勃発! 夫婦喧嘩〜ケーキの陣〜
鈴樹 瑞穂
「困ったなあ。どうしようか。」
腕組みをしたフェイスマンは眉間に皺を寄せて呟いた。ここは、とある海辺の町の一軒家。現在Aチームはフェイスマンが仲良くなった実業家(女性)の別荘に滞在している。持ち主の女性は毎年夏のバカンスをこの別荘で過ごしていたのだが、今年は仕事相手の招待でスイスの山荘に行くことになったのだとか。そこで、代わりにフェイスマンがひと夏、住み込みで家の管理を請け負ったのだ。着いてすぐ、総出で掃除し、備蓄の食料品を入れ替え、軋む車庫のシャッターや扉の蝶番にも油を注したりして、すっかり快適な住み心地になっている。
そのキッチンでフェイスマンの前にあるのは、バナナの房である。コングが毎日食べるので、切らさないようになくなる前に買っていた。そのコングが地元の少年野球チームの合宿につき合うと言って数日前から泊りがけで出かけている。普段は順調に消費されるバナナのことを、つい、うっかりフェイスマンも忘れていた。
気づけば目の前にところどころ黒い斑点が浮いたキリンバナナがひと房。そろそろ限界である。しかし、今家にいるハンニバルもフェイスマンもあまりバナナは食べない。マードックは出せば食べるだろうが、1日に1本がせいぜいだろう。なのにキリンバナナは4本。何度数えても4本ある。
「思い切って捨てるか? いやでもまだ食べられるものを捨てるのはなあ。」
ううむ、とフェイスマンが唸っていると、マードックが顔を出した。冷蔵庫の炭酸水を取りに来たらしい。
「どうした、難しい顔してんなあ。」
「これをどうしたものかと思ってさ。」
フェイスマンが示したバナナを見て、マードックが腕組みをして頷く。
「ああ、こうなっちまったコイツを消費するにゃアレしかねえな。」
「アレ?」
「バナナケーキだ。」
「バナナケーキって、生地にバナナを混ぜ込むやつだろ。確かにいいアイデアだけどさ、残念ながらケーキの作り方なんてわかんないから。」
Aチームの中では一番マメにキッチンに立つフェイスマンだが、せいぜい肉や卵を焼いてジャガイモを茹でる程度で、手の込んだ料理はしない。ケーキと言えばパンケーキくらいだ。
「心配要らねえよ、お隣のグレダおばちゃんに頼みゃいい。」
マードックの言葉にフェイスマンが身を乗り出した。
「そうか、その手があった! モンキー、今日は冴えてるな。」
「へへっ、いつもだろ。」
得意げに胸を張るマードック。2人は善は急げとばかりに早速隣家に向かった。
この区画は別荘が並んでおり、中でも隣は一際広く立派な屋敷だ。どこぞの資産家の別荘らしいが、何と庭の一画に管理人用の家まである。管理人のヒースとその妻のグレダはとても面倒見がよく、近隣の住民からの信望も厚い。フェイスマンたちもここに来た時から掃除道具や芝刈り機を借りたり、スーパーの特売日や活きのよい魚が安く買える店、近隣で採れる野菜の即売所を教えてもらったり、何かとお世話になっている。もちろん、Aチームの方も力仕事の手伝いや、壊れて音が出なくなったラジオの修理など、自分たちにできることを探しては買って出て、良好なご近所づき合いをしていた。
グレダおばちゃんはいつもにこにこしていて料理上手で、よくおかずをお裾分けしてくれる。先日貰ったキャロットケーキは素朴だが抜群に美味しかった。あまりに美味しかったので、みんなで食べた後に残った1切れをフェイスマンがキッチンでこっそり食べようとしたところ、マードックに見つかり半分ずつ分けたくらいだ。グレダおばちゃんの手にかかれば、このキリンバナナも素敵に美味しいバナナケーキに生まれ変わるに違いない。
「こんにちはー!」
「グレダおばちゃんいるかい。」
隣家(の庭の管理人ハウス)のドアをノックし、フェイスマンとマードックはずんずんと中へと進む。オープンなこの家は就寝時以外鍵をかけていない。リビングを覗くと、何やら言い争う人々のエキサイトした音声が聞こえてきた。
「カップケーキの方が手軽に食べられていいじゃろ!」
「どうしてそうなるの! パウンドケーキの方が好まれるに決まってるわ。」
「人気ならカップケーキの方が上じゃ。クリームとチョコと木苺と、あの謎の銀色の丸いヤツをアホほどかけるのがいいんじゃ。」
「あんたは何もわかっちゃいない、ケーキの醍醐味は周りの焼き色がついた部分なの。パウンドケーキなら均等に楽しめるでしょ。」
「まあまあ、2人とも落ち着いて。」
テーブルの前で言い合うヒースおじちゃんとグレダおばちゃん。なぜかその間で執りなそうとしているハンニバル。そしてテーブルの上には、まだカットされていないパウンドケーキと、カップケーキの山。
「一体、何の話?」
フェイスマンとマードックは顔を見合わせ、恐る恐る尋ねた。するとハンニバルが簡潔に教えてくれる。
「いや何、明日の町内会のバザーに出品する焼き菓子を何にするか、ちょっとした意見の食い違いがあってな。ところでお前たち、手に持っているのは何だ?」
「ああ、これ。」
マードックが手にしていたキリンバナナの房を掲げる。
「ちょっと熟れ過ぎちゃって、グレダおばちゃんにバナナケーキを作ってもらえないかなって。」
フェイスマンの話を聞いて、グレダおばちゃんが身を乗り出した。
「バナナケーキですって!? ええ、もちろんお安い御用ですとも。パウンドケーキね。」
「ちょっと待ったあ! バナナケーキならカップケーキの方が食べやすいじゃろうが。」
「何言ってるの、パウンドケーキよ。」
「いいや、カップケーキじゃ。」
「まあまあ、2人とも落ち着いて。」
ハンニバルの仲裁に、ヒースおじちゃんとグレダおばちゃんが揃ってハンニバルとフェイスマンとマードックとキリンバナナの方を見た。
「「これが落ち着いていられるか!!」」
綺麗にハモっている。普段は仲のよい夫婦なのだ。
「そういうあんた方は?」
とヒースおじちゃん。
「そうよ、どっちなの?」
とグレダおばちゃん。
さりげなく前に押し出されたフェイスマンが両の掌を夫妻に向けて、引き攣った笑みを作る。
「どっちと言いますと……?」
「決まっとるじゃろ。カップケーキと。」
とヒースおじちゃん。
「パウンドケーキ。どっちの肩を持つつもり?」
とグレダおばちゃん。
「ケーキに肩なんてな……。」
マードックが火に油を注ぎかけた時だった。
「おう、みんなここにいたのか。」
わかりづらいが野球合宿ですっかり日焼けしたコングが入ってきた。抱えていた山盛りのブルーベリーの籠をテーブルにどんと置く。
「コイツは土産だ。合宿場所の近くに直売場があってよ。」
「まあまあ、ありがとう。とても美味しそうね、パウンドケーキに混ぜ込んで焼くのにピッタリ!」
「いやいやカップケーキのトッピングじゃろう。」
「パウンドケーキ!!」
「カップケーキ!!」
「まあまあ、2人とも落ち着いて。」
未だに事態を把握しきれていないコングを含むAチームが総出で仲裁する。エンドレスである。
「どうするよ、これ。」
フェイスマンがぼやくと、うむ、とハンニバルが腕組みをして頷いた。
「ここは一肌脱ぐとしましょうかね。」
〈Aチームのテーマ曲、始まる。〉
エプロン姿で整列するグレダおばちゃん、ヒースおじちゃん、Aチームの面々。石鹸で丁寧に手を洗う。ブラシを使って爪の間も忘れずに。
オーブンを予熱するコング、大きなザルに入った卵を調理台に運ぶマードック、卵を割り、黄身と白身を分けながらボウルに入れるフェイスマン。ハンニバルはグレダおばちゃん指導の下、粉や砂糖を計っていく。ポリ袋に入れたクルミを麺棒で叩いて砕くコング、バターを湯煎するマードック、卵の白身を泡立てるフェイスマン。因みにこの家には電動ミキサーがなかったので、フェイスマンが急いで調達してきた。粉を振るうハンニバル。グレダおばちゃんはパウンドケーキ型にクッキングシートを敷き、ヒースおじちゃんはカップケーキ型にサラダ油を塗っていく。マードックが投げ捨てたキリンバナナの皮に滑るコング。フォークの背でバナナを潰すハンニバル。泡立てた白身に粉や砂糖、黄身を混ぜて手早くヘラで斬り混ぜるグレダおばちゃん。バナナやクルミも混ぜて型に流し込んでいく。焼いている間、まだかなまだかなの踊りを踊るマードック。焼き上がったケーキが冷めるのを待ち、総出で飾りつけやラッピングをしていく一同。
〈Aチームのテーマ曲、終わる。〉
町内会主催のバザーは盛況であった。町内の有力おばちゃんたちが腕を競い、クレアおばちゃんのシチューやステラおばちゃんのクッキー、ワンダおばちゃんのチーズケーキが飛ぶように売れていく。
グレダおばちゃんのパウンドケーキとヒースおじちゃんのカップケーキも好評だった。パウンドケーキは上は粉砂糖を振っただけのシンプルな見かけだが、中にバナナピューレとクルミ、ブルーベリーがごろごろ入っていて、非常に映えるカット面だ。カップケーキはアイシングをかけてブルーベリーやアラザン、ミントをトッピングしていて、こちらも映える。どちらが好評ということもなく、セットで買っていく客が多い。
最後の1人となったお客さんは顎ヒゲのおじちゃんであった。パウンドケーキとカップケーキの見栄えと、試食の味を絶賛した。その上、カップケーキはヒースおじちゃんが作ったと聞いて、いたく感銘を受けたらしい。
「どっしりとしたパウンドケーキに、食べやすいカップケーキ、こりゃあどちらも美味い。こうして食べ比べると互いの個性が際立ってまた素晴らしい。わしも甘い物が好きでのう。」
ヒゲのおじちゃんの言葉に、グレダおばちゃんとヒースおじちゃんが顔を見合わせる。
「そうか、どっちか1つを選ばんでも、両方あってよかったんじゃ。」
とヒースおじちゃん。
「本当に。大事なことに気づけましたねえ。」
とグレダおばちゃん。
思わず拍手するAチームの面々。それを見て、ヒゲのおじちゃんは「勇気が出た、わしも頑張るぞい」と言いながらパウンドケーキとカップケーキを手に去っていった。
こうしてパウンドケーキとカップケーキ論争は平和的解決を迎えた。Aチームとしてもキリンバナナが有効活用された上、それからはグレダおばちゃんからのおかずやおやつの差し入れの回数も増えたので大満足である。
次のバザーにグレダおばちゃんとヒースおじちゃんがパウンドケーキとカップケーキを持って行ったところ、あのヒゲのおじちゃんがシュークリームを出品しており、好評を博していたことは余談である。
因みに、最初に論争に巻き込まれていたハンニバルは、隣家の庭にミニ四駆用のサーキットがあるのを見つけて、使用の許可を取りに行っていたという。後日、無事に許可を得たAチームはミニ四駆レースで大いに盛り上がり、優勝したマードックには『サーキットのモンキー』の称号が与えられたのだった。
【おしまい】
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