14.ステロタイプと T's

神名龍子


 「13.男と女の非対称」ではとりあえず、「男らしさ」というのは、男性の性的条件から課せられた一つの倫理的な行動条件ではないかという仮定を立ててみました。もちろんそれだけではなく、土地柄や気候風土、その他の条件も含めて、その文化固有の「男らしさ」というものがあるわけですが、これについてもう少し考えてみましょう。

 まず「男らしさ」なども含めてジェンダーというのは、それぞれの文化ごとに異なる相対的なものであると同時に、それぞれの文化ごとのジェンダーを有らしめている理由がそれなりに存在しているということを、ここでもう一度確認しておきたいと思います。

 これについては武道・武術を例に、次のように考えればよいでしょう。人間というのは胴体に頭部と四肢がついているという点ではまったく同じ構造をしています。ですから、いかなる武道でも、自分のしっぽで相手を叩くとか、しっぽを相手の足に絡ませて倒すという技はありません。助走をつけずに5mも飛び上がるような技も存在しません。これは人間の身体の構造上の理由による、すべての武道の共通点です。しかし足を使う場合に、空手では蹴り技になりますし柔道ならば足払いになる。また必ずしも足を使わなくていいじゃないかということになればボクシングになります。手を使うにも、投げ技や当て身、関節技などがあります。これらは武道の歴史を調べると、やはりそれなりの歴史的な理由があって、それぞれ異なる形で発展してきたものです。けっして、「どうやって攻撃してもいいや」ということで、恣意的に出来たものではありませんし、その一方でやはり身体の構造という条件に拘束されていることは否めません。

 武道をジェンダーに置き換えると、ここでいう人間の身体の構造はセックスレベルの性差に、その他の条件はそれぞれの武道の歴史的な理由などに該当します。日本の場合でいえば、平安貴族の男性ならば、地位や政治力、どれくらいの荘園を持っているかなどの社会的な条件に加えて、歌が詠めるとか楽器が扱えるなどの「雅」とされる技量がどれくらいあるかということが「いい男」の条件でした。ですから腕力的な強さとかたくましさというのは必ずしも求められなかったわけです。しかし農民やそこから派生した武士はそうはいきません。これはやはり強さやたくましさ、リーダーシップの有無などが問題になります。どうも日本のいい男というのは「貴族型」と「農民・武士型」の二つのタイプがあるような気がしますが、やはり鎌倉時代以降に武士が貴族を席捲してからというもの、基本的には「農民・武士型」の男らしさが、現在の「男らしさ」の基本になっているように思います。

 これは女性でも同じで「農民・武士型」の、特に「武士の妻型」が基本になっているのではと思います。特にこの数十年、家庭の電化が進んで家庭内での力仕事が経ると、ますますこの傾向が進んできたと思います。ただ、実際の「武士の妻」が近現代の「専業主婦」と異なるのは、「武士の妻」の場合、男が外で働いていて、場所的には離れた場所にいるにもかかわらず、生産点(職場)と生活点(家庭)が一致しているかのような「張り」がありました。これは日常的な生(生活点)を超えて非日常的な死を夫と共有するという精神があったからでしょう。現在の「三食昼寝付き」の主婦にこの意識を求めるのは、まず無理だと思います。生産点と生活点が一致している農家や自営業の家庭の主婦ならば、専業主婦よりも「武士の妻」に近い意識を持ちやすい環境にあるとも言えるでしょう。

 そういう意識もなく(もしくは希薄で)、かといって子供もある程度育って親離れした上に「三食昼寝付き」では、女性が「物語」(人間間の関係性)の中に生きる存在である以上、これは退屈するのが当たり前です。レコード店に行ってジャズのコーナーでソーラン節のレコードを探すようなもので、求めるものと生活の環境とが矛盾しているのです。その退屈さに耐えられなければ、やはり社会進出もしたくなるし、せめてカルチャースクールへでも行かなければ、生活の中の空虚を埋めることが出来ません。

 もっとも、昔に比べて近所付き合いが少なくなった現代では、あのカルチャースクールやパートタイムの仕事は、お金を払うかもらうかの違いはありますが、どちらも「有料の井戸端会議」ではないかと思います。これは別にからかい気分でいうのではなく、そういう女性たちはカルチャースクールで得られる教養や技術よりも、そこに集まる他人との関係性を求めているように思えるからです。なぜなら、女性とは前述の通り関係性の中に生きることによってエロス性の実現と充実を得る存在だからです。また同時に、それだけ亭主が手応えのない存在になっているのではないかという気がします。

 ここでちょっと「更進性」という概念についてお話しておきましょう。「擁護システム」と同様、見慣れない言葉だと思いますが、これはある事柄について、どの程度まで上達を求められ評価されるかという、その程度を意味します。上達しうるかどうか、上達を求められるかどうかだけではなく、それが評価の対象になるということが更進性の条件です。例えば箸の使い方は人並みに出来さえすればよいもので、それ以上の上達を求められることはありませんし、してもその上達を評価されることはありません。こういう場合を「更進性が低い」といいます。逆に上達すればする程よいもの、当然上達すればするほど評価が高まる場合には「更進性が高い」ということになります。

 会社での仕事には、上手い下手や評価が付きまとうものですが、家事労働の場合にはそれに比べると大変に更進性が低いのが特徴です。つまり、そこそこのレベルに達していれば文句も言われない代わりに、それ以上に上達しても評価を期待できないということです。同じ料理でもレストランのシェフという立場で行う場合には更進性が高く、家庭で作る料理の場合、お客さんでも来ていればともかく、普段はある一定以上のレベルは期待も評価もされない、更進性が低い作業だということが出来ます。

 これは女性の側からすれば、やり甲斐がないことおびただしい。評価する・されるというのは、これも一つの関係性であって、それが家庭内で得られなければカルチャースクールでもどこでも、とにかく外に探しに出るか、知り合いに電話でも掛けまくるか、さもなければ酒で気を紛らわせてキッチンドランカーになる場合もあります。この辺が、男性には気がつきにくいところかと思いますが、気がつかないのが、上記の「手応えのない亭主」というわけです。先日も文部省の前を通りかかったら「子供と会話をしていますか」という意味の垂れ幕がかかっていましたが、親子の対話だけでなく、夫婦の対話も不足しているのではないでしょうか。


 さて、以上ジェンダーの在り方について大まかな話を書いてきましたが、私たちのような T's は基本的には、その内容を壊そうとしているわけではありません。ただ、身体は男に生まれたけれども女性側のジェンダーを生きたいとか、反対に、女に生まれたけれども男性のジェンダーを生きたいという点だけが違っているわけです。つまり男女のジェンダーの在り方(その内容)はそのままに、反対側のジェンダーを生きたいとい少数例外者です。

 現在のジェンダーの在り方そのものを壊そうとか、男女のジェンダーの在り方を日本全体で今までと逆にしてやろうと考えているわけではありません(一部には、フェミニズムの影響からそういう事を考えている人もいるかも知れませんが)。また、これまでのジェンダーの在り方が、私たちの存在を理由、もしくはきっかけとして大きく崩れるとも、私は思いません。なぜならここに述べてきたように、ジェンダーにはそれなりの歴史的理由があり、その時代ごとに変化しながら編み上げられてきたものであって、これを大きく変えようとか、根底からひっくり返そうというのは、よほど大きな権力が必要です。しかし、大きな権力を持ってそういう事をもくろむ集団があるわけでもありませんから、まずありえないだろうと思います。

 もちろん多少の変化は、これは私たちが存在するとしないとに関係なく、常にあるものです。この点は、時代を追っての言葉の変化などを考えると近いでしょう。それはT's だけでなくいつの時代も社会全体で負う責任だと思います。

 ではなぜ私たちがセックスとは反対の性のジェンダーを生きたいと思うかというと、これも一言ではいいにくいのですが、脳の性分化が身体のほかの部分と逆になってしまったというような先天的な理由や、生後に身につけた感性や規範が反対側の性のものだったというような後天的な理由がいくつかあって、これは人それぞれで異なると思います。

 私自身のことを言えば、やはり男性的な特質もいくつか持っていることは事実です。子供が生めず、男性器を持つ身体だからでしょうか。例えば趣味にのめり込みやすいというのも、その一つだと思います。コレクターとかマニアというのは、やはり男性に多いですね。最近は女の子でプリクラを交換して集めるのが流行っていますが、あれはお互いに交換するとか、誰かと一緒にプリクラを撮るとか、やはりどこか関係性に生きている感じがします。片や、男性が趣味にのめり込む場合にはむしろ関係性を断って自分の世界に入り込むことが多く、私もその点では男性的な性質を持っています。しかしその一方では、やはり不器用ながらも関係性に強いこだわりがあることも事実で、おそらくは T's 用のパソコン通信(EON)を作ったり、このようなホームページを作ったりするのも、自分ではその一環ではないかとしてとらえています。

 また、自分でホームページに写真を出しているくらいですから「見られる(見せる)」ことの喜びというのも、もちろんあります。そういう生き方を選ぶ人間が少数存在しても、現代の世の中では充分に吸収できると思うんですね(笑)。でなければゲイバーやニューハーフヘルスもとっくにつぶれているはずですけど、どちらかといえば増えているのではないでしょうか。


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