ザ・ボディガード〜今日も嫌がらせ
伊達 梶乃
 高価な生地や職人による仕立てではないものの、きちんとした身なりの紳士が背を伸ばして街を歩いていた。理知的な顔には僅かに微笑みが浮かび、足取りも心なしか軽い。それはなぜかと言えば、この先にあるケーキ屋で今日は全品税込み1ドルの特価で売られるからだ。彼自身はそれほど甘い物を好んではいないが、妻が好きなのだ、このケーキ屋のケーキや焼き菓子が。有名でも洒落てもいない、昔ながらのケーキ屋ではあるが、アップルパイ、チェリーパイ、チョコレートケーキ、ベイクドチーズケーキなど基本的なものが絶品で、サクサクとしたクッキーもまた美味しい。カップケーキは上に乗った派手な飾りが彼の好みではないが、シンプルなマフィンやビスケットを朝食に食べると1日が少し幸せなりそうな気分になれる。
 ケーキやパイは1/6カットで1個1ドル、マフィンやビスケットは2個で1ドル、クッキーは2袋で1ドル。どれをいくつ買おうか。あまり買いすぎてもケーキやパイは食べきれない。クッキーなら長持ちするから多めに買っておこうか。今日の夕食のデザートにケーキかパイを1個ずつ、明日の朝食用にマフィン2個とビスケット2個、それとクッキーを4袋……よし、それで行こう。
「ふは……っくしょいつつつつ。」
 鼻がむずっとして、彼は足を止めてくしゃみをした。歩きながら平然とくしゃみができるほど若くはない。実際、くしゃみの衝撃で腰がピキンとした。「いつつつつ」は腰のせいで口から出た言葉である。
 と、その時、目の前に何かが落ちてきて、地面に激突して割れた。飛び散る小さな破片が脚を掠める。見れば、それは植木鉢だった。赤茶色のテラコッタの鉢で、底石も土も入っていて、もちろん植物も植わっていた。何という植物だかわからないが、鮭の身のような色の花がついている。無論、緑色の葉もついている。それらは今、目の前で無残にもゴミになっていた。
 危ないな、と上を見上げる。上層の階の住人がベランダか窓辺から落としてしまったのだろう。だがしかし、通りの脇に建つ建物は平屋で、紳士は眉間に皺を寄せた。まだこの辺りは高層ビルなど建ってはおらず、年季の入った建物群は高くても2階建て。周囲を見回しても、植木鉢がここまで落ちてきそうな場所はない。風に吹かれて枯葉が散ってはいるが、植木鉢を吹き飛ばすほどの嵐ではない。そもそもテラコッタの植木鉢は、風に転がされたとしても、そうそう遠くまでは行けない。
「あらまあ、お花、落としちゃったのかしら?」
 人のよさそうなおばちゃんが紳士に声をかけた。
「いえ、落ちてきたんです。私が落としたわけではなくて。」
「まあ危ない。頭に当たらなくてよかったわねえ。それにしても一体どこの誰が……。」
 おばちゃんも周囲を見回して、眉間に皺を寄せた。
「どこから落ちてきたのかしら?」
「さあ……。」
 深くは追究しないタイプであるおばちゃんは、考えてもわからないことを考えるのを早々にしてやめ、すぐ横の平屋であるリサイクルショップに入っていき、箒と塵取りを手に出てきた。
「マダム、片づけをお任せして構いませんかね?」
「ええ、あたしがやっとくわ。こういうの、放っとけないのよね。」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、失礼。」
 彼は会釈をして、歩みを進めていった。植木鉢の出処を怪訝に思いながらも。


 アジトの電話が鳴り、ソファに座ってテレビ情報誌を見つめていたハンニバルは、顔を上げて辺りを見回した。誰もいないようなので、よっこらしょ、と立ち上がって受話器を取る。
「あー、もしもし。」
『ハンニバル? あたしよ、あたし。』
 エンジェルからだった。
「どうした? またろくでもない仕事か?」
『何よ、あたしが持ってく依頼がろくでもなかったことなんてあった? あったかも……ええ、あったわね。でも今回はろくでもなくないわよ。』
「どんな依頼なんだ?」
 ろくでもない話だったら受話器を置いた後、散歩に出ればいいだけだ。
『大学教授が命を狙われているようなの。嫌がらせも受けてて。だから、教授のボディガードをして、犯人がわかったらとっちめてやって。』
「何で大学教授が、一介の新聞記者を通じてAチームに依頼を?」
『別に教授がAチームに仕事頼みたいからよろしく、って話を持ってきたわけじゃなくて、何度もインタビューしたことある人なんだけど、一昨日、次のインタビューの予定を立てようと思って会いに行った時、暗い顔して悩んでるみたいだったからどうしたのか訊いたら、何があったのか話してくれて。どうしたらいいか困ってたんで、あたしが一肌脱ごうかと思って。』
「失礼ながら、新聞記者がAチームの仕事料を払えるとは思えんのだがね。」
『やだ、あたしがそんな大金払えるわけないでしょ。一肌脱いで、紹介するだけ。話聞くだけでも聞いてくれない?』
「話を聞くだけなら構わんが。」
『じゃあ、教授にそっちに行かせる。今は大佐だけ?』
「ああ、誰もおらんようだ。」
『コングは18時には帰るでしょ? フェイスは今、ガールズグループのプロデューサーやってるんだっけ? ってことは帰り遅いわね。』
 ハンニバルも知らないことを知っているエンジェルの情報収集力は侮れない。
『それじゃ18時にそっちに行かせるんでいい?』
「いや、フェイスは?」
『フェイスがいると仕事料がセレブ価格になるでしょ。お金にならなそうな仕事は全力で断ろうとするし。いない方が都合がいいわ。』
 それもそうだ、とハンニバルは納得してしまった。そして、今回の仕事も入金が望めないとわかった。


 18時を少し回ってからドアチャイムが鳴り、板金工のアルバイトから帰ってきて間もないコングがドアを薄く開けた。
「合言葉は?」
 ドアの隙間から覗く不機嫌そうな黒光りする筋肉塊に一瞬怯んだ来客は、ンッと喉をクリアにして口を開いた。
「サーディンは熱いうちに食え。」
 新聞社のアレンさんから聞いていた合言葉を告げる。
「おし。」
 ドアが開き、中に通される。
「やあ、いらっしゃい。Aチームのジョン・スミスだ。ハンニバルと呼んでくれ。」
 ハンニバルが依頼人に歩み寄り、右手を差し出す。
「始めまして、リチャード・オーブリーです。近所の大学で教授をやっております。よろしくお願いします。」
 差し出された右手を握って自己紹介をするオーブリー氏は、ハンニバルと同い年くらいだが、幅も厚みもハンニバルの2/3くらいの細身。腹部に限れば1/2と言っても過言ではなかろう。
「俺ァB.A.バラカスだ。コングって呼んでくれ。飲みモンは牛乳でいいか?」
「あ、はい、牛乳で。」
 フェイスマンもマードックもいないと、初対面の依頼人が牛乳を飲むことになる。
「さ、かけてくれ。」
 ハンニバルに1人掛けソファを勧められ、オーブリー教授は腰を下ろした。
「アレンから話をざっくりとは聞いているが、詳しく聞きたい。」
「はい、半年くらい前から、玄関に鳥やネズミやモグラの死骸が置かれるようになったんです。初めのうちは月に2回くらいだったのが、段々と頻度が上がってきて、最近は不定期ながら平均すると2日に1回は何か置かれるようになりました。衛生的にもよろしくないので、これをやめていただきたい。犯人を捕まえてやろうと思ったこともあったんですが、夜に異常がなくても朝になると死骸が置かれていて、犯人の見当もつきません。一度、ハトの頭だけが置いてあって、妻が踏みかけて転びました。幸い、擦り傷と打撲だけで済みましたが、下手をしたら骨折していたかもしれません。」
「そりゃ危ねえな。毎度毎度死骸片づけんのもストレスになるだろ。」
 グラスに入れた牛乳をテーブルに置いて、コングが言う。
「その通りです。もう慣れましたがね。それより、5日前、歩いていたら空から鉢植えが落ちてきまして。テラコッタの植木鉢に植わった何らかの植物が。それも、周囲には鉢植えを落としそうな場所がなかったんです。すぐ横の建物は平屋で、最も近い2階の窓から投げたとしても届きそうもない場所で。」
「そんなことがあり得るのか?」
 ハンニバルさえも「信じ難い」という顔をしている。
「テラコッタの鉢に土入って植物が植わってたんなら、大きさにもよるが、結構な重さだ。鉢に細工して飛ばす方法は、簡単にゃ思いつかねえな。……飛ぶモンに詳しい奴に訊いてみるか。」
 嫌そうな顔でコングが言う。
「今のところはそれだけですが、大学の校舎はどれも高さがあるので、どこから植木鉢が落ちてくるか、毎日気が気ではありません。階段の上から突き落とされるかもしれない。電灯が落ちてくるかもしれない。信号待ちの間に後ろから突き飛ばされるかもしれない。私だけではなく妻も狙われているのかもしれない。学生にも被害が及ぶかもしれない。そんな思いで頭が一杯で、研究もできなければ執筆もできません。」
「そりゃあ辛えな……ま、牛乳飲んで落ちつけや。」
「はい、ありがとうございます。」
 そう言って、教授は牛乳を飲んだ。
「しかし、何でそんな嫌がらせを受けたり命を狙われたりしているんだ? 何か危険な研究でもしてるのか?」
「申し遅れましたが、専門はイギリス生活史と言いますか、イギリス文学に現れる事物の歴史的変遷です。」
「例えばどんなことだ?」
「そうですね、例えばソファ、これが時代や身分、地域によってどんな形のものを使っていたのか。そういったことを調べてまとめています。」
「そんなこと調べて何になるんだ? 何の役にも立たねえじゃねえか。」
 ストレートに役に立つ物を作るコングにとって、他国の過去のことを調べるのは無意味なことに思えてならない。
「歴史物の映画やテレビ番組、舞台の時代考証に使われています。小説や挿絵の資料としても参考にしてもらっています。過去の料理を再現しようとしている料理研究家の方に、オーブンや小物調理器具について問い合わされることもあります。一般の方々にも興味のある分野のようで、論文よりも読みやすい書籍や、絵描きさんと組んで絵本のようなものやイラスト入りの事典も出しております。」
「なるほどな、そりゃ面白そうだ。役に立たねえなんて言って悪かったな。」
「いえいえ、私も役に立つかどうかなど考えずに、自分の興味本位で研究しておりますので。本を読んでいてふと気になった物を調べているだけです。既に調べられている物ならありがたいんですが、そうでない物も多くて。そうなると私が調べるしかありませんからね。」
「となると、命を狙われる要素はないということか。」
「映画の時代考証が不十分で、その時代その地域にそのデスクの引き出しの金具はあり得ないとかと後からわかることもあって、それを指摘することもあるんですが、“知らなかった”で済ませられることですし、一般的には“そんなの気にしなくてもストーリーには関係ない”と言えますしね。その点は私も心得ております。しかし、指摘されて気を悪くされる方もおられるのでは、と。それから――
 と、教授は少し口を噤んだ。
「何か心当たりがあるのか?」
「ええ。アメリカでもサッカーが普及してきたじゃないですか。イギリスではあのゲームをフットボールと言うのはご存知ですか?」
「ああ、知っている。こっちじゃフットボールはアメリカンフットボールのことを言うから、アソシエーションフットボールの“ソシ”の部分からサッカーになったとか。」
 知識としてassociationからsoccerになったと知ってはいても、何でassoccerにならなかったのかはわからない。アソッカーでもよかったのでは、と思って止まない。
「その通りです。前回、アレンさんにインタビューされた時、イギリス英語とアメリカ英語の違いの話からフットボールの話になりまして、サッカーのことを“足+球”や“蹴+球”を表す言葉で呼んでいる言語の方が多いのだから、アメリカ英語でもサッカーをフットボールと呼んで、アメリカンフットボールの方をAmericanの語頭のaを捨てて次のmerからメッラーと呼んだらどうか、と冗談を言いまして。」
「いや、アメリカ国内だったらアメリカンフットボールをフットボールと呼ぶべきだろう。」
「ええ、そうです、それは私もアメリカ国民ですから、アメリカンフットボールこそがフットボールだと思っていますよ。ですが、それがそのまま新聞に載ったわけです。冗談ですよ、とも書かれずに。」
「それ読んだアメフトファンはムカっ腹立つだろうな。」
 コングが鼻からフンッと息をつく。
「それが原因かもしれない、と。」
「それしか思い当たりません。大学の私のゼミで卒業できなかった学生もいませんし、私の授業で単位が取れなかった学生も明らかに学生本人に非があるケース以外はありません。」
「研究上のライバルとかは?」
「同じようなことをやっている研究者はみんな共同研究者のようなものですから、ライバルという意識はないですねえ。」
「よし、熱狂的アメフトファンを当たってみてくれ、コング頼むぞ。」
「おっし。」
「研究者や大学内のことは、フェイスに調べさせよう。それと、コング、モンキーを連れ出して、植木鉢落下事件のことを調べさせてくれ。」
「そりゃゴメンだ。俺ァ――
 コングが文句を言おうとした時、玄関ドアが開いてフェイスマンが帰ってきた。
「ただいまー。ちょっと聞いてよ、ハンニバル。プロデュースしてた女の子の1人が彼氏と駆け落ちしちゃってさ。センター任せようと思ってた子なのに。ガールズグループの企画、パーになりそうで。」
「そりゃよかった。教授、こいつは調達係のフェイスマンだ。フェイス、こちら今回の仕事の依頼人、リチャード・オーブリー教授。」
「よろしくお願いします。」
「よろしくー。」
 顔を見合わせて会釈する2人。
「フェイス、お前さん、モンキー連れ出してこい。で、その後、教授の研究仲間や大学の教授連中がオーブリー教授に恨みを持っていないか調べてくれ。」
「え、何が何だかわかんないけど、ま、いいや、とりあえずモンキー連れてくればいいのね。」
 素直に病院に向かうフェイスマンであった。
「で、あんたは何するんでい、ハンニバル。」
「そりゃ教授のボディガードですよ。……いや、しかし、部外者が大学内に入って摘まみ出されませんかねえ?」
 町中でのボディガードはともかく、大学の敷地内まで入り込んでいいものかどうか。
「部外者も散歩したり学食を利用したりしていますんで大丈夫だとは思いますが、念のため、特任講師の手続きをしておきましょうか。」
「特任講師?」
「ええ、外部の方に短期集中型の特別講義をしていただくことがありまして、その場合、特任講師として期限つきで大学の非常勤講師という肩書にすることもあるわけです。ただ、任期中に1回は講義をしていただかないといけないのですが。」
「ふむ、それは面白そうですな。偽名でも構わないのかな?」
「講義の対価をお支払いするために事務には本名を知らせる必要がありますが、講義する時には作家の方はペンネームを使いますし、本名でなくても問題ありません。」
「我々、全員で4人いるんだが、4人とも特任講師とやらにしてもらうことは?」
「可能です。」
 特任野郎Aチームの誕生も間近である。


《Aチームの作業テーマ曲、始まる。》
 大学の学長宛に特任講師の申請書類を4通書くオーブリー教授。4人の写真をそれぞれ書類に貼りつけるハンニバル。
 マードックの手を引いて陸軍退役軍人病院精神科から駆け出してくるフェイスマン。なぜかマードックは純白のサマードレス姿。ウェディングドレスに見えなくもないけど、既にマードックのウェディングドレスは公式で披露されているから、今更着せなくてもよろしい。
 アメリカンフットボールの熱狂的ファンが集まるバー(ランチタイム営業)で、ランチタイムスペシャルメニューのパニーニを片手にトマトジュースを飲みながら情報収集をするコング。過去の試合のビデオが店内で再生されており、ついつい画面に見入ってしまう。
 オーブリー教授のゼミで、学生たちに挨拶をするハンニバル。首から特任講師の身分証を下げて。
 学内で片っ端から聞き込みをするフェイスマン with 特任講師の身分証。
 ゼミ室で地図を広げて、植木鉢が落ちてきた場所を教授に尋ねるマードック with 特任講師の身分証。サマードレスの下にチノパンとコンバース、サマードレスの上に革ジャンと帽子、という変な格好で、ゼミ生も近寄らない。教授はマードックの変な服装など気にもせず、植木鉢が落ちてきた場所に印をつけ、今更ながら互いに自己紹介。
 ゼミ室の窓にガラス強化シートを貼るハンニバル。気泡が入って、ムッとした顔になる。
 教授が授業に向かうのに同行するハンニバル。至極真面目な表情で、いかにもガードしているポーズで。おかげで誰も近寄れない雰囲気。
《Aチームの作業テーマ曲、終わる。》


 学生たちが帰ったゼミ室で、特任野郎4名と教授が顔を揃えた。
「階段の上からシャープペンが投下されて、頭に刺さった。外装工事のペンキが上から降ってきた。しかし、教授は無事だ。」
 そう言うハンニバルは、教授の代わりにシャープペンやペンキをその身に受けて、ペンキは極力落としたけど頭頂にはガーゼが当ててある。
「経済学部長が学長の座を狙っていて、オーブリー教授を次期学長の有力候補と見て、蹴落とそうとしているらしい。」
 と、フェイスマンが報告。
「何で私が有力候補なんですか? 人文学部長でもないのに。」
「教授、今、この学校で一番著書の数が多くて、売り上げ部数も最多なんだって。メディアへの露出も多いし。一般の人たちの間での知名度が一番高いんだってさ。さらに、外部からの問い合わせも一番多い。」
「そうなんですか? 大してアカデミックなことはしていないんですが。」
 知らぬは本人ばかりなり。
「次は俺だな。」
 コングが胸を張って口を開いた。
「アメフトファンが集まる店で、“アメフトの記事が一番載ってる新聞ってどれだ?”とか“LAクーリア新聞はどうだ?”とかと訊いてみたんだが、まずクーリア新聞を知ってる奴がいなかったぜ。」
 そう言って、コングはクックックと笑った。
「さもありなん。所詮は地方紙だ、全国紙には勝てん。」
 ハンニバルもニヤニヤと笑う。
「ということは、私の冗談を真に受けた人もごくわずか、もしかしたらいないかもしれない、と。」
「10人かそこらに訊いただけだからまだ何とも言えねえけどな。アメフトファンは五万といるだろ、中にゃクーリア新聞読んでる奴もいるかもしれねえ。この後、また聞き込みに行ってみるぜ。」
「じゃ、次、オイラね。植木鉢が落ちてきた場所に行ってみたけど、どっかの家から落ちてきたって可能性はゼロだね。自力で飛んできた可能性もゼロ。道の右と左にワイヤー張って植木鉢を吊っといて、タイミング見計らって植木鉢を落とした可能性もほぼゼロ。そんなことしたら道歩いてる人が“何で植木鉢が?”ってなるもんね。」
 相変わらずサマードレス姿のマードックが言う。
「じゃあどこから植木鉢が落ちてきたんだ?」
 早く結論を聞きたくてコングが促す。
「俺様が思うに、飛行機から。」
「飛行機? 植木鉢が落ちてきた時、上を見ましたけど、飛行機は飛んでいませんでしたよ。そもそも飛行機が上空を飛ぶような場所ではないので、飛行機が飛んでいたら気がつくはずです。」
 目撃者である教授が反論する。
「それに、飛行機が飛んでる間、普通は植木鉢投げ落とせないでしょ、窓開かないし、ドアも開かないし。」
 フェイスマンも反論する。
「旅客機だったら、そうだな。飛んでいい場所も決まってるし。」
 ハンニバルは何となくわかったっぽい。
「ヘリからなら落とせるか。でもあれは音でバレバレでしょ。」
「チッチッチ、旅客機でなければヘリでもないんだなー。」
 マードックは立てた人差し指を振った。
「答えは、多分だけど、軍用機。下からじゃ見えねえくらい、うーんと上空飛んでるやつ。だから偵察機とか爆撃機じゃなくて戦闘機だろうね。そっから落ちてきたんじゃねえかな。」
「何で軍用機に植木鉢積んで、それが落ちてくるんだ?」
 遥か上空の軍用機から落とされたイメージを思い描いて身震いするコング。
「基地から基地に飛ぶ訓練で、鉢植え運ばされたんじゃねえの? 上官が“あっちの基地の司令官に鉢植えの花を贈ろう”とか無茶言って。」
「あり得なくもないな。」
 大佐が言うんだから、そうなんだろう。
「それで戦闘機のどこに鉢植え積めるかって言ったら、複座でコパイいねえ時だったらコパイ席でいいけど、そうじゃなかったら車輪格納庫くらいしか場所ねえわけよ。」
「あそこか。」
 コングがすっごい嫌そうな顔をする。車輪格納庫に潜り込まされたことがあるので。旅客機のそこは、たまに人が潜り込んで、そしてフライト後にも生きていた例は現実世界では1件しかない。
「車輪格納庫に鉢植えの植物入れるとこまではいいとしても、それが何でロサンゼルスで落ちてくるわけ? 車輪格納庫って車輪出す時しか開かないよね?」
 そう訊いたのはフェイスマン。
「鉢植えの花を運ばされたことに対する抗議の意味を込めて? 鬱憤が溜まってたんだろうねえ。飛ぶコースも意図的にずらしてたんだと思うぜ。普通は海の上か、できるだけ人のいねえとこ飛ぶ決まりだし。」
「これ、エンジェルに言ったらどうかな? 戦闘機の訓練で鉢植えを落として危うく人に当たるところだった、って。」
 そうフェイスマンが提案する。
「そうだな、早速情報提供してやれ。」
「オッケ。教授、電話借りるよ。」
「どうぞ。」
 教授のデスクにある電話に向かったフェイスマンが、懐から手帳を出して電話番号簿を繰り、エンジェルに電話をかける。
「というわけで、教授、植木鉢の落下は教授を狙ったものではないようだ。」
「偶然だったというわけですね。しかし、今日、シャープペンが落ちてきたのとペンキが落ちてきたのは……?」
「それも偶然じゃねえのか? 命狙ってペンキぶっかける奴ァいねえだろ。シャープペンは……結構危ねえけどよ。」
 コングのモヒカンにシャープペンの先っちょが当たっても、跳ね返されそうだ。モヒカン以外のところに当たった場合には、皮膚に刺さって止まる程度。ビバ、頭蓋骨! ビバ、カルシウム!
「嫌がらせ目的だったら、ペンキもシャープペンも効果はあったぞ。」
 ペンキを落とすのが大変だったハンニバル。服は全取っ換えだったし。外壁に塗るペンキは水溶性じゃないし。溶剤で拭いたところは油を持ってかれてガサガサだし。今もまだ溶剤臭いし。
「そうだ、嫌がらせもあったんだっけか。忘れてたぜ。死骸置かれてんだったな。」
 最初に聞いたきりで、慣れない聞き込みをしている間に頭からすっかり抜けていたコング。
「鳥とかネズミとかモグラの死骸は、オイラの推理だと、犬が犯人だね。人じゃねえから犯犬か。」
 教授から直接は聞いていないけど、ハンニバルから説明を受けたマードックが言う。
「教授、犬飼ってたりはしませんかね?」
 マードックの気づきを受けて、ハンニバルが尋ねる。
「犬は、以前飼っていたんですが、今はもう……。」
 悲しげな表情になった教授を見て、ハンニバルとコングのみならずマードックも“死んだんだな”と思ったものの何も言えなかった。
「エンジェルにリークしといたよ。調べて、記事になりそうだったら使わせてもらう、って。」
 話を聞いていなかったフェイスマンが、1人だけ明るい顔をしている。
「ここまでの話を総合すると、経済学部長が早朝もしくは未明に教授の家の玄関先に死骸を置いてるってことになるけど、ちょっとイメージ違うよね。誰か現場検証した?」
「いや、まだだ。教授、これから教授のお宅に行って構いませんかね?」
「来るのは構わないんですけど、全員が泊まれる場所はありませんよ。ああ、それと、夕飯もないので、どこかで食べていくか買っていくかしましょう。」
「簡単なモンでよければ、オイラ作るよ。」
「じゃ、スーパー寄ってくか。」
「費用は私が出しますよ。」
「ありがとうございます!」
 活気づいた一同(教授含む)を見て、ハンニバルは「うむ」と頷いた。全員、頭の中が夕飯のことで一杯になり、死骸のことはまたもや忘れられている。


《Aチームのテーマ曲、始まる。》
 跳ねるバンがスーパーマーケットの駐車場に滑り込む。スライドドアを開けて駆け出すフェイスマン、マードック、オーブリー教授。運転席からコングが、助手席からハンニバルが悠然と降りて、スーパーマーケットの建物を見据える。
 カートを押すコング、肉を物色するハンニバル、野菜を品定めするフェイスマン、食玩に気を取られるマードック、スパイスやハーブの壜が並ぶ棚を見つめる教授。カートに入れられる様々な飲食物。
 レジの向こう側で横並びになって待つAチーム。クレジットカードで支払いをする教授。買ったものを紙袋に詰め込み、バンに運び込む5人。
 スーパーの駐車場から、バンがバイーンと飛び出し、ドスンと着地するなりキュッと90度曲がり、夕暮れの道路を驀進していく。
《Aチームのテーマ曲、終わる。》


 各種肉塊にオリーブオイルとハーブとおろしニンニクと塩を塗って、野菜類と共にオーブンで焼いている間に、フェイスマンにレタスを洗って千切らせ、コングにキュウリを洗って切らせ、ベーコンをざくざくと切っているマードック。教授とハンニバルはバックギャモンの対戦中。
「ドレッシング買い忘れた!」
 紙袋の中を覗き込んでフェイスマンが悲愴な顔をする。
「どうすんだ、ちっとしか残ってねえぞ。」
 冷蔵庫の中にあったドレッシングのボトルをコングが掲げる。
「だいじょぶだいじょぶ。そんなこともあろうかと思って、ドレッシング作ってる最中。」
 マードックがフライパンにベーコンの刻んだのをどっさりと入れて火にかけた。
「何でい、ベーコン焼いてるだけじゃねえか。それのどこがドレッシングだってんだ。」
「まあまあ、慌てずに見ててよ。」
 ベーコンが自らの脂で揚げ焼きになってくる。身は縮んでカリカリになり、液体になった脂がふつふつとし、いい香りが漂う。と、そこに、教授の家にあった酢をドボッと入れる。さらに塩を振り入れ、胡椒をガリガリと挽き入れる。ひと煮立ちさせたものを、ボウルに盛ってあったサラダにかけ回す。
「ほい、出来上がり。」
「こいつぁ美味そうだ。」
 サラダを受け取ったコングが、小鼻をひくひくさせて、うっとりとした表情を見せた。
 フェイスマンに皿やカトラリーのセッティングを任せ、マードックは焼き上がった肉を大皿に移した。その周囲に、一緒に焼いていたジャガイモやナスやタマネギやトマトやキノコ類を盛りつける。
「コングちゃん、これ持ってって。んで、大佐か教授に切ってもらっといて。」
 サラダを食卓に置いて戻ってきたコングにそう指示をし、天板に残った肉汁と脂を、飴色になるまで炒めておいた刻みタマネギのフライパンに入れ、冷蔵庫に残っていたワイン少々とブイヨンキューブを加えて煮立て、バターと小麦粉を練ったブールマニエを投入。とろみのついたソースをソースボートに注いで持っていく。
 既に食卓ではワインの栓が抜かれ、肉は切り分けられ、それぞれが思い思いにつまみ食いをしていた。
「ほら、これ、グレイビーソース。」
 テーブルの真ん中にソースボートを置くと、マードックも席に着いて食事を始めた。
「モンキー、このドレッシング、やっぱ美味えぜ。野菜がモリモリ食えらあ。ハンニバルも好き嫌いしねえで食ってみろよ。」
 コングに言われて、ハンニバルがドレッシングのかかったレタスを不本意そうに口に入れた。
「ん? んむ?」
 ハンニバルの目がカッと開き、次から次へとレタスやキュウリを口に運ぶ。
「そう言えば教授、玄関に死骸なかったよね?」
 マードックに問われて、チキンにかぶりついていた教授は、それを噛んで飲み込んでから口を開いた。
「今朝あった分はゴミ箱に入ってます。死骸が置かれるのは、夜寝てから朝起きるまでの間なんです。」
「じゃあ誰か、寝ずの番しなきゃだね。オイラやろっか?」
「いいのか?」
 サラダを食べる手を止めて、ハンニバルが尋ねる。
「うん、どうもオイラ、3日くらいずっと寝てたっぽいし。病院の仮装大会で看護婦さんが貸してくれたこの服着て、優勝してから記憶ないんよ。気がついたら、フェイスに手ェ引っ張られて走ってた。」
 マードックに一体何があったのか、さっぱりわからない。本人がわからないんだから、どうしようもない。何か仕出かして薬で眠らされていたのか、普通(?)に生活していたのがただ記憶されていないだけなのか。今もまだ着ている白いサマードレスが看護婦のものだということと、マードックが仮装していると自覚していることだけが明らかになったのみ。
「じゃ、モンキー、死骸の件は頼んだ。俺は明日、朝から経済学部長の周りを洗ってみる。」
 牛肉塊の中からいい色の部分だけを切り出して、グレイビーソースをかけて食べているフェイスマンが言う。
「あたしはボディガードの続きだ。」
 ハンニバルは、空になったサラダボウルを押しやった。こんなにレタスを食べたのは生まれて初めてかもしれない。
「俺ァ、飯食った後、アメフトバーにまた行ってみるぜ。」
 よく焼けた豚肉の厚切りにがぶりと噛みついて、肉汁を唇の端から垂らしながらコングがワイルドに宣言した。
「うわ、ナス美味え〜!」
 肉汁を吸ったトロトロのナスの美味さに、目を閉じて吠えるマードックであった。


 と、その時。
「ただいま。……あら、いい匂い。お客様?」
 ミセス・オーブリーのご帰還である。すらりとしたご婦人がダイニングルームに顔を覗かせた。
「お帰り。皆さん、家内のマーガレットです。マギー、こちらはAチームの、ハンニバルさん、コングさん、フェイスさん、モンキーさん。ボディガードをしてくれたり、嫌がらせの件や植木鉢の件を調べてくれてるんだ。」
「始めまして、マーガレット・オーブリーです。」
 そう挨拶をする奥方は、還暦をちょっと過ぎたくらいに見える。ハンニバルや教授より若干若いかな、という感じ。白髪交じりのブルネットをシニヨンにし、背筋もピシッと伸びており、大層真面目そう。
「マギーは図書館の司書をしていて、いつも朝から夜遅くまで働かされてるんだ。私の研究の手助けもしてくれてる。」
「手助けと言うか、下調べは全部私がやっているようなものです。私がやりたくてやっていることなんで苦にはなりませんけど、その分、帰りが遅くなってしまって、お腹ペコペコ。」
 眼鏡の奥の黒い瞳が食卓に向く。
「早く着替えておいで。一緒に食べよう。モンキーさんの手料理だ。」
「これ全部、作ったの? ケータリングやテイクアウトじゃなくて?」
「キッチン借りて、オイラが作った! ガスオーブン、最高!」
 自慢げなマードックを見て、サマードレスが気になるマーガレットだった。


 食後、コングは調査に出かけ、マードックとフェイスマンは洗い物。ハンニバルはリビングで教授と奥方と共に話をしていた。
「あの写真の犬か、飼っていたっていうのは。」
 壁際の書棚に置かれた写真立てに目をやり、ハンニバルが尋ねた。
「はい、ミニチュアシュナウザーのヒゲです。」
「ヒゲ?」
「口ヒゲを伸ばしているようなので、ヒゲという名前にしたんです、息子が。」
 日本語で「ヒゲ」。動物病院の問診票に「Hige」と書いたら「ハイジ」と呼ばれるようになったのが、息子さんの目下の悩みではあるが、それはAチームとは関係ないことこの上ない。
「私たちには全然懐いてくれなくて、息子にはとても懐いていたので、今は息子が世話をしています。」
 生きてたのか、とハンニバルは思ったが、言わないでおいた。それに、息子がいるというのも初耳だ。
「息子さんは今どこに?」
「ロンドンにいます。私の実家に。」
「年1回会えるか会えないかなんで寂しいですが、息子の長年の夢だった仕事に、やっと就けたので。」
「大英博物館の学芸員をやってるんですよ。」
「ほう、それはまた何ともアカデミックですな。」
「息子も私の研究を手伝ってくれていて、実際に会う機会は少ないですが、電話やファクシミリでの連絡はしばしば。」
 教授のボディガードをしていて、授業を1コマ行った以外はゼミ生に少々指導をするくらいで、あとは電話をしたりタイプライターを打ったり、ろくに働いていないように見えたのだが、それはあながち間違いではなかった。研究調査の実働部隊は奥方と息子であり、教授は聞いたことをまとめるだけ。しかしそれでも、年に1冊は本を出し、論文も年に4回は出しているので、傍からは精力的に研究活動を行っていると評価されているのである。
「息子さんには嫌がらせや植木鉢の件を話したのか?」
「いえ、話していません。」
「私も話に出していません。話しても、心配をかけてしまうだけなので。」
「ふむ、それじゃあ息子さんとヒゲさんは無関係ってことでいいな。」
「ええ、当然です。」
 教授の言葉に、マーガレットも頷いた。


 コングは昼に行ったのとはまた別の、アメフトファンが集まるバーに来ていた。カルーアミルクのカルーア抜きを頼み、グラスを手に空いているテーブルの前に立ち、店内を見渡す。この店でも過去の名試合のビデオをテレビ画面に映し出していた。今、画面で戦っているのは、ロサンゼルス・ラムズとシカゴ・ベアーズ。コングは食い入るように画面を見つめた。次第にゲームに没入し、無意識に拳に力が入る。すっかり聞き込みのことなど忘れて。
 と、その時、1人の男がコングに近づいてきた。
「おい。」
 初対面の男に「おい」と言われ、コングはムッとして、目をテレビからその男に移した。
「お前、B.A.バラカスだろ、Aチームの。」
「てめェ、MPか?」
「そ――
 そうだ、と言い終わる前に、コングは相手の顎に素早いフックをお見舞いした。片手だけがシュピッと動き、あまりの速さにコング以外の誰も、コングが動いたことに気づかなかった。それでなくても客の目はテレビ画面に釘づけで、わいのわいの言いながら試合を見ているもんだから、コングの行動が目撃されていなかったのみならず、2人の会話も他の者の耳には届いていなかった。
 顎先に鋭い一発を食らったMPの男は、脳振盪を起こして意識を失い、膝からくず折れるところを、コングが抱き留める。
「飲みすぎだぜ、おい。」
 そう大きめの声で言うと、コングはミルクのグラスをテーブルに残したまま、男の体を軽々と小脇に抱え、バーテンダーに「こいつ、外に放り出してくるぜ」と言って店の外に出た。そして、最寄りのゴミ捨て場に男を捨てて、パンパンと手を払うと店に戻っていった。クーリア新聞を読んでいて、アメリカンフットボールをメッラーと呼ぶことに腹を立てている人物を探すために。


 午前4時、辺りはまだ暗い。街灯の明かりが多少はあるものの、十分な明るさではない。しかし、そんな暗がりを歩く人の姿などないのだから問題はない。繁華街ならば商品を運ぶトラックが行き来したりもするが、住宅街であるここには、この時間、1台の車も走っていない。
 そんな中、こそこそと物陰に隠れながら移動する影があった。その影は、オーブリー家の前まで来ると、玄関目がけてダッシュし、玄関先にカラスの死骸を置いて走り去った。いや、走り去ろうとしたところに、上から何かが降ってきた。降ってきたのは植木鉢ではなく、2階のベランダで監視していたマードックである。マードックの両足揃えたミサイルドロップキックが、中腰で走り去ろうとした黒づくめの男の背中に見事命中した。と言うか、マードックが着地しようとしていた先にタイミング悪くそいつがいただけ。
 次の瞬間、マードックは尻餅を搗いたのみならず、勢い余って後転し、頭と膝をついた姿勢で止まった。死骸持ち込み犯は、キックを受けたその瞬間こそ「ぐえ」と声を上げたが、その後は気を取り直して、背中の痛みに耐えつつ全速力で逃げていった。
 手をついて頭を上げたマードックは、玄関先に正座して、犯人と接触(足で)はしたものの逃げられたことを理解し、肩を落として溜息をついた。
「ん? 何これ?」
 カラスの死骸の脇に、キラリと光る何かがあった。手を伸ばし、指先で摘む。装飾品の一部が欠けて落ちたようなガラス質のそれは、紺をベースに白と赤のラインが入っていた。


 それから数時間して教授と奥方が起床し、リビングルームのソファで寝ていたハンニバルとフェイスマンが起こされた。午前1時頃にはバーから戻ってきたコング(飲酒はしていない)は、バンを路駐してもよさそうな場所に停め、バンのシートを倒してそこで寝た。教授はコングに、家の駐車スペースを使うように言ったのだが、見慣れない車が停めてあったら犯人が怪しんで来なくなるかもしれない、と断っていたのだった。
「カラスの死骸を置いてった奴にキックお見舞いしたんだけど、逃げられちまった。」
 朝食の席でしおしおと報告するマードック。因みに朝食を準備したのもマードック。昨日の残りの肉や野菜を使ったサンドイッチとコーヒーまたは紅茶または牛乳。
「その犯人は、犬か? 人間か?」
 そう尋ねるハンニバル。犬にキック食らわせるのは、動物愛護の観点からよろしくない。
「人間だった。んで、これ、玄関に落ちてたんだけど、何だろ?」
 拾ったものをみんなに見せる。
「七宝じゃないかしら。バッヂかブローチか、その一部が欠けて落ちたんでしょう。」
「これはユニオンジャックの一部だね。」
 マーガレットと教授が言い当てる。
「お2人の持ち物から落ちたものではない?」
「私のものではありませんね。」×2
 確かに2人とも、こういった装飾物には学術的興味はあるかもしれないが、身につけたり所持したりすることに関しては「そんなの要らない」と言いそう。
「ということは、犯人のものか。」
 Aチームのものでもないし。
「犯人はイギリス人? それともイギリス好きの人?」
 そう訊いたのはフェイスマン。
「何でイギリス人が死骸置いてくんだ。アメフトのことをメッラーなんて言われたって、イギリス人だったら腹立たねえだろ。」
 コングがやや憤って言う。
「死骸が置かれ始めたのは半年ほど前だって言ってたな?」
 教授に向かってハンニバルが尋ねる。
「はい、そうです。もう7か月になりますか。」
「メッラー発言はいつだ?」
「最新刊が出た後ですから、ええと、4か月前ですね。」
「ということは、死骸とメッラーは関係ない。」
 ハンニバルの言葉に頷く面々。
「じゃあ何で、何が切っ掛けで、死骸が置かれてるわけ? 何度も何度も死骸持ってくるのって結構大変なのに。それも朝4時にだよ? 死骸置くために、朝4時よりも前に起きる、つまり夜9時には寝るんだよ? そんなことするなんて、よっぽど恨み持ってないとできなくない?」
 夜9時に寝るなんて、と小さく呟きながら、フェイスマンが首を横に振る。夜9時は、彼にとって活動に最適な時刻であるゆえに。
「死骸置き犯を捕まえれば、疑問も解けるだろう。コング、明日の4時までにできるか?」
「おう、余裕だ。」
「資材の調達は頼んだぞ、フェイス。」
「任せて。」
「モンキーは着替えとけ。サマードレスは夏に着るもんだからな。」
 今は秋から冬に変わる辺りである。サマードレスは寒々しい。
「ラジャー。」
 そうして、食後、Aチームは行動を開始した。


《Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。》
 開店前のホームセンターに忍び込んで、必要そうなものを物色するフェイスマン。ホームセンターの店員のユニフォームを着ているので、早めに出勤してきた本当の店員たちにも不審がられていない。
 教授宅のベランダで、手摺の柵に金具を取りつけるコング。手摺には傷をつけないように、慎重に。しかしネジを強く締めたせいで、若干、手摺の柵が潰れている。
 サマードレスを脱ぎ、いつもの姿のマードックが、洗濯機にサマードレスを突っ込み、洗剤投入口に液体洗剤をだらっと入れ、洗濯機のダイヤルを回す。ぐるんぐるん回るサマードレスを、しゃがみ込んでじっと見つめる。
 大学の構内を歩く教授のボディガードをするハンニバル。周囲では学生たちが様々なボール遊びに興じている。暴投・暴蹴・暴打された各種ボール類をグーパンで跳ね返しまくる。
 資材を持ってきたフェイスマンが、それらをコングに見せる。角材やら何やらを検分するコング。必要なものをコングがメモし、そのメモをフェイスマンに渡す。
 角材を測って切るフェイスマン。切った角材を釘やネジで留めていくコング。サマードレスを干すマードック。
 空に輝く太陽が移動していく。夕方には一仕事終え、コングが額の汗を手の甲でぐいっと拭う。
《Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。》


 翌日午前4時。懲りない黒づくめの男が、ドバトの死骸を持ってオーブリー教授宅にこそこそと向かっていた。昨日蹴られた背中には湿布を貼って。念のため、ベランダに目をやる。昨日落ちてきた男がいる様子はなかった。その他、特に変わった点はない……と思う。これまで何度もこの家に来ていたが、頭上のことなど気にしていなかったので、自分の判断が正しいのかどうかよくわからない。
 用心深く歩を進め、玄関先にドバトの死骸を置いたその時、ベランダの底部から何かが飛び出し、男の上に落ちてきた。
「うわっ!」
 思わず声を上げた。落ちてきたのは木枠だった。ただのロの字型の木枠のはずだったのに、それが落ちてくる間、空中で変形して檻になる。どんな仕組みだ?
 檻はすっぽりと男およびドバトを取り囲んだ。その頃には檻の前後左右と上部の計5面にはラティスのような格子ができており、簡単には抜け出せそうもない。下面に格子はないが、檻を持ち上げて下部から出ようにも、重くて持ち上がらなかった。それもそのはず、檻の上にはいつ飛び乗ったのか、ヒョロ長い男が乗っていた。乗っているだけなら何とかなりそうなものだが、檻の上の男はこちらに向けてオートライフルを構えている。これはもう逃げられないと観念し、男は両手を挙げた。


 犯人を捕まえたので、マードックはハンニバルとコング、フェイスマンを起こした。朝4時だというのに。
「ばっちり上手く行ったぜ、さすがはコングちゃん。」
 ベランダの床に這いつくばって待機し、タイミングを見計らって射出装置のボタンを押したマードックは、すっかり冷えた体でコングに射出装置のリモコンを返した。
 ハンニバルが黒づくめの男(ロープでぐるぐる巻き)に近づき、男が被っていた黒いタコ帽子を脱がせる。現れた顔は……全然知らない初老一歩手前の男だった。
「誰なんだ、あんたは。」
「私の名は、ベイジル・ハクスリー。」
 尋ねるハンニバルに、男は素直に名を告げた。
「7か月前からしばしばここの玄関に置かれた死骸は、全部あんたの仕業か?」
「そうだ。」
「このガラスはあんたのものか?」
 昨日落ちていた破片を見せる。
「ああ、ここで落とした時に割れたのか。そうだ、私のキーホルダーの一部だ。」
「じゃあ全部話してくれたら後で返しましょう。さて、何であんたは死骸を置いてたんだ?」
「リチャード・オーブリーに嫌がらせをするためだ。」
 実にストレートである。
「何で彼に嫌がらせをしてたんだ?」
「奴がマーガレットを誑かしたからだ。」
 意外な発言にざわめくAチーム。
「その辺、詳しく。」
「4、50年前、私はマーガレットの家の近くに住んでいたんだ。彼女は昔から聡明で美人で、大人からの信頼も得ていて、憧れの女性だった。憧れのお姉さんと言ったらいいかな。幼い頃には、時々遊んでもらったりもしたものだった。彼女がくれたクッキーは、本当に美味しかった。」
「普通、男子って、ルックスの可愛い、頭はそれほどよくない女の子に惚れるもんじゃない? 奥さんはそれとは違う感じなんだけど。」
 21世紀には差別だと騒がれる発言だが、今ここは20世紀なので問題ない。
「他の奴らはともかく、私はマーガレット一筋だったんだ。だが、私は頭も悪く、運動も別段得意ではなく、性格も捻くれていて、見目も平均程度。家も貧しく、父親は日雇い、母親も縫製工場に働きに出ていた。両親とも、仕事をクビになることも多かった。そんな私がマーガレットに気持ちを伝えるなんておこがましくて、ただ見ているしかできなかったんだ。しかし、私はマーガレットと釣り合う男になるべく、できる限りの努力をした。成績も上がってきて、身なりにも気をつけた。あともう少し、というところで、家賃滞納でフラットを追い出され、もっと貧しい地域に引っ越すことになった。私は彼女に黙って消えようと思っていたんだが、私が引っ越すことを誰かから聞いたのか、彼女が私に会いにきてくれて、キーホルダーをくれたんだ。」
「それが、これか。」
 手に持っていたガラス片に目を落とすハンニバル。
「そうだ。彼女は何も言わずにキーホルダーをくれただけだったんだが、家の鍵と車の鍵をキーホルダーにつけられるような男になれ、と、そう言われたような気がしてな。引っ越した先で、私はがむしゃらに勉強をして、大学にも行き、真っ当な仕事にも就いた。金も稼ぎ、自分の家も手に入れ、車も買った。自分の会社も持った。そうして、彼女がくれたキーホルダーに鍵をつけた。」
「それが、何で、ここで嫌がらせをしてるんだ? 話からすれば、ロンドンかその辺りの会社社長なんだろう?」
「1年ほど前、癌に罹っていることがわかったんだ。死ぬ前にマーガレットにもう一度会いたくて、彼女の生家を尋ねたら、結婚してアメリカにいると知らされた。何でも、勤め先の図書館に足繁く通っていたアメリカの研究者と意気投合して結婚したとか。マーガレットは、そんなどこの誰かわからないような男に気を許す女性じゃない。見合いで結婚することはあれど、そこいらの男と意気投合して結婚するような女性じゃない。リチャード・オーブリーがきっと彼女の弱みを掴んで彼女を脅迫しているか、さもなくば何らかの罠を仕掛けて彼女を陥れたに決まっている。そんな奴に嫌がらせをして、何が悪い?」
「嫌がらせは、どんな理由があろうと悪いですよ。」
 ハンニバルが呆れたように言った。
「もうそろそろマーガレットも教授も起きてくるだろうから、直接話すといい。」
「それまで、こっちの進捗状況、報告していいかな。」
 犯人の存在を無視して、フェイスマンが話を始めた。
「経済学部長には“オーブリー教授は学長になろうという気などありません。人文学部長にさえなっていないのに”って話しといた。“経済学部長が発表なさっているような、世界の動向に影響する研究をしているのではないことを引け目に感じているようですよ”って言ったら、いい気になっちゃってね。これで学内で攻撃される可能性はなくなったって言っていいんじゃないかな。」
 そう言って、ドヤ顔を見せる。
「こっちも報告しとくぜ。クーリア新聞を取ってるって奴がいたけどよ、教授のインタビューは読んでなかった。メッラーの話をしてみたら、大笑いされただけだったぜ。」
 コングも昨夜の収穫を披露する。
「おはよう、皆さん。今日はお早いお目覚めね。」
 ちょうどいいタイミングでマーガレットが2階から下りてきた。
「そちら、もしかして、犯人さん?」
 ぐるぐる巻きで床に座らされている人物に目をやる。
「あ、あの、私、覚えていらしゃらないかもしれませんが、ベイジル・ハクスリーです。子供の頃に遊んでいただいたベイジルです。」
 ハクスリーはそうマーガレットに訴えるように言った。
「……ああ、いたわね、近所に住んでた子。」
 覚えていてもらって感涙に咽ぶハクスリー。
「この破片、あんたがこいつにやったキーホルダーの一部だそうだ。」
「…………そう、確か母が“ハクスリーさんちが引っ越すから、ベイジルにお別れしてきなさい”と――
 “これをベイジルにあげなさい”と母親から渡されたのが、ユニオンジャック柄のキーホルダーだったのだ。それを思い出しはしたのだが、言わないでおいた方がいいだろうと判断して、マーガレットは口を閉じた。そのキーホルダーを見て“ダっサ”と思ったのも言わないでおく。当時マーガレットはそれが七宝だと知らなかったが、今になって母親は“そこそこ値の張る七宝ならば路頭に迷った時に売れば多少の金になる”という意図からベイジルに渡すように言ったのだと理解した。
 さらにマーガレットは思い出した。キーホルダーを握って持っていく間、“大きさの割にやけに重い”と思ったことを。
「ベイジル、あのキーホルダー持ってる?」
「ええ、もちろんです。」
「ちょっと見せてもらえるかしら?」
「ジャンパーの右ポケットに入ってます。」
 と、ハクスリーはAチームの方を見た。ふう、と息をついて、コングがロープをぐるぐると解いていく。ポケットが現れたところでハンニバルがハクスリーのポケットに手を突っ込んでキーホルダーを取り出し、マーガレットに渡す。それを受け取り、マーガレットは重さを確かめるようにした後、眼鏡を上げてキーホルダーの表面をじっくりと見た。
「これ、18金ね。」
「真鍮じゃないのか。」
「鍵と擦れて削れたのか18Kの刻印は薄れているけど、わずかに残ってる。」
「今、金ってグラム20ドルくらいだっけ。18金ならその大きさだと50グラムくらい? ってことは、24分の18だから――
 フェイスマンが暗算を諦め、懐から電卓を出して計算する。
「大体750ドルか。案外行くね。」
「そこに七宝の値段も足せば、800ドルは余裕で超えるわ。当時、これを売っていたら、1か月くらいは衣食住に困らなかったでしょうね。」
「そんな、あなたからいただいたものを売るなんて、それの価値を当時知っていたとしても、できません。」
 きっぱりとハクスリーが言う。
「おはようございます、少々寝坊してしまいました。」
 早足に教授が階段を下りてきた。
「おや、そちらは?」
「死骸を置いていた人。私がローティーンの頃のご近所さん。」
「お前、この人に何か恨まれるようなことでもしたのか?」
 見当違いも甚だしいことを言う教授。
「いやいや教授、この人が恨んでるのはあんたですよ。」
 何言ってんだこいつ、と言いたいのをぐっと堪えてハンニバルが教える。
「なぜ? 面識もなかったのに。」
「マーガレットと結婚したからに決まってるだろう!」
 ハンニバルが言う前にハクスリーが声を荒げた。
「ああ!」
 合点が行った、というように、教授はポンと手を打った。
「悪いけど、そこは譲れません。私にはマギーが必要なんです。マギーでなければダメなんです。」
「私もよ、リッチー。私もあなたでなければ、一緒にいて楽しくないもの。」
 この夫婦、恋愛とは縁遠そうに見えて、案外ラブラブである。研究や調査が絡んでいるかもしれないけれど。
「それに、あなた。あなたの置いたハトの頭のせいでマギーは転んだんですよ。膝と肘を擦り剥いて、腰に打撲。下手をしたら骨折していたところです。」
「やめてよ、恥ずかしい。」
 マーガレットが小声で言い、手の甲で夫の胸をポンと叩く。ツッコミの動作である。
「申し訳ありませんでした!」
 ハクスリーはマーガレットに向かってガバッと土下座した。英語で言うところのドゲーザ。
「あなたを転ばせてしまうなんて! 二度とこんなことはいたしません。教会で懺悔して、警察に出頭します。」
「死骸を置いていくのをやめてくれれば、それでいいわ。自首しても、警察の手を煩わせるだけでしょ。」
「はい、死骸を置くのはやめます。死骸を集めるのも大変でしたし。」
「てめェが殺したんじゃねえのか?」
 カラスやハトやネズミやモグラを捕まえては殺しているものだと思っていたコングが凄む。
「殺そうにも、生きているのを捕まえることができませんでした。罠を仕掛けようかとも思ったんですが、死骸を探す方が楽だとわかったので。」
 そんな知見、要らない。
「さあ、これで一件落着ということでよろしいかな?」
 そろそろ朝食にしたくて、ハンニバルが話を進める。
「嫌がらせをやめてくれるのなら、こちらとしてはそれでいいんですけど、ハンニバルさんたち、特任講師の講義は?」
「……それがありましたな。」
 ハンニバルが額に手をやって、「たはー」という表情を見せた。


《Aチームのテーマ曲、再び始まる。》
 オーブリー教授のゼミ室で教授席に座って、真剣な顔でタイプライターを叩くハンニバル。ゼミ生の席を借りて紙に向かってペンを走らせるフェイスマン。図書室の席に着いて、猛スピードで本を読むマードック。大学のジムで筋トレをするコング。学食で紅茶を飲みながら、教室使用申請書を4枚書く教授。
 特別講義を告知するポスター&チラシの原稿をA4判で作るAチーム。完成した原稿はオーブリー教授のOKを貰った後、コピー機でコピーできる最大の大きさで数枚コピーし、原寸大のコピーを何枚も作る。
 協力し合って、大学の掲示板にポスターを貼るAチーム。さらに、大学内のあちこちにA4判のチラシを貼っていく。カメラがポスターに寄っていく。特別講義の題目は――ハンニバルによる『変装入門〜特殊メイクはいかが?』、コングによる『価値ある筋肉の育て方』、フェイスマンによる『物資調達の極意(ついでにナンパも)』、マードックによる『イマジナリーアニマルフレンドの有用性』。
 ポスターやチラシを見て、真剣に熟読する学生、仲間たちと笑い合う学生、スケジュール帳と特別講義の日付を照らし合わせる学生。多くが興味深そうにしていた。
 そして、特別講義当日。通常講義の半分の時間の講義が、通常講義が終わった後の時間帯に開催された。いずれの講義も同じ教室で、間の休憩は10分。講義の順番は、まずハンニバル、次にフェイスマン、そしてマードック、最後にコング。
 特任講師による特別講義は、学内の全学生が学部学科関係なく自由に出席できるが、単位にはならない。それでも試験があるわけでもレポート提出があるわけでもないため(任意のアンケートはある)、どの講義もなかなかに盛況で、出席した学生たちは真剣に話を聞いてメモを取っていた。特任講師が話をするだけでなく、スライドを見せたり、実技を交えたり、学生に発言させたりと、4講義とも厭きない構成になっていた。
 コングの講義が終わり、学生を帰らせ、片づけをして施錠をし、鍵を19時には事務に返却。19時を過ぎると事務員が怒るので。
 帰ろうとしたところで、出待ちしていた学生たちに囲まれ、質問されるAチームの面々。嬉しそうに質問に答えていく。しかし、オーブリー教授にやんわりと解散するように言われ、学生たちに手を振る。コングのバンに乗り込み、学校の敷地を出たところで、ハンニバルはニッカリと笑って葉巻を咥えて火を点けた。
《Aチームのテーマ曲、再び終わる。》


 数日もすれば、外部講師のユニークな講義が学生に好評だったことが、学内だけでなく学外にも知られ、クーリア新聞社の記者がオーブリー教授にインタビューに来て、教授の株が上がることだろう。経済学部長がやっかまないように、とのフェイスマンの根回し(経済関係の講師によさそうな仕事をしていて、特別講義をやってくれそうな人物のリストを渡す)により、将来の嫌がらせ不安も解消済み。
「本当にどうもありがとうございました。」
 オーブリー教授は家のリビングルームで4人の手をぎゅっと握って回った。
「これは、ほんの気持ちですが。」
 教授が封筒をハンニバルに渡すと、ハンニバルはそれをフェイスマンに回した。
「中を検めさせていただきます。」
 封筒の中を覗き込んで、小切手の額面を確認する。Aチームの報酬として妥当な額と判断して、フェイスマンはこっくりと頷いた。今回は銃火器を使っていないし、食費もかかっていないし。ペンキがかかったハンニバルの服のクリーニング代は、大学の外装工事を請け負っていた工務店から十分に貰ったし。
「特別講義の講師料はどうしましょうか。お支払いできるのは来月末になると思います。私がまとめて銀行に振り込むとか、あるいは小切手をお送りするので構いませんかね?」
「でしたら、こちらの口座に振り込みをお願いします。」
 と、フェイスマンが懐からカードを出して教授に渡す。
「はい、来月末、必ず振り込みます。」
 カードを受け取った教授は、尻ポケットから財布を出すと、その中にカードをしまった。
「あのさ……。」
 マードックがおずおずと挙手した。
「オイラの耳にサイレンが聞こえんだけど、空耳?」
「サイレンだと?」
 そこにいる全員が目を閉じて、耳に神経を集中させた。1分ほどしてコングが「聞こえたぜ、確かにサイレンだ」と言い、その30秒後にフェイスマンも「聞こえた聞こえた」と言い、そこからさらに約1分、ハンニバルと教授の耳にもサイレンが聞こえた。その頃には、もう普通にサイレンが聞こえている。
「このサイレン、MP? 何で俺たちの居場所がわかったわけ?」
 あわあわするフェイスマン。
「そりゃあ大学で大勢の前に出ましたからねえ。中にはあたしらのことを知ってる先生や学生だっていたでしょう。」
 のんびりとしているハンニバル。絶対にMPには捕まらないという、根拠なき自信があるので。
「そう言や、昨日か? 一昨日だったか? その前だったかもしんねえな。バーでMPのヒヨッコ、一発で沈めてきたぜ。」
 ニヤリと笑うコング。
「もうコング、そんな話してる場合じゃないでしょ、早く逃げなきゃ、ハンニバル。」
 コングとハンニバルの服を引っ張って、玄関に向かうフェイスマン。既にマードックは教授に「じゃあね」と手を振って、ドアの外に出ている。
「それじゃ、また何かあったら言ってくれ。」
「はい。ありがとうございました。」
 こうしてAチームはオーブリー教授宅を後にした。
 4人が乗り込んだバンが教授宅の駐車スペースから発進して、家の前の道路を北に向かった。次の瞬間、MPカーが南からやって来て、バンの後ろ姿を見つけて全速力で追いかけていく。
 サイレンの音が小さくなっていくのを聞きながら、教授は“サイレンの語源はセイレーンだよな。一体いつからサイレンってあるんだ? 文学作品に初めて登場したのは、いつ? どの作品?”と気になってしまった。次の教授の論文は『イギリス文学内の音』になりそうである。


 それから数日後、コングはバンをだだっ広い場所に停めた。遠くに赤い岩山、足元は乾いた大地、周囲には小さな枯れた茂みが散在している。
「ここが、フェイスの指定した場所だ。」
 コングの言葉に頷く他2名(ハンニバルとエンジェル)。3人はヘルメットを被って車から降りた。無論、コングのヘルメットはモヒカンのせいで少し浮いてる。耐衝撃性は高そう。
「時間もそろそろだな。」
 左手の袖口と革手袋を掻き分けて、腕時計を見るハンニバル。
 天気は晴れ。と言っても快晴ではなく、雲はある。だが、曇と言うほどではない。3人は掌を額に掲げて空を見上げた。空の写真を何枚か撮るエンジェル。
「3、2、1、0。」
 ハンニバルがカウントダウンをした。それからちょっとして空に点が見え、コングが口を開く。
「見えたぜ、来るぞ!」
 エンジェルがカメラのシャッターを切りまくる。そして……。
 バコンッ!
 植木鉢が落ちてきて、割れた。飛び散る破片や土、無残な植物。それを撮影するエンジェル。
 一頻り写真を撮ったエンジェルは、満足そうに鼻から息をムフーとついた。
「空に飛行機が飛んでいるとわからなくても、植木鉢は落ちてくることが実証されたわ。ありがとね。じゃ、戻りましょう。」
 割れた鉢植えを放置して、エンジェルはバンに乗り込んだ。ハンニバルとコングも、鉢植えを一瞥して、バンに戻った。


 地上からは見えないくらい上空では、ちょろまかした複座の戦闘機に乗ったマードックとフェイスマンが、上手いこと“うっかりと車輪を出してしまい車輪格納庫に置いておいた鉢植えを落としてしまった”のはいいものの、このままどこかの基地に着陸したら逮捕されるに違いないので、どうしようかと飛び続けていた。もう下は海だし、レーダーには“後ろから何か来てる。沢山来てる”と出ている。
「もうこの際、逮捕されて、その後、脱走して地上を逃げよう。」
 レシーバーからフェイスマンの諦め混じりの声が聞こえる。
「フェイス、オタクお尋ね者なんだから、MPに捕まったらそう簡単には脱走できねえっしょ。かと言って、パラシュート使って降りると、降りたとこバレバレだし。」
 マイクに向かってマードックが言う。
「この服でどんくらい泳げそう?」
「1マイルか、頑張って1マイル半くらい?」
「オッケ。1マイルくらい泳いだら上陸できそうなとこで、何気なく落とすぜ。俺っちは逮捕されても、狂って見せれば、病院に戻されて拘束服着せられて電気ショック食らわされて独房に入れられるだけだから、きっとだいじょぶ。」
 それ、大丈夫なのか? とフェイスマンが思った直後。
「はい、行くよー。キャノピー開けてー。」
 マードックの声が指示をする。
「え、こう?」
 コパイ席のキャノピーが吹き飛ぶ。
「うわああああ、風があああ!」
 叫んでいる場合ではなかった。機体が逆さになり、背面飛行になる。頭上が海面と言っても過言ではない。
「首に気をつけて、できるだけ丸まって。はい、落ちる!」
 フェイスマンは体を丸めて海に落ちた。しかし、戦闘機から落ちたフェイスマンは慣性で戦闘機と同じ速さで動いているのだから、その速さで海面にぶち当たるのだから、超恐いし超痛い。水切りの石のように海面を飛んでいく。空気と比べて水の何と高密なことよ。体感からすれば、岩にぶち当たっているのと大差ない。耐Gスーツにあれこれついている部品が摩擦でどんどん落ちていく。そのたびに引っ張られて痛い。耐Gスーツも破けていく。
 気絶しそうだったけれど、フェイスマンは根性で意識を保ち続け、速さがある程度緩んだところで肘を張ったり脚を伸ばしたりしてブレーキをかけた。すっかり止まってから、今はもう邪魔なヘルメットやボロボロになった耐Gスーツを脱ぎ、フライトスーツだけになる。上空を見ると、マードックの乗った戦闘機が後ろから攻撃を受け、煙を吐いていた。ややあって、マードックが座席ごと飛び出し、パラシュートでゆっくりと着陸する。操縦者に見放され、墜落して爆発する戦闘機。
 空に、親指を立ててウインクするマードックの姿(サマードレスを着てソフトフォーカス)が浮かび上がる。画面手前は、立ち泳ぎするフェイスマン。
「……絶対、あっちの方が楽じゃん。」
 そう呟くと、深々と溜息をつき、フェイスマンは岸に向かって泳ぎ始めた。
【おしまい】

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