ウォーリーを探せ!(ウォン・リーとモンキーも探すこと。)
フル川 四万
〜1〜

「空が広いなあ。」
 フェイスマンは、そう言って彼方の空を見上げた。爽やかな風にアロハシャツがはためいている。眩しげに翳した腕の下から仰ぎ見る真っ青な空、そして、水平線で空に繋がる海は、黒いほど青く、静かに凪いでいる。
「尋常じゃねえ暑さだけどな。」
 コングがそう言うと、フェイスマンに当たっていた扇風機をぐいっと自分の方に向けた。爽やかな風が去っていったことへのささやかな不満を、下がり眉をさらに下げることで表明するフェイスマンである。
 ここはマイアミビーチの小さなシェイブ・アイスの屋台。屋台の軒の看板には、『デイビッドのレインボー・アイス・ショップ』と書かれている。モスグリーンのタンクトップと迷彩ズボンに鉢巻き姿のコングは、群がるちびっ子のためにせっせと氷削り機のハンドルを回している。バドワイザーの紙コップに、みるみる山盛りになるかき氷を、両手で押し潰して丸く形を作り(丸く作っているつもりだが、指の跡がくっきり残る残念な出来栄え)、色とりどりのシロップをかけて子供らに渡す。
「おじちゃん、今日デイビッドおじちゃんは?」
 1人の少女がコングに問うた。
「奴は今日は休みだ。ほら、零すんじゃねえぞ、嬢ちゃん。」
 受け取った少女が、わぁい、と声を上げて、木陰で待つ親の方へと走っていった。
 その子供たちと擦れ違いに、1人の老婦人が屋台へと近づいてきた。
「へいらっしゃい、何味にするんでい。」
 コングが老婦人に声をかける。
「レインボーを1つ。紫は何の味かしら? グレープ? ブルーベリー?」
「グレープだ。果汁は1%も入っちゃいないが、フレーバー&フレグランス社の高級香料を使ってっから、風味は100%ブドウだ。」
「じゃあ、それだけ抜いて6色のをください。ブドウは好きじゃないので。それと、スミスさんはいらっしゃいます?」
「6色レインボーな、毎度あり! おーいハンニバル、お客さんだぜ!」
 カップを手にコングが叫んだ。すると、ビーチパラソルの下で寝そべっていたハンニバルが、むくりと起き上がった。ミラーのナス型サングラス、鼻には日焼け止めの線が白く輝いている。ハンニバルはサングラスを外して頭に乗せ、つかつかと歩み寄ると、老婦人に右手を差し出した。
「マーサ・ウッドだね、あたしがジョン・スミスだ。それじゃ、さっさと移動しよう。ここは暑くてたまらん。」
 ハンニバルの言葉に、手早く撤収を始めるコング。無断で借りていたデイビッドさんの屋台を、元あった場所に戻し、元々ついていた本日定休日の札を下げる。氷だけは持ち込みだったが、これは放っておけば融けるだろうから放っておくことに。


 所変わって、ここは目下のAチームのアジト。ビーチからほど近い低層のコンドミニアム。例によってフェイスマンが、その社交力をもってガールフレンド(女医だか何だか言ってたけど忘れてしまった。しかし美人で金持ちなのは確か)から借り上げたバカンス用の住居だった。
「それで、俺たちに頼みたいってのは、どういう用件だ?」
 ソファに沈み込むように小さな体を丸める婦人、マーサ・ウッドにハンニバルが問うた。その横から、フェイスマンがそっと温かい紅茶(高いヤツ。もちろん家の備えつけ品)を差し出す。酷暑の表から急にキンキンに冷房の効いた室内に入ったため、体格の小さい女性は手足が冷えて、温かい物が欲しくなっている感じだったので。こういうところが、フェイスマンのフェイスマンたる所以である。彼女は、ほっとした表情でフェイスマンからカップを受け取った。
「息子を探してほしいんです。」
 マーサ・ウッドが紅茶のカップを両手で包み、温かい紅茶を啜ってそう言った。
「息子さんが行方不明なのか。警察には届けた?」
「届けましたが、事件性はないと判断されて、届け出は却下されました。」
「ほう、事件ではない、と。」
「何でだ? 家族に何も言わずにいなくなったんだろ?」
「書き置きがあったんです。」
 と、1枚の紙を見せた。ルーズリーフに書かれた手紙には、『いい先生を見つけたんだ。彼に弟子入りして、今度こそよくなって帰るから、心配しないで。ドント・ウォーリー! ウォーリー』と。
「ウォーリーは病気なのか。何の病気なんだ?」
「何の病気なんでしょうか……あの子は一応、帰還兵の扱いで、先月まで退役軍人精神病院に入院していました。」
「何でい、モンキーのお仲間かよ。」
 コングが忌々しげにそう吐き捨てた。
「……私には、ちょっと気が弱いけれど、小さい従妹たちの世話をよくしてくれた、優しい普通の子に見えるんですが。本人曰く、戦争で受けたPTSDのせいで、就職はできないし、彼女もできないし、おまけにビデオゲームがクリアできないのも戦場で受けた心理的外傷のせいだと。軍隊に2週間しかいなくて、出兵前に終戦してしまったので戦場にも出ていないんですけれど……。それなのに、僕は帰還兵だ、と言い張って、自分で志願してわざわざ退役軍人精神病院に入院したんです。でも、お医者さんが、この子には、他害も自害も心配がない、むしろ他人のお世話に長けたところがあるから、そういう職場で、少しずつでも社会に溶け込む訓練をした方がいい、と仰って、退院して家に帰ってきたばかりだったんです。そしたら、この置き手紙を残して、失踪してしまいました。」
「知らなかった。退役軍人精神病院って志願して入れるんだ。」
 と、フェイスマン。
「俺も知らなかったぜ、しかも、ちゃんと退院もできるのか!」
 コングも驚きを隠さない。
「そりゃそうだろ、病院なんだから入院もすれば退院もする。因みにモンキーは、退院できないんじゃなくて、あそこが好きで住んでるだけだ。」
 ハンニバルの言葉に、それもそうか、と納得する2人である。
「しかしマーサ、本人が心配しないで、って言っているなら、その通り心配しないでいいんじゃないか? ここは自由の国だ。実家を出て、どっかにフラッといなくなる権利だってあるだろう。成人なんだし。」
「それが、心配になって、あの子の部屋に入ったら、こんなものが大量に。」
 マーサがマクラメ編みのバッグから取り出したのは、粉薬らしき小さな包み。漢字で何か書いてあるが、ハンニバルとマーサには小さくて見えない(老眼)し、そもそも漢字は読めない。
「薬……みたいだな。」
 フェイスマンが一包開けて、匂いを嗅いでみる。
「薬草みたい。一般的な物じゃないね。何なのかはわからないけど、悪い薬って感じはしない。」
「ふむ。まあ、息子さんを心配する気持ちはわかる。俺たちが居所は探してみよう。だが、見つかった後で、帰るかどうかの判断は息子さんに任せてほしい。」
「はい、それはもう。私は、ウォーリーの無事さえ確認できればそれ以上は申しません。これが、あの子の写真です。」
 マーサは1枚の写真をAチームの前に置いた。丸メガネのヒョロッとした青年が笑顔でピースしていた。


〜2〜

 ここは退役軍人精神病院。怪しげな白衣の男が、白い廊下を靴音高く歩いていく。口元には取ってつけたようなナマズ髭。胸に偽の入館証を下げ、丸い中華帽と丸サングラスの男は、通りかかった看護師の女性に気安く話しかける。
「ねえ、事務室どっちだっけ?」
 そう言ってサングラスを外す男を最初は訝しげに見ていた看護師も、サングラスの下の男前に少し警戒が緩む。
「事務室あっちだけど、何か用?」
「ああ、ごめんごめん、僕はこういう者なんだ。」
 さりげなく肩を抱きながら、胸ポケットから出した身分証明証をチラ見せする。
「国立……中国……医局員?」
「ああ、精神疾患の治療に中国四千年の歴史を持つ漢方薬と鍼治療と按摩を採用した新しいハイブリッド医学を軍事に応用する方針を国が打ち出しているのは知ってるよね? 確か、年初の学会誌に載ってたはずだけど。」
「……え、ええ。そんなのあったかも。」
 長ったらしい説明に途中で考えることを放棄した看護師は、曖昧にそう答えた。
「それで、実験台としてここの患者が選ばれてね。マードックさんはいるかな?」
「ああ、わかったわ!」
 看護師は、思い出した、と言わんばかりの明るい表情で、こう続けた。
「その件なら、別の人が来て、マードックさんたちを連れていったわよ。」
「……え?」
「新しくできた漢方療法の施設の人でしょ? 先月からちょくちょく出入りしてる。だから、先週あなたの施設の別の人が来て、マードックさんと、フィットさん、ダニエルさんは転院したわ。連絡漏れじゃない?」
「……えっと、おかしいな、マードックは今日僕が連れていくはずだったのに。」
「来て、書類見せるわ。」
 看護師は、つかつかと事務室に入ると、ファイルを取り出した。
「ええと、これこれ。」
 と、1枚の書類を見せる。その書類上は、確かに、『国立漢方療法研究所』のウォン・リー博士がマードック他2名の転院申請を出して、許可されている。
「えーと、これちょっとヤバいな。」
 フェイスマンは呟いた。なぜなら、その書類は、最高に、そして絶妙に、偽物だったから。通常の職員には違いがわからないだろう。だが、偽造のプロには、その些細な違いがクローズアップのように目に飛び込んでくるものだ。
「ということは、うん、わかった。(モンキー、何者かに攫われたってこと?)ありがとう、帰って確認するよ。」
 フェイスマンは踵を返した。書類にあった住所と電話番号だけ、しっかり記憶して。


 病院近くの路地裏で待機していたバンに、フェイスマンが戻ってきた。
「どうしたフェイス、モンキーは?」
「やられた、誰かに連れ去られた。」
 車の後部座席に乗り込みながらフェイスマンが言った。
「何だって?」
「野郎が連れ去られただと!?」
「モンキーが病院にいなかったってことか?」
「うん、先週、怪しげな施設の奴に連れていかれたって。書類も見たけど、ガッツリ偽造だった。ちょっとメモある?」
 フェイスマンは、コングに渡されたメモ帳に、病院で見た偽書類にあった住所と電話番号、そして、ウォン・リー博士、とメモした。
「ウォン・リー。誰だこいつは?」
「モンキーたちを連れ去った男が名乗ってた名前。国立漢方療法研究所の所員って言ってた。」
「モンキーたち、ってことは、モンキー1人じゃないんだな?」
「そうみたい、あと2人患者が連れ去られてる。」
「てことは、あたしたちに繋がる拉致じゃあなさそうだな。」
「Aチームに関係がねえ拉致だとすると、純粋に気の触れた退役軍人が欲しかったってことか? 何のために?」
「……人体実験?」
 拘束着を着て、頭にコードが一杯ついた鉄のヘルメットを被らされて、逃げようと暴れているマードックを想像して無言になる3人。
「……もしくは、何かしら犯罪めいた行為に従事させるとか?」
 その想像を振り払い、フェイスマンが次の案を口に出す。
「よくわからんな。とりあえず、その書類に書いてあった住所に行ってみようじゃないか。」
「おう。」
 ということで、Aチームのバンは急発進で出発した。


 住所を辿って到着したのは、ロサンゼルス・ゼネラル・ホスピタル。でかい市民病院だ。
「総合病院? 本当に、この中にそんな施設が入ってるの?」
「ちょっと聞いてくる。」
 と、フェイスマンが車を飛び出していった。10分後、早歩きで戻ってきたフェイスマン、開口一番、ダメだった、と。
「この敷地内に、そんな施設はないって。ウォン・リー博士も在籍してないって。」
「まあ、そうだろうな。すると、この電話番号もデタラメの可能性が高いな。」
「そうだな、だが一応、確認はしとくか。」
 と、フェイスマンを見るハンニバルとコング。
「えっ、また俺が行くの? ……はいはい、わかりましたよ、行ってくればいいんでしょ。」
 フェイスマンは再び車を出て、病院のロビーにある公衆電話を目指して駆け出すのだった。
 さらに10分後、フェイスマンが早歩きで戻ってきた。
「どうだった?」
「……電話は繋がった。けど、活舌最悪な人が出て、しかも中国語……多分、中国語っぽかった。何言ってんだかわからなかったけど。」
「中国語か。どうする、ハンニバル。モンキーなら多少の中国語はわかるだろうが、俺たちはからっきしだぜ。誰か通訳できる人間が必要だ。」
「そうだな、じゃ、行ってみるか。」
「おい、どこ行くってんだ?」
「中国語喋る人がいるとこ。」


 というわけで、再び車を飛ばしてやって来たのはチャイナタウン。3人が向かった先は、かつての依頼人である、中華料理屋兼桃まん屋の広東飯店。
「やあフェン、久し振り。」
 店番をしていた一人娘のフェン・テイに気軽に声をかけるフェイスマン。
「あら、フェイス、みんなも久し振り。今日は3人? モンキーは?」
「ああ、奴は不在でな。今日はちょっと、君に頼みがあって来たんだ。」
「あら何? 私にできること?」
「あのね、この電話番号にかけてみてほしいんだ。それで、電話に出たのが誰で、そこはどこなのか教えてほしい。」
「そんなことなら、お安い御用よ。」
 フェイスマンからメモを受け取り、店の電話をかけ始める。
「もしもし、ああ、我是粤菜馆的郑老板。你是谁? 你是中医药办公室的陈先生吗? 我就是。バーイ。」
 そう言ってフェンは電話を切った。そして、人差し指を立てた右手を真っ直ぐハンニバルたちの後ろに伸ばす。その指に釣られて振り返る3人。
「この番号、通りの向こうの漢方薬局。電話に出たのは、そこの局長の陳先生よ。御年98歳、ちょっとボケてるけど、腕のいい漢方医なの。何? 誰か具合でも悪いの? 薬が要るなら、一緒に行って通訳するよ。」
 というわけで、フェンにつき添われ漢方薬局に赴く3人であった。


〜3〜

 その頃、マードックは、広い草原のような場所で、寝転がって空を見ていた。赤と白の横ストライプの囚人服を着せられている以外は、至って穏やかな表情である。遠くには、サーカス小屋のような天幕の小屋がいくつか見え、横を見ると、同じように寝転ぶストライプが何人も見える。て言うか、原っぱは同じ囚人服の男たちで溢れていた。しかし、皆、心からリラックスしている様子だ。思い思いの様子で、寝そべったり、談笑したり、スキップしたり縄跳びしたりしている。マードックは、ゆっくりと起き上がった。ここに来てから、どれくらいになるんだろう。随分のんびりした。確か一昨日、いや、もっと前か。
「そろそろハンニバルたちに連絡しなきゃなあ……。みんな、今どこにいるんだっけ?」
 連絡先は聞いていたはずだが、何せ急な転院でここに連れてこられたので、荷物も何も持ってきていない。もちろん、連絡先を書いた暗号メモも。いつ家(病院)に帰れるかも、今のところ不明だ。
「どうするかなあ。こんな平和な場所で、一悶着も起こしたくないし。」
 気持ちのよい風に吹かれて、マードックは思案する。と、そこに、1人の青年が歩み寄る。
「マードックさん。」
「ウォーリー。」
 ウォーリーと呼ばれた青年は、マードックと同じ赤白ストライプの囚人服に、同じ紅白のニット帽、黒縁の丸メガネをかけて、にこやかにマードックに水の入ったコップと、粉薬の包みを渡す。
「はい、これ昼の薬です。ウォン・リー先生が褒めてらっしゃいましたよ、マードックさんには薬の効きがいい、優秀だ、って。」
「そりゃどうも。」
 薬の効きと俺っちの優秀さと、何の関係があるのさ、と思いつつ、薬の包みを開く。ニッキのような匂いが立ち上る。ウォーリーは、その姿を見て満足げに頷くと、踵を返して次の患者へと歩いていった。マードックは手の中の粉薬を、ささあっと足元の草むらに捨てると、ゴクリと水だけを飲んだ。どんな形状であれ、薬と名のつくものは好かないのだ。だから、ここに来てから渡される薬は一切飲んでいなかった。だって、治すべき精神の病など、自分は1つも患っていないのだから。
「さて、みんなに連絡取ってみるか。どんな遠い相手でも、知り合いの知り合いを辿れば、6人以内に辿り着くって言うもんね。んー、ますはエンジェルか。」
 マードックは電話があったはずのテントを目指して歩き始めた。


 所変わって、ここは中華街。フェン・テイとAチームは、陳の漢方薬局に来ていた。
「陳医生、我来了!(陳先生、私が来たわよ!)」
 フェンの言葉に、作業台で薬の調合をしていた老人が振り返る。
「冯小姐、你中学毕业了吗?」
「嫌あね、そんなの10年前よ!」
 そう言ってフェンは、小さな老人の肩をバン! と叩いた。部屋の隅まで吹っ飛ぶ老人。
「あら、ごめんなさい!」
 フェンが陳老人を助け起こす。
「あのね、この人たち、私と父さんの恩人なの。困ってるみたいだから、助けてあげてほしいの。」
 老人が不審な顔でフェンを見た。
「あ、逆だった。这些人欠我和我爸很多。他们有麻烦了、我们需要你的帮助。」
「没问题。」
 老人がそう言ってサムズアップした。
「はい、何でも聞いて。」
 と、フェンがAチームに向き直る。
「陳先生、教えてほしいんだが、ここにウォン・リーという人はいるか? 漢方の医者か何かで、精神病患者の治療に興味があるらしいんだが。」
 ハンニバルが陳老人に問い、中華式の挨拶をしてみせる。
「这里有人叫王利吗? 他是个中医什么的、他对治疗精神病人很感兴。」
「我不知道它的名字。不过、上个月我解雇了一个有类似兴趣的人。他的名字叫史蒂夫-李。他说什么中药能治精神病之类的梦话、根本不务正业、所以我把他解雇了。」
「そんな人は知らないけど、同じような興味を持った男を先月クビにしたって。名前はスティーブ・リー。調剤の腕はよかったけど、漢方薬で精神病が治せるとか、夢みたいなこと言って、ちっとも仕事しないからクビにしたって。」
「完全にそいつじゃん。」
 と、フェイスマン。
「割と近くにいたな。退役軍人精神病院の医者や事務員、中国語がわからないと思って油断したんだろう。」
「で、爺さん、そいつの居場所を知らないか?」
「你知道那家伙在哪儿吗?」
 フェンが老人に問いかける。
「我记得你说过是在南方。如果他滥用草药、请责备他。」
「ええとね、南の方だって。それで、彼がもし漢方を悪用しているなら、懲らしめてやってほしいって。」
「南じゃわからん! まあいい、爺さん、気持ちはわかった。そいつについて詳しいことを教えてくれ。」


 というわけで、要領を得ない陳老人との問答を終え、アジトに帰り着いた頃には、もうすっかり日が暮れていた。
「ウォン・リーを名乗ってるってえ男は、スティーブ・リー。アメリカ人、辛い物が苦手。薬の調合が上手いっちゃあ上手い。思い込みが激しく、服の趣味が悪い。散漫な情報だな。」
 と、荷物を置きながらコング。
「ああ、ボケかけ老人の言うことだ、取り留めのなさは仕方ないだろう。しかし、陳先生のところで3か月バイトしただけで、漢方薬でどんな精神病でも治せるっていう考えに取りつかれて、その結果クビになったサイコ野郎だってことはわかった。」
「でも、どこにいるかわからないんじゃ、どうしようもないよね。」
 そうフェイスマンが溜息をついたその時。
 リーン、リーン。
 鳴り響く電話。
「はいはい、エリー(家の持ち主)かな。」
 電話に出に行くフェイスマン。
「はい、もしもし。えっ、モンキー!?」
 フェイスマンの言葉に、注目するハンニバルとコング。
「モンキーなのか!?」
「野郎、無事なのか?」
「……うん、大丈夫みたい。」
『ヤッホー、フェイス、俺っち今ね、転院で別の施設に来ててさ、依頼が入った時に連絡つかないと困るだろうと思って、連絡先をエンジェルに聞いてかけてるってわけ。』
 呑気なマードックの口調に、フェイスマンは肩を竦めてみせる。その姿に、ハンニバルとコングも電話の周りに集まった。
「モンキー、それ転院じゃないぞ。お前、拉致られてるんだよ、偽医者に。」
『えっ? ホント? いや、嘘でしょ、犯罪の匂いなんてカケラもしない、平和な場所だよ、ここ。』
「お前、一体どこにいやがるんでい!」
 焦れたコングが受話器を奪い、そう叫んだ。
『場所? ちょっと待ってね。おーい、ウォーリー、ここの住所ってわかる?』
「ウォーリー?」
『ウォーリーって、ここに来てから仲よくなった、ここのお弟子さんみたいな子なんだ。うん、わかった、あのね、南カリフォルニアはサンディエゴの……。』
 というわけで、あっさりモンキーの居場所を突き止めた3人であった。


〜4〜

 翌朝、マードックに聞いたサンディエゴの施設まで車を飛ばすAチーム。そこは、サンディエゴ郊外の小高い丘の上にあるキャンプ場だった。念のため少し離れた場所に車を停め、徒歩で敷地に近づく3人。特に警備もなく、敷地の入口まで辿り着いた。
「何だか、楽しげな雰囲気のとこだね。」
「ああ、のどかだな。ボーイスカウトのキャンプみてえな雰囲気だ。ほら、見てみろよ。」
 コングが指差す先には、広い草原で人々が思い思いにくつろぐ光景があった。膝丈の木の囲いの中に、いくつかのテントが点在している。そして、そのだだっ広い敷地の中では、同じような赤白ストライプの服を着た男たちが大勢、楽しげに談笑したり昼寝したりしていた。
「おーい、ハンニバル、こっちこっち〜!」
 見ると、派手な囚人服姿のマードックが手を振っていた。そして、柵をひょいっと飛び越えると、3人のところまで走ってきた。
「元気そうだな。どうだい、ここの暮らしは?」
 と、ハンニンバル。
「いや、それが全然悪くないんだよ。ご飯は質素だけどヘルシーで美味しいし、自由時間を屋外で過ごせるから健康的だし、疲れたらテントで自由に休んでいいし、何か薬飲まされる以外は極楽よ。で、俺たちが拉致されてるって本当?」
「うん、そう。偽医者に拉致されてんの。」
「うそーん。他の病院から来た人も沢山いるから、本物の医療施設かと思ってたよ。」
「嘘じゃないさ、フェイスも顔負けの偽医者が、お前たちを拉致してここに連れてきたんだ。」
「じゃあ、ウォン・リー先生ってのが偽医者ってこと? ちゃんと薬とかくれたけど。」
 と、マードックがポケットからいくつかの漢方薬らしき包みを取り出した。
「お前、これ飲んでたのか?」
「んにゃ、新しい種類のが来た時だけ取っておいて、後は捨ててた。俺っち薬嫌いだし、そもそも粉薬は飲み方がわかんねえし。」
「口に入れて、水と一緒に飲み込むだけだろ、何がわからねえんだ?」
「ん−、苦いのを我慢する方法とか。」


「マードックさーん! おやつの時間ですよーっ!」
 遠くで丸メガネの青年が手を振っている。
「あれ、もしかして、ウォーリー・ウッドじゃない?」
 と、フェイスマン。ポケットから、マーサ・ウッドから預かった写真を取り出して見比べる。
「そのようだな、こんなところで会うとはね。」
 ハンニバルが感心したように言った。
「あれ、みんな、ウォーリー知ってるの? 前に会ったことあったっけ?」
「会ったことはねえが、今回の依頼の人探しの相手だ。俺たち、アイツの母ちゃんから、アイツを探してくれって頼まれてんだ。」
「家出人なんだよ、彼。行こうモンキー、おやつだぞ。」
 ハンニバルはそう言うと、笑顔でウォーリーの方へと歩み寄っていった。歩きながら、フェイスマンの肩を引き寄せ、何やら耳元でこそこそと。
「こんにちは、君がウォーリー・ウッドだね?」
「……どちら様ですか? ここは、一般の方と正常な方、あと一般で正常な方は、立入禁止なんですけど。」
「俺たちはマードックの身内の者だ。こちらはロサンゼルス・タイムスの記者のペックさん。」
「……新聞記者?」
「ええ、マードックさんから、素晴らしい施設だから取材してほしいっていう電話を貰って、是非ウォン・リー先生にお会いしたいと思ってやって来たんです。リー先生の師匠の陳先生には、先にお話を伺ってきていまして、先生、大変優秀な弟子だったから是非取材してやってほしいって仰ってました。」
「そうでしたか! 先生の先生にもお会いになったんですね。そういうことならどうぞ! 先生は奥のテントで調剤中です。ミッキー・ロークのTシャツ着てるから、すぐわかると思いますよ。」
「ミッキーマウスのTシャツじゃなくて?」
「ミッキー・ロークです! 俳優の。じゃ、僕は皆さんにおやつを配る仕事があるんで、ここで。マードックさんも、後でおやつにしましょうね。」
「ああ、じゃ、仕事が終ったらテントに来てくれ。君の話も聞きたいんだ。」
 そう言うと、ハンニバルは、おやつ配りに去っていくウォーリーの背中を見送った。


 目指すテントは、敷地の奥にあった。近づくにつれ、漢方薬の匂いが鼻を突く。3人は入口の前で立ち止まった。
「行こう。」
 ハンニバルの言葉に、フェイスマンとコングは頷き、天幕の中へと歩を進めた。
 薄暗い天幕の中では、金髪で体格のよい男がこちらに背を向けて、石の乳鉢でゴーリゴーリと何かを潰していた。その背中には、アンニュイに微笑むミッキー・ロークの白黒写真がついている。
 人の気配に気づいたのだろう、男は振り向きもせずに話し始めた。
「ウォーリーか? おやつの桂皮入りクッキーは配り終わったのか? あれは代謝と体温を上げて、患者の活動性を高める作用が……。」
「スティーブ・リーだな?」
 ハンニバルの問いかけに、男は飛び上がって振り向いた。
「誰だ、お前たちは!」
「ウォーリーの母親と、あんたの師匠に頼まれてやって来た、マードックの身内だ。お前のやってることは、れっきとした誘拐だが、わかっているね?」
「誘拐? ……だから何だって言うんだ?」
 男は開き直った。
「長いこと精神病院に閉じ込められてる患者を解放し、漢方薬の力で完治させる。それのどこが違法なんだ? 俺は、信念を持ってここを運営してる。料金だって貰ってない。全部持ち出しだ。」
「別に、君の信念はどうでもいいんだ。文書偽造と誘拐は、法律に違反してるって言ってるの。」
 どの口が言うか、というセリフを、いけしゃあしゃあとフェイスマン。
「現に、君たちの身内のマードック、ここに来てからメキメキよくなってるじゃないか!」
「いや、ここ環境がいいから、リラックスしてただけ。薬は、まーったく飲んでない。」
 と、マードックご本人。
「薬を、飲んでないだと?」
「うん、俺っち薬苦手だし、一緒に来たフィットっちは、粉状のものは全部麻薬だと思ってるから飲まないし、ダニエルは度を越して親切だから、寄ってきたリスとかウサギに薬全部あげてた。だから、誰も飲んでない。」
「何だって?! じゃ、じゃあ、何でみんな、こっちに来てから調子がいいんだ? おかしいじゃないか?」
「それはさ、こんな明るい自然の中でのんびり暮らしてて、おまけにウォーリーが甲斐甲斐しく世話してくれるからじゃん? 彼、すごいよね、ホスピタリティーが。」
 マードックの言葉に、愕然と立ち尽くすウォン・リーことスティーブ・リー。
「というわけだ。ウォン・リー。拉致した人たちを返してもらおうか。」
「ちょっと待ってください!」
 と、背後からウォーリーの声。ハンニバルたちを追い越して、ウォン・リーに駆け寄る。
「先生のことを侮辱するのはやめてください。誘拐? 文書偽造? そんなこと、みんなが元気になってる現実に比べたら、小さなことじゃないですか! 僕は先生を支持します!」
「ウォーリー、俺たちは、君のお母さんから、居場所を探すように頼まれて来てるんだ。どの道、この施設はこれ以上続けられない。一度家に帰ったらどうだ?」
「……嫌です。家には帰らない。母さんは、僕のことをいつまでも子供だと思っている。僕だって、軍隊経験もあるれっきとした大人です。自分のことは自分で決めます。僕は、先生と、ここにいたいんです。」
「……そうか、それなら、それでいいだろう。」
 と、ハンニバル。
「ウォン・リー、ウォーリー、どの道、誘拐した患者をここに置いておくわけには行かないんだ。どうだろう、一度帰して、その後で希望者を募って再出発というのは。」
「何でいハンニバル、優しいじゃねえか。」
「モンキーや他の人たちが楽しそうだったからな。それでいいかい?」
 ウォン・リーとウォーリーは力なく頷いた。


 その後、施設に拉致されていた精神病患者たちは、改めて精神鑑定を受け、約半数が退院となった。そして、ウォン・リーの漢方薬施設は、『ウォン・リーの漢方薬ガーデン』という有料のキャンプ施設として生まれ変わったのだった。誘拐と文書偽造で逮捕されたウォン・リーが服役している間は、ウォーリーが数人のバイトを雇って運営することになっている。


 所変わって、ここはAチームのアジト。
「ただいまー!」
 と、フェイスマンが元気に帰ってきた。
「おう、どうだった、モンキーが持って帰ってきた薬は。」
 フェイスマンは、マードックが施設で貰っていた薬を持って、陳先生に会いに行っていたのだ。
「ええとね。」
 フェイスマンがテーブルに薬を並べた。
「これは葛根湯、風邪薬。次が補中益気湯、元気が出る薬だって。大柴胡湯、これは便秘の薬。それから、こっちが疲れた時の薬で、こっちは更年期障害のやつ。あと、痔の薬に、気分が塞ぎ込んだ時の薬、食あたりには正露丸、あと、夜目が利くようになる薬もあった。」
「無茶苦茶だな。」
「……自分が調合できるやつ、全部試してたんじゃない?」
「まあ、情熱だけはあったってことじゃねえか?」
「しかし、いい場所だった。オイラ、たまにはあそこに戻りたいよ。」
 そう言うマードックは、赤白ストライプ囚人服のままだ。
「行けばいいじゃないか、自腹で。キャンプは1泊500ドルするらしいがな。」
 と、ハンニバル。
「500ドルか……。ウォーリー、意外とやり手だったんだな……。」
 フェイスマンの言葉に、遠い目で頷く3人であった。
【おしまい】
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