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■■1997年11月11日■■
社会運動について
11月05日のこのページの『神名龍子「TSとTGを支える人々の会」へ行く』(前回)に
『【T's kitchen】によると、日本には少なくともT's 系の自助グループが3つはあるらしい』
と書いたんだけど、今日、【T's kitchen】(このホームページは、1999年3月に閉鎖された)を見たら1つ増えてた(^^;)。
「FTM日本」という名前が加筆されていたので、今のところ「日本には少なくともT's 系の自助グループが4つはあるらしい」。この調子だと、あといくつ出てくるか判らないケド・・・(^^;)。
まぁ、この【EON/W】のような、文字どおりのネットワークと違って、実際に人と人が顔をあわせる以上、1つの全国的な組織があるよりも、必要に迫られてあちこちに自助グループが出来るのは当然の流れだし、あまりおおっぴらに行動出来ないのであれば、人口の多い東京のような都市にはお互いの存在すら知らずに複数の組織が出来てしまう事も理解できる。もしかすると、現在も増えつつあるのではないかという気さえするから、こういうグループがいくつあるという事を厳密に問えない時期なのだろう。今回の「4つ」も、あくまで「今のところ、4つだけ判った」という程度に読んで欲しい。
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ところで、これらの自助グループの、グループ間の関係はいったいどうなっているのだろう。例えば同じ都市に存在するグループの場合、参加している人達がまったく別グループを形成しているのか、それともかなりのメンバーが複数のグループに参加しているのかという点に興味がある。例えば私が先週に出席した時の「TSとTGを支える人々の会」と、翌日の一橋大で行われたミニシンポジウムでは、その両方で見掛けた人も多かった。ただし、一橋大でのミニシンポジウムはいわゆる「自助グループ」によって、行われたものではなさそうだし、前日の「TSとTGを支える人々の会」での呼び掛けもあったから、たまたまそういう結果になったのかも知れない。
一方、一橋大でのミニシンポジウムの後、「TSとTGを支える人々の会」とは別の主張を持つグループがあるような話も耳にした。もっともこの時点では取材の目的が別にあり、その点については特に突っ込んで聞いたわけではないので、確かな事ではない。ただ、それが事実なら、グループ間の異なる主張をどのように擦りあわせてゆくのか、あるいはそういう擦りあわせなしに小人数に分散したまま個別に活動を続けてゆくのか、その場合、小人数である事がネックにならないのか等、この1週間で気になることが増えてしまった。
TSやTGにかかわる事ばかりでなく、広い意味でのいわゆる「社会運動」が陥りやすい害がある。抽象的にいえば「社会運動そのものが目的になる」という現象がそれにあたる。しかも当人たちがその事を自覚していないため、一度この状態に陥ってしまうと正常化する事はほぼ不可能になる。「社会運動そのものが目的になる」という事をもう少し具体的にいうと、まず「実現しない目的を抱える」という症状があらわれる。社会運動の当初は具体的な目的を持っていたものが、その目的が抽象的・観念的なものになったり、数え切れないくらい数が増えたり、あるいは実現不可能なくらい大きな目的を掲げるようになる。
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例えば公害運動。最初の内は、自分たちが住んでいる土地が公害に脅かされる事で社会運動に参加する人がほとんどだろう。自宅の窓から見上げた空の色、かつて夏に水遊びをし現在は工場排水に汚された海の水の色、公害による病の苦しみなど、最初は何等かの現実感を持って参加する。それがいつの間にか、他の土地の別種の公害に対する社会運動との「共闘」とか、日本全国の公害運動の一致団結ということになると、その現実感が薄れてくる。確かに他の土地に行って、その地の公害を見れば「ひどい」と思うことはある。しかしその公害と「自分の生活」とは、そうそう現実的に結び付くものではない。まして自分の生活というものがあり、その生活が地元の公害に脅かされている時に、他人の土地へまで駆り出されれば「自分の生活」に一層の支障をきたす事もあろう。その結果、社会運動を指導する立場にある者と参加者の間に齟齬が生じて、社会運動そのものが崩壊してしまったり、あるいはその種の社会運動のあり方に疑問を持った人達が疎外されたりと、新たな問題を生み出してしまう。
「共闘」とは逆に、お互いをつぶし合う事から力を消耗してしまう事もある。「内ゲバ」などはその最たる例だろう。「大きな相手」や「大きな目標」に事実上対抗することが不可能な場合(もしくは不可能だと思った場合)、自分たちと大同小異の別グループの「小異」の部分をことさらにあげつらって攻撃することで、自分たちが今も確実に何事かをなしているという手応えを得る行為である。むろん全体としての弱体化は必至だから、これは目先の欲にすぎない。それが判らないままに他人を攻撃するという事が、既に狂気なのである。
今でもあるかもしれないが、近年TSとTVの間での攻撃の応酬、あるいはTS同士の間での内部差別というようなものが一部にあったらしい。「区別」ならいい。TS、TG、TVというのはそれぞれ意味の違いがあって、こうした区分が生まれているのだから、世間に混同されがちなものの違いを説くことは必要である。しかし、差別の必要はあるまい。言葉が意識に与える影響と言うのは思いのほか大きいもので、その話を聞いてTV、TG、TSの総称の必要を感じたことがある。
そこで【EON】で(当時はまだ【EON/W】がなかった)「T's」というのはどうだろうと提案した事があった。どなたか会員さんから「その言葉なら既にある」という答えがあったのだが、少なくとも昨年7月に【EON/W】を作るまで、インターネット上で、国内外を問わず、私が見た範囲でのホームページ上では「T's」という言葉を見たことがない。「TTT」や「T*」という表記はあったが、「TTT」では発音しにくそうだし、年配の人は「DDT」と聞き間違えるかもしれない(笑)。「T*」はパソコンやワープロではよくても手書きでは判りにくいと思い、【EON/W】を作る際に「T's (TV/TS/TG)」という表記で通してしまった。気がついたら他のホームページ上でも見掛けるようになり、すっかり「ティーズ」で通じるようになってしまったようなので、実は内心恐縮している(スマン、わしが犯人ぢゃ ^^;)。
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話がそれた(^^;)。TSとTVの間での攻撃の応酬、あるいはTS同士の間での内部差別というのは、一部とはいえ、T's全体にとっての危険な兆候だと私は見ている。今後、最も注意すべき点として認識しておきたい。
「社会運動」とは、具体的な目的と、その実現のための現実的な戦略を持つべきだと考えている。必ずしも戦闘的になる必要はないが、この大原則は戦争と変わらない。具体的な目標がないのはこの世を蓮の花でうめ尽くして極楽浄土にしようという如きものだし、現実的な戦略を持たないのは昭和初期の日本軍のようなものである。そういうことをすると、それこそ「社会運動の継続」そのものが目的になって大本営のような嘘と大義名分で固めた発表ばかりするようになってしまい、本来社会運動が持つべき「実効性」が失われてしまう。
私たち「T's」はその点を常にわきまえ、「内ゲバ」で相互に消耗しないようお互いの違いを認め合いながら、協力しあうことが必要だろう。
