10万ドルは払えません! 囚われた娘を奪還せよ、Aチーム!
伊達 梶乃
 朝8時半、コングは自動車修理工場の半ば開いたシャッターを屈んで潜り抜けた。
「おやっさん、もう来てんのか?」
 黄味がかった白熱電球の明かりが灯った屋内に問いかける。
 ここでコングが働き始めてから半月ほどが経つ。個人経営の小さな自動車修理工場だが、ここで修理された車は“最高に調子がいい”と思った時以上に調子がいい、との口コミが広がり、飛び込みの修理など到底頼めないばかりか、メンテナンスの予約もそう簡単には取れない状態。今もお高そうなベンツが修理中。コングの他に数人の職人を雇っている工場長も、朝早くから出勤してきて、夜遅くまで働いている。
「今日はエンジンのクリーニングだよな?」
 話しながらもタイムカードを押すコング。
「お……おお、コングか……。」
 どこからか工場長の声が聞こえた。消え入りそうな声が。
「おう、俺だ。どうしたんだ、腹でも下ってんのか? ってえか、どこにいんだ?」
 声のした方を見ると、いくつかのジャッキがベンツを中途半端に持ち上げており、そのうちの1つのジャッキが横倒しになっている。そして、その脇の床の上に工場長が倒れていた。彼の下半身はベンツの下。それも、ベンツには現在タイヤがない。交換しようと取り外し中。
「おやっさん!」
 コングは工場長に駆け寄った。どう見ても、下半身が車体とコンクリートの床の間に挟まれている。幸い、下半分がグチャッとなって血がドバーッという状況ではない。そういう番組ではないので。
「す、済まんが、救急車を……。」
「わかった!」
 工場の隅にあるデスクに向かって走り、コングはデスク上の電話の受話器を取った。
 状況と住所を案外動転して伝えたコングが、工場長の方に戻る。
「救急車、呼んだぜ。10分以内に来てくれるってよ。」
「ありがとう……。」
 そう言うと、工場長はがくっと気絶した。
 救急車が到着するまでにコングは倒れていたジャッキを元に戻して、車体をそっと持ち上げた。念のため、ありったけのジャッキを持ってきて、ちょっとやそっとじゃ車体が位置を変えないように固定する。到着した救急車から救急隊員が駆け寄ってきて、工場長のバイタルサインのチェックをしつつ、彼の体を車の下から引き出す。コングも手を貸した。救急隊員の見立てでは、両脚の足首はもちろんのこと、脛骨と腓骨も両方とも折れているだろうとのこと。膝蓋骨も割れているだろうし、もしかしたら大腿骨もいっちゃってるかもしれない。ありがたいことに、それより上は無傷。
 工場長を運び込む病院がどこなのかを聞いた後、救急車を見送り、コングは工場の戸締まりをした。それから再びデスクに向かい、電話の下から電話番号リストを引き出すと、工場長の家に電話をかけた。


――ってことがあってよ、仕事どころじゃなかったぜ。」
 午後11時、大きな鍋を持ってアジトに帰ってきたコングは、鍋の中身を温めてハンニバルとフェイスマンに振る舞い、自分も同じものを食べながら今日あったことを話した。
 工場長の家に電話をかけて奥方に事情を話した後、工場のシャッターの表側に「工場長が入院した。客へ;しばらく修理は滞るんで覚悟しとけ。関係者へ;作業は続行した方がいいんじゃねえか?」と書いた紙を貼り、工場長の家にバンで向かった。工場長の奥方と合流して病院へ。担当医から説明を聞き、手術の同意書に2人でサインをする。手術が長丁場になるとのことだったので、コングと工場長夫人は受付で労災を含む各種手続きをし、家へ戻った。入院の準備をして、手術終了までまだ時間がたっぷりあるので、とりあえず昼食。具沢山のスープを食べながら、奥方の話を聞く。無論、牛乳も飲みつつ。
 奥方の話によれば、工場長と奥方は2人ともアーミッシュの村の生まれで、16歳で俗世を1年間経験するラムスプリンガの時までは車なんて見かけたことがあるという程度で、馬車しか身近にはなかったのだが、村を出て初めて車に乗った工場長は大興奮し、それから車に興味を持ち、車に関する勉強を始めた。奥方も初めて様々な美味しいものを食べ、初めて美味しいもののレシピを読み、村を出て都会に出ることに決めた。その時、ラムスプリンガに出た全員が一緒に村を出て、歩いて自分たちの集落を作ろうと旅に出た。
 いろいろな町を転々と移動しているうちに、暖かい場所の方がいいだろうと、行き先をロサンゼルスに決定。マイアミ案もないことはなかったのだが、何となく雰囲気に馴染めなさそうだったので却下。一同、ロサンゼルスに向けて旅を続けた。だが、野菜や穀物を育てたり鶏の世話をしたりという日々を過ごしてきた面々は、道中で短期のアルバイトを経験したものの、都会に行っても集落は作れないし、学も技術もなしでは生活していけないだろうと思い、アリゾナで旅を終えることにした。グランドキャニオンの近く、川があり畑が作れそうで、誰の土地でもなさそうな場所を決め、家を建てて生活を始めた。
 しばらく経ち、この場所にいては車について学べないので、工場長はロサンゼルスに向かい、もっと美味しいものを作って食べたかった奥方も一緒について行き、共に生活しているうちに何となく結婚。工場長は工場で働きながら車について学び、奥方は食べ物を買い家賃を払うために皿洗いから始めて調理まで任されるようになった。そして工場長は自動車修理工となり、自分の工場を持つまでになり、奥方は調理師の資格も取り、今に至る。
 聞いていると自分の親の世代の話のようにも感じるが、工場長も奥方も、コングと10歳も年は離れていない。
 自分たちの経歴を語り終えた奥方は、時計を見て溜息をついた。どうしたのかと尋ねるコングに、奥方は幼馴染みから助けを乞われたけれど、どうしたらいいのか、ともう一度溜息をつく。詳しく話すように促すコング。
 一緒に村を出た仲間が未だアリゾナにおり、仲間うちで結婚して子供もできたのだが、その子供が誘拐されて身代金を要求されている、と奥方は話し始めた。身代金を要求されても、アーミッシュと同等か、むしろコミュニティがない分、文明から遠ざかった生活をしているのだから、支払えるわけがない。しかし、1週間以内に身代金を払わなければ、娘を殺す、と通告されている。電話のある場所まで行って、なけなしの金で奥方に電話をかけてきたのが、誘拐から2日後。それが昨日のことなので、もう3日目。猶予はあと4日しかない。犯人はわかっている。最近、その界隈に突然現れたチンピラどもで、畑の作物を盗んでいったり、鶏や卵を盗んでいったりと悪事を働いていた輩だ。彼らが潜んでいる場所もわかっている。だが、その場所に行くのも難しく、攻撃や威嚇の手段を持っていないのだから、どうしようもない。1日かけて最寄りの警察まで行って相談もしたけれど、集落のある場所が管轄外だからと拒否されたらしい。集落を作った仲間たちに助けを乞おうにも、今は皆、都会に出ていって、特に仲のよかった奥方以外は連絡先もわからない。
 コングはそのこともハンニバルとフェイスマンに話した。
「ふむ、あたしたちなら解決できそうですな。」
 奥方の作ったスープ(昼食に食べたのと同じもの)を「美味い美味い」と食べ、お代わりまでしたハンニバルが言う。具沢山のスープは、野菜たっぷりだけど肉もごろごろと入っており、豆もやたらと入っているので腹に溜まる。絶妙な塩加減のコンソメベースで、具も汁も美味い。
「でもそれ、タダ働きでしょ?」
 全く乗り気でないフェイスマン。タダで働くなんて真っ平ゴメンだ、とその表情が訴えている。
「依頼主は自動車修理工場の工場長さんの奥さんですよ? 車が壊れた時に優先的にタダで直してもらえる未来があたしには見えるんですけどねえ。」
 厳密には、依頼主はアリゾナの自給自足夫婦だ。Aチームに依頼されたわけでもないし。
「そうだぜ、予約がみっしり入ってて普通じゃ修理なんか頼めねえとこだぞ。それも、修理してんの、高級車ばっかりだ。」
 フェイスマンの口元が綻び始め、「高級車」の辺りで遂にニマーと笑った。
「ところでコングや、このスープ、なかなかの味だったんですけどね、工場長の奥さんとやらはどこか有名どころで修業してたとか?」
 空になった皿を前に、スープに入っていた肉の味を思い出して、ハンニバルは加齢により乾燥しがちな口内を唾液で潤した。スープの中の肉なんてものは、大概、旨味をスープの方に出し切って、残った物体はほろほろなれど味なんて残っていないものだが、このスープの中の肉は柔らかく煮込まれていても、噛むとテンダーロインステーキと同等の味と香りが迸り出てきた(サーロインステーキほどではない)。
「そう言や何か言ってたな、店の名前は覚えちゃいねえが、俺にも聞き覚えのあるホテルのレストランで働いてるらしいぜ。今日はたまたま休みだったって言ってたが。」
 たまたま休みで、1週間かけて食べるつもりのスープを朝から寸胴鍋で作っていたのに、それは主にAチームの腹を満たしている。
「ところで、工場長さんとこの家族構成は?」
 まだ納得はし切っていないフェイスマン。
「夫婦2人だけだ。子供はいねえらしい。」
「よし、決まり。攫われたお嬢さんを奪回しに行こう。」
 やっとフェイスマンが首を縦に振ってくれた。この夫婦の収入は多め、支出は少なめ、従って貯蓄あり、と判断して。
「そうと決まれば、フェイス、モンキーを連れ出してこい。」
 コングが嫌な顔をしながら、ハンニバルに突きつけられたスープ皿(お代わり、の意)を持ってキッチンに向かう。
「じゃ、明日の朝イチで。」
「いや、今からだ。」
「今? もうすぐ0時だよ?」
「あと4日しかないんだ。早い方がいい。」
「まだ4日もあるんでしょ? アリゾナなら車でも半日かからずに行けるし、急がなくてもタイムリミットまで余裕あるじゃん。」
「奇襲はな、早い方がいいんだ。7日目だったら、奇襲にならんだろ?」
「そりゃ7日目になったら、来るんなら今日しかないってわかるもんね。」
「だから7日目に奇襲はない。となると、6日目に奇襲されることになる、向こうさんにとってはな。」
「うん、そうなるね。」
「しかし、6日目に奇襲される、とわかられてしまっては、6日目に奇襲はできない。」
「ということは……。」
「期限を通告された瞬間が奇襲に最適だ。もう遅いけどな。」
「つまり、奇襲はできないってことね。」
「い、いや、そういう意味ではなくてな、その、何だ、奇襲は早い方がいいってことだ。」
 お代わり(3杯目)を持ってきたコングが、しどろもどろのハンニバルを見て、プッ、クスクスと笑う。
「コング、俺にもお代わりくれる? これホント美味しいよね。」
 ニヤニヤしながらスープ皿をコングに差し出すフェイスマンであった。


「奇想天外な作戦を思いつくことにかけては天下一品であるハンニバルも、日常生活では奇をてらわない常識人であることが多い。その行動パターンも日常生活に関してならばある程度は読める。むしろ、マードックの行動の方が読めない。改行。ハンニバルを起こしに来たフェイスマンの頭に、そんな思いが浮かんだ。なぜならば、ベッドに仰向けになったハンニバルが薄暗がりの中で目をカッと開き、こちらに顔を向け、今まで見たこともない表情を見せていたからだ。何だろう、この表情の意味は。怯え? 恐怖? まあともかく不快方面の何かだ。改行。『どうしたの、ハンニバル?』改行。その問いかけに、ハンニバルの体がびくっと動いた。改行。『何? 何か演技の練習? 早く起きないとコーヒー冷めちゃうよ。』改行。ハンニバルの表情が強張り、今にも何かが起こりそうな予感がした。と、その時。ベッドの中央辺りから水音が。その音は、静かな寝室の中、フェイスマンの耳にも届いた。改行。『え? な? ど?』改行。まともな疑問文を発することもできぬまま、フェイスマンは眉をハの字にして数秒間微動だにせずにいたが、その後、がっくりと膝をついた。改行。『つ、遂に……ボケちゃった……!』」
 退役軍人病院精神科の病室で、枕を脇に退けたベッドに俯せになって、マードックはポケットサイズのノートにちまちまと書き物をしていた。音読しつつ。と、その時。
「カルテと違うじゃないか。ほら、こんなに静かにしている。」
 ドアの外からフェイスマンの声が聞こえた。消灯後だいぶ経っているんだから静かなのは当然じゃないか、とも思うかもしれないが、ここは精神科の入院病棟、消灯後だから静かであるという常識は通用しない。
「でも、ドクター……。」
 看護婦の声も聞こえた。
「ジョーンズ。ドクターじゃなくて、ミスター。あるいは、インスペクター。」
「ミスター・ジョーンズ、夕食の時までは叫び続けていたんですよ、“ヘリに乗らせろ”って。」
「夕方はそうだったのかもしれないけど、今は違う。聞いた話じゃ、彼みたいな患者は、精神状態が刻々と変わっていく。行動もね。それを逐一記録するのがカルテなんじゃないか?」
「……仰る通りです。」
「君たちがしっかりと記録してくれなきゃ、僕たちも病院や患者の様子がわからないし、予算申請をどこまで認可できるか正しく判断できない。」
「は、はい……。」
「今日、こんな時間(午前0時)だけど、抜き打ちで来てみてよかったよ。税金を無駄にしないで済んだ。さあ、鍵を開けて。」
 鍵を開ける音がして、ドアが開いた。2人が表でごちゃごちゃ言っている間に、マードックはノートを閉じて革ジャンのポケットに突っ込み、枕を常識的な位置に戻して仰向けになった。
「こんばんは、マードックさん。」
「こんばんは。」
 真面目そうなスーツ姿のジョーンズ氏に目だけをぎょろりと向けるマードック。
「こんな時刻に申し訳ないね。具合はどうだい?」
「頗る良好です。奇妙なものも見えないし、変な声も聞こえません。頭の中で流れている音楽も、サン=サーンスの『白鳥』です。」
「見たまえ、実に落ち着いている。彼はもう退院させてもいいのでは?」
 くるっと半回転して背後の看護婦の方を向き、嫌ったらしく首を傾げるジョーンズ氏。頭の中で音楽が流れている前提の人間を、精神病院から退院させていいのか? 深夜にキャップ被って革ジャン着てコンバース履いて、電気が煌々と点いた部屋でベッドに仰向けで気をつけの姿勢のまま硬直している人間を退院させていいのか?
「あの、お言葉ですが、退院させていいかどうかは主治医が判断することであって、私個人の意見だけでは何とも……。」
「そう、だけど、その主治医がいない。それどころかドクターが誰もいない。入院施設を持つ病院では、当直の医師が必ずいるはずでは?」
「え、そ、それは……。」
 当直の医師たちは、揃って夜食を買いに出たまま、まだ戻ってきていない。出かける前にダイエットドクターペッパーの話をしていたので、それを探し回っているのかもしれない。当然ながら当直医は夜食なんて買いに出てはいけないので(夜食じゃなくても)、このことを外部に漏らしてはならない。何と言えばドクターたちにも自分にも病院にも責任が問われずに済むか、必死に考える看護婦。
 難しい顔をして考え込む看護婦に背を向けたジョーンズ氏は、マードックに顎で小さく招かれて、床に散らばっているあれこれを踏まないようにしながらベッドに近づき、看護婦とマードックを結ぶ線分上に立ち、マードックの口元に耳を近づけた。
「何でドクターのカッコじゃないんよ? ドクターじゃなきゃ俺っち連れ出せねえだろ?」
「急ぎだったんで、クリーニング屋で白衣探す時間がなかった。」
「じゃどうすんの?」
「あの子(看護婦)、俺が引きつけとくから、ダッシュでよろしく。この時間、受付には誰もいないし、俺が来たことで表玄関の自動ドアも作動してるし。いつもんとこでコングが待機してる。」
 そう言うと、ジョーンズ氏は黒縁眼鏡を外して前髪を少し下ろし、ネクタイを緩めた。
「フェイスはどうすん?」
「あの子から鍵を奪って、ここに閉じ込めて、お前を追いかける。」
 真面目な顔で、マードックは頷いた。


 9時間とちょっとの後、Aチーム一同は工場長の奥方に教えてもらった場所に何とか到着していた。何せ、住所もろくにない場所だし、こちらから連絡を取る方法もないもので。
 グランドキャニオン国立公園の東側の場所で、かつ、テューバシティから西へ道なりに徒歩で(一刻たりとも休まずに)1日くらいの場所で、かつ、キャメロンの集落から北へ徒歩(休まずに)半日強の場所で、かつ、名前のわからない川が流れる渓谷、という位置情報だけしかないのに、ロサンゼルスから車で9時間強で辿り着けたのは、ラッキーとしか言いようがない。
 名前がわからない川は、Aチーム所有の地図によれば、リトルコロラド川ではないかと思われる。川の痕跡を見つけ、それを北に辿ったところ、両側の標高がぐんと高くなり、水も現れた。川に沿って谷底を進んでいくと、ぽつりぽつりと小屋が見え始めた。その周囲には畑もあり、水車が水を汲み上げている。水車の車軸が引き込まれている小屋の中では、穀物を突いたり擂り潰したりしているのだろう。発電を行っているものと思われる水車もあった。さらに進むと鶏小屋もあり、その先の小屋の煙突からは煙が上がっていた。恐らく、そこが目的地だ。
 Aチームは小屋の前で車を停め、地面に降り立った。空は抜けるほど青く、遠近感がない。しかし、少し視線を下げれば両側に聳え立つ岩壁が視界を遮る。
「すげえ景色だな。」
 半ば口を開いたまま周囲を見回したコングが、その末に口を開いた。
「人間ってちっぽけだなあって思うよね。グランドキャニオン見た時もそう思ったけど。」
 そう言うフェイスマンは、グランドキャニオンでデートでもしたんだろうか。それとも、事故に見せかけて処分されそうになったのだろうか。
「ここ、ヘリで飛んでみてえな。多分だけど、この先、もっと細くなってんだろ、右と左とが。」
「ああ、上流に行くに従って谷が狭くなってるはずだ。」
 ウッキウキなマードックにハンニバルが答え、言葉を続ける。確かに、ヘリ乗りにとってはチキンレースをするのに最適な地形。
「水と農地を確保するとなると、この辺りがやはり妥当だろうなんだろうな。」
 周囲は砂漠なので農耕には向かないが、ここは川が削って作った場所なので、堆積物のおかげで植物も育つ。川があるところに文明が栄えたのと同じ原理。
「アメリカ全土で考えたら、もっといいとこ沢山あるよ? 何でこんな不便なとこに住もうなんて考えたんだろ?」
 都会大好きなフェイスマン。夏限定で白い砂浜も好き。
「自然たっぷりでいいじゃねえか、こういうとこも。ただ……暮らしたかねえかな。」
 コングもそう言う。牛乳販売店は是非とも必要。
「オイラは上下水道完備で電気が通ってるとこがいいな。」
 ラジオかテレビは欲しいマードックである。水洗トイレもあれ。
「土地の評価はこのくらいにして、詳しい話を聞きに行きませんかね。」
 リーダーがそう言ったので、部下どもはキョロキョロするのをやめて、それに従った。


 小屋の扉を常識的にノックすると、ドアがわずかに開き、隙間から女性が顔を覗かせた。地味なワンピースを着てエプロンをつけた、40代と思しき女性が。
「何だい、あんたたちは。」
 心底不審そうに一同を見る。警戒心マックス。だが、目は泣き腫れているし、髪もぐしゃぐしゃ。
「はじめまして、ミセス・レンバッハ。あたしたちはロジーナ・ヘーガーさんから話を聞いて、お宅のお嬢さんを救出するために来た。あたしはハンニバル・スミス。」
 ロジーナ・ヘーガーというのが工場長の奥方の名前。因みに工場長はマティアス・ヘーガー氏。道中、そういった情報はコングから聞き出してある。
「ロジーナが助っ人を寄越してくれたってわけかい。ありがたい、あたしらだけじゃどうしようもなかったんだ。スミスさん、どうか娘を助けてくださいな。ああそうだ、はじめまして、あたしはエッダ・レンバッハ。ロジーナやマティアスの幼馴染みだ。どうぞ、中へ。」
 ドアが全開になり、小屋の中へ通されるAチーム。
「主人のジーモンはあっち側の畑に出てる。呼んだ方がいいかい?」
 エッダは客人に席を勧めた後、上流側を指してハンニバルに尋ねた。
「いや、まずはあんたの知ってる情報を教えてほしい。今回の作戦は時間との闘いになるだろうからな。」
「そうだね、あと4日しか残ってない。それで、何から話したらいい?」
 エッダはハンニバルの質問に答える形で事情を話しながら、カモミールティーを煎れて客人に配った。コーヒーなんてないし、牛乳もない。タンポポの根のコーヒーならある。炒った麦のお茶、即ち麦茶もある。
 カモミールティーを飲み、フェイスマンは「カモミールティーだ、落ち着くなあ」と思い、ホッと息をついた。他の3人は「風呂の湯だな」と思ったが、この感想は口に出さない方がいいと各々が判断した。
 さて、エッダの話をまとめると、一人娘のアデルを攫ったのは、ここ3か月くらい農作物や鶏や卵を盗んでいたチンピラどもで、奴らは銃を持っている。アデルは4日前、粉挽き小屋の修理に出たまま家に戻らなくなり、その翌日、チンピラどもがここにやって来て、「娘は我々が預かった。返してほしければ1週間以内に現金で10万ドルを用意しろ」と言ってきた。無論、10万ドルなんて大金はない。銃を持ったチンピラに抗う術もない。誰かの力を借りようにも、ここで一緒に住んでいた仲間たちは皆どこかへ行ってしまって、連絡先がわかるのはロジーナとマティアスの夫婦のみ。
「そのチンピラどものアジトはどこなのか、わかるか?」
「ああ、岩壁の向こう、東側にあるビュートの上さね。」
「ビュート? の、上?」
 フェイスマンの頭上にクエスチョンマークが2つ浮かぶ。
「知らねえ? ほら、地面の上にエリンギみてえにニョキッと生えてるアレよ。」
 マードックが説明する。ビュートは生えてきたわけじゃないけどな。
「写真で見たことねえか? でけえ岩の柱だ。」
 コングもビュートの形を手の動きで表現しつつ説明する。
「ああ、あれか、メサの狭いやつ。」
「それだ。」
 メサを覚えていてビュートを忘れているとは。
「あのニョキッとしたのの上にアジトがあるって、それ、行き来しにくくね?」
「上から縄梯子でも下ろしてあんじゃねえか?」
「あいつら、飛ぶもんに乗ってんだ。何て言ったか、上で羽根が回ってる竹とんぼみたいなやつ。」
「ヘリか!」
 マードックの顔が輝く。
「俺ァ、ヘリにゃ乗らねえぜ。ビュートの1本や2本、この手と足だけで登ってやらあ。」
 ヘリに乗ると決まったわけじゃないけど、早いうちにお断りしておくコング。
「ちょっと待って、そいつら、お嬢さんを誘拐して10万ドル要求してるのに、自家用ヘリ持ってるわけ? ヘリ、盗品なのかな。ね、モンキー、ヘリって素人に飛ばせられるもんなの?」
 コングの台詞は無視して、フェイスマンが尋ねる。
「飛ばし始めんのは素人でも簡単よ。スイッチ入れて、操縦桿グインってやれば、ブイーンって行くから。」
 大層、直感的である。
「でも、素人だったら、すぐに引っ繰り返るかもな。思った方向に飛ばすのとか何も壊さずに着地すんのは、練習しなきゃ無理だぜ。それも、横か後ろに教官乗せてさ。じゃねえと、事故ること請け合いよ。ま、この辺のだだっ広いとこで練習するんなら、引っ繰り返っても着地失敗しても、怒らんねえで済みそうではある。」
 過去に怒られたことがありそうな口振り。
「ってことは、犯人のうちの1人は空軍や海兵隊のヘリ・パイロット上がりかな?」
「もしくは民間ヘリ会社のパイロットか、でっけえ畑に農薬散布する仕事してる奴か、趣味で教習受けた奴か、俺様みたいに天賦の才能がある奴か。」
「趣味でヘリの操縦習う奴なんていんのか! 世の中、どうかしてるぜ。」
「ヘリの免許持ってれば、就職にも有利だぜ。」
 狂人というステータスである限り、どんな免許を持っていようが、就職に不利であろう。
「その線から人物が特定できるかもしれんな。フェイス、エンジェルに調べさせてくれ。」
「どうやって? ここ、電話ないんでしょ? コングのバンには電話積んでないし、俺の車はロスに置いてきたし。」
「どこか近場で電話を借りればいい。」
「電話だったら、こっから南に行ったキャメロンってとこが一番近いよ。」
「歩いて半日強のとこ?」
 追加情報をくれる地元民に、フェイスマンが恐る恐る尋ねる。
「自転車なら4時間あれば行けるさ。自転車貸すよ、手造りのやつだけどね。」
 それはきっと尻が痛くなる代物。市販品だったとしても、自転車に4時間乗り続けるのはきつい。それも、ここからキャメロンまで、舗装された道路はない。
「どうせ何か調達しに行かなきゃならないんでしょ? そん時ついでにエンジェルに電話しとくよ。」
「ヘリ! ヘリ調達しに行かなきゃよ。」
「必要なのは、ザイルとハーケン、ハンマーにカラビナだな。それと、ロッククライミング用の靴と手袋もだ。」
「ヘリとかいうのがどこにあるかはわからないけど、買い物すんならテューバシティまで行かないと。キャメロンにゃ店なんざ大してないよ。」
「徒歩1日のとこ? 自転車だと半日くらい?」
「自転車なら6時間ありゃ行けるさ。」
「ハンニバル、ちょっと言わせて。俺、調達に行くんだったら、コングのバンに乗せてもらうか貸してもらうかしなきゃ無理。マジで無理。」
 フェイスマンが真剣な顔で訴えた。
「……よし、お前たち3人でヘリとロッククライミング用品を調達しに行って、エンジェルに連絡だ。あたしはここでもう少し話を伺う。」
 すべきことも決まり、Aチーム、特にそのうちの3人は行動を開始した。


《Aチームの作業テーマ曲、始まる。》
 3人を乗せて発進するバン。その中ではマードックとフェイスマンがそれぞれに地図を見て、何事か言い合っている。我関せず運転に専念するコング。
 小屋でエッダの話を聞くハンニバル。昼食を作りながら話をするエッダ。旦那のジーモンが戻ってきて、ハンニバルと挨拶をする。エッダが食卓に3人分の昼食(豆のスープと温野菜のサラダと豆粉のパンケーキ)を並べる。
 ヘリが何台か並んでいる飛行場と言うよりヘリポートでマードックを降ろし、テューバシティに向かうコングとフェイスマン。早速ヘリポートのフェンスを乗り越えてヘリに駆け寄るマードック。
 テューバシティで、まずはフェイスマンが登山用品を売っている店の場所を道行く人々に尋ねる。店の場所を教えてもらい、そこへ向かう。必要なものを物色するコング、フェイスマンが押すカートに4人分ずつ放り込んでいく。レジで店員と話をするフェイスマン。いくつもの紙袋を店員から受け取って、支払いをせずに店を出る2人。それを路駐してあったバンに放り込んで、そそくさとその場を離れる。
 ヘリを検分していくマードック。ギザギザのローター、意味深にダクトテープが巻いてあるスキッド、後部からオイルっぽいものがポタポタと垂れているヘリのボディ、血が飛び散っているシート、盛大にヒビが入った風防ガラス。ヘリ1台1台に何かしら欠陥がある。ここは使えなくなったヘリの墓場か。がっくりと肩を落とし、フェンスをよじ登る。
 小屋に戻ってきたフェイスマンとコングが辺りを見回すも、マードックはいない。ヘリもない。ハンニバルに尋ねる。まだ帰ってきていない、と首を横に振るハンニバル。打ち合わせでは、マードックだけヘリでここに戻ってくるはずだったのに。再度バンに乗り込むコングとフェイスマン。
 ヘリポートの前で停まるバン。駆け寄ってきてバンに乗り込むマードック。小屋に戻っていくバン。
《Aチームの作業テーマ曲、終わる。》


 小屋の前に停めたバンの中で作戦会議を行うことにしたAチーム。小屋にいると、エッダの邪魔になりそうなので。
「必要だっていうものは全部揃えた。」
 バンの後部を親指で示すフェイスマン。
「エンジェルにも電話しといた。でも、グランドキャニオンの東側で個人的にヘリに乗ってる人物なんてどうやって探せばいいんだって切れられた。」
「そうは言っても、エンジェルのことだ、何か掴んでくれるでしょう。」
「もしエンジェルが何か掴んだとしてもさ、それを俺たちに知らせてくれる手段、なくない?」
「その辺も、エンジェルのことだ、何とかしてくれるでしょう。」
 ハンニバル、エンジェルに期待しすぎだ。もしかしたら、期待している風に見えて、全く何も期待していないのかもしれない。
「で、モンキーの方は?」
「ヘリは全部ダメだった。どれもこれも使い物になんないやつでさ。」
 不満そうに報告するマードック。コングは無言で嬉しそうに嘲笑っている。
「じゃあヘリなしで行くしかないな。ビュートを登って、チンピラどもを叩きのめして、お嬢さんを奪還して、帰りは敵さんのヘリをいただいて下山しましょう。」
「俺ァヘリにゃあ乗んねえぞ。」
「わかってますって。あたしたちはお嬢さんと一緒にヘリで下りますけど、コングはお好きなように。」
「誘拐犯はどうするんの?」
「ビュートの上に置いときましょう。」
 ハンニバルの案に、他3人も頷く。
「そんでハンニバル、俺たちが物資調達に行ってる間、何か聞き出せたか?」
 コングがそう尋ねる。
「ね、その前に、ちょっと俺の意見聞いてもらっていい?」
 ハンニバルが話し始めようとしたところに、フェイスマンが挙手して割り込む。
「言ってみろ。」
 気を悪くした様子もなく、ハンニバルが発言を許可する。
「俺さ、何かおかしいと思うんだよね。誘拐犯がヘリ持ってるっていうのもそうだけど、娘を誘拐された母親ってあんな落ち着いてるもん? 俺たちと話してた時だって、お茶出してくれた後、ずっと縫い物してたしさ、父親も畑仕事してばっかりだし。だから俺、この誘拐、狂言なんじゃないかと思うんだ。ほら、あの夫婦、お金ないわけでしょ? 娘が誘拐されて殺されたことにすれば、保険金が貰える。」
「フェイス、保険金は保険に入ってないと貰えないことを忘れてないか?」
 ハンニバルが呆れたように言う。
「あ……保険、入ってないか。お金ないんだもんね。保険の勧誘も、こんなとこまで来ないだろうし……。」
「それに、あのご夫婦だって、誘拐されたお嬢さんのことを心配せずに縫い物したり畑仕事をしてたわけじゃない。最初はあたしも気になって、それで失礼を覚悟で訊いてみたんだ。そうしたら、あのご夫婦、農作物やキルトを売って収入を得ているんだそうだ。」
「それ、テレビで見たことあるぜ。アーミッシュの人が古着を使って作ったキルトが有名だって。アーミッシュの村で作った野菜なんかも、農薬使ってなくて丁寧に育てられてるから、安全で味がよくて、高値で売れるって。」
 病院のレクリエーション室で点けっ放しになっているテレビを年中見ているマードックが発言。
「でもさ、今からキルト作ったって野菜作ったって、タイムリミットまであと4日しかないんだから、役に立たないでしょ。そんなすぐに10万ドル稼ぐなんて無理だよ。」
「あたしもそう言ったんだ。だけどエッダが、“それでも、娘を助けるためにあたしたちができることは、これくらいしかないから”ってな。“あと4日、できるだけお金を作って、誘拐犯に、残りのお金は少しずつでも払うから、って頼んでみる”って。」
「泣かせるぜ……。」
 ハンニバルの話に、コングは目尻に溜まった涙をぐいっと拭って鼻を啜った。
「俺だったら、この場所がどこの警察の管轄なのか調べて訴えに行った後、銀行に融資の相談に行くけどね。」
 普段、金欠だ金欠だと騒いでいる男の言うことではない。
「ってことはだよ? 普通の誘拐事件で、単に犯人がヘリ持ってるってだけだから、つまり、えーっと、誘拐されたお嬢さんが仕組んだのかもってこと?」
「何だその筋書きは? 脳がショートしてんじゃねえか、てめェ。」
 マードックの突飛な意見に、コングが突っ込む。
「……でもそれ、アリかも。こんなとこで生活していくなんて、10代の女の子には退屈でしょ。町に買い出しに行った時に知り合った男と、あるいは、この辺に観光に来た男と恋仲になって、親の束縛から逃げるために誘拐されたってことにして、ついでに今後の生活資金として10万ドルを要求して……うん、あり得なくない。」
 自分で言って納得するフェイスマン。
「それはあたしも考えましたよ。お嬢さん自身の情報がなかなか出てこないもんだから、虐待していて、話に出そうにも出しにくいんじゃないかとも、ね。それで訊いたんですよ、アデルのことを。」
 頷く3人。心の中で、「そうだ、お嬢さんの名前、アデルだった」と思いながら。
「話によれば、アデルは現在18歳。寮のある学校に入って義務教育を受け、大学にも奨学生としてタダで通って卒業。」
「ホームスクーリングじゃなかったんだ……って、ちょっと待って、大学出たのに18歳?」
「早くこっちに戻りたいからって、飛び級したそうだ。」
「だったら大学なんて行かなきゃいいだろ。」
「ハイスクールの先生や大学の教授に無理矢理行かされたらしい。エッダも、“自分たちはアーミッシュの村の学校で限られたことしか教えられなかったから、娘には十分な教育を受けてほしいと思っている”って言ってたよ。」
「つまり、アデルがここで生活していたのは寮に入るまでで、それからは親と離れて生活してるってこと?」
「年末年始の休みと夏休みには帰ってきていたそうだし、大学を卒業してからもこっちに住んでいると言っていた。」
「もしかしてアデルって、滅茶苦茶頭よくて、パピーとマミーのこと大好きで、ここでのワイルドライフも大好きな、すんげえいい子?」
 アデルの年齢を聞くまで5歳児だと思い込んでいたマードックが、脳内のアデル像を上手いこと構築できずに頭を抱える。チンピラの小脇に抱えられて誘拐されたものだと思っていたのに、18歳では小脇に抱えると足引き摺る。
「うーん、あんまり顔やスタイルは期待できない感じの子だね。」
 失敬なことを言うフェイスマン。まあエッダもその辺はアレだし。
「ここでぐだぐだ話してても、どうしようもねえ。何で誘拐したのか、誰が誘拐したのか、犯人をとっ捕まえりゃわかることだ。」
「うむ、コングの言う通り。では、そろそろ時刻もいい感じなので、腹拵えと参りますか。」
 どうやらハンニバル、早めの夕食まで時間を潰したかっただけのご様子。リーダーの号令により、車はテューバシティに向けて発進したのだった。


 太陽がグランドキャニオンの向こうに沈もうとしている。辺り一帯はオレンジ色のライトを浴びているかのような色合い。
「何書いてんの?」
 ポケットサイズのノートにちまちまと何かを書きつけているマードックの手元をフェイスマンが覗き込み、マードックはそれをバッと隠した。
「見ちゃダメ。オイラのデビュー作になるかもしんねえんだから。外部に漏らしたら、受賞逃しちまう。」
「小説か何か?」
 マードックは口をキッと閉じて頭をブルブルと横に振った。その様子からすると、小説かそれに準じたもののようだ。
「ハッ、小説だあ? てめェ、こんなとこまで来て、何くだらねえことしてやがんだ。」
 忌々しそうにコングが言う。こんなとこ、即ち、ビュートの麓。敵のアジトの斜め下。今から敵さんに総攻撃を仕掛けようというところである。
「しょうがねえじゃん。俺様の奥義(ヘリの操縦)が封じられちまってんだぜ。今ここでできることって言ったら、書をしたためることくらいしかねえし。」
「ざまあみろってんだ。」
 コングがクックックと笑う。
「さて、お喋りもいい加減にして、そろそろ行きますよ。」
 神妙な顔で腕時計を見つめていたハンニバルが顔を上げた。マードックもノートとペンをポケットにしまう。
「行きたかないけどね。」
 フェイスマンが肩を竦めた。
「じゃ、コング、頼んだぞ。」
「おう。」
 コングが足場となる楔を岩に打ちつけながら登っていく。命綱で互いを結び、コングの後ろ(下)を登っていく他3名。
 15分経過。全然進んでいないが、落ちたらヤバい高さにはなっている。コング以外の3人は、口には出さないけれど、コングが落ちたら命綱のせいで他3人も落ちるのではないかと気づいていた。いわゆる、死なば諸共ってやつだ。誰か1人でも助かっていないと、救助もできないのは明白。命綱、ない方がいいんじゃないか? ただ、コング以外の誰かが落ちた場合、その誰かの命綱はコングと繋がっていないといけない。命綱、あるべきか、あらぬべきか、それが問題だ。そして3人がそれぞれに無言のまま導き出した結論は、コングが落ちなきゃいい、ということだった。他力本願。
 30分経過。この頃には、誰かが単独で落ちたとしても、他の者は救助できないと気づいていた。救助しても意味がないと言うか。無論、全員で落ちても助からない。命綱、あってもなくても同じ。コングですら手足がプルプルしてきて、進むスピードが落ちている。他3人は言わずもがな。特にフェイスマンは生まれたばかりのキリンみたいな危うさ。重力の方向が変わればいいのに、と無理な願いが頭に浮かぶ。
 コングが次の手がかり(後の足がかり)になるべき楔を岩に打ちつけ、強度を確かめるようにぐっと引いた時、その上の部分がモロッと取れて落下した。
「危ねえっ!」
 危ないと注意されても、上を見る余力のない3人には、何がどう危ないのかさえわからない。右や左に多少重心をずらすことは可能な状況だが、どちらに動けば危機を回避できるかもわからない。せめて、楔をぐっと握り締める。非情にも、ソフトボールより少し大きいサイズの岩が、少し下にいたハンニバルの頭にガンと当たった。頭に衝撃を受けはしたが、何とか持ち堪えるハンニバル。伊達に百戦錬磨のツワモノのリーダーを務めてはいない。幸い、マードックやフェイスマンには当たらなかった。この2人は、頭に岩が当たったら十中八九落ちる。いや、100%落ちる。誰か1人でも落ちたら、その重さを支える力は、コングには今はもうない。
「大丈夫か、ハンニバル。」
 下を見てコングが問いかけた。
「ああ、何とかな。」
「済まねえ、ヘルメットも必要だったな。すっかり忘れてたぜ。」
 そう言って、じっと目を凝らす。
「こっから見る限り、血は出ちゃいねえ。」
「そりゃよかった。血が目に入ったら堪りませんからねえ。」
 ハンニバルの受け答えに安心して、コングは作業を続行することにした。因みにフェイスマンとマードックは、落ちていく岩を見てゾッとしたものの、リアクションを取る余力はなかった。
 その後、コングがしくじることもなく、45分後にはAチームは頂上に到着できた。太陽はハンニバルの読み通りのタイミングで沈み、青白い月明かりに照らされた頂上には、小屋が一軒。丸太小屋ではなくプレハブの。ヘリを持っているのだから、ビュートの頂上にアジトを建てるのも不可能ではない(資金さえあれば)。小屋の中はしんと静まり返っているが、ヘリがあるので留守ではない。敵さん、油断し切っていると見える。一息ついたAチームは、手をグーパーしてから、背負った小銃を構え、アジトに向かって駆け出していった。いや、マードックだけは手ぶらでヘリに向かってスキップしていった。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 小屋に駆け寄り、ドアの脇に張りつくハンニバル。ドアの正面で銃を構えるコングとフェイスマン。ハンニバルがフェイスマンとコングに手で合図をし、ドアノブに手をかける。
 ヘリの機体をチェックするマードック。穴も開いてなければ、スキッドにダクトテープも巻かれていない。ローターも良好なコンディション。傍からはヘリを愛でているようにしか見えないが。
 そっとドアノブを回すハンニバル。鍵がかかっていると踏んでいたのに、呆気なくドアが開いた。ドアを開放しても、中からの銃撃はない。フェイスマンとコングに手招きをするハンニバル。3人、こそこそっと侵入。
 ヘリのドアを開けようとするマードック。しかし、ドアには鍵がかかっていた。針金っぽいものがないかポケットを探る。出てきたのは、ノートとペンとミョン札。ペンとミョン札はポケットに戻し、スパイラルノートのスパイラル部分をこつこつと解くマードック。
 真っ暗な廊下をじりじりと進んでいく3人。そう大きくない小屋ではあるが、入ってすぐに廊下が伸び、その両側にはドアがいくつか並んでいる。3人揃って行動するのも狭苦しいので、ハンニバルが指で個別行動を指示する。
 ドアを開けるフェイスマン。誰もいない。闇に馴染んだ目に、ベッドが見える。
 ドアを開けるコング。誰もいない。闇に馴染んだ目に、便器が見える。洗面所もついており、水栓を捻ると水も出る。換気扇もある。消臭スプレーも置いてある。
 ドアを開けるハンニバル。そこは電灯の灯った台所だった。テーブルと椅子もある。流しのところでは、1人の女性が鼻歌を歌いながら食器の汚れをキッチンペーパーで拭っている。ハンニバルは低い姿勢で、彼女に気づかれないようにして近づいていった。ハンニバルがすぐ後ろに来ても、女性は気がついていない。ハンニバルは立ち上がりながら彼女の背中をトントンと軽く叩いた。振り返って一瞬驚いた表情を見せた女性は、手近にあったフライパンを引っ掴むと、ハンニバルの頭部に一撃を食らわせた。フライパンの側面で。ドタリと俯せに倒れるハンニバル。
 物音(金属製の物体が何かとぶつかった音、および、重い物体が床に落ちた音)を聞いたフェイスマンは、そちらの方に向かおうとした。だが、方向転換する直前に、首に何かが巻きついた。感触からすると、ワイヤーだろう。ここで抵抗したら、死ぬ or die。フェイスマンはオートライフルを床に落として、ホールドアップした。
 突然、懐中電灯の光が壁を照らし、コングはその光の方に顔を向けた。光の円の中に現れたのは、背後からワイヤーで首を締められて両手を挙げるフェイスマン。コングは事態を把握し、オートライフルを床に投げてホールドアップした。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


「犯人、ただのチンピラじゃないよ。」
「ああ、俺もそう思うぜ。」
 タコ帽子を被った2人の男によって後ろ手に縛られ、足首も縛られたフェイスマンとコングは、ベッドのある部屋に連れてこられた。明かりの点いた部屋の中、ベッドの上にはハンニバルが寝ていた。ぐーすか寝ているわけではないのが、鼻から垂れる一筋の鼻血で理解できた。声をかけても、返事しないばかりか目も開けないし、身じろぎすらしない。
 タコ帽子の男たちは部屋を出て、ドアを閉めた。ドアの外でガチャガチャと音がするところを見ると、ドアが開かないように何か細工をしているようだ。ここのドアは、精神病院の個室のドアとは違って、外から鍵をかけられないタイプ。普通、部屋のドアっていうのはそういうもんだ。
「それにしても、ハンニバル、大丈夫かな? 息はしてるようだけど。」
 腹をわずかに上下させているハンニバルの方を見やるフェイスマン。
「大丈夫だろうとそうじゃなかろうと、今の俺たちにゃどうしようもねえぜ。」
「まずはロープ解こうか。モンキーが助けてくれるの期待しながら。」
「ロープを解く案にゃ賛成だが、あの馬鹿猿が何かしてくれるわきゃねえ。」
 2人はもぞもぞと移動して、背中合わせになった。まずは、コングの手首を縛っているロープをフェイスマンが解く。と言っても、3分くらいかかった。次に、コングがフェイスマンの手首のロープを解く。その後、それぞれに自分の足首を結んでいるロープを解く。
 手足が自由になって最初にドアを検分するコング。
「向こうっ側がどうなってようと、ドア壊しゃ出られるぜ。こんなん、一発で開けられらあ。」
「頼もしいね。でも、ハンニバルがこの状態じゃあねえ。」
 フェイスマンはベッドに腰を下ろして、ハンニバルの頬をぺちぺちと叩いた。反応がない。脈と呼吸を確かめた後、瞼をこじ開けて瞳孔の反応が正常であることも確認。とりあえず致命的状態ではなさそう。さらに、ハンニバルの体を隅々までささっと撫でて、異常がないか調べる。
「あ、これ、頭やられてる。他は全然何ともない。」
「登ってくる時、岩が当たったからか?」
 あの時に脳内で出血が始まって、しばらくは何ともなかったのに、脳が血液で圧迫されて意識を失った、という可能性もなくもない。
「わかんない。あの後、何ともなさそうだったんだけどね。もしかしたら、敵に遭遇して頭に一発貰っちゃったのかも。」
 ハンニバルの頭部をくまなく指先でそっと撫でていく。
「ここは岩が当たったとこかな。……あ、こっちにも瘤ができてる。うん、敵さんにやられたね、これ。」
「頭やられてんなら、あんまし動かさねえ方がいいな。」
「単なる瘤だけなら、そこまですることないけど、頭の中がどうなってるのか見えないし、意識も戻らないし。……そうだ、これ効くかな?」
 フェイスマンは登山用ジャケットのジッパーを下ろし、ヘンリーネックセーターのボタンを外し、ハイネックシャツの胸ポケット(ジッパーつき)から小さなビンを取り出した。
「気つけ薬か。よく奴らに取られなかったな。」
「ジャケットのポケット探って満足したんじゃない? この服、ポケット10個もあるからさ。」
「ってえか、何でてめェだけ登山用ジャケット着てんだ? ズボンも登山用のじゃねえか。」
「スーツにネクタイ締めてロッククライミングしろっての?」
「むぅ、まあそうだな、スーツじゃ無理だ。」
「だから上から下までロッククライミング向きの服を揃えたわけ。隙間時間に。」
 そう話しながら、フェイスマンは気つけ薬の蓋を開けて、ハンニバルの鼻の下に持ってきた。
「…………ふっ……ふがっ!」
 ハンニバルが妙な声と共に目を開いた。ビバ、気つけ薬! グッジョブ、アンモニア!
「効いた! 大丈夫、ハンニバル?」
 鼻を押さえて、ハンニバルは目を瞬かせた。
「どこだ、ここは?」
 掠れた小声でそう訊く。
「敵のアジトの中。入ってすぐ左の部屋。」
 部屋の配置からして壁2面に窓がありそうなものなのに、窓皆無。まるで倉庫。
「……つかぬことを訊くが、敵というのはノース・コリアか? それともソ連か?」
 真面目な顔でハンニバルが尋ねた。
「え?」
「はァ?」
「くだらない質問で申し訳ない……記憶があやふやなんだ。」
 あやふやどころか、ノース・コリアとアメリカが戦っていたのは30年以上前。ソ連とは第二次大戦以降ずっと不仲ではあるが、直接戦ってはいない。
「朝鮮戦争はもうとっくに終わってる。その後のベトナム戦争も終わって10年以上経ってる。」
「何だと?」
 優男の説明に、ハンニバルは驚きのあまり、上半身を起こした。ハンニバルの脳内では、現在1950年代。30年分以上の記憶が消えているのだが、まだこの時点ではそのことに気づいていない。
「もしかして、俺たちが誰なのかもわからない?」
「……済まない……。」
 ハンニバルは視線を落として、そう呟いた。20代のジョン・スミスは、見た感じ年上の2人を上官かもしれないと一瞬思ったのだが、こんなふにゃけた優男やこんな装飾過多のモヒカンは米国陸軍の上官としてあり得ないと即座に判断した。
 フェイスマンは、ふにゃけた優男と思われていることなど露知らず、額に手を当てて天を仰ぎ、「あちゃ〜」な気分をわかりやすく表現している。コングは、装飾過多のモヒカンと思われていることなど露知らず、眉間に深い皺を寄せ、口はヘの字で、しかし肩と腕がだらんと下がって、今にも泣き出しそうであった。


 スパイラルノートの針金を納得行く長さまでぐるぐると外し終えたマードックは、今度はそれを真っ直ぐにしようと、しゃがみ込んでスキッドに擦りつけた。そして真っ直ぐになった針金を、ヘリのドアの鍵穴に挿し込む。
「あー、やっぱ1本だけじゃ無理だわ。」
 そう呟くと、彼は反対側のコイルを解き始めた。そう、鍵を開けるには針金が2本必要なのだ。なのに、ここにはペンチもニッパーもない。となると、コイルの両端を使うしかない。
「遅い!」
 突然、ヘリのドアが内側から勢いよく開いた。そのドアに顔面を強打されたマードックは、スパイラルノートを手にしたまま、ばったりと地面に倒れた。
 ヘリのドアを開けたタコ帽子男――シートの上にへばりついて隠れていたけど待ちくたびれて我慢の限界を超えた――は、地面で伸びているマードックを見下ろし、ヘリから降りてくると、大きく伸びをした。


 フェイスマンとコングはハンニバルに自己紹介をし、本日の年月日と現在地情報を伝え、出会ってから今までの事柄(ただし重要事項のみ)を早口で語っていた。主に語っていたのはフェイスマンで、コングは要所要所で注釈を加えたり訂正をしたりするのみ。ハンニバルは黙ってそれを聞き、記憶していった。
 と、その時、ドアが開いてタコ帽子の男がオートライフル(Aチームの所有物)を3人に向けた。
「来い。」
「もう?」
 まだ話が現在まで行き着いていないのに、とフェイスマンは不満そうに立ち上がった。
「ハンニバル、立てる?」
「ああ、大丈夫だ。」
 ハンニバルはベッドから立ち上がったが、ふらっと倒れかけた。それをフェイスマンとコングが両側から支える。
「済まんな。」
「いいってことよ。」
 コングがニッと笑った。
 銃で小突かれながら3人は廊下に並んだ。抵抗しようと思えば難なくできる状況だが、ハンニバルの脳も本調子ではないし、このまま言うことを聞いていれば誘拐の謎も解けそうな気がして、フェイスマンとコングは黙ってタコ帽子野郎に従った。
「そこのドアを開けて中に入れ。」
 そう言われて指示通りに行動する。ドアの向こうは、少し広めの部屋だった。リビングルームと言っても差し支えない。真ん中には折り畳み式のテーブルが2つ、長辺を合わせて並べてあり、その周りに折り畳み椅子が配置されていた。タコ帽子を被った男が2人とタコ帽子を被っていない女性が1人、席に着いている。
「椅子が足りないね。」
 タコ帽子の男(座っているうちの1人)が優しい声で言った。それを聞いてすぐさま女性が立ち上がり、座っていた椅子を持ってハンニバルの前に来た。
「さっきはごめんなさい。驚いてしまって。大丈夫でしたか? どうぞ、お掛けになってください。」
 と、ハンニバルに椅子を勧める。何を謝られているのかわからなかったが、ハンニバルは素直にそこに座った。
「もしかして、君、アデル?」
 訊きたいことは多々あれど、とりあえずフェイスマンは女性にそう尋ねた。
「はい、そうです。あなた方は私を助けに来てくださったんですよね?」
「そう。君のご両親に頼まれて。元はと言えばミセス・ヘーガーに頼まれたんだけど。」
「ありがとうございます。なのに私、この方のこと、思いっきりフライパンで叩いてしまって。」
「あ〜、そういうわけか〜。」
 謎が1つ解けた。
「おかげで記憶が飛んじまってる。」
「記憶が? 本当にごめんなさい!」
「そんなに気にしなくていいんじゃないかな、フライパンで叩かれたこと、本人、覚えてないんだしさ。」
 只今絶賛記憶喪失中のハンニバルは、失った記憶を再構築しようと、黙って真剣に情報を吸収している。1980年代はタコ帽子が流行しているのか、と間違った解釈もあるけれど。それと並行して、1980年代の自分の体の重さや倦怠感(筋肉痛はまだ来ていない)から、ひしひしと老化を感じているところ。倦怠感はロッククライミングのせいなんだが、記憶にないし。
 と、そこへ、また別のタコ帽子男が現れた。気絶したマードックを担いで、よたよたと。
「この人、そこに置いていいでしょうか?」
 周りの返事も聞かないうちに、よたよたとテーブルに向かい、どさっとマードックをテーブルに寝かせる。
「こいつに何しやがった!?」
 コングがマードックに駆け寄り、マードックを担いできたタコ帽子男に牙を剥く。
「ヘリのドアを開けたら、ぶつかったんです。頭を打ったんでしょう。」
「頭だと? これ以上おかしくなったらどうしてくれんだ!」
 担いでこられる間にも頭部に残存し続けたキャップを取って、コングがマードックの頭を撫でる。
「これで全員かな?」
 優しい声のタコ帽子男がフェイスマンに視線を向けて尋ねた。
「そうだけど、あんたがリーダー? 誘拐犯はチンピラだって聞いてたけど、違うようだね。」
「私は別にリーダーじゃないよ。一番年配で体力がないだけだ。チンピラの皆さんには少々協力してもらったけれど、その後、フラッグスタッフの警察に通報しておいたから、今頃は監獄の中だろう。」
「あの辺、フラッグスタッフの管轄なのか。」
 だいぶ南にフラッグスタッフという町があるのは、地図を見て知っていた。群庁所在地だということも地図記号からわかっていた。しかし、まさかそんなに遠い町の警察の管轄だとは思ってもみなかった。
「ってことは、10万ドル要求したのはてめェらか。」
「10万ドル? 私たちは金銭的な要求は何もしていないよ。チンピラの皆さんには、アデルを攫ってきて、親御さんに“1週間ほど預かる”と伝えるように頼んだだけだ。」
「じゃあ、そのチンピラが勝手に10万ドル要求したってだけ?」
 予想外の展開に、フェイスマンの声が少々裏返っている。
「そうだろうな。アデルの親御さんが10万ドルなんて払えるわけがない。アデル本人ならともかく。」
 優しい声で失礼なことを言う。
「え? 君、そんなにお金持ってるの?」
 フェイスマンの両方の瞳がドルマークになった。旧式レジスターの“チーン”という音が鳴る。
「私の口座にいくら入ってるのかなんて知らないわ。」
 関心ないし、といった風に、アデルが頭をふるふると振る。
「大学出たばっかりで、働いてるわけじゃねえんだろ? 何でそんなに金持ってんだ?」
 依然としてマードックを撫でつつコングが尋ねる。
「うちの会社と技術提携していたからです。」
 マードックを担いできたタコ帽子男が言う。
「それと、特許料だな。うちの会社もアデル嬢にだいぶ貢いでるよ。」
 オートライフルを肩にかけたタコ帽子男も言う。
「賞金も沢山貰ったもんな。」
 もう1人のタコ帽子男も。
「ちょっと待って! あんたたち、何者なの? 何でアデルを攫ったわけ?」
「名前を出すのは控えさせてほしいんだが、私は大学の研究室でアデルの指導をしていた者だ。」
 簡単に言えば、大学教授である。
「アデルには大学院に進んで研究を続けてほしいんだが、彼女は学業をやめて家業を手伝うと言って止まないので、ここで説得をしていたんだ。」
「ビュートの頂上で? ヘリまで使って? アジトまで建てて?」
「でないと、彼女が逃げてしまうのでな。ヘリや建物はこちらの方々に声をかけて協力してもらった。」
「私は某航空機メーカーの者なんですが、教授経由でアデルさんのお力を貸していただいておりました。それが、アデルさんのご卒業に伴い打ち切りになるとのことで、是非とも我が社との関係を継続していただきたいと思いまして、教授のプランに一枚噛むことに。」
 この男は、航空機メーカーのテストパイロットか何かなのだろう。趣味でヘリの免許を取ったエンジニアかもしれない。
「この建物は、うちんとこの余ってるパーツで作ったんだ。アデル嬢の考案した技術を使ってるから、夜になっても冷えないだろ?」
 鼻高々なタコ帽子男は、建設会社か建築材メーカーの技術職人だろう。小銃も扱えているので、趣味は狩猟かサバゲーと推測できる。
「僕は物的な協力はできなかったけど、この辺りの地理には明るいし、アデルにすごい才能があることは誰よりもわかってる。アデルの力で世界を救うのに、少しでも加担できれば、と思ってるんだ。」
 このタコ帽子男はハイスクールの教員ではなかろうか。ワイヤーの扱いに長けているところからすると、専門は技術か理科(物理)、あるいは体育。
「……ええと、つまり、タコ帽子の皆さんはアデルに勉強? 研究? を続けてほしいけど、アデルはご両親のところに帰りたい。それを説得するために、アデルをここに連れてきた。でも、誘拐の実行犯であるチンピラが勝手に10万ドルを要求した、と。」
「そうだ。」
「説得は上手く行ったの?」
「いや、難航中だ。」
「こんなところに連れてこられても、私の決心が変わるわけないでしょう? 先生たちに対する心象が悪くなっていくだけよ。」
「それは困るよ、アデル。」
「もう遅いの。そもそも私は、早く義務教育を終わらせて家に帰りたいだけだったのに。そのために頑張って勉強して、飛び級して、飛び級の審査に有利だからってコンクールやコンテストに応募させられて、大学にまで行かされて、特許も沢山取らされて、もういいでしょ、って思ってるのにまだ続けさせられるの?」
「しかし、君が考案したエネルギー変換システムは画期的で、現に民間にも使われ始めておる。」
「そうですよ。安価な物質を利用して無駄のないコンパクトな作りなのに、従来の燃料消費量を30%以上抑えられるんですから。燃料積載時の機体重量も抑えられるから、エネルギーカット率は50%近くにまで上ります。」
「それって、今までの半分の燃料で飛べるってこと?」
 ガバッとマードックが跳ね起きた。コングが「何だてめェ、起きてやがったのか」と慌てる。
「逆に言えば、今までの燃料の量で倍の距離飛べるということです。」
 航空機メーカーの男がニンマリとし、マードックもニンマリとした。
「アデル嬢が考案したのは、それだけじゃねえよ。太陽光を溜めといて直で熱に変換すんだ。理論は俺にゃわかんねえけど、電気として溜めといたのを熱にするわけじゃねえから、変換ロスが少ねえんだと。もちろん、溜めといたエネルギーを電気に変換することもできて、いわゆる太陽電池だな、そん時にもほとんどロスがねえ。それに、水の浄化装置だ。便所の汚水もこんくらいの大きさの装置に流し入れるだけで、あっと言う間にニオイも大腸菌も皆無の飲み水になるんだ。フィルターの交換も月1でよくって、使い終わったフィルターは土に埋めておけば肥料になる。コストも大してかからないと来てる。肥料買うのとどっこいだ。」
「すげえとしか言いようがねえな。そんな装置が作れるたあ思っちゃいなかったぜ。どっちも夢の技術ってやつじゃねえか。その浄水装置、飲み水がなくて困ってるとこに持ってってやりゃあいい。」
 建築関係の男の説明に、コングも心から感心する。前者は光子を溜めとくのか? 後者は微生物使ってんのか?
「でも、清潔な飲み水がないところに浄水装置を持っていっただけでは、争いが起きるだけです。それを現場まで持っていって設置して、平和裏に使用されるのを管理する人間が必要なんです。その人的コストのせいで、本当に使ってほしい人たちにまで浄水装置が渡っていないのが現状です。」
「むう、その仕事にゃ危険がつき纏いそうだしな。俺が行ってやってもいいんだが、今はちょっと別の仕事があるから無理だ。」
 ハイスクール教員っぽい男の話に、コングが興味を示している。確かに、そういう仕事はコング向きだ。お尋ね者でなければ。
「今の全部、アデルが作ったわけか。そりゃお金も入るわ。」
 金銭面でのみ感心するフェイスマン。実のところ、アデルはもっと沢山作っている。2か月に1つのペースで。
「私はアイデアを出して、そのアイデアを実現してくれそうな人たちに相談して、作ってもらったものを組み合わせているだけなんです。だから、入ってきたお金も作ってくれた人たちに分けようと思っているんですけど、みんな受け取ってくれなくて。」
「そりゃあ受け取れないでしょう。10代の女の子が画期的なアイデアを持ってきて、こういうのを作ってくれと言ってきたら、無償で作りますよ。僕にはアデルに頼まれるほどの技術はありませんけど、もし僕がアデルに頼まれたとしたら、きっと寝食忘れて没頭して作って、でもお金は受け取れません。全体の中の一部でしかないんだし、アデルは決して高額なものは使いませんから。」
「先生に“特別なものは使わずに”と言われましたからね。」
 どうやらこのタコ帽子男はハイスクール教員で正解のようだ。
「川んとこの水車を作ったのもあんたか?」
 そう訊いたのはコング。
「そうです。両親に楽をしてもらおうと思って。電気ももっと使ってほしいんですけど、電灯以外には使ってもらえなくて。自転車は結構使ってくれてますね。」
「自転車も君が作ったの?」
「ええ。本当は電動で走るようにしたかったんですよ、どこへ行くにも遠いから。でも“電気は恐い”って言われてしまって。せめて、と思って、少し漕ぐだけで長距離走れるようにしました。」
「帰ったら見せてもらっていいか?」
 さっきから興味湧きっ放しのコング。
「ええ、もちろん。」
「帰らせてもらえれば、ね。」
 嫌なことをフェイスマンが言う。
「こうやって俺たちを捕まえといて、どうしようっての?」
 大学教授に向かって、そう訊く。
「どうもこうも、私たちはただ説得の邪魔をされたくなかっただけなんだが。」
「そんだけのはずァねえぜ。俺たちが来んのも、アデルんちに盗聴器か何か仕掛けて張ってたんじゃねえか?」
 盗聴器を人様の家に仕掛けるのが決して褒められたことではないと、コングも一応はわかっている。
「盗聴器? そんなものは使っていません。あなた方が来るのが見えたから、来られたら困るぞ、と対策を講じただけです。帰りの足のためにヘリが奪われる可能性があったので、私はヘリに潜んでおりました。」
「来るのが見えただあ?」
「ここ、見晴らしいいんでね。遮蔽物のないところを車が走ってきたら、そりゃあ丸見えだよ。」
 言われて初めて気づく、自分たちの愚かさ。まさかビュートの上から見られているとは思わなんだ。
「ここまで登ってくるなんて、すごい体力ですね。落ちるんじゃないかとハラハラしましたよ。」
 ハイスクール教師に褒められて「いや、それほどでも」と思う一方で、「ハラハラしてるくらいなら、上から縄梯子下ろしてよ」とも思う。
「よし。あたしたちはアデルのご両親のところに戻って、事情を説明しよう。そして、あんたたちはアデルをタイムリミットまで説得する。その結果がどうなろうと、あたしたちには関係ない。」
 事態を把握したハンニバルがはきはきと言った。
「ハンニバル! 記憶が戻ったの?」
 座ったままのハンニバルにフェイスマンは抱きつきそうになったけれど、踏み止まって、両肩に手を置くだけに留める。
「いや、戻っていない。しかし、話を総合すれば、我々のすべきことは明白だ。」
「私たちのことを放っておいてくれるのなら、それに越したことはない。」
「帰りはヘリで送りますよ。」
 航空機メーカーの男がそう言ってくれて、フェイスマンは安堵の息をついた。マードックは、自分で操縦するわけではないことに気づいて不服そう。コングは当然、眉間に皺を寄せている。
「お申し出、ありがたくちょうだいしよう。」
 ここがビュートの頂上だということをハンニバルはまだ知らなかったが、ここがどこであれ、送ってもらえるのは悪くない。
「ところで、彼女がご両親と一緒に生活しながら、皆さんの欲する研究を続けていくのは不可能なんでしょうかねえ?」
 全員の目がハンニバルの方に向いた。
「電気が使えるのなら無線も使えるでしょうし、ヘリを操縦できる方もいらっしゃるわけだし、研究所のような施設が必要ならばそれを建てることもできますよな?」
 ハンニバルの言葉に、航空機メーカーの男がうんうんと頷き、建築関係の男は「できるともさ」と胸を叩いた。
「まあ何かと不便はあるかもしれませんが、そういう可能性もあるということを念頭に置いていただければ、双方にとって、延いては全世界にとって、好ましい方向に進むんじゃないかと、あたしは思うわけですわ。」
 それじゃ、と席を立つハンニバル。
「ご助言、ありがとうございました。」
 と頭を下げるアデル。それに倣って、タコ帽子の4人も頭を下げた。
 このまま去っていけそうだったので、ハンニバルは頭のふらつきもなくなったことだし、部屋を出て廊下をずんずんと進み、ドアを開けて外に出た。その後ろに続くフェイスマン、コング、マードック。プレハブのアジトから出るなり、マードックが走ってヘリに向かい、航空機メーカーの男が来る前に無施錠のドアを開けて乗り込んだ。ポケットから取り出したのは、ヘリのキー。実はドアにぶつかって1分程度しか気絶していなかったマードック、担がれてくる間に掏り取っていたのである。キーを挿して、スイッチをオンにしまくり、アイドリングを始める。
「早く乗った乗った!」
「何言ってやがる、俺ァ絶対ヘリになんざ乗らねえからな!」
 登ってきた場所に向かおうとするコングの首筋に、背後からハンニバルが強烈なチョップをお見舞いした。絶妙な強さで、絶妙な角度で。スローモーションで前方に倒れるコング。それを両脇からフェイスマンとハンニバルが持ち上げる。
「ハンニバル、ホントは記憶戻ってるんじゃないの?」
「いんや、戻ってませんよ。」
 コングをヘリに押し込み、フェイスマンとハンニバルも乗り込んでドアを閉めると、ヘリはふわりと上昇した後、地面に向かって下降していった。決して落下ではなく。


 その後、バンの脇に着地したヘリからハンニバルとフェイスマンが降り、コングのポケットから奪ったキーで車に乗り込み、発車させる。気絶中のコングを乗せたヘリも、バンと並走して谷の方に向かっていった。
 深夜にも係わらず、Aチームはエッダとジーモン(お忘れかもしれないがアデルの父)の小屋の戸を叩いた。事情を説明するフェイスマン。ハンニバルは部分的にしか理解していないので、自ら脇に退いた。アデルが無事で、タイムリミットが来れば帰ってくることを聞いて、エッダは喜びに涙をボロボロと溢した。その背を優しく撫でながら、自分も涙を堪えきれないジーモン。
 既に気つけ薬によって覚醒させられたコングは、「ロッククライミングで下りている最中、足を滑らせて落ちて気絶したけれど、命綱のおかげで何とか助かった」という説明を不審に思いながらも、アデルの技術が駆使された自転車に駆け寄り、ペダル周りの構造を見て感嘆の息を漏らした。アデルの技術が使われたヘリの取扱説明書(機内にあった)を見て、マードックも感嘆の奇声を上げる。
 空き家になった小屋の床に寝袋を並べ、Aチームは川のせせらぎを聞きながら眠りに就いた。当然と言うか何と言うか、マードックはしばしばトイレに起きていたが、他3名はロッククライミングで疲れたこともあって、ぐっすりと眠った。


 翌朝、雄鶏の鳴き声で目が覚めたコングが周囲の3人を起こし、4人でバンに乗ってテューバシティへ。調達に来た時に目星をつけておいたダイナーがまだ開店していなかったので、既に開店していたドライブインへ。
「これからどうしようか?」
 カウンターで注文を終えたフェイスマンは、車から出て外のベンチ席に陣取っている3人のところへ行き、空いた席に腰を下ろしながら話を切り出した。
「俺、もうちょっとここにいようかと思うんだよね。アデルがどうするのか気になるし。」
 彼が気にしているのは、アデルの貯金に違いない。
「早えとこハンニバルとこいつの頭、検査しねえといけねえんじゃねえか?」
「俺っちはだいじょぶ。ずっとコングちゃんが頭ナデナデしてくれてたから。」
「それは忘れろ。」
「でも、大佐は診てもらった方がいいと思うぜ、記憶が30年分消えてちゃ不便だし。多分だけど、脳味噌のどっかで出血したか炎症起こしたかで、ここ30年分の記憶領域との接続が切れちまってんだよ。」
 脳には詳しくならざるを得ないマードック。
「それ、治るの?」
「出血したんだったら血溜まりを取るとか、炎症は抗炎症剤で治すとかできっけど、も一回接続されっかどうかはわかんね。時間かけりゃ、別ルートでアクセスできるようになったりするらしいけど。」
「頭ん中でケーブルか何か繋ぐのか?」
「じゃなくて、自然に繋がんだって。運がよければ。」
「運が悪かったら?」
「繋がんない。失われた記憶は失われたまんま。」
「あたしの記憶って、そんなに大切なんですかね?」
「大切だよ、当然。何があったのか、これは何なのか、っていうのは俺が説明すりゃいいことだけど、ハンニバルがどう思っていたか、何を考えてたかまでは、俺にはわかんないんだし。」
「アクアドラゴンの仕事もあるしねえ。」
「アクアドラゴン?」
 マードックの発言に、ハンニバルが訊いた。そう言えば、まだ説明してなかった、とフェイスマンが思う。別にわざと言わなかったわけじゃない。
「大佐、アクアドラゴンっていう怪獣の着ぐるみに入って、映画に出てたんよ。主役だぜ。」
「あたしが。映画に。」
 光り輝く笑顔を見せるハンニバル。
「怪獣に入って、だけどね。」
 念を押しておくフェイスマン。スピーカーから番号で呼ばれて席を立つと、フェイスマンは朝食を取りにカウンターの方へと足を進めた。トレイ2つに満載の朝食を持って戻ってくる。
「ハンニバルにコーヒー、俺にもコーヒー、コングには牛乳、モンキーはクランベリージュースでいいよな?」
「コークもペプシもルートビアもなかったん?」
「朝はないんだって。ドクタペも。」
「つまんねえの。シェイクもなかった?」
「なかった。さて、えーと、これはコングのスペシャルダブルミートバーガー、これはハンニバルのローストビーフ&生ハムサンド、これは俺のターキーラップ野菜増量、で、これがモンキーのパンケーキ。適当に決めたけど、異存はないね? ポテトは各自好きなだけ取って。」
 全く異存なし。記憶を失っているハンニバルさえも。
 と、その時、灰色のステーションワゴンが駐車場に入ってきた。チンピラ然とした若者3人が車から降り、思うさま伸びをすると、Aチームから少し離れたベンチにどすりと座った。
「しっかし、何でパクられたんだ?」
「女を攫ったからじゃねえか? 野菜や卵を盗んだくらいじゃ捕まんねえだろ、普通。」
「俺たちがやったって証拠、何もねえのにな。目撃者だっていねえはずだしよ。」
「証拠不十分で釈放するくらいなら、端っから捕まえんなってえの。」
「危うくタクシー使わなきゃなんねえとこだったしな。」
「あの車がどうぞお使いくださいって感じで停まってなかったら、散財してたとこだぜ。」
「家まで送ってくれてもいいのにな。」
 どうやらアデルを攫ったチンピラのようだ。
「危ない橋渡って誘拐して100ドルせしめたんだ、豪勢にメシ食おうぜ。」
「おう。」×2
 3人は揃ってカウンターの方へ向かった。
「教授が通報しても、証拠がなきゃあねえ。」
 コーヒーを啜ってフェイスマンが小声で言う。今、「盗難車があります、犯人もいます」と通報すれば、証拠はあるけど、こいつらの犯した罪はそれだけではないので。
「一丁懲らしめてやるか。」
 そう言って、コングがハンバーガーにかぶりつく。
「どうやって?」
 ワクワクした顔でマードックがハンニバルの方を見て、次の瞬間、ハンニバルが記憶を失っていることを思い出した。
「こういう時、あたしがプランを決めるんですかな?」
 マードックの表情が変わったのに気づいて、ハンニバルが尋ねる。見た目はいつものハンニバルだが、中身はまだ20代の青年なのだ。記憶喪失であることは自分の体の状態からわかってはいるが、部下と名乗る3人が自分より年上に見えてならない。
「うん、ハンニバルがリーダーだもん。どうしたらいいと思う?」
 フェイスマンが尋ねる。
「そうですねえ……。」
 ハンニバルがしばし考え、案が浮かんだようでニッカリとする。


《Aチームのテーマ曲、再び始まる。》
 食事を終えたチンピラどもが、テーブルの上を片づけずに、地面にゴミを散乱させたまま、盗難車に乗ってドライブインの駐車場を出ていく。道を走っていると、急にバンが飛び出してきた。急ブレーキを踏み、窓から顔を出して怒鳴るチンピラ。他に人影がないのを確認し、窓からハンニバルが拳銃をチンピラに向け、スライドドアを開けたフェイスマンもチンピラに拳銃を向ける。(オートライフルはビュートの上に忘れてきた。)
 両手を挙げて車から出てくるチンピラ3名。ホールドアップしながらも悪態はつく。マードックがバンから駆け出てきて、盗難車に乗り、それを邪魔にならない場所に寄せる。指紋が残らないように、登山用手袋を嵌めて。
 目隠しをされ猿轡を噛まされ、手足を拘束されたチンピラ3名をバンの隙間に押し込むと、コングは車を発進させた。向かうはエッダの小屋。
 野菜・卵・鶏泥棒兼誘拐実行犯を前にして、エッダは険しい表情で腕組みをした。そして、まずは野菜を盗んだ罰として3人の左頬をビンタ。次には鶏を盗んだ罰として3人の右頬をビンタ。さらに、卵を盗んだ罰として3人の額にデコピン。最後に、アデルを攫った罰として3人の金的を蹴り上げる。さっぱりとした笑顔でAチームに礼を言うエッダ。
 ずっと目隠しをしていたチンピラ3名は、やっと目隠しを取ってもらい、久々の明るさに目をパチクリとした。どんな状況なのかと周りを見る。ヘリの中にいて、ヘリはグランドキャニオンの谷合をそろそろと進んでいるところ。観光客が来ない、地味な辺り。それでも遠くの観光客からヘリが見えないわけではない。だが、ヘリは観光客よりだいぶ低い位置にいるので、ヘリで何が起こっているかは、上から見てもわからない。そんな状況で、チンピラは自分たちの姿を見た。手足を縛られ、手もしくは足を縛っているロープには、長いロープも結わえつけられている。何が起こるかわかって、猿轡を噛まされたままモガモガと文句を言う。だが、ローターが風を切る音でろくに何も伝わらない。ドアが開いて、優男に蹴り出された。グランドキャニオンの谷底に落ちるより前に、ロープがピンと張る。この時点で2人失禁。スキッドに3人をぶら下げたまま、ヘリが谷合を進んでいく。今にも岩壁にぶつかりそうではあるが、ギリギリでぶつからない。残る1人もこれで失禁。
 通報されないうちにグランドキャニオンから退散したヘリ(3人ぶら下げ中)は、人の目につかない場所に着陸した。失神しているチンピラを覚醒させ、コングが“今後、一切、悪事を働かないように”と凄む。涙と鼻水と涎を垂らしつつ頷くチンピラ3名。今までの罪を全部白状すること、女性を攫った件については口外しないこと、と約束をさせ、紙面にサインをさせるフェイスマン。
 解放されたチンピラ3名は、まるで化け物か殺人鬼に追われているかのように、こけつまろびつ逃げ出していった。その後ろ姿をニッカリと見送るハンニバル、葉巻を銜えて火を点ける。
《Aチームのテーマ曲、再び終わる。》


 チンピラを懲らしめた後、爽やかな気分でハンニバルは病院で検査を受けた。その結果、脳内にわずかな血溜まりがあり、その周囲の脳が浮腫んでいるとのことだった。手足の痺れも頭痛も吐き気もなく、呂律も回るので、脳圧降下剤の点滴を受け、血圧を下げる降圧剤の飲み薬を貰った。
「明日も点滴を受けろと。」
 バンに戻って報告をするハンニバル。因みにフェイスマンもつき添っていた。
「ロスに戻った方がいい治療を受けられるんだけど、アデルの件がどうなったのか、まだわからないし。」
 困った表情を見せるフェイスマンに、マードックも困った表情を見せていた。
「どうしたのさ、モンキー。そんな顔して。何か溢した?」
「ヘリ、返さないとなーって思って。」
「そうだ!」
 ビュートの上の面々は、ヘリがないと下りられないし連絡も取れないのだった。
「急いで返しに行こう。」
「返した後、オイラ、どうやって帰るん? ロッククライミングで下りんの、やだぜ。」
「えっと……モンキーがヘリで上行って、ヘリを操縦できる人と一緒にヘリで下りてくる。で、モンキーは下に残って、ヘリを操縦できる人だけヘリで上に戻る。」
「そっか。それでいいんか。簡単じゃん。」
 マードックの頭の中では、鶏を持って上行って、手ぶらで戻って、コーンを持って上行って、コーンを置いて鶏を持って下りてきて、鶏を置いて狐を持って上行って……と何をしたいのかわからない思考が行われていた。
「そんで、オイラ、ビュートんとこから歩いて帰んの?」
「コング、車で拾いに行ってあげて。」
「いや、俺ァ畑仕事手伝う約束だ。」
 いつの間にそんな約束を。
「じゃあ車貸して、俺が行く。ハンニバルはその間、これ読んで勉強してて。」
 フェイスマンは病院の売店で買った新聞や雑誌をハンニバルに渡した。
「ふむ、仕方ないですな。」
 そうは言っても結構楽しみなハンニバル。30年後の未来の世界は、大きくは変わっていないけれど、小さな沢山の驚きに満ちているので。だが、もう少しすれば、東西ドイツが統一されるし、ソ連も崩壊するぞ。


 空き家で寝袋にくるまって新聞を読んでいたハンニバルは、車の音に立ち上がって小屋から出てきた。
「ただいま。」
 運転席のフェイスマンがハンニバルを見て窓から顔を出す。
「お帰り。まだ全部は読み終わってませんよ。」
 ハンニバルがそう話す間に、助手席のドアが開いてアデルが家に向かって駆け出していった。
「おや、お早いご帰還で。」
「うん、話がまとまったみたい。教授たちも下りてきてた。」
 スライドドアを開けて降りてきたマードックがふらふらと歩いていく。
「どうしたんだ、モンキーは?」
「ヘリを返したことによる喪失感で、心ここにあらずってとこ?」
 アデルが小屋の扉を開け、エッダが駆け寄って抱き締める。それを遠くから眺める。裏手から父親も走ってきて、アデルをエッダごと抱き締める。コングも走ってきて、再会に咽ぶ一家を優しい眼差しで見つめていた。
「道中、アデルに聞いたんだけど、ハンニバルが提案したの、そのまま通ったみたい。ここに研究所作るんだって。研究所って言っても、空き家になっているとこ改造して。さらに、あのビュートの辺りをヘリの飛行試験所にして、用事があったらすぐにアデルをヘリで送り迎えできるようにパイロットも常駐するんだって。アデルは無線で電話だけじゃなくてFAXやコンピュータでのやり取りもできるような仕組みを考えるって。」
 フェイスマンの説明にいくつか知らない単語があったけれど、ハンニバルは気にしないことにして、さもわかったかのように頷いて見せた。


 アデルも無事家に戻り、ロサンゼルスに帰ってきたAチームは、すぐさま個別行動に移った。コングは工場長の家に報告に。マードックは病院へ。ハンニバルはそれとは別の病院へ。フェイスマンはコルベットを取りに行って、ハンニバルを病院に連れていく。
 工場長の家に行ったコングは、留守だったので、奥方の勤め先を聞いておけばよかったな、と思いながら、工場長が入院している病院に向かった。
「え、コング、何でいるの?」
 受付に「面会に来た」と伝えに行ったコングに声をかけたのは、待合室の椅子に座って受付嬢を眺めていたフェイスマンだった。
「工場長の見舞いに来たんだ。ハンニバルもここで診てもらうのか?」
「うん、大きい病院の方が設備って言うの? 検査する機械がちゃんとあるかと思って。」
 フェイスマンのその判断は間違ってはいない。特に最新の大型検査機器は大病院でないと買えない。
「で、ハンニバルは?」
 ハンニバルの姿が見えなくて、辺りを見回すコング。
「検査してる。“30年分の記憶がなくなったんです”って受付に言ったら、すぐに検査しろって言われてさ。ここ、救急患者以外は紹介状がないと診てもらえないらしいんだけど、特別に診てもらえることになった。」
「それ、命が危ねえってことなんじゃねえか? ともかく俺ァ工場長んとこ行くぜ。また、アジトでな。」
 そう言って、コングはエレベーターに向かった。
 工場長が入院している相部屋へ行くと、工場長のベッドの周りのカーテンが半分閉じて半分開いた状態になっていた。
「よう、おやっさん。」
「おう、コング、久し振りだな。いやあ、お前さんがいてくれて本当に助かったよ。ありがとう。」
 股関節から上は元気そうな工場長が明るく言う。
「当然のことをしたまでだぜ。礼なんか要らねえ。」
 照れるコング、略してテレコン。
「うちの奴の話じゃ、ジーモンとエッダんとこの子がどうかされたのも何とかしてくれるんだって?」
 工場長、妻の話を右耳から入れて左耳からほとんど垂れ流していたに違いない。
「ああ、誘拐されたって勘違いしてたんだ。もうアデルは家に戻ってる。」
「そうそう、アデルだアデル。話にしか聞いたことないんだが。」
「天才だぜ、あの子は。」
「そうなのか?」
「18歳にして、山ほど特許取ってるらしいぜ。あんたも連絡取るといいんじゃねえか?」
 自動車のエネルギー変換効率だって、アデルになら上げられるだろう。それに、工場長の持つ技術がアデルの役に立つかもしれない。
「連絡取ろうにも、電話すらないだろ、あそこには。」
「近々、電話できるようになるぜ。」
「それホントなの?」
 横で声がして、そちらに顔を向けるコング。そこには、工場長の奥方が紙袋を両手に提げて立っていた。
「仕事行ってたんじゃねえのか?」
「早退してきたのよ。この人の着替えを持ってくるために。」
 奥方は、ベッド脇の開きに洗濯されたタオル下着類を突っ込み、その代わりに大きな巾着袋を紙袋に押し込んだ。この中には使用済みのタオル下着類が入っているのだろう。
「ジーモンとエッダんとこのアレ、解決したそうだ。」
「まあ、どうもありがとう。10万ドル払ったの?」
「そんな大金、払えるわきゃねえ。アデルを攫った黒幕と話をして、実行犯はとっちめてきた。」
「それで、アデルは無事だったのよね?」
「もちろん元気だ。もう家に帰ってる。」
「一件落着ってことね。何かお礼をしないと……。」
「じゃあコングの時給、アップするか。」
 工場長が提案した。
「そりゃあいい。あと、おやっさんが治ったら、俺の車も診てくれねえか。」
「そのくらい、お安い御用だ。治ったらな。」
「どんくらいで治るって?」
「半年だと。でも退院は2か月くらいで可能とか言ってたな。」
「無理はしねえでくれよ。もう救急車呼ぶのはゴメンだ。」
「わかった、無理はしない。」
「私からのお礼は、私が働いているレストランの食事券でいい? 日常使いする店じゃないけど、デートには使えるわよ。」
「一緒に行った仲間が喜ぶぜ。」
 それ即ちフェイスマンのこと。
「じゃあ近いうちに工場に持っていくわね。それで、さっきの話なんだけど、エッダのところに電話できるようになるって本当?」
「本当だ。アデルのことだ、1週間もありゃあ電話できるようになるんじゃねえか?」
「アデルが電話線を引くの?」
「いや、無線だ。あの1軒のために電話線引くのは無駄だしな。」
「無線だったら電気が要るだろう?」
「電気は、川で発電してるから問題ねえ。それもアデルが作ったんだ。」
 工場長夫妻は揃って、半ば口を開けて「ほあ〜」と気の抜けた声を発した。コングはそれを見て、お似合いの夫婦だ、と微笑ましく思った。


 工場長が退院するより早く、コングの時給が1ドルアップしたのは置いておいて、コングが寸胴鍋を返しに行ったのも置いておいて、エンジェルがフェイスマンに頼まれたことを失念していたのが発覚したのも置いておいて、ハンニバルは記憶を取り戻していた。薬を医師の指示通りに飲み続け、毎日点滴に通い、ある日、起きてみたら記憶が全部あった。ベトナム戦争時の細々としたことも、フェイスマンが初めての作戦でちょっと漏らしたことも、コングがベトコンの罠にかかってモヒカンの頭頂部を失ったことも、マードックがパイナップル(果物)で爆撃したけど結果オーライだったことも。リンチ大佐のことも、エンジェルのことも、アクアドラゴンのことも。そして、記憶を失っていた間の記憶も残っていた。おかげで、単に“いろいろ思い出した”というだけで済んだ。
 その後、工場長が退院して、コングはバンのチューンナップをしてもらって、コングが受け取ったまま忘れていた食事券をフェイスマンに渡して、工場長から「うちの奴がエッダと電話してた」と報告され、これでアデル奪還作戦とそれに付随する全てが終了した。


 そして月日が経過し、アジトで何気なく新聞を読んでいたハンニバルが、バスルームから出てきたフェイスマンを呼んだ。
「フェイス、これを見ろ。」
 ローテーブルの上に広げられた新聞には、アデルの顔写真が比較的大きく載っていた。バスローブ姿で髪を拭きつつ新聞を逆さに眺めるフェイスマン。
「アデル、また何かすごい物作ったの? って、ええっ? ノーベル賞候補? まだ20歳なのに? 物理学賞と平和賞のダブルノミネート?」
「『論文の引用が世界で一番多い科学者』だそうだ。『大手メーカーに使われた特許も今年最多で、エネルギー問題のご意見番としても各国で活躍し、そのエポックメーキングな数々の発明から“渓谷のエジソン”と呼ばれている。』記事のタイトルも壮大だな。『全世界を救うエネルギー革命家』だと。」
 新聞に書いてあることを読み上げるハンニバル。革命家なら“渓谷のチェ・ゲバラ”でもよさそうなものだが。
「アデルの発言も載ってるぞ。『今や1つのものを1人の科学者や技術者が全部作るという時代ではなくなっています。私は、こういうものができたらいいな、と考え、それを作るために何が必要なのかを考えます。そして、この人ならこれを作れるんじゃないか、という人にパーツを作ってもらって、それを組み合わせているだけ。母がよくキルトを縫っているんですが、私がやっていることは、キルトを縫うのと同じです。端切れがなければキルトは作れません。私も、パーツを作ってくれる人がいなければ、何も作れないんです。だから、皆さん、私のことを高く評価してくださいますが、それよりも、パーツを作ってくれたすべての人を高く評価してください。』……ノーベル賞は個人が対象だったよな?」
「確かそう。よく知らないけど。ってことは、アデル、暗にお断りしてるのかな?」
「そうかもしれんな。ノーベル賞を取ったら、静かに暮らすのも難しいだろうし。」
「ノーベル賞をお断りするってことは、賞金も要らないってくらい、お金持ってるってことだよね? 彼女の口座にいくら入ってるのかって考えると、鼻血出そうなんだけど、俺。」
 興奮しすぎだ、フェイスマン。
「彼女の頭は特別だって思ってましたけど、お前さんの頭に比べたら普通ですな。」
 ハンニバルは鼻でフッと笑って新聞を閉じた。
「モンキーの頭よりはだいぶマシですー。フライパンで叩かれて記憶なくした人に言われたくありませんー。」
 口を尖らせたフェイスマンは、パジャマに着替えるべく寝室に向かっていった。
【おしまい】

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