りゅこ倫

■■2005年02月23日■■

ジェンダーフリー推進派の森田健作バッシング

 千葉県知事選の告示(明日24日)を目前にして、こんなサイトを見つけた。

「あるご婦人が「千葉県の教育をどうにかして欲しい」と言っていました。「男女の差別があってはいけないということで、中学校の体育の着替えは同じ部屋、騎馬戦も一緒。男らしさ、女らしさはダメだ」という。男らしさ、女らしさがなかったら、どうするのですか。後はオカマだけですよ!」

2月11日 千葉市民会館「建国記念の日 祝う千葉県民の集い」での森田建作氏の発言です。「会場から笑いと拍手が湧き起こ」ったそうです。同日、幕張プリンスホテルの「決起集会」でも、同様の”脱オカマ宣言”を繰り返したとのこと。

文脈から察するに、森田氏は同性愛者や性同一性障害者等のことをひとくくりに「オカマ」として、笑いの対象にしているように見えます。こんな人権感覚を持った人が知事に立候補しようとしているのです。

「オカマ」発言が本当にあったのか、森田氏の選挙事務所に電話確認したところ、広報担当の方が森田氏本人がオカマという言葉を使ったことを認めました。「あくまでユーモアとして」だそうです。

http://blog.livedoor.jp/vote_chiba/archives/14807163.html より抜粋)

 もしかしたら、どこかのセクシャルマイノリティの団体が主導しているのかも知れないが、この森田氏の発言は『週刊金曜日』(2/18号)で取り上げられているものである。この記事自体は、森田氏の「オカマ」発言に触れてはいるものの、全体としては、森田氏に関わる他のことも取り上げた上での「森田バッシング」記事になっている。

 この時期に「森田バッシング」が行なわれる理由は明白だ。今回の千葉県知事選に出馬すると見られているのは、森田氏の他に、現職の堂本現知事、それに共産党推薦の候補が1名だそうである。形式的には「三つ巴の戦い」になってはいるが、共産党候補が当選するとは思えない。また万が一、共産党候補が当選してもジェンダーフリー政策が止まるとは考えられない。つまり、左翼やジェンダーフリー推進派(同じ事だが)にとって、最優先で排斥すべき存在は、森田氏以外にはあり得ないのである。

 上に挙げたサイトが、その息のかかった勢力によるものなのか、それとも単に対抗主義系のセクシャルマイノリティが仕掛けたものなのか、それは今のところわからない。しかし、仮に後者だとしても、それが『週刊金曜日』の読者を含む左翼系の人物もしくは団体だということは、容易に想像がつく。

 『週刊金曜日』には、以前にも「オカマ」という語をいわゆる「差別語」として槍玉に挙げた「前科」がある。その時に動いたのは「すこたん企画」という対抗主義系のグループだった。それに対して、伏見憲明氏や野口勝三氏が「差別語狩り」のおかしさを訴えて立ち上がった。その時の経緯は、『「オカマ」は差別か』(ポット出版)にまとめられているし、概要については、私も一昨年に続・「オカマ」は差別語か!?で取り上げた。

 私は「差別」について考え続けてきたセクシャルマイノリティの一人として断言するが、森田氏の「オカマ」発言が差別には当たるとは考えられない。

 まず上の引用文には「文脈から察するに」と書いてあるが、森田氏は「同性愛者や性同一性障害者等」については言及していない。念のために『週刊金曜日』を買って当該記事を読んで見たが、少なくともこの記事の中に「同性愛者」や「性同一性障害者」という語、あるいはそれを意味する語は、まったく見当たらないのである。どういう文脈の察し方をすれば、森田氏の発言にある「オカマ」が「同性愛者や性同一性障害者等」のことだと判断できるのか、私にはまるで見当がつかない。

 また、森田氏の発言に「会場から笑いと拍手が湧き起こ」ったと書かれているが、そのことと、森田氏が「オカマ」を笑いの対象にする意図を持って発言したかどうかということとは、まったく別問題である。

 私なりに「文脈から察する」ならば、この上記のサイトや記事で取り上げられている森田氏の発言は、セクシャルマイノリティについて述べたものではなく、ジェンダーフリー批判である。その中で森田氏は、「男らしさ、女らしさ」を否定された人間、つまり「男でも女でもない人間」を、中性というような意味を込めて「オカマ」と呼んでいるわけだ。したがって、ここでいう「オカマ」は、「同性愛者や性同一性障害者等」のセクシャルマイノリティのことではなく、「ジェンダーフリー教育に洗脳された人間」の意味に取るべきであろう。

 そもそもセクシャルマイノリティ、つまり「同性愛者や性同一性障害者等」は、私が以前から指摘しているように、「男/女」の区別を前提とした存在であって「中性」ではない。またインターセックス(半陰陽)という人たちも存在するわけだが、森田氏がここで身体の問題について述べているのでないことは(したがってここでいう「オカマ」がインターセックスを指す発言でないことは)、「文脈から察するに」明らかであろう。

 あくまでも仮定の話だが、この発言時に、森田氏の脳裏に「同性愛者や性同一性障害者等」が思い浮かんだとしよう。その場合には、中性でないものを中性と考えたという意味で、セクシャルマイノリティに対する「誤解」が存在したとはいえる。しかし、当然のことながら「誤解」と「差別」はイコールではない。

 対抗主義での「反差別」の言説には、《誤解 → 偏見や無理解 → 差別》 という図式がしばしば登場するが、そもそも、どんな人間のことも分け隔てなく性格に理解している者など、存在するはずがない。「反差別」を訴える者の中で「私こそがそうだ」という人がいたら、遠慮なく名乗り出てもらいたいものだ。それが真実かどうか、徹底的に検証させてもらうことにしよう。

 今回の件が、対抗主義の立場を取る一握りのセクシャルマイノリティの跳ね上がりによるものなのか、それともセクシャルマイノリティを取り込んで「森田バッシング」の世論を盛り上げようという堂本シンパの画策によるものなのか、私には今のところわからない。

 私が断言できるのは、この森田氏の発言は、ジェンダーフリー批判であって、セクシャルマイノリティに対する差別の意図を持つものとは考えられない、ということだ。もちろん、このジェンダーフリー批判を「セクシャルマイノリティの撲滅」のような物騒な宣言だと解釈することにも無理がある。繰り返しになるが、これは「差別」について考え続けてきたセクシャルマイノリティの一人として、断言する。

 セクシャルマイノリティの中でも対抗主義をとるのは、自分がセクシャルマイノリティであることにコンプレックスを抱える者であり、そういう者たちはこのコンプレックスゆえに「差別」に過敏になる。『週刊金曜日』の記事で森田氏の発言を「脱オカマ宣言」と名付けたり、森田氏を差別者として告発・糾弾しようというのは、明らかに「コンプレックスを抱えるセクシャルマイノリティ」の政治利用だ。本当にセクシャルマイノリティを馬鹿にしているのはどちらか。

 セクシャルマイノリティも、マジョリティも、このような馬鹿げた扇動に踊らされて無用に反目し合うことのないよう、それぞれ冷静に対処したいものである。

L.Jin-na


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