しかし哺乳類としては異常に長い妊娠期間中の後半はもちろんの事、生後も十年余りの長きに渡って生殖機能を持たない事は周知の通りです。フロイトのいうリビドーとは、私は、性器が生殖機能という本来の目的を持つようになる遥か以前に発生してしまい、必然的に行き場もなく抑圧される事になった性本能そのものの事なのではないかと思えるのです。この本能は身体の機能だけではなく、社会的にもまた、しつけなども諸々の形で抑圧を受けます。その結果、この本能は本来の目的(生殖)とは別のところに吐け口を求めます。生殖を目的としない性欲の満足とは、要するに性倒錯に他なりません。つまり人間は全員が、まず性倒錯者になるのです。特にオスの場合は人間に限らず、生殖行動を取る事が出来ない場合に性欲が他の何かに結び付きやすいのではないかと思えます。これは人為的に作った環境の例ですが、鳥でもオスだけを二羽、篭の中に入れておくと、発情期にオス同士が(疑似的に)性交を始める事があるようです。また自然環境においても、こちらはゴリラの例ですが、メスが得られないままにオスだけの数頭のグループが出来てしまった時に、そのグループ内でホモセクシャルが流行(?)したという観察例もあります。
このように人間はまず性倒錯者としてスタートするわけですが、具体的にそれが何と結び付くかは各人の体験や、どのような学習を与えられるか、その他広い意味での「環境」によって異なります。その対象は、女性の身体そのものであるかも知れませんし、女性の身体の一部、あるいは同性であったり、物であるかも知れません。性欲の対象の選択自体は、基本的には自分が男であるとか女であるという性自認によって対象の性別が決定される必然性はありません。性欲の解決という観点だけから見れば、その吐け口になりさえすればよいからです。しかし実際には、「結婚は男と女でするものだ」とか、異性と関係を結ぶ事を、露骨にではないにせよ教えられて育ちます。例えば「王子様とお姫様は、めでたく結婚しました」というような童話を聞かされる事なども、その「教育」に含みます。多くの人間が異性(あるいは異性の身体の一部とか、異性を連想させる物など)に関心を抱くのは、このような後天的な教育の成果でしょう。
これらの性倒錯は、女性の場合にはあまり詳しく判からないのですが(なんといっても、個人的に深いお付き合いがないものですから)、男性の場合には基本的にフェティシズムと見做す事が出来ます。いわゆるノーマルを自認するヘテロセクシャルの男性でも、生殖だけを目的に性器の結合と射精しかしないという人は、ほとんどいないでしょう。女性の身体のあちこちを愛撫してよろこんでいるのは、本能にしたがってのノーマルなセックスではなく、要するに「女体フェチ」の症状なのです(単純にそれだけに割り切れるものではありませんが)。なんらかの状況を作ってムード、それも必ずしも男女間のムードではなく、男性が一方的に盛り上がるだけでも「その気」になり、精神的に萎えれば性器も萎えてしまうというのもそのためです。一般にノーマルと言われているのは、フェティシズムの中で女体フェチが最多数派であるというに過ぎません。たまに「女装は変態ではない」という言葉を聞く事もありますが、私から見れば女装者に限らず、すべてのヒトのオスは本能的性行動に照らして変態です(笑)。
ヒトのメス、つまり女性の場合は前述の通り、私にはよく判からないのですが、仮に同様の考え方を当てはめるならば、物よりも雰囲気(ムード)に対するフェティシズム性を持つ傾向が強いのではないかと思います。ゆえに女性も含めて、人類はすべて変態であり、同時にやはり非生殖的な性行動である「甘いキス」と同じくらいには素晴らしいものです。もちろん、こうしたそれぞれの傾向は男女共に両方を併せ持っていると考えられますから、ここでいうのは大雑把な傾向に過ぎませんが、男性が女性をフェティシズムの対象としているという意味では「女性をモノ化」していると言えるでしょう。しかし女性もまた、自分が好む雰囲気を得るために男性を小道具や舞台装置として「モノ化」しているのです。そのための役に立たない男性は「アッシー」・「メッシー」・「ミツグ君」ですか(笑)、ますます人間視されなくなるようですね。男性は女性のヌード写真でも興奮しますが、女性誌では男性のヌード写真は流行りません。その代わりにストーリー性のあるものには人気があります。恋愛小説や映画、レディスコミックなどです。この違いも以上のような見方に立てば理解できるでしょう。いずれも「性の商品化」という意味では等価です。
私はフェミニズムについての本を読んだりする事はありませんが、その理由の一つに、テレビなどで見聞する限りでは、「女性をモノ化する男性」ばかりを責めている人ばかりが目に付く事があります。他者を責めるのは楽ですが、この点についてはどの程度自覚されているのでしょうか。フェミニズムを「闘争」として捉らえたら、行き着く先は女性が男性を隷属させ抑圧する単なる下克上を目指すか、いっそ男性を絶滅させるより他ありません。現状を壊す事に焦点をあてた話ばかりが耳に入って来るので、フェミニズムというものが具体的にどのような世界を作りたいのか、そのために何が必要なのかというような事を、どのように考えているのかが伝わって来ないんですね。近いうちにフェミニズムに詳しい人から出来るだけまともそうな人の名を聞いて、その人達の著書に目を通してみようかと考えています。
このような男女の傾向の違いは、かなり早い時期から観察されます。同じ物語を聞いても、女の子は物語の中のお姫様に自分を投影し、自分を助けに来てくれる王子様の存在や、王子様との結婚などに惹かれるでしょう。男の子の場合には、お姫様を助けに行くまでの冒険や怪物との戦いに夢を駆せるのです。おそらく、ある物語を子供達に聞かせて、その中の好きな一シーンを絵に描きなさいといったら、それぞれこのような場面の選択をすると思います。また幼稚園児や小学校に入ったばかりの子供に自由に絵を描かせると、男の子は電車や飛行機などを好んで描き、しかもその中に人間が描かれていない絵が多く、女の子は地面があって花や木、太陽と雲など、草原のような場所に女の子が立っているという絵が多いのです。面白い事にこれは世界各国共通だそうです(飛行機や電車を知らない世界の男の子に絵を描かせたら、何を描くのだろう?)。その他に、も女の子の場合には情操面での感受性や表現が強いようですね。これは生後の教育の影響もありますが、先に触れた脳の性差という要素も無視できません。
ただ、最近は一部のTV・TSの間でこの脳の性差が過剰に評価される事もあるようですが、人間というのはこれまでにも繰り返して来たように、様々な要素が複雑に絡み合って無数の個性を作るもので、それほど単純に出来ているものではありません。妊娠中に母体にストレスが加わると、母体のアドレナリンの分泌が高まり、それによって雄胎児のアンドロゲン分泌が低下し、脳の性分化が充分に起こらないという事は確かに観察されています。しかし人間の場合それがそのまま性自認や性対象への影響として直接的に現われるとは限りません。
これは同性愛についての調査ですが、かつて(旧)東ドイツで生年別の同性愛者数の人口比率の調査がありました。第二次世界対戦が始まる少し前からその比率が増加し、一九四四年度に生まれた人達をピークに、その後また減少しています。このピーク時には線残のある時期の3倍余という高比率を示しています。しかしそのピークの時ですら、同性愛者数は人口十万人に対して約七十人で、仮に潜在的同性愛社と言われる人の存在を勘案してその数を十倍しても、全体の1%にも満たない数字です。このピーク時の一九四四年度というのはドイツの降伏直前の時期を含みますから、他国からの攻撃や食料不足等の深刻な時期ですが、その時期でさえこの程度なのです。脳の不充分な性分化は、確かに同性愛、そしてここには表われていませんが、おそらくはTV・TSになりやすい条件ではあるのでしょう。しかしこの調査が示すように、それは決定的な条件ではありえず、むしろ生後の成長過程の内容に負うところが大きいと見るのが妥当でしょう。脳の不充分な性分化は、それだけ情操的なものを受け入れやすいという条件ではあるでしょうが、それは(性自認が最初から女である場合は別にして)錯綜体により強い潜在的可能性としての「女」を組み込むだけの事で、その潜在的可能性が顕在化・具現化するという保証までをするものではありません。