104.T's とメディア

神名龍子


 T's はメディアといかに関わってきたか、ということが今回のテーマである。

 あらかじめ断っておくが、これは「T's がいかにマスメディアに取り上げられてきたか」ということとは別問題である。また、これまでに巷間に見られたような意味での、「メディア・リテラシー」とも一線を画したものを目指したい。これは、「受信者」の立場に固執することで、メディアにおける「情報」の中身や「発信者」の姿勢を批判し続けるだけのものにはしたくない、という意味である。

 『くぃーん』『ひまわり』のような女装誌を見ても、1990年の【EON】開設以来の「パソコン通信」や「インターネット」の利用を見ても、T's は情報の「受信者」であると同時に「発信者」でもあり続けて来たはずである。左翼の「反権力」の発想から転化したような「メディア・リテラシー」にも、また右翼の反近代的発想からなるメディア批判にも与することなく、T's が「受信者」及び「発信者」としていかにメディアに関わってきたか、そのことを取り上げたいのである。

 もちろんこの場合、単純に「メディアが人間の(この場合には T's の)あるようを規定する」というような、一方的・唯物論的な視点に立つつもりもない。


1.「観念的共同体」の成立(印刷媒体期)

 個々の T's は孤立した存在であった。このことはT's 全体の歴史的経緯としても、また各人の個人史としても同様のことがいえるだろう。かつて T's という性質は現在以上に秘すべきものであり、それゆえ、風俗雑誌に匿名で投稿するような場合を除けば、情報の「発信者」となることは難しかったに違いない。三橋順子さんの研究成果を参照しても、いわば「プロ」であるようなニューハーフに関する情報はともかく、それ以外の T's に関する情報は、ほとんどなかったように思える。T's である人物についての情報はほとんどなく、また T's である人物に役立つ情報も、ひどく少なかったのではないだろうか。

 おそらくは『くぃーん』のような、定期刊行物としての印刷媒体が登場することで、わずかに状況が変わった。『くぃーん』は、女装用品を販売するアント商事の発行であり、T's たる人物についての情報はもちろん、T's たる人物に役立つ情報をも扱った。

もちろん、それなりの困難もあった。そもそも、いかにして『くぃーん』の存在を知るか、という問題がある。発行部数も取扱点も少なく、一般の書店において店頭でその存在を知るという例は、希少な幸運であったに違いない。私個人の例をいえば、『くぃーん』の存在を知ったのは《エリザベス》においてであり、要するに、既に「女装界の内側」に入り込んでいたことで得た情報であった。

 この女装誌には、多くの人が女装名と、自分の女装写真を添えて、メッセージを投稿した。現在でも『ひまわり』において同じ現象が続いているが、このことの「意味」は何だったのだろうか。これまでに言われてきたことのひとつは、女装者の自己顕示である。綺麗になった自分を見てもらいたいとか、そういう自分を(特に男性読者の目から)女として認めてもらいたいという動機であり、これを「承認」の欲求と言い換えてもいい。

 もうひとつ、私が指摘しておきたいのは、これによって「女装者」というカテゴリーが成立したということだ。もちろん、女装を好む人間が存在することは、おそらくそれ以前から(たいていは「変態」という価値判断を伴って)認識されていたはずである。しかしここでの私の指摘は、そういうことではなく、秘密や悩みなどの「問題」を共有できるような、T's にとって一種の共同性を持つような概念としての「女装者」というカテゴリーが成立したということなのである。

 つまり、ここでいう「カテゴリー」とは、単に女装する人間の分類項なのではなく、T's コミュニティーの萌芽であるような「観念的共同体」を意味している。つまりメディアを介して T's〈われわれ〉という意識が生じたということであり、このことは『社会』とは何かで述べた、「社会」概念の成立と同型をなしている。

 『くぃーん』の創刊以前にも、女装者とそれを好む男性が集まるような、秘密クラブ的なものはあったと聞いている。そこで生じたであろう〈われわれ〉意識は、基本的には対面関係をベースとしている。しかし『くぃーん』というメディアが生み出したものは、それとは違う。印刷媒体であるがゆえに対面関係を越え出て、時間と空間とを越えた共同性の意識を生じたという点に、その特徴がある。

 個々の T's にとっては、印刷媒体を介して自分と同じような人達が各地に存在することを知り、その人達が自分と同じような欲望と悩みとを共有しているということを認識することの意味は大きい。それは孤立からの解放であり、漠然としたものではあったが 「T's としての自分」に対する可能性の開示であり、それゆえに「T's としての自分」を生きて行くことが出来るという希望をもたらしたのであった。

 このことは、単に「メディアが T's の意識を変えた」という話ではありえない。けっして T's たる人物達が持つ「主体性」を無視して考察を進めてはならない。いうまでもなく『くぃーん』は商業誌であり、『くぃーん』が存続するためには、それを買いたいと思う人間が一定数以上存在しなければならない。この購買意欲がなければ、T's の〈われわれ〉意識が生じる前提条件も生じることはなかっただろう。そして、購買意欲それ自体はメディアに「作られた」のではなく、T's に内在していた欲望として捉えるより他にない。そもそも T's であるということ、それ自体が各人に内在する欲望に由来するものであり、メディアは、その欲望の維持または実現に役立つかどうかという観点から取捨選択されるのだということを忘れてはならない。

 この観点からいえば、さしあたりメディアとはある一定の人々の「行為」の集積であるとうことが出来る。もちろんその「行為」の背景には、それぞれの動機としての欲望が存在する。発行者の側から見れば、それは商行為である以上、それなりの利潤を挙げるということも動機の一つであろう。それだけでなく何らかの使命感に支えられているという場合もあるだろう。ここで見誤ってはならないのは、「発行者=発信者」ではないということだ。T's は『くぃーん』というメディアに対して、必ずしも情報の「受信者」としてのみ関わったわけではなく、自らも投稿という形で「発信者」の役割をも果たしたからである。当時『くぃーん』読者だった T's は、投稿によってより積極的に「女装者」という「観念的共同体」に参加したのだ。

 「観念的共同体」といっても、これはいわゆる「ヴァーチャル」とはニュアンスが異なる。たとえば数年前に、3Dソフトを駆使した「ヴァーチャル・アイドル」なるものが登場したが、今ではほとんど見かけない。3Dソフトによるイラストは今でもあるが、そこに描かれた女の子を、実在のアイドル歌手と同様に扱おうとする目論みは、挫折したと考えてよさそうである。たとえコンサートに足を運ぶわけでもなく、実際に接する機会のないアイドル歌手であっても、その実在が信じられている場合と、実在しないことがわかっている場合とでは、評価が全く異なるのだ。

 『くぃーん』を介して成立した「観念的共同体」の場合にも、そこに登場する数々の T's が実在するということは素朴に信じられていたはずである。どこか遠隔地に住んでいる、直接に対面することが一生ないかもしれない「自分以外の T's」であっても、その実在を信じることができれば、共に「観念的共同体」を成立させることが可能である。このことと「ヴァーチャル・アイドル」の衰退とは、実に対照的な出来事ではないだろうか。

 ここからさらに敷衍して考えられることは、もし直接の対面の可能性が全く否定されてしまっていたら、この「観念的共同体」は再び解体したかもしれない、ということだ。その危機を回避していたのが、東京と大阪の《エリザベス》、あるいは名古屋の《三島》のような、いわゆる「女装会館」の存在だったと考えることも可能である。「女装会館」へ行くことによって、『くぃーん』に登場する誰かと直接に体面できる可能性が常に開かれていた。特にイベントの際には多くの参加者があるために、この実現可能性は、実質的にはほぼ保証されていたといってもよい。「観念的共同体」といえども、実は直接に対面できる可能性や、実際の対面経験によって、そのリアリティが維持・強化されていたのである。


2.「観念的共同体」の発展(パソコン通信期)

 上に述べたように、印刷媒体にはその存在を知ることの難しさや、入手することの難しさが常につきまとっていた。その困難の特徴の一つとして「地方格差」を挙げることが出来る。つまりメディアの持つ「空間・時間を越え出る」という性質が、まだ不充分にしか満たされていなかったのである。

 そこに登場したのが、パソコン通信であった(念のために書いておくが、これは現在のインターネットとは別物である)。電話回線を通じて参加うるものであるから、海外通話料金の高さを気にしなければ、海外からでもアクセスできる。つまり、電話料金の多寡を別に知れば、参加に関して空間的制約はまったくなくなったといっていい。

 また、そもそもその存在をどうやって知ることができるのか、という問題も解決された。当時は『BBS電話帳』(電波新聞社)という本があって、それを見れば T's 系 のホスト局も掲載されていたからである。また、従来のメディアである印刷媒体(具体的には『ひまわり』のこと)でも、その存在を告知し、場合によってはタイアップも試みた。たとえば私が主宰だった【EON】には『ひまわり』のボード(掲示板のこと)を設け、そこで新刊が紹介されたり、読者から『ひまわり』への投稿を可能にした。現在のインターネットと事張り、パソコン通信は基本的には文字情報っばかりだったから、新しいメディアとしてのパソコン通信が、古いメディアである印刷媒体を駆逐するということは起こらず、むしろ両者がそれぞれの欠点を補い合っていた観がある。

 パソコン通信でも、各 T's がどこの誰かということ(住所や本名など)がわからない匿名性が特徴だった。形態電話の普及した現在と異なり、電話番号も住所と直結した個人データであり、特に一緒に家族と住んでいる場合には、うかつに教えることの出来ないものだった。もちろん、この事情は郵便でも同じことである。たかだか十数年前の話ではあるが、T's 同士が「個人対個人」の連絡を取ることは、今からは想像できないほどに難しかった。

 そのような状況においてのパソコン通信は、当時の T's の様々な欲求を満たす性質を持ったメディアだった。同じネットに(例えば【EON】なら【EON】に)参加していれば、個人間での電子メールも使うことが出来たし、テーマ別に複数の掲示板を設けることで、印刷媒体とは比較にならないくらい迅速で木目細かな意見交換や情報の共有が可能になった。現在のようにはパソコンが普及していなかった当時、「パソコン通信をするため」にパソコンを買ったという T's もいたくらいである。このような「パソコン通信時代」の興隆も、T's がメディアを選んだ結果として生じたのであって、決してその逆ではない。

 また、個人サイトが林立する現在のインターネット状況とは違って、T's 専用のホスト局が少なかったことも、かえって幸いした。【EON】を含めて東京に2局、大阪に1局。それゆえ、共有されるべき情報も集中していたし、意見交換の掲示板とは別に、共有情報はテーマごとに分類された専用掲示板に蓄積されていたので、現在のように必要な情報を捜し求めてネット上をさまよう必要もなかったのである。情報そのものが少なかったということもあって、TV / TG / TS という分類に応じた専門性もなく、幅広い情報が集まった(現在でもこのサイトが T's を幅広く扱っているのは、その流れである)。

 パソコン通信では、実際にはほとんど使われることはなかったが、掲示板でのやり取りを「電子会議」(オンラインミーティング)という用語で呼んでいた。これに対して、直接の対面をオフラインミーティングという。これは現在でも「オフ」とか「オフミ」という省略形で使われている。もちろんパソコン通信でも、この「オフ」が実施された。【EON】の場合には、新宿の T's 系の店を会場に借りることが多かったが、2度ほどは大阪のホスト局である【スワンの夢】と「合同オフ」を実施したこともある。

 パソコン通信もまた「観念的共同体」であったことには違いなく、本質的には印刷媒体によって成立した当初のそれと同じであったように思う。したがって直接の対面の機会である「オフ」も盛んに行なわれた。当初こそ、主宰の私が呼びかけていたが(なにしろ「オフ」とは何かという説明からしなければならかなった)、やがて会員の自主性に任せて様々なオフ会が開催されるようになった。これも「観念的共同体」としての T's を維持・強化した。

 ネット上では、TV / TG / TS というカテゴリー概念は流布されたが、「オフ」に関しては、そのような分類は関心事とはならず、相変わらず一緒に開催され続けていたと記憶している。したがって、少なくとも当時の【EON】においては、個々のカテゴリー概念が「観念的共同体」の体をなしていたという印象は、私にはない。

 「観念的共同体」の維持・強化に関して、パソコン通信が印刷媒体の場合と異なるのは、情報の迅速性と、双方向通信であることが強く意識された転にあると思う。迅速性というのは、たとえば質問や意見を書き込んだ場合、それに対する反応が日を置かずに返ってくるということである。回答の内容によっても、相手(他の会員)がモノを考える人間であるということが強く意識されるが、この「即座に」ということが、相手を「生きている人間」として強く意識させる要因にもなっている。これは隔月刊の印刷媒体では不可能である。

 読者が単なる情報の「受信者」ではなく「発信者」にもなれる以上、双方向通信という性質は印刷媒体にもある。しかし、自分からの情報発信を郵送によって行なうのと、自分のパソコンから直接ネットに書き込むのとでは、まったく印象が異なってしまう。まず、手軽であるがゆえに「発信者」になりやすいということ。それと、投稿がネット上に登録されたことが即座に画面上で確認できるということ。印刷媒体しか存在しなかった時期と比較して、この特徴は「発信者=参加者」としての自覚を高める上で、とても有効に機能していたと思う。

 もうひとつ、これらの特徴からの派生物ともいえることだが、ネットの特徴は「論争」という形でも表れた。迅速性と双方向性とが、相手(他の会員)の実在を強く感じさせると書いたが、その最たるシチュエーションは、実はこの「論争」ではなかったかと思う。私は、ネット上で起こる「論争」の仕方には注意を払っていたが、「論争」そのものを止めようとしたことは、ほとんどない。止める場合にも、その理由は「論争」の仕方にあり、「論争」それ自体を禁止していたわけではない。むしろ、私自身も率先して(?)「論争」に参加していた。

 以上は、あくまでも【EON】での話であって、パソコン通信を利用していた T's の全体像ではないことに注意して欲しい。他にも T's 系の専門ネットは存在したし、【ニフティーサーブ】でのフォーラム内での意見交換なども同時期に存在したはずだからだ。そのことが以下に挙げるような、インターネット期の話に関係してくる。


3.「観念的共同体」の変化(インターネット期)

 T's の「観念的共同体」は90年代後半において、パソコン通信期からインターネット期へ、数年をかけて緩やかに移行する(この期間は、いわばパソコン通信とインターネットの並存期間だといえる)。ちなみに、この【EON/W】の開設が1996年7月、【EON】の閉鎖が1999年12月。両者が並存した期間は3年半に及ぶが、最後の頃には【EON】の利用者は極端に減っていたから、移行期といえるのは2〜3年の間と見るべきだろう。

 まずはインターネット期の特徴を、いくつか思いつくままに箇条書きにして挙げてみよう。

  1. パソコン普及率の急増、および通信人口の爆発的増加。
  2. 個人サイトの林立と、それにともなう情報の分散。
  3. TS (≒GID) を中心とした当事者運動の興隆。
  4. 情報受益の格差の形態が、地域格差から、メディア格差へと変化した。

 私の考えでは、3番目は埼玉医大による SRS の実施が時期的に重なったことの影響も大きい。しかし、使用するメディアの変化や、利用者の急増といった条件も、決して軽視することはできないだろう。

 順を追って説明すると、まずパソコン通信を利用するためには、自分で「通信ソフト」を入手してインストールする必要があったのに対して、マイクロソフトの Windows3.1 や Windows95 にはインターネットを利用するための必要最低限のソフトが最初からバンドルされていた。そのため、パソコン通信の経験なしに最初からインターネットを利用する人達があっという間に増えたのである。

 このことは、現在に至るインターネットの利用状況にいくつかの影響を与えていると考えられる。まず、匿名性の変化。パソコン通信では、各ネットごとに入会手続きをして、IDとパスワードを取得する必要があり、掲示板への記入では、必ず書き込んだ者のIDが明示された。またいわゆる「コテハン」(固定ハンドル)を使用することが慣例となっていたために、誰がどの書き込みをしたかということは、一目瞭然であった。もちろん、そのIDとハンドルの持ち主が、何という本名で詳しい住所がどこか、ということは(本人が明かさなければ)わからない。それにも関わらず、いわば各人がネット上での「顔」を持っていたようなものである。

 しかし、インターネット上ではいわゆる「匿名掲示板」が隆盛を極め、そこでは、どこの誰が書いたのか、まったくわからないような書き込みが並ぶことになった。同一掲示板での複数のハンドルの使い分けなども、ここに含めて考えてもよいだろう。

 次に、上と関連することだが、意見を述べる上での無責任化が見受けられるようになった。これは大別して2つの側面があり、ひとつは「書き込み内容の無責任化」、もうひとつは「参加態度の無責任化」である。前者はたとえば、匿名性が高くなるほど、虚偽の内容や、他者に対する誹謗中傷を書き込みやすくなるということだ。

 後者は、パソコン通信を経験していない人にはピンと来ないかも知れない。まずはパソコン時代には、「ネットワーカー文化」ともいうべき、参加する上での暗黙のルールのようなものが存在していたということを、指摘しておく必要がある。当時のパソコン通信の主宰は、単にコンピューターのシステムを扱うことが出来るという理工系の知識だけで勤まるものではなく、この「ネットワーカー文化」を知り、新人に教え、またこのルールによって会員同士の争いを裁定できる必要があった(もちろんネットによっては、古参ネットワーカーがそれを助けるということもよく見られた)。

 この風潮は、現在でもまったく消えてしまったというわけではない。しかし、インターネット期に入って通信人口が急増したことで、この「ネットワーカー文化」の維持・発展が困難になったことも事実である。基本的な原則として、新規参入者が全体の中で少数を占める場合には、文化の継承は比較的に容易である。しかし、一度に多くの新規参入者が殺到する場合には、新旧世代の対立という「文化摩擦」が起こりやすい(もちろんここでいう「世代」とは通信歴の長短であって、実年齢は関係ない)。私は、パソコン通信期からインターネット期への移行においても、「ネットワーカー文化」がこの基本原則の影響を受け、弱まったと見ている。「書き込み内容の無責任化」と「参加態度の無責任化」は、その結果である。もちろん、T's もこの基本原則の影響をモロに受けている。

 次に、個人サイトの林立と情報の分散。これも T's に限った話ではなく、インターネットそのものの特徴といってよいだろう。しかし今回は、とりあえず T's に話を絞ってみる。この問題は、誰についての(あるいは何についての)情報がどこにあるのかわかりにくい、ということである。もちろん各HPのリンクページをたどって行くことで、T's サイトのネットサーフィンは可能になる。しかし、漫然と「見て回る」ことが目的ならばともかく、これではいつになったら目当ての情報にたどり着くのか、まったくわからない。

 T's 系サイト専門のリンク集が作られたこともあり、この【EON/W】のリンクページをはるかに凌ぐリンク先を網羅していたものだが、結局は上手く機能しないままに終わってしまった。なぜこんなことになるのだろうか。ひとつには、登録者(各HPの開設者)側に問題がある。リンクの申し込みや登録には熱心でも、「登録しっぱなし」という例が意外に多いのである。URL の変更やサイトの閉鎖があっても、リンク集にはそれが反映されない。そのために折角のリンク集も「リンク先が存在しないリンク集」になってしまうのである。そうなれば、そのリンク集は信用できないもの、利用価値の低いものになる。しかし、リンク先が増えれば増えるほど、主催者側によるチェックには膨大な手間と時間を要するようになるので、リンク集の品質管理は極めて困難な作業になる

ちなみに昨年12月に行なった【EON/W】の「TV/TS/TG 関係のサイト」のメンテナンスでは、リンク先が存在しなかったサイトが36件、URL やタイトル変更されていたサイトが22件あった。もっと頻繁にチェックしたいのだが、一人で作業を行なうと、かなりの時間をとられるものである。そのため【EON/W】では、リンクページの変更の際はその都度「What's New」で具体的に紹介し、他のHPのリンクページの品質管理にも役立ててもらえるようにしている(どれくらい利用されているのかは、さっぱりわからないが…)。

 次に、TS (GID) を中心とした当事者運動の興隆の件。これには前述の通り、埼玉医大による SRS の実施が時期的に重なったことも影響している。また、パソコン通信時代からの流れもあるので、まったくインターネット期に特有の問題というわけでもない。しかし、自助グループが発足して各グループのサイトが開設されたり、様々な問題を話し合うための掲示板が開設されたことで、この動きに加速がかかったのではないかと思う。

 これについても、もう少し整理して述べる必要があるだろう。私は直接には参加していなかったのでよく知らないのだが、パソコン通信期においても、【ニフティーサーブ】でのフォーラム内で、アメリカでの DSMSOC についての話題は扱われていたらしい。そのため、性同一性障害(GID)についての医学的な知識を持つ当事者は、インターネット期の初期からそれなりに存在していたと考えていいだろう。

 もうひとつ、この時期の情報面での特徴は、フェミニズム思想が流入し始めたことである。その伝達経路は不明だが、思想的な流れとしては、フェミニズムそのものの流入と、フェミニズムに影響を受けたセクシャルマイノリティの運動論の流入との2つに大別できる。ただし、その支持層はほぼ同一視できるだろう。

それらに対する私の違和感が、この「ジェンダー素描」や「りゅこ倫」を1997年にスタートさせるきっかけにもなった。この97年という時期は、上に述べたパソコン通信からインターネットへの移行期に該当する。

 そして、情報受益の格差の形態が、地域格差から、メディア格差へと変化したという件。この「メディア格差」というのは、とりあえず私の造語だが、インターネットの利用の有無が、T's が受け取る情報量の決定的な格差を生み出すことになった、という意味である。T's に関する情報の流通は、テレビや新聞と比較して、インターネットのほうが各段に情報量が多い。GIDT's に関する本がほとんど出ていなかった数年前には、なおさらである。そのため印刷媒体に頼っていた時代とは違って、各人が受け取る情報量は、地域格差が減少する代わりに、インターネット利用に依存することになった。

地域格差というのとは少し違うかもしれないが、もし現在、その傾向が残っているとすれば、その最も顕著な例は、おそらく GID研究会に関するものではないかと思う。そこでの発表内容を知るためには現地に足を運ばなければならず、全国から参照可能な形でネット上で公開されることがないからだ。このような情報の「囲い込み」も、全国の当事者のために早急に解決されるべき問題なのではなかろうか。もちろんそのためには、毎回の各発表者の協力が不可欠であろう。

 さて、前振りが長くなったが、以上のようなインターネットの諸特徴は、T's の意識に、とりわけ「観念的共同体」の意識にどのような影響を与えてきたのだろうか。一言でいえば、インターネットの利用によって、「観念的共同体」はその変化を余儀なくされた。それを具体的に見てゆくことにしよう。

 最も大きな変化は、「観念的共同体」の細分化であろう。その理由は参加者(つまり T's に占めるネット人口)の増加、および情報量の増加である。三橋順子さんによれば、セクシャルマイノリティが集まる店は、大都市ほど、カテゴリーごとに細分化される傾向があるという。私もこの指摘はまったくその通りだと思うが、それと同じことが、ネット上では地域差を持たず全国規模で起こったのだと考えればよい。もちろんこれは、ネットがその性質上、空間を超越することと、それゆえに情報量の地域格差を解消しつつあることが一因である。

 それだけでなく、情報量の増加と、情報の分散にもその原因があるのではないだろうか。パソコン通信期には、T's に関する情報の全体量が少なく、またそれが集中していたために、TV / TG / TS というカテゴリーに関係なく、誰もが(といっても、とりあえずはネットワーカーに限った話だが)その全てを比較的容易に知り得た。この場合、各人にとっては、必ずしも自分に直接関係のない(自分の役に立たない)情報も含まれるわけだが、誰もが情報に飢えていた時代でもあった。

 私の考えでは、乱暴に割り切って言ってしまえば、T's の情報に対する飢餓は、印刷媒体期の産物といってよい。もちろん女装誌の刊行以前に時期においても、情報を求めていた人達は存在していたはずである。しかし、具体的にどのような情報が欲しいのか、そのイメージは、印刷媒体期以降と比べて、具体的に乏しかったのではないだろうか。その理由は、まず自分以外の T's の存在がわかりにくいことである。例外はニューハーフの世界だが、それ以外の T's については、秘密クラブに属しているのでもない限り、具体的にイメージしにくかったはずだ。その分だけ、欲望の対象になりにくい。あるいは、欲望が具体的な形を取りにくかったと考えられる。

ただしこれは実際には、過去の週刊誌の記事などを参照したり、当時の人達から聞き取り調査を行なうなどして知るしかない。私がここで述べたのは、あくまでも原理的推測であるに過ぎない。

 その点、女装誌刊行以降の印刷媒体期では、『くぃーん』を思い出しても、ホルモン注射の話やアメリカの話、他の女装者の写真つきの投稿などが並び、T's の具体的な欲望を強く刺激したはずである。私がその存在を知ったの、既に三十数号が出ていた時期だったのでわからないが、『くぃーん』の創刊が当時の女装者に与えた驚きと喜びとは、どれほどのものであっただろうか。

 しかし、人間の欲望には限りがなく、また人間はすぐに刺激に慣れる。そうなればより強い刺激を求めることになる。隔月刊の女装誌は、T's の欲望を充分に満たすものではなくなった。それだけに、編集者は毎回の企画にさぞかし頭を痛めたのではなかろうか。パソコン通信期は、T's が満たされない欲望を、お互いに満たし合っていた時期だといえるだろう。

 それがインターネット期に入って、情報過多になった。T's はあらゆる情報を漁ることをやめ、自分の興味に応じた情報を取捨選択するようになった。それと同時に、各人は欲望の違いに応じて自らを再規定するようになる。それによって、漠然とした T's (という言葉こそなかったが)のような大まかなカテゴライズよりも、より細分化されたカテゴリー概念である TV / TG / TS の方が、より強く意識されるようになったのである。

 もちろん知識としては、それ以前から TV / TG / TS というカテゴリー概念は知られていたが、それでもパソコン通信時代には新宿の店を会場として、一緒に「オフ」のようなイベントを頻繁に実施することが出来た。しかし、インターネット期になると、上記の事情から、TV / TG / TS というカテゴリー概念に応じて、お互いの「違い」が意識の前面にせり出してくるようになる。たとえば、埼玉医大の話題は TS には最大の関心事であったが、TV にはどうでもよいことである。まったく無関心ではなかったにせよ、直接に「自分の問題」として受け止めていたわけではなかったはずだ。

 ここで重要なことは、「カテゴリー概念」や「言語」が分節の基本原理なのではなく、世界分節は欲望連関を原理とする問題として考えられなければならないということだ。人間が「欲望」を実現するために行為するような存在である以上、世界分節も、例外的行為ではあり得ない。

 このような分節を含めた人間の行為は、その都度の「欲望」と「状況」との連関によって決まる。自らをどのようにカテゴライズするかということについても、全く同じことが言える。したがって、人間が持つ世界観を、単に「擦り込まれたものだ」とか「教え込まれたものだ」と考えるのは、あまりにナイーブに過ぎる発想であるし、「メディアが人間を規定する」という見解も、一般論としては妥当性を持たない。


4.不適当な考察の例

 構造主義生物学の立場をとる池田清彦氏は、『やがて消えゆく我が身なら』(角川書店)という著書の中で、性同一性障害や特例法に関連して、次のように述べている。少し長くなるが引用しよう。

 ところで、つい最近、性同一性障害の二十代の男性に対し、男性から女性への戸籍の変更が裁判所で認められた、というニュースがあった。二〇〇四年七月十六日に「性同一性障害特例法」が施行されて以降、最初の性別変更例だとのことだ。私は新聞のニュースではじめて知って驚いたのだが、この法律によれば、性別変更にあたり、二人以上の医師の診断や生殖能力を失っていることなどが条件だという。何という悪法だ。自分の情緒を他人に押しつけようとの典型例がここにある。

 性同一性障害という呼称からしてヒドイと私は思う。どうして当該者は差別だといって文句を言わないのだろう。自分の性を自分で決定するのは、住所や職業を選択するのと何ら選ぶところがない基本的人権だと私は思う。システムとしての社会はそのことによりアノミーになることは決してない。男と女という二分法に固執するのは論理的根拠のないドクサである。生物学的には人間の性には大きく分けて三つのカテゴリーがある。@染色体から見た性、A身体的みてくれとしての性、B心的アイデンティティとしての性、である。基本的にはこれらの三つは独立の現象である。@、A、Bが共に同じ性であるのはマジョリティーであるにすぎない。同様に@、A、Bのどれかが他の二つと異なる性になるのも異常なんかじゃなくて単にマイノリティーであるに過ぎない。身長二メートル以上の人が珍しいというのと同じである。(中略)

 権力(多数派の情緒)は@、A、Bの性が一致しない人をいじめ抜き、いじめられて苦しんでいる人に性同一性障害というレッテルを貼り、可哀想な障害者を医療によって改造し、人並みに近くなれてよかったねと声をかける。ヒドイ話ではないか。生殖能力を失わなければ性別変更を認めないなんていうのは、指をつめなきゃ組抜けを許さないというヤクザの感性と同じじゃないか。

 @、A、Bが独立であれば、この世には少なくとも八通りの組み合わせの性のパターンがある。中には自分の心的なアイデンティティとしての性は男でも女でもないと思っている人もいるだろう。こういう人を含めれば、世の中には男と女しかいないという多数派の情緒的考えにはいかなる根拠もないことがわかる。

 自分たちの情緒のみが正しいという思い込みが、この世界のすべての不幸の源泉である。自分の情緒から判断して可哀想な人を助け、なまいきな奴をやっつけようという思い込みから、すべての戦争は始まったのだ。こういう感情が多少とも人間の生得的な感情であるならば、身も蓋もない世の中を作りたいとの私の願いはどう考えても絶望的だな。あっ、そうだ。一つだけ可能性がある。人間の生殖細胞を操作して、身も蓋もないことに最大の価値を感じる人間を作ってしまえばよいのだ。

(P236〜238)

 ポストモダン的な相対主義の典型のような意見で、思わず苦笑させられる。一見すると、性同一性障害の当事者に同情的なようでありながら、実はこの意見は「当事者不在の観点」から提出されているに過ぎないからだ。ここで池田氏が問題にしているのは、性同一性障害の当事者にとっての問題の解決ではない。

 まず池田氏のいう「@、A、Bの性」が独立の現象だというのが、間違っている。

@染色体から見た性
A身体的みてくれとしての性
B心的アイデンティティとしての性

 @とAの関連は発生学の問題であり、確かに性染色体が男性なら身体も完全に(=100%)男性になるというわけではない。逆にいえば、Aを@のみに還元することは出来ないということだが、それは必ずしも両者が無関係であることを意味しない。

 次に、AとBの関連だが、これも性同一性障害の存在が示すように、必ずしも両者が同じ性別にならないことは事実である。しかし、まず人間は「常に自分の可能性を追求する存在」であって、この「可能性」を別のいい方で「欲望」と呼ぶ(たとえば「お酒を飲みたい」という欲望を満たそうとすることと、「お酒を飲む自分」という可能性を追及することとは同じこであるだ)。

 そして人間の「欲望」の在りようや、その前提となる世界認識には、必ずその要因として「身体」が含まれる。たとえば、自宅から数キロほど離れた駅に歩いて行くとして、足を骨折しているときには、健康なときよりも遠く感じるはずである。

 身体の性別(A)も同じことで、「子供を産めるかどうか」、あるいは「他者から見て自分の『身体』が男女いずれの性別に見えるか」など、様々な意味で、身体は欲望のあり方と無関係ではいられない。この欲望の在り方というのは、上に書いた「生き方」の問題でもある。したがって、男の身体で生まれながらも女として生きようという場合も、可能な限り他者から女に見えるような身体を作ろうとするのである。

 このように、人間は「自分が何であるかを了解しつつ、自分が何であり得るかを了解する」ような存在の仕方をしているのであって、この了解をB(心的アイデンティティー)と考えるならば、それを身体(A)と全く無関係だと考えることには妥当性がない。そもそも性自認の成立や、性同一性障害の原因についてもわかっていないのに、なぜBが独立しているといえるのか。それこそ、論理的根拠のないドクサ(憶見)に過ぎないのではなかろうか。

 また特例法による戸籍変更は、いわば戸籍上の性別をAとBに合致させる法律である。この「戸籍上の性別」をCとすると、池田氏の見解ではこれもAやBから独立した項目ということになるのではないか。つまり池田氏の主張を敷衍して考える限り、CをAやBに合致させたいという当事者の「欲望」それ自体も、論理的根拠のないドクサとして相対化されなければならなくなる

 ここに相対主義の馬鹿馬鹿しさがある。そもそもの問題に対しても、同じ相対主義の論理を適用することによって、問題それ自体が相対化・否定されてしまうので、問題が解決に向かわないのだ。

 ところが実際には、池田氏は自ら唱えている相対主義を本気で信じてはいない。そのことは彼が「基本的人権」うんぬんを持ち出していることでもわかる。もし「基本的人権」が彼のいう「多数派の情緒」だとしたら、彼はそれを「いかなる根拠もない」として否定しなければならない。そうでないとしたら、「多数派の情緒」ならざる何らかの根拠を示さなければならない。しかし「染色体」や人体の「みてくれ」をいくら調べても、「基本的人権」の根拠を発見することは不可能であろう。要するに池田氏は、「多数派の情緒」たる「基本的人権」を素朴に信じているのではないか。

 池田氏が「多数派の情緒」を「権力」だと書いているのは、フーコーの権力図式と同型である。フーコー以前の「権力」という概念は、「権力」を独占している一握りの悪いやつが多数の人民を抑圧している、というマルクス主義型の権力概念だった(今でもこういう考え方をする人はいろいろな分野にいる)。

 それに対してフーコーでは「権力」概念は、「特定の人間ではない諸個人同士の間に働くもの」に書き変えられている。たとえば「同性愛は変態だ」という社会通念があるとして、それを個々人が様々な形でお互いに確認し合うことで、維持・強化されるというようなことだ。

 たとえばナチス政権下ではヒットラーが、ユダヤ人だけでなく同性愛者も収容所送りにした。これはマルクス主義型の権力概念でも説明可能な例である。しかし、ヒットラーのように権力を独占している人間がいない社会でも同性愛者は忌み嫌われるということがあり、これはマルクス主義型の権力概念では説明できない。フーコーは戦後のフランス社会に生きた同性愛者であり、このことが彼の問題意識を支えていたのだろう。

 フーコー自身が同性愛者であったこと、また特にヨーロッパのキリスト教社会では同性愛を罪悪視する傾向が強いことから、私はフーコーの主張には「それなりの」妥当性はあると思う。特に、マルクス主義型の「権力」概念に対して、まったく別の形の「権力」図式を提示したことで、フーコーは後世に生き残る唯一の現代思想というに値する。しかし私の考えでは、この考え方には拙い点もいくつかある。

 まずフーコーの考えでは、マルクス主義でいう階級対立の図式(ブルジョア vs プロレタリア)を「マイノリティ vs マジョリティ」という対立図式に書き変えただけの話になってしまうことだ。対立構造を自明の前提にしてしまっているために、「一方のもう一方に対する勝利」という以外の結末を考えることが出来ない。そのために、さまざまな問題を見つけ出しては告発・糾弾することが正しいという話になってしまう。私はこれを「対抗主義」と呼んでいる。

 二つ目には、何ごとにも例外が存在する以上、フーコーの考え方を敷衍すると、最終的には人間が様々な慣習を作ったり編み変えたりして行くことを、すべて否定しなければならなくなる、ということである。最終的には、あらゆる規則(ルール)や慣習が相対化ないし否定されなければならない。これではマイノリティもマジョリティも含めて、あらゆる人間の社会生活が不可能になってしまう。

 三つ目には、しかし「対抗主義」それ自体だけは、けっして相対化されることがない。そのために告発・糾弾型の運動に身を投じることだけが、この世で唯一の「正義」になってしまうという問題が起こる。現在でも「対抗主義」が様々な社会運動の範型になっていることは、周知の事実である。

 四つ目に、社会制度を変えるとしても、「誰」に合わせて変更すべきなのかという問題がある。現実に様々な人間が存在する以上、「万人に合わせた社会」というのは、理念的に想定することが出来るだけで、現実には実現不可能だからだ。もし実現するとしたら、二番目に挙げたように一切のルール・慣習を否定した社会にするか、あるいは「万人」の在りようを強制的に統一するしかない。それでも、それが本当に「万人に合わせた社会」なのかという問題は残る。だからといって特定の人物(あるいはカテゴリー)に合わせるというのは、その人物(やカテゴリー)を「特権者」として扱うということであるから、これは結局は一番目に述べた「解決不可能な対立図式の成立」という問題につながる。たとえば池田氏は、

 @、A、Bが独立であれば、この世には少なくとも八通りの組み合わせの性のパターンがある。中には自分の心的なアイデンティティとしての性は男でも女でもないと思っている人もいるだろう。こういう人を含めれば、世の中には男と女しかいないという多数派の情緒的考えにはいかなる根拠もないことがわかる。

と書いているが、それなら「私は女(男)だ」と考えている人と、「男でも女でもないと思っている人」とどちらに合わせるべきだというのか。後者に合わせろというのなら、前者の「私は女(男)だ」という「心的なアイデンティティとしての性」は無視すべきだという話になる。これを「性」に限らずあらゆる事態に当てはめるのであれば、「システムとしての社会はそのことによりアノミーになることは決してない」どころか、社会は完全に無秩序になる。「あらゆる事態に当てはめろというのではない」というのなら、そこには「相対化すべきもの」と「相対化すべきでないもの」という区別が生じるが、その基準は何だというのか、それを示すことが出来なければ、結局は同じことではないか。

 五つ目に、これはフーコーの考えそのものの拙さではないが、フーコーの考えを無条件に日本の社会に当てはめることの危うさ、という問題がある。キリスト教社会と違って、大半の日本人は、同性愛を罪悪視する宗教に骨がらみになっているわけではない。私は一部の保守派のように、日本の独自性だけを恣意的に強調することには同意できないが、しかし、日本社会と西洋キリスト教社会とを比較して、どういう点で異なり、どういう点では共通しているのか、その検討もしないままにフーコーの図式を日本社会に適用することには、やはり問題があると思う。

 この五番目は、池田氏のような学者だけの問題ではなく、日本のセクシャルマイノリティ自身にもいえることだ。西洋のセクシャルマイノリティの問題意識を何らかの「思想」という形で「輸入」することには、どういう意味があるのかを考える必要がある。もちろん参考にはなるが、それは基本的には「彼らの問題意識」についての回答なのであって、「日本のセクシャルマイノリティの問題意識」に対する回答として考えられたものではない。既に答えが存在するからという理由で他者の問題意識を輸入して、それを自分の問題意識であるかのように振舞うのは、それこそ「倒錯」と呼ばれるべきことである。

 もちろん自然科学のようなものなら話は別だ。たとえば「振り子の等時性」は、ヨーロッパでも日本でも同じだから、そういう学問は「輸入」できるし、無条件に「日本の振り子」に当てはめても、何の問題もない(たぶん)。だが社会の問題というのは、自然科学と同じように扱うことの出来ない側面があって、そこは「輸入」出来ない部分なのだ。残念ながら日本では、このことが頻繁に忘れられる。

 上の池田氏の引用では、まるで SRS が、マイノリティを「多数の情緒」に従わせるために行なわれる非人道的処置のように書かれている。しかし現実には話が逆であって、むしろ当事者が SRS を望むのに対して、制度の方がそれを許さなかったのである(しかも、法律に明記された「禁止」ではなく、ただ「禁止」規定が存在するかのような医師の思い込みによるものだった)。

 しかし、フーコーなりマルクスなりの「権力」図式に捕らわれた人間にとっては、現実など何の意味ももたない。そういう人間は、何ごとも「反権力という情緒」によって解釈するのであり、その解釈にとって都合の悪い「現実」は無視するからである。したがって、

自分たちの情緒のみが正しいという思い込みが、この世界のすべての不幸の源泉である。自分の情緒から判断して可哀想な人を助け、なまいきな奴をやっつけようという思い込みから、すべての戦争は始まったのだ。

という主張には、「戦争ばかりでなく対抗主義もまた」と付け加えられる必要があるのだ。

 そもそも、SRS を望んだのは性同一性障害の当事者であって、マジョリティではない。そのことを見落としているから、「指をつめなきゃ組抜けを許さないというヤクザの感性と同じじゃないか」などという話になるのだが、もちろんこの批判は的外れである。また、当事者が SRS を望む、その「欲望」自体が、男女二元制を前提としている。つまり男女二元制は、マジョリティと、性同一性障害の当事者とに共有されている概念であって、けっしてマジョリティだけが持つ「多数派の情緒」なのではない。当事者の「欲望」が何であるかということを無視しなければ、池田氏のような「権力」批判は成立しないのである。

 これが「当事者不在」ということであって、要するに彼は「権力」批判のために性同一性障害を利用しているに過ぎず、彼の主張によっては、性同一性障害に関わる問題が解決に向かうことはない。

L.Jin-na


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