熱中症警戒アラート発表中
鈴樹 瑞穂
 青い空、白い砂浜、色とりどりの水着に身を包んだ人々――の影はまばらだった。
「何か知ってんのと違うなあ、この景色。」
 額の前に手で庇を作って、マードックが周囲を見渡す。ここは有名なリゾート地というほどではないが、毎年夏になると近隣から人が集まるビーチである。例年であればこの時期は大いに賑わっているのだが、何度見ても閑散としていた。
「そりゃこれだけ暑けりゃねえ。」
 ハンディファンを手にしたフェイスマンがうんざりした口調で言う。とにかく暑い。空気が熱い。プオーンと送られてくる風も熱いが、電池が入っているハンドル部分もじわじわと発熱している。諦めてスイッチを切り、フェイスマンはハンディファンをテーブルへと置いた。
「あっちいな。砂が焼けた鉄板みてえだ。水くれ。」
 戻ってきたコングが開口一番に言い、フェイスマンがグラスにピッチャーから水を注いで渡す。それを一気に呷って、コングはぷはー、と息をついた。続いて入ってきたハンニバルにもフェイスマンが水を渡す。
「ビールの方がありがたいんだが。」
「何言ってんの、アルコールとカフェインは利尿作用があって水分補給にならないからね。まずは水飲んで。」
 ハンニバルは渋々一口含んで顔を顰めた。
「温いな。」
「なあ、アイス食ってもいい?」
「ダメだ、モンキー。アイスは1日1本まで。」
「水の後のビール……。」
「ちょっと大佐。ビールは1日2缶まで。」
「おい、牛乳切れてるぜ。」
「コング。牛乳は1日グラス2杯までって言っただろ。」
 両手で×を作り続けるフェイスマン。仕方なく一同は空いているベンチに腰を下ろし、外へと視線を巡らせた。屋根のついたウッドデッキの四方に簾を垂らしただけのここは、陽射しこそ遮られているものの、実質屋外である。クーラーが効いているわけでもなく、午後のうだるような気温に曝されている。
 エンジェルの伝手で、毎年夏になると大忙しのビーチハウスの管理、運営をひと夏任され、稼ぎ時とばかりに乗り込んだAチームであったが、蓋を開けてみれば――
「客、来ねえな。」
 マードックは暇を持て余して輪投げの輪をくるくると回しながら呟いた。因みにこの輪投げ、1回1ドルで挑戦でき、当たりに入ればチョコバナナが2本、外れても1本貰える。挑戦者がやって来さえすれば、ご機嫌な実況で盛り上げる自信はある。
「そうだろうな。まず、通行人がいない。」
 余りに客が来ないため、ビーチの様子を見に行ったハンニバルが腕を組んで言った。同行したコングも頷いている。全員揃いのアロハにハーフパンツ、ビーチサンダルという軽装で、さすがのコングもアクセサリーを全て外している。
 今年の夏は数年に一度の暑さになる。元々その予報は把握しており、だからこそビーチハウスは儲かるはずだとフェイスマンも試算していたのだ。だが、想像の上を行く強烈な暑さに、そもそもビーチに人が来ない。連日、気温は体温を超え、出歩くのも命がけである。
「ビールもアイスも山ほど仕入れたのに。」
 トホホ、とフェイスマンが眉を下げる。
「チョコバナナの材料もな。」
 冷凍庫に入りきらず段ボールで積まれているバナナを見て、コングが重々しく言う。このままではビールもアイスもバナナも、順調に仲間たちのお腹に消えてしまう。
 さらに問題は桃であった。この街に車で来る途中、道沿いの畑の前で売っていた大きな桃を試食したところ、とても美味しかった。場所柄かお値段も手頃だったので、ビーチハウスでお洒落なデザートとして出せばすぐに売れるだろうと踏んで、車に積めるだけ買い込んできたのだ。
 桃は足が速い。今考えると、何でそんなことを、と思わないでもなかったが、何しろ近づきつつあるビーチの気配にフェイスマンも浮かれていたのだ。相当。自分たちのお腹に消えるならまだいい。大量の桃を傷ませてしまったら……フェイスマンはぶるぶると首を振った。考えるだけで恐ろしい。
「とにかく、このままじゃまずい。」
 とりあえず大型の冷凍庫を調達してこよう。なかったらこの際、冷蔵庫でもいい。フェイスマンは意を決して灼熱の砂浜に足を踏み出すことにした。
「俺が帰ってくるまで、アイスもビールも牛乳もダメだからね!」
 フェイスマンはサングラスを取り出して装着する。
「ああ、帽子は被っていった方がいいぞ。」
「はい、これ。」
「いや、大丈夫。」
 ハンニバルの助言と、マードックから差し出された麦わら帽子は、首を振って断った。海賊か、釣りに来たおじさんスタイルは避けたかったのだ。


 ビーチハウスを後にして10分、フェイスマンは麦わら帽子を被ってこなかったことをかつてないほど後悔していた。ビーチの陽射し、半端ない。焼けた砂からの照り返し、もっと容赦ない。なぜペットボトルの水を持ってこなかったのだろう。せめて日陰に……と見回すも、辺りに日を遮るものは何もない。
 このままだと、砂浜から舗装された道に出る前に確実に行き倒れる。来た道を振り返れば、ビーチハウスは限りなく遠く、引き返す体力もない。
 ダメだ、じりじり焼かれる。今の俺はフライパンの上のトウモロコシだ。もう弾けてポップコーンになるしか――
 フェイスマンがふらあっと倒れかけた時だった。
 不意に影が差し、陽射しが遮られた。
「大丈夫ですか? お水飲みます?」
「あ、ありがとうございます。」
 日傘を差したマダムが差し出してくれたペットボトルをありがたく受け取って、フェイスマンは一気に呷った。生き返る。それに日傘の陰は不思議なことに暑くない。
「これは?」
「ああ、この日傘、紫外線も赤外線も遮ってくれるんですの。今年は暑いですものねえ。これがないと日中は外に出られませんわ。」
 ほほほ、とマダムが笑う。
「助かりました。あなたは命の恩人だ。」
 フェイスマンはようやくいつもの調子を取り戻し、恭しくマダムの手を取った。
「いいんですよ、店の前で行き倒れられても困るでしょ。」
「店?」
「ええ、ここがうちの店。」
 マダムが示す先には確かに小さな店があった。看板には『ベティズジェラート』の文字が。
「ジェラート屋ですか。」
「そうなの。とても美味しいのよ。いつもは結構お客様が来るのだけど、今年はさっぱり。さすがにこう暑いとねえ。」
 なるほど、とフェイスマンは納得した。とても小さなジェラート屋は、アイスクリームケースとレジでほぼ埋まっており、店内に1人か2人入るのが精一杯だ。テイクアウトしてビーチで食べることになるが、この暑さではあっと言う間に融けてしまうだろう。店の外にベンチはあるが、陽射しを遮る屋根もない。
「確かに、客足もさっぱりです。ああ、申し送れましたが、私はあちらのビーチハウスを借りておりまして。時にマダム、桃のジェラートはありますか?」
「もちろん。この時期一番のお薦めよ。」
「では、それを1つ。」
 店に戻るマダムの後についてフェイスマンは桃のジェラートを購入し、一口食べて親指を立てた。これはイケる。助けてもらった恩返しのついでに、あの大量の桃も消費できるチャンスが降ってきた。


 マダムに日傘を借りたフェイスマンは、ビーチハウスに無事に戻った。戻ってみると、ハンニバルは3本目のビールを開けたところで、マードックはアイスを1本食べた後、当たりが出たという理由でもう1本食べており、コングはスーパーに出かけて新しい牛乳を購入して帰ってきた後、バナナと牛乳のマリアージュを楽しんでいた。何だかんだ言って、鈍いと言うか、暑さに強いのだ。
「ちょっと! ダメって言ったのに。」
「そうは言っても、客も来ないしなあ。」
 のんびりとビールを口に運ぶハンニバル。コングは一応心配してくれていたらしい。
「帽子なしで倒れなかったか?」
「倒れかけたさ。でも親切なマダムがこれを貸してくれて。」
 フェイスマンが日傘を見せると、マードックが言う。
「ああ、それバズってたやつだろ。紫外線も赤外線もカットするとか。」
「バズってたのか。本当に暑くない。これがなかったら生還できなかったかも。あと、桃も何とかなるかも。」
「桃が? 日傘で? 何とかなる?」
「桃と日傘は関係ない。いや、あるかも。」


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 布を大量に運んでくるフェイスマン。ビーチパラソルを張り替えるコングとマードック。テントの図面を引くハンニバル。
 フェイスマンが桃をマダムに見せに行く。桃を品定めするマダム。
 エプロンと三角巾をつけたマードックが大鍋を掻き混ぜる。味見をして首を横に振るマダム。鍋を掻き混ぜるフェイスマン。首を横に振るマダム。鍋を掻き混ぜるフェイスマンと祈りを捧げるマードック。マダムが首を縦に振り、抱き合って喜ぶフェイスマンとマードック。
 フェイスマンとハンニバルがマダムの店の前に柱を立ててテントを張る。幟を作るマードック。大量のビーチパラソルを小脇に抱え、コングが運んでいく。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


「あらあら、これはいいわねえ。」
 ベンチに座ったマダムがおっとりと頷く。今日も太陽はギラギラと絶好調であったが、『ベティズジェラート』の前に張られたテント型の日除けに入ると、それほど暑さを感じない。このテント、紫外線も赤外線もカットする日傘の生地で出来ているのだ。これなら店内で買ったジェラートをベンチに座ってゆっくりと食べられる。
 テントの周りには『桃のジェラート』の幟が立てられている。
 そしてAチームの営むビーチハウスが貸し出すビーチパラソルもまた、同じ生地で出来ていた。太陽の角度が変わっても常に一定の範囲は影になるように3本ずつまとめ、朝のうちからビーチに設置しているため、パラソルの下の砂は熱くもなく、快適である。
 ビーチハウスの前にも同じテントが設置されており、冷たいビールやチョコバナナ、それにここでも桃のジェラートが買える。ビーチハウスと『ベティズジェラート』には日傘も完備されていて、ビーチを歩く際に自由に使うことができるのだ。


 そんな万全の陽射し対策と、桃のジェラートが話題を呼んで、ビーチには人が戻ってきた。おかげでAチームも、ビーチハウスのやり繰りに、『ベティズジェラート』の手伝いにと大忙しである。
「おい、ホットドッグ用のケチャップがもうなくなるぞ。買ってきてくれ。」
「わかった、行ってくる。」
 ハンニバルに言われて、フェイスマンが出ていく。と、5分もしないうちにふらふらと空手で戻ってきた。
「日傘が出払ってたからそのまま行こうとしたけど、やっぱり無理だった。陽射し、強すぎるだろ。」
 這う這うの体で逃げ帰ってきたフェイスマンに、マードックが呆れたように言う。
「だから帽子被ってけって言ったのに。」
 コングが麦わら帽子の中を見せてニッと笑う。
「ほら、帽子にも日傘と同じ生地を張ってあるぜ。」
「ええ〜だったらせめてもうちょっとお洒落な帽子にそれやってよ。」
 フェイスマンの力ない声が青い空に吸い込まれていったのだった。
【おしまい】
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