殺せない殺し屋
伊達 梶乃
 私の名はポルコ30(サーティ)。無論、本名ではない。私の本名を知るのは、私自身と親くらいのものだ。その親も、今はいない……と言っても過言ではない。いることはいるのだが、絶縁状態なので、いないのも同然だ。私と親との仲を取り持とうとする兄弟姉妹もいない。一人っ子なので。私の本名を知る友人もいない。最初からいないものはいないのだ。学校の教師たちが私のことを覚えているかもしれないだろうって? 彼らが私のことを覚えているはずがない。成績は常に平均前後、運動もできないわけでもないができるわけでもなく、歌を歌うのも絵を描くのもスピーチをするのも及第点ではあるが優れてはいなかった。こんな影の薄い男を誰が覚えていようか。
 今、私は長年の計画を経て、ある1つの仕事に就いている。いつだったか、私は1冊の書物と出会った。細い目と太い眉のアジア系の男が寡黙に世の中の悪を成敗するストーリーのコミック、いや、グラフィック・ノベルだった。私はその男に憧れた。ハイスクールを卒業した後、兵役に就き、銃器の扱いを覚えた。その後、大学を出て、公認会計士事務所で公認会計士を補佐する仕事をしながらも、その男(無論、公認会計士ではない)に少しでも近づくべく、地道に体を鍛えた。朝は近所を10分ほどジョギングし、仕事の後は家で筋力トレーニングを10分と瞑想を10分。それからテレビゲームで反射神経を鍛えた。当然、シューティングゲームやアクションゲームが中心だ。幼少の頃は親に「ゲームは1日1時間まで」と言われていたが、成人してからはうるさく言われなくなったので思う存分ゲームでの鍛錬が行えた。
 30歳になった時、ある程度の貯金ができたので、仕事を辞めた。そのせいで親に勘当され、やっとのことで一人暮らしができるようになった。風雨が凌げればいいだけのアパートを借り、ライフルと弾を買った。そして会計士補佐の仕事の際に偶然見つけた殺し屋斡旋組織を訪ねた。表向きは心を病んだ人々のための相談所で、斡旋しているのはクリニックや病院なのだが、実のところ被害者から依頼を受け、組織に登録されている殺し屋に仕事を頼み、事が済んだ後には被害者から支払われた謝礼を手数料を引いて殺し屋に送っている。税務書類や帳簿を作成した際に、裏帳簿につけるべきあれやこれやが紛れ込んでいたのだから間違いない。何食わぬ顔で相談所を訪ね、「登録したいんだが」とだけ言ったら、相手はニヤリと口角を上げ、引き出しから書類を出した。その書類に必要事項(氏名、連絡先、生年月日、振込先口座、得意分野)を書き込んで登録料100ドルを支払い、「ポルコ30」の名で殺し屋リストに登録してもらうことに成功した。私の夢が叶ったのだ。
 しかし、登録したからと言って、何の実績もない初心者にすぐに仕事が回ってくるわけがない。それはわかっていた。一般的には名の通った殺し屋の弟子や相棒として経験を積み、ランクを上げていくものである。この仕事にも信用は必要だ。いや、この仕事だからこそ、信用が必要なのだ。仕方なく、私はスーパーマーケットの店員として働きながら、依頼が来るのを待った。師匠となる殺し屋も知らないし、相棒にしてくれる殺し屋も知らないので。孤高の一匹狼なのだ、私は。


「ああ、いたいた、コング、ちょっと来て。」
 自動車整備工場でアルバイトをしていたコングのところへ、フェイスマンが息せき切って駆け込んできた。
「何だ、どうしたんだ?」
「事情は後で話す。早く来て。」
 コングは数フィート向こうでオイルまみれになっている工場長に声をかけて、しばしの休憩時間を貰った。
 バンに乗ってフェイスマンの指示通りに運転し、到着したのはウェルマートだった。日々お世話になっている、庶民の味方のスーパーマーケットである。バンから降りたフェイスマンが駆け出していくのを、コングは追っていった。
 それから30分後、2人はサバ缶12缶とついでにトイレットペーパー12ロールとティッシュペーパー6箱と食パン1斤と牛乳(ガロン壜)2本と納豆とソイソースとマスタードとビール6缶と米45ポンドを抱えてバンに戻ってきた。
「いやあ、サバ缶がお1人様6缶限りだったんでさ。俺1人じゃ6缶しか買えないし、ハンニバルはどっかにふらっと消えちゃったし、モンキー連れてくる余裕はなかったし。」
 ほくほく顔のフェイスマン。やる気になれば、サバ缶を箱でちょろまかすこともできると思うんだが。
「それしきのことで仕事中に連れ出すんじゃねえ。ハンニバルかモンキーの奴に何かあったんじゃねえかって焦っちまったぜ。」
「でもコングが来てくれて助かったよ。」
 と、ついでに買った荷物に目をやる。ついで、多すぎ。2人で持てる体積ではないはずなんだが、なぜか持ててる。無料の荷紐とセロテープを駆使して。カート使わせてもらえばいいのに。


 今年、私は35になる。店員の仕事で最低限の生活はできている。ボーナスは貯金しているのだが、ライフルのケースおよび双眼鏡を買い、それっぽい服と靴と革手袋とニット帽を買い、念のために防弾チョッキとナイフとロープを買った時点で、貯金は尽きて借金ができた。仕事を依頼され、その仕事を完遂すれば、1回で完済できる程度の借金だ。依頼主が悪徳金融会社でない限りは。もしそうであったとしても、闇に葬ればいい。簡単なことだ。1人につき1回、引き金を引けばいいだけだ。陳列棚に洋梨を並べるより簡単な仕事だ。
 どうやら私には商品陳列の才能があったようだ。先日は特売コーナーに整然とサバ缶を積み上げた。私が入社する前からストックヤードにあったサバ缶すべてを売り場に並べたので、時間はかかったが圧巻だった。こんなに陳列されているのだから、さぞかし安くなっているのだろうと思った客が、次々にサバ缶を買っていった。だが、実のところ、期限切れ間近ではあるが通常売価より5セントしか安くしていない。それでも、不良在庫だったサバ缶は結局すべて売れた。そして私は、生まれて初めて褒められた。嬉しかった。一生ここで働こうと思ったくらいだ。
 サバ缶の売れ行きを横目に見ながら他の商品の補充をしていた時、見覚えのある顔が視野に入った。Aチームのペックとバラカスだ。サバ缶をジェンガのように取っている。そんな取り方をしたら崩れるぞ。そんな思いにハラハラさせられた。なぜ私が彼らの顔を知っているかって? それは、殺害対象者リストに載っていたからだ。今まで何度も依頼が入りながら誰一人として目的を達成できていない殺害対象者のリストに。そのリストに載っている人物は、いつ誰が狙ってもよい。確実に仕留めた場合は、その証拠を提示すれば謝礼が貰える。その上、Aチームのメンバーの殺害に成功したとなれば、組織内でのランクも上がり、他の依頼も入りやすくなる。これはチャンスだ。私はすぐさま直属の上司に半休届けを出して、Aチームを尾行した。幸い彼らはサバ缶だけでなく多種の商品をお買い上げくださったので、売り場を回るのにも会計にも時間がかかり、私が届けを出したり着替えたりしていた時間のロスもさほど影響しなかった。
 ハイスクールの頃から大事に使っている自転車に跨り、必死に漕いでAチームのバンを追いながら、今度ボーナスが出たら自動車を買おうと、私は心に決めた。その前に、運転免許を取らなければ。そのためにもAチームを葬らなければ。


 帰宅した2人は、買ってきたものを手早く片づけると、早速サバの水煮缶を開けて摘まみ食い、もとい、味見をし、そのコストパフォーマンスの高さに感銘を受け、急遽、バンを陸軍退役軍人病院精神科に走らせた。黒縁眼鏡で若干変装したフェイスマンが、「うちの社のサバ缶をこちらで使っていただきたいんですが」と受付で商品説明(試食つき)をしている間に、医師の白衣を奪って無理矢理に着たパッツンパッツンコングがマードックを車椅子に乗せて外へ。サバ缶の売り込みを諦めた風を装って、とぼとぼと帰っていくフェイスマン。3人が乗り込んだバンは、当然、ウェルマートへ。
 結局、サバ缶の味と安さ(実はそう安くはないんだけど)に惹かれて、3人が6缶ずつ購入し、さらにもう一回りし、36缶を手に入れた。先の10缶(1缶は食べ終え、もう1缶は試食に出した)と合わせて46缶。これだけあれば、DHAもEPAもウッハウハ。血管の老化が懸念されているハンニバルも健康になることだろう。
 散歩から戻ってきたハンニバルは、サバ缶の山と得意げな部下たちの顔を見比べて、大きく溜息をついたのだった。


 Aチームの潜伏先は判明した。今、私は彼らのいるフラットの向かい側の建物の屋上にいる。貯水タンクに身を隠して、双眼鏡で窓の向こうを見る。ペックとバラカスがマードックを病院から連れ出してきたのは知っていたが、それだけでなく、スミスまでいる。Aチーム全員集合というわけだ。
 ここで私が手榴弾を持っていれば、あの窓に投げ込むのだが、いかんせん手榴弾は持っていない。持っているのは、ライフルだけだ。それもこのライフル、性能がわからない。買ってから一度も撃ったことがないので。とりあえず弾を込めて、窓の向こうに見えるペックを狙って引き金を引いた。しかし、窓ガラスさえ割れなかった。弾がどこに当たったのか、双眼鏡で見る。……どうやら壁に当たったようで、石壁が小さく削れている。これで狙いがどのくらいズレるかがわかった。狙いを修正し、もう一度撃つ。……またもや壁に当たったようだ。ああ、なるほど、銃を平行移動しているわけではないからか。先刻とは角度も違っているし、そもそも私の立ち位置も違っている。標的との距離がある時には、銃口のわずかな位置や角度の違いが大きな差になって現れるものだ、と長距離射撃の訓練では口酸っぱく言われたものだが、今は50ヤード程度しか離れていない。それ以前の問題だ。それに、屋上から下に向かって撃つのも難しい。ターゲットが窓にくっつくくらいの場所に立っていれば何とか頭まで見えるんだが、少しでも窓から離れると尻と腿しか見えない。そんな箇所を撃っても、ペックが死ぬわけがない。上手く大動脈に当たって、かつ、手当てが手遅れにならない限りは。壁しか撃てていない私に、大動脈を狙えるわけがないし、Aチームが勢揃いしているこの状況では、手当てが遅れるなどあり得ない。そうなると、相手が死なないだけでなく、私がここから狙撃したことがバレてしまう。Aチームに追われたら、十中八九、捕まるか殺される。残る一二は、逃走中の私が前方不注意で車に撥ねられるか、高所から落ちるか、そんなところだろう。これは、諦めた方がいい。


 病院から連れ出されたものの別に作戦があるわけではないので、マードックはサバ缶で料理をしていた。
「こないだうち(精神科病棟)でピアノコンサートされてさあ。」
 いかにも「迷惑なんだよな」といった口調でマードックが話し始めた。確かに、望んでもいないのに延々とピアノ曲を聞かされるのも辛い。
「あのでっかいピアノ、蓋がガパッと開くやつ、あれが運ばれてきて、何か有名らしいピアノ弾きがピアノ弾いてったんよ。」
 グランドピアノは運び込むものじゃないだろう、ハモンドオルガンじゃないんだから。
「んで、ベートーヴェンの何つーんだっけ、速くて難しそうなやつ、テルレルテルレルテルレルピャッピャッての。」
 マードックは覚えている限り、そのメロディを口で表現した。単音しか出せないのに割と合ってる。
「『月光』の第3楽章か?」
「それ!」
 正解を述べたのは、何と、ハンニバル! さすがツワモノどものリーダー、何でも知っている。彼の知っていることに限って言えば。
「それがどうしたんでい?」
 コングが話を促す。決して先を聞きたいわけではなく、早く話を終わらせてほしいだけ。
「あれさ、ベートーヴェンがどっか外で冷えて腹下ってきて、早く家に帰ってトイレ行きたい曲じゃね?」
「うむ、確かに切羽詰まった小用とはまた違う重さがあるな。恐らく、第1楽章で月を見ていて冷えたんだろう。そう思うと、第2楽章は、まだ腹の不調を感じていない呑気な様子を表現しているというわけか。」
「さすが大佐、その解釈で正解だとおいらも思うね。でさ、ラストの方で、ちょっと漏れたけどまだ諦めるな俺、ってなって、でも結局、全部漏れて、膝からくず折れてる。聞きながら“あー、出ちゃったよ、あとちょっとだったのに”って思ったもんね。」
「もう、モンキー、どうしてくれるんだよ、その曲、聞きたくなってきたじゃん。」
「ああ、俺も興味あるぜ。」
 苦笑しながらフェイスマンが言い、珍しくコングが同意する。
 そんな話をしている間に、昼食が出来上がった。茹でたライスと、サバと野菜のミソスープと、身を崩しながらジンジャーやハーブと炒めたサバ、薄切りキュウリと和えられたスイートビネガー味のサバ。
「おい、ネイトーも出してくれ。」
 ネイトー、それは納豆。最近コングは仕事先の同僚に教えてもらった納豆に凝っている。健康食だもんね。臭くてネバネバして糸引いて、どう見ても腐った豆だが、慣れると美味い。腹の調子も確実によくなっている。
「うち(病院)でもたまに出るぜ、ネイトー。ベートーヴェンもネイトー食っときゃ腹下らなかったのによ。」
 そう言いながら、冷蔵庫から納豆のパックを1つ取ってコングに投げる。フリスビーの要領で。
「これを混ぜんのが楽しいんだ。」
 納豆をマグカップに移し、箸で掻き混ぜる。十分に泡立ったところに辛子を入れ、さらに混ぜ、タレを少しずつ入れては混ぜる。ザルに入ったほかほかのライスをシリアルボウルにスプーンでガッガッと盛って、その上に納豆を流し出す。それをスプーンでカッカッカッと掻き込む。納豆ご飯を箸で食べるほどの技術は、まだない。したがって、箸は納豆を混ぜるための棒でしかない。
「コングちゃんがネイトー食うんなら、ライス、茹でるんじゃなくて蒸し煮にした方がよかったかな。」
「おう、茹でたライスはパラパラで食いにくいぜ。」
 ハンニバルはサバのスープにライスを入れて食べている。お行儀悪いけど、それを咎める人がいない。フェイスマンもサバを食べるのに忙しいために。
「こっちの炒めたやつ、ソイソースの焦げた風味がビールに合いそう。こっちのマリネっぽいのはワインに合うね、きっと。」
「いやあ、サバなんてトルコ風のサンドイッチかトマト味のソテーくらいしか知らなかったが、いろんな料理になるんだな。」
 ハンニバルも感心したように言う。ビールは夜、今は昼、と心の中で唱えながら。
「おいらもこんなサバばっか料理したの、初めてよ。料理番組、片っ端から見といてよかったわ。」
 病院でベッドに引っ繰り返ってテレビを見てばかりのマードックも、ただぼんやりとテレビを見ていたわけではなかったのである。今やどんな食材が出されても迷うことなく数品作れるほどの知識が蓄積されている。とりあえず今日のところは。明日、その知識がどれほど残っているかは、明日になってみないとわからない。
「そうだ、ハンニバル。朝の見回りの報告、今しとくぜ。本日も異常なしだ。」
「うむ、ご苦労。」
 毎朝、コングはジョギングがてら周囲を見回っているのである。普段、その報告はアルバイトから戻ってきた夜になるのだが(朝はハンニバルが寝ているため)、今は訳あって帰宅しているので、早いうちに報告しておく。因みに、アルバイトからの帰り道でも見回りは怠らない。
 なぜアジト周りの見回りをしているのかと言えば、このアジト、周囲に米軍関係者が結構住んでいるのだ。と言うか、この部屋の持ち主が軍属の方なのだった。最寄りの基地内の食堂で調理人として働いていたのだが、研修のために別の基地の食堂に1か月間働きに行くことになった。その留守の間にAチームが入り込んだというわけだ。カフェで「研修で1か月、東海岸に行ってくる」と言っているのが聞こえて、フェイスマンが尾行して場所を確認し、調理人が旅立った後、ここをアジトとした。アジトとして生活を始めた後で、この部屋の借主の職業が判明し、周囲に軍関係者が多いこともわかった。でもまだバレていないようなので、ここにいる。バレたらすぐに逃げられるように、コングが様子を窺っているのである。もちろん、フェイスマンやハンニバルも普段以上に注意しながら暮らしている。気をつけていなければならないことを、うっかり忘れてしまうことも多いけれど。


「お巡りさん、いました! あそこです!」
 背後で声がして、ライフルをケースにしまっていた私は振り返った。屋上と階段とを隔てる鉄のドアを開けて、中年女性がこちらを指差している。その後ろから2人の警官が顔を出し、こちらに走ってきた。今からライフルを出して対抗する時間的余裕はない。となれば、逃げるしかない。
 こんなこともあろうかと、私は貯水タンクの脚部にロープを括りつけておいた。この建物と隣の建物との距離は、左右とも、私が飛び移るには遠すぎた。階下に下りる階段は1つしかない。この2つの事実から、逃走用のロープを準備しておくべき、ということが導き出される。ロープを体に一巻き、腿にも一巻きしてから、ロープの端を下に垂らす。ロープをぐいっと引っ張って、しっかりと固定されていることを確かめてから、ライフルのケースを背中に背負って、両手でロープを掴んで、建物の外壁を蹴りながら下りていく。兵役に就いていた時に訓練所でさんざんやらされた降下方法だ。訓練所以外で行うのは初めてだが、体に染みついた行動というのは、そうそう忘れないものだ。
 現在のところ、不安要素は2つ。1つは、ロープが切れはしないかという不安。もう1つは、ロープが短くて、地面まで届いていないということだ。着地した時にどこかを骨折するのは避けたい。せめて足首の軽い捻挫くらいで済んでほしいものだ。


 薄暗い部屋の中に男が1人。手には包丁を握っている。彼の目の前のテーブルには、デコレーションケーキが1つ。ハッピーバースデーと書かれたチョコレートプレートが乗り、メレンゲで作られた動物やホイップクリーム、イチゴで飾られたケーキは、幸せの象徴のように見える。
「くっくっく……。」
 男は包丁を振り下ろし、ダンッとケーキを切った。
「はあっはっはっはー!」
 高らかに笑い、包丁についたクリームを舌でベローッと舐める。
「いてっ。」
 舌が切れ、男は口を閉じてもごもごさせた。血の味がする。眉を顰めた表情のまま、まだ包丁についているクリームを指で拭っては舐める。
「美味え〜。奮発して高いケーキにしてよかったわ。ハッピーバースデイ・トゥー・ミー♪」
 さらにケーキを切っていく。チョコレートプレートを除けて、メレンゲの犬のようなものも除けて。すべて切り終え、包丁を置き、ケーキを1ピース、慎重に取る。
 と、その時、電話がかかってきた。片手にケーキを持ったまま、空いた手で受話器を取る。
『ハロー、ジャック。』
「何だ、お前か。」
 彼のことをジャックとコードネームで呼ぶのは、それを知っている人物であり、さらにこの電話番号を知っているとなると、1人しか該当者はいない。組織で唯一、表に出ている男だ。声も、その男のものだった。
「仕事の話か?」
『仕事の依頼じゃないんだが、まあ仕事関係だ。新入りがAチームを狙って失敗したそうだ。』
「はっ、そりゃ当然だ。Aチームを殺ろうなんて、普通、考えもしねえぜ。少しでも脳味噌がありゃ、返り討ちに遭うってわかるだろ。」
『それが、返り討ちには遭わなかったようなんだが、今、警察に追われてる。』
「何だと、そりゃ最悪じゃねえか。そいつがポリ公に捕まったら、あんたらのこと吐くかもしんねえぜ。」
『話が早くて助かる。それで相談なんだが、この馬鹿、じゃなかった、この新入りを何とかしてくれないか?』
「そいつを消せってことだな。」
『もしくは助けるか。』
「消す方が楽だ。で、見返りは?」
『君に優先的に仕事を回す。』
「俺より上位の奴らを飛ばして?」
『そうだ。』
 受話器とケーキを持つ男は数秒考えた。
「……何で俺にこの話を持ってきたんだ? 上位の奴らの方が確実だろ。」
 上のランクの殺し屋に仕事を頼むとなると、「優先的に仕事を回す」は通用せず、それ相応の金銭を要求されるからである。しかし、電話の相手はそんなビジネスライクはことは言わなかった。
『今日は君の誕生日だからさ。ハッピーバースデイ、ジャック。』
「サンキュー。じゃあすぐにそっち行くぜ。資料を用意しといてくれ。」
 ジャックと呼ばれた男は、持っていたケーキを慎重に元の場所に戻し、丁寧にケーキの箱を元通りにして冷蔵庫に入れると、指を舐め舐め部屋を出ていった。
 上記からわかるように、このジャックという殺し屋、たまに頭が回る瞬間もあるのだが、基本は馬鹿である。


 コングは昼食を終え、アルバイト先、即ち自動車修理工場に戻るべく、アジトを出て、建物脇に停めたバンに乗ろうとしていた。
「助けてください!」
 人けない細道の奥からヘロヘロになって走ってくる男がいた。足がもつれて倒れそうになりながらも、完全には倒れずに前に進み続けている。ジーンズにスニーカー、フードつきのパーカーという姿だが、顔や髪の感じからするとコングより年上かもしれない。
「どうしたんでい?」
「追われてるんです。」
 追手の姿は見えないが、見えてからでは遅い場合もある。
「よし、乗れ!」
 コングはその男をバンに乗せ、急いで発車させた。自動車修理工場には向かわず、表通りを行ったかと思えば横道に入り、再び表通りに出て、と繰り返す。
「一体、何で追われてたんだ? 誰に?」
 周囲を見回しながら、低速でバンを走らせ、コングは助手席の男に尋ねた。息が落ち着いた男は、コングから目を逸らして頭をふるふると横に振った。
「言えねえのか。」
 男は一旦は回答を拒否したが、言おうかどうか迷っているようだった。コングは何も言わず、男の方から話し始めるのを待った。
「あの……Aチームのコングさんですよね?」
「何だ、俺のこと知ってんのか。Aチームに何か頼みたいことでもあんのか?」
 悪党退治の依頼かと思い、コングはわくわくとした顔を見せた。
「頼みたいこと……はい、頼みたいことがあります。」
 思い悩んでいた男が、顔を上げ、コングの方を見る。
「私に戦い方を教えてください。」
「何だと?」
 コングは思わずブレーキを踏んだ。


「私も皆さんのように強くなりたいんです。」
 Aチームの面々の前で男は頭を下げた。「前で」とは言っても、テレビを背にして床に正座している男の正面にいるのはハンニバルのみ。2人がけソファにどっしりと偉そうに座っている。フェイスマンはそのソファの肘掛けに尻を乗せ、コングとマードックはうろうろしている。
「どうか、皆さんの持つ戦う技術を伝授してください。」
 必死の思いは伝わってくるけど、Aチームは4人とも渋い顔をしていた。
「……訊いてもいいかな。何で?」
 常識的に、フェイスマンが尋ねた。
「誰かと戦わなきゃいけない状況なのか?」」
 ハンニバルも訊く。誰かと戦わなきゃいけないのなら、彼の代わりにAチームが戦った方が手っ取り早いし、楽しい。
「お恥ずかしい話、私、以前からゴ○ゴ13に憧れていまして。ご存知でしょうか?」
「知ってる知ってる、沈着冷静で寡黙な殺し屋、デューク・トゥーゴーだろ。」
 輝く笑顔でそう答えたのは、もちろんマードック。そんな持ち帰りみたいな名前じゃないけどな。その他3人は、マードックだけが意気揚々と答えたことで、「ああ、コミックか何かか」と推測した。
「それでハイスクールを出た後、兵役に就いて基礎訓練は受けたんですが、ベトナム戦争ではずっと兵站倉庫であらゆる物の在庫数を数えて、補給された物を適切な場所に置いて、頼まれたものを持ってきて、という作業をさせられていました。」
「あの狂っちまいそうな作業を? ずっと?」
 狂人に言われたくない。
「ええ、ベトナムに着いたその日から帰る日までずっと。狂いはしませんでしたけど、トイレとシャワー以外、倉庫から出られなかったので、囚人みたいでした。」
「食事は? 睡眠時間は確保されてたの?」
 気になって、フェイスマンが尋ねる。
「食事は誰かが持ってきてくれてました。寝るのは、倉庫で。でも、何かを持ってきたとか何かを持っていくとかあるたびに起こされていたので、ずっと仮眠の繰り返しで、熟睡はできていませんでした。」
「ほとんど拷問じゃねえか。」
 コングがフン、と鼻息を吐いた。
「本来は何人かで交代して在庫管理に当たるもんなんだが、1人で切り盛りさせられていたというのが事実なら、君の上官が訴えられて然るべきだ。」
 そう言うのはハンニバル。
「事実です。でも、上官を訴えるほどじゃありません。基礎訓練で覚えたことが実戦で使えなかったのが残念だったというだけで。」
「なるほど、実戦を経験できなかった分、あたしたちの戦闘技術を教わりたいと、そういうわけだな。」
「え、ええ、まあ、そういうわけです。」
 本当は、殺し屋としての技術を磨きたいのだが、殺し屋だということは初対面の皆さんにはまだちょっと言いにくい。警察に追われていたことも言えない。もちろん、フェイスマンを撃とうとしたことも言えない。
「それって、俺たちの特技をそれぞれ君に教えればいいのかな?」
 撃たれそうだったフェイスマンが何も知らずに尋ねる。Aチームのそれぞれが持つ技術は、教わって身につくものでないものもある。持って生まれた才能とか、長年の経験から培われたものとか、好きこそものの上手なれとか、運がよかっただけとか。
「基礎トレーニングや体術なら教えられるけどよ、機械いじりの方はそう簡単には行かねえぜ。」
「おいらが教えられんの、ヘリの飛ばし方くらい?」
「俺が教えられんのは、身だしなみ? あと、話術?」
「あたしが教えられるのは、戦術ですかね。」
「……私としては、銃、特に狙撃の技術を教えてほしいんですが。」
 さらに渋い顔になる4人。
「あんま自信ねえな、狙撃は。」
「おいらも、銃の使い方を知ってるってだけで、威嚇射撃くらいしかしねえし、メンテもコングちゃん任せだしなあ。」
「俺も、どっちかって言うと苦手分野。」
「あたしは銃の腕はまあ平均より上でしたけど、狙撃は専門外ですねえ。ポリシーに反するし。」
「ポリシー?」
 男が意外そうに尋ねる。
「あたしら、人殺しはせんのですよ。狙撃ってのは基本、殺害目的でしょう。だから、あたしら、狙撃は対物か威嚇目的だけなんですわ。」
「おう、悪党だろうと何だろうと、人の命は大事だからな。」
 命さえあれば、いくら殴ってもOKと思っているんじゃないだろうか、このモヒカンは。
「あ、でも、缶カラなんかの的撃つ練習ならつき合うぜ。俺様のこの視力さえありゃあ、双眼鏡なんか要らねえもんな。」
「それでいいんじゃない? コングに体力つけてもらって、格闘訓練してもらって、あとはモンキーと狙撃の練習すれば。」
 優しそうな微笑みと共に、コングとマードックに仕事を押しつけるフェイスマン。
「はい、それでお願いします。」
 それで十分である。身だしなみや話術の訓練は、今のところ必要ない。
「それじゃあ指導料なんだけど……。」
 フェイスマンの表情が変わった。眉尻が5度くらい上がる。
「ウェルマートの20%オフ券はどうでしょう?」
 高額を吹っかけられる前に男が提案する。
「1年間有効で、利用回数無制限です。職員とその家族に限り利用可なんですけど、身分証明書の提示なんてないので誰でも使えます。期限が来ても次の年の20%オフ券が貰えますから、結局は期限なんてないも同様です。」
「2割引き……?」
 フェイスマンの脳内で膨大な計算がなされた。そして最後に×0.2。チーン! と計算結果が表示される。
「OK、報酬は20%オフ券ってことで。」
 Aチームの指導料(実働人員2名)とウェルマートでの買い物額×0.2を比べたら、指導料の方が高そうなもんだが、フェイスマンは年間の支出額×0.2を計算してしまっていた。外食費や武器弾薬購入費、ガソリン代、葉巻代、クリーニング代、変な楽器代など、ウェルマートとは関係のない支出も、そこには含まれている。家賃は払っていないし、ガス光熱費・電話代も払っていないから、そういうのは除外されているにせよ。
“すごいぞ、20%オフ! しばらく依頼がなくっても生活していける! 金ヅルなんて探さなくても全然余裕! ビバ、20%オフ!”
 取らぬ狸の計算間違いである。いや、計算自体は間違っていない。前提が間違っているのだ。浮かれすぎて、そのことに全く気づいていないフェイスマン。
「じゃ、これをどうぞ。」
 男はジーンズの尻ポケットから財布を出すと、カードを1枚取ってフェイスマンに渡した。
「ありがたく頂戴いたします。」
 そのカードを大事そうに受け取り、自分の財布の中に入れる。気分はもう、お花畑でスキップだ。今すぐにでもウェルマートに買い物に行きたい。だがしかし、契約書を書かねばならぬ。紙を取りに、フェイスマンは席を立った。


「その荷物、楽器?」
 男の横に置いてある黒いケースに目をつけて、マードックが尋ねた。長さ的にはファゴットのケースに近いけれど、それよりは細身。トロンボーンのケースにも似ているけれど、ベルが入る部分はない。長方形で固くて、肩にかけられるようになっている。
「ああ、これは、楽器ケースに見えますけど、中に入っているのは狙撃銃と言いますか、狩猟用のスポーツライフルです。ウサギやキツネを撃つような。」
 決して、人を撃つつもりだと言ってはいけない。
「どら、見してみろ。」
 コングに言われて、男はケースのジッパーをぐるりと開けて、箱を開いた。
「ウィンチェスターM70か……いや、違えな。」
 ケースを覗き込んだコングが、眉間に皺を寄せた。
「うん、何か微妙に違うね。って言うか、スコープないの? バイポッドは?」
 マードックもコングほどは興味がないものの、一応覗き込む。
「スコープとバイポッドは別売りだったんで、次のボーナスが出たら買う予定です。」
「ちょっと見ていいか?」
 コングはピッカピカの小銃を手に取った。
「ボトルアクションたあ懐かしいけどよ、こいつぁどこの何て銃なんだ?」
 どこにもメーカー名がなくて、型番すらなくて、尋ねるコング。彼の記憶にあるどの銃とも少し違うし。
「わかりません。ノーブランド品みたいです。狙撃銃で一番安いのが、それだったんです。」
「デュークはM16使ってなかったっけ?」
 そう口を挟んだのはマードック。
「そう、M16を使っているんですよね。でも私はボトルアクションの方が好きなんです、1発で決着をつける覚悟が感じられて。」
 2発、壁を抉っただけの男が何を言う。近距離で大勢を相手にしなければならない事態に陥った時には、M16の方が有利だろう。
「ベトナムでスナイパーが使ってたの、XM21だっけ、あれはどうなの?」
「XM21は訓練で使ったんで購入候補に挙げていたんですけど、実際に自分で買うとなると高くて手が出なかったんです。」
 性能ではなく値段で決めるところが初心者。
「品薄なのは高値がつくんだよね。中古で構わないのなら、軍が新型のやつを導入した後のタイミングを狙うといいよ。」
 無記入の契約書を持ってフェイスマンが戻ってきた。
「ああ、まだ名前聞いてなかったよね。教えてもらえる? 契約書書くから。」
「そうでした、自己紹介もせずに申し訳ありません。私の名前は、ポール・コッドテールと言います。」
「タラの尻尾?」
「そうです。名前の由来は知りませんけど、別に代々漁師とかじゃないはずです。」
「ここに住所と電話番号、書いてもらえる? 2枚とも。あと、ここにサインを。」
 ハンニバルとポールの間にあるローテーブルに契約書を広げ、フェイスマンがペンを差し出して、書き込む場所を指し示す。2枚の契約書に依頼人の名前を書いただけで、「面倒臭っ」と思ったからに他ならない。
 ポールが必要事項を書き終わった後、フェイスマンも2枚ともにサインをして、1枚をポールに渡した。
「これで契約成立。いつ始める? 明日?」
「今からでも! もちろん明日もお願いします! 明後日も!」
 やる気満々で元気に返事をするポール。Aチームの4人は黙ったまま目配せし合った。ポールに指導するのはいいけれど自動車修理工場の仕事もあるコング、サバ缶の賞味期限に気づいてしまったマードック、今回やることはなさそうだけど後進の育成のために特技を伝授したいハンニバル、やることがないようにしたつもりだけど何だかんだ要求されるんだろうなあと思って止まないフェイスマン。みんなして、すごくやりたいわけじゃないけど、やりたくないわけでもないという中途半端な状態。
「今日はまあいいとして、明日以降は雨天中止としよう。冷えて体調を崩すといかんからな。」
「はい、わかりました!」
 ロサンゼルスはこの季節、多少雨が降る。例年ならば降っている。しかし今年はまだお湿りに恵まれていないのであった。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 スポーツセンターの一角にマットを敷いて、ポールに体術を教えるコング。殴る蹴るは寸止めしているが、投げはするし、関節技や絞め技もきっちり決まっている。気絶するたびに気つけ薬を持ってフェイスマン登場。ポールを覚醒させると去っていく。教わった技をコングにかけるポール。殴る蹴るの寸止めはできないけれど、コングが手で止めているので問題なし。
 コングとポールでは体重差があるので、フェイスマンが呼ばれてポールと対戦させられる。フェイスマンがパンチをお見舞いしようとしたのをすっと避け、腕を引いて肩を押し、足を払ってマットに俯せに倒す。親指をグッと立てるコング。拍手するハンニバル。嬉しそうなポール。
 マードックも呼ばれてポールと対戦。マードックがハイキックを放とうとしたところをしゃがんで避け、軸足にローキックを入れるとマードックは引っ繰り返った。その足を取って、4の字固め。マットをバンバン叩いてギブアップするマードック。親指をグッと立てるコング。拍手するハンニバル。嬉しそうなポール。
 ヘリで移動して、人けない野っ原に的を立てるマードック。離れた場所で銃を構えるポール。引き金を引く。目を凝らすマードックと、双眼鏡で結果を見るポール。的の一番外側のエリアに穴が開いていた。角度を修正して、もう一度撃つ。少しはマシになったが、まだ中心の輪の中には当たっていない。もう一度修正して、撃つ。今度はまん真ん中。親指をグッと立てるマードックと、「よっしゃ!」のポーズのポール。的の位置や撃つ姿勢を変えて、同じことを繰り返し続ける。
 日が暮れたので戻ってきたマードックとポール。待っていたコングと共に、ポールはジョギングへ。
 帰宅したら、夕飯の支度ができていた。テーブルと椅子も増えている。
 夕食後、一休みした後、ポールはコングと共に筋力トレーニング。他3人は皿洗いしたり洗濯物を畳んだりテレビを見たり。
 自分のアパートに戻り、シャワーを浴びて、ばったりと寝るポール。
 電柱の陰からポールの住むアパートを監視しつつアンパンを食べ牛乳を飲むジャック。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


 太陽が昇りつつある朝の町を、コングとポールが並んで走っている。
「俺ァ見回りも兼ねて走ってるんで、多少キョロキョロするかもしれねえが、お前は気にしねえで走ってくれ。」
 走りながら喋っていても、呼吸が乱れないコング。まだ序盤だしな。
「見回りって? ……ああ、皆さん、お尋ね者ですもんね。」
「あんまでけえ声で言うな。」
「済みません。」
 黙って走り続ける2人。と、そこに、市警の車が低速で走ってきた。パーカーのフードを被るコング。ポールもフードを被った。並んで走る2人の横に、パトカーも並んで走る。中の警察官が無線で何か伝えているのが見える。パトカーがブレーキをかけ、助手席にいた警官が車を降りて2人に近づいてきた。ジョギング中の2人は一瞬顔を見合わせて、スピードを落とした。
「おはようございます、警察です。」
「おはようございます。」
 その場で足踏みをしながらポールが挨拶を返す。
「おう、寒ィ中、巡回ご苦労さん。」
 コングも足踏みしながら、寒いからフードを被ったのだ、と言いたいかのように手に息を吹きかける。
「ジョギング中のところ済みません、昨日この近辺にテロリストと思しき人物が現れたんですが、不甲斐ないことに取り逃がしてしまって。まだこの界隈に潜伏している可能性があります。」
「何だ、俺たちがテロリストじゃねえかって疑ってんのか?」
「いえ、そういうわけではないんですが、我々が車で追跡したのを走って逃げ続けて、結局、姿を見失ってしまったので、普段から走り込んでいる人物じゃないかと思いましてね。何かご存知ないかと。」
「俺ァ毎日走り込んでるけどよ、そんな奴、結構いるんじゃねえか?」
「私はジョギング2日目です。」
 タッタッタッタと足踏みし続けている逞しい黒人と、足踏みしようと頑張っているのはわかるけど既に足が上がっていない全然逞しくない白人のコンビを見て、警官はこっそりと苦笑した。
「お邪魔して済みませんでした。」
 と、パトカーに戻っていく。去っていくパトカーが次の交差点を曲がってから、2人はジョギングを再開した。


 折り返し地点である公園に到着した2人は、走るのをやめ、しばし歩いた後に、やっと立ち止まった。コングがストレッチを始めたのを見て、ポールも真似をする。
「昨日も思ったんだけどよ、ジョギング初心者にしちゃ、よくついて来るじゃねえか。」
 それほど息が上がっていないポールを、コングが褒める。
「さっきジョギング2日目って言ったの、あれ、嘘なんです。そんな長い距離は走ってませんけど、ジョギング歴は20年弱です。もちろん雨天中止で。あと、ベトナム行ってた間も走ってませんでした。」
「あの何とかっていうコミックのキャラクターに憧れて、体力作りしてたってわけか。」
「そうです。人生の師ですから。少しでも彼に近づきたくて。」
「いい心がけじゃねえか。今度、俺も読んでみるぜ。」
「でしたら、今日夕方にお会いする時に持ってきます。」
「夕方?」
「ええ、これから仕事に行くんで。ウェルマートで働いているんですよ、私。レッスンは仕事が終わってからお願いします。」
「そりゃあいい。そんだったら俺も仕事に行けらあ。」
 ストレッチを終え、2人して深呼吸。
「ここ、水飲み場ありませんか? 喉が渇いてしまって。普段はこんなに喋らないもので。」
「この先にあるぜ。右に曲がってすぐだ。」
「ちょっと行ってきます。」
 ポールが走っていく。
「あんま飲みすぎんなよ。帰りも走るんだからな。」
 その後ろ姿に呼びかける。水を飲みすぎると、腹タプタプになって走りにくいし、気持ち悪くなることもある。
 と、その時。
「ふぎゃっ!」
 ポールが走っていった先の方から、短い声が聞こえた。
「どうした?」
 慌ててコングが走っていく。木立の陰に回り込むと、水飲み場の脇でポールが見知らぬ男を取り押さえていた。
「あ、コングさん、これ、どうしましょう?」
 困った顔のポールが、見知らぬ男の手首を捻って、手に持っていたナイフを落とさせる。落ちたナイフを、ばしっと足で踏む。
「一体何があったんだ?」
「水を飲もうとしたら襲われたんです。ナイフで攻撃されたんで、昨日教わった通りにしたら、上手く行きました。」
「頬っぺた切れてんじゃねえか。他に怪我はねえか?」
「大丈夫です。」
 話しながら、ポールの代わりにコングがナイフ男を取り押さえる。ナイフ男も今やナイフを取られてただの男。男が持っていたナイフを、ポールはハンケチに包んでパーカーのポケットに入れた。
「こういう時に限って、ダクトテープもロープもねえ。」
 じたばたする男を拘束する手段として現時点で考えられるのは、パーカーのフードの紐くらい。せめてジーンズを穿いていればベルトがあったのに。と、その時、目に入ったのは、元ナイフ男のダメージジーンズ。ベルトを外して引き抜き、それで後ろ手にした二の腕をぐるぐる巻きにする。さらには、ジーンズを脱がし、そのジーンズで両脚を縛る。ぎゃあぎゃあ喚いている男の口に、コングが自分のバンダナで猿轡をする。これですっかり静かになった。
 元ナイフ男を肩に担いで、コングが前(肩を担ぐ)、ポールが後ろ(腿を担ぐ)でアジトまで走って戻った。担がれた元ナイフ男は、喚くでもなく暴れるでもなく、ただ茫然と空を見上げていた。


 アジトに戻って、ポールはコングに絆創膏を貼ってもらい、家に帰っていった。これから出勤だ。コングも元ナイフ男を車に積んであったロープでぐるぐる巻きにした後、マードックを起こして朝食を作らせ、食事しながらマードックに事態を伝え、働きに出ていった。
 ベルトとズボンとバンダナで拘束された上に、ロープでさらにぐるぐる巻きにされた元ナイフ男は、床に放置されていた。どうすれば逃げられるか考えてはみたが、ロープもベルトもズボンもバンダナも自力では解けないのでシャクトリムシ程度にしか動けず、ドアの開閉が必要な現状では脱出不可能という結論に至った。あとは生理的欲求と戦うくらいしか、やることはない。
 昼になり、フェイスマンとハンニバルが起きてきた。
「モンキー、この床の奴は何なんだ?」
 ソファに座ってテレビを点け、キッチンでコーヒーを淹れているマードックに問う。蛇足ながら、今回のアジトはキッチンとリビングが分離していません。玄関&リビング&ダイニング&キッチンとバス&トイレ&洗面所&脱衣所&洗濯機置き場と寝室の3種類から成る簡素な部屋なのである。独身男1人用のフラットだし。
「コングちゃんが捕まえた奴。警察がテロリストを探してたから、それかもって言ってた。」
「で、そのコングは?」
「仕事行った。夕方にポールが来るから、その頃には戻るって。」
「それまで、これ、ここに置いとくのか?」
 これ、とハンニバルがぐるぐる巻き男を指差す。割と邪魔なので。
「こいつをどうするつもりなのか、コングちゃんから聞いてねえしなあ。下手に捨てたり逃がしたりしたら怒るかもよ。ああ、あと、これ、この男が持ってたナイフ。ポールが襲われたんだって。」
 ローテーブルの上にナイフを置く。
「それを先に言え。こいつがポールを襲って、それで返り討ちに遭って、ここにいる、というわけだな。なるほどなるほど……でも何でまたポールが襲われたんだ?」
「テロリストだったら、誰襲ってもおかしくないっしょ。」
 至極当然のことを言い、マードックがハンニバルの前にコーヒーを置く。その隣に、フェイスマン用のコーヒーも置く。
「フェイスはまだトイレ? 大かな?」
「身支度してるだけだろう。早くしてほしいものだ。」
 決してトイレに行きたい素振りなど見せていなかったハンニバルだったが、フェイスマンがトイレから出てきた後、早足でトイレに飛び込んだのだった。


 それから15分後、ハンニバルとフェイスマンとマードックと元ナイフ男は食卓を囲んでいた。玄関&リビング&ダイニング&キッチンに元からあった2人掛けソファとローテーブルに加えて、4人用のテーブルと椅子を無理矢理入れたのだから、かなり狭い。その上、壁面沿いにはサバ缶が多数積んであるし。食卓を囲む時には、ソファとローテーブルをテレビの方に押しやらないといけない。
 元ナイフ男にマードックが「ゴハン食べる?」と訊き、元ナイフ男が頷いたので、こういうことになっている。こういうこと、即ち、ロープぐるぐる巻きのまま椅子に座った元ナイフ男が、バンダナを外してもらって、マードックにゴハンを食べさせてもらうという。
「はい、あーん。」
 サバとブロッコリーのパスタ(トマトソース)を上手いことフォークに巻いて、マードックが元ナイフ男の口元に持っていくと、元ナイフ男は大口を開けてそれにかぶりついた。よく噛んで、飲み込む。
「美味いな、これ。」
「あんがと。はい、あーん。」
 どこの誰だかわからない男に餌づけをしているマードックを見ながら、ハンニバルとフェイスマンは何も考えないようにしながらパスタを食べていた。いろいろとこの男に訊きたいことはある。でも今は食事中なので我慢。
「俺、トイレ行きてえんだけど。」
 パスタをすっかり食べ終えた元ナイフ男が言った。
「気持ちはわかるよ。でも、無理。」
 申し訳なさそうな顔のマードック。
「何が? 何が無理なんだ?」
「ロープ解くの。コングちゃんがぎっちぎちに結んじゃったんで。さっきやってみたけど無理だった」
「切りゃいいだろ、ロープなら切れるだろ。」
「このロープ、金属ワイヤーで編んであって、ナイフや包丁じゃ切れねんだ。ワイヤーカッターじゃねえと。」
「ワイヤーカッター、車に積んでなかったっけ?」
 フェイスマンが口を挟む。
「コングちゃん、車乗って仕事行っちゃったんよ。」
「そっか。じゃあ、ここにはないね。」
 さっくりと諦めるフェイスマン。ホームセンターまで一っ走り、という手もないわけではないのだが。
「ロープを掻き分けて、必要な箇所だけ出せないか?」
 そう提案したのはハンニバル。
「ちょっとずつずらしてけば何とかなるかも。」
 光明を見出したマードック。
「やってみてくれ! いや、やってみてください、お願いします。」


《Aチームの作業テーマ曲、始まる。》
 元ナイフ男を床に下ろし、ロープに指をかけて引っ張るマードック。反対側から、ロープに指をかけて引っ張るフェイスマン。2人が作業しやすいように、椅子やテーブルをずらすハンニバル。
 やっとのことで元ナイフ男のトランクスが見えてきた。しかし、トランクスを下ろしたり、合わせ部分から引き出したりするほどの隙間はない。さらにロープを上下に掻き分けるマードックとフェイスマン。ローテーブルやソファも移動させて場所を作るハンニバル。
 ナイフでトランクスを切り、遂に元ナイフ男の局部を出すことに成功した。マードックとフェイスマンに立ち上がらせてもらう元ナイフ男。トイレの方に跳ねていく。だがしかし、トイレのドアの前にローテーブルとソファがあってトイレに行けない! 慌てて食卓と椅子をずらし、ローテーブルとソファを元の場所に移動させるAチーム3名。フェイスマンがドアを開けてやる。ぴょんとトイレに入る元ナイフ男。だが、手は自由になっていないので放水ホースを固定できない。このままではあちらこちらに放水してしまう。
 決壊の時はもう目前! と、その時、コングの納豆掻き混ぜ棒(箸)を持ってマードックがトイレに駆け込み、放水ホースを箸で固定した。目で合図するマードック。頷く元ナイフ男。
 聞き慣れた水音が響き、フェイスマンとハンニバルは大きく息をついた。
《Aチームの作業テーマ曲、終わる。》


「ありがとうございました。皆さんのおかげで助かりました。」
 元ナイフ男が毒の消えた顔つきで頭を下げた。マードックがタオルを持ってきて、ロープの上から局部を隠すように巻いてやる。
「いや、こっちも助かったよ、掃除しなくて済んだ。」
 ソファにぐったりと座ったフェイスマンが言う。腿の上に手を、掌を上にして乗せて。その手は開くでもなく握るでもなく、全く力が入っていない状態。指先が痛すぎて。
「それで、だ。何で君はポールを襲ったんだ?」
 フェイスマンの隣に座ったハンニバルが切り出した。
「ええと、あ、座らせてもらっていいですか?」
 元ナイフ男がマードックの方を見てお願いする。
「オッケ。」
 椅子を引いてやると、元ナイフ男は足先だけでちょこちょこと移動して椅子に座った。
「あの、皆さん、Aチームですよね?」
「いかにも。」
 ハンニバルが即答した。ちょっとドヤ顔で。
「なら、話しても問題ないかな。警察には言わないでくださいね。」
「君がテロリストだということを?」
「俺、テロリストじゃないです、殺し屋です。コードネームはジャック。テロリストみたく無差別に人殺しはしません。頼まれない限り、人殺しはしません。」
 頼まれた時でも、あんまり殺せていないことは黙っておく。
「テロリストと殺し屋の良し悪しは、今は保留としておこう。それで、何でポールを? ポールを殺せっていう依頼があったのか?」
「お客さんからあいつを殺してほしいって話があったわけじゃなくて、あいつも殺し屋なんです、ポルコ30っていうコードネームの。まだ新人で、1件も依頼が入った試しがないんですけど。」
「続けて。」
 ハンニバルは言葉を切ったジャックに、先を話すよう促した。
「うちの組織に前からAチームを殺してほしいっていう依頼が時々入っていて、今まで一度も成功したことがないんで、Aチームはフリーターゲットのリストに入ってるんです。誰が狙ってもいいっていうリストです。上手く行ったら報酬が入るわけですけど、複数の依頼が積み重なってるんで、Aチームはかなりの額になってます。それでポルコ30がAチームを狙撃しようとして失敗して、警察に追われてて、もし奴が警察に捕まったら組織のことが明るみに出る可能性が大きいってことで、組織に頼まれて奴を消そうとして、倒されて、今ここに。」
「君はあたしたちAチームを殺そうとは思わなかったのかね?」
「俺なんかじゃ太刀打ちできないってわかってますから。むざむざ殺されに行くような真似しませんよ。」
「案外、賢いじゃないか。」
「よく言われます。」
 照れ臭そうにジャックが笑った。
「つまり、ポールが俺たちを殺そうとしたところを警察に見つかって、テロリストだと思われて追いかけられた、いや、追われている最中ってこと?」
「そうだな。」
「なのに、俺たちに仕事を依頼してきたのは何で? 殺そうとした相手なのに。」
 そう尋ねたのはフェイスマン。
「そこはポールが言っていた通りなんじゃないか? 強くなりたいっていう。」
「そうか、ポルコ30が職業軍人上がりじゃないのにやけに強かったのは、Aチームの技術指導のおかげか。」
 羨ましそうに言うジャック。
「その通りですともさ!」
 鼻高々にハンニバルが言い切る。確かにそうなんだけどね。Aチームの、って言うか、コングの、って言うか。
「だが、ポールが殺し屋で、殺しのための技術を身につけようとしているんだったら、あたしたちは手を貸すわけには行きませんねえ。」
「殺し屋だってこと聞いてなかったわけだから、契約を破棄してもいいと思う。俺たちを殺すために近づいてきたのかもしれないんだし。」
「ポール、そんな奴にゃ見えなかったけどなあ。もしあいつが俺たちのこと殺したがってるんだったら、狙撃の腕前、昨日だけで随分上がっちゃったんだけど、どうしよ?」
 困ったようにマードックが言う。
「上がっちゃったの?」
「あのライフルの癖を掴んだから、少なくともおいらよりゃ上手いぜ。フェイスよりも。多分、コングちゃんよりも。」
 マードックは言えなかったけど、多分、ハンニバルよりも。
「鳥とか撃ち落とせるレベル?」
「鳥も紙飛行機も風船も撃ち落とせてた、距離にもよるけどよ。このまま練習続けたら、夏にはセミやカナブンだって撃ち落とせるようになるぜ。」
 今はセミやカナブンが飛ぶ季節ではないので。
「ヤバいじゃん、俺たち外歩けないよ、ホントにポールに命狙われてるんだったら。」
 フェイスマンがぶるっと身を震わせる。
「そこですよ、ポールがあたしたちを殺そうとしているのかどうか、それが問題だ。ええと、お前さん、ジャックだっけか?」
「はい、そうです。」
「ジャック、お前さんは何で殺し屋をやってるんだ?」
「地道に働くよりも楽に稼げるから……いや、稼げてないな。……組織に頼まれるから?」
「もしその組織っていうのがなかったらどうする?」
「殺し屋やらずにバイトに専念するしかないですよ、生きてくためには。」
「そうか。じゃあひとまず、君に足を洗ってもらうか。」
 ハンニバルが目をキラリーンとさせた。


《Aチームのテーマ曲、再び始まる。》
 殺し屋斡旋組織の事務所のドアを蹴破るハンニバル。がたっと立ち上がって侵入者に拳銃を向ける事務員。事務員が引き金を引くより早く、ハンニバルがM16で拳銃を撃ち落とし、手を押さえる事務員にM16を突きつける。
 引き出しやキャビネットから書類その他諸々を出して台車に乗せて運んでいくマードック。壁にかかった絵画の下に隠し金庫を見つけ、ダイヤルを慎重に回すフェイスマン、ニヤッと笑って金庫の扉を開ける。中に入っていたファイルをハンニバルに投げて寄越す。中に入っていた札束は上着のポケットに突っ込む。
 銃突きつけ係をフェイスマンと交代したハンニバルが、受け取ったファイルに目を通していく。あるページで手を止め、ニッカリと笑う。
 ストリートギャングのボスから若くして真っ当な会社の社長になったことで有名な実業家のオフィスに乗り込むハンニバルとフェイスマン。総ガラス張りの高層ビルに表玄関から堂々と侵入し、邪魔する者は薙ぎ払い、エレベーターで最上階へ。ドアが開いた途端、屈強そうなボディガードたちを銃のストックでガツガツと殴り倒していくハンニバル。観葉植物の鉢を投げまくるフェイスマン。社長室のドアを蹴破り、社長に銃を向けるハンニバル。どこかに電話をかけようと焦る社長に、フェイスマンが電話線の先をぷらぷらと振って見せる。ビルの外では、マードックがヘリで今にも突っ込もうとしている。昔取った杵柄で殴りかかってくる社長の攻撃をすべてするすると躱し、鋭いストレートパンチをスパーンとお見舞いするハンニバル。鼻血を垂らして頭をふらつかせ、マホガニーのデスクに寄りかかる社長に、書類を突きつけるハンニバル。それを見て、顔面蒼白になる社長。
 ビルの屋上からヘリに乗って、Aチームが逃走。次の瞬間、1階に押し寄せる警察と新聞社の皆さん。その先陣を切っているのはエンジェル。さながらジャンヌ・ダルクのよう。上空で、半身をヘリから乗り出したハンニバルが、火の点いた葉巻を深々と吸い、爽やかな笑顔を見せた。
《Aチームのテーマ曲、再び終わる。》


「何だと?! 何で俺が帰んの待たなかったんだ?!」
 自動車修理工場のアルバイトから帰ってきたコングは、殺し屋斡旋組織を潰して、黒幕を突き止めて、あとは警察とマスコミにお任せしたことをハンニバルから聞いて、憤っていた。なぜそんな面白そうなことを自分抜きでやってしまったのか、許し難い。
「最後にヘリで帰る作戦だったからじゃん? コングちゃん抜きでも何とかなったけど、やっぱ殴り込みん時はコングちゃんがいた方が安心だね。」
 ジャックのロープをワイヤーカッターで切りながらマードックが言う。
「そうか、ヘリに乗るんじゃ仕方ねえな。てえか、てめェ、こいつのロープ、切っちまっていいのか?」
「いいの。もうジャック、殺し屋辞めたから。」
 ロープが外された後、脚を縛っていたズボンと腕を縛っていたベルトも取ってもらう。無論、前を隠していたタオルも今はない。
「トイレ借ります!」
 露出されていた部分を切り込みの入ったトランクスの中に収納して、ジャックはトイレに駆け込んだ。
「ロープ解けなくて大変だったんだぜ。」
 片づけをしながら、マードックがコングに文句を言う。
「悪ィ、そんな解けねえほどきつく結んだつもりじゃなかったんだけどな。」
 コングがポリポリと後頭部を掻く。と、その時、ドアチャイムが鳴り、フェイスマンがドアを開けた。
「こんばんは、今日もよろしくお願いします。」
 ポールだった。手に重そうな紙袋を提げている。
「コングさん、これ、約束の。」
 と、コングの方に大股で進み、紙袋をドスンと床に置く。
「お、済まねえな。」
「何? あ、ゴ○ゴじゃん。こんなにあんの? おいらにも読まして。」
 早速コングが手に取ったものを見て、マードックも目を輝かせる。
「ポール、話がある。」
 ハンニバルがポールを手招き、食卓の、自分の正面の席に座らせる。90度の位置にはフェイスマン。
「お前さん、殺し屋だったんだってな。」
「え……。」
 言葉に詰まるポール。
「俺たちAチームを撃とうとして、警察に見つかってテロリストと間違われて追われていたってことまではわかってる。」
「済みません、そこまで話せなくて。その通りです。」
 正直にポールは言った。
「君や、君を襲った男が登録していた殺し屋斡旋組織は、さっき潰してきた。」
「え?」
 Aチームが何でも知っていすぎて、その上、行動が早すぎて、ポールの頭はついて行けなかった。
「だから、君が我々を殺す理由もなくなった。我々を殺しても、報酬も出なければランクも上がらない。」
「捕まえてMPに突き出すっていうのも、やめてね。金一封は出るかもしれないけど雀の涙だろうし。」
 フェイスマンが場を和ませるかのように、ふざけた感じで言う。
「ちょ、ちょっと待ってください、私は、それこそ最初はAチームを狙撃しようかとも思いましたけど、すぐに諦めました。それで自分の無力を思い知って、皆さんに指導をお願いしたんです。もし私の力がAチームに近づいたとしても、皆さん方を殺そうなんて、そんなことするわけがありません。考えもしませんよ、そんなこと。」
「それは本心か?」
 厳しい目でハンニバルが尋ねると、ポールはこっくりと頷いた。
「どうする、フェイス?」
「契約続行でいいと思うよ。ただ、ポール。」
 フェイスマンはハンニバルに答えた後、ポールの方を向いた。
「君が殺し屋になりたくて俺たちのレッスンを受けているんだったら、契約は破棄する。人殺しをしようっていう人にその方法を教えたくないからね。」
「……確かに私はゴ○ゴ13に憧れて、彼のようになりたいと思っていましたけど、人の命を奪うのは、やっぱり無理です。昨日、鳥を撃って、何度も“ゴメンね”って思って、夢にまで見たくらいですから。でも、銃を撃つ練習はしておきたいと思います。何かあった時に、人じゃなく物を確実に撃てるように。それと、体術も護身術として教えてもらいたいです。実際、役に立ちましたし。」
「俺にも護身術教えてください!」
 トイレから出てきたジャックがドタドタと食卓に寄る。
「何であなたがいるんですか?」
 ポールがムッとした顔を見せる。
「お前に取り押さえられて、ここに運ばれたからに決まってるだろ! 忘れたのかよ、こん畜生。俺ァ忘れねえぞ。いつかお前のことジュードーで投げ飛ばしてやる!」
 ライバル出現というやつだ。
 言い合いをしている2人からわずかに離れて、コングとマードックはソファに並んで座って、ゴ○ゴ13を真剣に読んでいた。
「こりゃあすげえ、話がマジだ。子供が読むもんじゃねえな。」
「カッコいいだろ、デューク。」
「ああ、憧れんのもわかるぜ。……それはそうと、夕飯はどうした?」
「そうだ、忘れてた。夕飯作んなきゃ。」
 マードックが席を立ち、コミックを置いてキッチンに向かっていった。途中でサバ缶を6つ持って。


 その後、ポールはAチームのレッスンを受け続け、実はツワモノなのに発揮する場のない可哀想な人になってしまったので、コングの勧めもあって合気道の道場や柔道の道場やボクシングジムに通うことにした。さらにはクレー射撃にも通うようになった。それらのレッスン料が嵩んで、未だに運転免許を取りに行けていないと言う。
 ジャックはポールに対抗しようと、ウェルマートの近くにある会員制ホールセールクラブ、トストコに就職し、社員割引カードをフェイスマンに渡すことでAチームのレッスンを受けさせてもらえることになった。今ではポールのライバル兼友人として楽しく生活している。運転免許を持っているので、レンタカーでポールをドライブに誘って優位に立っている。ジャックがそこしか優位に立てていないのに気づいているポールは(ナイフ戦もポールが連勝している)、実のところ、運転免許を取らなくてもいいか、という気持ちになっている。
 フェイスマンがライフルを持ったテロリストの偽情報を警察に流したおかげで、警察はポールとは似ても似つかない架空の男を探すことになり、ポールが職務質問に怯えることはなくなった。
 サバ缶の消費に厭きたAチームは、マードックに残りのサバ缶を持たせて病院に帰したのだった。
 東海岸での研修を終えて戻ってきた軍属調理人は、玄関ドアを開けるなり青魚の臭いが立ち込めているのに気づき、眉間に皺を寄せたが、電気を点けた途端、見覚えのない食卓が鎮座ましましているのを見て、口をポカンと開けて手に持っていた鞄をドサリと床に落とした。


《Aチームのテーマ曲、三たび始まる。》
 茂みに隠れたハンニバル(ジャングル用迷彩服で顔にペイント)が、さっと手で合図を送る。コング(ジャングル用迷彩服で顔は素)が頷いて点火装置を押すと、ジャングルの中に建てられていた小屋が盛大に爆発した。炎の上がる小屋から、わらわらと出てくる人相の悪い男たち。フェイスマン(ウィリアム・モリスのボタニカル柄のソフトスーツで顔面はいつも以上にハンサム)がロープを引くと、頭上の木から網がどさっと落ちてきたかと思うと、5、6人の男たちを包み込み、再び上昇する。網に包まれて木に吊られた状態の男たちがなす術もなくゆらゆら揺れている。
 網に捕まらなかった男たちが、銃を構え、辺り構わず撃ちまくる。しかし、その銃が次々に手から跳ね飛ぶ。手を押さえて周囲を見回す男ども。遠くの樹上で、ポール(ジャングル用迷彩服で顔にペイント)がライフル(暗視スコープつき)を構えたまま口だけにっこりさせた。
 上空にヘリが旋回している。操縦するのは、もちろんマードック(ヘリコプター柄のパジャマ姿で同柄のナイトキャップも完備)。ヘリがホバリングし、サーチライトでジャングルを照らす。照らし出されたのは、小屋から逃げ出したボス格の男。走ってきたハンニバルがその男にタックルを食らわせ、捕獲する。その周囲では、手下どもとコングがボカスカやっている。
 各種のトラップを次から次へと作動させていたフェイスマンが敵に見つかって羽交い絞めにされた。その敵の背後に忍び寄り、喉元にナイフを突きつけるジャック(ダメージジーンズに鋲つき革ジャン)。いきなり視界にナイフが現れて驚いた男に、フェイスマンが後頭部で頭突きを食らわせる。よろけた男に、ジャックがナイフの柄で一撃を入れる。
 ジャングルを背に、こちらに向かって真面目な面持ちで歩いてくるハンニバル、コング、フェイスマンと、なぜかマードック、加えてポールとジャック。背後のジャングルでもう一度大きな爆発が上がった。葉巻を銜えてニッカリとするハンニバル。肩を叩き合うコングとマードック。最も自信のある角度でキメ顔を見せるフェイスマン。ポールとジャックはライフルの銃身とナイフとをカチンと合わせ、少し俯いて口元をニヤつかせたのだった。
《Aチームのテーマ曲、三たび終わる。》
【おしまい】

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