神名龍子
先日、読売新聞に『女子高生、理系にいらっしゃい…文科省が促進事業』という記事を見かけた(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050827i406.htm)。文部科学省が来年度から、将来の女性研究者・技術者の育成につなげる狙いで、女子高校生の理工系進学を促進する事業に取り組むというのである。もちろん、それに伴う予算要求も発生するわけで、具体的な施策は、下の引用の通りである。
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女子高生、理系にいらっしゃい…文科省が促進事業 文部科学省は来年度から、女子高校生の理工系進学を促進する事業に取り組む。将来の女性研究者・技術者の育成につなげる狙いがある。 来年度予算の概算要求に4700万円の活動費を新たに盛り込む。一線で活躍する女性科学者のデータベースを整え、高校に講師として派遣、活躍の様子などを話してもらう。 女性研究者に関するシンポジウムも開催し、女性が科学界に進出しやすい空気を醸成する。 同省はこれとは別に、約2億2000万円を新規に要求し、女性研究者が出産・育児休暇を取った後で研究に復帰できるよう、若手対象に期限付きで研究奨励金を支給する「特別研究員事業」にも取り組み、50人分の“復帰枠”を設ける方針だ。 日本の女性研究者は2003年3月時点で約8万8000人で、研究者全体の11%を占めるに過ぎず、先進国の中では最低レベルだ。特に工学分野の教授職では、女性の割合がわずか1・1%にとどまるなど、少なさが際だっている。 (2005年8月27日14時33分 読売新聞) |
さて、このような施策によって、どれだけ理工系を志望する女性が増ええることになるだろうか。私は、この試みはおそらく失敗に終わるだろうと見ている。その理由は、この施策の背後にジェンダーフリー論が透けて見えることにある。そのために、これまでなぜ理系に女性が少なかったのかという根本的な原因が、性差を踏まえて検討されているとは、とても考えられないからだ。
ただし、女性は理工系の適性を欠く、という主張を私はあまり(というか、ほとんど)信用していない。このような指摘が「全ての女性」に当てはまらないことは当然だが、女性一般の傾向としても、どうもあやしい。
私自身は、「適性」を論じる以前の問題として、興味・関心(好き嫌い)の問題ではないかと考えている。理工系に進むかどうか、その適性があるか否かを問う以前の問題として、まず機械に興味を持つ女性が、男性に比べると少ない。一方、機械が好きな女性であれば、たとえばそれになりにオートバイのメンテナンスもこなすのである。
個々人の興味・関心の問題がベースにあるのだから、文部科学省が進路の問題として女子高校生を理工系に誘導しようとして、上の記事のような対策を講じたところで、ほとんど効果は期待できないだろう。たとえば、なぜ女性には「メカ好き」が少ないのかと問われて、理工系の女性学者に接したことがないからだとか、出産・育児の問題だとしか答えられないのであれば、その前提には「好みの傾向」に性差が存在することを否定したいという願望が存在するのではないか。しかしこの問題でも、やはりフェミニズムというバイアスをはずして、根本的に考えてみる必要があるのだ。
また、メカ好きの女性であっても、必ずしも研究したり作ったりという方向へ進むとは限らない、という問題もある。操縦するのが好きで、新幹線の運転手になりたいという女性もいるかもしれないし、街中でもバスやダンプの運転をしている女性は、時々見かけるようになった。
私は性別に関係なく、各人が出来るだけ好きな道に進むことを選べるような社会が好もしいと思うのだが(ただし実現できるかどうかは本人次第)、その結果として職種なり学問分野なりの間に、男女の人数の差が出ることは否定すべきではない。「結果の平等」よりも「自由競争」を優先して考える限り、どうしてもそういう結論にならざるを得ないのである。
面白い(?)ことに、トランスジェンダーや性同一性障害といった分野を見ても、メカ好きは MTF に圧倒的に多い。自動車やバイクが好き、鉄道が好き、パソコンが好き(自作もしてしまう)という人は圧倒的に MTF である。それゆえ私は(自分自身も含めて)こういう種類の人間を「脳の性差」論で考えることには非常に懐疑的であり、少なくともこの点に関しては、やはり MTF の多くが男性の特質を備えていると考えざるを得ないのである。
しかしここでは特殊例を追求しても仕方がないので、以下は一般の男女の問題として述べる。もちろん、あくまでも傾向の問題であって、すべての男性・女性に当てはまるものではないが、「興味の持ち方」を男女別にいえば、対象たるモノ(コト)に真っ直ぐに興味が進んで行くのは男性に、人間同士の関係性へと興味が向かうのは女性に多い。簡単にいえば、マニアは男性に多い。
小浜逸郎氏は『男はどこにいるのか』の中で、興味の対象物に関心を向けて没頭するということは、どこかで人間関係に対する断念が繰り込まれている、という。言い換えれば、趣味に対する「のめり込み」の度合いは「孤独さ」の関数だということだ。これは大変に興味深い指摘である。マニアの収集癖というものを、フロイト学者なら肛門期的な固着と説明するかも知れないし、マルクス主義者なら貨幣以外のものに対する物神化というかも知れない。しかしここでは小浜氏の考察を取り入れながら、ヘーゲル風に「自己化」という観点から考えてみたい。
あるものを集める(あるいは、あるものについての知識を集める)ということは、「あるもの」を「自己」の内に取り込むということである。言い換えれば、「自由な自己」という抽象的な存在にとっての対象とすることだ。たとえば切手を集めるという趣味は、その切手が生産された社会的・共同的目的を無視することであり(マニアは郵便を出すために切手を集めているわけではない)、切手をそのような社会的目的から引き剥がして、ただ「自己のためのモノ」にする。そして、この場合には「自己」もまた、自分が他者と作ってきた関係に根拠付けられるような存在ではないような、単なる「自己」になっている。あるいは、収集対象たるモノ(コト)との関係においてのみ成立しているような「自己」である。
要するに趣味にのめり込めばのめり込むほど、「彼」は他者との関係性から自分を引き剥がし、ただ興味の対象であるモノ(コト)との関係においてのみ存在するようになる。
一方、女性の場合、その多くは他者との関係性へと興味を向ける。たとえば性についての関心でも、男子がしばしば女性の顔や身体に興味を向け、その話題に興じるのに対して、女子は「誰と誰とはあやしい」という話題を好む(これは思春期だけの話ではなく、女性週刊誌のゴシップ記事もその延長に成立している)。主婦がカルチャーセンターに通う場合でも、趣味そのものにのめり込むというよりは、そこに集まる女性同士でコミュニティを形成することが多く、昔の近所付き合いに見られた「井戸端会議」の代替物としても機能している例も見られる。
一見すると趣味にのめり込んでいるように見える女性でも、やはり関心が人間同士の関係性へと向いていることがわかる。いわゆる「やおい」でも同じことで、たとえば男性のオタクが好みそうな「眼鏡」や「巨乳」などの、絵的な「萌え」要素はきわめて少ないようだ。それよりも、上に述べた「誰と誰とはあやしい」を形に表しているのだと理解する方がわかりやすい。自分の世界観を形成しているという意味では、男性のマニアやオタクと同じように見えても、その本質はかなり異なっているように思える。つまり「彼女」が構築している世界観は、あくまでも「誰と誰」の関係性を主要素として成立しているのである。
さて、理工系の世界はどちらに親和性があるかといえば、以上が理解できた人は容易に答えが出せるだろう。いうまでもなく男性である。
ただし、理「工」系はさておき、生き物がからむと、理系でも女性の人数が増えるのではないだろうか。具体的なデータに当たったわけではないので、あくまでも個人的な印象として述べるのだが、真っ先に思い浮かぶのは、生物学である。それから広い意味での化学の中では、液晶素材の研究などよりも、薬学のほうが女性の比率が高いように思える。薬科大、あるいは薬学部では、女性を多く見かける。
私はこれは、女性が関係性に関心が深い分、人間以外の生き物にも感情移入ができやすいからではないかと考えている。つまり、何らかの形で生き物が関係するか、それとも単なる物質(あるいは機械)を扱うかで、女性が興味・関心を持つ度合いが異なるように思えるのだ。
それゆえ私は冒頭に書いたように、女性が理系(や数学)の適性を欠くというよりも、興味・関心の問題だというのである。誰だって興味のあることには熱心に取り組むからだ。
私自身、中学・高校を通じての学校の授業は、「習ってもわからない科目」と「習わなくてもわかる科目」のどちらかに大別できた。私は理数系と英語がまったくダメで、興味もなかったし、覚えても何に使うのか、具体的なイメージを持つことができなかった。ところが後年、ナイフ製作を始めたところ、ステンレス鋼(ブレードの素材となる金属)の主なものを何種類か、比較的簡単に覚えてしまうことができてしまった(もっとも実際に用いたのは2種類ほどに過ぎなかったが)。
もしかしたら理工系でも、女の子が自然に感情移入できそうなロボットなどが作られるようになれば、志望者は増えるかも知れない。アニメの例でいうと、『サクラ大戦』の李紅蘭も、やはり機械に「思い入れ」が出来る女性として描かれている。彼女があくまでも「女性的にメカ好き」なのだということに思い当たる。もう一人、作る側ではなく操縦する立場だが、『パトレイバー』のヒロインの泉野明もそうだ。OVA版では彼女は自分が操縦する「98式AVイングラム」に、勝手に「アルフォンス」という名前を付けて「可愛がる」女性として描かれている。この「アルフォンス」というのは、もとは彼女が昔飼っていた犬の名前だという設定である。フェミニストよりも、アニメ製作者の方がずっと事態をよく理解している。
男性と並ぶかどうかは別としても、女性の興味・関心を満たす条件が整えば、今よりは工学志望の女性は増えるかもしれない。逆にいえば、従来の男子学生に対するものと同じような説明会を、女子高生を対象に繰り返すだけでは、女性心理のツボをはずしているために、いくらも効果を挙げることは期待できないであろうことが予測できるのである。
