りゅこ倫

■■1999年12月01日■■

男女の身体差

 今回は話題に合わせて、普段とはページの体裁を変えてみた。どういう話題かというと、男と女の身体はどう違うかという話である。「ミクロの決死圏」気分でお読み頂きたい(笑)。

 普通、性別については「ジェンダー素描」で扱うのだが、今回は「ジェンダー」の話ではないので、こちらに掲載することにした。

 通常は私は哲学面から「ジェンダー」について語るのだが、しかしもちろん T's といえども、自分の身体と無縁で生きることは出来ない。ならば、身体について知っておくことは決して無駄ではあるまい。また、【EON/W】では直接には扱っていないが、私達 T's と比較的近接した問題を抱えると思われる、インターセックスについても、ある程度は理解の助けになるかと思う。

 といっても、あまり難しい話ではない・・・と思う。難しい話は、私自身が判らない。先日、私は英語が苦手だと書いたばかりだが、それ以外には理数系が苦手である。高校の時は私立文科系コース(ただし大学には行っていないが)。そういう私が書くのだから、程度は今から推して知るべしであろう。ひとつ、「大船」ならぬ「泥船」に乗ったつもりでお読みいただきたい。なおさら不安か。

 ところでここ数年、T's の世界で話題になる、男女の身体差の一つに「脳の性差」がある。しかし、これはとりあえずは措くことにする。いきなり「脳が違います」という話をしても、表面的な話にしかならない。結局は「だからどうした」といわれれば、それまでである。そこになお何らかの意味をくっつけようとするのは、一般論的な脳の構造の問題ではなく、きわめて個人的な脳の働きの問題である。話題になっているものは、議論のタネにはなりやすいが、議論にはまず予備知識が必要で、その程度によって議論も変わる。大雑把にとはいえ、ここでは出来るだけそういうものを扱いたい。


 出来るだけ根本的なところ・・・というと、男と女では染色体が違う。むかし、そう習った覚えがあるのだが、実は生物の授業で習ったのか、保健体育で習ったのか、それすらよく覚えていない。覚えていることといえば、男女は染色体が丸ごと異なるわけではなく、性染色体と呼ばれる一対だけが異なる、という事である。染色体はヒトの場合、23対=46本だったか。もっと正確にいえば、その内の22対(常染色体)は同じで、23対目(性染色体)の一本だけが異なる。ヒトの場合、女はXXで、男はXY。

 ところで染色体とは、そもそも何だったか。細胞の一部で、そこに遺伝子(物質としてはデオキシリボ核酸=DNA)が含まれている。人間といえども最初は一つの細胞(受精卵)から始まる。これが細胞分裂を繰り返しながら人間を形作って行く、その過程を「発生」という。細胞分裂といっても、同じ細胞が増えるわけではない。それは私達が神経細胞や筋肉細胞など、様々な種類の細胞を持っている事からも判る。つまり発生の過程で、細胞は様々な種類に「分化」する。

 生殖器に関していうと、発生の過程でまず性腺原基というものが出来る。精巣や卵巣の元になるものだが、この段階ではまだ精巣もしくは卵巣に分化していない。男の場合には、上に書いたY染色体が関与して作り出す物質があり、それが受精後6〜7週間ほどの時期に性腺原基に働きかけて精巣に「誘導」する。女であればY染色体がないから、誘導は起きない。X染色体は男にもあるから、女に特有の誘導因子はなく、したがって性腺原基は、そのまま放っておけば卵巣になる。そう考えられている。「人間も含めて哺乳類は女の方が原型といえる」というのは、つまりこういう推論の上に成立していて、今のところ、それを否定する材料はない。

 また、時に2本一対のはずの23対目の染色体が、XXYあるいはXXXYになる事がある。その理由は私は知らない。知っているのは、このような場合は男になるという事である。つまり男になるか女になるかは、Y染色体の有無によって決まり、X染色体の数には関係がない。

 なお、こうして「分化」したものは不可逆である。というよりも、少なくとも哺乳類に関していう限り、おそらくは不可逆な場合を「分化」という。性腺原基の段階ならともかく、一度、精巣もしくは卵巣になってしまえば、あとから精巣が卵巣になったり、卵巣が精巣になったりはしない。だから、男がいくら女性ホルモンを使っても、身体が完全に女性化することはない。逆も同じ事である。しかし、成人男子でも女性ホルモンの投与によって胸は膨らむ。これはなぜかというと、性腺(つまり精巣や卵巣)を除く性徴のほとんどは、性ホルモンによって決定されるからである。ただし、繰り返していうが、これはとりあえず哺乳類の話。魚類などでは事情が異なるらしいが、ここでは扱わない。人間以外の性同一性障害については、扱う気がないからである(そもそも、そんなものがあるとも思えないが)。

 ところが、精巣や卵巣の区別は性ホルモンによって起きるものではない。そもそも、男性の場合には、他の部分を男性化させるための性ホルモンが精巣で作られる。だから精巣自体の形成に性ホルモンが関係しないのは、順序の道理というものである。

 例えば睾丸性女性化症という現象がある。外見は女だが、いつまでたっても月経がないなどの理由から調べてみると発見されたりする。なぜ月経がないかというと、卵巣がなくて精巣があるからである。だから当然、排卵がない。精巣があるのに女性化するのは、精巣の分化が性ホルモンと無関係なのに、外性器を含めた他の部分は性ホルモンによって決定されるという、この機構の違いからズレが生じるためだ。

 普通は精巣が出来れば、そこから性ホルモンが分泌される。したがって他の部分も当然、男になる・・・はずである。ただし、ホルモンが作用するためには受容体が必要である。ホルモンが受容体と結びつかなければ、ホルモンは効果を現さない。何らかの理由で男性ホルモンが作られなかったり、受容体の方に問題があったりすれば、男性ホルモンはの効果がない。そのために精巣以外の部分は女性化する。女性の外性器や生殖器官の発達は性ホルモンには関係がない。

 ここを理解しておかないと、男には男になるホルモンが、女には女になるホルモンが分泌されると、つい勘違いしてしまい勝ちである。しかし実際には、この辺の事情は精巣の発生過程と同じ事で、男性ホルモンが分泌されれば男性の生殖器や外性器が形成され、何もなければ女性器が形成される。そのため、発生過程の性分化は、あらゆる場面において男性への分化の方が時期が早い。その時期を過ぎて男性への分化が起こらなければ、女性として形成される。

 もちろん、ホルモンが効果を得るのに受容体が必要だというのは、男性ホルモンに限らず、ホルモン全般について同じ事がいえる。だから、MTF に女性ホルモンを投与しても、やはり女性ホルモンに対する受容体に問題があれば、効果が得られない。また受容体の数の多少によっても効果が異なる。したがって、一定量以上のホルモンを投与しても、その量の比例して投与すればするだけ効果が得られるということは有り得ない

 これは T's が犯しがちな誤りである。余分なホルモンは体外に排出される。それだけならば問題ないが、以前に他でも示したように、副作用というものがある。それが判っていても、ホルモンを「魔法の薬」と勘違いしたまま自己正当化する人が多い。その言い訳はたいてい決まっていて、多く飲めば少なくとも最大限の効果は得られるわけだし、現在の苦痛を考えれば危険は覚悟の上である、と。最大の効果を得られるための必要最小限の量を考えるのであれば、まだ話は判るのだが、しかし、これでは首でも括った方が話が早い。実際には、最大限の効果が得られる量でも副作用は起きることがあるわけだし、それを省みないのは「手段」と「目的」を取り違えているとしか言いようがない。

 ホルモン投与だけで満足できるか、SRS まで必要とするかは人によるが、いずれにしてもそれは「手段」に過ぎず、それによって、その人が「よりよく生きる」ことが「目的」のあるはずである。そうではないという人は、少なくとも自分の主張の根拠に、よりよく生きるための権利(=人権)を持ち出すべきではない。それは根本的な矛盾であるはずだからだ。

 話がそれた。とりあえず、ここまでをもう一度整理し直しておくと、Y染色体を持つ場合には性腺原基が精巣になり、そうでなければ卵巣になる。精巣が形成された場合にはそこで作られる性ホルモンの影響によって身体の他の部分も男性化し、卵巣が形成された場合には性ホルモンの影響なしに女性化する。簡単にいえばこういう話になる。


 生殖器の話を続けると、精巣と卵巣とでは、元は同じ性腺原基だったといっても、最終的にはずいぶんと違う位置にある。本来はどちらも卵巣の位置にあった。つまり卵巣は移動していない。精巣は胎生期に陰嚢の中に降りてくる。したがって精巣の動脈も卵巣の位置から精巣の位置まで延びてくる。ただし理由は判らない。精巣の中で精子が作られるのに適した温度は約34度で、体温よりも低い。それを精巣が降りて来た理由とする説もあるが、これは理屈に合わない。仮に進化の過程で精巣が徐々に降りて来たと考えると、精巣が陰嚢の位置まで降りてくる途中では、まだ精巣が体内にあるから温度が変わらない。これでは精巣が陰嚢に降りてくる前に、精子が作られずに種が絶えてしまう。現に、同じ哺乳類でも象やクジラの雄には陰嚢がなく、精巣は卵巣と同じ位置に留まってる。

 したがってこれは反対に、精巣が陰嚢まで降りて来たから、精子が作られるのに適した温度が約34度になったと考える方が理に適っている。とすれば、精巣が降りて来た理由は別にあることになる。外見の問題、つまりセックスアピールのためだとする説もあるらしい。ただし、いまだその理由についての定説はないようだ。

 ついでに書いておくと、女性の乳房についても同じことが言える。どんなに豊満な乳房であっても、あの中に母乳が詰まっているわけではない。あの容積の大半は脂肪である。他の哺乳類のメスを見ても、もちろん乳首はあるが、必ずしも乳房が目立つとは限らないし、むしろ目立たない方が普通である。また、多くの哺乳類では乳首は腹の位置にあるのが普通で、それから考えるとヒトの乳首は位置が高すぎる。そのため、これもやはりオスの視覚に訴える効果を狙ったものではないかという説がある。しかし今のところは、これもあくまでも仮説に過ぎない(おそらく、実証は不可能であろう)。

 ただ、哺乳類の中でも、ヒトを含めたサルの仲間は視覚が特に発達している。だから性別についても特に外見にその違いが現れるという事は、それなりに納得できる理由ではある。つまり性別を「見分ける」のである。犬のように嗅覚が発達している動物なら「見分ける」よりも「嗅ぎ分ける」ほうが合理的だろう。またコウモリやクジラのように聴覚が発達している場合には、もしかしたら「聞き分ける」のかも知れない。ただし私は、コウモリやクジラの性行動については、実はまったく知らないから、この推測が当たっているかどうかは判らない。しかし少なくともサルやヒトの場合には、ある程度は当てはまるように思える。


 さて、男女で「元が同じ」なのは、何も精巣と卵巣に限らない。例えば、生殖器ではないが「尿道」というものがある。元が同じどころか、男女いずれの場合にも用途および名称も共通している。ただし、男の場合にはこの尿道が陰茎(ペニス)の先端まで延びている。女性の場合に、男性の陰茎に相当するのは陰核(クリトリス)だが、こちらの場合には尿道は別になっている。

 陰茎と陰核に限らず、男女の外性器は発生上は同じ構造である。MTFSRS でも、この点が考慮され、元々持っている男性器の外性器は、原則的にはそれぞれ各部がそれに対応する女性器に作り替えられる。例えば上に挙げた陰茎の場合には、その亀頭部を陰核に作り直す。表現としては大雑把だが、要するにそういう作業をする。陰嚢は大陰唇に相当するが、これは膣の内壁としても利用されるらしい。

 手術はともかくとして、発生について言うと、男女の性器は見かけ上は大きく異なっているが、お互いに対応する部位から構成されている。むろん男性の場合には、膣口部は閉じるわけで、これは後方から、つまり肛門に近い側から閉じるらしい。その接合の跡が陰嚢の中央部に残っている。これは女性器の用語で言えば、左右の大陰唇が接合した痕跡ということになる。膣口部が後方から閉じると共に、女性で言う陰核が肥大化して陰茎になる。この時に尿道が一緒に延びて、陰茎の先端に尿道口が来る。だから男性の尿道は女性に比べてかなり長い。具体的には前立腺から先は、女性にはない部分である。また、この変化が中途半端だと(閉じるべき部分が閉じきらないと)、男性の先天奇形である尿道下裂が生じる。

 尿道以外の「管」はどうか。こう書けば、真っ先に思い浮かぶのは、おそらく精管と卵管ではないかと思う。これも元は同じものかというと、別物だからややこしい。ややこしいが、別に私が意地悪をしているのではなく、身体がそうなっているのだから仕方がない。第一、私が責任を持ってどうにか出来るのであれば、まず自分の身体を女性化させる。むしろ、それが出来ないから困っているのである。

 精管の元になる管をウォルフ管(中腎管)、卵管と子宮の元になる管をミュラー管という。「中腎」とは何かと思ったら、これは進化の過程で現れた古いタイプの腎臓なのだそうである。哺乳類の場合には発生の過程で退化する。ただし両生類や爬虫類では腎臓として機能しているらしい。前述のように、性腺原基が精巣になると、そこから出た性ホルモンで身体が男性化する。ミュラー管はこの時に消滅されてしまう。だから男性の身体には卵管や子宮に相当する部分が存在しない。では反対に女性のウォルフ管はどうなるかというと、こちらは消えないで、肉眼では見えないような微細な管として残る。これをガルトナー管という。

 精管は精巣から出て、途中に精嚢という精子がためる部分がある。さらにその先は尿道内部に開いている。その近くには前立腺の導管も開口している。射精時には、精管からの精子の他に、この前立腺や他の分泌腺からの分泌物が混じって精液として出される。他の分泌腺というと、例えば他にはカウパー腺というのがある。ただしこちらは性的に興奮すれば、射精に先駆けて弱アルカリ性の分泌物を出す。精子は酸に弱い性質を持っているため、前もって中和しておく目的があるのかも知れない。なお、精液に特有の匂いは、精子ではなく前立腺からの分泌液の匂いである。また去勢、つまり精巣を除去しても射精は可能である。分泌液の方は去勢以前と同様に分泌されるからである。ただし当たり前だが、精巣がない以上は、精子は出ない。したがって「射精」という表現は不正確かも知れないが、とりあえず他に言葉がない。

 精管は精巣とつながっているが、不思議なことに、卵管は卵巣とはつながっていない。という事は、女性の身体は膣から子宮、卵管を経て、腹腔内部が外部と空間的につながっている。男性の場合には、精管をたどっても尿道を溯っても、腹腔内部へは出られない。

 卵管の卵巣側の端は、縁がギザギザしたラッパ状に開いていて、この部分で卵巣から排卵された卵子をキャッチする。どうしてそんな事になっているのか不思議ではあるのだが、この事を知って、逆に一つ納得できたことがある。私は、子宮外妊娠というものがどうして起こるのかが判らなかった。まさか卵管の端が「開いている」とは思わなかったから、受精卵がどこからどうやって子宮の外に出るのかが、想像出来なかったのである。その答えはとても意外でありながら、実に単純な事実だったわけだ。こういうところは、やはり男として育ったからなぁ・・・と思ったが、考えてみれば女性だって、こんなことは教えられなければ、たぶん判らないだろう。

 女性はある時期からある時期(閉経期)まで、ほぼ一月ごとに卵を産む。もっともニワトリと違って人間の卵子は小さい(直径約0.2ミリ)ので、産卵しているという実感はないと思う。上に書いたように、卵子は卵巣から「排卵」される。普通は一度に一個なのだが、何かの拍子に複数排卵されることもあって、これが二卵性双生児、もしくはそれ以上の子供を一度に産む理由になっている。特に現代では排卵誘発剤が原因になっていることも多く、特に五つ子や六つ子などの場合、そのほとんどの理由はこれであるらしい。

 卵の元になる細胞は、既に胎児の時期に八百万個ほど用意されている。それが減って出生時には約八十万個。それでもかなり多いが、この数は出生後も減り続け、ゼロになれば、もう排卵はない。つまり閉経である。男性の場合には、閉経に相当するはっきりした時期はなく、精子は精巣で作られ続け、ただある時期を過ぎると、その能力が年齢と共に低下し続ける。

 卵巣の中ではいくつかの卵子が発達を始める。卵子が発達するといっても、卵子そのものが大きくなるわけではなく、その周囲を囲む細胞が発達する。その全体を「卵胞」といい、一番発育のよい卵胞が卵巣の表面から外に出る。これが排卵である。発達しかけて排卵できなかった卵子は退化して行く。一方、排卵された卵胞は、前述の通り、卵管のラッパ状の端にキャッチされ、ぜん動運動によって幾分内部に入った卵管膨大部までゆく。授精が行われるのも、通常はこの位置である。


 生殖器の他に、性分化についての関心が高いのは「脳」だろう。原理は同じ事で、要するに男性の場合にはまず精巣ができて、そこで作られた性ホルモンが脳の性分化をもたらす。女性の場合には性ホルモンの影響がなく、ただ発達する。この原理は同じ事である。したがって、脳の性分化は精巣が作られた後の時期に起こる。

 この際に性ホルモンの分泌が多くなるので、これをシャワーに例えてホルモンシャワーと呼ぶこともある。そのためか、たまに「ホルモンシャワーを浴びる」という表現があったり、あるいは子宮内の胎児に液体(ホルモンのつもりなのだろう)が降り注ぐ絵を見ることがある。しかし、実際には性ホルモンは胎児の体内(精巣)で作られて分泌されるのだから、この絵はウソである。単なるたとえか、もしくは作者の勘違いだと思って間違いない。酒なら「浴びるように」飲むだけでなく、実際に浴びる人もいる。しかし、ホルモンでそういう事をする人はいない。少なくとも胎児にはいない・・・はずである。

 脳の性分化は、解剖学的には神経細胞の数や密度、形や大きさの違い、神経核の大きさなどの違いとして観察される。ただ、このような形の上では違いが見られても、その「形(構造)の違い」がどのような「働き(機能)の違い」となって現れるのか、ほとんどの場合は不明もしくは仮説の域を出ない。

 例えば以前、あるニューハーフ誌に、男と女の脳では、左右の大脳を結ぶ「脳梁」の太さに違いがあるという記事が載ったことがある。正確に言うと、脳梁の場合には特に後端部の形状が顕著である。横からの断面で言うと、男性の脳梁の後端部は、幾分太くなっていることはあるにせよ、ほぼ「U」の字を横にしたような形になる。ところが女性の場合には、この部分がはっきり球状に膨らんでいるのが判る。これは脳を切り開けば目に見えるから、男女の脳に形態上の性差があることは、間違いなく事実である。しかし、これが機能の面でどのような違いとなって現れるのかは、実は判らない。この脳梁には視覚や聴覚、記憶、情動に関係する神経が走っているから、何かそのあたりに影響があるのだろう、という程度の仮説が立てられるに過ぎない。少なくとも現在の時点で、何かそれ以上に具体的なことを「事実」として述べる意見があったら、希望的観測、もしくは「ガセ」だと思って否定した方がよい。だから英語では「ノー」という。

 確かに、実験動物であるラットの場合には、脳の性分化が始まる時期に、オスから精巣を取るとメスの性行動を起こしたり、逆にメスにアンドロゲンや多量のエストロゲン(いずれも男性ホルモンの一種)を投与するとメスの性行動が失われる事が確認されている。ただし、人間の場合には、あらかじめ脳にプログラムされた行動だけを取るわけではないから、脳の性分化がその人の後天的な行動にどのような影響を及ぼすかは、この実験からはやはり判らない。

 脳にあらかじめプログラムされている行動は、通常は「本能」と呼ばれ、これは書き換えが利かないとされている。言い換えれば「学習」が可能なのは「本能」以外の行動についてだということになる。例えば、「生まれつき泳げないのは人間とサルだけだ」といわれているが、実はアザラシなどの海獣も、生まれつき泳げない事が判っている。だから生まれた直後から動物園などの浅いプールで育てられたアザラシは、ある程度育ってから深いプールに放り込めば、立派に(?)溺れる。その代わり、生まれつき泳げる動物(ここでも話を哺乳類に限っているので、魚類などは除く)の場合には、いわゆる「犬掻き」程度の泳ぎしか出来ないし、それ以上には上達しない。つまり、それ以上に高度な泳ぎを覚えるためには、「生まれつき泳げない」必要があり、高度な泳ぎを「学習する」必要があるのだ。

 心理学の岸田秀氏はその自説の「唯幻論」の中で、人間は本能が壊れた動物なので、その代わりに文化を作ったという意味の事を述べているが、これはおそらくは話が逆である。人間が文化を作り、学習を重ねて来たから、邪魔になる本能が消えたと考える方が、むしろ理屈に合う。文化というのは一代で作り出せるものではないから、「本能が壊れたから文化を作った」のでは間に合わない。したがって、文化を持たない内に本能が消えてしまったのでは、ヒトという種が絶えてしまっただろう(ただし、この点について逆だと指摘したところで、氏の「唯幻論」が根幹から揺らぐわけでもなく、むしろ岸田氏の著作には教えられるところが多かった事を付記しておく)。

 もちろん、機能面においての脳の性差がまったく判っていないわけではない。例えば、女性の月経である。といっても、当たり前だが、いくら女性でも脳には月経はない。月経そのものはないが、その指令は脳から出る。具体的には性中枢のある視床下部から出る。脳の性分化の過程で、男性の脳ではこの機能は破壊されるのである。しかし、このようにはっきり判っていることは、少なくとも現在の時点では、むしろ例外だと考えるべきである。

 誤解のないように書いておくが、男女の脳に機能的な性差がほとんどない、といっているのではない。その多くはいまだ不明であり、脳の「形態的な性差」を安易に「機能的な性差」として解釈することは軽率であると言っているに過ぎない。

 ここは現実以上に性差を強調したい人からも、逆に性差を否定したい人からも、故意に曲解される恐れが多分にあるので、特に注意が必要である。そうした曲解を「科学的見解」として述べる事ほど「非科学的」な事はないからである。判らないことはありのままに「まだ判らない」と述べ、仮説については「あくまでも仮説である」と明示するのが、誠実な態度というものであろう。


 ところで、とりあえず性別から離れて、「学習」の割合が増えて「本能」が壊れた人間という観点から「脳」を見てみる。この場合の、ヒトの脳の特徴は何か。他の動物に比べて大脳、特に皮質と呼ばれる部分がむやみに多いことである。「本能」なら、あらかじめプログラムされているものだからよいが、「学習」の場合には、何を学習するかは個体発生の段階では判らない。脳のかなりの部分が使われていないとか、何に使われているか判らないという説がある。しかし脳の立場からすれば、「将来何に使われるか判らない」から、とりあえず余剰部分をたくさん用意しておいた、というかも知れない。

 身体的な性別、つまりセックスが遺伝子(性染色体)に由来するとすれば、ジェンダーは脳に由来する。そこに脳の性分化が直接的に関係しているかどうかは、今は断言できない。断言できるのは、この「学習」に関わる脳の余剰部分がジェンダーと不可分な関係にあるという事である。

 では、ジェンダーは脳を調べたら判るかというと、たぶん判らない。例えばどんなに丁寧に脳を解剖しても、そこからジェンダーは出てこない。ジェンダーだけでなく、どんな文化も出てこないだろう。これは当たり前の話で、解剖は形態や構造を扱う。ジェンダーは形態や構造ではなく、いわば脳の機能である。ならば大脳生理学ならばジェンダーが判るか。判るかも知れないし、判らないかも知れない。少なくとも現在は判らない。そもそも、脳がよく判っていないからである。

 遺伝子に由来するセックス(身体的性差)であれば、これは解剖学や生理学、あるいは発生学等の様々な医学的・自然科学的な観点から、かなり判る。今回はそういうことを書いた。だからジェンダーについてはほとんど出てこない。それは上記の理由による。

 したがって、ジェンダーについて考えようとすれば、これは別の観点が必要になる。私の場合には、哲学である。哲学とは何か。ここの文脈に乗っ取って言えば、脳が脳を内省する事である。モノを外部から見て法則性を取り出すような、そういった自然科学的な手法で判らないものは、内側から見るより他に仕方がない。自然科学と哲学とで、しばしば見解が異なるのは、どちらが間違っているというよりも、要するにまず、このような視点の違いに起因する。

※それにしても、脳でよかった・・・。遺伝子で遺伝子を内省しろといわれたら、どんな哲学でもお手上げになるところだった。ただし、そういうものは哲学とは呼ばない。たぶん呼ばないと思う・・・。

 哲学が必要な理由が、もうひとつある。それは価値判断という問題である。自然科学ではあくまでも事実を観察し、それを記述する。さらにそれらを「因果関係」で結び付けようとするが、実はそこで既に価値判断が入り込んでいる。ところが、自然科学は「判断」の材料を提供してくれても、「価値」そのものは自然科学からは出てこない。例えば、「明日は雨です」という天気予報は多分に自然科学によるものである(残りの部分は個々の予報士の、いわば職人芸による)。それを聞いて「雨は嫌だなぁ」と思うのは科学ではない。科学ではないといっても、だからそれは間違いだ、というわけにもいかない。そういう厄介な部分を、哲学は請け負っている。


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