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■■2003年03月15日■■役目と人物像
今回は『gid.jp』の人物紹介を試みることにしよう。といっても、とても全員というわけにはいかないので、代表の山本蘭、副代表の北小路康美、そして代表補佐の神名龍子(つまり私である)の3人について、私なりの視点から描いてみようと思う。
山本代表について一言で表現するなら、知的な外見に似合わず「猛将」タイプである。バイタリティの塊のようなエネルギーの持ち主だ。私が『gid.jp』に参加するにあたっても、腰の重い私に対して再三再四、切々と思いを語りかけるメールを送り続けてきた。もしかしたら、こんなに出渋ったのは私くらいかもしれないし、直接に顔をあわせて参加を呼びかけた人もいるだろう。しかし会の設立に当たって、いったいどれだけの人数を相手に、どれほどメールのやり取りをしたのか、私には想像もつかない。それだけでなく、名古屋などでは直接出向いての説明もしたと聞いているから、このエネルギーだけでも相当なものである。事に当たってこのエネルギーを惜しまず注ぎ込み、率先垂範、先陣切って真っ先駆けて行く。私はかつて、何人もの優れた指揮官やダメな指揮官を見てきたが、山本代表はこの点、前線指揮官の鑑のような人物だ。これが、私が彼女を「猛将」タイプと評する理由である。
指揮官には、平時向きの指揮官と有事向きの指揮官がいる。平時向きというのは、いわば現代のお役所の幹部のような人物だ。もちろん企業にもいる。前例を守って、決められたことを決められた通りにこなす、ルーチンワークの熟達者のような人物である。しかし、有事の指揮官は、それだけでは務まらない。前例から有益なことを学びつつ、それにとらわれずに新機軸を打ち出し、それを直ちに実現させるだけのオリジナリティと実行力が必要だ。山本代表は、この有事の指揮官に必要な資質を持っている。
ただし時々、このエネルギーが暴走気味になる事がある(^^;)。そういう性格は当人も自覚しているらしいのだが、暴走中はそれに気がつかないようだ。もっとも、気がついてやっているのならこれは確信犯ということになるのだが、そういうわけではなさそうである。ただし彼女のこの性格は、なくそうをとしてはダメなのだと思う。そのエネルギーが会のエンジンのような役割を果たしているからである。
私の見るところ、彼女にはやや完璧主義の傾向があるように思える。一度アイデアが浮かぶと、その実現に向かってバリバリと動き出す。それを率先垂範して「倒れてのち已む」の勢いでやるから、まず本人がオーバーワークになる。こういう場合は必然的に、他の者もオーバーワークになりかねない。それにブレーキをかけるのが、私の役目の一つになっている。山本代表の健康状態が気がかりだし、他の人たちのオーバーワークも防がなければ、息の長い運動を続けて行くことは難しいのではないか。だから活動を、長距離走のペースに保つ必要がある。
こういう場合に怖いのは、ブレーキ役を続けている内に、私が消極的な発想しかできなくなることだ。身体の運動と同じで、思考にも癖がある。身体運動でも、習わない動きはできないし、習った動きはやろうと思わなくても出てしまうものである。それと同様に、ブレーキ役ばかりやっていると、常に消極的な発想をするようになってしまうのではないか、という不安を感じるのである。
その私(神名)の場合は、「有事向き」を通り越して「有事専門」、「平時の役立たず」というタイプだと思っている。そして、私はかつてパソコン通信のネットの主宰を10年近く務めたが、自分では副官あるいは補佐役向きだと思っている。それを自覚したのは、警備の現場だ。現場の状況に予想外の変化が起こった時に、素早く状況を把握して分隊長なり小隊長なりの脇に位置する。いつでも状況の変化について説明ができ、また必要ならばその際に取るべき方針についても進言できるように、あらかじめ考えておく。のちにある分隊長が私を評して、「こいつは普段はどこにいるのかわからないヤツだ。だけど必要な時には、気がつくと必ず俺の横にいる」といってくれた。これが、私のこれまでの人生の中で一番うれしかった評価だ。命のかかっている現場では、誰しも階級だけでは動かない。「士は己を知る者のために死す」だ。
危機管理の基本は「悲観的に準備し、楽観的に実施せよ」である。「悲観的に準備し」というのは、自分達に都合よく事が運ぶと思わずに、様々なトラブルが起こることを予測し、あらかじめその対処について考え、準備しておくという意味である。したがって、これは「消極的な発想」とは本質的に異なる。あくまでも事を成すための「方法的悲観論」なのだということを忘れてはならない。そうしないと、私のように生来がズボラでモノグサな人間は、いつ消極姿勢に転じてしまうかわからない。私は、この点を常に自戒するようにしている。私が『gid.jp』でもっとも信用できないのは、私自身である。他人の変化より、自分の変化の方が気がつきにくいからだ。
ところで有事あるいは危機管理の鉄則の一つに、「拙速」ということがある。これは何も、孫子の言うような軍事行動ばかりではない。例えば情報。「5W1H」とか「六何の原則」にこだわって「巧遅」を求めるのは、平時の指揮官のすることだ。有事には迅速な情報が必要となる。そして迅速な情報とは、断片的なものなのである。断片的な情報を何度にも渡って受け取っている内に、次第に事態の全容が見えてくる。場合によっては情報不足のままで行動せざるを得ない場合もあり得る。
そして、このことは『gid.jp』の活動についてだけでなく、それを見守るGID当事者についても同じ事がいえる、と私は考えている。本来ならば、『gid.jp』の活動については、会のホームページで逐一公開すべきものだ。もちろん、個人のプライバシーに関することなど公表できない情報もあるが、公開して差支えないものは公開すべきである。
しかし、当事者の皆さんには申し訳ないことに、会のホームページがいまだに製作中になっている。私が時々こうして「非公式」発表を書いているのは、会の活動を私なりに記録しておきたいという動機もあるが、公式発表の欠如をささやかながらも補いたいというつもりがあるからだ。『gid.jp』が何を考え、何をしようとし、また何をしたか。それがわからないでは、多くの当事者に疎外感と不安を与えると思う。その不安を防ぎ、あるいは少しでも軽減することができればと思う。
話がそれたが、会のホームページの公開が遅れているのは、山本代表がそのデザインに納得しないからだという話がある。これも上に書いた完璧主義の側面が表れたように思えるのだが、しかしこれはいけない。情報は中身(質と量と正確さ)と速さが重要なのだ。見栄えの良し悪しは情報の本質ではなく、その本質的ではない理由で情報公開を遅らせてはいけないと思う。見栄えはあとで直せばよいし、内容に不足があったら、それもあとから補えばよい。この件だけは、山本代表がブレーキ役に回ってしまったようだ。しかし、『gid.jp』のホームページもようやく近々公開予定とのこと。その時は、このHPでも何らかの形で皆さんにお知らせするつもりである。
付け加えておくと、私の考えでは山本代表のエネルギーは、彼女の完璧主義的な側面と不可分な性質を持っているように思える。だから、それをやめろとはいえない。こういう場合には、エネルギーの向きを変えるしかないのだ。情報公開の実施方法について、完璧を目指して欲しいなぁ〜、と思う。これも、彼女と私というセットで目指し実現して行くべき目標の一つか。
こうして考えてみると、山本代表と私とは対照的なタイプで、二人が組み合わさることでバランスが取れるのではないかという気がする。どちらかがアクセルになり、もう一方がブレーキになることが、しばしばあるような気がする。かといって、対立しているわけでもない(と思う ^^;)。要するに、「有事の指揮官と参謀」としてワンセットなのだろう。山本代表が発想し、実行する。それを私がチェックし、あるいは相談相手になる。
もっとも、私自身にとっては「指揮官と参謀」というより、「士官学校出の指揮官と、叩き上げの下士官」のコンビのような気もする(^^;)。私が経験豊富で有能だ、という意味ではない。簡単に言えば、私の方が「品がない」(笑)。会が掲げる課題についての当事者性もない。そういう意味で、正統から外れたところにいるのが私なのである。いわば「士官学校卒」にコンプレックスを感じながら補佐をしているようなところが、どこか私の心の片隅にある。その一方で、これが自分の役目なんだと納得してもいる。アンビバレントな心を持ちながらも、なんとか期待に応えようとしているのが私だ、と思う。
私にとって問題なのは、慣れない戦場に投入されてしまったために、今までの経験が必ずしもそのままでは役に立たない、ということだ。能力が立場に負けている。状況に合わせたアレンジが必要なのだが、まだまだ私にはそのために必要な情報が不足しているように感じられる。これがつらい。抽象的な表現になってしまうが、まだ感覚が充分に「場の流れ」に合わないのだ。投石や火炎瓶が降り注ぐ中で背後の動向までも「見えた」昔が懐かしく感じられることさえある。しかしこれは愚痴だ。早く新しい現場に感覚を合わせられるようにならなくては…。
しかし、このセットだけでは会は成立しない。山本代表の意向をきちんと形にするための実務家が不可欠だ。それが、北小路副代表である。私は北小路副代表を、いわば「有事も平時もこなす真の能吏」というタイプだと思っている。山本代表の意向を次々に具体的な形にして行くのがこの人なのだ。それだけオーバーワークになりやすい立場でもあり、現にしばしばオーバーワークに喘いでいる。見た目にはエネルギッシュな印象を受けないが、かなりの仕事量をこなしているのだ。彼女には「勁草」という表現がピッタリだ。
正直に言うと、私はこの人を見ていると引け目を感じてしまう。彼女が忙しく飛び回っている時に私がヒマだったり、そのくせ私自身が細かい注意点などの注文をつけて彼女の仕事を増やしてもいるからだ。どう考えても、私は彼女に恨まれても仕方がない立場にある。しかし、内心はどうか知らないが(^^;)、彼女が私に対してそんなそぶりを見せたことは一度もない。そのおかげで、私はますます引け目を感じるのである。
ちなみに『gid.jp』には、名古屋にもう一人の副代表がいる。一度しか顔を合わせていないが、同じ副代表でも、こちらは代表と同様にエネルギーを感じさせる人だ。あちらはこの人に任せておけば安心、という印象を与える。これは他の地域の責任者についてもいえることだが、地理的に離れているだけに、東京の代表・副代表との意思の疎通を欠かさないで欲しい。
『gid.jp』は、できる事をできる人がやるというのが基本コンセプトだから、もちろん私も含めて、ここに書いた者達だけが活動しているわけではない。何かにつけてお手伝いを頼むこともあったが、その都度に快く引き受けてくれる人達が必要にして充分な人数、名乗り出てくれる。これが現実に具体的な活動を支える、『gid.jp』の真の力だと思う。そうでなければ、山本代表も北小路副代表も、とっくに倒れているかも知れない(そういえば、山本代表は昨夜も「ゆかに突っ伏して寝てた」そうだ ^^;)。そして私にとっては、人が増えればそれだけ情報が増える、ということが大変ありがたく感じられる。
今回は活動内容ではなく、私から見た人物像を好き勝手に書いてみた。あくまでも「私から見た人物像」だから、ここで取り上げられた人達の側にもそれぞれ言い分はあろう。彼女達から見た神名像、また今回は取り上げなかったが、会の FTM の人達から見た神名像というのも聞いてみたい気がする。
もちろん以上は、私個人の随想である(次に皆に会った時が怖いな ^^;)。
