102.日本の性規範

神名龍子


 既にこのコーナーで取り上げたつもりで、すっかり忘れていたのだが(^^;)、昨年の8〜9月に『NHK人間講座』で『「男らしさ」という神話』という番組があった。講師は伊藤公雄氏(大阪大学大学院教授)である。自宅にテレビを置いていない私はこの番組を見ていないが、テキストは手元にある。今回は、まずはその第2回目、「文化と歴史のなかの<男らしさ>」を取り上げて論じることから始めたい。


 このテキストにはかなりおかしなことが書いてある。日本の男尊女卑が広がったのは明治時代に徴兵制がスタートしてからだとか、放送でのコメントでも(私は見ていないので、これは伝聞だが)、

自分が戦前の少年雑誌等に登場するキャラクターの絵柄を見て感じたことは、これらの主人公がみなとても美少年として描かれていることである。何かなやましい表情すら感じるものもある。これらは、戦前は異性間の恋愛感情が抑制されていたので、その代償として同性間にそのような親密なものを求めたのではないか

のようなことを言っていたらしい。確かに、戦前は現在と比べてずっと「異性間の恋愛感情が抑制されていた」のは事実だが、その傾向は戦後になっても徐々に緩んできたのであって、いきなり崩壊したわけではない。

 より正確に言うならば、「恋愛感情」そのものが抑制されていたのではなく、抑制されていたのは具体的な「行為」である。今で言う「ナンパ」みたいに女性に声をかけるとか、そういうことを卑しむ風潮があった。昔の話について、「昔は手をつないだら『結婚だぁ』と思った」という人もいて、これはやや大袈裟かと思うが、「あさま山荘」の佐々淳行氏が書いているように、「キスをしたら婚約、セックスしたら結婚」というくらいの感覚があったことは事実であろう。もっとも、これは今では「できちゃった結婚」のように形は変わっているものの、「男が責任を取る」という点では同じことであり、ただ昔はその基準が厳しかったのでうかつなことはできなかった、というに過ぎない。

 しかし、僧侶ではないのだから、恋愛感情そのものが禁じられていたわけではなく、「友達の家に行ったら綺麗なお姉さんがいて憧れた」とか、そういうことは、今も昔も変わらないだろう。「妻を娶らば才たけて…」というような旧制高校の寮歌もあった。また、昔は遊郭があったから、ませた子なら中学(旧制)、あるいは高校生・大学生でも「玄人」の女性と接する事はできたわけである。エログロ・ナンセンスだって、大正〜昭和初期には既に存在していた。

 また女性でも、大学生・女学生くらいになると、「あら、よくってよ」という感じで、性の「たが」のはずれるのが昔にもいて、これが社会問題になっていた。こういうのは、何も戦後に限った話ではない。伊藤氏の言い分は、当時の時代背景と性風俗をまったく考慮にいれていない。

 次に、これが重要なことなのだが、伊藤氏が挙げている戦前の少年雑誌等の「美少年」像は、実は「貴種流離譚」の特徴なのである。

 「貴種流離譚」というのは、良家の子が何等かの理由で流浪の憂き目に遭うというジャンルの物語である。テキストのカラー口絵に紹介されている牛若丸は、その一種の典型だ。こういう話の主人公の少年は、まず例外なく貴族的な細面の美少年に描かれる。義経の実像は、背の低い反っ歯だったというから、実物とはかなり違う。しかも成長してからの「源義経」は、けっして美少年として描かれたのではなく、凛々しい若武者として武者絵に描かれたのである。

 ついでに書いておくと、遅くとも鎌倉時代以降、日本には「いい男」には2つの典型があった。ひとつはこの「貴族型」美男子、もうひとつは「農民・武士型」の逞しい美丈夫である。実際には、映画俳優などはこの2つの混合型であることが多いが、人によってどちらのタイプに近いか(どちらの要素が多いか)に違いがある。三船敏郎は「貴族型」から遠い、かなり純粋な「農民・武士型」だろうし、沢田研二や京本政樹は逆に「貴族型」の純度が高いだろう。「若大将」の加山雄三は、混合タイプの内の「農民・武士型」寄りといったところだろうか。

 NHK のテキストにも似たようなことは書かれているが、伊藤氏の見解には少年と成人男子の区別がなく、女性的に描かれた少年の絵を戦前の男性像だと書いている(P29)。だが、たとえば上に挙げた「武者絵」が女性的であるはずがない。少年向けの雑誌の挿絵にも、女性的に描かれた「広瀬中佐と杉野兵曹長」など存在するはずがなかった(「やおい本」ではあるまいし…)。

ただ、テキストに引用されているように、歌舞伎の主人公が、優男の二枚目が主流だったというのはその通りである。そもそも、この「二枚目」という言葉が、歌舞伎に由来する。昔の歌舞伎は、小屋の前に役者を描いた看板を並べていた。その一枚目が座長、二枚目が主役、三枚目がこのテキストでいう「立役」である。だから、「主人公」が「二枚目」なのは当たり前で、元々これは同義語なのだ。ちなみに四枚目はヒロイン、つまり女形だった。

 昔の武将の絵も同じことである。戦前に描かれた「濡れた瞳と優しい顔」(P29)の武田信玄の肖像など、どこにあるというのか。女性的に描かれたのは、あくまでも「少年」であって「成人男子」ではない。「男性像」と「少年像」を混同したり、摩り替えてはいけない。これは学問とか研究以前の問題である。

 少年とは、まだ「一人前の男」ではないとみなされる存在である。どこかひ弱で、本当なら大人に保護されるべき対象であるにもかかわらず、世間の荒波の中にひとり放り出されて苦労する。しかも、その少年が成長して「一人前の男」になった時とは、対照的なイメージで描かれる必要がある。そして「貴種流離譚」では、悲劇の主人公である以上、可憐な美少年であるほど同情を誘いやすい。そういうストーリー上の必要があって、美少年に描かれたのだ。

 「少年」ではないが、沖田総司もそうだ。沖田の実物は、色の浅黒い「ひらめ顔」だったという。私が知る限りでは、彼を美少年(美青年)にしたのは司馬遼太郎の『燃えよ剣』で、「ちょっと色小姓にしたいような」と描写されたのが最初であろう。それ以前にはなさそうだ(京都で子供たちの遊び相手だったのは実話のようだが)。沖田は白河藩士の子で、近藤・土方と比べて生まれがよい。しかも幼いうちに両親と死別し、剣の天才でありながら不治の病に冒される、新選組は負け組になって滅ぶ。「貴種流離譚」に当てはめやすいキャラクターなのである。そういえば、会津藩の「少年隊」である白虎隊も、みんな美少年にされてしまう…。

話は脱線するが、司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』は原作自体に人気があった上、すぐにテレビでドラマ化されたので、これによって「沖田は美男子」というのが定着してしまった。「総司」を「ソウシ」と読むようになったのも、このテレビドラマが原因である。原作の『燃えよ剣』では「そうじ」とルビが振ってあるので、「ソウシ」はテレビドラマのオリジナルであることがわかる。『新選組血風録』と『燃えよ剣』で沖田役をやったのは島田順司氏である。若い頃の島田順司氏は沖田がはまり役の美青年だった。彼が『新選組血風録』に出演が決まって脚本家に挨拶に行った時に、「島田ジュンシです。よくジュンジと読まれますけどジュンシです」と自己紹介をしたという。それで脚本家が「沖田もソウジよりソウシの方が音が澄んでいいな」と思いつき、テレビで「沖田ソウシ」にしてしまった。今から40年ほど前の話である。それ以前には「沖田美男子説」はなかったし、「ソウシかソウジか」という論争もあり得なかった。

 話を戻すと、戦前・戦中の少年冒険小説でも、大陸に渡って活躍するほどの少年なら、それなりの教育と訓練を受けたという想定になっているはずだ。昔ならそういう少年は、よほどの秀才で地主が目をかけたというのでなければ、いい家の子に決まっている。いちいち「いい家の子だ」と書かなくても、そういう想定になってしまうわけで、これも一種の「貴種流離譚」になっている。

 こんな調子だから、どう考えても「貴種」ではない豊臣秀吉も、「日吉丸」少年のシーンでは美少年に描かれてしまう。そうしなければ少年向けの雑誌の中で、他の作品との釣り合いが取れなかったであろう。それで、矢作橋で蜂須賀小六と初めて出会うシーンなどでは、日吉丸はやっぱり美少年に描かれていた(まぁ「流離」しているには違いないが)。

 戦後でちょっと面白いところでは、少年探偵団の「小林少年」であろうか。彼は浮浪児(戦災孤児)あがりという設定である。私の知る限りでは、浮浪児になる以前の出自は書かれたことがなかったのではないかと思う。ただ、出るところに出ると、きちんと行儀作法を身に付けていることがわかるし、はっきり「美少年」と書かれており、女装したこともあった。そして浮浪児の中では兄貴分で、そもそも少年探偵団は、彼が浮浪児仲間を集めて作ったものである。牛若丸が、弁慶や伊勢義盛といった出自の知れない連中を引き連れていたのとよく似ている。このように、彼は様々な面で有能でありながら、やはり明智小五郎という「大人」を頼りにしているところもある。彼も「貴種流離譚」の系譜に連なるキャラクターなのだ。

 牛若丸や小林少年のような「有能」な少年が、醜い容貌の持ち主だという設定になると、これは妖怪じみてくる。「有能」というより「異能者」になってしまう。平安時代の「引目鉤鼻」のような顔ならともかく、ある程度以上リアルに描こうとしたら、美少年に描かなければどうにもならない。挿絵として説得力のない絵になってしまうだろう。

 要するに、牛若丸が美少年に描かれていても、それは指し当たって「異性間の恋愛感情が抑制されていた」こととは関係がない。どんな少年が美少年に描かれていたかということを考えれば、それが性愛的な理由によるものではないことがわかる。「貴種流離譚」の系譜に連なるキャラクターが美少年に描かれるのだという、「美少年の条件」に思い当たるはずなのである。

 昔にも、芝居や娘義太夫があったのだし、後には活動映画にも女優が出て来る。眺めるだけなら、いくらでも綺麗な女性は存在した。何が悲しくて美少年で代用しなくてはならないのか。同性愛者ならともかく、一般の男性にはそんな動機があったはずがない。

 しかも実際には、明治以降、比較的最近に至るまで、「異性間の恋愛感情」よりも同性愛の方が、よほど抑制(というより抑圧)されていた。キリスト教国では考えられないことだが、日本には明治以前に「衆道」があった。江戸時代にも何度か、禁止令を出した藩はあるが、そういう禁令を何度も出したということ自体が、「衆道」がなくならなかったという事実を示している。しかも、この禁令は藩士だけを対象にしたものだった。「衆道」の何がまずいかというと、相手のために命をかけるということである。武士は主君のために命をかけるものなので、主君以外の者のために命をかけてはいけない。そういう理由で禁止された。だからキリスト教国のように、身分・階級を問わず同性愛それ自体が悪いことだと考えられていたわけではない。

 ただ、この禁止令にも見られるように、性愛という個人の領域のものが、社会の領域のルールを侵してしまうという問題はある。これは同性愛に限らない。社内結婚した夫婦を同じ職場に置かないなど、そういうことは現在の企業でもやっている。これも別原理に立脚する「エロス的関係」の領域と「契約関係(経済)」の領域との分離である。

 だから近代的な軍隊では、同性愛を徹底的に排除する。兵営を作って集団生活をするからだ。女性兵士がいる場合には、もちろん兵営そのものが男女で分かれている。艦船というのは兵営以上に「閉じられた空間」だから、海軍はもっとまずい。海上自衛隊ではどうなっているのか知らないが、アメリカ海軍では現在でも、同性愛者であることがわかると不名誉除隊(懲戒免職のようなもの)になるという。同性愛そのものを罪に問うことは出来ないが、入隊時に自分は同性愛者ではないという宣誓をさせて、この宣誓を破った(あるいは虚偽の宣誓をした)という理由で不名誉除隊にするらしい。むろん、これはアメリカに限った話ではなくて、近代的な軍隊というのは、日本も含め、どこでもそうなっているはずである。

 したがって、伊藤氏の指摘は事実とは逆なのだ。彼の理屈でいうのなら、抑圧された同性愛者こそ、異性愛者以上に代償を必要とするはずであり、少女が少年のように描かれなくてはならないはずではないか。

 またテキストには、伊藤氏いうところの明治以降の男女格差の強調の例として、「教育でも良妻賢母教育のように、女性はよい妻として夫に従えといった教育がなされることになる」(P28)とあるが、これも間違いである。「女性はよい妻として夫に従え」というのは、江戸時代の「女大学」にも、「幼にしては親に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い」とあり、明治以降の男女格差の強調というようなものではあり得ない。

 Mという幻想でも触れたが、実は「良妻賢母」は男女平等の輸入思想だった。江戸時代までは「女に学問はいらない」という時代だから、「賢母」という考え方は成立する余地がない。この「良妻賢母」が女学校の進学率上昇に結び付くのである。明治32年の文部省の「高等女学校令」にも「賢母良妻たらしむるの素養を為す」と書いてある。欧米列強を見なさい、国力が高い国ほど女子の教育に熱心じゃないか、女に学問はいらないなんていってる場合ではあるまい! 簡単にいえば、そういうことだ。この国策は「女に学問はいらない」と思っている親より、むしろ当時の娘たちに味方したのである。こういうことをきちんと調べずに、「良妻賢母など古臭い封建時代の遺物だ」と思い込んでいると、伊藤氏のようなことを書いてしまうことになる。


 これだけではなく、日本における「性」を論じる上では、従来の言説や常識を疑い、何がドクサ(憶見)であるかを見直すことから始めなければならないだろう。ここで、ちょっと「規範」の問題について触れてみる。たとえば西洋(キリスト教圏)と日本とでは、「規範」のあり様がいかに異なるか。

 キリスト教では「魂」を問題にする。しかもこの「魂」は、仏教の人間観とは違い、輪廻転生しない「魂」である。たとえば「神名龍子の魂」が、生まれ変わって「ミミズの魂」になったりしない。他の人間に生まれ変わることもない。「世界」の全歴史を通じて「神名龍子の魂」はそれ自体唯一のものであり、他の人間や動物の「魂」を兼ねたりしない。そういうものである。

 だから、「国王」や「農奴」、あるいは「男・女」なども、その「魂」の属性だと考えれば簡単だし、社会を安定(というか固定)させることもできる。そうすると、単純に言えば規範も、「いつでもどこでもその人に適用される規範」だけがあればいい。「国王」にはいつでもどこでも国王として振る舞うべしという規範があり、「農奴」にはいつでもどこでも農奴として振る舞うべしという規範があればいい。なぜなら、規範を守るのは「魂」であり、規範に反するのは「魂」の罪だという考えが背景にあるからだ。簡単にいえば、「魂」の種類(レベル)によって社会階層が分かれるというふうになっている。

 ところが日本の場合には前近代においても、身分というのはとりあえずの社会的な「約束事」と考えられていた節がある。

 江戸時代になると社会を安定させる上で、それでは困るから「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」などと言ってはいたが、もちろんこんな思想は、本当は仏教にも儒教にも存在しない(そもそも儒教では「忠義」は説いても、転生思想がない)。しかし、これは社会の安定という目的のために要請された「タテマエ」であって、「ホンネ」の部分では心のどこかで「もとは皆、百姓じゃないか」と思ってた。現実にも私達は、皇族や公家などの一握りの例外を除いては、律令制の時代まで遡れば「皆、百姓」だったのである。

 したがって、規範のあり様もキリスト教圏とは違ってくる。規範は個々人の「魂」の問題ではなく、TPOの問題になる。同じ役者でも出演する映画が違ったら役割も違うように、従うべき規範が、時と場所によって変わるわけだ。

 これが一番わかりやすいのは、吉原のような遊郭である。吉原というのは大門をくぐって中に入ったら、外部での身分は関係なくなってしまう世界だ。遊女も、売春をしたからといって処罰されることもない。むしろ逆であって、遊郭の中でのみ売春が公許されていたのである。

 親が金に困り、手をついて「ここで100両の金をこさえてくれ」などといわれて、吉原で遊女になる。こういう娘は、気の毒がられ、立派なもんだと誉められこそすれ、蔑まれたりはしなかった。年季が明ければカタギに戻り、カタギの規範を守っている限り、立派な女性だということで通用した。遊女に限らず、芸者などでも同じことだが、玄人と素人の区別をしっかり立てた上で、それぞれの規範が存在したわけだ。だから、明治の元勲の奥さんが芸者上がりでも構わない(それを見た当時の欧米人は驚いたかも知れないが…)。

 キリスト教圏では、そういうわけにはいかない。遊郭にいるときと、年季が明けてからとで、同一人物が違う「魂」を持ってるという理屈は成り立たないから、「魂」のレベルの低いという話になってしまう。一方、日本における規範は、場所論的(トポロジカル)・状況依存的なものとして成立しているわけだ。

 これは性別でも同じことである。女形の役者が女の格好をしていても当たり前だが、「彼女」が役者を辞めて百姓になって、それでも女の格好で田畑を耕してたら、やはり「あいつ、おかしいんじゃないか」と言われることになっただろう。

 したがって、日本には歌舞伎に女形の伝統があったから、欧米に比べて T's に寛容なのだ…というのは誤りである。それを言うなら、シェイクスピアの時代の英国の演劇でも、日本の若衆歌舞伎と同様、少年を女役に使ってた。これだけでは、本質的な説明にならないのだ。規範が場所論的・状況依存的なものとして成立しているから、男性が女性として生活できるような余地が出てくる。逆にいえば、場所論的・状況依存的な条件によっては、それが認められない例も出てくることになる。

 明治6年の太政官布告である、違式かい違条例(いしきかいいじょうれい、「かい」は言偏に「圭」)の第62条に「男にして女粧し、女にして男装し、あるいは奇怪の扮飾を為して醜態をあらわす者。ただし俳優歌舞伎等は勿論女の着袴するの類はこの限りに非ず」とある。したがって、例外規定はあるものの、女装も男装もそれぞれ処罰の対象とされた。この他に「婦人にしていわれなく断髪する者」も科料に処せられた。

 このような異性装の規制を、明治以降のものであるようにいう説があるが、それは単なる思い込みや願望に基づく、「誤った俗説」に過ぎない。この条文に明記されている通り、歌舞伎の女形を認めているのは明治時代になっても同じことである。その一方で、それ以外の異性装についてなら、江戸時代にも罰せられた記録が存在するのだ。ただし異性装のみを罪に問われたわけではないが、「無宿竹次郎こと『たけ』」という者が、本来ならば百日の入牢と重追放で済むはずの罪を裁かれた。その際、男装を続けたことを「人倫を乱し」と評価されて、遠島になってしまったという記録が、「天保類集」五十二之帳『御仕置例類集』にあるらしい(『大江戸浮世事情』秋山忠弥、ちくま文庫、P27〜28) 。

 歌舞伎の女形や、戦後の日本におけるニューハーフは、自分達が女でいられるような場所論的・状況依存的な規範を打ち立てた。これは同時に、そういう規範が成立可能な場所や状況を作った、ということでもある。しかし、そういう場所や状況がない人達は、こっそり隠れて女装しなければならなかった(今でもそうだ)。両者の違いは、時代の違いによるものではなく、前近代においても、近代(明治以降)においても存在したはずの、場所論的・状況依存的な違いと考えなければならない。欧米の場合には、そもそもそういう規範の成立を許す余地がない。キリスト教圏の規範は、場所や状況によっては左右されないからだ。そのために迫害の憂き目に遭うことになった。

 規範のあり様の違いがわかれば、実はニューハーフが、場所論的・状況依存的に存在しているのだということがわかる。そして、これは裏を返せば、場所論的・状況依存的に制約を受けているということをも意味する。けっして、キリスト教的な意味での「女形の魂」や「ニューハーフの魂」があって、それでいつでもどこでも通用するということではない。

 おそらく儒教倫理にも、この「場所論的・状況依存的に成立する規範」という考えはないであろう。たとえば三橋順子さんがセクシャルサイエンスのHPで、台湾の状況について、「儒教的モラルとキリスト教的なモラルが、知識人の頭の中で変に結合しているような状況があるように思います」と述べていた。これはかなり納得できた。しかし考えてみれば、これは「変」な話なのではなく、どちらも「場所論的・状況依存的に成立する規範」ではないという点で、両者は最初から共通した類型に属する規範であり、そのことが両者が「結合」しやすい条件をなしているのではないかと思う。

 しかし日本の場合には、これは難しいであろう。儒教倫理やキリスト教倫理を輸入しても、それを場所論的・状況依存的に運用してしまうか、あるいは「これは場所や状況に左右されないんだ」ということがタテマエとしてのみ流通するか、そのあたりがオチではないかと思う。

 ここまで書いて思い当たったが、もともと日本の神道がそういうものだ。場所や状況を限定した上で、「こういう場所は清めておきなさい、こういう場合には穢れを払いなさい」というもので、それ以外はどうでもいいや…というような大らかさ、あるいは曖昧さがある。もちろん国家神道のようなものは論外だが、もともとの神道というのは、常に緊張を強いるような規範ではなかっただろう。それだけでなく、日本人は輸入規範も同様に骨抜きにしてしまったわけだ。

 したがって、日本には日本のジェンダー論が必要である。もちろん、これは国粋主義的な発想でなど言うのではない。そうではなく、規範の種別の異なる欧米の理論を輸入した上で、それ前提として日本の社会(やジェンダー)を分析することには意味がないということを、指摘しておきたいのである。日本では、場所や状況のあり様と、その成立に着目する必要がある。さもなくば、上に例に挙げた遊郭の話などは、理解不可能になるか、的外れな解釈しか出てこないということになろう。

L.Jin-na


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