りゅこ倫

■■2001年09月30日■■

加藤尚武氏の主張の国際法的な正当性は成り立たない

 加藤尚武氏(鳥取環境大学学長、日本哲学会委員長、以下敬称略)がホームページ上で「連続テロに対する報復戦争の国際法的な正当性は成り立たない」というアピールを掲載しているのを見つけた。戦争反対を表明するのはよいが、その主張の典拠として挙げている国際法(パリ不戦条約および国連憲章)についてあまりに知らな過ぎる。
 誤解のないように書いておくが、私は戦争を肯定したいわけではない。ここではあくまでも、国際法を典拠とする(と称する)加藤の主張が、本当に国際法に沿ったものかどうかを明らかにすることを目的としている。国内でしか通用しない国際法の解釈とは、国際社会においてはまったく無意味だからだ。しかし、本当に戦争に反対するなら、国際的に「通用する意見」が必要とされるのではないか。

 まずは、加藤のアピールを全文転載し、それぞれの主張に対する私の反論を掲載する。


連続テロに対する報復戦争の国際法的な正当性は成り立たない

加藤尚武

  1. 国際法上の「戦争」とは、単に軍事行動が行われたという時点では成立せず、 主権国家もしくはゲリラ団体が戦争の意思表示をすることで成立します。 ゆえに、今回の連続テロは犯罪であって、戦争ではありません。 犯罪として対処すべきです。
    (典拠: パリ不戦条約 TREATY FOR THE RENUNCIATION OF WAR AS AN INSTRUMENT OF NATIONAL POLICY 1929)

  2. 国際法では、 いかなる紛争にたいしてもまず平和的な解決の努力を義務づけています。 ブッシュ大統領が、連続テロの今後の連続的な発生の可能性に対して、 平和的な解決の努力を示しているとは言えないので、 新たな軍事行動を起こすことは正当化されません。
    (典拠: 国連憲章2条3項、33条)

  3. 国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めていません。 したがって、たとえ連続テロが戦争の開始を意味したとしても、 現在テロリストが攻撃を継続しているのでないかぎり、 報復は認められません。
    (典拠: 国連憲章51条)

  4. 連続テロに対する報復戦争が正当防衛権の行使として認められるためには、 現前する明白な違法行為に対しておこなわれなくてはなりません。 予防的な正当防衛は、国際法でも国内法でも認められていません。 連続テロに対する報復戦争を正当防衛権の行使として認めることはできません。
    (典拠: 国連憲章51条)

  5. 国家間の犯人引き渡し条約が締結されていないかぎり、 犯人引き渡しの義務は発生しないというのが、国際法の原則です。 「犯人を引き渡さなければ武力を行使する」というアメリカ大統領の主張は、 それ自体が、国際法違反です。
    (典拠: 国連憲章2条4項)

以上の理由によって、 私は連続テロに対する報復戦争は正当化できないと判断します。 このアピールのいかなる形の転載にも同意します。

9月19日 加藤尚武 (鳥取環境大学学長、日本哲学会委員長)

http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/kato/terrorism.html より転載)


  1. 国際法上の「戦争」だけが戦争のすべてではない


    正規戦力構成員
    不正規戦力構成員民兵、義勇兵
    群民兵
    組織的抵抗運動団体構成員
     確かに今回のアメリカに対するテロは国際法にいう「戦争」には該当しない。これは加藤の主張の通りである。
     しかし、国際法上の「戦争」だけが戦争のすべてではない。
     例えば現在でも「傭兵」は国際法にいう「戦闘員」には含まれない。「戦闘員」のうち「正規戦力構成員」以外をまとめて「不正規戦力構成員」と呼び、その要件として、

    1. 部下について責任を負う一人の者が指揮していること
    2. 遠方から認識することができる固着の特殊標章を有すること
    3. 公然と武器を携行していること
    4. 戦争の法規および慣例に従って行動していること

    が定められている(ジュネーブ捕虜条約・1949)。したがって「傭兵」は捕虜の資格で保護される要件を欠き、現在でも拷問の対象にすらなる(フランス外人部隊はフランス陸軍省が管轄する「正規戦力構成員」であって「傭兵」ではない)。だが、傭兵が戦車や銃砲を用いて戦闘行為を行ないつつ「これは戦争ではありません」といっても、誰が納得するだろうか。それは「戦争ではない」のではなく、あくまでも「非合法な戦争」なのである
     いわゆるゲリラ組織も同様で、「不正規戦力構成員」たるレジスタンスと異なり、国際法上の枠外にある。加藤がゲリラ組織のテロを「犯罪」と呼ぶのは勝手だが、それはあくまでも加藤個人の解釈であって、国際的な解釈とは異なることを明記しておく必要があるだろう。例えば、西欧でいち早く声明を発したのはICPOでも各国の警察組織でもなく、NATOだった。片や、アフガン側では「聖戦」を呼びかけている。テロリストにしても、自らを戦士・兵士と認識しているのであって、犯罪者だと自覚しているわけではない。なぜなら、テロを行なうことが彼らにとっての正義だからである
     そもそも、加藤が典拠にしているパリ不戦条約(1929)には、重大な欠陥がある。それを最も顕著に示してくれるのが、なんと「満州事変」なのだ。満州事変では「戦争」という言葉を使わず(だから「事変」と称したのだ)、戦争の意思表示も存在しなかった。パリ不戦条約違反に問われた当時の日本は、加藤とまったく同じ論法で「満州事変は『戦争』ではない」と主張したのである。むろん、国際世論が納得するはずもない。パリ不戦条約が「戦争」概念を覆い尽くすことが出来ないということは、国際社会においては当時から現在に至るまで変わらぬ周知の事実である。武力行使を、パリ不戦条約に依拠して「これは戦争ではない」と称するのは、既に現代では通用しない詭弁なのだ。もちろん上に示したとおり、今回のテロ事件においても、両当事者ともにあのテロを「犯罪」だとは思っているわけでもない。
     また、国際法とは要するに国家間の条約である。したがって条約の遵守は締結国の間で求められる義務である。条約締結の主体となり得ないテロ組織を相手に、パリ不戦条約における「戦争」の定義を持ち出さなければならない義務など、アメリカに限らずいかなる国も負っていようはずがない。

  2. 国連憲章2条3項および33条は、軍事行動の正当化条件を定めていない
     まず、この主張で加藤が典拠として挙げている国連憲章2条3項と33条を示しておく。

    第2条〔行動の原則〕
    この機構及びその加盟国は、第一条に掲げる目的を達成するに当つては、次の原則に従つて行動しなければならない。
    3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。

    第33条〔平和的解決追求の義務〕
    1いかなる紛争でもその継続が国際の平和及び安全の維持を危くする虞のあるものについては、その当事者は、まず第一に、交渉、審査、仲介、調停、仲裁裁判、司法的解決、地域的機関又は地域的取極の利用その他当事者が選ぶ平和的手段による解決を求めなければならない。
    2 安全保障理事会は、必要と認めるときは、当事者に対して、その紛争を前記の手段によつて解決するように要請する。

     加藤が何を勘違いしたのか知らないが、アメリカに対する攻撃は既に「起こった」のであり、その時点でもはや「平和的」な状況ではなくなっているのである。
     また、上に挙げた国連憲章2条3項にも33条にも、そもそも軍事行動の正当化の要件など定められていない。平和的な解決の努力を示せば軍事行動を起こすことが正当化されるなどとは、どこにも書いていないのに、なぜこれらの条項が「典拠」になるのか、まったく恣意的な解釈としかいいようがない。

  3. アメリカの軍事行動は単なる「報復」ではない
     ここでは加藤の主張自体が意味不明である。いったい、「報復のために戦争を起こすこと」が認められていないのか、それとも「現在テロリストが攻撃を継続している」のなら報復が認められるのか、どちらだといいたいのだろうか。
     ここでも加藤が典拠として挙げている国連憲章51条を見てみることにしよう。

    第51条〔自衛権〕
    この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当つて加盟国がとつた措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

     ここで規定されていることは明確である。まず冒頭は、逆にいえば「国際連合加盟国は外部から武力攻撃を受けた場合には個別的又は集団的自衛の固有の権利を行使できる」ということである。もちろん、そこには「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」という条件がつく。そして、その自衛権の行使が無届のままであってはならず、これは自衛権の行使と同時に発生する事後義務である。
     ここからわかることは、まず国連憲章は戦争に制限を加えてはいるが、戦争の禁止はしていないということである(この51条に限らず、国連憲章のどこにも戦争の禁止を明文化した条文は存在しない)。
     もちろん、この51条に定められているのは「個別的又は集団的自衛の固有の権利」の行使であって、「報復」を目的としたものではない。しかし、「かつて行なわれたテロ」に対する報復だけを目的とするならともかく、今回のテロは「あれで終わった」と言いきれる性格のものではない。逆にいえば、テロが継続中であると判断するためにはその「可能性の継続」を以って論じるより他なく、加藤の言うように「現在テロリストが攻撃を継続している」事実を必要としない。というよりも、加藤の主張は事実上、不可能なのである。なぜなら、テロを行なっているのは国際法に定められた、遠方から認識することができる固着の特殊標章を有する「戦闘員」ではないからだ。「現在テロリストが攻撃を継続して」いないかに見える街中で突然、爆弾を爆発させたり銃を乱射するのがテロリストではないか。
     ならば現状において、アメリカ一国だけでも個別的自衛権の行使という解釈は成立するし、そうなれば、アメリカよりもずっと以前から国際テロネットワークに悩まされ続けてきた西欧各国にも、アメリカからの呼びかけによって集団的自衛権が認められる。ただし、ここでいう「自衛」は、日本で考えられているような、自国の領土・領海・領空の内側だけで行なわれるようなものではない。そもそも「自衛」という言葉には、その行動範囲を限定する意味はなく、あくまでも「自己を守る」「自国を守る」という意味だからだ。

  4. 「予防」なのか「報復」なのか
     加藤はここでも3番目の主張で述べた「国際法は、報復のために戦争を起こすことを認めていません」と矛盾する発言をしているが、反論は既に上で終わっている。
     この主張で正しいのは、「予防的な正当防衛は、国際法でも国内法でも認められていません」という部分だけである。例えば冷戦時代に、東ドイツ国内の西ドイツとの国境近くにワルシャワ条約機構の兵力が結集した場合にはどうか。もちろん、この場合には「予防的な正当防衛」として、NATO軍が先制攻撃をかけることは出来ない。そもそも、この想定ではNATO側がまだ武力攻撃を受けていないから「予防的」といえるのである。
     だが、アメリカは「既に」テロを受けている。それでなぜ「予防的な正当防衛」なのか。そもそも加藤は、今回のアメリカの武力行使を「報復」と見ているのか「予防」と見ているのか。あるいは、加藤としてはあらゆる解釈に反論を試みたつもりなのかもしれないが、自分の主張そのものが矛盾していることに気がついていないのだろうか。

  5. 無効な主張
     ここで突然、加藤は最初の「国際テロ=犯罪」説に戻っている(戦争における「犯人引き渡し」などありえない)。逆にいえば、この主張は「国際テロ=犯罪」説が成立しなければ無効である。


 加藤の主張と、それに対する私の反論は以上の通りである。彼は、自分がパリ不戦条約を持ち出して満州事変当時の日本と同じ主張をしている、ということを自覚しているのだろうか。このパリ不戦条約の不備の指摘が、後に他の戦時国際法や国連憲章に反映されて行くのだが、彼の主張の中では、こうした種々の国際法の時代による変化がまったく考慮されていないように見える。

 もっとも、それを加藤一人の責に帰するのは酷かもしれない。いわば、戦争オンチは戦後の(もしかしたら戦前も)日本人の持病のようなものだからである。戦争について知らないことが「平和的」なのではない。戦争について知らなければ、戦争に反対するにも的外れな指摘しか出来ず、有効な発言も望めないからだ。その意味において、今回取り上げた加藤の主張はきわめて「日本的」である。

 もちろん、戦争を知るということは、小林よしのりの『戦争論』を読むということでもない(反対はしないが、ここではそれは異質な問題である)。そうではなくて、国際間の慣習を知ることや、戦略的思考が出来るということなのだ。

 防衛大学を別にすれば、日本は先進国では唯一、大学で軍事や戦略を教えない国である。だから、大学の学長の中にもこの程度の主張をする人がいる。一方、今回のテロ事件以降、イスラム関係の本が売れているそうである。一時的な現象かもしれないが、それでも知らないよりはずっとよいに決まっている。出来れば戦争についても、単純な「戦争反対!」を脇に置いて(もちろん好戦的な考えも脇において、白紙の状態で)、安全保障などについても学んでみて欲しいと思う。幸い、現在では読みやすい新書版でその手の本が何冊も出ている。

 一見するとこうした戦争の話題は、このHPにはそぐわないかもしれない(私もそう思う ^^;)。だが、これはおそらくは、『りゅこ倫』で最初から問題にしている社会運動の問題とも絡み合っているはずなのだ。最初に「戦争反対」の結論を置いて、あとから適当な理由付けをすると、今回の加藤説のようなものがいくらでも作れる。だが、本当に戦争に反対するなら、国際的に「通用する意見」が必要なのだ。確かに戦争は嫌だ。戦争は、なければそれに越したことはない。だが、それだけなら小学生にでもいえる。いくら国際法を引っ張り出したところで、大学の学長が本質的には小学生と同じレベルの主張をしているようではどうにもならない。

 そもそも加藤は、「国際法上正当化できない」という主張でアメリカが武力行使を思いとどまると思っているのだろうか。それとも何らかの形でアメリカを非難することで、加藤自身が「正義」の立場にあることを担保して自己満足を得ようとするだけなのか。後者なら(その是非は別にして)理解可能だが、前者なら正気ではない。

 私の見るところ、もはやアメリカの武力行使それ自体は不可避である。もし実現可能な提案が出来るとしたら、それは「武力行使の制限」についてだろう。半月前には、そう考えていた。だが、私がいうまでもなく(笑)、アメリカは最初からその方向で動いているようだ。既にアフガンへの英米の特殊部隊の潜入が報道されているが、これは湾岸戦争のときと同じパターンである。攻撃目標をあらかじめタイトに定め、ピンポイントで攻撃する。湾岸戦争当時よりもGPSの性能が上がっているので、現在のミサイルは攻撃目標の座標さえわかれば人工衛星からでも誘導可能だ。無差別爆撃などは論外で、アメリカは今回そういう方法はほとんど取らないだろう。もちろん皆無ならそれに越したことはないが、そこまでは希望的観測に過ぎるかもしれない。情報収集(既に始まっている)に時間をかけ、ピンポイント攻撃の後に航空輸送による地上兵力の投入で制圧。おそらくそんなパターンが多用されると思う。

 ブッシュは強気なことをいうが、あれはおそらく(日本の首相が派閥の力学で決まるのに対して)アメリカ大統領が「人気商売」だからだろう。戦争があまりに長引けば、米国内でも厭戦気分が蔓延する。戦死者が増えればなおさらだ。アメリカはそれを、ベトナム戦争で学んだはずである。だから、その前になんとかケリをつけたい。本音はそんなところだろう。「アメリカの敵」はイスラム原理主義かもしれないが、「大統領の敵」は国民からの不人気である。ちなみに父ブッシュの時、湾岸戦争における米軍の戦死者は、彼我の比率で1対100だった。これを超えると、アメリカのマスコミが反戦に転じて騒ぎ出す可能性がある。

 だからアメリカはどうしても「効率のよい戦争」がしたいはずなのだ。いくらアメリカが軍事力で世界一を誇るといっても、冷戦終結後の軍縮によってその規模は縮小されている。アメリカはその軍事力を、冷戦終結後に世界中で同時に(といっても1ヶ月半程のタイムラグを置いて)2つの国際紛争に即応出来る程度に縮小した。現在ではそれがさらに「1つの紛争ともう1つの小規模な紛争」に縮小されている。要するに「2つの国際紛争」が「1つ半の国際紛争」になった。ということは、アメリカは再び軍拡に転じない限り、いつまでもアフガンにかまけていると「後がない」状態になる。だが、軍備の拡張は一朝一夕には出来ない。兵器ばかり作っても、それを扱う人間の訓練が追いつかないからだ。

 もっとも、どんなに効率のよい戦争といっても核なんか使われては困る。日本は地理的に、チェルノブイリの原発事故でも放射能の影響を心配するような場所に位置している。戦術核といえどもアフガンで使われたら、困るのは(偏西風のために)アフガンから東に位置する諸国である。「同盟国」というなら、日本政府は「極東にもアメリカの同盟国があるのだ」といって、核の不使用の確約くらいアメリカから取りつけたらどうか。アメリカは現在、国政世論を気にしなければならない立場だから、持ち掛け方次第で実現するだろう。

 残りの問題は、「手打ち」のタイミングについてである。小学生レベルの主張をしているヒマがあったら、今のうちからできるだけ双方が飲みやすい条件を考えておくといい。

L.Jin-na


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