|
■■2004年06月30日■■ナショナリズムについて
先日「お龍さんの徒然草」で、浅羽通明氏の『ナショナリズム』を取り上げた。その後、さらに思うところがあったので、まず最初に「お龍さんの徒然草」で述べたことをほぼそのままの内容で繰り返し、その後にさらにナショナリズムについて述べてみようと思う。
『ナショナリズム』という本で最も違和感を受けたのは、浅羽氏が在日米軍が存在していることを、無条件に「軍事的独立がない従属的国家」とか「植民地」と断じて疑わないことである。
|
だが、この結論を飲み込むまえに、司馬史観がはらむ問題をふたつほど検討しておきたい。ひとつは、戦後日本が再軍備を最小限にとどめ、日米安保条約によりアメリカの核の傘により安全保障をしてきた事実(それが高度成長の前提だった)を司馬がどう考えたかである。『アメリカ素描』などをみるかぎり、司馬遼太郎にこうした戦後日本の対米外交姿勢への根本的批判はまず観られない。戦前の日本軍への嫌悪は司馬に、たとえアメリカに占領されつづけても、日本人に再び軍隊を持たせたくないと決意させたのかもしれない。 (P212) |
これについて、私が知る範囲で司馬遼太郎の見解を代弁するならば、司馬氏は軍備それ自体を否定したことはない。リアリズムを重視する司馬氏が、左翼の非武装中立論のような絵空事をいうはずもないではないか。彼は軍備について、独立国である以上は必ず存在するものだということと、それが国民を守るために存在するものだということを述べている。司馬氏が属した戦車連隊は太平洋戦争末期に、本土決戦に備えて満洲から栃木県佐野市に移動している。東京に向けて出動ということになれば、そのときは東京からの避難民が道路にあふれているであろう。そのような状況でどうやって東京へ行くのか上官に質問したところ、その上官の答えが「轢き殺して行け」だったそうである。国民を守るための軍隊が、その守るべき自国民の生命を軽視するのは本末転倒だ。そう書き残している。
しかし、いかに国民を守るための軍隊とはいえ、司馬氏は日本の軍隊が世界の中で一流になることはないとも述べている。理由は石油である。第一次大戦以降、戦争には戦車や飛行機が必要になり、軍艦の燃料もまた石炭から石油になった。いうまでもなく産油国ではない日本には、その石油がないのである。そうである以上、世界に孤立して軍備の近代化は出来ないし、たとえ近代化してもそれを動かす燃料がない。
これに付け足していうなら、現代ではさらに技術の問題がある。火器も航空機もこれらの付随するエレクトロニクス機器も、原材料と動力(燃料)があれば他国と同じ性能のものが作れる、というわけではない。これはアメリカとイラクの戦争を見てもわかる。もはや人数比は軍隊の重要な要素ではなくなり、効率と機動力がものをいうようになっている。ゼロ戦の時代と違って、日本がまったく独力で(つまり他国の技術ライセンスも用いることなしに)アメリカ並みのジェット戦闘機を作ることは、まったく不可能である。初の国産超音速機といわれたT2(練習機)でさえ、そこで使われている技術の過半はアメリカの技術のライセンスを得て使用したものなのだ。日米の数十年の技術の開きを生めるために、どれだけの年数と投資が必要か。そもそもそんな技術開発のために投資し得るだけの余力が、日本経済にあるか。しかも(絶対にあり得ないことではあるが)もし仮にそんな戦闘機を開発できたとしても、それを日本だけが使うのであれば(武器輸出を禁じる三原則がある限りそうするしかない)、一機当たりのコストは途方もなく高いものについてしまう。スイスという永世中立国が世界有数の武器輸出国であるのも、これが原因なのである。
さらにいえば冷戦体制化で、日本が独力でソ連や中国の侵攻を充分に阻止し得るだけの規模でこれらの装備を持ち、その装備を使いこなすための人員をそろえ、装備を使いこなせるように訓練を続けることなど、まったく不可能であった。要するに「日本の軍事的独立」はそもそも理念の問題などではなく、技術的・経済的・資源的・法的に、また国際情勢の面からも不可能なのだ。
ついでに書いておくと、日本の自衛隊も人員と装備は一流とはいえないまでも(強いて言えば一流の下だが、まず二流と見るべきだろうと思う、しかし)、決して世界の中で下位に位置するほどに貧弱なわけではない。その内訳を項目別に見れば、イギリス軍を凌駕する項目も複数存在する。浅羽氏は自衛隊を「最小限」と評価しているが、はたしてこれは世界の軍備を比較した上での評価なのか。もしそうだとしたら、一体どんな資料に基づく判断なのか、疑問に思わざるを得ない。
もちろん独力でなく同盟で…という考え方もある。しかし当然のことながら、同盟というのは、いざという時に同盟国が助けてくれなければ意味がない。ところが日本の場合、西欧のNATO諸国と違って、自由主義陣営に属する他の先進国が近隣に位置していたわけではない(しかもそのNATOでさえ、あくまでも米ソ対立の一方に属していたのだということを忘れてはならない)。
では太平洋を挟んで日米同盟を結んだとして、平時は日本国内に米軍を置かず、有事の際にだけ助けに来てもらうとしよう。米本土からといわずハワイからでも、どれだけの期間にどれだけの規模の米軍が日本周辺に展開できるのかということを、浅羽氏は具体的に考えてみたことがあるだろうか。
もちろん兵士だけが手ブラで日本に来ても意味がない。個人装備や武器弾薬と食料だけでも、旅団や師団という単位では膨大な量になる。さらに各種の砲や装甲車両、その武器弾薬と燃料、予備部品、等々を考えれば、それだけ大量の人員と物資とを短期間に日本周辺に展開可能な輸送手段など存在しない、ということに気がつくはずである。個人レベルの海外旅行とは、まったく話が違うのだ。ハワイから日本まで飛行機で7〜8時間じゃないか、などと気楽に考えても、軍事に関してはそれは荒唐無稽な絵空事にしかならない。今も昔も、ロジスティックを抜きにして軍事を考えれば、必ず「現実」にによるしっぺ返しを食らう。このことは、何よりも旧日本軍が実証済みである。
もちろんソ連(ロシア)や北朝鮮、中国は、アメリカとは比べ物にならないくらい、日本の近くに位置している上にこれらの国を日本と挟み撃ちに出来る位置関係にもないことは、子供でも知っている(ただし現在のところ、これらの国にも大量陸軍部隊を日本に上陸させる輸送手段は存在しないが、ミサイルや航空機による攻撃なら各国から短時間で飛来する)。
軍隊には「いまそこにいる」というプレゼンスによる抑止力の問題が必ずつきまとう。「間に合わない同盟軍」に同盟の効果を期待するのは不条理な要求でしかなく、要するに日米同盟は、在日米軍の存在を抜きにしては物理的に「有名無実」になるより他にない。もちろん小規模ながらも、満洲から栃木県への戦車連隊の移動を経験している司馬氏は、以上のことを承知していたはずである。
別に軍事の説明をするのが目的ではない。浅羽氏自身が本書の中で「パワーポリティクス」や「リアリズム」の価値を認めていながら、なぜ現在のこれらの現実を見ないのか、ということを指摘したいために、説明が長くなった。これらの問題を現実的・具体的に考える場合には、理念や主義主張の問題というより、輸送手段や地理的条件などの、物理的な制限の問題が大きいのだということを忘れてはならないと思う。また、軍事に限らず、何ごとにつけイデオロギーや理想理念だけで物事を考えることには意味がない。
異論のある部分について先に述べたが、『ナショナリズム』の優れた点は、本書の中で取り上げられる論者や論考が、現在の問題意識を前提とする視点で選ばれているというところにあると思う。たとえば本書ではほとんど触れられていない天皇制のようなものは、もはや具体的な影響力を持つような問題ではなくなっており、訴求力を失った左翼の断末魔の叫び声の中でかろうじて生き延びている「問題」である。
このことは「右翼」(反米保守を含む)についても同じことがいえる。両者は真っ向から対立するイデオロギーなのではなく、同じコインの裏表であるからだ。これについては、私自身も既に何度か述べたことがある。たとえば連合赤軍は赤軍派と京浜安保共闘が合同して出来たセクトだが、この京浜安保共闘のスローガンが「反米愛国」だった。現在では「愛国心」といえば右翼用語のように思われているが、30年余り前までは左翼も愛用していた用語だったのである(もちろん世界革命を夢見るトロツキストはそんな事は言わなかっただろうが)。
『ナショナリズム』によれば、日本共産党も例外ではない。
|
民族の自由を守れ 蹶起せよ 祖国の労働者 栄(は)えある革命の伝統を守れ 血潮には 正義の血潮もて叩きだせ 民族の敵 国を売るいぬどもを 進め 進め 団結かたく 民族独立行動隊 前へ前へ進め 民族独立勝ちとれ ふるさと 南部工業地帯 ふたたび焦土の原と化すな 暴力(ちから)には 団結の実力(ちから)もて叩きだせ (P144〜145)
|
これは「民族独立行動隊の歌」(きしあきら作詞)といって、昭和25年(1950年)に日本共産党の活動の中で誕生、以後10年以上、60年安保闘争などの左翼運動において歌い継がれた歌なのだそうである。「祖国の労働者」や「革命」という2語を除けば、「民族の自由」、「蹶起」、「伝統」、「民族の敵」、「国を売るいぬども」、「民族独立行動隊」、「民族独立勝ちとれ」などの語が並ぶさまは、現在では右翼の街宣カーから流れてきても何の違和感も感じさせないほどである。
なぜこんな事態になったのかということについて3つほど挙げておくと、まず日本共産党が既にソ連を範として一国革命路線を取っていたこと(ということは必然的にナチズムと同じ「国家社会主義」の過程を経なければならないということだ)。次に、終戦直後は米軍を「解放軍」と呼んでいた日本共産党も、昭和25年のレッドパージや朝鮮戦争などを期に「反米」路線に転換したこと。3つ目に、日本や西欧の支配から独立したアジア諸国の多くが社会主義国だったり、社会主義路線の影響が強いと見られていたことである。前者には中華人民共和国や北朝鮮、北ベトナムなどがあるし、後者にはインドやインドネシアがある。
特に当時は、アジアやアフリカの独立運動の多くが、民族主義者と共産主義者の提携という形を取っているように見られた。あるいは実際に提携していた。もちろん現実には、独立に成功すると共産主義者による民族主義者の粛清が始まった。たとえばベトナム独立の初期には民族主義者(ベトミン)が、後には共産主義者(べトコン)が目立つようになる。ソ連や中国がアジア・アフリカ各国の共産主義勢力に武器を供与したため、必然的に共産主義勢力の方が民族主義勢力よりも優位に立ちやすかったことが一因である。しかし1950年当時にはそこまでは知られていない。
日本の左翼の「反米愛国」路線が誕生したのは、このような国際情勢ともけっして無関係ではない。ちなみに、いわゆる「靖国問題」は80年代、中曽根内閣当時に登場した意外にも「新しい問題」であり、この当時は共産党も社会党も靖国神社を問題にしたことはなかったはずである。
一方、これも浅羽氏が本書で指摘していることだが、意外にも軍歌や戦時歌謡などでは「民族」の語はほとんど見かけない。その理由について本書では、民族主義が帝国主義と折り合わなかったからだと指摘している。なるほど明治維新の直後ならまだしも、台湾・朝鮮を併合していた日本の国家原理として「民族国家」や「大和民族」などの理念を旗印にすることが出来なかったのは、きわめて当然の理である。「ナショナリズム」という語の意味を、広辞苑にあるように「民族国家の統一・独立・発展を推し進めることを強調する思想または運動」と理解するならば、日清戦争後から第2次大戦終戦までの日本の国家原理として「ナショナリズム」や「民族国家」はいかにも不適当なものであった。その反面、「民族独立行動隊の歌」は共産主義者達によって歌われていたのである。
とすれば、加藤典洋氏や橋爪大三郎氏などのいう、戦前と戦後の「ねじれ」についても再考の余地がないだろうか。実は、しばしば「戦後」という語で一括りにされる現在までの約60年間の中途にこそ、私達が意識することのなかった「ねじれ」が存在するのではなかったのか。本書は、そういうまったく新しい視点を提示する事実を私達に教えてくれる。
「戦後」の中途における「ねじれ」とは、簡単にいえば、左翼が「愛国」を歌わなくなり、右翼が「民族」を言うようになった、その変化である。あるいは、その原因となっているような戦後社会の変化である。これについて述べるためには、現在の「常識」を疑わなくてはならない。
それは、終戦をはさんでの「国家」観の変化についてである。左翼は、終戦までの日本がいかにダメで悪い国だったのかを強調する、いわゆる「自虐史観」を一貫して主張している。ただし、左翼の目的が現在の日本の社会の変革にある以上、戦後日本についても手放しに誉めるわけにはいかない。戦前に比べればマシだが、まだまだ戦前の悪弊が残っていたり、あるいは彼らにとっての「悪い社会」の表象である「戦前」への回帰に警鐘を鳴らしたりする(「いつか来た道」「軍靴の足音」etc.)。
それに対して反米右翼が主張するのは戦前の礼賛である。このことは必然的に、「戦後」の日本がいかにダメで悪い国だったのかを強調する、いわば「自虐戦後史」とも呼ぶべき歴史観を展開せざるを得なくなる。たとえば漫画家の小林よしのり氏が「新しい歴史教科書を作る会」にコミットするようになったのは、元々は彼が左翼の「自虐史観」に対する問題意識を持っていたからだ。それがすべてではないとしても、少なくともそれが動機の一つであることは間違いない。それは当時の小林氏の、
(『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論 自分と社会をつなぐ回路』径書房、P186〜187)
|
のような発言から窺い知ることもできる。また私個人としても、左翼の「自虐史観」にはウンザリしていたし、マルクス史観(唯物史観)に合致させるために事実を捻じ曲げている点も多々あるので、これは問題だと思っていた。逆に『教科書が教えない歴史』(扶桑社)のように、よいところだけ並べたようなものも困る。もっとも『教科書が教えない歴史』は教科書ではないし、タイトルにある通り悪い部分は教科書に書いてるから、という事なのかもしれないが、必ずしも感心できない記述も見られたことは事実である。私は、中学生の日本史の教科書としては、おおむねここで小林氏が述べている事が妥当な線だとも思っている。
このことは、しかし同時に、「現在の」小林氏が標榜している「自虐戦後史」にも異論がある、ということを意味している。彼に限らず反米右翼の主張はいずれも同じことで、それは、
|
日本では「国のために」戦って負けてしまったものだから、「悲惨な目にあった話」と「悲惨なことをした話」だけが巨大化して国ごと萎縮し、「公」から「個」へなだれをうって走ってしまった
(『新ゴーマニズム宣言special戦争論』幻冬社)
|
という言葉にもよく表れている。そして、それはすべてGHQの洗脳によるものだという、一種の「陰謀史観」の形を取る。しかし本当にそうだったのだろうか。
現在の小林氏を含む反米右翼の目には、左翼の主張はすべて「公」を無視した「個」の主張に見えるのかも知れない。そしてそれは、小林氏がいうところの片仮名の「サヨク」にはある程度は当てはまると思う。しかし、それでは戦後の70年代までの左翼運動の盛り上がりは、果たして何であったのか。私にはあれが、「公」を無視した「個」の主張ということだけでは、どうしても説明しきれないと思えるのだ。
たとえば安保反対で国会を取り囲んだり、成田空港周辺で激しいデモを繰り広げた人々は、「公」を無視した「個」の主張をしたのだろうか。そうではあるまい。もちろん投石・火炎瓶・鉄パイプの洗礼を受ける側にいた私には、デモ隊にコミットしようという心情はカケラもない。しかし、そのことと、それを「公」を無視した「個」の主張と見ることとは、まったく別問題であるはずだ。
また、旧『ゴーマニズム宣言』を見れば、小林氏の父が共産主義者であったことが書かれているが、しかし小林氏の父は、けっして「公」を無視して「個」を主張するだけの人物としては描かれているわけではない。それどころか戦後期の前半において、共産主義者が「反米」「愛国」「民族」(後二者はトロツキストは別だが)を謳っていたことは、既に上に述べた。
実は、小林氏らの指摘する「公」を無視した「個」の主張が顕著になったのは、戦後を通じた現象ではなく、左翼運動が没落した70年代ないし80年以降である。ちょっと調べればわかることだが、まだ戦争の記憶が鮮やかだったはずの50〜60年代に作られた日本の戦争映画(たとえば『明治天皇と日露大戦争』1957年、新東宝)には、現在のような「謝罪」「反省」のようなイデオロギー色は、意外なほどに見られない。もちろん当時、現在のいわゆる「靖国参拝問題」が存在しなかったことも既に述べた。
少年誌(たとえば「少年マガジン」や「冒険王」など)を見ても、昭和30〜40年代であれば、巻頭のグラビアページに女性タレントの水着写真が掲載されていたはずもなく(^^;)、「ゼロ戦」や「戦艦大和」などの特集がカラーイラスト付きで掲載されていた事は、40〜50代の男性なら記憶しているはずではないか。浅羽氏が本書で『宇宙戦艦ヤマト』のようなアニメ作品に言及しているが、これもその延長上に位置付けることが可能だと思う(ただし『ヤマト』では、浅羽氏が本書で指摘しているような一種の変質が見られることも事実であろう)。
つまり、「戦後」の前半期には、左翼といえどもけっしてある種のナショナリズムと無関係だったわけではないし、一般にも「日本」や「日本国」、「日本人であること」を軽視していたわけではなかった。ただ左翼を除いては、終戦までの「重苦しさ」「重くのしかかるような感じ」を感じなくなったというに過ぎない。「国家」や「政治」に限定しても、敗戦によって人々が、「公」から「個」へなだれをうって走ってしまったということでは、けっして、ない。私とてGHQの(特に民生局の)すべての施策に賛成するわけではないが、少なくともこの問題を一元的にGHQや終戦直後の時期に還元しようというのは、どう考えても無理があるのだ。
左右を問わず、個々人の幸福や不幸は「国家」や「社会」の問題との関係で語られるのが、当時の常識であった。理由は、おそらくそれが当時の思想の限界だったからである。それ以外に考える筋道がなかったのだから、何らかの問題を抱えている人は、「国家」や「社会」について考えざるを得なかったはずなのだ。
そういう状況では、「国のために」戦って負けてしまったから「公」から「個」へなだれをうって走ってしまった 、ということはありえない。それどころか、かえって「国のために」戦わなくてもよいような「国家」や「社会」を構想する必要が生じた。そこに、左翼運動が盛り上がったり、丸山真男氏、大塚久雄氏のような思想家・学者が登場した土壌がある。吉本隆明まで含めてもよいのかもしれないし、もちろん司馬遼太郎氏のような作家が登場したことにもつながっている。
では、上に述べたような「戦後ナショナリズム」が崩れてきたのには、どのような事情があったのだろうか。これは特定の時期や出来事に還元する事は不可能なのだが、ここでは70年代から90年代初頭にかけての、20年間ほどに注目してみたい。
まず70年代についていうと、復興達成と高度成長、および左翼運動の没落である。左翼運動の没落とは、要するに個々人の幸福や不幸を「国家」や「社会」との関連で考えるような、そういう思想の在り方が崩れたということを意味する。
国全体で貧しい人が多ければ、人々はそれを皆が共有する自分達の問題として捉え、どうしても「国家」や「社会」を問いたくなる。しかし、社会全体がある程度豊かになれば、初期資本制をモデルとして「労働者に対する搾取」を説いていたマルクス主義が没落するのことは必然的である。誤解のないように書いておくが、これはけっして「個々人の問題」がなくなったということを意味しない。そうではなくて、「個々人の問題」が「皆で共有する問題」として考えられなくなり、それぞれ各人に固有の実存的問題として考えられるようになってきた、ということなのだ。
そのために左翼は、現在に至るまで新たな「皆で共有する問題」を提起することに力を注がなくてはならなくなった。70年代の公害問題はその「はしり」のひとつだろう。これは、まだかなり具体的な問題だった。目に見えるものであり、被害についてもわかりやすかったからだ。しかし左翼が提示する「皆で共有する問題」は、その後はとても抽象的なものになってゆく。
左翼が「人権」を「皆で共有する問題」として提示するようになったのが80年代に入ってからであり、これは現在も続いている。テーマが抽象的であるために、何でも人権問題として解釈が可能だから長持ちする。しかし現在ではこれもかなり飽きられつつある。
もうひとつ見落とすことが出来ないのは、教科書問題に見られるように、この頃から左翼が中国や韓国などを相手の「御注進」を得意の手口としたり、しきりに「アジアの民が…」などというようになった、ということだ。しかしこれは裏を返せば、左翼に救済を期待するような「人民」が日本国内にいなくなったこと、支持基盤を喪失したことを意味している。かつての左翼は、ソ連や中国などの海外にお手本と理想を求めたものだ。ところがいまや日本の左翼は、活動の名分を維持するため海外に「人民」を探しに行かなくてはならなくなった。また90年代初頭に社会主義国側の敗北という形で冷戦が終結し、なおのこと苦しい立場に立たされるようになった。
それ以降、フェミニズム(やジェンダーフリー)の問題も目立つようになっている。もともとフェミニズムは社会主義・共産主義と親和性を持つ思想だということは、2年前に「ジェンダーフリーと社会主義」で指摘しておいた通りである。フェミニズムは現在の日本の左翼勢力にとって、延命のための貴重な資産になっている。
一方、保守にはこのような没落の戦後史はない。保守論者からは怒られるかもしれないが、最初から盛り上がっていなかったのだから、没落のしようがなかった。また、その期間に自分達の理論を鍛え上げるような努力も、さほど見られなかったように見える。もともとが左翼と違い、理論を支柱として成立したものではないのだから、その重要性が認識されていなかったことにはやむをえない面もあると思う。そのため、保守は「思想」というより「気分」とでも呼ぶべきものになった。
保守の中でもとりわけ「反米右翼」の欠陥は、近代否定と「自虐戦後史観」に端的に表れている。前者は、既に私は近代思想について繰り返し述べてきているので、ここでは1つだけ指摘しておくに留める。彼らの最も不可解な点は、「彼らがどういう立場で意見を述べているのか」ということだ。そもそも、誰でも国の在り方に口を出すことができるということ自体が、近代に特有の制度なのである。つまり、反米右翼が近代否定の言論を展開することが出来るのも、近代制度によって保証されているのであって、それ以外には正当性を持たない。この矛盾に正面から向き合うだけの思想的誠実さを持つ反米右翼を、残念ながら私は知らない。
後者についていえば、「自虐戦後史観」とは「戦後史」を無視する態度だと言い換えてもいい。戦後史の出発点である終戦や連合軍占領下の期間、及びその期間に作られた憲法を否定することによって、「戦後史」を空虚なもの、嘘のものとみなすのである。要するに頭の中が終戦で止まっている。
しかし憲法制定の経緯がどうあれ、サンフランシスコ条約の発効後もその憲法を運用し続け、日米安保条約に頼ってあるかなしかの軍事力(あえて「防衛力」とは書くまい)の保持で済ませてきたのが日本人自身であることは、疑いようのない事実である。
私は浅羽氏をここにいう「右翼」に分類するつもりは毛頭ないのだが、私が彼のいう「軍事的独立がない従属的国家」とか「植民地」という認識を批判する理由はここにある。一切をアメリカのせいにすれば、日本人の「自己責任」の問題を棚上げにできる。しかし自己責任を回避する者には、真に自主独立の誇りを持つことも不可能なのではなかろうか。
浅羽氏が「軍事的独立がない従属的国家」とか「植民地」と呼ぶ日本の在り方は(その呼び方が妥当かどうかは別にして)、間違いなく戦後の日本人が選び取ってきた道であり、アメリカにおいて「安保ただ乗り論」が起こったときでさえ、日本はアメリカに依存することを自ら選び取ってきたのではなかったか。今後も同じ選択を続けるにせよ、別の道を選ぶにせよ、少なくともその事実は事実として認めるべきなのではないか。歴史を歪めたり無視したりしての自己正当化という手口は、左翼と共通のものであって、私はどちらにも与する気になれない。左が嫌いだから右。そういうわけにはいかない。
「おたく様にはここ数十年ほどお世話になりましたけど、実はあれは私どもの本意ではございませんで、なかったことにしてください」というのでは、いくらなんでも信義にもとるというものである。これは武士でも商人でも国際社会でも、まったく同じ話であるはずだ。私は愛国心というものを否定しないが、そういう卑しい真似をする国に誇りを持てというのは無理な話なのだし、ましてそんな国がどの面下げて「国民の道徳」教育などできようか。こういう没義道を正当化する「自虐戦後史観」など、私は認めることは出来ない。
さらにいえば私は、高度経済成長の達成が保守陣営をも弱体化させたと見ている。そもそも社会のことを「自分の問題」に引きつけて考える人間が減った以上、左右とも弱体化して行くのは必然的なことであろう。しかし現実には保守が力を増しているではないか、右傾化が進んでいるではないか、と言いたい人もいるだろう。しかしこのことはまた別問題である。
一つには、「右傾化」は左翼が以前から使ってきた用語で、昨今の特徴を指し示すものでは全然ない。20年ほど前の中曽根内閣当時にも、「右傾化」「いつかきた道」「軍靴の足音」等々といわれたものだが、現在に至るも昭和初期のような軍部独裁が実現する兆しは見られない。もちろんこれらの言葉はもっと以前から左翼が使用していたもので、嘘つき少年が「オオカミが来たぞ」というのと同様、現在ではまともに信じる方がどうかしている。
もう一つは、現在の保守の在り方が、かつてとは異なるということである。ここでいう「保守」とは保守論壇というよりも、それを支持する大衆を指している。次に、この保守を支持する大衆の現代的な在り方について考えてみることにしよう。
浅羽氏は『ナショナリズム』の中で、小林よしのり氏について以下のようなことを述べている。少し長くなるが、内容が理解できる必要最小限の範囲で引用してみる。
|
フリーランスの人気マンガ家である小林がそれまで理想としていた人間像は、プロフェッショナルとしての職能への誇りこそをアイデンティティの基盤とする、自立した個人といったものだった。ゆえに、社会運動は、そうした個人たちの自由な参加で盛り上げられ、目的を達すれば参加者は、各自の日常の持ち場へ戻ってゆくものであると考えられた。 しかし、それは甘かったのである。 いまだ、職能も持ち場もない学生など純粋まっすぐな若者たちは、社会運動へ参加してそのやりがいの味を占めると、あたかも新宗教へ依存してゆく信者そのままに、次なる抗議対象を与えてくれる左翼系組織へやすやすと洗脳されていったのだから。 プロフェッショナルである誇りのみで、正義を掲げる組織や教祖の勧誘などでぐらつかない個を自立させ得る人など、実のところ小林のような才能ある自由業者などごく少数しかいない。『新ゴーマニズム宣言 第6巻』第75章は、そんな彼の困惑を見て、「小林さんはつくづく普通の人の気持ちがわからないんだな」といった私、浅羽通明の慨嘆と、それに対する小林の反応を描いている。小林はこう書いた。 「その一言がわしにはショックだった/反省して視点を変えるきっかけになった/そうだった!普通の人々が/個を安定させ/美しいたたずまいを/作れる思想が/必要なんだ/そこからわしは/「個の確立」という/考えを捨て/『戦争論』を描く/モチベーションを/高めていった」と……。 (P17〜18)
|
その後の小林氏がやったことは、共産党その他の左翼組織やオウム真理教などに代わる、アイデンティティの供給元としての集団として「国家」を置くことだった。しかしそれは若者達にとって、「どのような意味で」アイデンティティの供給元になったのだろうか。これが私の現在の問題意識である。
結論から言ってしまえば、それは決してかつてのように、皆が共有する自分達の問題として「国家」や「社会」を問うようになった、ということを意味しない。もちろん、小林の影響を受けて保守を支持するようになった若者達には「保守の言葉」が与えられるために、一見すると彼らの言動は「昔ながらの保守」と区別がつきにくい。しかし注意深く見ればその背景には、明らかに70〜80年代以降に大衆化した、自己価値、自己表現、自己実現といった価値観が透けて見えるのである。彼らは決して戦前・戦中へ回帰しようと望んでいるのではなく、あくまでも現代的な意味において保守思想を「消費」しているように見える。
上の引用にいう「プロフェッショナルとしての職能」が才能に恵まれた「ごく少数」の者達にのみ許された「自己価値、自己表現」を実現するものだとすれば、「消費」とはそれ以外の大衆にも可能な自己実現の方法である。たとえばブランド品に代表されるファッションがそうだ。これについて興味深い記述が、『モダンガール論』(斎藤美奈子・文春文庫)の冒頭に引用されているので、孫引きさせてもらう。
| モダーン・ガールは自覚もなければ意識もない。フェミニストの理想もなければ、サフラジェットの議論もない。彼等は唯だ人間として、欲するまゝに万事を振舞うだけである。/一時代前の新しき女は、私達も早く覚醒しなければならぬ、私達はもう男の奴隷ではない、人間だと覚って奮起した。然しモダーン・ガールは初めから男の奴隷だなどゝは思っていない。そして理窟も何にも云わずに男と同じラインへ出て一緒にあるいている。 |
引用元は『女性』大正13年8月号掲載の北澤秀一氏の論文「モダン・ガール」だそうである。ちなみに文中の「サフラジェット」とは婦人参政権論者のこと。大正時代に既に「フェミニスト」が時代遅れだと喝破されていることが実に興味深いが、思うに、70〜80年代にもまったく同じ状況が繰り返されていたはずだし、それは現在も続いていると考えるべきであろう。より正確にいえば、一握りの裕福な階層の女性にしか実現不可能だった「モダンガール」が、大衆規模で実現したのが70年代だったのだ。
とすれば、70年代においての「古い女」とは全共闘に代表されるような左翼運動に身を投じた女性達であろう。彼女達は垢まみれになって東大・安田講堂に立て篭もったり、連合赤軍にいたっては、髪が長いの化粧をしたのという類いの「女性性」を理由に「総括」という名のリンチ殺人の対象になるという末路をたどる始末であった。
ところがミニスカートやマキシ、パンタロンなどの流行ファッションが相次いで登場したのも、ほぼ同時代の話なのである。この時代の流行ファッションに身を包み、この時代に創刊された『an・an』や『nonno』といったファッション誌を読むのが、さしずめ最先端をゆく「戦後のモダンガール」だったというべきだろうか。
ひとくちに70年前後の若い女性と言っても、両者の間には大変な落差がある。左翼運動に身を投じた女性達は自らを「進歩的」だと信じ、ファッションにうつつを抜かす同世代の女性達を「意識が低い」と決め付けただろうが、現代から振りかえってみれば、時代遅れなのは明らかに「自称進歩派」のほうである。この事情は、そのまま現在のフェミニストにも当てはまると見てもさしつかえない。
これは何も女性ばかりの話ではない。「自己実現」の概念は高度成長期を経て、政治的課題であることから「消費」の形態へと、その位相を変えたのである。この変化を「消費社会化」と呼んでもよいし、養老孟司氏なら「脳化」とか「都市化」と呼ぶのだろう。司馬遼太郎氏なら単純に「文明化」というかもしれない。司馬氏のいう「文明」とは、誰もが簡単に参加できるシステムのことであり、当然のことながら稀有な才能を必要としないものをいう。お金を出してチケットを買い、アナウンスに従ってベルトを締めるなど、一定の約束事さえ守れば誰でも飛行機に乗れる。
東大医学部で無給助手などの制度を「封建的」だと攻撃することから始まった騒動も、既にその闘争自体が「時代遅れ」なものであった。彼らの多くが、大学を卒業すると資本主義社会に属して消費生活に参加するという「より新しい道」を選んだのも、当然といえば当然である。そして、そのような消費生活を送りながらも、自分達が何をしてきたのかを自覚できない「オヤジ」たちが集まって『全共闘白書』のような本を出し、消費生活を当たり前のように享受してきた下の世代(むろん私自身もそこに含まれるが)に彼らとの「断絶」を感じさせてしまう。断っておくが、これは「世代間の断絶」ではない。「全共闘世代」という言葉が頻繁に使われるので、ついこういう問題を世代論として語りたくなるのは理解できるのだが、同じ「全共闘世代」に属していても、当時から消費生活に流れた人や、当時の左翼運動が目的も方法も間違いだったと自覚的に思い返した人達を相手には、『全共闘白書』に感じるような違和感を私は感じない。
つい話がそれたが、ここでの主題は左翼運動について語ることではなく、消費生活のほうである。
消費生活において、消費財は「モノ」だけではない。ポストモダンの流行が典型だと思うのだが、80年代以降、思想すらも「ファッション」ないし「消費財」になった。とすれば、「消費財としてのマルクス主義」や「消費財としてのフェミニズム」もあり得るし、当然のことながら「消費財としての保守思想」もあり得るのである。いや、現にそうなっている、というのが私の現在の見方でもある。
保守思想の「消費財化」、つまりは「保守思想のサブカル化」を大きく押し進めたのが、小林よしのり氏の『新ゴーマニズム宣言』や『戦争論』シリーズだったのではないか。ただし私には「保守思想のサブカル化」の原因を彼一人に還元するつもりはなく、それ以前の保守思想が「サブカル化」を許してしまう脆弱さを抱えていたということでもある。しかし、後者の問題はとりあえず脇に置いて考えることにしよう。
小林氏が闘ってきたオウム真理教や左翼プロ市民と、彼らに従ってしまう若者(に限らないが)とは、どのような関係にあったのだろうか。それは既に上に述べたように、「アイデンティティの供給元としての集団」であった。その特徴をいくつか挙げてみると、まず真っ先に思いつくのは「閉じた関係性」ということだ。
社会に広く共有されないような「真理」を掲げ、それを仲間内でのみ確認し合い、この「真理」に(ということはつまりその「集団」に)どれだけ寄与したかによって「承認される」ような、閉鎖的な関係性。これは左翼集団にも新興宗教にも、あるいはフェミニズムにも共通することであるが、サブカルチャー(いわゆるオタク文化)にも同様の傾向が見られる。マニアックな趣味の世界の内部でのみ通用する価値観を共有しあい、その中で批評しあったり認め合ったりするような関係性である。
ただサブカルが左翼集団等と少し違うのは、仲間内に絶対的な権威が存在しないということだと思う。もちろん相対的な権威は存在するとしても、この仲間内には銃器の開発者、漫画家、アニメ作品の監督やプロデューサー、声優などは含まれないのが普通であろう。
以前から「これは何かに似ているな?」と思っていたのだが、最近になってようやく気がついた。不敬を承知で書いてしまうが、この場合の「絶対的な権威」というのは「象徴制天皇」に似ているのだ。どこかに確実に存在し、しかしながら彼らを否定することなく、むしろ彼らが互いを承認し合う究極の根拠になっている。仮にサークルのリーダーを「権力」だとすれば、サブカル作品の作者達はその上位に、しかし直接には関係を持たない形で存在している「権威」である。そして、そういう不動の「権威」と切り離されている「権力」は、独善的に暴走すれば容易に見捨てられる。それどころか、ちょっとみんなの気に入らないという程度の理由ですら失脚し得る。まるで象徴天皇と首相のような関係ではないか。
サブカル化した「消費財」としての保守思想にも、これと同じ構造を見て取ることが出来る。ただし、上に述べたよりも少しだけ重層化した構造をとっている。ほとんど論じられることのない「天皇」は、保守論壇にとってもサブカル・ナショナリズムにとっても究極の「権威」だといえる。その下に位置するのが保守論客であり、小林氏自身はサブカル・ナショナリストの代表として、彼らを持ち上げたり貶めたりしている。早くから攻撃されたのはおそらく福田和也氏であろうし、その後には「新しい歴史教科書を作る会」の多くの保守論者達も「ポチ保守」となじられるようになった。
信奉者から小林氏がどう見えるかといえば、新興宗教の教組のようなものであって、彼から直接・間接的に誉められることで自尊心を充足している。むろん現実には圧倒的に後者、つまり間接的に誉められることが多いわけで、読者は小林氏が書くことを素直に受け入れたり「自分と同じ考えだ」と思い込むことによって、「自分は小林よしのりに認められている(はずだ)」と思い込むことが出来るわけだ。
そして小林氏の場合には、この役目を半ば自覚的に演じているのだと思う。もっとも(彼を弁護するわけではないが)それは権力的野心からというよりも、彼の一種の「人のよさ」のようなものから始まったのだと思う。このような「人のよさ」は旧『ゴー宣』でも、あるいは『おぼっちゃまくん』などを描いていたときの子供読者に対する態度にも見て取ることが出来たように思う。そもそもナショナリズムの問題とは無関係に、旧『ゴー宣』の時期からこの作品には、彼が読者に承認を与えるような構造が内在していたということも無視できない要素である。しかしそれは、あくまでもサブカルという領域の中でのものであって、「政治」や「国家」の問題と直接に結びつくものではなかった。政治的なテーマを扱う場合でも、表現と差別の問題のように、サブカルと社会の関係のようなことを扱っていた場合がほとんどではなかったかと記憶している。
ただし私の目には、現在はそれがひどく「閉じた関係」を形成しているように見えてしまうのだが、これにもそれなりの理由はあると思う。それは、いわゆる「従軍慰安婦」の問題を扱い始めた頃から、左翼からの執拗な攻撃にさらされるようになり、それに対する反論に追われていたということだ。こういう状況に追い込まれると人間は、客観性を失って自分の主張に対して必要以上にリアリティが生じてしまう、ということが起こりやすい(このことは、小林氏に対する左翼からの攻撃が客観的なものであった、ということをまったく意味しないので念のため)。
こういう期間には、自分の主張や意見が社会の中でどれほどの間主観性を持つかということを、常に確かめつつ進んで行く必要があるのだが、おそらくそれは時間的な余裕の面からも不可能であっただろうし、どうしても直観補強型の思考へと落ち込んで行かざるを得なかったのだと思う。
『ゴー宣』ファンは、この過程で小林氏から離れて行く者と、彼に引きずられて行くようにサブカル・ナショナリズムを形成する者とに分化していった。これは小林氏の責任というよりも、個々の『ゴー宣』ファンの、それこそ「個」が確立されていたか否かの問題だったと思っている。そして引き続き『ゴー宣』ファンであろうとする者たちにとっては、小林氏自身が左翼組織やオウム真理教などに代わるアイデンティティの供給元の役割を果たして行くようになる。
ここに奇妙な「ねじれ」が生じる。小林氏自身は彼らのアイデンティティの供給元を、小林氏が考え得る限りでの最大の「公」であるところの「国家」に置くはずだった。もしかしたら小林氏は今でもそう思っているかも知れないし、実際にそういう読者もいるかも知れないのだが、同時に小林氏をアイデンティティの供給元としてしまう読者が生じてしまったのである。
彼等は「国家」を「公」としてそこにアイデンティティの根拠を置いているつもりでも、実は「国家=公に根拠を置いている私」として小林氏に承認されることを望んでいる。あるいはそれによって、他の『ゴー宣』読者とのつながりの中に、自らのアイデンティティの根拠を見出そうとしている。この場合の『ゴー宣』や「国家」を、「ガンダム」や「ピンクハウス」に置き換えて考えれば、サブカル・ナショナリズムが「戦前」や「伝統」への回帰をその本質とするものではなく、まさに消費社会の風潮の上に成立しているものだということが理解できるだろう。
サブカル・ナショナリストは、自分達がやっていることはそんな浮ついたものではないというかもしれないが、そのような特権性はサブカルに属するあらゆる領域で主張され得るものであり、そういう意味で実は特権として確立することの不可能な主張である。このような特権性の主張は、傍から見れば単なる相互差別的な「罵り合い」にしかならない。たとえば銃器マニアだって、自分達の趣味が浮ついたものだとは思っちゃいないのだ。
こうして小林氏は、サブカルとしてのナショナリズムを生み出しつつ、自らがサブカル・ナショナリストにとっての「消費財」となってしまった観がある。また、サブカル・ナショナリズムの成立を通して、保守論客をも「消費財」としてしまった。私は、そのこと自体が悪いと言いたいのではない。現代では何であっても消費の対象にし得る以上、それを禁止することは無意味であり、かつ禁止の根拠もないと思う。私が疑問に思っているのは、小林氏自身も、サブカル・ナショナリストも、このことをどれくらい自覚しているのかということなのだ。
もちろん、基本的には小林氏が漫画家である以上、彼が彼のファンにとって「消費財」であることは「漫画家としては」当然のことだし、むしろ消費の対象にされなければ困るだろう。まして彼には、かなりしんどいとは思うのだが、そう簡単に「消費」され尽くされないくらいの才能(漫画家としての)はあるのだから、なおさらである。
| ※ | これは別にお世辞で書いているわけではなく、かつて彼自身も書いていたように、ギャグ漫画家というのは「消費財」どころか「消耗品」になる例に事欠かないのだ。こういう問題を書いていると忘れられがちだが、彼自身もデビューから長い間、ギャグ漫画家として過ごしてきた。思想的立場の違いを別にして、彼の漫画家としての才能・資質は誰からも認められるべきである。 |
しかし「国家」とか「公」の問題においても、まったく同じ構図が発生しているということを、彼とそのファンがどれくらい自覚しているのか、またもし自覚されているのだとしたら彼らがそれを是としているのか、私はそのことに興味がある。
もう一つの興味は、「近代」を批判し「消費社会」を批判するような種類の保守論客が、自分自身がサブカル・ナショナリストにとっての「消費財」であるという現実を自覚しているのかどうかということ。そしてやはり、もし自覚されているのだとしたらそれをどう思っているのか、ということである。特に、サブカルに否定的な立場をとる西部邁氏などは、このことをどう受け止めているのだろうか。
