目指せ8時間30分! の巻
鈴樹 瑞穂
 病院での生活は規則正しくならざるを得ない。朝は6時に起床、朝食は7時から。正午になると昼食が運ばれてくる。夕食は18時で、21時になると消灯である。
 退役軍人病院ともなると入院生活も長い患者が多く、消灯後も個々にイヤホンを繋いでTVを見たり、タブレットで動画を楽しんだりと、実際の就寝時間はまちまちであった。例に漏れず、マードックもむしろ消灯時間からがその日の始まりとばかりに活き活きと活動し始める生活を送っていたのだ。それが――
「モンキー、かき氷作るけど何味にする?」
 夕食の後片づけも終わり、フェイスマンがキッチンからリビングを覗いて声をかける。久し振りに合流したマードックのために、シロップもメロンにいちごにレモンにブルーハワイと一通り揃えてある。いつもなら大喜びで飛んでくるはずである。
「おっ、そろそろ約束の時間だ。じゃあ俺っちは寝るぜ! お休み!!」
 マードックが早々にそう言い出し、あまつさえ本当に寝室へと引っ込もうとしたのに、フェイスマンが目を丸くする。
「ちょっ、約束って何? まだ22時だよ!」
 フェイスマンの認識では、マードックの就寝時刻は早くて25時、通常は27時だ。日付が変わる前にベッドに入るなんて、なし寄りのなしである。
 ちっちっ、と人差し指を振りつつ、マードックが言う。
「眠りの約束の時間の前後30分以内に寝なきゃいけねえんだよ。そんで毎日8時間30分は寝ねえと。カ○ゴンが育たねえからな。」
 フェイスマンはポケットからスマホを取り出し、おもむろにググった。最初にヒットした記事に目を通す。
「睡眠アプリ? まさかこれをやって!?」
「おうよ。ようやく自分の睡眠リズムを掴めてきたところだぜ。今んとこ、ごほうびスタンプも毎日ゲットしてる。今週のカビ○ンはこんなに大きく育ったぜ。」
「眠りの約束は何時にしたんだ?」
「22時30分。」
「何だって!」
 フェイスマンは思わず顎が外れそうになった。クレイジー・マッド・マードックに規則正しい生活を送らせる睡眠アプリ、恐るべし。呆然としているフェイスマンの手からマードックがスマホを取り上げ、ささっと操作する。
「はいよ、フェイスのもアプリ入れてやったぜ。」
「ちょっと待った、俺はそんなもの。」
「いいからいいから。遠慮せず1回やってみ。朝起きるのが楽しみになるぜ。」
「遠慮じゃない! あっ、勝手に眠りの約束を設定するなああ!」
「22時30分っと。」
 無情にも設定ボタンをポチリと押したマードックが、次いでリビングのローテーブルに置かれていたハンニバルのスマホにもアプリを入れる。興味津々のコングは自らマードックにスマホを差し出して設定してもらっていた。


 こうして、半ば無理矢理にベッドに入ることになったAチーム。フェイスマンはスマホの時刻表示を見て溜息をついた。ちょうど22:30。眠りの約束の時間である。戦地にいた頃には眠れる時に眠る生活を送っていたものの、引き揚げてからこんなに早く寝た記憶はない。
「何で俺がこんなこと。」
 ぶつぶつと文句を言いつつも、フェイスマンはしぶしぶアプリを起動したスマホを枕の上に置いて横になった。明日の朝、自分だけが睡眠の計測に失敗し、みんなの話に乗り遅れたら悔しい。
「こんなに早く眠れるわけ……すーっ。」
 自覚はなかったが、意外にも寝つきのいい男、フェイスマン。寝つくまでにかかった時間は3分であった。


「やあ、ポ○○ンスリープの世界へようこそ。」
 白衣の男にいきなり声をかけられて、フェイスマンはハッと顔を上げ、慌てて周囲を見回した。牧歌的な草原に燦々と陽射しが降り注ぎ、暑くもなく寒くもない、穏やかな環境である。
「わたしはネ○リ、ここでポ○○ンの眠りについて研究をしているよ。君にもわたしの研究を手伝ってもらいたい。」
「研究?」
 フェイスマンはにこにこしている相手を思わず観察した。丸顔童顔に丸眼鏡。博士と言うには貫禄がない。一応白衣は着ているが、首から提げているのはカビゴ○型のアイマスクである。そしてその後ろから顔を出したのは、右腕に枕を抱え、ネズミキャラのイラストが全面にプリントされたTシャツを着たオジサンであった。
「わしは枕職人のマクラーじゃ。最高の枕を目指して日々枕を作っておる。」
「は? ○ロリにマクラー?」
「いかにも。お前さん、3分で寝つくとは、睡眠負債を抱えておるじゃろう。」
「へ? 睡眠負債??」
 戸惑うフェイスマンにお構いなしに、マクラー氏はぐるぐると四方八方からフェイスマンの頭部を眺め、大きく頷いた。
「うむ、お前さんの頭の形はM−12345タイプ。よって最適な枕はコレじゃ。」
「いやそれ最初から抱えてた枕でしょ!?」
「まあまあ細かいことは気にしない。とにかくこの島の○ビゴンたちからは周りのポ○○ンを眠りにいざなう不思議な力が出ている。そこでこの、わたしの開発した“睡眠シンクロ装置”で君の睡眠とカ○ゴンの睡眠をシンクロし、眠りの力を何倍も強くして、世界征服を目指そうと思う。」
 この博士、何言っちゃってんの。
「睡眠シンクロ装置はこの枕に仕込んであるぞい。」
 この枕職人も、何言っちゃってんの。思わず白目になるフェイスマンに、博士は何やら黄色い生き物を両手に抱えて差し出した。
「君と一緒に研究する最初の相棒としてピ○チュウを預けよう!」
 その生き物はフェイスマンと目が合うと、首を傾げて一声鳴いた。ピ○チュウ! 何だ、これ。か、可愛いぞ。
 気づけばフェイスマンは枕とピカ○ュウを受け取り、丸い敷物の上で大の字になって寝ているカビ○ンと一緒にその場に取り残されたのであった。
 こうなったらもう仕方がない。怪しげな装置で寝るのは抵抗があるが、ピカチュ○は可愛いし、カビゴ○は実に気持ちよさそうに眠っている。そよそよと風の吹く草原は心地よく、昼寝日和だ。そうだ、これは夢だ。だったらもうここで寝てもいいのではないか。
 覚悟を決めたフェイスマンは枕を置いて横になった。するとピ○チュウがぽてぽてと歩いてきて、腹の横辺りにぽてんと丸まり、背中を押しつけてすやすやと眠り始めたではないか。こ、これはもう動けないぞ。フェイスマンがドキドキしつつ、じっとしていると、今度はとてとてと○トカゲが。フ○ギダネも、ゼニ○メもいる。そろそろと寄ってきてはすぐ近くで寝始める。何だ、ここは。天国か。癒されるなあ。よし、俺も寝よう。満ち足りた心持ちでほうっと息をついて瞼を閉じ、そして最後の最後にフェイスマンは気づいた。
 あのマクラーの着ていたTシャツ、○カチュウじゃなくてミッ○ーだったぞ!? 権利的に大丈夫なのだろうか。まあ夢だからいいか。


 ピピピピ……。
 スマホのアラーム音にフェイスマンはハッと目を覚ました。一体いつの間に寝落ちていたのか(ベッドに入って3分後)。アラームを止めるためにスマホを取り上げて、フェイスマンは驚いた。画面の中では、昨夜より一周り大きくなったカビ○ンの周囲で、ピカ○ュウと○トカゲがすよすよと眠っているではないか。夢じゃなかった!
「うわ、可愛いな……。」
 すっかりデレデレな表情で、フェイスマンはアプリを終了した。睡眠時間は8時間35分。よく寝たせいか、何だか体も軽い。それに何より、ピカチ○ウが可愛い。こんなに可愛い子を放置するわけには行かない。フェイスマンは胸に誓った。今夜も早く寝よう。


 それからしばらく、Aチームの面々は22時30分になると一斉に寝室に引き取る生活を続けた。眠りの約束の時間はスタンプカードが新しくなるタイミングで変更すればよい、ということに気づくまでその生活リズムが続けられ、おかげでこの夏は健康的に過ごせたのだった。
【おしまい】
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