長野県に、「トランスネット信州」発足
長野県にもついに、性同一性障害の自助グループが発足しました。
その名も「トランスネット信州」(略称TNS)です。
以前から、この手の自助グループは、東京や関西などに集中し勝ちでしたが(ただし FTM 系のグループが北海道にあると思いましたが)、長野県にも性同一性障害の自助グループが発足したことは大変に喜ばしく、またこれを機に他地方にも同種のグループが発足することを願ってやみません。ちなみにこの「TNS」の発足は、「信濃毎日新聞」の紙面でも報道されました。【EON/W】の「TNS」の紹介ページは、発足者の方からうかがったお話、およびその時に頂いた「信濃毎日新聞」の紙面のコピーを元にしています。
個人的なことをいえば、実は私の父も信州出身で、父が東京に出てこなければ私も長野県で生まれ育ったかも知れませんので、個人的にも「信州」というのは応援のし甲斐を感じています。
現在、TNSには直接の窓口はないそうですが、「トランスズサポートグループ(TSG)」や、「TSとTGを支える人々の会」とも連絡を取り合い、「TSG」代表や、「TSとTGを支える人々の会」の主宰が、問い合わせ窓口を代行しているそうです。【EON/W】では今回、ご本人の承諾を得て、「TSG」代表の渡辺さんを問い合わせ先としてご紹介させていただきました。
新たに発足した自助グループが既成のグループと連絡を取り合い、グループ間のネットワークが育ちつつあることも、大変によいことだと思います。東京のTSGも新しいグループですが、こちらには「ゲイフロント関西」のブランチの「トランスジェンダーの自助グループ」からも連絡があったそうです。

無頼のすすめ
自分がやりたいことが出来ないのを世間のせいにする人がいます。T's に限らず、世の中に対して、このような形で恨み言をいう人は多い。しかし、果たして本当にそうなのでしょうか。
私のような無頼者から見ると、そういう人達はけっして世間のルールに縛られているのではなく、自分自身で自分を世間のルールというものに縛りつけているようにしか見えないんですね。そして、それにも関わらず、その事を認めようとせずに他者(世間とか、国とか)を非難しています。だが、それではいつまで経っても「自由」になれるはずがありません。「自由」とは、天与のものでもなければ、法律が与えてくれるものでもありません。法律はただ自由を追認し、また自由を守るための幾ばくかの保証を規定してはいるけれども、自分自身が変わらなければ、そもそも守るべき「自由」というものが、初めからないのです。
「無頼」という言葉は、「ならず者」のような意味で使われる事が多いのですが、これは私は本来、「頼らない」という意味だと思うんですね。作家の柴田錬三郎氏によれば、他人が作ったルールには必ずしも従わない代わりに、自分で決めたルールはどんなにつらくても守り通す、これが「無頼」です。それが出来ないのは、「頼らない」ではなく「頼りない」人達で(笑)、たった一文字の違いが大変な違いになります。
「自由」という事は、単に束縛されないとか、無責任ということではなくて、自分の行動を自分で選択して決めるということで、そこには必ず責任が付きまといます。ですから、周りの人には迷惑をかけない限りは、上手に思いきり自由にのびのびやっていったらよく、それで失敗したり傷ついたりしたら、他者に責任転嫁したりせず、しっかりそれを自分の宝として受けとめればよいのです。
失敗した時に他者のせいにする人は、「やりたいことをやる自由」と「やりたくないことをやらない自由」だけが「自由」だと思っているようですが、「自由」にはその他にもう二つ、「やりたいことをやらない自由」と「やりたくないことをやる自由」があって、「他人が作ったルールには必ずしも従わない代わりに、自分で決めたルールはどんなにつらくても守り通す」ためには、つまり「無頼」であるためには、どうしてもこの四種類の自由が必要になります。
ですが、そのためには一つ、大きな障害があります。それはもちろん、社会の抑圧などというものではなくて、年齢による体力の低下です。
私の父は、若い頃には毎年、一人で富士登山に行っていましたが、その父でさえ、私が高校生になって初めて富士山に連れていってもらった時には、登山途中で軽い高山病になってしまい、八合目の山小屋で一泊した後に、山頂に至ることなくそこから下山しなくてはなりませんでした。私は現在、バイクにキャンプ道具や登山用具を積んで山の中に入り込むのが道楽の一つで、気に入った場所を見つけて気ままに寝泊まりする旅が楽しくて仕方がありません。しかし、それもおそらくいつかは、現在は入り込めるような場所へも、体力的にアプローチが不可能になり、行動範囲の狭くなる日が来ると思います。
実は明日22日は私の誕生日で、日本の法律では正式には誕生日の前日に歳をとることになっています。私もつい数時間前に、また一つ歳をとったことになります。今日という日に、こんな事を思い付いたのも、そのせいかも知れません。
ですから、人は自分の自由のなさを他人のせいにして愚痴をこぼす暇があったら、体力のある若いうちに、大いに「無頼」を心がけるべきなのです。自分の自由のなさを他人のせいにするような「弱者の論理」にはまり込んでいる人は、身体の動きを見てもどこかちんまりとしていて、さっぱりサマにならない。「無頼」とは、おおらかに生きるための秘訣なのです。
室町時代初期の世阿弥という人は、能楽の修行について「風姿花伝」の中で、若い頃には「花」があるが、それは歳をとると消えるものである。しかし修行を欠かさなければ、その頃には「花」に代わる深みが出るという意味のことを書いています。
人は誰でも歳をとります。当たり前ですが、私も例外ではありません。いつまで今のような「無頼」でいられるかと考えた場合、例えば20年先を考えると、おそらく無理だろうと思います。しかし、現在「無頼」であることが、20年先になって、体力が低下しても失われることのないような「実」を結ぶのではないかと思います。

アクセスカウンタが壊れたよぉ(笑)
昨日気が付いたんですけど、アクセスカウンタがリセットされてますね(^^;)。
で、1日様子を見てみたんですけど、今日になってもう一回リセットがかかっているようなので、思い切ってアクセスカウンタを廃止しました。一昨日で、22万3千件くらいでしたか。確か昨年設置した掲示板も、すぐに動作がおかしくなって廃止した経緯がありますし、あまりプロバイダのCGIを信用しても、こちらで操作できないものは信用しきれませんね(笑)。
これまでの集計で、1日にだいたい420〜500件くらいのカウントがある事は判っていますし、プログラムは信用できなくても、それだけの方が【EON/W】を見てくださっているということは信用できますから、「アクセスカウンタはその使命を果たした」(笑)、ということで、思い切って廃止します。

T's のご家族の方へ
本日は、南郷千魔丸さんの【僕のとらんすじぇんだー】との間に相互リンクを張っていただきました。
【僕のとらんすじぇんだー】は、T's の身内の方が設置したホームページとしては、初めてのものではないかと思います。T's 当事者であり、独り者の私には、絶対に作れないホームページですね(笑)。
これまで、この【EON/W】をはじめ、T's 当事者が設置したホームページは、すでにかなりの数にのぼりますし、また「トランスズ サポート グループ (TSG)」や「TS と TG を支える人々の会」のような自助グループの活動も行われています。ただ、このような自助グループに出席してみると、T's 当事者はたくさん出席しているのですが、そのご家族の方は残念ながら、ほとんど(あるいはまったく)参加されていないようです。
しかし考えてみると、ご家族の方とはいえ「T's とはなんぞや?」すら判らないのに、その T's が集まっている中に混じって参加されるというのは、勇気のいることなのかもしれません。また、T's 当事者と違って、そういう集まりがあるという情報に触れること自体、非常に機会が少ないか、そういう情報に触れる機会がまったくないという事も、充分に考えられます。
そういう意味でも、【僕のとらんすじぇんだー】が設置された意義は、大変に大きいと思います。
T's のご家族の方などで、これを読んでいらっしゃる方は、ぜひ一度【僕のとらんすじぇんだー】、特にその中の「T'sと その家族たちに」をご覧になることをお勧めいたします。
また、これは私の個人的な考えですが、おそらくご家族の中には、T's が理解できないとか、反対したいという方も大勢いらっしゃると思いますし、極端なことをいえば、そういう方達で作る集まりも、あってもよいのではないかと思います。
ただ出来ることならば、その場合でも、単に感情論的な反対に終始するのではなく、まずは、「T's とはなんぞや?」という事について、充分に吟味していただきたいと思います。その上で反対されるのでしたら、それは一つの考え方として、やむをえないと思います。少なくとも、無理解・・・この場合の「理解」は賛同という意味ではなく、文字通りの「わけが判らない」という意味ですが・・・そういう意味での「無理解」のままでいることは、ご家族の T's を応援するにもどうしてよいか判らず、反対するにしても説得力を持たないという点で、これはどちらにしても、お互いの不幸につながるのではないでしょうか。
最初から、「T's を応援するために」とは申しませんが、これを機会にご自分の目で改めて T's というものをとらえ直してみてください。また、e-mail などを利用して、同じような立場の方達と連絡を取り合ってみることなども、ご検討に含めていただければ幸いです。

近況
先ほど「りゅこ倫」を、1話ごとに切り分けました。
画像(イラスト)込みのページなので、今までのように全部を1ページにまとめていたら重くなりすぎたんです。なにしろ手元のパソコンで、スタンドアローンでも読み込みにかなり時間がかかるようになっていましたから、オンラインで見てくださっていた方は、さぞかし表示されるまでイライラさせられていたんじゃないかと思います(^^;)。
それから、最近は【EON/W】だけでなく、ここの4月26日の書き込み、「どこか似た人」がきっかけで(と、いえるのかな?)、【★Trans Sexual Forum in Japan★】の会議室、「ハイパーフリートーク」でも、文字通りハイパーな(? ^^;)書き込みをしています。
こちらは、掲示板での意見のやり取りなので、私が【EON/W】で書いているのとは、また少し雰囲気が違うかもしれません。いってるコトは、あまり変わりませんけど(笑 ^^;)。
あ〜、さて、昨日ここに書き込んだ本が、さっぱり読み進まないぞ・・・。インターネットばかりしてるから・・・(^^;)。

M.フーコーとの遭遇
資料関係の「T's 関係の資料」を新設して、「さて次は、DSM と ICD-10 を」と思ったんですけど、書店に行ってみたら、小型でそんなに厚くもない本が、4000円くらいから、それ以上の値段なのね・・・。ちょと詳しい解説が付いていたりすると、一万円を越えてる(^^;)。まぁ、確かにそんなに数の売れる本ではないんだろうけど、ちょっと高すぎるんでないかい?(^^;)。
しゃーない、今度お金が入ってからにしよう・・・。どっちにしても六法と同じで、一冊は原典(日本語訳だけど)が手元にあった方が重宝するでしょうから(そういえば六法全書もちょっと、古くなってきたわぁ ^^;)。
その代わり(?)に、ミシェル・フーコーの、
「同性愛と生存の美学」(哲学書房・益田一夫訳)
という本を買ってきました。ミシェル・フーコーはフランスの現代思想家で、途中でゲイであることをカミングアウトし、1984年にエイズによる破血症で亡くなった方です。著作に「性(セクシャリティ)の歴史」というシリーズがあるので、お読みになったり、また読まないまでも書店で見かけて手に取った方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
実は私はこれまで、フーコーの著作は読んだことがないんですけど(^^;)、この人がゲイに関して、
と、どこかで(^^;)主張していたことは知っていたんです。
私が最近、「TG としての生き方が問題だ」と書いているのは、「第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」で、不意にフーコーを思い出したからなんですね。「そうか、TG にも、こういう方法があるじゃないか!」と(笑)。
ただ、その主張がどこに書いてあるのかが判らなくて、あれから2週間、書店を回っては思想・哲学書のコーナーを回っては探していました。だけど見つからない(^^;)。なんのことはない、今日になって紀伊国屋に行ったら、思想・哲学書のコーナーではなく、ジェンダーやセクシャリティ関係の本のコーナーでみつけました。書名も判らなかったのですが、フーコーの本で「同性愛と生存の美学」というタイトルですから、背表紙を一目見て、「きっとこれだ!」と思いました(笑)。
まぁ、内容からすれば、この本がジェンダーやセクシャリティ関係のコーナーに置いてあるのも当然のような気もしますけど(ゲイやトランス系、それにフェミニズムの本などが置かれています)、不思議なことに、今までそちらのコーナーでは、この本を(というより、フーコーの著作を)見かけた覚えがないんですね。
それが今日、「りゅこ倫」に「TS は一所懸命・TG は一生懸命」を書き込んで掲載してから出かけたら、それを待っていたかのように、私の目に飛び込んできたのです。どうして、もう少し早く見つからないかな・・・(^^;)。この分じゃきっと、光速を越えるスピードで書店に行くと、アインシュタインの本が置いてあったりするのかも知れない・・・。
とりあえずこれから読み始めるのですけど、丸々一冊、雑誌社からのインタビューをまとめた本のようで、難しい用語もなさそうなので、私にもなんとか判りそうです(^^;)。
しかし、これ読んで、私の考えと全然違うことが書いてあったら、どうしよう・・・(^^;)。
考えが揺れ動いちゃって、これがホントの「フーコーの振り子」・・・なんちゃって(馬鹿 ^^;)。

私は「村はずれの狂人」
今月17日に「第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」に行った際に、三橋順子さんや、【EON】のスタッフをしてもらっている吉岡順子さんや、あきひさんといった顔ぶれと話をする機会がありました。
「ジェンダー素描」については3人とも、「世の人に理解できないのではないか?」とか「10年早い」という意見のようで、三橋順子さんからは
吉岡順子さんからは
という称号(?)を頂きました。いいな〜、これ。むふふふふ・・・(笑)。
後者の「村はずれの狂人」というのは、私の気が確かなら、いや違った(^^;)、私の記憶が確かなら、小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」に出ていた言葉で、これを書く前に元ネタを確認しようと思ったのですが、なぜか見つかりませんでした(ご存知の方は第何章のネタだったか教えてください ^^;)。
仕方がないので、私の記憶で説明すると、
と、こんな意味ではなかったかと思います。
確かに、人の集まりにはめったに顔を出さず、「ジェンダー素描」の評価も上記の通りですから、「村はずれの狂人」は自分でも私にピタリと当てはまると思います。もっとも、三橋順子さんからの「竹林の七賢」は、彼女からのお誘いを断ってでもマスコミに出ようとしない私への皮肉も、少しは交じっているのかも知れませんケド・・・(笑 ^^;)。
しかし、困ったことに(誰が困るんだ?)、私自身がこの「村はずれの狂人」という評価を気に入っちゃっているので、反論する気はまったくありません(反論のしようもないし)。「ジェンダー素描」は、将来 T's のムーブメントが現在のやり方で行き詰まった時のための、それに変わる方法の模索だからです。だから、例え現在は理解できないとしても、ある意味ではかまいませんし、もしかしたら多くの人達にとっては理解する動機がないのかも知れません。
将来、もし現在のやり方で T's のムーブメントが行き詰まった時に、そこで途方に暮れることなく、「そういえば、村はずれの狂人が何か書いてたな」と思い出してもらえればよいのです。その時は「村はずれの狂人」転じて「マッド・サイエンティスト」のように、「こんな事もあろうかと思って・・・」と作っておいた「ジェンダー素描」の説明でも、得意げに始めようかな(笑)。
ただし、そういう機会が必ず訪れるとは限りませんから(私の予想では、来ると思うんだけど)、その時は埋もれて消えるかも知れない・・・。その意味では、あれは一種の「掛け捨て保険」です。ただ、使おうと思えば、従来のやり方が行き詰まるまで待たなくても使えるという点で、保険と異なってます。
「竹林の七賢」でついでに思い出しましたが、山梨県の清酒「七賢」がけっこう美味しかった記憶があります。機会があったら皆さん試してみてください(^^)。

祝・『We are Transgenders』グランプリ受賞!!
「第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」において、
『We are Transgenders.〜性別を超え、自分らしく生きる!〜』
がグランプリを受賞されたそうです。
尾川ルルさんの
おめでとうございます。
ゲイ&レズビアン関係の作品の中で、トランスジェンダーについての作品のエントリーは、
『We are Transgenders』ただ1点のみだったそうで、大変な健闘となりました。
入賞作品は5月17日(日)の表彰式で上映されますので、この作品を東京で見る機会が
もう一度増えたことにもなります。

具体的には特殊、原理的には普遍的な T's
「ジェンダー素描」は、私たち T's について出来る限り根本的な部分まで掘り下げて、しかもそれを出来るだけ平易な言葉で表そうとした試みなのですが、昨日に追加掲載した「17.ジェンダーと『真・善・美』」の「真・善・美」というテーマはあまりに根本的すぎたため、正直いって私の手に余りました。書いている途中で、「これは先を急ぎすぎたかな?」という後悔もあったのですが、とりあえず今の段階で出来ることはしておこうと思いかえして一応はなんとか書き上げました。
まだ、私自身の内部では、あの中で言い尽くせていない部分が渦を巻いているのですが、それでも20kを越えるファイルサイズになってしまいました。将来、今回言い尽くせなかった部分が形(言葉)にまとまって来たら、同じテーマで再度挑戦するかも知れません。
「ジェンダー素描」にせよ「りゅこ倫」にせよ、あれは「理論」ではなく私の「直観」であり、それを言葉で説明しているだけなので、「理論」として見た場合には「穴」があったり「飛躍」している部分もあるかと思います。ただ、それをどうにかしようというのも、現在の私には手に余る作業なので、出来ることならそれは学問をした人にお願いしたいという気持ちがあります。
単にものを考えるだけならば私にも可能ですが、それをある一つの体系にまとめるためには、どうしてもそのための知的訓練を受けている(学問をしている)必要があると思いますし、高卒の私は能力不足を感じざるを得ません。また、今から知的訓練を受けるには、今のところ多忙すぎるのです。
もっともそれ以前に、「私が『知』ってぇガラかえ?」と吹き出したくなるのも事実で、私にとって大学に通う自分の姿を想像するのは、例えばエベレストに登っている自分の姿を想像するより難しく、どうしても学校教育になじめないのです。私には性同一性障害による社会的不適応はありませんが、教育的不適応なら昔からあります。もっともこれも社会的不適応の一種なのかも知れませんが、少なくとも性同一性障害が理由ということはなさそうです。むろん教育的不適応といっても、これは学校教育に限った話しで、道場通いは苦になりません。
私が「ジェンダー素描」で使っている「ものの見方」は、その道場通いで出来たものです。見た目にはまったく異なった動きの中に共通する原理を見出す「ものの見方」といってもよいでしょう。だから、絵画や音楽などに関しては芸術音痴の私でも、身体表現である日本舞踊について私なりの見方をすることは可能なのです。
私が以前から疑問に思っていたのは、私たち T's に関して、社会一般はもちろん、当事者の中にも、これを何か特殊なものであるかような見方があるということでした。これは別に、「私たち T's をのけ者にしないで」ということではなくて、「人間のすることに、そんなに大きな違いがあるはずがない」という直観によるものです。歴史などを見ていると、人間の価値評価のおおもとの「原理」というのは、突き詰めて行けばそうたいした数があるとは思えないんですね(笑)。
もちろん、バリエーションは無数にありますし、T's もその一つです。ですが、「真・善・美」とか「個人と社会(ルール)」という枠で見る限りは、T's といえども、私自身が拍子抜けするくらいに、特殊でも何でもない。今回の「17.ジェンダーと『真・善・美』」では、
つまり見た目には異なっていても、その根底には多かれ少なかれ社会において誰もが経験するような種類の原理があるということを、いいたかったのです。今回、不充分ながらも一般向けの言い方で、いくぶんかはそれが表現出来たかと思います。

どこか似た人
最近、「ジェンダー素描」で「性差」を認め、「自由」や「平等」の悪口(?)まで書いているので、「よく反論が来ないものだな」と不思議に思うことがあります(笑)。
しかし私は結論が出るまでは、何であれまず方法論的に疑ってかかります。その上で疑いえないもの(私のリアリティに合致するもの)が残ったら、それを「妥当」(真理ではなく)だと思うしかありませんし、もし何も残らなかったら、最初の問題の立て方に戻って疑い直します。パラドックスに陥るのは、考え方がまずい場合もありますが、案外最初の問いの立て方に問題のある場合も多いんですね。私が、何であれイデオロギーや絶対正義(という名前のフィクション)に対して常に懐疑的、時に攻撃的(笑)なのも、自分自身のリアリティの維持のための方法として、自覚的・意図的に選んでいる行為です。
要するに、私の考え方では「妥当かどうか」が基準であって、「真理かどうか」を基準にしているわけではありませんし、それ以前に、真理というものがあるとも考えていません。ただ「真理」はなくても、そういう形で「多数にとっての妥当(共通了解)」を見出だしうる原理は、少なくとも可能性としては存在するだろうと思います。物事を方法論的懐疑論や相対化によって考えることも大事ですが、単なる懐疑主義や相対主義に陥っては何も決める事が出来ませんから、それを乗り越えるためには共通了解をどうやって得るかということが問題になります。私が絶対正義や対立主義を批判するのは、私自身がそれらについて「妥当」だと感じないからでもありますけれど、もう一つは、このような共通了解を得る原理が失われてしまうからなんです。
このようなものの考え方については、今年の1月12日の「考える道すじ」でも書きましたが、他のホームページを見て、「似たような考え方をしている人がいる」と思ったのは、【EON/W】からもリンクを張らせていただいている【★Trans Sexual Forum in Japan★】の「ゆり」さんという方ですね。顔を合わせたことがないのか、それともどこかでお会いしていながら名乗り合う機会がなかったのか判りませんが、直接お会いした記憶はありません。ただ、あちらのホームページを拝見しているうちに、「自分に『弱者』のレッテルを貼らず、なおかつご本人のリアリティに即した書き込みをしている人らしい」ということは、次第に判ってきました。
ただ「似ている」と思ったのはあくまで考え方(方法)であって、その内容(結果・結論)ではありません。お互い立場が違えば、どういう事に対してリアリティを感じるかということも違ってくるのが当然です。私はTSでもありませんし、考え方が似ていればこそ、立場の違いが結論に違いになって出てくるのは、これは仕方がないことだと思います。ですから、もしかしたら意見の上では対立することがあるかも知れませんし(今のところは、まずないと思いますが、先方が【EON/W】をご覧になったら判りません ^^;)、こちらが気づかずに先方の気に障ることを書いているかも知れません。もっともTG系のホームページは見ないと書いてあったので、【EON/W】もご覧になっていないかも知れませんが(笑 ^^;)。
しかし「考え方」には好感が持てる人だと思いますし、同じような考え方をして意見の相違が現れるのは、つまり立場の違いの反映ですから、私にとってはその立場の違いも含めて理解しやすい人だなと思います。「TG系のホームページは見ない」というのは、以前にTGと何かあったのだろうと思いますが(よく判らない ^^;)、誤解されやすいとか、反発されやすいということはあるのかも知れませんね。しかしこれは最初に書いたように、私に反発が来ない方が不思議なのです(笑)。
正直にいえば、私だって最初から理解できたわけではなく少々時間がかかりましたし、今でもどの範囲まで他の人との「共通了解」を持とうとされているのかが、まだちょっと判りにくいんですけど、相手が誰であれ、その人のすべてを理解しようと望むのは贅沢でしょう。ともあれ「自分に『弱者』のレッテルを貼らない」で、「変にイデオロギーに染まらずに本当の自分を書ける」人がいることが、素直にうれしく思えました。
先方から怒られるかも知れませんし、ここへ人物評を書くこともないのですが(初めてかな?)、しばらく前からこのうれしさは書き留めておこうと思っていたので、とりあえず率直に書いておくことにします。今回のタイトルの「どこか似た人」というのが、一番迷惑かも知れませんけど・・・(^^;)。

祝・20万アクセス
さきほど【EON/W】へ接続したら、カウンターが「200880」になっていました。20万件目は一昨日あたりだったと思いますが、仕事から戻っても早寝する習慣がついてしまいまして(^^;)、一昨日の晩と昨夜は接続していなかったので、その前後を見逃してしまいました(ただ、おおよその見当はつくので、「ありがとう20万アクセス」のメッセージはその前日あたりに出しておきました)。
10万件目が【EON/W】開設のほぼ1年後にあたる昨年7月でしたが、今回はそれから9か月余で次の10万件をマークすることが出来ました。2月末から今月の初めまで、情報の更新をお休みさせていただいたにも関わらず、毎日およそ400件以上の参照があり、この傾向は当分の間、伸びて行くものと思います。これもひとえに皆様方のおかげで、改めてお礼申し上げます。

新しい仕事は、まずまず順調
今週から新しい仕事に就いて今日で3日目だけど、順調すぎるくらい順調です。元々の性格なのか、今まで2ヶ月近くも無職でいた反動なのか、少々ホリックワーカー気味なのが自分でも気になるけど(^^;)、仕事が楽しめるというのはそれだけでも幸せだと思いますし、なにより仕事があるだけマシさ・・・と割り切ることにしました(笑)。
前の仕事はあまり外部との接触がなかったけど、今度の仕事は毎日違うところを回るので、会社の「看板背負って」外を歩くことの緊張感を意識的に持つようにしています。かえって昨日までの1〜2日目くらいはそれを意識しすぎていたのか、セルフコントロール出来ないくらい身体に無駄な力が入って、帰ってくると身体にけっこう痛みを感じたんですけど、3日目の今日はだいぶ通常の状態に戻ってきました。完全に通常の状態になるには少なくとも1週間や半月、まず1ヶ月はかかるだろうと踏んでいます。
まぁ、今までのコンピューター関係の仕事と違って、精神的な疲労よりも身体的な疲労の方が強いのは、かえって寝付きがよくなったので助かります。そのためと、仕事のことを考えて、当分の間「仕事の前日は禁酒」を自分に課すことにしました。いや、今までだって、そんなに飲んでたワケじゃないんですけど(笑)。
もっとも、今のように中途半端に馴れてきた時が一番油断しやすい時期で、仕事の上でミスをしたり怪我をしたりしやすいので、いかに身体の無駄な力を抜きつつ、精神的な緊張を持続するかというのが目下の課題です。仕事を楽しむのはいいけど、度を越して仕事をナメちゃうのはマズイですものね。
また、まずこの1週間は無事に過ごすことと、前日のプラスアルファの仕事量をこなすことを目標にし、次の目標はその「無事」をもう1週間(つまり最初から数えて半月)、次は1ヶ月・・・と延長してゆきます。「仕事量」については、2週間目以降は状況を読みなおした上で目標を設定することにしました。

取材の規制緩和、検討中
昨年の6月30日以降、現在に至るまで、「【EON/W】からのお知らせ」で、
>取材等や取材につきましては現在、『ひまわり』等、
>一部の専門紙を除き、一切お断りしております
と表示しているのですが、近いうちにこれを「規制緩和」(^^;)しようかと思っています。
最初は「解除」を考えていたのですが、ホームページ紹介の本などで「アダルト」の項目にポルノ系統のホームページと一緒くたにされるなど「キワモノ」扱いされたり、また、それとは違ってそれなりに真摯な姿勢ではあるのでしょうが T's を「弱者の論理」の文脈で扱おうとするので、正直なところマスコミには「ウンザリ」していましたし、今でもそういう気持ちが多分にあります。
また、一部には「パソコン通信とは違って、ホームページという形で公開しているのだから」という意見もありましたが、元々この【EON/W】は、「広く公開する」とか「積極的に社会に働きかける」という意識で作ったわけではありません。基本的には、女装をしたいけれども罪悪感を感じているとか、自分だけがおかしいのではないかと思いがちな環境にいる人達に、「あなただけではないんだよ」とか「こういう場合には、こうすればいいんだよ」という情報提供を目的とした T's 向けだったのです。
またそれがホームページ設置の趣旨としておかしいとも思いませんでしたし、これについては今でも疑問に思っている事はありません。興味のある人は、各自ご自分で検索して【EON/W】を見つけるでしょうから、ホームページの紹介本に掲載してもらう必要などは、以前も現在もまったく感じていません。
ただ昨年末ごろから、従来よりも対象の幅を広げてもいいかなとは考え始めるようにはなりました。しかしその頃には既に今年の2月一杯で失業することが判っていたので、「当分は取材を受けられる状態ではなさそうだな」ということで、「東アジア交流協会」での講演以外はすべてお断りして、この4ヶ月ばかりを過ごしてきたわけです。
それがここに来て、どうやら個人的にも落ち着けそうになったので、ひそかに懸案にしてきた「規制緩和」についても具体的に検討する時期が来たと考えるようになりました。
もっともこちらが「規制緩和」したところで、では取材の申し込みが来るかというと、何の心当たりもありません。また本来の「少数者」という意味では確かに T's は「マイノリティ」の一種ですが、この「マイノリティ」という言葉は、現在ではしばしば「弱者」というニュアンスを加味して扱われます。そのような扱われ方は、私は今後に渡っても不本意です。要するに「弱者」の味方面するサヨク的なマスコミには、【EON/W】は何の旨味もないでしょう(笑)。
ただ、もういい加減に「マイノリティ」についてそういう扱い方から脱却出来るような、「弱者の論理」にコビを売らないマスコミが日本に出てきてくれないかなという思いは、前述の「ウンザリ」の反動として積もりに積もってるんですね(^^;)。それが「規制緩和」を検討しようと思い立った動機です。仮に「規制緩和」してもそういうマスコミからの取材申し込みがなければ、それはそれで仕方がありません。その場合でも別に何の損も痛みもありませんし、【EON/W】の当初の目的が崩れるわけではありませんから(笑)。
正式には、もうしばらくして個人的な事情として安定してきたと思える状態になったところで、ここに書いたよりももう少し具体的な基準を示す形で、「【EON/W】からのお知らせ」に掲載しようと思います。

ようやく、次の仕事が決まりそうで
いや〜、まさか1ヶ月半も無職でいるとは思いませんでした(^^;)。2月までアルバイトしていたゲイバーのメンバーは、よほど心配してくれているらしく、入れ替わりに電話が入ります。そのうちの一人からは「よく暮らしてるわね」といわれて、返す言葉がありませんでした(気がついたら1ヶ月半が過ぎていたような気がするけど、そういえば不思議だ ^^;)。
しかし、お店が始まる前でも、営業時間でも、営業が終わったような時間でも、昼間でも誰か電話してくるため、1日のうち、どんな時間帯に電話がかかってくるか判らないのがすごかったけど(笑)。
ただこの失業期間中、お金はなくてもヒマはたっぷりあるので、今月に入ってから【EON/W】の更新が出来るようになったのをよいことに更新しまくるし、お友達の引越しは手伝いに行くし、バイクで林道へは行くし、帰ってきたら【EON】の書き込みで「女化神社」が話題に出ていたので、その翌日には現地に飛ぶし、はたまた林道に行った時に落とし物をして現地の警察から連絡が来たので、落とし物を引き取りに行くし(新しい仕事が始まる前でよかった ^^;)、考えてみたらいつ職探しをしていたのか、自分でもさっぱり判りません(笑)。といっても、先月から今月にかけて何ヶ所か断られたりはしているので、職探しをしなかったわけではないのですが。
ついでに白状すると、新しい仕事は来週からなんで、この終末は最後に二泊三日くらいでテント持って山にこもろうと思っていたのですが、この全国的な雨でくじけました(^^;)。
みんな心配はしてくれても同情がましことをいわないのは、どうやら失業直前の2月25日にここに書いた「人生の転機に臨む」のせいではなく、単にあきれてるんじゃないかと思います。その証拠に自分でもあきれてます(^^;)。
一つだけ悔やまれることは、3月初めに就職のために髪を切ったのですが、今度の新しい仕事も長髪でも出来るところだということ。確か、前の会社に入る時にも同じ事したんですよね(^^;)。

たまには音楽の話でも(笑)
私がめったに音楽の話を書かない(というより初めてかな?)のは、音楽自体めったに聞かないからなんですけど、それでも何かの拍子に好きになる曲があったりします。
『るろうに剣心−明治剣客浪漫譚−』ベスト・テーマ・コレクション (SONY)
待った甲斐がありました(笑)。テレビアニメ『るろうに剣心−明治剣客浪漫譚−』のテーマソング集です。レコード会社の異なるアーティストが歌ってるので、1枚のCDに収まるのは無理かなと思ったんですが、ついにやってくれました。
これは元々、どのアーティストが好きというのではなくて原作が好きなんです。最初のオープニングが JUDY AND MARY の「そばかす」、エンディングが THE YELLOW MONKEY の「TACTICS」だったのですが、音楽にうとい私は、JUDY AND MARY も THE YELLOW MONKEY も、このアニメのおかげで存在を知りました(笑)。
以前、ゲイバーのアルバイトをしてい頃に、営業終了後にお店の子と飲みに行ってカラオケで「TACTICS」を歌ったら、「え〜、イエモン(HE YELLOW MONKEY)知ってるんですか!?」と意外そうな顔をされ、それ以来、一緒に飲みに行くたびにリクエストされました。もっとも、私が居合や剣術をしていたのは知っているので、なぜこの曲を知っているのかを説明したら納得していたようです(^^;)。
本当は主人公の緋村剣心の抜刀の構えは変なんですけど(あれでは早く抜けない ^^;)、それを補ってあまりある作品だと思います。ただし新撰組好きの神名は、斎藤一ファンです(笑)。原作は来月あたりにコミックス20巻目が出るかしらん?(^^)
それから、昨年あたりから演歌を聞くことが増えました(これはゲイバー勤めの影響かも ^^;)。坂本冬美ファンです。他に藤あや子とか長山洋子(演歌に転向する前も聞いてました)も好きです。あと原田ゆかりの、演歌だかポップスだかよく判らない「元禄花見踊り」や「Oh!富」もお気に入りです(笑)。
もっとも坂本冬美は「夜桜お七」や「さよなら小町」のような演歌もいいけど、私はこの人のポップス系の歌が特に好きなんです。
実は坂本冬美は、数年前に忌野清志郎と細野晴臣との3人で出した「HIS」(3人のイニシャルですね)というアルバムで聞いたのが最初だったので、そのせいかも知れません。「TOKYOかくれんぼ」とか、一昨年から昨年にかけてノエビアのCMで歌っていた「銃爪」(元は世良公則&ツイスト 1978年)なんか好きです。
ノエビアのCMはあの鶴田一郎氏のイラスト込みで好きです(笑)。あのCMは、いつも元の歌を歌っていたのとは別の歌手が歌っているので、出来ることなら、いつか今回の『るろうに剣心−明治剣客浪漫譚−ベスト・テーマ・コレクション』と同様、1枚のCDにまとめて出してほしいな・・・。

復活の【EON/W】(笑)
長らくお待たせいたしました。前回の書き込み(2月25日)以来、ようやくページの更新が出来ました。以前はマックを使っていたのでまだWindowsに慣れないこともあり、「大丈夫かな?」と思いながらの作業ですが、なんとか正常に更新できているようです。
この間【EON/W】に関しては、たくさんの方が心配してくださり、気がついてみたらインターネットに接続できるパソコン一式と、その中身の設定まで、すべてそろってしまいました。なにしろこればかりは剣術や居合いと違って「技を極めれば、行き着くところ無手(素手)が極意だ」というわけにはいきません。どうしたってそれなりの機能と性能を持つパソコンなしにはどうにもなりませんから、大変に助かりました。これはけっして私の人望や信用だとかそんな事ではなく、皆さんがいかに【EON/W】を大切に思ってくださっているかということだと思います。この場を借りて、お礼申し上げます。
もっとも私自身はこれに安心することなく、早いところ次の仕事をみつけ、自前のパソコンも買って、本当に安定して更新できる体制を整えなくてはなりません。とりあえず今のところ、【EON/W】についての心配はなくなりましたが、私自身の前進は、まだまだ止まるわけには行かないようです(笑)。

人生の転機に臨む
これまで7年余に渡って勤めて来た会社を今月いっぱいでやめ、来月から転職する事になりました。またそれと同時に、これまで週末にアルバイトをさせて頂いていた新宿2丁目のニューハーフバー「花道」からも、同じく今月いっぱいで身を引く事になります。
会社の方はそれと同時に現在の場所を引き払う事になりますので、自分の机も含めて整理の真っ最中なのですが、その中から驚くくらいたくさんの名刺が出て来て、思わず1枚1枚その人を思い出しながら見てしまいました。また現在のアルバイト先の方でも、お客様、お店のママや他の従業員の人たちと様々な出会いがありました。ついでに事務所の私の机の引出しの奥から、しまったまま忘れていたお金が出てくるというオマケまで付いたのは計算外でしたが・・・(ラッキー!! ^^;)。
転職は初めてではありませんが、今の会社はこれまでで一番長くいた職場で、しかも私が「神名龍子」として勤める事が出来た職場です。高校を卒業して最初に就いた職場(現在に次いで二番目に長くいた職場でもあります)に匹敵するくらい、もしかしたらそれ以上の思い出があります。もっとも、まだ思い出になり切っていない部分もありますが(笑)。
次の仕事に移るにあたって、ゲイバーでのアルバイトも終了して月が明けたら(つまり来週ですが)思い切って髪も切ろうと考えています。頑張って、仕事を探してお金をかせいでウイッグ(カツラ)を買わないと、それまでの間は男の姿のままです(^^;) 。
といっても、今の世の中には髪を伸ばしていても出来るようなアルバイトもたくさんありますし、別に髪を切らなくてはならない必然性はどこにもないのですが、人生の転機に当たって、一つのけじめや覚悟として自分に課してみようと決めました。覚悟といっても私自身は「悲壮感」は持っていませんが、これによって当分の間「緊張感」は持ち続けようと思います。
インターネットに接続できる機器も自分では持っていないために、しばらくは【EON/W】の更新にも影響が出ると思います(今までは勤め先のパソコンを使っていましたが、これは今夜で最後です)。
しかし、それで「神名龍子」がいなくなるわけではありません。「I shall return!!」、私は帰って来ます。「女装の精神誌」においては
と書き、その後「りゅこ倫」では
と書いた私が今やるべき事。それは「出来ねば無意味」という前提のもとに、
を実際にお見せする事です。まぁ、それくらいしか出来る事がないんですけど(笑)。もちろん『《強者》への意思』は「人のため」ではなく、まず何よりも「自分のため」です。漫画の方の「りゅこ倫」も似たようなものですけれども、その上で具体的に何が出来るか、どこまで出来るかというと、実は私にも判りません(笑)。
ですから、ここをご覧になっている方はそれを、ただ見てるだけでけっこうです。上手く行ったら、私のような人間にでもどれくらいの事が出来るかを見て頂き、失敗したら何がまずかったのかを見て頂く、それだけで結構なのです。

講演・・・のはずだったけど
先日、2月11日に以前から内々に「東アジア交流協会」というところから依頼されていた「ニューハーフの説明」に行って来ました。
現場に到着してみたら、事前の説明とはだいぶ(というより、全然 ^^;)雰囲気が違うので、徹夜で書いた原稿はまったく使えませんでした(笑)。結果からすると、私にとって都合のよい方へはずれてたので、助かりましたけど(^^;)。 まず夕方5時過ぎに駅に着いて渡された会報(協会発行のミニコミ紙)を見たら、1面にその日の予定が出ていて、
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性同一性障害=男の体に女の心が宿る −ニューハーフとしての生き方を選んで− |
とか書いてある・・・(^^;)。最初からそういってくれれば、このテーマにふさわしい内容で原稿も書いて来たのに(^^;)。
会場は、どこかの施設の小会議室のようなところを使うのかと思ったら、マンションの個人宅。テーブルに並んだ食べ物とビールとワイン・・・。どう見ても家庭内パーティーというか、宴会の雰囲気。なんともアットホームな感じですが、「講演」という言葉から考えていたのとは大変なギャップ。この時点で、内心ひそかに原稿を自主的にボツにすることを決めました(^^;)。持って行った原稿は、せっかくだからと言うことで、置いて来ました。当日の内容を録音したテープから起こした原稿とミックスして、会報に使うそうです。
集まった方々は10数名。人数としては少ないかも知れませんが、年齢にも幅があったようですし、中にはその日のテーマに興味があるからということで大阪から新幹線で来られたとか、この日に日程をあわせてベルギーから一時帰国したという人までいらしたので恐縮してしまいました。
そうそう、銘柄は忘れたけど、ベルギー産のワイン、おいしゅうございました。他にもおいしいものがたくさんあったのですが、続けて書いているとマラソン選手の遺書みたいになるので割愛させていただきます(^^;)。
原稿なしでしゃべったら、10分あまりで話が続かなくなってしまい(笑)、座談会に切り替えました。これは「原稿ボツ」の時点で予想していた事だったので、講演開始前に2〜3人に「どうせなら座談会形式で」と吹き込んでおいたのが役に立ったかも知れません(笑)。
会話中にしきりに「先生、先生」という言葉が混じるので、「この人は何かを習っている人で、その先生のお話だろうか」と思っていたら、私の事でした(^^;)。場馴れしていないのがバレバレです。間違っても「講師」のガラじゃない・・・。
最初は、ニューハーフやゲイバーの話に、T'sの話をどうやって折り込もうかと考えていたのですが、ありがたいことに、質問を受けているうちにその比率が逆転しまして、T'sについての基礎的な説明から、手術や就職差別についてまで話すことが出来ました。
だけど、選ばれたのが私でよかった・・・。お店から適当に目についたニューハーフを指名したら、こんなこと話せる人は滅多にいませんからね。他の子が選ばれていたらどうなったか考えると、ちょっと冷や汗モノ。いや、私も「TSとTGを支える人々の会」に顔出しといてよかった・・・。
どうも、当日お集まりの方々には「性同一性障害=ニューハーフ」という誤解があったように思いましたが、テレビであれだけ何年もニューハーフが登場していたら、これは仕方のないところで、むしろよく「性同一性障害」という言葉をご存じだったと思います。「ゲイバー(ニューハーフバー)」は全員がご存じで、「行った事がある」という方も何人かいらっしゃったようですが、テレビに登場しないせいか「ニューハーフヘルス」は意外に知られていないようですね。この日に皆さんが声を揃えて一番驚いていたのが、「ニューハーフヘルスが存在する」という事実だったようです(笑)。
しかし、多少誤解されていようとも、まず興味を持っていただかなければ理解も有り得ないわけで、人にむりやり興味を持たせるよりも、誤解を訂正する方が楽だと思いました。その意味では、この日は随分と助かりました。
男女比が3:2くらいだったんですけど、一段落したところで、宴会らしく(?)座が乱れて来たら、妙に私の周りに女性ばかり集まって来ました。そこでもまた質問を受けているうちに、いつの間にやら「お姉さん」役。中には「何年も前から知ってるお姉さんみたい」と言いだす人もいる始末で、内心「歳、サバ読んどきゃよかった」と後悔しました。誰も「妹みたい」とはいってくれない(まぁ、言わないわな ^^;)。
でも、皆さん一緒にいて気持ちのいい人達で、つい時間を忘れてしまい、気がついたら1時間どころか11時を回ってました。「講演」は10分で懲りましたが、今回のような「座談会」でしたら、また機会があればやってみたいと思います。
「東アジア交流協会」の方々には、本当にお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

考える道すじ
最近「ジェンダー素描」で、最初の頃の記号論から離れた内容が続いています。これは、あまり「論」のようなものに偏りすぎると内容に現実味がなくなる、現実から離れるような気がするという、私の個人的、直観的な警戒感によるものだと思います。
一見して理論の上では正しいようだし反論も出来ないけれども、でも「何かおかしい」という違和感を抱く事は、実は誰もが様々な場面で経験しているのではないでしょうか。しかし、自分の心の内に湧き出た違和感を説明する言葉がない、あるいは、どのように考えてよいのか判らない。そのために違和感を抱きつつも押し切られてしまい、心の中にしこりが残るという事が往々にしてあると思います。
最近、それをどのように説明するか、それを考えるための道すじを模索しているのが反映して、あのような内容になっています。
「りゅこ倫」も動機としては同じようなものですが、ただどちらも私が書いているにもかかわらず、両方のコーナーでは意識して文体を変えています。どちらの文体の方が言いたい事を表現できるか、あるいは言いたい内容によって文体を使い分けるべきなのか、その実験も兼ねています。そしてもうひとつは文章ではなく「ひまわり」誌上で漫画で同じ事を試みています。答えはまだ出ません。
その「考える道すじ」ですが、私の場合、学校教育に馴染めなかった理由も同じだと思いますが、皆が当たり前だと思っている事が当たり前に思えない事がよくあります。「皆が当たり前だと思っている事」については、よく検討されないでその先に進んでしまうことがしばしばありますね。今回はそれも白紙に戻して、差別とは何かとか、「異性間の結婚」というのはどこに根拠があるのかとか、まぁそれなりに本を探したら書いてあるのかもしれませんが、そういう根本に立ち返って自分で考えてみたい。そうでないと、「なぜ自分がこういう事をしているのか」、あるいは「したいのか」の根拠が判らないんですね。
自分で考えた結果として、どこかの本に書いてある事と同じでも、それはそれでかまわないわけです。ただ本から「情報」という形で得た知識と、自分の体験やそれを踏まえて自分で考えた結果として得た知識では、あきらかに「知識」の質が違います。本やその他のメディアから「情報」という形で得た知識と言うのは、それがどこまで本当であるのか、よくよく考えてみると根拠がないものです。
パソコン通信やホームページを主宰している私がこういうことを書くのを奇異に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、メディアの持つ危うさというものは実際にあるわけですね。例えばテレビや新聞のニュースでも、町内の火事のように身近に起きた事件が報道された場合は別として、大半はその報道の内容が事実かどうかを確かめる手段を持たないまま、真偽の判らない情報として得ているわけですね。それに対して経験から得た知識と言うのは、情報に混じる「ウソ」にだまされないための抵抗の根拠となる知識です。時代の変化とともに、私達が得る知識のうち「情報」がそのシェアを大きく占めるように変化し続けているわけですが、このような「情報時代」だからこそ、経験から得る知識がますます大切になるともいえます。
その意味では、報道もいくぶんの危うさを持っていますが、それ以上にイデオロギーというものがあぶない。これは右も左も含めての話です。よくよく突き詰めてさかのぼってみると、イデオロギーと言うのはたいてい何らかのフィクション(仮定)が前提になっているんですね。そこを突くと崩れる。これは宗教と同じ構造で、例えばキリスト教なら「神の存在」とか「人間の原罪」というフィクションの上に成り立っています。イデオロギーも同じです。それを信じるためには最初のフィクションの部分を事実として信じなければなりません。だからマルキシズムでも皇国史観でも、どこか「信仰」めいてくるんですね。最近は「人権」や「平等」でさえ、それを担ぎあげている人間によっては、かなり「信仰」めいて来ました。私にはそれがすごく胡散臭く感じられて、思想の内容以前にその胡散臭さに拒否反応を起こしてしまいます。それよりは禅宗である曹洞宗で「眼横鼻直」(がんのうびちょく。眼は横、鼻は縦。当たり前のこと)という方がよほどさっぱりしています。
もっとも「人権」や「平等」それ自体を排してしまうわけにはいきませんから、それについても考えてみる。すると「平等」というのは「法の下の平等」に限定して考えればよい、それならば胡散臭さ、つまり最初に書いた「違和感」を感じないものとして了解できるという線が見えて来ます。そこを最初に押さえておかないと、「人間はあらゆる事がらについて平等」というフィクションを前提に置いてものを考えてしまう危険があります。
これは科学でも同じ事ですね。先日ある友人が「科学と言うのはものの考え方なんだ。しかし日本の理科の教育では考え方を教えずに、誰かが考えた結論だけを教えているから、あれは科学ではないんだ」という意味の事を言っていまして、なるほどなと感心した事があります。哲学でも、下手をすると誰がどういう事を考えたかという事ばかり教える「哲学」学になりかねません。その伝でいえば、日本の理科教育と言うのは科学ではなくて「科学」学だという事になるでしょうか。
それと関連して補足しておきますと、私が自分の経験を踏まえて自分でものを考えたからといって、それが「真理」である保証はどこにもありません。また、私以外の人、例えそれがどんな大学者であっても同じ事ではないでしょうか。例えばニュートンが科学のある体系を作った。それが「真理」だと考えていたら、アインシュタインが出て来て、ニュートンの体系はある一定条件でしか成り立たないという事になってしまった。それではアインシュタインの説こそが「真理」なのかというと、今ではそう考える人はいないみたいですね。あくまでも「仮説」であると。ただし今のところ誰も覆していない仮説であって、その仮説に従ってものを考えても不都合を感じないからそれで行きましょうという事で、科学者の間でコンセンサスが取れているという事でしょう。
自然科学でさえこうなのですから、社会についての真理なんて、理念上はともかく実際には存在しないんじゃないでしょうか。社会主義はダメになってしまいましたが、資本制や民主主義というのもやってみたらいろいろと不都合はあるわけで、ただ今のところはそれよりも優れたものが考えられないから、当分の間は、それで適当に手直ししながら行きましょうという事になっているのが実情じゃないでしょうかね。「これが絶対」とか「これが真理」というものはないけど、多くの人が「これなら、まぁ妥当だ」と思えるものくらいは見つけられるんじゃないですか。
私個人としては民主主義に対する疑問と言うのがあるんですけど、とりあえずそういう個人的な思惑は脇においとく事にして、「これならば多くの人が妥当だと思うかな?」という線を模索しながら「ジェンダー素描」を書いているんですから(笑)。

「正月は・・・」
新年明けましておめでとうございます。
本年も【EON/W】ならびに【EON】をよろしくお願いいたします。
もっとも私自身はもう10年以上も、眠狂四郎のように(笑)、クリスマスらしい事もお正月らしい事はしていません。現に今も初詣にも行かずに、こうしてパソコンの前に坐っていますしね(笑)。
しかし、12月発売の「ひまわり」の最新号くらいは年が明ける前に読みたかったですね(笑)。いつもは原稿が載っていない号でも編集部が送ってくれるのですが、今回はまだ届いていないのです。まぁ、今回はしかたがないですね。あちらも隔月刊化して忙しいところへ来て年末年始に引っ掛かったので、それどころではないのでしょう。
今年は、(昼の)職業が変わったり、その合間を縫って講演の依頼が一つ入りそうだとか、年の初めから何かとドタバタしそうな状況です。転職などの個人的な事は、べつにここに書く事でもないのですが、落ち着くまでは、この【EON/W】の情報更新などにも影響が出るかもしれませんので、あらかじめお知らせしておくことにします。
この転職も心配なのですが、実は私は講演と言うのは初めてなので、今から何を話そうかと年末年始にまたがってずっと内心オタオタしているところです。また、場合によっては、今年あたりから少しずつは雑誌(一般誌)などの取材も受けるようにしようかなどと考えています。ただこちらは、具体的には転職後の話ですけどね。
ただ、三日坊主の日記のようですが(笑)、私でもやはり新年というと何かしら思うところはあります。「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」という狂歌もある事ですし、ここで縁起の悪い事を承知で書いてしまうと、私は今年、あの新撰組の土方歳三が亡くなったのと同じ年齢に当たるんですね。近藤勇はもう一つ年長ですが、土方の前年に亡くなっていますので享年は同じでしょう。一昨年は気がつかなかったのですが、坂本竜馬ならもう亡くなってしまっています。もっとも、西郷さんだと、まだだいぶ間があるんですけどね(笑)。まぁ、そういう年齢になったわけです。そう思った時に、自分にこれまでどれほどの事が出来たかという事を考えると、なんとも「おそまつだなぁ」と感じます(^^;)。
特に自分をたいした人間だと思っているわけでもありませんし、まさか私の銅像が建つことも将来に渡ってありえないでしょうが(笑)、もう少し何かやりようはなかったかとか、そういうことは考えてしまいます。ただ悔やむだけでなしに、これからの参考になるものがあれば引き出しておきたいとは思います。
ついでにもうひとつ明かしてしまいますと、転職後の職業によっては週末のゲイバーでのアルバイトも出来なくなる可能性があります。その話をしたら、同じお店の10以上歳の離れた若い子から何度か「やだ、さみしい」といわれまして、そのたびにその子が可愛く思えてしかたがない(笑)。それで「若いモンが可愛く思えるようになっちゃァ、私も歳取ったなァ・・・」と実感してしまいました(^^;)。
その一方では、つい10日ほど前ですけど、またバイクでスキーに行ったりもしています。もっとも今年は雪がなかったので、走るのは前年よりも楽でしたけれども、この辺は「若い」のか「バカい」のかよく判りませんが、まだ「枯れちゃいない」事は確かなようです(笑)。
