悪役令嬢に転生したわけではないけれど

小さなみかんもお手軽に剥きたいわたくしが通りますが何か?
鈴樹 瑞穂
「ふっほ、はっほ。」
 長閑な田園風景、収穫後の畑の中に真っ直ぐに続く道を、ジャージ姿のフェイスマンが走ってくる。日課のランニングである。先月の人間ドックで体脂肪率の右上がり傾向を指摘され、一念発起してトレーニングウェアを調達し、走り始めてそろそろ1週間だ。現在の潜伏場所はマイアミ郊外のとある田舎町で、住宅地を抜ければすぐに広大な畑が広がり、ランニングコースには事欠かない。
「よし、今日もノルマ達成だ。」
 もう12月も後半だというのに、日中はまだ暖かく、走っていると暑いくらいだ。フェイスマンは首にかけていたスポーツタオルで額の汗を拭いつつ、アパートの階段を上って部屋のドアを開けた。
「ただいま〜って、何してんだ、モンキー。」
 リビングのソファに座るマードックの前のテーブルには、3段になったケーキスタンドとティーセットが並んでいた。ケーキスタンドにはハンバーガーにオニオンリング、ポテトフライ、チキンナゲット、そしてビーフジャーキーが山盛りになっており、ソーサーに置かれたティーカップの中身は一見ブラックコーヒーかと思われたが、よく見ると炭酸がしゅわしゅわと弾けている。紛うことなきコーラである。
「ごきげんよう、フェイスさん。」
 澄ました顔でマードックはティーカップを取り上げた。カップを持つ手の小指をピンと立てたままゆっくりと口に運び、一口飲んで、徐に小首を傾げる。
「どうかなさいまして?」
「いや、今度は何の真似を始めたのか訊いていいかな?」
「もちろんですわ。わたくしは深窓の薔薇にて、クレイジー・マッドの銘をいただく者。」
「わあ、全然意味がワカラナイヨ。」
「考えるな、感じろ、ですの。ご一緒にお茶をいかが? コングさん、フェイスさんにプロテインを用意していただける?」
 すると、反対側のソファで死んだ魚のような目で牛乳のカップを手にしていたコングが立ち上がった。
「おう、任せな……ざます。」
「ざます!? ざますって何?」
 そそくさとキッチンに引っ込んだコングを見送って、ハンニバルが説明する。
「いや、暇潰しにポーカーをしていてな、罰ゲームで1時間お嬢様言葉で過ごすことになったんですわ。」
「罰ゲーム? 3人とも?」
「いいえ、わたくしだけですわ。」
 とマードック。
「つい伝染ってしまったんですわ。」
 とハンニバル。
「プロテイン持って来たぜ……ざます。」
 とコング。
 頭を抱えるフェイスマン。ここはこの遊びに乗っておいた方がいいのか。それにしても何だ、このナンセンスワールド。お嬢様を誤解していないか。ざますって何だよ。もう俺が手本を見せるしか。
「ありがとう、コングさん。いただきますわね。」
 フェイスマンはドカリとマードックの隣に腰を下ろし、ティーカップに注がれたプロテインをコングから受け取った。


 30分後。ようやく罰ゲームも終わり、通常の口調に戻ったAチーム一同は、エイミー経由で入った依頼の主に会うべく、バンに乗って田舎道を直進していた。
「ここだな。」
 ファーム・タナカと書かれた看板を確認し、コングがバンを停める。
「そのようですわね。」
 罰ゲーム終了かと思いきや、ツボに入ってしまったのか未だお嬢様言葉を続けているマードックがそう言いながらバンを降りる。
 母屋と作業場、周囲に広がるのはどうやら果樹園のようで、オレンジのような実が生っていた。だが、見慣れたオレンジよりどう見ても小さくて平たい形をしている。
「スミスさん? お待ちしておりました。」
 作業場から出てきた小柄な女性が声をかけてきた。彼女はリボンのついた鍔の広い帽子を被り、たっぷりと襞の入ったエプロンドレスを身に着けている。
「わたくし、タカコ・タナカと申します。この農園を経営しておりますの。」
 日系らしいミセス(ミス?)タナカは年齢不詳の容貌で微笑んだ。
――お嬢様だ……。
 フェイスマンは思わずマードックの方を窺った。革ジャンにベースボールキャップといういで立ちながらもマードックは優雅にミセス・タナカに会釈する。
「ごきげんよう、タナカさん。クレイジー・マッド・マードックですわ。これ、つまらないものですけれど。」
 差し出されたビーフジャーキーの袋にも動じず、ミセス・タナカはにこにこと頷いた。
「まあ、ご丁寧に畏れ入ります。お上品な方ですのね。マッドさんとお呼びしてもよろしくて? わたくしのことはタカコと。」
「もちろんですわ、タカコさん。」
「おほほ。」
「わはは。」
 何やら意気投合したらしいミセス・タナカとマードック。その傍らで顔を見合わせるハンニバル、フェイスマン、コング。もうミセス・タナカの相手はマードックに任せよう、そうだな、そうしよう。
「あら嫌だわ、わたくしったらお客様にこんなところで立ち話なんて。どうぞ、お入りになって。すぐにお茶の支度をしますわ。」
「そう言えば、そろそろ午後のティータイムですわね。」
 マードックのお嬢様言葉も段々と板についてきたような気がするが、喋っているのは革ジャンのオッサンである。


 ミセス・タナカに案内されて作業場に入っていくと、その一角にはアンティークなテーブルと椅子が置かれ、壁際のキャビネットには1客ずつ別々のお高そうなカップ&ソーサーが並んでいた。これまた高価そうな紅茶缶から茶葉を量って、ミセス・タナカが紅茶を煎れてくれる。
 ポットにお湯を注いで、ティーコジーを被せ、砂時計を引っ繰り返して待つこと3分。
「どうぞ。今日のお茶はラプサンスーチョンですの。」
 マードックがソーサーごとカップを取り上げ、神妙な面持ちで口にする。
「結構なお点前で。」
「正露丸のにお……。」
「済みません、ミルクをいただいても? ハハッ。」
「こりゃ美味いな。」
 思わず素直な感想を漏らしかけたコングの口を、すんでのところでフェイスマンが塞ぐ。その横ではハンニバルがお茶請けに出されたバターたっぷりのショートブレッドに舌鼓を打っているが、ティーカップには手をつけていない。
「それで、ご依頼の内容はどういったことで?」
 このままでは埒が明かないと悟ったフェイスマンが単刀直入に尋ねると、ティーポットから最後の一滴を丁寧に自分のカップに落としたミセス・タナカがポットを置いて、手を打った。
「あら嫌だわ、わたくしったら。そうそう、皆様に来ていただいたのは他でもありませんの。これ、御存知かしら?」
 ミセス・タナカの差し出した籠に盛られた果実を見て、マードックが首を横に振る。
「御存知ありませんわ。」
「こちらでは珍しいから無理もないですわね。これはみかんと言って、父の祖国では冬によく食されているポピュラーなオレンジですの。父はこれが大層好きで、食べたいあまりに農園で栽培を始めたのですわ。」
「ではこちらはそのみかん農園で?」
「メインはオレンジですけれど、今年は不作で。」
「そう言えば、オレンジジュースは一時期品薄だったな。」
 ハンニバルが手にしたみかんを眺めつつ、頷く。
「そうなんですの。ですから今年はこのみかんを主に出荷しようと考えておりました。」
「こいつぁ小せえし随分と皮が薄そうじゃねえか。どうやって食べるんでい。」
 みかんのヘタとお尻を掴んで押してみて、コングが眉を寄せた。
「外側の皮は手で剥けます。こうして、下側から指を入れて――
 ミセス・タナカは籠から優雅な手つきでみかんを取り上げ、ヘタの反対側からぐっと指を入れたかと思うと、するすると皮を剥いてみせる。あっと言う間に花びらのような皮と身に分離しており、正直、Aチームの面々には何が起きたのか、よくわからなかった。
「薄皮はそのままいただけましてよ。薄皮やこの白い筋のところにも栄養があるのです。よろしければ皆さんもどうぞ。」
 房をばらして口に運ぶミセス・タナカに倣って、みかんの皮を剥こうとするAチーム。だが、ぼろぼろと断片が剥がれるばかりで、ミセス・タナカのように繋がって剥けない。因みにこのみかん、日本で言うところのSサイズで、ミセス・タナカと違い、手の大きなマードックたちにとってはかなりちんまりとしたサイズ感であった。
「ええっ?」
「むっ。」
「こいつぁ難しいな。」
「上手く行きませんわ。」
 乱暴に皮を剥ごうとするものだから、果肉まで捲れてちょっとした惨事になっている。ようよう皮を剥いたみかんを丸ごと口に放り込み、もぐもぐと咀嚼したマードックが目を輝かせた。
「はひほれ、はまひ。」
「まあ、マッドさんたら。口に物を入れたまま話すのははしたなくてよ。」
 ごっくん。
「何だこれ、甘いじゃねえか。」
 驚きのあまり、素で呟くマードック。
「確かに美味いな。」
「オレンジより繊細な甘みと酸味で食べやすい。」
「剥くのはてえへんだがな。」
 ハンニバル、フェイスマン、コングも口々に述べた。
「そうなんです、味には自信があるのですけれど、どうにも皮が……特に手の大きな殿方には剥くのが難しく、面倒なようで。皮ごと齧って、苦いと仰る方もいましたわ。」
「そうだろうなあ。」
 皮ごと齧って顔を顰めたコングがしみじみと呟く。
「皆さんにかかればどんな問題も解決するとエイミーさんから聞きましたの。どうかこのみかんの皮剥き問題を何とかしていただけません?」
「そりゃ大変ですわね。大船に乗った気持ちでお任せくださいですわよ。」
 ばーんと胸を叩くマードック。お嬢様言葉を続けることにしたようだが、何だかちょっと怪しいのだった。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 山盛りのみかんを横に、模造紙を広げて設計図を書き、喧々囂々議論を交わすコングとハンニバル。その傍らで何とか花びら状に皮を剥くべく、みかんを手にして四苦八苦しているフェイスマン。マードックはみかんの表と裏をためつすがめつ、手にしたメジャーでサイズを測っている。
 マジックハンドやフック状の器具、なぜか泡立て器やマッシャーまでずらりと並べてみかんの皮剥きに挑戦するフェイスマン。フェイスガードをつけて何かを溶接するコング。マードックがみかんの寸法について模造紙に書き込み、その比率についてハンニバルが指差して質問している。
 ところどころ焼け焦げたみかんの皮や、身がついた皮が積まれていく。みかんの食べ過ぎで手が黄色くなっているフェイスマン。ハンニバルがマードックの計測結果を見ながら図面に修正を入れてコングに渡す。手渡された設計図を見てニヤリと笑うコング。親指を立てるマードック。
 空になったみかん籠。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


「こいつが、みかん皮剥きくん3号でい。」
 アンティークなテーブルの上にコングが置いた器具――金属板の上に開き具合を調節できるフレームが4本出ており、フレームの先端にはシリコンのカバーがついている――を見て、ミセス・タナカが手を打った。
「まあこれが。素晴らしいですわ。どうやって使うのでしょう?」
「やって見せますわ。ここにこうしてみかんを置いて――
 マードックがフェイスマンから渡されたみかんをフレームの中央になるよう、金属板の上に置く。
「ヘタが下になるようにしたら、左右のフレームを果頂部に挿し込み、外側に引きます。」
「まあ、皮ごと半分に割れましたわ。」
「左右のフレームを外して、一旦みかんをくっつけて、90度回してもう一度。」
「まあ、皮ごと4つに割れましたわ。」
「あとはヘタのある側から果肉を剥がせば、あっと言う間に剥き上がり。」
「まあ、筋までほどよく取れますのね!」
 マードックが剥いたみかんの房を1/4、そのまま口に放り込んで頷いた。
「効率もいいし、これならそれほど面倒でもないかと。」
 フェイスマンがみかんの食べ過ぎで黄色くなった手でみかん皮剥きくん3号を指差す。
「そうですわね、この剥き方なら面倒ではないわ。」
 そう言って、ミセス・タナカが取り上げたみかんを引っ繰り返して両手の親指を差し込み、割って見せる。あっと言う間に4つに割って、彼女は言った。
「でも、手で割った方が早いかもしれませんわね。」
「そんな……あ、ホントだ。」
「確かに。」
 マードックとフェイスマンがミセス・タナカの後に続いて、顔を見合わせる。
「3回も試作して完成度を高めたのは何だったんだ……。」
 がっくりと項垂れたコングの肩を、ハンニバルがぽんと叩いた。
「いや、そう気を落としなさんな。手がみかん臭くならないという点においては、みかん皮剥きくんは頗る有能だぞ。」
「あらあらまあまあ、そういうニーズもありますわね。」
 ミセス・タナカがぽんと手を打った。


 その後、ファーム・タナカのみかんは食べやすく美味しいと評判を呼んだ。1袋10個入り、2袋まとめて買うとみかん皮剥きくん4号が1つ、ついてくる。両方の親指に填めるシリコンサック型のそれを使えば、手がみかん臭くなることなく、簡単にみかんの皮が剥けるのだ。
「おかげで手軽にみかんを食べる人が増えて、売れ行きも上々だって。」
 フェイスマンがエイミー経由でミセス・タナカから届いた手紙を読み上げる。リビングのテーブルの籠に積んであるみかんは、手紙と一緒に送られてきた謝礼の品である。早速みかんを手に取って、マードックが言った。
「それはよろしゅうございましたわ。」
 今日もポーカーで負けたマードックは、1時間お嬢様言葉で過ごす罰ゲーム中である。
「ナイフを使わずに食べられるのはお手軽ですわね。」
「何と言っても、美味いざます。」
 釣られたハンニバルとコングも、怪しげな言葉遣いでみかんに手を伸ばしたのだった。
【おしまい】
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