THE ICEWOMAN〜氷屋の微笑〜
伊達 梶乃
「はい、こちらは人気の局アナウンサー、レオノーラ・ルーサムの結婚式の会場です。テレビの前で今、泣いているファンの方も多いんじゃないでしょうか。」
 退役軍人病院精神科のレクリエーション室では、美人アナウンサーの結婚式を伝える特番がテレビから流れていた。そのテレビの前に集まっているのは、医師、看護師、介護職員、そして入院患者たち。結婚式に招待された女性アナウンサーの言う通り、テレビの前の何人か(一番前の席にいる面々)は涙を流しつつ鼻をかんでいる。
「レオノーラが結婚しちゃうなんて……。」
「何で新郎が俺じゃないんだ……。」
 精神科の患者が妄想しているならともかく、泣いているのは医師看護師介護職員の男性陣。入院患者の皆さんは、ぼんやりとした表情で半ば口を開けてテレビ画面に顔を向けている。マードックは「そう言えばウェディングドレス着たよなあ」と思いながら、スルメの裂いたのをくちゃくちゃと噛んでいる。病院内の誰かが試しに買ってみたスルメだが、どうやって食べればいいのかもわからず、巡り巡ってマードックのところにやって来たものだ。とりあえず炙れ、と言いたい。
「晴天に恵まれ、風も穏やかで、ステキなガーデンウェディングパーティです。こちらに並ぶ美味しそうなお料理は、新郎新婦両家のご家族のお手製だそうです。」
 画面を見つめて、静かに涎を垂らす入院患者の皆さん。スルメスメルの漂う中で。
「そして、木陰で黙々と作業している方が。」
 カメラがその姿を捉える。結婚式の参列者として相応しいドレスを着た女性が、服装に相応しくない大きなノミを持って巨大な氷をシャリシャリと削っている。新郎新婦が姿を現すまで談笑したり立食している人々とは離れて、真剣な表情で。そこだけ空気が違う。
「こんにちは、お話よろしいですか?」
「ああ、こんにちは。氷に触らないでくれれば、話はOK。」
 女性アナウンサーが近づいていくと、氷を削っている女性がかなり大柄なのがわかった。腕も脚も筋肉質だ。声も低い。
「これは、氷で彫刻してるんですか?」
「そう、新郎新婦の氷像を作ってくれってマーティンに頼まれてね。」
 マーティンというのは、美人アナを射止めた男。職業、アイスホッケー選手。ただし、チームは万年最下位。
「新郎のご友人?」
「友人と言うか、幼馴染? うーん、単に昔からの知り合いってだけかな。」
「彫刻家さん?」
「大学で彫刻を専攻したけど、彫刻で稼いでるわけじゃないから、彫刻家を名乗ったら本当の彫刻家に失礼だよ。あたしはどっちかって言ったら氷屋。家が氷屋なんで。」
「氷屋さんって言ったら、あの大きな氷を鋏の大きいのみたいなのでガッて掴むアレですか?」
「ハハハ、基本はそう。氷を作って売る商売だね。いろんな氷を作るよ、形、水質、透明度、注文に合わせてどんなのも作る。もっと暑くなったら、かき氷も売る。イベントとかでも売ってるよ。それから、アイススケート場の氷の整備もする。こうやって氷像を作ることもある。まあ氷に関すること全部請け負ってるって感じだね。」
「全部?」
「氷のことは氷屋が一番知ってるからさ。こうしたいんですけど、どうしたらいいですか、って相談も入ってくる。もっと漠然と、氷使って面白いことしたいんだけど何かある? っていうのもあったな。」
「それは……結構迷惑ですね。」
「時間食われるから忙しい時には困るけど、あれこれ相談しながら考えていくのは、それ自体が面白かったよ。そういうのはそれ相応の料金を請求するし。」
 傍らに置かれた目覚まし時計がピピッと鳴った。
「あと5分で式が始まる。」
 話しながらも氷像は完成していた。小箒で削りかすを払い、氷像の目元口元を指で撫でて艶を出す。アナウンサーは氷像の顔を見て言葉を失っていた。
「……キレイ……。」
 やっと出た言葉がそれだった。
「ありがとう。じゃあ、明るいところに運ぶよ。この日射と気温だったら、式の間はこの状態がキープできると思う。ただ、その後は融けるだろうから、録るなら早いうちに。」
 氷像を乗せた台車を押していく氷屋の後ろにアナウンサーとカメラがついて行く。指定された位置に氷像を置くと、氷屋は並んだ椅子の後ろの方の席に着いた。カメラが氷像を舐めるようにして録り、引きの姿も録る。
 マードックは新郎新婦の氷像に感銘を受けた。「ミッ○ーと○ニーみたいだ」と。
 式会場では、司会がマイクの前に立ち、参列客を着席させ、結婚式が始まった。


「ふへえ、今日も暑いなあ。」
 通りを歩くフェイスマンは、ハンケチで額の汗を押さえて独りごちた。ロサンゼルスの夏は、基本的には25℃にも行かない。気温の読みを間違えて厚着してきてしまった場合を除けば、汗が垂れるなんてことはそうそうない。むしろ案外肌寒くて風邪を引く方が多い。だが今日は30℃近いに違いない。温度計を持っていないからはっきりとは言えないけれど、温度計を持っていたらそれはそれで体温が計られることであろう。
 つい先日は30℃を超えて、35℃近くまで上がった。記録ではロサンゼルスで40℃を超えたこともあったと聞く。そんな事態になったら、冷房ガンガンの部屋から一歩も出たくない。MPにアジトを突き止められようとも、ハンニバルに買い物を言いつけられようとも。
 因みに今は、ハンニバルに指示されて缶ビールとつまみのチョリソを買ってきたところ。サラミに近いくらい脂ぎったチョリソを探してだいぶ歩き回った。「この際、サラミでもよくない?」と何度思ったことか。こんなことになるんだったら車で来ればよかった、と後悔する。
 ふと、この界隈にかき氷を売っている店があったような、とフェイスマンは思い出した。食べ歩きできるように紙コップに入ったやつ。片手に缶ビールとチョリソの入った紙袋を抱えているため、片手に紙コップを持ったら、もう一方の手でスプーンつきストローを口に運ぶことができない、という人類の限界に気づかないまま、フェイスマンは記憶を辿ってかき氷屋に向かった。
 確かここだったはず、と足を止めたその場所に、小窓とちょっとした出っ張りはあるけど、その窓は開いていなかった。かき氷のメニューも出ていない。定休日だろうか。しかし窓ガラスの向こうでは、人や機械が動いている。かき氷販売をやめてしまったのだろうか。
 フェイスマンは小窓のガラスをコンコンとノックした。ややあって、内側から不機嫌そうな女性が窓を開けた。
「あの、ここってかき氷売ってなかったっけ?」
「気温が30℃を超えたら売るよ。でもまだ29℃だ。」
 小窓の窓枠から吊られた温度計を見て、女性が言う。
「あと1℃くらい大目に見てほしいんだけど。」
「そこはきちんと線引きしたいんだ、こっちは。かき氷専門店ってわけじゃないんでね。」
「じゃないの?」
「うちは氷屋。かき氷はオマケでやってるだけ。自分ちでかき氷を作るってんなら、ブロックアイスは売るよ、29℃でも。ただし、最小で5ポンド。」
 5ポンドは2キログラムちょい。
「5ポンドでいくら?」
「4ドル。」
「4ドル? 氷でしょ? 水を凍らせただけなのに4ドルもすんの?」
「いい水を使ってるし、凍らせるのに電気代もかかってるからね。家庭用の冷凍庫よりもだいぶ低い温度まで下げてるし、空気が入らないように作ってる。密度が高いから、上手く削ればふわっふわのかき氷になる。持って帰るまで融けない梱包も込みで4ドルだ。」
「オッケ、氷、5ポンドちょうだい。」
 かくしてフェイスマンは、片手にビールとチョリソを抱え、もう片手には氷を提げて、ハンニバルの待つアジトに帰っていった。かき氷機もシロップもない、と気づいたのは、アジトにある冷凍庫に5ポンドのブロック氷が入らず、冷凍庫の中を片づけて棚板を外している時だった。


 何とか氷を冷凍庫に入れたフェイスマンは、ビールとチョリソを冷蔵庫に入れ、かき氷機とシロップをどうしようかと考えながらリビングに向かった。
 と、その時、電話が鳴った。ハンニバルが出てくれるものだとばかり思っていたフェイスマンだったが、ハンニバルの姿が見えない。仕方なく、フェイスマンは受話器を取った。
「ハロー。」
『あ、その声はフェイスね。あたしよ、あたし。』
 書かなくてもわかると思うが、エンジェルだった。
『この間、取材させてもらった人から、Aチームにすぐにでも仕事を頼みたいって連絡が来たの。今、暇でしょ?』
「ちょっと待って、スケジュール見てみる。」
 フェイスマンは懐から手帳を出そうとして、上着を着ていなかったことに気づいた。なぜなら、暑いから。でも、懐から手帳を出す振りをし、それを開いてスケジュールを確認する振りをした。
「ラッキーなことに2、3日は空いてる。」
 2、3日どころじゃなく、ずっと空いてる。仕事の予定、全然入ってない。スケジュールを見なくてもわかってる。
『じゃあ住所言うから今すぐ行って。』
「そんな急ぎ? 今、ハンニバルがどっか行っちゃってて、コングもアルバイトに出てるし、モンキー連れ出してこなきゃいけないし。」
『モンキーはここにいるわよ。大佐がどこにいるかは知らないけど。』
「何でモンキーが新聞社にいんの?」
『病院のエアコンが壊れて、直るまでしばらくかかるそうなんで脱走してきたって言ってたわ。あんたたちの居場所がわからないから、あたしんとこに来たんだって。で、あたしがあんたたちの居場所を突き止めるまで、雑用やってもらってる。』
「電話してきたってことは、もう突き止めたんだよね? 俺たちの居場所。」
『そりゃもちろん。』
 エンジェルが電話の向こうで憎たらしいくらいのドヤ顔をしているのが、フェイスマンには容易に想像できた。
『モンキーも依頼人のとこに行かせるから、現地で合流して。じゃあ住所言うわよ。』
 フェイスマンはエンジェルの言う住所を手帳にメモる振りをして、懸命に暗記した。
「オッケ、じゃあすぐ行く。ハンニバルに書き置きしてから。」
『よろしく〜。』
 受話器を置くと、フェイスマンは紙とペンを急いで探し出し、住所を書き取った。これで一安心。
 しかし、住所を覚えることに脳のリソースを割いてしまったフェイスマンは、冷凍庫に氷塊があること、および、かき氷機とシロップを入手しなければいけないことを忘れてしまった。


 ハンニバルは、フェイスマンの帰りが遅いので、もしかしたらMPに見つかったのかもしれない、と様子を見に外に出ていたのだった。サラミに近いくらい脂ぎったチョリソがそれほどまでに売っていないものだとは思わずに。
 町中を歩き回ってフェイスマンの姿を見つけるのは難しいが、MPがいるかどうかはわかる。奴らは団体で行動する性質があるし、常に深緑色の制服を着ているし、大概はMPカーに乗っているので見つけやすい。ハンニバルは散歩している地元民を装って、目の端で周囲の様子を窺いながら歩き続けた。
 しばらく歩いていると、額の汗がツーッと垂れてきた。それを上着の袖で拭う。長袖の上着を着てきたのは間違いだった。しかし、念のため銃をズボンの後ろ(背骨とベルトが交差する部分)に挟んでいるので、上着を着ないわけには行かない。どうにかして上着を脱ぎ、かつ、銃をちらつかせている困ったオジサンだと思われないようにしたい。とりあえずハンニバルは黒革の手袋を取って、上着のポケットに入れた。どこか人目のない場所で上着を脱いで、腰に上着を巻いたらどうだろうか。いや、上着のポケットに銃を入れて、脱いだ上着を腕にかける方がスマートか? 銃、ポケットに入る大きさだっけか?
 と、その時。
「何でアイスコーヒーがねえんだ?!」
「済みません、製氷機が壊れまして。」
「この暑い中、ホットコーヒー飲めってのかよ!」
 コーヒーを飲まないという選択肢がないのか、テイクアウト専門コーヒーショップで客が店員に強い態度を取っていた。
「どうしましたね?」
 好奇心の赴くまま、と言うか、老婆心から、と言うか、歩くのに厭きて、ハンニバルが首を突っ込んだ。
「俺ァここの絶品アイスコーヒーを飲みてえのに、アイスコーヒーがねえんだと。夏は1日に1杯以上、ここのアイスコーヒー飲むのを楽しみに生きてるってえのによ。」
 この客、柄は悪いが、この店のアイスコーヒーの大ファンなのである。
「製氷機が壊れてしまって、庫内の氷も使い果たしてしまいまして。氷を買いに行こうにも店には私しかいなくて。」
「ふむ。ここらで氷を売ってる店ってのはどこだ? スーパーマーケットはちょっと遠いだろう。」
「すぐ近くに氷屋があります。」
「それじゃ、あたしがひとっ走り買ってきましょうかね。」
「え、いいんですか?」
「その代わり、その絶品アイスコーヒーを1杯ご馳走してくださいな。」
「はい、喜んで!」
 ハンニバルは店員から簡単な手書きの地図と氷の代金を受け取って、小走りで氷屋に向かった。


「あれ? 大佐? フェイスは?」
 くだんの氷屋の前でマードックが所在なさげにしていた。
「奴さんは行方不明だ。」
「エンジェルの話だと、大佐の方が行方不明で、フェイスがここに来るって……オイラの聞き間違いかな。」
「話がわからんが、何でお前さんがここにいるのかもわからんが、頼まれ事の最中なんでな。」
 ハンニバルは氷屋のドアを押して店内に入り、10ポンドのクラッシュアイスを買った。
「すぐ戻る。ここで待ってろ。」
 そうマードックに指示をすると、氷を入れた袋を提げて、ハンニバルは小走りでコーヒーショップに戻っていった。
 氷とお釣りをコーヒーショップの店員に渡し、感謝の言葉と共にアイスコーヒーを貰ったハンニバルは、もう走る必要もなく、コーヒーを飲みながらてくてくと氷屋に再訪した。相変わらず店の前でマードックがうろうろしている。
「お待たせ。」
「フェイス、まだ来てねえぜ。そのコーヒー、どしたん?」
「労働の対価として貰った。」
 アイスコーヒーは、柄の悪い客の言う通り、絶品だった。冷たいのに香り高く、きりっと苦くて、後味はさっぱり。柄の悪い彼も今はアイスコーヒーが飲めて幸せだろう。
「かなり美味いぞ。飲むか?」
 ハンニバルはストローをマードックに向けた。
「あんがと。でもオイラ、真っ黒コーヒー、苦くて飲めねえからいい。」
「甘くて牛乳入りじゃなきゃダメだったな、そう言えば。」
 と、その時、角を曲がってフェイスマンが姿を現した。店の前に立つ2人を見て、走ってくる。
「何でハンニバルがここにいんの?」
「お前さんが帰ってこないから探しに来た。」
「あ、うん、遅くなってゴメン。ハンニバルが言うようなチョリソがなかなかなくって。でも何とか買えて、冷蔵庫に入れといた。ビールも。」
「そりゃ済まんな。で、お前さんは何でここに?」
「エンジェル経由の仕事の依頼でさ、ここに依頼人がいるらしい。って、ちょっと待って!」
 フェイスマンは目的地である店の角を曲がった。
「ここ、かき氷の店じゃん!」
 建物の表通りに面した側に、さっき見た小窓があった。そして脇道に入った側に氷屋のドアがある。フェイスマンは(ハンニバルもだが)1本隣の通りから来たので、すぐにはわからなかったのだ。
「かき氷売ってる!」
 マードックも小窓の方を見てみて、笑顔で振り向いた。
「な、フェイス、かき氷買って。」
「30℃超えたのか……。」
 フェイスマンはマードックの訴えを無視した。どちらかと言えば、ハンニバルが飲んでいるアイスコーヒーの方が気になるフェイスマンであった。


「こんにちはー、Aチームですー。新聞社のアレンの紹介で来ましたー。」
 ドアを押して、フェイスマンは氷屋の店内に入った。先刻、氷を売っていた女性がかき氷を作っている最中。小窓の向こうに客がいるのが見える。
「いいところに来てくれた! 何でもいいから手伝ってくれ!」


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 電動かき氷機でかき氷を作り、シロップをかけてスプーンつきストローを差し、客に渡して代金を受け取る女性。その手順をよく観察して、かき氷の作り方を覚えるマードック。次の注文から、マードックがかき氷を作る。
 手が空いた女性が、ハンニバルに氷のカットの方法と梱包方法を教える。
 氷屋の電話機で、コングのアルバイト先に電話をかけるフェイスマン。コングに至急ここに来るように伝える。その後、電話で氷の注文が入るのをリストに書き込んでいく。
 そのリストを見ながら、ハンニバルが氷をカットして梱包する。
 女性が裏の駐車場から店のトラックを出してきて、ドアの脇に停める。そこに手の空いている面々が氷を積み込む。配達しに行く女性。
 それぞれの作業を続ける3人。
 氷屋のドア脇にバンが停車し、コングが駆け降りてきて店のドアを蹴破……らない。そっとドアを押して店内に入る。ハンニバルが指示をし、コングが頷いて、大きな氷の塊を機械から出す。大きな鋏のようなものを使って。
 氷屋の女性が帰ってきて、配達の第2弾をトラックに積み込み、コングが配達先リストを受け取ってトラックに乗る。女性は、特殊器具を使って球形の氷を作り始めた。お高いバーのオンザロックに使われている氷だ。興味深そうに見ているハンニバルが、ウイスキーの味と香りを思い出したのか舌なめずりをする。同様に、興味深そうに見ていたマードックは、イカの目玉を思い出したのか、イカ泳ぎの動作を始めた。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


「手伝ってくれてありがとう。本当に助かった。」
 夜になって店を閉めた女性が、4人に深々と頭を下げた。
「自己紹介がまだだったね。あたしはキュッリッキ・レフティプー。」
「キュ?」
 名前を聞き取れなくて、フェイスマンが首を傾げる。
「キュッリッキ・レフティプー。フィンランドの名前だから覚えにくいよな。あたしはこっちの生まれだけど。ま、好きなように呼んでくれ。レフティーとかリッキーとか。」
 淡い色の金髪を短くした長身の氷屋は、体脂肪が少なく筋肉量が多い、固そうな腕をしていた。
「ミス・レフティプー、この仕事を普段は1人で全部やってるのか?」
 結構ヘトヘトになったハンニバルが尋ね、電話が乗っているデスクの前にある椅子に腰かける。他の面々は、他に座る場所がないため立っているしかなかった。氷を置く場所はあるものの、そこに尻を乗せるのは気が引ける。
「3日前までは両親とあたしの3人でやってたんだけど、2日前、両親が急にアラスカに行っちまって。“暑くてもう無理です。アラスカに行ってきます。涼しくなったら戻ります”って書き置き残して。」
「暑い時こそ氷屋は忙しいだろうに。」
「うん、そうなんだ。でも両親が暑さに耐えられないのも、わからなくもないんだよね。2人とも生まれ育ちはフィンランドなわけだし。それに、あたしが余計なことしなければ、つまり氷屋のそもそもの仕事だけだったら、あたし1人でもギリギリできるくらいだから、もしかしたら“余計な仕事を増やすな”ってあたしに言いたかったのかも。」
「余計な仕事って? かき氷?」
 そう訊いたのはフェイスマン。30℃を超えないとかき氷を売らないという拘りも、仕事が多くて手が回らないからだろう、と推測する。本当は、30℃を超えるとかき氷が売れ出すというデータがあるからなんだけど。
「それもある。イベントごとがあると、かき氷の露店を出したりもする。あと、氷像作ったり、氷の部屋を作ったり、アイスリンクの整備したり、動物園や水族館とコラボしたり。ちょっと前に友達の結婚式で氷像作った時、テレビで取り上げてもらってさ。それから有名になって、氷に関することなら何でもござれのマッド・アイスウーマンなんて呼ばれて、注文の数が爆上がり。」
「その氷の像、オイラ見た! アナウンサーの結婚式だろ? あの像見て感動して、そんでこれ買ってもらったんだ!」
 マードックがネルシャツの前をバッと開けた。下に着ていたTシャツの柄は、有名なネズミのカップル。買わされたのはフェイスマン。因みに革ジャンは、暑いので病院に置いてきました。
「虫の知らせってのかな、病院出る時、このTシャツ着てこうって思ってさ。」
 虫の知らせは、悪い予感に対して使う言葉。だから、そのTシャツを着ようと思ったのは、何らかの電波を受信したからでしょう。
「そんで、俺たちァあんたの親父さんとお袋さんが帰ってくるまでこの仕事続けんのか?」
 コングが疲れた筋肉をマッサージしながら尋ねた。マードックがこれ以上喋らないように。
「そうしてもらいたいのも山々なんだけど、Aチームを雇うのって高いんだろ? はっきり言って、あたしにそんなお金はない。今日手伝ってもらった分のお金はもちろん払うけどさ。」
「じゃあこの後どうすんだ? 1人じゃこなせねえだろ。」
 キュッリッキは大きく溜息をついた。
「実は、一昨日、あたし1人で全部の仕事をやろうとしたら、しっちゃかめっちゃかだったんだ。全然時間が足りなくて。大勢の人に迷惑かけちゃってさ。だから、今日やった仕事は、かき氷以外は両親がやってた作業だけなんだ。あたし個人の仕事は全部後回しにしてもらって。明日はそっちの仕事を中心にやんなきゃなんない。」
「その仕事の中であたしたちができそうなことは?」
 ハンニバルが尋ねた。
「ちょ、ちょっと、ハンニバル、さっき彼女、“お金ない”って言ってたよ?」
 仕事料が見込めないのに、フェイスマンがすんなり承諾するわけがない。
「Aチームへの報酬は払えなくても、一般人のアルバイト代くらいなら出せるんじゃないか? それに4人全員じゃなくても、必要な人員だけでよかろう。」
「オイラどうせ暇だから、かき氷作りやるぜ。日給、かき氷2杯とゴハン3食でどう?」
「そんくらいなら出せるよ。じゃあ、ネズミシャツの人、かき氷頼む。」
「モンキーって呼んで。」
 キュッリッキとマードックが契約成立の握手をする。
「その他に明日やる仕事は、1つはアイスリンクの整備なんだけど、それはちょっと難しい作業だから、あたしが行くよ。午前中だけで終わるし。氷像作るのと氷の部屋を作るのは、今暑すぎるからって断った。あとは、動物園に動物が食べる氷を持ってくのと……。」
「それオイラやりたい!」
 マードックが挙手。
「てめェはかき氷作るんだろ。」
「そうだった。」
 しゅんとするマードック。
「動物園でかき氷売るのは?」
 フェイスマンがぼそっと言う。
「動物園での出店許可は取ってないよ。」
 その意見をキュッリッキが却下。店頭やイベントでかき氷を売る許可は取ってあるけれど、動物園内はその範疇にはない。
「その辺は俺が何とかするよ。だから、明日は小窓のとこに“今日は動物園でかき氷販売してます”って張り紙して、動物園に動物用の氷を持っていくついでにかき氷を売ればいい。」
 マードックに向かって、「どう?」という顔をするフェイスマン。明るい顔で頷くマードック。
「じゃあ、あたしはアクアドラゴンを借りてきますわ。」
 それは無給だな。
「俺ァ用なしだな。バイトの方に行かせてもらうぜ。」
「力あるから頼もしかったんだけど、仕事があるんじゃ仕方ないな。」
 正規の仕事(自動車整備のアルバイト)を優先したいコングだが、いい筋肉をしている女性に頼もしいと言われて悪い気はしない。むしろ嬉しい。口角がちょっと上がる。
「トラックに氷積み込んだり、かき氷機積み込む時は言ってくれ。手伝うぜ。」
 積み込んだものを下ろすことや、帰りに積み込むことまでは考えが至っていないコングであった。
「あとは、あたしが何本か電話して、イベントの打ち合わせをするくらいだ。」
「そういうのは、フェイス、お前さんの得意分野じゃないか?」
 話を振るハンニバル。
「まあイベントプランナーやったこともあるし? できなくもないってくらい? 相談くらいなら乗るよ。」
 そんなこんなで、結局明日もまた氷屋の仕事をするAチームであった。いや、明日を待たずとも、今から。


〈Aチームの作業テーマ曲、始まる。〉
 動物園から預かって冷蔵庫に入れておいた果物、魚、肉を入れた氷を作るキュッリッキ。具を製氷機にセットさえしてしまえば、あとは機械が作ってくれる。別の製氷機を操作してプレーンな氷を作るハンニバル。受話器を手に、キュッリッキの代わりにイベントの計画を練るフェイスマン。日給のかき氷を自分で作って食べるマードック。
 キュッリッキが手動のかき氷機を出してきた。その使い方をマードックに教え、試しにかき氷を作ってみる。そのかき氷を食べるマードック。氷の削れ具合に納得が行かず、手動かき氷機の刃を研ぐキュッリッキ。
 コングがピザと飲み物を買ってきた。それと、折り畳みの椅子とテーブルも。かき氷を食べ終えたマードックがコングを手伝って椅子とテーブルを開き、ピザの箱を開け、缶飲料を配置する。
 電動かき氷機の清掃と刃のチェックを終えたキュッリッキが席に着く。フェイスマンも電話を切って席に着く。ハンニバルも軍手を脱いで席に着いた。
〈Aチームの作業テーマ曲、終わる。〉


「買い物ありがとう、マッチョな人。」
 キュッリッキがピザに手を伸ばす前にコングに頭を下げた。
「コングって呼んでくれ。そうだ、財布返さなきゃな。レシートは財布ん中入れといた。」
 ズボンのポケットから無骨なナイロンの財布を出し、キュッリッキに渡す。
「椅子とテーブルは俺からのプレゼントだ。」
「いいのかい? 結構するだろ、こういうの。」
「リサイクルショップでタダ同然だったんでな。それに、俺たちも座るとこがねえと不便だしよ。」
「どうもありがとう。」
 もう一度、キュッリッキはコングに頭を下げた。
「んな、頭下げてねえで、早くピザ食え。冷めちまうだろ。」
 キュッリッキは頭を上げて、笑顔で頷くと、ピザに手を伸ばした。
「それにしても、ここ、ほぼ工場だよね。製氷工場っていうの?」
 辺りをぐるっと見て、フェイスマンが言う。
「ああ、こんな町中に製氷工場があるとは気づかなかった。」
「パパさんとママさん、フィンランドからこっちに来て、ここの土地買ってこんだけの機械入れたってことは、お金持ちだったのかな?」
「うーん、戦争のどさくさでアメリカに来たってことしか聞いてないんだよね。祖父母の話も聞いたことないし、両親がフィンランドにいた頃の話も聞いてない。あたしもフィンランドに行ったことないし、フィンランド語も全然わからない。あたしの名前が変わってるからって幼稚園でいじめられて、何でこんな名前なのかって両親に泣いて尋ねたら、父親が“俺たちはフィンランド人なんだ。お前の名前はフィンランドじゃ普通の名前なんだ”って。」
「俺、フィンランドの歴史ってよく知らないんだけど、確か隣がソ連じゃなかった? それが嫌でこっち来たのかな。」
 地理があやふやなフェイスマンが、取ろうとしたピザのチーズが切れなくて四苦八苦しつつ言う。
「フィンランドが寒すぎて嫌んなってこっちに来てみたら、思ってたより暑くてまいったって線もあるぜ。」
 そう言いながらマードックは、フェイスマンが箱の上に落としたチーズを手掴みで取って口に運んだ。そしてその指を舐めた後、ズボンの腿のところで拭う。
「ともあれ、ここはエアコンがないのに暑くないな。外は暑かったのに。」
 上着を脱ぐことに頭を巡らせていたはずだったのに、氷屋に入った途端にそのことを忘れていたハンニバル。
「製氷機の排熱は外に出してるし、この中はでかい氷もあるから、暑くはないね。冬は寒いけどさ。配達行ってた父親が“外は暑かったわー”って言いながら帰ってくると、夏になったな、って思うんだよね。」
「けど、親父さんとお袋さん、暑いからってアラスカ旅行に行っちまったんだよな?」
 何かおかしいぞ、といった表情でコングが尋ねる。
「……ミス・レフティプー、ご両親は普段ここで暑いって言ってたか?」
 ハンニバルの表情が険しくなった。
「ここでは全然。2階に寝室とかリビングとかあるんだけど、そっちでも別に暑いって言ってなかった気がする。」
「ということは……。」
「何か事件に巻き込まれた?」
「あたしの余計な仕事のせい?」
 フェイスマンとキュッリッキが同時に言った。
「いや、お嬢さんの仕事のせいじゃないさ。その証拠に、ほら。」
 と、ハンニバルが壁を指差した。そこここにキュッリッキの作った氷像や氷の部屋の写真が貼ってある。テレビで放送された時の写真(テレビ画面を撮ったもの)もある。
「あの写真、君が貼ったんじゃないんだろう?」
「そう、両親が貼ったんだ。」
「余計な仕事だと思ってるんだったら、写真貼ったりしねえぜ。」
 コングの言葉を聞き、キュッリッキの瞼に涙が湧いてきた。
「じゃあ父さんと母さんは何でアラスカ行ったんだ?」
「アラスカに行ったわけじゃないかもね。何でなのかは、調べないと。……調べるって言っても何をどう?」
 手がかりがなくて、フェイスマンも困惑状態。
「フィンランド行く?」
 すごく嬉しそうなマードック。
「まずは手がかりを探そう。」
 そう言って、ハンニバルは缶ビールを飲み干した。


〈Aチームの作業テーマ曲、再び始まる。〉
 製氷工場の中で、闇雲に何かを探すAチーム。電話の乗った机の引き出しの中に入っている書類をつぶさに調べるハンニバル、貼られた写真の裏を1枚1枚見ていくマードック、壁や製氷機などを調べていくフェイスマン、四つん這いになって床をコンコン叩いているコング。
 その後、キュッリッキの承諾を得て、2階の住居を探すAチーム。キュッリッキの両親の寝室を調べるハンニバル、バスルームの棚の中を調べるマードック、リビング兼ダイニングルームを調べるコング、キッチンを調べるフェイスマン、自室を調べるキュッリッキ。
〈Aチームの作業テーマ曲、再び終わる。〉


「さて、わかったことを聞かせてくれ。」
 折り畳み椅子に座って折り畳みテーブルを囲む面々をハンニバルが見渡した。2階にダイニングテーブルと椅子があることは判明したけど、誰もそれを使おうと言い出さない。
「じゃあ俺から。」
 と、フェイスマンが話し始める。
「キッチンの床下収納に果実酒がいくつも漬けてあったんだけど、その隙間にこれが入ってた。」
 テーブルの上に置かれたのは、ポリ袋で包まれた紙袋。
「で、この中身は……。」
 フェイスマンが紙袋の中から書類を引き出してテーブルに広げる。
「ここの土地と家を買った時の権利書や領収書。あと、製氷機の領収書も。トラックのもある。」
「何でそんなもん、床下に入れとくんだ?」
 思わずコングが突っ込みを入れる。
「机の引き出しに入ってなかったから、どこにあるのか不思議だったんですよ。」
 ハンニバルも不満そう。引き出しの裏まで調べたのに。
「何で床下収納に入れたかなんて知らないよ。理由はともかく、土地も家も製氷機もトラックも、現金一括払いで買ってる。」
「やっぱパパさんとママさん、お金持ちだったってわけか。フィンランドの王族だったのかも。」
 王制は第一次世界大戦の1か月後に終わりました。
「両親にお金があったなんて信じられない……。」
 キュッリッキが眉間に皺を寄せる。
「そりゃまあ土地と家と製氷機とトラックと、その他にもいろいろと買っただろうから、君が生まれた時にはすっからかんだったんじゃない?」
「しっかし、そんな大金、よく持ってたな。フィンランドで持ってた土地や家を売った金か?」
「銀行から借りたって可能性もある……かな?」
「ご両親がこっちに来たのは、戦中か戦後だろう? 銀行にそんな余裕はなかったはずだ。それに、どさくさで入国した外国人に銀行の審査が下りるなんて、余程のコネがない限りあり得んだろう。」
「でも、両親ともアメリカ国籍持ってるよ?」
 両親のことを外国人と言われ、キュッリッキが口を挟む。
「それはきっと後になってから取得したんじゃないかな。外国人でも英語が堪能で役に立つ人なら国籍取得できるから。氷屋をやっているっていう実績が評価されたんだと思うよ。」
「あるいは偽造か。」
 フェイスマンの思いやりのある説明の後に、ハンニバルがぼそっと呟いた。
「ところでよ、何も金目のもん見つかんなかったんだが、誰か見つけたか? 現金は置いてなくても、銀行の預金通帳とか普通あるはずだろ。」
 首を横に振る面々。
「でも、銀行の通帳、あるはずだよ、父さん名義のが。あたし個人の通帳はあたしが持ってるけど。旅行行くのに通帳持ってくかな? 財布は持ってくとしても。」
「それとさ、オイラ思ったんだけど、キュッリッキの生まれた後の写真はあんだけど、それより前のもんが何もないんだよね。パパさんとママさんの結婚式の写真とか。戦争のどさくさでこっち来たから何も持ってこらんなかった、ってのはあるかもしんないけど、小さい写真の1枚や2枚はありそうなもんじゃね?」
「それはあたしも前から思ってた。あたしが生まれる前のものがないんだ、家とか製氷機以外。」
「……この家の中で争ったような形跡はあったか?」
 そうハンニバルが訊いた。首を横に振る4人。
「ううむ、他に気づいたことは?」
「旅行に行くんなら冷蔵庫の中は空っぽかな、と思ったんだけど、結構沢山入ってた。まあ、リッキーさんがいるわけだから、おかしくはないね。」
 フェイスマンが発言した。
「あたしはご両親の寝室を調べたんですけどね、トランクとかスーツケースがありませんでしたよ。」
 続けてハンニバルが発言。
「それは、両親がトランクもスーツケースも持ってないからだと思う。旅行に行くことなんて今までなかったし。」
 そう言うキュッリッキもトランクやスーツケースは持っていない。
「家族で旅行することもなかったのか?」
 そう尋ねたのはコング。コングも弟妹が多すぎて、家族旅行なんてほとんどしなかったけど、まだ弟妹が少なかった頃には何度か行ったことがある。
「なかった。だって氷屋の仕事があるからさ。あたしはサマースクール行ったり友達とキャンプに行ってたから、親に旅行に行きたいなんて言ったことないし。」
「ミス・レフティプー、ご両親の寝室を見てくれないか? 服がどのくらい減ってるか。」
「わかった。」
 階段を上がっていくキュッリッキ。しかし、すぐに戻ってきた。
「両親の服、見てみたけど、考えてみればいっつも同じような服着てたから、どれくらい減ってるかわかんなかった。元々何を何枚持ってるのかも知らないし。」
「そうか。つまりそれは裏を返せば、旅行のために服を何枚も持っていったわけじゃないってことだな?」
「母さんのショッピングバッグもあったし、目覚まし時計もあったし、財布と通帳だけ持っていったって感じ。」
「軽装で旅行に行ったってことか! そんならすぐ帰ってくるね、パパさんとママさん。」
「そんな簡単な話だったら俺たちが頭寄せ合う必要なんかねえだろ。」
 マードックの呑気な意見をコングが却下する。
「……何かヤバいことに巻き込まれてるとか言うんじゃないだろうね?」
「巻き込まれてる……と言うより、問題は大金の出処ですな。」
「ハンニバル、リッキーさんのご両親がフィンランドで強盗か何かしたんじゃないかって考えてる?」
「ああ。戦争のどさくさで、どこかから大金を盗み出した。しかし2人だけでできるようなもんじゃなく、もっと仲間がいた。仲間と山分けするはずだった大金を、2人が全部持ってこっちに来た。って筋書きはどうだ?」
「それで、その仲間がこの場所を探し当てた。だから、2人は逃げた、ってことか。」
「モンキー、ミス・レフティプーがテレビに出た時、彼女の名前は出てたか?」
「どうだったっけかな……そうだ、ちょっと待って。」
 マードックは壁に貼ってある写真を見た。テレビ画面を写真に撮ったやつを。
「ボケてるけど、このテロップ、きっと名前だ。アイスウーマン、キュッリッキ・レフティプーって。」
「あたしが取材されたせいで、両親の居所が昔の仲間にバレて、それで逃げたってこと?」
「あり得る線だ。レフティプーなんて苗字、こっちにはそうそういないしな。電話帳で氷屋のレフティプーを探して、電話して氷を注文して、店まで取りに行くって言えば、店の場所もわかる。」
「父さんと母さん、あたしを残して逃げて、あたしが人質になったらって考えなかったのかな。」
 キュッリッキの脳内は、テレビ取材をOKした後悔よりも置いていかれた悔しさの方向に向かっていた。
「部屋が慌てて出ていったって雰囲気じゃないから、逃げたんじゃなくて、昔の仲間と接触しに行ったのかもよ。あっちから連絡が来てさ。奪った大金を山分けするって持ちかけて、隙を突いて仲間を抹殺すれば、リッキーさんに危害が及ぶこともない。」
「そしたら両親、強盗犯だけじゃなくて殺人犯になっちまうだろ。」
「強盗の方はもう時効じゃねえか?」
「いや、国外逃亡した場合には、犯人が国外に出た時点でカウントが止まるぞ。」
 何だか物騒な話になってきている。


 と、その時。
「何か視線感じんだけど、窓んとこ、誰かこっち見てねえ?」
 小窓に背を向けているマードックが言った。
「誰かいる!」
 小窓の正面にいたフェイスマンが立ち上がって駆け出し、ドアを開けて表に出る。その頃には全員が立ち上がってドアに向かっていた。角を曲がったフェイスマンは、逃げていく男を全速力で追った。
「もう1人、反対に行った!」
 走りながら、背後を指差してそう叫ぶ。それに反応して、コングとマードックが道の反対側に走っていく。
「あれは親御さんか?」
 ハンニバルがキュッリッキに尋ねた。
「違う、知らない人。」
「フェイス、思い切りやっちゃって!」
 ハンニバルが言うので、フェイスマンは男の膝下にタックルした。前のめりに倒れる男。その脚を押さえたまま立ち上がったフェイスマンが、逆エビ固めを決める。押さえ込まれた男は最初はもがいていたものの、すぐに動かなくなった。
「はい、両手を頭の後ろに組んで。うつ伏せのままでね。フェイス、もういいぞ、脚放してやれ。」
 追いついたハンニバルが男の後頭部に拳銃の銃口を押し当てる振りをして、ピザの真ん中に立ってるやつを押し当てる。ピザの箱を重ねた時に下のピザが潰れないようにするやつ。何でそんなもん持ってんだ、ハンニバル。
「名前と用件を聞こうか。」
「イライジャ・ディングリーだ。かき氷を買いにきた。」
 後頭部に銃を突きつけられていると勘違いしてくれた男は、素直に口を割った。眉をハの字にして顔を見合わせるハンニバル、フェイスマン、そしてキュッリッキ。
「そうか。手荒なことをして済まなかった。」
 ハンニバルはピザのアレをポケットにしまい、男が立ち上がるのに手を貸した。ちらりと顔を見ると、20代と思しき青年だった。
「だが、今もう0時を回ってる。こんな時刻にかき氷を売っているわけがないだろう。」
「俺もそう思ったんだけど電気が点いてたから、もしかしたらと思って。」
「うちは19時で閉店だ。その上、かき氷は30℃以上の時だけしか売らない。19時過ぎても次の日の準備をしているから電気は点いている。あと、それと、人んちを覗くんじゃない。泥棒か強盗かと思われるぞ。あたしからは以上だ。」
 ハンニバルのセリフのようだが、キュッリッキの言葉である。
「わかった。夜遅くに覗いて悪かった。」
 非を認めて、男が謝る。
「怪我してない?」
 服を両手でパンパンと払う男にフェイスマンが尋ねる。
「ああ、ちょっと手を擦り剥いただけだ。押さえ込まれた時は腰とか首とか痛かったけど、今はもう平気。」
「さ、それじゃあんたさんももうお家に帰んなさい。」
 ふらふらと歩き出した男の背を見送る3人。
「悪ィ、逃がしちまったぜ。」
 コングとマードックが小走りで戻ってきた。
「途中で見失っちまった。」
 主にマードックが走っていたようで、両手を膝に置いた馬跳びの馬の姿勢でハアハアしている。
「こっちは捕まえましたけど、かき氷を買いに来たんだそうだ。」
「何でこんな夜中にかき氷買いに来んだ? 店やってるわけねえじゃねえか。」
「酔っ払ってたわけでもなさそうだったし、世の中には変な人がいるもんだね、ハハハ。」
 そう言って、フェイスマンは肩を竦めた。
「ん? 何だろ、あれ。」
 ちょうど覗き男をタックルで倒した場所に紙片が落ちているのを見つけ、それを拾うフェイスマン。
「これ、この写真、さっきの奴が落としたのかな。」
 フェイスマンが拾った紙は、古い写真だった。それをハンニバルに渡す。
「ミス・レフティプー、この写真に見覚えは?」
 ハンニバルは写真を一瞥してから、キュッリッキに回した。
「かなり古い写真だね。見覚えはない……けど、これ、父さんと母さんじゃないかな、若い頃の。」
 それを聞いて、ハンニバルとフェイスマンは慌てて道の先を見た。しかし、先刻の男、イライジャの姿は既にない。
「逃がさなきゃよかった……。」
 がっくりと頭を落とすフェイスマン。
「しかし、手がかりが掴めただけよしとしましょう。」
 キュッリッキから写真を受け取り、氷屋に戻っていくハンニバル。他の4人もその後をついて行った。


「これが父さんで、これが母さん。多分。」
 白黒で色褪せた写真をテーブルに置き、キュッリッキが小指の先で両親と思われる2人を差す。写真にはその他に2人の男が写っている。職場の同僚といった感じだ。
「この後ろに写っている建物は?」
 ハンニバルが尋ねた。
「知らない。だいぶ立派な建物だけど、これ、アメリカじゃないよね?」
「うん、建物の装飾とか石造りの感じからして違うね。フィンランドなのかな?」
「ここさ、何とかパンッキってあるじゃん。銀行じゃね?」
 マードックが建物のファサード上部を指して言う。
「何だ、おめェ、フィンランド語わかんのか?」
「わかんないよ。でもパンッキとバンク似てるっしょ?」
「言われてみれば、格式ある銀行っぽいよ、これ。服装も清楚で銀行員っぽくない?」
 写真に写っている4人ともに、知性と品が感じられる。
「うちの両親、銀行員だったってこと?」
「銀行に就職した記念の写真じゃねえか? そんなことでもなきゃ、銀行の前で写真撮んねえだろ。」
 そうコングが言い、他の全員が「確かに」と呟く。
「よし、フェイス、この場所がフィンランドの銀行なのか調べてくれ。大使館に訊けば教えてくれるだろうさ。」
「わかった。他には?」
「シロップの補充頼むわ。」
 かき氷係のマードックが注文する。
「アクアドラゴン持ってきてくれ。」
 ハンニバルも注文する。
「動物園でかき氷機乗せんのは、このテーブルでいいか? 強度が足りなそうなら補強するぜ。」
「モンキーが無茶しなければ、このテーブルで大丈夫だと思うよ。」
 コングがキュッリッキの返事を聞いてマードックを睨むと、マードックは“任せとけ”と言うかのように胸をドンと叩いた。


 翌日の動物園では、ペンギンやオットセイやシロクマに魚入り氷が与えられ、ゾウやカバにはスイカ入り氷が、ライオンやトラには肉入り氷が与えられた。氷を与えるのはコング。リヤカーに乗せた氷を引いて回っては、動物園の係員の指示に従って氷を投げ入れていく。
 動物園の休憩所の脇では、マードックがかき氷を削っては横の老婆(無論、ハンニバル)に渡していた。老婆は客の注文を聞いてシロップをかけ、スプーンつきストローをぶっ刺して客に渡し、代金を貰う。老婆の横では、アクアドラゴンが座ったまま動かない。
「アクアドラゴンの中、入んねえの?」
 マードックがかき氷機のハンドルを回しながら老婆に尋ねる。
「暑くてな。」
 そう、アクアドラゴンを着てみたものの、午前中のまだマシな気温の中でさえ暑くて気が遠くなってきた。それで急遽、老婆コスに変更したハンニバルだった。しかし、老婆の姿でもカツラや服が暑い。
「しかし、フェイスの奴、何でこんないろんな種類のシロップ持ってきたんだ?」
 いちご、メロン、ブルーラムネ、プレーンシロップ(白またはみぞれ)の他、マンゴー、レモン、抹茶、グレープ、オレンジ、アプリコット、パイン、ピーチ、バナナ、ライチ、ざくろ、チェリー、スイカ、カシス、コーラ、ジンジャー、コーヒー、ローズ、シナモン、ココナッツ、ミントの25種に加え、トッピングの練乳とあんこもある。おかげで注文する客も何にしようか迷って時間がかかるし、作る方も大変だ。次第に、マンゴー&バナナとか、コーラ&ココナッツ&レモンといった組み合わせを注文する客も出てきた。
「そこにあったからじゃねえの?」
 マードックの言う通りである。深夜いや未明の倉庫に忍び込んで、シロップをありったけ盗んできたのだ。どれにすればいいか選ぶに選べなくて。
「この調子じゃ午前中に売り切れそうだな。」
 足元のクーラーボックス(動物園が気を利かせて貸してくれた)から氷を補充するマードックに老婆が言う。
「昼休みに一旦戻って氷持ってこねえと。ってか、俺っちもう疲れた。」
 10時の開園から1時間半、かき氷機のハンドルを回し続けているマードックが音を上げる。店では電動かき氷機を使っている意味がわかった。ビバ、電動! 動物園の電源を借りられないのは急な出店だったから仕方ない、とマードックは諦めていた。コングのバンの後ろに突っ込んである発電機を持ってくればいい、ということに、誰一人として気づかずに。
「頑張れ、大尉。氷がなくなるまでの辛抱だ。」
「うん、頑張る……。」
 午後のことは考えたくない2人だった。


 と、その時、フェイスマンが走ってきた。
「あれ、やっぱりフィンランドの銀行だった。大使館の人が、何かの資料で見たことがあるって調べてくれてさ。第二次世界大戦前の中央銀行だって。戦時中に爆撃受けて大破して、今は新しい建物になってるらしい。」
 写真をハンニバルに返そうとして、ハンニバルが老婆コスで、かつ、かき氷にシロップをかけては客に渡していることに気づき、「俺が持ってるね」と手帳に挟む。
「それと、イライジャ・ディングリーは昨日アンカレジからロスに来てる。今どこにいるかはわからないけど。」
 空港に行って、身分を偽って、各社に搭乗者リストを当たってもらったフェイスマン。
「アラスカか……。その写真を取り返しに、また氷屋に来るかもしれんな。」
 ハンニバルが険しい表情を見せる。客からの注文を聞いてかき氷にシロップをかけながら。
「そしたら『動物園でかき氷売ってます』って張り紙しといたから、こっち来んじゃね?」
 マードックも必死にかき氷を削りながら言う。
「奴さんが来たら、写真を返して、事情を聞き出そう。何でそんな写真を持っているのか、写真に写る人物とどういう関係か、何で氷屋にかき氷を買いに来たなんて嘘をついたか。」
「来なかったら?」
 フェイスマンが恐る恐る問う。
「来なかった時のために、そいつの滞在先を探っといてくれ。」
「言うと思った。でもその前に、仮眠取らせてもらっていい? 俺、一睡もしてなくてさ。」
 フェイスマン以外は6時間くらい寝たけれど、フェイスマンはずっと何かしらやっていて、目の下の隈をコンシーラーで隠している。因みに言うまでもないことだが、コンシーラーの使い方はちょっと前の彼女(一流企業のCEO)に教えてもらった。
「それじゃアクアドラゴンの中に入って寝たらどうだ?」
「ああ、それ、いいかも。」
 頭が回っていないのか、早速アクアドラゴンの中に入って、後ろを閉めてもらって横になるフェイスマン。瞬時に眠りに落ちたらしく、暑いとか臭いとかいう苦情もなかった。
 時々アクアドラゴンが寝返りを打って、かき氷を買いに来た客が驚いていたが、それ以外はイライジャ・ディングリーが姿を現すこともなく、何か起こるわけでもなく、漫然と時間が過ぎていった。持ってきた氷が底を突くまでは。


 そろそろ正午。MPのオフィスで、リンチ大佐は始末書(Aチームを追って街路樹5本と消火栓2本をなぎ倒した件)を書きながら、昼食は何にしようかと考えていた。と、その時、電話が鳴った。
「リンチだ。ああ、何だ、お前か。」
 休暇を取っている部下からだった。デレデレした顔で「娘と動物園に行く約束をしてるんです」と言っていた記憶がある。
「何? 動物園にバラカスがいる? 動物に氷をやってるだと?」
 その声を聞いて、周りの部下たちが腰を上げる。
「わかった、今すぐ急行する!」
 ドタバタとオフィスを出ていくリンチ&部下の皆さん。Aチーム、ピーンチ!


「動物に氷やんの、終わったぜ。」
 リヤカーを動物園の物置に返却したコングがかき氷屋のところにやって来た。
「こっちも氷がなくなった。一旦撤収だ。」
 ハンニバルがそう言って、アクアドラゴンの蓋を開ける。
「フェイス、帰るぞ。」
「え、もうそんな時間?」
 と、フェイスマンがハンニバルの左腕を引っ張って腕時計を見る。
「まだ昼じゃん、びっくりした。夕方まで寝ちゃったかと思った。」
 ハンニバルがアクアドラゴンを脱がせている間に、コングが片づけをしているマードックを手伝う。折り畳みテーブルを畳み、その上にシロップや紙コップ等を入れた袋を乗せて荷紐で括りつけ、テーブルの端をマードックとハンニバルが持つ。コングはかき氷機を抱えている。
「フェイス、お前さんはアクアドラゴン運搬係だ。尻尾、引き摺らないようにな。」
「オッケ。」
 かくしてAチームは駐車場に停めたトラックに向かっていった。
 トラックの運転席にコングが、助手席にハンニバルが乗り、フェイスマンはコルベットの運転席に、マードックは助手席に座った。そして氷屋に向けて出発。
 2台の車が去った後、動物園にMPカーが大挙して押し寄せた。


 氷屋に帰り着くと、ちょうどキュッリッキもマウンテンバイクに乗って帰ってきたところだった。
「どうしたんだい? かき氷屋は?」
 ハンニバルの老婆姿に何の疑問も持たずにキュッリッキが尋ねる。
「持っていった氷が全部売れたんで戻ってきた。」
「そんなに売れたのか。ご苦労さま。動物にやる氷の方はどうだった?」
「全部やってきたぜ。特にシロクマが喜んでたな。どいつもこいつも可愛かった。」
 コングが動物たちの様子を思い出してニマニマする。
「ずりーよ、コングちゃん。俺なんか2時間ずっとかき氷作ってただけだぜ。右腕だけパンパンでだるだる。右腕だけコングちゃんみてえになるかもよ。」
 最後の方はかき氷機のハンドルを握る握力もなくなっていたマードック。
「そりゃ楽しみだぜ。」
 そう話しながら、どやどやと店の中に入り、早速キュッリッキが氷室から氷を出してきて、その代わりの氷を作るべく製氷機のスイッチを入れる。
「午後はあたしが行くよ。モンキー、シロップかける係ならできそうかい?」
「そんくらいなら。」
「シロップ係を馬鹿にしちゃいけませんよ。何てったって25種類あるんですからね。」
「見てたから知ってる。言わせてもらうと、大佐、シロップかけすぎ。」
「そうだったか?」
「飽くまでも主役は氷なんだかんね。シロップかけすぎたら、氷融けんの早くなっちまうし。」
 そんな話をしている間に、キュッリッキがかき氷機用の氷を切る。見る見るうちにジャストサイズの氷がゴロゴロとできていく。
「そう言えば、リッキーさん、あの写真の建物、フィンランドの中央銀行だった。あと、覗き男はアラスカから来てた。」
「アラスカからわざわざかき氷を食べに来たわけじゃないよね? うちの両親と関係があるのかな。」
 と、その時、小窓がノックされた。
「こんにちは、かき氷は……え、動物園?」
 イライジャ・ディングリー&もう1人の男だった。張り紙を見てイライジャが首を捻る。
 ハンニバルが小窓を開けた。
「よく来てくれた。向こうに回ってくれ。」
 と、ドアの方を指差す。フェイスマンはドアを開けて2人を迎え入れた。そして、折り畳み椅子を勧める。
「かき氷、何味にする?」
 電動かき氷機で氷を削りながらマードックが尋ねる。
「ええと……。」
 戸惑うイライジャ他1名に、コングがメニューを渡す。かき氷屋営業中は小窓の外に出しているものを。
「ブルーラムネをお願いします。」
「チェリーください。」
「はいよー。」
 マードックが氷の上に適量のシロップをかけ、スプーンつきストローを刺して2人に渡した。
「2つでおいくらですか?」
「ああ、いいよ、サービスだ。」
 氷を包む手を休めて、キュッリッキが言う。
「ありがとうございます。」×2
 そう言うと、2人はかき氷を食べた。
「これは美味い!」
「こんなふわふわな氷、初めてだ!」
 夢中で食べる2人。
「アラスカにはかき氷ってないの?」
 そう尋ねるはフェイスマン。
「ないんですよ、かき氷。アイスクリームはあるんですけど。……え、俺たちがアラスカから来たって、何で……?」
「君のことを調べさせてもらった。もうおひと方のことはわかりませんがね。」
「僕は、弟のナサニエルです。」
「ああ、兄弟なんだ。でさ、これ、君のだよね?」
 フェイスマンが写真を出してイライジャに差し出した。かき氷にストローを突き刺して、空いた手で写真を受け取るイライジャ。
「そうです、俺のです。あの時落としたのか。拾ってくれてありがとうございます。」
「どういたしまして。」
 写真を落とした原因はフェイスマンなんだけどな。
「その写真に写っているのは、こちらのミス・レフティプーのご両親じゃないか?」
 そうハンニバルが尋ねる。
「そうです、キュッリッキさんのお父さんとお母さん、それと俺たちの父と、サーリネンさん。中央銀行勤務時代の同期だって言ってました。」
「でも君、ディングリーって苗字……?」
 不思議そうにフェイスマンが訊く。
「うちの父、婿養子なんですよ。母方がディングリーで。父の旧姓はカンカーンパー。」
 ケンケンパーにさも似たり。
「……ちょっと待て、それは戦前の写真で、戦前に銀行員だったってことは……君たちの親御さんって今いくつだ? あたしより上じゃないか?」
「父は70歳です。母は50目前ですが。」
 ハンニバルの問いにイライジャが答える。なかなかの年の差婚であることよ。
「うちの両親も70だったかな。あたし、かなり遅くにできた子でさ、健康に生まれてきて医者に驚かれたって母親が言ってた。」
「上だな……。」
 70歳で氷屋の仕事を続けているのはすごいぞ、と内心称賛を贈るハンニバルであった。
「それで何であんたたちがうちに来たわけ? かき氷食べに来ただけじゃないよね?」
「かき氷を食べに来ただけです。父から、レフティプーさんが氷屋をやっていて、お嬢さんがかき氷を売り始めたって聞いて。」
「美味しかったです、ご馳走さま。こっち、暑くてまいってたんで、冷たいの食べて生き返った感じです。」
 弟が活き活きとした顔で言う。
「ところで君たち、レフティプー夫妻がアラスカに行っているようなんだが、何か聞いてないか?」
 またもや尋ねるハンニバル。
「いつだったっけ、3日前かな、父がレフティプーと会ってくるって出かけて、それで帰ってきてからかき氷の話をしてくれたんです。それですぐに俺たち2人でかき氷を食べに来たってわけです。」
「いても立ってもいられなくて。だって、雪にシロップかけたようなものかと思ったから、そんなの何でわざわざ作って食べるんだろうって思って。でも雪とは全然違ってました。氷からして味が違ってて。」
 結構失礼なこと言ってるけど、失礼だと気づいていない弟。
「ホントにアラスカ行ってたんだ、ご両親。」
 フェイスマンが呟くように言った。
「その次の日には観光案内するって、父が言ってました。」
 イライジャの話に、同期会兼観光旅行だったのか、と安堵したりがっかりしたりほっこりしたりのAチーム&キュッリッキ。


 と、その時。
「ただいまー。」
 ドアを開けて、ハンニバルより年嵩の夫妻が姿を現した。
「あら、大勢集まって、キュッリッキのお友達?」
「お前のことが心配になって、早めに帰ってきたぞ。」
「え、ええと、みんな、あたしの父さんと母さんです。こっちは仕事を手伝ってくれたAチームの4人と、アラスカからかき氷食べに来たディングリー兄弟。」
「カンカーンパーんとこの坊やか。親父さんから“かき氷食べに行くってすっ飛んでった”って聞いたんだが、本当だったのか。すごい行動力だな。」
「かき氷がメインの目的ですけど、ロスに行ってみたかったっていうのもありますし、キュッリッキさんにお会いしたかったっていうのもあります。」
「何言ってんだ、あんた。」
 そんな感じで、お互いに自己紹介&握手しまくる面々。
「細かいこと話さずに急に留守にしてごめんなさいね、キュッリッキ。」
「旧友のカンカーンパーが、お前がテレビに出てるの見て、俺たちの居所を調べて、連絡くれてな。それで奴もアメリカにいるって言うから、会いに行ってたんだ。ちゃんとお前にも話したかったんだが、お前、忙しくしてて話す機会がなくてな。」
「書き置きに説明書くのも面倒になっちゃって、暑いからアラスカ行く、って適当なことしか書かなかったのよ。」
「それはいいんだけどさ。」
 大きく溜息をついて、キュッリッキが言葉を続けた。
「父さんと母さん、何で大金持ってたんだ? アメリカ来て、家と土地と製氷機とトラックを買ったんだろ?」
「それねえ。まず1つは、私の実家が地方の資産家だったのよ。でも家が大きかったんで国の施設と間違えられて戦争で執拗に爆撃されて、都会に働きに出ていた私以外みんな死んじゃって、それで遺産がね。」
「もう1つは、俺の親が田舎で林業やっててな、持ってた広大な土地を戦争が始まる前に全部売り払って金に換えたんだ。大きな戦争が起こるってことは予測できてたから、焼け野原になったり国に没収されたりする前に金にした方が得策だろ。その金持ってスイスにでも移住しようかって時に戦争が始まって、親兄弟全員やられちまった。」
「それで私もお父さんも銀行員やってたから、家のお金をスイスの銀行に預けておいたのよ。私たちそれぞれの名義で。戦争となったら相続税も有耶無耶にできるし。」
「戦争のおかげで母さんと結婚できたしな。」
「うちの親がお父さんとの結婚を認めてくれなくてねえ。そんなわけで、キュッリッキ、あなたのお祖父ちゃんもお祖母ちゃんもだいぶ前に死んじゃってて、写真も何も残ってないのよ。」
「銀行強盗やったり銀行のお金を盗んだりしたわけじゃないんだね?」
 祖父母のことは割とどうでもいいキュッリッキが、一番気になっていたことを訊く。
「そんなことするわけないだろ。俺たちがそんなことできると思うか?」
「思わない。」
「だろ?」
「ところでさ、何で氷屋やろうと思ったん?」
 いきなりマードックが質問。病院を退院させられた暁には、かき氷屋を開こうと思い始めているので。
「フィンランドからあっちこっち経由してサンフランシスコに辿り着いて、そこで最初にお世話になったのが氷屋のご主人だったんだ。そこで働く代わりに住まわせてもらって、仕事と英語を覚えて、あんまり長いことお世話になるのも悪いから、ロサンゼルスに来て、氷屋を始めたってわけだ。」
「まだ当時は冷凍庫つきの冷蔵庫が高くて、庶民が易々と買えるものじゃなかったのよ。それに、私たちが氷屋を始めてから、そこの通りに飲食店が沢山できて、毎日本当に忙しかったわ。」
「冷凍庫やロックアイス作るちっちぇえ製氷機が普及して、やっと落ち着けたもんな。」
「でもそうしたら今度は氷が売れなくなって、それで水質に拘ったり、氷の質に拘ったりして。あの時は科学者みたいだったわよね。」
「それで美味い氷だって言われるようにはなったが、俺たちは従来の氷屋の域を出られなかったからな。キュッリッキ、お前が氷屋の新しい道を切り拓いてくれて、俺は本当に嬉しいし鼻が高いよ。」
「え、父さん、そんな風に思ってたんだ、あたしのこと。」
 父親の言葉を反芻し、じわじわと照れ臭くなって背を向けてしまうキュッリッキだった。


「あ、俺たちそろそろお暇しないと。飛行機の時間があるんで。」
 イライジャが時計を見て立ち上がった。ナサニエルも立ち上がる。2人から空の紙コップを受け取るキュッリッキ。
「皆さんのこと、父に伝えますね。それじゃ、ご馳走さまでした。」
「機会があったら、また。」
 ディングリー兄弟が足早に去っていった。
「あたしたちも動物園行かなきゃ。」
「そうだった。」
 キュッリッキとマードックがドアに向かう。
「2人だけで大丈夫か? 何だったら手伝うぜ。」
「2人で大丈夫、ありがとう。」
 コングの申し出に礼を言って、キュッリッキがドアを開け、マードックも続いた。
「さて、ご両親も戻ってきたことだし、あたしたちはお役御免かな。」
「頼まれてた調査もキャンセルだよね?」
「当然。」
「あの……。」
 アジトに戻ろうとしていたハンニバル、フェイスマン、コングにキュッリッキの母親が声をかけた。
「娘の手伝いをしてくださって、ありがとうございました。」
 夫婦で深々と頭を下げる。そして母親が父親の方に手を掌を上にして差し出すと、父親は懐から小切手帳を出して手の上に乗せた。さらに、電話の横のペンを取って母親に渡すと、母親は小切手にさらさらと書き込んでピッと小切手を切った。その所作は、決して一般的氷屋の奥さんのものではなく、資産家の娘のそれだった。
「4人分のお手伝いのお礼、これでいいかしら?」
 1000ドルの小切手を受け取ったハンニバルが、それをフェイスマンに渡す。フェイスマンは眉をクッと上げた。Aチームの報酬としては少ないけれど、4人分のアルバイト代としては十分。
「はい、ありがたく頂戴いたします。」
 小切手を押しいただき、懐に入れるフェイスマン。
「娘は氷屋の仕事、ちゃんとできてました?」
「もちろん。お嬢さん、立派な氷屋ですよ。」
「よかった。……また私たちが旅行に行く時には、お手伝いをお願いしても?」
「ああ、引き受けましょう。お嬢さんに仕事を叩き込まれましたからな。」
 そうしてAチームの3人は氷屋を後にした。いや、しようとした。フェイスマンがくるっと振り返って尋ねる。
「銀行の通帳ってどこに管理されてます?」
「近くの銀行の貸金庫に入れてありますけど。留守の間、お金が必要だったのかしら?」
「いえ、そういうわけではなくて、えー、自分の通帳の管理に不安を感じてるんで、元銀行員のご意見を参考にしようと思いまして。」
「でも、貸金庫借りるのも結構するからなあ。いちいち出してくるのも面倒臭いし。ああ、このことも後でキュッリッキに教えなきゃな。」
「ご意見、ありがとうございました。それじゃ、また何かあったらお声がけください。」
 ヘコヘコと頭を下げながら退出するフェイスマン。次の瞬間。
「フェイス、何でアクアドラゴンがここに放置されてるんですか!」
「知らないよ〜。俺のせいなの、それ?」
「アクアドラゴン運搬係に任命したでしょう。」
「はいはい、俺が悪うございました。」
 ドアの向こうから声がして、レフティプー夫妻は顔を見合わせて微笑んだ。
 因みにアクアドラゴンを道端に放置したのはマードックである。トラックの荷台に載っていたのを、ぽいっと投げ捨てたというわけ。だから、放置されて5分も経っておらず、車に轢かれてもいなければ通行人に蹴飛ばされてもいない。無事でよかったね、アクアドラゴン。


 コングは自分のバンに乗って本来のアルバイト先に向かった。
 ハンニバルとフェイスマンはコルベットに乗ってアジトへ(アクアドラゴンは車のトランクにぎゅむっと入ってる)。一仕事終わったのに、不完全燃焼のためハンニバルは葉巻に火を点けていない。
「そう言えば、ハンニバル、老婆のままじゃん。」
 ハンドルを握るフェイスマンがちらりと助手席を見て言った。
「あらホント。忘れてましたわ、誰も何も言わないから。」
 その時、反対側の車線の向こうからMPカーの一団が走ってきた。
「あれ、リンチじゃない?」
「そうだな。ま、この車じゃ気づかれないでしょ。」
 ハンニバルの言う通り、MPカーはコルベットを完全に無視して擦れ違っていった。
「コングのバイト先、あっちだっけ?」
 と、フェイスマンが顎先で後方を示す。
「いや、確かこっちだったはずだ。」
 ハンニバルが顎で前方を示す。
「じゃコングのバン見つけて追いかけてったってわけでもないのか。」
「何してんでしょうねえ。」
 ハンニバルが楽しそうに笑う。
「そうだ、帰ったらチョリソ焼いてくれませんかね?」
「ああ、忘れてた。氷もあるんだった。ハンニバル、かき氷食べる? 食べるんなら、どっかでかき氷機とシロップ、手に入れないと。」
 買うとは言わないフェイスマン。
「かき氷はしばらくいいですわ。暑いから、ビールに氷入れるってどうだ?」
「氷、ロックアイスじゃなくて5ポンドのブロックなんだ。」
「かき氷機サイズか。じゃあ無理だな。」
 すっかり氷に詳しくなっている2人であった。
 その後、ハンニバルは冷えたビールで喉を潤し、油迸るチョリソに舌鼓を打ち、食後、満足しきって葉巻に火を点けたのだった。
 だがしかし、アクアドラゴンは未だにコルベットのトランクでぎゅむっとなっている。危うし、アクアドラゴン! このままだと変な癖がついてしまうぞ! 既に頭が若干右向いて、尻尾が少し左に曲がってるぞ!
【おしまい】

上へ
The A'-Team, all rights reserved