りゅこ倫

■■2002年08月16日■■

保守からの近代思想批判への反論

 最近、保守主義者の側からの近代思想批判が相次いでいるように思える。かつては近代思想批判といえば、マルクス主義からの「ブルジョアのイデオロギーだ」という批判や、ポストモダンからの「真理主義だ」という批判だった。どちらも的外れなことには違いないが、昨今の保守主義からの批判も、やはり近代思想の核心を突き外したものになっているといわざるを得ない。

 さしあたってここでは『民主主義とは何なのか』(長谷川三千子・文春新書 191)という本を取り上げることにする。理由は、この本が入手しやすく比較的読みやすいからで、もし興味のある方がいたら、直接にこの本を手にして以下の私の見解を確かめることが出来る、という点にある。

 まずこの本の第1章で長谷川は、「民主主義」という言葉がよい意味で使われるようになったのは、第一次大戦の頃からだという。その理由は、第一次大戦以降、戦勝国が常に「軍国主義に対する民主主義のための戦争」とか、「民主主義 vs ファシズム・ナチズム」の戦いという形で、自国を正当化したからだ。さらに、共産主義の自壊によって「民主主義」の普遍的な権威が再確認される(ただし長谷川の見解では、ファシズム、ナチズム、社会主義、共産主義はいずれも民主主義から芽生えた同類である)。こうして現代では、民主主義が「正義と平和の原理」としての地位を得ることになり、人々は「民主主義」という言葉にいかがわしさを感じ取る能力をも失ってしまった。

 しかし私の見たところでは、この章では長谷川は、民主主義の「いかがわしさ」の根拠として、民主主義の名の下に行なわれた事象だけを問題にしている。しかしこれは、「民主主義の本質が何であるか」を問うこととは全く別問題のはずだ。私の考えでは、例えば「民主主義」の名の下に行なわれた恐怖政治や大量虐殺の原因は、権力争いと、「革命」や「戦争」に対するロマンティシズムにある。権力の争奪戦は民主主義以外の政治形態でも起こるし、いずれの政治体制下でも恐怖政治(独裁)、虐殺、粛清などは起こり得る。簡単に言えば、これは「だれが権力を担当するか」というルールが確立(人々に共有)されていないことに原因がある。

 また、長谷川のいう「熱狂」は、「革命」や「戦争」につきもののロマンティシズムと切り離して考えることが出来ない。司馬遼太郎はこのような状態を「政治的集団発狂」と呼んでいるが、私なりに言いかえれば、閉塞感や危機感を持つ人々が何らかのスローガンによって束ねられることで起こる現象。こういう現象は、民主主義の制度下でなくても、例えば宗教戦争という形でも発生する。したがって、これは人間の心性の問題であって、民主主義という制度をいくら検討してもその本質は出てこない。

 第2章では、民主主義の起源を見るために、古代ギリシャ(アテナイ)の「民主政」の話を扱う。アテナイの民主政は貴族同士の争いの結果として始まったものであり、平民をいかに味方につけるかの競争として、クレイステネスの改革が行なわれた、というのが実状だったようだ。しかし後には、「僭主=悪」を打ち倒して「民主政」が成立した、という物語として語られ、「民主政」が肯定されることになる。古代ギリシャにおける僭主政への嫌悪と恐怖は、すべての体験、すべてのイデオロギーに先だって存在している。籤引きによる官職就任と陶片追放は、アテナイの民主政の特色である。また、陶片追放が行なわれなくなるにつれて弾劾裁判が活躍するようになり、その対象は「籤引きによる官職就任」の例外である将軍の占める比率が高い。僭主は「民衆の力」を束ねて誕生するので、民主政においては常に僭主政の発生を警戒しなければならなかった。「僭主の生まれるときは、常に(民主政での)指導者という根から発芽してくる」。それは「人間の内臓を味わった者は、必ず狼になるという話」(プラトン)。しかし民主政は、それが現実であれ理念的なものであれ、血によって彩られた誕生をし、指導者を血祭りにあげることで維持されるのだから、常に僭主政に脅えなければならないことは宿命的である。近代デモクラシーにおいても、「人間の内臓の一切れ」を味わって狼と化した指導者(ロベスピエールやヒトラー)が生み出される。だが古代ギリシャ人が僭主政を民主政と懸け離れたものと見るように、近現代人も民主主義が生み出した怪物を、「恐怖政治」「ナチズム」「ファシズム」が生み出したものとして敵対する。

 長谷川がこの章で述べているように、政治が「人民のための政治」でなければならないのは当然だろう。しかし、政治というのは理念を語る場ではなく、具体的な決定を行なうものである。そこでは何が「人民のため」で「公共の福祉のため」になるのかという事が問題になる。また、それを誰がどのような基準で決めるのかと言うことが問題になる。長谷川が挙げる「民主政」以外の政治形態でも、この点を解決する具体的なアイディアは説明されておらず、特に「民主政」だけが問題視される根拠にはなっていない。

 ここでは「民主政」は、国民同士が各自の利を争い合う制度だといわれているのだが、しかし争いそれ自体は民主政が生み出したわけではなかろう。民主政だから人々が争うというのは、裁判所があるから裁判が起こる、というのと同じ理屈ではないだろうか。例えば「寡頭政治や僭主政ならば人々に争いの心が起こらない」ということは考えられない。したがって人々が争う原因は別のところに求めなければならないはずである。ただ、圧政ではないからこそ争いが顕在化しやすい、ということは「民主政」の特徴といえるかも知れない。

 またこの章で書かれている古代ギリシャの制度をみると、近現代でいう「人権」の制度が存在しないように見える。例えば、弾劾裁判において被告を弁護する者が、被告ともども罰を受けかねない。これは思想や言論を理由に罰せられる社会である(ソクラテスが青少年に有害な思想を説いたという理由で私刑を宣告されたのも同じ)。おそらくこの時代には、現代でいう「罪刑法定主義」のような制度が存在せず、皆が寄ってたかって「あいつは悪いやつだ」と言えば、自分もいつ「罪人」にされてしまうかも判らないような状態だったのではないだろうか。このような制度の下で権力が「僭主」という一人の人物に集中すれば、誰でも不安を感じざるを得ない。特定のひとりの人間(僭主)の気分次第で処刑されかねないからだ。この場合、権力が多数の市民に分散されているほうが、まだしも安全である。したがって、これも「民主政」の本質の問題ではなく、近現代と比較しての「制度の不備」の問題ではないだろうか

 ちなみに日本史を見ると、織田信長や井伊直弼、大久保利通のように、あるひとりの人間に極端に権力が集中した場合には、民主政でなくても謀反や暗殺の対象となることが見て取れる。何も「民主政」だけが僭主を倒して成立する血塗られた政治形態というわけではないのだ。大化の改新から後を見るだけでも、政治形態の大きな変化が無血で行なわれた例などありはしないのである。

 第3章では、話は再び近代に戻って、「国民主権」の批判をしている。ヨーロッパでは近代民主制の成立に先だって、まず「主権」という概念が成立した。民主制の成立前には、主権者とは国王である。「主権(国家主権)とは国家の絶対的で永続的な権力」であり「市民と臣民に対して最高で、法律の拘束を受けない権力である」が、しかしこれはこれは僭主政容認論ではない。「主権」は狭義の法(loi,law)には縛られないが、統治者を「正しさ」へと導くべき広義の法(droit,right)には結び付いている。当時の「正しさ」の根拠は「神」であり、この統治者が神に結び付いているという考えが王権神授説である。「臣民が君主の法律に服し、君主が自然法に服して、臣民の自然的自由と財産の所有権を保障する」政治が「正しい統治」だとする。この「正しさへと義務づけるもの」が捨て去られるとき「主権」の概念は暴走し、「闘争的な概念」に変身する。英国は11世紀に外来の王に征服され、王権と土着の慣習法(古き良き法)との「均衡」の原理によってコントロールされてきた。英国の慣習法は「それまでの時代を通じてあらゆる賢明な人々によって洗練され完成されてきて、国家のために善き利益あるものであることが不断の経験によって立証され承認されたもの」であるとされる(エドワード・クック)。英国における「革命」とは「悪しき改変」ではなく「古き良き法」を回復することに核心があった。しかしフランス革命では伝統を無視(あるいは破壊)し、国民が主権者であると同時に正しさの根拠でもあるとされる。ここで取り上げられているのは、シェイエスという人物なのだが、彼の考えでは、国民が多数決で「共同意志」を決定し、それが正しさの根拠となる。しかしそこでは少数者は、国家と意見を異にする敵対者となる。

 さて、国家に「主権」(権力)が必要なのは、長谷川が主張する通りなのだが、ここでは、「王政」と「民主政」との意図的な価値付け(王政の方が優れている)が行なわれている。王権神授説に基づく絶対王制(専制君主)については「神法・自然法」の正しさに結びつくものという理論を紹介し、その一方で「民主政」についてはひたすら悪い例だけを挙げている。しかし現実には、絶対王制においても国内外の争乱が「例外的」なものであったわけではない。

 そもそも、王がその政治の中で、常に神に由来する「正しさ」を保つ保証がどこにあるのか。また、どんな政策であれ、それが本当に「正しい」かどうか(神の意に添うものかどうか)ということを、誰がどのように決めるのか。そういう具体的な政治原理については、長谷川は一切触れていない。また、こういう考え方の下でも、やはり誰かが君主を倒して成り代わる、ということは不可能ではない。それは中国の歴代王朝がやってきたことだ。中国では皇帝は「天」の意を受けて政治を行なう。皇帝は「天命」を受けた者だから、これも一種の王権神授説であり、その政治は広義の法に結びついていることになる。しかし、政治が乱れると反乱が起きて他の者が皇帝になる。この場合に新しい王朝を起こすのは、現実的には戦いに勝ち残った「強い者」である。しかし、新しい王朝が起こると、彼は新たに天命を受けたものとして自己を正当化する。天命が革まったという事で、これが漢語の「革命」の語源になっている。もちろん、このような政権交代においても、流血を伴わなかった例など一つもない。

 もう一つ、この章で長谷川が重視するのが「伝統」である。長谷川はクックの言葉を引いて、伝統はただ「伝統だから」というだけで正しいと考えているように見える。しかし私の考えでは、これは伝統についてまともに考えたことがないことの証左である。伝統とは、何か価値あるものごとが、その価値ゆえに後世に伝えられたものだ。どんな伝統にも、始まりがある。その始まりの時には、伝統はまだ「伝統」ではない。従ってその価値は「伝統だから」ということにはない。伝統は後世に伝えられることで事後的に「伝統」と呼ばれるのであって、そもそもの価値は、全く別の根拠を持っていたはずである。だから「伝統が大事だ」というためには、それがどのような意味において大事なのか、それを「伝統だから」という言い方ではなしに説明できなければならない。そして、それが現在においても何らかの意味で(実利的という意味には限らないが)価値を有していることを説明できる必要があるのだ。逆にいえば、今日的な意味を持たない伝統は、既に形骸化しているということになる。この「今日的な意味」の有無が問題なのであって、「伝統だから大事だ」も、逆に進歩主義の立場に立って「伝統だから否定すべきだ」という考え方も、どちらもあまりに安易に過ぎる。

 また、シェイエスのいう「共同意志」は、本書の説明を見る限り、ルソーのいう「一般意思」ではなく「多数意思」に該当する。「多数意思」が必ずしも「つねに公けの利益を目指す」ものでないのは当然。シェイエスの誤りは、「多数意思」を「至上至高の法」として位置付けたことにある。もちろんこの誤りが「民主政」の本質であるはずがないのだが、長谷川はルソーを無視して、シェイエスの主張こそが「民主政」の本質であるかのように論じている。

 第4章は「権利」や「人権」に対する批判だ。アメリカの独立宣言やフランスの人権宣言は、イギリスのような「古き良き違法」への回帰ではないから、「権利」を伝統によって根拠付ける事ができない。そこで持ち出されるのが、ロックの天賦人権説である。しかし、独立宣言や人権宣言は「神」を根拠としない「社会契約説」をも下敷きにしている。ここでの問題は、特にロックの思想の方にある。ロックは「自然状態」を理想的な状況として描き出す。そこでは「神」を根拠に、人間は本来平等と説かれるが、この「自然状態」はいつの間にか「怖れと不断の危険とに満ちている」ことにされ、社会状態への移行を説く。この移行の必要性は、最初は犯罪者に対する抵抗や処罰を社会の手に委ねるという話なのだが、この「犯罪者」は「絶対的恣意的権力(専制君主)」に置きかえられ、革命を「正義の争い」と主張するプロパガンダになる。しかし誰でも公権力から何らかの束縛を受けている以上、それを「絶対的恣意的権力が我々の自由を脅かしている」といえる大義名分を与えてしまう。実際の「人権」思想や「人権」運動は、デモクラシーのイデオロギーとして働き、「人権」という言葉が「正当なる要求・訴え」として叫ばれれば、その背後には「絶対的恣意的権力」という幻が立ち現れる。さらに近年は、この「人権」概念を支えるトリックは意識的に濫用されるようになっている。また「人権」概念はとめどもない増殖を始めてしまい、「権利」と他種の「権利」とが対立する。<「権利」には「権利」を>という硬直した発想の悪循環が続く。この悪循環を断ち切ったとき、はじめて本当の「国民のための政治」を考え得る出発点に立つことが可能になる。

 この章で述べられているホッブズの解釈には、私ももほぼ同意する。また彼のいう「自然状態」を、ホッブズに対する批判を斥けて「思考実験」とみなすのも慧眼というべきだろう。しかし、ホッブズを持ち出しておきながら、なぜ「民主政」や「人権」という概念それ自体が間違いであるかのような論調になってしまうのか、その点が私にはまったく理解出来ない。ホッブズも、けっして議会制を否定しているわけではないのだ。

 確かにロックの天賦人権の思想にはおかしなところがある。長谷川のロック批判の要点の一つは、最初に「人権」の根拠として神を持ち出しておきながら、「権利」とセットになっているはずの「義務」がないという点にある。つまり、「人権」が神に与えられた「権利」であるならばそれは神に対する「義務」とセットになっているはずだ、というわけだ。もう一つは上に紹介したように、どんな権力もそれを不当なものとみなして「正義の争い」としての革命を正当化することができる、という解釈である。

 しかし、これらの長谷川のロック批判はいずれもピント外れだ。私の見るところでは、ロックの最大の弱点はそもそも「人権」の根拠を神に置いたことにある。ロックの天賦人権説は王権神授説と対立する意見だが、神の真意など確かめようがない以上、両者の内のいずれが正しいかという事は証明のしようがない。その意味では、せいぜい天賦人権説は王権神授説と等価であるに過ぎず、王権神授説を乗り越える原理になっていない。これは逆にいえば、長谷川が肩を持つ王権神授説も、けっして天賦人権説を上回る説得力を持っていないということでもある。

 それに、ロック一人を批判したところで、それは「人権」の否定としては不充分である。「人権」抜きの社会契約説があるはずもなく、その中ではロックの天賦人権はむしろ例外なのだ。ホッブズだけでなく、ルソーも天賦人権を明確に否定しているが、長谷川はルソーに対しては特に批判らしい批判を展開できずにいる。ヘーゲルにいたってはその名も全く出てこないが、長谷川はヘーゲルのいう「自由の相互承認」という考え方を、どのようにして否定するのか。それができなければ「人権」概念そのものを批判したとはいえない。

 左翼が「人権」を武器に国家の力を弱めようとすることを問題視するのは理解できる。その問題意識は、私なりに共有できるものだとさえ思っている。しかし「人権」が80年代後半になって利用されるようになったというなら、批判すべきは左翼思想のほうではないのだろうか。「人権」や「民主政」を批判するのは、「軍隊があるから戦争が起こる」という左翼の言説や、「性差があるから性差別が起こる」というフェミニストの言説と同型である。問題の本質を突き外しているといわざるを得ない。

 権利が、対立の状況にあって「訴えるべき相手」を必要とする、というのは半分だけ正しい。正確にいえば、権利は「対立の状況」において明確に意識される(顕在化する)。対立を調停する場合には、政治形態が何であるかに関係なく「何が正当であるか」を考えることが不可欠。「権利」や「人権」があるから「対立の状況」が生まれるわけではない。しかし長谷川は、「正当」とは何かと言うことを、王権神授説での説明で持ち出した、神に由来する「正しさ」以外には何も提出していない。これは現代の日本社会の中では、全く説得力を持たない。

 また、「人権」概念はキリスト教思想の産物というのもおかしい。人間が神の下に平等というならイスラムも同じだし、中世キリスト教社会に「人権」概念があったわけでもない。「人権」概念はむしろ、宗教的世界観や慣習から距離をおいた合理的精神から生じたはずなのだ。だからこそ、神に由来する「正しさ」という考えが説得力を失ったのである。


 以上は、長谷川三千子の『民主主義とは何なのか』という本を取り上げて述べてきたわけだが、上に示したような奇怪な主張は長谷川の専売ではない。例えば、八木秀次は教えられるところも多い論者であるが、近代思想のモチーフを突き外しているという点では、長谷川と同じである。たとえば八木には、『反「人権」宣言』という「いかにも」といった感じのタイトルの著書がある(ちくま新書)。念のために書き添えておくと、八木の主張は長谷川ほど単純ではない。上で挙げたクックの伝統主義を紹介したそのすぐ後で、それと対立する論者であることを明らかにしてホッブズ他の名を挙げている(長谷川は参考文献として八木のこの本を挙げているのだが、こういう点は参考にしていないようだ)。また、「自由」に関してはJ.S.ミルを挙げて、ミルの説く「自由」があくまでも限定付きのものであることにも触れている。

 しかし、このミルの限定つき「他者加害」原理は、限定が取り外され、「他者加害」原理のみが一人歩きをしているのが今日の「自己決定権」の主張である。「誰にも迷惑をかけない」行為については、どんなことでも自由にさせるべきだという見解が盛んに主張されている。
(同書・P87)

 この八木の認識はその通りだろう。ちなみに「他者加害」原理とは「他者に害を及ぼさないことについては、国家は国民の生活に干渉すべきではない」ということだ。また個人がこのような「自由」を有する条件は「自律」であり、一人前とみなされない未成年者にはその成熟度に応じた制限がかかる。私の考えでは、ここで問題にされるべきは、このような「自由」や「権利」という概念それ自体ではなく、後世の(そして現代の)人間が、「自由」や「権利」を制約部分を除外して理解している点にある。そして八木は、「権利」や「人権」、「自由」の暴走は、近代思想が「個人」を出発点としていることに原因があると考えているらしい。

 戦後五十年この方、いや世界史的文脈でいえば近代二百年この方、私たちは「個人」であることを人間としての最善の在り方だと考えてきた。身の回りのあらゆる拘束を排して人間関係の希薄であることがよいことだと考え、それを人類の進歩の方向だと考えてきた。例えば家からの解放は近代小説の重要なテーマの一つであった。
(『誰が教育を滅ぼしたか 学校、家族を蝕む怪しき思想』PHP研究所・P147)

 八木の現状に対する危機感は理解できる。しかし私の理解では、八木は「近代二百年この方」の思想について、次の二つの点で間違っている。一つは、なぜ近代思想が「個人」を出発点に置かなければならなかったのかということが理解されていない、ということだ。もう一つは、「個人」はあくまで社会の在り方を考えるための「出発点」であって、ホッブズもロックもルソーもカントもヘーゲルも、「人間関係の希薄であることがよいことだ」などという結論にはいたっていない、ということである。

 なぜ近代思想が「個人」を出発点に置かなければならなかったのか。カトリック一色に塗りつぶされた中世ヨーロッパでは、人々が同じ価値観や世界観を(まがりなりにも)共有していた。当時のヨーロッパ社会は、いわば神(教会)の権威によって保たれていたのである。しかし、政治的にも宗教的にも様々な理念的な対立が起こると、このような唯一絶対の権威というものがなくなる(近代思想はこの対立を解決するための必要に迫られて成立したのであって、近代思想のために対立が起こったわけではない)。

 誰にも共通するようが「権威」が存在しないところでは、「正しさ」は一人ひとりの個人がよく考えれば誰でも納得できるような、理論的な「正しさ」である必要がある。だから、近代初期の哲学者にはデカルトやパスカルのように、自然科学(数学を含む)の研究者を兼ねているような人が多かった。思想・哲学にも、数学(特に幾何学)や自然科学の方法を持ちこめば、誰もが納得できるような成果をあげることが出来るという考えも手伝っていたに違いない。なぜなら、数学や自然科学は、権威の後ろ盾によって共有されているわけではなく、まさに誰でもよく学び考えれば納得できるようなものとして成立していたからだ。

 そのためには、誰もが「個人」として経験しているような事実を取り上げることが必要だ。そして、そこには伝統や習慣、宗教などを持ち込むことは出来ない。そもそも伝統や習慣、宗教などの違いが対立を生み出しているのだから、それらを脇において、伝統や習慣や宗教の違いに関係なく誰もが正しいと思うことを積み上げて行かなければならない。たとえばホッブズは、「人間は誰でも快・不快の感情を持っている」というようなところから出発している。この時代に「伝統を大切にしましょう」と主張したところで、それは社会の対立図式の内では、たかだか一方の言い分に過ぎない。そういうものは、対立の解決の原理にはならないのである。

 だから、当時の様々な(政治的、宗教的)対立を解決するためには、「個人」を出発点として置かなければならなかったのである。そして、この「個人」はあくまで社会の在り方を考えるための「出発点」なのだということを踏まえておく必要がある。対立を解決しようとする以上、最終的には「秩序の保たれた社会」を作り出すためのアイデアが示されなければならない。そして、その「秩序の保たれた社会」は中世のような単一の権威によらず維持できるのでなくてはならない。だから、少なくともビッグネームと目される哲学者たちは、誰一人として「自由」や「権利」の暴走するような社会を目指したりはしないのである。それどころか彼らが苦労したのは、「自由」や「権利」と、社会の秩序の安定とを、どのような形で両立させるかという点にあった

 どちらか一方を優先して、もう片方を諦めるようなプランなら、子供でも思いつくだろう。また両者が容易に両立すると考えるのは、能天気なロマンティストのすることである。革命家にはこの手のロマンティストに事欠かないから「自由・平等・博愛」なんていうスローガンを掲げることが出来るが、これは哲学者の仕事ではない。哲学者の仕事は、具体的には既に『どう解く』の系譜『どう解く』の系譜・2で述べたから、ここでは繰り返さない。そちらを参照していただきたい。哲学者たちがいかに工夫を重ねてきたか、その片鱗なりとも感じ取っていただけるなら幸いである。

 さしあたって簡単に述べるなら、近代思想に共通するのは、個人の「自由」や「権利」が保障されるためには、社会の秩序が保たれていることが必要だ、と考えている点である。制約から解き放たれて暴走を始めた「自由」や「権利」は、いわば「目先の欲」を追うことによって、かえって「自由」や「権利」が保障される基盤を破壊してしまう。

 現代において「自由」や「権利」の暴走を目論む者たちは、このことを理解していないのである。不思議なのは、それを批判する保守論者もまた、近代思想の中から「自由」や「権利」だけを取り出しているということだ。私は、「自由」や「権利」を大切に思うことそれ自体は、決して悪いことだとは思わない。そして、むしろ「自由」や「権利」の大切さが、社会秩序の安定の必要性の根拠として認識されることが必要なのだと思う。社会秩序の安定を考える時、現代ではそれが、「伝統」や「進歩」よりもはるかに普遍的な説得力を持っていると考えるからである。

 そして、それはもしかしたら「伝統」的な道徳ときわめて似通った道徳を要請するかもしれない。それでよいのである。ただしその道徳は、単に「伝統だから」大切だというのではなく、個々人に納得される価値(自由や権利の根拠)という裏付けを獲得するだろう。そういう方向で考えない限り、社会の安定や倫理・道徳を考える思想は、「昔はよかった」式の単なる懐古趣味か、あるいは道徳の教条主義に堕してしまうだろう。

 社会秩序の安定は、各人の「外部」から押しつけられたものではなく、各人が進んでそれを求めるような動機を持つことによって実現する。あくまでも現代において有効な現実的条件を考える必要があるはずなのである。

L.Jin-na


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