りゅこ倫

■■2005年10月16日■■

鳥取県の人権抑圧条例を批判する

 今月12日、鳥取県で「人権救済条例」という名の「人権抑圧条例」が成立した。

 正式には「県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」といい、人権侵害の調査、救済にあたる第三者機関を設け、罰則や氏名公表などの権限を持たせる内容である。正当な理由なく調査を拒んだ人権侵害の当事者には5万円以下の過料を科し、勧告に従わない場合は氏名・住所を公表できる。当事者は勧告と氏名・住所公表の際の2回、事前に弁明する権利はあるが、過料の際は抗弁の機会はない。

「過料」とは行政罰の一種で、刑罰の「科料」とは異なる。混同を避けるため、口頭では「過料」を「あやまちりょう」、「科料」を「とがりょう」と呼び分けることもある。

 また、調査対象が行政機関である場合には、「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれのある時は、人権侵害の事実の有無を明らかにせずに協力を拒否できる」とする項目がある。

 この条例が、その名に反して憲法に定められた人権を無視していることは、一目瞭然だ。調査を拒んだ場合には過料、ということは、この調査は事実上の「強制」である。しかも、この条例にいう調査には、要求された資料の提出も含む。資料提出を強制するということは、差押さえや押収に等しい。

 ところで日本国憲法には、

第35条〔住居侵入・捜索・押収に対する保障〕
何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
A捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

という規定がある。たとえば犯罪捜査を行なうのは警察や検察といった行政機関だが、逮捕・捜索・押収といった強制捜査には、必ず司法(裁判所)の許可を必要とし、行政機関のみの独断で行うことはできない。これはいうまでもなく、人権擁護のためである。強制捜査の執行には、その都度の司法のチェックを必要とするのだ。

 ところが鳥取県の「人権救済条例」には、このような常識的な人権擁護の手続きが定められていない。無条件に、事実上の押収を含む調査の強制を定め、これに従わないものに行政罰を科す。もちろん行政罰であるから裁判手続きを経ないことは当然としても、抗弁の機会も与えないというのである。これは鳥取県に、司法のチェックを受けることのない司法警察が誕生するというに等しい

 朝日新聞の報道によれば、条例案に賛成した県議の一人は「条例が完全でないのは分かっているが、運用しながら修正していけばいい」としているとのことだが、この条例で問題が生じるとは、ここまで述べた通り、人権侵害が生じるということなのだ。

 そのことがあらかじめ明らかであるにも関わらず「とにかくやってみよう」というのは、人権軽視以外の何ものでもない。しかもそのような事例が、他ならぬ「人権救済条例」によって引き起こされるというのは、悪質な冗談のような話である。

 しかもこの条例は、市民にのみ警察以上の絶大な(憲法違反の)権限を持ちながら、行政機関はその調査を拒むことができると規定されている。私人(私企業たるマスコミも含む)には罰則を課しながら、公権力機関には“抜け穴”を用意しているわけだ。

 このことも大きな問題だ。そのために、マスコミ、県弁護士会、共産党なども批判する側に回っている。違法捜査による人権侵害には何の効果も期待できないのだから当然だが、私が共産党と意見を同じくすることは極めて珍しい。誰もが持っているものが「人権」である。この条例のように誰もが(私も共産党も)反対するのは、条例の内容が「人権侵害」に満ちてるからである。

 「人権」の美名さえ関すれば何でも(人権侵害ですらも!)許されるという風潮が、このような条例を作ったといっても過言ではない。したがって、これは一地方たる鳥取県のみの話ではなく、他の都道府県(や市区町村)にもあり得る話なのだ。

 また地方自治体のみならず国政においても、与党内の一部の勢力が「人権擁護法案」の提出をいまだに諦めずに狙い続けている。その内容は、鳥取県の条例と変わらない。それどころか、この条例は「人権擁護法案」を元に作られている(ただしこの条例では、「人権擁護法案」にあった「立ち入り検査」だけは含まれていないが)。

 ところが国政の場では、「人権擁護法案」に反対していた多くの自民党議員が、郵政民営化でも反対組に回ったため、先の衆院選では党の公認を得られず、落選するか、当選しても無所属のままだ。他方、法案賛成派の与党人権問題懇話会(座長・古賀誠元幹事長)は、次の通常国会でも繰り返し「人権擁護法案」を提出する意向のようだ。

 もういい加減に、「人権」の語を前にして思考停止し、無条件に「よいもの」として扱う慣習は廃止されるべきである。何が本当の「人権」なのか、国民の一人ひとりが、自分の頭で考えるようにならなければ、すぐにも日本中が鳥取県のようになるだろう。

L.Jin-na


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