人の話は聞け、の巻
フル川 四万
 鬱蒼と繁った木々の隙間から、太陽の光が筋状に降り注ぐ。フェイスマンは、もう何時間もこのジャングルをさ迷っていた。シャツの袖は過酷な行程で既に千切れており、剥き出しの腕が熱帯のシダの葉で切れて、うっすらと血が滲み、それが汗と混じって足元にポタポタと垂れた。気温は、計るものがないからわからないが、体感だと40℃は超えている。
「はあ、はあっ……。」
 合流地点までは、あと15km。歩き始めて4時間余り。日没までは、あと3時間。平坦な道ならば軽いランニングで余裕なはずだが、ハンニバル手書きの地図とコンパスを頼りに道なき道を進んでいる現状からは、この先何時間かかるのか想像もつかない。だが、フェイスマンは鉈で行く先の木の枝を薙ぎ払いながら呟いた。
「……行くしかないもんね。」


 前回の依頼で入った金額がちょっと大きくて、これで悠々自適のクリスマス休暇を、と目論んでいたフェイスマンに、ハンニバルが告げたクリスマスの予定は、まさかの“特別訓練”。
「最近、楽な仕事が多くて、お前たちも気が緩んでいたと思う。その証拠に、前回のテロリスト討伐の依頼、何とかやり切ったものの、危ない場面も何度かあった。特にフェイス、お前はもうちょっと人の話を聞きなさいな。お前が作戦のキーワードを聞きそびれたせいで、2回も作戦変更しなきゃいけなかったことは忘れていないだろうな?」
「まあ、ね。でもほら、終わりよければすべてよし、って言うし。」
「却下だ。作戦は、過程の美しさも大事な要素だ。甘く見てもらっちゃあ困る。だから、ここらでちょっと腕も精神も鍛え直しておかにゃ、イザという時に満足な動きができん。従って、今年のクリスマス休暇は、むふふ、聞いて喜べ、今年のクリスマスはジャングル特別訓練とする! 明朝7時、各自、必要な装備を揃えて空港に集合のこと。」


 そう言ってニカッと笑ったハンニバルの顔を、今でも憎々しく思い出すフェイスマンであった。そして、訓練つったって、どうせ国内だろ? と踏んで、カジュアルな装備でやって来た自分の甘さを呪った。まさか、本当にボルネオのジャングルまで運ばれるとは、自分はまだ、ハンニバル・スミスという巨人への理解が足りないのかもしれない。その証拠に、あとの2人、コングとマードックは、真っ当な軍人スタイルで現れたのだから。
 しかし、ボルネオまでは遠かった。コングは、体感4分で着いたと言っていたが、それは特異体質に特殊な搭乗スタイルが掛け合わさった結果なので全く参考にならない。
 そして、今日のフェイスマンのいで立ちと言えば、ヘビーデューティーをお洒落に解釈した普段着、靴だけ軍用ブーツ。あとは、今朝3人別々のスタート地点でハンニバルに渡されたナップサック(中身;水、レーション1食分、小型のトランシーバー1台、コンパス、鉈1本、小さなみかん数個)と手書きの地図だけ。
「まあ、昔から突飛なことしか考えないからなハンニバルは、ハハ、深く考えるのやめよう。無事訓練を終えたら、何かご褒美あるんだろうし。」
 フェイスマンは、そう言いつつ目の前のツタを薙ぎ払った。ハンニバルの決めたタイムリミットは、日没。それまでに合流地点に到着しなかったら、最悪、置いていかれる。まさか、本当に置いて帰りはしないだろうけど、何らかの追加訓練は課されるであろう。それだけは避けたい。さっさと訓練を終えて、何とかイブまでにはロスに帰りたい。約束や、別の約束や、それとは別の約束が詰まっているのだから。相手はもちろん、美女か金持ちか、美女で金持ちか、リッチなナイスバディ。それを思うと、やる気も蘇るってものよね。
 立ち止まって額の汗を拭ったフェイスマンの耳に、遠くから聞こえてくるヘリコプターの音。見上げると、ボディを赤くペイントされた小型のヘリだ。
「何だよハンニバル、上から見張ってるってこと?」
 おーい、と手を振るフェイスマンの上を、ヘリが轟音と共に通り過ぎてゆく。何の反応も返さないヘリを見送ったフェイスマンは、再び歩き始めた。


 そして歩いていると、背後を何かが通った……ような気がして振り返る。よく見れば、木の枝が揺れているような気がする。低い位置で揺れているから、多分、動物だろう。
「トラ……とかじゃないだろうね、ここ何がいるんだっけ、サル? イノシシ?」
 フェイスマンは、情けない顔で当たりを見回す。いくら訓練だって、野生動物は待ってくれない。口八丁手八丁は、言葉が通じない相手には全く通じないのだから。
「トラじゃありませんように……ほら、これでも食べな。」
 ナップサックから小さなみかんを1つ取り出し、何かが潜んでいそうな繁みに投げた。
 キャッ、と小さな声がして、繁みの中を何かが駆けていった。
「サルかな。トラじゃなくてよかった。」
 フェイスマンは再び歩き出した。


 またしばらく進んだところで、急に目の前に現れたのは深い崖。底までは50m超はあろう。
「これどうすんの? ハンニバルの地図には、高低差あるなんて書いてなかったよね?」
 そりゃそうだ。ハンニバルの絵心で仕上げられた簡易マップには、まるで一筆書きのような筆致で、「山。この辺、ジャングル。これがルート。で、合流地点」と緑のサインペンでぐにゃぐにゃと書き殴ってある。そして、「大体3時間」とも。もう5時間以上経っているけれど。
『将来、ハンニバルがすっごい有名人になって、持ち物とかが高値で売れるようになった時のために、この地図取っておこう。』
 地図を受け取りながら、訓練の概要を話すハンニバルをぼんやりと見つめ、そんなことを思った自分を、今では呪う。もうちょっと食い下がって、せめて印刷物を貰うべきだった、と。右上に雑に書かれた東西南北マークは、上から時計回りに、S→W→N→Eになっていて、そもそもここが地球上かどうかも不明なのだった。
 溜息をついて見下ろす崖は、斜度45〜50°。滑り降りれば何とか降りられそうだが、降りたら降りたで、また登る可能性もあり、迂回路を見つける方が得策か。しかし、迂回路なんてあるの? て言うか、そもそも道ないし。左右を見渡し、水筒の水を一口飲む。別の場所からスタートしているはずのコングとマードックは、もうゴールできたんだろうか。いや、2人の貰った地図も手書きのこんな感じなんだろうし、きっとさ迷っているに違いない。


「仕方ない、時間もないし、真っ直ぐ行ってみるか。」
 そう言うと、近くに生えていた大きめのシダの葉を引き千切り、ソリのように尻に当てがって斜面を滑り降りる。ズザザザーッと、数m滑っては、木とか石とかの障害物に当たって止まり、横にズレてまたズザザザーッと滑っては止まる。何とか20mほど下ったその時。
 バシュ!
 鋭い音と共に、目の前の木の枝が弾け飛んだ。
「え、何?」
 バシュ! バシュ!
 間髪入れずに2発目、3発目。木の幹に深い穴が穿たれていく。
「え、もしかして撃たれてる!? いやいやいや、これ訓練でしょ、ハンニバル、銃撃は、さすがにやり過ぎだって。」
 フェイスマンは身を翻して崖下の窪みに滑り込む。銃声はまだ続いているが、どうやら敵(?)からフェイスマンの姿は見えていないらしい。と、ナップサックから着信音。慌ててトランシーバーを取り出すと、コングから通信が。
「はい、こちらフェイスマン。コングどうした?」
『やべえことになったぜフェイス。モンキーの野郎が奴らに捕まっちまったみてえだ。』
「は? 奴らって? これ訓練だよね?」
『(ザッ……ザッ)俺も最初は(ザザッ)……だと思ってたんだが、どうやら、レッド・コレクティブの奴らに……(ザザッ)……みてえだ。早く合流しねえと(ザザッ……)――
「ちょっとコング、電波が悪いみたいだ、よく聞こえない。(ツーッツーッ)あ、切れた。レッド・コレクティブって、こないだのストックウェルの依頼で壊滅させた極左テロリスト集団じゃないか。まだ残党がいて、俺たちをつけ狙ってるってこと!? いや、わからないけど、これもしかして、訓練じゃあなくて、ストックウェルが仕組んだ罠だったとしたら? あー、あり得るかもね、あのオッサンなら。しかも、モンキーが捕まったって、それヤバくない?」
 崖下に隠れながら、頭をフル回転させるフェイスマン。ええと、ここはボルネオのジャングルで、休暇じゃなくて訓練で、従って敵とかはいないはずで、武器も鉈しか持ってなくて、でも銃撃されてて、先月壊滅させたはずのテロ集団にモンキーが攫われてて、日暮れまではあと2時間くらいで、ハンニバルが合流地点にいるはずで……コングは取り敢えず無事。
「オーケー、把握した。」
 と、トランシーバーを取り出すフェイスマン。裏を引っ繰り返してスペック表示のシールを確認する。
「この機種ならギリ入って200mってとこだな。てことは、さっきコングは俺の周囲200m以内にいたってことか。」
 フェイスマンは、ドロドロになった尻をその辺の葉っぱで雑に拭って立ち上がった。敵に気づかれないように、屈んだまま木の陰から陰へと移動する。トランシーバーは、電池じゃなくてバッテリー式だから、使用しすぎないようにしないと、それから、敵に聞かれるのもまずいし、と、思いつつ、時折スイッチを入れて、コングを探す。
「コング、いたら返事して。」
 小声でフェイスマンが囁く。返事がない。
「コング! どこ? コング!」
『おう、フェイスか。』
 3回目の呼びかけで、やっとコングが応答した。
「よかった、まだ近くにいるんだね。」
『トランシーバーが入るってことは、そうだな。さっきより電波が入ってるから、近づいてるってことだ。で、お前は、今どこにいる?』
「どこにって……わかんない、崖をちょっと下ったところ。」
『崖だと? 中央のでっかい窪地に落ちたのか?』
「いや、道がわからなくて、自分で降りた。」
『何やってんだ。朝のミーティングで、ハンニバルが、中央には深い窪地があるから迂回必須って言ってたじゃねえか。』
「あれ? そんなこと言ってた? 聞き逃してたわ。」
 トランシーバーに向かって肩を竦めるフェイスマン。どうやら、クリスマス・イブをどう過ごすかの楽しい妄想に耽るあまり、ブリーフィングをまともに聞いていなかったらしい。そんなフェイスマンの頭上に、またもやヘリが。その影が眼下の樹木を舐めていく。
「ヘリだ。ハンニバルかな? おーい!」
 と、手を振る。
『馬鹿野郎、そのヘリは敵だ。爆撃されるぞ、早く登れ!』
「えっ、敵?」
 フェイスマンが振り返ったその時、フェイスマンから5mも離れていない場所で、ボンッ! ボンッ! と煙が上がり、火の粉が散った。爆弾にしてはショボイ破裂っぷりだが、フェイスマンの動揺を誘うのには十分だった。
「うわ!」
 ジタバタと崖を這い登るフェイスマン。それはまるで、スパイダーマンのような素早さだった。そして、最後の1段を飛ぶようによじ登ったフェイスマンの腕を、ガシッと誰かが掴んだ。


「コング! 無事でよかった。」
「てめえもな。」
 フェイスマンを引き上げたコング。2人は、素早く岩陰に身を隠した。
「で、何なのよ、この状況? 敵さん、何人くらいいるの?」
「詳しくはわかんねえ。さっきモンキーと合流して、飯でも食うかと火を熾してたら、急に襲撃されたんだ。多分4、5人はいたと思う。」
「レッド・コレクティブの残党ってマジ?」
「ああ、間違いねえ。あの赤い覆面は、奴らに違いねえ。」
「それで、モンキーは?」
「銃撃されて、俺と野郎は別方向に逃げて、敵は奴を追ってったんだ。最後に見た時は、手足縛られて、猿轡噛まされて南西の方向に運ばれていくとこだった。」
(コングの回想シーン。覆面の兵士たちに担がれ、たーすけてーと手足をバタバタさせながら運ばれていくマードック。)
「ヤバいね、ハンニバルとは合流できないかな?」
「合流地点までは、ちっとまだ距離がありそうだぜ。」
「てことは?」
「モンキーの野郎は、俺たちで奪還するしかねえだろうな。」
「……やっぱ、そうなっちゃいますか。」


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 コンパスを片手に、道なき道を進むコングとフェイスマン。
 合流地点の吊り橋で、やることなくて待ちくたびれて欠伸をしつつ新聞を読んでいるハンニバル。もちろんステキな老眼鏡姿。
 縛られてぐったりと横たわるマードック。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉

「見つけたぞ。ここだぜ、奴らの隠れ家は。」
 繁みに身を隠しながら、コングが10m先の開けた場所にある洞窟を指差す。そこには、1人の覆面兵士が焚火の前で見張り番をしていた。肩には、ソ連製のマシンガン、ビゾーンを担いでいる。
「コング、あれ何発あるんだっけ?」
「1回の装填で64発だな。」
「結構あるね。使わせちゃうか。」
 フェイスマンが、見張りの死角を狙って小石を投げた。草むらがガサっと音を立てる。
 覆面男は咄嗟にそちらを振り返り、発砲。20発程度使用しただろうか。男は、静かになった草むらに向って歩き始めた。こちらに背を向けて。兵士が向かう先の少し離れた場所に、フェイスマンが再度石を投げる。カツン、と小さな音が鳴り、兵士は、そちらに発砲。さらに森の奥へと入っていった。
「今だ、洞窟の入口に接近するぞ。」
「おう。」
 そう言って2人が繁みを出て洞窟の入口に向かおうとしたその時、フェイスマンの足が何かに引っかかった。
 カランカラン!
 空き缶を結び合わせた警報装置が派手な音を立てる。
「罠だ、畜生、隠れろ!」
 コングが叫んだのと、兵士がこちらに振り向いたのとは、ほぼ同時だった。
 ダダダダダダダダ!
 こちらに向かって機関銃をぶっ放す覆面の兵士。咄嗟にフェイスマンの前に立ち塞がるコング。そして、次の瞬間、コングの体が弾かれたように跳ね、そのまま地面に倒れ伏した。
「コング!」
 抱き起こすフェイスマン。
「フェイス……くっ、俺のことはいい、モンキーを……助けて……くれ。」
 そう言うと、コングはがっくりと頭を垂れた。
「コング、コングちゃん、しっかりしろ!」
 動かなくなったコングを揺さぶるフェイスマンの前に、ゆっくりと歩み寄った兵士の靴が見える。フェイスマンは、コングを地面に寝かせると、涙目で両手を挙げてゆっくりと立ち上がった。
「……降参だ。」
 覆面の男は、ゆっくりとこう言った。
「だ、か、ら! 人の話はちゃんと聞けと言っただろう。」
 その時、フェイスマンの後ろから、「アォ〜ン!」という遠吠えが聞こえた。振り返ったフェイスマンの目に映ったのは、木の上で遠吠えをする1匹のサル……? サルは、ウッホウッホと木を揺すりながら、そしてこう叫んだ。
「ゴミ袋、ゴミ袋をくれー! ここにゃゴミ袋がないー! みかんの皮が捨てられないー!」
 フェイスマンがゆっくりと前を向いた。覆面の兵士が、赤い覆面を脱ぎ捨てた。背後で、死んだはずのコングが立ち上がった。服についた土埃を払いながら。そして、マードックは、まだ木の天辺で揺れていた。


 翌日。
「もしかして、最初っから俺を嵌めるつもりで作戦を?」
 ここは帰りの機内。眼下には、昨日フェイスマンが散々さ迷ったボルネオのジャングルが広がっている。で、すっかり拗ねているフェイスマン。
「んなわけないだろう。いくらあたしだって、そこまで底意地悪くはありませんよ。作戦は、当初言った通り、ジャングル踏破訓練だけ。だけど、いくら待ってもお前だけ合流地点に現れないもんだから、先に着いたモンキーとコングに探しに行かせたんだ。案の上、迷ってフラフラしてたんで、ちょっと脅かしてやろうと思っただけだ。」
「えっ、2人は何時間で合流できたの?」
「オイラたち? きっちり2時間半。4時間経ってもフェイスが来ないから、超退屈してたんだぜ? ねえコングちゃん?」
 閉じた目の上に、アイマスクの代わりに二○加煎餅を乗せられて眠り続けるコングに語りかけるマードック。もちろん、返事はない。
「あの地図でどうやってそんな……。東西南北だって判別不明なのに。」
「東西南北?」
「うん、ほら、地図の右上に書いてあったじゃん。」
「ああこの、S→W→N→E? これね、東西南北じゃなくて、最初にハンニバルが言ってただろ? S(スタート地点)から西に行って、それから北に上って東に折れるんだ。これで、窪地を回避してゴールまで2時間半ってわけ。それにスタート地点では、3人とも200m以内に配置されてたからね、とっとと合流しようと思ってたのに、フェイスだけ勝手に進んで、トランシーバーの範囲内から消えちゃったから探せなかったんだぜ?」
 フェイスマンは、マードックの話を聞いて、がっくりと項垂れた。
「だから、話を聞けと言っただろう。」
 と、ハンニバルが追い打ちをかける。
「……ごめん。」
 珍しく神妙なフェイスマンだった。
「反省したなら、よろしい。次は……。」
「ま、俺も反省したからさ、これで今年の仕事は終わり。遅くなったけど、これからクリスマス休暇をゆっくりしようよ。」
 許された瞬間、調子に乗ってハンニバルの言葉を遮るフェイスマン。
「何を勘違いしている。次は、海洋訓練だ。これから向かう先は、タヒチ。存分に波と戯れてもらおう。」
 愕然とするフェイスマンを見て、ハンニバルは楽しそうにニカッと笑った。
【おしまい】
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