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保育室たんぽぽについて
<3才児を預かって下さい。生活に困っています>

この、公園の電信柱に張られたちいさな紙に託された、一人のお母さんのメッセージが、24時間家庭保育室「保育室たんぽぽ」設立のきっかけです。

30年程前、ベビーホテルと名付けられた夜間保育施設が、女性の社会進出に伴うニーズに沿う形で各地に設立されました。大半はこれをビジネスに結び付けようという動きのもと、預り保育に関する知識不足から、3ヶ月児の肺炎死、乳児のベッドでの窒息死などの事故が多発して、社会問題になりはじめていました。これによりベビーホテルの悪評が立ち、働くお母さんは安全に子供を預けることのできる場所を探し求めなければなりませんでした。

そんな状況の中、自宅を開放して子供を預かるという保育ママ制度を申し込みたいと考えていたこともあって、張り紙に書いてある電話番号へ早速連絡してみることにしました。縁ある出会いとはまさにこのこと、そのメッセージの主は、いつも公園で出会う2才の女の子のお母さんでした。早速、おつきあいがはじまり、そのお母さんの紹介と、池袋という場所柄もあって、預かる子供の数は5名、6名と増えていきました。

そんなある日、子供を連れた散歩の中で野の草、タンポポとの出会いがありました。太陽に向かって、春一番、みぞれのガラスの中に埋もれて咲いているタンポポ。さらに小さなわたげたちが、寄り添って、飛び立つ日を待っている姿が目にとまりました。「ねぇ、みて!」と子供達を呼び止めて、注意を促すと、「きれいだねぇ!」とタンポポをぐるりと囲んでしゃがんだ子供達がいっせいに声をあげました。この、タンポポの綿毛と子供達がぴったりだと思い、小さな我が家を「保育室たんぽぽ」と名付けることにして、てんやわんやの運営が始まりました。

 その日から、四季折々に出会うタンポポに学ぶ楽しみも、「保育室たんぽぽ」の日課となりました。一度教えたらしっかりと覚えている子供達は、野道にさしかかると、「ほら!タンポポだよ!」と、可愛い小さな指を近づけています。晴れて風のある朝、綿毛を育てたタンポポから、綿帽子は、たよりなげなだけれども、しっかりと種を抱いて、ふわふわ自然の掟に従い飛びたって行きます。その姿を見るにつけ、われもわれもと他事を顧みず、挫折感と不安に悩む人間の格好悪さを恥ずかしく思うのでした。

また、そのタンポポの自信に満ちあふれた佇まいに、肩の力を抜いて、自然の流れに素直になれば、何ごとも、さして難しくないのだと教えられたりするのです。子育ての原点を見たその瞬間から、植物、とりわけ野に生える草花に出会う日々を大切に思っています。また、その四季折々の楽しみを子供と分かち合うことがこの、「保育室たんぽぽ」の一番のイベントとなっています。

自然とふれ合いながらあっという間に過ぎて行った日々の中、「保育室たんぽぽ」は、昨年の12月に、24回目のクリスマスを迎えることとなりました。飛びたっていったわたげ達の数は千を超え、現在ではのべ25名の子供達が、目白の小さな家に大きな家族のように、暮らしています。このクリスマスでは、25名のわたげたちをはじめに、スタッフ6名、ボランティアのお兄さん、お姉さんから子供達のお父さん、お母さんを含めた67名が、ささやかな料理を囲んで、歌を歌い、おしゃべりを楽しみました。

暗闇の中にロウソクを灯して歌う賛美歌のあと、年に1度のプレゼントに目を輝かせている子供達を前に、

「わたしは、たんぽぽになりたいです。」

と小さな声で、最後に言いました。ベビーシッターとして保育をした4年間をあわせた28年間、共に食べ、飲み、そして笑いあって来たわたげたちへ、このメッセージが伝わったでしょうか。自然の流れに沿って、自分の力で飛び立つ準備をするわたげたちのために、今、できること。都会のコンクリートの隙間を縫って、太い根を張るたんぽぽのようにひそやかに力強く見守っていたいと、切に願うのです。

保育室たんぽぽ 室長 太田 厚子
2003年 3月 5日