復讐のモーモーチャーチャー
フル川 四万
~1~
 壁の上に小さく開けられた鉄格子の窓から、夏の日差しが差し込んでいる。部屋に舞う行き場のない埃が、陽を受けてキラキラと輝いている。ここで過ごすのも今週で最後か、と、男は呟いた。
 男の名前は、ホセ・ゴンザレス。41歳。元麻薬密輸組織のナンバー2として名を馳せた男。しかし今は、懲役5年の刑に処されて服役中の囚人だ。長い日々だった。辛い孤独だった。だが、刑期も今週で終わり。彼は、週明けには出所できる予定だった。
 ホセは、手元の便箋に、出所後に頼ることになる舎弟への手紙をしたためている。5年前まで、麻薬組織で彼の部下だった男たちだ。少しおっちょこちょいだが、気のいい奴らだ。何より、出身の村が一緒なのがいい。村の人間なら、俺を見限ったりはしない。それからボス。ボスに会いに行かなくては。ボスには言いたいことがある。
 ホセは手を止めて、何かを考えるように宙を仰ぐ。
 折角だから、手土産を持っていこう。そうだ、あれにしよう、ボスが好きだったアレ……何て言ったか、アレ。ほら、アレ。
 ホセは、しばし考えた後、何かを思いついて手紙に書き加えた。そして畳んだ便箋を封筒に入れ、看守を呼んだ。看守は、無造作に封筒を受け取り、去っていった。


 数日後。
「ハリー、大変だ! ホセの兄貴が出所するぜ!」
 とある日曜の午後、いつものように、点けっ放しのケーブルテレビでボクシングの試合を眺めつつ雑貨屋の店番をしていたハリーの許に、仲間のカルロスが駆け込んできた。
「何だって! 兄貴が出所するってことは、俺たちはまた、組織の構成員に戻れんのか!? こんな、小学生の文房具とスナックを売ってるような雑貨屋じゃなく。」
 ハリーは、カルロスの襟首を掴んでそう言った。
「お、おう、前の組織は、ボスが足を洗って潰れちまったけど、兄貴が組織を再建するなら、その可能性もあるよな! とにかく、手紙を読んでみてくれ。」
 ハリーは、カルロスから手紙を取り上げると、徐に広げた。
「何々……『15日に出所する。刑務所裏口前に13時に迎えを頼む。その足でボスのところに行くので、土産に極上のモーモーチャーチャーを用意しておいてくれ。いいか、極上のだ、頼んだぞ。ホセ・ゴンザレス』……モーモー……チャーチャー?」
 モーモーチャーチャーに思い当たる節がないハリーは、カルロスの顔を見た。
「モーモーチャーチャーって、お前、聞いたことあるか?」
「ない。」
 カルロスも即答する。
「モーモーチャーチャー……何だ、その正体不明の何かは。でも兄貴のたっての頼みだ、用意するしかないよな。」
「正体不明なのに?」
「正体不明でも、だ。しかし、まず何なのか特定しなきゃいけないな。その、モチャモチャを。」
「モーモーチャーチャーな。」
 2人は椅子をぐるりと回し、作戦会議モードへ。
「まず、この手紙は看守に検閲されてるはずだ。」
「つまり?」
「つまり“モーモーチャーチャー”は暗号だ!」
「……かもな。」
 奥から小学生向け英語辞典を引っ張り出す2人。メキシコ出身の彼らにとって、この辞書は命綱である。
「モー…… mow ……『刈る、なぎ倒す、殺す』……物騒だな。」
「チャー…… char ……『焦がす、炭にする』……さらに物騒だぜ。」
 2人の脳内は一気に“武器”の方向へ。
「……つまり、なぎ倒して黒焦げにする武器……。」
「火炎放射器だ!」
 声がハモった。
「普通のじゃダメだぞ。モーが2回、チャーも2回。相当強力だ。」
「50m射程の戦場用。どこで売ってんだそんなもん。」
「探すしかない! 兄貴の復讐だ、俺たちも派手にやってやる!」
「おう!」
 そして、雑貨屋の片隅で、火炎放射器調達ミッションが静かに始まった。


~2~
 ここは、ロサンゼルス郊外の小さなウォーターパーク。流れるプールのプールサイドで、2頭のアクアドラゴンが、楽しげに踊っている。1頭は、普通の、岩っぽい色のアクアドラゴン。中身は、Aチームの御大、ハンニバル・スミスだ。もう1頭は、ピンク色のアクアドラゴン、設定はメス。一応、アクアドラゴネスという名前だが、名乗る機会はない。中身は、Aチームの理性(自称)、フェイスマンことテンプルトン・ペック。もちろん、やりたくてやってるわけじゃない。上下関係により、嫌々の着ぐるみであった。
ハ「僕の名前はモーモー(モーモー)♪」
フ「あたしの名前はチャーチャー(チャーチャー)♪」
ハ&フ「2人合わせてモーモーチャーチャー♪ 甘くて美味しいモーモーチャーチャー♪」
ハ「素敵なデザート、モーモーチャーチャーは、イーストLAウォーターパークの売店で、8月一杯スペシャル・オファー中!」
フ「頬っぺたダダ落ち、間違いなし!」
ハ「一度食べてみてくれ! アクアドラゴンズとの約束だ!」
 グッ! と物騒な爪の生えた親指を突き出す2頭。
「はいカットォ!」
 若いCM監督が2人に声をかける。途端にグラリと揺れるアクアドラゴネスを、アクアドラゴンがガシっと支えた。
「やあ、ありがとう、いい絵が撮れたよ。」
 CM監督はニコニコである。
「ふむ、そうであろう。で、オンエアは?」
 ハンニバルが、アクアドラゴンの首の蓋を開けて言った。
「急いで編集して、週開けの15日から2週間、ケーブルテレビで10秒スポットを流す予定だ。いやあ、助かったよ、アクアドラゴン。急にシャークマンとシャークウーマン(昨今人気のキャラクター)が失踪しちゃって困ってたんだ。じゃ、ギャラは、来週中に振り込んでおくから!」
「よろしく頼む。こっちは、シャークマンよりはいい仕事してる自信があるからな。オンエア後に評判も教えてくれ。」
 ハンニバルの言葉に曖昧に頷くと、颯爽と去ってゆく監督を2人は静かに見送った。最近はアクアドラゴンに、他のキャラクターの代役とか穴埋めのオファーが増えていることに、少々不満を申し述べがちなハンニバルであった。
 と、その時。パチパチパチと、かそけき拍手の音が響いた。そちらを見ると、プールサイドなのにシャキッとスーツを着用した1人の女性が、拍手をしながら近寄ってくる。
「見事なお仕事ね、ハンニバル・スミス。」
「カ、カーラ!」
 アクアドラゴネスが嬉しそうな声を上げた。そこにいたのは、ストックウェルの秘書、カーラ。フワフワの金髪巻き毛に、緑地に黒のストライプのスーツがよく似合っている。
 フェイスマンは、彼女に駆け寄ろうとした、が、彼はまだ頭も被ったままのアクアドラゴネス。ヨタヨタと歩み寄るのが精一杯である。
「何だ、今日は1人か。いけ好かないボスはどうした?」
 と、ハンニバル。
「彼はバカンス中。あたしも休みだったけど、急な指令をAチームに届けろって言われて、不本意ながら来たってわけ。」
 手に持った茶封筒をヒラヒラと振る。その間に、やっとフェイスマンが怪獣の頭を脱いで、レーサーさながら小脇に抱えた。
「どんな理由でも……はぁはぁ、美女の訪問は大歓迎だね。……ビキニとかだったら、もっと素敵だったろうけど……はぁはぁ、スーツも悪くないよ、ゲホッ。」
 汗だくの顔で咳込みつつフェイスマンが格好つける。が、慣れない着ぐるみで、既に熱中症の症状が出始めてフラフラな彼氏、表情は虚ろだ。
「……ストックウェルの奴、また何かよからぬことを企んでるのか?」
 フェイスマンに無言でコーラのボトルを手渡しながら、ハンニバルが渋い顔でカーラに言った。
「……ゲータレードない?」
「ない。」
 フェイスマンは、諦めて無言でコーラを受け取り、一気に呷る。
「そうね。ま、立ち話も何だから、座りましょう。」


 プールサイドのパラソルの下で、白いテーブルに書類を広げるカーラ。ハンニバルとフェイスマンは、どれどれ、と書類を覗き込む。因みに2人、ボディは着ぐるみのままなので、額には玉の汗が浮かんでいる。
「さっさと用事を終わらせるわね、あたしも今、本当ならバカンス中だし。まず、この人!」
 カーラは、1枚の写真を指差した。
「この人は、アフマド・ビン・イブラヒム(75)。かつての麻薬組織のボス。5年前の当局の大規模な作戦で逮捕されたんだけど、司法取引で無罪になって、今は郊外で孫娘のアイシャに面倒見てもらって、ひっそり暮らしているわ。ちょっとボケてきてるかも。で、こっちが、ビン・イブラヒムの組織のナンバー2だった、ホセ・ゴンザレス(41)。ホセは、5年前に捕まって、現在服役中。彼が捕まったのは、彼のボスだったビン・イブラヒムが、自分の無罪と引き換えに彼を売ったからよ。」
「自分の部下を? それだけで無罪になるのか?」
「もちろんそれだけじゃなくて、仕入先ルートとか、取引先の組織とか、いろいろ売りまくったっていう、えげつない司法取引だったの。でも、売られた方はたまったもんじゃないわ。」
「そりゃそうだよね、信頼して遣えてたボスが、自分を切り捨てたってことだからね。」
「そう。それで、そのホセが来週、刑期を終えて出所するの。そういう時って、何が起こると思う?」
「うーん、パーティ? それとも……血の雨?」
 フェイスマンが、怠そうにカーラを見やる。
「俺の経験上、こういう場合は後者だな。」
 と、ハンニバル。
「ま、そうだよね。最低でも、一発食らわしてやらないと、気が済まないよ。でも、当局だって出所の予定は把握してるんだろ? ビン・イブラヒムを一時的に保護するとか、考えてないの?」
 ぐったりと椅子の背に凭れてフェイスマンが言った。
「まったく何も。」
 と、カーラは肩を竦めた。
「当局は、もうビン・イブラヒムに使い道はない、と考えてるんだろう。好き勝手に殺し合ってくれれば、クズを2匹始末する手間が省ける、と。」
「そうなの。だから、Aチームに、ビン・イブラヒムをホセの襲撃から守ってほしいの。」
「何で? ストックウェルが何でビン・イブラヒムを守るのさ。」
「彼は、まだビン・イブラヒムに使い道があると思ってる。解明されてないメキシコの密輸ルートの一端を、彼が知ってるはずだって。」
「で、ここで助けて恩を売って、麻薬密輸の闇ルートを吐かせようとしてるのか。」
 ハンニバルの追及に、カーラは肩を竦めた。
「それ以上のことは、わからないわ。とにかく、ビン・イブラヒムには、ホセの出所と、護衛を送る件は伝えてあるから。15日にこの住所に行って、彼をホセの襲撃から守ってちょうだい。ホセについては任せるわ、沈めるなり埋めるなり好きにして。じゃ、あたしはこれで!」
 と言うと、カーラは風のように去っていった。


~3~
 週末、退役軍人精神病院の食堂では『食べて治そう、頭と心! 癒しのお料理教室』が開かれていた。20人ほどの患者が3、4人のグループに分かれ、カセットコンロで卵料理を作っている。メニューは、目玉焼き → 失敗してスクランブル → 固まりすぎてオムレツ…という、ほぼ卵を割って混ぜるだけのノリ。
 だがそれとは別に、不穏な小山が出現しているテーブルあり。
「マードック、それ何の料理?」
 調理師が声をかけると、男は得意げに言った。
「ノイシュヴァンシュタイン城。」
「……城?」
「ヴァン、ね。バンじゃなくて。」
 彼は卵殻を指差した。
「400個分の殻を糸ノコで切り、中身はあっちのバケツへ。殻は外壁に積み、屋根は……これ。」
 足元の木箱から掬い上げたのは、薄茶色いカサカサした物。
「セミの抜け殻!」
「ギャー!」
 調理師は飛び退いた。
「真面目にやりなさい! 彼らのように!」
 と、調理師がマードックの仲間2人を指差す。が、彼らは彼らで、黙々と、割られた卵の中身から400個分のカラザを取っていた。出来上がりの食感に違いが出るので、カラザは取るに越したことはない。栄養は豊富なれど。
「卵、あと100個ほど欲しいな。」
「予備室にあるわ、勝手に持ってきなさい!」
「へーい。」
 マードックは、ひょいと部屋を出た。
 廊下に出ると、台車を押す青いツナギの男が声をかける。
「よう、元気そうだな。」
「おっ、今日はコングちゃん? フェイスは?」
「昨日、流れるプールで熱中症。今朝もダウンだ。」
「夏を満喫してるねえ。じゃ、行こうか。」
 黒いゴミ袋を受け取り、頭まで被るマードック。台車に飛び乗ると、そのまま押されて行く。
 ノイシュヴァンシュタイン城は、ひっそりと取り残された。


~4~
「そうか、仕方ないな……。ま、そういうわけで、明日の午前中にはそっち行くから、待っていてくれ。うん、こっちは4人だ。え? 好き嫌い? ないない。」
 そう言って、ハンニバルは電話を切った。
 ここはAチームのアジト、フェイスマンが調達したリゾートマンションの一室。
「で、ビン・イブラヒムは何て言ってんだ?」
 息を潜めて聞いていたコングが顔を出す。
「本人とは話せなかった。だが孫娘のアイシャによると、ビン・イブラヒムは家から出る気ゼロ、ホセから隠れる気ゼロ。むしろ5年ぶりの再会を楽しみにしてるらしい。」
「殺されるかもしれないのに?」
 マードックが目を丸くする。
「まあ、懺悔ってやつかもな。身を守るためとはいえ、部下を売るのは相当なことだ。」
「ちょっとボケ気味って話もあったし、もう人生どうでもよくなってるのかも。」
 と、フェイスマン。
「どっちにせよ、家から出さずに守る手はある。」
「だな。ビン・イブラヒムの家に着く前に、ホセの野郎をとっ捕まえりゃ話は早い。」
「じゃ、出かけるか。今夜中にいろいろ仕込んじまおう。」


 すっかり日が暮れたロサンゼルス郊外の景色。ここは古い住宅街だ。広い道から、各戸へと続く細い歩道が枝のように伸びており、その先に家。家の裏には、車がすれ違えない程度の細い裏道が通っていた。その裏道に、紺色のバンデューラが、音もなく滑り込んだ。


〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
 颯爽と車から降りるAチーム。ハンニバルが、テキパキと3人に指示を出す。頷いて三方に散る3人。コングは、正面に回り、歩道を掘り始める。マードックは、家の前の木によじ登って、何やら機械を取りつけている。フェイスマンは、でかいアクリル板を、玄関先に運び込む。ハンニバルは、カモフラージュ用の落ち葉つきネットを大量に運ぶ。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉


~5~
 深夜、Aチームの仕込みが終わった頃。ホセ・ゴンザレスの部下、カルロスとハリーは、火炎放射器探しに行き詰まり、雑貨屋の上がり框にへたり込んでいた。
「どこにも売ってないね、火炎放射器。昔の仲間や売人に聞いても、扱ったことないってさ。」
「意外と使わないんだな、火炎放射器。」
「だろ? 『軍から盗め』とか言われても、そんな簡単に盗めるかっての。」
 カルロスがぼやくと、ハリーは肩を竦めた。
「もう作るしかないってことだよね。」
「ってことで、ホームセンターで野焼き用のやつは買ってきたけど……これ、どうやったら火力上がるんだ?」
「燃料タンクを大きくして、噴射口を細く……とか?」
「よくわかんねえけど、やってみよう。」
「おう。」
 2人は、火炎放射器、もとい、『簡単! 強力! 草焼きバーナー』の箱を開け、中身を取り出した。室内では危ないので、店の前の道路に工具と灯油を並べ、改造を始めた。


 8時間後。カルロスはハッと目を覚ました。どうやら途中で寝落ちしていたらしい。時刻は午前9時過ぎ。横の床ではハリーが大の字。周囲にはバラバラの部品と、何とか形になった“火炎放射器”が転がっている。
「そうだ、やっと完成したんだったな。火の長さ50cm……予定の100分の1だけど。」
 カルロスはハリーを揺さぶった。
「おい起きろ、シャワー浴びて兄貴迎えに行くぞ。」
「……まだ目が……。なぁカルロス、テレビ点けてくれ。」
 カルロスがケーブルテレビを点けると、画面には奇妙な怪獣が2匹、上下に揺れながら歌っていた。
『僕の名前はモーモー♪』
『あたしの名前はチャーチャー♪』
『2人合わせてモーモーチャーチャー♪ 甘くて美味しいモーモーチャーチャー♪』
『素敵なデザート、モーモーチャーチャーは、イーストLAウォーターパークの売店で、8月一杯スペシャル・オファー中!』
『頬っぺたダダ落ち、間違いなし!』
『一度食べてみてくれ! アクアドラゴンズとの約束だ!』
「モーモー……。」
「チャーチャー……。」
 2人は呆然と見つめ、そしてカルロスが立ち上がった。
「ほ、本物のモーモーチャーチャー買いに行かなきゃ! 兄貴の出所に間に合わねえ!」
「おう!」
 2人はウォーターパークへと全力で駆け出した。


 同日、午後1時40分。
 ホセ・ゴンザレスは待ちくたびれていた。おかしい。手紙には『13時に迎えに来い』と書いたのに。確かに相手は時間にルーズだが、40分遅れはさすがに異常だ。もしかして、2人に何かあったのか……?
 そんな不安が頭を過った瞬間、目の前にポンコツのシボレーが滑り込んできた。ドアの一部がベコッと凹み、片方のウインカーは潰れたまま。5年前と変わらぬカルロスの愛車だった。
「兄貴、遅れて済みません!」
 運転席からカルロスが叫ぶ。
「モーモーチャーチャー買いに行ってて遅れました! さ、乗ってください!」
 後部座席からハリーも叫ぶ。
「ご苦労。」
 ホセは相変わらずの部下たちの態度に、少し胸が熱くなりつつ助手席に乗り込んだ。
「急ぎましょう、折角のモーモーチャーチャーがぬるくならないうちに!」
 そしてシボレーは荒っぽく高速を疾走。Aチームが待つビン・イブラヒム邸へ滑り込む。
 車のドアを乱暴に開け、急ぎ足で家に向かうホセと2人の部下。
 だが、3人があるラインを越えた瞬間、バィン! と地面が跳ね上がり、でかい仕掛け網にかかって宙吊りになった。
「うわっ!」
「何だこれ!」
「罠かっ!」
 もがく3人の下に、ゆっくりと現れるハンニバル、フェイスマン、コング。
「ホセ・ゴンザレスだな?」
 釣り上げられたホセを見上げ、葉巻を燻らせながらハンニバルが言った。
「そうだ、誰だお前たち……まさか、当局の──。」
「違う違う。」
 フェイスマンが制する。
「ある人から頼まれたんだ。あんたが出所して、ビン・イブラヒムを狙いに来るから守ってほしいって。」
「俺がボスを? そんな馬鹿な! 何でそんな話になるんだ?」
「憎んでるんじゃねえのか? ビン・イブラヒムは、あんたを売ったんだろ?」
 コングが怪訝な顔で訊く。
「売った? 随分と誤解があるようだな。俺は別に、ボスを恨んじゃ──。」
 ホセが言いかけたその時。
「ホセおじさん!」
 騒ぎを聞きつけた少女が家から駆け出してきた。ビン・イブラヒムの孫娘、アイシャだ。
「やあ、大きくなったな、アイシャ嬢ちゃん。」
「おじさん、どうしてそんな高いところにいるの? スミスさん、おじさんを下ろしてあげて!」
 困惑するハンニバル。しばしの見つめ合いの後、アイシャの強い視線に折れた。
「わかった。モンキー、下ろせ。」
 木の上のマードックに合図を送ると、マードックは容赦なく網を下ろした。
 ごちん、と地面に落ちた後、3人がもがきながら網から這い出す。ホセは、いち早く立ち上がり、ハリーとカルロスが立ち上がるのを助けた。
「あー、兄貴どうしましょう。折角のモーモーチャーチャーが、引っ繰り返っちまいましたぜ。」
「ハリー、今そんな場合じゃない。」
 カルロスがハリーを窘めた。
 マードックも木から下りてきて、向き合う4人と3人。
「……立ち話も何なので、家に入りませんか?」
 アイシャが、2組の間でそう言った。


~6~
 ビン・イブラヒム家の居間。立ち尽くす7人の前に、アイシャが別室から車椅子を押して現れた。小さな老人――かつての麻薬組織のボス、ホセ・ゴンザレスの上司、アフマド・ビン・イブラヒムだった。
「ボス……。」
 ホセは一歩前に出て、跪く。
「ご無沙汰しています。本日、出所してきました。」
 ビン・イブラヒムは細い手を伸ばし、ホセの頭に触れた。
「おお、久しぶりじゃのう。元気にしておったか。最近顔を見んから、どうしているか案じておったところじゃ。」
 かつてのボスの言葉に、ホセは眉を顰めた。
「お祖父ちゃん、年だからちょっと記憶力が……でも大丈夫。おじさんのことは覚えてるし、いつも気にしてたから。」
 アイシャがにこりと言うと、ホセは「そうか」と頷いた。
「さあ、お茶にしましょう。皆さんが来ると聞いて、アイシャ得意のブブチャチャを作ったのよ。そしたらお土産にもブブチャチャが来て、最近流行ってるの? 被っちゃったけど、食べ比べもいいわよね。」
「ブブチャチャ? モーモーチャーチャーとは違うのか?」
 ハンニバルが訊ねる。
「同じだよ。元は麼麼咋咋。中国のお菓子。だっけ?」
 マードックがアイシャの方を見た。
「そう、同じ。作り方や呼び方はいろいろあるの。私のはタピオカじゃなくて紫芋餅入り。さあ、テーブルに着きましょう。」
 こうして皆は食卓を囲み、ひとときモーモーチャーチャー(ブブチャチャ)とお茶を楽しんだ。
「しかしホセ、本当に、あんたを売ったビン・イブラヒムを恨んでないんだな。後で暗殺とかしないよな? うん、美味い、このブブチャチャ。」
 フェイスマンが餅をもぐもぐ噛みながら訊く。
「恨んでるわけがないさ。ボスは、俺を逮捕させたことで、俺の命を守ってくれたんだからな。」
「命を守った? それはどういうことだ?」
 コングもタピオカをもっちゃもっちゃ噛みながら訊ねる。
「あの頃、他の組織との縄張り争いで、週に2、3回は襲撃を受けていた。何とかやり過ごしていたが、当局に摘発されたタイミングで、向こうも本気を出してきたんだ。相談したらボスが即逮捕させてくれて、俺は安全な拘置所に匿われた。意味なく売られたわけじゃない。」
「なるほどな。ま、あたしたちはビン・イブラヒムが無事なら、それでストックウェルに頼まれた仕事は全うされたってことだからOKだ。アクアドラゴンが宣伝したモーモーチャーチャーも売れてるようだし、一件落着ってことで。」
「ま、そうだよね、そう言えば、カーラに今回のギャラ聞いとくの忘れてた。」
「はは、大事なこと忘れちゃいかん。」
 ハンニバルとフェイスマンのやり取りに、ハリーとカルロスの頭にハテナが飛び交う。彼らの脳裏には、なぜか踊る怪獣の姿が浮かんでいた。


 その後、足を洗ったホセ・ゴンザレスは、カルロスとハリーが開発した少し強力な草焼きバーナーの販売で成功を収めたという。
【おしまい】
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