眠り猫 <精神誌抄>



 女装をするのは人間だけなのでしょうか。もしかしたら他の動物、例えば猫の世界でも同じようなことがあるのかも知れません。人間の世界でさえ女装者の集まりがあることを知らない人達がたくさんいるのですから、猫にそういう世界があることを人間が知らなくても、仕方がありません。

 ある街にそんな「女装猫」たちの憧れの的のオス猫がいました。何匹かの女装猫は、いろいろな手を使ってそのオス猫の気を引こうとしましたが、一向になびく様子がありません。ところが、皆があきらめかけた頃にその街に現われた、これと言って目立つところのない女装猫が、あっという間にそのオス猫と仲よくなってしまいました。皆はしばらく、くやしそうにその様子を眺めていましたけれど、自分達になびかなかったオス猫が、特に目立つところもない新参者の女装猫をなぜ気に入ったのか、どうしても判かりません。人間なら、男に詰め寄るか、新参者をいじめに走るかも知れませんけれど、猫は、気まぐれでも人間よりずっと素直で正直な生き物です。そこで、この街の女装猫の中から三匹が代表して、新参者の猫に会いに行くことにしました。

 「私たちはこれまでこの街でも評判の美人の女装猫と言われていました。また、そのために私たちは人知れずいろいろな努力も重ねて来ました。それぞれ、たくさんのオス猫達から誘われもして来ました。ところが今回、私たちの誰にもなびかなかった、皆の憧れのオス猫が、あっという間に貴方の虜になってしまいました。見たところ、貴女は本当のメス猫と同じように、あのオス猫に愛されてとても幸せそうな日々を送っています。それに比べて、私たちの何が不足だったんでしょうか。」

 する新参者の猫は静かに笑って、「皆さんはとてもお綺麗ですけど、これまでにどのような努力をされてきたのか、それを先に聞かせてください」と、語りかけました。そこでまず一匹の、見るからにかわいらしい猫が進み出て話し始めました。「私は元々顔立ちもメス猫そっくりで、しかも毎日の毛並の手入れも欠かさず念入りにしています。猫族の中でも飛び抜けてしなやかな身体で、しぐさだってメス猫と変わりありません。鳴き声だって、どんなメス猫にも負けず艶やかな声を出せる自信もあります。どのオス猫もメス猫も、みんな私をメス猫だと思って疑いません。でも、今回の彼だけは他のオス猫と違ってそんな私に目も向けず、自信もすっかりなくなってしまいました。」

 すると新参者の猫は、少し悲しそうに首を振りながらいいました。「貴女がこれまで努力して来たのは、見た目とか、動きとか、声とか、そういった目や耳でとらえるものばかりです。自分が他の猫の目にどう映るのか、それだけを一所懸命に考えて来られたのでしょう。見栄えを競いしぐさを巧妙に真似ても、それは「演じる」というもので、心から現われる本物にはなりません。確かにそういう才覚や知恵も心の働きの一つには違いありませんけれども、器用さばかりを心掛けていると、大切なものを見失ってしまいますよ。それが彼には判かったんじゃないでしょうか。」

 そこで最初の可愛らしい猫のかわりに、見るからにメス猫の色気を身に備えてた女装猫が進み出ました。「私はずっと以前から、見掛けだけではなくて心からメス猫と同じにならなければいけないと思っていました。控え目な態度を心掛けて、恥じらいも心得るようになると、メス猫らしいしぐさは特に意識しなくても自然に出るようになりました。今は私の心はメス猫そのもので、彼に対してもその心で接して来ました。ところが彼は、いくらそのような心で接しても、まるで通じなかったのです。こんな事は初めてでした。」

 新参者の猫の顔には、少し同情の色が混じりました。「貴女の心掛けは、自分はメス猫だと自分自身に言い聞かせて、その自負の上に成り立っているものです。それはそれで一つの方法ですけれども、それが最高というわけではありません。本物のメス猫はそんなにいつも、自分はメスだと自分に言い聞かせているわけではありません。それだけ貴女の心には気負いがあって、それが不自然さの原因になっているのです。貴女はメス猫と同じ心でいるつもりでも、他の猫から見れば、その不自然さはどうしても目に付いてしまいます。それに、もし仮に本物のメス猫と同じレベルになったとしても、女装猫好きのオス猫相手ならそれでも間に合いますけれども、ノンケ猫には通じません。同じなら本物のメス猫の方を選んでしまいますからね。」

 今度は、いかにも人柄・・・いえ、猫柄のよさそうな女装猫が進み出ました。「お話の通りで、心を重視するといっても自分がメスであることにあまりこだわり過ぎては、かえって自負や自慢のような、自分へのこだわりを持ってしまいます。そこで私は、メス猫としてだけではなく、あらゆる意味で他の猫との和を大切にすることを心掛けて来ました。無理に迫ることもなく、また反対に私が無理に迫られた時には柔らかく受け流して角が立たないように気を付けました。そのおかげで、オス猫だけでなくメス猫からも、後輩の女装猫からも慕われるようになりました。ところが今回だけは私がそのような気持ちで接しようにも手ごたえというものがまるでなくて、空回りしてしまったのです。彼のような猫には、今まで出会ったことがありません。」

 すると新参者の猫は、いかにも惜しいという感じで首を振って言いました。「貴女が言う和というのは、自然の和ではなくて、あれこれと思いめぐらして作ろうとする和、つまり意識的に相手に合わせようとする心の働きです。そういう作為は例えわずかなものでも、敏感な猫は感じ取ってしまいます。そういう気持ちを持つと、自然の感覚をふさいでしまうので、かえって自然の和を作ることが出来なくなってしまいます。ああしてやろう、こうしてやろうという気持ちを捨てて、ただその場で自然に動くことが大切なのです。」


 「そうは言っても、皆さんが努力してこられたことは、まったく間違えたことをしているわけではありません。見た目も所作も大切です。もちろん心も大切ですし、和はそれ以上に大切です。でも、相手をどうこうしてやろうという気持ちが働くと、それらが全部わざとらしい作り物のようになってしまいます。つまり私は特別なことをしたわけではなくて、ただ、自然から離れず、作りものにならないように、本当にやりたいことをやりたいようにやっているだけなんですよ。」

 「でもね・・・」と、新参者の猫はさらに続けました。「私程度の猫を見て感心していてはいけませんよ。この街に来るまで私が住んでいたところには、もっとすごい女装猫がいたんです。その猫は一日中居眠りをしていて、オス猫に声をかけるどころか見向きもせず、かといって高飛車に拒否するわけでもなく、要するに色気とかそういうものとはまるで関係なく過ごしていました。ただ暑くもなく、寒くもなく、明かるすぎず、暗すぎず、過ごしやすいところでのんびりと居眠りばかりしているんです。だけどオス猫にはとてももてていました。そのオス猫も、一緒に何をするわけでもなく、ただ隣で眠っているだけなのに、とっても幸せそうなんです。オス猫だけでなく、誰もが彼女のそばにいるだけで、とっても安らかな気持ちになれました。私なんかは、とてもかないません。私が憧れていたオス猫も、その猫のそばにばかりいて、私は失恋してしまったのですよ。」

 そういって新参者の猫は目を細めて笑いました。


Works of L.J INDEX SEISHIN
[ 神名龍子の著述 ]  [ インデックスページ ]  [ 女装の精神誌 ]