りゅこ倫

■■2000年12月02日■■

「社会的合意」とは何か

 今年の夏くらいから自民党の一部の議員の間で、散発的にではあるが、TS の個性の性別変更に関する勉強会が行なわれているらしい。中心になっているのは、看護学校出身で様々な医療・福祉問題等に関わってこられた南野(のおの)議員とのことで、この人の名前は脳死移植に関する文献でも拝見した事がある。誤解のないように念を押しておくが、法案の作成に取りかかったという事ではなく、それ以前の段階として「まず GID について知る」という段階の、そのための勉強会である。

 だから、現在の段階では、戸籍変更がすぐに認められるというわけではないし、またその保証もない。しかしこの勉強会が積極的に、戸籍の性別記載変更を狙って行なわれているのは、確かなようだ。むろん、国会議員が集まって本を読んでいるわけではなく(もしかしたらそういう事もあるかもしれないが)、法学者や医学者などの専門家を招いて話を聞いたりもする。どういう形でかは知らないが、法務省、厚生省、労働省などからの参加者もあるらしい。

 先の話ではあるが、簡単にいえば、議員立法によって TS 法(仮称、以下同じ)が成立する可能性が出て来たという事で、したがって問題は、これらの議員が将来作成するであろう、法案の具体的な中身である。より具体的には、そこに示される戸籍変更の具体的条件が問題である。この条件を、あまり安易なものにしてしまうと、国会で法案そのものがつぶされる可能性が大きい。この事は、上に書いた脳死移植の問題が参考になる。むろん脳死移植と、性転換や戸籍変更とでは内容がまったく異なるが、医療倫理や社会的影響の問題が必ず出てくるであろう点では、おそらくは同じだ。

 かつて法務省では「国民のコンセンサス」を条件に挙げたことがある。つまり、社会的合意という事だ。これは TS の間ではかなりの反感を買ったようだが、しかし基本的にはこの法務省の見解は正しい。法務省が行政機関である以上、「国民のコンセンサス」を無視した法的処置を認めるという方が間違っている。問題は社会的合意という事を、当事者がどのように考えているかだろう。

 社会的合意が得られるという事は、ある提案(たとえば当事者の希望)に対して、それを国民が認める・認めないというような、単純な話ではあり得ない。そうではなくて、この問題について異なる見解を持つ人達が、お互いの考えをすり合わせた上で「まぁこの当たりが妥当であろう」という合意点を見出すということなのだ。しかし、私がこの数年間に渡って当事者の意見を見てきた印象では、すべてではないにせよ、異なる考え方をすり合わせるという概念を持たない人があまりに多すぎるように思う。一方的に自分達の希望を押しつけるような言動が目に余るのである。

 私自身、これまでに様々な分野の非当事者の方々から「そういう意見なら判る」とご理解を頂いているが、その一方で、一部の当事者からは私に対して「神名の意見は当事者に対する妨害だ」という声が陰に日にあがっていることも知っている。だがそういう当事者に限って、「自分達の希望の一方的な押しつけ以外の代案を持っていない」という事も、残念ながら事実である。こういう連中は、ものごとを基本から考える頭脳を持っていないから、ちょっと原理的な話になると、それだけで自分達の主張が根底から覆されるような危機感を持ち、過剰にヒステリックな反応を示すので、すぐ判る。

 今のうちに予言しておくが、 TS 法が成立してしばらくすると、そこに示されている戸籍変更の条件に対して、一部の当事者から非難の声があがる事だろう。かつて、埼玉医大で正式な性転換手術が行なわれるという話が出た時には、ほとんどの当事者がこれを肯定的に評価した。しかし現実に GID が開始されると、まもなくガイドラインに対する非難の声があがるようになった。おそらくは TS 法についても、同じ事が繰り返されることだろう。もちろんこの場合にも、「自分達の希望の一方的な押しつけ以外の代案を持っていない」のは同じ事である。現在の TS 法に対する期待を覚えておいて、後のこの批判の声とのギャップを見てみるとよいと思う。

 むろん、これは一部の当事者が繰り返し声高に主張している事であって、すべての当事者がこのような愚挙に出るわけではない。だから、その後も埼玉医大では性転換手術が行なわれている。つまり、埼玉医大に通い続ける人が、非難の声を上げる一部の当事者の何倍もいるということだ(TS 法に関しても、この点でも同様の現象が起こることだろう)。

 ただし、そのほとんどが FTM の手術である事は注目に値する。FTM の性転換手術は、微細にして高度な技術を必要とするため、いわゆる「ヤミ」に流れる事が難しい。また、その多くが経済的に不遇であるために、海外での手術を受ける事も難しい。その点、比較的に容易な MTF の場合にはガイドラインからの逸脱が容易なのだ。こうした事実を勘案するならば、TS 法が成立したあかつきに審査を通過するのも、また FTM が圧倒的に多数を占めるかもしれない。

 これも誤解のないように書いておくが、私自身は最終的には、正規の治療に拠らずに性転換をした当事者にも戸籍変更が認められることを目的としている。ニューハーフの業界に身を置くと、自然にそういう友人が多くなり、したがってこれは私の当初からの目的である。だがものごとには順序というものがある。最初から、あれもこれも認めろといったら、上に書いた社会的合意が得られるような、その「合意点」は永遠に見出されないだろう。この場合、妨害しているのは当事者の側だということになるが、私はそういう事態を招きたくない。

 私は中学生の頃から既に20年以上、司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』を愛読している。人によって意見は異なるかもしれないが、私はこの作品のヤマは薩長同盟大政奉還だと思っている。どちらも、利害が対立するもの同士(薩摩と長州、幕府と朝廷)の「合意点」を見出す事で、歴史が大きく動いたという点で共通している。戸籍の性別変更では、これほどには歴史を動かす力はないだろうが、実現の条件を考えるとき、この事はおおいに参考にすべきだ。

 私の考えでは、落しどころとしての「合意点」を考える事が出来るのも、また当事者である。当事者は本来、当事者の気持ちだけでなく、世間一般の考え方をも知っているはずだからである。

 粗雑な頭の持ち主なら、ここで当事者の要求を「正義」とし、世間一般の考え方を「悪」として対置するだろう。こういう考え方をすれば、楽だからだ。だが、それは「合意の可能性の放棄」を選択したことを意味している。威勢のよいことを叫んで闘争的な態度を取れば、そのときは自分達が何事かなしているという充実感を得る事は可能である。しかし、それはあくまでも目先の快楽に過ぎない。

 もし私達が自分達の将来を考えるのであれば、目先の快楽や楽な考え方に流れるのをやめて、自分自身と世間との二つの価値観の間で(自分自身のために)苦悩すべきである。そうする以外に、両者を矛盾のない形に止揚することは不可能だからだ。

L.Jin-na


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