうしよう?」
 フェイスマンが泣き言を言う。
「違ったら、また探すだけでしょ。」
 ハンドルを握るマードックは、意外と冷静。
「ああそうだな。そん時ゃ他を当たるだけだ。諦めるっていう選択肢は、端からねえんだ。」
「まあ、そうだけどさ。」
「着いたよ。」
 トラックが門の前に停まり、車から降りる3人。門扉の呼び鈴を鳴らし、待つこと2分。再度鳴らそうかと呼び鈴に手をかけた時、お屋敷の中から1人の大柄な老婆がヨタヨタと出てくるのが見えた。老婆は、ほんの20mほどの道を3回ほど休みながらゆったりと門まで歩いてきて不機嫌そうに言った。
「何の御用かね?」
「バナナの配達です。」
「バナナの?」
「ええ、こちらのご主人がお戻りと聞きまして、お祝いのバナナをお届けに。」
「はいはい、ジャン様へのお荷物じゃね。今、開けますよ。随分熟れたバナナだねえ。それじゃもう、バナナケーキにするしかないわい。」
 そう言うと、老婆はヨタヨタとお屋敷の入口まで3人を導いた。
「旦那様ぁ! 旦那様ぁ!」
 老婆が声を上げた。それに応えて、リビングから車椅子が1台、ゆっくりとやって来る。固唾を飲む3人。車椅子が近づき、顔が判別できる位置に来たその時。マードックが、あ、と小さく声を上げた。
「えーと、この人、ハンニバルじゃない。うん、ハンニバルじゃないや。えーっと、ジャン、だよね?」
「どういうことだ、モンキー。」
 予想外の展開に驚くコング。
「えっと、覚えてない? 俺、マードック。ほら、病院で一緒だった。」
 ジャンは、まじまじとマードックの顔を見つめた後、おお! と膝を打った。
「やあ覚えているとも、君はマードックだ。ゴミ袋を被ったり、緑のゼリーを独り占めしたり、時々いなくなったりするマードックだ!」
「やっぱり、あんたは、すぐ空爆だ空爆だって騒いで暴れ回った挙句、謹慎部屋に入れられてたジャンだ!」
「何だ、またいなくなったと思っていたら、君も退院していたのか! はは、奇遇だな!」
 いや退院は1回もしていないんですけど。
「あんたも元気そうで何より。」
 旧交を温める男2人を唖然と見つめるフェイスマンとコング。
「ちょっと待ってモンキー、この人、本当にモンキーの病院仲間なの?」
「うん、ジャン。苗字は知らなかったけど、退役軍人精神病院では古株だった奴。記憶喪失のくせに、何かと空爆したがる愉快で厄介な男。」
「……てことは、ハンニバルじゃないのか……。」
 フェイスマンがそう言って肩を落とす。
「ハンニバル? それってスミス大佐のことか? 大佐ならここにいるぞ。」
 と、ジャン。
「何だって!?」
「ここにいるって!?」
「ここに。」
 と指差す先には、先ほどの老婦人。
「むははは、Aチームをもってしても、この精巧な特殊メイクは、わからないものですな。」
 そう言ってマーサがぐいっとカツラを取り、顔の皮をベリッと剥ぎ、エプロンに挟んでいたタオルで糊まみれの顔をゴシゴシ擦った。呆気にとられる3人に、ん? と一瞬戸惑い、ああそうか、とポケットから葉巻を取り出して銜えるハンニバル。そこに出現したのは、全くもってハンニバル・スミスその人であった。
「はぇ〜。」
 気が抜けて膝からくずおれるフェイスマン。
「何だその仮装はよ! 全く冗談じゃないぜ!」
 なぜか怒り出すコング。
「で、ハンニバル、ヴィクトルとフランキーは? 一緒?」
「ああ、2人とも無事だ、問題ない。この特殊メイクもフランキーの作品だ。上手いもんだろ。」
 と、そこにモニカ参上。
「うるさいわよ、あなたたち。……そちら、どちら様?」
「あたしの仲間だ。モニカ、済まないが今日から客人が3人増えることになった。」
「ええ? なぜ?」
 モニカがあからさまに嫌そうな顔をした。



〜5〜

 久し振りに揃ったAチームとフランキー、そしてヴィクトルの6人が、初めて一堂に会して作戦会議。
「……というわけで、今我々は、ヴィクトルを追ってきたKGBの2人に、何とか穏便に帰ってもらうという方向で話を進めている。」
 と、ハンニバル。
「それマジなの? KGBがボンクラって。だって、あの襲撃作戦を実行した2人だよ?」
「ああ、ボンクラで間違いない。そして、奴らはもうほとんど武器を所持していない。最初の襲撃で使い切ってる。持っていたとしてもトカレフとカラシニコフ数丁だ。こっちの場に誘い込めばどうにでもなる。こっちは6人いるんだし。」
 と、ヴィクトル。
「一般人を巻き込まないシチュエーションとしては、この屋敷は実にちょうどいいんだが、この屋敷にいる一般人2人の安全は確保されなきゃなんねえしな。どうするハンニバル、地下室にでも籠っててもらうか?」
 と、コング。
「じゃあさ、こういうのどう? ジャンとモニカには旅行に行ってもらう。費用はストックウェル持ちで。」
 と、フェイスマン。
「何だフェイス、お前、ストックウェルと連絡取ってるのか。」
「まあね、仕方なくだけど。さっき持ってきたバナナと低脂肪乳も、ストックウェルの差し入れ。さ、それで、2人には、ちょっと豪華な旅行に行ってもらうってことでOK?」
「それがいいだろう。ジャンは、外に出て戦場以外の世界を知った方がいい。」


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 買い物籠を小脇に、町の商店で世間話に興ずるマーサ。時折繰り出す、あらやだ奥さん、の仕草が印象的。園芸店で同じく喋りまくるガド爺さん。
 町中のカフェ(気に入ったらしい)でコーラを飲むボンクラKGB、ワーニャとコーチャ、を後ろの席でそっと見守りつつ“世間話”に興ずるコングとマードック。
 医者の格好でコーチャの脚のギプスを取り換えるフェイスマン。ついでにワーニャの三角巾も取り換えて、にこやかに病室から送り出し、すかさず看護婦とイチャつき始める。
 部屋で1人、化学薬品を調合するフランキー。ビーカーからボムッと赤い煙が出て盛大に咳込む。
 大きな旅行鞄を膝に乗せて、にこやかに旅立ってゆくジャンとモニカ。並んで見送るAチーム、フランキー、そしてヴィクトル。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


 その日の夜。リビングで機械を囲むAチーム。ストックウェルからのプレゼントである盗聴マシンを横に、ヘッドフォンを耳に当てて耳を澄ますフェイスマン。聞こえてきたのは、KGBスパイのワーニャとコーチャの会話。
『兄さん、どうやらヴィーチャの野郎、崖の上の屋敷に匿われてるみたいだぜ。不審なロシア訛の男が、崖の上の家に住み着いたって、町じゃ噂で持ち切りだ。』
『言ってたな、商店のオヤジからカフェの客まで。この田舎町じゃ、ロシア人なんて珍しいんだろうな。で、その崖の上の家ってのは、どこにあるんだ?』
『ええっと。』
 ガサガサと地図を広げる音。
『ここだ。近隣に家なし、丸っきりこの1軒だけ。』
『事を起こすにゃ全くもって好都合だな。』
『しかも、住んでいるのは中年の女1人と、車椅子の親父1人だけって話だ。』
『ヴィーチャが逃げる前に、ここで捕まえるのが良策だろうな。』
『そして、夜間の方が目立ちにくい。』
『そうと決まれば即実行だ。行くぞ、コーチャ!』
「うん、奴らガッチリ引っかかってる。ここに来るってさ。しかし、ギプスに盗聴器仕込んだのも気づかないなんて、KGBも大したことないね。」
 フェイスマンがヘッドフォンを外してそう言った。先ほど町中で、『本日一粒万倍日、ギプス交換無料』の看板を掲げた見るからに怪しい診療所を開設しておいた結果、負傷したKGBが釣れたのだ。
「じゃ、フランキー、準備はいいな? コングとモンキーは、早く着替えて配置につけ。」
「おう!」
「はいよー!」
 Aチームの4人+フランキー、そしてヴィクトルは、配置についた。


 30分後、街灯のない暗い坂道をのったりとやって来る1台のFEDEXの車(盗難車)。
「ここが崖の上の屋敷だな。」
「門が開けっ放しだ。夜なのに随分不用心だな。」
「今のところ人影はないか。降りて家の周りを探ってみよう。」
「ああ。」
 ワーニャとコーチャは、木の陰にひっそりと車を停め、手の中の拳銃(トカレフ)を確認すると、ゆっくりと降り立った。屋敷は静まり返り、人の気配はない。
「留守みたいだな。明かりも点いていない。」
「ん? ちょっと待って、あれ。」
 コーチャが奥を指差す。奥の庭に、誰かいる。
「あのシルエット……ヴィーチャじゃないか?」
「……確かに似てる。こんな暗い中、外で何やってるんだ?」
「わからん。近づいてみよう。」
 ワーニャがそう言い、2人は物陰に隠れつつ庭に近づいた。人影は、植木に水をやっているようだ。
 と、その時。いきなり後ろからハードな照明に照らされる2人。目が眩むようなビームに一瞬怯む。
「見つけたぞヴィクトル! もう逃がさんから覚悟しろ!」
「このスパイめ! 今日こそ捕まえてやる!」
 そう言って走り出てきたのは、黒服の男たち(コング、マードック、フェイスマン、そしてハンニバル)。手にした自動小銃を派手にぶっ放しながら、ワーニャとコーチャを跳ね飛ばしてヴィクトルの方へと駆けていく。
「お、お前たちは何者だっ!?」
 ヴィクトルが叫ぶ。
「CIAだ! KGBのスパイめ! ここで会ったが100年目だ!」
「畜生、捕まってたまるか!」
 逃げるヴィクトル。そして、重なる銃声。そして、ヴィクトルは派手に倒れた。


「に、兄さん、ヴィーチャが、やられた……。」
「CIAって、あのCIAかよ! やっぱりヴィーチャは俺たちの仲間だった……のか?」
 血塗れで俯せに倒れ伏すヴィクトルを、恰幅のいいCIAが靴先で転がした。仰向けになるヴィクトル。大きな銃創が開いた額、半開きの目にはもう何も映っていない。腰を抜かして後ずさるワーニャとコーチャ。彼らにモヒカン頭の男が向き直る。
「剣呑なところを見せて済まなかったな。俺たちはCIAのエージェント。こいつはソ連のスパイだ。」
 コングがヴィクトルの死体を靴先で小突いた。
「心配しなくていい。もう赤の脅威は去った。君たちは配達人か? 全部忘れて、帰ってくれ。」
「今日のことは他言無用だ。何も言わなければ、俺たちも何もしない。一般人を巻き込むのは主義に反するのでね。」
「わ、わかった。俺たち、何も見ていない。」
 自動小銃を手に彼らを囲むAチームの4人に、ワーニャがそう言って、腰を抜かしたコーチャの腕を掴んで引っ張り上げ、ヨタヨタと車に向かって去っていく。だが、車の後部座席をゴソゴソした後、何かを思い出したかのようにワーニャが駆け戻ってきて、三角巾に隠したけど隠れていないカメラでパシャリと1枚、ヴィクトルの死体の写真を撮ると、車へと駆け戻っていった。そして、FEDEXの車(盗難車)は派手なエンジン音と共に去っていったのだった。
「……ありゃ何だ?」
 呟いたコングの言葉に、もう大丈夫と踏んだヴィクトルが半身を起こした。服は、フランキーお手製の血糊で真っ赤だ。
「俺が死んだっていう証拠だよ。写真を見せれば、俺が生きてるなんて露とも思わないさ。これでオリガも諦めてくれるだろう。」


 その後、ヴィクトルを無事ワシントンまで送り届けたAチームは、休暇を崖の上の家で過ごすべく舞い戻った。しかし、戻っているはずのモニカとジャンの姿はない。
「ハンニバル、葉書が来てる、ジャンから。」
 フェイスマンがそう言って1枚の葉書をハンニバルに渡した。
「何々……『もう少し2人で旅を楽しみます。マードックが社会復帰できるんだったら、俺にもできる気がします。By ジャン』、『お留守番よろしくね。By モニカ』」
「あー、ちょっと誤解があるようだね。俺っち、時々しか社会復帰してないし。」
 と、マードック。
「消印どこでい?」
 コングに言われて、フェイスマンが首を伸ばして葉書を覗き込む。
「……スイスだ。ストックウェル、奮発したな。こっちの報酬は少ないのに。」
「まあいいじゃないか。それよりフェイス、バナナケーキを焼かないと。あと10房あるバナナ、ほぼほぼ真っ黒だ。」
「へぇい。」
 フェイスマンは肩を竦めて台所へと去っていった。
【おしまい】
上へ
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